2018-11-24

漫画家の照れ隠しが好きか嫌いか、それとジョイマン

例えば、ゆうきまさみ

ちゃん最近作品から具体例出すと、白暮のクロニクル11巻の218P。

ここって別に茶化して吹き出すコマをいれずに、次の鑑賞に浸るページに行っても違和感がないし

しろ長く続いた漫画の締めにふさわしいシリアスなシーンとして成立するようにも思える。

ここからラスト3ページって、いろいろな解釈があって、言葉で一意にまとめちゃう陳腐になるのだけれど

大筋でいうとオキナガとして変化もせず死すらない自分と、人間として死に近づいていくもその遺伝子が子や孫に受け継がれて行く伏木との対比みたいなことを示していると思う。

そして、この雪村は常に「仕事」を持ち続けているってのは、ゆうきまさみアッセンブルインサートの頃から描いている「自分にできるお仕事があるっていいですよね」の精神の表れでもあって

大好きなシーンなんですよ。

ところが、これに対して吹き出す雪村を一旦挟むってのは、ゆうきまさみ作家性というか

自分が主張したいことが受け入れられるか不安なっちゃうから自分でそれを茶化して照れを隠そうとしているように思えてしまう。

露悪的な物言いをするなら「所詮、俺なんて絵日記漫画パロディ漫画ギャグを書いてた人なんだからさ!」みたいな自虐と言ってしまってもいいかもしれない。

いやさすがに、これは露悪的にもほどがあるか、言い過ぎです、ごめんなさい。

で、こういうのって、意見が相対化されてフラット目線で読めるから、僕は好きなんです。

漫画で結局は娯楽だから、作者の意見押し付けがましくされても、ちょっと引いてしまうんですよ。

具体例を出すと角が立ちそうだけども、最近Q.E.D.とかまさにこれで、いやいやお前もうちょっと他の意見を戦わせてくれませんか? みたいな?

でも、この照れが悪い方向に行く漫画もあって

例えば、安田剛介。

私と彼女のお泊まり映画なんて、百合映画最終回一個前で告白回でキャロルなのに照れて茶化す

こういうときは、そういう照れを見せずに一直線にガツンとぶつかってきてほしいんですよね。

じゃあこれって何が違うの? って考えると、恋愛かそうじゃないか、かもなあと

今日更新された「ふたりモノローグ」を読んでそう思いました

そのさ、この展開でサムズアップ…… いる?

いらないでしょ、っていうか97話と98話すらいらないでしょ。

いやいや、ガチでやるって決めたなら、茶化すなよと

わかる。

わかるよ、漫画から笑える面白いシーンが必要なこともわかるよ、

でもこの展開でそんな照れ隠しみたいな面白シーンを入れなくてもいいじゃないのさ

もっとぶつかってこいよ!

お前の熱をぶつけろよ!

熱をーぶつけろー、ぶつぶつでたトリケラトプス

ぶつけろー、ぶつけろ、けろけろ、ケロケロケロッピィ

ななーななー、ななななみななお

いきなりでてきてごめーん、まことにすいまめーん!

自分の主張を自分が主張したいことが受け入れられるか不安なっちゃうから自分でそれを茶化す照れ隠しのギャグジョイマンパロディなの、これこそ「なんだこいつー!」だと思いませんか?)

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