はてなキーワード: エロゲーとは
1巻目だけ読んで、本当につまらなかった。
なんだか、悲しい気持ちになったんだ。
世間が狭いんだよ。
ラノベというジャンルで、ラノベ周辺の話題を題材に物語作ってるわけだよな。
とりわけこいつはダメだ!
パロディとかギャグとか、あるあるネタで読者に親近感と笑いを提供する物語じゃない。
まず、「当然そうなるべき世界」としてギャルゲーのお約束世界があって、
そうならない物語を書いて、世の中の儚さとか不条理とかを書こうとしている!
逆だろぉぉぉぉぉおお!!!!
げぇぇええええ!!
おげえええーーー!!!
面白いのか?
あるんだろうな、きっと。
ざくざく提供されるオタ商品を消費することしか能のない自分が、その世界の文脈の中で美少女といちゃいちゃする。
うん、理想だな!
うんちょ食ってろ!!!!
その上、何が嫌かって、どっちかって言うとお上品な話なんだよこれ!
しかも社会ってヤツは教育を受けて、立派な大人に育てと圧力だけかけてくる。
そんな現実のドロドロの心を元に物語を書いたら、こんな話よりはるかに下品な物語ができるはずなのだ。
突然異世界に召喚されてチート能力で無双してハーレム築くとかさ。
どっこいこの物語には、理想的な美少女らが脇役として、ただで居るんだよ。
求めろよ!
下品に、欲求のままに!
普通は求めても手に入らないけど、物語なんだから手に入るし、手に入れば楽しいし、その様子を読んで俺も楽しめる。
でもこいつ、全然欲しがらねえんだよ。
自分の理想の美少女との出会いと運命の物語を書こうとしても、書けません!
って、やる気あんのかゴラァ!
書けないなら書けないでいいけど、悩めや!
ヒロインとの再会と触れ合いを、消費するだけ消費して、
なーんか違うなー、って感想を持ってる、ぐらいのことしか書かれてねえんだよ!
ちっせえな!
そんなに気に食わないならヒロインを嫌いになれや!
特にタカヒロ三部作はリメイクした方が良いんじゃないかと思う。
クソゲーだったそらみずをエロい方向性で作ったOVAは大ヒットしたわけで
同じくタカヒロ作品で姉ちゃんとしようよもそれなりにヒットしてる。
原作が漫画のエロアニメはそれなりに売り上げるしシリーズ化もした。
エロゲーの方も飛田もとい比良坂先生の夜勤病棟もヒットしたじゃないか。
もうそろそろ許されてもいい頃だと思う。
テレビアニメは失敗した、じゃあ次にしなくちゃいけない事は黒歴史化して、
つよきすorこんにゃくはアニメ化してない、じゃなくてアニメ化は失敗したけど
AIRだってKanonだってリメイクして大ヒットしたじゃない。
■その1。
久しぶりに会った友達から、『ツグナヒ』を猛烈に薦められた。「最強の妹ゲーっすよ!」と言われたんだけど、筆者はひねくれているので、同じメーカーの『Treating2U』をプレイしてみることにしました。まあ、巷の評価がかなり二分しているゲームだったので、結構、気になっていたのもあるんですが。
……まず、プレイしていて気になったのは、ストーリー重視型のゲームが陥りやすい罠なんだけども、ほのぼのとした雰囲気、ハートフルな人情ものを志向するあまりに、美しい描写にこだわりすぎて、物語の勢いが一本調子になってしまっていることだ。テンポの良い会話のおかげで、キャラクターの個性は際立っているのだけど、骨格となるストーリーが相対的に弱く、物語のバランスを崩してしまった。会話が上手く流れている時は気にならないのだが、会話の回転が狂うと、途端に物語は停滞してしまう。
しかも、この作品の場合は、その停滞が主に、Hシーンで起こっているのだ。物語の方向性として、杏菜シナリオを除けば、女の子が心をさらけ出し、伊之助がそれを受け容れる構図になっているのだが、心のキャッチボールが表層だけで流れてしまっているところもあった。キャッチボールには、力任せに投げる速球もあるだろうし、わざとコースを外して投げることだってある。けれども、会話の回転が狂うことを避けようとしたのか、Hシーンでも、他のシーンと同じように、ボールを投げてしまっている感じがした。Hシーンを物語の転回点として位置づけるならば、女の子たちは伊之助に向かって、あえてビーンボールを投げるべきだったし、伊之助もそれを望むべきだったろう。Hシーンに限って言えば、伊之助はもっとお節介であっても、良かったのかも……。
しかし、登場人物たちとの交流や恋愛描写に関しては、非常に上手い部類に属すると思う。この作品を評価している人は、おそらく、この部分が特化されていることを評価しているのだろう。だけども、転回点で互いの深層にもっと踏み込んでいたら、最後の[Treating2U]は、更に効果的になったと思うのだ。はじけるような笑顔の向こう側を見たいよ……某人気ドラマの主題歌じゃないけども、良い歌には、物語を凝縮して、感情を呼び起こす力があるのだから、思い切って、もっと歌の力に頼ってしまうのも、一つのやり方だったかも知れない。
あと、ゲームとしての自由度が低いのも気になった。これは、伊之助のキャラクターイメージが際立っていることの弊害だと思う。ストーリーに没入するためには、プレイヤーが【堤 伊之助】を演じるという段階を踏まなければならないし、まあ、それ自体はいいとしても、その敷居は若干高いような気がした。媒介となる選択肢で方向性が似たものが多く、プレイヤーがストーリーに介入できる場所も少ない。それが、キャラクターの幅を、良くも悪くも制限してしまっているし、個人的なことを言えば、ストーリーは楽しかったけど、伊之助の生活を俯瞰的に観ている感じは拭えなかった。
■その2。
この点については、最初からノベルとして割り切ってしまえば、問題はなかったと思う。しかし、このゲームは、基本的にAVGのシステムで作られているので、その辺の違和感が最後まで気になってしまった。
全体としては、ストレートな物語を志向しているはずなのに、細部でボタンの掛け違いが起きているので、一つの作品として考えると、どうもバランスが良くない。この辺が、評価が二分している理由なんだと思う。
冒頭から苦言ばかり書いてしまったけれど、長所と短所の差が極端だということは、当然、長所もズバ抜けている。ただ、その長所が分かりづらいという欠点があった。どちらかと言えば、[泣き]系のゲームでありながら、それを売りにしなかったというのは、個人的には好感を持ったけど、広告や紹介記事を見て、作品コンセプトが絞れてないな、と思ったのも確かだった。
また、[エロゲーの主人公]に関しては、以前、『夜勤病棟』をレビューした際にも触れたのだが、伊之助のキャラクターが、女の子たちの存在を霞ませる程に強烈だったのは、鬼畜系ではない、この作品ではマイナスに働いてしまった気もする。
また、伊之助はニヒリズムとは無縁のキャラクターだ。これも、最近のエロゲーでは異色と言えるだろう。しかし、そんな伊之助にも、ニヒリズムの影が忍び寄るシナリオがある。
先に書いた通り、杏菜シナリオは、他のシナリオとは異なる構造を持っている。受け容れる存在としての伊之助は、このシナリオでは病気のために成立せず、杏菜にその役割を肩代わりさせる。そして、霞夜シナリオでの主題がそのまま反転して、伊之助に選択を強いるのだ。
霞夜シナリオを先にプレイした場合、この選択肢に直面することで、今度は生きることを強要される側の苦しみを味わうことになる。そして、ニヒリズムを持たない伊之助の格好良さ=完璧さも、無自覚なナルシズムの上に成り立っていて、一歩間違えれば、愛シナリオでの志摩先生と同じ過ちを犯しかねない、不安定な人間であることを悟るのだ。
その選択肢から分岐する伊之助シナリオは、己の美学を優先した結果、杏菜を伊之助の幻影に縛り付ける結末となる。伊之助に拒絶された杏菜は、受け容れる存在としての役割を全うできず、それゆえに、伊之助を理解することが出来ない。
看護婦としての職業意識で、心の眼鏡を曇らせ、ロマンティックな美学に殉じようとする伊之助を、曇った眼鏡を通して傍観することで、達成されない役割を続けていた杏菜は、伊之助シナリオの最後で、既に舞台から消えた伊之助に、幸せだったか、と問う。だが、己の美学に殉じることができた伊之助は幸せだったはずであり、そういう意味では、バッドエンドではないが……。
しかし、諦観と怨嗟が交錯した、杏菜の問いが、既に消えてしまった伊之助=プレイヤー自身に向けられることで、もう一つの選択肢である、杏菜シナリオでのエンディングが、強い印象を持ったのは確かだろう。
[生を肯定すること]をテーマに据え、病院を舞台に選んだのは、正しいと思う。だけども、同時に死も肯定しなければ、生も浮かび上がってこないような気がする……。また、杏菜&伊之助シナリオ以外では、死の予兆はあるが、全体的に、死は隠蔽されている傾向が強い。このことが、一本調子という印象を感じた、大きな原因になっている。
総合的な感想としては、全体的に素質は高いが、細かい駆け引きでの、経験不足は否めない。しかし、長所を殺さず、短所を克服できれば、次回作以降、大きく伸びる可能性を感じた作品だったのも確かだ。
■忍び寄る総括。
個人的意見。えっ、紅葉とラブラブにはなれんのですか? そうですか……がく。このゲーム、脇役な方々がいい味出しているんだけども、後半の分岐後は、影が薄くなってしまうのが残念かも。もっとも、舞台の病院から次々と消えていく寂しさは、祭りの終わりを感じさせて、それはそれでいい感じなんだけど。という訳で、今回は珍しくゲームレビューしてたような気が。ダメですか……そうですか。でもって、今回は連載一周年なのでした。
■その1。
いやー、『ONE~輝く季節へ』を、やっとこオールクリアできたので、記念(?)に、『ばらえてぃたくちくす!』を買ってきました。
「ほう、『鈴がうたう日』番外編か……あ、そういえば、本編、途中で止まったままだよ!」(またか)
……という訳で、今月は『鈴がうたう日』(以下『すずうた』)です。つーか、新作より、目の前にある積みゲーの数々をクリアしないとな……おかげで、歴史の把握が、かなーりおかしいことになってて、頭の中で文脈が混乱しまくってるよ!
さて、前半、平凡な日常描写を積み重ね、後半で非日常的な描写へ一気に持っていく構成、その対比と高揚感から、特定の感情を生み出すという演出手法は、普遍的になりつつある。実際、効果的だけど、最近は、苦痛に感じることもある……。
そして、前半と後半を繋ぐために、ある種の情緒……ファンタジー要素や少女幻想的な描写を使う作品も多い。また、日常の崩壊を匂わせる、詩的な言動や描写を、前半で伏線的に配置しておくパターンもある。
しかし、『すずうた』の場合は、何故か両方とも欠如しているのだ。前半に配置されるのは、少女幻想を前提とした詩的なラブコメ描写ではなく、あくまで少年まんが的なノリで作られたギャグ描写だ。なので、ラブコメという感触は乏しい。むしろ、ノリとしては久世光彦の作るホームドラマだ(『ムー』とか)。
前半で配置されている非日常的な要素を強いて挙げるならば、物語の発端となる、すずの来訪(登場)なのだろうが、それすらも、簡単に日常へ取り込まれていく。そのことが、後半の展開との落差に、違和感を生み出す遠因となっているようだ。
ほとんどの美少女ゲームは、恋愛の予備段階と言える状態からスタートする。犬チックな幼なじみが起こしに来たり、変人な先輩と偶然にぶつかったりするが、それらの出会いには、主人公のモノローグなどで、恋愛の予兆があらかじめ内在する。
ところが、『すずうた』は、「恋人未満、友達以上」どころか、まるっきり友達感覚な描写ばかりが続くので、その予兆が内在しない。そして、恋愛の予兆が排除された状態から、後半、一気にハードな恋愛状態へ流れ込むが、恋愛描写や少女幻想がもたらす酩酊感が全くないので、関係性の変化という事態に対し、全くフィルタがかからないのだ。よって、急性アルコール中毒になったような感覚に陥り、あまりにも不条理な災厄が降りかかったような気分になってしまう。これが、先に述べた違和感の正体だと思う。
さて、その後半に目を向けると、提示されている仕掛けはことごとく、対立する視点が介在し(七海トゥルーにおける紫姉、など)、いわば、理性で言霊の暴走を抑えている格好になっている。なので、前半の軽快さとは一転して、重苦しい展開になっている……という対比はあれど、高揚感は生まれない。従って、プレイヤーもまた、流れに乗り切れないまま、物語は終わる。おまけに、どのラストも正直、爽快とは言い難い。しかし、シナリオの手法としては、これは決して悪くない、と思う。
同じように、イベントで盛り上げるという仕掛けを排除した作品としては、『いちょうの舞う頃』が挙げられる。しかし、『すずうた』の場合は、『いちょう~』ほど明確に排除している訳ではない。むしろ、仕掛け自体は積極的に使用しているのだが、問題は、そのほとんどに意図的な抑制が働いていることだ。早い話が、ラブコメの物語構成要素に対し、再検証が行われているのだ。
ラブコメというシステムは、その発生においては、過去の歴史から断絶しようとする意志によって成立したものだった。実際、袋小路に入っていた物語に対するカウンターとしては機能を果たしたが、システムの発展に伴い、【オブジェクト嗜好】という、形骸化に陥ってしまった。
だから、『すずうた』が目標とする場所に到達するためには、言霊を抑制し、感傷に流されることを避け、登場人物たちを自律的な選択に導いていく必要があったのだろう。
■その2。
【お約束】な停滞からの逸脱=ラブコメの定番パターンからの進化。しかし、それは物語システムを自壊させる行為でもある。その意味で、この問題に最も自覚的だったのは『WhiteAlbum』だったのだが、それ故に、一部のユーザーからは生理的嫌悪にも似た反発に遭った。
物語構成要素の再検証という行為は、作品の質は上げるが、その分、間口を狭くする。ちなみに、某誌によれば、『ア○マゲドン』のプロデューサーが「観客というのは、感動的な音楽さえ流せば満足する豚だ」と言い放ったことで物議を醸したらしいのだが、目標とする対象が多ければ多いほど、低いレベルでの記号化は強まる。水は低きに流れるものでして……。まあ、だからといって、エアロスミスの音楽は正解だとしても、出演女優をフェラチオの上手さだけで決めるのはどうかと思うがなあ……っと、話を戻そう(笑)。
つまり、【恋愛】というファンタジーをめぐる、物語システムとしての【ラブコメ】が直面している問題に対し、停滞からの逸脱を目指した上で、恋愛関係の可能性を描こうとした場合、必然的に、既存のパターンにはない微妙な感情を描いていくしかない。同時に、それは、類型化された方程式を否定していく作業になる。記号のイメージに頼ったテキスト作りは許されない上に、記号によるお約束に慣れた(眼鏡っ娘=内気、とか)ユーザーからは反感を買う……正直、茨の道ではある。
でも、逸脱の手段として、日常においての自律的選択(自力本願)という方向性を追求した作品群の中では、『すずうた』のテキストは、かなりの強度を持っていると思う。
例えば、『ONE~輝く季節へ』の場合は、日常から非日常、そして、日常へという流れを持っているが、『すずうた』の場合、日常から日常へと繋いでいく。しかし、前半で提示される日常は、後半で提示される現実の上に成り立った、虚構に限りなく近い日々なのだ。そして、その断層から、過去の幻影と現在を繋ぐという、もう一つのテーマが浮かび上がってくる。あと、女の子たちの物語への感情移入よりも、日常の脆さを提示されることが優先されているのが、筆者には新鮮だった。まあ、恋愛小説というよりは、教養小説っぽくなった感じもするが……。
それから、感心したのは、父性&母性の扱い方だ。すずシナリオでは、後半、唐突に父親との相克がテーマとして浮かび上がるのだが、過剰な行動には至らない。逆に、蛍トゥルーでは、負の母性との相克がテーマになるが、これまた、過剰な補完行動には至らない。類型的な受容と和解で解決してしまい、結局、依存から逃れられない作品が目立つ中で、『すずうた』の登場人物たちは、周囲の助けを借りながらも、あくまで自律的に運命を選択していく。
他人の犠牲も含めた上での自律的な選択は、『WhiteAlbum』の場合もそうだったが、必ずしも許容できるものではないだろう。しかし、偶然と選択の危うい積み重ねの結果である、平凡な日常が脆いように、全員が幸せに笑っていられる優しい世界もまた、脆さを内包しているのだ。
そして、わずかに残った非日常的な要素(すず)も、全てを無に帰すほどの力を持っている訳ではなく、奇跡=解決にならない。だから、コールタールのようにまとわりつく現実から救われることもないし、すずの存在もまた、過去の記憶として、日常的に失われていくものの一つとして、現実に組み込まれていく。
だからこそ、むしろ、哀惜という感情が静かに流れ込んでくるのだけど、美少女ゲームとしてのカタルシスは欠いているのかも知れない。
しかし、あくまで自律的な行動によって、過去の欠損を補填していこうとする、ささやかな意志の方が、ゲームを終了し、物語がプレイヤーの現実に取り込まれた際に、有効に機能するのではないだろうか?
過去の日常と現実の日常を再接続する物語に触れることで、個人の物語も再生する……それが、歴史を紡ぐのだと……筆者は思うのだが。
■ちっとも終わらない近況。
仕事がここに来て、がーっと集中してしまい、一日7時間ファミレスに籠もって、モバイルギアのキーボード叩いても、ちっとも終わる気配がないよ……(迷惑)。脈絡不明な仕事ばっかしているので、最近は「本業は編集者」とは言えなくなってきたですよ……。
あ、事務所のホームページに、このコラムのバックナンバー再録を始めました。とりあえず、昨年分はアップ済。つーか、次回で連載一周年なのか。エロゲーのテキスト解釈だけで一年も続けるんじゃないよ、俺。もっとも、結構辛いけど、それなりに面白くなってきたので、もう少し続ける予定です。最初は、もう少し普通(?)のゲームレビューにするつもりだったのに……脱線しすぎ。
■本文。
今回プレイした『夜勤病棟』もそうなのだが、ダーク系の美少女ゲームの場合は、非日常的な体験を核としている以上、表層的には、プレイヤーから遠い存在でなければならない。無論、内面的には、闇の部分を共有させる必要性もあるのだが。
なので、ダーク系のゲームの場合、プレイヤーがダイレクトに投影できるような、無個性な主人公では駄目なのだ。もっとも、『河原崎家の一族』のように[覗き見る]ということに主題を置いたゲームは例外なのだけども、基本的に、背徳的な行為を行う、プレイヤーの代理人である主人公は、アクが強く、ウィットに富み、性的な超人だ。それは、恋愛系の美少女ゲームに於ける主人公像とは、鏡像的な関係にあると言えるだろうし、それは……フランス書院文庫や、マドンナメイトといった、既存のポルノ小説を支配する概念だったりもする。
そして、それらに共通する超人願望を、悪しきマッチョイズムと評する人もいるのだが、ポルノメディアは本来、男性原理が基盤となっているものだから、それを責めるのは、ちょっと違うような気もする……ポルノメディアとは、本質的に「そういうもの」なのだ。
そういう意味では、ゲリラ戦の天才であり、エロゲー界のチェ・ゲバラとも言える臭作さんは、まさに完璧超人だったんだけど、『夜勤病棟』の主人公である[比良坂竜二]の場合は、調教者としての天才的な手腕よりも、コミュニケーション不能者としての印象が先に立つ。性格が狡猾な割には、根が幼稚というか……ほとんど子供です。なので、キャラクターとしては、『好き好き大好き!』のラバーフェチな主人公に近いと思う。特定のイコンに対する執着……竜二の場合はスカトロジーへの執着が強いというあたりも似ているかもしれない。となると、ゲバラというよりはカストロかなあ(何を言ってやがる)。
まあ、感情移入するには紙一重の人物設定なのだが、実はこの落差がダーク系では重要だったりもする。個人的には、竜二となら美味い酒が飲めそうな気がするが。同病相憐れむ、といった感じか……。
ところで、竜二の場合は、歪んだ支配欲(自己顕示欲)の背景となっている、自分のコンプレックスに言及している箇所が、やたらと目立つ。例えば、恋に対する感情の変化は、ある意味で[お約束]と言えるが、同時に、[お約束]に対する違和感を描いているという面もある。
例えば、お近付きの印に花を貰っただけで、相手が自分に恋愛感情を抱いていると思い込み、その相手に恋人がいることが判明すると一転して、逆恨み的な復讐を誓う……という心の動きは、暗く、自己中心的な欲望ではある。しかし、子供的であるが故に、一定の共感を持つことはできる。けれども、非日常的な舞台&人物設定は、過剰な思い入れを抑える。結果、ダーク系な美少女ゲームで、最も重要な[紙一重]の感覚を上手く成立させているのだ。
そして、『夜勤病棟』という作品は、被調教者の心理描写に加え、調教者の心理描写にも踏み込んだことで、『雫』や『好き好き大好き!』といった作品の系譜で捉えることもできるだろう。もっとも、前出の作品に比べると、非常に明るめな印象はある。これは、従来のポルノ小説に於ける、エアブラシを用いたリアル系イラストレーションとは正反対な、淡くパステルカラー系なグラフィックを用いていながら、作品的には、ポルノ小説の世界観を骨格として援用していることに起因する。結果、一種の異化効果が働き、独特の雰囲気を醸し出している。
そして、前号の原稿でも書いた、マッチョイズムにもフェミニズムにも共感できなかった人々にとっての信仰……という要素が強い、前出の二作品と同じ文脈で語れるであろう要素を持ちながらも、『夜勤病棟』という作品は、従来の定型……つまり、マッチョイズム寄りの作品としても成立しているという、不思議な立ち位置のゲームだったりする。
無論、ポルノメディアとして捉えた場合は、こちらの方が正統であることは言うまでもないし、不思議な立ち位置を確保していることが、昨年あたりからの手詰まりな状況に対し、ちょっとしたヒントになるんじゃないかな……という気はするんだけど、どうなんだろうか……?
でもって、また、話がズレるんだけど、ダーク系とは逆に、恋愛系ゲームの場合は、主人公の意志がプレイヤーの意志と同一化し……シンクロ率を上げ、それが頂点に達したところで、何らかの感情を獲得し、それが[快楽]に繋がっている。つまり、涙を流すことが、射精の代理行為として成立するケースもある、ということだ。まあ、調教によって隷従させるのも、恋愛によって心の繋がりを構築するのも、繋がったことに対する快楽という点では大差ないような気もするのだが……。
だから、表面的な情念をノイズとして、削ぎ落とし、隠匿した、いわゆる村上春樹的な文体の方が、実は好ましかったりもする。この場合、隠匿された情念を追い求めることが、セックスと同じく、快楽を生み出す行為になるのだろう。もっとも、その文体で、えっちシーンを構築するのは難しいのだけど……。
何故なら、恋愛は情念を削ぎ落としても、ある程度は成立できるが、エロという部分を記号化するには限界がある。早い話、情念を削ぐと、色気も失せてしまうのだ。ただ、ポルノ小説という場所では、別の意味でフォーマットが確立されていて、記号的な表現技法として体系化されている。しかし、記号化したのは主に、表層の情念なので、両者を組み合わせると、水と油のような状態になってしまう。
これは、前々回で『夏祭』をレビューした際にも言及したが、恋愛系の美少女ゲームでえっちシーンになると、途端に主人公が饒舌になり、オヤジ臭くなるのは、親和性の限界を完全にクリアしていない証拠でもある。恋愛描写とセックス描写の食い違いが、萌えと泣きの二項対立を助長しているとも言えるし、逆に、美少女ゲームが、まだ進化の余地を残している証拠でもある。
さて、進化に関連することとして、美少女ゲームが持つ物語媒体としての構造については、一部のユーザーの間では、ファンサイトという形で研究されているが、主に[トラウマ]と[癒し]という現象にのみ、着目しているケースが多く、セックスという行為に介在する身体的な感覚や、その意味性については、やや軽視される傾向があるようだ。
ただ、これは作り手の側の問題でもある。しかも、意図的に言及を避けている作品もあるから、仕方が無い……という面もあるのだ。加えて、マッチョイズムとフェミニズムの類型的なイメージを排除しようとすると、同時に、性的な要素を排除しようとする力が、無自覚に働いてしまう……というのもある。
そして、フェミニズムの影響に囚われがちな、サブカル系のジェンダー化運動に比べれば、美少女ゲームを含めた、オタク向けポルノメディアの方が、思考の行動範囲は広いと言えるかも知れない。自由度が高い、とも言えるのかな……その分、目標が曖昧なので、途方に暮れたりもするのだけど。しかし、既存のジェンダー区分が持つイメージとは異なるものを構築する可能性、という意味では、共通しているだろう。
■畜生にも劣る総括。
萌え不能症気味の筆者は、センチメンタルな感傷や同情ではなかなか泣けなくて、むしろ、物語の流れにシンクロして感極まるって感じなんだけど、これって、結局、同じことなのかなあ……分からん。あ、あと、そろそろホームページ更新します……過去原稿もそろそろアップしないと……げふ。
■イントロ。
今回の【N.C.P.】は、『へっぽこ通信』のへっぽこくん氏と二人で、1999年度のベスト5を選ぶ……という、年間総括だったりします。あと、例によって筆者の暗い文章。とほ。
おいら的に今年やったゲームって事で……(汗) 発売は去年かも……多数?
1 Kanon
2 ぱすてるチャイム
3 がんぶる
4 days innocent
1→久々にやりまくりでした~音楽と絵のタイミングがよかった。
2→コレットさんが成長しちゃうところがマイナスですが、ぶかTシャツにスパッツはよい。
3→全てが丁寧に作られた感じがよいいなり。ただパッドがないと最後つらかった。
4→一部当てはまらないけど、精神的にはみんなずーれーだから。
5→はじめて、ごんぽりーな女の子が可愛く見えた。(EDENは今年の作品なのかわからないけど……やったのは今年)
【個人的総括】
うーん、今年はKanonですかねぇ~。何はともあれ、音楽が好きかも~。当時はアレンジCD聴きまくってました。オープニングからかっちょよろしくて、ぶるぶるきました。他的には……う~ん『days~』がえろ~すゲームとしてはえろかったかなぁ。後は可愛いので選んでしまった感じ。
実際、まだ全部のゲーム終えれてないので、今やってるママトトとかがランクインしてた可能性もあるんですけど、いかんせん、おいらゲームはじめる前にねかして熟成した頃にやるから(^^; 故に、ママトトやダークロウズは、すでに来年のゲームな位置づけなり。個人的には、大作なえろーすRPGをやりたいなり~(闘神都市2みたいな)
実は、キャラ的には沙耶(ぱすてるチャイム)だったりします……へふ。
1 フロレアール
2 Kanon
3 とらいあんぐるハート2
4 くるみちゃん あ・そ・ぼ◆
5 憧れ
1→巧みに構築された論理と悲劇……と書くと『総長賭博』っぽい?(誰も分かりません)
2→バランスの悪さはあれど、印象は強烈。でも、えろげーとしてはちょっと辛いかも……(全年齢版出るけど)。
3→昔気質のラブコメ魂と意地を感じさせる作品だと思う。中毒性はメチャ高い。
5→アダルトで上品に抑えた雰囲気がナイス。女教師ゲーとしては最強かも。
【個人的総括】
今年はエロゲー界のチェ・ゲバラこと、臭作さんのようなヒーロー不在で寂し……もとい、昨年に比べると、大手・中堅メーカーに意欲作が少なく、面白みに欠けたかも。大作ばかりでなく、味のある小品がもっと増えないと、全体の層が薄くなる一方だと思う……。
あと、恋愛描写の水準は強まっているけど、全体的にえっち度が弱まっているような感じが、ちょっとあるなあ……。キャラ萌え&ストーリー重視な流れの弊害かも知れないけど、えろげーはやっぱり、エレクチオンさせてナンボ!って気はするですね(小池先生ライクな台詞)。……いや、Kanonもかなり好きですが~。
■本文。
親がとある新興宗教の狂信者だったので、生まれてからずっと、カルト的なコミューンの中で育った。ある時、その閉鎖性に気づいて、家を飛び出した。でも、辿り着いたのは、[オタク]という別のカルトだった。
それはそれとして、1999年の美少女ゲーム界で最も気になっているのは、ジャンルとしての共通言語が失われつつあるな、ということだったりする。[萌え]と[泣き]の両極がそれぞれ先鋭化し、カルト的なコミューンが形成されつつあるようにも見えるのだ。具体的に書く気すら起きないが、コミケの企業ブースやデジフェスで、毎回決まったように起こる混乱は、そのあたりの空気を微妙に表していると言えるだろう。
量的な飽和と多様化が、ユーザーの細分化をもたらしている。そのこと自体は悪くないと思うが、それがカルト的な求心力を持ってしまうことには、危惧を抱かざるを得ない。そして、[萌え]=キャラクター志向派、[泣き]=ストーリー志向派……という図式が発展していく過程で、両者がそれぞれ保守化し、一部では対立の構図も見られるようになっている……というのは、美少女ゲームというジャンル全体を考えるに、不幸な結果しかもたらさないのではないか? という気がするのだ。
早い話が、筆者が、ある陣営のゲームについて、コラムを書くだけで、別の陣営には激悪な印象を与えている……という状況が、厳然と存在していて、どうも息苦しいのだ。
さっき、「カルト的」と書いたのは、特定のイデオロギーを通してでしか、ゲームや人間関係を判断できない人が、あまりにも増えてしまったからだ。元々、美少女ゲームには、フェミニズムやマッチョイズムに属することのできなかった人々にとっての宗教という側面はあるが……。
例えば、神仏を信じられない人のために、心霊主義(スピリチュアリズム)や科学信仰があるように、それ自体はごく自然なものなんだけど、行き過ぎると単なる狂信者になってしまうのは、どちらも同じだ。筆者も、昔は狂信の極みにいたしね。
だから、このコラムも、印象批評的な文章はすっかり書けなくなってしまった。どうしても状況論的なものに終始してしまうのは、印象批評を書いた瞬間に、どちらかの陣営に与したと見なされ、筆者の友人は半分に減ってしまうからだ。これがまた、かなり実話だったりするから笑えないんだけどさ……。
別に[萌え]でも[泣き]でも、どちらでもいいのだ。出来上がったゲームが面白ければ。いや、本当に心を動かされるような良質の物語は、[萌え]と[泣き]を内包しつつ、そんなイデオロギーの枠組みすら超えてしまうはずなのだ。だいたい、イデオロギー抜きの意見を述べるのが最も難しいという状況は、冗談抜きでふざけているとしか思えない。好きなゲームを好きと言えないって、どういうことだい?
まあ、美少女ゲーム業界に限らず、どこの世界でもそうなりつつあるのは確かである。編集やライターを生業とする筆者の周辺でも、オタク系とサブカル系でお互い反目しているので、人間関係では要らぬ苦労を強いられる。全てのジャンルにおいて、そういった対立構造が必ず存在し、延々と繰り返されているメビウスの輪の中で、閉塞感だけが肥大していく……そんな悪夢が年々、増幅されているような気がする。
だから、もう嫌なのだ。オタク世界全体に漂っている、奇妙な停滞感が。何より、汲み取るべきものが見当たらないから、何も編集する気が起きないし。よって、編集者としては、秋から休業中だったりする。なんだか、自分の話ばかりで申し訳ない上に、冒頭から変なことをカミングアウトしているんだけども、今回の年間総括は、この連載を一年近く続けてきた、自分に対しての総括でもあるのです。申し訳ない……。
最後に、[萌え][泣き]……どちらにしても、[癒し]を大量消費している構造には変わりはない。問題は、[癒し]という概念が、思考の暴走を抑えるという、本来の意味を失い、思考停止の為だけに使われていることである。何も考えないために、生まれてくる全てのものを消費していくのだとしたら、これほど不毛なことはない。これはもう、「終わらない日常」どころじゃない。だいたい、始まってもいないのだから。何となく、『キッズ・リターン』のラストみたいだけども。
この状況に対して本当に必要なのは、ノイズを削ぎ落とし、完成された構造の作品ではなく、むしろ、ノイズとされてしまった要素を積極的に取り込み、想像力の領域を拡げ……ポストモダンを超えていく作品だと思う。新しい[魔法]の材料は、ノイズの中にしかないのだから。
しかし、閉塞を乗り越えた作品も時が過ぎていくにつれ、カルトに取り込まれ、更なる閉塞へ向かって保守化してしまう。そう、どんなに素晴らしい魔法も、[メディアミックス]という名の魔物による、カルト性を帯びた資本主義の洗礼によって、いつかは解けてしまうのだ……。
もっとも、商売としては、カルト化して、一定数のユーザー=信者から、大量の金を収奪するシステムにしてしまった方が、美味しいんだろうけど……その辺は、世間を騒がせている『法の華』や『ライフスペース』の事件を見ても分かる通りで……カルトの信者ほど、財布の紐が緩い人々はいないからねえ……。
それでも……いや、だからこそ、作り手とユーザーは、次々と新しい魔法……新しい物語を目指さなければならないのではないだろうか?
それは、思考停止して閉塞へと向かっていくカルトの罠から、自立していくために必要なことだ。更に言えば、進化と消費は、セットであるべきもので、乖離してしまっては、全く意味を成さないのだ。
つーか、逃げるために消費するのは、もう止めようや。キャラクターへの愛情は、グッズに注ぎ込んだ金額じゃ計れないんだぜ!(←バカ)
■総括の総括というか、感想。
毎年恒例(?)年間総括……と思ったら、周りにバランス良くえろげーをやってる人が、へっぽこさんしかいないという……いや、それ以前に、えろげーをバリバリやってる人もいない……何故~?
という訳で……へっぽこさん、今回は本当に、ありがとうございました~。
■その1。
発端は、とあるまんが家と喫茶店で打ち合わせている時だった。お互い、ヘビーな美少女ゲーマーだったので、自然と最近のゲームの話になったのだけど、『Kanon』の話になった途端、そのまんが家は激昂し、強硬に『Kanon』を否定したのだ。激昂の理由は後述するけど、普段は温厚なそのまんが家を激昂させた、『Kanon』というゲームはどんなゲームなんだろうか……という興味が(本人には悪いが)沸いたし、何よりも、巷では大人気のはずなのに、筆者の周辺でプレイした人が、まるでいなかったのも気になっていた。
『Kanon』というゲームが、恋愛系ゲームに興味の薄い人間にとって、敷居が高いのは確かだ。コアなファンは多いのに、その面白さはプレイしていない人には、なかなか伝わって来ない。実際、雑誌の紹介記事を読んでも、「今泉伸二のまんがより泣ける!」程度しか分からないし(すまん、古いギャグで)、何より、雑誌ごとに扱いの大きさが極端に違っていた。しかも、筆者は『MOON.』も『ONE~輝く季節へ~』もプレイしていなかったので尚更だ。
……さて、ゲームをプレイしての印象だけども、音楽を含めた演出面は素晴らしいし、シナリオも読んでいて引き込まれる力は十分にある。そういう意味では良質の作品なのかも知れない。でも、正直言って、全体にバランスが悪すぎる……というか、凡庸な部分と突出した部分の落差が激しすぎるのだ。
まず、シナリオに関して、引き込まれつつも、違和感を感じていた。何故なら、どのシナリオも不条理が剥き出しの状態で、そこにあるからだ。この物語での不条理とは、主に[祈り]と[奇蹟]にまつわる部分で、物語の根幹を成す部分なのだけど、物語を形成する要素としての世界観や、恋愛に至る過程といった場所での論理がどれもこれも飛躍し過ぎている。それは、意図的なのかも知れないが、結果、説明不足に陥っている場所が大量に存在するのはどんなものか……と思っていた。
……更に本質的な問題として、エロゲーとしては全く成立していないのだ。これについてはもう論外としか言いようがないし、ゲームとして見た場合、『Kanon』は、整合性というものが全く欠けていた。
しかし……そんな欠点がゴロゴロしているにも関わらず、筆者の評価は悪くない。悪くないどころか、個人的には極めて面白かったのだ。じゃあ、何で面白かったのか……それが最大の問題だった。
話は逸れるが、物語を構築する要素というのは、ウラジミール・プロップの「26のカード」以降、現在では分析され、かなり法則化されている。更に、近代化に伴って、スピリチュアルで曖昧だった物語要素は、更に表層的な記号へ解体され、方程式を組むように商品を作ることができるようになったし、記号の選択と方程式の組み方さえ間違えなければ、ユーザーを「泣き」や「萌え」の状態に導くのも、割と簡単にできる。実際、ほとんどのおたく向けヒット商品&作品はそういう計算の上で作られている。逆に、ヒットしない商品のヒットしない理由とは、作り手の創作性……悪く言えば、偏執的なこだわりがノイズになってしまったケースが大半だったりする。
そして、全ての事象が表層的な記号へ分解されていくこの状況が、この連載で何度も書いてきた[オブジェクト嗜好]の正体で、別の場所では[ポストモダン]と呼ばれていた状況だったのだ。
■その2。
商品として成立させるために、計算によって整合性を高めると、計算できない要素はノイズとして排除されてしまう。例えば、スピリチュアルな物語要素の代表例である[奇蹟]は、近年は「陳腐なもの」として、扱うことを避ける傾向にある。
何故なら、ロボットならいざ知らず、人の生死に関する[奇蹟]は極めて不条理で、論理的な説明が困難だからだ。確かに、『To Heart』でも、いくつかの[奇蹟]は存在したが、論理的に説明できる程度に抑え、逸脱することを防いでいた。これは、日常性の維持=普遍性を、物語世界の根幹に据えていたからだろう。
ところが、『Kanon』の場合は、[奇蹟]を、物語世界の根幹に据えてしまった。作り手が日常から逸脱してしまうことを覚悟していたかどうかは分からない。しかし、『Kanon』は表層的な設定よりも、ドラマトゥルギー的な主義主張が先に立っている作品で、キャラクターの記号性で、その綻びを強引に追補していた。それでも、原初的な物語要素……スピリチュアルな展開、に対する思い入れが強すぎて、全体のバランスが崩れることは食い止められなかった。
これではどう見ても、物語として完結させるのは困難で、ああ、このまま破綻したまま終わるのかな……と思いきや、[奇蹟]によって力づくで完結させてしまったのだ。これはとても希有なことだと思う。
だけども、同時にこの作品は、表層的にも、「泣き」や「萌え」という要素を達成して、商品としても成立している。いわば、作品が二重構造になっており、そのことが先に述べた敷居の高さの原因になっているのだろう。しかし、記号の組み合わせにも、緻密な計算や、意図的なものが、いまいち感じられないのだ。
肝心の文章そのものにしてもそうだ。シナリオの構成自体は随所で破綻しているにも関わらず、文章が独特のリズム感と情念を持っていて、物語に引き込まれてしまう。キャラクター描写やストーリー展開で、同じパターンを反復している箇所も多く、もちろん、ある程度の計算は感じさせるのだけど、全体としては緻密な計算より、感覚を優先したように見える。こういう文章を昔、読んだことがあるな……と思ったら、思い出した。平井和正の小説……それも、『幻魔大戦』や『地球樹の女神』あたりの感覚に近い。
平井和正は、自身の紡ぐ物語を「言霊が降りてくる」と表現していたが、それが結果として、[天然の美]となっていた。単純に比べるには抵抗はあるが、『Kanon』についても同じことが言えるだろう。そして、計算だけでは超えられなかった、魔術めいた部分が、このゲームの最大の魅力なのだと思った。
更に、私見ではあるが、ファンの心性も似た傾向があるように思う。これは、どちらにも共通するのだが、作り手はいざ知らず、ユーザー側が全員、[ポストモダン]という状況を肯定している訳ではない。その状況に戸惑ったり、諦観していたりする人々も存在する。そして、そんな最先端から取り残された人々の存在に思いを馳せなければ見えないものも、また存在するのだ。
本誌(カラフルピュアガール)の若い読者は、最先端の絵柄で上手いという理由だけで美少女ゲームを買うかも知れないが、そういう人には、『Kanon』が売れる理由は多分、分からないだろう。
絵描きにしてもそうだけど、[作り手]と呼ばれる人々は、常に最先端を追い続ける義務感を持っている。そういう人々が、立ち止まることを肯定してしまうような作品を否定するのは、無理もない。冒頭の出来事の原因もまた、そういうことだったし、筆者も、順調に本業だけ続けていれば=最先端を追いかけていれば、こういう視点は持たなかったろう。けれども、筆者にとっては、最先端の行き着くところは[ポストモダン]という名の絶望だったのだ……。
しかし、今回のプレイでの教訓は、[真・善・美]が最先端の中にあるとは限らない、ということだ。問題は、突き進むにしても、立ち止まるにしても、そこで何を成すか、想像力の限界を拡げることができるかどうか、なのだと思う。
■複雑な気分の総括。
真琴シナリオをプレイしていたら、ネームに詰まったかかしあさひろが遊びに来た。そして、後半の反復する連鎖コンボのような展開を見ながら「ああ、こりゃルネッサンスだな」と言った。おそらく、タイトルから何か連想して言ったのだろう。
しかし、これは面白い発言だ。エヴァ以降、完結しない物語が当たり前になり、影響を受けた若い世代は、技術至上主義のビジュアル志向に走り、物語という概念すら放棄しかねないという状況……そんな、進化による閉塞から逃れるための、前近代への回帰として考えると、『Kanon』という、無謀極まりない物語は、微妙な可能性を秘めていると思う。まあ、それは別の閉塞なのかも知れないけど……。
■連載のはじめに。
コンシューマー系のギャルゲーバブルも、そろそろはじけかけている今日この頃ですが、アリスソフトというメーカーは、良くも悪くもマイペースで、ギャルゲー(非18禁)とエロゲー(18禁)の境界線を、自由気ままに闊歩しているという印象があります。そして、その分、バランス感覚に気を配っているメーカーでもあると思います。ただ、ギャルゲーもエロゲーも、バブル的な市場の拡大が起こってしまった現在は、同時に多くの価値観が提示されてしまった世界でもあると思うのです。まあ、エロゲーの世界は元々、無秩序・無軌道・反社会的で『仁義なき戦い』のような世界ではあるんですけど、それにしても価値観が乱立し過ぎてねえか、というか、既にレーベル数を、本職の美少女ゲーム誌の編集者が把握しきれない、そんな状況の中で、今後のアリスソフトを占う上でも、『ぱすてるチャイム』は興味深い作品だと思ったのですよ。ええ。
■全体を俯瞰して。
さて、そんな昨今の状況に対して、うっかり中出ししてその後始末を考えるような、ちっともタイムリーで無い、珍妙な美少女ゲームコラムの第一回のお題は、アリスソフト久々のRPG『ぱすてるチャイム』でございます。
もう、発売してから結構経っているので、改めて説明しなくてもいいと思うんだけど、『ぱすてるチャイム』は、育成ものと恋愛SLGの要素を加えた、ダンジョン探索型のRPGです。4人の女の子達と協力して冒険していくうちに、喜怒哀楽がで悲喜こもごもなイベントがあって……というのが、美少女ゲームとしての、一番メインの要素なのだけども、心配していたのは、これらの要素が、一つのゲームとして、まとまっているかどうかという点だった。とりあえず、その辺からゲームを俯瞰していくことにしましょう。
まず、RPG部分に関しては、アリスソフトの伝統的な操作体系を継承していて、かなりプレイしやすいシステムになっている。ただ、作り込んではあるんだけど、昔ながらの経験値稼ぎ系のゲームなので、特に、最近のコンシューマー系のRPGに慣れてしまっている人には、戦闘シーンが、システムに慣れてくるとすぐに単純作業になってしまうあたり、ちと辛いかも知れない。
戦闘シーンのビジュアルが基本的には静止画だけで、キャラクターの台詞でメリハリをつけるというのは、作業の効率という点では好感が持てるんだけど、淡泊というか、単純作業という点を強調してしまった面も。例えば、『ファーランドストーリー』や、アリスソフトだと、『かえるにょぱにょーん』の戦闘シーンにもあった、チビキャラアニメみたいなものがあっても良かったかも知れない。まあ、筆者はそういうのがうざったい、かなりせっかちな人なので、OFFにしてしまいますが、多分。
むしろ、気になった点としては、恋愛SLG部分の方で、ゲーム時間と比較して、イベント数が少ないのだ。一つ一つのイベントは台詞回しなども含めて、よく練り込まれているのだが、一学期から二学期にかけて、シナリオが分岐するまでのイベントが少ない。これは、キャラ固有イベントに比べて、共通イベントが少ないからだと思うし、週末のデートイベントがテキストだけで、しかも、数パターンしか無いってのも、ちょっと寂しかったな。しかも、キャラ固有のイベントは、見逃したら次のイベントに繋がらない……というものもあるので、フラグ立てをしくじると、本当に味気ないプレイになってしまう。まあ、普通は途中で気がついて、途中のセーブデータでやり直すのだろうけど……。
正直、『ぱすてるチャイム』というゲームは、かなりストイックなゲームだと思いました。そして、アリスソフトというメーカーもまた、ストイックなのだと、改めて思いました。確かに、『闘神都市Ⅱ』や『デアボリカ』といった、一見ロマンティックな美少女ゲームに見せかけておきながら、しっかり心にはドスが突き狂っている凶暴な名作群に比べれば、その獰猛さは幾分抑えられています。でも、アリスソフトの濃厚な持ち味は『ぱすてるチャイム』のような、ライトな娯楽作品でもきちんと健在です。深作映画に例えるなら、『闘神都市Ⅱ』や『デアボリカ』が、『仁義なき戦い』『仁義の墓場』で、『ぱすてるチャイム』は『資金源強奪』ですかね?(ますます分かりません)
ただ、プレイする側の考え方は、時代に合わせて変わるのだろうし、独自のスタンスというものが、乱立する価値観の中に埋もれてしまうかも知れない……そんな懸念はあれど、筆者は、昔と変わらない毅然とした態度を維持している、このメーカーをこれからも支持していきたいと思ったのですよ。
ボーイッシュを通り越して、豪快な漢気と魅力を発散する沙耶と主人公の関係は、盃を交わした男同士の友情すら感じさせるのだけど、少しずつその関係性が崩れていくというか、主人公以上に、沙耶の方が、芽生えた感情を制御できなくなっていくあたりの描写が、なんともいじらしくて良い良い良い。
ミュウとコレットのシナリオは割と恋のさや当て的な感じなんだけど、沙耶とセレスのシナリオは、グローイングアップ的な展開が強調されている。特に、H以降の関係性の描写に重きを置いている点は、好みもあるだろうけど、個人的には好感が持てる。Hが最終目的ではなく、Hも含めて、他人との関係性の中で真の強さを見つけていく描写は、アリスソフトの得意とする所でもあります。まあ、『闘神都市2』みたいな、キツイ一発……いや、ハードな展開は無いですけどね。あっても困るけど。
天然ボケで内気で弱気で眼鏡っ娘エルフで、しかも巨乳という、このゲームで一番えろーすなボディのナオン。おまけに、陰湿ないじめに遭っていた所を助けたのがきっかけでパーティーを組むという、まるで、おおばやしみゆきのまんがのような出会いだったりもするのだ(分かりません)。どこか人生を諦め、現実から目を背けていた自分を再び見つめ直す……というのが、この娘のシナリオの特徴。得意技能はスカウトで弓使い。スカウト技能が無いと、探索の時にロクに扉も開けられないので、セレスと組むにしても、組まないにしても、、主人公が1レベルだけでもスキルを取っておくとプレイが楽ですよ。
沙耶
タイマンでは負け知らずな武闘派の戦士で、剣の腕は赤銅鈴之助や隠密剣士以上(予想)、主人公に着替えを見られてもへっちゃらちゃらーな、漢気溢れる美少女である。褐色の肌にスポーツブラが眩しいよ! ただ、時々男勝りな自分への不信感が見え隠れしたりもするのがやはり女の子。そんな沙耶のシナリオは、男勝りで凄腕の戦士というパプリックイメージと、一人の女の子である自分の気持ちの間で揺れ動く、というもの。展開が一番筆者のツボにストライクしたのは、別項の通り。あと、スポーツ少女なので、やっぱり引き締まったいい足してます(どこを見てますかあなたは)。実家はそば屋らしい。
赤いランドセルとスパッツがマニアックでタマランチ会長なロリっ子ハーフエルフ。主人公とは因縁めいたものがあるらしく、転校初日の初対面からフレイムアローでマトにかけるヒットマンぶりを見せる。元気いっぱいで、騒々しさと気の強さでは『仁義なき戦い』の大友勝利にも匹敵する武闘派魔法使いでもある(言い過ぎ)。戦闘時にはキリングマシーンと化して、攻撃呪文を撃ちまくるが、MPの消費も早いので気を付けよう。先の因縁と空白の時間という二つの引っかかりを少しずつ踏み越えていくのがシナリオの主題で、ラストの展開は色々な意味で驚かされます。NPCのステータスが回復できなかったのも驚いたけど。
ミューゼル
ヒロインなので赤毛の犬系キャラ……という訳でも無いんだろうけど、やっぱり幼なじみなのですよ。面倒見はいいし、神術が得意で、詠唱では全国2位。まさに非の打ち所のない正統派ヒロインなのだけど、持ち前の人当たりの良さは、自己主張が控えめでおとなしいということでもあるので、それが時々裏目に出たりもする。でも、武装した生徒で溢れ返っている舞弦学園が『熱笑!花沢高校』にならないのはこの娘のおかげ(かも)。やっぱりヒロインなので、シナリオはきっちり手堅くまとめられてます。主人公との関係性はもちろんだけど、コレットとの友情が、描写として印象的な所が多いのだ。
■あとがき。
なーんか偉そうなことを延々と書いていますけど、元々は某美少女まんが誌のゲームコラム用に買ったという名目はあれど、動機は完全にキャラ萌えなので世の中そんなものです。沙耶沙耶沙耶。『かえるにょ・ぱにょーん』だって、しっかりクリアしたさ!
おまけに、このゲームのレビューを書こうと思っていた、某美少女まんが誌のゲームコラムの方は、書く直前に打ち切られてしまって、危うくお蔵入りになるかと思っていたんだけども、捨てる神あれば拾う神あり。というか、やらんと収入が(中略)。さて、次回の『N.C.P』(←略称)のお題は……えーと、今回の原稿を書いていたら、調子に乗り過ぎて規定の字数を大幅オーバーしてしまったので、『ぱすてるチャイム』の続きと、もう一本は、待望の『ベストプレープロ野球Win版』かな……すいません、うそです。まだ決めてません。では、また。[更科修一郎(FAKEOFFICE)]
ヒロインが学生だろうと良いところのお嬢様だろうと一切構わず無計画に避妊なしの性行為を行い、
その後の話でも妊娠しているかもしれない事実には一切触れずにヒロインや主人公は何食わぬ顔でいつもの日常をただただ全うする。
ヒロインの人権なんて一切考えない寝取られゲーの間男だろうとヒロインのことを常に第一に考えて徹底して紳士的な振る舞いを貫いた純愛ゲーの主人公だろうとこのスタンスは基本的には変わらない。
こういうエロゲをやる度に「都合の良いときだけ妊娠という概念が消えてなくなる世界」のお話を見ているようで、得も言われぬ違和感を感じてしまう。
たまーに気持ち程度に「今日は安全日だから・・・」くらいは言及してるエロゲは見るけど避妊についてちゃんと描写されていたゲームなんて数えられるくらいしか見たことないと思う。
何も男性向け美少女ゲーム内で女性蔑視がどうとか語るつもりはない。しかし、だ。
妊娠させるということは男性が自分の証しを女性の胎内に刻み込み、下手をすれば女性の一生を大きく一変させてしまうかもしれない、そういう行為だ。
言い方は悪いが男にとってこれほど支配欲を満たせるものはないと思う。
それがこんなにも軽く描写されるのは物凄く勿体無いのではないか、ということである。
低偏差値校に通う頭が空っぽのギャルなどではなくて、賢くて育ちもよくて妊娠のリスクをちゃんと考えられるヒロインが将来を大きく変える覚悟で避妊なしの無計画性行為を受け入れる、
もしくは好きでもない男の子供を妊娠したかもしれないという事実に怯え葛藤する、
そういう細かい心情を重々しく描いてくれた方が私としては嬉しいのだが、やっぱりそこら辺は徹底してご都合主義になった方が需要があるのだろうか。
1風俗
2アイドル
4タバコ
5BL
6フィギア
7タトゥー
8ラノベ
9エロ漫画
11鉄道
12コスプレ
5と7と11以外とても俺のコンポーネンツを占めているんだが。
どうしてそんなに気持ち悪がられる趣味なんだ?
結局、お互い好き(今となってはわからない。)で、
借りたのもあるし全力で、受験勉強するために、携帯から距離とって
予備校生してたら、ストレスで記憶障害になったらしく、自分と一緒にいた
記憶ほぼ覚えてなくて、その間に前から仲よかった男友達に言い寄られて
今はその人のことが好きかもしれないって、連絡きた。
こちとて、受験終わるまでお互い我慢しよう!って
クリスマスまで我慢してたんだけどな。
男友達とは会ってたんだな…とりあえず三回くらい死んで欲しい。
複雑な家庭に同情してお金100万以上貸したんだが、
なんだ?これ??とりあえずなんだ?
必殺仕事人いたら、あの2人ともども成敗して欲しい。
こっちが、この人のこと全部なかったことにしたいわ。
ほんと。
男です。いない暦=年齢(大部分顔面というよりは、性格&回避性人格障害的な傾向によっている)。結婚もやる気ない(手が届きそうな底辺女性への主に性格メンでの幻滅&レベル高い女には俺は相手されない→結婚やる気なし)
実際これは変わらない結論だし、そういう奴も多いのが現状じゃないかな。そこで、いかに性欲や年齢の適齢期を乗り切るかが戦略として必要となる。
主な障害としては「性欲」「女と交流したい欲」「劣等感」「痴漢など犯罪に走ってしまうリスク」「子供を持たないことへの喪失感」「孤独死等の一人でいることのリスクへの対応」などか。
いわゆる恋愛の欲求とか、女性からの思いやりみたいなのはイケメンしか満たされない感じだろう。
フツメンも妥協すれば可能かもしれないが、それよりは二次元のほうがいいと思う。
おおよそ1週間に1回はデートしたいですねえ、二次元の女の子と。ある程度仲がいいエロゲーを積んでおいて、都合のいいときにデートって感じだけど。
ある程度口説く時期がほしいから、土日でなんらかのゲームでルートに入るなり、アニメで萌え豚化して、平日はアフターファイブでのデートを楽しみにする感じかな。
性欲解消のメイン武器。多少のむなしさが残る。
やりすぎると逆に性欲の解消効率が落ちるが、やらなすぎると痴漢などに走るリスクがでてきてしまう。
おおよそ朝晩1回ずつ抜くのがデフォルトかなあ。
土日はむしろエロゲーの共通こなしに力を入れるのがいいだろう。
人間と違って自分が受け入れられているのが分かりやすいし可愛がっても拒否もかわいいもの。
人肌の恋しさに対して。
できるだけ、普通のセックスじゃなくて、赤ちゃんプレイとか、妹と近親相姦とか、そういうプレイ系にしておくとプレイのなかで人肌が解消
月2,3回で1回2万とか
女とのリア充しか許されない会話が行える。ある程度風俗の回数を減らせる。
でも酒飲むと次の日のクオリティが下がるから1,2杯ですませる。
格闘技の寝技をやってると、なんか俺ホモじゃないか?っていう感じで気持ちいいしすっきりできる。
男同士に走れれば結婚しなくていいから楽だろうなあって感じる。
ホモになりてえ。
いや、厳密にはある、
徹夜はきつくなってきたし、高校生は子どもだなと思うようになったし、ジャンクフードは二日続けて食べたら胃もたれもする、
睡眠と野菜は大事だ、あとお姉さん属性を持つ人は年下でもお姉さんだ。
だけどそれくらいだな、ゲームもするし漫画も読む、ギャルゲーはたまにやると新鮮だ、
でも、エロゲーは好みにうるさくなったな、好みのキャラじゃなければそれほどでもなくなった。
幼稚園からの同級生はほとんど結婚したな、歳相応の考え、キャリア、将来、考えなきゃならんのかな、
やりたい事やってたら何とかなるっしょ、選挙もまあ責任は感じるけど決めるのも結構適当、正直、政治に興味がない、
右翼、左翼、ネトウヨ、自分の思想持ってるのは良いんでない?、自分は時間があるなー、暇なんだなーくらいにしか思ってない。
R25の頃は若者じゃなくなるのが少し怖かったな、おっさんに差し掛かったらまあ別にいっかと思うようになった、子どもからおじさん呼ばわりされたら嫌なのかはまだ分からない。
子どもは宝だと思うようになった、子どもを染めるのは大人だから大人が見本になるようにしないとな、でも子どもの前じゃないとやってる事は子どもとあまり変わらないんだなこれが。
おもちゃコーナーは面白そうというか、インテリアになりそうかも考えるようになっちゃったな、
モンハンはもういいかな、任天堂のゲームは安定してファミリー向けに丁寧に作ってるね、VitaTV便利よね、ゼノブレイドクロスはよ。
会社はゴールじゃないんだよね、今でも勉強してるよ、ストレスで1年で15キロ太った事もあるよ、今はもう戻ったけど。
中学から好きだった子どうしてるかな、もう結婚しちゃったのかな、告白すれば良かったかな。
ああ、おっぱい揉みたい
ぱそこんに繋ぐタイプのオナニーグッズを使ってオナニーの質を上げるにはどうすればいいのか。
やはりオナホ(男性)かバイブかディルドのようなもの(女性)が捗るのではないか。(当たり前か)
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AVによって動きが変わるオナホはもうあった気がする…じゃあ動きじゃなくて形が変わるのはどうかしら
見ているAVによってオナホの形状が変わるとしたら、ロリものJKもの若妻人妻もの熟女もの締め付けとかそれぞれの特徴を目や性器で楽しめるのではなかろうか
(それぞれの年代や女の子タイプをテーマにしたオナホはもうかなり広いジャンルをカバーしていることが予想されるが、一台あれば大体のジャンルをカバーできるってものはまだないのでは)
でも見ているアダルト動画からジャンルを判断するとして、何を手掛かりにするのか。
見た目から年齢を認識してくれる仕組みあった気がする(DSの顔シューティングとか)
でも外見ではだめでは…《理由》JK設定で設定と同じくらい若い外見の人ばかりとは限らないし、逆に人妻ものでも童顔とかあるあるだ。
(きっとオナニーする人の数だけ性癖の方向というかロマンがあると思うので、人妻でもキツキツとか、
ヤリマンJKでゆるゆるがいいとか、あると思う…なんかもうそういうの対応しきれない…)
じゃあ声かな?と思ったけど、外見と同じ理由でだめだわ対応しきれぬ
もう女優さんによって形状を変えるのが一番楽な気がしてきた…
男性向け(?)アダルト動画はジャンルもプレイ内容も豊富でオナホの形状を変えようと思えば
いくらでも変える要素あると思うけど、女性向けと銘打ったアダルト動画ではどうだろう。
自分が知らないだけかもしれんけど、ジャンルもプレイ内容も豊富ではない(むしろ動画の数自体少なそう)
その上男優にこだわって動画を見る女性はあまりいないと思われる。
だからバイブの形状を変えるとしたらどういう基準で変えればいいのだろう。
(ゲイ向けアダルト動画では多分また事情が違ってくるかもしれんけど)
むしろエロゲーと対応してそのキャラ特有(というか個人差)の性器の形状を設定できるようになったらQOL上がるのでは。
エロゲーやったことないのでよくわからないのですが、外見とか声とか性格とかの個性は分かっても、肝心な所の個性がわからない、感じられないのはもったいないのでは。
でもそのキャラをモチーフにしたオナホとか無数にあるんだろうなー
http://otakomu.jp/archives/152848.html てか動きに連動してるのはやっぱもうあるのだなー
ひとりひとり違うと思うので完全に個人差とか言っちゃえばどんなオナホでもいいのかもしれんけど、
年齢や体型とか経験による平均的な形とか締め付けとかを考慮した上で個人差をだしていってほしい。
でもキャラによってどんな性器になるかは完全に作る人のセンスになってしまうな…
プロジェクトなんとか並の熱意で作って欲しい
バイブの場合も18禁乙女ゲームと連動できたら、(やったことないのでちょっとどういうエロシーンが入ってくるのかわからないけど)
「このキャラはこういうチンコなのか!」とか「ギャップがあってよい!」とか設定によって違うかもしれんけど、テンション上がるのでは。
自分は好きな人の性器ならどんな性器でも多分好きになれる、というか好きな人(恋人)の性器のことは知りたいと思うので、
キャラに恋する18禁乙女ゲープレイヤーだってそのキャラのチンコについて知りたいと思うのではないかと思うのです。
カラオケと飯を男女数人(男全員医者)で行ったが、モテるやつとモテない奴の差がなんとなく肌で感じ取れた。
KYとは違うが、ずれて盛り上げてるっていうか、出川っぽいっていう感じ。
確かに、出川がどうやって女にモテるんだって思う。モテるらしいが、モテル理屈が分からないし、俺が女ならNGな気もする。
俺とかモテナイ奴は、一人だけ爆笑したり、変に自分だけ乗ってる感じの話かただった。
普通に話しして、相手が反応する。
これは女子側の受け取りもあるが、男からのボールの投げ方もうまいのかもしれない。
俺とかモテナイやつも、10回話しすれば、3,4回はそういう受け答えがもらえるが、そのほかは独り言として流されるか変な応対に終始する。
デブっつーか。引き締まってないっていうか。BMIが大きく標準とずれてるっていうか。
いわゆるポチャデブはいないし、全員体はできてるガチムチなんだけど、たるんで見える感じ。
脱ぐと全員それなりなんだよ本当に。だけど、腹が出てるっていうか。
やっぱ、だらしない体型ってのはあると思う。モテルやつらは全員筋肉にカットができるっていうかな。
筋肉があるだけでは脂肪が乗ってたらちょっとよさが分からない。
あと、服装だけど、モテる奴は、秋コーデっていうかな。革ジャンだの、帽子だの、マフラーだのブランドだのを2,3個はつけていた。
決して高くないとは思うんだけど、それも全部あわせてるわけではないけど。なんか突っ込まれても大丈夫な感じ。
俺とかモテナイ奴は、ジャージ、ユニクロ、しまむら。当然ヒゲもそらない。
まあ、そういう見た目が分からないってのがアスペっぽい感じに拍車かけてるんだろうと思う。
でも、マジで、子供のころから絵画のセンスゼロなんだなwクラス最下位。そんで、字もクッソ汚い。かけりゃーいいだろっていう字を書くんだな俺らは。ひらがなでも意味さえ通じれば漢字いらんだろ、みたいな。
④自分で完結して話してる
会話でコミュニケーション取ろうとするんだけど、自分の頭の中で話ししながら完結してるんだな、モテない奴は。相手の反応が予定調和で持ってこれるようにある程度成型して話しないとむちゃくちゃな話になって100%失敗するんだけど、そうなると相手の反応も決まっちゃうから、先に笑ってるみたいな。
でも、確かに話聞いてるとIQ高そうな発言なんだな。よー頭回るわっていうか。
逆にモテる奴は、相手にかなりゆだねてるっていうか。相手がどう反応するか分からないことをやってる。現実を生きてるっていうか、人格の30%くらいを相手に譲ってるっていうか。なんつーか、相手と自分での共通点を作ってるって感じ。コンビニでなく、一緒に料理してるみたいな。
モテない奴は全部自分で作っちゃうんだよなあ。俺もそうなんだけど。ある程度分岐を確認してからエロゲーの選択肢を選ぶみたいに会話を進めてるっていうか。モテる奴は、MMORPGっていう感じっつーかな。
モテない奴はお互いに共通の山とかお城とか見て品評しあってる感じで。モテる奴は、お互いを向いてお互いに興味持ってる関係を選べてるっていうか。
自信がないから、「俺らに興味もたれてもクソほども楽しいことないでっせ~」っていうのが自分で分かるから最初から自分への興味をもたれることや自己アピールを排除しちゃってるっていうか。
⑤リアルでの付き合いはできるけど、SNSとかラインとかの付き合いは薄い
なんつーかなあ、自分のプライベートは自分だけで完結させてるみたいな。
よくよく考えればそういうのでちょっと頑張るだけで苦痛なリアル生活がよくなるなら、やっとけってなるんだけどさ。
なーんか、仲がいいどうしでないと楽しめないんだな、モテナイ奴は。
⑥ここまで一貫してる
①~⑤までいろいろ書いたけど、これ全部の根元がなんか一つ何かで一致してる感じを感じた。
ナルシストと違うけど、やっぱいわゆるアスペっていうか、発達っていうか。それはもう性格レベルかー?っていうの感じる。
どうやったら身奇麗にできるか?ってのが、なかなか分からない。何をするかを具体的に言われないと分からない。
なんとなくできてるっていう状態がまったく理解できない感じ。
自分性欲がむっちゃ強いんです。
だから、毎日朝晩、特に性欲なくてもオナニーしているし、オナホールやエロゲーに金かけまくってる。AVやエロ収集もいつでも簡単に晴らせるように消費できないくらい最高のモノをつねにストックしてる。風俗も月2回くらい(正確には風俗だけじゃなく行きずりのセックスのほうが多いけど)
なぜここまでやるかっていうと、社会生活のなかで女性に対してハラスメントしたくないから。
正直自分がブサメンすぎてずーっと差別的にされてるから三次元女に対してムカつくので、相手したくないけど、だけど性欲が溜まるほど痴漢とかしちゃわないかと怖いので、性欲はできるだけ減らしている。
しかし、夜遅くに帰ってくると眠くておナニーも面倒くさくて寝る。朝早く起きてオナニーするんだけどさ。
なんか、もっと楽に性欲解消できないかなあと。
エロゲーで恋愛感情を消費するのは現状十分。たまのセックスで女体感覚もできる。セックスの腰振りも据え置き型オナホールでOK。オナニーの充実度も多種多様なオナホールでOK。女性の肉体の美しさもAVでOK。ストーリー性もエロ漫画でOK.
しかし、もっと楽に解消したい。効率化したい。特に恋愛ストックがもう少しエロゲー以外でほしいかも。ニコ生とかで女に囲ってもらえればいけるんだろうかな。
① 人付き合いほとんど無い
② 小学生以降好きという感覚を持った覚えがない(中高男子校)
④ AV、オナホール、エロ漫画で性欲をこまめに解消しているので狂うことがホボ無い
⑥ 寂しくなったらエロゲー等
昨今はAVのレベルが上がった、二次元がすごい、オナホールがすごい、風俗もレベル上がった。
と騒がれて、それに伴って女性を男が求めなくなった→草食系男子。っていう話がよくでるけど。
これ本当なんか???
なんか、世間的な話では確かに未婚率がヤバイだの、彼氏ができないだのというのは聞くんだけど。
ネットでは、相変わらず「女は股を開けば簡単にやれる」「女は選ばなきゃ男のほうからやってくる」っていうのを聞く。
喪女というのも、どうやら『えり好みが激しい』というタイプらしい。年収1000万だの、向井なんとかだの、黒子のバスケ(これは男と同じかw)っていう感じらしい。
恋愛指南系の奴を見ても、「若い女が彼氏を見つける」っていう指南書はあまり見ない。行き送れ女子?みたいなのを対象に婚活はあるみたいだけど。
逆に、男の指南書系では、「女からよってくるわけはない、積極的に池、女は8割受身だよ」ということらしい。「女は一目ぼれしない、好きになっていく過程を踏まないと男を好きになれない」というのが鉄板で語られている。
つまり、女は積極的に行かなくてもとりあえず男が来てくれるシステムができあがってるわけで。
正直自分としてはなぜそんなシステムになってるのか分からない。どういう理屈なんだろうって根本が分からない。
で、最初の話なんだけど。リアル女性を相手にしなくても自分で自己完結できるシステムが完璧とはいえないまでも、普通にやりくりすれば普通に完結できるシステムができている。
むかしなら、性欲がたまって女性の体なりのムラムラでモーレツに女を追いかけるってのがあったらしい。ってか俺が子供のころの恋愛の1つの種類としてそんなのは確実にあったと思う。
でも、今は性欲なら超絶美少女が現実では絶対不可能なほどエロエロで迫ってくる(画面の中のAVなりエロゲーねw)
風俗行けば、リアルの素人では絶対勝てないレベルの奉仕が出てくる。
オナホールは膣を越えるし、種類も豊富。最近ではケツの切り身みたいなのでリアルセックスみたいなのができるタイプすらある、ローション、服、等々種類超絶豊富
恋愛よりもはるかに楽しい恋愛をさせてくれるエロゲーなり、エロ漫画も10年前とは比較にならない量とバラエティー、質。
これだけ考えると、女性の価値が落ちそうなもので、そうしたら俺にもおこぼれきそうな気もするんだが、いまだにぜんぜん変わらないらしい??多少なりとも下がってる??
でも、彼女がいる、付き合ったことがある、セックスしたことがある男の数はどんどん増しているらしい。
女に突っ込む男の数が減れば、女性も多少ブサイクを受け入れるのかな?って思ったが、そんなこともないらしいね。
これってアレなんだろうか?最低限のラインっつーか。女としても了承できないラインの男ってのはどんな時代でも変わらないし。そういうラインの男を選ぶくらいなら、ラインギリギリ上の男を狙い続けるみたいな???
フト思ったんだけど、最近「○○男子」ってのはやってるけど、あれって、今までぜんぜん戦線に乗って来なかった妥協できるラインギリギリの男達なんだろうか?
ラインギリギリだから今まで何の注目も浴びてこなかったけど、ラインギリギリまで女の妥協が下がって、皆がそのラインギリギリのコストパフォーマンスがいい男に注目しまくって。
それで注目された男達の分類とか研究が始まった感じなんだろうか。
いずれにせよ、どんだけ女の価値がアウトソーシングできるようになっても、一定のラインを割った男達に未来は無いのだろうかな。
切実に、切実に、人口知能学会によるセクサロイド&家事やってくれる人工知能求める。
ってか、遠隔操作でロボットを操縦するみたいな感じで、ロボットをインド人あたりが操作して、日本の家庭でそのロボットとセックスしたりロボットに掃除してもらったりってのは可能だと思うんだよねえ。
ロボットの外面自体はラブドールの発達で著しいし、遠隔で操るシステムなら最近の3Dゲームの技術でいけそうだし。
ちゅーかね、そういうのができたら、風俗で働く女性の代打ができると思うんだけどどうだろう?そしたら本格的に女性が性を売り物にして男から稼ぐことがキツクなるから、そのくらいになったら、俺とかでも相手してくれる感じになるんかなあ。
やっぱ、風俗があるから女が男を利用する流れは続く感じかなあ。
AVとかオナホールで風俗に行く回数は全体的には落ちたとは思うんだけど、やっぱクリティカルに風俗を直撃するような技術革新がないと厳しいね。