はてなキーワード: 物言いとは
例えば、ゆうきまさみ。
ちゃんと最近の作品から具体例出すと、白暮のクロニクル11巻の218P。
ここって別に茶化して吹き出すコマをいれずに、次の鑑賞に浸るページに行っても違和感がないし
むしろ長く続いた漫画の締めにふさわしいシリアスなシーンとして成立するようにも思える。
ここからのラスト3ページって、いろいろな解釈があって、言葉で一意にまとめちゃうと陳腐になるのだけれど
大筋でいうとオキナガとして変化もせず死すらない自分と、人間として死に近づいていくもその遺伝子が子や孫に受け継がれて行く伏木との対比みたいなことを示していると思う。
そして、この雪村は常に「仕事」を持ち続けているってのは、ゆうきまさみがアッセンブルインサートの頃から描いている「自分にできるお仕事があるっていいですよね」の精神の表れでもあって
大好きなシーンなんですよ。
ところが、これに対して吹き出す雪村を一旦挟むってのは、ゆうきまさみの作家性というか
自分が主張したいことが受け入れられるか不安になっちゃうから、自分でそれを茶化して照れを隠そうとしているように思えてしまう。
露悪的な物言いをするなら「所詮、俺なんて絵日記漫画やパロディ漫画でギャグを書いてた人なんだからさ!」みたいな自虐と言ってしまってもいいかもしれない。
いやさすがに、これは露悪的にもほどがあるか、言い過ぎです、ごめんなさい。
で、こういうのって、意見が相対化されてフラットな目線で読めるから、僕は好きなんです。
漫画で結局は娯楽だから、作者の意見を押し付けがましくされても、ちょっと引いてしまうんですよ。
具体例を出すと角が立ちそうだけども、最近のQ.E.D.とかまさにこれで、いやいやお前もうちょっと他の意見を戦わせてくれませんか? みたいな?
でも、この照れが悪い方向に行く漫画もあって
例えば、安田剛介。
私と彼女のお泊まり映画なんて、百合で映画で最終回一個前で告白回でキャロルなのに照れて茶化す。
こういうときは、そういう照れを見せずに一直線にガツンとぶつかってきてほしいんですよね。
じゃあこれって何が違うの? って考えると、恋愛かそうじゃないか、かもなあと
そのさ、この展開でサムズアップ…… いる?
いらないでしょ、っていうか97話と98話すらいらないでしょ。
わかる。
わかるよ、漫画だから笑える面白いシーンが必要なこともわかるよ、
でもこの展開でそんな照れ隠しみたいな面白シーンを入れなくてもいいじゃないのさ
もっとぶつかってこいよ!
お前の熱をぶつけろよ!
熱をーぶつけろー、ぶつぶつでたトリケラトプスー
いきなりでてきてごめーん、まことにすいまめーん!
(自分の主張を自分が主張したいことが受け入れられるか不安になっちゃうから、自分でそれを茶化す照れ隠しのギャグがジョイマンのパロディなの、これこそ「なんだこいつー!」だと思いませんか?)
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 104 | 22256 | 214.0 | 46.5 |
01 | 52 | 7091 | 136.4 | 60 |
02 | 33 | 6306 | 191.1 | 87 |
03 | 19 | 3144 | 165.5 | 47 |
04 | 14 | 3818 | 272.7 | 75.5 |
05 | 15 | 1269 | 84.6 | 68 |
06 | 19 | 2005 | 105.5 | 72 |
07 | 32 | 1989 | 62.2 | 38 |
08 | 57 | 4438 | 77.9 | 37 |
09 | 73 | 5232 | 71.7 | 43 |
10 | 69 | 8571 | 124.2 | 55 |
11 | 111 | 11792 | 106.2 | 58 |
12 | 183 | 12790 | 69.9 | 44 |
13 | 105 | 8246 | 78.5 | 50 |
14 | 83 | 8614 | 103.8 | 47 |
15 | 95 | 8113 | 85.4 | 49 |
16 | 120 | 9609 | 80.1 | 51 |
17 | 111 | 13041 | 117.5 | 49 |
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23 | 70 | 7990 | 114.1 | 63.5 |
1日 | 1883 | 193168 | 102.6 | 49 |
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格好悪い男の話。
なんで生まれてきたのか、よくわからないその男は、いつも女の後ろに隠れている。
一緒に生まれてきた女はたくましく、迷いなく、快活な部類に入る、と思われている。
男は女を頼りにしており、いつも後ろに隠れている。
何かいうのは女に任せて、一人でうつらうつらしながら、一人で物思いにふける。
女が時折疲れて、あるいは遠出をすると、男はのそのそと前に出てきて物言う役目を変わる。
女は後ろでしくしくと泣いている。
男は女を慰めたりはできないので、ただ女の気がすむまで泣くのに付き合う。
女は男を頼りにしない。できない。戦うのは女の役目だ。
だってこの男は格好悪いし、意気地がないし、外に出ようとしない。
けれどこの男がいないと、女は自分がなんなのか、てんでわからなくなってしまう。
男が本を読んでいて、山手線にはねられてたまたま生き残った若者が、自分が投げた石にたまたま当たって死んだいもりについて述べた話をみつけた。
たまたま女に生まれて、ただそれだけで、意味などなく、果たすべき使命とやらは毛頭なく。
ぼんやりそんなことへ思い至りながら、男はまたうつらうつらした。
相変わらず女は男の前にいて、男の億劫な物言いを代わってやっている。
男は女の後ろに隠れて、有象無象を面倒くさげに眺めている。
格好悪いその男は、けれど女の後ろにいなくてはならない男なのだ。
格好悪いと女に思われながらも、女が自分を見失わないためには。
偶然久々に見かけたんだけど、
ええ~
こんな人だったっけ?
論点3つ。
kyo_ju 日本 社会 世代論 一方でロスジェネほど(アンチ左派以外の)社会運動を忌避する集団もいない。ただこうしてクダ巻きつつ他人の権利主張を呪う("フェミガ―""ナマポガー""かわいそうランキングガー"とか)だけなので救われる道理もない(sigh
リンク 2018/11/05 Add Starrcifujiyama3sandayuukanagawakamaxgamyjikuagricola
なんだこれ?
ネットの便所の落書きのバブル世代叩きや団塊叩きでもここまでめちゃくちゃなのはなかなかない。
自分は正直ロスジェネ世代の人とそれほど付き合いはないんだけど、それでもこんな物言いが出鱈目なことぐらいはわかる。
ロスジェネが他の世代をぶっちぎって、特徴的なぐらいに、何か独特の思想傾向があるっていう統計。
これ、よくて、kyo_juさんがリアルでその世代の人とたまたま意見が合わなかったとかそういうしょうもないルサンチマンちゃうの?
けどそんなんそれこそ在日とか生活保護の人を1,2件見て「なんかやな感じのけしからん奴だ」って印象持ったのを
「在日ほど危険で日本を蚕食する集団はない」「ナマポは社会の癌」みたいな主張に膨らませちゃう奴とどう違うの。
そういうリアルな体験を材料にした偏見とルサンチマンならまだマシ(?)で、
単にネットでなんか口喧嘩が上手くいかなかったり自分と違う意見が勢いあるのを見たりしたときに
「こいつらはロスジェネの負け組の人格の曲がったどうしようもない奴らなんだ」って見下すための設定を育て上げただけだったりしてね?
そんなんもう部落出身者と会ったこともないのに「部落は危険思想を持って社会を恨み破壊をたくらむだけの危険な集団なんだよ(ネットで悟った)」とかぶっこく奴と同レベルだけど。
とにかくどういう根拠でこんな決め付けを断言できたのか根拠を提示して欲しい。
2番目の奴な気がしてならないけど1番でも十分最低です。
こんな荒唐無稽で最低な主張の動機なんて好意的に考えようとしても上記1番2番ぐらいしか考えられなかったけど
kyo_ju "ロスジェネを公務員に採用せよ"との意見があるけど、今のネットロスジェネ方面の噴き上がり具合を見る限り、なった途端これまでの復讐とばかり冷酷な福祉行政や権柄づくの許認可行政を展開するとしか思えないんだが 労働 世代論
赤狩りかよ。
「特定思想のやつらは公職や権限のあるポストにつけたら背任するに違いない」「社会を破壊するに違いない」ってなんなん。
いわゆる「頭悪いネトウヨ」の最底辺と同レベルかそれより下の思考と発言じゃない?
しかも、だから、特定の世代を冷遇せよ、仕事も与えるな!っていう。
「長いこと貧しかった人間や非正規の人間を重要なポストにつけるとこれまでの復讐をはじめるから危ないぞ!」「死ぬまで負け組でいさせろ!」ってのも、
これものすごーく鼻持ちならないプチブル新自由主義者が言ってるならわかるけど
kyo_juさんってそういう方面の人だったっけ?自他共にリベラル・はてサと認める方面の人だったのでは?
もう、どこがだよって感じだけど。
もはやネトウヨ未満の低レベルな思考と妄想でヘイトと具体的な迫害指示まで吠える狂人
にしか見えなくなったんだけど合理的な弁明があるなら言って欲しい。
万歩譲ってロスジェネがkyo_juさんの脳内設定どおりの集団だとしましょう。
もしそうだとすると、だから困窮してても救済すべきでないと?
え、本当に本気でそんなこと書いてるの?
よくこれでネトウヨがどうこう言えると思う。
特定の集団を憎んで、理由をつけて、社会的な救済を与えるな!殺せ殺せ!って言っちゃうわけでしょ。
その辺のネトウヨなんか圧倒できるほどのレイシズム思考・選民思考・憎悪と偏見の塊じゃん。
冗談よして欲しいよ。
・「けしからん奴らは見捨てて殺せ」と吠える。
・自分が殺す権限を持ってるようないやらしい興奮で我を忘れてヘイト丸出し。
非難する資格がないっつーか、生活保護叩きそのものの思考やないか。
あってほしいけど。
それにしてもびっくりした。
前置きとして、この話に出てくる男性には個人的に嫌悪があるため口汚い物言いになってしまうことをお断りしておく。
その際弱者男性全体への批判のような物言いになることがあると思うが、主語のすり替えであることは筆者も重々承知している。
前もって謝っておくね、ごめんなさい。
できるだけ公正な視点で書く努力はするものの個人的な体験であるためどうしてもそういう部分は出てくるだろうから余りこの手のネタが好きじゃない人は閉じてほしい。
インターネットで良く目にする弱者男性と付き合ったことがある。
アラフォーで、年収は200万円前後で、実家暮らしで、スーツの上からでも分かるほど腹がぽっこりしていて、顔は骨格もパーツも皮膚も良くない。
何故そんなのと付き合ったのかというと、告白された時にお断りを理解してもらえなかったからだ。
「俺たち付き合う?」と聞かれた時にはっきりと「付き合わない」とお断り申し上げた。申しあげたのだ。
けれどこの男性(以降Aとする)は粘り強かった。
間髪いれずに「どうして?」と聞いてきたのだ。私も間髪いれずに「付き合いたくないから」と説明した。
そうすると今度は光の速さで「なんで?」と聞いてきた。なんでもクソもない。私も光の速さでなにかしらの説明をした。勿論お断りの方向で。
これを何回も繰り返し、あっこれは頭のヤバいやつだナ。と思った私は渋々了承した。してしまったのだ。
Twitterに生息しているAという男は私が食事をしたことを写真付きであげるとそれをRTして、その後にその店のURLを晒し、最後に「8000円のランチ。増田嬢の優雅な昼下がり」などと呟いて、それをエスプリ満載なコミュニケーションの一つだと勘違いしているような人間だからである。
それならば付き合わなければいいのに、前述の通り断っても理解しないヤバさと弱者男性への哀れみがそうさせてしまった。死ね。
無事私の了承を取り付けたAは嬉しそうに「じゃあ、よろしくのチュウ」と言って顔を近付けてきた。
女性への接触に慣れていない人間特有の「触るぞ触るぞ触るぞ」の興奮が隠しきれない鼻息の荒さで。こええよ。
早速後悔が押し寄せてきたけれど女に二言はないのだから、私は「じゃあ、よろしくのチュウ」とやらを受けた。死にたい。
機嫌の良くなったAは「オフ会であった○○ちゃんの方が君より顔はいいけど性格が嫌い。人に色々質問してくるから。男子校ですか?って聞くとか失礼だよね」や「君を紹介したら結婚詐欺だって疑われるだろうな」と嬉しそうに話していた。
○○ちゃんというのは私が大好きな女の子で、それを初っ端くさすのはどうかと思ったが、彼は哀れな男なのだと思って我慢した。後者の発言も大概である。
次にAがやり始めたのは、私の家で私の大切なものを触ることだった。
より個人に近しいもの、例えばぬいぐるみなんかをベタベタと触って「よろしく」と話しかけるのだ。なんとも言えないマーキングのような気配を感じて私は止めた。
それ以降、毎週末、それから祝日の度にAは来るようになった。曰く「どうせ俺は短い間に振られるからそれまで思い出を作りたい」からとのこと。
余談だが私はその時病気のため長期療養中でできるだけゆっくりしたかった。
これによって我が家の食費は三倍に、光熱費は二倍に膨れ上がった。
一度すき焼き鍋が食べたいと言ったAにすき焼き鍋をはじめとして五品くらいの料理を出したところそれぞれ二人分作っていたのに全て食べられたことがある。
余りのことに唖然としたが本人は「お皿分けてないからわからなかったよ。コンビニでなにか買ってきてあげようか?」と何故か気の利く彼氏のような口ぶりで可愛くすねてみせる。繰り返すが、Aはお顔の見苦しいアラフォーのおっさんである。
末っ子長男という立場の実家でなら和やかなエピソードにもなろうが、二十代半ばの私ではアラフォーの末っ子長男を甘やかすことはできない。舌を噛み切りたい。
このように自分が食べるものには無頓着で、常備菜も断りなく勝手に持ち出して食べてしまうAだったが、金銭感覚とやらには人一倍敏感だった。
ある日突然「君の家の冷凍庫にはステーキ肉があるでしょ?あんなのうちの実家にはないよ。贅沢なんだって分かってる?」と責められた。
私はAが我が家の冷凍庫をあけたことなんて知らない。なによりなぜ私が家賃を払っている家で私の払っている電気代で私の食費の範囲内で存在しているステーキ肉を贅沢と言われなければならないのか困惑した。
なんでだろう。ただの業務用スーパーの肉なのに。海外産なのに。
こういうことはままあった。
私の家の別室にいつの間に入ったのか、私の服が殆どUNIQLOであることに対して言及する。同じ口で、私の服装はハイブランドっぽいから他人に威圧感を与えるとあてこすられる。
自分で家探しして、UNIQLOであることを把握しているのに。
肌の手入れをしている時、家の掃除をしている時(余談だがAは私が洗濯物を干している方向に向かって寝そべった姿勢で放屁したことが何度かある)とにかくことあるごとに
・それは文化資本の高い裕福な家庭で育ったから身についたことだ
・そういうのは人に威圧感を与える
という趣旨であてこすってきた。一見褒め言葉とも思えるが、その時のAの表情は「世間知らずの小娘に、弱者として様々な荒波に揉まれてきた俺がものの道理を教えてやる」という優越感に歪んでいた。
これが、毎週末起こればどうなるか。
病気療養中でただでさえ体力が落ちていた私はメニエール病になった。病気のお代わりである。
実家で未だ末っ子長男の立場にいるアラフォーが呼んでもいないのに毎週末入り浸り、どんどん荷物を運び入れてくる、ついでにジンギスカンのタレ(私の住んでいる土地は北海道ではない)や生姜湯のタレやカフェオレのタレや実家にあった食べかけのスプレッドなどをお土産としてドヤ顔で押し付けてくる。
金銭感覚の狂っているところと金を持っているような見た目だけがたまに傷で、そこは俺が矯正してやらないとな。
俺が結婚してやるから、婿に入れて跡継ぎのパパにさせてね。お家のことは任せてくれていいよ。
無理だった。哀れに思って物乞いに施しを与えるつもりで付き合っていたけれど、風俗嬢とキャバクラ嬢と家政婦とママと財布のハイブリッドにはなれない。
金銭感覚が狂ってるのはあんただ。他人の家で好き勝手食い散らかして、風呂も毎日溜めて、家事も食事の世話もしてもらって当たり前と思ってるけど年収200万円でそんな生活はできないんだよ。
実家暮らしでそれが当然になってしまってるお前の金銭感覚の方が狂ってるんだ!
そう言いたいのを飲み込んで私は「うちに置いてる荷物を持って帰ってね」と通告した。泣いてたけど知らない。
禅問答のような告白劇からわずか一ヶ月半のことだったが、色々と我慢の限界だった。
うちに持ち込んだ荷物は手提げ二袋に詰めてもまだ残っていたので、私が大きい段ボールに詰めて送った。
私に了承を得ていない様々なところに荷物を置いていたので探し出すのに苦労した。
別れた後もオフ会した女の子の品評が送られてくるなどした。「焼肉奢ってやる価値なんてなかった」「デブだった」「立ち居振る舞いに品がなかった」「増田がどれだけ素晴らしいか分かった」
うるさい、死ね。腹がぽっこりしてるアラフォーのおっさんが女子大生に向かってなにを偉そうに。その子が可哀想だ。
またまたその後便箋七枚ほどに及ぶ懺悔の手紙が送られてきた。字があまりにも汚かったので、読めたところだけを要約すると
「コンプレックスに苛まれていろいろとしたことを反省します。プライドが邪魔をしてしまったんだ。だって俺は稼げないし」
稼ぎがどうこうじゃなく人間性の問題であることを理解できないのが哀れだと思ったが。
後日談として、
その後Aは自分のコンプレックスを払拭するためか親にいれている金を免除してもらって株式投資をはじめ、順調に年収分くらいの損失を出しているらしい。
異性として見られる魅力もなく、自信となる稼ぎもなく、実家暮らしで萎えた自立心と金銭感覚、末っ子長男扱いと狭い人間関係で肥大しきった自己評価
彼の不幸の全てが弱者男性という社会問題のせいとは言わないけれど、でも私は二度とその手の男性に近づかないだろう。
たとえ差別と言われても、この記事に書いた奇行、書ききれなかったその他の様々なコンプレックス由来の奇行どちらも私を頑なにするには充分だった。
最初に断っておくと、この話はVtuberというものに対して一視聴者の立場であり、面白いものではない。
私がVtuberという存在を知ったのは2017年末頃、ちょうどバーチャルのじゃロリ狐娘おじさんなるワードがパワーワードとして捉えられ俄かに周知を帯びたころである。
当初、そういった存在があると知りキズナアイ、ミライアカリ、ちょうどその頃活動開始した輝夜月の動画をひとしきり漁り、そういうものかと認識だけして捨て置いたのは記憶に新しい。
Vtuberというものにハマったきっかけとなるのはそれから数月の後になってだった。
配信主体という性格はともかく、奇天烈な言動や強烈な個性を表に出したそのVtuberに心は奪われた。
映画という共通の趣味がありながら、まるでその好みは違ったのも一因ではあった(私はアクションやサスペンスを好んだが、彼女はヒューマンドラマを好んだ。)
ただ、きっかけと言えばそういった表層的な面の浮き出るまとめ動画ではあったが、本当は異なっていた。
彼女の同僚である同じくVtuber、その子が配信で曝け出した強烈な嫉妬心を切り出した動画によるものというのが真相であった。
もちろん、彼女(ら)がVtuberというキャラクターでありながら、その実配信者という側面をもついわゆる「nmmn(ナマモノ)」という面を持つのは当時の私でも理解できた。
私は、いわゆる百合といったコンテンツを好みながらもあくまで「現実の人間関係」を楽しむという罪はあくまで意識したつもりだった。
そういった前提を踏まえて密かに応援しながらも、彼女らがVtuberという活動を通じて親密になっていく過程を楽しんでいた。
母体であるグループがpixivでfanboxを開設したとなればすぐさまに登録し、配信ではスパチャ(俗にいえば投げ銭)をして、ボイス販売があれば買うことが応援であると信じた。
一方で、その更なる母体である企業と言えば少しばかり怪しい面は覗かせていた。
本来ならあくまで配信ツールの提供者であると、意図しないバズであるから仕方ないと同情の念はあった。
事情が変わってきたのは半年ばかり経ってか徐々にリアイベの開催を行うようになってきてからだった。
そういったスタンスも認めていたつもりだったし、2人が中心となるトークイベントでは事前の「一部配信」の表記を信じて、抽選の倍率を通り抜けて遥々遠征の計画を立てた。
当日、新幹線に乗っていた昼下がりにTwitterを開いた瞬間、公式による「全編配信を行います」の文字列が飛び込んできた。
「これは一体何だ?何のために私は遥々東京へ行く計画を立てたのだ?」
そういった疑問を思い浮かべつつも、"配信されない部分がある"ことを悲しんでいた人々のことを喜んでみせた。腑に落ちないものを感じながら。
その企業はイベント限定販売と称しながら、脈絡なく再販する真似をその後も繰り返した。
2人という"コンテンツ"(あえてそう呼ぶならば)を追い続けて半年以上が経った。その中で同期のメンバーとも親しくなりコラボ配信を行うようにもなり、それも私にとっては楽しみだった。
しかし、楽しみにしていたコラボの中の雑談の内でそれは現れた。
(以下引用。仮にA,B,Cと置く。)
B「え、何が?」
A「稼ぎ頭とかめっちゃ弄ってくる」
B「そう。私のことめっちゃ弄ってくるんだよね」
A「凄い弄るよね」
C「そう。食べた割り箸がーとか」
B「あれでしょ。私が食べた弁当の後とか"この割り箸いくらいくらで売れますよ”とか」
A「うそぉみたいな」
C「うざぁっ…。こらこら」
B「一々ね。なんでも鑑定団みたいな…」
あくまで、当人(=B)による被害意識はそれほど無いという口ぶりの中であった雑談ではあったが、有り体に言えばショックであった。
ショックの理由としては3人とも自分の推しであったこともあるし、その彼女らが明らかにセクハラ的な言動を受けてることもあったし、
彼女らに対して行ってきたスパチャやグッズ購入等の収益の一部がそういった言動をした人間の懐に入ったこともあった。
今まで、輝かしいばかりの活躍を見せてきた彼女らに対して感謝の思いを込めて金を落としてきたのは事実だ。
そこには(恐らく)偽りなどなくて、多分、一人のファンとしての行動としては間違いなかったのだろう。
けれど、今になってはそれらの金銭の一部がそういった言動をした(あるいはそういう物言いが許される企業の)下に行った事実がどうしても頭を占領するのだ。
眩いばかりの彼女たちのきらめきを思い返す度に、下卑た笑みを浮かべた名もないだれかが札束を数えている姿が思い浮かぶのだ。
恐らくそれを騒ぎ立てたとしても、そのスタッフが辞任にまで追い込まれるようなことはないだろう。
結局、ファンである一個人としてはFanboxを解約し、スパチャを辞めて、彼女らの配信を眺めながらも「セクハラ加害者に協調するか」「彼女らの活躍を応援しないか」の2択を迫られるのだった。
Vtuberという存在を知った時や、彼女を知った時、確かに生きる喜びを味わったけれど、その輝かしさは凡人によって永遠に拭い去られてしまった。
私は今後、その同グループのライバーを応援する人々を見ても「セクハラを容認する企業を応援するのだ」という思いがちらついてならないし、
自分の好きな2人に対しては更なるジレンマを抱くしかないのだろう。
結局、Vtuberという珍奇な存在の到来に対して、凡庸な一個人によるセクハラだけで酷く幻滅させられた今が、ただただ疎ましく悲しい。
アメリカでは「文化の盗用」に関する議論が喧しい。ボストン美術館のキモノ体験についたクレームだとか、当事者であるはずの日本人から見ても「別にいいじゃん」と思わせられるようなケースさえあり、それ自体が差別的発想だという批判もあるくらいだ。実際、例の企画は、元々の画がジャポニスムをテーマにした画であり、その画の前で日本人ではない人がkimonoを着て写真を撮る行為は、むしろ「ある時代に存在したジャポニスム」そして「それを描いた画」という『オリジナル』を尊重した行為ですらある。たとえば日本人が着物を着てその前に立っても全く意味がないどころか、むしろそれこそ「オリジナルへの敬意を欠いた振る舞い」として批判されるおそれさえあるだろう(皮肉)。
(※ちなみに、時間のない方は、このあと太字部分だけ読めば大体の内容が分かります。)
だが、そんな自分が、日本でしばしば気になって仕方ない「文化の盗用」がある。それは、TV番組などでしばしばみられる「関東圏言語話者による恣意的な方言使用」である。よく例にあげられる「外国の都会の人の言葉は標準語で訳されるが、農夫の言葉は東北弁で訳される」みたいな問題だけではない。地方を舞台にしたドラマで登場人物が喋る台詞などにおいても、方言が、その地方やその地方の言語に対する十分な理解を欠いた人間、つまりネイティブ以外によって「ちょっとした彩り要素」としてカジュアルに使用される結果、おそろしくひどい形で表現されている。文化への敬意を欠いた使用は、まさに「盗用」と呼ばれるのにふさわしい。
たとえば、関西ネイティブとして断言するが、TVドラマや公に出版されるフィクションなどで見かける「関西弁による会話」をみて「自然だ」と感じることは99%ない。それなりにお金をかけているはずのNHKの朝ドラ(関西弁指導:●●、などとクレジットが入っているのに)などは、最もひどい例の筆頭である。
そういうひどい例を具体的にあげると枚挙に暇がないので、1%の「よい」例をあげてみよう。たとえば谷崎潤一郎「細雪」。戦前の作品だが、関西文化に対する深い理解をもとに、「自然な」関西弁が用いられている数少ないフィクションである。谷崎は江戸っ子だが、言語に対する深い感覚と、関西に移り住み関西ネイティブと結婚して緻密にその文化、所作、その背後にある思考法を観察した結果として、たとえば第一章冒頭の流れるような会話描写を実現した。相手の反応を伺うような、どこで途切れるのか分からない古典の時代のような会話、相手を立てるように話す長女と蓮っ葉な口をきく三女は、それぞれ阿吽の呼吸で話を推進する役/突っ込みを入れる役/疑問・答によって話のオチを付ける役、などの役割(ロール)を自在に演じながら会話を展開させていく。これに較べれば、NHKの朝ドラ等の会話が、いかに醜悪な「関西弁モドキ」の会話であり、結局「関東弁を関西弁ぽい口調にしただけ」の底の浅いものかがよく分かる。少なくとも関西ネイティブなら、その違いは明白に感じ取れるものだ。
NHK朝ドラで、たとえばヒロインに対して友人が、あるいはヒロインが知人や親に、時に熱く、あるいは涙を浮かべて関西弁で「○○○○なんや!」と叫ぶ。見ている私の胸には「ああ、またか」と鼻白む思いが広がっていく。あれで関西に配慮しているつもりなのか。関西は東京にとって単なる感傷的なエキゾチシズムの対象なのか。あんな関西人おらへんねん。ほんまに。
関西では、関東人のように「正論」を「熱弁」することは、申し訳ないがノーマルでナチュラルな振る舞いとは見なされない。話の半分をジョークで構成し、自分を「落とし」て低姿勢で粘り強く交渉するスタンス、疑問形を多用して「相手に語らせる」手法、話にはヤマとオチをつけるという作法、そういうものを欠く会話は、下品で場をわきまえない失礼なものとみなされ、見下される。幼い子供を除けば、自分の意志を相手に伝えたいときにはもっとも用いないやり方だ。関西ネイティブは一見感情豊かに見えるが、それはあくまでロールを演じる意味においてでしかない。生の感情を表に出すのは、基本的に大きな怒りを感じている相当限られたケース・シチュエーションであり、その際にはまた普段とは全くことなる口調・態度・話の作法を取る(先ほどの「細雪」では、たとえば上巻九で女中を叱責するときの口調がその好例となるだろう)が、それもまた原則的にはストレートな物言いを避けながら結論へと近づいてゆき、「自分の言いたいことを相手に悟らせ言わせる」ことを目指したやり方を取るのが通常である。そして、可能な限りすみやかに、通常の流れの会話への復帰が図られることで、その特異な状況の調停と幕引きが図られるのが常である(たとえば先の「細雪」の例では、女中を叱責して帰したあとすぐ長女が「やっぱり自分に落ち度があったのだろうか」という意味の自分の「落とし」を始めることで、通常モードへの復帰を図っている。もっともこのシーンでは、普段無口な次女が想像以上にこの件について腹を立てていたため、復帰があまりうまくいかない、というシーンになっているが)。
真顔で、正論を、熱弁するヒロイン! これを関西弁でやられると、演技の上手下手に関わらず(むしろうまければうまいだけ)、申し訳ないが周囲との調和を失い破綻した人格を演じているようにしか見えないのだ。このため、たいていの関西人が、あれを見て「奇妙に大げさで下手な演技をする演出が朝ドラのスタンダード」という歪んだ認知をもつことでスルーしていることを、NHK関係者は理解されているだろうか? 役者が上手に真面目に演じれば演じるほど、関西人には「下手糞」な演技に見え、演じたい役と演技の乖離は増してゆく。方言や文化に対する敬意を欠いた行為は、こういう一見滑稽な、内実を考えれば誠に悲惨な結論を生んでしまうのだ。
いったい、メディア関係者はこの明白な「盗用」行為について、どのように考えているのか。私はこれが何かを「考えた」結果であればまだ救いはあると思っている。しかし、おそらく「何も考えてない」というのが実情だろう。何も考えていないからこそ平気で「盗用」できるのだ。盗まれた側の痛みなどまったく想像もしていないから、平気で盗んで見せびらかすような真似ができるのだ。とんだ裸の王様である。
国内最メジャー方言である関西弁ですらこの有様だというところから見ると、おそらくそれ以外の方言についてはもっとひどいことになっているのだろう。異文化にカジュアルに親しむことが「悪い」ことだとは言わないし、敬意をもって接してもらえるなら、触れてもらう側にとってもそれは喜びとなる。だが、少なからず敬意を欠いた異文化との接触は、しばしば悲劇的な結論しか生まないものだ。国内異文化に対する振る舞いは、必然的に国外異文化に対する振る舞いにも敷衍される。奇妙に滑稽な「クールジャパン」の現状、昨今の極めて「内向的な」外交のありようと、このことは無関係ではないだろう。私たちは自分たちが何ものかも知らず、他者が本当は何者なのかも分からない中で、相手の予想のつかない振る舞いに、奇妙に怖れ、怯え、媚びているのだ。
「文化の盗用」議論に実りある内容があるとすれば、こういったことへの自覚が少しでも私たちの中に生まれることにあるのではないだろうか。私たちは自分たちのオリジナルな文化とは何なのかについてもう少し自覚的になり、「(異)文化とは何か」ということについてもう少し考えてみるべきだと思う。無邪気な子供のように「世界中ミナトモダチ」では片付かない、異文化に接触する際には慎重で警戒した身振りが必要となる、そういうリアルな感覚をもう少し我々はもつべきだ。そうすれば、外交についてももう少し現実に即した対応が行われるようになり、海外との交流もスムースに進み、そして関西に対する誤解をただただ広めるようなフィクションが制作されなくなり私がイライラする機会ももう少し減るのではないかと期待する。(←これがオチ)
『若おかみは小学生!』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。またこの作品は書籍版漫画版アニメ版あるけれど、それらは横に置いといて映画の話します。
これは120点っすな。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、「見れて大満足! もうちょいお布施したい」でした。
演出とは裏腹に内容的にはかなりヘビー(というのを見越して爽やかで明るい演出を用いていた)なので、児童文学原作でお子様向け痛快娯楽活劇とは言い切れないんですが、個人的にはクオリティさえ伴えば子供を思いテーマや悲しい作品でぶん殴ってもええやないか、いてもうたれ、子供ってのは子供なりに受け取るんだ派なので、クオリティでぶん殴ればいいと思います。ふるぼっこだドン。
この映画に関してはTwitterで児童労働がどうのこうのという話もちらりと耳にした程度で事前情報収集もなく見に行ったんですが、そういう物語じゃなかったですよ。
じゃあ、どういう物語だったかといいますと、大きく2つの柱が絡み合うストーリーでした。それは大きなテーマで言えば「喪失を乗り越える」と「自分自身と居場所を見つける」という話。
初っ端から重いですが、主人公である女子小学生・関織子(通称おっこ)は、本作冒頭の交通事故において両親を失います。もうこの時点で軽い話になりようがないわけですよ。にも関わらず事故被害のシーンはグロカットされ、葬儀とそれに続くドタバタのシーンも描写はされず、おっこは新生活の場であるところの、祖母の営む温泉旅館「春の屋旅館」へと向かいます。トランクひとつ持って別に落ち込むわけでもなく、ちょっと大変なだなあくらいの顔色で一人旅をして、到着し、新しい部屋(いままでのマンションとは違う昭和的な和室)を与えられ、転校して新しいクラスメイトに挨拶をして、ひょんなことから家業である温泉旅館を手伝うことになります。
『若おかみは小学生!』って言うタイトルだから当たり前ですが、こうして女子小学生おっこの若女将修行生活が始まるわけです。
「春の屋旅館」がある「花の湯温泉」は歴史のある温泉街で、古都然としたまちなみに浴衣姿の観光客が歩く割合賑やかで、カラフルな町です。この辺音楽や美術の演出とあいまって、しみじみと明るく暖かく描かれていて雰囲気良いですね。美術のレベルは高かったです。
でも、この明るく爽やかなあたりが(とうぜんそれは演出意図に沿ったものなんですが)、ある意味ホラーでもあるわけです。
小学生の児童にとって、両親を失うというのは、最愛の家族を失うということであるのみならず、加護者も生活基盤も導き手も失うということです。もう、それは世界の崩壊とかいうレベルでの悲哀なわけですよ。
にも関わらずおっこはそこまでの苦しさを見せない。両親を思い出してちょっとうつむくことはあっても、笑うし、日常生活を送るし、新しい出会いにも前向きでいる。それはよく考えればとてもとても異常なことなわけです。
異常なおっこの新生活は、やはり物語後半に向けて徐々に破綻してゆきます。「両親がまだ生存していて自分と一緒に暮らしている」という幻想を何度もみてしまうおっこは、あるシーンにおいて事故の原因となった(もちろん別のですが)大型トラックを見て、事故のフラッシュバックから過呼吸になってしまう。おっこは、両親の喪失という悲しみを乗り越えたわけではなくて、ただ単に今まで封印をして日常生活を演じていたに過ぎなかったわけです。
あらすじなんかにおいて本作は「主人公おっこの成長を描く」なんてサラリと書かれているわけですけれど、それは不誠実な欺瞞であって、おそらくおっこの身になってみれば、それは成長じゃなくて引きちぎられてバラバラにされてしまった自己の修復というサバイバルなわけです。失った何かから目を背けて、決定的な破綻をしないようにごまかしながら疾走するというのが、この物語の前半部分でした。
そういう意味で、おっこが若女将をやるというのは、児童労働とかそういうレイヤーの話ではないのです。両親を失って加護者も生活基盤も支えも失ってしまったおっこにとって「いまできるなにか」に必死に飛びついて自分を騙そうとしていたとも見ることができます。祖母である旅館の経営者(現女将)の後継者問題という、旅館側の都合があったにせよ、おっこが旅館の雑務に飛び込んで笑顔で充実していく背景にはそれがあるはずです。
事実おっこの若女将は雑誌に取り上げられて評判を呼ぶという広告的な価値はあったものの、従業員としてみたとき、お客さんに感情移入しすぎて夜闇の中に駆け出すなど(一般的な社会人の価値観からすれば)行き過ぎな面もありました。
でもそれも仕方がないと思うのです。両親という生活基盤を失ったおっこは、同時に目指すべき将来の自分像も失っています。「将来こういう自分になったらいいな」です。その空隙を、目の前に提出された安易な「若女将」で埋めてしまったわけですから、その意味では、おっこの若女将は労働としての若女将ではなく「若女将ごっこ」でもあって、つまりはある種の自分の居場所探しなわけです。
たとえおっこ自身がそれを言語化できるレベルで気づいてなかったとしても、まだ収入もなく住む場所も自分では決められない小学性にとって、他にできることなんて事実上ないじゃないですか。それはせめて居場所を獲得するという生存努力です。
おそらく祖母はそのおっこの悲痛に気がついていて、周囲が無責任に「若女将誕生!」とはしゃぐなかで、決して自分からは手伝え、継げとはいいませんでしたし、おっこの労働を危惧してた素振りも見えました。経営者として「子供に接客なんてさせられない!」と拒絶することもできたでしょうけれど、おっこから若女将をとりあげて、じゃあ不安定な彼女の精神に何をしてあげられるかと言えば何もない。だから黙認しかないわけです。
だいたい「自分自身と居場所を見つけるという話」なんてものは現代社会において、大学を卒業して就職して一年二年経った青年が、俺はどうやらこういう方面には我慢が効くがこういう方面は苦手だぞ、どうやらおれはこういう仕事とこういう人間関係の中でなら生きていけそうだ――みたいなのをやっとこさやるものなわけで。そんなものを、小学生が引きちぎられるような喪失を乗り越えるのと二正面作戦でやるのは無茶というものです。
そういう意味では、周囲の大人たちはもうちょいどうにかフォローしてやれなかったのかよ、とも感じるんですが、でも逆にそれこそ大人視点の傲慢な物言いであって、大人だろうが子供だろうがどんな人間でも自分自身の心の中の悲しみや未来とは、自分一人で向き合うしかないというのも一面の真実です。
おっこは画面上の軽やかさやおっちょこちょいさに隠されがちですが、実は誇り高い女の子です。特に自分が設定した自己目標に対しては愚直なまでに誠実です。だからこそ、宿泊客のために対立している真月に頭を下げて教えを請うこともします。その実直さが両親を失うという危地の中で彼女が孤立してしまった原因だし、それが巡って彼女の味方を増やす原因でもあったのは素敵だったと思います。
おっこは「喪失を乗り越えること」から逃避して、目の前のロールである若女将に飛びつき、そこで必死に働くことによって苦しかった過去をある意味塗りつぶそうとしたわけですが、その逃避が「自分自身と居場所を見つける」ことにつながってゆきます。
幾つかの出会いがあって、目指すべき未来のヒント、ロールモデルと出会います。たくさん登場人物がいるのですが特筆すべきなのは三人でしょう。
まずは旅館の女将である祖母。登場シーンは少ないのですが、彼女の個人人格と職業倫理が融合してしまったあの佇まいは、今は亡き母経由もふくめておっこの誠実さの根っこのように思います。職業倫理がついには人格化しちゃうって、昭和的な善人のあり方としてすごく共感できるんですけど、今の時代では流行らないのかもしれないと思ってちょっとホロリとしました。
二番目には、おっこの同級生、秋野真月(大旅館の跡取り娘、通称ピンフリ)でしょう。この娘は小学生女子なのですが、広い視野で旅館業と湯の花温泉京の未来を見つめていて、顧客に対して誠実であろうという、幼いながらある種の達人系キャラです(傲慢な物言いをする残念キャラでもあるのですが)。この娘と同年代として出会うことができた、ライバルとして対立したり和解したりできた、というのはおっこを取り巻く幸運の中でも格別のものでした。彼女との交友は、悲痛から逃げ出して飛びついた「若女将ごっこ」に、その内実の精神性を加えて「本当の若女将」へ進化させてくれたと思います。
(余談&劇中では語られませんが、温泉郷に住まう子供の中でも誰よりも本気で町の未来について抱え込んでしまってる真月の孤独にとって、その孤独の闇に現れて、自分の高さまで登ってくれると約束してくれたおっこの存在は、想像すると涙がこぼれるものが有ります。真月からみてもおっこは救いであったと思うし、そうだと良いなあ)
三番目は宿泊客である占い師・グローリー水領です。長い黒髪をたなびかせたこの宿泊客は、都心部に事務所を構える凄腕の女占い師なのですが、私生活での失意から「春の屋旅館」で飲んだくれ生活をしています。
抑制的な演出で描写される彼女の鬱屈をおっこはどうにかして励まそうと、浴衣を着たことのないという彼女の着付けを手伝います。浴衣初経験のそんな彼女の艶姿におっこが感嘆した感想が「格好いい!」でした。
ものすごくさり気ないシーンだったのですが、それはおっこが喪失していた「自立した憧れるべき大人の女性像」を見出した場面だったんじゃないでしょうか?
私生活で辛いことがあっても他者に当たらず、それどころか宿泊先の幼い従業員おっこに気を使っておどけてまで見せる。グローリー水領はおっこ視点では「素敵な大人のお姉さん」です。その素敵な年上のお姉さんに、「可愛い」でも「素敵」でも「綺麗」でもなく「格好いい!」と小さく叫んだおっこに、少し泣けました。お洒落で(←女子小学視点では重要です)、颯爽としてて、自立をしてて、視線を合わせて話してくれる。そんなお姉さんはおっこにとってどれほど輝いて見えたことでしょう。暗闇の中で我武者羅に迷走していた、それでも笑顔だけは守っていたおっこにとって、それは小さな灯火で「未来の自分」「目指すべき形」です。
祖母の言う「誰も拒まない花の湯」、同級生真月のいう「客を癒やすレストスペース」、女占い師が自分の仕事を「他人を励ます仕事」だと評したこと。それらは全て本作テーマに重なるパラフレーズです。そしてそういう人々の輪の中に、自分も入っていける。癒やしたり癒やされたりしながら前へ進んでいくコミュニティの一員になる。「若女将」という「自分自身と居場所を見つける話」は、おっこにとっては生存努力であり逃避だったわけですが、それを誠実に、ごっこから実体にしていくのならば、結局逃げていた「両親の喪失という苦しみを越えていく」につながっていくのだ、という脚本はすごく良かったです。
ここまで触れてませんでしたけれど、おっこには霊感があるという設定で「春の屋旅館」にきてから騒々しい幽霊の少年やおませな幽霊の少女と出会い、励まされています。両親が今でも生存していて日常は壊れていないという幻想に悩まされていた頃おっこを支えていたこの幽霊たちですが、物語終盤でおっこから見えなくなってしまうという形で別れが示唆されます。
でもそれは、おっこが人間社会のなかで居場所を確立した――七つまでは神のうちといういわばまだ神様たちの一員であり神楽の主役でもあったおっこたちが、社会の中で着地して、痛みも悲しみも乗り越えていく季節がやってきたのだというエピソードです(おそらく魔女の宅急便の黒猫ジジが喋れなくなる、も同様の構造ですよね)。
見終わってから気づいたのですが、この作品の幽霊や鬼たちは、幼いおっこが空想したイマジナリーフレンズだとしても物語が成立するように設計されています。
おっこは自分の中の勇気やかしこさと一緒に自分の悲しみと戦った。「春の屋旅館」はその舞台であり、若女将はおっこが戦うための姿だった。
すべてのフィクションはファンタジーなので現実視点を持ち込みすぎるのは野暮というものなわけですが、今後おっこは中学に入学卒業して、大学はともかく高校くらいは出るはずで、一人前になるまで十年近い時間があります。(このお話のおっこは絶対旅館業一筋だと思うのとは別に一般化するのならば)そのなかで、旅館業から離れるかもしれない。現実に寄せて考えるならその可能性は高い。
でもそんなことはおっこの戦いとそこで得たものとは関係がないわけです。おっこは若女将というコスチュームや身分を手に入れたわけではなく、戦いの中で手に入れた人間関係と自分自身がある。将来どこでなにをしようと、おっこの手に入れたものが曇ることは二度とない。それがこの映画の中心であって、それは児童労働とかそういうのではなく、もっとパーソナルで尊いものだったと思います。
という意見を見るたびに、その個別の妥当性はひとまずおいておいて、
「○○さんちではああなのにうちではこうなのは恥ずかしい」
とか
「△△みたいなことをやったら他所様に顔向けできない」
とか
正義や思想や筋よりも「恥」を規範の最上位に置くやりくちがさ。
似てなくないか
見えてしまう
もちろん国際社会で日本が一人前の面するにはグローバルスタンダードを大事にしなきゃいけない
でも正義やロジックまでそこから持ち出すのは正当性があるんだろうか
自分たちの正義は自分たちのロジックで導く努力をすべきではないのだろうか