新型コロナウイルス感染症に関する忽那賢志医師の記事を読んだ。
私自身は「社会機能を維持するためには高齢者や基礎疾患のある人はコロナで死んでも仕方ない」という考えよりも「周りの誰かを守るために自身の行動は一時的に多少制限されても仕方ない」という立場にありますが、どちらが正しいというものではなく、日本人の国民性、死生観が問われるところかと思います。
忽那氏は「社会機能の維持」と「周りの誰か」を天秤にかけているようだが、それは的を外していると思う。重要なのは人間の自由と権利だ。
クマに襲われて人が死ぬ、活断層が動いて人が死ぬ、台風が直撃して人が死ぬ――これは悲劇だが、人間が直接的に責任を負うわけではない。人間の意志はどこにも介在しておらず、不幸な出来事と呼ぶしかない。そして、感染症で人が死ぬのもこれと同じだ。直接的に人間に責任はない。
一方で、人びとの行動の自由を制限することは、人間が人間の自由や権利を直接的に奪うことだ。クマや活断層や台風による死と違って、こちらは人間の手による悪行であり、人間に責任が発生する。
私たちは、まず人間による悪行を防ぎ、次に自然災害に対処すべきだ。したがって、新型コロナウイルス感染症を理由にした行動制限はすべきではない。なぜならそれは人の手による、人に責任がある人権侵害だからだ。自然災害は人智の及ばぬ領域にあり、起きてしまっても仕方ないが、人間の意志による悪行は人間によって阻止することができる。私たちはまず人の手による人権侵害と立ち向かうべきである。そのうえで自然災害と対峙しよう。行動制限という人権侵害はいらない。コロナ対策は私たち一人ひとりの自由権を脅かさない範囲でのみ行われるべきだ。
こういうこという奴に限ってワクチン打って無さそう。
コロナワクチンは2回打ったけど、仮に打っていなかったとしたら何? 私の体は私のものだ。誰にも私の体に何を入れるかを強制する権利はない。 そういうわけで風疹ワクチンは打っ...
いかにも限界独身中年っぽい発言ありがとう。 風疹ワクチン打たなくても良いと思ってしまうあたり、もう棄民じゃん。
礼には及ばんでござる