はてなキーワード: へっぽこくんとは
■イントロ。
今回の【N.C.P.】は、『へっぽこ通信』のへっぽこくん氏と二人で、1999年度のベスト5を選ぶ……という、年間総括だったりします。あと、例によって筆者の暗い文章。とほ。
おいら的に今年やったゲームって事で……(汗) 発売は去年かも……多数?
1 Kanon
2 ぱすてるチャイム
3 がんぶる
4 days innocent
1→久々にやりまくりでした~音楽と絵のタイミングがよかった。
2→コレットさんが成長しちゃうところがマイナスですが、ぶかTシャツにスパッツはよい。
3→全てが丁寧に作られた感じがよいいなり。ただパッドがないと最後つらかった。
4→一部当てはまらないけど、精神的にはみんなずーれーだから。
5→はじめて、ごんぽりーな女の子が可愛く見えた。(EDENは今年の作品なのかわからないけど……やったのは今年)
【個人的総括】
うーん、今年はKanonですかねぇ~。何はともあれ、音楽が好きかも~。当時はアレンジCD聴きまくってました。オープニングからかっちょよろしくて、ぶるぶるきました。他的には……う~ん『days~』がえろ~すゲームとしてはえろかったかなぁ。後は可愛いので選んでしまった感じ。
実際、まだ全部のゲーム終えれてないので、今やってるママトトとかがランクインしてた可能性もあるんですけど、いかんせん、おいらゲームはじめる前にねかして熟成した頃にやるから(^^; 故に、ママトトやダークロウズは、すでに来年のゲームな位置づけなり。個人的には、大作なえろーすRPGをやりたいなり~(闘神都市2みたいな)
実は、キャラ的には沙耶(ぱすてるチャイム)だったりします……へふ。
1 フロレアール
2 Kanon
3 とらいあんぐるハート2
4 くるみちゃん あ・そ・ぼ◆
5 憧れ
1→巧みに構築された論理と悲劇……と書くと『総長賭博』っぽい?(誰も分かりません)
2→バランスの悪さはあれど、印象は強烈。でも、えろげーとしてはちょっと辛いかも……(全年齢版出るけど)。
3→昔気質のラブコメ魂と意地を感じさせる作品だと思う。中毒性はメチャ高い。
5→アダルトで上品に抑えた雰囲気がナイス。女教師ゲーとしては最強かも。
【個人的総括】
今年はエロゲー界のチェ・ゲバラこと、臭作さんのようなヒーロー不在で寂し……もとい、昨年に比べると、大手・中堅メーカーに意欲作が少なく、面白みに欠けたかも。大作ばかりでなく、味のある小品がもっと増えないと、全体の層が薄くなる一方だと思う……。
あと、恋愛描写の水準は強まっているけど、全体的にえっち度が弱まっているような感じが、ちょっとあるなあ……。キャラ萌え&ストーリー重視な流れの弊害かも知れないけど、えろげーはやっぱり、エレクチオンさせてナンボ!って気はするですね(小池先生ライクな台詞)。……いや、Kanonもかなり好きですが~。
■本文。
親がとある新興宗教の狂信者だったので、生まれてからずっと、カルト的なコミューンの中で育った。ある時、その閉鎖性に気づいて、家を飛び出した。でも、辿り着いたのは、[オタク]という別のカルトだった。
それはそれとして、1999年の美少女ゲーム界で最も気になっているのは、ジャンルとしての共通言語が失われつつあるな、ということだったりする。[萌え]と[泣き]の両極がそれぞれ先鋭化し、カルト的なコミューンが形成されつつあるようにも見えるのだ。具体的に書く気すら起きないが、コミケの企業ブースやデジフェスで、毎回決まったように起こる混乱は、そのあたりの空気を微妙に表していると言えるだろう。
量的な飽和と多様化が、ユーザーの細分化をもたらしている。そのこと自体は悪くないと思うが、それがカルト的な求心力を持ってしまうことには、危惧を抱かざるを得ない。そして、[萌え]=キャラクター志向派、[泣き]=ストーリー志向派……という図式が発展していく過程で、両者がそれぞれ保守化し、一部では対立の構図も見られるようになっている……というのは、美少女ゲームというジャンル全体を考えるに、不幸な結果しかもたらさないのではないか? という気がするのだ。
早い話が、筆者が、ある陣営のゲームについて、コラムを書くだけで、別の陣営には激悪な印象を与えている……という状況が、厳然と存在していて、どうも息苦しいのだ。
さっき、「カルト的」と書いたのは、特定のイデオロギーを通してでしか、ゲームや人間関係を判断できない人が、あまりにも増えてしまったからだ。元々、美少女ゲームには、フェミニズムやマッチョイズムに属することのできなかった人々にとっての宗教という側面はあるが……。
例えば、神仏を信じられない人のために、心霊主義(スピリチュアリズム)や科学信仰があるように、それ自体はごく自然なものなんだけど、行き過ぎると単なる狂信者になってしまうのは、どちらも同じだ。筆者も、昔は狂信の極みにいたしね。
だから、このコラムも、印象批評的な文章はすっかり書けなくなってしまった。どうしても状況論的なものに終始してしまうのは、印象批評を書いた瞬間に、どちらかの陣営に与したと見なされ、筆者の友人は半分に減ってしまうからだ。これがまた、かなり実話だったりするから笑えないんだけどさ……。
別に[萌え]でも[泣き]でも、どちらでもいいのだ。出来上がったゲームが面白ければ。いや、本当に心を動かされるような良質の物語は、[萌え]と[泣き]を内包しつつ、そんなイデオロギーの枠組みすら超えてしまうはずなのだ。だいたい、イデオロギー抜きの意見を述べるのが最も難しいという状況は、冗談抜きでふざけているとしか思えない。好きなゲームを好きと言えないって、どういうことだい?
まあ、美少女ゲーム業界に限らず、どこの世界でもそうなりつつあるのは確かである。編集やライターを生業とする筆者の周辺でも、オタク系とサブカル系でお互い反目しているので、人間関係では要らぬ苦労を強いられる。全てのジャンルにおいて、そういった対立構造が必ず存在し、延々と繰り返されているメビウスの輪の中で、閉塞感だけが肥大していく……そんな悪夢が年々、増幅されているような気がする。
だから、もう嫌なのだ。オタク世界全体に漂っている、奇妙な停滞感が。何より、汲み取るべきものが見当たらないから、何も編集する気が起きないし。よって、編集者としては、秋から休業中だったりする。なんだか、自分の話ばかりで申し訳ない上に、冒頭から変なことをカミングアウトしているんだけども、今回の年間総括は、この連載を一年近く続けてきた、自分に対しての総括でもあるのです。申し訳ない……。
最後に、[萌え][泣き]……どちらにしても、[癒し]を大量消費している構造には変わりはない。問題は、[癒し]という概念が、思考の暴走を抑えるという、本来の意味を失い、思考停止の為だけに使われていることである。何も考えないために、生まれてくる全てのものを消費していくのだとしたら、これほど不毛なことはない。これはもう、「終わらない日常」どころじゃない。だいたい、始まってもいないのだから。何となく、『キッズ・リターン』のラストみたいだけども。
この状況に対して本当に必要なのは、ノイズを削ぎ落とし、完成された構造の作品ではなく、むしろ、ノイズとされてしまった要素を積極的に取り込み、想像力の領域を拡げ……ポストモダンを超えていく作品だと思う。新しい[魔法]の材料は、ノイズの中にしかないのだから。
しかし、閉塞を乗り越えた作品も時が過ぎていくにつれ、カルトに取り込まれ、更なる閉塞へ向かって保守化してしまう。そう、どんなに素晴らしい魔法も、[メディアミックス]という名の魔物による、カルト性を帯びた資本主義の洗礼によって、いつかは解けてしまうのだ……。
もっとも、商売としては、カルト化して、一定数のユーザー=信者から、大量の金を収奪するシステムにしてしまった方が、美味しいんだろうけど……その辺は、世間を騒がせている『法の華』や『ライフスペース』の事件を見ても分かる通りで……カルトの信者ほど、財布の紐が緩い人々はいないからねえ……。
それでも……いや、だからこそ、作り手とユーザーは、次々と新しい魔法……新しい物語を目指さなければならないのではないだろうか?
それは、思考停止して閉塞へと向かっていくカルトの罠から、自立していくために必要なことだ。更に言えば、進化と消費は、セットであるべきもので、乖離してしまっては、全く意味を成さないのだ。
つーか、逃げるために消費するのは、もう止めようや。キャラクターへの愛情は、グッズに注ぎ込んだ金額じゃ計れないんだぜ!(←バカ)
■総括の総括というか、感想。
毎年恒例(?)年間総括……と思ったら、周りにバランス良くえろげーをやってる人が、へっぽこさんしかいないという……いや、それ以前に、えろげーをバリバリやってる人もいない……何故~?
という訳で……へっぽこさん、今回は本当に、ありがとうございました~。
■その1。
毎回言ってるんだけど、今回こそはゲームレビューをやりたいと思って……選んだのは『夏祭』。タイトル通り、ゲーム自体は、三日間の夏祭を描いたものだから、プレイ時間は短い。たった三日間で、キャラクタを描写しきれるのか? と思っていたのだが、演出手法として、イベントごとに回想シーンを頻繁に挿入することで、要点はきちんと押さえている。ただ、毎回毎回、お約束のように回想シーンが入るので、それが少々うざったくもあるけど……。 最近のストーリー型のゲームにしては珍しく、二時間ドラマのようなスタイルで作られている。なので、このゲームは、大作型の作品ではない。ここを勘違いすると食い足りないような印象だけが残るだろう。
筆者も、まんがで最近流行している、虚構の現風景を描いたエコロジスト的な作品の流れにあると勝手に勘違いして、今回のサブタイトルをつけたのだけど、実際にプレイしてみると、特に自然描写などに重点を置いているという訳ではない。おそらく、あくまでドラマチックな演出の舞台として、この設定を選んだだけなのだろう。なので、今回のサブタイトルは嘘っぱちだ。サブタイトルは、レイアウトの都合上、原稿を書き始める前に決めてしまうので、こういうこともある。
しかし、こう書くといかにも薄っぺらなゲームのように思う人もいるかも知れないが、別にそういうゲームではないし、特筆すべき所もある。ヒロインである[橘みやの]のシナリオなのだが……気の弱い幼なじみという基本設定自体は通俗的なものだ。しかし、中盤から後半にかけて、そのスタンスが表面的なものであったことに、主人公は気づく。早い話が、三角関係から来る、すれ違いと嫉妬の地獄絵図が展開されるのだ。
ただ、『たとえばこんなラヴソング』や『週末婚』のような、サイコスリラーばりの鬼気迫る展開をする訳ではない。三角関係の当事者たちは、あくまで良識の持ち主であり、自己の欲望を優先できない弱い人たちである。この葛藤を文学的な執拗さで書くと、『WhiteAlbum』のように、美少女ゲームには異例の悲劇性を帯びるのだけど、このゲームはあくまで、テレビドラマ的な構造の作品なので、予定調和的な結末へと向かっていくし、ここで、虚構の現風景を想起させるような物語設定の仕掛けが効いてくる……少女まんが的な、感傷と情緒の感覚に訴える設定が、毒性を中和しているのだ。
とはいえ、この予定調和を少女まんが的なユートピアと捉えるのも、違うような気がする。それはむしろ、恋の熱情ではなく、愛情に起因する、穏やかな信頼によって支えられる……『とらいあんぐるハート』『とらいあんぐるハート2』で描かれるような、疑似共同体に向けられるべき評で、ボーイ・ミーツ・ガールな恋を描いた『夏祭』にそれを当てはめるには、少々違和感があるだろう。
■その2。
まあ、[少女まんが的]という言葉が何を指すのかは、かなり曖昧だし、それはむしろ、白泉男児である相方の領域だったりするのだが、結局のところ、『夏祭』は、スタンダード過ぎるのだ。それは決して悪いことではなく、むしろ美点なのだけど、価値観が多様化し、結果として、家族や友人といった単位での崩壊を招いている状況の中では、かつては正常とされていたものも、異常とされてしまう。
そして、マッチョイズムからも、フェミニズムからも取り残された人々は、[癒し]と[萌え]の過剰な摂取と、虚構の原風景への逃避を計るのだ。筆者はそういう思考には否定的だが、これはこれで、スタンダードな価値観を欲する動きなので、そういう嗜好の全てを否定する訳には行かないのだ。
『夏祭』は、目から鱗が落ちるようなゲームではない。だけども、プレイした後の安心感は、[癒し][萌え][虚構の原風景]といった要素によるものでもない。娯楽作品に不可欠なバランス感覚をちゃんと備えており、背骨が通っているのが、この安心感の正体なのだと思う。
ただ、スタンダード故に、これはどうか?という箇所もある。Hシーンだ。作画・文章共に描写力がなまじ高い分、不自然な印象が強調されてしまう……主人公のテクニックが上手すぎるのだ(笑)。変な話ではあるが、若い男女のボーイ・ミーツ・ガール的な恋を描くというテーマは、文章力の高いHシーンとは、相反してしまう所がある。早い話が、初々しい恋のドキドキ感……言ってしまえば[童貞魂]を描く作品でのセックスは、ポルノグラフィに求められる実用性とは、いまいち結びつきにくいのも事実なのだ。
だとすると、先月取り上げた『Kanon』の、意識的に回避することができてしまうHシーンの方が、作品のテーマと親和性は高いのかも知れない。肉体関係抜きでも、精神的な絆を結ぶことはできるし、トゥルーエンドも見られるというのは、美少女まんが雑誌の編集者だったくせに、Hシーンのない作品を平気で載せていた筆者にも、かなり衝撃的だった。ただ、それを認めてしまうのは、美少女ゲームの存在意義を問われてしまうということなので、簡単に納得はできないんだけどね……。
……しかし、これは「むほっ、これは嬉しい不意打ち……これに比べたら山岡さんのはカスや!」と、『美味しんぼ』の京極さん風に叫んでしまうのに近い(笑)。そして、「おいおい、お前さっきまで士郎のメシを美味そうに食っていたじゃねえかよ」と、自分に突っ込んでしまうのだが……って、話がズレた。
『夏祭』の場合、シナリオごとの構成にばらつきが激しいという難点はあるのだけども
、Hシーンの扱いは、物語にきちんとリンクしていたので、個人的には安心している。しかし、美少女ゲームにとって、セックスをどう扱うかは今後、重要な課題になるのではないかと思う。それはそれで、本末転倒な気もするが、美少女まんがではもう、その問題を語ることができなくなってしまった以上……そう、H以外の要素に市場が寛容である間に、思考を突き詰めていかなければならないのだ。市場が下り坂になれば、H以外の余計な要素は真っ先に排除されるのが、ポルノ業界の常なのだから。
■来月は1999年度の総括。
という訳で、次回は『へっぽこ通信』のへっぽこくん氏をゲストに招いて、恒例(?)の1999年度総括ですー。それにしても、この手の原稿ばっか書いているくせに、ファンサイトの類は全く知らなくて、軽い気持ちでサーフしてみたんですが、筆者の原稿など簡単に吹き飛ばすほど強力な、美少女ゲーム論が山のようにあるのね……もっと突き詰めないとな……。
余談ですが、『恋愛シミュレーションツクール』を買いました。いかんせんエンジン部分が弱く、実際にゲームを作るには、ちょっと苦しいんですが、恋愛ゲームの構造を解析するという意味では面白いソフトでした。