はてなキーワード: テンプレートとは
頭悪いって言われて悔しいなら頭良くなればいいじゃん。
自分が頭悪いまんまでいいや、って思ってるならあー頭悪いんだなーで終わるんだけど、頭悪いまんまじゃ嫌っていう判断してるのに頭良くならないのはなんでなの?頭良くなろうぜ。
他人からよく頭が悪いって言われる?確かにお前は頭が悪いな。でもな、頭が悪いって平気で他人に言う奴なんて、人類の99%が頭悪いと思ってるし、自分は残りの1%だって無根拠に思ってるぞ。そんなバカになりたいか?なりたくないよな。人類の99%は頭が悪いし、自分は99%の部類だって自覚してるもんな。
勉強ができないから頭が悪い?まあそれもあるだろうな。お勉強ができたら頭が良い、これも一つの側面ではあるだろうな。私はお勉強はできたけど、まだまだ頭悪いぞ。人類の99%は頭が悪いんだ。安心しろ。
文章が書けない?それは訓練だ。学術論文は、「なぜやったか」「何をやったか」「どうなったか」「こうなった理由は何か」という、最も誤解の余地が少ないテンプレートに沿って書かれている。真似してみろ。
会話が苦手?これもほぼ訓練。でも雑談はかなり高度なスキルだ。できなくても気にすんな。しゃーない。
とどのつまり、「自分は頭が悪い」と思ってるってことは、何かしらのコンプレックスがあるんだろ。他人から言われるでも、学校で落ちこぼれたでも、まともな文章が書けないでも、会話が続かないでも、コンプレックスになっちまったら気になるよな。さて、じゃあそれを如何にして変えていくかだ。ああ、頭悪くていいやって思ってるならここでおさらば。コンプレックスの1つ2つ解決にもっていこうとしたところで、次のコンプレックスが出てきて「あーやっぱ自分頭悪いんだなー」ってなるから、疲れちゃったら休もう。休んで良いぞ。やる気が出てきたら、また地獄を生きよう。
学校の勉強ができなかったから頭悪くて人生が破滅する、なんてことはない。筆者は三十路だが、このタイミングで学校の勉強が唐突に誰よりもできるようになったとして、大した意味はないだろう。学校の勉強ができなくて悩んでるなら、あなたは今学生か、学歴コンプレックスがあるんだろう。後者の場合、そんなことで悩んでるなんて、自分はなんて「頭が悪い」んだ、みたいなことを思っているかもしれない。その場合、解決すべきは「そんなことで悩んでいる」の部分。学校の勉強ができるようになることじゃない。悩んだっていいし、悩まなくなったっていい。どっちの方向でも、「自分の中の心の傷がどこにあるか」がわかった時点で、コンプレックス解消の7割は完了している。あとはその傷を愛でるもよし、治すもよし、うまく付き合っていくもよしだ。自分のコンプレックスという、究極の自分ごとを言語化、言語化できなくてもそこに何かがあると理解できれば、その時点で「意味不明に私を苦しめるもの」から「意味不明だが自分の中の何か」に変わる。それだけでだいぶ楽になる。ひとつずつでいい、手の届く範囲で、解消すべき「頭の悪さ」を見つけてけ。これは本当に人それぞれいろんなパターンがある。どうしても行き詰まったらカウンセラーを頼れ。
よし、じゃあそれを治すという選択した場合について話していくぞ。先に言っておく、辞めとけ。愛でるかうまく付き合っていく選択にしたほうがいいぞ。
人はなぜコンプレックスを感じるか、治すのにめちゃくちゃ苦労するからだ。シンプルに変えるのが困難か、もともと向いてないんだよ。だからコンプレックスなんだ。人生はままならない。地獄だ。普通の人が1の労力で1得ているところ、向いてない自分がやると10の労力で0.1くらいしか効果がない、なんてよくある。地獄だよ。そこで大事なのは目的と目標の設定だ。
目的は一旦「頭よくなりたい」としようか。じゃあ具体的に何を満たしたら「頭良い」状態になるか?という目標設定が必要になるな、できれば定量的に決めよう。さあ、君のコンプレックス大開陳祭りだ。この時点できついぞ。頭が良いとはどういうことか?それに対して自分の現在はどうか?どんなギャップがあるか?ちゃんと並べてけ。きついぞ。そしてこのキツさは序章にすぎない。
コンプレックスを治すことがなぜ地獄か?目標設定が地獄、かつ、目標を満たしても満足行かないことが多々あり、無間地獄にハマっていくのだ。目標は、自分が満足できるならどんな目標設定でもいいぞ。例えば「長文が書けるようになりたい」を目的にしたら、目標として「増田お気持ち長文で100ブクマ超える」でも構わんのだ。できるやつにとっては簡単だろうな、私もできたぞ。でも意味の通る長文がそもそも書けん、なんてのはごまんといるし、人並みがロクにできないからコンプレックスになるのだ。それができてなんの意味があるのか?意味なんてねえよバカ。強いて言うなら自分が満足するためだよ。だからこそ、目標は達成したら自分が満足できるものにする必要がある。で、長文書けるようになりたい奴が、それを達成したとして、「なんだこんなもんか」だろ。童貞コンプレックスに悩む奴がナンパのノウハウ買ってセックスしたとして、より童貞コンプレックスが深くなる、なんてよくある話だろ。それが悪いと言ってるんじゃない、単に無間地獄だよと言っている。その無間地獄を渡りきった先に何があるって、諦めか寿命だ。大成もありうるかな?見たこと無いけど。
まあとにかく、コンプレックスを治すのは修羅の道だ。一度劣等感で傷ついたところはどんだけ修復しても元には戻らん。それはなぜか。「できること」に対する過度な期待があるからだ。学歴高いやつ羨ましい、学歴高けりゃ今の生活が1ランクあがるんじゃないか、他人を見下せて気分がいいんじゃないか。文章力あるやつ羨ましい、こんだけ書けたら楽しいだろう、ちやほやされてさぞ気分がいいだろう。全部、そんなことはない。それができても、全然そんなことはない。そんなことはないのだ。期待するな、自己満足で終わらせないと、待ってるのは無間地獄だ。
さ、みんなも頭良くなっていこうぜ。無間地獄に飛び込むんだよ。さあ、ほら、早く。地獄に来い。俺の前で楽しそうに生きるな。地獄へ来い。ふざけんな。頭悪いぞお前、頭良くなろうぜ。おい。頭悪いんだな?お前頭悪いんだろ?頭良くなろうぜ。地獄へ飛び込みに来い。クソが。全人類苦しめ。
(ピンフスキー氏のツイート:https://twitter.com/hideyosino/status/1136252884020895744?s=20より)
こうした「OOしてそう」、は自身にオタクくん(ここでは狭義の「オタク」、すなわち「何かにはまっている人」ではなく、「深夜アニメやソシャゲなどの教養のあるインターネット住民」を指す)要素がある人間であればだれでも聞いたことがあるだろう。
私は、この「OOしてそう」という定型文が好きである。ここではこの定型文の魅力と応用例を紹介したい。
そもそも私はインターネット((特になんJ、例のアレ界隈))特有の「罵倒ネタ」が好きである。
この「罵倒ネタ」とはどういうことかというと、例えばこういうのである。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm30714097
このように、罵倒をエンターテイメントとして消費する場面では、皮肉・ウィットに富んだ表現をすることが勝負となる(例えば、巨人小笠原や金本蔑称シリーズなど)。
したがって、欧米のジョークが好きな人は「罵倒ネタ」との親和性は高いかもしれない。
その中でも私は「OOしてそう」という罵倒が好きである。理由を述べよう。
このように手軽・上品に高いダメージを与える罵倒句、それが「OOしてそう」である。
次では、その応用例を見ていこう。
この「OOしてそう」を作る際に問題なのは、この「OO」である。
私が秀逸だと思う基準は、
この二点である。
この基準に基づけばいろんなインターネットの人やキャラに対して「OOしてそう」作ることができる。
https://anond.hatelabo.jp/20200821200053
https://anond.hatelabo.jp/20200821141701
私もまた感想文は苦手だった。
感想を書いて自分の内心を外部に晒す。苦痛、恥辱、弱点を晒す、言質を取られる、そんな感情を伴う。
今でこそ「内心の自由の侵害であり、黙秘を許さぬ虐待でしかない」と言えるが、年端も行かぬ小学生にそんな抗弁もできようハズがない。
他にも、どんなアドバイスを受けようとも「それは自分の言葉でない」「自分はそんな事は言わない」という、
頭の引き出しの中になにもないクセに、外から来るすべてを拒絶するという性質があった。
何故なら「自分で書いたモノ」と自己が切り離されず、そのような外から来た言葉を混ぜることは
アイデンティティの喪失を意味するため、拒絶するしかないのだ。
初めて「なんか適当にそれっぽいこと書いて、意識高い感じ出しとけ」と出来たのは大学1年生のときだが、
思ってもないことを書いた反動で、以来その講義のレポートは2度と出せなかった。
感想文苦手の子も、思っていること、考えていることは沢山あるだろう。
でもそれを表現するには、上述の文章くらいは自分で書ける程度の土台が必要だ。
だから、言語化するには複雑だったり多くの言葉を費やさなければならない感想であると、
時には面倒だから、或いは困難だから、「感想はない」にならざるを得ない事もある。
そもそも、ほぼそういう物語があったんだという事実認定で終わるだけで、「ふーん」だけが感想の場合もある。
だから「おもしろかったです(本当は別に何も思わなかった)」しか書けない。
「ふーん」だけではなく「ふーんそうなのかー」と思った行を見つけて何か書いておく、そうやって字数を稼ぐのが私の感想文だった。
それでも字数が足りずに行き詰まることも多々あった。
ダラダラと書いて最終的に何を言いたいということもなく、
まるで自分で意義を認められないものが出来上がった時、書いたものすべて消しゴムにかける。
増田は称賛されているようだが、こういう私のような人間には何一つ響くものがない。
読む相手を蔑ろにしなければ出来ないであろう、嘘を並べ立てる不真面目な虚言家として軽蔑する。
そんな反感を、少なくとも高校生くらいまでなら覚えていただろう。
端的に言うと、感想文を書かせるのは無理だ。
無い袖は振れない。上述でいうところの土台がない。
出来るのはせいぜいニュースなど折に触れては親の考えを植え付け、
子どもが大人になって「吐き気を催す」と捨てられるまでの間、引き出しの中身としてやることだ。
言葉、概念、思考、技術、さすがにもういい年なので、それなりに備わった。
第二に、ふーんでは終わらない内容であること。
書けないのは何より心の問題だった。
乾いたスポンジに、まだ数滴の目薬しか垂らしていないのに、一体そこから何が絞り出されるのか。
真に琴線に触れたのならば、心から滲み出たものをそのまま文にしたためることも出来ようが、
何とも思わなかった物語に対して、架空の心を生み出して代弁させるのに必要な精神機能は、
だが、仮に「アメリカは〇〇人の国である」という穴埋めがあったとしよう。
感想がないこと、言い表せないこと、それが混沌な状態であっても「そのままであること」が物語の正しい姿であるのに、
100%正しい表現ではない言葉で決めつけてしまうと、自分の心の中にある物語が壊れ、損なってしまう。
子ども心にそれは悲しいことで、感想を書けなかった記憶もある。
もはや感想というよりは随想であるが、元増田のように書くには余程精神が活性でなけれれば出来ないだろう。
承認欲求について考える。
誰しも認められたいという気持ちは少なからず持っているものだと思うのだが、筆者が所属する界隈ではその欲求というものが、著しく顕著に表れているように思う。
書き出すと随分と長くなってしまったので、夜の戯言だと思って聞いて欲しい。
コスプレと言っても色々とジャンルがあるが筆者は2次創作を中心に活動を行なっている。
男装、女装ともに依頼があれば撮影するが、その割合は男装4割、女装6割。
作品を知らない撮影の依頼は、事前にアニメや原作をチェックして一通り頭に入れてから撮影に臨むように心がけている。そうすることで、被写体側が要求する心理的描写の部分に耳を傾けやすくなるからだ。
専門知識もない素人ではあるがそれなりにフォロワー数もあり、充実した撮影ライフを送っていたのだが……
正直…悩んでいる。
撮った写真はツイッターやタンブラーといったSNSにあげ、近況としてアップする。
掲載する写真に添えるのは、タイトルや被写体名、カメラマン名、いればアシスタント名といったごく普通の内容。筆者以外の投稿を見ても、皆、大抵同じようなテンプレートで投稿しているようだった。
原作への熱い思いを明記している投稿を目にすることもあり、写真の出来栄えだけでなくタイトルや説明文に説得力があるとじーんと目頭が熱くなる。…歳だろうか。
コスプレ写真はツイッターに掲載されることが多いため、筆者自身もこの媒体を利用しているが…ここで厄介なのが、「タグ付け」というサービスだ。
筆者はこの「タグ付け」が気になって仕方がない。
「タグ付け」は掲載予定の写真に対し、誰が関与したかリンクを貼れる便利な機能であり、このタグが付いていると被写体や撮影者の個人ページへ移動することができるため、個人的に非常に重宝していた。
何故ならリツイートで目にした、まだ見知らぬカメラマンや、被写体、その他関与した人々に出会うことができるからだ。
裏を返せば、そのタグ付けがないとどれだけ素晴らしい写真でも、どれだけ被写体力に優れた人物であっても、どれだけ素晴らしい撮影地であってもそのアカウントにたどり着けない。(ツイッターのリプライ機能で明記している場合もあるが、ここでは省く)
そのため、筆者が写真を掲載する際は関係した人々のタグ付けや@表記を行なっており、また、怠らないように注意を払っていた。そうすることで、敬意を払っていた。
何故?
無い。
もはや…理解ができなかった。
そう気付いた瞬間から、ともに撮影に臨んだはずなのにあの瞬間はなんだったんだと、頭を弾かれたれたような気分になった。
上手く撮れた写真にカメラマンのタグ付けやクレジット表記なく写真をあげる。そこに明記されている内容は
「繋がらなくてもいいから俺の(私の)〇〇を見てください」
作品に対する思いなど感じられない。
つまるところ、自分自身の顔やウィッグ、表情、衣装……総合的に自分だけを見て欲しいのではないのか?
二次元のキャラの姿を借りた、自分の姿に陶酔しているのではないか?
そんな思いが渦巻いた。
ちなみにこの現象は被写体だけの話ではなく、カメラマンにだって当て嵌まる。
上手く撮れたといって被写体の名前もタグも明記なく、自分の腕前を振るうだけの投稿だ。
例えば、彩度高く白飛びすることなく写した水辺の写真や、銀残しといったコントラスト高めのパキッとした尖った風合い、など「俺の」「私の」主語が大きく聞こえるような投稿を目にしたことはないだろうか?
確かにそれらは上手く撮れているし撮影の技術も素晴らしい。衣装や表情、ポージングなども完璧でクオリティも高く見栄えする。
だが、それら投稿からは作品に対する思いだったり、写真に対する思いだったり、そこに参加した人々へ対する配慮など感じられなかった。
コスプレ撮影は趣味であるし、タグ付けをしないといけないと強制的に決められたわけではない。自由につけてもいいものだ。
わかっているが、理解ができない。
RTやフォロー数稼ぎで写真が使われているのか、撮った写真がその消費に利用されているのではないかと思えて仕方がない。
撮影を始めて10年あまり、筆者は純粋に撮影を楽しんでいたのだが…近頃はそう思えなくなってしまった。
この情勢の中撮影自体自粛をしてはいるが、保留となった撮影案件はまだ残っている。
誰にも話すことができないためここで吐露させて頂く。
人に興味ないよねとよく言われることが多かった。確かに人の名前は覚えられないし、学生の頃話題になりがちな誰と誰が付き合っているだとか全くわからなかったし興味もわかなかった。
あるときふと気づく。確かに私は人のことをあまり覚えられない。でも大切にする人は大切にしていると最近気付いた。人に興味のない人の言い訳のテンプレートのようなものだけど、これが事実でほとんどの人に興味はなく、興味の大きさがクソデカ感情しかない人間だったらしい。
そんな私の3つのリアルクソデカ感情とその相手について話そうと思う。
不思議というか破天荒というか突拍子もない行動をするというか、世間的には問題児でしかないような彼女。なにか問題起こしてもまぁ彼女ならしかたないよねという風潮まであった。タバコを吸うとかそういう問題ではなく、体育祭で日傘をさしていたり、人間が入れないはずの小さいロッカーから飛び出てきたり、入学式そうそう他クラスまで殴り込みにいき、名前なんていうの?って聞いて回るような変人。しかも一回みたひとの顔と名前は絶対に忘れないという変人オブ変人だった。
そんな変人で、すらりとしていて、いつも飄々としていた彼女が美しいとしいと思ったのだ。恋愛的な意味ではなく、なんといえばいいのかわからないけど、毎日彼女がかわいくて仕方がなく、「おはよう、今日もかわいいね○○さん」と挨拶のように言っていた。かわいいね、好きだよと毎日言っていた。女の子同士のじゃれあいのような感じではなく、かといって恋愛的に好きなわけでもないのに、私はほぼ真顔で毎日伝えていた。私自身それがクソデカ感情だとよくわかっていなかったからである。彼女ほどではないが、彼女に限らず、女の子がかわいくなったら、なにも考えず本心で「かわいくなったね」とか「美人になったね」と真顔で言っていたし、男の子にもまた「なんかかっこよくなったな」ということもあった。そのときは大抵ドン引きされるか「でっしょーーやっぱり私超美人だからさーーww」と茶化されることばかりだった。それが当たり前だとは思う。
引かれてもおかしくないような挨拶を毎日していたけれど、何故か彼女はいつも普通の顔をして「おはよ」といっていた。
学校を卒業して一年後あったときに流石にクソデカ感情抑えようと以前の挨拶をしなかったら、「もう私のこと好きじゃないの?」ときょとんとした顔で聞かれた。流石に沸いた。何故かわからないけど彼女は私のクソデカ感情を、こいつはそういうもんだと思って受け止めてくれていたのだ。ありがたい。
部活動で私とふたりセットにされる男の子がいた。ふたりとも他の部員より積極的に活動していたからか、この学年だとこのふたりだよねといわれるようなセット。
彼は意図も言わずに理解できないような無理難題を急に言い出して、私に押し付ける。不思議なことにそのどれもが成功し、私に押し付けた無理難題は確実に意味のあるものだった。
最初は彼のことが恋愛的に好きだったのかもしれないけれど気づいたら、恋愛なんてなにもなく、崇拝していた。彼のやることなら絶対に成功する。彼の思い描いた思想を叶えることが楽しくて楽しくてしかたなかった。相棒のように頼り、頼られることがなにより嬉しかった(振り回されてばかりだったわけではなく、こちらからもかなり頼っていた)。部活動で死ぬことはないと言えど、不思議なことに彼のためなら死んでいいなと本気で思っていた。
ここにきてやっと、もしかしてちょっと重いかとしれない?と思うようになったこと、またもともと恋愛的に好きだった疑惑もあいまり、クソデカ感情をぶつけるのは流石にアカンなと思うことができたらしい。しかし隠せないのがクソデカ感情というもので、疲れているときに無理難題を言われると、「君のいうことは必ずいい方向に向かうし私は君のためならなんだってやりますよ」とか言ってしまっていた。何度か言ってしまったことがあり、スルーされたり苦い顔をされたした。本当に申し訳なかったと思う。
遠い昔「クラスも部活も一緒なわけでもないし仲良いけど、二番目なんだよなー」とある女の子に言われた。他意はなかったのだろう。放課後とか休み時間によく遊びはするけれど、お互いの家に言ったこともないし、クラスも部活も違う。クラスも部活も同じ子とより仲良くなるのは当たり前だ。
いや、わかるけどわざわざいうかね?一番になりたいというより、どれだけ仲良くなっても私は二番目という認識が離れなかった。
私は特に怪我をしているわけではないが階段が苦手で降りるのも上るのも無意識なら上れるけれど意識するとよたついてしまう。母親には階段の上から「落ちても助けんからねーw」とよく言われていた。当たり前だ。幼稚園児や小学生ならまだしも高校生相手なら私じゃなくて下敷きになった母が大怪我する可能性がある。人が上からふってきて怪我したくないもの。リスク避けるのは大事。
ある日疲れからか死ぬほど段差に弱い日があって、「おまえほんと今日ヤバイよ気を付けるどころの騒ぎじゃない」と周囲に言われていた。そんな日でも階段を使わなければならないときはあるもので、彼女と一緒に下の階へ向かおうとしていた。
「おまえ絶対落ちるなよーww」といいながら彼女は私の前にでた。前と言うことは私の下。
「え、前いくん?落ちたら危ないよ?」
「目の前で落ちたら気分悪いじゃん」
彼女は当たり前かのごとく少し前にでて後ろを振り返りつつ私をみて「大丈夫かー」と声をかけつつ降りてくれたのだ。もう二番目といわれたのは何年も前だけれど、二番目でも良いから彼女になにかあったら絶対に守ろう。彼女が心配してくれたその言葉だけで生きていける気がした。
これ以来彼女は階段を上るときも下るときもいつも私の落ちる側にいて声をかけてくれる。その度に彼女になにか嫌なことを言うやつがいたら、胸ぐらつかんで殴りにいこうと決心するのだ。
彼女はおそらくクソデカ感情が苦手なのでなるべく出さないようにしている。やっと自分がクソデカ感情持ちだと気付いたのだ。ただ、やっぱり隠しきれないのがクソデカ感情であり、彼女へのクソデカ感情を出すとガン無視される。ごめん。以前手紙をかいたらラブレターになってしまったのは本当にごめん。
ほかにもあと2,3人ほどクソデカ感情を向けている方もいるが、あまりにも長くなってしまうので割愛する。
クソデカ感情をぶつけられて気持ちのいいものではないと思う。私は嬉しいが、苦手な人だっていっぱいいる。流石に私もあったことのない人にクソデカ感情向けられてぶつけられるのは怖い。クソデカ感情が生まれてしまうのはもう仕方がない。なるべく出さず、クソデカ感情が苦手な人に無意識にぶつけないようにしなければならない。相手に不快な思いをさせてしまったら駄目だ。
あとクソデカ感情以外の人たちにもっと興味をもつようにしなければならない。興味の触れ幅が0か100しかないのはいろいろと不便。あと大変申し訳ないのが彼氏がいたときですら、クソデカ感情のほうが限界突破してしまっているという状態(今は彼氏いない)。勿論彼氏のことはちゃんと大好きになるし大好きだから付き合った訳なのだけれど、その思いがクソデカ感情に勝てない。相手に申し訳ないし、失礼だからちゃんと向き合わなきゃいけない。
私の人生はまだまだ続く。
クソデカ感情によって人を不快にさせないように。拗らせて犯罪を犯さないように。明日我が身だと自覚をもってクソデカ感情との向き合いかたを考えつつ生きていかねばならない。
なにか困ったことがあるかもしれない。私が相談にのってよいと君が思うのならば私がいくらでも話を聞こう。愛する人を見つけるかもしれない。直接教えてくれたとしても風の噂で聞いたとしても私は全力で祝福しよう。直接教えてくれたのならば心からのおめでとうを沢山伝えよう。風の噂で聞いたのなら祝福の意味を込めてひとりぼっちのティーパーティをしよう。
まず、文化の盗用、と主張するに足る背景がある、認識している当事者や賛同する人達が、もともと結構いるのよね。
それはお辛いでしょう
「補聴器や人工内耳があれば、手話は必要ない」「手話を使うと日本語を覚えない」みたいに言われて育ってきた聞こえない人は沢山いるし、
大変でしたね
結構なことです
続き)人達がいて、過去の同じ様な人達の活動により、街中で手話を使って話すだけで奇異の目で見られることは少なくなり、
大変でしたね
ただ、手話が一般的に普及していくのと同時に、まず最初に、聞こえる人が覚えやすい手話表現が広がった、という問題があったんですよ。
それを問題と言われても
何が問題なんですか?
アニメで日本語に触れる外国人は「キサマ」とか変な二人称から覚えるし、「アラアラ」という言葉をセクシーな年上女性と結び付けています
そんなもんでしょう
それはそうでしょうけど
それを、どこまで許容するかってのは議論があって…(続
聞こえない人が使ってる手話表現こそが正統派って思ってる人から、いやー少しくらいヘンテコでも手話が広まる方が大事だよーって人まで、いろんな考え方の人がいるんですよ。
その二者って衝突してなくない?
「普及は大事」「このバージョンが正統」これ衝突してないよね?
え、お話一通り終わり?
何がどう複雑であるのか、健聴者が手話学ぶことの問題が那辺にあるのか、お話聞いてもさっぱりわからなかったのですが
どこかで示されていましたか?
まとめると
1~4は「手話はこんなに抑圧されてた歴史がある!」というお話なんですよね。
はあ。
大変でしたね。
同情します。
でもそれが
本題である「健聴者のガキが手話を学ぶことは不当である」「文化の盗用である」という主張をどう後押しするのかさっぱりわからないんです。
本当にこれだけなら、ただの未整理のモヤモヤしたお気持ちの八つ当たりに見えるのですが…
5~7は「健聴者の手話には独特のクセがある」「それをどこまで許容するか」というお話。
はあ。
そりゃ聞こえない人と違うクセが出るんだろうなってことは言われるまでもなく想像できることですが
それの何が問題なのか、なんで許容するとかしないとかいう話になるのかがわからないんです。
中国人の日本語は独特のイントネーションや助詞のクセが出ますが、「それをどこまで許容するか」なんて話しますかね?
もちろんあまりにクセが強くて意志疎通出来ないとか、凄く失礼な雰囲気になってるとかで、「ここはこう治した方が役に立つよ」ってことはあるかもしれませんが
そういう話じゃあないんですよねえ。
じゃあなんなんですか?
8~9は、何も衝突してない2つの立場が対立的に書かれてるのでこの人大丈夫かってなります。
「Aが正統」と「Bが正統」なら戦争ですが、「普及は大事」と「Aが正統」は何も衝突してない。
さらに問題を複雑にさせてると思うのは、長いあいだ手話がしいたげられてきたからか、聞こえる人の手話感におもねる判断や行動をする、聞こえない人がけっこういまして。
少なくとも解決は聞こえない人の精神変革でしか達成しないですよね
おもねるのはやめよう!おわり
この人どうも「問題は複雑」って言うのが好きみたいなんですが、書いてること見る範囲ではそんなに複雑じゃないんですよ
自分が物事を整理整頓せずに思考してるだけなんじゃないんですかね。
文化の盗用って主張は、そういった聞こえない人達に対して、手話は自分達のものだよ!!って呼びかける意味もあったりするのよね。
はあ?
聞こえない人達に、「聞こえる人へおもねる必要はないでしょう」と呼び掛けるべき話を
聞こえる人達に、「手話を使うな!文化の盗用!」と言う。それが何故なのかがわからないんです。
例えば、年配の人に多いんだけど、普段はとても魅力的な活き活きとした手話を使う聞こえない人が、
痛ましい話かもしれないけど
それって聞こえる人間が手話を勉強しようとしたことが悪いんですか?
って聞くと、えー?ただ単に初心者向けに、わかりやすく表現してくれてるだけじゃないの?って思うかもしれないけど、そうじゃないの。
手話は文化であるって主張する人の本とか読んでると、聞こえる人が使う手話のほうが正しい表現だと思っていた、ってエピソードはわりとでてくるのよ。
それ聞こえる側にどうも出来ない問題ですよね?
その問題は「聞こえない人がちゃんとしよう!自主性を持とう!」 としか言いようがないことでは。
むしろ手話教室に出席しにきた聞こえる人達は生徒として教わる側なので
「あんたたちに教えてる手話は実はあんたたち向けに文法変えてるんです」とかも、言ってあげないと困るじゃんわかんないんだから。
彼等彼女等に何かできるの?それ。
はあ、大変でしたのね
でもご説まるまる拝聴しても
結局何が「文化の盗用」なのかさっぱりわからなかったんですよ。
耳聞こえるガキが手話勉強したことの何が問題なのかも結局全然言えてないですよね?
手話界隈のTwitterをゆるく眺めてる人としては、「お、また、いつものやってるな」って感じだったけど、話題が大きくなったので、
っていうから長々読んで、結局これだぜ
→さっぱりわからない
→さっぱりわからない
アホちゃう?
主張を~
ま・と・め・ろ!
これが基本形。な。
ポエムはどうしても書きたいなら基本を済ませた余白で書け。
なんでいっちょ噛みして「自分の言葉で語ってみます」からの、長文費やしながら全く何への説明にも回答にもならないポエムなの?
それってバカじゃん?
でさあ、この人個人がどうこういうより、このタイプのバカが多すぎない?世間。
私はバカだと思った相手について、相手が何故バカなのか、どうバカなのか、
逐一当人の言葉を引きながら、ちゃあんと理屈で説明してるでしょう。
私へ異論反論したい人は「待て、ここの論理がおかしい」「ここの前提が間違いだぞ」って簡単に反論出来るんですよ。
(まあ本格的バカはそれすらできないので「こいつなんかムカチュク!」という概観的お気持ちを喚くだけで終わりですが)
おバカさん全体に言いたいのは
「自分の気持ちを上手く表現できる言葉が出てくるまでもうちょっと考えてから言葉にして、文にしようよ」
ってことなんです。
全然理屈が整理できず論理も通ってないまま」「文化の盗用」みたいな大雑把なバズワードだよりで発表するなと。
自分が整理する気ないだけなのに「問題は複雑で~」とか言って投げっぱなすなと。
口での会話なら頭の回転とか語彙力とかでその場で上手く出てこないってのはある、それは酌量しますよ
でも文で発表してるのにお気持ちそのままボヤボヤ思考そのままで論理がなんにも通ってないのは甘えだと思うんですよ。
私は表面的にはちょっと口汚いけど、それなりに礼儀正しく書いてるんですよ。
お前のその整理されてないお気持ちや全くまとまってない思考をそのまま他人様に見せるなと。
つうか、よくそんな脳内がゴミ屋敷のような状態のまま生きていけるな、気持ち悪くねえのかなってバカを見るたび思います。
oka_mailer 知らない事ばかりだった。こういう背景を理解しないで「文化の盗用」に文句つけても話にならんわな。
2020/07/31
これ全く栄養の無いスナック菓子みたいなコメントですけどこれが1位なんですよ。
誓ってもいいですけど、こんな無内容なこと書くの、別に何もわかってないし、何も理解してないし、
そもそも読んだもの咀嚼して自分なりに考えるということすらしていないんですよ?
全然脳細胞動いてないけど、なんか殊勝で感心な態度に見せるテンプレートを使ってるだけ。
そして同じぐらいのレベルの人たちが「立派な人だ!」って☆を付けてトップにするわけ。
「うーん、もんだいはふくざつなんだ!」「しんしなたいどがだいじだ!」
全員なんにも考えてない。
考えること頑張る前に、”殊勝に見える仕草"だけ身に着けたんだね。
ゾンビみたいだよね。
こう挑発しても誰一人として意気地を見せないですよ。
ponpon_qonqon おまえも反論できてないじゃん。
私は「こいつらは何を主張してるのかすら不明」と言ってんのに反論出来てるわけないじゃん。
1.一行目と二行目繋がってなくない?
2.その押し付けについて、「ガキが給食中黙って会話出来るように手話を学びましょう」って話がどう関係してくるの?
あの小学校のガキが手話でコロナ飛散を防ぐと(そこまで上達すると思えないけど)、聾者が口話法手話を押し付けられて混乱するの?
なかなかにすごいバタフライエフェクトだけどそれちゃんと検討してから発表してる?
3.あんたのその主張はかなりチョウチョが飛び回ってるけど、少なくとも一つの反論可能な主張ではある。
元のカッキー氏やさらに大元の文化人類学者氏はそういう一定の主張すらちゃんとやってなくて、何が何だか全く分からない。
「文化の盗用」というコンテンツ不明のバズワードで威嚇し、そのワードの定義は何だと聞かれると怒るという糞仕草をいい加減にしてほしい。
maruX 全く持って分かる気がないくせに、自分に分からせろ自分が分からなければお前の主張は論理的でないという良く見るやつじゃん。「ガキ」呼びといいあらゆる方向に敬意がない酷い増田。
2020/08/01
どうダメなのかこれだけ粘着長文書いて説明する人間に「分かる気がないくせに」ィ?
失礼ながら、どんな話題についてもあなたよりは真剣に分かろうとして読んでると思うよ。
maruX 2020/08/01
意味わかんね~~~~ ふわっふわ。
でもこういう「何となく殊勝な感じに見える態度」を取ることにだけは長けてる感じがすごい伝わってくるよね。
何故直接聞いたらいかんのですか?簡単に聞けるツールと環境があるのに。
聾者様に失礼だぞみたいな話?
この「なんで?」はしーらいおにんぐに当たるんですかね?
ちゃんと根拠と思考を持って発言してる人ならノータイムノー負担で答えられるようなことしか聞いてないんだけど。
これぐらいが不当な問い詰めだと感じる人は自分の脳のフローを見直した方がいいと思うんよ。
otihateten3510 なげーよ。
なげーなすまん。
それならそう書いてくれりゃいいと思うけどね。(もちろんその危惧の妥当性は検討するし怪しすぎたら突っ込むけど)
そういう風に何かをはっきり書くこともなんか避けてねえ?
rci 聾者よりも健聴者の数が圧倒的に多いから、でしょ。そのせいで、本来は聾者のものがどうしても健聴者に乗っ取られがちになるということが、この増田はなぜわからないのだろう。
2020/08/01 リスト
健聴の手話利用者が聾の手話利用者を上回るなんてまるで考えづらいねというのがまず一点。
そんでカッキーさんはあなたのようにはいってません。抑圧の歴史があるせいで聞こえない人が卑屈になってしまいがいなのが問題だといってます。(手話人口が逆転するなんて仮定は荒唐無稽なので採用しなかったのかもね)
_
地方都市の大学をまあまあの成績で卒業した自分は、「顧客から『先生』と呼ばれる職業」に就いた。ちなみに、学校教員ではない。
学生時代はそれなりに注目された人間で、というのも、自分には生まれつき特異な能力がひとつだけあった。それを以て、良くも悪くもほんの少しだけ特別扱いを受けて生きてきて、仕事もその能力に関わるものを選んだ。
ところがその特異な能力とやらは発達障害によってもたらされた偶然の産物であり、社会に出た瞬間に自分は無能と化した。特有の段取りの悪さ、睡眠障害、虚弱体質、感覚過敏、これら要因により溜まったストレスを引き金とした定期的なパニック発作。それまで「生きづらさ」に自力で折り合いを付けてきた自分が精神科のお世話になるまで、一年と経たなかった。
明らかに仕事の能率が落ちて、上長と相談して少しずつ雇用条件を緩くしていったが、気がついたら精神障害者保健福祉手帳が交付され、今では正社員を諦めて週4日の勤務。ボーナスも手当も全て消え、手取り月収は半減した。これを機に障害者雇用枠に収まって合理的配慮を受けようかと思っていた矢先に、どこぞのお偉いさんから、発達障害を悪く言うメールが回ってきた。そういう訳で同僚にカミングアウトする機会を完全に失い、現在の自分は「よく分からないが体調の悪い人」という扱いになっている。
それでも自分は今の仕事をやめられない。この能力を活かせる瞬間に、自己肯定感を完全に依存しているからだ。ハローワークで求職者登録をして、色々な求人を見ても、顧客の顔が頭をよぎる。転職したら自己肯定感を保証してくれるものが無くなってしまう、という恐怖に、今も苛まれている。
_
仕事に自己肯定感を依存しているということは、私生活は思い切り虚無だ。
_
自分も趣味と呼べるものを持っているのだが、最近はそれに興じるのが怖くなってしまった。表現に関わる趣味だったが、時が経つにつれてSNSのタイムラインは、より潤沢な資金と時間と能力、そして社会性を持つ人ばかりの世界となり、筆と心が折れてしまった。孤独に生きている横で、仲間達は別のことで盛り上がっている。それに興味を持てるような精神力は、最早残されていない。
自分にしかできない表現、なんてものも無い。これでも当初は自らの表現するものに需要があると思っていたのだが、明確にそれを覆す出来事が、つい最近あった。いや実際の所は分からない。「嫌いなのは作品ではなく、社会性に欠けたお前自身」という可能性もある。どちらにせよ活力が削がれることに変わりはないのだが。
そして、こうしたことに気付く頃には、他の趣味に没頭する気力が無くなっていた。今の自分は、余暇に何をするにも義務感を伴う。
_
こんなとき、病んだ人間を救うのは家族や恋人の愛というのがテンプレートだ。一応、自分には家族も恋人もいる。
家族は、私が手帳持ちで正社員を辞めたことを知らない。彼らがイメージする自分は、いつだって明朗快活、何事も気合で乗り越えられる精神力を兼ね備えている優等生だ。それは一体、誰のことだろうか。
そして家族は、自分に何も喋ってくれない。気付いたら父母は事実上の離婚状態だったし、気付いたら自分の教育費は両親ではなく親戚が支払っていた。私の知っている一般的な家族とは何か違う、謎の共同体だ。
恋人のことは心から愛しているが、その人は自分と一緒にいるときよりも、友人と語りあっているときや、趣味に入れ込んでいるときの方が余程幸せそうに見える。と言うと、「人の感情や好みを他人が勝手に判断しないで」「好きだと何回言ったら信じてもらえるのか」といつも怒られるのだが、それほど好きならばもっと向き合ってほしかったことが色々あった。
しかしながら今思えば、お互い身内でも何でもないのだから、これで良かったのかもしれない。これ以上他人に負担をかけて生きたところで、何も楽しくないのだ。
_
20代半ばにしてこんなにも空っぽなのだから、限りなく婉曲的に表現すると〝損切り〟をした方が良いと思った。
転職をして自己肯定感を得られなくなる前に。働き続けて家計が壊れる前に。恋人から「そろそろ結婚を」と言われる前に。趣味仲間が大成する前に。心がすれ違った家族の最期に向き合わされる前に。
_
こうして自分は今日、書店でエンディングノートを買った。とても残念なことに、おそらくここ一ヶ月で、最も行動力に満ちあふれた瞬間だったと思う。
これ程までに精神を病んでも、まだ「立つ鳥跡を濁さず」の精神は一丁前に残されていて、使っていない銀行口座や家族が見てもどうしたらいいか分からない物品がそれなりにあることに負い目を感じた。なまじ責任感が強いと困るばかりである。かといって責任感が強いところで、その責任を果たすことはしないのだ。本当に社会の穀潰しである。
追記:ありまぁす
手動で直接プラグインファイルをincludeなりrequire なりしろってことだよ
Smarty使ってるようなやつはどうせ、requireとかですでにコードがぐちゃぐちゃになってるだろうし、問題ないだろう。
例えばゴミみたいなプロジェクトのコード環境だと(2020年にSmarty使って時点でお察し) 出力するHTMLの全体ではなく一部(記事領域)だけがSmartyのテンプレート機能で出力されていて
それ以外の部分はPHPで出力される。などといった狂った設計実装はよくあることです。ほんとに狂ってるけど実在するんだよな〜。
しかもなぜかページ全体に影響する超重要な機能(アカウント情報)がSmartyのプラグインとしてしか実装されていなかったりします。ゴミですね。
そのSmartyプラグイン(アカウント情報)に応じて記事以外の部分を書き換える必要(サイトのタイトル表示切り替え)があるんだけど。
SEOの処理だからJS使わないでってさ。SEOのこと考えるんだったら最初からもっと軽くて単純な実装のまともなサイト作ることをおすすめするけど、作っちゃったものは仕方がないんすかね。お客さん可愛そうですね。
とまぁ、SmartyのプラグインをPHP側から呼び出したことってあるんだけど、Smartyに登録したプラグインをPHPから実行する方法はこの世に存在しないっぽいので、本当にこのテンプレートエンジンは腐ってるなあという沈んだ気持ちです。
先日不動産管理会社から面談依頼があって、いやな予感で担当者に会うと
賃料改定のお知らせを渡された。しかも坪単価を3000円以上上げるという。
担当者も申し訳なさそうに渡してきたのがせめてもの救いかもしれないが、
本日以下のように回答した。もし私と同じようにこの状況下で理不尽な賃料値上げを求められた場合
現行の賃料は不相当であるとは考えられず、その根拠について以下のように返答させていただきます。
<XX>区における小型ビル(20坪~50坪程度)の坪単価について調査いたしましたが
一番低いものでは<10,000>円、高いもので<18,000>円でございました。
また、当該ビルと同じ規模、築年数の近隣オフィスについても調査いたしましたが、当該ビルと同等の間もなく築30年を超えるオフィスビルにおいて
坪単価が現在の<14,000>円を超える物件は見つかりませんでした。
築20年未満であればいくつか近隣で<17,000>円を超えるところを見つけることができましたが、「築20年以上」と「築20年未満」では
従いまして今回改定希望として通知いただきました<20,000>円については現行賃料が不相当とするには十分な理由があるとは考えられず
引き続き改定賃料の話し合いをするにあたっては、賃料改定するに十分な事情変更の程度を弊社としても把握する必要があり、
特に今後の議論におきましては、きちんとしたデータのご提示がなければ社内稟議を通すことは困難です。
コロナ禍におきましてはどの企業も難しい経営のかじ取りが必要かと存じますが、
先にいっとく!!!!ちょ~~~~~~~!!!クソ長くなる!!!!
私怨私怨!!!!!悔恨!!!!!5箇条にまとめようとしたら失敗した5箇条の御誓文か?????
567で見えてきた色んな人の裏表に疲れてしまった大学生乙女ゲーと地下ドルのオタクの話!!!!!!同じ大学に通う人からの身バレ防止のためここからの大学の描写はボンヤリとしたものになります。コメントでの特定はおやめください。大学は生徒の多くが望んだであろうオンラインじゃない講義ができるようにどうにかこうにかがんばってるはず!それに私が対応できなかっただけで大学は悪くない。家に引きこもるのが社会的に批判されることがない・堂々と引きこもって自分のやりたいことできる今をその時間が欲しかった人が心から楽しめますように!!!!
誤字脱字はすいません。
いままで約20年間、数学や物理、化学の類いばかり熱心に取り組んできたので私には正しい日本語が使えているのか、日本人であるのに自信が無い。
大量のレポートに追われたまま、脳直で文章を打ち込んでいる状態なのでご了承願いたい。
私は本当にどこにでもいる地方国立大学二年生だ。つい2時間前まで教師を目指していた。
もし同じような境遇にいる子がいたら私みたいにならないよう、こんな文章があったな、ぐらいの軽い感じで覚えておいてほしい。
読んでくださった皆さん、こんな考えの人間がいるんだ、へぇ笑ぐらいに思って頂いて結構です。ここまで打ち込んでおいて自分でも文章の稚拙さが”マジで”やべぇ……とおもっていますが暇な方最後まで読んで頂ければ幸いです。
①去年~今年2月の話
学部一年生だった去年は将来の夢のため、周りの友達よりは長い時間勉強していた方だと思う。
趣味だったイラストのサークルにも加入し、高校が同じだった友達が学部に一人もいないながらも他学部に進学した高校のクラスメイトと協力しながら大学に慣れていった。
サークルの友達とは週に1回は誰かの家に集まりピザを頼んだり、学食で何時間も話したり。大人数で端から見たらアホみたいなやりとりを繰り返すあの空気感が好きだった。
安心できるバイト先も決まって、サークル内の人間関係に多少の不満はあったが今思えば望んでいた大学生活そのものだったかもしれない。
私の将来の夢が教師になったのは大学受験が終わってからである。もともと物理という科目が好きで将来は数学系の研究ができればと思っていた私は理系の学部に進んだ。(身バレ防止のため明確な表記は避けさせて頂きたい)
私の大学受験のサポートをしてくださった先生は、私が進学した大学の同じ学部出身の方だった。
有名な塾があるような都会ではないので、毎日高校の授業が終わってから校内に他の生徒が誰もいなくなるような時間まで、その先生や担任の先生、大学で理科を学んでいた購買のおばちゃん……色んな人に見守られながら勉強した。
私が受験に合格し、心から喜んでくれた職員室の先生方を見て、先生達みたいな大人になりたい・この高校で同じように生徒を見守れるような先生になりたいと思った。
これが理由で、理系学部に進んだ私は自分の学科の必修科目に加え教育学部の必修科目も履修するようになる。
もちろん授業が倍になるなら試験もレポートも倍になるということで確かに大変だったが全然苦じゃなかった。
1年間やりきった。成績も上々でモチベーションは入学当時と変わらず、今まで友達と呼べる友達が2~3人だった私の人間関係がどんどん広がっていくことに喜びを感じながら春休みを迎える。このころは人と連絡を取り合うのも一緒に出かけるのも大好きだった。
2月、実習も終わって大体の友達が実家に帰った。私も電車で何時間もかけ実家へ。
実家の周りは見渡す限り山!!!!!緑!!!!!!という空間が広がっていて私はそれが大好きだ。その頃、ニュースではコロナウイルスの話題が取り上げられ始めていた。まだ大丈夫な感じはするけれど、実家のある高齢化の進んだ小さな村で広がったらとんでもないことになる…と危機感を持ち始めたのはその辺りだった。
その後の展開はある意味予想通りだった。大学は次年度のガイダンスを予定通り行うと宣言していたがすぐに中止となった。4月からの授業はいつも通り行うということだったが私はそのメールが信用できなくて、下手に実家から動くことも不安で、結局大学へは移動しなかった。やはり、授業開始は5月からという一斉メールが届いた。教科書を買いに大学へ行くこともできなくてAmazonで教科書を用意した。
友達は出身も都会のほうで、2/3月はよく連絡を取り合っていたものの、みんな地元の友達とショッピングセンターや居酒屋に遊びに行くようになったらしい。もうその頃にはみんな地元の友達と毎日のように遊んでいたらしくてラインもzoomも使わなくなっていた。
私はというと同じように地元に帰っていた同級生はいたが、もし自分たちが感染していたらという恐怖から会うことをやめた。クラスターが進学先で発生していた子は自宅から一歩も出なかったという。その頃から私は人と会うことの必要性に疑問を感じていた。元からオタク気質だったことも原因かも知れないが、友達とのSNS上でのやりとりが少なくなっても特に私に影響はない。自分がひねくれた人間であるとは自負しているがまさかここまでとは、自分でも思っていなかった。どれだけニュースで危惧されていても・どれだけの芸能人が亡くなっても、それぞれの地元で遊び続ける大学の友達が理解できなくなった。
ほとんどの大学の友達とは連絡を取らなくなっていたが片思いしていた先輩とは毎日のようにラインした。毎日ライン来る度に小躍りしてた。
4月後半、家にこもり続けた私は全く暇を感じなかった。本を読んだりお菓子を作ったり、他にも筋トレにメイク、同人誌を作れるレベルで二次創作もした。自担(地下)の過去の映像を見て1ライブできるぐらいにはダンスも練習した。(クソデカ過大評価)
むしろ今までよりも忙しくさえ感じていた。5月になれば今までのように勉強漬けの毎日が始まる。だからこの何かをしていても誰からも途中で遊びに誘われない、家に勝手にピザだのウーバーだの頼まれて友達が勝手に上がってこない・勉強しなくても公的に、なんとなく自分の感覚で自分を許すことができるこの時間を人生の夏休みとして思いっきり使おうと毎日何かしらしていた。今までのみんなでワーワーする時間も大好きだったけれど、この過ごし方も最高だった。
5月になった。オンラインでの講義が始まった。大体の講義を受ける度に一つずつレポートが増えていく。
連日徹夜は当たり前、朝8時までのレポートを7時に提出して1時間仮眠を取ると1コマ。またレポートが積まれていく。私の要領が悪いだけかも知れないと感じていたが、初日には同じクラスのほぼ全員でzoomでの会議しながらみんな半泣きでレポートをこなした。みんな同じだった。家から出るななんて言われていたがその日食べるものを買いに行くことすら厳しいレベルで課題が出るのだから家から出ることが本当に、絶対、多分無理。
オンライン講義が始まってまだ慣れなかった一週間、実家にいるのに私は一歩も自室から出ることができなかったのだから、それ+家事である帰省していない友達はもっと大変だったと思う。私はその一週間スマホを触れなかった。そんな時間があるならレポートをやったし、私の性格だともし今暇そうで遊び歩いている人を見たら理不尽にイライラしてしまいそうだったからだ。そんな自分の性格は今でも嫌いだ。人はそれぞれなのに、SNSでみえる部分はその人の日常におけるほんの一部分なのに。
そのうちテンプレートを作ったり教科書を読み込んだりすることで余裕を持てるようになってきた。教育学部の授業も生徒との関わり方など、本当に学びたかったことを学べるのが嬉しくて真面目に受けた。苦手だった英語もせっかくだから少し取り組んだ。友達と話していたりご飯に行っていた時間を全て勉強に充てた。目が回るほど忙しかったが一日を一秒も無駄にしていない感じがして、4ぬほど充実感があった。多分ランナーズハイみたいな状態になっていたと思う。この頃の私の思考、今考えると狂ってる。怖ッ
そうやって暮らしていたら、片思いしていた先輩に彼女ができた。友達から聞いた。3日泣いた。
なんでも4ぬ程忙しかったり課題が出ていたのは私の大学では理系と教育学部、医学部、薬学部だけだったらしい。文系その他は相変わらず課題なんてない、流しておけば講義が終わるから余裕なんて状態だったらしい。悔しかった。先輩は地元で飲んでいたらその子と出会ったとかなんとか、先輩と仲が良かったサークルの男子が教えてくれた。マジで無理だった。
こんな世の中なのに先輩は毎日飲みに歩いていた事実も、もうちょっとで付き合えそうだったのに私はダメでその飲みの場にいた女の子は良かったことも。先輩は付き合ったら長く続くタイプらしいのでもう諦めた。悔しがっていることを知られたり、先輩に彼女ができた事実を知っているということを悟られたりするのが嫌でしばらくインスタをログアウトした。対面授業が再開して会ったら、知らなかった!よかったね!おめでとう!と言おうと決めた。
インスタをログアウトしたので特に仲の良い2人以外とは関わらなくなった。
正直、一旦距離を取りたい人間関係もあったためなんとも思わなかったが家族以外の人と言葉を交わさなくなってから、他人に会うことに抵抗を覚え始めた。さすがにやばいと思った。
メンタルボロボロのまま毎日徹夜でレポートを書いた。エクセルで演算した。勉強しても充実感はなくて朝7時に起きて授業を受けて次の日の4時に課題を終わらせて寝る、余裕がある日は推しの夢小説を読み漁った。オタクでいられたのでガチ夢女に戻ることでメンタルが回復した。多分推しのグッズ、末代まで「捨てるな!」って書いた紙と一緒に保管。
コロナ騒ぎも日常化して、実家のある村にも日常が戻ってきた。近所のおばあちゃん達にはまだ実家にいることがバレ、実は大学をやめたのではないかという噂がすぐに広まった。これはギャグ。もう私の家では笑い話。インターネット・オンラインという言葉をおばあちゃん達に理解してもらえなかったのでもしかするとまだ大学やめたことになっているかもしれない。つらい。
リアルの人間関係からほぼ身を引いていたため、ツイッターのフォロワーと夜な夜なTLを巻き込んで会話しながらレポートを書く。それは変わらなかったし確か6月の中盤まで、私は靴を履いていない。つまり家から一歩も出なかった。5月から1ミリも変わらない暮らしをしていた。
大学からある日アンケート回答のフォームが送られてきた。匿名のフォームで、今帰省しているのか・そうならば実家は通学可能な距離にあるのかという内容であった。正直に送った。
しかし次の日の授業で衝撃を受けた。今回のレポート提出は手渡し以外認めないと教授は言った。とても口が悪いので書くこともためらわれるが、このご時世でそれって狂ってんじゃないのかと思った。事情をメールして渋々だったが郵送させて頂いた。
その後も何人もの教授が大学に行く用事を作った。全て郵送やらメールやらファイル共有やらで代わりに提出を認めてもらった。正直メールにファイルを添付すればいいものばかりだったので助かったものの、もし私が他学部で実験科目がある生徒だったら?サンプルを取りに行くために泣く泣く地元から大学へ向かった友達もいた。このまま実家で講義を受けていたら落単するのではないかと、なんとなく恐怖心を持った。
もし町から町への移動がそのように咎められるものでなくなりつつあったとしても私の地元はどうだろうか。
教授の気持ちはわかる。高校の部活で演劇部だった私は裏方としてであるけれど人対人でなければ伝わらないことがあるということを何度も学んできた。絶対こんなに課題を出すよりも対面で、お互いの表情や空気感を読み取りながら講義を受けた方が1000倍伝わる。教授達が沢山努力していることはわかっている。でも一つだけ、ちょっとだけ考慮してください。アンケートで回答したみたいに、今は大学に通学できない距離で暮らしている子もいます。Word文書は気持ちが伝わりにくいなら、手書きはどうでしょう。「今すぐ」や「今日中に」大学にプリントを取りに来るように伝えるのではなくPDFを配布してみませんか。
この頃、一通のメールが地下ドル垢のDMに届いた。7月オープン予定でコンカフェを開く予定なのでキャストとして働いてみないか・お店で働く子達で地下アイドルグループを作ろうと思っている、ということだった。声をかけてくださったのは去年地下ドルの現場でお会いしたことのある方で事務所を経営してるとかなんとか…ということは知っていた。しかし怪しいと思い事務所名や名前で鬼のように検索した。本物だった。メイド服に憧れていたのでコンカフェには興味があった。どれだけいろいろな事情を抱えていてもステージに上がれば夢を見せてくれるきらきらした地下アイドルも大好きだ。かつて片思いしていた先輩も同じ地下の子が好きだったっけ。
しかし私に沸いてきたのは不信感だった。なぜこの時期なのか、私の推しでさえライブを自粛しているのに、都会でなければ成立しない「コンカフェ・地下」をなぜ今始動させようとしているのか、意味がわからなかった。
その頃だった。コンカフェの店舗を構える予定の歌舞伎でクラスターが発生したのは。
もういつもなら暗示や占いの類いは良いものしか信じないご都合主義頭だが、こればかりは神様がやめろと言っている気がした。だから断った。
捨て垢から見に行ったが、コンカフェは無事にオープンしたらしい。地下ドルグループもできたみたいだ。某メイドカフェでも感染確認、こんな世の中なのにメイドが働いているのってどうかと思った。大人が信じられなくなった。あとグループの曲は普通に私の趣味の雰囲気じゃなかった。(←これはお気持ち表明)
ということで先輩が好きなアイドルにはなれませんでした。前に現場に一緒に行ったことがある。
いつか地下で活動してそうだな、とか、そうなったらチェキ撮りにいくねとか言われたこと多分一生覚えてるけど、アイドルにはなりませんでした。(超怖いガチ重メンヘラコーナー)
そんな感じで相変わらずレポートに追われる毎日を実家で送っています。最近は本当に仲の良い2人と連絡を取り合うくらいで、レポートにも慣れてきて二次創作を適度に楽しみながら暮らしています。
私はこれでも勉強に趣味に…ってそれなりに外に出なくても毎日充実してる。それぞれの生活もあるんだし、私みたいな生活しろなんて誰にも思わない。それでも東京で毎日感染者出てたり、私の実家に近いところでもじわじわ感染確認されていたり、5月から世の中変わってないみたいだ。友達の住んでる市は勝手にロックダウンしたらしくもう当分大学には戻れないとか。
そしたら今日、大学からメールが来た。私はちょうど課題をやっていた。
8月頭から対面での授業を再開するって、教育学部が中止と予定していた介護実習や高校での実習も開講する予定ですって。受講を希望するなら今すぐ登録を、また必要な書類は大学窓口で手渡し以外認めないって。期限は5日後。
実習も8月に開講する科目も、教育学部以外の学生が教員免許を取るには必須で1科目でも落としたらもう4年間で卒業するチャンスはほぼないかもしれない。
だから私はどうする?
教師は今後10年間で必要なくなるなんて記事もネットにはいっぱいある。
メールが来てから2時間、ずっと私はなけなしの脳みそフル稼働させて考えた。
県内で感染者も増えているのに?移動中に感染する可能性は?土日ですら授業あるのにいつ動く?
介護施設も高校も、もし大学の誰かが感染していたら?大学のある場所で感染者が増えたのは先週の後半。これが決定したのは先週の始めらしいから明日になれば対面での講義中止のメールが届くのでは?社会的にどう?教師になることを諦めたらいい?そんなに簡単に1年半の努力は捨てられる?距離を置いていた大学のみんなにいきなり会うの?
私今まで通り大学生活送れる?
もうどうでも良くなった。大学ですら信用できない気がしてしまった。
なんて、こんなことが頭によぎって考え込んでしまうし、しまいにはこんな文章を書いてしまうのでもしかすると私の本当の夢、なりたいものは教師じゃないのかも知れない。
私が弱いだけだと思う。本当になりたい!と思っている子ならこんなこと考えずに書類出しに行くだろうから。対面での講義にもどることを喜ぶはずだから。
ということで、私は先生になる夢を諦めることを決めた。
意思が弱くどうしようもない救いようがない根性ひねくれた人間なのでもしかしたら、明後日には電車に乗って実習に必要な書類を出しに行くかもしれない。8月はどこかで実習しているかもしれない。教師になることを諦めたまま Permalink | 記事への反応(1) | 02:20
私は決して引っ込み思案ではない。
友達なんかいらないとも、出会いなんか必要ないとも、欠片も思ったことがない。
輪の中心は遠慮したいけど、数人の親しい友達と輪の端っこで仲良く語らっていたい、という願望くらいはいつでも持っている。
アキバ系の見た目を払拭したくて、誰かに楽しい人だと思ってもらいたくて、テンプレート通りにしておけばよいものを、無駄にスパイスを加えては自滅する。
高校デビュー(もしかして:死語)しようと漫画のキャラクターの自己紹介をそのままパクった次の日には、痛い子扱いでクラスの嫌われ者デビかくューしたり。
軽口混じりの自己紹介で笑いを取ろうとしたら、軽蔑混じりの視線を浴びて笑いというより嘲笑をいただいたり。
いずれも自分にセンスがあると勘違いしていたからこそのやらかしだ。
今?
二ートを抱えた家族は、すぐに崩壊はせず、緩やかに壊死していく。
私の実家もその典型的な一例であるため、「ザ・ニート家族」はこのように形成されるということを、
兄と私の半生を交えながら紹介したいと思う。
2人兄弟の末っ子として生まれた私は、兄と年齢が少し離れていたこともあり、両親、祖父母、親戚から可愛がられており、兄は必然的に放置されがちだった。
兄からしてみれば、自分を蔑ろにされている感覚からさぞ私を恨んでいたことだろう。
しかし、家族全体を通して見れば、多少ケンカをする2人兄弟の4人家族という一般的な家庭であった。
定期テスト、塾、受験、進学に関して、成績が悪かった兄を強く叱るようになり、それに兄が反抗し更に勉強をしなくなるという、負のフィードバックループが起こっていた。
また、学業だけでなく、日常生活全般に関しても気に入らないことがあれば怒鳴り散らし、自分が思う「躾け」の型に兄をはめていった。
そんな中、高校卒業を間近に控えた兄は、今まで自分の進路や行動を母に縛られていたため、
当初、大学に進学せずに働こうと考えていた兄だったが、やりたい仕事もなければ行きたい大学もなかった。
結果、ただ親に「今のご時世、大学には進学しておけ」と言われたから進学しただけの、Fラン大学生が誕生した。
高校は自由な校風の進学校に進んだ自分は、真面目に部活と学業に打ち込み、上位の国立大学に進んだ。
決定的な転機が訪れたのはここである。
今まで母は過干渉なぐらい兄につきまとっていたが、
今まで自分の人生に無頓着で、重要な選択さえも母の干渉を受けていた兄は、
「ただ今が楽であればいい」と考えるようになった兄は、
親がうるさく言ってこなくなったのをいいことに、大学卒業を間近に控えても就職活動をせず、ニートの道に進んでいった。
一方、兄への干渉を辞めた母は、幼少期ぶりに自分に接近するようになる。
しかし、今まで自分は母親に悩みも相談したことが無ければ、進路や人生の指針を相談したこともなく、
就職も結婚も確定してからの事後報告であり、「親を喜ばせる」なんてことは一切頭になかった。
そしてこの物語には、父は一切出てこない。
父は仕事人間であり、躾けどころか子どもの相談にも乗ろうとしなかった。
母が兄を怒鳴り散らしていた日々においても、その教育方針に口を挟むことはなく、黒子に徹し続けていた。
今まで教育を母親に任せきりにしてきた父は、無職の兄に対し躾けをする権利も、家庭内での発言権も無くなっており、
そんな威厳の無い父親を、兄と母は敵扱いしていた。
父→普段から育児に加わらず、家庭が崩壊寸前でも何もしようとしない
子(ニート)→小さいころから主体性を奪われているため、一人では何もできない
子(非ニート)→実家から逃亡し、何を言われても他人で押し通す
これら過干渉・不干渉の極端なバランスが、家族の形をいびつにしていく。
このパターンに当てはまる(緩やかな)崩壊家族、日本に結構あるんじゃなかろうか?
兄が30後半に差し掛かり、両親も定年に入り収入が無くなった今、
親が亡くなれば、家や土地を兄が継ぐのかもしれないが、後に残されうるのは主体性を失った兄であり、
そんな兄にいくら財産が付与されようとも解決の道は開けないだろう。
昔から女は共感を求めるとは言うけれど、腐女子や女オタクのお気持ち長文見るたびにそれを実感する。
愚痴を聞いたときに解決策を出すのではなくうんうんとただ聞いていてほしいみたいな女のテンプレートが界隈まるごとに適用されているのを見るたびにやっぱり女社会なんだなあと思う。
男性向けの方では大概何か大きな話題があっても炎上とかそういうのだろうけど、女性向け界隈だと些細なトラブルが愚痴によって拡散され共感によって『学級会』が日夜行われているのが外から見れば異様な光景だなと感じる。
今まではこういう愚痴とかは壺とか見えないところでされてきたんだろうけど、SNSの普及によって見える場所で議論され余計な暗黙のルールが作成されていく光景は窮屈で息苦しいなと思った。