はてなキーワード: 野鳥の会とは
野鳥の会って書こうと思ったけど今年は無観客かなー🐦
ジャニヲタになってから、もうすぐ10年が経つ。最初は茶の間で、当時好きだったグループがテレビの中で笑っていてくれればそれでよかった。それが大学進学と共に東京に出てきて、現場に行きやすくなったことで私は様々なグループの現場に足を運ぶようになる。恐ろしい勢いで現場厨への階段を駆け上ったのだ。その中で、私は多ステというものを覚えた。多ステとは、1つのコンサートや舞台に複数回入ることを言う。今回はそんな私がノリと勢いだけでとあるグループのツアーをほぼ全ステした時の話をするのだが、せっかく匿名にしたので包み隠さず全部話そうと思う。私はこのツアーに25公演中の20公演参加し、地方も含めて約10会場回った。気分は共にツアーを回るバックJr.だ。そのくらいの達成感はあるし、その分時間もお金もかかる。ではこれから、この経験を通してわたし自身が考えたことを、つらつらと書き記していこうと思う。
単刀直入に言うと、私は定価主義ではない。こうしている今現在もチケット流通センターやチケットキャンプ、メルカリにヤフオクなど様々な媒体でチケットの高額売買が行われているが、私はそこでチケットを買うタイプのヲタクだ。もちろん定価でチケットが手に入るに越したことはない。誰だって出す必要のないお金は出したくないはずだ。
しかし、最近そうも言ってはいられないのが現状としてある。所謂"相場"の高い公演(ここでの相場とは、倍率が高かったり人気の高いタレント、バックJr.が出演する公演のことを言う)では、定価でその公演に入ることはほぼ絶望的だ。天下の嵐さんのチケットなんかだと、アリーナが25万円で取引されていたりする。そしてヲタクはそういったチケットの値段を、単位を省いて"25"というような言い方をするのだが、これによってさらに高額売買をしているという意識が薄れてしまう。"3"と言われると、"3万円"と言われた時よりも罪悪感が薄れてしまうような気がする。
そして、例えチケットが手に入る状況になったとしても今度は欲が出る。彼をもっと近くで見たい、あわよくば気づいてもらいたい。以前どこかで聞いたことのある言葉を借りるとすれば、見たいという欲求より、見られたいという欲求の方が強くなってしまうのだ。
このことから私は今回のツアーにおいて、チケット代だけで約30万使った。普通の人が見たら目玉が飛び出る金額なのかもしれないし、私の様に普段からチケットの売買をしている人たちからすればなんてことのない金額なのかもしれない。「お金を落とすこと」が愛になるとは言わないが、少なくともCDや雑誌を購入したりコンサートに行ったりすれば、彼の事務所内での立場は良くなる。ただし高額売買というのはこの限りではない。私が必死でバイトして稼いだお金は、どこの誰かも分からない人のお財布に入ってその人の生活を支えることになる。御門違いも甚だしいことは分かっているのだが、それでも買ってしまう、最早麻薬にも似たところがあると私は考える。
2時間半の幸福(かもしれない)な時間を数万円で他人から買うのだ。
少し前に「ファーストクラス」というドラマが話題になった。仕事やお金や持ち物、男などの様々な観点から主観で勝手に順位をつけることで会社での地位や立場を築いて、ファッション誌編集部という女社会でいかにうまく生き抜いていくか。そんなドラマである。ジャニヲタ同士もこれに近いものがあるのでは、と私は思う。どれだけ多く、より良い席でコンサートに入ったか。見た目に気を遣っているか否か。比較観点は様々だが、私は前者の「どれだけ多く、良い席で入ったか」に囚われてしまった。さらに言うと、この文章には"同担より"というワードが追加される。
自分の身の回りにいる同担よりも、より良い席に沢山入りたい。他の同担よりも自分に構って欲しい。女の汚い嫉妬だと言われてしまえばそれまでなのだが、当時私はとてつもなく真剣だった。それ故に、高いお金を出して入った席で同担と隣になってしまえば、この世の終わりかの様に落胆する。それが規定外うちわを所持した茶髪ゆる巻き花柄ワンピの女であったならばダブルパンチだ。
実際に私は一度この状況に直面したことがあった。頑張って生活を切り詰めてなんとか買ったチケット。物凄く楽しみにしつつ席に向かうと隣には、キラキラグリッターのどデカイ規定外うちわを掲げた所謂量産型ヲタク。それまでのウキウキしたテンションは、一気に地の底へと落ちる。
「終わった………………」
もうその公演で構ってもらうことは無理なんじゃないか、この人の隣にいる自分がこの人より先に目につくはずがない。そう思って、頭に回るのはチケットの金額だった。冷静に考えれば馬鹿馬鹿しいのだが、躊躇せずに買うくせに公演に入っている時にはどうしても「その値段に見合う価値」を求めてしまう。その価値とは所謂「ファンサ」のことで、せっかく目線の来る席を抑えたんだからこちらを見て欲しい、あわよくばファンサが欲しい。そういったエグい感情が自担が近くにいる時は常に金額と共に頭をぐるぐる回っている。食べ放題のバイキングで元をとらなくちゃ!と焦る感情と似たものがあると私は思う。それでファンサをもらえれば浮かれポンチでその後のことはよく覚えていないし、もらえなければどこか沈んだ気持ちでコンサートを終える。毎回ファンサをもらえる保証なんてないし、なんならもらえない確率の方が高かったりもする。楽しみに行くはずなのに、本末転倒だ。若手グループで、まだまだ狭いキャパでやっている間は仕方のないことだとは思うが、コンサートがファンサありきになってしまうのはとても悲しい。
これ。ほんとにこれ。多ステすると、感じなくてもいいことを感じてしまったりする。例えば「このセトリどうなん?」とか「このゲームどうなん?」とか。2、3回だったら普通に楽しんで終われたんだろうなってところにも目をつけてしまった。
あと単純に飽きる。ただこれに関してはもう仕方ないことだと思って、ある程度は覚悟した上で公演に入っていた。あくまで個人的な意見なのでもちろん全ステしたって飽きない人もいるだろう。しかし私には全ステは向かないんだな、と思った。というのも、6公演目を過ぎたあたりから自担の出ている曲以外はメモの整理時間or休憩時間になっていたのだ。ペンライトは腕にぶら下げてライトも消灯…いやチケ代勿体無いにも程があるだろ。自担が出ている曲以外もせめてペンライトを振っていられるくらいの回数で止めるべきだな、と確信した出来事であった。
ここまで私が多ステをして感じたことをまとめてきた。結論から言うと、私はもう全ステを目指すことはない。腹八分目がちょうどいいとはよく言ったもので、コンサートにしろ舞台にしろ、"ちょっと物足りないな"くらいで終わらせるのが1番気持ちがいいし、思う存分ロスに浸ることが出来る。最終的に交通費なども合わせるとツアーを回るために私は3ヶ月で50万使ったわけだけれど、ここまでやってようやくそのことに気づいたのは本当に馬鹿だったなとは思う。ただ逆に言えばここで気付けてよかったな、とも思っているのだ。
実際今回コンサート中に、高いお金を払って入ったコンサートで真顔でメモを取って野鳥の会をしている自分を客観的にみてしまって虚無感に襲われ、自担がステージで笑顔を振りまいている中で泣いたことがあった。自担のことを見るのは楽しいことのはずなんだから、今後は笑顔で楽しめるヲタクになりたい。馬鹿みたいに高いチケット代金を赤の他人に支払うために必死で働いて、稼いだお金をそのままATMにつぎ込む選択をしてしまう自分の心に待ったをかけられるような大人になりたい。
今現在の話をすると、私は未だにnot定価主義はやめられずにいる。入りたい公演があれば買ってしまうし、それによって家計は火の車だ。人間ってそうすぐには変われない。ただ、第一歩として見栄や意地でチケットを買うことはやめてみた。それだけでも私にとっては大きな第一歩なのだ。今後、私自身どこまで自制することが出来るのかは正直わからないが、あの虚無感をもう一度味わうことがないように祈るばかりである。
ヒト・モノ・カネが集まらない市場にヒト・モノ・カネは集まらないというように
野生の動物や昆虫、行き交う子供達や犬猫などペットのいない公園には誰も拠りたがらない。
そういう場所で日本野鳥の会の人がでっかい三脚カメラで空や湖面を撮影してるのを見かけたら
昨今の公園は周りの土地改築やら土木工事の産廃汚染の影響で衛生的にそういうのに敏感な野鳥にとって
殆どの場合、池に隣接する、ナントカ橋がある所の用水路や人工河川を通って別の汚れていない公園や雑木林に移動する渡り鳥のように
本当に居なくなるものだ。
それが公園に野鳥の会の人が観察してるのを見かけると、そうした野鳥が帰ってきてしかもそこに住み着いてるのだと分かるものである。
要は彼らがいる事が、環境の良い公園を証明し、また在来生物の帰還をも意味するのだと最近になってようやく理解した。
彼らはあまりにも不審に見えたため、疑ってかかっていたが、よくよく考えてみると彼らの視線の先はいつも野鳥であった。
こういう人にはあまり害がない。
以前私はふとそれらを観察する人に訊ねてみたものだ。
そうすると彼らは嬉々として野鳥の素晴らしさを教えてくれ、更に撮り立ての写真を何枚かプレゼントしてくれるのだ。
そこに写された野鳥の普段公園で見かけない巣作りの様子や餌を食む様子、人工河川の河岸と呼ぶべきかどうか定かでない所で休憩している様が
余すところなく描かれていたのだ!
私は彼らの熱心さだけでなく、興味がなかったはずの野鳥の素晴らしさを感じ、また公園に緑が戻ってきた喜びを一市民として喜びを禁じ得ずにはいられなかった。
彼らの居る所には、公園には昔ながらの居心地というのが感じられる、鳥の嘶きを聴きながら外界から隔たれた小さな自然がそこにあるという事を知るべきである。
デモや集会の人数で色々と齟齬が出るのはいつものことであるけども…。
例えばミュージシャンのライブであるとかマラソンの参加人数を数えるのは簡単だ。
参加者は”一斉”に”一定の定められた区画内”に集まるのだからそれを数えればいい。
というより数えるまでもなく、チケットやエントリーの数を集計すればいいだけの話だ。
動きは流動的で何処から何処までが参加者なのかもはっきりしないだろうし、
いつ来ていつ帰っていくのかもやはりはっきりしないだろう。
そういうわけで、ああいうデモの人数集計なんて端から無理であるように思える。
というわけで、警察発表の”1万7千人”は一体どうやって数えたんだろうか。
まさか、何処かに人員を配置して野鳥の会的な数え方をしたんだろうか。
1万7千、と千の位まで指定しているのだから、それなりにちゃんとした
選挙権ってそんな大層なものじゃないと思う
あなたの一票で国を変える、とかなんとかいうけど
やっぱり主役は各政党が何をやってるかで
私達はそれを評価してるだけなんじゃないの
最後に赤か白のうちわを振ってるだけ
本当の紅白と違うのは会場の7割が寝てるところ
寝ててちゃんとうちわを振らなかったりしても
てめぇなにやってんだぶち転がすぞとは言われないのに
いいじゃねーか審査員が1人増えようが減ろうが変わんねーよ
逆に結果に影響与えようとしたら審査の時にうちわ振るだけじゃなく
ステージにあがって一緒に踊るか大声で応援するか
ヤジ飛ばすかしないといけないってことなんじゃないの
それでは投票おねがいしますっつって
はかり1つで当選わかるわ
候補者もどこにいるかわかんない審査員にアピールする作業から開放されるし
でもそうすると、残り3割の毎回紅白をちゃんと見にきてくれるおじいちゃんとかにだけ
媚を売ってる演歌歌手みたいなのは困るんだろうな
ていうかそれって7割の寝てる連中が起きるだけでも困るよな
だから「寝ててくれ」って森さん言ってたのか
http://anond.hatelabo.jp/20070522121030
もうツッコミどころ満載なわけですが
いちばんいけないのはこういうときの対処法を広く普及啓蒙しない日本野鳥の会だ
日本野鳥の会って、会員数では日本国内でも有数のNGOじゃないのか? 鳥見て終わりか? 漏れ聞くのは情けない話ばかり。
なにやってんだまったく。
さて、http://anond.hatelabo.jp/20070522131144 も言っているが、野鳥は基本的にばい菌とダニの宝庫だ。他の理由も含めて、素手で触るなど正気の沙汰でない。(生物オタク(プロを含む)は最初から正気ではないので大丈夫なのだ。)
あと、みんな揃いも揃って「法律で禁止されてるから拾っちゃ駄目だよ!」とか言っているが、…ええと、そのへんも含めて、NACS-Jとか、鳥類保護連盟とか、野鳥の会とか、自然系NGOがもっと啓蒙しやがれ! アホかおまえら!