はてなキーワード: プリントとは
同僚の、大振りのジェスチャーと豪快な笑い方を。
険しい顔で朗々と話し、時にくしゃっとした笑顔を見せる感じを。
やや力が抜けつつも、しかし一つ一つ丁寧にささやくように話す感じを。
とにかく、その時の自分が聴いているもの、観ているものの影響を直に受けているようだ。
これが定まっていない相手は、行動が予測できず、対応に難儀するし、
不安定な印象、言ってしまえば一種の気持ち悪さを覚えるだろう。
口調はキャラを作る要素の大きな一つである以上、これが安定しないのは、
コミュニケーションにとって障害なのではと思い、今更ながら悩んでいる。
当然同僚も気づいていると思うが、
もはや、本来の自分自身の口調がどうだったかもわからなくなってしまった。
自身の無さの表れなのかもしれない。
私と同じような状態の方、いませんでしょうか。
どうしてアニメの浮世絵とかがだいたいクズかの理由を述べていく。
いくつかパターンはあるけれど、一番多いパターンは、単純に見れたものじゃないというレベルのものだ。
そんなものが売れるのは
っていう前書きがあるからだ。
手で作ったからといって、伝統技術で作ったからといって、機械が印刷したほうが綺麗なら、そんなものに価値はない。
おそらく、ここ数十年まではカラー印刷技術の中で最強の座を誇ってたと思う。
2枚の版木、赤、青で摺るとする。
1枚目で摺る。
1枚目の赤の版木が当たる部分、当たった部分は赤になり、当たらない部分は紙の地の白のまま、つまり2色の世界。
2枚目の青の版木が当たる部分、一枚目の版木も二枚目の版木も当たった部分は赤と青が重なり紫に、二枚目の版木だけ当たった部分は青に、一枚目の版木だけ当たった部分は赤になり、当たらない部分は紙の地の白のまま、4色の世界。
3枚の版を使えば、8色、4枚の版を使えば16色、理屈の上では指数関数的に色数が増える。
雑誌なんかで、表紙のすぐ下や、誌面の中頃に、一枚だけカラーページでグラビアやイラストのカラーページがあったりするのはわかるだろうか?
昭和の初期までは、あれを木版でやっていた。
しかも、浮世絵の時代と遜色ないどころか、それ以上に15度20度と摺って色を重ねて印刷していた。板を彫って。ばれんで摺って。
中でも、最もキチガイじみた雑誌はというと、毎号50度摺以上の手間暇をかけて、日本画の複製を誌面に挟んでいたある美術雑誌だ。
号によっては100度近い摺りを重ねたらしい。
色数の問題だけではない。
ほとんどの印刷技術は、オフセット印刷もシルクスクリーンもレーザープリントもインクジェットプリントも、色の濃淡を色の粒の"密度"で表現している。
木版で使うグラデーションをつける技法は、粒ではなく無段階のグラデーションをつけることが可能である。
人間が視認できる限界を超えたRetina Displayがでるまでは、真のグラデーションは木版の中にしかなかった。
そして発色である。
浮世絵の技術で摺られた絵は、直後に触っても、手に絵の具は移らない。表面には絵の具は残ってない。
紙の繊維の奥から、輝くのだ。
いつものように、能書きが長くなったが、
っていうことを強く打ち出した売り方だと、極端な話、出来のいい悪いに関係なく売れる。
普通の印刷よりも汚くても、「それが木版の味です」として売れる。
たぶん、下絵もどんな絵なら工数をケチっても綺麗に仕上がるかなんてことも考えていないし、職方に高いレベルは要求しないし、職方もそれを見抜いてそれなりの手間しかかけない。
企画元「安く版権が手に入ったから、斜陽産業の職人を安く買いたたいて作らせて、オタクに高く売ろう」
職人「どうせわかりゃしないから、材料と手間をケチろう。どうせ工賃も半額に値切ってくるんだろう」
っていう思惑が誰でもわかる。
みれたもんじゃない0点の浮世絵、これがアニメの浮世絵の約8割。
実は、丁寧過ぎるのも嫌いなので、それについてもややこしいんだが、それについてはまた後日。
部下には決められたことをやれと言いつつ自分は勝手なことを思いつきでやるような人間だ。
仕事内容を勝手にあれこれと変えて、これでやれば大丈夫と言う。
何も知らない人間に弄り倒された仕事は煩雑で、ただただ大変なものになった。
ポツポツと人が減っていく。
仕事は当然増えていく。
それでも上司以外の人間関係は良かったので、愚痴り合いながらずっと支えてきたけれど。
内容は、それが全てOKなら、それはとんでもない聖人であり、そして同時にその会社の犬であるようなものだった。
正直気持ち悪い。過剰な項目だらけだ。
人間の多様性なんてまるで認められていない。そう言える内容だった。
そして何より気持ち悪かったのは、それにハンコを押して期限内に提出しろと言う。
自分の勤務態度を見直すくらいのこと、言われないでも自分がよくわかってる。
それをやらせた上で、ハンコまで押させて提出させて、どうしたいのか。
本当に心底気持ち悪い。
学校がからもらったプリントは机の上に平積みにで、たまりまくって机から溢れて床に落ちてても知らんぷり。たまにしか必要のない美術の教科書などは学校から定期試験前に持ってくるように言われるのですが、どこにあるか分からず前日に大慌てで探したことがしばしば。
定期試験勉強中は現実逃避から掃除がしたくなり(苦笑)、ちょっとやって試験が終わってから続きをやろうと思うものの、試験が終わったらプレッシャーからの解放で掃除せずにそのまま。
毎年春、学年が上がってそれまでの勉強道具が必要なくなったときにあまり確認せずに一気に捨ててました。そのせいで日記など当時の自分を知る貴重なデータが残っておらず、今になればとても悲しい状況です。。。
20代になって初めて一人暮らしをし、掃除に対する意識が変わりました。
最初の頃は、部屋にそれほどものがなく掃除する必要もなかったわけですが、今まで家族と住んでいた時間から急に一人暮らしになると、それまで家族がいたせいで食事の時間を合わせたり風呂の順番待ちなどに時間が取られることがなくなり、かなり時間に余裕ができたため、「暇つぶし」として掃除をするようになりました。
リビングは、週1で床や家具をコロコロしたり、掃除機をかけるようになりました。エアコンは3か月ごとにフィルターを掃除機にかけ、半年ごとにエアコンの中身を専用のスプレーで洗浄するようになりました。
また、実家にいた当時は全く意識になかったトイレや風呂場といった水回りを掃除することを覚えました。水回りって放っておくと一気に汚くなります。それをいかに抑えるか、掃除の回数や掃除方法だけでなく、普段の水回りの運用も考えていかなければなりません。
私がそのとき思いつき、現在もしている水回り対処法は次のような感じです。
<風呂場>
<トイレ>
どちらも定期的に行うように習慣付けられるまでは時間がかかりましたが、習慣になればこっちのものです。掃除している人からすれば当たり前のことでしょうが、定期実行が掃除の1つの要です。
その後、とある中小企業で事務系のバイトをしました。毎日朝礼があって選ばれた人が自分の好きなテーマでプレゼンするのですが、その会社の社長は儒教的な考え方の持ち主でいろいろと教わりました。
その中でも次の言葉が印象的でした。
人は精神状態が落ちていくと身の回りのことに力を注ぐことができません。掃除ができなくなっていくのは自分の精神がダメになっていくということだそうです。逆に考えれば、普段から掃除をしている人は精神の衛生状態がよく、向上心をつけることができるということでした。(その会社ではそれを実践するために、毎朝朝礼の前に掃除時間が設けられていました)
私はこの言葉に感銘を受け、掃除は怠ってはならないと決心しました。
まとめると次のようになります。
<掃除の基本>
高校生はこの時期には例外なく進路関係で死にそうになっています。
同級生を見ていても受験勉強で精神がやられていくやつ、クレペリン検査を何度も練習して精神がやられていくやつ、勉強が一切できず精神がやられていくやつ、肉体労働をしたいのにSPIで死にそうになるやつ。
また、夏休み中の朝に呼び出されたかと思ったら就職先見学の連絡用のためのプリント一枚渡して帰らされたりもしている。連絡だけだしFAXでいいのでは?
私が、なぜ死にたいか、社会的ステータスや状況なんかは別の記事として投稿しようかと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20160823230040
現実の世界では(インターネット上の話ではともかくとして)エゴがどうとか以前に、無意識的に止めようとすると思う。
例えば、ちらほら人通りのある橋から目の前で人が飛び降りようとしていたとする。
格好や目つきや動きがよっぽど変ではないかぎり、止めようとすると思う。
止めようとするのが怖くても、警察に電話の一報くらいはしようとは思う。
高校生の頃に、飲食店で財布を忘れて戻ってきた客が急に怒りだして暴れだしそうにしていたことがあった。
隣にいた友人や他の客はすぐに止めに入ったし、私もすぐに警察に連絡した。
現実世界で自殺を止めるってのは、そういうことと似たものだと思う。
自分の所属している社会やコミュニティ(会社、学校、旧友、家族)なんかが
どう反応するのか、なぜ反応するのか、というのも気になる話ではある。
もし、自分が新しいコミュニティに移行したとして、初めからかなり自分勝手に振る舞って、周りからの印象が最悪、1ヶ月くらいでいなくなったとしよう。
そういう人は、誰からも自殺を止められないし、どうでもいいって思う人がほとんどだと思う。
仕事が出来なくて、怒鳴られている人がいたとする。同僚や上司とある程度の会話を普段しているなら、
仕事的には邪魔でも、長く過ごすと少しは情や想像力が働くので、無意識的に心配してくれるときもある。
一般的には、所属する社会がある程度健全に機能しており、自分も人並み程度に人と情のやり取りをしていれば、不登校の子どもにはプリントを持っていくシステムがあるように、
人の死を心配するってのは自然に組み込まれてるもんだとは思う。それは割合的には小さくはあるものの、一応多数の部類だとは思う。
会社にしても、学校にしても、ワタミの過労死や一橋大学のアウティングのように
責任を有しており、追求される可能性があるので、大きなリスクを小さくするためにも自殺というものは避けさせないといけない、
ある人が自殺を止める理由については、一概にこうだから、とは言えないとは思う。
自分の生存ルールなんかを把握できるほど人間は頭がよくないし、学問的に分析しようにも世界中のコンピュータを集めても計算量は足りないと思う。
はてブの、矢口とベッキーと狩野英孝の不倫記事のコメントを見ると、その人がそれぞれ違った叩きと擁護と無関心をしているように、
自分でもよく考えずに自殺を止めたり止めなかったりするんだと思う。動物的な本能と人間的な社会性や自分の経験、保身、いろんなものが混じってると思う。
エントリー主は、自分は死にたいはずなのに、どうして他人の自殺を通報したんだろうというところに何か引きづられているのだろうけど、
「何を読んでも、自分は死ぬべきだと思う」と思っているからこそ、自分の考えと発言の矛盾で混乱しているだけで、
少なくとも現時点で死んでいなかったり、変な行動や犯罪的なことをやり警察に連行されていないということは、
生の論理や生の執着、死の恐怖が結構こびりついていて、現在の生と将来の生への逃避ばかりに目が行っていて、
それが同時に存在するということに目が行っていないだけだと思う。
通報した理由は、ハッキリとはわからないけど、自分の考えたり想像したりしていることが、死だけではなく、生についても自分の知らない裏側できっちり考えていることは確かだと思う。
>「しかしなぜ、自分を変えられるから、あなたは変われるから、死ぬべきではないと言えるのだろうか。」
これは、現実的な人がいう自分の変わると、印税をもらえる人のいう自分の変わる、自分の想定する変わる、を分けて考えた方がいいと思う。
私は、3年間くらい死にたいって思っていて、今も、今すぐに死ぬボタン、みたいなのがあったらその日のうちに押すなーとは思っているけど、
死にたいって思い始めた当初と現在を比べると、変わったことはたくさんある。
少なくとも、前向きに生きてみようかな、と思い始めている時期は数ヶ月間あったり、
超たま~にではあるが、温泉行ってみようだとか、シンゴジラ見に行ってみようだとか、楽しみを実行したいという気持ちも生まれることもある。
昔は、外に出て誰かが歩いているだけで陰鬱な気持ちになっていたのが、今は特に何も思わなくなっている。
その程度には変われるし、いい出来事も起きたりはする。
けど、長い間生きることをメリットとは思っておらず、やっぱり死んだ方が楽だろ、とは思っていて、そこは変わっていないと思うし、
死ぬ時は、死んだ何日か後に増田に記事を自動で投稿するようにPCに仕掛けておいて、死ぬ思いなんか残しておこうかと思う。それは死ぬ前の楽しみ。
テンポはとてもいいんだけど、細かいところが気になっちゃって、今一つ嵌れなかった。
まあそうはいっても、正直なところ「原子力(微)生物」ってどんな描写にしたらいいのか想像つかない…。
自分で考えようとすると、「原子力」抜きでエメリッヒ版みたいな「ありそう路線」になってしまう。
↓こんな感じ
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グリーンランドのバイキング居住地の遺跡。逆叉の骨が大量に散らばる中に、奇妙な足跡が発見される。
氷河期の巨獣たちが生き残っていたのか? バイキングは何のために逆叉を、危険を冒してまで捕っていたのか?
…訝る学者達。
(生き物としての逆叉の凄さが語られる)
そのころのカナダ。
逆叉の「聖地」で、鯨類の研究……特に、逆叉の「会話」を傍受・研究してきた海洋学者が、パニックを起こしていた。
「とにかく、様子が尋常じゃないんだ!」
…と、報道記者やDFO、さらにNOAAへ必死にアピールするが、禄にとりあってもらえない。
「減ってるって言うけど、ここから移動したのかもしれないでしょ」
「オルカに迫る危機…って線なら良いと思いますが、”人類への脅威”みたいな言い方は疑問ですね。恐れながら、入れ込みすぎでは?」
しかし、すぐに。「北大西洋では、逆叉の個体数は急速に減少している」との見解を、別の科学者も示す。
明らかに何らかの異変が起きている。学会やNGOなどに緊張が走るなか、さらに身近なところで事件が起きる。海洋娯楽施設「マリナーワールド」のスターである逆叉達が。一匹、また一匹と、痕跡も残さずに飼育プールから「消えて」いってるというではないか。
通報を受け、マリナーワールドに張り込むTV局や警察の目前で。10m以上に及ぶ“何か“が「突入」してきて、最後の逆叉が瞬時に両断される。その様子や、警察のライトに驚いて?凄まじいスピードで逃げる「何か」の不明瞭な映像が放映された。
こいつは一体何だ? いったいどうやって海水導入溝の多段鉄柵を越えているのか? 全世界の注目を集め、前後まっぷたつにされた逆叉や現場の遺留物から、様々な「正体予想」が氾濫する状況に。
そして、報道・学者・環境保護団体「シー・リカオン」などが州軍とともに詰めかけるのをあざ笑うかのように、100km以上南にある別のマリナーワールドが襲撃される。今度は一夜にして12尾の逆叉を全滅させ…たのみならず、施設の大規模な損壊・火災に行方不明者を出す事態。
「KWK、ヒトの味を覚えたか?」
騒動が大きくなって、最初の海洋学者に再びスポットがあたるが…。
「頭おかしくなっていたんだ、きっとそうだ…だって、ありえないんだ!」
「どういうことです、あなたは何を見たんです?」
「うぁあっ…勘弁してくれ!」
今度は、西南アフリカ…。とあるマグロ密漁船が、環境保護団体シー・リカオンのIUU監視阻止船「MYキャニー・ロデル」からの逃走中に突然、沈み始めたのである。余りに速く沈んでいき、誰も浮かび上がってこない。
マリナーワールドからは余りに遠く、KWKと結びつける材料もなかったので、現地国家「G国」海軍に対鑑武装を疑われるMYキャニー・ロデルの乗組員たち。調査で乗り込んできた軍人たちの目前で、軍艦のほうが襲われる。船尾の舵が壊されたのち、水中から飛び出して甲板に跳び乗ってきた”それ”は、あの特徴的な背鰭と禍々しい皮膚を備えていた。
「あれは?…あの、KWKじゃないのか?……しかも、脚があるぞ!」
軍人達は銃撃を浴びせるが殆ど利いてない。シー・リカオン側の船長は、とっさにMYキャニー・ロデルの封印装備…「爆発電気銛」を使い、KWKを追い払う。そうこの船は、嘗てノルウェーの捕鯨船だったのだ。シー・リカオンとして決して使ってはならない装備を……苦悩する船長。
そのころ、マリナーワールドの遺留品を調査していた学者達は驚くべき事実を突き止めていた。DNA解析によれば、KWKに最も近縁な生き物は、鯨類だというのである!
(昔は鯨にも脚や頸があった、現世の鯨類からン万年前に分岐した…などの蘊蓄が語られる)
「KWKの正体は鯨類と判明。即ち、キラー・ホエール・キラー・ホエール!」
「ゴンドウ・クジラ類にもっとも近いとされたことから、米NOAAは”ゴジラ”と命名。」
「遺留物の分析から、ゴジラの表皮や背鰭には鯨類が放つ声…音波を吸収ないし散乱させる性質があると判明した。つまり、逆叉はゴジラの待ち伏せを探知することができない。おそらくはソナーも…」
「ゴジラは待ち伏せ型の捕食者であり、ゼロダッシュの加速は凄まじいものがある。」
「頭部の唾液腺のような器官からは、着火性のある炭化水素類を噴出できると思われる…!」
「あのとき私が見たのは、陸へ打ち上げられるオルカ…を追って、このゴジラも上がってきて。オルカをあの後脚で押さえつけて、前足から飛び出したナイフで……おおぉお!」
さて当のG国では、EEZ内でも出没するゴジラに正規の漁船が入漁を見合わせるなど損失が拡大、洒落にならなくなってきた。他国の組織からの介入を強く牽制するが、ゴジラに対応できる改装を行うこともままならない。
一方、シー・リカオンに対しては、G海軍と密漁対策で連携していた経緯から、またKWKが野生動物と判明したことから、G国政府はさらなる協力を求めてくる。
しかし、結果的にせよ”鯨類”に銛を向けてしまったMYキャニー・ロデルは、船長も乗組員も動揺が激しく、身動きがとれない状態であった。
一方。
極東の「鯨類研究所」は、ゴジラを”害鯨”と認定、「調査捕鯨に乗り出す」と公表。インド洋上の目視採集船「シンユウマル」が、喜望峰を回って大西洋に入る。衛星の合成開口レーダーで同船の動きを追うシー・リカオン。シンユウマルは、かつて南氷洋で調査母船シンニチマルとともに、MYキャニー・ロデルを挟み撃ちにして、癒えない傷を追わせた仇敵である。
しかし。G国が箝口令を強いているため、シンユウマルは、ゴジラがどうやって軍艦を航行不能に陥れているか知らない。
そんな中でG国は、シー・リカオンの新造IUU阻止高速船「オーシャン・ハチェット」の派遣を正式に要請した。
「ゴジラはヒトを”密漁”しているのです。それで十分ではないでしょうか? それに、貴団体の新造鑑には色々”特殊な装備”があると伺います。殺処分なら時間をかければ私達でも、あるいはシンユウマルでもできるかもしれませんが…」
実は、G国は。ゴジラを公海などへ追い出してシンユウマルにしとめられるよりも、EEZ内で”確保”するのが望ましいと考えていた。
CBD名古屋議定書に基づき、ゴジラを”遺伝資源”として研究・収益化をもくろむであろうグローバル企業達を呼び寄せ「公正かつ衡平な利益配分」を受けられる、「ゴジラ遺伝資源ライセンサー」としての地位を確固たるものにするのだ。米国などで確保した断片程度の”遺伝資源”よりも、生きているほうが価値が高い。そのためにもシー・リカオンは利用できる、と。
そんなG国の本音を知らないまま。G国沖EEZへと急ぐオーシャン・ハチェットは、ゴジラ「捕獲」の任務を果たせるのか?
その少し後。
G国沖、公海上に停泊するシンユウマルを後目に、海軍のヘリに先導され、EEZへ入ることを許されたオーシャン・ハチェットであったが……そのあとを巨大な影が追ってきた。シー・リカオン側がそれに気づいたのは、G国の港湾に入った後であった。
もう、ゴジラに追われていた?…身構える乗組員。既に接岸していた同船が、回頭できなくなるほど近くまで、巨体が寄ってきている。
しかし、「ピヨオウアッ!」…という鳴き声で甲板の緊張が解け、興奮へと変わった。
「オルカだよ!本当に大きい…すごい…」
それは20mにもなるかという巨大な逆叉。シー・リカオン等では、通常の逆叉が子供サイズに見える望遠写真で有名な個体だ。頭頂部にも、目の後ろのアイパッチと似た白い紋様があるため、「三ツ目」というコードが与えられている。
「三ツ目が、一頭だけ?」
「南から、シンユウマルを追ってか?あいつら、オルカの群に何かしたのか?」
北から来たオーシャン・ハチェットについてきた筈はないから、ある意味当然の発想であったが。レーダーの履歴は、シンユウマルが脇目もふらずにやって来たことを示していた。
「やたらとアピールするな…」
「野生のオルカが一頭で港へ来て、こういうのって…とっても珍しいですよね」
「やっぱり、ゴジラのことじゃないですか?」
最後の質問をしたのは、同船に同乗していた記者である。既にG国のモバイル通信網を経由して、映像の送信を開始していた。
そのわずか5分後。記者のスマホに着信があった。例の海洋学者からである。
『三ツ目が来てますよね?』
『これ、見せられますか?』
海洋学者は、G国検閲済みゴジラ画像のプリントを抱えている。甲板に大型ディスプレイが引き出され、大写しにして、色を少しずつ調整していくと…
「パアアアアアアア!!!」と、すごい大声。
「ほんとかよ。」
「ほら、そうでしょう?」
『発音や解析の環境も一式用意していますので、画像を併用すればある程度通じるかと』
「え、ここでやるの?」
港へ出てきたG国政府の面々も、この状況に驚いたものの。三ツ目がゴジラと接触したがっていることを、すぐ納得した。
『”わたしが囮をやる”と言ってますね…戦闘態勢に入ったオルカには手出ししてこないから、と。』
「何だ、古馴染みなのか?」
『大昔からのつきあいで、協定のようなものがあるそうです。それを破ったのだと。』
「あれだけ狼藉働けば、そうだろう…というか異種間のコミュニケーション、初めてじゃないんだ?」
『北のオルカはエコロケーションに頼りすぎ、だそうです。』
こんな感じで。ディスプレイの中から、図版を沢山抱えた海洋学者が色々言うのに、誰もが半信半疑になりつつ。ともかく大逆叉の意向にそって「作戦」を組み立てることになった。
翌日。MYキャニー・ロデルが舷側に大布を吊し、そこに仮病の三ツ目を「収納」して、囮の役割を担う。かなり距離をとって、「ゴジラ対策」を施したオーシャン・ハチェットと海軍の巡視艇2隻が追っていく。誘いを掛けるために、三ツ目は自らの血液までも提供した。
ゴジラは巡視艇の後方から現れた。急拵えの「枠」に阻まれて舵を壊せなかったものの、舷側に前脚を掛けて甲板に飛び乗ってきて、自重でロールを抑える。もう一隻のほうの甲板に軍人達が現れ、速度を落として併走しながら銃撃を加え始める。ゴジラは音もなく跳躍するが、足場になった側の船は強烈にロールしてひっくり返った。
ゴジラは、もう一隻の舳先に「着地」したかと思うと、そのまま海へ走り抜ける。その反動で急激な回頭が生じ、底を見せた一隻目に激突。軍人達も海に落ち、海軍は脱落を余儀なくされた。
「あれ、助けなくていいのですか?」と記者。
「ある意味、予想通りだろう。後方から救助が来るので、こちらは海岸に沿って遠ざかった方がいい。」
『もう外してくれ、だそうです。』
三ツ目の鼻先、海上すれすれにあるディスプレイの中で海洋学者が「通訳」した。一旦リリースすれば、意志疎通は難しくなるだろう。
「き、来たぞ…?…来たぞォオ!!」
三ツ目の巨体が音もなく沈み、MYキャニー・ロデルの起こした波だけが広がっていく。
「どうなりましたか?」
「あれ…?」
三ツ目の役割は疲れさせるだけ、の筈だが。水中で決着がついてしまったのか?…と全員が思い始めたとき、もつれあった巨大な塊が海面から飛び出したのは…
「あんな後ろで!」
「というか、さっきの軍のほうに向かってる?」
オーシャン・ハチェットは、搭載の無人デバイス類を離鑑させていたが、標的に「無視」されてしまったので回頭を始めていた。
「三ツ目に戻ってくるよう伝えられないか?」
「もう無理だろう」
「こっちに誘導してくれないと、まずいぞ?」
実際、流され続ける巡視艇は公海に近づいていた。ゴジラはその「障害物」を巧みに利用して、三ツ目と渡り合っている様子である。巡視艇の乗員は救命具でひとかたまりになって、二体の闘争から距離をとっていた。
そして、それを観測しているのはシー・リカオンだけではない。「調査」と書かれたブルーグレーの船体に白いブリッヂ……軍艦じみた奇妙な船の操舵室でも、どよめきが広がっていた。
「わざわざ足場を作ってあげてるとは…」
「何とやりあってるんだ、ゴジラさんは?」
「あれ、鯱じゃないか?」
「上を飛んでいるのは何だ?どうぶつ団の連中のか?」
既に公海上であり、シンユウマルが接近していた。乗員達があわただしく動き、捕鯨砲の準備を行っている。
その鑑影を見て、シー・リカオン側に殺気が走った。
「キャッチャーボート接近。シン……ユウ……マル……あれは"シンユウマル"だ!」
「こっちくんな、ポーチャー。」
「雷落としてやれ!」
オーシャン・ハチェットから操られる飛行ドローン「フリゲートバード」は上空で落雷装置を吊り下げたまま、ゴジラの疲れを待っている。同じく潜水ドローン「バスケットスター」も特殊装備「ハイドロメデューサ」を解放するチャンスを伺っていたが、目まぐるしく移り変わる二体の戦いに手を出す隙がない。
そこへ、速度を上げたシンユウマルが突進してきた。
「ああ、下がってくれ!」
「無理だ!手を出すなぁ!」
…と、若干芝居がかった嘆き声が響きわたるMYキャニー・ロデル船内。公海に出たので、例の記者がTV中継を開始したためだ。シンユウマルへの罵声は(なるべく)控えている。
「いやぁ、下がりませんとも。」
「情報戦だなあ。うちも南アに寄って記者でも乗せればよかったかな?」
「よしましょうよ。」
…と、余裕を見せるシンユウマル側では、少し前に”クーデター”が起きていた。
共倒れを狙い待機する方針を打ち出した砲手長が、大逆叉に畏敬の念を抱いていることを、若手の乗員達に見抜かれたのだ。
鯨研の「情報戦」に晒されて育った世代にとって、鯨類へ「食品」や「天然資源」以上の評価を与えようとするのは許し難い裏切りであった。
そして「鯱」はある意味、シー・リカオンの象徴であった。この状況は、シー・リカオンが逆叉を操っているようにも、逆叉がシー・リカオンを操っているようにも見える。
ゴジラと大逆叉。どちらに銛が刺さっても別に問題はなかろう?…この方針に反対する「年寄り」達は、船底の一室に軟禁されることとなった。
迷いの無くなったシンユウマルが急速に二体へ接近する。三ツ目は深度をとっているのか、ゴジラはひっくり返った巡視艇の側で小休止している。
絶好のチャンスに食らいつこうとするシンユウマルは、ゴジラを挑発しようと高度を下げていたフリゲートバードの直下に入ってしまい、軽く「落雷」を食らってしまう。落ちた先がライトニング・ロッドではなかったため、諸々のシステムが停止し行動不能になったところをゴジラに襲われ、舵を破壊されてしまうシンユウマル。
「いや、チャンスだ……シンユウマルの向こう側へ”手”を掛けようとする筈。急げ!」
これまでのゴジラの船舶襲撃パターンから、先を読んだ指示が乱れ飛ぶ。水中ドローンから無数の「浮き袋」が密集状態で放たれた。膨らみながら急速に浮上していく。ゴジラ側の選択肢を制限し、空中ドローンの「雷」を当てやすくするのだ。しかし…この状況では、またシンユウマルの側へ落ちるかもしれない。
しかも、ゴジラは先程の「落雷」をちゃんと見ていた。舷側から上がろうとせず、上方を警戒して、すぐ潜行しようとする。そこにハイドロメデューサが、相互に繋がった無数の「浮き袋」が浮き上がってきた。このまま押し上げられるとまずい…そう判断したのか、ゴジラはシンユウマルを蹴って距離をとろうとした。
「今だ。」「落雷機、投下ァ!!」
フリゲートバードは、ゴジラの進行方向をふさぐように落雷機を落下させる。着水間際に相当なショックが走る筈…しかしその所要時間を見切り、逆に加速するゴジラ。
「全速かけろ!ハチェット!」
「嗚呼これは…間に合わない…」
「光った!落ちたのか?」
「ゴジラ、頭を出したぞ!」
「畜生…」
MYキャニー・ロデルに広がる落胆の呻き声は、途中から歓喜の驚きに変わる。
「あそこ、三ツ目が!」
「痺れてるな…うまく泳げてない」
「ぶちあてろ…ハチェット!!」
三ツ目が発射した「超クリック音」を
既婚者で、少し前まで育児休業していました。
私は、制服のスカートを抵抗なくはけますし、男子のような乱暴なことは一切しません。
ただ、自分が女だろうが男だろうが、どうでもいいと思う時はあります。
もし朝起きて体が男になっていても、あまりショックは受けないでしょう。
私は自分の軸が定まっている人が好きなので、どうしても恋愛対象者は年上になってしまいます。
「中学生の恋の話なんて、どうでもいい」と思われそうですが、私はとてもつらいです。
心が壊れそうです。
家に帰ると、先生がプリントに書いて下さったメモを何度も読み返しています。
あの小柄な体とショートの髪、真面目な瞳などが頭に浮かび、胸がギューッと締めつけられます。
こんなことではいけないと思い、体を動かしたり本を読んだりもしました。
しかし、どれもうまくいきません。
受験も控えている中、いったいどうすればいいのでしょうか。
神戸と京都に関する素敵な文章を読んでしまったので私は盛岡のことを書く。すごく需要は少なそう。
盛岡は新幹線が止まる町だ。一昔前までは東北新幹線の北端でもあった。というわけで全国のみなさんが想像する平均的岩手県像よりはちょこっと発展していて、町の中心部には生活に必要なお店とぶらぶら立ち寄れる場所がまばらにある。
駅前には何もない。女子の買い物はフェザンか郊外に2つあるイオンかで済んでしまうから町中を散策する必然性はない。それでも地下道を潜っていくと右側の道の2階にこじんまりとしたアニメイトがある。
観光客に人気のじゃじゃ麺屋をスルーして開運橋の交差点まで出る。(通ぶった地元民は岩手公園の近くのお店に行きたがるけど私はどっちもおいしいと思う。というか自分で調味料を混ぜるのでどこで食べても毎回違う味になる。冷麺は普通)
この開運橋の景色はちょっと有名。バスカードにプリントされたりNHKの朝のニュースの最後に映ったりかつて比嘉愛未さんが朝ドラのロケをしていたりした。
もうちょっと行くと大通りっていうさして大きくもないアーケード街に入る。半分がシャッターが降りた店で残り半分は美容院と歯医者とカラオケ屋だ。あと居酒屋。全国チェーンじゃない安いお店が結構ある。モンキーズキッチンという名前の通りびっくりドンキーみたいにちょっと薄暗い店内で葉っぱ飾りがいっぱいのお店があった。お酒を飲めなかった大学時代はばななみるくばかり飲んでいた。ところでみんな知らないだろうけどびっくりドンキーの1号店は盛岡の「ベル」なんだよ。メニューは普通のびくドンと同じなんだけど座敷の離れがあったりしてちょっと落ち着いた雰囲気が良かった。高校時代の部活の打ち上げにもよく使った。同級生のデートを目撃したりされたりしたのは淡い思い出だ。
ベルまで行くとすぐ岩手公園のお堀が見えてくる。現・盛岡城跡公園の名前の通りお城はない、石垣だけ。菜園のほうまで曲がっていき一際急な斜面を登って公園に入る。菜園という地名が好きだった。畑はなくて地元資本の百貨店がある。パン屋さんと親がお歳暮買うのに着いていったぐらいしかご縁はなかったけどたまにトイレは借りていた。無料のほう。
岩手公園の裏側っていうと失礼かもしれないけれど、まあ大通りと逆側にはベンチがいくつか設置されていて、脇を流れる中津川と対岸に構える岩手銀行本店の明治風建築をぼけっと眺めるのに良かった。中津川は常時川底の石が見えるくらいの清流で、冬には鮭が遡上する。それを地元のテレビ局や熊が追いかけにくる、のどかな町だ。初めて京都に行って鴨川を見たとき、「あ、盛岡だ」と思った。逆なのは分かっているけれど地元愛ということで許して頂きたい。ここもカップルが等間隔で並んでいることが多い。
盛岡は北上川と中津川と雫石川の間になんとか町を作ったようなところなので、少し歩けば必ず川に当たる。お気に入りの橋のひとつやふたつできるもので、私はやっぱり富士見橋、毘沙門橋、与の字橋の順で好きです。
バスセンターより向こうには友人の芝居を見るのに何度か足を運んだ。地下の小さなホールで間近に、でもいつもと違う友人達の姿に触れて、帰りのバスの中でもずっと別の世界から帰ってきた感覚が抜けなかったな。天満宮で願掛けし、急な石段を登って振り返れば真っ直ぐ長い道が町中まで続いているのを見通せた。
町のこちら側に寄ってくると青春の痛い部分が刺激されてきたのでもうそろそろ盛岡駅に戻る。でんでんむしバスで100円で着く。駅のドトールと西口のアイーナには受験勉強と称してよく入り浸った。贅沢でのんきな受験生だった。
長文許して下さい。吐き出したい。
部屋数も多い家なので自室のほかにも実質自室のように使っている部屋ばかり。
洋服や本、趣味のもの。習い事で使うもの。学校からのプリント類。積み上がる荷物。
家族も物が捨てられないタイプ。勿体ない、まだ使えると何でも取っておく。
家業で使うもの、貰うもの、無駄に広いスペースがあるので捨てずにしまう。庭に物置もあるのでそこにも詰め込む。
一度捨てたものを別の家族が勿体ないとごみ箱から拾ってくる。使いもしないのになぜか棚に並べる。
そうしているうちに私がオタクに目覚めた。結果、物の量が悪化した。
小中高、そして大人になってからも集めに集めたオタグッズ、CD、DVD。
その他にハマったバンドの関連物、雑誌、中高生女子が好きそうなファンシーグッズ、メモ帳・シール等の紙物類。
トレーディング系の物が特に厄介だった。欲しいものが出るまで買い続ける。今度はコンプ欲が湧いてくる。
収集癖は本当に恐ろしい。ジュースのおまけやら卵型のチョコやらどれだけ買ったことか…。
集めることが目的に変わり、CD、DVDは未開封のまま置きっぱなしの物が増えた。
数年前に多少は片づけたけど、まだまだ物が多すぎて棚に入らず床に置いてあるものがたくさんある。
未だに小学生の頃に買ったものが部屋の片隅から出てくるなんて本当に情けない…。
それでも物に対する執着心が凄くて、もったいないとか可愛いからとか何とか理由を付けては捨てることが出来ない。
興味が移った作品のものは処分すれば良いとは思っているのだけど、買い集めた時の値段を考えると捨てる気がおきない。
都会のようにオタグッズ買取出来るお店も無いし、ブームが去った作品は値も付かないだろうし。
何だかんだで好きな気持ちも残っているので手元に残したい欲が勝ってしまい、結果部屋の片隅で埃をかぶったままになっている。
自分の性格、考え方がネガティブで、それで日常生活が上手くいかない。毎日くよくよして泣いたりしている。
周りは10年も前に大人になって自立して、自分自身の未来を切り開いている。私は甘えて引きこもっている。
ちょっとばかり裕福な環境と、共依存気味な家族関係。周りと関わらず避け続けてきたせいで人との関わり方がとっても下手だ。
それから逃避するために物を積み上げて満足しているのかもしれない。好きなものに囲まれていれば少しは気が楽になるから。
でも急に寂しくなって辛くなって、そういった時にどれだけの金額、時間を無駄にしたのだろうと考える。
そういう時に集めた物が一気にいらないものに見えたり、自分自身の駄目なところを象徴するものに見えてきて、また落ち込むの繰り返し。
1週間ぐらい前からまた少しずつ片づけなくてはと紙袋3個分ぐらいのものは捨てた。
勿体ないという気持ちは出来るだけ忘れてごみ袋に詰めた。でも最初だけ。勿体ない、まだ使えるんじゃないかという考えが邪魔して
全然はかどらない。自分の計画では週末には部屋のものを半分以下に出来たら良いなと思っていたのに
半分どころか十分の一ぐらいにも満たないんじゃないかなといった状況。片づけの意識がすぐ違うものに飛んでしまって
気付いたら中途半端にしていたマンガを拾って読んだり今必要のないファイルの中身入れ替えをしてみたり。
体験談で良く断捨離したら何かと運が開けた、といった記事を良く見るので自分ももっと片付けしたい。
もちろん断捨離しただけで何でも上手くいくわけではないと分かってはいるけれど。
それでも少しだけでも執着心を消して、部屋をもっときれいにしたい。せめて誰かが入ってきても大丈夫なくらいに…。
執着心、収集癖、共依存…。自分自身が変わらないと何も好転しないと分かっていると言い訳しながら今日もだらだらと日々を過ごす。
週末には物を減らせているだろうか。勿体ないなんて言わず、オタグッズ捨てられるだろうか。
欲しい人に譲れたらいいのにな。日本に1人ぐらいは欲しい人居るんじゃないか。未使用だよ。
片づけ、頑張ります。
雇用契約書の契約通りの仕事はさせてくれない、面接時と資格に関する話が違う、上司によるパワハラ(半年ほど前にひょんなことから和解)、パートBBAによるマタハラetc
なんだかんだ雰囲気に流されて退職日には大泣きしたけど、思い返せば嫌なことの方が多かった気もする。
辞めた原因は「雇用契約書通りの仕事をさせてもらえなかったため」だけど音声録音も書面も残してないし、
いままでずっと心のどこかで憧れてた仕事についたのに幻滅してしまって、次の就職先を見つけようにも業界からして迷ってる。
「完全週休二日で給料安くて仕事が楽か、給料高くて仕事がハードかのどちらかで、有給がここぞというときに取れればいい」って言ったら
「そんな仕事公務員しかない」と言われたためとりあえず受けてみる。
が、大学時代の教科書やプリントはほとんど友達に捨てられてしまったため、勉強しようにもどうしたもんか、って感じ
院卒の恋人がいるが、
「もしも自分が大学受験で二浪しなかったら、地方国公立大を出て院には行かずにそこそこのところに就職してた」
なんて言われて、ストレートに地方国公立大を卒業して就活失敗して、大学院に行くも一年で中退してフリーターの後就職したところは一年で辞める、なんていう自分には耳が痛かった。
前の会社(笑)にも専門職で入社し、専門的なことをやらせてもらえなかったからリベンジだ。
ただ、その専門職とこれから受ける専門職は専門分野がまるで違うからどうなるかなって。
当時のテキストも捨てられた。八方ふさがりな気分だ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/medium.com/mediumjp/2b0da4969e65
だいたいはここらへんのコメント
id:koiz アメリカでは、光を思いっきり入れたクリエイティブが求められることが多い(特に西海岸だし、スイムウェアは)。自分のセンスで左の方がいい!この写真家はクソ!ってなる人がrawデータを貰いたがるタイプなのだと予想
id:Memeo このレタッチ写真屋が勝手にやったんじゃなくて用途やデザイン案に従って仕上げたもんなんじゃない?/ カレー作って今からルー入れようって時に「もうそれでいいから食わせろ」と言われても困るだろう。
で言い表されてると思ったんだけど、スターを集めてるブコメでは誤解が解けてないようなので。
まず、カメラマンの仕事を理解していないひとが多い。カメラマンは写真家と違って、クライアントの要求にあった写真を撮るのが仕事なんだよね。「フレアがわざとらしい」とか「レタッチ前の写真のほうが好き」と言っている人は、カメラマンじゃなくてクライアントのセンスに文句をつけている。
次に、本文でも親切に「レタッチを前提として撮っている」と書いてあるように、レタッチは下手な写真をごまかす手段としてではなく、クライアントの望む理想的な写真を作り出す手段として使っている。「RAW現像を前提としてあえて暗めに撮っておき、現像時に明るくすることで暗部の階調を残す」というようなテクニックは常套手段。なのでレタッチ前の写真が下手という指摘は外れているし、そういう誤解があるからこそ元データを納品したくないんだよ。
元記事はカメラマンの立場からRAWデータを渡せない理由を説明し、それでもクライアントの不利益が少ないことを説明して理解を求める内容。「RAWデータは作りかけのもの。自分の名前で世に出したくはない」「そのことでクライアントに不利益が生じないようきっちりと仕事をしているので、理解してほしい」「しかしカメラマン側も事前に契約を詰めるなどの取り組みは必要」という流れ。その流れを踏まえてブコメを読むと、とんちんかんなブコメがかなり多いことがわかる。
いわゆる写真の加工に対して、アレルギーを持った人が多いんだろうなと再認識させられた。身の回りにある写真はほとんどが加工済みだし、iPhoneで撮った写真でさえ元から強烈な補正がかかってる。ここまで写真が身近になった今だからこそ、写真の現像やレタッチについてカメラマンからも発信していかなければならないと思った。
id:toksato 結局なんでレタッチ前の写真を渡さないのかよくわからなかった。
本文中に"レタッチが終わるまでは、自信を持って「自分の作品です」とクレジットを付ける気にはなりません。"って書いてある。
ただ、元記事は「レタッチ前データを渡したくない理由」「レタッチ前データを渡す必要が無い理由」「同業カメラマンへの提言」がまぜこぜに書かれていて、主旨が読み取りづらいとは思う。
id:Akamemori お前それフィルムカメラでも同じ事言えんの?
ブコメで多数指摘されてるけど、銀塩時代も加工の技術はあった。現像やプリントの段階で、色味やコントラスト、シャープネス、粒状性は変えられるし、覆い焼きで部分的な明るさを変えることもできる。デジタルで幅が広がったのは確かだけど。
id:atoh 契約時にきちんと詰めろってだけの話だった。
id:aromabird 契約次第としか。中間制作物も納品義務のある契約なら納めるし、無ければしない。別料金。ただそれだけ。
本文で"撮影の前には、契約が成立しています。""これは、プロのカメラマンである以上、事前にしっかりと内容を詰める責任があります。"ときっちり書いてある。このコメントに星が集まってるのが理解不能なんだけど、みんな本文最後まで読んでないの?
id:nasuhiko レタッチっていうかほぼRAW現像の話だろこれ。翻訳者がわかってないのか、それらも含めて原文がレタッチって言ってるのか。プロでさえ1枚のベストショットの背後に何十何百という失敗ショットがあるのは同意。
海外の"retouch"は現像も含めた写真の加工全体を指す。"no retouching"なら、撮影後いっさい手を加えていない写真のこと。
id:kazoo_oo 追記でぐだぐだと契約だなんだ言い訳してるけど、前段ではそのrawファイルが自分より優れた現像者に出会う可能性を潰すことの理由を説明できてないよね。 </bockquote>
これは文章の読み取り方の問題。自分よりも優れた現像者に出会う可能性は潰しきれないが、カメラマン側の能力で相当小さくしている。カメラマンの被る不利益との天秤で、原則RAWデータを渡すことはできない。ただし信頼関係や契約次第で対応することはできるというのが本文の論。
IT業界でクライアントが「あとで使うから作ったソースコードや旧バージョン全部ちょうだい」って言ったら普通に断られると思うんだけど、それと同じ話。
id:jassmaz jpegだけ送られてきたらキレるわ。rawファイルもいらない。psd + pngを送るのが常識では?
psd+pngが常識というのには同意。その上で、クライアントが求めるものはまちまちなので、契約をしっかり詰めておきましょうというのが本文の内容。
id:oscdis765 これ右がレタッチ後なんだよね?左のが良いのが沢山あるんだけど
id:mfigure 上手けりゃ、原版渡せとは言われないでしょ。加工後の方が上手いといえない写真が多いんだけど、よく言うわ。
id:kantei3 思いあがっている。あと、左の方が良い写真が多いので、都合のよい例すら選べない低能なんだな、と。
id:paradisemaker いやー、商売が成立してるんならいいけど、元々のカメラの腕が良くないし、レタッチもそれほど上手くない。デジタル時代のカメラマンって感じだなぁ。
この手のコメントが多いのが本当に悲惨。使用イメージが頭にあるクライアントがカメラマンと話しながら詰めた結果、右みたいなタイプの写真が希望にあったというだけ。あなたたちがどっちがいいと思おうがまったく関係ない。仕事で右みたいな写真が好まれがちだからこそ、private workもそういう味付けにしてポートフォリオとして公開しているんだろう。
「デジタル時代のカメラマン」ってのがよくわからない。フイルム時代、大多数の人が見ていた写真は加工の入ったプリントと、よくて現像済みのネガぐらいで、RAWデータに相当する未現像ネガは見られなかったはずなんだけども。
id:zheyang う~ん、今でも撮影時に設定を絞り込んで、レタッチを最小限にしてる人もいるんじゃないか?/作例のレタッチ(フレア)がわざとらしくてCGくさい。この人の写真家としての腕がちょっと怪しい。
写真家とカメラマンは違う。「写真道」でも極めるならともかく、クライアントの希望に適う写真を納品するという立場において、レタッチを忌避する理由はどこにもない。最高の成果物を納品するためには、「撮影時に設定を絞り込んでレタッチを最小限にする」より「撮影時に設定を絞り込んだうえでレタッチで仕上げる」のほうが良いというだけ。フレアがわざとらしいとか、クライアントに言うべき。
id:xevra くだらんこだわりだ。写真家とカメラマンは違う、カメラマンならとっとと出せ。単に現像スキルに自信がないってだけなんじゃないの? 面倒臭い奴に発注するのはやめたい。
5000枚の未選別データを欲しいならそうするけど、それには相互の信頼関係が必要だし、契約段階から要求しておいてほしいという話。
id:aceraceae いらないとこ白飛びさせるの好きな人なんだなってことがわかった。
この人の好みもあるかもしれないが、クライアントの希望にもあっているからこそそれで納品されたんよ。あと向こうの雑誌や広告をちょっと見ればわかるけど、こういう派手でやり過ぎっぽい写真はかなり好まれてる。
びっくりするほど人の話を聞いてないというか、真面目に聞いてはいるんだけど理解できてないというか
同じ文章を読んだはずなのに、「うんうん、わかった」って言いながら、
全然間違った感じで理解をしてて、驚くほどトンチンカンなことを言い出したり
学校で配られたプリントの内容をみんなで確認したり、教師のアナウンスを聞いて、
その直後に話をしても、○日に何を持ってこいとか、○○をしてから△△をする、みたいなことが丸っきり間違ってるとか
やたらと話の中で示された手順の順序とかポイントとかをすっ飛ばす人が学生の頃、結構な割合で周りにいた
別に成績が目立って悪いわけじゃない子でも結構いて、あとから「こうだよな?」って確認してこられたときに、
こちらが「えっ、嘘?違うよ?えっ、自信なくなってきた……」ってなりがちなので結構困る
たとえば「A組は右の扉から、B組は左の扉から、C組とD組は後ろの扉から退出してください。それでは移動お願いします」みたいなアナウンスを聞いて
「えっ、C組はどうしたらいいの!?」
「あれ?前からって言ってなかった?」
「後ろはD組だから後ろじゃないのは確かだ」
「いやC組の指示なかったって!ちょっと聞いてくる!(怒)」
いやいやいや違うじゃんお前ら、今「CとDは後ろから」って言ってたじゃんって思うんだけど、
「嘘だ言ってない、言ってたとしたら言い方かマイクが悪い」とか言い出す
周りに合わせとけばいいやってハナから聞いてないってわけでもないっぽいのに内容が頭に入ってない
このタイプの人は大体みんな揃って「アナウンスする側が悪い」って反応をするのも興味深い
学生の間はずっと周囲に何割かそういう人たちがいたけど、就職した途端ピタっと周りから消えた
言ったことや連絡事項をその通りにスムーズに理解してくれる人ばかりという環境にかなり感動したのだけれど、
それでも、仕事以外で偶然接する人にはまだ時折そういった人はいるので、どうもたまたま今は周りにいないだけで、
そういった人たちは年齢関係なくそんな調子のまま世の中で生きて行っているのかもしれない
事実に対する認識があんなに曖昧なままでもなんとかなるんだなー(多分細かい不利益とか無駄とかはたくさんある)とか、
自分で言ってることが順序とかおかしくてあからさまにチグハグになってるのに気づかないのかなーとか思うんだけど、自分が細かいことを気にしすぎなのかなあ?
周りにこういう人、いませんか?
学校編
・明らかな教師の勘違いでいわれのない叱責や体罰を受けて、その場に40人近くいるのに誰も一切反論しないどころか、涙ぐんでごめんなさいとか呟いてる同級生たち
・上記のようなことが何度かあって我慢できなくなって反論したら、主張が正しいかどうかは関係なく「教師に反抗した」という部分を問題視されて親まで呼び出されたこと
・そのことが「あの家の子はとんでもない不良」「都会ではプチスケバングループを3つ率いていた」(どんな小3だよ)という形で村中に広まっていたこと
・熱で2日学校を休んだら、「休んでた」とだけ子供から聞いた親の間で「村内初の不登校児現る!」というゴシップになっていたこと
・いじめをなくすためにあだ名を禁止し、男女差も無くすため「(苗字)さん」と呼ぶことを強制する教師、しかし田舎なので増田(仮)と田中(仮)と鈴木(仮)が5人ずつぐらいクラスにいる
・部活で問題が起こったりするとみんなで謝罪しに行くが、その際に「お前らの誠意を見せろ」「本気具合を見せろ」と言われてみんなで正座→土下座するのがお決まりのコースという気持ち悪さ
・外走ってこい、床に正座させる、平手、突き飛ばし、耳掴み、髪掴み、胸倉掴み、吊り上げ、つねり、投げ、小キックまではセーフ(Not体罰)という認識の教師が多かったこと
・「目が気に入らない」というヤンキーみたいな理由で生徒指導室に連行されたこと
・連行された生徒指導室で「今日はお前が泣くまで帰さん」という謎の基準で1対3でプレッシャーをかけられたこと
・結局泣かないまま18時を過ぎたら親まで呼び出されて、親が教師からボロクソに言われて、それを見て泣いてしまったこと
・物事がなぜそうなったのか、背景や理由をちゃんと説明してくれる貴重な教師の、生徒・保護者からの人気が
「理屈っぽい」「何を言ってるかわからない」「外人と繋がりがあるらしくて怖い(英語教師)」という理由で異様に低くて、担任交代まで追い込まれたこと
村編
・最寄駅(徒歩1時間~)
・子供だけで行動が許されてる範囲にコンビニはもちろんスーパーも駄菓子屋も図書館も本屋も文房具屋もないこと
・子供会という自動的かつ強制的に「参加することになっていた」謎の組織
・一言もやるともやりたいとも言ってないのに問答無用でやらされる子供会スポーツ
・酔っ払いのおっさんたちに担がれてガッサガッサ縦に振られまくる神輿の中で、太鼓を叩きながらよくわからない唄を絶叫させられつつ村内を練り歩くお祭り
・女だから○○、男だから○○、子供だから○○といった考え方が明らかに都市部より強く、それをかなり押し付けられること
・電話をかけてきた相手に「どちらさまですか」と聞いても「ワシやけど!」「ワシじゃ!」「ワシや!(怒)」としか言わず全然名乗らないこと(最近はオレオレ詐欺が流行ってちょっと減った)
・自宅の出入りがごく自然にウォッチされていること、訪問頻度から恋人ができたとかできそうとかも全部把握されていること
・玄関→納屋→裏口と回ったがすべて施錠されていたので、仕方なく雨戸と縁側の戸(鍵が壊れてる箇所がある)を強引に開けてキュウリを届けに侵入してくる近所の人
・勝手に入ってきたお坊さんが勝手に仏壇にお経を唱えて勝手に帰っていくこと、シャワー浴びてる間にいつの間にか来て、いつの間にか去ってた
・昔の人基準で作られた異様に低いつくりの台所
・町長が自分の会社に請け負わせて謎のでかい建物を建てていた、子供が見てもわかるぐらい利権ずぶずぶっぽい構図
・持ってる土地とその家の発言力が大体一致してて、子供までその感覚が自然と染みついていること
・分家のくせに本家の子より成績がいいから生意気とか、そういうことを本気で言っちゃう人が結構いること
・ビールを飲んだ後、最後に日本酒を飲んだから酔いがさめてセーフという頭のおかしい理論で車を運転するクズが一定数生息していたこと
・下衆かったり下卑てたりするおっさん・じーさんの比率がとてもとても高く、中学生以上の女性がセクハラの嵐に遭うこと
公民館で何かの炊き出しの手伝いに来てた大学生のおねーさんに近づいてきて
「○○ちゃんか?おほー、大きなったなー!どれ、三千円でどや?アカンか?ガッハッハ!!」と言いながら
肩から尻まで背中を撫でまわして嵐のように去って行ったおっさんが自分の中でワースト1
・家がボロくて台風が来る度に屋根が飛ばないか本気で心配すること
・下水道はきたけどリフォームするお金がなくてまだ水洗トイレがないこと
・若い女が乗る場合、軽自動車のフロントガラスの根本にフワフワのファーを敷きつめておかないと「ババくさい」とバカにされること
・うちに来るツバメがもう何年も連続でヘビにタマゴやヒナをやられていること
・家の周りの草引きから戻ってきたら、換気の為に開けていた裏口からキッチンに入ってきたシカがなにかをモシャモシャしていたこと
・夜中に薄い壁一枚隔てた場所から聞こえる「フゴッ……ブヒッ……」というイノシシの息遣いで起きること
・1シーズンに2回くらい入浴中にムカデが天井から降ってくること
嫌なことばかりじゃ流石にアレだから、田舎で良かったことも書く
・何と言っても自然が豊富、裏を返せば虫とかもかなり多いけど個人的には割と平気なのでメリット寄り
・夜空とか綺麗、星が多すぎて星座を探すしょうもない課題が高難度クエスト化する
・水はおいしい
・米とか野菜が大体タダでもらえるし、受け取るとありがたがられたりする
・空気が綺麗、というか車通りの多い街に行くとすぐ喉が痛くなる
・体操服(小中)→制服(高)→野良着 が標準なのでオシャレとかしてなくても誰も気にしない、プリントTシャツでハイカラって言われるレベル
GU(遠い街にある)がユニクロ(隣町にある)より上位ブランドっていう扱いなのでチョロい
・シカはよく見るとかわいい
・外からはあまり村の中の様子がわからないので、雪がちょっと降った日に家の周りで割と積もったことにしてゆっくり会社や学校に行っても隣町の人に信じてもらえる
・自分ちが持ってる山でマツタケが採れるらしい(食べたことない)
・川でよくわからない魚とか獲って遊べる、カメはいるけどスッポンがいないのが悔やまれる
・水がおいしい
・村内の噂になり尽くしておくと、何をやってても話題として面白味がなくなるらしく、
後はウォッチはされるけど放っておいてもらえるので、2○歳の私が笹船流して併走しながら「いけーソニックー!」とかキャッキャ言ってても全然ヨユー、大丈夫
・カマとかナタとか小刀とか持って歩いてても放置されるぐらい平和、ハサミも持ち歩けないシティとは大違い
・ジジババのネットワークでGPSばりの精度で村人の居所が割れるから、誰かに用事があるときは便利
・自宅なのにまだあまりあさったことがない領域が結構残っていて、暇なときに探検ができる、古い茶碗とか謎の農具の残骸とか黄ばんだ書類とか出てきて鑑定団ごっこするのが楽しい
多分この集落も、もう20年もすればかなり滅びに近づいているだろうなーと思うし、自分もいつまでここにいるかわからないけど、
好奇の視線を耐えきった結果今はそこそこ居心地もいいので、もうしばらくはこのままかなー。