はてなキーワード: 挑発とは
乳揺れと統一教会に揺れるはてな界隈の皆様、いかがおすごしでしょうか。
マライ・メントライン(ドイツ人 女性 テレビプロデューサー)が
「意外と惜しみなく出た私の入浴シーンはいかがだったでしょうか?」といささか
挑発的なつぶやき(注1)をするのも、この意識の延長線だろう。
となれば、おっぱい星人はドイツに行って温泉に入り、生おっぱいを見るべきだと思う。
そこで少年の心を持ち続けるおっぱい星人たちは、新たな発見を目にすることだろう。
かって、ブイブイいわせ、栄耀栄華を誇った「量産型おっぱい」が
加齢と重力にはあらがえず、「長物(ながもの)」と化していることを。
夢崩れたおっぱい星人たちは、ボサノヴァの名曲「イパネマの娘」の歌詞にも
寂寥感を得たおっぱい星人は、今まで女性(の胸)に向けていた毒々しい視線が
おっパイは手に入れられないが、安パイの称号は手に入れたのだ。
※もっとも「サンマは目黒に限る、おっぱいは二次元に限る」(注5)とメタモルフォーゼしてしまう少年兵もいるかもしれないが。
(注1)https://twitter.com/marei_de_pon/status/1046400072223588353?s=20
(注3)もちろん、モライスは(こんな美しい娘と付き合うことはできず)、おっぱい星人は(生おっぱいをたくさん見たのに)という補完の違いはあるが。
(注5)https://kotobank.jp/word/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E3%81%AE%E7%A7%8B%E5%88%80%E9%AD%9A-643655
むしろ例えば宇崎ちゃんの献血ポスターで、素直に献血行ったオタクなんてそんなにいるのかねえ…。
件のポスターで言えば、ちゃんとウザったく挑発してきている感じでクオリティとしては高いと思う(献血の宣伝として「怖いんすかw」と挑発するのは如何なものかと思うが)。
ああいう公的機関がやるのって、流行りから一周や二周遅れてやってることも多いので、放っておきゃあその内消えるんじゃないかねえ。
HIPHOPというかフリースタイルとかMCバトルに限った話。
まだ見始めて3日の超浅瀬人間なので、細かな分類とかよくわからないので間違ってたらご愛嬌。
きっかけは相席食堂に出てきた呂布カルマという人に興味が湧いたこと。
正直な話、ラップもHIPHOPもそれまで一切興味がなく、むしろ日本語ラップは無理やり踏みに来る韻がダジャレにしか感じられずむしろ見下しているくらいのつもりだった。
そもそもメジャーシーンに出てくるHIPHOPが大人の手で汚されまくってて、感謝しすぎだしオーケストラで泣かせようとしすぎだしそんないいヤツのほうがむしろ信用できるわけないしって感じだったせいもある。
実際、ほとんどが女性問題を起こして自らを台無しにしていくようなやつらばっかりだったしね。あとひとつあとひとつ言いながらどんだけ手を出してんだよって思うと草しか生えてこない。
それはメジャーに限ったことじゃなくて、薬物問題とか暴力沙汰とか聞こえてくると、純粋に音楽として楽しめないよなって思うってしまうのもある。
なので要するに、どれだけサジェストされようとも開くなんてことは絶対になかったので全くもってノーマークだった。
相席食堂に出てきたときもラッパーなら見なくてもいいかなと別のことを始めようとしたら、まずその風貌の独特さに引っかかってしまった。
ラッパーといえばあごひげ、ガテン系、フードかぶってダブダブズボンが定番。R指定さんを見たときも、メジャー向けにちょっと小綺麗にしてきたねくらいに思っていた。
ところが出てきた呂布カルマはどこからどう見ても下っ端のチンピラ。
吹けば飛びそうなひょろい感じで、服装と顔ばっかりがいかつい30年前の小岩のチンピラみたいだった。
なにそれ。今どきのHIPHOPどうなってるの?というのが最初の印象。
実際にロケが始まってみると、大吾さんが「お人よしオールバック」と表現するくらい、いい人よりの普通の人。
この人のどこがカリスマラッパーなの?という疑問が見れば見るほど湧いてくる。
疑問が湧いてきた以上、とりあえず見てみよう。それで音楽性もポンコツならそれまで。また来世のつもりで検索。
先攻はいかにも絵に書いたようなラッパー。一生懸命韻を踏んで暴力的な言葉を並べる。会場は沸いているけどやっぱり全然好きじゃない。
そして呂布カルマのターン。
いきなり遠くの視点から矢じりのような言葉を飛ばす。そうかと思うと一瞬で懐に入って重い一発を食らわせる。
別に韻を踏むわけじゃないけど、言葉選びと相手との距離感の行き来がめちゃくちゃうまい。
会場も沸く、というより唸る。
その一撃で相手は自分の立ち位置を完全に見失って、顔を真赤にしてまっすぐ掴みかかるような言葉を返す。それには観客も首を傾げるか失笑。
まだ2ターン目、軽く笑って王者の余裕とばかりに相手を諭してから踏み潰すような上から目線な言葉選び。圧倒的な火力差を見せつけながら相手の逃げ道は塞がない。
玉砕覚悟で突っ込むか、一旦下がって相手の隙を伺うか、煽って失敗を誘うか、負けを認めてパフォーマンスをアピールをするか。
選んだのは玉砕。本人には玉砕の自覚はないかもしれない。とっくに圏外まで下がっている相手に至近距離攻撃を火力全開で繰り返すも、当然一発も届かない。
それをわかっているのか、心理的な距離とは裏腹に相手の眼前至近距離まで顔を近づけて挑発を繰り呂布返すカルマ。
呂布カルマのターン。
相手はその時はじめて自分の居場所を思い知って、もはや逃げられないことを知る。
猛烈な威圧感を前に、逃げることも攻めることもできず、しかし止めをさすことはせず、独り相撲だったことを観客にも知らしめる。
勝敗はバトル後の観客の反応の数で決まる。
先攻の名前が呼ばれると、ちらほらと手が挙がるのみ。呂布カルマの名前が呼ばれると全員と思えるほどの手が挙がる。確信が事実に変わる。
なんだこりゃすげー面白い!
今のHIPHOPってこんなに面白いの?とサジェストに出てきた見知らぬラッパー同士のバトルを見る。
そしたら全然違う。
そこには今までのイメージ通り、韻を踏むことばっかりに一生懸命で、肝心の勝負そのものはベタ足の殴り合い。
学生同士の喧嘩みたいな、距離感も力加減もわからず、ただ全力で殴り合ってるだけの野蛮な戦い。
面白みよりも不快感のほうが何倍も強く、2つ3つも見たら絶えられずにリタイヤ。
それで呂布カルマもたまたまだったのかと思ってまた別のバトルを見る。
やはり抜群に心理戦が面白い。この展開の速さの中、あの手この手で相手を翻弄して、気がつけば相手の体力は残っていない。
どうやら呂布カルマという人間だけ別次元だということがわかる。
いわゆる総合格闘とか、もしくは対戦格闘ゲームとか好きな人は絶対にはまる。
営業妨害かもしれないけど、見た目はこんななのに、めちゃくちゃ真面目でめちゃくちゃ勉強してないとこうはならないはず。
要するに、今まで喧嘩自慢がノールールで殴り合いをしていた世界だったのに、総合格闘のプロが殴り込んできてしまったような感じ。
ベタ足の殴り合いで一番つええやつ決めてた世界に、立ち技寝技関節技なんでも使えるやつが出てきたらそりゃつええわ。
ここからは推測でしかないのだけど、こうしたシーンの変化が起こった一番の理由は、おそらくHIPHOPというものが先人の努力によってやっとそこまで一般化からだと思う。
過去、何回かの少ない記憶で見たMCバトルは、勝敗をプロやベテランの投票で決めていた。
つまり、どれだけHIPHOPやラップのスキルが優れているかが勝負の決め手となっていたために、盛り上がりと勝敗の結果が異なることも多々あった。
しかし、今回見たMCバトルは、全てバトル後の観客の挙手の多さで勝敗が決まっていた。
それはつまり、HIPHOPやラップの専門的なスキル以上に、とにかく盛り上がったほうが勝ちなのだ。
ある意味で真面目にHIPHOPを続けてきた人間からしてみれば望まない世界かもしれない。
もちろん呂布カルマのラッパーとしてのスキルの高さは十分に感じられる。
韻を多用しないのはスタイルと言えばそれまでだが、それよりも、戦略性や言葉選びや比喩のセンスが見た限りではずば抜けて高かった。
実際に芸人をやりながらラッパーもやっている人間も多いらしいが、ここに来てシンパシーの高さが注目されているのだと思う。
彼の経歴をしっかり調べたわけじゃないけど、ここまで言葉を数多く自由に操れるのは、少なくともある程度しっかりした学歴か、教育を受けていないと無理。
たまたま見た目のいかつさがハマっただけで、おそらく人格は相席食堂で言われた通りめちゃくちゃ真面目でお人よしなのだと思う。
そうした作られたキャラだからこそ、バトルで過剰に熱くならないし、冷静に相手を追い込めるのだと思うと、ラッパーには本当の意味で敵だよな。
彼がこのまま活躍しつつければ、MCバトルはもっと一般化して、HIPHOPシーンはカルト化と二極化していくんじゃないかな。
少なくとも、すでに分断が始まってることは確か。
なんて思っていくつか動画を見てたら、輪入道って人がこれまたやばいってことに気づいた。
多分、天才はこっち。液体みたいにどこでも入り込んでいって、そこからいきなり火力ぶちかますタイプ。もちろん経歴は一切しらないけど、HIPHOPとしての純度は呂布カルマ比300%くらい高い。
これはもう揃っちゃったわけですよ。条件が。
HIPHOPシーンは今でも十分メジャーだけど、こっから一気に大衆化する超新星爆発直前にあるなってこと。
もともと好きな人が望んだ形とは程遠いかもしれないけど、TVショーとしてこの上ない条件が揃ってしまいました。
今のうちに注目しておいて、アーリーアダプター、ギリでイノベーター語るのもありだと思います。
アンチを挑発するのが大好きな子みたいだけど、このまま大人になってもろくな子にならないのは目に見えてわかるかなって。
今は小学生だから閲覧者がいるわけだけど、中学になればどんどん視聴者は減るね。そうしたら、また炎上系の配信してアンチでも挑発するのだろうと思うけど、
そのまま今度は高校に入れる年齢になっても変わらなければ、もう視聴者はいなくなるね。
この子が珍しいのは小学生で炎上系だったりしてるだけなんだから。
それ以外に別に特別な才能があるわけでもないし、大きくなればなるほど、ただの痛い若者にしかならないわけで。
小学生だから生意気だなぁと思われつつもチャンネル登録してくれる人がいるだけなんだし。
この子、どうするんだろうね。
ここまで将来の見えない子ってのも珍しいと思うなー。
休日は個人勢の雑談配信を作業中ずっと流したり、作業を止めて聞き入ったりして
おバカエピソードに親近感(笑)を覚えたり、人間関係を語っているのに本気で感心したりしてたんだ
実際のところは声優のラジオ+アバターあるいはオタク向けの女芸人といったところで
そこまで革新的なものではないと思うのだが、確かに流行るだけのことはあると今でも思う
そんな状態から急に冷めたきっかけが、いつだったかの雑談配信で聞いた
「私も誹謗中傷とかされるほうですけどぉ~法的な措置も検討してますからぁ!」
「誹謗中傷とかぁするひとってぇ~すっごいかわいそうな人だとおもうんですよねぇ~」
という言葉
批判というものはいっつも、正論の苦言と言い過ぎの叩きと愉快犯の誹謗中傷が混ざってるもので、
どんな返し方してもそれらすべてへの反応になるっていう厄介な性質を持っているんだ
誹謗中傷する人間を挑発するだけで、「こいつは炎上ばっかしてて反省もしてないのか?」と思われる
さすがにそこが分からないとも思えないのでようするにメンタルが強いのだろうが、とにかく俺は気分を害した
そこからなんやこいつと思いつつも、そういえば20代で会社勤めもしてない女とかこんなもんかーとか考えてたら、
いい歳こいたおっさんが小娘のトークに本気で聞き入ってるのが恥ずかしくなってきた
いまでもたまにVtuber動画を見ることはあるが、頻度は減ったし
「炎上した側が悪い」「誹謗中傷への反撃は批判者全体に対する反逆とみなす」
という考えが抜けきれないんだとも思う
そこを突かれて有象無象扱いされたような気になったのかもしれない
『文學界』2021年9月号に掲載された桜庭一樹「少女を埋める」を取り上げた、鴻巣友季子による朝日新聞の文芸時評に対して、桜庭が抗議の声をあげ、記事の訂正などを求めた(文中敬称略)。
この問題に関して筆者は「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」に始まる3本の文章を投稿した。その後、桜庭の求めに沿う形で、9月1日に朝日新聞デジタル版の時評で文面が修正され、9月7日付朝日新聞本紙および朝日新聞デジタルに、両者と時評担当者の見解が掲載された。
この記事では総括として、両者の見解を検討するとともに、時評担当者が「期待」しているという「文学についての前向きな議論」のために、この一件にまつわる諸論点を、桜庭と鴻巣が直接言及していない点も含めて挙げる。なお、はてな匿名ダイアリーの仕様でURLの掲載可能数に制限があるようなので、最小限に留めている。
両者の主張は、以下のように整理できるだろう。
桜庭:文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるか否かによらず、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いてはならない。
鴻巣:文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるならば、あらすじとして書いてもよい。
桜庭は主張の根拠として、そのようなあらすじの書き方が「これから小説を読む方の多様な読みを阻害」し、「〝読者の解釈の自由〟を奪」うことを挙げている。
一方で鴻巣は自身の主張を、「あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大」であり、「読み方の自由ひいては小説の可能性を制限しないか」という懸念により根拠づけている。
では鴻巣は「あらすじも批評の一部」であるという主張をどのように根拠づけているか。これが不明瞭なのである。
鴻巣は「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があったが、これらを分けるのは簡単そうで難しい」と書くが、その後に続くのは、作品の創造的な余白を読者が埋めるという、読解についての文章である。文学の解釈にそのような性質があったとして、それがあらすじと解釈の分離の困難とどう関わるのか、説明されていない(まさかテクストに書いてあることと、書いていない部分から自分が想像したこととが融合してしまって分離できないというのだろうか。テクストは目の前にあるのに)。つまり鴻巣は、「書く」ことについて言及していないのである。解釈は批評の一部でしかない。当然ながら、読んだ=解釈しただけでは批評は成立せず、「書く」ことが必要不可欠である。だからこそ桜庭の主張は鴻巣の読みの否定ではなく、「分けて書いてほしい」というものだったのだ。分けて「書く」ことが「読み方の自由」を否定することにはなるまい。そして実際にデジタル版の時評の文面を「修正」できたのだから、分けて書くことはさほど難しくはないはずである。
鴻巣は「合理性」や「妥当性」にこだわりを見せるが、この見解の文章がそれらを備えているとは言い難い。また、鴻巣は見解を発表する段になっても、そもそも桜庭に何を問われているのか理解していないふりをしている、あるいは単に理解できていない。
繰り返しになるが、問題は「書く」ことなのだ。私小説もフィクションだからどのように読んでもいいとか、誤読される覚悟もなしに私小説など書くなとか、私は鴻巣評のように読んだとか、信用できない過去語りだとか、あるいは鴻巣が誤読しなければこんな事態にはならなかったとか、そんなことは関係ない。どう読んだっていい。批評家が誤読することもあるだろう。批評家が作者の意図しない優れた読解をすることもあるだろう。ただし、自分の読解が生み出しただけの出来事を、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして断定で書くべきではない。
繰り返しになりますが、
「作品からの読み、想像であり、実際のテキストには書かれていないストーリーを、主観的な読みではなく実際にそう書かれていたように紹介する」
のは一線を超えていると思ったのです。
作者だからではなく、他の方の本でも同じように疑問を持ったと思います。
(この部分です) pic.twitter.com/vFmVBO6fhC— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
いえ、また繰り返しになりますが、どう評しても自由とは言っておらず、
「読まれ方は自由だが、実際の描写にはないストーリーを、読み、想像で考えたとき、それを主観的な解釈として書くのはよいが、実際にそう書かれていたように客観的事実として書くのは一線を超えている」
と考えています。(続)— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
ただそれだけのことを、桜庭は何度も何度も直接本人に訴えかけた。にもかかわらず、鴻巣がその声が受け止め、真摯に答えたとは思えない。
この文章を書いている最中に、『現代ビジネス』上に、飯田一史による記事「「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”」が掲載された。そこで名古屋大学大学院教授の日比嘉高(モデル小説研究のフロントランナーと言ってよいだろう)は、「作家である桜庭さんの方がTwitter上で『私小説』『実在の人物をモデルに』と事実に立脚している点を強調している」と述べているが、桜庭は慎重に「テクストという事実」と「現実の事実」の問題を切り分けている。
この記事でご紹介いただいたのですが、わたしの原稿に〝介護中の虐/待〟は書かれておらず、またそのような事実もありません。わたしの書き方がわかりづらかったのかもしれず、その場合は申しわけありません。影響の大きな媒体であり、とても心配です。否定させてください。https://t.co/HdC6Cb8g7b— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 24, 2021
(強調は引用者)また今回は「自伝的随想」としてご紹介くださったこともあり、登場人物を離れ、実在の家族に言われなき誤解が降りかかることを危惧したため、わたしはこのように必死になって訂正をお願いすることになりました。それは確かに、評者の方には関わりのない事情ではありますが…(続) pic.twitter.com/8rixc3Ot4c— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
桜庭の実存にとって「現実の事実」がいかに重大なものであったとしても、桜庭はあくまでそれを「テクスト(に書いてあるか否か)という事実」と「あらすじの書き方」との問題の下位に位置付けている。主張の動機と主張の根拠を分けるべきである。飯田は、「作家が「トラブルを予防する」ために「事実の側に立つ」点でまず「少女を埋める」はきわめて珍しい事例なのだ」と書いているが、「トラブルを予防する」のは主張の根拠ではなく動機である。この一件を「論争」と表現するのであれば、作家の動機ではなく、作家の根拠にフォーカスするべきである。この記事のまとめ方に〝私は〟断固抗議する。
とはいえ、桜庭の見解にも問題点が指摘できる。それも踏まえて、以下、「文学についての前向きな議論」のための論点を、差し当たり三つ挙げる。
今回の一件に際して、文芸時評の不要説や批評の死が取り沙汰されもした。桜庭もツイートで「批評ではない未熟な文章」などの表現を使い、鴻巣も見解において「批評」という言葉を用いている。
だが、文芸時評は批評でしかないのだろうか? 文芸時評は英語ならliterary review(あるいはbook review)やliterary commentary、フランス語でならchronique littéraireなどと言うだろう。批評critiqueと時評は同一視してよいのか? 批評の要素を備えているとしても、時評には時評に固有のジャンル的特性があるのではないか?
文芸時評が新聞という巨大メディアに掲載されている点をどう捉えるか? 桜庭は見解において朝日新聞の「影響力は甚大」としている。また桜庭は「これから小説を読む方の多様な読み」について言及するが、「これから小説を読まない方」が時評だけを読む可能性も大いにありうるだろう。あるいは前項と関連づければ、文芸誌などの批評は全く読まないが時評は読むという新聞読者はいるだろう。つまり、文学の読者と時評の読者は必ずしも重ならない。
文学の読者であれば私小説で描かれたことが現実でもその通りに起きたと断定できないと承知しているが(あるいは、そのような認識の者を文学の読者と呼ぼう)、時評の読者がそのような前提を共有しているとは限らない。桜庭は新聞の影響力への言及の直後に「私は故郷の鳥取で一人暮らす実在の老いた母にいわれなき誤解、中/傷が及ぶことをも心配し」たと述べている(繰り返すが「をも」という表記に注意。その一点だけで抗議しているのではない)。今回の問題(ここでは主張の論理ではない、現実の現象のレベルである)はそもそも、「文学についての」「議論」だけに収まらないものをも含んでいるのではなかったか?
以上の論点を踏まえて、時評担当者の見解を検討することもできるだろう。
桜庭の見解は冒頭、「私の自伝的な小説『少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています」と書く。鴻巣評の印象を覆すためにあえて母の献身や夫婦の愛を強調したのだろうが、このまとめ方については異議もあった。文芸評論家の藤田直哉が端的に指摘しているのでツイートを引用しよう。
「夫婦が深く愛し合っていたかどうか」を確定する根拠は、虐/待があったかどうかを確定する根拠と同じぐらい、作品のテクストにはないのではないかな。母親がそう言っている、語り手がそう推測したようだ、というところまでは書いてあるが、しかしそれが「作中の事実」かどうかはサスペンドじゃないかな— 藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 (@naoya_fujita) September 7, 2021
つまり、あらすじに書いてよいのは、「作中の事実」であるべきではないか? 今回であれば、あくまで一人の人物の視点に立って、「私の自伝的な小説『少女を埋める』では、病に伏せる父と、献身的に看病した母とが深く愛し合っていたことを、主人公が見て取ります」くらいが妥当なのではないか。言うなれば、「夫婦が深く愛し合っていた」というのも、「愛しあっていたのだな」という文字列がテクストに書いてあるとはいえ作中人物の「主観的解釈」なのだから、〈そのような解釈が書いてある〉という形であらすじを書くべきではないか。
あるいは、そもそも「事実」と相容れない表現というものもある。極端な例を挙げれば、自分は幸せだと信じ込みながらオンラインサロンの主宰者に投資し続ける人物のことを「幸せな生活を送り」などと書くのは、たとえ作中に「幸せである」と書かれていたとしても、おかしいだろう。幸せは事実ではなく評価だからだ。書かれていないことを想像するとともに、読者は書かれていることについても想像し、評価する以上、書いてあれば何でもあらすじに含めてよいとは限らないのではないか?
最後に、「文学についての前向きな議論」に役立ちそうな文献を、備忘録も兼ねてリストアップしておく。
・現実世界の法律と照らし合わせ、これに反する行為および法を軽視する描写
・血液
・ドクロや骸骨
・プレイヤーに恐怖心を与える要素
・デモ
・身体変形、人体改造
そのほか
・オンラインゲームは本人と家族の個人情報を国に提供することの義務付け
・オンラインゲームは必ず実名で登録されていることと共産党が持つ国民データ(顔認証含む)との照合が必要
・オンラインゲームにおけるチャット内容は必ず国家の監視下に置かれること(ゲーム会社の運営義務)
アンパンマンはまだ来ない。
ちびゾウくんやカバオくん、そしてでんでん一座の役者達が岩の陰に隠れていた。
これはだいこんやくしゃが指示したことだ。
「絶対に声を出してはダメよ。大丈夫、カレーパンマンもしょくぱんまんもいるから。それにアンパンマンも必ず助けに来るわ」
だいこんやくしゃの言葉を聞いて、子ども達は少し安心したような表情になった。
だいこんやくしゃも大きなダメージを受けて倒れていた。
下手に動くと敵に見つかるので、うっすら目を開けて辺りを見渡した。
(ああ、なんてこと。カレーパンマンもしょくぱんまんもあんな姿に…。今動けるのはアタシだけ…考えるのよ…アタシにできること…)
アンパンマンが助けに来るまで、子ども達はもちろん一座の大事な役者達をなんとしても守らないといけない。
その時だった。
「はーっくしゅん!」
おそらくカバオくんだ。
「グゴゴ…?」
敵がその音に気付き、岩の方に視線を向けた。
(マズいわ!マズいマズい…!)
だいこんやくしゃは痛む体をムリヤリ起こした。
そして、考えるより先に走り出していた。
だいこんやくしゃの声があたりに響いた。
それは日頃の芝居で鍛えた、遠くまでよく通る声だった。
「グゴグガガァァァ!」
敵は雄叫びを上げて向かってきた。
だいこんやくしゃは子ども達の隠れている岩と反対方向に走った。
「ほら、ノロマさん!アタシはこっちよーーーー!」
だいこんやくしゃの挑発は敵を更に怒らせた。
「よ、よせ…その傷じゃ無理だ…」
「やめるんです…だいこんやくしゃさん…あなたがやられてしまう…」
カレーパンマンとしょくぱんまんの声はだいこんやくしゃには届かない。
「ほら!!こっちよ!」
だいこんやくしゃは力の限り走った。
しかし、思うように足が動かない。
敵はどんどん近づいてくる。
(なんのこれしき…芝居では見栄を切っていたけど、今は見栄を張らせてもらうわ!アタシの役者魂、ナメないでよね!)
「だいこんおろしーーー!」
「グワアアア」
少し距離は開いたが、奮起した敵はさらなる勢いで追いかけてきた。
だいこんやくしゃはついに崖っぷちまで辿り着いた。
「グォォォ!!!」
敵は咆哮し、今にも飛びかかってきそうだ。
「フフ、少しは早く動けるのねノロマさん。さあ、どうする?この先は崖。アタシに飛びかかったらどうなるか、おバカなあなたにも分かるでしょ?それとも、アタシと一緒に奈落の底に落ちてみる?」
その言葉に敵は動きを止めた。
だいこんやくしゃは捲し立てた。
「この崖から落ちたら、さすがのあなたでも助からないでしょうね。しかも、その図体の大きさ。アタシの何倍も、いや何十倍も痛いはずよ!」
敵は少し思案しているようだった。
「痛いのはやっぱり嫌なのね!かわいいとこもあるじゃない。さあ、これ以上馬鹿なことはやめて巣に帰りなさ…!?!?」
突然、だいこんやくしゃの体が浮いた。
敵の背中から植物のツルのようなものが伸び、だいこんやくしゃの体に巻きついたかと思うとそのまま空中に持ち上げたのだ。
「なあに、これ?こんなの隠し持ってたのね。面白いじゃない…う…ぐ…」
ギリギリと締め付けられる。
思わず顔が歪む。
敵はニヤニヤしながらだいこんやくしゃを見ている。
「うう……」
敵がグッと力を入れた。
「いやあーーーーー!!」
いっきに締め上げられただいこんやくしゃは耐えられず叫び声を上げた。
「アーンパーーーンチ!!!」
「グォォォァァァ」
突然の衝撃に怯んた敵は、触手を解いた。
触手から放り出されただいこんやくしゃをアンパンマンは素早く捕らえた。
そして、共に辿り着いたアンパンマン号のところまで連れて行った。
「ア…アタシのことはいいから早く行って、アンパンマン。岩陰に…子ども達が隠れてるの…アタシの一座の役者達もいるわ…。敵はまだ気付いてない…早くあいつを倒して、助けて…あげて…」
「なんだって!?子ども達があそこに!?アンパンマン、だいこんやくしゃのことは私とバタコに任せなさい」
「それいけ!アンパンマン!!」
そのあとは、あっという間だった。
アンパンマンは敵に触手があるのを逆手に取り、舞うように飛ぶことで敵自身をグルグル巻きにした。
また、アンパンマン号のおかげでカレーパンマンとしょくぱんまんも復活し、連続トリプル攻撃で瞬く間に敵を倒した。
岩陰で震えていた子ども達も、その勝利を見届け笑顔で駆け出してきた。
全てが元通りになったかに見えた。
「座長!!」
「座長!しっかりして!」
その声に、みんなが集まってきた。
そこには、アンパンマン号にもたれるように座るだいこんやくしゃがいた。
「私はパンのことなら何でもできるのだが、大根のことは残念ながら…」
「さ、さすがアンパンマン。ありがとう。よかった、みんな…助かったみたいね。大円団ってわけね」
「だいこんやくしゃの声のおかげで、みんなの場所が分かったんだよ。それで僕もジャムおじさん達も辿り着けたんだ!」
「そうなのね…毎日欠かさず発声練習をしていた甲斐があったわ…」
「だいこんやくしゃの演技のおかげで、敵が子ども達から遠ざかったんだぜ!あの傷で大したもんだったぜ」
「それに、崖に追い込まれても素晴らしい口上で敵を食い止めました!」
「ふふふ、今まで演じたどれよりも難しい役どころだったわ…。でも、大成功のうちに千秋楽ってところね。……ふう…あらら…私の役者生命もここまでみたい…」
「だいこんやくしゃ!!」
「座長!」
「アンアン!!」
「アタシはパワーもないしヒーローにもなれなかったけど、誇りを持って役者人生を生きてきたわ…。それが何のためになるのか…誰かの役に立つのか…悩んだこともあったけど…こうして大勢の人に見守られて逝けるのなら…私の選んだ道は…間違ってはなかったのね…」
「もう…喋らないで…」
「…そうね。表情で語るのも役者として大事よね…。一世一代の演技を演じ切れて…もう思い残すことは無いわ…。アタシの部屋に未発表の台本がたくさんあるから…演目には困らないはず…。これからもでんでん一座を…よろしく…ね…」
だいこんやくしゃの手がだらりと下がった。
まるで眠っているような穏やかな表情だった。
ひろゆきは金が無かったんじゃなくて財産収入隠ししてたんだよ。サーバー代払えず閉鎖の危機にUnix板の有志が!みたいな物語を皆がずっと信じてる間にマネロンのスキームを作り上げてたの。国税庁が掴んだ額だけでも大体1億/年くらいを迂回送金していた。
国税は海外の送金記録からひろゆきの送金スキームを割り出して税務調査、脱税分を支払わせた。
https://www.huffingtonpost.jp/2013/08/24/tax_dodgers_n_3808120.html
だから単に金が無くて執行できないっていうんじゃない(それは民事事件で普通にある)。こういう方法で脱税どころか民事執行逃れまでするってのは経済ヤクザなわけで、.sc分裂騒動では離反したネラー達の間で「沖縄でゆっくり休んで」って言い方が流行した。ライブドア事件で元幹部が変死(自殺)した事件の仄めかしで、ひろゆきの後ろにマネロンスキーム作った反社が居て金づるの2ch取られたひろゆきが無用になったので頃されるんじゃないか?それで焦って.scなんてコピーサイト作ったんじゃないか?って想像してからかってたのね。
そもそも2ch取られた原因もこの脱税と執行逃れの為のマネロンスキームで、フィリピン在住の極右米国人ジムワトキンスの会社に表向き事業を譲渡した。
でも実際はサイト管理権と収入はひろゆきの口座に転がり込むってスキームにしてた。国税は送金ルートを追ってこのスキームを暴いたんだな。
でもひろゆきがヌケてるのはちゃんとジムにエサを与えなかったこと。公的にも法的にも譲渡は完了しているので、実際は譲渡されてないという状態を維持するのはジムの善意でしかない。
なのに有料会員の●が情報流出で停止した後にジムの収入への手当をしなかった。●の収入はジムの取り分だったのに入って来なくなったからサーバとバックボーン経費が掛かるだけの状態になった。悪人同士のゼニの付き合いで片務状態にしたら刺されるに決まってるわな。まぁ、送金すると実態が国税にバレるっていう事情はあったろうが。
飄々としながらも自分のカリスマを過信していてジムにあそこの管理は出来ないとか思い込んでたのもあったんだろうが完全に慢心で、削除人とかボラ運営とかの配下のネットゴロ達のサーバ上の権限を削除されて、広告も別会社に契約されたらもうひろゆきの方には一銭も入らなくなった。物理的にも論理的にもサーバの管理者権限持ってるのはジムなんだからそうされるのは当たり前だ。
だからはてなーはひろゆきの倫理性を問題視して目を吊り上げるけど、実際はその企みの結果2chと収入元を失っているので寓話的なお笑い話なのだ。策士策に溺れるってやつ。ネトフリでドキュメンタリ撮ってくれないかな?
悪巧みして書類交わして鍵も渡して相手に経費入れなかったら相手に取られちゃった!あいつは悪人だ!っておまいもだろ。笑っちゃうよな。
ひろゆきはその後裁判で2chを取り戻そうとしているが、その主張って「脱税と執行逃れのための偽装譲渡で、密約があったのに反故にされた。密約の方を履行せよ」って事ですぜ。和久峻三が存命だったら面白裁判集に入れそうだ。
ひろゆきは「裁判でこっちの主張が認められた!我の占有権を裁判所が認めた!」ってたまに叫んでて判決文もUPしてるんだが、嘘で「表向きに払っていた金があったが権利権ジャック後は支払う理由がないから返せ」って内容で、フォロワーは中身読んでないのよ。
最後にトリビア: 川上量生が山本一郎に対して投稿削除の要求を行い、山本がこの削除義務の債務不存在確認請求訴訟を提起した時(所謂川上vs.山本の一発目裁判)に山本は「提訴していいですか?じゃなくて提訴しましたであります」とコメントしていた。これはひろゆきの.sc設立時に山本が「.sc差し押さえていいですか?」と挑発したところ、ネットで然程ウケず、やきう仲間のなんJで「差し押さえていいですか:無能、差し押さえました:有能」と詰られた事に因んでいる。
2004年にいじめ問題で炎上が起きた際、掲示板で擁護するファンに向けて小山田氏本人が書いたとされているこの書き込み(以下、「庇う人たちへ」)。
Theme:庇う人たちへ
ここはそもそも、議論の場所でもないし、表現の場所でもなかったと思います。
彼らは表現(挑発)をして、そして反応されたいだけなんですよ。
そして哀しいことに、掲示板ていうものはこういう圧力に対してものすごく無力です。哀しいけどね。それが現実。
だからもう放っておきませんか?
実際、僕自身ものすごく頭にきてるし、いろいろ言いたいこともあるけれど、それは自分で責任がとれるところで言います。ここでは言わない。
僕の提案は、僕の正義の中でしか通用しないし、同意できないファンの人もたくさんいるだろうけど、僕としてはそれが一番近道じゃないかと思います。
こいつらにクズって言われようが何言われようが興味ないね。そんなことのためにここにきてたわけじゃないし。
僕は君たちとこの場所が大好きです。
はやく元通りになるといいですね。ではね。
「庇う人たちへ」が書き込まれた時点でのBBSのアーカイブは残っておらず、絶対に本人の書き込みではないという証拠はないが、別人の書き込みと考えられる要素の方が多い。
存在が2chのコピペでしか確認できず、別人の名義で投稿されたと思われる書き込みを、小山田氏本人が書いたものとして扱うのはおかしい。
少なくとも「庇う人たちへ」を根拠に「小山田圭吾は2004年の時点で反省していなかった」とは言えない。
「庇う人たちへ」を引用した「小山田圭吾には2004年に謝ってほしかった」という増田が、小山田氏の謝罪文発表後の7/18に投稿された。はてブのブックマーク数は495users (9/5時点)にのぼり、今回の炎上の関連記事の中でも多くの人に読まれた記事の一つだと思う。
anond:20210718165938 (削除済)
https://megalodon.jp/2021-0718-1912-36/https://anond.hatelabo.jp:443/20210718165938 (魚拓)
この記事が広く拡散された結果、謝罪文にある「過去の言動に対して、自分自身でも長らく罪悪感を抱えていた」というくだりの信頼性が揺らぎ、増田を読んだ一定数の人々に「五輪絡みで問題になったから場当たりに謝っただけで、本心から反省などしていない。少なくとも2004年の時点では開き直っている」という印象を与えたと考えられる。
現に、増田のURLでTwitterを検索すると、「逆ギレしているクズ」「人格破綻者」というようなツイートが並び、ブコメでも「反省していない」「炎上させられた被害者としか思っていない」というような意見が多い。
https://twitter.com/search?q=https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20210718165938&src=typed_query
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210718165938
【「庇う人たちへ」が小山田氏自らの弁であったとしたら】強い悪印象を抱くのも止むを得ないと思うので、仕方ないことではある。私自身も「本人の書き込み」という前提で読み、かなりショックを受けた。
「ch-fl」というハンドルネームや文体・内容に違和感があったため調べてみると別人の書き込みである可能性が高いことがわかり、また、増田にも小山田氏本人の書き込みではない可能性について追記された(追記後の魚拓は現存せず)ことで私自身は納得していた。
しかし、いつのまにか増田が削除され検証不可能となっていた上、直近でも本人の書き込みという認識のまま書かれたツイートを幾つか目にしたことから、「庇う人たちへ」を小山田氏本人の書き込みと思っている人が(あの増田を読んだ人の中では)まだ多数であることに気付いた。
私も2004年のこの時や、どこかのタイミングで総括をしてくれていれば…とは思うので、元増田を責める気はない(追記したのであれば消さないで欲しかった、とは思う)。
ただ、このまま「庇う人たちへ」が小山田氏の書き込みだという風評が留まり続けることは、小山田氏本人だけでなく、元増田、真の投稿者と思われるch-fl氏にも心の負担をかけ続けることになるだろうと思い、今更ながらソースが参照できる形でまとめておくことにした。
ソースとして、2chでの初出と思われるスレッドへのリンクと初出のレスと関連するレスの引用、嶺川氏BBSの現存するアーカイブへのリンクと、参考としてch-fl氏の投稿の引用を記載する。
「庇う人たちへ」の2ch(おそらく)初出(2004年6月)
https://news14.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1087422336/760-774
【音楽】小山田圭吾 率いるCornelius、ロンドンの展覧会に参加
760 :名無しさん@恐縮です:04/06/20 03:25 ID:nCSxgLV+
Theme:庇う人たちへ
ここはそもそも、議論の場所でもないし、表現の場所でもなかったと思います。
彼らは表現(挑発)をして、そして反応されたいだけなんですよ。
そして哀しいことに、掲示板ていうものはこういう圧力に対してものすごく無力です。哀しいけどね。それが現実。
だからもう放っておきませんか?
実際、僕自身ものすごく頭にきてるし、いろいろ言いたいこともあるけれど、それは自分で責任がとれるところで言います。ここでは言わない。
僕の提案は、僕の正義の中でしか通用しないし、同意できないファンの人もたくさんいるだろうけど、僕としてはそれが一番近道じゃないかと思います。
こいつらにクズって言われようが何言われようが興味ないね。そんなことのためにここにきてたわけじゃないし。
僕は君たちとこの場所が大好きです。
はやく元通りになるといいですね。ではね。
↑ 本人か?
773 :名無しさん@恐縮です:04/06/20 09:41 ID:2MrEH4Na
>>760
これどこの書き込み?
本人なの? こんなこと書いたら逆効果なのでは…
774 :名無しさん@恐縮です:04/06/20 09:46 ID:kiTdPLhQ
>>773
嫁の掲示板。でも本人くせーな。まぁ息子が虐められてもしゃーないわな。
「嫁の掲示板」=妻(当時)の嶺川貴子公式サイトのBBS(アーカイブは2003年12月までしか現存せず。下記は2003年8月時点のもの)
https://web.archive.org/web/20030812022611/http://203.138.131.249/cgi-bin/takako/message/takako.cgi
「庇う人たちへ」では投稿者名が「Name:ch-fl」となっているが、「ch-fl」は嶺川氏BBSによく書き込みをしていたファンのハンドルネーム。
Theme:CM2 #4
>rakudaさん
Plus-tech Squeeze Box もかなり人気がありました.
http://www.vroom-sound.com/psb/
#4(Beckのやつ)に使われてる声,
PointのAnother View Point と同じなのかな?
つまり嶺川さんの声?
他にも何件かの投稿が確認でき、少なくともアーカイブで見られる限りの投稿においては「ch-fl」の名で書き込んでいるのは小山田氏とは別人であろうと判断できる。
「庇う人たちへ」の文中にも「そんなことのためにここにきてたわけじゃないし」とあり、「炎上に際して本人が降臨した」というより「いつも書き込んでいたBBSの常連の立場から意見を書いた」と考えるのが妥当かと思う。
(アーカイブが残っていないので全くの憶測だが、恐らくch-fl氏とBBS上で交流のあったファンも擁護コメントを書き込んでいたため「僕は君たちとこの場所が大好きです」のような表現になっているのではないかと思う。ch-fl氏はBBSに書き込んでいる他のファンと活発に交流している様子なので)
「庇う人たちへ」が書き込まれた時点のアーカイブは残っていないが、上記2chスレの下記の投稿(>>964)によれば2chに転載された翌日にはBBSは休止となっていたようなので、アーカイブが取られる間もなく見られなくなってしまったのではないかと思われる。
964 :名無しさん@恐縮です:04/06/21 18:21 ID:sgZ2wijo
また、同じスレ内の下記の投稿(>>230)によれば、小山田氏本人の公式BBSは「庇う人たちへ」よりも前に閉鎖されていたとみられる。(「庇う人たちへ」が転載される前、6/17の書き込み)
230 :名無しさん@恐縮です:04/06/17 21:23 ID:XfTyT9DA
復旧って?テクニカルなことでもないのに?(プ
ほとぼりが冷めりゃいーだろくらいに思ってんだろ。バカか。
スレ内に嶺川氏のBBSのURLを貼る者が居たため、嶺川氏のBBSが荒らされ、BBSの常連であったch-fl氏によって「庇う人たちへ」が書き込まれるに至ったと思われる。
記事作成にあたっては情報が集約されていた下記の投稿を参考にさせてもらった。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/musicjm/1629034077/6
Moment Joon
住所さらして「会いに来い」 移民ラッパー、挑発の裏に: https://www.asahi.com/articles/ASP154KG6NDCUPQJ00T.html
違う。文字通り、ホモ=単一の ソーシャル=社会 で、同質性がベースになった集団の事をいう。例えば村社会的な。
ジェンダー分野では男性だけの価値観が共有される共同性の事を言う。そこに女性が入ると外様、お客様扱いとなる。女性が女性同士の関係性を保持したまま入ると拒絶される。
そう言う関係性は「外部」を扱うことが出来ないから公共的ではない。
この男性同性愛者=ホモソーシャルという安易な連想は上野千鶴子もやっていた。
あと、好きなもの、擁護したいものを批評するにあたり批判的な感想を持ってはいけないというルールはこの15年のネットでのオタク批評だけの約束事が拡大されただけに過ぎない。
当初のオタクは社会からの迫害の意識が強かったのでそれがルール化した。それ故アンビバレントな感情を扱うという事が出来なくなった。
一番極端だったのは全共闘世代でわざわざ己らに対して否定的で挑発的な批評を好んだ。村上龍の「我々の前に道はない我々の後に道はある」なんてのが有名。
90年代ベンチャーの募集広告等でも好まれ、会社説明会で「この会社は明日にも倒産します」とぶつのが流行したりした。
文学者の福田和也は「血塗れた女衒の倅だる我ら日本人」というような言い回しを評論でして反日扱いされていたが、当然これも挑発的な批評だ。
まぁコレ、時流もあるよな
検察官的には逆にここで変に不起訴にさせて「やっぱ『俺はコロナだ』とか言っていいんだ」ってなることは避けたかったんだと思うし
『国が警戒心を上げてくれってお願いしてる時に酒呑みに行くだけならまだしも、コロナジョークとはナメ腐ってんのかテメェ。お前みてえな自分で上手いジョークを言ったと思い込んでる奴がポカするからここまで感染が広まるんじゃねえのか!?』とでも言いたげな威圧感を勝手に感じてる。勝手に。ここ大事。
まぁ、コロナ禍が過ぎ去る頃には検察官の熱量も消沈してそうだけど、どう考えてもそういう時期には戦ってないしな。今現在でも一年ぐらいはこの渦中は終わらなさそうだし。
まぁ騒乱が無茶苦茶長引いたからこそより反省が促される的な部分では強い意味合いはあると思う。
Twitterでも「こんなんでもダメなのか」って言ってる人も多かったし、
自分は生粋のギャガーですって言葉の前と後ろに付けないとギャグだと分かってくれないAIと意地悪でヒマな人が増えましたし。
その後に写真付きで濃厚接触しますとか書かれたら挑発だとかゴーサインだとかに見えちゃうわよねって話で。
なんでここまで詰められなきゃならんのかを察したら、そりゃこのコロナ禍の初期の初期にこんなことされてたら詰めに詰めまくるよねっていう。
庵野が「シン・ウルトラマン」&「シン・仮面ライダー」が控えていることもあり、
かなり濃ゆい昭和特撮談義に花が咲いていて非常に興味深かった。
あの二人のクリエイティビティの源泉は昭和特撮だ、と言ってしまっても過言ではないと思う。
さてここで本題。
はてなに多い昭和50〜60年くらい生まれの世代の連中は学生時代に少年ジャンプが
全盛期だったせいか、とかくアニメと漫画ばかりを必要以上に過剰に持ち上げて、
当時洋画に押されて元気が無かった日本特撮を幼稚だショボいだとメタクソに貶す輩が多い。
この世代より生まれが5年以上早いと昭和特撮は本放送・再放送で目にしてることが多いし、
5年以上遅いと平成特撮をテレビなり劇場で見たり、あるいは昭和特撮を
レンタルで見てきた連中も多く、そこまでの拒絶感や蔑視はほとんど感じない。
最近の子供もサブスクで新旧作品が観られる分、日本特撮リベラルと言ってもいいと思う。
年寄り除くとこの限られた世代だけが日本特撮を取るに足らない低俗なモノとして、蛇蝎の如く嫌ってる。
その時期にノリダーとかゴレンジャイやってた悪影響もゼロじゃないけど、
それにしても嫌い方が酷推ぎてこの世代にあんまり近寄りたくないんだよな。
そのくせ日本特撮オタクのタランティーノやティム・バートン、最近なら
ジェームズ・ガンやギレルモ・デル・トロなんかの作品は神の如く崇めたりしちゃってさ。
それこそエヴァやシン・ゴジラもそう。お前らが好きなもんの構成成分に日本特撮は相当含まれているんだ。
一旦、色眼鏡を外して純粋に作品として楽しもうや...って言っても、もう無理だろな。彼ら既に中年に差し掛かってるから。
追記:
なんかワクチン打ちに行って一休みしてる間に思いの外、伸びてた。
脊髄反射で「ショボい」を連呼する輩たちがワラワラとさ。こいつらだよ、俺が糾弾したいのは。
なんつうか「特撮」と聞くと単に映像技術の事と捉えてるんだよな。
特殊技術が現代視点から見るとショボいという表層的な事で作品そもそもの価値や優劣が決まると信じ込んでる。
俺が言ってるのは撮影技術は勿論、緻密なデザイン・ストーリー、設定・世界観構築なども含めたトータルの話なわけ。
先の対談で松本が触れてたように、ウルトラセブンは地球人=善、宇宙人=悪という構図に常に疑問を投げかけてた。
すなわち「正義vs悪なんていうキリスト教的二元論はそもそも疑ってかかるべき」、という超リアリスティックなスタンスだった。
その思想の権化が「超兵器R1号」や「ノンマルトの使者」というエピソードだ。説明はめんどいからググってくれ。
そら今じゃその手の物はありふれてるだろうが、よく考えてみろよ?1967年製作の子供向け番組だぞ?めちゃくちゃ慧眼だろ。
次作の帰ってきたウルトラマンでは、宇宙人が聴覚障害者の無垢な少年に化けて侵略を企てる、というエピソードもある。
この宇宙人は、周囲の人間には聞き取れないテレパシーで主人公のウルトラマンを挑発し続ける。
「こいつが宇宙人だと叫んで私を引っ捕まえるか?止めとけ。周囲からきちがい扱いされるぞ。ははは。」とか嘲笑ってな。
良識ある大人たちは「聴覚障害者の無垢な少年」を疑って尋問するなんて真似は道義的にまずできない。その弱みを突いた。
ダークナイトのジョーカーも青ざめるような道徳ジレンマを容赦無く投げつけてくるわけ。これで1971年製作ね。
俺が見て欲しいのはこういう根っこや芯、いわば思想の部分である。上っ面でバカにしたり、貶すのはやめろ、って話だ。
あと、その時期には戦隊やメタルヒーロー、平成ゴジラがあっただろって指摘。これはごもっともだ。
でも、この辺を幼年期に熱心に見てたのにも関わらず、貶す奴が異様に多いんだよ。
追及してくと「あ、サンバルカンは見てたわ・・・」とか「ごめん、ギャバン好きだったかも・・・」とか白状するんだよね。
多分通過儀礼として特撮は「卒業」して、洋画やアニメに流れるっていうしきたりがあったのでは、と勝手に推測しているが。
俺の周囲だとガンダムとかリアルロボット好きな奴に多いんだよな。俺はガンダムも普通に好きだからその手の発言に出会う度に悲しくなる。
その時期のビデオ劇場オンリーのウルトラマンや仮面ライダー挙げてる奴いるが、流石にそれ系は観る人が相当限られてたと思うぞ。
俺も好きだけどね。パワードとかZOとかさ。でも悲しいけど、一般知名度は無いに等しいよ。誰も知らないよ、ケイン・コスギがウルトラマンだったなんて。
追記2:
一例として挙げたまでだよ。そんくらい分かるでしょ。俺だって話したいよ。
例えば大魔神のミニチュアの素晴らしさとかスペクトルマンの毒々しい怪獣デザインとか、
メタルダーの凱聖クールギンの常軌を逸した格好良さについてとかさ。
でもそんなマイナーなこと長々と書いても誰も見ないっしょ。
10年で区切った上に前後5年約20年間の世代を一括にしてバカにした上で
俺の周囲だと異様に多いって観測範囲も狭いし、全トラバ16個でブコメも超拡大解釈してもせいぜい悪く言ってるの10個そこらなのに
https://anond.hatelabo.jp/20210404105223
「絵やデザインが古すぎて見たくもねえわ」「ショボいしダサいし興味ない」
「でも幼稚だからな」その手のトラバやブコメはほぼほぼ見受けられないんだよな。
俺が指摘してるのはこの扱いの違い。印象だけの思考停止で否定する奴の多さよ。
俺がマイナス方面の問いかけをしたからマイナスの反応が返ってきたと言わんばかりだけど、
実際特撮が良い方面で話題になってもこれとさして変わらない反応が毎度の如く見受けられるからな。
他にも「そんな奴見たことねえよ」とか言ってる奴がいるが、ほら現に居るだろうがよ、って話。