はてなキーワード: ブラウン管とは
ロボットの犬でもサポート切れという形で結局普通の犬同様に寿命があるっていうのはな。
ロボットも生き物同様に怪我するし、死んでしまうってことなんだろう。
メーカーがサポートを終了してしまえば修理できなくなって壊れた時点で買い換えるしかない。
買い換えたら次世代のHDDレコーダーや液晶テレビなってしまう。
前より便利になるから不満を抱く人は少ないのだろうけれど。液晶の高輝度はブラウン管世代にとってちょっと目に痛い。
少なくとも電化製品というのは自分がおもってるよりも選べる幅って少ないのだとしみじみ思うのであった。
追記:ぐぐったらいろいろでてきた
AIBO、君を死なせない | AERA | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
【AIBO】製造元に捨てられたロボット犬「AIBO」…飼い主たちの思い受け止め、徒手空拳で“治療”にあたる元エンジニア集団の「使命感」(1/6ページ) - 産経ニュース
元日本マイクロソフトの古川享さんブログより。このブログかなり前から消えてるんだけど、復活の目処は無いのだろうか
http://furukawablog.spaces.live.com/blog/cns!156823E649BD3714!4256.entry
https://web.archive.org/web/20061105065656/http://furukawablog.spaces.live.com/blog/cns!156823E649BD3714!4256.entry
さて、この話をいつかはちゃんと記述しておかねばと常々思っていたのですが、それに取り掛かろうと思うと胸の古傷が疼くというか、平常心を保って書こうと思ってもキーボードを叩く手に自然と汗が滲んでくるのです。しっかり深呼吸をして、書きます。(またまた長文にて、失礼)
まず、1999年5月24日発表の郵政省資料「地上デジタルTV放送方式について電気通信技術審議会から答申」に記述のある以下の文章をご査読ください;
「また、昨年9月の暫定方式や既に答申がなされているBSデジタル放送方式、CSデジタル放送方式の技術的条件において、実証実験を必要とする映像の表示方法とされていた720p(有効走査線数720本の順次走査による映像表示方法)について実験を行った結果、その性能が確認されたこと等が併せて報告されました。 この中で、720pは技術的にHDTV放送と位置付けることが可能である、と結論付けられています。」(同上答申より引用)
関連記事は、日経産業新聞(1999年5月25日PP.3)、日本経済新聞(1999年5月25日PP.11)、電波新聞(1999年5月26日PP.2)などにも掲載されています。
今となっては、720pや1080pのプログレッシブ方式はプラズマや液晶テレビとの親和性、映画やCGなどの映像制作に有利なバリアブル・ピッチによる撮影、パソコンによる編集や再生環境においてその優位性を疑う人は居ないと思うのですが...1998年からこの1999年5月24日までの間、この720pを日本の放送業界から抹殺しようとする「ありとあらゆる活動を展開した集団」がおり、その軋轢の中で多くの人が傷付き市場から去ることになったのでした。
私個人の主張、そしてマイクロソフトの立場は、1080iと720pどちらが良いか、どちらかひとつを採択するかではなく、仕様の中に1080iと720pを併記して頂きたいというものでした。 米国の放送方式はATSCによるHD放送に向けた放送の標準フォーマットとして早くから1080i、720p、480p、480iが規定されていました。50年以上前に発明されたテレビ放送が米国に合わせてNTSC方式を日本は採用し、ヨーロッパ・中国・ロシアなどがPAL方式を採用してきた背景からすれば、日米のテレビ方式がデジタル・ハイビジョン(HD放送)の時代になっても米国と同様の1080i及び720pを両方サポートするということは自然なことと思われました。日米間の互換性だけではなく、当時よりブラウン管チューブを使った重たいテレビ受像機は、急激な勢いでプラズマTVや液晶テレビに取って変わることは明らかであり、走査線が走り一本ずつの光るスダレを交互に表示して人間の眼の残像を利用してひとつの映像に重ね合わせるという飛び越し走査よりは、一つ一つのセルが自ら発光する、もしくは遮光をオン・オフして光源を反射もしくは直視し映像を表現するフラットパネルの時代には、プログレッシブ(順次)方式が有利と思われました。さらに、映像圧縮に採用されたMPEG2方式においては、1080iは22Mbpsでは最高品質の映像を表示するも、その転送レートを15Mbps以下まで落としてくると映像が破綻するという現象も既知のことでした。720pはMPEG2による映像圧縮でも15Mbpsでほぼ最高品質を達成し,12Mbpsでもほぼ実用の域を保ち、さらにMPEG2以外の圧縮方式MPEG4、H.264、WMV(現在のVC1)などを使えば8Mbpsから12MbpsでHD放送を伝送できるというのが、私たちの主張でした。
当時の私の主張をまとめると、「HD放送は1080iもしくは720pいずれでも撮影、記録、編集、伝送、受信、視聴できることとする。映像圧縮に関してはMPEG2に限らず、将来の斬新な圧縮技術を随時採択できることにする。コンテンツ保護技術や、個人の認証、課金技術は特定技術一つに限らず、複数の技術をそれぞれもしくは組み合わせて提供可能とする。放送と通信の融合(連携)サービスを記述するメタ言語はHTMLをベースに各種プラグインそしてXMLに対応する。XHTMLをベースにしたBMLはそのサブセットとして組み込む。」
それに対して、1080i擁護派は、「1080iが優れた方式で、議論の余地は無い、プログレッシブの話をするなら帰れ!!」(実際に砧の某研究所で当時の所長に言われた言葉ですが...今の所長さん(E並氏)はとても紳士ですので、私は尊敬しております。決して誤解のないように)郵政省の会合でも何度となく放送のプロ達に諭(さと)されたものです。「君はPC業界に都合の良い方向へ持っていこうとしてるんでしょ」「崇高な放送の世界を邪悪な世界に引き込もうとしている」と..多くの人が同席する会議の場で私は名指しで糾弾されたものです。
将来のデジタル放送の規格に720pは絶対入れないという強い意思とあらゆる活動は「1080iと720pを併記したらどうか」と主張する陣営を徹底的に痛めつけました。
当時、松下電器産業殿は720pの優位性を説きながらDVC Proをレリースされ、1080iと720pの両用機能を持った松下電器産業のHD D5という放送局用ビデオデッキは、AJ-HD2700やAJ-HD3700という型番で欧米の放送局でも沢山採用され、放送業界の権威あるエミー賞をDVC ProもHD D5も受賞されています。このD5というビデオデッキはNHK殿に納入する時、720pの機能が付いているなんてことがバレると殺されるので、本体に点在するボタンを11個以上押さないと、(つまり二人の人間の指を駆使してボタンを押さないと720pの機能はアクティブにならないように細工がしてあったそうです。)..まるで隠れキリシタンが隠し絵にキリスト像を描いていたような話でありますが..この類(たぐい)のプレッシャは日々激しいものになってきて、魔女狩りに駆り出された狂信的な信者が、誰彼となく次々と火あぶりに挙げるような行為が続いたのです。
480pと720pの実験放送をやっていた日本テレビのSさんとKさんの受けた仕打ちは、某放送局のEB沢さんから直接日テレ社長のUJ家氏に電話をかけてこられて、「お宅の技術のトップの人間は、ウチに対抗して何かやっているようだけど、けしからん話だ。そんなことではデジタル・ハイビジョンの映像をウチから供給できなくなるけれど、それでも良いのかねぇ」と迫ったそうです。その結果Sさん、Kさんは当然将来取締役が約束されてもおかしくない何十年にも渡る業界に対する貢献がありながらいつのまにか表街道を去ってしまうことになりました。
テレビ朝日殿が新しいスタジオを作るにあたり、1080i/720pの両用ビデオ・スイッチャーを東芝から導入された時、某放送局のキツイお達しがテレ朝と東芝に飛び、720pの機能は殺して納入するようにとの指示が飛んだそうです。そして、BS-iのスタジオ導入で,1080iのカメラと720pのカメラを性能評価したという話を聞きつけて、「まさか720pのカメラを導入するなんてことはありませんね?」という問い合わせが某局から入ったそうです。
TBS殿も全く同様にメインスタジオへのHD機材導入にあたって1080iと720pの両用システムの導入計画は純粋な技術的観点の選択肢だけではなく、それ以外の見えない力に奔走されておられました。「魂の報道」を標榜するTBS殿の報道部門が、DVC Pro 720pを採択されたことが、唯一の救いと感じられました。
NAB98の会場にて明日から開場というまさに前日のこと、某放送局のY氏、会場を事前に巡回されJVC殿の会場にて1080iと720pの両用カメラを発見、JVC殿に対して「好ましくない表示は控えるようにと一括」結果としてNAB98の初日には無残にも綺麗にできた展示パネルの1080i/720pの文字列の720pの部分にはガムテープが張ってありました。
毎週のようにこのような話を耳にするにつけ、これは魔女狩りでも特高警察の検閲でもあるまいに…現代の話なのに本当にそんなことが起っているのだろうかと自分の耳を疑っていました。そしてそれが、とうとう我が身にも降りかかったのでした。
1998年のNABショウでマイクロソフトは初めて放送関連のコンベンションで技術展示をすることになりました(関連記事)。松下殿より当時500万円程したHD D5デッキをマイクロソフトは購入し、1080iと720pの映像を左右1対で比較デモ表示し、どのように優位性が表示されるか比較デモを予定していました。1080iの標準的な撮影は1440x1150の1080i標準ビデオカメラによる撮影結果を1920x1080の映像に計算しなおし(アップスケール)、それをスダレのような偶数・奇数のフィールドに振り分け送出するという方式を取っていました(現在のデジタル・ハイビジョン放送の標準撮影方法です。)。そして同じ映像を1280x720の720p標準カメラで撮影しD5デッキに録画した映像をそのまま720pで再生するというデモ内容でした。映像の再生には当時の最高品質のCRTスタジオ・モニター(8000ドルクラスのSONY製品を2台)をマイクロソフトの展示会場に用意しておりました。比較展示用デモ映像は同じスタジオ環境で撮影した1080iと720pのそれぞれの映像データをお持ちの松下電器産業殿からD5の録画テープをお借りして、初日のデモへ向けて全ての設営と映像チェックが終わった時のことです。某放送局の方が、マイクロソフトのブースを垣間見るや、とても渋い顔をしておられます。
私は夕方の6時過ぎに会場の設営も終わり、ホテルに戻ろうとしていたところ、松下殿から緊急の連絡が入り、展示に使っていたビデオテープを持って松下殿の技術担当役員のホテルの部屋まで来て欲しいとのこと..部屋に入るとその役員さんは、ベッドの上にあぐらをかいて、その両脇には15人を超そうという松下の方々が壁沿いに2列にずらりと並んで座っているではないですか..その姿はまるで、新入りの囚人(私)が牢名主の親分に「今日からお世話になります」と仁義を切るのかい、というような雰囲気でありました。
そしてその親分さんが言うには、「そのテープ黙って置いて、帰ってくれ」とのこと..「冗談じゃない、そんなことしたら明日の展示は何も映像が表示できないではないですか?何故そんな唐突な話をこの期に及んでされるのですか」と問いただしたところ、松下がマイクロソフトに協力して720pを推進するのはけしからんと、某放送局からお叱りを受けたと..それだけでも絶句の出来事なのに…「とにかく松下から映像を貸し出すなどとんでもない..即効撤収してくるように」との具体的な命令を受け私は必至に食い下がり、「その映像作品は全て松下殿の著作物であり、某放送局に文句を言われる筋のモノでは無いはずです。それを何故ゆえに引き上げなければならないのですか?」と伺えば..「その中のヨーロッパのお城のシーンはARIB加盟各社がテスト映像として皆で利用するために松下が供出したもので、そのテスト映像をARIBの会員でもないマイクロソフトが勝手に使うのは如何なものか?」とのこと..私はさらに一歩も引かず交渉を続け…もしそれが現実になるのなら「明日の朝は急遽説明のパネルを書いて、某放送局の名前を実名で明らかにした上で、この名前の会社の不当な介入でマイクロソフトでは展示ができなくなりました」と張り出しますよとまで迫りましたが担当役員は首を立てに振りません。最期に私は「判りましたこのテープはここに置いて行きますが、夜中に誰かに盗まれたということにして私が犯人になりますから..盗難届けを出してください!!それでは如何でしょうか?」と交渉は3時間を越える押し問答となりました。
その結果最後に明らかにされた背景は、某放送局の方から松下の役員に語られた厳しい言葉でした。それは、「君、僕らは今年50億円くらい君の会社からモノ買う予定だよねぇ、そんな態度でいると、50億円のビジネス失うことになるよ、君ぃ!! それでも良いのだね!!!」というもので、担当役員は縮み上がってしまったのだそうです。技術担当の役員がマイクロソフトの展示に協力をした結果、50億円のビジネスを失うことになったら営業担当の役員との軋轢を生むことは必至であり、そこまでのリスクを負ってまでビデオテープをマイクロソフトに貸し出すわけにはいかないとの判断、私はビジネスの交渉でこんなに困り果てたことは一生に何度も無いというぐらい意気消沈しきっておりました。
夜10時にならんとするタイミングで、日本からシアトル経由でラスベガスに到着後、時差から回復する間も無く会場の設営を手伝っていた私はもうダウン寸前…そこで思いついた解決策は「判りました、このテープはお返ししましょう。その代わり今から新規に撮影を開始しますから、必要な機材と人を朝まで貸してください」と何とも無謀な提案を申し出たのでした。 NABのメイン会場からマイクロソフトの借りていたヒルトンホテルの部屋まで、HDカメラ(当時は100kg以上あったと思います)とD5のデッキを担いで深夜に部屋へ持ち込みスイッチャーや編集機もないままイッパツ撮りでデモ映像を仕上げなければなりません。私はそれまでにいくつかの放送スタジオに見学に行ったことはあるものの、映像プロデュースも撮影も全くのシロウトですので、カメラのライティング、撮影のオペレーションに付き合ってくれる人たち3人ほどに朝まで付き合ってもらいました。
途方に暮れて困ったことは、深夜の12時にラスベガスのホテルで撮影できる生素材など有りはしないのです。それも著作権、肖像権を侵害せず、HD映像の違いが際立って表現できる素材、なおかつ1080iより720pの方が綺麗に見えるという素材(多くは、風にそよぐ木々とか波打つ水面、キックされたサッカーボールなんてものが使われるのですが..残された時間に日中でロケハンに出かけることもできず、全てはラスベガス・ヒルトンの部屋で深夜、朝までの6時間以内に解決しなければなりません。
まず、深夜のルームサービスで果物の盛り込みを頼みました。そしてその果物の表面に霧を吹いて光るリンゴの表面に張り付く水滴なんてものを撮影しました。本格的なスタジオと違って光の回り方も映像のモニタを視ても、思ったような映像にはなりません。
夜も更けて3時を廻り4時にならんとした頃でしょうか、雑誌のカラーグラビアをメクりながら、この際著作権の許諾を無視して雑誌に写っている写真を撮影してしまおうか?こんな深夜にマトモに著作権の許諾などできる素材など有りはしないし、と途方に暮れていたところ、あるアイディアが湧き出てきました。「そうだ、ドル紙幣を撮影すれば手彫りのエッチングで表現された人間の顔やお札の文様はHD撮影すればビックリするほど細かい映像として撮影対象になるに違いない、誰でもそのパターンが何か理解できるはずだし、何よりもお札の縦横無尽に走っているストライプが際立って720pと1080iの違いを引き立ててくれるに違いない」と確信するに至ったのです。ドル紙幣をビデオ撮影しても肖像権や著作権を主張する人もあるまい、という点が一番大事なポイントだったのです。
壁に貼り付けた50ドル札(私の持っていたピン札はそれしかなかったので)にバッチリとライティングを施し、撮影した結果は「キタ、キタ、キターッ」という感じ!!カメラをパンして右へ左へ振りながらお札の表面を舐めるように撮影した720pの映像は細かい線の1本1本を明確に表示して、1080iの映像は実に見事にモアレ縞が出まくり画面にチリチリと汚い映像が糸を引きます。これでこの映像をそれぞれディスプレィに表示した上で、 Permalink | 記事への反応(0) | 11:32
何週目の議論かっつう話だけれど、改めて思う。インターネットは革命的技術だ。
90年代半ば、大学の電算室で初めてインターネットを知ったときの衝撃は今もはっきりと思い出せる。あの日あの時あの場所で、自分は将来この道に進むのだ、と、夢でも希望でもない、漠然とした確信があったのを覚えている。デジタルと言えばゲームだけ、キーボードなんて触ったこともなかったのに。この時、さして大きくもないただのブラウン管に表示された文字に、興奮で背筋が震えた。文字通り背筋が震える経験をしたのはこの時が最後じゃないか。
その原体験があって、かれこれ 15 年以上ずっと Web の世界で仕事を続けている。インターネットが本格的に普及していく真っ盛り、その中に身を置けたことは幸せだった。きっと爺さんになって、歴史の語り部的な感じで色々しゃべりたくなるんじゃないかな。
産業革命当時、技術者としてまさにその中で技術を牽引していた人達の中は、きっと同じような高揚感をもった人もいたんじゃないか、と、ふと歴史にも思いを寄せる。
毛糸のマフラーを巻いて道を歩いていると、まるで恋人がうしろから抱きついてくる感覚で、首がくすぐったい。「ふふ、あたたかいでしょ」「うん、あたたかいね」と脳内妄想で甘いデートに興じ、ふと笑みがこぼれてしまう。私は人目をはばからず、ニヤリニヤリと歩いていた。通行人たちがギョッとした顔を向けてくる。私のような冴えない男が、行き交う人々から注目を集めてしまうのはいささか恥ずかしく、彼女化したマフラーが「ね、家に帰ろ? ふたりきりで、ね?」と急かしてくる。
よし、家に帰るか。しかし私は玄関口でマフラーを投げ捨てて、ベッドにジャンピング土下座して《抱きまくら》に強くハグするのだった。マフラーが悲しそうに悲鳴を上げて廊下にへたり込む。私もつくづく罪な男だと思った。モテる男は辛いのだ。
スーツも脱がず、私は灼眼のシャナの抱きまくらを抱きしめた。シャナは照れるように「くぎゅう」と鳴いた。カバーはAmazonで 22,000円で買った。シャナは小説も全巻読んだし、アニメのDVDもフルコンプした。(アニメ版まさか完結まで見れるとは思わず、5年待ったかいがあった。人生長生きするものである)でもコミックは持っていない。
ところで、私は子供の頃から、あのモサモサして食べにくいメロンパンが大嫌いだったのだが、シャナと出会ってから人生が変わった。今では毎朝メロンパン。カリカリとモフモフを食す、至福のひととき。メロンパンを頬張るとき、私はいつもシャナの笑顔を思い浮かべている。それが仕事の活力になるのだった。はてなブログで「人生を変えた一冊は?」みたいなお題があったが、私にとっては間違いなく灼眼のシャナである。おかげで私は今この時を死なずに生きている。(しかし今週のお題は何だ? 「結婚を決めた理由?」 おのれはてな、絶対に許さない)
シャナに「今日も可愛いよ」と語りかけると「うるさいうるさいうるさい」と怒られた。いやよく考えれば抱きまくらはシャナではないし、抱きまくらはしゃべらない。ここは無何有鏡の向こうにある偽りの世界なのだ。本物のシャナは、今頃坂井悠二とイチャラブしているのだろう。心の底を冷たい風が吹き抜けて、私はますます枕を強く抱いた。ずっとこうしていると、私が抱いているのか、私が抱かれているのか、わからなくなる。でもそれは、私が子供の頃からずっと夢見ていた、幸せのひとつの形なのだった。
そろそろ本題に入るとすると、私は「抱きまくら」の本質はどこに所在するのだろうかと考えていた。カバーではなく、中身の綿でもないとすると、私が今この瞬間に愛しているシャナは、いったいどこにいるのだろうかと。
自分の頭のなかだろうか? 否、それでは妄想でよく、抱きまくらである必然性がない。
私が抱きまくらを愛する理由、それは「あたたかさ」なのである。
無い胸に顔をうずめると、ほんのりとあたたかい。そのぬくもり。確実に、彼女は生きていると思わせる現実の「感覚」たとえ彼女が非実在で、手の届かない次元にいる少女だとしても、このあたたかさだけは、真実なのである。
無機質な紙のページを捲っているのではない、ブラウン管の電気信号を眺めているのでもない、私は今この瞬間に「あたたかさ」を抱きしめているのである。最近はネットの世界も殺伐としてきた。人が人を愛するという感覚を、私は忘れずにいたい。
もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルのエントリを投稿した。あの話の続きをしようと思う。
※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。
※前回のあらすじ:高校中退→工場派遣→プログラマ→ホームレス→自立支援施設→プログラマ→海外放浪→職業訓練→世界一周アプリを作る
あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島で除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題は世界一周についてである。
僕はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリは正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である僕自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。
開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象は世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。
しかし世界は巨大で、そして複雑だ。
国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区、連邦直轄領もあり……。
そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国と共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。
国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域、人民、主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国からの承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。
それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧なものなんだろうか。
わからない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである。
だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分の記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。
1989年11月、ベルリンの壁が崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。
それからしばらくして、社会科の教科書の世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。
時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外を放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。
ベトナムのホーチミン市にある戦争証跡博物館。ベトナム戦争の記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。
銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。
何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。
「資本主義」
「共産主義」
「イデオロギーとは何だ?」
そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊のニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。
あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争は悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。
しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類の歴史の始まりまで巻き戻そう。
まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川、ナイル川、インダス川、黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこからは世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。
特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったときは意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキーの世界でもエリートの世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品か上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。
そして絶対的な権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革、名誉革命、フランス革命。それまで聖職者や王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国はフランス共和国に。ああそうか、王国と共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念、国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類の歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。
しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権の恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。
そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史はさらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者や王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者は悲惨な労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義・共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初の社会主義国、ソビエト連邦が誕生する。
いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。
しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなものが必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場の自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。
その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団の演算能力よりも、多数の平凡な人間の無意識的な分散コンピューティング(見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである。
そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁を必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史が証明している。独裁政権は必然的に暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人をおもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメントや家庭内の虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手に振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。
こうして自由主義・資本主義の矛盾への疑問から生まれた社会主義・共産主義は、自身に内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦の象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。
天秤の片方から社会主義・共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義・資本主義へと大きく傾いていく。混合経済の社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ。
そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配が必要なのか。なぜ憲法が必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。
ミクロの領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロの領域――世界の市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界の市場や情勢を動かすのか、逆に、世界の市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間の演算能力の限界を遥かに超えているからだ。
「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論はマクロとミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正面から、正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。
ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだ。マクロとミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。
進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。
大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。
何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間が高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級の人間の世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。
でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。
だからいまは自分が高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。
あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。
いまの時代、大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気とエネルギーが必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。
現実的な問題もたくさんある。資金、学力、人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがわからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。
これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。
だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。
僕は大学へ行く。
そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。
ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。
新しいテレビを買った。前のブラウン管亡き後、ずっと液晶モニタ+torneの組み合わせでテレビ観ていたので、ちゃんとしたテレビを買うのは10年以上ぶりだ。
最近のテレビはご多分に漏れずインターネットに接続でき、Youtubeやらニコニコなどが観れるのだけど、そんなのいらないし無駄な機能だと思っていた。
しかし、大間違いだったことに使ってみて気づいた。DMMのアプリもあって、何とは言わんが、DMMで購入した動画が大画面で観れるのであった。便利すぎる。アプリの機能がまだ貧弱で、早送りや巻き戻し、チャプターのジャンプなど使いづらい点は多々あるが、そこらへんは今後のアップデートでなにか出来るはずだ。今後に期待したいところ。
世の中の負け組フェミババアがやたらと持ち上げる非人間的かつ非論理的行為の1つが高齢出産である。
高齢出産とは腐りきった羊水から各種の障害を抱えた呪われた子供を産み落とし、彼ら彼女らに地獄と形容するにふさわしい人生を歩ませるあの高齢出産だ。
メディアの手により勝ち組と負け組を真っ二つに分ける白黒思考の根付いた現代社会において子供を産まない女は負け組であり子供を産みさえすれば人生の勝者であると洗脳された負け組フェミババァはこの行為をやたらと持ち上げたがる。
自分たちはまだ負け組ではないと信じたい気持ちと、生まれついてのブサイクゆえにいい年こいて未だ満たされぬ性欲とを一度に満足させてくれる素晴らしい信仰それが高齢出産である。
だがそんな物はまやかしだ。
子供を産んだから素晴らしい人生だと誰も保証をしていないし、他人に子供がいないからと言ってメディアに合わせて見下す必要もない。
ただ、自分の価値観を形成することに失敗して借り物の物差しをブラウン管から受信しているだけの腐れ脳みそに過ぎないということになぜ気づかないのか本当にフェミババアは馬鹿だ。
リスクがつきまとうというよりも、99%大なり小なり障害を持った子供が生まれると言っていい。
君たちは障害を重度のダウン症だけだと思っているのかも知れないがそうではない。
軽い自閉傾向、生まれつきの運動能力の低さ、不細工、あらゆるものが遺伝子の劣化によってもたらされる障害である。
個性という言葉でこれを封じ込めようとする者もいるが騙されてはいけない。
さて、これらの業を何も知らされずに背負わされた子供はどのような人生を歩むだろうか。
そう、世界を憎みながら生きていくことになる。
つまり、高齢出産をするということは未来の犯罪者を産み落としていることにほかならないのだ。
満足するのはババアのまんこと自尊心だけで、子供も、犯罪に巻き込まれる一般人も、障害児の面倒を見る夫すらも不幸になるのだ。
こんな人道に背いた行為が許されていいのだろうか。
防ごう、高齢出産。
俺が子供のころに比べてどれだけ社会が変わったか思いつくままに列挙しようと思う。
・ウォークマン(カセットテープ)が発売されたのが中学のときだったからまだ携帯音楽機はなかった→スマホ
・テレビのリモコンはなかった。金持ちの友達の家にはあった。赤外線でなくて超音波(?)だった→リモコン無しなんてありえない
・ビデオゲームは任天堂からブロック崩しがでていた→なんかいろいろある
・携帯ゲーム機はゲームウォッチ(モノクロ液晶で単純なゲームが一種類だけ)だった→スマホとなんかいろいろある
・ウォシュレットはクラスで一番金持ちの家にだけあって、クラスで「あいつの家にある」と話題になってた→あって当たり前
・買い物袋が現役。レジ袋は紙製→レジ袋はビニール。買い物袋はエコバッグとして復活しつつある?
・スーパーは19時ごろには閉まってた→21時や22時は当たり前。24時間もある。コンビニもある。
・自動車の車体→大型化。軽でも当時の普通車並みの広さ。未来的デザイン。昔はライトは汎用部品の丸いやつだった
・自動車の燃費→子供の頃は燃費なんて考えたこともなかったから知らない。でもこの10年でもびっくりするくらいよくなってる。
・自動車のエアコンは家の車にはなかった→エアコンのないクルマはありえない
・自動車の窓は家の車は手動→業務用の車とか軽トラ以外はまず自動
・都市部では銭湯がまだまだ使われていた→風呂なしはアパートでもありえない
・銭湯通いの家庭は毎日は風呂に入らない→毎日風呂に入らないなんてありえない
・洗髪→中学ころに「毎日髪を洗うのは常識です」と中森明菜のシャンプーのCM攻勢で毎日洗うのが常識になったけどそれ以前は毎日ではなかった
・朝シャンなんてない。俺の家にはシャワーがなかった→朝シャンも楽勝で、シャワーはあって当たり前
・風呂桶が半畳くらいの立方体→棺桶みたいに横長になって足を伸ばして浸かれる
・天日でお湯を沸かすやつ。粗悪品が横行して衰退→太陽電池
・エアコンは贅沢品→あって当たり前。無しでは夜は眠れない
・近所のスーパーは駐車場がなくて客は違法駐車。違法駐車におおらか→駐車場はぜったいある
・小学生のころはPCはない。中学の時に友達が買ってもらってた。高価だったはず→3万で買える
・海外旅行は多分俺の周囲では行ったことのある奴はいなかった→格安海外旅行とかある
・本→電子化
・時計の時間合わせ 117やテレビの時報→電波時計でいつでも正確な時間
・ビデオはなし→レンタルビデオを通り越してネットのオンデマンドに。映画だけでなくてテレビ番組も見れる
・猫や犬のエサは残飯→キャットフードやドッグフードが当たり前
・猫の外飼い(事故などで帰ってこなくなったり病気をうつされたり)→室内飼いの普及
・猫の砂は本物の砂で汚れたら手洗い→使い捨て
・缶飲料100円→130円(値上がりしているが物価の上昇から考えたらかなり安くなってる)
・缶は250cc→200mlや350ml、500mlなどチョイスできる
・飲料はコーラやファンタやコーヒーだけ→日本茶やブラックコーヒーなどなどがチョイスできる。とういうか全体的に種類が増えてた
ルミネ炎上で語られる女性論については、もう語るべきことが無いのだが、広告代理店やテレビ局が作る「日本の職場のリアル」が、現実と余りにも食い違いすぎて、そこに苛立ちを覚える私のような人間も多いかも知れない。
今回もTwitterで印象を語る前に「いやセクハラなんだけど・・」と「需要」発言に違和感を感じる人が多いように見受けられた。
なぜ広告代理店やテレビ局は、こうしたドラマにおいて、わざわざ昭和の零細企業の職場のような非現実な平行世界を再現するのか?
2015年の現代の職場では、人事部がセクハラ禁止についてしつこい位に啓蒙をしているため、社員は異性に寧ろ腫れ物に触る位の対応が求められており、同僚や部下にあのようなもの言いをする日本人男性など見たことがない。
「よくある風景」なんかじゃない、あのレベルのセクハラなんて社会生活でかなり致命的な行為だ。
あり得ないレベルの言動が、あるある風に自然に劇中に発生すると、虚構と知るドラマであっても、違和感が半端ないし、無理やりなイベントにしか見えず一気に現実感が損なわれる。
例えば、広瀬すずや神木隆之介が出演する2015年のドラマで、ブラウン管モニタでMixiメールする演出が突然でてきたら、誰だって困惑するだろう。その位、違和感を覚える。
日本では、男女雇用均等法第11条でセクハラ行為が具体的に定義されており、職場におけるセクハラ内容・方針を明確化し労働者に周知・啓発することを会社に義務付けている。
アマチュア無線といっているが、実際はトランシーバーでCQCQ言ってる程度の輩だ。
若い人はそれを本当のハムと勘違いしている。なので、勘違いアマチュア無線家の話として聞いてほしい。
いわゆるラグチューといわれている分類だが最近は外見がよくて、ポータブル機をもっていればチヤホヤされて有名になれる。
実際にうまい下手かはおいておいて、ハムを語っている高校生がポータブル入門機でCQし、カッコいいと思ったらRTとハッシュタグをつけ
山のようにフォロワーを稼いでいる。気に入らないハムがいればOM呼ばわりやブロックお願いしますと一声かければ多くのハムは凍結され、
ワッチされただけでも気持ち悪いといわれれば。あのカメラマンに頼んで凍結させてもらおうと頼めばいいのだ。
火のないところに煙は立たないが、火をおこす前に燃やすものの存在を消すのがtwitter流。
YLは基本的に 名前 2ch などでそのハムの評価を気にするので2chに嘘の噂を書き込むハムも多い
また、安藤きをくや柳内良仁はフォロワー購入サービスを利用し、あたかも有名であるかをよそおっている人も少なくない。
実際はわからないので定かではないが目撃件数が半端ではない。
一年ちょっとで蜷川実花の半分の11万フォロワー越えはいきなり現れた無線家でも異例中の異例。
しかしフォロワーが多いからすごいに違いないと低品質の写真が絶賛されている姿を喜んでいない人もいる。
実際に1万をこえるハムにフォローされたらリフォローしてしまうのであっという間に購入したフォロワーなんてものは煙に巻けるのだ。
最近ではHIKARU ONODERAというひともフォローアンフォローを繰り返し、一時期のひるたかめらの行動を蘇らせられてる人も多い。
HIKARU ONODERAのすごいところは自分の写真しかRTしないアカウントを大量に作りそのアカウントでもフォロー、リムーブを繰り返しているのだからさらにたちが悪いが前者のフォロワーを買うよりかは至って健全そうに見えるのが不思議でならない。
QSLを集めているハムは一人で活動できないので顔バレは不可避である。
今度大阪芸大へ進学する。通称「柏木のおっちゃん」事件では、暴行、飲酒、未成年のホテル連れ込みなどが問題視されている。
今、若手の写真を撮る人はメンヘラで承認欲求と性欲にあふれているのだ。オオノヒロサンはYLがいたらまずセックスしてからと公言している。
ブラウン管から麻酔針〔NEE〕 はかなり悪質でパクリ画像でフォロワーを稼ぎあいまあいまに自分の写真アカウント、ブラウン管にはイルカの夢〔NEE〕に誘導している。
ブラウン管から麻酔針のパクリ具合は1000favbotぐらいの悪質なものだ。しかもあたかも自分が撮ったかのように偽装したものもある。
「”みんなして、高嶺で咲かせてあげよう”という気持ちにさせる花である」
渡辺美優紀こそ、テン年代に咲く高嶺の花ではないかと私は考える。
去る2014年9月17日、「AKB48グループ・じゃんけん大会2014 ~拳で勝ち取れ! 1/300ソロデビュー争奪戦~」は行われた。
奇しくも2日後はみるきーの誕生日でもあった。彼女にとってのとても大きなサプライズプレゼント。
優勝特典として、ソロシングルデビューおよびソロコンサート開催権利、
NHK BSプレミアム「AKB48 SHOW!」枠での「MILKY SHOW!」放送権利を獲得した。
そして本日、12月24日・クリスマスイブに彼女は「やさしくするよりキスをして」をリリースする。
松田聖子の「夏の扉」のようなジャケットもさることながら、ミュージックビデオが秀逸である。
人気漫画『タッチ』に登場する喫茶店「南風」を模した「喫茶 みゆき」にて働く少女、美優紀(こちらも浅倉南同様実家であると思われる)。
想いを寄せる相手は達也を模した幼馴染の少年。あの”勉強部屋”を意識した二つ並びの学習机が置かれた部屋にて日常を送っているようだ。
明星学園野球部に似せた、黒地に赤字のWのキャップがたびたび登場する。湘南の海で彼の自主練習に付き合う様子も見られる。
また、その海で気の置けない仲間達と遊んでいるシーンも描かれている。
その後、高校を卒業した彼女らは、各々の道へ進む。美優紀は実家の手伝いを、”彼”は達也のように帝東大学を目指す浪人生、としておこう。
美優紀は年相応の女の子らしくアイドルを夢見ていた。ダメで元々、「第48回国民的アイドル ソロデビューオーディション」へ応募する。
オーディション会場にて物怖じせず語り、歌う彼女。NMB48のオーディション番号、エントリーNo.71であるあたりにクスッとくる。
後日、見事デビュー決定との印が押されたハガキを嬉しそうに見つめる美優紀。だが直後、切なげに右隣の”彼”の学習机を一瞥する。
閉店後の喫茶みゆき。帰ろうとする”彼”に美優紀は打ち明ける。
「わたしね、アイドルになるの」
「おん」
一瞬の間のあと、「明日おくってね」
夕暮れの湘南。フェンダーミラーのセダンの横で彼の腕を掴み、「はやくキスして」と言わんばかりに目をそっと閉じる。
シーンは一変し、ブラウン管に国民的アイドルとしてソロデビューを果たした”渡辺美優紀”の姿が。
喫茶みゆきに集まりブラウン管を食い入るように見つめる旧友らは、すっかり彼女の親衛隊になり湧き立っていた。
突然の別れに怒っていたと思われる彼は新聞を読み更けて興味がなさげ。しかし、テレビには見覚えのある野球部の帽子が。
当然私信に気づいた友人たちは、”彼”に急いで呼びかける。「美優紀はアイドルになってしまった。もう俺のことなんて覚えてもいないだろう」と思いこんでいた彼は、
美優紀が何も変わっていないことを思い知らされ、喜びを爆発させ飛び跳ねる。
高校生の頃のイチャイチャする様子が描かれたのち、また夕方の湘南へ。
涙を一筋落とし、彼女は言う。
「やさしくするよりキスをして」。
音楽に感動したことはない。
「音楽のチカラでパレスチナ問題を解決してみろ」と言い返してしまう。
絵も理解できない。
絵の解説を読んで、作品の背景に感動させられるだけで、絵からなにか伝わったかというと、ふーんっていう感じだ。
あれは凄い。
本当に凄い。
なにか伝わってくるとかそういうのじゃない。視覚イメージからね、殴りかかってくる。
きっかけはというと、摺りたてをみたわけだ。
浮世絵というのは、基本水彩で、そもそも水彩の鮮やかさというのはブラウン管や液晶では今ひとつ再現できないというのと、そもそも日焼けに弱い染料なので、当時の色と全然違うわけ。
で、とにかく凄いんだけど、一ヶ月くらいなにが凄いのか、自分でも整理できなかった。
ようやく整理できたので、とにかく語りたい。
と、思ってたよ。僕も。
すごいの。ニンテンドー3DSの裸眼立体視は浮世絵から開発したんじゃね?ってくらいに。
ていうかね、もう物理的に立体的なの。
いろんな工夫があるんだけど、わかりやすいところから説明すると、そもそも紙が凹凸で立体的なわけ。
たとえば、このトンボの羽、スジスジがボコボコ盛り上がってたりするの。画面じゃぜんぜんわかんないけど。
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hokusai120-f/
これも画面じゃぜんぜんわかんないんだけど、指で首筋を撫でた跡がさ、紙の凹凸で表現しちゃってるわけ。
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/utamaro067/
もう艶かしくて艶かしくて。
生でみないとわからないんだけど、ニンテンドー3DSのアレに近い印象がある。
平面的な絵がレイヤーされていて、レイヤー間に明確な前後関係があるような感じ。
露骨なので言うとこんなやつ
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige160-f/
それから、こういうの
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige182/
子供の頃、校庭のフェンスの金網越しに風景をみてたら、とつぜん立体視になってビックリしたこととかってないかな?
あれだよあの感じ。
格子をみて、その向こうをみて、それを繰り返すと、うわぁぁぁ!ってなる。
それから、この構図をわざと切ってるところ。
さっきの梅の絵のほうは、左側に立て札がちょっとだけ入っているけどほとんどフレームアウトしてて、遊女の部屋の絵は襖ちらっと見えてる。
このフレームアウトが、絵じゃなくて、まるでどこかから自分が覗きこんでるような錯覚に陥らせるんだな。
この感覚は漫画に親しんでる日本人特有のものなのかもしれない。
漫画だと、こういう演出は暗黙のうちに物陰から覗きこんでるというお約束だろ?
不思議なことに、日頃浮世絵に親しんでいないせいか、生でみるまでこういうお約束がつたわってこなかったんだが、随所に漫画的な表現が伝わってくる。
”力みなぎる感じ"やら、”物陰から覗いている感じ”
浮世絵に影はないっていわれるけど、あるのもあるし、ないのもある。
浮世絵で影を使うのは、影があるから影を描いているんじゃなくて、影の効果が必要だから影が描かれる。
たとえばこんな感じ
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/kuniyoshi004/
明るい月夜を表すために、現実ではありえないほどくっきりと影がかかれてる。
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige308/
同じく月に照らされた人影。月は高く登っているのに、影はのびている。
エヴァンゲリオンで飛行機から発進したエヴァが地上についた時に、砂埃が進行方向ではなくて、後方にのびていたシーンがある。
あれと一緒。
物理的には間違っていてもイメージとしては正しい。それが浮世絵の表現。
写実的に書くなら、写真のように陰影の表現で塊を描くのが正しいけど、あえて輪郭線を使う。
イメージの中では、人物と風景の間には境界があるから、輪郭線があるのがイメージとしては正しい。
逆に、意識の外のものについては、明らかに見えるはずであっても輪郭を描かずにシルエットだけにする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige024/
絵というのは自分が感じたことだけで語るべきな気がするので
「当時の人は」という視点は間違ってるのかもしれない。
でも、考えてみる。
当時は当然テレビなんかなかった。
たとえば構図上から街並みを俯瞰するような構図というのは、見たことがなかったはずなのだ。
で、なんでこんな構図がおもいつくのさ。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai029/
http://hiroshige100.blog91.fc2.com/blog-entry-47.html
ただ道が曲がりくねってるだけでこんなにもストーリー性がでてくるのかと。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige027/
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai040/
浮世絵以前の絵って、西洋も東洋もこんなに構図が豊かじゃなかった。
現代の写真、漫画、映画の構図の元ネタが、だいたいがこの時代なんじゃないかっておもえるほど。
これについては、繰り返しになっちゃうけど、ほんと日本人派手好きすぎ。
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige160/
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/
これ、もはやルノワールじゃね?
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai_sakurafuji/
その点、浮世絵は超安い。
1万3000円とかで買える。
ただ、難点は、アクリル板越しでさえぜんぜん凄さが伝わらない。
生で、そのまま見ないと。
紫外線ですぐ色褪せるけど。
もう一回買えばいいのだ!
26歳、都会育ち。ふとこの20年くらいのことを考えてみた。
たまごっち、ファービー、厚底ブーツ、ミニ四駆、ベイブレード、ビーダマン、ハイパーヨーヨー…
そうゆうものを懐かしむのも楽しいんだけど、この20年くらいで圧倒的に変わって普及したものっていくつかある。
パソコン、インターネット、携帯電話なんてのはもう言い古された話だろうし、
ブラウン管が消えて液晶テレビの普及、ビデオデッキも消えて今やDVDやBlueRayだっけ(あんまり使わないからよく知らない)。
ポケベルなんてあっという間に消えた。白熱灯も消えた、LEDが世の中に爆発的に増えた。信号機が薄くなった。
地面がアスファルトだらけになった。レンガできれいに整えてある歩道なんてのも増えた。
道路の白線が増えた。白線がなく、路肩のない道路なんていくらでもあった。うちの地元なんてわざわざ交差点の地面の色がかえてある。
信号機だって増えた。掠れて消えていた横断歩道もくっきりきれいになった。
金属製の風呂桶も消えた。深くて熱くて、あれに入るのが嫌いだった。でも今は
プラスチックの風呂桶ばかりだ。温度設定だって簡単。お湯と水で割らずに済むようになった。
プラスチックは全体的に生活の中で増えてきた。100円均一が増えたせいかな。
コンビニもすごく増えた。24時間営業になった。24時間営業って店もすごく増えた。20年前にそんな店、全然なかった。
CDは変わらない、レコードは見かけなくなった、MDは一気に増えて一気に姿を消した。MP3プレーヤーみたいなやつばっかりだ。
ボタンってものも減った気がする。キーボードのボタンの数は変わらないだろうけど、世の中の全体を見渡して減った気がするんだ。
小学校から高校まで石で出来た流しにいくつも水道が並んでいた。最近の学校はどうなのかな、ステンレス製の流しばかりなのかな。
あとタイルが減ったように思う。和式のトイレの床は青い丸い鱗みたいなタイルばっかりだったのに見かけなくなった。
台所の白いタイルも、風呂場のピンク色のタイルも見なくなった。どこの家を見たってつるっとしてる。フローリングばかりになった。
ゴム製みたいな床にいっぱいの模様がちりばめられてるなんて床は見なくなった。絨毯ばりの床も見なくなった。フローリングだらけだ。
レジのバーコードを通す赤い光の出ているところ、あそこは昔バッテンでガラスが見えてたのに見えなくなった。
電池で動くものが減ったと思ったら増えた。だからエネループなんてものが売れたんだろう。
上から吊るされたガソリンスタンドも見なくなった。皆地面に据え置きだ。
時代の過渡期に育ったなんて大それたこと言うつもりはないんだけど、なんか、日本人って頑張ってるんだなって思った。
幼少期、不便を感じたことはなかったし、今とあの頃は全く違ったなんてことは思わない。
あの頃だっていつだって最新のものを使ってた。家の洗濯機の上に乾燥機が乗せられた日だってきらきらしてた。
いつだって新しいものはきらきらだ。廃れたってあのきらきらした思いはそのまんまだ。
廃れたものが無くなってしまって悲しいとは思わない。どんどん時間は進んでいく。これからだっていろんなきらきらが待ち受けてるかと思うと楽しみなんだ。