はてなキーワード: 自由権とは
ごめんまだ230年くらいだったわ
フランス革命(フランスかくめい、仏: Révolution française, 英: French Revolution )とは、フランス王国で1789年7月14日から1795年8月22日にかけて起きたブルジョア革命[2]。フランス革命記念日(パリ祭)はフランス共和国の建国記念日でもあり、毎年7月14日に祝われている[3]。
フランス革命を代表とするブルジョア革命は、封建的な残留物(身分制や領主制)を一掃し、
資本主義の発展(法の下の平等・経済的自由・自由な私的所有など)
資本主義憲法の確立(人民主権・権力分立・自由権(経済的自由権)等の人権保障を中心とする原理、典型例としてフランス憲法)
を成し遂げた[2][4]。
フランス革命はアメリカ独立革命とともに、ブルジョア革命の典型的事例である[2]。フランスでは旧支配者(宗教家・君主・貴族)の抵抗がきわめて激しかったため、諸々の階級の対立・闘争がもっとも表面化した[2]。
実にシンプルな話で、個人が主観を表明するということにかけては、自由にやればいいんですよ。好きでも嫌いでも、批判でも称賛でも、快でも不快でも。
『ただし、』というのがこの話の全てであって、
例えば宇崎ちゃんや戸定梨香が社会的に悪、つまり性犯罪を誘発するだの性差別を助長するだのと主張するなら、当然そのエビデンスを示しやがれと全力で反論されますよということだ。
で、話がそこに至ると沈黙し、代わりに出てくるのがTPO論だ。
TPO論はあくまで二次的な議論に過ぎない。その前にする話があるだろうが、という点で。
「不快だ」という表明は自由にしたらいい。我慢する必要はない。どしどしやればいい。
私企業はマーケティングの問題を無視できないだろうし、公共機関が不快感の蓄積を見て配慮が必要だとする判断もありうるだろう。
問題となるのはそれを不快感の表明にとどまらず、広告が「性差別」のバリエーションだとする批判に踏み込んだ場合だ。
性的搾取とか性的モノ化とか性犯罪を誘発とか性犯罪と地続きとか。
これらは見逃すことができない。
ただし、ある表現が「性差別である」と認定された場合、いくらゾーニングされればOKと言われようが、表現としては決定的なスティグマを刻印されることになる。
そのことを踏まえて、もしその広告が性差別のバリエーションだという主張をするならば、
「性差別である=誰かの人権が侵害されているという十分なエビデンスをもとに、慎重に判断してくれよ」
という慎ましい要求をしているだけなんだ。
本当に誰かが搾取されているのか、モノ化は誰かの人権を損ねるものなのか、本当に性犯罪は助長されるのか。
【追記】
というコメントを見かけて。
「公共の福祉」は、「◯◯の自由」といった人権が制限を受けるのは、唯一その自由権の行使が別の人権を侵害している時に限る、というものなので、ちょっとイメージされてるものは違うんじゃないかな。
で、表現規制の問題こそ、この「公共の福祉」が適用されるべきだと思うのだけど。
「石に泳ぐ魚」事件は表現の自由とプライバシー権の相剋だけど、発想としては萌え絵も同じだと思うんだよね。
【追記2】
歴史的に見れば、「萌え」の起源はポルノグラフィである、と見るべき。この前提を否定しないまま議論を進めても、いずれ「性差別」の論点は避けられなくなる。
私の主張は、「本当に性差別であるかどうか慎重に問え」なんだから、最初から「性差別」は論点ではあるけど…。
よく分からないけど、萌え絵の起源がポルノグラフィだから、個別の絵柄はどうあれ性差別に相当するって意味?そんな雑な議論ある?
萌え絵っつったって千差万別(何でこんな当たり前のことを言わねばならんのだ)なんだから、萌え絵の起源がどうとか、全く関係ないでしょう。
性的搾取とか性的モノ化とか性犯罪を誘発とか性犯罪と地続きとかは、全て批判側が言ってるんですよ?
そう主張するなら言いっぱなしでなく、それをきちんと証明しなさいよ、という当たり前の話じゃないですか。
【追記3】
で、不快感の表明は好きにすればいいって言ってるの。
何でこんなことも読み取れないかなあ。
繰り返すと、不快感の表明に留まらず、ある表現を「性差別」であると踏み込んで批判するなら、そう主張する側が相応の論拠を示せと言ってるの。
Vtuberの動画削除を要請したり、ラブライブのパネル撤去を電凸したりするのは表現規制ではないらしい
憲法で保障された権利としての表現の自由を口にすると、弁護士さんが「憲法問題ではない」とか口出ししてくる
いっちょかみのリベサあたりが、ドヤ顔で「三菱樹脂事件」とか「間接適用説」とか言い出してるんだが
オタクは別に、そんな法的にゲンミツな話をしたいわけじゃなかろう?
ニコン展示中止事件が表現の自由の問題だとリベサに騒がれるような感じの話だろ
常識ねえのかよ
そのゲンミツな話なら、ニコン展示中止事件だって表現の自由の問題じゃないんだぜ
いいのか?
労使問題やら、ヘイト問題やらで、人権だのよく口にする界隈が、こういう時はケロッと惚けて「ばーかばーかww」と言い始める
オタクが主張してるのは別段違法でもない表現を行う権利についてだ
なんでこんな主張しなきゃならんかって、「差別」だ「性暴力」だと大仰な問題にするからだろ
そういう話だろう
つかさ、間接適用だから表現の自由は問われないし、そんな問題にはならないとか素人が言ってるけど
法曹界でも普通に人格権(名誉)と自由権(表現の自由)の衝突の話はされるべよ
「私人には憲法が定める幸福追求権を侵害する事は出来ないので、それを問題にするのは滑稽」とか言い出したら、狂ったかと思わんか?
俺には統合失調症から発達障害に診断を変えてくれた医者がいて、今の定期的に診てもらっている。
しかし医者がプロだとは分かっていてもやはり変に思われるんじゃないかと言えないことが複数ある。
たとえば資格勉強をしようとしてもすぐエロ画像を探したくなってしまい集中できないということ。
頻繁にオナニーしたくなって集中力がつづかないこと。おかげで効率がすこぶる悪い。
そういうわけで性依存症について相談したいものだがどうしても恥ずかしい。
漫画を読んだことがある女性について読んだことがある作品の男性向け女性向けの比率を出したらその平均ぐらいの割合では俺も女性向けの漫画を多く読んでしまっているかもしれない。ハーレクインもあすかDXもプリンセスも読む。
まあ俺は上記のように男としての性欲がばりばりあるから問題ないだろうが、それが無かったら俺の性自認はどうなるんだろうとは思う。
下手なたとえだが、葉緑体があって維管束が種子で増えるのならばその時点で動物ではありえない。それどころか種子で増えるという時点で大方植物だろう。
同じように俺ももうちょっと女性性的な行動傾向が強かったら俺が男性を騙るのは男性の定義に対する誤認に過ぎないのではなくなってしまうのではないか。
男でもたくさん少女漫画を読む人はいるが、そういう人も女性向けだけを読むということはなくて、少年漫画も少女漫画に劣らぬ量を普通に読んでいたりするものだ。
女性向けを女性と同じ比率で読んでいる、これは男としてかなり危ういのではないか。
漫画というのは性のアイデンティーと分かちがたく結びついたものだと思う。それを証明するようにシーモアみたいな電子書籍サイトでは全ての漫画をまず男性向けか女性向けかのいずれかに分類している。
持論だが身もふたもない言い方をすれば漫画というのは多かれ少なかれそれに対して疑似恋愛やそれ以上のものを求めるためのもので、読者は意識的か無意識的かに関わらず漫画を疑似恋愛を楽しんだりオナニーのおかずにするために買っているのだと思う。
そういうものを女性と同じようふうに読んでいるというのはたとえば尾木ママみたいに女言葉を使うのよりもよっぽど男性性にクリティカルに矛盾する要素なのではないだろうか。
だから本来はいさぎよく適合手術を受け戸籍を女性に変えるべきということになってしまうのではないか。
現代社会では男女の選択が自由という権利があるから「法的な性別を変えない権利」を行使できているに過ぎないような気がする。
男の身体をもって生まれたものの、本来女とされるべき人が、ジェンダー論とかに無頓着なために、形式的には男として登録されたまま生涯を押し通すような、つまりは無知による誤認に過ぎないのではないか。
もし人語を騙る植物がでてきて人間が行使できる自由権を交付されて、「俺は動物だ」と言えば、定義上どう矛盾してようがそれが本人の無知による誤認に過ぎなかろうが、ただ主張が尊重されるとうう権利のもとで動物として認識してあげられているみたいな感じ。
俺は権利によって男であることを保護されているだけで、女なのか?そういうことを訊きたくなる。
あとはなんでゲイは性転換手術を受けないんだろうという疑問がある。
男が好きなら女になればいいというのが素朴な考えだろう。男と交際したいなら同じゲイを集めるより女になった方が早いだろう。
トランスジェンダーではなくあえて同性愛者として生きることに何の意味があるのだろうか。
単に手術費用がもったいないと思っているだけだろうか。それともアイデンティーに関わる考え方がちゃんとあってゲイとして生きているのだろうかと、気になっている。
「女性が海でビキニを着るのはポルノ的」10代女性に体を隠すよう声をかけた男性がセクハラで炎上、その後会社をクビになる
https://www.ellegirl.jp/life-culture/social/a37571048/man-teens-beach-bikini-21-0916/
ビーチでビキニを着ていた10代の女性グループに「その姿はポルノ的だから体を隠すべき」と声をかけた男性がセクハラ&ボディシェイミングで大炎上!
2021年9月、アメリカ・コロラド州のビーチで友人たちと過ごしていた18歳のミア。すると見知らぬ男性が彼女たちに近づき「君たちはなんでそんな格好をしているんだ?」と声をかけてきたのが事件の発端。男性は「子どもの目を考えてほしい。彼らはポルノにさらされているんだ。君たちは自分の体を見せびらかしている」とミアたちを注意し始めた。「ビーチにいるからビキニを着ているだけ」「私たちのことは放っておいて」と友人のひとりが言い返すも、「君たちはブラジャーとTバックしか身に着けていない」「アメリカには言論の自由がある」「神が立ち上がらなければ、モラルのない社会は崩壊する」と言いたい放題。
これフェミニスト的にはどっちが重視されるの?
この人たちの守りたい表現の自由とは何なのか。ファッションという表現は守らなくていいのか。そもそもSpank!のファッションだって少なからずアニメや漫画の影響を受けて発展したカルチャーだ。なぜ共存を促さないのか。
具体的には、ネオナチがユダヤ人を見て不快になったことについての訴えや、ロックを聞かされて不快になったKKKの訴えと同様に尊重される。
極端な例だが、ユダヤ人の居住移転の自由はネオナチを不快にする権利であり、ロックを店内で演奏する権利は黒人音楽を聞かされたKKKを不快にする権利である。
限度を超えた音量で聴覚に障害を与えたり、過度な光の点滅により少なくない人を光過敏性てんかんにするなどの具体的な被害があるならばともかく、『見て不快になる』は我慢するべき範囲である。
Daigoさんが本人の誤算によって炎上して,謝罪するに至った話はまだまだ鎮火しない勢いの炎上だと思う.
多くの人にとってDaigoさんの発言は許せなかったと思うし,許されざる発言だったと思う.
さて,この発言において許されなかったのは,「生活保護の人が生きてても得しなくない?」,「ホームレスはいないほうがよくない?邪魔だしさ」といった優生思想,選民思想的な発言が原因だ.このような思想は人権の概念から外れた発言である.社会には様々な事情で生活保護をとることになった人や,ホームレスとして生きている人がいる.その人達が生きる権利は決して蔑ろにされるべきでないし,その人達が生きることを社会が支援することは当然のことだと思う.それを軽視する発言は人権を尊重する社会では許されざる発言であったといえるだろう.
以上の話は人権の中でも生存権にかかわる話である.人権は生存権以外に自由権や参政権,そして性と生殖の権利がある.
性と生殖の権利とはセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)と呼ばれ,性や生殖にかかわる自己決定や自認の自由を認める基本的人権のことである(参考{https://www.ippf.org/sites/default/files/ippf_sexual_rights_declaration_japanese.pdf}).この権利によって我々は自由に自己の性を決定でき,結婚や性交をする相手を選べるのである.このような人権思想のもとで,政略結婚や見合い結婚が衰退し,自由恋愛が発達してきたと考えることは至極自然なことであろう.つまり,我々の人権を尊重するために自由恋愛は発達し,我々は自由恋愛の中で人権が尊重されていると考えているわけである.
しかし,本当にそうだろうか?我々全員がこの権利を享受できているのだろうか?
実態はそうではなく,自由恋愛の下ではすべての人が権利を享受できるわけではなく,選ばれた優生の者のみこの権利を享受できていることが実態である.わかりやすい例では,年収が低い男性は結婚ができないだとか,容姿が劣る人は結婚ができないなどである(参考{https://toyokeizai.net/articles/-/293571}).自己の決定で結婚しないと決めているならそれは個人の自由だが,結婚したいと思いつつも結婚できない状態は,性と生殖の権利に反している.特に結婚できない理由が年収が低いという理由なら,人権の種類が違うだけで,仕事のないホームレスは生存権が認められていないといった状態と似通ているように思う.なぜこのような状態が許されるのだろうか?
これは単純に,誰と生殖するかが自由であるという権利と,生殖をしたいという権利が衝突しているからに他ならない.子供が欲しい人が無理やり生殖することは,他者の自由な権利を侵害するのである.よって,結果的に優生の者が生殖でき,劣っているものは生殖ができないという状態に陥る.ただ果たしてこのような状態を社会は看過できるのであろうか?
衣食住がない人を生活保護で支えるように,生殖したくてもできない人を何かしらの手段で支えることが人権を尊重する社会では必要ではないか.ましてや結婚ができない所謂非モテを犯罪者予備軍のような扱いや,キモイ劣った存在として排除してよいのだろうか.そのような思想は冒頭のDaigoさんのような思想とは言えないだろうか.
確かにホームレスの人の窃盗率は高いかもしれない.確かに海外では非モテ(所謂インセル)の犯罪が目立つかもしれない.ただそのような理由で社会が拒絶してよいのか?
人権を尊重する社会ではそのような人の権利を守るためにセーフティネットを用意する必要があるのではないか.
今回のDaigoさんの発言で人権の尊重を訴えた人はもう一度過去の自分の発言で,他者の人権を蔑ろにしていなかったかを考え直してほしいと思う.
Vtuberが、“女は殴りながらやるのが最高” って発言して…
アカウントBAN されるようなことがあったら…
バーチャルなキャラクターとフィクションのキャラクターの違いは希薄だ。台本を演者自身が書くか台本家が書くかの違いしかない。
仮想のキャラクターの女性蔑視発言を、デートレイプや女性差別、フェミサイドを助長しかねないなどとして放送停止に追い込んだなら。それはやがてアニメの規制にさえつながる。コンビニからエロ雑誌が撤去されて、ショッピングモールのポスターは取り下げられて、赤十字のポスターも胸を強調しているとして改変を余儀なくされている。ついこないだもネットの漫画が統合失調症患者の差別に寄与しうるとして修正を迫られた。
キャンセルカルチャー禍で、表現は、自由にできない。みんなも、もう、気づいてるだろ?
災禍が実質的な表現の自由の弾圧でなくてなんであろう。今回も「Youtube は彼をBANすべき」という意見が実際に賛同を集めていた。ホームレスら弱者男性が保護されて一般女性が保護されない合理的理由は何もない。それが起きるなら当然これも起きる。なのにどうして、表現の自由に基づいた批判は同時に表現の自由への弾圧になりうると認められないのか。ニーメラー先生も草葉の陰で泣いているよ。
国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない、と憲法は言っている。現代社会は国家の制定する法律の上に、新しいレイヤーが載っている。Twitter が、Youtubeが、Apple が、Pixivが、そしてはてなブックマークが。下層のレイヤーが自由だとしても上層がガチガチに制限されていては実質的な表現の自由は無いに等しい。遠くの国家権力だけを監視して「今日も平和だ」と安心する幸せな🐸さん達よ、あなた方は井戸の底にいるぞ。
teebeeteeteebeetee この手の案件のたびに言論の自由の問題にしようとする奴が出るけど、検閲なく自由に発言できた上でその内容が批判されてんだから、言論の自由に対する抑圧でもなんでもないってことがいつになったらわかるんだろう。
この論理が破綻した奇妙なコメントが、なぜかトップコメントになってしまっている。
自由に発言ができる、それへの批判も自由にできる。だからと言ってそれらの発言自体が言論の自由を抑圧しないことにはならない。発言を許す Youtube の寛容さと、発言者や批判者がもたらす抑圧は無関係に独立して存在する。今回の差別発言はバッシングを受けたが、もし無批判で受け入れられたならホームレスの人たちは抑圧されて声を上げにくくなるだろう。あるいはバッシングによって優生思想的な Youtuber が次々と BAN されたらそれは検閲以外の何者でもない。これらは表現の自由の抑圧だ。
mur2 これ(http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken05_00037.html )とか読むといい。言論の自由は公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を受ける。内心は自由だが他人にも内心の自由はあるわけで、発言の結果誰かに嫌われるのも仕方ないよね。
よく勘違いされているが、公共の福祉は「権利の衝突を調整するための原理」だ。衝突の調整のために自由権は「必要最小限度の規制のみ」を受ける。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/公共の福祉 あたりを読むべきだ。差別的・排斥的だからと言って必ずしも表現の自由が制限されるわけではない。どう調整するかは裁判所で注意深く判断されることになる。
B2igwzEE 何回したよこの話。正論に戦いを挑むオレごっこするなら、まずその正論がなぜ成立したのか調べるなり理屈を考えるなりしてほしい
niagadoniagado 俺の言論の自由は尊重すべきだが、お前の言論の自由は尊重しないタイプの奴か。日常的にも自分に甘くて他人に厳しい態度を取ってるんだろうね。
建設的API には抜け穴が開いているようだ。根拠なき決めつけによる罵倒。これらは批判ではなく中傷ですよ。
私には個人的なポリシーがある。表現の自由に基づく表現の自由の弾圧をするのだと認めた上でなお拳を振り上げる覚悟を決めたなら、「止めさせようとはしない、変えろも避ける。なるべく『間違ってる』に留める。できうる限り理由を付記する」。
これはid:muchonovによる、id:rag_enさんのエントリ muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー - Click Game. への返信です。
まず、rag_enさんがご引用くださっている、自分が増田で書いた文章「子供の権利は制限されているし、性行為に伴うリスクを判断できない」の位置づけなんですが、これはmuchonovが何か新しい提案をしたぞとか、今からそういう社会を作るぞ、という内容ではありません。このスレッドの親増田の「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか」という疑問への応答として、今の社会がそういう風になっている理由として、法律的・社会的にこのような背景がありますよ、と説明するものです。言い換えると、これは〈べき論〉ではなく〈である論〉のつもりで書いたものです。このことは、ここから先の話とも繋がってますので、ひとまずスタート地点としてご認識ください。
rag_enさんは以下のように、「『社会的コンセンサスがあるから』という理由でのパターナリズムの肯定」や(判断力が未熟な当事者を保護する)「手段としてのパターナリズム」自体を強く批判されています。
未成年に対しては愚行権を含む自由権に一定の制約を課すべきだという社会的コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルのパターナリズム(保護者的統制主義、当事者の能力やリソースの不足を社会が保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない
いやもうこれ、『社会的コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。
そもそも『「判断力」によって峻別すべき』だと仰るならば、「ペーパーテストして免許制にでもすれば?」でほぼほぼ終了する話なわけです。『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする、というのはどう見ても最も正道な手段なのですから。“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません。
ここを読んでいて、最初「ん?」と混乱してしまったのですが、もしかしてrag_enさんには、「パターナリズム」という概念について重大な誤認がありませんか。rag_enさんが「“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません」という主張とともに、代案として展開されている「判断力によって(ある問題についての当事者能力や責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象の自由権を(当人の保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか?
現行の日本の法律が、年齢によってその人物の判断能力を推認し、それが十分でないとされた年齢に属する児童を保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、別の方法で判断能力を吟味・裁定し(たとえば精神的な障害を持つ人や依存症に苦しむ人や認知症患者などを、家裁の判断によって成年被後見人とすることなど)、彼らを保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、どちらも法学の分野でいう「弱いパターナリズム」だと思います。
憲法学の世界で「パターナリズム」といえば、まず未成年者の人権制約の場面が思い浮かぶ。すなわち、十分な判断能力のない未成年者については、親が子に干渉するようなやり方で、国が未成年者の人権を制約することが認められると考えるアプローチである(1)。たとえば佐藤幸治は、未成年者の人権制約について、未成年者が「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的にみて未成年者自身の目的達成諸能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合に限って正当化される」とし、これを限定されたパターナリスティックな制約としている(2)。このようなパターナリズムは、個人の判断能力の不十分さを補うために後見的措置を行うことから、弱いパターナリズムと呼ばれる(3)。
そして、未成年や年齢が低い児童の判断能力が不十分とみなされる理由は、法学の世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識や情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的な判断ではない可能性が高く、それによって、当事者自身が想定しない結果や不利益をもたらすリスクが懸念されているからです。[^1]
[^1]性的自己決定に関しては、古い調査ですが、10代の人工妊娠中絶についてのアンケート結果(https://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H15/030217.htm)を読む限り、確かにそのリスクは存在しているといえます。10代の妊娠中絶経験者の68.1%は妊娠して「困った」と回答しており、その多くが①②膣外射精や安全日など誤った避妊方法を選んだり(情報や理解力の不足した判断)、③相手が避妊をしなかったり(強要された判断)、④経済的事情などを踏まえれば出産・育児は不可能なのに妊娠する可能性のある行為をしてしまう(実質的には非自発的な判断)など、当人の判断能力の不足によって、望まない妊娠と人工妊娠中絶に到っています。
この前提において、当事者の自由権を法と社会が一部制約することが正当化されています。これはmuchonovが勝手に言ってることじゃなくて、法学におけるパターナリズムの議論の中で整理されている話です。
「ソフト(弱い)パターナリズム」が自由への介入を正当化できるのは、人の行為が以下の何れかに因って判断された場合です。
1. 実際に情報を知らされないで判断した場合(not factually informed)、
2. 適切に理解していないで判断した場合(not adequately understood)、
4. その他、実質的に自主的にではなく判断した場合(oterwise not substantially voluntary)。
http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/personal_responsibility.html
そして、未成年者や特定年齢に満たない児童に対する「弱いパターナリズム」に基づく人権制約は、日本を含め、大半の近代国家の法制度に含まれています。性交同意年齢という概念もそうですし、制限行為能力者という概念もそうですし、ある面では責任無能力者という概念もそれに関わっています。そのような、未成年者や児童の人権を明らかに制約する仕組みが各国の法制度に組み込まれているのは、当然、その国家が議会立法などの民主主義的手続きを経てその法律を定めた結果であり、『社会的コンセンサス』の賜物でしょう。
だから先ほどのrag_enさんの、「『社会的コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね」とか、「muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある」という指摘は、日本だけでなく、性交同意年齢や制限行為能力などの概念を法制度に組み込んでいる全ての国家や社会に対して「完全に思考が狂ってますよね」「論法に無理がある」と非難していることになりませんか。
現在の日本では、性交同意年齢(13歳)未満の男女と「性交等」をすることは法律で禁じられており、もしそうした場合、それが13歳未満の側の当事者の主体的判断によるものであっても、相手は強制性交等罪(非親告罪)で処罰されます。13歳未満の側の当事者には、必ずしも性交に関して正しく判断する能力が備わっておらず、その能力の不足による誤った判断の不利益から彼らを保護しなければならない、とみなされているからです。これも「完全に思考が狂っている」「無理がある」論法でしょうか。
私はrag_enさんがそういうチャレンジングな主張を展開されるのは別に構わないと思っていますし、繰り返しそう申し上げてもいますが、だったらその主張はmuchonovという個人に向けて言うべきことじゃなくて、そうした法制度を運用している国家やそれを是認している国民に対して言うべきことなんじゃないかな、と思います。だから自分は、再三「rag_enさんのお考えを、広く世間に問えばいいと思います」と申し上げているんですけども。
あと、これはこちらの邪推ですけど、おそらくここでrag_enさんが問うべきだったのは、「性的自己決定権をめぐるパターナリズム的な人権制約の適用対象を決める上で、年齢という指標を用いて一律に決める(現在の法制度に組み込まれている)方法と、ペーパーテストを行って免許を付与するという(rag_enさんが提唱する)方法の、どちらが制度設計として筋がよいか」ということだったのではないでしょうか。そうではなく「パターナリズムという手段ではなく、ペーパーテストと免許制という手段を使えばいい」と主張されている姿勢から、rag_enさんのパターナリズムについての認識は、一般的用法とズレがあるように感じました。もし「そうではない」ということなら、そうおっしゃってください。
※ここでもし自分がrag_enさんを先回りして擁護するとしたら、「rag_enさんの言うペーパーテスト+免許制という提案は、パターナリズム的な観点(判断力が未熟な当事者を保護するため)に基づくものではなく、その行為による他者危害のリスクなどを鑑みて、本来は無許可では行ってはいけない諸行為に対し、当事者の能力・知識・技術を総合的に認証したうえで特別にアクセス権を付与するもの、つまり自動車免許や医師免許に相当するものであるから、パターナリズムにはあたらない」という立場は、かろうじて取りうると思います。未成年や児童が関わる性行為について、当事者の不利益よりも他者危害のリスクを先に考慮しなければいけない状況というのは自分には俄には思いつきませんが、まあそこはよしとしましょう。
しかし、そのような制度---国家が国民の性行為に関わる知識や判断能力をペーパーテストで弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックスの権利を与えたり奪ったりする制度---というのは、自分は国家による生-権力的介入・管理のアプローチとしていささか度が過ぎていると思います。というか、「規律化による〈従順な身体〉の構築」というフーコー的テーゼをそのまま戯画的に具現化したような感じすらします。
また、自動車免許の社会実装コストについてのrag_enさんの記述を踏まえると、rag_enさんは、その「セックス免許」の仕組みを社会実装するコストも、免許取得費用として「受験者」から徴収して賄えばいい、とお考えのように見えます。セックスへのアクセス権を求める市民自身から試験料を徴収して、セックス免許センターで受験者にテストを行って、合格者に免許を発行する。もしそういう制度運用をイメージされて仰っているのなら、この構想が現行の法制度にある「年齢によるパターナリズム的保護」の仕組みよりもメリットが多くデメリットが少ない現実的な提案だと感じる方は、あんまりいないんじゃないでしょうか。もちろん、rag_enさんのような考え方の人たちが社会運動などを通してそのアイディアを人々に受け入れさせて、社会的コンセンサスを変えていくことができれば、その状況も変化する可能性はあると思いますが。
守られるべき表現の自由ね
批判された上で表現を取り下げる、修正する、突っぱねるetc.が「自由」に選択できる事も表現の自由内ね
不当な「圧力」で取り下げを事実上強いるんだったら自由と人権の信奉者として批判するヨ
作品に対する多くのコメは「訴えられそう」がほとんどでこれは圧力でもなければ批判ですらも無いよね
不買運度や、取り扱い店舗への抗議や、連載停止を求める運動を呼びかけたり、該当の表現を規制する立法を求めたりetc.の連載停止に追い込む程の「圧力」が有ったとは観測出来なかったしね
知名度や肩書などでそれなりの人数を扇動できるヒトが犬笛を吹いたって話すら聞こえないしね
パロ元の権利保持者が裏で抗議してたのかもしれないけれどその場合最終的には財産権の領分というかお金の損得の話になって自由権の範囲外になってしまうしね
表現の自由戦士は「自由権とは不快を我慢させる権利である」と言うけれど、
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。
だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にダンテ像が飾られていたら「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
国会議事堂前にオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になり、
市が萌え絵で町起こしをしていたら
「我々は萌え絵を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミはここに来るな」という無言の主張になる。
「性欲の解消」手段として他者を与えられることを当然の権利のように言うなや。女性のセルフプレジャーが少しずつ認められている? だったら増田は男性が最初から認められているセルフプレジャーの権利を行使すればそれで平等じゃんか。
性別関係なく、他者を求める増田も、他者である向こうも、同じ人間だよ。増田が性欲の解消手段に特定の条件(自慰ではなく人間で、おそらく女性で、おそらく老人でない人で、でも妻ではダメ)を課しているように、相手も同じようにそれぞれ固有の条件があるんだよ。増田がどうしてもセルフプレジャーじゃなくてリアルな人間の他者を利用した「性欲の解消」を求めてるなら、増田自身の都合を他人に押しつけるのではなく、大多数の他者の「条件」に叶うように自分を変えるか、自分を「条件」に入れてもらえるような他者を頑張って探すしかない。
自分が相手の条件にあてはまっていない場合、自分が「性欲の解消」のためにその相手にセックスを求めること、あるいはそれを社会がシステム的に強要することは、当然その相手を「傷つける」ことになる(性犯罪を構成するかどうかに関係なく自由権の侵害だ)。そういう「他害なき性行為=条件が合致した相手との、合意にもとづく性行為」という原則をすっとばして「世間や社会が何とかしてしてくれ」というのは、結局は例の「女をあてがえ」論になってしまう。
自助努力ではなくシステム的に「性欲の解消」を補助してる例としては、身体障害者の性機能ケアNPOのホワイトハンズがあるが、あれはあくまで物理的にセルフプレジャーを得ることが困難な状況にある当事者の自慰の支援で、性欲解消の手段として他者をあてがってるわけじゃない。
増田が「誰もが傷つかない方法での対処」を望んでいるなら、まず自分のなかで、自慰という行為と〈性欲〉との関係を、そして自分は自慰だけでは何が不満なのかということを、きちんと捉え直してみてもいいんじゃないか。「自慰以外の何か」とは、リアルな肉体や人肌という他者身体(ハードウェア)を用いた射精なのか、それとも心の通い合う相手との情交というロマンティックな価値なのか。それらは果たして、社会がお互いの自由権を侵害しないかたちで、なお制度的・システム的に提供できるものなのか。そうした制度がありうるとしたら、それは結果として、性風俗産業(性行為を求める人と金銭を求める人をマッチングさせる仕組み)に限りなく近いものになったりはしないか。それについての増田の考えを改めて読んでみたい。
山谷えり子議員の発言、Tに関することだけは賛同できる。海外ではトランス女性による刑務所でのレイプ、スポーツ奨学金の獲得やトイレで全裸になっての自撮り等、権利の衝突が起きてるよ。セルフIDに関する問題を解決する力は日本にはない。女性の安全を優先して欲しい。
ゆゆゆ
@yuyuyu_0130
成人済/夢腐◎/mhyk/pkmn/刀/gnsn/イエベ春骨スト/うるさいです📛
山谷議員は最初から最後までトランスの話しかしていない。これを「LGBT差別反対に反対している」とするのはおかしい。LGBについては言及していないのだから
魚龍3
@tolerant_Ketzer
RT多めです
リプ欄でフェミが…とキレてる方がいますが、フェミニストは女性の安全を求めているので、山谷氏と同様の主張をしている人が多いです!
逆に、これに関して差別だ!と騒ぐのはTRA(TransRightsActivists=トランス権利運動家)という人たちで、女性の生存権よりもトランス女性の自由権を優先しています。
はなこ
@2DuxTUavQAai7Cv
箱根駅伝の駒大アンカー、17歳の女子高生とみだらな行いで逮捕に関連して。
刑法 第176~177条
第百七十六条 十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。
十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
第百七十七条 十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。
要するに、13歳未満の子どもに対しては、『暴行または脅迫を用い』なかったとしても、わいせつな行為をすると罪になる。
流石に「10歳の女の子と合意の上でエッチしました。合意しているんだからレイプではないです」というのは性知識の差を考えると”真正な同意”とは言い難いので、(『年齢以外で区切るべき』や、どの年齢で区切るかという議論は別にして)この点については増田も深くは取り上げない。
だが無論、日本では飛び級は基本的に存在しないので、13歳未満の女子高生は存在しないはずだから『女子高生とエッチ=逮捕』のような認識をする理由にはならない。
第四条第1項柱書 この法律で、児童とは、満十八歳に満たない者をいい、児童を左のように分ける。
(略)
第三十四条第1項柱書 何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
(中略)
(以下略)
児童福祉法の児童は十八歳未満であり、学校教育法に定める児童(小学生)とは別物である。まずそれを前提として。
1985年~1996年まで、この法律は『誰かが、児童(繰り返すが18歳未満である)に対し、自分以外の第三者と淫行をさせる』行為に限ると解釈されてきた。
これが1996年の高裁判決で解釈が大幅に変更され、『誰かが、児童と自分(←で言う”誰か”)と淫行をさせることも含む』と解釈されるようになった。
というより、婚姻年齢(註:現時点では女子は16歳から結婚できる。まもなく引き上げられるが)との兼ね合いもあるので、解釈が変更された上述の1996年の判決でも『一定の程度を越えて児童に影響力を及ぼして児童に淫行をさせるに至った場合に限る(意訳)』という解釈になったため、
長野県(後述する)のような場合を除いては”影響力”の立証の困難さからか、あまり使われない。
表題に書いたような「未成年と、体の関係を含む交際」を取り締まるほとんどは、『青少年の健全な育成に関する条例』における淫行処罰規定(長野県を除く46都道府県にある)だ。
が、この条例は地方によってピンキリである。やたらと範囲を広くとっている例として静岡県を挙げよう。
第14条の2
このようなシンプルな条例の文章になっていて『高校生と体の関係があったら真剣な交際であっても全てアウト』のように読める道県は決して少なくない。
一方で、千葉県や大阪府のように、罪刑法定主義に則り、条件をある程度限定している都府県もある。
第20条 何人も、青少年に対し、威迫し、欺き、又は困惑させる等青少年の心身の未成熟に乗じた不当な手段によるほか単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱つているとしか認められない性行為又はわいせつな行為をしてはならない
第34条 何人も、次に掲げる行為を行ってはならない。
(1)青少年に金品その他の財産上の利益、役務若しくは職務を供与し、又はこれらを供与する約束で、当該青少年に対し性行為又はわいせつな行為を行うこと(児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(平成11年法律第52号)第2条第2項に該当するものを除く。)
(2)専ら性的欲望を満足させる目的で、青少年を威迫し、欺き、又は困惑させて、当該青少年に対し性行為又はわいせつな行為を行うこと。
以上の府県に共通するのは、『専ら性的欲望を満足させる目的』のみを条件としているということだ。
このような規定が無いとどうなるか、というと。たとえば飲食店の店長をしていた男性が、女子高生(当時17歳)と交際していたことについて、本人たちは恋愛感情があったのに女子高生の母親が被害届を出し、男性が逮捕されたような事件になった(その後無罪が確定)り、19歳の男性が17歳の女子高生と性行為をして男性だけ逮捕されるような話にもなってくるわけだ。いや、リア充爆発しろというのは置いておいて、2歳差はどう考えてもセーフだろ。これが18歳と16歳ならばセーフ(註:神奈川県の条例には、未成年を罰しない規定がある)だし20歳と18歳でもセーフなのに19歳と17歳ならば逮捕になるというのは合理的だろうか?
(この Q&A はフィクションです、多分)
質問1:「私は千葉県に住む19歳の大学生です。高校時代の後輩だった17歳の女子高生と交際していて、
体の関係もありましたけど相手も同意していたし結婚も考えていた真剣な付き合いだったのですが、関係が相手の親にばれて被害届が出され、逮捕されました」
回答1:「その場合、真剣な交際だったと認められたら無罪になる場合もあります」
質問2:「最終的には真剣な交際だったと認められて無罪になったのですが、『大学生、女子高生と淫行で逮捕』という記事で名前が全国に報道されてしまいました。私の就職に影響しますか?」
↑このような条例の規定はそもそも自由権を著しく侵害していませんか? どうなんでしょうその辺。
意見1:いや、静岡県のような条例でも問題ないだろ。そもそも未成年の間は学業やスポーツによって成長するべき時期で、恋愛などにうつつを抜かすべきではない。
回答1:意見としては伺いますが、では何歳からは恋愛しても良いとお考えですか?
意見2:安易な恋愛は禁止し、結婚して家庭を持つのも収入などの条件を満たした33歳以上に限るべきだ。
回答2:また随分と、文が鮮明ですね。
長すぎて分割になったわ。しかもまだ続く。
el-condor 国会議員の「議席」にクォータ制を適用しているところは然程多くない(世界で見ても2011年で17)。議員クォータ即議席割当というのは短絡で候補者クォータが多数派。制度の実装は多様なのよ。
上にも書いたが、候補者クォータでも同じだろ。
haha64 じゃ、フェミニストへの「カウンター」とやらが最優先で、自分の置かれた状況に関する主張は何もないのか。こういうフェミ叩きに夢中なだけのバカを「弱者男性」諸氏は同類と見なしていいの? 何も救われないけど。
「弱者男性論はフェミニストへのカウンタとして生まれた」を「フェミニストへのカウンターが最優先」って読むやつ、日本語力おかしいよ。
具体的には「弱者男性論は」という主語をどっかに飛ばしてる。論外。
「なにも救われない」というのはその通りだが、フェミニストを野放しにしていると犠牲になる文化やそれを愛する人がいる。
「救うため」じゃなく、「犠牲を減らすため」にフェミニストは叩く。徹底的に。
murishinai 個人的ピンポイント意見だけど「Quota制(あるいは女性専用車両)みたいな施策は不平等な措置」だと思うけど「それを超える権利侵害が生じているので解決されるまで一時的に導入されること」はあり得ると感じています。
1.「それを超える権利侵害」など生じてない。女性は今も入れたい候補に入れている。
2.「一時的に導入」で済むわけない。一度設定されたクォータが解除された例があるか?御茶ノ水大はまだあるぞ。
zyzy 女を議席と同じ地位という道具扱いする時点で「自称弱者男性は女性差別主義者の逆ギレ」と証明していくスタイル。というかまんま「女はトロフィー」というド直球差別思想がないとこんな事言えないよね。
「地位」ではなく、「人権」の話をしてると読み取れない(書いてあるぞ)時点で論外。
frantic87 自分の頭で考えろと言いつつ自分の中の正解しか認めないタイプに思える。少なくとも対話するつもりはないよね。これには返信不要です。
どうしてそう思ったのか知らんけど、全くブーメランになってると書いてて気づかんのか。
他のブコメであっさり指摘されてるぞ。論外をくれてやる。
grdgs 人間と権利を同一視するとは蒙昧がすぎるな。まともに反論できてないだけを「論外」でうまく誤魔化した気になって精神的勝利を図るとは愚昧がすぎるな / 「フェミは口が悪い」とよくいう方々は身内の口調には超優しい
人間と権利を同一視?人間が人間として尊重されるその根拠を「人権」というんだぞ?論外。
「精神的勝利」という、具体性ゼロの精神的勝利ワードに乾杯。ダブル論外。
paper7802 再反論した。文句があるならかかってこい、と言わせてもらおう。/「正論」鵜呑み勢が多すぎ。ちょっとは自分の頭を使いなさい。/「論外」の理由も一々書いてやったろ。ワンセンテンス同じ罵倒二回は語彙がpoorすぎ
これは俺だ。論外。じゃなかった、次。
mobile_neko クオーター制に関するフェミニストの主な活動は「政治分野の男女共同参画推進法」で定められた候補者の男女比を適正する努力を政党に求める事だろ。議席数制限は憲法上日本では無理だし改正案でも議論されてない
それにアンタは見えないのかもしれないが、「議席をあてがえ」論を公然と口にするフェミニストは五万といる。
もっとよく見ろ。
fourddoor あっ、やっぱりただのカウンター概念なんだ。了解です。/「弱者男性」全般がそうだとは思ってないけど、この増田的にはね。
「弱者男性論」はカウンター概念だが、「弱者男性」は現実に存在する。
この違いは覚えておいてもらいたいな。
msukasuka 完璧な男社会を作り上げられてしまった政界に女がのし上がるのは恐ろしく高く厚い壁が立ちはだかってるのはわかるでしょう?そこをこじ開けるのに我々はその利権に絡め取られた男共が死に絶えるまで我慢せよと?
「KKO」とまで言われた非モテが彼女作ったり承認を得るよりは低い壁だろ。現に超えた女性はいる。
我慢なんかしなくていいんだよ、立候補すれば。同性の指示を100パーセント集めるだけで勝てるよ?
mogmognya ”氷河期世代の雇用促進?努力じゃなんともならなかったろ、世代丸ごと男女問わず” 確認。氷河期世代の雇用促進の施策は肯定するってことでOK?
それ以外にどう読めるんだ。次。
mukudori69 まあなんつうかそれであなたが幸せになれるならそうしていればいいよ。/一応伝えておくと、仮にクオータ制の導入が可決された場合、それを裏打ちするのもあなた以外の人の参政権=人権とそれを代弁する代議士だよ。
「人権の自殺」論は長くなるからあんまりやりたくないが、言いたいことはわかる。
そうなった暁には、大手を振って「女をあてがえ」論を唱えられる社会が来るだろうな。
何せ、「特定属性の特権のために他人の人権を奪ってよい」という実例ができてしまうのだから。
誰だよ。俺はおなじIDでTwitterもやってるから、どんな人か知りたきゃ身にこい。
あと対人論証は論外だ。
white_rose 氷河期世代の雇用促進は努力ではどうにもならなかったからOKで、議員枠と女をあてがうのは努力が足りないせいor人権に抵触するから駄目?よくわからない。
氷河期世代に決定権はなかった。
「議席をあてがえ」論での女性に関しては「過半数の票を持っている」という、客観的な「決定権」が存在する。あと犠牲になる人権がデカすぎる。
「女をあてがえ」論での弱者男性については決定権はないものの、犠牲になる人権がデカすぎる。
hammondb3 民主主義を絶対視すると少数派の弱者男性は今以上に切り捨てられる。だから憲法の価値序列を認めるのが通説/非正規雇用の待遇改善は弱者全体に利益。クオータ制かはともかく弱者の声を政治に届ける何らかの仕組み要
「今以上」があるとすれば、それはフェミニストが天下を取ったときだろうよ。
非正規雇用の待遇改善は別に議席をあてがわなくても実現できる。
そもそも過半数の票を持っている属性が「弱者」なわけないだろ。
xorzx あてがえ論だって弱者同士で結婚しても生活出来るように制度で補完する事で弱者男性も救われるって話であって、嫌がる女性を無理やり結婚させる話ではないよね?
フェミニストが藁人形にしてる「女をあてがえ」論は後者なんだ。
anmin7 それでもやっぱり議員が大体半々にならないのはおかしいと考えるけどな。その上でパートナーがいない男性を異常とする考え方を左翼的な人達が持っているのもまたその通りだと思うね。あてがえ論には断固反対するが。
率直に言うが、あんたの「おかしいと考える」なんかどうでもいいんだよ。
後、右とか左とかどうでもいいよ。フェミニストが右であろうが左であろうが、有害なことに変わりなし。「議席をあてがえ」論は言うに及ばず。
REV 「地域の代表」という側面から莫大な一票の格差を容認したくらいだから、「性別の代表」という側面からクォータ制を導入してもいいと思うんだけどね。でも、「履歴書の性別欄」とか廃止傾向じゃなかったっけ?
今時、性別での分断を起こすようなこと言ってるなよ。
cdijopvw 「自分のは雑な攻撃へのカウンターだ」ってのはみんな思ってて、でもそのカウンターも雑で誰かに流れ弾食らわしたら本末転倒だろ。ただ自分も弱者男性を雑に罵ってる人見たら腹立つし増田だけを責めるつもりはない
今のところ流れ弾は出てないみたいだね。次。
interferobserver やっぱり噛み合わんなーという感想。賛同するかは別として、一般的にクオータ制がどういう理屈で正当化されてるか理解されていないのでは。いいテキストがあった→ http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10310077_po_20170207.pdf
「書誌が見つかりません」。次。
spark7 男女格差が根付いた社会下で議席数に差が出てるのは努力不足じゃないと思うけどな。増田は統計的差別とかに足元掬われるタイプぽい。「氷河期世代の雇用促進?努力じゃなんともならなかったろ」
同性の票さえ集めれば勝てるのに、そのための努力はおろか戦場に上がることすらほぼしない。「努力不足」でも優しく言ってる方だよ。
論外。
kunitaka クオーター制はエエと思うで。上位が排除される訳ではない。性別で優位になっとるだけのカスが排除されるだけよ。男女が入れ替わっても継続されるべき、非常にロジカルな制度やと思うで。違うかね?
違うも違う、大間違いよ。
「議席をあてがえ」論で性別枠を理由に排除される者というのは、投票者全体でみれば上位なんだよ。少なくとも拾われる奴よりは票を取ってる。
そいつが「性別で優位になっとるだけのカス」と決めつけてるのは完全にアンタの偏見であり、ロジカルな要素は微塵もない。
大論外、だ。
worris 弱者+男性という語義矛盾の概念が、フェミニストへのカウンターでしかなく、権力勾配を無効化するための嘘で藁人形だと白状してしまっている。権力勾配という用語が嫌いな人も多いけど、権力に勾配はあるよね。
「権力勾配」などという存在しないものを前提にしてる時点で論外。
一票の重さは男女等しい。
フェミニストが建てた藁人形こと「女をあてがえ論」とは違うのだよ。
elusin いやお前が一番論外だ。
俺が論外?だとしても日本じゃ二番目だ。
お前こそナンバーワン論外だ。
具体性ゼロ。
kazuau 社会構造的に分断があるなら、クオータ制は有効。少数民族枠や宗教枠がないと全く議会に声が届けられない場合など。男女枠を新たに設けなければならないような状況ならば、結構深刻かもしれないね
フェミニストが分断を作り、フェミニストが「議席をあてがえ」論を唱える。人、それを「マッチポンプ」という。
そしてフェミニストが唱えてるのは「少数民族枠」でも「宗教枠」でもない。本邦第一の有権者数を保有する巨大な属性だ。
「全員が」じゃないだろ。次。
B2igwzEE 「はっきり言おう。それが現実だ。もし違うなら、もっと切実なら、自分で動くはずだ。立候補してな。」女性の議員も障害者の議員も存在しない世界線の人だった
一体何を読んだんだ?
女性に「議席をあてがえ」といわなきゃならんような切実さなら、もっと立候補するだろ。その危機感の持ち主だ。
ところがフェミニストはどうだ?
oakbow さすがに参政権と自由権を同じ尺度で考えるのは厳しいと思うんだよな。参政権は現時点でも年齢や供託金などの制限があり、選挙制度による不平等も起こりうるものだし。
参政権がないと、自由権を定義している「法」や「憲法」へのアクセスが失われる。
Betty999 「弱者男性」の一部には、理想(理想なのに標準・普通と認識)とする男性像に縛られている層があり、さらに理想とする社会像があり、そこからのズレを頑なに認められないから勝手に不幸になっている人がいるように思う
関係ない話はヨソでやってくれ。別に否定も肯定もここではしない。
いや、しょう。そのフェミニスト的「解脱論」はクソだ。脳下垂体を切り取って、空腹感を感じなくしても人は餓死するんだぞ。
vkara 議員は任期あっていずれまた選挙するわけだから追い出すってのも違う気がするし、定員制に変わると思えば。現状金と後ろ盾ある人達の声を届ける政治になってるし。
任期あっていずれまた選挙するから公平なわけだが、「議席をあてがえ」論はそこに手を加えるからevil。
「定員制に変わると思えば」って言いかえにもなっとらんわ。論外。
didididigda 私が選挙で投票した人が通らなくても、私の意見や人権も加味して政策を決めるのが民主主義であり人権主義なのではないかと思います。選挙は人権の大きな部分ですが、この論でのクォータ制批判は同意できない。
あなたが投票した人が通らなくても民主主義だが、多くの人が投票した人が通らないのは民主主義とは言わんのだ。
そして「人が通らなくても意見や人権も加味して政策を決めるのが民主主義」なんだったら、別に議席をあてがわんでもいいってことになるだろ。
deztecjp 拡大された「あてがえ」論なら、私は支持に回る。例えば私的団体である個々の政党が立候補者数にクォータ制を導入する……なんてのは全然OKと考える。議席数自体を縛るのも、比例代表制限定なら反対しない。
cleome088 女性専用車もクオータ制も社会通念の変革やルール変更の為の基本的には一時的なものであるべきのもの。今のルールだと勝った人が公共にとって相応しくないことをするからルールを変えるの。
「一時的」で済んだためしがない。お茶の水女子大はまだあるぞ。フェミニストのバイブル「ジェンダーギャップ指数」でも教育はほぼ等しいのにな。
「公共にとってふさわしい」かどうかの判断も投票によって行われるのが民主主義。
そこに介入する「議席をあてがえ」論を擁護するために「公共にとってふさわしくないことをするからルールを変える」?
keytracker 民主主義の制度自体が不完全で、多数に支持された人が代表で政治を行えば皆の参政権が反映されるとするのが間違いだから、そこを弄る事でより良い形って存在すると思うが?婚姻は両姓の合意だから、絶対侵害になる
「制度自体が不完全で」なんて言い出したら、「婚姻は両性の合意という制度自体が不完全で」と言い出して「女をあてがえ論」を唱えることすらできる。
じゃあその「制度自体の不完全」をどうやって決めるのか?民主主義の国家ではそれを投票で決めている。正確には投票で選んだ代理人が。
そこに介入することは「不完全」の定義を握ることであり、絶対侵害になる。
何度目かの論外
hedgehogx 結局さ、生意気な女を黙らせるカウンター以外で弱者男性は存在しないってことで増田的にはいいわけ?正直彼らがここまで徹底して自分の問題自分のこととして語れないと思わなかった。
「生意気な女」じゃなくて「反人権派であるフェミニスト」な。生意気でも筋が通ってりゃいいんだよ。
そしてフェミニストの加害はもはや「自分事」。身を守らねばならないひどさ。
goadbin そもそもクォータ制自体が民主制との相性が良くない。よく言われるガラスの天井論もじゃあ来年マリーヌルペンが仏大統領になったらどう評されるか?結局都合のいい女性議員が欲しいという本音が見えちゃっている。
丸川珠代議員とか、小池百合子知事への反応を見れば顕著だな。俺は両方嫌いだが。
unnmo 喧嘩したいだけの人かな。弱者男性への救済策が「女をあてがえ」でベストと思う?より良い手段も沢山提示されてる(探せ)。お前も考えろ。クオータ制が既存参政権の侵害?その既存が疑われてるんだよ。
ベストかどうか決めるのは俺じゃない、弱者男性たち一人一人だ。
私見だが、フェミニストが「より良い手段」を挙げているところは一度も見たことない。使い古しの解脱論が関の山。
「既存が疑われている」?大多数の人間が疑ってるなら、議席をあてがわなくても選挙で勝てるだろ。
疑ってるのはお前とわずかなお仲間だけってことだ
俺は反自民、反立憲、反共産。右でもなければ左でもない。論外。
今からでも遅くない。来な。
つづく
国家は国家を維持するためにある訳ではなく、ただただ個々の自由を最大化するためにある調整機構に過ぎない。
そもそも国家機構というものは本来的には不要のもの。自助努力と相互の自発的扶助のもとで市民は生きていくべきだが、ホモサピエンスが愚か過ぎるので仕方なしに存在しているもんが政府であり国家。
であるからして、国の未来のために出生数を増やすなんてものはおかしい。
出生数は増えても減ってもいい。どちらにしろそれは個々の自由な市民の自由な選択の結果の総体だ。
国家体勢の維持などより、そして何よりも最大限尊重されるべき事項だ。
また、このような議論でしばしば出てくる「人類、または生命の目的な自己増殖である」という言説も科学的でもなんでもない。
誰が言い始めたのか知らんが、生命を幾らひもとこうともその目的なんて理解はできない。
そうであるのなら、人類の目的など存在しないと語るべきであろう。
異論はあり得ない。
以上の議論から共同体の理論としても、生命体の理論からしても出生数を上向かせなければならない理由などない。
であるなら、出生数を上向かせるための種々の施策は国家機関たる暴力装置の権力暴走に他ならない。
またその財源として、税金を利用しているというのは認められる訳がない。
さっさと全てをやめるべきだ。
私は反出生主義者ではない。
ただそれはあくまでも個々人の自由が行使された結果に過ぎない。
社会共同体がそのような自由を行使した者へ手を差し延べる必要は断じてない。
自助努力でどうにかすればいい。
もちろん生まれてしまった子供にも権利はあるから、生存権や自由権、そして教育を受ける権利は強く保障されるべきだ。
しかし、それもあくまでもフラットに保障されるべき内容である。
その両親が元の職業を難なく出来るようにしてあげるような生活保護のような発想は要らない。
減税をする必要もない。
彼等は自身の自由を行使したのだから、その自由のもとで責任を負えばいい。
権利が制限されている子供へ直接の保障以外は正当性が一切ない。