はてなキーワード: パン工場とは
ワイがパン工場で働いてた時は全身消毒液まみれやったやで
結局は常温保存と味の兼ね合いやね
・かまぼこはまるままの魚よりずっと保存性があがるんよ。冷蔵1週間くらいもつやろ
特にかまぼこにつかうサメとかはちょっとほっとくとアンモニア臭くなる。
そうでなくても青魚は不飽和脂肪酸が酸化して、飽和脂肪酸よりトランス脂肪酸より有毒なエポキシとかケトンにかわる。
なので脂の少ない傷みにくい部分を塩で練って(それだけだとカッチカチになるのでデンプンと卵の白身のタンパク質でやわらげつつ汁がでないようにして)うってる。
なぜかかまぼこよりやすいのがちくわ。魚焼きグリルでほんのり焦げ目が増すまで焼いてマヨつけて食べるとうまいぞ。
・食パンはパン自体がそもそも手間暇かかる食品なんでしょうがないね
ちょっと手間のかかったお好み焼きくらいの気持ちでつくってたわけよ
水足して液体にしたパンがビールで、固体のままのビールがパンだったんだろう
まあ炊いた米よりパンのほうが多少保存性よかったんだけど
炊飯釜のでた今となっては米炊いて保温して食い尽くしてのほうがめちゃくちゃに楽。
とはいえチャーハンかフレンチトースト選べと言われるとフレンチトーストどうしても食べたくなることあるし、
主食うまくするのは人間の習性だろ。発酵させた酒とかなるともう情報喰ってるじゃん
まだデンプン喰ってるだけマシ
味噌はアジアのチーズみたいなもん、塩いれつつタンパク質を分解してうまみだしながら保存できるようにしたもの
だがその味噌すらほっとくとだめになる
とくにいたみやすい汁を「うまみ汁で~す」つって別売りしたら良い感じみたいな商品なんで
いちおう火入れとアルコールでもたせるけど空気にふれさせない形で冷蔵保存したほうがいいやで、味噌もラップはっとけ
・余談だけど、アジアがこんだけ温暖化したんだから主食は発酵食品にスライドすべきな気がする。
酒税法ゆるめて自家穀物の発酵物は自家消費分だけ無税でOKってことにしたら日本の農家めっちゃふえるとおもう。
パン工場で働いてた60代女性が事故死したニュースを見てつらい思いをしている。
自分のところは労災で死んじゃうとかはないけど、全然人ごとじゃない。
自分のいのちが会社という、単なる金儲けが目的の、全く血の通ってない、そんな組織に依存しているっていう事実が恐ろしい。
女性の社会進出が進んでる以上、勤めている企業に加害される女性が増えてくるのは流れとしてあるだろうし、
今の「転職すればいい」とか「運が悪かったね」みたいな空気はセクハラ被害者が受ける仕打ちと同じだし許せない。
そもそも企業による労働者への加害が起きないようにするには法律とか権利とか仕組み作りだけじゃ駄目で、
なんでかというと法律に反して無いからセーフみたいな表自みたいなことをやってるのが今の企業だからで、
フェミニズムを労働の方向にも進める感じで、人々の倫理観に訴えかけて弱者である労働者を尊重し、企業の振る舞いをみんなで監視して、みんなで声を上げてくような世の中にしていかないと駄目だと思う。
grdgsってまだパン工場ではたらいてんのかな?
1991年、高校3年だった私はバブル崩壊のニュースが騒がれていても何も考えていなかったし危機感もなかった。
生まれてから株価や地価が上がり続ける好景気のニュースや、良い時計、良いブランド、良い車、お洒落な都会の暮らしと浪費を煽るTV番組しか見てこなかったので
経済が右肩上がりなのは1+1は2だというのと同じくらい揺るぎない当然の事実だと刷り込まれていた。
だからバブル崩壊なんて聞いても一時的な大騒ぎだと思っていたし歴史の教科書に載るレベルの事が今起きているなんて実感は全くなかった。
もちろん、後から我が身を以て知る事になるのだけど。
大学は都会の人、お金持ち、頭のいい人が行くところという認識。女性の大学進学率は身の回りの体感で2割以下だったと思う。
就活は東京に行くと良い。交通費がもらえるから面接のスケジュールを何社もうまくまとめれば数十万になる(関東は飛行機の距離)
知り合いがクルーザーを貸し切りでコンパしていたらしい。タクシーが捕まらなすぎるから札束を見せて止めるし、もちろんチップも弾むらしい。
あと高校生でも高確率でヴィトンの財布持ってた。コンビニでたむろしているヤカラ系の人たちも、上下スウェットでヴィトンのポーチが定番だった。
金を稼いでブランド物やいいものを買う!時代の空気がそんな感じだったから、流されやすい私も高校生の時はバイト三昧で稼いでは散財していた。
私は広告デザイナーに憧れていた。頭の出来は悪かったけど絵をかくのは好きだったし
弟妹に比べてあまり可愛がられてこなかったので、おしゃれな都会でかっこいい仕事をしている自慢の娘として褒められたかったのだ。
それでデザインの専門学校へ進学した。生活費と学費はバイト三昧でどうにかしたが、絵の課題の物量とバイトの両立は難しくて卒業はギリギリだった。
クラスで一番絵が美味かった友人はデザイン業界には就職できずにパチンコ屋に就職した。
運よく個人のデザイン事務所に就職できた友人は手取り13万で会社に泊まり込むような毎日だと言っていた。
私は朝も夜もバイトしながらの就活がつらく、20社ちょっとで圧迫面接されたタイミングで早々に心折れてしまった。
でも今思えば1994年なら私もまだなんとか職種を選ばなければ就職できたのでは?広告業界はかなり厳しかったけど。
スキルも勉強も微妙な成績で、顔も微妙だからやっぱり厳しかったかな?
ただ、今よりは派遣も幅を利かせてなかったから バイトで頑張って正社員!という流れも現実的で、だからとにかくいろいろバイトしまくろうと考えた。
コンビニ、ビル清掃、ファストフード、新聞配達、アパレル、カラオケ屋、居酒屋、パン工場、食品加工工場、弁当屋、デパート、ラーメン屋、ゲーセン
最低賃金は600~700円の時代。掛け持ちで250時間/月くらい働いて手取り15万以下、賞与も有給も無し。家賃は5.5万円。
新聞やテレビでは「最近の若者は責任感がない」とか、「フリーターという自由な働き方!」とか好き勝手言って
親にもいつまで根無し草でいるつもりなのかと責められた。好きでやってんじゃねーよ。
結局バイトから正社員のルートは3年やってダメで、バイト先の先輩が就職したIT企業に誘われて、やっと正社員として就職できた。
この時の親の喜びようといったらヤバかった。花束送ってきたもんね。
大手の孫請け・曾孫請けくらいなので単価は安いし、すでに炎上している案件を受けることが多かった。
1ヶ月連勤とか、朝方家に帰って9時にまた出社するとか、片道の航空チケットを渡されて「今から飛べ。バグを直すまで戻ってくるな」なんて事もあった(2ヶ月かかった。仕様バグだった)
しかも名前だけ役職だったので、10時間を超えた分は全てサービス残業なのだ。賞与もまともに貰ったことない。
あんなに親が喜んだのに辞めるなんて言えなかったし、若いうちは体力もあったのでなんとかなった。
でも30を超えて疲れが蓄積して部屋の掃除ができなくなり、食事もコンビニばかりで、美容院行ったり化粧品買いに行く時間もなく
そもそも仕様書ができてないから想像で作るしかなかったコードレビューで毎日詰められて、17時以降にも1人月分のスケジュールが割り当てられ
今はなんやかんや縁があって地方都市のホワイト企業で働いて生きている。
この会社でも同年代は絶望的に少ないので、団塊とバブル世代が定年を迎えたら部長・課長のなり手がいない。
初の女性課長代理やらないかと言われているが、バブル世代の後始末を彼らよりずっと安い給料で、課長以上の成果を求めるくせに課長代理止まりなのだ。
断るつもり。
世の中を恨んでいるし、特に団塊とバブル世代の勝ち逃げ組は呪いたいくらいだ。ぜひとも来世はブラック企業で使い潰されて欲しい。無償で!
実家は太くなく、偏差値は55くらい。顔面偏差値は47くらい。コミュ力は中の下。人より強いと感じるのは不本意だが「我慢する事」
理解のある彼くん無し。それでも穴はあるとか言われるだろうが、穴として使う人と人間同士の信頼関係を構築するのは難しく、私には無理だった。
そりゃめちゃくちゃに頑張ったり美人だったり頭良かったり運が良かったり、何かに突き抜けていれば同じ年代でも勝ち組にはなれたかもしれないので、能力も頑張りも見た目もそうでもない自分がダメだったのは自業自得かと思ってた。
でも私のような中くらいより少し下の人間が、中くらいより少し下のままでもそこそこに生きていける時代になったらいいねって思う。
そしてその為には、私達は救われないまま死んでいった方がいいのだとも思う。