はてなキーワード: 二者択一とは
会社名を明かせないが、業界大手のベンチャーキャピタルに所属している。
主な出資先は所謂ミドル、レイターと呼ばれる「成長、拡大期」のベンチャーである。
さて、そんな私も最近は起業前、もしくは新規事業を立ち上げようとしている方にアドバイスをすることが多い。
そしてその中でもここ1ヶ月は会う人の3割がチャットボット系のサービスのアイデアを語るのである。
「やめたほうが良い」と毎回アドバイスするのだが、毎回伝える3つの点についてここに記したい。
願わくばこの記事が広まり、浅はかな「対話型サービスの未来」を考えているベンチャーが断念し、より可能性の高いビジネスに切り替えて欲しい。
そしてこの記事を受けても尚、私の予測を上回り成功するチャットボットサービスが出てきてほしいとも思う。
前置きが長くなったが、以下3点がチャットボットが失敗する理由である。
一番の理由がこれだ。
ここで注意したいのが、 クライアント ではなく ユーザーである点だ。
よくある「チャットボットを簡単にECサイトに導入できます」サービスを事例に出してみよう。
「今まで大変だった顧客対応がチャットボットで代替できます。」
「チャットボットが商品のアピールをすることで売上が上がります。」
確かに正論に聞こえるし、無料キャンペーンや優先登録などに興味を示すクライアントは多いだろう。
プレスリリースを出せばクライアントの問い合わせは殺到するだろう。
ユーザーは商品についてわからないことがあった際に、いきなり得体の知れない自動応答システムに話しかけるだろうか?
そもそも埋込み型の顧客問い合わせサービス(zopimやolarkなど)について、ユーザーの利用率が5%未満に過ぎない事例が多いことを知っているだろうか?
私もこれらの問い合わせサービスに関わったことがあるが、日本人の性質としてチャットボットにいきなり話しかける(しかも想定された問答を想定通りの言い回しで)例は少ない。
また、少ない額であれば導入する事例も増えるだろう。
しかし、ユーザーがチャットボットを使うシーンは少ないだろうし、結果として売上にもコストダウンにも繋がらないケースがほとんどだろう。
厳しい言い方をすると、話を聞くチャットボット関連サービスは現状、 「ユーザーのことを考えず提供者側の視点しかない マスターベーショナリサービス」
なのである。
自然言語処理を簡単に説明すると、「コンピュータが会話を理解し適切な回答を返す処理」である。
この技術は現状、正直言ってそこまで高いレベルに達していない。
言い換えるならば「ユーザーの期待値」と「提供できる技術レベル」の均衡が取れていない。それどころかユーザーの求める「自然な対話」レベルにはほど遠く失望させるものなのである。
よく非技術者の創業者や流行りものが大好きなコンサルが「Deep Learningの登場で自然言語処理の精度が高まり自然な対話を実現できる」とドヤ顔で語るのだが、これは大きな勘違いだ。
画像認識については、「文脈」などその対象以外の外部要因が発生することは少ない。
その為、その特徴量を見出しやすくDeep Learningを使用することで精度をかなり高めることが可能である。
しかし、「対象そのもの」以外にも文脈や発する人間のパーソナリティなど様々な外部要因が発生する対話において、特徴量は見出しづらい。
特に日本語は主語が省略される、漢字の読み方で大きく意味が異なる、「空気」を重視する等のハイコンテクスト文化であり、自然言語処理は難しい。
その為にDeep Learningが自然言語処理を圧倒的に成長させ、「機械であることを感じさせない自然な応答」を可能にさせることはほぼ不可能なのである。
そんな精度をユーザーが求めていないのでは?と思うのは提供者側のエゴだ。
不自然な対話、自分の想定していない回答が続くようであればユーザーはサービスから離れてしまうだろう。
「飲食店などの予約がチャットボットでできる」系サービスも良く聞く。
彼らには必ず「それってチャットボットである必要性ってあるんでしたっけ?」と質問するのだが、納得のいく回答を得られたことは無い。
対話のほうがかっこ良い、対話でできたら未来っぽい、アメリカで流行っているから、実際にそんな浅はかな考えで通用するほどビジネスは甘くない。
「対話によりニーズを深掘りできる」等もよく聞くが、2で挙げた通りそんなに自然言語処理の精度は高くなく、深掘りする以前に離脱してしまうだろう。
「なぜ対話なのか」
これらの質問に自信を持って答えられるだろうか。
それができない限りはビジネスは成立しない。
今すぐチャットボット事業を畳み、↑の質問に答えられる別の何かの可能性を考えたほうが良い。
以上である。
チャットボットブームは、クライアントが導入した後に「ユーザーに全く使われない」と気づきその悪評が広まる、あと半年の寿命といったところだろう。
そんなチャットボットだが、現状で可能性があるとしたら「チャネルの1つ」として使う程度だろう。
LineやFacebookメッセンジャーに組み込み、「既に展開しているサービスの広報的役割として活用する」、「メディアの記事を配信させる」役割であれば優秀なツールとなるだろう。
繰り返しとなるが最後にもう一度。
願わくばこの記事が広まり、浅はかな「対話型サービスの未来」を断念し、より可能性の高いビジネスに切り替えて欲しい。
そしてこの記事を受けても尚、私の予測を上回り成功するチャットボットサービスが出てきてほしいとも思う。
>BtoBでの事例
導入事例のステマ記事(メディアとクライアントと内容は詰めている)はこの半年で沢山出てくると思いますが、実際の導入でコストが下がった、売上に繋がったという話は決して多く出ないだろう(むしろネガティブな話ばかりだろう)と私は予測します。
>「二次元アイドルとの会話」みたいな路線なら弾けるとこあると思うよ
これは私もそう思います。ただそのサービスだけでのマネタイズは難しく、記載した通り「チャネルの1つ」としての活用だと思います。
>いま成功している企業に対して、過去の時点で成長すると断言できたのかな?
私の担当案件は同僚と比べてROIが高いほうだと自負していますが、それでも100%ではありません。
当然予期できていないものもありますが、ここで挙げた3つの課題がクリアできない、もしくは突破できる切口が見つからない限り難しいだろうと考えています。
また同時にそのようなサービスが生まれて欲しいという期待もしています。
>本名で書けばいいのに、VCなら。
君なら知っていると思いますが、VCといってもサラリーマンです。
君みたいなネットタレントでも私は承認欲求が強いわけでもないので、実名で注目されることでのメリットが無いのです。
>概ね合っているとは思うがこの人自然言語処理は理解してなさそうだ
私のもともとのバックグラウンドはエンジニアで、セキュリティソフトの迷惑メールフィルタリングシステムを開発していました。
自然言語処理は業務で取り扱ってきましたが、どういった点が自然言語処理の理解が足りなそうか教えていただけますか?
あまり冗長にならないように書いたのですが、不足している箇所があれば修正したいのでご教示いただければ幸いです。
>1.多くのユーザーは凸る前にカタログやQ&A等を見るでしょ普通。ボットはその中間でしょ。2.検索性の悪いQ&Aよりはマシな可能性は? 3.何故に二者択一よ。
「カタログやQ&A等を見るでしょ」
これがなぜ対話になるのですか?なぜチャットである必要があるのですか?いきなり不明点を話しかけると思いますか?
検索性の悪いQ&Aよりはマシレベルのものがビジネスとして成立すると思いますか?
チャットボットはゆらぎも含めた大量のインプットデータが必要です。
そのメンテナンス費用を考慮すると検索性の悪いQ&Aを直せと言いたいですね。
「3.何故に二者択一よ」
対話システムとしてビジネスをするのであらば、対話である必要があるのか、なぜ対話なのかといった観点は必要になると思いますがいかがでしょうか?
なかなかご理解していただけないようなので、この質問をさせていただきます。
「あなたはユーザーとしてチャットボットで質問をしますか?まだ使ったこと無い場合、質問ができそうでしょうか?」
>まずもって中身のサービスが素晴らしく、それをチャットUI(また、それが載っているプラットフォーム)をもってレバレッジかけるような感じ
私もこれは完全に同意です。
既存製品の新たなチャネルとして、そのUIがフィットするのであれば良いかなと思っています。
ただ、チャットボットですという売り方では難しいと考えています。
(実際チャットボットでこれから生きていくみたいなビジネス相談が多いのです。)
ご理解いただきありがとうございます。立場上、実名発言が難しいのですが、この「チャットボットで俺は生きていく」層が多くそれに警鐘を鳴らしたい、鳴らさなければいけないと感じ増田に書きました。
ネットメディアの導入事例系はマーケティング的な要素が強く、またあの記事の人件費削減の根拠も曖昧です。
>ユーザー側が求めてるサービスの質次第なんじゃないかな。未成熟な技術分野だからこそ、提供者側が工夫すれば良いだけ。
工夫というのは同意です。
ただ現状、完全自由対話のインタフェースを用意すると、ユーザーの期待値をサービスが超えることは無いと考えています。
ある程度選択肢を絞らせる、スタンプを使うなど「工夫」がなければ難しいでしょう。
またその工夫でもこのインタフェースだけでビジネスとして成り立つかというと...我々は慎重に考えています。
>複数人が入っている部屋での稼動があると思うんだ。
趣味でSlack上で司会進行的に喋るBotを仲間内で開発しましたが、これは非常に面白かったです。
ただ、やはりビジネスとなり例えば1,000社が有料で導入するレベルのものかというと...
>成功しそうなの教えて
そうですね、ポジティブな話もしないとですね。
昔からあるものですが、どうもインタフェースが特殊で事例が中小企業規模まで降りてこない。
Google Analyticsの焼き直しや、他の埋込み型トラッキングサービスも伸びています。
コンシューマ向けだと、所謂CtoCにはまだ可能性があると思っています。
炎上はしましたが、個人の写真売買など「今までプロが提供してたけど素人でも提供できる、かつ流通量が多いもの」に可能性はあると思います。
更に追記
もうご覧になる方はほとんどいないと思いますが、最後の追記です。
活用方法や実際の導入の声など、参考になるコメントもたくさんいただけて私自身も勉強になりました。
※はてなの方から他のシリーズもやってくれとコメントを頂いたので、IoTやVRなど他のトレンドについての課題も今後「増田で」挙げていこうと思います。
これらの意見をいただいても尚、ビジネス化をしていくには難しいだろうと私は考えています。
それほど、私が挙げた3つの課題をクリアしかつビジネスとして回していくことは難しいからです。
そして、同時に「未来はどうなるかわからんぞ」といった意見には賛同します。
Webもアプリも「こんなもの流行るわけがない」という世論があった中で、ここまでの発展を遂げています。
「若くチャレンジしようとする芽を潰すな」という意見もありましたが、そもそもこの意見を聞いて諦めるような起業家ではその先にある苦難に立ち向かえないでしょう。
もともと「チャットボットが新たなインタフェースになるんだ」と確信し強い気持ちを持っている起業家は、こんな意見を聞いても全く諦めようとはしません。
私も実際、起業前の方に「止めておいたほうが良い」と伝えたことは何回もありましたが、それでも彼らは起業しサービスをローンチしています。
私自身もそうでした。みんなに反対される中、当時全く広まっていなかった人工知能系のベンチャーを立ち上げました。
勝手ながら彼らの信念がいつの日か実り、少しでも世の中に良い影響を与えられる存在になってほしいと思っています。
VC的にはIPOか売却というゴールを期待してしまいますが(笑)
私が本当に警鐘を鳴らしたかったのは、どちらかというと「チャットボットが万能だ」、「チャットボットで何でもできるようになる」と伝えるメディアやコンサルの方です。
口々にチャットボットだと言って誰にも使われないサービスやスタートアップを量産しようとしている話を聞くと心が痛みます。
過度な期待をしたくなるのはわかりますが、私が挙げた3つの課題はどうしても避けては通れません。
起業家の方々が「周囲の過度な期待」に流されず、これらの課題から目を逸らさず、新しいインタフェースを開拓してくださることを期待しています。
※上から目線のようですみません。ただ立場抜きにして1ユーザー、サービスを享受する1人の人間としても期待しています。
最後に
多くの方にご覧いただきたいということもあり、こういった表現を使用してしまいました。
特にけんすう氏にも良くない表現を使ってしまいました。申し訳ありませんでした。
ここにお詫びいたします。
豚まんって今本当に26歳なんだろうか。どう考えてもロスジェネの35歳すぎのおっさんの非モテ語りなんだが。
99.99%の男は汚い。汚いから、女の子がやると官能的だったり、幼さが際立つことも、男がやると不愉快なだけ。だから、男は女の子が化粧とダイエットに力入れるぐらいには面白い・頭いい・すごいにステ振りして殴りつけないと幸せになれない
こういうこと書くと、ネトフェミから「男だってイケメンになったらモテるんだから、女の子みたいにキレイにする努力をしたらいいじゃないか」と言われそうだけど…男のキレイ枠ってもっと狭き門だと…いや、説明しなくてもわかるだろ?そんぐらい
合コンで高学歴以外に「女子大」といえば、お株があがるけど、男は東大・早慶以上じゃないとお株が上がらない。(しかも、文系でお誘いをウケる程度に見てくれがいい人しか上がらない。)キレイ枠の狭さをそこからも感じ取ってほしいと思う限り。
いい意味・チヤホヤする意味での「○○女子」は多いけど、「○○男子」はものすごく少ないことからも、「女子の枠の方が多い」ことをいい加減に理解して欲しい。
(99.99%の才能があるわけでも、キレイ枠でもない男は)みんな死ぬしかないじゃない!
年齢が上がった時にしんどくなるのは女性の方なんですよね。(若いころに「枠」に救われる人が多かったとしても、中身をつけるか、争いから上がらないとしんどくなるのは女性だから、そこはとっても難しいですよね…)
男の場合、「結果」がお金のことになるから趣味の先駆者・名人は人間扱いされづらいんですよね…。頭がいい人、ニッチな分野ですごい人はいるけど、その位置だと、社会的にもモテ的にも報われないのが難しい所。一方で、「モテ」に関しては、お金を貰わなくても、何十人に評価される必要もないから抜け道がある。女性の場合は「男だらけの趣味・仕事・学問に行くとモテる」とか。ただ、女性特有の難しさはその後。モテてるうちにあがるか、実力をつけないと積み上げたものも失う危険が。
しゃべってるうちに気づいたけど…これって男の場合は受験とか試験の年齢と同じような競争・序列の世界に生きてるしんどさで、女性の場合は寿退社の時代のしんどさ(ゴールは自体できるけど、ゴールは強制。タイムアップ=ゲームオーバー)という別のしんどさなんでしょうね…
結婚しない選択・そういうことに配慮がないぐらい女性が少ない場所にいたら、男並みに仕事を求められていきなり、男的な競争に巻き込まれてしんどそうな気が…。うーん…
言葉足らずだったから補足。年を経るごとに競争に慣れたり、逆に競争に勝てばいくつになってもチャンスがある男にはない辛さが、「いきなり男並みの競争に投げ込まれるか、モテてあがるか」の二者択一になることなんですよね…そこを配慮した言い回ししないとダメだなぁ…僕が
ガチのヤリマンは男に依存してるから、男にやさしい&優しくされると一時的に本当に転ぶ心のやさしい人がいるけど、ヤリマン気取りは経験を振りかざして「ゲスな話できる私、素敵」とかやります。実際のところ、後者は「いい肉」ってだけ。前者は共依存して両方ダメになる程度には魔力がある
今から日本ときみたちにとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げてよく聴いてください。女性にとって大切なことに、子供を生むことがあります。これは仕事でキャリアを積むことと同じように価値があります。
なぜなら、子供は、きみたちと家族を幸せにしてくれ、将来の日本を支えてくれるからです。しかも、女性しか子供を産むことができません。男性には不可能なことです。
「女性が子供を2人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部に能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたらよい」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと大学で学び、医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就くことも一般的になればと思います。子育てか進学や仕事かの二者択一を迫る社会ではいけません。
次に男子の人も特によく聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。
人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。もし、体の具合で、子供に恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれない子供を里親になって育てることはできます。
少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。きみたちが将来、二人以上子供を生み育ててくれれば、少子化は食い止められます。
子育てをしたらそれで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。
やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。以上です。
「きみたちが将来、二人以上子供を生み育ててくれれば、少子化は食い止められます。」
を書き足した。
>>今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。
なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。
「女性が、こどもを二人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それ程価値のあることなのです。
もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。
次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。
人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。
子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。
自閉症スペクトラム(アスペルガー)の人間に向く職業として、プログラマが挙げられているが、これは誤解を招くのでやめた方が良いと思う。
このあたりの特性から、コミュニケーションスキルが壊滅的になってしまうため、チーム作業やスクラム開発等に従事することがかなり厳しい。また、要件を聞いて設計するということもかなり厳しい。
では、どのあたりならいけるかとなると、コッテコテのSIer的ウォーターフォール開発での「PG」になってくる。このポジションは、仕様書に従ってコードを書けばよい(自閉症スペクトラムの人間は、会話よりも文章で伝えた方が良い)ので、比較的問題が出にくい。また、1つの作業に没頭してしまう傾向から、デバッグ関係が比較的得意なのと、(あまり良いことではないが)残業耐性が比較的高いというのも、「PG」向きではないかと思う。
高齢の両親の面倒を一人でみている。親父は要介護4,生活全般に人の助けがいる。そんな在宅介護をしていれば,大好きな野球見物もままならない。
でも,数十年来のひいきチームの14年ぶりの日本シリーズ出場だ。1試合ぐらいは見に行きたい。忙しい弟に半日の代打を頼み込んだ。
問題はいつ行くかだ。もちろん福岡に遠征することはできない。地元の神宮3戦のうちのどれにするか。4戦は介護の事情で無理。3戦か5戦かの二者択一。
最初は3戦目にしようと思った。何しろ相手はぶっちぎりの90勝でリーグを制し2連覇を狙うソフトバンクだ。4連敗もありうる。下馬評でそんな声も聞こえた。もっともだろう。
でも俺は,クライマックスシリーズの巨人戦を見る限り(介護の仕事が終わった後,テレビ録画ですべて見た),それはないだろうと踏んだ。巨人に負けるんじゃないかと思ったら,存外強かった。強くなった。そんな印象から5戦目を選んだ。
久しぶりのプロ野球観戦だ。いい試合,いい場面が見たい。これは人情だろう。5戦目なら,下手すりゃ真中監督の胴上げだって見られるかもしれない。4勝1敗でヤクルトが勝つなんて甘い夢か。でも,そういうものに賭けるのがファンってものの心理だろう。
そして,結果はご存知の通りだ。自慢の強力打線は再び零封された。期待していたベテランのエースは持ち味の粘りを発揮することなく,またしても5回も持たずに沈んだ。正規には購入できず,割高のネットオークションで手に入れた内野3塁側の良席で,真中じゃなく工藤監督の胴上げを見る羽目になった。
いま俺は思い切り後悔している。3戦目を選んどきゃよかった。そしたら,山田哲人の歴史的な3連発を見られた。それだけで十分に報われた。それなのに,何で俺はこうも間が悪いのか。これも欲をかいたってことなのか。
翌日は,親父の便失禁の始末から始まった。向こうは体が動かない。こっちは腰が悪い。朝っぱらから重労働だ。昼食後は便意を訴えた。抱えるようにしてトイレに連れて行く。夕食後のおむつ交換のときも失禁していた。今季初のうんこのトリプルヘッダー。そんな日常。いいことなんてこれっぽっちもない。
ホームランにこそならなかったが,山田の最終打席は見応えがあった。球場全体を揺らす大声援の中,追い込まれながら,何球もファールで粘った。そして,難しい低目の変化球を左翼席直前までライナーで運んだ。
「山田哲人」の片鱗は見た。いまはこれで満足しよう。来季こそは,一度でいいから胸のすくような一発を生で見たい。そんなことを思いながら,毎日,俺は親父の尻を拭いている。
これを言ってる人を見ると言われたのが自分以外でもイライラする。
具体的な対案も提案もできず精神論で誤魔化してるだけなのにやたらと偉そうなところが本当駄目なのよ。
自分が駄目って一生気づかずに死ぬまで馬鹿なまま生きながら人に上から目線を続けそうなところが無理なのよ。
自分の無能を棚に上げて相手をひたすらなじるだけで全部解決して見せた気になってるところが嫌なのよ。
少し話は変わるけど日本人って相手に否定できるところがあったら何を言ってもいいと思いがちだよね。
相手が悪いと自分が悪いの二者択一しかないボーダー思考に陥りがちというか。
「悪い奴は絶対的な悪なのでこっちは何をやっても良い」とか「完璧じゃないから駄目だ」とかすぐ言い出す。
なんで中間を取ることが出来ないんだろう。
なんで少し良いと少し悪いがないんだろう。
状況分析力のなさゆえに状況に目盛りを振っていくことが出来ないからメーターが+100%と-100%の両極端しか測れないのかな?
国全体に病んだ精神状態が蔓延してるとか改めて考えると凄い怖いよね。
ボーダーからは逃げろって言うけど、この「空気」から逃げるために国を捨てたり引き篭もるってのもこれまた極端な考えだよね。
うーんどうすればいいんだー。
感動したという意見が多いけれど、私は内容がよくわからんかったのでのめり込めなかった。
間違ってたら教えてほしい。
死にたいなと思っているのに死ねないので絶望しているという感じ。
退屈してるのか過去に何かあったのか、そのあたりはわからんけどとにかく
んでまぁ大崩落の時にぶらつくの体に入っちゃった、と。
ウィリアムをのっとってもその体を使って何かするというわけではなく相変わらず傍観者として振舞っていた感じ。
ブラックやホワイトに対して己の欲望を叶えろよってそそのかす程度。
クラウスに退治している時の会話を見るに、ウィリアムのことはむしろ生かしたいと思ってたか、単にクラウスを挑発して遊んでただけか。
最終的にはレオによってウィリアムが主導権取り戻して絶望王を拒絶しちゃったので居心地悪くなったから出て行った?
↓
血界戦線 第11話までの考察と妄想その2(最終版) - 絶望王の正体や「木」の話や第12話(最終回)でレオが行いそうなことなど - ひそかブログ
を参考にするとぜんぜん違うっぽい。やはり「結界を破壊したい」という目的はあって、
そのためにウィリアムは非常に便利で、かつレオの眼は必要だったってことか。
もともと結界師の家系にうまれた兄妹。 妹のホワイトは、3年前にブラックのうっかりミスで死亡?
正確には死の直前で親がfateのアルトリアのように決壊につなぎとめる形で延命させ、それを引き継いでる?
でもだとすると大崩落の際の、絶望王のところでの二者択一のシーンはどういう状況だったんだあれ?
このあたりの状況が俺の中でとっちらかってて混乱してる。
ホワイトの幽霊が見えているのはレオと絶望王のみで、ブラック自身は見えてない。
つまりブラックとしては、ホワイトを結界に同化させたという罪悪感だけを抱えながらホワイトと意思疎通出来ずに3年生き続けてたってことか。
↓↓↓
血界戦線 第11話までの考察と妄想その2(最終版) - 絶望王の正体や「木」の話や第12話(最終回)でレオが行いそうなことなど - ひそかブログ
によるとそもそも俺の勘違いで、「父のPHIを体内に宿したブラックの二重人格(別人格)のひとつ」とのこと。
ホワイトが居ない人生は嫌だからホワイトを延命してきたがブラックの力ではそれもいつまでも続けられる訳でもない
表の振る舞いとしてはホワイトが居ない世界ならいっそ無くなっても良いという投げやりな気持が出ていて
己のミスで妹を死に追いやってしまってからずっと生きる希望がなかったが、
それでも生きながらえているうちに本能的に生きていたい という欲求が湧いたか?
結局ウィリアムはホワイトの魂のエネルギーみたいなものを一度吸収する形でホワイトは消滅。
アニメ版とは別物ですね。
日常系作品にちょいとホラー要素を加えたのがアニメ版だとすれば、原作コミックはほとんどホラーです。
それと、ただ怖いだけじゃなくて、批評性の高い意欲作です。
日常系とか空気系と呼ばれる作品群をハッキリと否定しています。
エヴァ旧劇なら庵野がオタクたちのことを「気持ち悪い」と言ったのと同じです。
まどマギ劇場版新編なら、ラストで「自分勝手にルールを破るのって、悪いことじゃないかな」とまどかに言わせ、ほむらが創った心地よい虚偽の日常を批判しているのに相当します。
学校を出ること(卒業)、あるいはそのまま学校に残り続けること、どちらかです。
"巡ヶ丘"学院という名前と場所そのものが、終わらない、居心地の良い、都合の良い、フィクションの中にしか存在しない日常のメタファーです。
最終的に、学園生活部のメンツは卒業すること(現実を直視すること)を選びます。
とりわけ丈槍由紀の成長は顕著で、ハッキリと夢想に別れを告げ、夢想で彼女を守っていた周囲に感謝の意を示します。
と、ここまでが1~5巻までの概要です。
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で言えば、ハリアーで友引町を脱出するところです。
エヴァ旧劇なら他者(アスカ)を望み、LCLから人間の姿に戻るところです。
ただ、揺り戻しがあるのですね。
嘘でも良い、安心できる妄想の繭に守られていたいという願望が再び頭をもたげてきます。
1~5巻では由紀が繭の中に逃避していたのですが、今度は若狭悠里が繭の中に潜り込み、由紀と同じ道をなぞってしまいます。
セカイ系の隆盛後、日常系が流行り、まどマギで一旦は日常から脱出したのですが、また日常に戻った漫画・アニメの消費者自身なのです、悠里は。
一度は他者を望んだものの、やっぱり怖くてアスカの首を締めたシンジ君そのものです。
デビほむが創った新しい世界を半ば受け入れてしまう、まどか以外の魔法少女たちとも似ています。
7巻以降はどうなるんでしょうかね。
おそらく日常と現実の間を振り子のように揺れ、最後は曖昧な位置で静止して終わるのではないでしょうか。
『うる星~』は友引町から脱出できたかどうか分からないまま幕を引きました。
エヴァ旧劇でも、新しい世界でシンジとアスカが共生できるかは未知数なまま終劇を迎えます。
まどマギ新編でも、ほむらは「いずれあなた(まどか)は、私の敵になるかもね」と言っています。
縮小再生産で似たような作品ばかり作っていて良いのかという反問です。
唯たち4人はしきりに「高校を卒業しても、今までのような毎日が続くかな?」と自分たちに問いかけ続けます。
もちろんずっとクローズドな学校生活(がっこうぐらし!)が続くわけはなく、社会に対してある程度開放的であらざるを得ない大学編けいおん!はすぐ打ち切りになりました。映像化もされていません。
まんがタイムきららは自ら日常系の潮流を作り、その流行に乗りつつも、自分たちがまずい方向に進んでいることが分かっているのでしょう。
この言葉が出てくるっと昔からモヤモヤするんですよね。私を含めて素人さんが「表現の自由」という言葉について考慮すること無くオレオレ定義でいきなり使い出したら、読者はそっ閉じしちゃうと思います。「ネットでこの言葉使う人に関わってはいけないそっ閉じランキング」やったらトップ10には間違いなく入るやつだと思います。
私含めて普通の人にとって、「自由」という言葉ってなかなか捉えがたい概念じゃないですか? だから言葉に対する解釈がバラバラになり過ぎて同じ言葉を使っても議論にならない、という印象が強く有ります。
とにかくこの言葉を使って議論を進めるためには、最低限「なぜ表現の自由の自由が大事なのか?」が共有できている状態、つまり「表現の自由とはなにか」ということと「表現の自由の重要性」が理解されていることが必要だと思うのですが、出来てます?聞き手どころか「表現の自由」を主張している人ですら、それが理解できているように思えないんですよね。よく理解できてないけど「表現の自由」をただ絶対正義のスローガンのように唱えてるだけじゃないですか?
「自由」というただでさえフワフワした言葉を、フワフワした状態で使って、それで何かしらの主張をしました、って。それただの自己満足ですよね。まぁ私もネットは自己満足のために使うべきだと思うのでそれでいいと思うのですが、少なくとも議論どころか主張にすらなってないもので、反対する人を説得できるとは思わない方がいいですよね。
主張すらしてないのに「僕達にとっては自明のことなのにそれがわからない反対派はバカだ」みたいなしょうもないことを言ってる人を見ると、さすがげんなりさせられます。
民主主義は、何が正しいかわからないからこそみんなで議論しお互いの考えをぶつけ合って、もっともよいものを見つけだそうとするものです。そこでお互いが自由にものを言えなければ成り立たないのです。
国や政治家が特定の考え方をメディアに押しつけることも、メディアの自由な報道に何らかの影響を与えるような行動をとることも許されません。国や政治家などの権力を持つ者は、国民の思想や言論活動といった精神的な営みの領域には立ち入ってはいけないのです。
何か一つの考えを正しいとして絶対化することを抑制することにこそ本質がありそうだし、これなら共有可能な気がする。
悪書追放のなにがいけないかというと、どんなに優秀な人間でもその能力の限界は時代の限界に規定されているからです。現代に生きる僕たちはどうやっても次の時代にの正しさを知ることはできないわけです。この時代の感性で記録を焼くようなことがあってはいけない— 大澤めぐみ (@kinky12x08) 2015, 8月 30
表現の自由の真骨頂っていうのは、吐き気をもよおすような嫌悪感を抱かせる表現に対してもその自由を担保するというところにこそあるのであって、どれだけ創作物のその邪悪さを主張されたところで「なればこそ表現の自由によって守られねばならない」と、こうなる— 大澤めぐみ (@kinky12x08) 2015, 8月 30
こういう話が前提なのだとしたら、まずここを共有すべく努力したらいいと思うんだけど。ここまで考えてる人がそもそも少ないよねえ。
たださ、少なくとも「表現の自由」を声高に叫ぶだけの人は相手からしたら「わがまま」にしか聞こえないだろうと思うよ。これが良い、これが悪い、と二者択一的に区分けする考え方こそが危険、っていう主張をしていったほうがええと思うんやけどな。 そのルールのもとに私達は平等ですよ、と。
そうしないと、ほんとに規制を唱える側ってのは、自分たちの正義を信じてるからね。自分たちは正しいからそうしてるのであって、間違った奴がいうことは聞かないどころか自由を主張するとは何事か、わがままだって思っちゃうんだよね。炎上でよく知らない人を叩いた経験がある人ならわかるでしょ? 普段君らが何も考えてないくせに、炎上してる人見たらとりあえずこいつは安全に叩いていいやつだっていって叩きに行く。あれと一緒だよ。 そんな時に「表現の自由」を主張してるやついたらどう思う? 実態は違っても相手の感情はあれと同じ。
きみら炎上してる人を叩いてる時って、相手が何言っても許さないでしょ?「犯罪者に人権はない」くらいの感覚でしょ?その経験があるなら、そういう状況で、君らが普段からちゃんと考えてないから中身がスッカスカのスローガンでしか無い「表現の自由」って唱えても無駄ってわかるでしょ。 水戸黄門じゃない人が黄門さまの印籠だけ取り出して掲げても無駄だよ。だって、きみには何の権力もないからね。 そういうことを理解しないといけないよ。
「表現の自由」って言葉の大事さが共有されてないなら、相手に合わせて伝え方考えないとあかんよね。そうしないと規制しようとしてる人は、感覚として「炎上してる奴は徹底的に叩け」と同じ感情で行動してるだけなんだから。炎上してるやつを叩いてるときの君たちと同じくらい知能低下してるんだから。そこで下手に反論しようとすると、相手は「こんなことなら自由という考え方自体が害悪だな。犯罪者からは人権を剥奪しよう」くらい過激なことを考えるよ。君たちだって普段そのくらいの感じで見知らぬ人間を叩いてるよね。
そのことをよく踏まえた上でこの言葉使ってほしいよね
スザクは正しくない方法で得られた結果はやはり正しくないと思ってる。
この溝は深い。
しかしのちにできる。そのときスザクはどうなるのか。また守るべき者を失った時スザクはどうなるのか。
自分個人の感情を言えば、国のトップにはルルーシュに立ってほしい。
なぜなら国家内には「正しい」方法や法律があっても、国家間には無いに等しい。自然状態に似た弱肉強食のバトルロワイヤル。
その中をスザクは守るべき者を守りながら戦うことができるのか。「正しい」方法と守るべき者の命の二者択一を迫られた時、どちらを選ぶのか?
結構、重大な局面だと思うのだよ、これ。むしろ「勝った勝った」とはしゃいでる左翼的な陣営こそ、次にちゃんとした手を打たないと取り返しのつかないことになる可能性がある。
橋下の引退により、おそらく「維新の党」は求心力を失う。解党するかどうかはわからないが、もともと個人商店であった以上、以前のような影響力は持ち得ない。やはり去年に解党した「みんなの党」も、もはや跡地すら残ってない惨状。こちらも個人商店だったし。
で、重大なのは、どちらも一定の支持層を持っていたこと。たぶん都市部のホワイトカラー層が中心。20代〜40代が多いはず。
この層の受け皿が完全に崩壊した。
この志向性を持った層が支持する先が安部自民一党になることの危険性。
民主党はデフレ推進してきた反省が見られないし、共産党は「大企業=悪」なテーゼが根強い。
公明党は「安定は希望」というキャッチフレーズである時点で論外。
リバタリアニズム的な志向性を持った層が支持する先がなくなってしまった。
つまり「経済成長歓迎・インフレターゲット支持」と「歴史修正主義・ナショナリズム」
のパッケージか
のパッケージか
個人的にはレイシズムも歴史修正主義もうんざりなのに、それに対抗する軸がまともな経済政策を打ち出さずにげんなり、というのがここ最近の印象。
ピケティがブームになったときも「成長か、再配分か」みたいな二者択一にしたがる人たちが多くて本当に辟易した。
再配分を重視することと経済成長は両立する、というかむしろ両輪として機能するはずなのにね。
というわけで。
・LGBTなどマイノリティー人権擁護(「伝統的な家族観」とか言わない)
・「歴史戦」とか言わない
少なくとも、従来の「左翼」とか「リベラル」とか言ってる人たちは「勝った勝った」じゃなくて
ちゃんとビジョンを示してくれよ、と思う。
・
元嫁が娘を連れて出て行った。離婚した。
それからもうすぐ2年が経つ。
娘がいる。
当時1歳だった娘は元嫁に引き取られた。
去年、娘には3度会った。
連れてくるのは極不機嫌な娘の祖母。
最後に会った時、
劣悪な環境下での面会は誰にとっても不幸しか呼ばないと感じて、
娘とはそれから会っていない。
それは去年の5月だった。
概ね、もうすぐで1年が経つ。
正月、ホワイトデー、誕生日、クリスマスには手紙を送っている。
これらの手紙が手元に残っていたならば、
きっと何かを感じてくれるだろうという期待を以て、
これが心の支えとなっているのだと思う。
これがやって後悔する可能性のあると感じている行為だ。
大した内容でもない。
およそそれ位。
ただ、俺自身にとっては、相手の不機嫌さを回避するという意味を持つ。
送らなければ送らないで不機嫌になるし、
送れば送ったで、なんで送ってくるんだという不機嫌になる。
やってもやらずとも自分にとってはこころに不快が残る選択肢の内、
より将来にとって意味のある選択という行為という意味とも言える。
良いか、悪いかの選択だけではなく、
悪いの二択から、どちらかを選択せねばならないという局面がある。
やらずの後悔が将来何も生まず、
やって後悔は、それが蓄積して将来極めて重大な後悔となる場合がある。
この言葉は、
点ではなく、時間軸という線、そして両者の感情という視点で捉えると、
非常に深く、趣深い言葉となる。
それは、
やって後悔する方がいいって言い切れる勇気と、
学習の目的が「自分の利益」ならそういう発想だろうけど、単に分析するのが目的だったら(最初は役に立てようっと思ってて、副次的な目的として現れたのが分析かもしれないけど)十分楽しんでるっしょ元増田は。こんだけ書く内容があったんだからさ。
昔、エッセイで書いてる人がいたけど、親が「ちゃんと勉強しなさい」と言うのは、「勉強していい学校に入っておけば、食いっぱぐれにくい」くらいの意味であって、学校の勉強そっちのけで山に入ってその辺に生えてるキノコを調べだすようなことを指してはいない。
当方アラサーフツメン。1,2ヶ月に1回くらいのペースで合コンする。婚活女子を狙っているわけではないが、年齢の都合上最近は婚活女子が相手になることが多い。
婚活女子というと“売れ残りのブサイク”というイメージを持つ人も少なくないと思うが、基本的には美人が多い。こんなきれいな子が結婚できないなんて日本はどうなってるんだとよく思う。もちろん年齢による劣化はあるが、それでも美人である。
おそらくアラサーになっても合コンで相手を見つけようという考えに至る=むかし合コンでいい思いをした=美人というロジックになっているのだと思う。ちなみに、ここでいう美人とは“普通の美人”であり、目の覚めるような美人というレベルにはあまりお目にかからない。
ひとことでいうとコミュ力がある。どんな話題にもだいたいそつがない感じに相づちを打てるし、会話のキャッチボールがうまい。いいタイミングで笑い、いい感じに盛り上がり、楽しく気持ちよく飲むことができる。
そしてみんな常識的。服装には過度な露出がなく、無難なお姉さんファッション。終電に乗り遅れることはないし、限界を超えて飲み過ぎることもないし、むやみに自分を卑下したり、自分を持ち上げ続けたりしない(でも手を変え品を変え遠回しにずっと自分を誉め称えている人は一定数いるかな)し、場違いな話題を延々と続けたりしないし、相手に失礼になることを言ったりしない。
趣味が海外旅行の人がとても多い。行ったことがあるところ、エピソードなどでひとしきり盛り上がれる鉄板の話題。それに、好きな料理の話(また会うときの口実)につなげやすいし、悪いことは全然ない。ただ、自分としては海外旅行っていっても年に1,2回だろうし、それを趣味というのはどうなんだろうと内心では思う(もちろんそのようなことを口に出すことはない)
そこまであるあるではないけど、男性陣に比べて転職歴がある人が多い気がする。
大きく分けて資格や能力を武器に好き勝手やってる系と、待遇に不満があってどんどん変わってる系がいる。後者はあまり幸せそうじゃなく「結婚ゴール」「結婚大逆転」を狙ってるように見受けられる。というか、そもそも女性陣のつながりが“昔の職場の同僚”なことがよくある。
これは当方がフツメンであることに関係しているのかもしれないが、基本は女性側が受け身であるように感じる。向こうからアプローチされることはほとんどない。が、あまり興味がなさそうに見えても誘ってみるとノリノリであることも多い。また、興味なさそうに見える人を誘ってみると、興味なさそうに“常識的な”返事が来て、“常識的な”デートが行えることもある。
なお、メール等で全く盛り上がってなくても、もう一回合コンしましょうという誘いには速攻で反応されることが多い。
これはうまく言えないけど、“選びにきている”感を全然隠しきれてない。友達になることはなくて、恋人になるか、次の合コン開催相手になるかの二者択一。
選ぶ基準は“この人と結婚したら自分にどれだけメリットがあるか” “過去の彼氏よりよいスペックか” “引っ張ってきた結婚を決めてよい相手であるか”などなど。もちろん、相手はそんな素振りはひとつも見せないけど、こういう“値踏みされてる感”、わかってしまうのですよね。そつがない常識的な会話の中に“フィルタリング条件”が埋め込まれていて、間違った回答をするとそこで恋人ルートは即足切り、となってしまう。そういえば、女子の半分くらいは第一印象でありかなしか決まっちゃうらしいけど、となると合コンで開始10分で見切りがついたら、残りの2時間3時間はどうするんだろう。人脈見極めの時間?
見切りと言えば飲み会後の「今日は楽しかったですね〜○○で盛り上がりましたね〜ありがとうございました」という内容のメールにすら一切返信しない女子は一定数存在する(2割くらい?)最初はかなりびっくりしたけど、もう慣れました。言うまでもなく今後つなげる価値すらないと判断されたってこと。
ここまでが“ありがちなこと”である。それに対する感想を一言で言えば、婚活女子との合コンはつまんないんです。美人とそつがなく楽しくおしゃべりできるにも関わらず、全然楽しくない。
自分がまるで婚活面接官になったかのような気分になる(しかし実際はATMとして値踏みされているのは自分の方)ぼろを出さないように、素や本音を出さないように、マイナス点がないように、必至に取り繕ってなんとか見初められるのを待っている。それでも漏れてしまう本音は“自分を一生養ってほしい”といった利己的なもの。
なんだろうね、これ。あなたは18歳くらいの時、“条件”で人を好きになったり嫌いになったりしたんですか、と説教したい気分になる。まあ年をとるってそういう事なのかもしれないけど。
ブラックリスト入りについて私が一貫していってるのは「通報しまわってるスパムの存在」だ。
あるゲームの言葉を引用するなら「アノニマス・カワード(匿名の卑怯者)」がいて、はてなを荒らしてると考えている。(ここに書くこと自体がアノニマスだから、カワードと言われても文句が言えないけど)
これは根拠があって言うことだが、はてなはこの「カワード」について駆除する気がなく、駆除しない代わりに「カワードの被害を埋め合わせる」という方針で動いていると考えてる。
私はささやかながらブログ書いている。そして、11月中にカワードの被害に遭ってか、新着エントリーに載らないこと続出した。
時間もブクマ数も満たしていて、ブクマするユーザーも同一なのは自分のセルクマだけ(セルクマさえしない時もあった)が新着エントリーにもカテゴリにも載らなかったことが相次いだ。
当然性的表現などは載せてなく11月初頭までは大半は所定の数がブクマされた場合、新着エントリーに載っていた。9月・10月にもないわけではなかったが、11月にもあったので、ブラックリスト入りしてしまった。
カテゴリを変えれば載ることもあったが、小細工をしても載らないこともしばしばあった。
新着エントリーに時間通り掲載されて伸びなかった記事は仕方ない。自分の書いたものが良くない・ウケない場合は甘んじて受け入れる。しかし、ルール通りに動いてルール通りの結果が出ないとなれば話は別である。
ところが、11月末になり、急に流れが変わった。急に新着エントリーや人気エントリー載り始めた。
ここからが、ブログを持ってる私がわざわざアノニマス・カワードとしてエントリーを上げる理由になっているヤバい仮想。
急にブログが伸びた。…はじめは「良い物を書けたからだ」と思っていたし、実際に評判も上々だった。
しかし、いつもと違う事が1つ起こった。エントリーがはてブから消える目安の「一日」が経過しても、該当記事はずっと伸び続けた。
該当記事が伸びた理由を調べるとはてなブックマーク公式でカテゴリーにテコ入れが入り、新しくできたカテゴリーがトップページの下の方に掲載されたからであった。
しかも、同カテゴリに新しい人気エントリーが出てもしばらくは私のエントリーを新設のカテゴリーとそれを宣伝するはてブのトップページのいいところに置いてくれた。
「考えすぎ」だとは思うけれど、その「考えすぎ」な理論でもない限り不自然なほど、結果的にはてなブックマークは私に埋め合わせをしてくれた。
「偶然に偶然が重なった」「日頃の努力とご愛好をはてなに評価された」と思うこともできたが、周りのブラックリスト入り問題を見ていて少しづつ今書いている仮説へと変わっていった。
考えすぎで「仮説の域を出ない」話ではあるが、これは他の人にも言える話だ。
ブラックリスト入りしたのでは?と疑問視されたブログの多くは該当エントリーもしくは次の人気エントリーがはてブでは話題になるように置かれている。
実際、無数にいるアノニマスの中でカワードだけを抽出するのは膨大な手間がかかる上に、いたちごっこの泥試合になるからその判断自体は経営として、カネ・人のリソース管理の観点から正しい。
しかし、ユーザーに損をさせれば「愉快犯>エントリーを上げるユーザー」という構図ができるため、「アクセスやブクマ上は損をさせない」というのが運営側の妥協点ではないだろうか?
誤認逮捕に賠償金を払うようなもので、これ自体はそこまで筋の通らない制度ではないと思うが…どうにもこれではカワードは駆逐できないし、カワードによるスパム行為を止められるとは思えない。
個人的にはニコニコ動画でいう「殿堂入り」カテゴリ(東方・ボカロなどをランキングを独占して多様性をなくすジャンルを隔離するために作られたカテゴリ)を新設して特定の人気ブログを隔離するのがいいと思うが…懸念も1つある。
それはニコ動が「殿堂入り」を導入した後の全体のランキングが恐ろしくつまらなくなった(人気実況者の実況プレイ動画の続編モノばかりになって、初見の人が見られる動画がなくなった)り、ニコ動文化の代名詞という側面すら持ってたボカロに代表的なヒット曲が消えてヒットや人気が内向きになった。ボカロ曲自体の多様化・ボカロが1ジャンルとして確立されマニアが生まれたせいでもあるが、かつてよりもずっと高いクオリティを持つ動画が全体の目につかなくなった。
「ニコ動うp主のユーチューバー化」とでも言えばいいか?カテゴリや動画サイト全体で盛り上がってたカルチャーが徐々にすごい個人を求めて見に来る人へとシフトしていき、凄いものを見つけ、共有する力が弱くなった。(あるにはあるし、昔に比べて増えたんだけど、盛り上がる「場所」がなくなってしまった)
はてなもはてなで色んな「内輪」…左翼やエンジニアやはてな村文化など様々な文化が絡まってたから他のサイトではお目にかかれないものがあった。
でも、カワードをはてなが間引いてないことで、殿堂入りカテゴリを作って「村を隔離させながらも定着させる」か、ブラックリスト入りと埋め合わせを繰り返して「村の人気ユーザーが流出する・はてな運営にあった信用を減退サせていく」かの二者択一にあると思う。
今後の情勢が気になるけど…私にはどうすることもできないので、「理想はカワードだけをうまく消してくれること」という無理な希望だけを言ってこのエントリーを終わらせていただきます。
橋下徹と桜井誠の約7分にわたる「意見交換」へと感想はさまざまあるが、どれもしっくりこない。
【言論の自由】「橋下vs桜井」意見交換会を見て[桜H26/10/22]https://www.youtube.com/watch?v=vu0fpCZikIk&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg
まずは「論外」という反応から見ていく。
この動画で言ってることは結局「橋下は桜井誠の「在日特権」についての主張を聞かなかった」ということにまとめられる。そもそも問題となっているのは「ヘイトスピーチ」についてである。在日韓国人・朝鮮人を侮辱して、憎悪を煽る言動についての意見交換なのであって、「在日特権」について意見交換をする場ではなかったということを確認する必要がある。よって、私はこの種の意見を「論外」であると評価している。
てか、もともとチャンネル桜は、桜井誠を世に出したメディアでもあるんだから(途中で喧嘩別れにしたにせよ)、その辺をちゃんと清算すべきだよね。水島総氏は「ヘイトスピーチは情報謀略戦において不利に働く」と様々なところで、さかしらに言っているけれども、ようは「保守がみんな在特会みたく見えるようにつくられてしまうからやめろ」って言ってるだけである。水島氏のこうした発言はヘイトスピーチへの本質的批判には程遠い。「自分に不利になるからやめろ」と言ってるだけだから。
あと、「在特会とアンチ在特会を平等に規制する法律をつくらなければアンフェア」だと動画で述べているが、この点に関しても詭弁があることを述べ添えておく。問題となっているのは「ヘイトスピーチ」である。「ヘイトスピーチ」とは、特定の人種・国籍に対して差別を煽るような憎悪表現である。アンチ在特会にそのような発言は、明示的には存在しないはずだ。(アンチ在特会も「ヘイト」だ、という意見をよく聞くけれども、ヘイトスピーチについての基本的知識がないのだな、とそのたびに私は思っている)
中道左派に多い意見だと思う。おそらく国民の多くは、桜井氏の下品さに嫌悪感をもよおし、橋下氏の「公人」としての振る舞いに疑問点を抱いたことだろう。
橋下氏の発言には、たしかに同意できない部分がある。例えば「本当に政治的主張を行いたいなら選挙に出ろ」といった類のことだ。これは彼が昔から言ってたことだが意味不明。デモ活動は立派な政治的活動であり、直接に法整備を行うわけではないにせよ、国民意識を変えていくことで、ひいては国会にも影響を与えうるものであるから、立派な政治的活動である。こんなことは、グラムシのヘゲモニー論を引用するまでもなく常識で考えれば分かることだ。
こうした疑問点は様々あるにせよ、今回の橋下の綿密な行動に私は驚嘆した、というのが感想であった。橋下氏自身も述べていることではあるが、彼の行動はきわめて計画的であったとリアルタイムで見ていて感じた。彼はなかなか感情的には流されない人間であり、冷徹な人間性を見せる。そもそも桜井氏の今回の言動くらいで激昂して理性をなくしてしまう男ではない。「帰れ帰れ」という言葉もおそらくはじめから用意したものであっただろう。というのも、在特会が常々言っていた「朝鮮人は半島に帰れ」という言葉を模倣して、桜井氏個人に突きつけるという手法を橋下氏はとっているのだと私は理解しているからである。それから、より政治的に言えば、「ヘイトスピーチ」を行う人間を公人が思いっきり面罵した、という点も評価できる。ヘイトスピーチを行うものはこのように扱われても仕方がない、と世に流布した功績は大きい。
他方、桜井氏の行動について。彼の「激昂」も半分以上は作為的・演技的であっただろう。そもそも彼の「激昂」それ自体が演技的であるのだから、当然と言えば当然なのだから仕方あるまい(この点については「ネットと愛国」における西村修平と桜井誠の出会いについての記述を参照いただきたい)。しかし、彼の「激昂」は、残念ながら、その容姿・恰好からしても、多くの国民の賛同を得られるものではない。クレーマーそのものである。多くの国民は彼の言動に不愉快を覚えたことだろう。
桜井は自著がAmazonで一位になったことを喜んでいるが、それはあくまで一過性のものだと私は考えている。動物園にいるチンパンジーを見たがる好奇心以上のものではない。二三年の視点から見れば、この会談が自分に大きな打撃を与えるだろうことから目を背けているに過ぎない。
なお、こうした人物評にまどわされずに、あの場にいて、どちらかに組せねばならぬ、という当事者視点から見れば、100人中99人は橋下につくのではないかと思う。第三者的視点だけではなく、こうした当事者意識を持ってみることは様々なコンフリクトを見つめてみる上ではきわめて重要なことだろう。
したがって、「どっちもどっち論」に対して私は違和感を覚えている。
外山恒一はツイッターで「やっぱり私は桜井誠より橋下徹の方がはるかに嫌いだ。」と述べている。
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524541443637919745
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524558184594173954
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524577760044277760
言葉数が少ないのでその真意は測りかねるが、外山氏らしい発言だと私は受け取った。外山氏は、世の中でヘイトスピーチに批判的になってきたのを見計うかのように、反ヘイトスピーチを大上段から罵る「パフォーマンス」をおこなう橋下氏の「したたかさ」に不愉快を覚えるのだろう。私は全力で同意をしたいと思った。それにしても、「橋下徹か、桜井誠か」という二者択一を迫られるような事案が出てくるとは、やはり悲しい出来事であるだろう。
法的にヘイトスピーチについて見てみたい。まだ日本にはヘイトスピーチを規制する法律はなく、日本国憲法第21条における「表現の自由」に抵触しないかどうかという慎重論も上がっている。しかしながら、これは国内法だけではなく国際法にも目を向ける必要がある。日本も批准している人種差別撤廃条約だ。この条約は、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の民事訴訟においても注目されたことで記憶に新しい。京都地裁は「我が国の裁判所に対し、人種差別撤廃条約2条1項及び6条から、同条約の定めに適合する法の解釈適用が義務づけられる」と述べ、大阪高裁も支持している。司法によって国際法の直接適応を受けるのには、立法府のだらしなさを私は思う所である。同条約4条1項では「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で除伐すべき犯罪であることを宣言すること」を締約国に求めている。しかしながら、日本は1996年に正式に批准してからもう20年近く経とうとしているのに、いまだに「表現の自由」を盾にして足踏みしているのは情けない。憲法98条2項に基づき、早く法整備を行うべきである。
日本国において日本人以上に「特権」をもっている人は存在しない、というのが私の意見である。もし日本人以上の特権を在日の人が持っているのだとすれば、具体的に教えていただきたい。
なお、私的には、むしろ「竹田特権」を告発したい。竹田恒泰のことである。彼は慶應大学で憲法学の講師をしていたというが、通常ではありえない「特権」がなければ、とても彼は講師になれる人間ではない。彼は修士号も持っていないし、学部時代に憲法学をおさめていたわけでもない。学術論文も一つもない。なぜそのような人間が大学で「憲法」の講師をすることができたのだろうか。これは「特権」以外の何ものでもないだろう。「特権」という言葉はこのように使うのである。