2015-05-04

やらず後悔するより、やって後悔する方がいいって

元嫁が娘を連れて出て行った。離婚した。

それからもうすぐ2年が経つ。

娘がいる。

当時1歳だった娘は元嫁に引き取られた。

私は関東に住み、二人は四国。離れている。

去年、娘には3度会った。

連れてくるのは極不機嫌な娘の祖母。

最後に会った時、

劣悪な環境下での面会は誰にとっても不幸しか呼ばないと感じて、

娘とはそれから会っていない。

それは去年の5月だった。

概ね、もうすぐで1年が経つ。

交流と言えるかは人それぞれ判断が異なるだろうけれど、

正月ホワイトデー誕生日クリスマスには手紙を送っている。

思いの他、この交流自分自身の心の支えとなっている。


手紙と共に絵本を送ったり、

こどもに流行りのシールを貼ったり、

娘が、いつか手紙意味を分かるようになった時、

これらの手紙が手元に残っていたならば、

きっと何かを感じてくれるだろうという期待を以て、

これが心の支えとなっているのだと思う。


上記の交流タイミング、要は手紙を送るタイミングの他に、

もう一つ手紙を送るタイミングがある。

これがやって後悔する可能性のあると感じている行為だ。


それは元嫁の誕生日手紙を送ること。

大した内容でもない。

ハッピーバースデー幸せを祈っている。

およそそれ位。

これが娘にとって何かを意味するかは分からない。

ただ、俺自身にとっては、相手の不機嫌さを回避するという意味を持つ。

送らなければ送らないで不機嫌になるし、

送れば送ったで、なんで送ってくるんだという不機嫌になる。

やってもやらずとも自分にとってはこころ不快が残る選択肢の内、

より将来にとって意味のある選択という行為という意味とも言える。

二者択一局面においては、

良いか、悪いかの選択だけではなく、

悪いの二択から、どちらかを選択せねばならないという局面がある。

しか継続して。


やらずの後悔が将来何も生まず、

やって後悔は、それが蓄積して将来極めて重大な後悔となる場合がある。


この言葉は、

点ではなく、時間軸という線、そして両者の感情という視点で捉えると、

非常に深く、趣深い言葉となる。


それは、

やって後悔する方がいいって言い切れる勇気と、

自身感情、相手の感情を受け止める責任まで考えた上で行動するという意味を持つ。

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