はてなキーワード: はまだこうとは
ザ・コンサルタントっていうアメリカで発達障害が主人公の映画あったけど
医者がこの子は発達障害なんで療育と投薬治療で何とか普通の生活をできるようにしましょうとか言ってるのに
オヤジが息子の主人公と医者に向かって「発達障害なんていう障害者であるこの子が普通の人生を歩めると思ってるんですか」とか言ってて
結果的に、無茶苦茶戦闘技術とか諜報技術や会計士としてマネロンスキルとか仕込んで、殺し屋とか職業犯罪者して生計立てられるようにしてたって内容の映画なんだけど
発達障害みたいなのを使い物にするための研究が世界一進んでるアメリカですら、ネットでここ数年いっぱいいる自己意識が毒虫のように肥大化した発達障害の望む願望をかなえる程度に生きるキャリアを考えたらこういう仕事させるしかないって結論なのが見ててなんか引っかかるものがあった
まぁ、発達障害めっちゃ多いはてなでさえ、動くものすべてを攻撃し始めて最後は無関係なオッサンを包丁持って刺し殺しにいって捕まったジョジョのノトーリアスBIGみたいな思考回路の低能先生とか、
発達障害のくせに思いあがって、富裕層でもそんなの手に入れられてるの中々いねーよっていうクラスの金や異性や社会的地位とかを欲しがって「こうなればテロや暴力しかない」とか煮詰まった増田とか見てたら
アメリカはまだこういう特殊工作員でも仕事あるからいいよなーって思うよね、だって日本じゃ発達障害は職業的犯罪者以外生きる特性がありませんとか言われたら、そんなん実質死刑宣告やん
まだ昭和なら、ソ連から雇ってもらって日本赤軍みたいなテロリスト路線で食えてただろうに今そんな時代でもないし、ホント発達障害には生きづらい時代だよね
元増田です
僕は今はまだこう考えるまでは至っておりません
きっと「女性作家が描く男性が男性自身が描く男性より生々しく現実的だと感じた事は僕もこれまで何度かあります」の件を読んでそう思われたのでしょうが、
「女性作家が描く男性が男性自身が描く男性より生々しく現実的だと感じた事はこれまで何度かある」だけで、
「女性作家の描く男性が(いついかなる時も)男性自身が描く男性よりも生々しく現実的だ」とは今の段階ではまだそう思っていないのです
具体的な作家さんの名前を出しますと、所謂「24年組」と呼ばれる少女漫画家さん達が描かれた漫画に登場する「日和見主義なおじさん」的なキャラクターはとても生々しく現実的だと読んでいて思いました
現実にはこういうおじさんは確かに存在するのに、男性向けの漫画の中だとそういう「普通のおじさん」は描いてもつまらないという理由からなのか出て来ないので、正に少女漫画と女性作者さんならではの視点だと感銘を受けました
ですが、同じように少女漫画に登場する例えば「容姿端麗な王子様」のようなキャラクターは、やはり女性が好ましいと思う要素で構成されているからかもしれませんが、こういう男性は現実ではあまり見ないな、と思います
そういう「現実には存在しないけれどフィクションの世界では古くから好まれるキャラクター」の存在は正に創作ならではという事で僕個人としては好ましく思っています
女性作家さんの「男らしさに苦しめられている男性が描かれる作品」に出てくる「男らしさに苦しめられている男性」キャラクターも確かに女性にはこう見えているだろう、という現実味のある存在なのだと思います
ですが、元の日記でも書いたように『「女性の目線から描かれた男性」の「男性の生きづらさ」なので、これ現実の男性像と微妙にずれてる様な…という違和感を僕は拭えない』で居る事もまた事実です
僕が疑問に思っているのは、やはり元の日記のタイトルもそうなのですが「何故女性が男性の問題を描こうとするのだろう?」という所になります
トラックバックやブックマークで非常に多くの方達から意見を貰えたので、それを読めば何か自分なりに一つの解釈を出せるかもしれない、出せたら良いのになぁ…と思っています
という意見を見るたびに、その個別の妥当性はひとまずおいておいて、
「○○さんちではああなのにうちではこうなのは恥ずかしい」
とか
「△△みたいなことをやったら他所様に顔向けできない」
とか
正義や思想や筋よりも「恥」を規範の最上位に置くやりくちがさ。
似てなくないか
見えてしまう
もちろん国際社会で日本が一人前の面するにはグローバルスタンダードを大事にしなきゃいけない
でも正義やロジックまでそこから持ち出すのは正当性があるんだろうか
自分たちの正義は自分たちのロジックで導く努力をすべきではないのだろうか