はてなキーワード: ペンライトとは
今ちょうどアニメの2期が地上波で放映が始まり、配信先行で投稿日の現在8話まで配信されています。
この辛くなった8話ですが、主人公たち5人のアイドルグループが2期からは個人活動に力を入れてきたのでここでグループ全員でファンのみんなへ感謝を伝えよう!ということでイベントを開催する、という話でした。
話の流れとしては個々の活動を頑張っていたら息が合わなくなっていた!ということで合宿して団結してイベント作っていこう!と思ったらイベント当日に豪雨に見舞われてしまった!どうする!というような感じです。
平たくいうとファンが思ったよりも早く集まったので開演早めた!イベントだ!ライブだ!って流れで終わりました。
イベント当日の悪天候、これはまあ現実でもたまにある。実際この5次元ジャンルのイベントは台風直撃してましたが。
私は開演早くしたという話が出たところでところで辛くなったわけです。
アニメの中では電車が止まり始めてる!とか言ってたんですよね。自分がその止まった電車に巻き込まれて…と思うと肝が冷えますよ。
私個人としては開場が夕方からであれば物販とかも行くことを予想してお昼には会場付近には着いてます。
そんな時に電車が止まって、でもいつも早く着いてるから開場までには遅くとも着くぞ!と思ってるのに開演早めました!とか言われたら辛くないですか?
私は関東に住んでるのでこの程度で済みますが、遠征してる人は飛行機とか新幹線とかバスとか天候の影響受けやすいじゃないですか。
それでまだ関東圏内にも入ってないのに開演が早まってたら泣いちゃいますね。私なら移動中に泣きます。
アニメの中の運営スタッフに文句言ってもしょうがないのですが、開場早めるだけじゃダメだったのか!?と思います。
アニメのファンは遠征民も全員前乗りしてたんですかね。ならいいんですけど…
あのペンライトで光ってる客席の空席があったらそこは開演が早まったことでこのシーンにたどり着けなかった遠征民の席…と思うと泣けますね。8話は泣ける回だ。
まず初めに、これは現在約2万人いるとされているアイドルマスタ-SideMプロデューサー、そのうちの一人の日記です。
たった一人のブログを読んで、「これがSideMPの総意なんだ」と感じてしまうタイプの方につきましては、私以外のPさんにご迷惑をお掛けすることになるので閲覧はしないでいただきたいと思います。
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私は好きです。
通勤中や仕事で辛い事があった時も、担当ユニットの歌を聴けば元気になれるし「ライブのために頑張ろう」と気力もいただいています。
ライブでキャストの皆さんが、「315プロのアイドルとして歌って踊る姿」が本当に大好きです。
そんな私にとって、歌声にかぶさる客席の声、「自称:コール」、これが本当に邪魔です。
例えば、
・うぇるかむ・はぴきらパーク!の「めぇめぇ」「ぴょんぴょん」「がおがお」
・Fun!Fun!Festa!の「オーイェイ」「オフコース」「オーイエス」
こういった、『CDに入っている合いの手の部分』につきましては、キャストの歌声を邪魔しない程度に入っています。
少なくとも、「公式のコール」は「CDに入っている部分」だと思われます。
それ以外は、オリジナルであり特に公式から推奨されたものではないということがわかります。
ですが、こちらも例えばBeyond The Dreamの「どんな苦しい時でも背筋伸ばせ/もしも心がくすんで見えなくても」の部分。
この部分は、CDには入っていません。
この場面で、WとF-LAGSの歌声を聴く以上に大切なことがあるでしょうか?
キャストの皆さんの頑張りを、この部分を聴きに来た観客の楽しみを、誰に邪魔する権利があるのでしょうか?
以前話題になった某はてブロの件で、「CDにない部分に声を出してコールと言い張る」方々の意見を目にしました。
その方々曰く、「コールは盛り上げるためにやっている」とのことでした。
盛り上げるためなら、キャストの今までの頑張りが詰まった歌声を邪魔しても許されるのでしょうか?
盛り上げるためなら、まだキャストの方が歌っている最中に「せーの」と音頭をとりコールを先導しても許されるのでしょうか?
そもそもこの「盛り上げるため」というのは真実なのでしょうか?
自分が楽しく「盛り上がりたい」だけではないのでしょうか?
こういった、「CDに入っていない、キャストの歌声に重なる観客の声」を嫌がる声に対して、
・「静かに聴きたいならCDでも聴いていればいい」
という反論がありました。
ライブってなんなのでしょう?
ステージにたたない観客が、大声を出すことを許された空間ですか?
これがライブなのではないのでしょうか?
キャストの歌声を黙って聴けない方が、よほどライブに行くのに「向いていない」のでは?
そこでは、当たり前ですが観客は演奏中誰一人として声をあげません。
彼等の演奏にだけ耳を傾けて、曲の世界に浸って、曲が終われば歓声や拍手が自然に聴こえてくるとても心地の好い空間です。
あまりMCをする方ではないメンバー達ですが、彼等が話してる最中に大声で名前を呼んで遮ったり、「水おいしい~?」なんて声もあがりません。
これが普通のライブだと思っていた私に、アイドルマスターSideMのライブは悪い意味で衝撃でした。
「男性アイドル」という設定でステージの上に立っているので、次々に黄色い歓声があがるのは「ちょっとジャニーズっぽくてすごいな」とは思いました。
ちょっとうるさいな、と思うくらい大声で黄色い声を上げる方もいらっしゃいますが、基本的には歌の最初と最後、又はなにか特別なパフォーマンスがあった直後の部分だけで、私はですが歌っている最中もひたすらキャーキャー叫ぶ方にはまだお会いしたことがありません。
(自然に出てしまったものでしょうし、そこまで歌にかぶさって邪魔というほどではないですが、正直ないに越したことはないです。)
「せーの」という先導についても、押し付けであり「曲を聴きにきた人の邪魔になっている大声である」と自覚した上でやっていただきたいです。
とても綺麗な響きですよね。
315プロのアイドルとしてステージに立った彼等のパフォーマンスは、観客が意識的に頑張らなければ盛り上がらない程度のパフォーマンスしかできていないのでしょうか?
「盛り上がったよ」
「楽しかったよ」
「最高だったよ」
これらの気持ちを伝えるのであれば、
これだけで十分ではないですか?
本当に、キャストの歌声にかぶさってまで大声を出すことが「盛り上げる」ということなのですか?
誰のためのコールですか?
自分が「盛り上がりたい」「盛り上げたんだと実感したい」だけではないですか?
キャストの歌声を邪魔して、キャストの歌声を聴きにきた人の楽しみを奪ってまで、しなくてはいけないものですか?
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※※※※
・コールは駄目と言うが〇〇はどうなんだ!という疑問つきましては、あなたがご自分で判断してください。
・SideMだけの問題ではない、ではなく、「いちSideMユーザーとして私が言いたかったこと」なので規模の問題ではありません。
・これは、「CDに入っていない、キャストの歌声に重なる観客の声はコールではなく、それを迷惑に思う人間がいる」という日記です。論点ずらしはおやめ下さい。
・繰り返しになりますが、これはただのいちSideMのユーザーである私の日記です。これがSideMP全体の総意ではありません。
※※※※
最後に、「コールをするのがライブ」という人と「ライブは音楽を聴きにいくもの」という人の共存は、絶対に不可能です。
何故なら、「叫びたい人が叫んだ」時点で「一度きりの生の音楽を聴きたい」人が曲を聴く妨げになってしまうから。
曲を聴きたくてきた人は、強制的に我慢を強いられてしまいます。
「CDと同じものを聴きたいなら円盤を買え、CDを聴いていろ」
言われなくても買っています。彼等の歌やパフォーマンスが大好きだから。
だからこそ、一度きりしか聴けない「ライブでの彼らの生の歌声」は本当に貴重なんです。
もし、「キャストの歌声に重なってあなたが声を出す」としたら、
それは「キャストの歌声を聴くことを楽しみに来た誰かの楽しみを奪っている行為」なのだという自覚をもって下さい。
SideMのライブは、CDに入っていない部分でも観客が大声を出さなければ盛り上がらないライブではありません。
「盛り上げるため」に善意でやっていてくれるのだとしたら、もう大丈夫です。
キャストの方々からのコーレスも増えて、どこで声をあげて欲しいのかわかるようにしてくれています。
どうか、キャストの方々を、そのパフォーマンスを、信じてあげてください。
どうしても今のこの気持ちが抑えきれず、文章として書き起こすことにしました。
にわかハロヲタの駄文ですが、お付き合いいただければと思います。
忘れもしない7月25日。
その日は僕が好きなハロー!プロジェクトのグループ「Juice=Juice」が吉祥寺のライブハウスでコンサートをする日でした。
5月に行ったコンサートのあと、ハロプロ全体で新体制として色々な変動がありました。
Juiceには2人の新メンバーが入り、元々の5人グループから7人グループへと変わりました。
そして僕は吉祥寺で初めて7人体制になったJuiceのコンサートを見る・・・
はず、でした。
その日の昼頃、ハロプロの公式サイトで更新された「宮本佳林に関するお知らせ」というタイトルのニュース。
宮本佳林(みやもとかりん)ちゃんは僕がJuiceで一番好きなメンバー、いわゆる推しメンです。
何事かと思い記事を開き、そこに書かれていた文章を見て呆然としました。
医師との相談の結果、声を出す必要のある仕事を全てお休みさせて頂く事になりました。」
物々しいその病名に、僕はただ不安を掻き立てられました。
発表の数日前から開催されていたハロコン(ハロプロ全体の合同コンサート)の時点で、佳林ちゃんは喉の不調により歌唱には参加せず
聞いたこともない病名、これから行くはずだったコンサートに佳林ちゃんがいない事実。
そうして気がつけばコンサート開始十数分前。
他のメンバーの開演前アナウンスでも、佳林ちゃんの休業についてお知らせがされていました。
佳林ちゃんがいないのはとても寂しかったですが、Juiceの全員が好きな自分としては楽しまなきゃと思い、その場は考えないようにしていました。
開演を待つ中、スマホの電源を切る前にTwitterを覗くと佳林ちゃんがブログを更新していました。
その内容は、
7人体制になって間もない単独コンサートに参加できなかったこと、
ごめんなさい、ごめんなさいと、本当に悔しそうで、辛そうでした。
それでも彼女は前を向いていました。
焦らずにしっかりと治してまた帰ってきますと、力強い決意をしていました。
このブログを読んで、沈んでいた気持ちがぱあっと明るくなりました。
休業すること、声が出ないこと、一番辛いのは佳林ちゃん本人で。
でもそんな佳林ちゃんが前向きでいるのだから僕が落ち込んでる暇なんてないと、そう気づかされました。
そして自分にできることは、佳林ちゃんが帰ってくる場所で今まで通り、今まで以上に応援することだと思いました。
その日のコンサートは全力で声を出して、全力で紫(佳林ちゃんのメンバーカラー)のペンライトを振りました。
それから佳林ちゃんは毎日のようにブログを更新してくれました。
声が出せないならブログでファンの皆さんに届けたいという彼女の思いやりに胸を打たれました。
そして僕も、今まで頑なにしてこなかったブログへのコメントをするようになりました。
佳林ちゃんが帰ってくるまで書いてくれた記事には必ずコメントをしようという、ちょっとした願掛けのような気持ちでした。
そうしてあっという間に1ヶ月が経ち、8月28日。
再びハロプロの公式サイトに「宮本佳林に関するお知らせ」の文字が現れました。
「現在の回復の状態を見て、8月31日のコンサートから出演することになりました。」
気がつくと涙が溢れていました。
機能性発声障害についても素人ながら色々と調べて、長期の休業になるであろうという覚悟をしていた矢先の嬉しいニュースでした。
すぐに佳林ちゃん自身のブログでも発表があり、そこに彼女の思いも綴られていました。
声が出せない恐怖、周りに迷惑をかけてしまっている自分、色々な悩みがあったそうです。
それでも温かい周りの人たち、ファンからの励ましのコメントに支えられたと言っていました。
ブログにコメントをするくらいしか自分にはできないと思って、ひたすらに書き残してきたことが
少しでも佳林ちゃんの励みになっていたのなら、こんなに嬉しいことはありません。
不安や恐怖に心を折られて、そのままやめてしまってもおかしくない状況だったと思います。
それでも佳林ちゃんは、絶対に戻ってきたいと強く願ってくれたんです。
佳林ちゃん、戻りたいと思っていてくれてありがとう。
Juice=Juiceを好きでいさせてくれてありがとう。
今からもう数年前の話になる。
推しはそれぞれ違うけどそれぞれの魅力だったり、アイドルあるあるやファンあるあるを語り合うのが楽しかった。
キャー!推し君!こっち見てー!!
という感じではなく
というタイプだった。
なので派手な行為をする厄介な同担はともかく、同担拒否などは一切せずむしろSNSなどで積極的に繋がって現場で会うようなことを互いによくしていた。
しかしある日
思わぬところから私と友達のドストライクを突く新たなニュー推し君が現れた。
全然推せるけど、本命もいるし〜でもすごいカッコいい〜推し変かも〜ww
くらいのノリだった。
もらってしまったのだ。
ニュー推し君がいた位置とか、私たちがいた位置とか、タイミングとか、色んなものが奇跡的に合わさって推し君が使用したものをステージから投げてくれたのだ。
私も友達も、どういうわけか今まで塩対応気味な子しか推してこなかった。
と物足りない気持ちを盲目な推しへの愛で誤魔化してきてはいた。
狙い撃ちファンサ。
私たちは大興奮だった。
私たちの「推しカテゴリー」にニュー推し君の名前が貼り出された瞬間だった。
友達は変わった。
前はそんなことしなかったのに、周りに同担がいないかキョロキョロと確認し、推し色の物を付けてる人を警戒。同じ色のペンライトを持ってる人を近くに見つけると残念そうな顔をしていた。
近くを推しが通ってもこちらを見ないとこの世の終わりかと思うくらいに落ち込み、他の人にファンサをしてる推し君を見て泣きそうになり、それでも推し君に関するグッズは買い込む。
いや気持ちはわかる。
私もあれから周りに同担いなければラッキーなのになとか思うようになったし、ファンサをもらえないと「ちょっと推し君!なんで?!」とか不満を覚えるようにもなってしまっていた。
私も変わっていた。
それでも、
同担とつるみ穏やかに推し活をしていた友人の変わった姿を見て、どこか得体の知れない不安を覚えた。
だけど友人をここまで変えた推し君を一周回って尊敬したりもした。
推しが一緒になった後も、色んなライブに行ったりもしていたが、曲がりなりにも同担である私は友人の目にどう映っていたのだろう。
そのまんまの話。
例の日記を見て「この人クソほどヘイト撒いてるけど気持ちすごいわかるよ~!」ってなりました。
ただ男だから女だからってことではないと思うので、そこへの同意はないですが。
コールがね!苦手なんですよね私は! 本当に!!
言いたい気持ちが高まって以下に長々としたためてしまいました。
コールと言っても色々ある(らしい)のでいったん定義しておきます。
その中でも手でクラップしないやつです。
どうも曲中に元から入ってるような合いの手的な掛け声のことだけなんですよね。
のハァイの部分です。
それかせいぜい間奏のところで「キャー!」とか名前呼ぶぐらい。
じゃあ上述のPPPH(クラップじゃない)がどういうものかと言うと、
★結末ばかりに気を取られ~この瞬間を楽し…めない!メマイ!
\オーッ ハイ! オーッ ハイ! オーッ ハイ! オーッ ハイ!/
というこの下段のやつです。
コール界ではこれも合いの手分類らしいんですけど、にわかには信じがたい被りっぷりです。
それで話が戻るんですが、コールが苦手なわけです。
苦手というかまあ嫌いです。
何故嫌いなのか?
①歌にかぶっててうるさい
④苦手って言うと怒ってくる人がいる
声がだいぶマジでうるさい!!
これを好んでやる人の特徴なのかわかんないんですけど、異常な声量を持ってるんですよ。
なんでなんですかね。
後ろや真横に居るともうBメロは終わったも同然です。
耳への期待を捨て去り視覚情報に集中するよう努力(あくまで努力)するしかない。
それにものの教えによるとPPPHなるものは、クラップ×3回のあとにひゅー!が正当なやつらしいのです。
それがペンライトを握るようなジャンルになるとクラップが「オーッ!↓→↑」という叫びに代替され、
余所では知らんのですがSideMのライブではだいたい最後の「ひゅー!」が「ハイ!」になっています。
これは私の観測範囲(現場2回その他ライビュ)の出来事なので、もしかしたら普通のPPPHの場所もあったのかもしれませんが。
なぜ違いを説明したのかというと、普通のPPPHと声だけのPPPHはうるささの質がまったく違うんですよ!
音域?周波数?なんかよくわかんないけどそういうあれだと思います。
一度カラオケ大人数で普通のPPPHを体感したんですが、声がけっこう聴こえました。
ひゅーは息のような抜けていく音なのに対して、
ハイは出だしのぶつかり方も終わりの母音も強くてイメージ的には「覇威!」って強さです。
ほんとうるせえんです。
別に強制なんかしてない!っていうのがあちらの言い分だというのはわかるんですよ。
わかるんですが、じゃあその「せーのっ」っていうのやめてくんない?ってことです。
オーハイPPPHの前に「せーのっ」って指示出す人が居るんですよ。
指示っていうかあれもコールの一種?らしくて警報っていうんだよとか教えられましたが、実質タイミングの指示出しだから呼び方とかどうでもいいです……。
「コール」という名称に納めれば片がつくと思ってる?んでしょうか??
警報って名付けられるぐらいならそのあとのコールは良くないものに位置づけられるんじゃないか?
良くないものと認識しながらやっているのか?と考えたあたりで、
「このあとPPPHだからちゃんとついてこいよな!」っていう意味の警報だと気づき、なおさら強制されてる感をおぼえるのでした。
とにかく「せーのっ」じゃねえよということです。
もっと「ハーイハイハイ」みたいな言い方する警報?もあるらしいというかそういうのが普通なのかな?
それはそれでうるさくて嫌だけど、でも「せーのっ」は既定路線へ向けての言葉じゃないですか。
やるよ、やろうね、わかるよね、そういう感じなんですよ。
こっちはPPPH勢の近くに居合わせただけなんで、別にやりたくないんですよ。
聞きたくもないぐらいなのに「せーのっ」とか言われるんですよ。
何も知らずに遭遇してしまった時の
「えっ??やらなきゃいけないの?何これ?うるさくない?こんなパートあったっけ?」
という戸惑いはなんとも嫌なものでした。
そういうのがあると知ってて言われても「せーのじゃねえよ1人でやってろ」という思いは消えません。
ここまで書いてきてわかると思いますが、コールやってる人は楽しくそれをやってるだけです。
一応は自由参加ということになっていて、そもそもライブというのは自由に楽しむものという前提があるから、
嫌だなやめてほしいなと思っても明確な迷惑行為・禁止行為じゃないと「やめてください」って言えないんです。
私はやめてくれまでいかなくて声を抑えてほしいな~と思っているんですが、そういうお願いが出来ません。
まあまず一曲目のBメロに至るまで、隣人が大音量PPPHをやる人かどうかなんてわかりませんしね。
そうすると、いざうるさい困ると思ってからしか行動出来ません。
そしてライブが始まってしまっている以上、物理的にもそんなお願いをする余地はありません。
そういう人だと事前に知ってても、怒り出すんじゃないかと思うと恐ろしくて言えませんけどね!
ただただ、我慢です。
私の涙の五分の一ぐらいは声が聞こえなくて周りが怖くて悲しくて楽しくないからです。
コールが苦手という話をコールしてる本人達の目の届くところでは言えません。
まだ何も知らないド新人Pだった頃に数人集まったアフターで、
私「あれ声うるさくてつらいんですけど、一部集団の企画なんですかね?迷惑じゃないですか?」
B「まあまあまあ、ちゃんと勉強しておかないとダメだよ?(暗黒微笑)」
というやり取りをして、流れで散々説教をくらい怯えて逃げ帰る(そして縁を切る)ということがあり、完全にトラウマです。
古参Pはみんな優しい?そんなの嘘ですよ~普通に変な人もいるので気をつけてくださいね~。
本人達はおそらくにこやかに優しい言葉で諭したつもりだったと思うんですけど、
目が笑ってないし、声がデカいし、物理的に詰め寄ってくるし、肩パンとかしてくるし、最悪でした。
具体的な発言をあげようと記憶をたどると、つらい気持ちが先に思い出されて、思考がぐんにゃりしてきて上手く文章になりません。
色々とスレスレの暴言があったり、人の体に許可なく触んなよってところもあったり、とにかくたくさん嫌なことがありました。
どうもあのうるさいのは「コール」という名称で「そういうもの」と認知されているから、
声を上げること自体も普通のことだから、「迷惑行為ではない」という大前提になっているようで、
うるさくていやだなぁということを表明するのは許されないぞ、というそういう怒られ方でした。
ざっくりまとめると、ここは俺たちの作った場所だからエムマスだけのPは生意気言うなというようなことをずっと言われてました。
その当時変なのに当たっただけと思えればいいんですが、ツイッターやら眺めてみると、
コール文化に戸惑い反発する人への態度は「そういうものだから諦めろ」という圧力なんですよね。
あからさまに攻撃したり粘着したりする人は少なくても、冷たく突き放すというか。
お前が悪い、という。何も悪くないのに。
集中力が足りないからだなどと責めてくる人も居ますが、映画館で携帯の明かりが見えると気になるとかそういうことですよこれは。
集中力がないわけではない!
自分には気にならないって言われても、気になる人には気になるし、それは集中力とか単純な話ではないし、
ていうか努力して気張って集中しないと楽しめないっておかしくない!?
中でも解せないと思った意見が「オタ芸とは違う」というもので、
いやだな~と思ってる人にしたら同質のものとみなしてるんじゃないかと…いや私はみなしてるって話で、
うるさいし独りよがりだし嫌がる人など構うものかって態度だし、同じじゃないの……?
何が違うんでしょうか。
文化だから我慢しろと言われるたびに釈然としなかったのがこの部分。
いいところは真似したいけど、ユーザー層に馴染まない部分は真似しなくていいじゃないですか。
ホモマスだなんて馬鹿にしてくる人なら特に、ユーザー層が今までと異なっていることをわかってますよね?
じゃあシリーズ作品の全ての流れを汲まなくてもいいじゃないですか。
なんで始まったばかりの作品なのに、初めてのライブなのに、「文化」なるものを飲み込まなくてはいけなかったのか。
有り難くもサードライブが決まりましたが、今からでもエムマスPの文化を作り直しちゃ行けないのかな?と思うんですよね。
「好きだからやりたい」に対してはまだ和解の可能性がありますけど、
酷いこと言ってる自覚がないのがまた酷いんですよ。
小学生を締め出して空き地を占拠する中学生みたいな理論はやめてほしかったです。
本当になんで諦めないといけないんでしょうね?
せめて妥協点は探せないんですかね?
エムマスからのPは新規は黙れ的な扱いを受けがちですが、SideMのPとしてはみんな同じスタート地点だったはずなのに、
新タイトルが始まれば新しい始まりのはずでは?何故そこまで強固な先輩ヅラを?
特に不愉快なのがSideMは別に好きじゃないけどアイマスシリーズだから一応顔を出してやるよ、というスタンスの方ですね。
つまり同僚でもなければうちの事務所アイドル達のファンでもないのに、
先輩ヅラで「これが文化だぞ!」って引っ掻き回してるんですよ。
お呼びじゃないにも程がある。
そしてそのような輩に”ご用意”される。
気が狂いますよね。
例の日記見ててもその辺の感情の部分にはかなり同調しちゃいました。
けど男が女がとか、貢いでる人が良いPとか、そういうことではないので、完全同意ではありません。
「文化だから」という圧力がなくなったとして、そのうえで結果的に大音量PPPH勢が猛威を振るったとしても、
それはそれで仕方ないことだとは思います。
最終的にここに落としちゃうのは良くないのかもしれませんが、言い方の問題的な?
我こそはアイマスシリーズの先人であるぞよ~みたいな人を無差別に持ち上げてる状況が気に食わないんですよ。
SideMのライブをSideMのPが納得して楽しめなくてどうすんだよクソがすっこんでろ老害という思いですね。
ぶっちゃけここまでだらだら不満を述べすぎてそれだけで疲れてきました。
苦しいと思ってることを説明するって疲れる。
どうでもよくなりつつある。
いやよくはないです。
他マスからのPをクソミソに言いすぎましたが、普通に普通の感覚でエムマス現場ではちゃんとエムマスPだったり、
ファンであったり、そういう方に思うところは何もないです。
ただはしゃぎたいにしても「女性が多い現場での空気を掴んだぞ!台詞パートのあとにキャー、これだな!」みたいな楽しみ方をしている人には、
ああこの人は私達の場所を探って飛び込んできてくれようというんだな、と呆然とするぐらい安心したこともあります。
これを言うのは本末転倒な気もしますが、ライブは演者のパフォーマンスによる音も楽しむ空間です。
聞き取りたい音が聞こえないことはとてもつらく悲しいことです。
ちゃんと聞きたいと願う人をあまりきつく怒らないでください。
【備考】
コール嫌って人前で言えないのになんでこの日記を書いたのかというと、
東京は秋葉原に住んでいるが、わざわざ名古屋まで行って某アイドルアニメのライブに参加してきた。
ちょっと長くなるけど、この気持ちをどこかに書き留めておきたくて、帰りの東海道線の中でちまちま打っていこうと思う。
今回行ってきたライブの作品は、いわば「続編」で、“伝説”になった初代グループに憧れ、そんな風に輝きたいとステージに上がる女の子達を描いた作品である。
当時大学生だった自分はモロに影響され、アニメを何回も観ては泣き、ライブにはほぼ全て全日参加し、彼女達の生き方に憧れ、その作品を作った人達全員を心の底から尊敬し、がむしゃらに今を輝かせようと大学生活を走り抜けた。
完結編にあたる映画版を観た少し後、まだハイになった頭のまま就活の面接を受けた。
作品に出てくるセリフをほぼそのまま取締役に恥ずかしげもなく言って、落ちこぼれには分不相応な一部上場企業へのチケットを受け取った。
その作品がきっかけで、アニメや漫画の同好の志が集まる場に参加するようになった。
そこで気の合う女の子と知り合って付き合い始め、卒業直前にはその作品で重要な場所となっていた神社で結婚式まで挙げた。そして舞台である秋葉原に新居を構えるまでに至った。
まさにその作品は自分の大学生活にとんでもない影響を与える“青春”だったな、と今でも思う。
そんな大学生活の最終日となる2016年3月31日、彼女達最後のライブとなる東京ドーム公演の初日に参加し、彼女達のストーリーがピリオドを迎え“青春”が終わったのひしひしを感じた。
僕の影響でどっぷりハマった嫁に連れられて、彼女達の“伝説”を受け継いだグループのライブに参加してきた訳である。
歌、ダンス、マイクパフォーマンス、ストーリー、オーラ。そのどれを取っても初代に引けを取らない、すごいライブだった。
参加者は熱狂し、終了後のTwitterも絶賛される声が溢れていた。
本当にすごかった。
楽しかった。
自分もそう思う。
でも心の中のどこかに、初代のライブに参加していた時には感じる事の無かった淀みのようなものをライブ中からハッキリと感じた。
その正体が気になってしまい、演者に向かってペンライトを振りながら自分自身を見つめる時間になっていた。
会場のボルテージが上がり一体化する日本ガイシホールの中で、疎外感と孤独を感じてしまった。
劣等感、なんだと思う。
初代の声優達の中での最年少と同い歳の自分は、二代目の声優の誰よりも年上である。
追いつけ追い越せと努力してきた年下の女の子達に、あんな凄いものをまじまじと見せつけられた。
初代の最後のライブから一年半の間「君の心は輝いていたかい?」と強く問いかけられた気がした。
この一年半、一体何をやってきたのだろう?
そう感じた。
帰りの電車でそれに気づいて、吐き気が止まらなくなった。正直どうしたらいいのかわからなくなった。
彼女たちは他のアイドル達に完膚なきまでに負けて一度は挫折しかけるが、その経験を“ゼロ”として、新たな一歩目を踏み出していく。
初代への憧れだけじゃなく、自分達らしさを求めて。
まさかそれを自分自身に体験させてくれるとは全く予想だにしていなかったわけで。
なーんだ、そういうことだったのか、と素直に納得した。
東京に戻ったら、僕もがむしゃらに新たな一歩を踏みだそうと思う。
舞台も人も変わっても、ラブライブ!という作品は青春と言う名の暴力で僕をボコボコにしながら、いつだって大切なものに気付かせてくれる。
久しぶりのライブに行った。通路前の席だった。これは絶対客席降りてきたら目の前を通る!って席だった。
普通に楽しくライブが終了し、アンコールでやはりメンバーたちが通路を歩き出しわたしはいつも使っているボードを掲げ前の通路に推しが来るのを心待ちにしていた。
曲が始まりメンバーがそれぞれステージの階段を降りてゆっくりと歩きながら客席のファンと触れ合っていく。その間も自分のボードを持っている(?)ファンにペンサをしていく推し。そしてとうとう私の目の前を通ろうとした時。
ボードを推しの方に向けペンライトを振るものの、おいおい、ぜんぜんこっち見てねーじゃん。一列前のババアにライブタオルで汗拭いてもらってんじゃねーよ。
こっち。ねえ。あんれ〜?
そのまま一ミリもこちらを見ずに前を通り過ぎて行く。そして推しのボードを持ったファンに絡みに行っている。
は?どういうこと?その後も遠くでファンサをしまくる推しを薄目で眺めてたけど正直地獄でしかなかった。表情が死んでいたと思う。いやいや、なんでだよって。
一応私は推しに認知されているから(名前を覚えられていた)ここまで完全無視されるとは思わなかった。ショックだった。
いやね、私より古参にペンサするなら分かるんだよ。でもね、見てた限りペンサしてたのおまいつでもないからね。
新規獲得したかった?にしても酷い。ゆるおたなりにそこそこ積んでるからね。少しくらい期待するじゃん。
最近はリリイベのミニライブでもペンサくれないし、本当嫌われているとしか思えない。何かした覚えはないけどこの対応は干されてるってことなんだと思う。つらい。
楽しかったライブが最後の最後でぜんぜん楽しい気持ちじゃなくなってしまった。来週は遠征するのにこんなモチベーションで行きたくない。つらい。
本人に直接言うのもめんどくさいオタクだと思われそうで嫌だし、だからといってこのまま通っても毎回干されて私が傷ついて終わるだけ。推し変しようにも認知されてるから気がひけるしもうどうしたらいいんだよ。つらい。
Buono! が最後ということで、平日のために行くことも出来ず、明日は泣きながらタイムシフトを見ると思う。一応雰囲気だけは他人の呟きで掴んだが。Buono! は私の青春だったわけだ。何年でも待てたし、これからも何年後であってもまたライブをして欲しい。今日がラストライブだと本当は言わないでほしい。だがももちこと嗣永桃子はハロプロを卒業するし、6月には℃-uteも解散を迎え、雅も新しいバンドに勤しむだろう。悲しいがまたそれぞれの道で輝く姿を応援したい。
なぜここまで心動かされるのだろう。ただひたすらに好きで好きで仕方なくて、憧れて泣いて笑って、綺麗な景色を見せたいとペンライトを必死に降る。アイドルは不思議だ。ただ女の子達がキラキラするために歌って踊る。それだけで世界が宇宙のようにひろがる。素晴らしい。ステージの彼女たちに幸あれ。彼女たちを見上げる人間たちに幸あれ。これからも、アイドルが世界のどこかを照らしていくように。Buono!ありがとう、お疲れ様でした。
昔、何年か前に私は家族と某男性アイドルグループのコンサートに行った。
私はそのアイドルの大ファンで、今までに何度かコンサートに行っている。
私たちファンがコンサートやライブに行く目的は、どんなアーティストだろうとおそらく共通して
『好きなアーティストを直に見て、生歌を聴き、そこでしか味わえない楽しさ』を感じることだと思う。
きっとそれは相手がアイドルだろうが、バンドだろうが、ソロで活動している歌手だろうが、変わらないことではないだろうか。
前置きはさておき、私が行ったコンサートでは席があらかじめチケットに書いてある、席移動不可の会場だった。
アイドルが出てくるまでのドキドキ感、何が起こるのかわからない、あの時間は本当に他では味わえないものだ。
ファンはいつだってコンサートを、ライブを、全力で楽しむ準備をしてから会場に向かっている。
そしてついにアイドルが会場に出て、大きな歓声の中歌いだした。
私はもちろん興奮しながら大きな声で彼らを呼んだ。
周りも黄色い声をあげて彼らの登場を喜んだ。
会場はどんどん盛り上がり、曲に合わせてペンライトを振り、定番のコール&レスポンスをして楽しみだす。
でも、私の耳には大好きなアイドルの声以外に耳につくものがあった。
後ろの席の人が歌っていた。
これは、他のアーティストでもそうなのかはわからないけれど、少なくとも私が今まで行ったコンサートやライブでは、アーティストが歌っている間自分たちが歌うのはマナー違反だ。
当然、最初にも書いたがファンは『好きなアーティストの生歌』を聞きに来ているわけで、他のファンが歌う声なんて雑音でしかない。
(もちろんアーティストが『みんなも歌って!』と言ってマイクを向けるときなんかは別だけれど)
個人的には耐えられないことだった。
私はアイドルの歌が聞きたくてここまで来たのに、なぜお前の歌を聞かなければならないのだ。
気にしなければいいだろうと思うかもしれない。
音楽の方が音が大きいんだから、そんなに耳に入らないだろうと思うかもしれない。
これは体験した人ならわかるかもしれないが、どんなに大きい音で音楽がなっていても、すぐ後ろにいる人の声が意外と耳に入ってくるものだ。
ここでタイトルの回収になるが、恐らく後ろの席の人は障がい者だったと思う。
歌っている声の出し方というか、しゃべり方というか、なんとなく(あぁ、普通に話せる人ではないだろうな)と思った。
通常周りで歌っている人がいたら注意するだろう。持ち込み禁止のものを持っていたら注意するだろう。
マナー違反はファン同士が注意し合って改善し、アーティストや他のファンの迷惑にならないようするものだ。
でも、私たちは注意できなかった。
私だけではなく、後ろの席で歌っている人の周りは誰も注意できなかった。
彼はずっと歌い続けた。おそらく自分が歌える曲は全部歌っていた。
私たちは何も言えなかった。
ずっと彼の歌声が私の耳に入り続けた。
決して上手くはない、しっかりと発音できないあの声を聞き続けた。
今思うと注意するべきだったのだろうか。おそらく彼の横にいたのは彼の保護者で、その人に向かって「歌うのをやめさせてください」と言うべきだったのだろうか。
誰かが注意してそれを理解し、歌うのをやめられる人だったんだろうか。
彼が障がい者だったから、私たちは(なら仕方ないか)と思って我慢した。
それは本当に仕方ないことだったんだろうか。
多分いろいろな意見があると思う。
どれが正解だなんてないのだと思う。
でも、私はあのコンサートを全力で楽しめたのかと問われれば、言葉に詰まってしまうかもしれない。
帰り際、一緒に隣で見ていた母親に「後ろの人、障がい持ってる人だったね」と言われた。
私は「そうだね」と返すことしかできなかった。
最近ではどんな作品でもミュージカル、舞台化するのが当たり前になってきた。どんな世界観作風でも既定路線のようにあっという間にミュージカル舞台化されて、イケメン俳優と呼ばれる人たちがキャラクターを演じる。
もはやミュージカル舞台化を喜ぶのが当たり前の世の中。好きな作品の多種多様なメディア展開にはひたすらについていく。オタクは熾烈なチケット戦争を勝ち抜き、時には害悪な転売屋から、ありえない値段で購入してまでこぞって舞台まで足を運ぶ。
うちわやペンライトを振って黄色い声援を送り、ファンサを要求する。俳優たちがツイッターでオフショットをアップすれば大興奮。各々が上げるレポにも大興奮。みんな狂喜乱舞している。
それを恐怖して見ているのがわたしだ。みんなが何を見に行っているのか、時々分からなくなる。自分の好きな作品、キャラクターを見に行っているのか、自分たちに媚びてくれるイケメン俳優を見に行っているのか、どっちなんだろうと考えてしまう。
自分の好きなキャラクターをイケメンたちが演じる=イケメンたちがオタクたちに愛想を振りまく(ファンサ)=オタクたちはファンサに喜ぶ=ファンサがもっと欲しくなる という構図が頭の中で至極勝手に出来上がるのだが、わたしの知る人たちはファンサを求める人たちばかりだった。みんなせっせとうちわを作り、公演が終われば目撃した、獲得したファンサの光景を文字にイラストにおこす。
ミュージカル舞台へ足を運ぶオタクたちが「好きな作品」を見に行っているのではなく、「イケメン俳優にファンサをもらう」ためにチケットを勝ち取りに行っているのではないかと思う。イケメン俳優の瞳に映りたいと必死なように見える。あなたたちは一体何が好きなのかと怖くなってしまう。実際にそう問えば作品が好きだと言うのかもしれないけど、わたしはそれを100パーセント信じることはできない。
オタクは許容範囲が広いほうが偉いと思ってる人が大多数(特殊な性癖でも愛せる自分、みたいなのとか)だけど、要はイケメンならなんでもいいのではと思ってしまう。しかもイケメン自ら媚びに来てくれるのだから願ったり叶ったりだろう。
イケメン俳優たちは仕事だから演技をする。ファンからの評判が良いに越したことはないので、オタクたちに更に火をつけるためファンサを怠らない。それが仕事だし、もはや二次元のミュージカル舞台の文化になりつつあるからもはや辞めるわけにはいかない。女性アイドルの握手会と同じ。辞めてしまえば顧客が離れるから辞めるのが怖い。商売としてはもはや仕方のないことだ。
ミュージカル舞台化が大好きな人たちにとってはわたしが原作至上主義の心の狭いオタクに見えるだろうけど、まさにその通りです。原作以上にメディア展開されたものを好きになり、盲信している人たちがわたしは怖いです。でもミュージカル舞台を原作以上に好きになった人に直接文句を言うつもりはありません。ひっそりさよならしますので、安心して下さい。
書き起こしたのが2/6なので、2/5のことをずっと“昨日”と呼ばわってますが、お許しを。
2/5(日)。デビュー5周年を迎えたばかりのジャニーズ某5人組の5周年おめでとうイベントに行った。
その5人組はジャニーズ内では世間的認知度がたぶんいちばん低くて、このグループが好きなんだよねって言っても誰?って言われることが多い。
それでも約1年前に本格的に沼落ちしてからわたしはこの5人をずっといちばんに応援してきた。彼らはデビュー前にも長い歴史がある上にファンも古株が多いので、度々自分の担歴の浅さに苦しみながらも5人の今とこれからを見守りたくて全力で追いかけてきた。
今まで色々なグループを見てきたけど、正直この1年間がどのグループを応援していた時より充実していて楽しくてしょうがなかった。知名度の低さや売上の伸びなさに勝手に悩むのも、今までなかったことだから正直新鮮で楽しかった。メンバーの1人がオリコン1位を獲りたいと言うから最新シングルは僅かなバイト代から捻出して15枚買ったし、ドームに立ちたいと言えば絶対に同じ景色見ようねっていちいち勝手に決意を新たにしてきた。
昨日のイベントは最新のシングルCDに封入されていた参加券があれば誰でも参加できるというものだった。ポスターお渡し会という名のハイタッチ会である。担当している人のみならず他グループを担当している人なども数多く来ていて、それはそれは盛況だった。2ループまでという制限だったのでわたしはもちろん2ループした。待ち時間はほとんど屋内だったし、長い待ち時間を気遣ってか歴代MVも放映されていたので思ってたよりはつらくなかった。いや、やっぱりちょっと嘘。室内は空気も悪かったし、MVは観すぎてもう向こう3ヵ月くらいは観たくなくなった。1ループ目と2ループ目で合計9時間くらい待った。
結局2回とも剥がしが早すぎて言いたいことなんて何も言えなかった。まあハイタッチ会に何を求めているんだと言われたらそれはそうなのだけど。2回目なんてメンバーは10時間くらいオタクとハイタッチし続けているから明らかに疲れが滲んでいて。
実は去年同様のイベントがあって、それは抽選だったのだけど、それに参加していたわたしは正直ちょっと物足りなかった。
どんなに疲れていてもありがとう、と目を見て伝えてくれる5人のことはやっぱり大好きだなと改めて思った。でも、正直去年の方がおいしかったなとも思ってしまった。売れてほしい売れてほしいと言いながらも現状を手放したくない自分に気付いてしまって、嫌になった。
最近某掲示板で、実際彼らは現状のままでいいと思わない?というスレがあった。そのスレには今後も活動を続けていける程度の勢いを維持してくれればいいとか、倍率も低いし相場も安い今がいちばんとか、おいしい思いしたいから売れなくていいとか、そんな意見がたくさん並んでいた。
わたしは5人が売れたいと言うなら、ドームに立ちたいと言うなら、それを全力で応援するのがわたしの役目だと信じて疑っていなかったし、彼らのペンライト一色に染まるドームの景色を見せてあげたいと心の底から思っていたので、正直驚きしかなかったし、そんなにいい思いしたいならJrにでも降りてろよと思った。わたしは彼らの意思より自分の利益を尊重するようなこの人たちとは違うと思った。
でも、昨日のイベントで、たしかにわたしも少なからず思ってしまったのだ、これ以上遠くに行ってしまったらどうしよう、と。
昨日のイベントは本当に色々な人が絶賛していた。多くの担当がますます彼らが好きになったと幸せに満ちたツイートをしているし、他担も彼らの顔の綺麗さとか優しさとか対応とかにとにかく感激してくれている。これがきっかけで彼らを好きになってくれた人も少なからずいるだろう。
なのにわたしは、ハイタッチじゃ飽き足らず、去年のことを思い出してはやっぱりあっちのほうがおいしかった、今回も抽選でよかったのにと心のどこかで思ってしまった。ハイタッチできただけで幸せとか思えなくなった。誰より彼らに売れてほしいと思っていたはずなのに、彼らが売れるための心の準備なんて微塵もできてなかった自分を知ってしまった。
10時間以上も絶えずファンと接触しながら笑顔を絶やさなかった彼らの優しさを知っているのに、彼らの優しさと愛をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っているのに、これじゃわたしはあの掲示板の人たちと同じだ。
5年後も、10年後も、その先も、彼らと同じ景色を見ていたい。できることならもっと大きなところで。なのに、もっといい思いしたいとも思っている自分がいて、矛盾しすぎて腹が立つ。もっと大きくなったら、こんな風に気軽にハイタッチすることすら叶わなくなることもわかっているのに。
正直、思ってたようなリアクションが返ってこなかったことによる僻みが少なからずあるっていうのは自分でもわかっているんだけど笑。
たくさんの人の、彼らへの愛を再確認した愛いっぱいのツイートを見ては自分の心の狭さにうんざりした。おめでとうと、ありがとうだけの気持ちで終われなかった自分に、いつの間にかこんなに強欲になっていた自分に。
帰ってから、5人から直接もらったポスターと、入場のときに手の甲に押されたスタンプを見つめて泣いた。シングル買えば誰でも行けるなんて無謀に決まってるイベントを決行してくれた5人の思いにやっと気付いて、祝うためじゃなくありがとうを言うためでもなく、ただ自分の欲を満たすためだけにあの場にいた自分のあさましさを笑った。おめでとう、ありがとう、その10文字をもっと全力で伝えたかったと思った。
今さら何を思ったって遅いし、もう二度と接触の機会なんてないのかもしれない。だってわたしは5人がもっと大きくなることを望んでたんだから。そう考えてまた泣いた。
数年前まで7万人入るスタジアムのてっぺんから米粒くらいのアイドルを応援して満足していたわたしはすっかり欲張りになってしまった。8年応援したあの人たちに、わたしは指1本だって触れることはなかったのに。
オリコンランキングを毎日毎日チェックしてはもっと買い足さなきゃだめかなって心配したりすることがないくらいに。
今年もやるよ!って、当たり前にドームに立てるくらいに。
昔は接触イベントもやったね、今やったら大変なことになるね、って言えるくらいに。
豆粒になっても、米粒になっても、ゴマ粒くらいになっても、当たり前のようにハイタッチしたことが夢だったんじゃないかと思えるくらいになっても。まだ少しだけ心の準備が足りてないけど、5人が目指す未来を、これからもずっと応援しています。
でも、もう少しだけでいいから、ほんの少しでいいから、今を満喫させてください。
色々書いたけど、やっぱり世界一の5人だと胸を張って言えます。
クタクタになったし、ちょっとだけほろ苦い思い出になりそうだけど、今日も5人の笑顔と歌声で元気になっちゃったよ。
未来がどうなるかなんてわからないけど、5人の笑顔が好きだからどこまでもついていきたい。気付いたらすごいとこにいるんじゃないかな。だってわたしが好きになったのは世界最強の5人だから。
5周年、本当におめでとう。そして、ありがとう。
キャッシュが残ってる> http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:blIvDuDYfZoJ:chaiy.hatenablog.com/entry/2016/12/27/221556+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
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正直、迷った。この記事を公開するべきか、しないべきか。決して読んでいて気持ちのいいものではないし、ただの一個人の勝手な意見だから。でも、心にしまっておくのも限度がある。私の周りでも似たような意見を持つ人が多く見られた。どうせなら言いたいことは全てはき出してから新年を迎えたい。
この記事は「今の嵐は嫌い、昔の嵐は好き」というほぼアンチ化しているファン卒業間近の私が今の嵐について書いたものである。嵐大好き!という方は気分を害される可能性がありますのでご注意下さい。
私はグループ内での信頼や絆、目標、価値観、考え、そして思いを知るのがとにかく好きだ。その為、よくテキスト重視で雑誌を買ったりする。
どんなに大きな壁が待ち受けていようとも決して諦めず傷だらけになりながらも頂点を目指す、そんな人間味のあるグループに惹かれる。
また、ライブの演出や構成が好きな分拘りも強いし、ここはもっとこうした方がいいんじゃないかと気になる事があればすぐさま友人と語り合うほどだ。メンバーの発した言葉や行動に不快を覚えれば叩く事だってある。それほど性格も口も悪い。
これから綴る文章はそんな私の個人的な意見にすぎない。共感を求める訳でもなく、喧嘩を売るつもりもない。どう思うかは自由だ。ただ、近年思っていることをこの場に書き留めておきたい。
私は昔の嵐が好きだ。詳しく言えば10周年前後の2007~2012年。この頃が好きなファンも多いだろう。
1999年にデビューした嵐。当時5人中3人が辞めたかったと話している。チケットが売れずに悩んだり、自分がどこに向かっているのか分からなくなったり。これからの嵐について深夜遅くまで語り明かした日もある。嵐という立場の自分に大きな葛藤を抱き、悩み、苦しみ、藻掻き続けた5人は「トップになる」というひとつの夢を掲げ這い上がってきた。その小さな努力の積み重ねが形となり、2008年頃、抜群の歌唱力とトーク力を兼ね備えた親しみやすいグループとして世の中に浸透していった。
そんな嵐のことをメディアは「仲がいい」と表現した。確かに5人の仲の良さは大変微笑ましいもので、歌っている時に目を合わせて笑ったり、ふざけ合ったり悪戯をして楽しんだり。その反面やる時はやる。ファンの為に真剣に仕事に取り組むその姿はかっこいいとしかいえなかった。
嵐はアットホームな関係性で見ていて和やかな、穏やかな気持ちになるグループだ。さりげない気遣いや思いやりを持ち、5人でいることへの感謝の気持ちを忘れずに仕事をしている。お互いがお互いを必要として「嵐」であることを誇りに思っているのだ。
その純粋な思いは5人のイメージや才能を圧倒的に開花させ、国民的アイドルとまで上り詰めた。
ライブが出来る喜びや有り難さを実感しながら作り上げる嵐のコンサートは誰が見ても幸せな空間といえるものだった。一緒に楽しんで一緒に笑顔になる。きめるところはきめ、魅せるところは魅せる。何しろ飽きさせない、つまらないと思わせない。グループとしてうまくバランスがとれていたせいもあり心の底から楽しいと思えたライブができあがっていたのだろう。
しかし、近年の嵐はどうも違う。こればっかりはどうしても挑発的な言い方になってしまうがいくつか例をあげて話したい。
まず一つとして仕事に対してのやる気のなさが取り上げられる。これは特に最近になって目立つようになってきた。リハが始まる直前まであぐらをかき、スタッフに「次○○(曲名)やる?」と聞かれても「やらない」と即答。これは本人達の気分もあるだろうから仕方が無いのかもしれない。
また、一部のメンバーに限るが、収録中にも関わらず寝ていたり、頬杖をついて人の話を聞いていたり。それを他のタレントに注意され頬杖はやめても指をトントンすることから苛立っている様子が伝わった。
二つ目は態度。クランクアップした役者さんに向けて花束を投げて渡したり、ゲストの前でもだらっとした格好で座っている姿が映っている。そんな行動を一部のファンは可愛いといっているが私はそうは思わない。少なくとも花束を投げて渡すというのは非常識にも程があると思う。それでも可愛いという人は自分がその渡された役者の立場になってみて考えてほしい。
三つ目は失言。「金いらない」「いつになったら飽きるの?」「チケット争奪戦が楽しみ」分かっている。バラエティだからふざけて言ってるだろう事も、ウケを狙って言ってるであろう事も。そんなこと分かっている。けど金いらない発言は流石にいらっときた。ファンは夢を買っているのだ。歌って踊って夢を見させてくれるアイドルが好きで、応援したくてお金を払っているというのに。そんなこと言うんだったら仕事なんてしなきゃいい。申し訳ないがそう思った。
また、去年に続き今年もコンサートという場でファンにガチ切れ。そんなに言いたいことがあるんだったらいっそのことはっきり言ってほしいものだ。今の嵐はいちいち文句をつけなきゃやってられないのか。
挙げ句の果てには散々今までファンと呼んでいたのをついには客扱いされるようになってしまった。これは四つ目の点として「近年のコンサート」の話にもなるのだが、私たちファンは彼らを明るく照らし、演出の一部になり、一緒にステージを作り上げる。確かにそうだ。だが、私としては一緒に楽しみたい。例として言えば2010年、11年の「Scene~君と僕の見ている風景」や「BeautifulWould」があげられるだろう。会場が国立というせいもあるかもしれないが同じ歩幅で、同じ距離感で、同じ方向を向いていたあの頃は本当に良かった。誰が見ても楽しいと思えるコンサートになっていて彼らと気持ちを共有して見ている景色が同じだった。それが私は嬉しかった。
けれど今、私はあの頃のようには思えない。ペンライトの演出が年々パワーアップしていってるのはいいが少々拘りすぎではないか?演出に頼りすぎていないか?制御ライトの制御を強制されてる気がしてあまり好ましくない。2014年のデジタリアンで使用されたファンライトに到ってはただ演出の為だけに作られたようなものだ。だってあれ、光が嵐に向けられてるんだもの。ステージにいる者だけが見れる、つまり映像映えするように、ということなんだろう。だからファンライト(ファン=ライト)なのかもしれない。
このようなことから、私は嵐がどこを目指しているのか段々分からなくなってきていた。以前よりファンを大切にしていないと感じる人も中にはいるのではないだろうか。
更に近年の嵐について調べあげ、具体例をあげたいと思う。
・どんだけ売り上げ伸ばしたいねん
今回のアルバム発売後、事務所から通常版購入特典として「嵐から皆様へ感謝の気持ちをご用意させていただきました」というアナウンスがあった。なぜ初回を購入した人には送られず通常なのか。それは売り上げ向上の為なのだ。
実を言うと最新のアルバム、シングル共に売り上げが落ちている現状である。
◆嵐1stアルバム~現在「Are You Happy?」までの売上数
◆嵐シングル 2015年「Sakura」~現在「Power of the Paradise」までの売上数
原因としては昨年と今期のメンバーによる熱愛報道、ライブの内容、CD・DVDを買う需要制、また年齢が年齢の為、若手グループに担降りしているのが主な理由だと考えられる。先ほど書いた通り、失言の多さややる気の無さが気になって離れた人もいるだろう。
そんなこんなで今事務所は売り上げを伸ばす為に必死になっているのだ。何としてでも今までの売り上げ数に並んでおきたい、そんな概念があるように見える。だから発売から一ヶ月以上たっていても新たな「嵐クローバー」というキャラクター&CMを作り宣伝し続けていたようだ。
更には現在行っているライブのMCにてほぼ全公演でアルバムを買ったか買ってないか、買ってないなら是非お買い求め下さいと、まるでセリフのように呼びかけている。上からの指示で言っているのか本人がただネタとして言っているのか分からないが、何としてでも売りたい、そういう風に捉えられる。
11月のVS嵐にて「もう一度見たい名場面集」という企画があった。そこに第二位としてハワイで5人だけで語り合った回がランクインした。確かに素晴らしい回だった。15周年を迎えた今の彼らが本音で話し合う、それは私にとっても凄く好きな内容で、当時思っていたことや、もし嵐になっていなかったらなど5人の気持ちを知れて嬉しかった。
だがしかし、もうハワイネタはいいんじゃないだろうか。「辞めたかった」そう打ち明けられた時の2人の顔。気付いていただろうか。とても哀しい目をしていた。あんな顔、もう二度と見たくない。嵐で頑張っていこうと決意した2人にとっては、突然突きつけられた衝撃の言葉に動揺を隠せなかったのであろう。
そして、名場面集第一位はメンバー同士のキスシーンだった。何故これが一位なのか投票した人に伺いたい。赤さんが「俺らのファンきも(笑)」と思っていてもおかしくない。いや、思っただろうな、きっと。
去年のドーム公演にてある女性アイドルグループを招待し、その子達に向かってファンサービスをしていたという目撃情報がファンの間で話題になった。その公演はDVD化され、ファンサービスをする様子も映り込んでいる。これに対してファンは双方に激怒したのであった。
そして先週のドーム公演にはあるメンバーと共演した女優さんが来ていた。勿論そちらも満点のファンサービスを振る舞っていた。
毎回嵐のコンサートは招待客が多いので有名だ。共演者、関係者、更にはメンバーが連れてきている人も入っている。招待客にはファンサービスするくせに肝心のファンにはスルー。一部ではビジネスコンサートなんて言われている。共演者を見るよりも、何倍もの倍率の中やっとの思いで当選して、年に一度会えるか会えないかのプラチナチケットを手に入れてここまで会いに来たファンを見るべきではないのか。ファンサービスするべきではないのか。誰の為に行っているコンサートなんだろう。
・今更銀テの話
アリーナツアーでも話に上がったそうだが、先日のコンサートにてファンが銀テ取りに夢中になっていると「銀テじゃなくて俺ら見てよ」「取りすぎ」「1個でいいだろ」という発言があった。今更何を言ってるんだ。いちいちつっこむ私も私だが銀テ取るのも取らないのも客の勝手だろう。以前「銀テにロゴ入れ始めたのは全部客に取らせて掃除を短縮している」というのを聞いたことがある。それを取るなと?逆に銀テ発射されても誰一人取らずに嵐を見てたら。想像するとあまりにもシュールすぎる。ファンを見ないくせに俺らを見ろと。もう少しファンとちゃんと向き合って欲しい。
・回りくどいぜ兄さん
何でもかんでも遠回しに説教してくる。
例えば。「どうせネットでばらされるなら先にセットリスト公表しちゃおうか」つまり、ネタバレすんなよ、と言いたいんだろう。ならそう言ってくれればいい。某グループはファンに「楽しみが無くなるのは嫌だからツアーのネタバレは禁止」とちゃんと呼びかけている。だからファンは守ってる。何故嫌みっぽく煽ってくる。はっきり言えばいいのでは。
・調子乗りすぎ、自慢しすぎ
メンバーが特定されてしまうが、やたらと「第39回」と推してくる。正直言ってしつこい。受賞したからっていい気になりすぎじゃないか?前回の受賞者は自慢もせず何度もその話をあげることは無かったのに。
嵐のコンサートに行ったというと誰もが凄いね!という返事が返ってくる。私の職場では「宝くじ当てるのと同じくらいだよね?!」なんて言ってくる。確かに嵐のコンサートは入手困難な超プラチナチケットといわれる程大人気だ。現在の嵐ファンクラブ人数は200万超え。数字だけ見ると爆発的な人気を誇っているように見えるがこの中には退会した人も含まれている為、実際はどのくらいの人数がいるのか気になる。
肝心のコンサート内容は簡単に言えば「アルバム曲+定番曲(感謝カンゲキ、Love so sweet、Oh yeah辺り)+制御ペンライト=嵐のコンサート」となっている。ただ演出が凄い、それだけ。以前の楽しさはどこに消えたんだろう。いつもと同じ曲、同じ順番、更に説教付き。演出に頼らず、一度素で勝負したらどうだろうか。
・本当に仲が良いのか
例えば2010年「君と僕の見ている風景」特典映像の強化合宿。私はこの映像が大好きだ。ロケバスで自由に話す5人。寝るところをじゃんけんして決める5人。赤さん一人だけ皆と並んでないのが寂しくて結局一緒に並んで寝ちゃう5人。着地するときに支え合う5人。くだらないことで笑い合う5人。楽しそうにレコーディングする5人。私にとって手放せない大切な1枚だ。
その頃と比べると今は本当に仲が良いのか疑ってしまう。カットという言葉がかかれば真顔、無言。前はこんなんじゃなかった。勿論大人になったせいもあると思うが5人集まることが「仕事化」している気がして。いや、仕事ではあるんだけど。それぞれに壁が出来ている気がする。嵐はお互いに気を使っている、だから揉め事が生まれないなんて言ってたけど果たしてそれでいいのだろうか?気を遣ってると自分の気持ち、意見が押しつぶされるのでは。本当に思ってること、言いたいことが言えないのでは。こればっかりは私は一般人だし嵐でないのでわからないが。何にせよ、今の嵐でちゃんと話し合った方が良いと思う。このままじゃバラバラになっていく。
去年のツアーにて「なんだよ、原点回帰しただろ」「原点回帰の意味知ってるか?」等。そして今年はアンコールの声が小さいと怒られ「いつも出てくると思われても」なんて言われ、面白かったから笑ったのに「は?」とキレられる。
今の彼らはアンコールで出てきて当たり前、という風に思っているところがある。それに、しようがしないが、これも客の勝手だろう。アンコールするほどの価値がないと思ったらしない。この間の公演でもWアンコールを用意してたにも関わらずアンコールの声が無かった為、それにて終了となった。どうせ客としか扱ってないのなら、アンコールがどうとか、声が小さいとか、セトリがどうとか文句言わないでほしい。
他にも書きたいことは山ほどある。これでもかというくらい、次から次へと言いたいことが出てくる。
アイドルは人気になればなるほど、提供してくれるものと、こちらが求めているものに誤差が生じてくる。求められている事全部に耳を傾けるのはとても難しい事だ。
それに、嵐は世間に美化されすぎた。「嵐」の○○が好きで、「嵐」の○○だから使われて。正直、名前の頭に「嵐」をつけなきゃ誰なのか分からない。誰もが皆コンサートに行きたがるけど、結局は「嵐のコンサートに行った」「嵐に会った」そういう肩書きが欲しいだけなのでは。
もう疲れた。
どうして説教されなきゃいけないんだろう。どうして楽しいはずのコンサートで涙が出るんだろう。哀しくなるんだろう。
どうしてもやもやしたまま帰らなきゃいけないんだろう。
こんな思いをする為にファンになったんじゃない。ただ、あの頃のまま一緒に歩いていきたかったのに。ペンの指す方向に、先陣切って歩いて行くあなたたちについていこうと思えたからついてきたのに。あなたたちが見せてくれる夢を見たくて買ったのに。
どうして。どうしてこんなにつらいんだろう。
苦しい。
変わってほしくなかった。
変わらずにいてほしかった。
ちゃんと愛してほしかった。
でも。もう既に心は決まっている。
さよならまであと少し。
V6がテレビガイドとかテレビジョンのお正月特大号で、2017年にライブやりそうな発言をしてたせいで「この曲ライブでやってくれたらうれしい!」とか「この曲やるならこんな衣装だとかっこいいな~!」とか妄想作業がはかどるはかどる。
そんでもって気づいたら一個セットリストみたいなの作っちゃった。「自分による自分のためのV6コンサート2017年ver.」といったところですな。これきと一ヶ月に一回考えたら毎回違うセットリストできると思う(笑)
自分の中での縛りとしては
・Oh My Goodness!に収録されていないそれ以降のシングルはできるだけ入れたい
・「ハナヒラケ」と「足跡」は入れる
・2015年にしっかり歌われてない曲もいれたい
なんだけども、しっかりこの縛りを守れた気がしない!(笑)
というわけで、できたセトリがこれ!↓
SILENT GALAXY
SPOT LIGHT
グッデイ‼
ハナヒラケ
~MC~
Good Life
君がいない世界
君が思い出す僕は 君を愛しているだろうか
涙のアトが消える頃
IN THE WIND
Skys the limit
~アンコール~
僕たちの明日
~アンコール2~
\もーいっかーーーい!!!/
まずそもそもセットリスト考える妄想を始めるきっかけになった曲が【SILENT GALAXY】なんですよ。V6の曲をシャッフル再生しながら部屋の掃除をしていたら、このイントロが流れてきて手が止まった。勝手に脳内でコンサート始まった。このSILENT GALAXYで、まるで各々が六つの国の王集結したところを見せられてるように、壮大に、きらびやかに、ゴゴゴ…ってステージに上がっていたもん。暗い会場になぜか後光がさしてました。照明かな…演出として素晴らしかったわ…
だから、一曲目きっとないだろうけどSILENT GALAXYで静かに、だけどちょっと踊りもいれつつ歌ってもらって、2曲目【Cosmic rescue】、3曲目【BEAT OF LIFE】ガンガン踊って歌ってくれたらテンション一気に上がってブッ倒れちゃうかもしれない。最初の3~4曲くらいはガンガン踊ってほしい。コスレスのあの軽やかなステップで踊るV6大好き!!!!!!(BEAT OF LIFEは踊る前提)
で、そのあと【Don't Stop The Refrain】お願いしたい。「な?!なッ…え?!ここでこれ来たァ?!?!?!?!」ってぶちあがるのが容易に想像できる。最初の森田くんのラップを耳に焼き付けたい。もう感動しちゃって、ペンライトとかうちわとか楽しく振っている暇はない。
そしてがんがん踊っていただいた後は、まさかの【Swing!】。ちょっとここ迷ったんだけど、ここ最近アンコールでしかやってない気がする(私の鳥頭調べ)から本編にど~してもいれたかった…。フリーで走り回ったりするならピッタリかなって思ってここにいれた。森田くんの「さあ手をあげなぁー!」。カワイイね。(お気づきの方もいるかもしれませんが私は森田担です。六人みんな好きだけど!)
そしてアウトロからつながるように【SPOT LIGHT】!最近出た曲だから去年もやってるけど歌詞もいい、曲調もいい、鉄板にしてもぜんぜん盛り上がる!というかまた歌ってほしいんだー!ファンは絶対好きだよこの曲!!
盛り上がり、気分は最高!ってとこで【Train】。ちょっと落ち着くね。でも「ここで…ここでTrainだなんてッ‼︎」って卒倒します。最初の坂本君と森田くんのささやき(?)あれを聞きたいという自分の趣味です。ところでさっきから私何回も意識失ってません…?
その後の【WAになっておどろう】~【ハナヒラケ】の流れは、主観で曲調とイントロアウトロを吟味して並べたものです。歌ってるV6を想像しながら「あ~~ここでこれ歌ってほしい~~この流れイイ~~すてき~~」って考えながら作りました。
MC前の曲は【Beautiful World】がいいな。あの、タラララン♪タラララ♪タタンッ♪(下手)ってアウトロから、イノッチを筆頭に「いぇーい!!」ってなるの想像した。いい感じ!そこからあの楽しい楽しいMCタイムに入るとか微笑ましすぎて口角上がりっぱなしになると思う。
MC明けの曲は【明日は来るから】がいい!CDに収録されていたように入って歌ってほしい。イノッチが「じゃあ、森田くん。ねぇ!そろそろ…(にやにや)」みたいなかわいいフリをして、森田くんもにやにやしながら曲のタイトル紹介するでもなく突然に「じゃあ…ミュージック、スタート。」って言ってファンが「ん?」ってなるの。で、イントロかかって「おおお!」はいありがとうございますこれで次の日も頑張れます。もちろんちゃんとイノッチの「イェ~~~~」まで!
その次の【Good Life】はもう心が洗われる感覚(大げさ?)でいれました。イノッチの「イェ~~~~」からイノッチの「オーグッライ、グッライ、グッライ、グッラアイオーオーーオーーーィェイ」聴けるなんてすごくうれしい!あと、イエ~とかグッライとかホントごめんなさい。
【テレパシー】はパステルカラーとかホワイトとか、優しい色の衣装がいいな。めっちゃ目にいい感じ。椅子とかに座るのかな…立ってても座っててもいいなぁ。
その後の【君がいない世界】は、スポットライトを歌ってるメンバーだけに照らす演出がほしい。森田くんだけ→長野くん岡田くん…みたいな感じで。
で次は【君君】だから、ピアノ伴奏で君がいない世界~君君をうまくつなぐ。なんとかしてうまくつなぎましょう。
涙アトは去年の感じでいい。←雑なつもりはない!!
【不惑】はタキシードみたいなスラッとした、トニセンの抜群スタイルをしっかり堪能できる黒いスーツ(ハットのオプションが付くとなお良し)か、真逆の「日曜日子供と遊園地行く父」みたいなカジュアルな服着てたら嬉しい!ネクジェネ福島公録の時のような…(笑)どっちでも素敵。
不惑のあのばつっとした最後の終わり方から私がワンハーフあるいはフルで聞きたい【IN THE WIND】!ちなみにこのIN THE WINDからSky's the limitまではしっかりガンガンダンスタイムです。最年長が46歳になろうとしているグループだけど坂本くんが「いや…もう無理だわ…俺もう疲れちゃうわ…踊れねえわ…」って言ってるところは全然想像できないので大丈夫かと思います。
【Sky's the limit】でばっちしキマって、「フゥーーーーー↑↑↑」てなったところで私の大好きな曲入れさせてもらいました【キセキのはじまり】。いやでもまあ、自分による自分のためのだから…('▽')Sky's the limitのあの決めポーズのままキセキのはじまりのイントロかかって「うわぁぁ…(泣きそう)」ってなりたい。だって2015年のコンサートで間奏だけだったんですもの!ちょっと悲しかったわよ!
そしてここちょっと複雑で、想像するのも難しかったんだけど(笑)、キセキのはじまりからビリスマの二番のサビ前くらいまでフリーでお客せん(©坂本君)とワーーってやって頂いて、サビで真ん中のステージに集まり踊っていただく!【ビリスマ】のダンス大好きなんでお願いしたい。サビのステップとか何度でもいつまでも見たい…あとはあのLOCKの部分も!
もし本当にあのダンスを見ることができたなら…あ~…ありがて~…(合掌)
ビリスマの次はやっぱ【by your side】でしょ!ここの繋ぎは個人的に絶対!アンサーソングというか、公式で繋がりのある曲とされてますからね。OMGコンの時みたいに三宅くんから何らかの説明があってもうれしいな。
【足跡】はCMでしか聞いたことないんですけど最後の曲にぴったりだと思う。おそらく。曲調も落ち着いてるし、いったんここでしんみりと、歌詞をかみしめながらと曲と歌声を別れを惜しみたい。
でアンコール。【ハニビ】のイントロがかかってお客せん「キャーーー!!!」そののちスライドアップでステージにスタンドマイクとともに出てきてほしい。わらってー!わらってー!わらってー!!バーンっ!ってスモーク?火花?のような特効があったらうれしい!
…で、元気よく【僕たちの明日】。ソロパートも多いからこの曲好きです。なんかわちゃわちゃがあってもおかしくなさそう。
で【愛なんだ】。愛なんだ純粋に笑顔になれる素敵な明るい曲だから、アンコールで盛り上がりたいので入れました。つらい時でも愛なんだ~♪
またいったんはけて、またアンコール。
【上弦の月】のイントロがかかり「エーーー!!キャーーー!!」となりたい。(上弦の月大好き人間です)
そして一曲やって帰ろうとするV6。だがしかし、ファンは「もういっかい!もういっかい!!」コールをやめません。(妄想がものすごくエスカレートしていますスミマセン)
そこでよくやるやつ。2015年で言うと「せーーの?」\もーーいっかーーーい/「はぁらから声ださんかい!!」ってやつ。
そこで【シュガーナイトメア】がいいな。これがほんとの最後。最近聞いてないのを聞きたいというわがままが故に。
三宅くんの投げチューもいつものようにお願いいたします。毎回本当にありがとうございます。
本当に私の趣味・主観・妄想だけでこのセトリはできています。銀テはどこかで必ず飛ばします(雑)。だんだん妄想が激しくなっていますがお許しください!!不快な思いする人がいたらごめんなさい。
これ書いたの疲れたけど、すごく楽しい時間だった。気づいたら一時間半くらい経ってた(笑)
追記
「火事だー!」
「えっ……て、対岸の、しかもちょっと煙が出てるだけじゃねえか」
「火のない所に煙は立たないだろ?」
「だからってボヤ騒ぎを大火事みたいに言ったら、それは誇張だろ」
「でも、対岸のボヤ騒ぎに大騒ぎするの、好きだろ?」
「まあな」
「否定しないのか」
「ペンライトを指の間に挟んで複数持つことを『バルログ持ち』って言うらしいな」
「へえー、俺としては『ウルヴァリン持ち』のほうがしっくりくるけれども」
「骨格にシュウ酸ジフェニルでも流し込んでみるか?」
「バルログでいいよ」
「……ブリオッシュ!」
「びっくりしたあ。風邪か?」
「いや、誰かが噂しているのかも」
「言っちゃ悪いけど、お前のことで噂するような人間はいないだろ」
「それは俺の周りの人が噂をするような人格ではないって解釈すべき?」
「言っちゃ悪いけど、噂をするほどお前に関心のある人間がいないっていう意味合いかなあ」
「だったらクシャミと人の噂の相関は迷信だといってくれたほうがよかったな」
「そうか、気が利かなくて悪かったな」
祖母は某国民的アイドルのファンで、ファンクラブにも入っている。
奇跡的にドームチケットが当たり、私と一緒に参戦。すばらしいアリーナ席。
コンサート中盤、近くの席の人が、具合が悪くなったらしく嘔吐。服とかカバンとか汚した様子。
しばらく自分で処理した後、それでもやっぱり彼女は最後まで見たいのでしょう、座ってそのまま観戦。
嘔吐して気分も良くなったのか、途中から立ち上がったり座ったり。まあまあ元気そうだった。
私も祖母も口には出さなかったが、吐き気との戦いの後半となった。
でもさ、匂いまき散らしながら動くのやめてほしい。彼女が動くたびに、私たちは匂いで死にそうに。
MCもあったし、いくらでも退席するタイミングはあったのに。なんで帰らないの!?
はてな匿名ダイアリーの『売れないジャニーズJr.を好きになった。』『ジャニーズjr.に認知された感想』という記事を読んだ。
私は5年ほど前からあるジャニーズjr.の応援をしている。好きになった当時は、私も彼も中学生だった。身の回りではTwitterが流行りはじめた頃だった。ジャニーズjr.個人のテレビやコンサートについての出演情報はジャニーズネットなどには掲載されない。情報収集のために私もアカウントを作ったが、それでも今よりはずっと少ない情報、そして小さな財力でファンをしていた。
現在、アルバイトで稼いだお金のほとんどをジャニーズに使う生活だ。現場のための費用以外にヲタクと遊んだり飲んだりするお金やそのための洋服代なども含む。正直、リア友と話すよりヲタクとして知り合った友達と話す方が私は好きだ。リア友と話しているとどうしても共通の知人の悪口や噂話に発展してしまうことがある。面倒くさい。その点ヲタクと共有する悪口などといえば、よくある事務所に対しての文句や自担が置かれている環境に対しての愚痴などが多い。少なくとも私の場合はそうだ。そうだった。真剣に悩んではいるものの、こんな話をやめられないのもヲタクの性である。
ところがここ数年で仲良くなった友達数名の中に、いわゆる「つよいヲタク」がいた。担当はそれぞれ違うが、一緒にいると現実を忘れられてすごく楽しいし、ヲタクとしても人としても尊敬できる人たちだった。ただある日突然、会話の中に「列」という単語が浮上した。私は足を踏み入れていない域だったのでその場ではふーんそんな世界もあるのねと会話を聞いていた。しかし、その場にいた私以外全員が経験者だった。話を振られてしまった私が「そういうの行かないんだ…」と白状すると、一瞬静まり返った。怖かった。そしてスルーされた。
別に、だからじゃあ次並んでみようとかは思わなかった。並ぶ理由がないと思っていたからだ。けれど、並ばなければ聞けない楽しい話や、ヲタクだけじゃ予想しきれない次の現場についての話などもたくさんされるようで、少し悩んだのも事実だ。私は今の担当を担当して5年経つが、そういった世界に足を踏み入れていないばかりに、最近好きになった人より私の方が彼のことを知らないような気がしてきてしまって、少し悲しくなった。担当歴が長い方が偉いなんて思ったことはあまりない。けれどそこで、なんだか少し悔しくなってしまった。
私が、応援しているjr.に求めてるものって、そういえばなんだっけ?
「見られたい」わけではなかった。なんなら私は自分の顔面に恐ろしく自信がないのでできるだけ見てほしくない。彼の目にはキラキラ輝くペンライトと彼の名前が貼り付けられたうちわだけ入ってくれれば幸いだった。同担拒否というわけでもないので、彼が彼のファンに対しファンサをしている姿も好きだし喜んでいる彼のファンの子の姿を見るのも好きだ。たまに、私がその立場になってしまう時もある。正直、超うれしい。にやけてしまったり驚いたりしてしまう私の反応を見て楽しんでいる彼を見るのも大好きだ。書いていて、すごい矛盾してんなって思った。
私は、見られたい<見たい派だなと気づいた。どんなに近い席で入っても、バックを務める彼はどうしてもメインや他のjr.に被って見えなくなってしまう時がある。私はいつもそれが耐えられない。いるのに見えないのが耐えられない。だから、近すぎず遠すぎない距離を選ぶようになった。
そんなこんなで、5年という少なくはない期間、特定のjr.をそこそこマメに追って来た。が、おそらく自担には認知はされていないだろうなと思う。(その周りのjr.やメインのタレントには認知されてしまったかなと感じるタイミングはある)
ファンレターは1度だけFC宛てに出したことがある。担当になった当時だ。好きになった理由やこれからも応援したいんだというような旨の文章を書いた記憶があるが、なんせ中学生だった自分が書いた拙い文章だ。正直思い出したくもない黒歴史に匹敵する。それ以来書いていない理由は、書こうとしても単に伝えたいことが「大好きだよ!」「応援してるよ!」以外に毎回見つからなかったからである。もともと、私は彼の自己プロデュース力に惹かれたのだ。そのため、「こうしてほしい・こうすればいいのに」という私の感情はTwitterに吐き出したりたまに雑誌にはがきを送ったりすればもう充分だった。なんだかんだ最終的には彼を信頼したいのだ。
私は妙に、自らの応援スタンスに潔白さを求めてしまう。チケットを定価の10倍以上で買うこともあるが、もうそれはその時の自担を見るためには仕方なかったと思い、割り切っている。
例えばEXではカンペや公式のペンラ以外使わないだとか、少年収で持つうちわは1本だけとか、本当にそういう変なところにこだわってしまうのだ。くだらないなと思うかもしれない。自分でも思う。相変わらず矛盾もしている。自担はjr.の中では人気がある方だと思っているが、予測しきれない現場がなくなったわけではない。そしてなんとなく知る手段も知ってしまったわけだが、この性格のせいかそれを使う気にはなれないのだ。知りたいのに、踏み出せない。
少し考えて、そこまでするのがヲタクなら、私はヲタクじゃなくていいやと思った。
ヲタクの友達から赤裸々な色々な話を聞くのは勉強にもなるしやっぱり楽しい。けれど、私がそこに足を踏み入れる勇気はまだない。
踏み入れれば、もう少し彼のことを知れるのかな。もっとみんなと色々な話ができるのかな。
私なんかの存在や感じたことを知ってほしいんじゃなくて、彼が思っていることを知りたいのに。
私なんかを見てほしいいんじゃなくて、彼のことが見れればそれでいいのに。
ヲタクって面倒くさい。
先週末にめちゃくちゃ楽しみにしていたライブに行ってきた。
もうずーっと前からいろいろ準備して当日を楽しみにしていた。
会場のアリーナ席は簡易パイプ椅子が並んで置かれただけの作りだけれど、何度も行ったことのある会場だから全然大丈夫!
ただひとつ、今までと違ったのが、隣の席のやつが今世紀最大のデブだった。
席行ってまず目を疑うよね、えー??こんなデブがいるの?!!??って。
そして隣の自分の席に座って二度目の驚き、えーーー??ケツこっちにめっちゃはみ出てるんだけど!??!
こっち普通に座れないの。座ると常に隣のデブの尻と太ももが自分の腰にピッタリくっついてんの。生暖かい。
なんかズレて座ってんのかなぁってチラッて見て少し寄ってみたら、あ、スミマセンって謝ってきたんだけど、私の席の広さは変わらない。
これが限界値だったらしい。
はーーー???このまま三時間ライブ????て正直めっちゃ気持ちが萎えた。
ライブ始まって立ち上がるじゃん?となりの圧迫感半端ないーーー!!!!
横に広いからペンライト振ってる手もぶつかる!こっちも避けようにも逆隣がいるから!その人に迷惑になるじゃん!!
世の中のデブのみなさん。
ジャニヲタになってから、もうすぐ10年が経つ。最初は茶の間で、当時好きだったグループがテレビの中で笑っていてくれればそれでよかった。それが大学進学と共に東京に出てきて、現場に行きやすくなったことで私は様々なグループの現場に足を運ぶようになる。恐ろしい勢いで現場厨への階段を駆け上ったのだ。その中で、私は多ステというものを覚えた。多ステとは、1つのコンサートや舞台に複数回入ることを言う。今回はそんな私がノリと勢いだけでとあるグループのツアーをほぼ全ステした時の話をするのだが、せっかく匿名にしたので包み隠さず全部話そうと思う。私はこのツアーに25公演中の20公演参加し、地方も含めて約10会場回った。気分は共にツアーを回るバックJr.だ。そのくらいの達成感はあるし、その分時間もお金もかかる。ではこれから、この経験を通してわたし自身が考えたことを、つらつらと書き記していこうと思う。
単刀直入に言うと、私は定価主義ではない。こうしている今現在もチケット流通センターやチケットキャンプ、メルカリにヤフオクなど様々な媒体でチケットの高額売買が行われているが、私はそこでチケットを買うタイプのヲタクだ。もちろん定価でチケットが手に入るに越したことはない。誰だって出す必要のないお金は出したくないはずだ。
しかし、最近そうも言ってはいられないのが現状としてある。所謂"相場"の高い公演(ここでの相場とは、倍率が高かったり人気の高いタレント、バックJr.が出演する公演のことを言う)では、定価でその公演に入ることはほぼ絶望的だ。天下の嵐さんのチケットなんかだと、アリーナが25万円で取引されていたりする。そしてヲタクはそういったチケットの値段を、単位を省いて"25"というような言い方をするのだが、これによってさらに高額売買をしているという意識が薄れてしまう。"3"と言われると、"3万円"と言われた時よりも罪悪感が薄れてしまうような気がする。
そして、例えチケットが手に入る状況になったとしても今度は欲が出る。彼をもっと近くで見たい、あわよくば気づいてもらいたい。以前どこかで聞いたことのある言葉を借りるとすれば、見たいという欲求より、見られたいという欲求の方が強くなってしまうのだ。
このことから私は今回のツアーにおいて、チケット代だけで約30万使った。普通の人が見たら目玉が飛び出る金額なのかもしれないし、私の様に普段からチケットの売買をしている人たちからすればなんてことのない金額なのかもしれない。「お金を落とすこと」が愛になるとは言わないが、少なくともCDや雑誌を購入したりコンサートに行ったりすれば、彼の事務所内での立場は良くなる。ただし高額売買というのはこの限りではない。私が必死でバイトして稼いだお金は、どこの誰かも分からない人のお財布に入ってその人の生活を支えることになる。御門違いも甚だしいことは分かっているのだが、それでも買ってしまう、最早麻薬にも似たところがあると私は考える。
2時間半の幸福(かもしれない)な時間を数万円で他人から買うのだ。
少し前に「ファーストクラス」というドラマが話題になった。仕事やお金や持ち物、男などの様々な観点から主観で勝手に順位をつけることで会社での地位や立場を築いて、ファッション誌編集部という女社会でいかにうまく生き抜いていくか。そんなドラマである。ジャニヲタ同士もこれに近いものがあるのでは、と私は思う。どれだけ多く、より良い席でコンサートに入ったか。見た目に気を遣っているか否か。比較観点は様々だが、私は前者の「どれだけ多く、良い席で入ったか」に囚われてしまった。さらに言うと、この文章には"同担より"というワードが追加される。
自分の身の回りにいる同担よりも、より良い席に沢山入りたい。他の同担よりも自分に構って欲しい。女の汚い嫉妬だと言われてしまえばそれまでなのだが、当時私はとてつもなく真剣だった。それ故に、高いお金を出して入った席で同担と隣になってしまえば、この世の終わりかの様に落胆する。それが規定外うちわを所持した茶髪ゆる巻き花柄ワンピの女であったならばダブルパンチだ。
実際に私は一度この状況に直面したことがあった。頑張って生活を切り詰めてなんとか買ったチケット。物凄く楽しみにしつつ席に向かうと隣には、キラキラグリッターのどデカイ規定外うちわを掲げた所謂量産型ヲタク。それまでのウキウキしたテンションは、一気に地の底へと落ちる。
「終わった………………」
もうその公演で構ってもらうことは無理なんじゃないか、この人の隣にいる自分がこの人より先に目につくはずがない。そう思って、頭に回るのはチケットの金額だった。冷静に考えれば馬鹿馬鹿しいのだが、躊躇せずに買うくせに公演に入っている時にはどうしても「その値段に見合う価値」を求めてしまう。その価値とは所謂「ファンサ」のことで、せっかく目線の来る席を抑えたんだからこちらを見て欲しい、あわよくばファンサが欲しい。そういったエグい感情が自担が近くにいる時は常に金額と共に頭をぐるぐる回っている。食べ放題のバイキングで元をとらなくちゃ!と焦る感情と似たものがあると私は思う。それでファンサをもらえれば浮かれポンチでその後のことはよく覚えていないし、もらえなければどこか沈んだ気持ちでコンサートを終える。毎回ファンサをもらえる保証なんてないし、なんならもらえない確率の方が高かったりもする。楽しみに行くはずなのに、本末転倒だ。若手グループで、まだまだ狭いキャパでやっている間は仕方のないことだとは思うが、コンサートがファンサありきになってしまうのはとても悲しい。
これ。ほんとにこれ。多ステすると、感じなくてもいいことを感じてしまったりする。例えば「このセトリどうなん?」とか「このゲームどうなん?」とか。2、3回だったら普通に楽しんで終われたんだろうなってところにも目をつけてしまった。
あと単純に飽きる。ただこれに関してはもう仕方ないことだと思って、ある程度は覚悟した上で公演に入っていた。あくまで個人的な意見なのでもちろん全ステしたって飽きない人もいるだろう。しかし私には全ステは向かないんだな、と思った。というのも、6公演目を過ぎたあたりから自担の出ている曲以外はメモの整理時間or休憩時間になっていたのだ。ペンライトは腕にぶら下げてライトも消灯…いやチケ代勿体無いにも程があるだろ。自担が出ている曲以外もせめてペンライトを振っていられるくらいの回数で止めるべきだな、と確信した出来事であった。
ここまで私が多ステをして感じたことをまとめてきた。結論から言うと、私はもう全ステを目指すことはない。腹八分目がちょうどいいとはよく言ったもので、コンサートにしろ舞台にしろ、"ちょっと物足りないな"くらいで終わらせるのが1番気持ちがいいし、思う存分ロスに浸ることが出来る。最終的に交通費なども合わせるとツアーを回るために私は3ヶ月で50万使ったわけだけれど、ここまでやってようやくそのことに気づいたのは本当に馬鹿だったなとは思う。ただ逆に言えばここで気付けてよかったな、とも思っているのだ。
実際今回コンサート中に、高いお金を払って入ったコンサートで真顔でメモを取って野鳥の会をしている自分を客観的にみてしまって虚無感に襲われ、自担がステージで笑顔を振りまいている中で泣いたことがあった。自担のことを見るのは楽しいことのはずなんだから、今後は笑顔で楽しめるヲタクになりたい。馬鹿みたいに高いチケット代金を赤の他人に支払うために必死で働いて、稼いだお金をそのままATMにつぎ込む選択をしてしまう自分の心に待ったをかけられるような大人になりたい。
今現在の話をすると、私は未だにnot定価主義はやめられずにいる。入りたい公演があれば買ってしまうし、それによって家計は火の車だ。人間ってそうすぐには変われない。ただ、第一歩として見栄や意地でチケットを買うことはやめてみた。それだけでも私にとっては大きな第一歩なのだ。今後、私自身どこまで自制することが出来るのかは正直わからないが、あの虚無感をもう一度味わうことがないように祈るばかりである。
担当アイドル(の声優)が来ないからいかないっていうのがよくわからない。
老害765Pだけど、真Pは平田さんがお腹に子を授かり来れない事がわかっても来ていたし、自転車とかを他の声優が歌う時は嬉々として真のペンライト振ってたよ。
モバマスはバレ十時マラソンの時に「俺はえらい場所に足を踏み込んだ」と思ってやめるまではやっていたけど、今のモバマスPって担当以外はモブって扱いなの?
765とは比べ物にならないぐらいカップリングやらが熱い(表示するのに5人選べるし)と思っていたがなんか担当アイドルがいないならいかないってのが意外だった。
これは普段から映画やアニメを積極的に見ていない層まで取り込んでいるからだそうだ。
確かにプロットも一捻りした謎要素があり、しかし決して難解ではない(見る前からある程度オチが予想できる)
加えて男女の恋愛も盛り込んでいるのだから女性も話に入り込みやすい。
で、だ。
この記録的大ヒットがもたらす今後のアニメの道筋はなんだろうか、と考えた。
主流はやはりTVだ。深夜アニメの数は膨大に膨れ上がっている。
TVアニメの続編、あるいは総集編といった形での映画化は結構ある。
ただそれはTVアニメという土台があり、見てくれる信者がいてこそ、採算が取れるからGOとなった。
かたや君の名は、はどうだろうか。
宣伝がうまかったにせよ、監督のことを知らなかった人も多いはず。
信者以外の人を大勢動員したことで、つまり単発アニメ映画で採算が取れる可能性が見えたのではないか?
崩壊寸前の現場は、君の名はの成功を見て、劇場で見るアニメの可能性を模索し始めているのではないかと想像した。
そもそも発声可能上映だとかペンライトがんがん振りながら見るとかある種の「異空間」を演出できるのが、今の映画館の強みだ。
3Dだって4Dだってアイマックスだって可能性はてんこ盛りんぐ。
ニコ動でコメント打ちながら見るのが新しかった時代は終わった。
これからは、誰かと同じ空間で同じ興奮を味わいながら楽しむ、「ライブ感」が重要になる。
君の名は、はそういったライブ感とは違うけど、皆が見てるから俺も私もという連鎖に入っている。
オタクはもう引きこもっているだけじゃ物足りなくなってしまったんだ。
そして制作側も、あわよくば一般層を引き込める劇場アニメに魅力を感じるかもしれない。
イベントにいきました。
とても好きな作品のイベントで、日にちが近くなってからはドキドキしてワクワクして、かなり楽しみにしてました。
会場の広さはそこそこ。
後ろの方になったらあんまりキャストは見えないだろうと思ってたけど、なんと今回かなり前方の席を当てられた。
チケットがとれただけでなく、こんなに近い席だなんて!
それはそれは浮かれてた。
他にもイベント参加した事はありましたが大抵後ろの方で、イベント中はモニターや前の人の頭と頭の隙間からちょこっと見えるキャストを追っかけてるのが精々だったから。
イベントはとても良かった。
スタッフさんやキャストの皆さんが頑張って作ってくれたイベントなんだと実感できるものだった。
ただ残念な事もあった。
イベント独自のメッセージやらロゴやらが印刷されている事も多く、そのイベントの大切な思い出になり欲しがる参加者が大多数。
でも実際に手に入れられるのは一階席、しかも前方の人のみという鬼のような入手難易度のあれ。
私もできることなら手に入れたい方の人だ。
しかも今回はまさにその一階前方の席!チャンスだ!
パァンと大きな音がして銀テが飛んでくる。
これを取ろう。
でも今私が手を真上に伸ばしたら後ろの人がステージを見づらくなってしまう。
さあ取るぞ、ほぼ顔の横で軽くテープを掴んだ瞬間、後ろからテープを強く引っ張られた。
元々ペンライトを持った手でなんとか取ろうとしていたのでそんなにガッチリ掴んでたわけでもないので力負けした。
この野郎と思った。
そっちをしっかりと目に焼き付けておきたい気持ちが勝ったので、とりあえず気にしない事にしてイベントを楽しんだ。
終演後、足元に落ちていたテープがあったのでそれを拾った。
引っかかる気持ちはあったものの、相手の顔を見るのは嫌でわざとゆっくり準備して、後ろの人が帰ってから私も帰った。
あの時私は後ろの人の事など気にせず手を伸ばしてさっさとテープを取るべきだったんだろうか。
でも私は前の人がそれをやったら嫌だなと思ったからやらなかったんだ。
それ自体は悪くはなかった筈だ。
「私が先に掴んでました」と意見するべきだったんだろうか。
でもテープの両端をお互いに持ってた可能性も捨てきれないし、そんな事で揉めてるヒマがあったらステージ見たい。
一切テープを拾えなかった人からすれば贅沢いうなと言われるだろう。
さらに言えば落ちてきたのを自分でキャッチする感動が欲しかったのかもしれない。
銀テくらいで…という人もいるだろう。
でも私は欲しかったんだよ。
こんなところでぐちぐちしてても意味はないのは百も承知だけど、とりあえず吐き出して、さっさと忘れて、イベントの良かったことだけ覚えていたかった。
それだけです。
でも今後銀テが降ってくるような席になった時、私はどうすればいいんだろう。
多分正解という正解はないだろうから、困ったなー。
ポスターは買わなくなった。特典ポスターなんかも、結構ですと言ってもらわないことも。
ただ、ストパンのパンフレットはたまに見たくなるので、ちょっと後悔している。
真姫ちゃんはまだ好きだが、ラブライブに興味なくなったし、どうしよう。
劇場の特典って、結局要らなくなるケースが多いな。
それもあって、ガルパンはもう5回も見ているが、ポストカードを1回もらっただけだ。
そういえば、好きなアーティストのタオルとかいっぱい持っていた。
ヤフオクで落札してまで集めていたが、一度も使わずに処分したのもちらほら。
先日ファンの友達に誘われて某声優アイドルのライブに行ってみた。
案の定男性が多くいわゆるオタクの身なりで年齢層も偏っている。
オレはあまりライブ経験はないが、Superfly、B'z、MISIA、久保田利伸、ゆず、ポルノグラフィティは何度か行ったことがある。
オレがライブに熱狂するタイプじゃなく、生歌の凄さを身体で感じたい人間であることを前提に読んでくれると嬉しい。
で気になった点は
アップテンポな曲が多かったが、たまにバラードになってもペンライトを必死に振り回す。
他の一般的なライブでも歌手の煽りで掛け声をしたり決まったリアクションを取ったりはするので、全ておとなしく聞けってワケじゃない。
だが静かな曲でリアクション取ることも忘れて聞き入る曲もあってよくないか?
・生の音楽を聞きたくて参加していない
周りの観客はどんな曲でもハイテンションな芸に夢中。ライブ終了後の友達は「楽しかった!どの曲も盛り上がれた」という感想。
歌唱力のあるアイドルというと、松浦亜弥を思い出したので、ライブ映像を見てみたら観客はアイドルファンらしい掛け声をしている。
多分オレが当時松浦亜弥のライブに行ってもパフォーマンスの高さをしみじみと眺めていたと思う。
最後まで安定して歌えてて声量には驚いたが、歌声に感動した場面は皆無だった。
サビ前でアカペラになった時は一瞬期待したものだが、声が大きいだけでてんでダメだった。
周りの観客は終始うるさかった。とにかくみんな身体全身を使って曲のリズムに反応する。
オレが今まで行ったライブは歌唱力やパフォーマンスの凄さに圧倒された。
息を呑むのを忘れ、時が止まったような感覚を味わった。曲が終ると我に返り思わず拍手してしまう劇場空間。
それに比べると、アイドルのライブは演奏や歌は普通に聞ければそれで良い。観客はオタ芸?の揃った掛け声で曲の間奏を盛り上げる。
観客の発狂ぶりは曲と一体となりライブ空間を作り上げていて、歌手がパフォーマンスを見せつける場ではないのかもしれない。
歌を聞かせる部分でもなぜかお決まりのコールがあり、全く集中できなかった。観客もアイドルともに細かいことはええから騒げ!と言っているようだった。
リズムゲーみたいに思えるし、アップテンポな曲にオタ芸で参加出来ればもっと楽しめるのかなぁ...
今回初めてアイドルのライブに行っただけで、ダメだと決め付けずもっと経験を積んでみたら面白さも分かるかもしれない。でもこんなにつまらないと希望が持てない。