この間見合いした相手は凄かった。
だが出産したら、男も育休を取るんだとさ。それが世間のスタンダードで、今の職場には制度も充実してるんだとさ。
二人で仕事休んで子育て…? そりゃ子育ては大変で母親の負担も相当だろうが、旦那が手伝うのもいいが、仕事休ませてまでやらせるの…? 大の大人二人が毎日毎日家にこもって顔つき合わせてひたすら育児のみに専念するの…? どこの王族の養育システム…?
というかその間、職場に出てきもしないような人材二名に対して、ずっと給料払わせ続ける事になるけど、それは職場が定めている制度だからいいんだ…? 社内法規にのっとって制度利用してるだけだからいいんだ…? その状況に対してはかけらも危機感は覚えない…?
いくら30半ばを過ぎた(まだ生き残ってる)ベテラン銀行員とは言えど、替えのきく人材だと思うけどねぇ、貴女という女性は。
…という真正直な言葉をぶつけると紹介者にチクられて面倒な事になりそうなので、飲み込んでおいた。
見合い市場にしちゃ珍しく綺麗な顔をした女が出てきたなとは思ったけど、売れ残っているのも納得だ。
久々に、まともに寝られそうな女(ご面相的に)が出てきたと思ったらこれだよ。
ま、普通のデートも一応したんだが、待ち合わせには遅刻上等、笑顔もなし、無愛想、それでもずっと下手に出ていたらつけ上がりやがってこちらの人格否定まで始めたからなぁ。
しかも、態度があまりにも悪いから、「結婚に対して建設的ならばいくらでも付き合うけど、もし貴女がこのお話を断りたいのなら、ハッキリと断ると言ってくれ」と頼んだら、なぜか「見合い相手は他にもいると調子に乗られた、屈辱だ」みたいな事を紹介者に吹き込みやがった。
まあ、紹介者もその辺りは察していたらしく、女と派手に言い合いをした挙句、しばらく紹介はしないで欲しいみたいな事言われたそうで「アレはわがまま」とかなり憤慨してたし、そのせいか次の見合い話も随分高速でセッティングしてくれたけど。
アレか。人格障害か。誰とも仲良くできない奴か。あるいは、まああの火のような反応から言ってこちらが正答なんだろうけど、「自分が男に何か言うのはいいけど、自分が男から何か言われるのは絶対に何が何でも許せない」ってタイプか。ここまでくると男女不平等主義者を通り越してもはやただの気●いだな。
その勘違いを抱えたまま、その勘違いを受け入れてくれる優しい優しい男が現れない事に憤ったまま、せいぜい一人で寂しく生きていってくれ。
若い美人ならば性格に多少問題があろうが求婚してももらえるだろうがな、もうお互い、若くはないんだぜ? 年相応に現実くらい見ようや。
さて次次と。
耳掃除が毎日じゃなくていいとか、毎日してると内部を傷つける恐れがとか、掃除すると却って耳垢が溜まりやすくなるとか言いますが。。。。。。通勤とかで音楽聴くのにカナル型イヤホン使ってるとイヤーピースがすんげー汚れたりするのでほぼ毎日耳掃除をせざるをえない(´・ω:;.:...
ぼくもやってみることにした
年代別に代表的な長編を英米と日本でそれぞれで10作えらんでみたよ
この手のベストだと叙述系が挙げられがちなので
あえてベタにえらんでみました
長編しばりでなので
ま、有名だしね
黄金期にミステリの臨界点を冷静に見つめていたバークリーらしい作品
『第二の銃声』とかもバークリーらしいけど
こっちのほうが一般向けかな
複雑なフロットでグイグイ読ませる
長編しばりなので
名作揃いの初期短編ではなくこれを
言わずと知れた奇作かつ傑作
マニアの人ごめんなさい
インパクトのつよさでこれを
これも本格復興期の名作
亜愛一郎シリーズも必読
なんでこれなんだ、とかいわれそうだけど
多分これが一番読みやすいと思うので
『神様ゲーム』もそうだけど
うっかりしてました
酒飲みながら書いてたので注意力散漫だったようです
ってことで
個人的に気になるのは、左右どちら側という点ではなく、
「立つ」あるいは「寄る」を用いる人と、「空ける」を用いる人の意識の違い。
自分は「寄る」を用いるんだけれど、これは、自分がどう振る舞えばよいのかを、
他の人々の行動を模倣する事から決定したから、そういう言葉の選択になっているのかもしれない。
方や「空ける」を用いる人は、他の人々への配慮が必要という、より広い視点で物事を見れていたりするのかな、なんて思ってみたり。
いや、単なる習慣になってる事柄に対し、そんな意識の差なんて関係ないのかも。どうなんですかね。
余談だが、関西では(垂井駅~関ヶ原駅間が境界?)左を空けるのが一般的だが、
つまり、前の人に倣って、となる。
これは、観光客の多い都市だからというのも勿論大きな理由であろうが、
JR・京阪・阪急が左空けを推奨していたが、京都市営地下鉄は右空けを推奨していたというのもあるそうだ(過去の話)。
※参考URLを読む際に混乱しないよう、ここでは「空ける」を用いてみた。
参考:
http://anond.hatelabo.jp/20150116205950
間違って元記事にするつもりがトラバで飛ばしてしまいました。すみません(*_*)
持田茜懐かしいですね。昔何度かみました。いつの間にかこんなハードなアナルもの出るようになってたんですね。
「まあまあ待ちなさい。突然の便意に襲われる女子高生。羞恥心と苦悶に喘ぐその表情はこのうえないものだろう」
「悪趣味ですね」
「ついでに隣のおっさんの便も女子高生に瞬間移動させよう。女子高生の表情は鬼気迫るものになっている!もう耐えられそうにない」
「はあ・・・」
「悪魔か」
結婚も住宅購入も、ある種の投資だ。この投資は、一度行うと、その後の選択肢が一定程度制約される。
したがって、「自由でありたい」「身軽でありたい」「将来の状況変化に柔軟に対応したい」ということを重視するのであれば、あまり合理的選択肢とは言えない。
また、一概には言えないが(結婚の場合共働きなら家賃等が節約できるということがあるし、住宅にしても不動産価格上昇の可能性はある)、それをしないという選択肢に比べて、経済的なリスクを負うことになる可能性が高い。
しかし、経済的なデメリットの反面、経済以外の点でのメリットもある。
一つは、自分の帰る場所、拠点を持つことによる安心感や、一つのことに長期的にコミットすることによる満足感である。これにより、経済的指標では測りきれないメリットがある、と感じられる場合には、多少経済的なリスクをとってでも実行するということになるであろう。しかし、実行したからといってこのような安心感や満足感が得られるかどうかは、やってみないとわからない。一種の賭けだ。しかも、結婚についても、住宅についても、実行したらそれだけでずっと自動的に安心感や満足感というメリットを享受できるわけではなく、絶え間ないメンテナンスが必要である。
また、少なくとも現在の日本では、結婚または住宅購入により、一定の社会的評価を得られやすい傾向はあるだろう。
もっとも、結婚または住宅購入がどの程度社会的評価につながるかは、当人の置かれている環境による。こちらは、安心感や満足感というメリットに比べて、あくまでサブのメリットだと思う。
これは、個々人の価値観次第としかいえないが、個人的には、「失敗するかもしれないが、もし機会に恵まれたのなら、経済的なリスクにとらわれず、やってみればいいのではないか」と思う。
結婚にしても住宅購入についても、本当にどうしても合わなかったら、解消する道がないわけではないのだ(経済的な損はするかもしれないけど)。
本当にリスクを避けて効率的合理的に生きたいと思ったら、それはずっと単身で、なるべく安くて立地のいい賃貸住宅に住み続けるのがよいのかもしれないけど、致命的ではない程度のリスクをとって何かに挑戦してみるというのは、それはそれで(失敗した場合にはその失敗の過程も含めて)得難い経験になるのではないかと思う。だから、もし機会に恵まれていて、しかし将来のリスクを考えて迷っているのであれば、やってみたらいいだろう。どうせいつかは死ぬんだし、それは明日かもしれないんだから、あまり失敗した時のことを考えて足踏みするのはもったいない。
他方で、特に「これだ!」という機会に恵まれなかったら、無理に結婚や住宅購入というところで大きな賭けをする必要はないだろう。
一番馬鹿馬鹿しいのは、自分では納得していないのに、周りに流されて、しなくてもよい大きな賭けをしてしまい、かつ失敗することだ。
結婚や住宅購入は、一般的には、他のことへの投資に比べると、リターンを得られる可能性が高い投資として見られてきたように思う。
しかし、納得していないのに実行した場合は、安心感や満足感という、本来の大きなメリットは得られにくいだろう。社会的評価というサブメリットだけのために実行するには、賭け金が大きすぎるように思われる。