元嫁が娘を連れて出て行った。離婚した。
それからもうすぐ2年が経つ。
娘がいる。
当時1歳だった娘は元嫁に引き取られた。
去年、娘には3度会った。
連れてくるのは極不機嫌な娘の祖母。
最後に会った時、
劣悪な環境下での面会は誰にとっても不幸しか呼ばないと感じて、
娘とはそれから会っていない。
それは去年の5月だった。
概ね、もうすぐで1年が経つ。
正月、ホワイトデー、誕生日、クリスマスには手紙を送っている。
これらの手紙が手元に残っていたならば、
きっと何かを感じてくれるだろうという期待を以て、
これが心の支えとなっているのだと思う。
これがやって後悔する可能性のあると感じている行為だ。
大した内容でもない。
およそそれ位。
ただ、俺自身にとっては、相手の不機嫌さを回避するという意味を持つ。
送らなければ送らないで不機嫌になるし、
送れば送ったで、なんで送ってくるんだという不機嫌になる。
やってもやらずとも自分にとってはこころに不快が残る選択肢の内、
より将来にとって意味のある選択という行為という意味とも言える。
良いか、悪いかの選択だけではなく、
悪いの二択から、どちらかを選択せねばならないという局面がある。
やらずの後悔が将来何も生まず、
やって後悔は、それが蓄積して将来極めて重大な後悔となる場合がある。
この言葉は、
点ではなく、時間軸という線、そして両者の感情という視点で捉えると、
非常に深く、趣深い言葉となる。
それは、
やって後悔する方がいいって言い切れる勇気と、