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はてなキーワード: つくばとは

2024-11-10

日本韓国のこと嫌いになったか関係改善したよね

韓国になに言われても「その通りでございす」と這いつくばって媚びてた日本オールド"良識派"は韓国傲慢と嗜虐心を育てただけだった

おかしいことにはきっぱり拒絶して殴られたら殴り返すぞという日本になったら韓国の頭おかしい面は大分ましになって、いまの日韓若者の方がよほどまともな関係になってる

  

これは男女関係にも同じことが言えると思う

かつて「女は男全体のことをうっすら嫌い」と放言する女は

自分が嫌い返される覚悟や実感がまるでないから苛立ちと嗜虐心が加速する一方だった

でもいまの若者普通に男女平等志向

フェミニストに殴られたら2倍殴り返すぞというスタンスだし

いまの女全体のことがうっすら嫌い

  

ということは次の世代くらいにはまともで対等な男女が見られると思う

2024-11-07

トランプが本当に貧困層に優しい政治をするかはちょっとからないが(メンツ問題で言えばしたいとは思ってそう)

やっぱりトランプゴミ収集車に乗るのとか総合格闘技観戦とかって馬鹿みたいに見えて普通に効果的だったんだろうな

ワイもピカチュウと手つないでる政治家とかベイブレードしてる政治家とかいたらちょっと応援したくなるだろうし

なんだかんだこういう地に足ついた生活感みたいなものを感じさせるのは「泥に這いつくばって」ほどではないが大事

2024-11-04

底辺這いつくばってる終わってる中年からは、中高生主人公漫画世界ご都合主義の作られた世界に見えて楽しめないんだって

2024-10-31

守谷駅前 再開発議論の整理(前半)

こんにちはかもめんです。

日々Xで皆さんと楽しく交流させていただいております

前回、松丸市長はなぜやる気がなく見えるのか について書かせていただきました。

https://anond.hatelabo.jp/20241028233555

X経由でも約700名の方に閲覧いただけたようで、ありがとうございました。

今日は、市長選の重大論点の1つである守谷駅前の開発議論について考えてみます

日々Xで皆さんと交流していると、要するに様々な論点がごちゃまぜになって語られており、

このままだと議論平行線を辿ったままになると思ったので、まとめました。

ちなみに今回も、ただの中年無職である私の一方的視点です。

一応、一定データを集めた上での考察ですが、自分当事者なので、実感値も交えた話が散見されます

引き続き、事実解釈を上手に分けてお読みいただきますよう、お願いいたします。

また、最後にも書きますが、私は自民党員でも松丸信者でもありません。

ただの暇な人ですのであしからずです。

なお、こちらのページの特性上、画像貼り付けやエクセルファイルの貼り付けはできないっぽいです。

全てテキストでやってます

noteアカウントとるのダルいので・・読みにくくてすまんの

まず本件については、以下の3つの論点がごちゃまぜになっていることに留意必要です。

1.守谷駅前の開発は現在失敗しているか議論

2.守谷駅前の再開発必要なのかの議論

3.守谷駅前の再開発は実現可能なのかの議論

それぞれについて、細かく見ていきたいところですが、まずはデータを集めてみました。

守谷駅周辺に関するデータ

(1)市民の実感値

これに関しては、守谷市まちづくり市民アンケートは、論拠のひとつとなるでしょう。

https://www.city.moriya.ibaraki.jp/shisei/gyouseihyouka/1006780/1006785.html

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問51 あなたは、守谷駅前に、にぎわいがあると思いますか 

※令和元年→令和2年→令和3年の数字を手集計

ある  5.7→ 4.2→3.8

どちらかといえばある  23.8→19.8→19.4

どちらかといえばない  41.4→ 46.7→48.4

ない 27.7→28.7→27.6

単位は全て「%」

==========

守谷市民は、実感値では、75%の方が「駅前ににぎわいがない」と考えているようです。

・毎年 、実際ににぎわいが減っていっている、もしくは市民意識が高くなっているためにぎわいがないと認識するようになっている、どちらかであることが読み取れます

(2)地価

にぎわいとは若干異なるとは思いますが、地価を見ることで、守谷駅周辺の価値をはかることも重要でしょう

https://www.city.moriya.ibaraki.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/138/suii.pdf

↑本当は他自治体もこういう資料が欲しかったんですが、つくば塩対応流山たらいまわしにされてしまい面倒なので一旦断念しました。

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守谷市中央1-23-9の地価

H25→R6のデータを拾ってきました

1,730/H25→1,730/H26→1,730/H27→1,740/H28→1,770/H29→1,850/H30→1,940/R1→1,990/R2→2,070/R3→2,200/R4→2,400/R5→2,700/R6

ざっとですが、約10年で1.56倍になっていることがわかります

単位は全て「百円/m2」 つまり平成25年は1平方メートルで173,000円なんだそうな

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(3)人口

駅前のにぎわいにはニーズが不可欠です。

一旦、以下の通りまとめてみました。※手集計、地獄

ひがし野1丁目+4丁目・中央1丁目~4丁目・百合ケ丘2丁目3丁目・松並青葉の人口推移

https://www.city.moriya.ibaraki.jp/shisei/toukei/1005522/index.html

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ひがし野1丁目+4丁目 1091/H29→1110/H30→1226/H31→1304/R2→1298/R3→1337/R4→1341/R5→1370/R6

中 央1丁目~4丁目 2327/H29→2354/H30→2401/H31→2366/R22334/R3→2331/R4→2556/R5→2584/R6

百合ケ丘2丁目+3丁目 4737/H29→4825/H30→4781/H31→4840/R2→4849/R3→4930/R4→4931/R5→5001/R6

松並青葉1丁目~4丁目 1463/H29→2123/H30→2717/H31→2366/R22334/R3→2331/R4→2556/R5→2584/R6

単位は全て「人」

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(4)その他

徒歩圏内でこの10年で新たにできたモノやコト(私の記憶範疇

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守谷駅前朝市(第一日曜)/西口

ダッシュビル/西口

シュラスコの入ってるビル/西口

清六屋の入ってるビル/東口

ブランチ守谷/東口

レーベン守谷THEPRESIUS/東口

レーベン守谷REALA/東口

ルートイン開業予定/東口

==========

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駅前議論の整理

一定データも集まったところで本題です。

1.守谷駅前の開発は現在失敗しているか議論

さて、守谷駅前の開発は現在失敗しているのでしょうか。

事実

市民アンケート:「守谷駅前ににぎわいがない」と感じている人が75%いる

地価:この10年で、1.56倍になっている

人口:この7年で、ひがし野1・4丁目で1097人→1370人と25%増 百合ケ丘2・3丁目で4737人→5001人と5.6%増 中央1~4丁目で2327人→2584人 と11%増となっています

その他:駅前イベントコロナ禍も乗り越えて定着、商業ビルブランチ守谷オープン等、受け皿自体は増えている状態ではあります

 ただし、ブランチ守谷ダッシュビルでもテナント撤退は続いている状態

考察

人口が増えている。それに伴ってかは不明だが、地価商業施設の発展も見られている。

駅前での毎月のイベントブランチでの町内会イベント等、定期的に人が集まるイベントも開催。

ただし、実感値として「にぎわい」は発生していない。

まり駅前の開発が失敗しているのかについては、実際として地価も上がっていることからも、

現時点では「失敗していると言い切れない、むしろ経済的には成功している」と考えるのが合理的かもしれません。

※これ、人権配慮してかなり優しく表現してます個人的意見は、経済的には成功しちゃってるんだよなぁ・・です。

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2.守谷駅前の再開発必要なのかの議論

そもそも駅前再開発必要なのか、皆さんは考えたことはありますか?

気をつけなくてはならないこととして、市のアンケートは「駅ににぎわいがあると感じているか」であって、「駅ににぎわいが必要か」を聞いたものではありません。

皆さんは、「守谷市にとって、駅ににぎわいがあったら良いと思いますか?」と聞かれたらなんと答えますか?

恐らく8割の方は「必要!」と答えると思います

なぜなら守谷駅は、つくばエクスプレスが茨城県に入った最初の駅であり、関東鉄道との乗り換え駅。

まさに茨城の顔であり守谷の顔であるのです。

そう考えた際に、守谷市にとって駅のにぎわいが、あった方が良いか、なくても良いかと聞いた時に、「なくても良い」と答えるのは、もはや非国民でしょう。

では、問いを変えます

「「【あなたにとって】駅ににぎわいがあったら良いと思いますか?

駅のにぎわいは、恐らくここでは商業の発展や人流を表しているものと思います

その上で、守谷駅のにぎわいは、あなた守谷生活において、良いものとなるでしょうか。

実際にこの質問をXで投げかけると、主に以下のような回答が返ってきます

========

・買い物はクルマが使えるスーパーで週に1回程度できればいい

生鮮食品は駅周辺では買わなくていいか

・駅では特に滞留しない

========

かなりの駅近に住んでいる私でも、上記と同様の考えです。

駅で買い物をする=荷物が多くなるため、駅近くに求めるものは買い物需要ではないのではないかと思います

もちろん、「守谷市にとっての駅のにぎわい」や「あなたにとっての駅のにぎわい」について集まったデータがないため、軽々しいことは言えませんし、私の実感値レベル申し訳ないのですが、

守谷駅のにぎわい」は、実生活におけるニーズとしてはそこまで高くないのではないかなという考えがあります

※ただし、私や一定の方が、このアンケートを取ると、結果が恣意的ものになることが多分に予想されるため、当方では集計等はしません

 人口推移を見る限り、駅近くがあきらかに人口空白地帯になっているワケではない(むしろどこも満員御礼に近い)ことからも、買い物の利便性に乏しいという実態がない、もしくはあっても、転居を検討するほどのレベルではないということは十分に推察されるでしょう。

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2-2 商圏から考えた際の駅前再開発必要

にぎわいを「人流」「商圏」ととらえた際の、駅前再開発必要性について考えてみます

先ほど、駅周辺に直結している人口が増加していることを記載しました。

そう考えると、行政が手をつけずとも、民間での商業発展は既に達成されている可能性はありそうです。

ただし、やはり市民として「駅前仕事帰りに買い物をして家に帰る自分」が想像できないのも事実

実際に、最も利用者ニーズに敏感なコンビニの品ぞろえとしても、守谷駅ファミマでは野菜タマゴといった生鮮品は置いていなかったと記憶していますし、ファミマで夕飯買って帰った!という体験をした人はほぼいないでしょう。

スーパーマーケット機能としても、東口守谷コレクション西口ブランチ守谷で、仕事帰りと思われるお客さんで賑わっている様子はあまり目にしません。(※ブランチ守谷の半額品漁りは別)

実際、twitter(当時)においても一部のユーザーの熱意で守谷コレクションが夕食時に弁当を改札近くで売る様に働きかけ、実際にそのような動きがありましたが、あっという間に撤退したのは記憶に新しいところです。(いやせめて言い出しっぺの人は、日常で買ってtwitter拡散してやれよ・・・

商業に関しては、私の感覚になってしまうのですが、

西口コンビニ機能こそ不足しているが、お買い物機能として、中央1丁目側はベニマル・中央4丁目・百合ケ丘はイオン(カスミ)で成立している

東口コンビニ機能豊富(ローソンセブンイレブン)、ブランチ守谷ヨークベニマル本町側はストッカーが商圏として成立している という状態が読み取れます

現状で生活と消費のバランスがとれていることを考えると、守谷駅周辺に新たに商業施設(少なくともスーパーマーケット施設)は必要なさそうだなと考えられると思います

ただし、買い物ニーズがないというのは恐らく外れてはいないと思いますが、

サービス系の業態ジムや塾といったサービス)に対するニーズはある可能性があります

実際、守谷駅学生電車学者が少なくない(実数不明)ため、後述の通り、勉強スペースのニーズはあるかもしれません。

また、ジムに関してもエニタイムフィットネスほか、パーソナルジムエステが乱立していることからも、サービス系の業態でればペイできる可能性はあるかもしれません。

※現状では供給が不足しているのか等については不明。あえて言うなら買い物以外で頼むぜ、そうしないと失敗確率高いぜ程度の温度感です

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2-3商圏外から流入はどの程度考えられるか

日常使いという点を考えると、中央・ひがし野1丁目や4丁目に居住されている方が、守谷駅の商圏と捉えて良いでしょう。

一方、日常使い以外の点、例えば駅から遠くに住んでいる方が駅に定期的に集まる機会はどの程度あるのでしょうか。

つくばエクスプレス沿線にあるショッピングモールから想定してみます

流山おおたかの森SC:1753台

柏の葉ららぽーと2700

つくばのトナリエ:4000台

どちらかというと流山柏の葉よりもつくばレベル郊外化が進んでいると想定される守谷でも、2000台~4000台の駐車場の準備は必要と考える必要はあるでしょう。

また、商圏外から流入と考えると、自動車バス電車での移動が中心になると思います

そうなると、市内でもイオンアクロスモール守谷テラスとも競合

市外でも上記3施設や、取手でまさに今作ろうとしている広大なイオンとも客を取り合う必要が出てきます

それらの施設あまつさえ市内の他施設と客を取り合う必要も出て来るため、駅前再開発においてはかなりの競争力がある施設を考えなくてはなりません。

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2-4 では、駅前開発が必要という人は何を主張したいのか

そうはいっても、守谷駅前の再開発必要だととなえる市民はいます。(何人いるのかは知りません。データもないし)

市長候補3名中2名が、駅前再開発について発信されていることを考えると、市民にとっては大きな関心ごととしてとらえているのでしょう。

※今まさに再開発しようとしている新守谷駅周辺はほぼスルーするのに、何十年後にできるかわからない守谷駅再開発について盛んに発信する程度には関心があるようです

候補意見をあたってみました。

かじおか香織さん https://kaori-moriya.com/agenda/

(要約)

守谷駅とその周りの開発については検討必要

市民の声には不満が多い

守谷駅もつ可能性が発揮できない

・具体的には市の施設(保育ステーション図書室や自習室公共施設を整備)を設置、商業施設が連動した再開発を推進する

わたなべ秀一さん https://go2senkyo.com/seijika/136729

(要約)

tx開業19年で、守谷駅風景は変わっていない

若い世代に選ばれる街になるために駅前再開発チャレンジしたい

・具体的には市の施設(保育ステーション行政郵便図書室・市民ホール)を設置、民間企業とともに再開発を推進する

松丸修久さん https://www.nobuhisa.jp/

駅前開発についての記載なし

前回の記事の通り、松丸氏はハード面で何かを建てます系の主張は特にされない方です(2024.11.1時点)

考察感想)>

一旦、松丸さんはスルーします。

かじおかさん、渡辺さんとも、駅前再開発必要性や行政施設の設置によるにぎわい創出を提案されています

ただし、それによってどういったにぎわいが創出され、市にどのような良い効果が表れるのかについての記載がなく、ここまで論を組み立ててきた当方としては、若干消化不良とみなさざるを得ないです。

経済効果の発揮を主張するのであれば、現在経済規模再開発後の経済規模を明記してほしかったというのが本音ですが、

政策一貫性という観点から見ると、市内全域の交通とも論理接続しているわたなべさんには、一貫性は感じます

ただ、現状私が駅前再開発として読み取れているのは、「情緒価値への訴え」のみです。

日常利便性や、経済的価値(=私たち個人にとって、何がどう良くなるのか)に関しては、試算の上公表いただきたく思います

ーーーーーーーーーー

と、ここまで

1.守谷駅前の開発は現在失敗しているか議論

2.守谷駅前の再開発必要なのかの議論

3.守谷駅前の再開発は実現可能なのかの議論

に分解することを目的とし、

守谷駅周辺に関するデータ収集

上記1.守谷駅前の開発は現在失敗しているか議論・2.守谷駅前の再開発必要なのかの議論

について記載して参りました。

ここまでまとめておいてなんですが、私は現状、「守谷駅再開発経済合理性は低そうではあるが、情緒的に必要性を訴えている」であると読み取ってしまっています

こんなことで本当に良いのか。

続けて「守谷駅前の再開発は実現可能なのか」について見ていきたいと思います

と、ここまで書いて大変申し訳ありません。

なんと、後半記事文字数制限に引っ掛かってしまい、以降の掲載ができなくなってしまいました。

後半については、以下URLよりご参照ください。長くてごめん。

https://anond.hatelabo.jp/20241101150132

2024-10-28

松丸市長はなぜやる気がなく見えるのか

こんにちはかもめんです。

守谷第二位無職として、日々楽しく交流させていただいております

さて、先日フォロワーに「現市長守谷市松丸市長)はやる気がなく見える」と言われました。

こんな中年無職に聞かれても案件ではあるのですが、私が見た松丸修久像について、書いてみたいと思います

■松丸市長本質自分で先導するのではなく、周囲に決めさせて環境を整えるマネージャータイプ

松丸サンは、簡単に言うと、自分で「守谷をこういった街にするんだ!」といって決めていくタイプではなく、「市民に決めさせて、市民運営させる。その場を作るのが市役所」という形を徹底して作ってきた人です。

間違っても自分で駅直結ビル図面手書きしてみたり、小学校を始めとした負の遺産ガンガン建設するよう進めるといった、旧来型の土建屋タイプ市長ではありません。

いくつか実例を見ていきましょう

※細かいことを言うと時系列的に市長時代ではなかったものも含みますが、議長議員も長く務めていたので一旦目を瞑ってください

1:市民権限を持たせる市政

(1)まちづくり協議会

これが松丸市政を最もよく表現した施策であると言えるでしょう。

やや複雑なのであえて超絶簡単にまとめると、町内会をかなりのサイズにまとめて、そこに一定自治権予算を与えたという取組みです。

例えば交通の足に困っている一部地区のまち協に、自治会運営ワゴンを与えて、地域の足として活用することを許可して、交通弱者対策に取り組んだ、というのは非常にわかやすい例です。

これを市役所がやると、「全ての地域にあまねく同レベルサービス提供しなくてはならない」「責任市役所がとらなくてはならないので、そもそも市役所もやる気にならない」「一度始めると、少しでもニーズがあると撤退ができない」ため、施策としてはなかなか前に進みづらいです。

その中で、あえて地域権限を与えてしまって、地域責任運営撤退判断

市役所はその手伝いをするという形を作ったのは、地方自治においては割と画期的です。

そしてこれに関しては、むしろちゃん市民の声を聞く姿勢があるからできた施策」であり、自分でなんでも決めたがるタイプの方にはできない施策でもあることに留意必要です。

(2)ブランチ守谷

これも、市長議会勝手に決めて勝手ダイワと推進したものではありません。

しろ市民を巻き込んでコンペをやり、その中の案の1つを実現化したものになります

ブランチ守谷を失敗している等と言う場合、どちらかというと、その案を出したチームへの批判となります

もちろん、最終責任者は松丸市長ですが、あくま市民同士の批判に転換させるやり口は見事です。

はいつつ、なんだかんだ公園も盛り上がって来てるし、ひがしの町内会イベントやったり、割と盛り上がってきたよね。

2:私立小誘致

これもまさに「自分で手を動かさずに人にやらせる」の典型でしょう。

自治体学校を作る上では多大なコストと期間がかかります

まして守谷市は給食センターの新設も控えており、学校施設の規模調整はかなりの難題。

そんな中で、住所はつくばみらいとは言え、私立小を持ってくるよう仕向けたのは、非常に合理的でした。

守谷では地元の子が一部受け入れられているのと、市外から小学校入学のために税金たくさん払ってくれそうな金持ち転入しています

これは守谷市としても非常に良い効果を生んだと考えています

公立小学校を作っても、金持ちは集まらないことを考えると、非常に良いね

しか税金がかかる乳幼児期を終えた子どもを集める・小学校くらいだと転居してくる可能性もあるというのも素晴らしい)

3:民間企業活用

SALSEFORCE・DMM等、多くの企業との協定を結びました。

これも、自費で何かを推し進めるのではなく、自治体と協力したいという実績を作りたい企業を上手く活用して、市の活性化に取り組んだ功績と言えるでしょう。

実際、ここまで多くの企業協定を結んだ自治体は、政令市クラス自治体を除いたらほぼないのでは?

公立小中学生英語教育ICT教育等、市民としても割と利益を受けています

また、図書館指定管理者制度も早急に始めました。

これにより、図書館の休館日を大幅に減らし、市民利便性向上に大きく貢献しました。

現在は休館日を減らしたまま、市で運営に戻しています

このように、松丸市長は「自分が手を動かした」ワケではなく、周囲を上手に取り込みながら、市を運営してきたと言えるでしょう。

多分、安倍さんとか好きだと思います。もしくはサッカーの森保監督とか。

基本的に何か強く推進している感じが外からは見えないけど、気づいたら強くなってる、そこを目指しているように見えます

さて、ここまでで、松丸市長はなぜやる気がなく見えるのか について語ってきたつもりですがいかがでしょうか。

もう少し、個人的に思っていることを書いていきたいので、徐々に論点を変えていきたいと思います

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アジュールをどう評価するか

では、市長独断で進めたと宣伝されているアジュール問題をどう評価するかは極めて重要ですね。

これも、ここまで語った松丸論だと、およそ協議会とか作ってから進めないとオカシイと思われるでしょう。

ここに関しては私も外れ値だと思ってはいます

ただし、

議会は通しており、高い賛成を得ている

・明らかに財政問題がなく、むしろ将来的には貢献する可能性が高い

・取得までは市の仕事と割り切っている?

ため、独断暴走かと言われると「いつもの松丸さんじゃない」かもしれませんが、

独断暴走と評するほどのものでもないのでは」というのが感想です。

そうなるとアジュール論点にすべきなのは以下2点

政治的正しさ → ここを否定する場合は、議会否定していることになります

お金の使い方 → ここを論点にするのは筋が悪いし、経済経営センスがないことを明かしているに等しいのでやめた方がいいです

これらの論点をごちゃまぜにして、疑惑利権すり替え攻撃されてるな~というのが感想です。

アジュール問題本質的部分については、今日の「市長のやる気の見えなさ」論とは一旦異なるので、これくらいにしておきます

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さて、「周囲を取り込む系マネジメント」をしていくとどのようなことが起こるか。

そう、既得権益化や汚職が気になりますよね。

人と人が関わると、汚職が発生しやすいです。

実際、Xを見ていても、森友学園彷彿とさせるような「疑惑」を一方的にふっかけて楽しんでいる人たちをよく目にします。

では実際に汚職は起きているのか。

調べてみましたが、わかりませんでした。

とこれでは「いかがでしたでしょうか」ブログになってしまうので、真面目に考察してみます

汚職が起きているかはわからないけど、建設業協会は暴走していない

松丸さんの評価という意味では、ここは大きいと思っています

松丸さんは、令和建設(現松丸建設)の元社長だかCEOだかです。

市内でも大きな建設会社なので、実際に少なから工事に関わっています

ということは、松丸さんが最も関係している団体の1つとしては建設業協会・令和建設が考えられるでしょう。

しかし、松丸さんは、小学校建設駅前再開発には手を出しません。

ふつうに考えれば、小学校建設駅前再開発なんて、守谷市の建設業協会にとって最高においしい仕事です。

仮に元請になれなかったとしても、様々な仕事ふってくる、何よりもメンテナンス仕事無限に増えます

これを、あえて推進していないという点は、松丸さんを見ていく上で非常に大きなポイントでしょう。

後述しますが、松丸さんは明らかに嫌われる要素を複数持っています

その1つである対令和建設・対建設業協会に対し、割とそこまで直接的に利益供与をしているようには見えません。

やろうと思えばもっとやれるハズのところで一定の自制を利かせている点は評価して良いと思います

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市長ができるオプションて実は少ない

地方自治独自性だなんだと言われていますが、実際みなさん、地方を見ていてどうですか?

一部の恵まれ自治体を除くと、行われていることって基本的にはほぼないです。

なぜなら、地方自治体に与えられた権限は非常に少なく、基本的に求められる機能が国から下りて来た事業執行であり、金儲けや楽しいイベントを仕掛けることではないからです。

なので、市長ができる施策独自性を出せと言われると大きく2つしかありません。

1.自治体広報・PRによる転入者増・製品販売の後押し

2.既にある事業への参加者増による活性化

1.自治体広報について

こちらは松丸さんの大きな弱点だと思われています

 確かに候補支援者が裏アカを作りまくっているのに比べると、大きく後れをとっています

 手練れの広報が身近にいないのでしょう。

 ただし「有意に上昇を続ける地価」「宅地が不足するレベルで増加している人口」「ふるさと納税寄付関東2位」という実績が出てしまっているため、

 現時点では広報はうまくいっている、もしくはそこにカロリーを割く必要がないというところは大きいかもしれません。

 それでも、他市市長みたいに前面に押し出て威勢のいいことを言うことに幸せを感じる方にはキツイ街かもしれません。

2.既にある事業への参加者

こちらは、まちづくり協議会役割を大きく移譲しようとしていると思います

 市がやります!というより、近所の人がやってます!と推進しようとしている形ですね。

 実際に、枠を作るのは大変ですが、何よりも大変なのは参加者の増加や運営の維持。

 そこを、市民主体的移譲しようとしているので、ここでも松丸さんが前面に出て来ることはないでしょう。

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ではここからは、なぜ松丸さんは嫌われるのか、もとい、松丸さんが嫌いな人はどういった層かについて、まとめていきたいと思います。ここまでの記事を読んでいただくと、ある程度スッキリするとは思います

※ここから先はかなり具体的なペルソナを設定しているので、不快に思ったら途中で読むのをやめてください

1.自民党市役所市長市議会建設関係者が悪であると信じることで、心の調和を保つタイプ

コンクリートから人へ、という言葉こそが正義であると信じているタイプです。

思想信条自由ですが、この関係者に、多くの真面目な市民がいることが見えておらず、また、いうほどその人たちが豊かな暮らしをしているワケではないことにも気づいていません。

このタイプの方は正義感が強く、自身発言も「社会正義」をベースにしているため、恐らく何があっても思想信条を変えることはないでしょう。

このタイプの方は、決して「なぜ松丸市長小学校建設をしないのか、自分がトクするじゃん」という問題には手をつけません。

2.自分が手を動かすのが嫌いだが、情報特に集めないタイプ

ご近所と上手くいっていない、人間関係希薄な方も含みます

このタイプの方は、まちづくり協議会とか存在から知らないし、図書館も誰が運営してようが知ったこっちゃない。

自治体の全てが守谷よりよく見えて、守谷無能運営していると思い込んでしまう。

なので、守谷の仕組を上手にハックできない、その知恵や人脈がない方です。

よくも悪くも、松丸さんが作った今の仕組は初心者にとっつきづらいため、こういう層は自分がないがしろにされていると思ってしまう、もしくは本当になんにもない自治体だと思ってしまうということで、なぜかアンチになっていることが多いです。

ただ、あなたに関してはたぶん市長が誰になっても厳しいって。

守谷ベッドタウンなので、ご近所づきあいはがんばろ。その方が選択肢増えるよ。そういう街です。

3.市長の見た目が気にくわないタイプ

これは1と大きく関わります

松丸市長、たぶんメガネスーツを変えた方がいいと思う。

本人と話すとめちゃいいおじいちゃんなんですけど、ここに引っ張られてる人は多いと思う。笑

似たポジションとして、「市長の発信力がない」ことに不満を持っている方も少なからずいます

発信力があろうがなかろうが、自分うけられる権益は1mgも変わらないのですが、なんとなくブランドが足りてないように感じて、おじいちゃん政治家が嫌いになっちゃうんでしょうね。

一番イタかったのは、コロナ給付金が、既に守谷では配布始まっていたのに、他市市長が「来週から配布します!職員頑張ってます!」みたいなツイートした時に

「◎市はすごい、それに比べて守谷は」と盛んにアンチ活動していた人です。

まぁその方はちょっと活動家すぎるので置いておくとして、市長40歳イケメンだったら、この理由で松丸さんを嫌いになることはなくなるんだろうなと思います。笑

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■たぶんやる気がないワケではない

ということで、本題の「松丸市長のやる気」問題ですが、およそ本人が、やる気を前面に押し出して進めていくタイプでないことは伝わったかと思います

あくまで私は、事実ベースにいくつかの解釈を混ぜた文章としているので、皆さんがどう受け取るかは自由です。

現在守谷市があまりに住みづらい市であり、市政も大きく間違えている、というのであれば、方法は2つ

比較的門戸が開かれている各種取組みや委員自分が参加する

・別の方を市長候補として投票する

このどちらかに取り組んでみてはいかがでしょうか。

私は聖人でも議員関係者でもないので、全員が選挙に参加しろなんて思ってないし、よくわからないなら思考停止させて選挙になんて参加しないのもアリだと思っています

ただ、少しでも興味がある、疑問がある方にこの文章が届けばいいなとは思っています

この内容についての感想等は、Xでいただけるとありがたいです。

今後とも交流のほど、よろしくお願いいたします。

2024-10-23

anond:20241023104825

尊い、てぇてぇ」がとてもキモいんですが

履修が優等生なら尊いは卑屈すぎるな

オタクが卑屈に這いつくばってる割には自己主張が激しいんだよな。キモいねん

仕事不安で二時半に目が覚めた

もうだめだ。どうしていいかからない。納期ない中で忙しい人つかまえてつくったコンテンツが、クライアントに全くだめだと言われてしまった。難しすぎて同じ人もう一回アサインなんてできない。俺がやるしかないのかと思ってるが難しすぎて無理だ。もう無理。もうだめだ。今朝も2時半に目が覚めて眠れない。どうやってここから逃げられるかしか考えられないがもう、もう、疲れて考えられない思考くるぐるしてる。助けてというべきなのか諦めてドロップアウト?いやそんな無責任な。だめだ。できないことをやらないといけない。地べた這いつくばって泥水すすって情けない姿でヒイヒイいいながらもがくしかないと思ってる。つらいつらいつらい

2024-10-22

夫は13才年上の45才の自営業

結婚前は実家暮らし家事は母任せにして、仕事に打ち込んでいたせいか結婚した当初の私の主婦能力はいまいちだった

母に習い、努力をし、だいぶ成長したが夫の目から見たら、「約1年経ってもこのレベル?」といった感じで、私の不器用さが目につくばかりでイライラさせてしまい、日々「センスがない」「好奇心が感じられない」「今まで付き合った女性でこんなにセンスがない人はいない」といった言葉を投げかけられてしまう。

夫は美容師で、お店も成功している方なので、様々な面で器用。

2024-10-18

anond:20241018171104

いや、そういうことだぞ

負け組を支持したやつは身ぐるみ剥がされて地べた這いつくばって泥水すする暮らしをしなければならない

2024-10-17

カ、カタツムリィイイイ!!!

いつものように、カタツムリを入れてる虫かごを洗っていた。

https://anond.hatelabo.jp/20240926220325

このときからいるやつだ。

我が家カタツムリはだいたい虫かごの蓋にくっついて寝てるので、洗う時はプチュっと外して一旦うんちなどのゴミを入れる小袋に避けておく。

が、その日の私は誤ってプッちゅったカタツムリを落としてしまった。

 

ぎゃあああ!

 

カツンと、切った野菜まな板から床に落ちるような音がする。

洗面台の陶器とぶつかったので、割れたのではないかと私は取り乱した。割れてる感じはしなかったけど、みるみるカタツムリから泡が出てきて「なに!?!?なに!?!?死んだ!?!?」と泣きそうになる。

急いで洗って、虫かごを元の場所に戻す。泡まみれのカタツムリ。泡を吐きすぎてデロデロになって、自分から分泌した液のせいで滑ってうまく壁に登れないようだった。

 

!?なに!?どうすれば!?

 

インターネットに頼ったら、泡を吐くのはカニ的な感じで外敵から身を守る時などに吐くらしい。緊急事態だ。すまねえ、すまねぇ、とんでもねえことをしちまった。

いつもなら、洗って新しい餌を入れてやるとすぐに蓋に戻るか食いつくかのカタツムリ今日は泡まみれ。(どうやらこの泡は苦いらしい)何とか壁の途中まで登って殻に閉じこもってた。いつもなら蓋が定位置なのに、その日は中途半端なところにいた。蓋が危険判断したのか、滑って登れないとかどちらかだろうか。

 

その日からカタツムリは全く動かなくなった。殻の端部分が白くなってて、欠けちゃったのかなと悲しくなる。餌にも手をつけてる様子がない。トジコモリになってしまった。

死んでしまったのかとおろおろインターネットで調べていたら、知恵袋で「カタツムリ記憶がのこる。昔いちごを食べるカタツムリに嫌な液体をかける実験をしたらしばらくいちごに近づかなかった」というものを見つけた。論文本体を見つけることができなかったので真相は定かではないけど、これまたガガーン!嫌われたんだ…!ガガーン!!!とショックを受ける。私が落としたばっかりに、私もこの環境も嫌われてしまったのかもしれない。

冬眠時期にはまだ早いけど、なんか嫌なことあるしもう冬眠しちまえという流れになったのかな。すまねえ。私が落としたばっかりに。

 

仕方がないので餌は全部取り出して、ときどき掃除だけして霧吹きをかけるけど相変わらずのトジコモリ旦那さんに悲しみを伝える日々。一週間ぐらい経った頃、このままずっとトジコモリなら外に出してやった方がいいのではと、ウスカワマイマイの生息地域を調べたり、そのへんに放していいかをどこに問い合わせればいいかを調べてる間に、トジコモリは再始動した。

 

!!コンクリート食うとる!!

コンクリートに這いつくばってむしゃるカタツムリ。よく見ると敷いてるキッチンペーパー食べたのか白い糞もしてる。

コマツナを入れてやると、狂ったようにむしゃりはじめた。何日も食べてないのだからお腹が空いてたのだろう。その日から、機嫌を直したのかカタツムリは通常モードに戻った。

今もぷりっとうんちしてる。

何かを学んだのか、掃除中に私が殻を引っ張ってもかたくなに取れなくなった。吸盤力がすごい。

機嫌をなおしたカタツムリ今日も元気だ。いつまでこの家にいるのかわからんが、明日は初めてほうれん草をあげるつもりだ。

2024-09-30

無性にジャンガレが食いたくなった。

山岡屋とともにずっと気になってはいるけれど、どちらも絶妙アクセスが悪い。車も乗らないし。

日常重力というものは中々強くて、行動圏内を逸脱するのにラーメン屋だけではちょっと弱い。そのためだけにわざわざ足を伸ばすのもなんだかさもしいお出かけに思える。

でも普段のおれの過ごし方も大概だ。

頭に浮かんだ単語自分でこねくり回す事もせず、SNS検索ボックスに放り込む。そこに出る他人がまとめた言葉に乗っかって、何かを考えたような気になる。もしかしたらコミュニケーションをした気になってるのかもしれない。何度も同じ言葉検索したりもする。

反復の日々の中で内容を変化させる刺激もなく、何度も同じ話を繰り返す老人と同じだ。

更新など来てないだろうと分かりながら、YoutubeTVerWeb漫画サイトをぐるぐるローテーションしたりもする。それにも飽きたら過去面白かった回を見たり。同じ回を何度も繰り返し見ていれば味もしなくなってくる。

それか、変わり映えしない手癖でギターを弾くか。頭の中で漂う音を取り出したいが、ろくに技術もない。そのためのセオリーを知ろうと知識検索まではするが、頭に入れようとはしない。開きまくったタブを閉じるのもなんだか惜しくて、ブラウザの隅にグループにまとめられたまま。埃でも積もれば少しはやる気にもなったのかもしれない。

こんな過ごし方なら出かけた方が少しはマシかもしれない。

週末、ジャンガレへ向かう決意をした。

山岡もついでに行きたいが、微妙場所がズレている。まあ折角出かけるのだから両方回ってやろう。

と思っていたが、ベッドでダラダラ過ごしていたら出発時間がズルズル延びていく。

結局山岡家は諦め、比較アクセスのマシなジャンガ新所沢店を目指す。

縦の移動を滅多にしないので気付かないが、埼玉は意外と近い。国分寺から西武に乗り換えればすぐだ。

近場でも県を跨げばなんだか旅行気分になる。それが移動の楽しさでもあり、億劫さを生じてもいる。

国分寺線は車内に電子表示がないらしい。イヤホンつけてスマホ凝視している現代の陰気人間に対して実に優しくない。Yahoo路線googleマップ現在地を神経質に確認しつつ、新所沢駅へと降り立つ。

西友と一体化した駅のロータリーは、郊外平均の生活感漂う趣。決して高円寺やそこらの「生活感」ではない。

都心に住んでる者には田舎郊外に住む者には日常光景ガチ田舎に住む者には割と都会。寂れはせずとも活気もない風景は決して気分の上がるものではない。

ジャンガレを目指し脇の通りに出ると飲み屋が並ぶ。町の息づきを隠しやがって、と思うのも束の間、スタスタ歩いているとそれも一瞬で過ぎ去り国道沿いへと放り出される。歩道車道曖昧さに少し田舎さを感じる。いやむしろ駅に近いからか。

コンビニファミレスか、塾やら車屋やらブックオフやらが点在する、ネットバカにされがちなあの光景

中高生の頃もほっつき回れる範囲は「コレ」か住宅外の二択だった。

晩飯までの時間制限はそのまま距離制限になる。電車あっちこっち行くような金もない。楽しげな景色は全て画面の向こう側だったな。せめて河川敷でもあれば良かったのだけど。

歩行者マイノリティのそういう道を歩く度、当時の事を思い出す。目に入る情報が少ないと意識自分の内に向きがちなのかもしれない。今も昔も。

ジャンガレは駅から離れるとすぐに見つかった。

小綺麗で小さめの店内にもう一軒ラーメンの入った、二店舗だけのフードコート形式

卵なしまそば(790JPY)の食券を購入し、受け渡し口へ。

トッピングを聞かれ、慣れた風にニンニクWとだけ。

店員のおばちゃんの声色と表情が「それだけでええんか……?」的な雰囲気を漂わせる。

別にいいだろ。おれは口の中の味が少ない方が好きなんだよ。

何やらメニュー表の写真を指差しながら説明しているが、ここで掌を返せば自分が不慣れのようではないか。実際不慣れなのだから何ら恥じることはないのだが、意地になってロクに確認もせず「それで大丈夫です」で通す。

そこまで言うからにはよほど質素な素ラーメンが供されるのではないかと若干怯えつつ、10秒程度の駆け引きを済ませる。フードコート特有のブーブー鳴るアレを渡され、テーブル席へ陣取る。

すぐさま脳内自分反省回を開く。おれのトッピングは変だったのだろうか。

数m先のメニュー表を確認することなく、インターネット無料トッピング情報を探る。

ニンニク。入れた。

エビマヨチーズ。いらん。味がゴチャゴチャする。

ベビースター。いらん。カリッとしたもんをわざわざふやかすのは嫌いだ。

辛味。まあ初回だしいらんだろう。

あ、アブラを入れ忘れてた……

まあ致命的なミスはなかろう。

スマホを置き店内を改めて見渡すと、数割の埋まり具合といったところ。

若者連れ、ご婦人ペアソロ中年男性

二郎(系)特有の窮屈で急かされてるような雰囲気はない。もう一軒普通(?)のラーメン屋も入ってるしな。

これを求めてたんだよ。家で手間をかけることもなくゆったり食える。

二郎は好きだけどあのガツガツした空気は嫌いだ。早食い美徳とも思わない。回転率とか店の都合だし 。

ナイトホークスとまでは言わないが、郊外の週末夕方の気怠い空気が心地よい。

地元の店といった趣はむしろアウェイ感すら抱かせるほどだ。

時間がゆったりと流れるような感覚。でも給水器の水の出がやたら遅かったのは多分気のせいではない。

呼び出しのブザーが鳴る。

ネット確認して尚も素ラーメンが出てくるのを若干恐れつつ、受け取りへ。

なんだ、ちゃん二郎系の姿をしてるじゃないか

受け取り口脇で紙エプロンが目につく。周りに目を遣ると着けてる奴はいない。こういう時、なんかお上ぶってるみたいで使うのが恥ずかしい。だが、週末のお出かけだしと着てきたお気に入りの白シャツは守りたい。

と悩んでいると、店員から「よければ紙エプロンどうぞ」の声が。渡りに船。まあ、勧められたなら使っといてやるか。

席へ戻る。卓上のカエシを垂らし、ヤサイを除去するように喰らう。コショウをドバドバ振り撒いてブタを喰らう。ニンニクをかき混ぜて麺を喰らう。

うまい。濃くてうまい。味がしてうまい

他の二郎系と何が違うのかはよく分からんけど、かねてから実行しかねていた欲求をきちんと消化し、しかも美味いのだ。何の不満があろうか。

と、汁がシャツの裾に飛ぶ。ちょうど紙ナプキン範囲外へ。

一気に萎える。

コップの水を紙ナプキンに浸して拭うが、薄まりもしない。

シミ抜きめんどくせえな。忘れないようアラームをつけ、自分で抱えてると気の滅入る記憶を外部委託する。

最後の一啜りを慎重に済ませ、退店。

まだ7時頃だかすっかり日も暮れた。もう夏も終わりか。

道路沿いで光り輝く塾の中でガキ共が勉強してやがる。こいつらは幸せなんだろうか。幸せになれるんだろうか。まあおれの知ったことではない。

完全に一服の口になってきたので、googleマップ喫煙所を探す。駅前タバコ屋があるらしい。

喫煙所のある街は良い所だ。目に楽しい街は傾向的に大体パブリック喫煙所が設置されている。寛容さとか、そういう抽象的な理屈じゃなく。

プライベートサービスの灰皿があるだけとなると、ギリギリ及第点といったところか。まあそれもすぐ消えゆくのかもしれない。

タバコ屋へに辿り着くと、分煙へったくれもなく灰皿だけが置かれたストロングスタイル

くどいラーメン後の一服は実にうまい。肉体作業でもした後ならさぞ染み渡るんだろうな。まあそんなんしなとも十分満足だ。さて帰るか。

駅でオシッコしようとしたら、トイレは仮設らしい。小×2と大×1の窮屈なボックスが3つ並ぶだけ。駅の規模の割に小さい。ええんかこれで。

スッキリした所で、ガラガラ新宿行きへドカッと座り込む。

このまま新宿まで行ってしまおうか。映画でも観て、バスタ高島屋でボーッと夜景でも眺めたら締まりのある週末だ。

乗り換えるまでの数駅分の猶予で、まあ今日はもういいかなと思った。

車窓の向こうは晩夏か初秋の暗闇。団地とタワマンの灯りだけがかぶ

家までの帰り道、せめてもの抵抗ゲーセン寄ってった。

なんというか、西武線に揺られ所沢に降り立ちジャンガレを啜るという全ての体験所沢感、というか郊外感があったな。非日常にすら感じるほどの、絵に描いたような日常。それに抗うつもりでゲーセン行ったのがむしろ更にそれを強める。

これをいつもの週末にしたくはないなって思いと、そうなりそうな予感があった。

帰ってフロがてらシャツのシミをシコシコ落とす。かったるい。汚れてもいいTシャツで近所をうろつくばかりの日々はもうすぐそこまで来てるのかもしれない。

後日山岡家も行った。

瑞穂店。どこだよマジで

最寄りは箱根ヶ崎かい温泉街パチモンみたいな名前しといて、実態八高線田舎駅。ドアの開閉はボタン式。狛犬ポジションの罪は重い。

駅前ロータリーコンビニけが目を引く。

国道沿いの道は片側二車線で、より歩行者の疎外感が強い。リサイクルショップの掲げる「作業靴買い取ります」の文言に色々な想像を浮かべる。

所沢って結構マシだったのかも。

15分ほど歩き山岡家に着く。駐車場はかなり埋まってる。思ってたほど臭くねえ。

醤油大盛り

店内は金髪ツーブロの兄ちゃん家族連れ。一人者にテーブル席は許されず、肩身の狭いカウンターへ。

しばし待たされ着丼。

啜る。なんなシメ雑炊出汁みてえな味がする。気がする。分からん。濃くてうまい

ニンニクコショウをドバドバ入れると、叩かれがちな壱系とあんまり変わらん気がする。まあ美味いのでいい。

帰りに寄る場所もなく、来た道をそっくりそのまま辿る。

おれの人生から日常はどんどん失われて、着実に「これ」へと染まりつつあるのかもしれない。

2ch脳じみた考えもとっくに薄れてきて、そういう日常バカにする気もあんまりなくなってきた。自分楽しいか、満足してるか、納得してるか。それが全てなんだし。

大して違いが分からなくたって、美味いと思えるものが食えたらいい。

別に美術館図書館デパートも行かない。

から出なくたってネットに色んなものが転がってる。

でも楽しい景色はこの目で見たいし、自分の足で踏みしめたいんですよぇ。

2024-09-21

2027年横浜万国博覧会あるって知ってた?

大阪万博の影に隠れて、まったく知らんかったよ。2022年11月に決まったとのこと。Wikipedia徘徊してて偶然知った。

 

まぁ大阪愛知万博クラスじゃなくて、沖縄海洋博やつくば花博クラスちょっと小さいヤツになるみたいなんだけど。

 

https://expo2027yokohama.or.jp/

2024-09-16

anond:20240915210019

結局のところは階級闘争なんだよ。

エリート連中は頭はそれなりに回るので理屈をこねくり回すが、要するに「愚民は地を這いつくばってろ」と言っているだけの話。

愚民」の具体的なイメージは無い。なぜなら人生で一度も関わり合いになったことがないから。

ぶつかりおじさんにあった

肩がぶつかったとたんに膝から崩れ落ちておじさんが地面に這いつくばってしまった。合気道やってるから体幹がしっかりしてないと倒れちゃうよね。

2024-09-01

anond:20240901195936

この夢は複数の興味深い要素を含んでおり、以下のように心理学的に分析できます

飛翔と落下

友達と遊んでいる中で、あなたが走ってジャンプし、ゆっくりと落下する場面は、自由解放感への欲求を表しています. この行動が友人に称賛されることで、あなたの中に認められたい、評価されたいという願望が存在することが示唆されます

異世界への移動

然別世界に移動する場面は、現実逃避や新しい経験への憧れを象徴しています. 線路そば階段で這いつくばっている状態は、未知の状況に対する不安や戸惑いを表現しています

意味不明文字

看板に書かれた意味不明文字は、あなた生活の中で理解できない、または対処が難しい状況が存在することを示唆しています。これは、現実世界での何らかの混乱や不確実性を反映している可能性があります

夢の中の夢

友人との食事シーンで、あなた異世界体験について話す場面は、メタ認知的な要素を含んでいます。「すべてが夢であると気づいた」という発言は、自己認識現実と非現実境界に対する探求を示しています.

覚醒

最後に目覚める場面は、現実世界への回帰象徴しています。この夢全体を通して、あなた日常生活から一時的な逃避と、それに伴う自由冒険への憧れ、そして最終的に現実に戻る必要性体験しています

この夢は、あなた内面にある冒険心や自由への渇望、そして同時に現実世界での責任課題との折り合いをつけようとする心の動きを反映していると解釈できます

[]

友達と遊び、俺が走ってジャンプをして、スゥーッと飛ぶように落下して、「すげぇ」となった

もう一回やって、と友人が言うので、気合を入れるために持っているバッグを脇に置いた

そしてもう一度やろうとしたら、なぜか俺は別の世界におり、線路そば階段で這いつくばっていた

看板を見ると、意味不明文字が書かれていた

と、シーンがここで切り替わり、友人と食事をしていた

「でさぁ、あの駅で変な世界アクセスしちゃったみたいなんだよね、変な文字看板もあるしさぁ」と俺は話していた

「そんで、すべてが夢であるということに気がついたら、元の世界に戻ってこれたよ」と俺は言った

そこで目を覚ました

2024-08-31

anond:20240831203244

いやいや。伝播の仕組みは、きちんと語られてるよ。

まず伝播の歴史は、天然痘などで知られる生ワクチンから

体に取り込んだ弱毒化ウイルスが、打った人の周囲に撒かれて、それで感染者と死亡者を大量に出した歴史があるんだ。

  

伝播は今のmRNAワクチンでも起こってるよ。

呼気や皮膚からmRNAを取り込んだエクソソームが発見されてる。

  

エクソソームとは細胞から分泌される細胞外小胞で、細胞間の情報伝達機能があるんだ。

女性美容で、エクソソームパックとか実用化されてて有名だね。

若い人のエクソソームが入ったエクソソームパックをすると美肌に良いってやつ。

  

ケバブ屋さんの店員さんとか、ちょっと異様な臭いするの分かるかな?

あれは体に取り込んだスパイスと汗が混ざって排出されてる。

このケバブ屋さんの臭いと同じように、ワクチンに限らず基本的に体に入れたものは呼気や肌から排出されてるの。

  

人はみんなエクソソーム(細胞外小胞)と呼ばれる細胞のかけらを「汗、呼気、放屁、体液」などで外界に噴出してるんだよ。

https://www.tmghig.jp/research/topics/201704-3381/

  

レプリコンでも同じ。

mRNAってね、そのままだと60分くらいで分解しちゃうの。

これだと抗体誘導するの無理だから、レプリコンでは分解スピードに負けないレベルmRNAを異常増殖させるんだ。

異常増殖したmRNAはエクソソームに包まれて、呼気や皮膚から排出され他の人の細胞にひっつく。

他の人の細胞にひっつくばかりか、エクソソームには増殖機能のあるmRNAが含まれてるから、伝播先でも増殖するって仕組み。

  

2024-08-20

ぶどうみかんりんごの例え(あるいは領域展開・算数

Q1:果物が3つ(ぶどうみかんりんご)ある。これを3人に平等に分けると一人何個?

A1:3/3=1で一人一個(あるいは、果物数3=人数3 なのでを1個ずつくばれるという勘≒ヒューリスティックを使うガキもいるかも)

ーーーー

Q2:ぶどうみかんりんごを3人に平等に分けたい時は?

A2:1/3ずつや(ガキ「えー1/3とかいみふめーだけどw」)

A2ー1:ぶどう、よく見たら9粒あるから9/3=3粒ずつ渡せ

A2ー2:みかん、うーん剥いたら12粒あったか12/3=4粒ずつ渡せ

A2ー3:りんご、あーこれはもう切るしかない

ーーーー

要件によって「果物」という抽象度で扱ったり、「ぶどう」くらいで扱ったりする。

具体度が増した時はそのドメイン知識を使え(ぶどうは離散的に生っているものが房とかいう塊で売られるとか、りんごは1個単位なので連続的な量を包丁で切っていくしかねえとか、みかんは剥いてみると離散的に生っているとか)。

要件現実物体を見て、算数領域に落とし込めたらこっちの技全部当たるぞ(ガキには文章題という形で練習させられる、モデリングと呼ばれることがある手法

2024-08-19

anond:20240819084252

これから絶対に食いっぱぐれない仕事だろ

オマエも這いつくばって上の世代のケツを舐めるんだよ

2024-08-17

田舎世界各国の超超巨大書店が集積する都市がほしい

これが世界最大という超超巨大書店を、どーんと僻地でもなんでもいいから街が作れそうな平野に作ってほしい。その超超巨大さは世界第2位を突き抜けてほしい。

政府テコ入れし、クラウドファンディングも募り、数多ある企業も全勢力が参入してほしい。もうとにかく全力をかけて作ってほしい。

「そんなことして失敗したらどうする?!バカじゃん?!」とか考えず作ってほしい。勝算とか考えず勢いで作ってほしい。

そこには和書だけではなく洋書もある。西洋の本だけではなく中国語の本、アラビア語の本、アフリカーンス語の本、とにかく片っ端から「いやこれいらんだろ」みたいな本だったとしてもすべておく。

なんなら和書中央ではなく洋書中央である日本語を中心で考えてほしくはない。言語別に存在する知の量に応じた配分をしてほしい。

客層に応じてカテゴリ分けは必要だろう。1つの書店だけでなく複数書店統合してもかまわない。古本屋を集めてもかまわない。

「よくわからなくても物理の本を買うなら日本のここへ行け。たぶんあるから」という状態になっていてほしい。日本の中規模以上の書店はほぼすべてここに集める。

勢力が協力してできた超超巨大書店中央に据えて、その周りを他の超巨大書店が取り囲む。その周りは巨大書店。その周りは中規模書店、その周りには小規模書店

海外からも片っ端から誘致する。必要なら補助金も出す。「バカなの?」とか「さすがに海外出店は難しいです」とか一蹴されるだろうが「まあ採算とれそうだからいいよ」と言われるまで粘ってほしい。

税金をたくさん投入してもかまわない。重要なことは「そこにある」「とにかく日本のここに来たらある」「お前のやりたいことは知らんけど本がほしいなら日本のここに行け」という願いが叶う場所だ。

例外を作ればそのブランドは失われる。このブランドこそが他国追随不可能な圧倒性を生む。先行者利益だ。バカすぎて1つ1つで見るとデメリットしかない行為が、結合すると巨大な1つのメリットを作り出す。

どこかで手を抜くと終わる。そんなことまでする必要ないんじゃないのとか、それってめちゃくちゃ損しますよねとか言われようが、究極に本を集める。

書店書店の隙間にはさまざまなカフェが立ち並ぶ。個人経営するカフェからチェーン店が密集する。コンビニも立ち並び、公園には読書に適したベンチがある。公園読書最適化されている。

その街にはどこにでも椅子が置いてある。買った本をすぐ座って読む人向けのものだ。

この街には有名人毎日のようにやってくる。たとえば「ビル・ゲイツが本を選びに来日!」など当たり前のことになるだろう。

読書家はこの街付近に別荘をかまえる。なんにもなかった僻地の近隣に富裕層街が誕生し、地価がとんでもなく上昇する。意味不明なおいしい話だ。

一方で本を読むことが目的でない人間には居心地が悪い空間になる。この街存在している人間はほぼ全員本かその周辺が目的なのだ。本以外が目的人間は異様に目立つようになり警戒される。

街の中央部分は徹底的に、本、本、本、本、本、と本が存在するのが当然の本の密集空間になっている。普通人間が「ここまですることはないんじゃ・・・だって採算とか・・・」とドン引きするぐらいの熱量で本で溢れかえっていてほしい。

地面に敷かれたタイルには、文章が書かれている。まっすぐ歩くと偉人言葉などがそのまま読めるようになっているのだ。たとえば「良い本は私の人生におけるイベントである。」「本の無い家は窓の無い部屋のようなものだ。」「天才とは努力する凡才のことである」などという文が永久に書かれている。有名な書の冒頭部分だったりもあるし、古典文学もあるし、文学のみならず数式も書かれていたりする。それを読むだけで日が暮れる。

この街広告はすべて本に関するものでいっぱいだ。ほかでは絶対に見られない、読書家にだけ向けた広告が撃たれる。「こんな難しそうな本の広告ある?」というのがそこここで見つかる。

たとえばベトナム語マンガ新刊広告なども見受けられていてほしい。

この街にあるのは紙の本ばかりではない。電子書籍派のための書店もある。他では絶対採算がとれないような形の店であっても、「読書家が毎日のように集まることが普通」の街特有書店ができる。たとえば巨大な8Kモニタにその人へレコメンドされた電子書籍が大量に表示され、立ち読みすることができるとか。「辞書専門店」や「単語専門店」や「栄養学書専門店」などがあったりもする。そういうものを作っても不思議利益が出るのだ。

この超超巨大書店圏内部には研究所大学なども誘致する。どのような言語でも関係ない。化学系のカテゴリが立ち並ぶ「化学通り」のようなところには実験器具専門店も立ち並ぶ。

そういうところは、基本的には英語がメインだ。英語の下に日本語が書かれている感じ。イメージ的にはハリーポッターだろうか。ときどき「なんで化学通りにオムライス専門店がこんなにあるんだよ」などということもあるかもしれない。秋葉原神田カレーがたくさんあるようなものだろう。

やや込み入ったところにはマイナー本屋がある。「なんだよこの本屋・・・」という、見るからに異国感が漂う本屋だ。謎の部族の謎言語で書かれた謎の材質の本が置いてあるなど。ネクロノミコンのような本も見つかる。

石版などもなぜかある。読書向けの椅子専門店もある。「本のためだけの椅子専門店」が生存できる場所日本ではここしかない。

しかし、この超超巨大書店群の主目的は「本の集積」である。そこから逸れるようなことがあってはならない。何か欲をかいて「ここに企業をうんたら」などとして利益を優先するとこの街はあっという間にその意味をなくし滅びるだろう。ありとあらゆる人々が周辺の利益を求めて集ってくる。そういうのを一蹴できるような体制であってほしい。

この街意味ないだろ。なんで作った。赤字だろ」と罵られながらも存続する街であってほしい。そして、そう罵る人も、ひとたびその街に入ると「すげえ・・・この街地球必要だわ・・・」とどうあがいても認めざるをえないほど感動できる街であってほしい。街自体で見ると赤字なのだ不思議日本経済が潤う源泉である摩訶不思議都市であってほしい。完全に未来へと投資された都市である

この街では、夜もたくさんの書店営業している。こんな大きな本屋24時間営業できるのはこの街しかありえないとなっていてほしい。「夜眠れないな・・・本でも買いに行くか・・・」という人外の行動を普通にするような場所であってほしい。

街の周囲には民家が立ち並ぶ。ただしこの民家に住む民間人はややおかしい。本のために移住してきた狂信者たちだ。軒先には自分選書が並び「1冊100円」などと書かれていることも多々ある。

富豪がゴッソリ買っていくことを見越して少し離れたところに在庫置き場がある。

富豪が「ではこの棚からこっちの棚まで」などと爆買いしていく。もはやテロリストのようなものだが、そんなことは気にせずまた入荷する。本はバカみたいに売れる。

近隣の都市はこの超超巨大書店都市のおかげで経済効果がある。

この街は、「日本人なら1度は絶対行け」と呼ばれる場所になる。そしてひとたびそこに立ち入れば「世の中にはこんなに知識があったのか」「世の中はこんなに頭のいい人たちで溢れかえっていたのか」ということが、嫌でも全身の細胞に刻みつけられる。伊勢神宮みたいなものだ。それよりも神々しいかもしれない。

そして、全身の細胞体感したその人は、格段に読書するようになるだろう。それは地元へ帰っても同じことだ。一流を目の当たりにした者は一流になる。

取次の問題も、書店が潰れかけている問題も、日本人が本を読まなくなってしまっている問題も、経済が深刻化している問題も、だいたい解決できるだろう。

誰か作ってください。

ちなみに国防にも役に立ちます。一度作ってしまえばここを潰すやつは「バカ」なので。ペンは剣よりも強し!

書店兵器です。

追記

ジュンク堂書店など大型書店が潰れかけているのは知っている。

ただそれは、「本がたくさんあっても意味がない」のではない。逆。

大型書店であっても、本が少なすぎるのが問題である

だいたい日本語の本というのは大して範囲が広くない。

それに「物理本を読む人が少ないか本屋が潰れちゃう」というのも逆だ。

物理本を読みたいと思う人を増やす。そのためには本屋すべてが潰れることも辞さない」という情熱が正道である

本というのは知の源泉である。だから知識がない人に迎合すれば、潰れるのは自然だ。知識がない側に与するのだから

本の機能はそれとは真逆であり、全体を引っ張り上げるものである知識がない側が「欲しい」と願える場にすべきなのだ

ない側に媚を売っていれば潰れて当然。

「この本は今は読めないけれど、読みたいと思う」そういうものがない。

「この本は内容はちんぷんかんぷんだけど、そういう本の存在を知っている」そういうものもない。

ジュンク堂書店などですら、知らない人々が多い。大型書店重要性を知覚できていない。入ったことがない人間もいる。

からこそドカンとぶち上げるのだ。

記事を読んでくれた人へ: 記事を読んでくれたのはありがたいが、たぶん自分が考えている規模と読んだ人が考えている規模に大きな差があると思う。

自分が考えているのは、もっとも小さく考えても深圳書城中心城の数十倍の大きさであり、既存書店ちょっとだけ大きくしたものとか、蔵書が全く同一であるような大型書店が単に10個ある街という形ではない。

コーチャンフォーつくば店は50万冊、池袋ジュンク堂書店は150万冊、深圳書城中心城は400万冊、国会図書館は4685万点。Amazon Kindleは60万点。

自分が言っているのは、数億冊あるような書店である。つまりコーチャンフォージュンク堂書店紀伊國屋書店は超超巨大書店世界中の意味わからんハイレベルの本から選びぬかれ集まったエリート本屋)の周辺を取り囲む「日本区域最大の超巨大書店」の周辺を取り囲む「大型書店の1つ」という状態を考えている。ブックオフなどはその周りを取り囲む中型書店になるだろう。その周りを、身近にあるご近所の本屋さんがたくさんずらーーーっと並んでいるというような領域だ。いうならばこれが日本区域である

世界の蔵書数はGoogleによると約1.3億冊であるらしい。日本区域内に別に中国語韓国語の本があることもある。ただし日本区域の横には韓国区域だったり中国区域だったりする。その中国区域でもばかみたいにデカい超巨大書店があり、それを取り囲むようにジュンク堂書店並の大型書店があり、英語区域では……というような状態だ。言語別に分けられているだけでなく、「数学領域」で分けられていることもあり、そこでは「高校数学」の棚に世界各国の高校数学が並ぶ。数学参考書を買いに来た高校生が、カメルーン人の中学生と仲良くなるみたいなことも想定できるわけだ。

地方のクソデカ本屋が数百個単位で入る「は・・・?」「この街・・・全部・・・本屋さん・・・?」という規模の書店である

イメージとしては↓な感じ。

まもなく目的地の駅に近付く。電車にいる人々は全員が本を読んでいる。スマホを触っている人たちなど誰もいない。不思議光景だ。多くの人がそわそわしている。初めて来た人たちが多いのかもしれない。

電車が駅に滑り込み走って降りる人々の後ろでのんびりと降りる。全く、はしゃぎすぎだろう。

降りた直後、本の形をした案内板が表れた。真っ先に飛び込んできたのは「↑ バベル中央書店」というやたらとデカい黒文字と、その下にあるやや大きな黒文字の「↑ 北区書店」だった。

右を向くと・・・あれは・・・本の自動販売機?! 本を自販機販売するのか。カルピスの作り方・・・自動販売機歴史・・・Why could he make vending machines?・・・なるほど。

床には文字が書かれている。Station, State, Statue, Status. 何のことやらわからない。

改札を出る。改札を出ると、ああ、もうこれは本のテーマパークだ。最奥部に見える巨大な塔には雲がかかっている。おそらくあれが中央書店だ。その横には数えるのもバカバカしくなるほど書店が並ぶ。街には今まで見たこともないような人々で溢れかえっていた。ベンチでは読書をしている中東とおぼしき人が中国人らしき人と何やら議論している。彼らが話しているのは何語だろうか。

デジタルサイネージで目まぐるしく本の広告が入れ替わっていく。「サウダージさようなら」「入門グロキング」「般若心経終焉

ぼうっとしているとハトが飛んできた。ここでは何やら、ハトでさえ賢く見える。予算は5万円だったが、足りるだろうか。

Amazon倉庫でもないんだって

なんか全然伝わっていなくてものすごく悲しい。

子どもときに巨大書店や巨大図書館人生で初めて行ったときとか、論文大学研究の仕組みと接したときに、知の偉大さに震えたことがないだろうか。

目に見えないものは見えないことが多い。たとえば、ライブ会場に行ったことがなければライブの偉大さは本当にはわからないし、「本当にこんなにたくさんの人がファンなのだな」ということもわからない。

記号接地問題ともいうらしいが。

いま「自分が考えるクラスの巨大な本の集積地を人類の誰もが見ていない」というのが問題であると思う。誰1人として。

そういう知がたくさんあることは存在としては知っていても、「それを見たことがある人は誰もいない」のだ。いわば、月は見えるけど、月に行ったことは誰もいないような状態だ。

神田古本屋街や、既存大型書店というのは、いわば地球上にある月に似たところでしかない。「たぶんこれとこれがこうなると月」というふうにしか想像できない。だが月に行かなければ月の隕石は無いのだ。

ほとんどの人は、目に見えないなら存在しないと感じてしまう。マッチングアプリ人間を左右にスワイプするとき人間ではないように扱う。それは人間として存在しているのに。

一方、眼の前に相手がいるとき、同じように左右に指を振って弾くのは容易ではない。これが目の前にあるかないかの大きな違いである。

自分が言っているのは、そういう知の集積の偉大さが理解できなくてもとにかくそこに行けば、「ああそういうこと」「人類は偉大だったのか」と、誰もがたちどころにわかってしま場所がほしいということである

それから、実現の不可否はともかくとして、「え、そういう本屋あったらめっちゃいいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と感じてほしい。

2024-08-12

毎年同じ内容を投稿しているが、今日広陵明徳義塾が登場するので、このタイミング修正して再投稿

日本高校野球の歪さとして、酷暑の開催と過密日程はよく言われるところだが、もっとも深刻なのは私学強豪校の過剰な部員であると思う。広陵は150人、明徳は108人を抱えている。他にも鶴岡東聖光学院などが100人を超えている。大多数が通学圏外の「野球留学」の選手である

周知のように現在は超少子化時代で、子供におけるスポーツとしての野球に対する人気もサッカーバスケはるか後塵を拝するようになっている。にもかかわらず、甲子園に出ている私学強豪校は、現在でも100人を超える部員を通学圏外からかき集めるという、子供の数が多くてスポーツといえば野球王様だった時代にかろうじて許されたやり方を、最近にもなってもむしろ加速させている。

その結果として何が起こっているか想像の通り。地元では有名だった中学生野球選手が、通学圏外の部員100人超えの強豪校に進学して3年間公式戦に出ることもなく補欠やスタンド応援要員のまま(最悪の場合中退である一方、その選手地元公立校部員数の不足に悩まされ、弱体化に拍車がかかって連合チームになったりしている、という風景が広がるようになっている。かつては甲子園常連だった名門公立校も、部員100人超えの新興私学に太刀打ちできなくなっている。

こういう話をすると、「選手自由だ」という反論が返ってくる。しかし、試合に出て活躍することよりも、補欠やスタンド応援でも甲子園常連校に在籍していたことのステータス選択する自由とは、一体何なのだろうか。そんな選択そもそもおかしいのではないか、と親や教師アドバイスしなければダメだろう。そして、私学強豪で3年間補欠だった選手が、卒業後に大学企業チームで活躍している例は残念ながらほぼない。選手の実力を成長させるのは、練習以上に試合経験なのである


甲子園出場経験のない地元高校活躍し、注目されて上のレベルに進む例の方がまだ多い。例えば阪神大山佐藤は、それぞれつくば秀英仁川学院という甲子園未出場の地元高校に進学し、そこで目立つことで野球の強い大学に進学することができた。部員100人超えの私学に進んでいたら、試合に出る機会すらなかなか恵まれなかった可能性が高い。


2010年代以降、予選の参加校数も減少の一途をたどっている。にもかかわらず、現在でも部員100人超えの私学校が減っているように見えない。私立高校エゴイスティック経営戦略のために、日本全体の野球文化が掘り崩されていると言っても過言ではない。

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