はてなキーワード: パン工場とは
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小学校から英語を習う時代なんだから、国際化に遅れちゃいけないでしょう、やっぱりパンを増やさないとまずいでしょう,について、
突っ込まれすぎ。
味気なかったかな
ご飯でいいと思うけどな
うーん、昼はやはりご飯がいいと思う。
噛む事で歯も鍛えられます。
給食でパン食はコッペパンや揚げパンに代表されるノスタルジックな感じがする主食だと思います。
国際化は欧米の真似事ではないのでパン食よりも自国の酒食を誇れるほうが良い気がします。パン食は配膳が楽かもしれませんが、アレルギーなんかはパン食と米食ではどちらが多いのでしょうね?
良く小麦や卵などのアレルギーで米粉を使うパンなどもあるようですし、給食のパンには入っていないと思いますがイーストフードなどが入っているパンもあると聞きます。
おかずに合わせるのも米食の方が合わせやすいのでは?などと色々理由を考えてしまいますが、最近のパン食以上に減ったソフト麺が中年のおじさんには懐かしくて仕方がありません。
無形文化遺産にも登録された和食を、きちんと理解し楽しめる事こそ国際化の波に乗る上で重要だと思います。
旬と地産地消にこだわり、温かいものは温かく、冷たいものは冷たいうちに、その方が大切な事でしょう。
給食費踏み倒しの問題も有るけど一部で報道されたような、食中毒防止の為にわざわざ「冷やした」ハンバーグとか感覚的におかしいし、コスト優先で不味すぎる給食こそぜひ改善して欲しい。
国際化だから米よりもパンこれはちょっと違いますよね確かにパンを主食にしている家庭は増えているとは思いますだからこそ学校給食では米を中心にするべきとも思えます
昔の給食はパンばかり正直美味しくてなかったです今はかなり良くなっているとは聞いております
>「国際化に遅れちゃいけないでしょう。やっぱりパンを増やさないとまずいでしょう」
苦しい主張だな。。。。w
大変だとは思うが、市場というのは何十年も同じままではいないものだからね。逆に町のパン屋さん、つまり高付加価値のパンは増えているでしょう。
パン工場には申し訳ないですが、現在の給食をパンに戻すと時代に逆行します。地産地消も大事ですが、お米の美味しさをもっと子どもたちにアピールしないといけないと思います。私は昭和40年代後半に小学生でしたが、パン食になじめずほとんど美味しいと感じた事がありませんでした。
「小学校から英語を習う時代なんだから、国際化に遅れちゃいけないでしょう。やっぱりパンを増やさないとまずいでしょう」
本当に「国際化」を考えるならパンを増やすのではなく、パスタやイモ、トルティーヤ、フォー、豆などを主食にした「国際的な」給食になるんではないでしょうか。
国際化は、自文化と他文化の違いや共通点を認識しながら理解を深めることで進むと思う。他文化を知ろうとすることは大切だが、同時に自文化を疎かにしてはいけない。
「小学校から英語を習う時代なんだから、国際化に遅れちゃいけないでしょう。やっぱりパンを増やさないとまずいでしょう」自分の会社を中心に考えてしまうのだろうが、浅はかだなと思う。
最近、アンパンマンのマーチが仏教的だとかアンパンマンの思想は釈迦を表してるだとかよく見かけるようになりました。ちょっと前はアンパンマンはキリスト教だ!っていう話も上がったりしてました。
分かるけど・・・うーんって言う気持ちもあります。その、うーんっていう気持ちの理由を今回はつらつら書きたいと思ってます。
※私は仏教に関してはそんなにあかるくないです。どちらかと言うとキリスト教の方にはあかるいのですが、それもその宗教を実際に信仰している方ほど完璧、という訳ではありません。ですので、そのような方がお読みになった際は「これは違うぞ!」と思うところもあるかなと思いますが、どうかお許しください。
ちょっと前に、「やなせたかしはクリスチャンだった!」という話があがってました。しかし、色々解析すると仏教徒なのでは?という反論があり、結果クリスチャンでは無いのでは?となっていたような気がします。
しかし、宗教は本来タブーな話で誰が何を信じてようとそこには踏み込むべき話題ではないので、自身が明言したり、それ以外の人間に分かるほど「熱心な仏教徒」だったり「熱心なキリスト教徒」だったなら話は別ですが、そういう訳では無いのに「作者は仏教徒だから、仏教が関連しているんだ!」とか言うのはステレオタイプかなと思います。
わかりやすい熱心な仏教徒の話を上げますと、宮沢賢治とかですかね。彼は熱心な仏教徒でありながら、キリスト教にも興味関心を持っていたそうです。なので、作品にもそれが存分に生かされてる、というのは納得のいく話しです。
対して、やなせたかしさん自身は「私は仏教徒の家系に生まれです」とかは言ってないし、周りの人物も「彼は熱心な仏教徒だった」とは言ってないわけです。キリスト教に関しても一緒です。そりゃ、今と違って家系が仏教なら仏教の教えを信じるとか、キリスト教ならキリスト教の教えを信じる家系だった可能性もあるので、そうなるとやなせさん自身の作品にも生かされてる可能性はあります。自身が信じてきたものが作品に無意識的に反映されるものですので、有り得なくはないです。でも、断言ができるものでは無い、ということだけは事実です。
2.アンパンマンができた経緯
アンパンマンはやなせたかしさんの正義が込められたヒーローです。
やなせさんは戦時中、兵隊として敵国と戦っていました。その時に怪我などよりも、飢えが1番苦しいということが分かったそうです。それがアンパンマンの顔がアンパンである理由でもあります。
国に帰ってきた時に、今まで正義だと信じてきた「敵国を倒すこと」が間違いであると、叩きつけられます。その時に、やなせさんは「正義と悪なんて、ある日突然、逆転するんだ」と実感したそうです。
戦後、アメリカなどから多くのヒーロー達が輸入されてきました。そのヒーロー達は皆、設定された悪役を倒すだけ、当時日本に多くいたような困ってる人やお腹を空かせてる子供達には目もくれず、ただ悪役を倒すだけだ、でもそれは違うのではないかと感じたそうです。
以上の経験から、やなせさんが正義の味方、ヒーローを作ろうと思った時に悪役を倒すだけではなく、困ってる人やお腹を空かせてる人に手を差し伸べるヒーローを描きたいという思いで、アンパンマンが出来たそうです。やなせさんは「逆転しない正義は献身と愛だ。それは難しいことに聞こえるようだけど、簡単に言えば、お腹を空かせてる人にパンを差し出すこと」と述べてます。(一字一句覚えているとは言いきれませんが、印象的だったので覚えていた言葉です)
この辺りの「献身と愛」がキリスト教的に引っかかるのかなと思います。キリスト教も献身を大事にしていますから・・・。
その、やなせさんの考える逆転しない正義を体現してるのがアンパンマンだというわけです。
ちなみに初めにできたアンパンマンはパンを作り、戦争下でお腹を空かせる人々に敵味方関係なく、空を飛んでパンを届けるふくよかで到底イケメンとは言えないおじさんだったそうです。彼はいつものようにパンを届けている時に、砲弾に当たり、命を落とすという最期を迎えます。そのようなおじさんの姿から、土台は一緒ですが、アンパンの顔をしてお腹を空かせてる子供にアンパンを与えるヒーローに変わり、今のアンパンマンが出来ました。
3.やなせさんの考える正義の味方について
正義の味方はかっこよくないというのがやなせさんの考えです。だから、アンパンマンもどこか情けない感じですよね。顔が濡れたり、歪めば力は出ない。彼自身、顔をよく分け与えてますが、それをやってもやはり弱くなります。それはやなせさんが考える正義を行うものは必ず傷つくというのが体現されてるからだそうです。だから、アンパンマンは人を助ける時に弱くなる。マントがちぎれて飛べなくなることもあるし、命を落としたこともあります。(明確な死の描写はないものの、映画では2回ほど死んでいると思います。いのちの星のドーリィという映画では確実に命を落としてます)
それでも困ってる人を助けるためには身を投げ出す自己犠牲の考えがどこか仏教を感じるところなのかもしれないですね。
アンパンマンは作中にこんなことを言ってました。
「初めて人を助けた時に心が暖かくなって。その時わかったんだ。なんのために生まれてきたのか。何をして生きていくのか。何が僕の幸せなのかってことも」(いのちの星のドーリィ参照)
彼自身が困ってる人を助けることが自分の幸せだと答えています。仏教の自己犠牲って他者の利益を得るためにやるものだけど、自分の幸せまで含んでいたかな・・・という疑問を感じたりしてます。キリスト教でも自己犠牲は出てきますね。宗教で、割と自己犠牲は取り上げられているので、そこでアンパンマンの生き様に引っかかるのかもしれないな〜と感じました。
4.バイキンマンについて
やなせさんはアンパンマンという物語に本当の悪役はいないと言っています。前述の通り、やなせさんは悪役を倒すヒーロー達に疑問を覚えていました。なので、バイキンマンは悪役という物語に出てくる少しの毒として存在はしていますが、どこか抜けてるというか悪役にしては可愛げがあるのが印象的です。
加えて、バイキンマンとアンパンマンは2人が一緒にいることでバランスがとれてる状態で、どちらが欠けてもダメだと言っています。
だから、バイキンマンも何故かアンパンマンにとどめを刺す時にさっさと倒せばいいのに毎回隙を作るし、アンパンマンもバイキンマンのことをパンチひとつで許します。
それでもバイキンマンは「アンパンマンを倒すこと」が目的なので(もちろん、腹が減れば人からパンを奪うし、ドキンちゃんのワガママに付き合わされる時もあります)、アンパンマンを倒すためにメカを作ったり、パン工場自体をどこか変なところに移動しようとしたりと工夫を凝らしています。ちなみにアンパンマンの方はどうかと言うと、アンパンマンはみんなのことが大好き(映画の勇気の花がひらくときを参照)で、みんなと仲良くしたいので、バイキンマンとも仲良くしたいし、バイキンマンがお腹を空かせていたら普通に顔をあげる男です。なんて言うすれ違いでしょうか・・・。
余談ですが、アニメ第1話ではアンパンマンは襲ってきたバイキンマンをジャムおじさんとバタコさんと共に洗剤の入った水の中に突っ込んでいました。下手したらアニメ1話でバイキンマン死す!って状態だったのに、バイキンマンは小さくなりながらもしぶとく生き延びて今に至ります。昔の方が彼は容赦ないです。
4.さいごに
長くなりましたが、つらつらと書きました。
別に仏教と結びつけるな!とかキリスト教と結びつけるな!とは言いません。それは1つの考察だとは思います。ただ、「アンパンマンは仏教と関係がある!」とか「アンパンマンはキリスト教に沿っている!」と断言するのには少し違うのでは?という気持ちでした。
この文章は、「やなせさんの正義の考え方とかは彼自身が生きて得た境地で、それがアンパンマンに生かされてるんだな」と思っている1ファンの考察です。これが正しいという訳では無いです。なんせ、考察なんてファンの想像の域を出ないですので。
なので、あまり真に受けず、なるほどそうなんだ〜と軽く受け取っていただければ幸いです。
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参考文献的なもの(興味がありましたら見てください)
【本】
【映画】
いのちの星のドーリィ
※これらはやなせさんがご存命の時で、監修を受けていると思いますので参考にあげさせていただきます。いのちの星のドーリィは「なんのために生まれて、何をして生きるのか」がテーマで子供向けにしてはかなり壮大です。
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【追記】
色々とコメントがついてたりしてましたので、読みました。なるほどと思ったりしてます。
一つ、信者様という言葉を訂正し「信仰している方」という風にしました。決して揶揄っていた訳ではなかったのですが、揶揄っているように見えてしまったようでしたので、訂正しました。
「アンパンマンはアンパンマンという宗教」というのは納得してしまいました。幼児はアンパンマンが目に入るとすぐに見つけますからね・・・。
自己犠牲については、仏教にあかるくなかったのもあって色々と漁っている時に、仏教にもそういう考えがあるというのが分かったので、書きました。でも私もあまり印象はなく、どちらかと言うとキリスト教のイメージが強いかな、と思ってます。
キリストのパンの話が元になってるのでは?という話ですが、やなせさん自身が著書で書いていたのですが、アンパンを選択した理由が「アンパンは手軽に手にできて、あんこがぎっしり入っていて甘く、食べるとすぐに元気になれる(おそらく、糖分摂取できるという意味でしょう)」ということらしいのですので、キリスト教の話が元になってると断定は出来ないなと思ってます。
アメコミは勧善懲悪の話ではないという件については、私自身、その時代のものがどういうものだったのか分からないのですが、やなせさん自身の目には、ああいうようにうつったそうです。(『わたしが正義について語るなら』参照)
バイキンマンとアンパンマンの関係性に関しては、私もアニメの流れは「勧善懲悪の流れだなあ」と感じたりしてます。最近のアンパンマンはバイキンマンが悪役に回らず誰かを図らずも助ける立場に回ったりもしてますが、やはりアンパンマンにアンパンチを食らってバイキン城に戻るのが大半だったり、食らう前に退散したりしてます。
この話に関しては、深く入り込めるほどまだ、2人の関係性について飲み込みが足りないので、これ以上書けないです。申し訳ないです。
色々な視点を見ることが出来て良かったです。
香川県から逃げてきた友人に聞いたら「そうだよ」とあっさり返ってきた。
香川県は実質的な県外との断交で鎖国状態に。これはゲーム機本体を県外に置いてそれをストリーミング再生しながらプレイするという脱法ゲーミングが流行った2032年の出来事を受けてだ。
同級生たちは香川県民が来るということで緊張していたが来たのは普通の人間だった。親から「香川県民は頭にうどんが詰まっている」「髪の毛が小麦で出来ている」「目が合うとうどんを茹で始める」「内臓器官すべてが小麦出来ている」「記録媒体にうどんをつかうらしい」と言われていた不安だったが普通の人間だった。
すぐにクラスに打ち解け、昼食も一緒に食べている。
仲良くなったので以前からの疑問を聞いてみた。それがタイトルになる。
彼の家は代々からのうどん製麺所で本当は家を継がなきゃいけないらしい。
彼の兄はうどんではなくパンを欲し、実家の製麺所をパン工場に変えたいと高等うどん学校卒業の寄せ書きに書いたばかりに行方不明になったらしい。
パンを買わないと決めた発端は子供の頃私のXを奪ったのがパン屋の息子とパン工場員の息子だったからだ。
子供の頃の出来事なので、それ以前に自分でパンを買ったことがなかったし、以降もパンを買ったことがないので、私は人生で一度もパンを買ったことがない。
食事に出てきたら食べる。パン自体を憎んでいるわけではないから。食べ物を粗末にはしたくない。
かつてはパン業界に金を落としたくないという思いは強かった。でも今はそこには大したモチベーションはない。
パンを絶対に買わないという小さな抵抗をし続けているうちに、生きている間にパンを買いたくないという自分との戦いに移行していった。
パンを食べない訳ではないので、家族ですら私の取り組みを知らないと思う。
幸い、日本にはパン以外にも食べるものはいくらでもあるので食事に困ることはない。
餓死しそうな時に、目の前にパンがあったらという妄想を昔からよくするけど、私は食べずに死んでいくことを決めている。
くだらない私のプライド。