はてなキーワード: 金字塔とは
電車男に分類してるのは大昔からある少女マンガの文法でバトロワもだけど古典じゃなく定型だよー
カイジって言ってるのもたぶんシチュエーションスリラー枠だから真似じゃなくてそういうジャンルってだけだよー(フォロー先としてはライアーゲームの方が多そう)
電車男は実話系で構成が新しい感じで高嶺の花への恋っていう文学的な表現じゃない現代的なオタクって属性でライトな少女マンガさで大衆向けにやった雄的なものだけど漫画ゲームだとそんな珍しくない構図で今は当時よりその辺りのコンテンツがまさにカジュアルにより大衆化して少女マンガも含めて実写化されるようになったからそのジャンルの作品を目にする機会も増えるのも当然なんだと思うよー
モテないタイプがイケメンや美女にみたいなその手のは方法論はちがうけどハリウッドにもヨーロッパにもボリウッドにもあるからジャンル自体がそもそも盛況ってのもある気がするなー
バトロワも確かに金字塔でメディア問わずフォロワーも多いけどそれもやっぱり日本に限った事じゃないしバトロワ型(サバイバル)アクションスリラーを裾野を新たに表現としてひろげてジャンルとして定着させたある部分では始祖的作品でもあるからプロットが被っててもそれだけじゃ古さとはまた違うんだと思うんだよー
SAW以降ほんとやばいレベルで低予算ソリッドシチュエーションスリラーが(今も)量産され続けてたりブレアウィッチのあとのPOVホラー大発生だったりその中でまたフォロワーがフォロワー呼んでたり実際の事件を基にした機知に富んだ銀行強盗映画ってだけでも何本あるのほとんど舞台イギリスじゃんってなるしあのキャメロンディアスはこっちのラブコメでこのキャメロンディアスはそっちのラブコメでこのジムキャリーはどのコメディの傲慢なジムキャリー???てなりがちだし有名どころには必ず一瞬続編かと思うような(予算少ない)作品が横並びで同時発生的についてたりしてジャンルを○番煎じって言っちゃったらもう色々成立しないと思うんだよーゾンビものをロメロの何十(何百?)番煎じだって言わないのと同じだよー
見るDVDが偏りすぎてて最近の少女マンガ邦画とか予告にチラッともしないから似てるとかそういうのは何とも言えないけどゾンビもの邦題○○オブザデッドどんだけあるんだよって思うし登場人物も似てたりというかセオリーあったりするけど実は差別化頑張ってたり色々やってるから少女マンガのもオタクものもパッと見似ててもそれぞれ個性も結構あったりするんじゃないのかなーってなる
実際カメラを止めるなもワンカットオブザデッドだし低予算ものなら本編に予告シーン以外の盛り上がりがないとか予告が一番面白いとかザラだしラスト○分見逃すなとか予想できないとか想像を裏切るみたいなそういう煽りもよくあるから話題になってなかったら見てたか分かんないから最初からジャンルのコバンザメじゃーんてだけで切り捨てるのもどうかと思うよー
何度か挫折してたけど意を決して読んだ
結果、がっかり
まずマンガとしてすんごく読みづらい
キャラの書き分けがろくに出来てないくせに、やたら登場キャラが多い
さらにタチが悪いことに、各話ごとにメインキャラがころころ変わるオムニバスだったりする
イマジナリーラインを無視しまくってるせいでキャラの位置、視線がコロコロ変わるからすんごくストレスたまる
これを楽しむためには、かなりセリフに注意して、誰から誰に何を言ってるかを完璧に把握して、かつそのときやりとりしてる間柄がどういったものかも完璧に把握しとかないといけないから、すんげー神経つかって気合入れる必要がある
百合があふれてるこのご時世に、そこまで頑張って気を使って読みたくねーよ
あとやたらビッチすぎてかなり引く
別に肉体関係込みの百合ってのも否定はしないけど、なんつーか奥ゆかしさ的なものを百合の大きな構成要素の一つと思ってる自分からすると、ただれすぎてて胸焼けしたっつーか、いくら告白したり思いが通じたっつっても、いやお前別の話でやりまくっとったやんみたいに思って素直に感動できなくなるんだよなあ
うーんこっちは別にいいんだよなあ
はてなブックマーク - かつらかぶり全裸で女風呂に侵入、62歳男逮捕
三重県警亀山署は10日、亀山市西町、会社員の男(62)を建造物侵入容疑で現行犯逮捕した。
発表によると、男は10日午前2時頃、同市小野町のビジネスホテルの女風呂に女性用のかつらをかぶって女装し全裸で侵入した疑い。
実は海外のいくつかの国では外科手術無しで性別を変更できるようになっています。
【発言】戸籍の性別変更、手術要件廃絶を 保険適用を考える | 共同通信 [2018/01/15]
―世界的な情勢は。
三橋「ヨーロッパでも、過去には公的な性別変更には手術が必要だったが、今や要件緩和は世界的な流れ。英国、スペインなど多くの国で性別適合手術を要件から外している。
スウェーデンでは、過去に手術せざるを得なかった人々に賠償金まで払った。世界保健機関(WHO)も2014年に、手術要件の廃絶を求める声明を発表した。
イギリスでトランスジェンダーの法的性別変更手続きがもっと簡単に! [2016/07/14]
これによってイギリスはアイルランドやマルタやデンマークと同じラインに立てるのです。
これらの国々では性別変更をするのに外科手術などの医療行為が必要ではないのです。
トランスジェンダーの権利はどれだけ支持されているのか。世界23カ国を調査 [2017/05/06]
ランキング3位のアルゼンチンは、2012年にジェンダー・アイデンティティの「自己決定権」を認める法案を可決し、新たな金字塔を打ち立てた。
これにより、西半球で初めて、手術や医師の許可がなくても、書類に記入するだけで法律上の性を変更できるようになったのだ。
トランスジェンダー擁護団体「トランスジェンダー・ヨーロッパ」によると、その後、欧州の4カ国がアルゼンチンの法律をモデルにした自己宣言法を採択し、さらに18カ国以上が同様の法案を検討中だという。
さてこの流れに日本も追随するとなると「性自認が女性で性別変更手続きをした男性器のあるトランスジェンダー」は女湯に入ることになるでしょう。
もし追い出したりしたらそれは差別です。
昔サンデーモーニングで、女子アナが手作り工作でニュースを伝えるコーナーがあったんだけど(今もあるの?)どうも苦手だった
失礼だけど作りはめちゃくちゃちゃっちくて(当時)、途中ボロボロになったり壊れたりするのを、周囲のおじさんたちがニッコニコして見てるのが少し気持ち悪かった
好評なのか毎週あって、わかりやすいのも中にはあったけど"これ工作する意味ある?"みたいなのも多かった印象。
最近激レアさんを連れてきたって番組たまたま見たら、弘中アナが大量の手書き文字フリップを貼ってて、調べたらやっぱり彼女が書いているみたい。彼女に何にも罪はないんだけどやっぱりさぶいぼが立ってしまった。だってあんな大量フリップ印刷でいいじゃん…これ男性アナだったらやらせてる?
大人の女性に無駄な労力かけさせて"よくできたね〜"っておじさんが褒めてるのがマジで気持ち悪い。(激レアさんはそういうおじさんはいなさそうだけど)そういうのの金字塔ことやってTRYはネタっぽいからもういいけどさ、、、
先日行われた、日本では実に4年ぶりのブルーノ・マーズのコンサート
「BRUNO MARS 24K MAGIC WORLD TOUR 2018」。
なぜ私は行かなかったのだろうか。今、激しく後悔している。
その後悔の大きさは、私に初めての匿名ダイアリーを書かせるほどである。
とはいえ、私がブルーノ・マーズにハマりはじめたのは実に4ヶ月前。
この「24K Magic」というアルバムが、いや、まあ、凄すぎるからである。
(歳は30手前なので、全盛期からは外れているのだけど)
「キング・オブ・ポップ」的な何かを、誰かに託してみたいと願っていた。
でもさー、なかなかそんなのいないよね。
「Don't Stop 'Til You Get Enough」で最初に魅せた、比類なきリズム感。
「Thriller」や「Beat It」、「Bad」での、高い演出構成力に耐えうるリズム&ビジュアル&ダンススキル。
ダンスミュージック歌わせて踊らせたらもう女子はみんなメロメロだし(例えば「The Way You Make Me Feel」)、
正統派なポップで完全に世界を掌握するし(例えば「Black or White」。個人的には「Remember The Time」が好き)。
「You Rock My World」なんて、亡くなる数年前の曲だけど、
それまでで一番じゃないかってくらい名曲中の名曲で全然色あせないよ?
私が思う「キング・オブ・ポップ」は、
リズム、歌唱力、ダンス、ビジュアル、それらに支えられたカリスマ性、
それらが時代に合わせて常に変化しながらも、トータルに持ち続けられる存在だということ。
あー、うん、いるいる。そういう人、男性も女性もいっぱいいる。
でも現代で、元々マイケルを指した「キング・オブ・ポップ」を、
マイケル好きから真に後継者として認められる人は、多分まだいないんじゃないかな。
そこで私は「いや、ブルーノ・マーズこそ現代のキング・オブ・ポップ(になりうる存在)でしょ!」と声高らかに吠えたい。
「24K Magic」で一番凄いのは、それまでの彼の曲に比べて大きな振れ幅を持っている点である。
正直「Just The Way You Are」や「Marry You」のイメージからは、アルバムを通して全然異なっているのである。
9曲通して、リズムの変化球がすごい。そして、全体的に懐かしい。
敢えて「マイケルの再来」を予感させるような曲作りをしたとしか思えないが、
そのなかで、ブルーノ・マーズの歌唱力、そしてそれを支える米国プロチームによって、
懐かしいのに新しい時代を感じさせる、これはつまりどーいうことよ???である。まさにMagic。
(ちなみに曲解説はこの記事が分かりやすい。http://realsound.jp/2016/11/post-10314.html)
楽曲のクオリティの高さはもちろん、正直その変化の振れ幅に驚いた。
今後、どこまで変化してどんなふうにワクワクさせてくれるんだろう、と。
その振れ幅の大きさ、完成度の高さは、現代の「キング・オブ・ポップ」にふさわしいと思う。
舞台に登場して首の位置、手の位置を変えるだけで悲鳴が上がる存在ではないかもしれないが、
各個人が自分の好みに合わせて優れた音楽を方々から集めることのできる現代、
時代が違うわけで。
まあ、結局言いたいことは、
そういう「私的現代のキング・オブ・ポップ」の東京ツアーを逃す、ということは
次行けたとしても、「24K Magic」の曲はそんなにやってくれないだろうし・・・
と、未だにごねているのである。
以下タイトルを読んでもいただいてお分かりいただけるようにSTAR WARS EP8 最後のジェダイのネタバレ及び、この映画が好きな方には極めて不快な表現が含まれています。
それに関して問題ない方はこの長文にご付き合いください。
先週末、映画史上に残るカルトムービーSTAR WARSの続編、EP8を名乗る映画【最後のジェダイ】が公開された。
海外最大手の評価サイト、Rotten TomatoesでFresh(新鮮、この場合は面白い)であると保証されていること以外は何も事前知識を入れずに公開初日の夕方に見に行った自分を待っていたのはとんでもないものだった。
観客の予想を裏切ることを優先するあまりとっ散らかってカタルシスのないストーリー、銀河を巻き込んだ壮大な戦争のはずが敵味方がいつの間にか人類ばかりになってしまったことによる説得力のなさ、黒人には白人美女はふさわしくないとばかりに略奪愛を行うローズから滲み出る制作人の差別意識などはSTAR WARSの名を冠さない映画であっても「これってどうなの?」と思わざるを得ない点が多々あった。
特にフィンローズパートは30分近くかけて何一つ大勢に影響がなかったばかりか、結果的にとてつもない大失態となり何百人ものレジスタンスが犬死にし、あまつさえその本人達は自分の引き起こしたことなどすっかり忘れて英雄気分でいるという普通の映画なら考えられないことになっている。もしこのサブプロットが存在せず、映画が2時間で収まっていれば、すっかり前立腺が肥大しきっており必死に尿意に耐えていた自分のような人間の評価も今ほど辛辣なものでは無かったかもしれない。
そしてこれら以上にファン(旧三部作)を襲ったものはルークスカイウォーカーのキャラ崩壊を筆頭とした「これまでの物語はなんだったんだ」という絶望感では無いだろうか。
EP6にてルークスカイウォーカーは映画史上に残る悪役にして父親、ダースベイダーに僅かに残る善性を信じ敵の根拠地、新デススターに単身乗り込む。妹のレイアを暗黒面に誘惑するというベイダーの挑発に激高し右手を切り裂きベイダーを追い詰める、しかし自分と同じく機械の右腕を持つ父親に言葉に出来ない繋がりを感じたルークは暗黒面へ来いといざなう皇帝を前にしてライトセーバーを捨てこう言うのだ「Never. I'll never turn to the Dark Side. You have failed, Your Highness. I am a Jedi, like my father before me.」巨悪たる皇帝の前で身を守る武器を捨てて「あんたの負けだ」と勝利宣言をするのである。そして最終的に父親をかつてそうだったようにジェダイに帰還させるのだ。このことからSTAR WARSという映画は宇宙規模の戦争で正義が悪を倒すといったことやフォースがどうたらといったことがメインテーマなのではなく、結局最後まで諦めなかった一人の息子がとてつもない悪の道に沈んだ父親を助け出す、ただそれだけの物語なのだと解釈することも出来る。
しかし、最後のジェダイで明らかになったルークの過去はこれまでの物語を全て覆すものであった。親友と双子の妹の間に生まれたベン・ソロからとてつもない闇を感じ寝静まったところを襲い、返り討ちにあったということだ。
EP7、或いは8を見た方の中でベン・ソロことカイロレンからそこしれない深い闇を感じた方が一人でもいるのだろうか。闇落ちの理由は偉大な両親にコンプレックスを抱き、そして両親の仲が悪く仕事に逃げ構ってやらなかったことだったと思う。どこまでが偉大な親に含まれるかは置いておいて、このようなケースは現代日本でもゴマンといるだろう。
百歩譲ってそのようなきっかけでカイロレンが深い闇に沈んだとしても映画ではそのような描写は殆どされない。父親を殺したことに動揺して初めてセイバーを握ったレイに対決で敗れ、母親のいる艦橋にはミサイルを撃ち込めず、師匠を殺してやっと一皮剥けたと思ったらハックス将軍に「女がやった」と言い訳をかますヘタレっぷりである。
一つ擁護させていただくとカイロレン役のアダムドライバーは最高の演技をしていたと思う。しかしそれは今一悪に染まり切れない不安定な若造としての演技であって間違っても凶悪なヴィランとしてのそれではない。
繰り返すが、ルークはこの若者からかつて銀河を恐怖のどん底に陥れたダースベイダー以上の闇を感じ、闇討ちをしたと言うのだ。
ふざけるのもいい加減にしろと言いたい。あまつさえそれで心に傷を負い、隠棲した?
この映画を見る前「もしルークが闇落ちしていたら怒っちゃうかもしれない」などと冗談を言っていたがそれを上回ると言っても過言ではないあんまりな展開だった。
ついに明らかになったレイアの潜在能力や「もう全部あれでいいじゃん」と思わせるワープ特攻、フォースを使ったSkype対話等々今までのファンから見たら目を疑うようなシーンが多く見られた今作であったが自分にとって最も許せないのはこの旧三部作のテーマを全て否定したルークの扱いであった。
このような脚本を渡されたマークハミルは心から気の毒だと思うし、それでも演じきった俳優としてのプライドは本当に凄いと思う。
漸く本題に入る。上記のこともあって自分は途中からこの映画を見ていてもう質の悪いパロディ映画を見ているような気がしてならなかった。
そこで今回登場するのが『シターイ・ウォーズ-SITAI WARS- 新たなる恥棒』というわけだ。
アイアンマンの『アーンイヤーンマン』に代表されるように有名な映画というのはこのようにおもしろおかしなタイトルでパロディAVになるものらしい。
シターイウォーズはこんなストーリーのようだ。
SF映画の金字塔、いやハリウッド映画の超名作といえるあの作品が遂にパロディとして登場!
劣勢の同盟軍は絶倫暗黒騎士ダース・スペルマーの軍門に下ってしまうのか、それとも救世主ルーク・スカイファッカーの力を借りて銀河に平和をもたらすのか…
ラストシーンのレイプ姫、ルーク、ハン・ダチによる3Pはポルノ史に残る名場面になること必至。
名脇役たちのパイオツーディーツー、センズリーピーオー、シコッテバッカといった面々もリアルに登場!
断っておくとどちらがマシかとタイトルに銘打っているのだからしっかりと見比べているんだろうと思われるかもしれないが自分はこのパロディAVは全く見ていない。申し訳ない。最後のジェダイの方も2回以上見るほど肝は据わっていない。
だがこの紹介文だけでも読み取れることはある。
両者ともにキャラクターが崩壊しているのは想像に難くない。旧三部作では絶対にやらなかったことのオンパレードなのは見なくても伝わってくる。文字通りこれまでのSTAR WARS感を粉々に砕いてくれるだろう。
そして片方しか見ていないのに言うのもなんではあるが最後のジェダイと新たなる恥棒のどちらがマシかと言われたら、自分は新たなる恥棒のほうが恐らくマシだと思う。
新たなる恥棒は最初にしっかりと【パロディ】と銘打っており厚顔無恥にもEP8などと壮大なサーガの続編を名乗っていない。
タイトルや登場人物の名も微妙に変え、これは本物ではないと誰にでもわかるようになっている。
間違ってもレンタルビデオ店の暖簾をくぐってSTAR WARSの続編見たさにこれを手に取る人はいない。
映画評論家町山智治氏は最後のジェダイについてざっとこのように評しているそうだ「これまでのSTAR WARSの定番を打ち破り脱却している素晴らしい作品、過去キャラの扱いが気に入らず怒るのはお門違い。」(直接は聞いておらず伝聞を記しているのでもし異なるところがあればご指摘いただきたい。良くないことで本当は直接聞くべきなのだが自分はそこまで心が強くない。)
このように評価している評論家は国内外問わずたくさんいるようだ。
そしてインターネット中に溢れるSTAR WARSファンの中には「STAR WARSの全てを愛するのが本当のファン、嫌ならば辞めればいい」と言う人も散見される。
評論家の方々に是非この新たなる恥棒もレビューしていただきたい。最後のジェダイをはるかに超える満足度だと思う。
STAR WARS関連のグッズは何でも集め、愛するという方々にもしこのパロディのタイトルが本当にSTAR WARSの名がついていたらやはり中身は関係なく神聖視するのか?と問いかけたい。
そして駄文の締めにこんなブログを見るはずがないとわかっていてもディズニーにお願いしたい。
4000億円もかけてSTAR WARSの権利を買い取ったのだからあなた方はSTAR WARSという世界でありとあらゆることをする権利がある。EP8を作り直してくれなんて馬鹿なことも言わない。
ただ、もう昔の登場人物を安らかな眠りから叩き起こし、屈辱を与えることはこれで最後にしてほしい。
とりとめのない長文に付き合っていただき本当にありがとうございました。
好きな増田 2017 (anond:20171217083142)
1~8番目は良い意味で印象に残ったモノ(多分ブクマ数降順)。残り2つは番外編。
この増田を読んだがゆえに、関西出張の際にエキスポシティで映画を見た。「ここに自走式彼女が…」と、初の増田聖地巡礼となったこともあり、今年の増田文学、と言う意味で真っ先に頭に浮かんだ。お二人にはまったりと幸せな年末年始を迎えて欲しい。
今年後半に突如沸いたストロングゼロ文学の(個人的)金字塔。2026年、ストロングゼロが禁止された後のリアリティのある世界感が最高。
近場の駅そばでいつも人気ランキング上位にある「コロッケそば」。絶対合わないだろと避けていたが、これを読んでトライ。悪くなかった。多分リピートはしないが。
実践してみようと思ったが、「すごーい!見積を送付する前に、数字を確認しないフレンズなんだね!」等、会社においてはうまく機能しなさそうなので断念。
私は独身だけど、家族モノに弱いので涙腺崩壊した。この息子さんにはこのまま真っ直ぐに育ってほしいと独身ながらに思った。
直接的には書いていないけれど、娘からパパへの愛が伝わる増田。ほんと家族モノには弱い。
社会人になってまだ浅い頃、同じ部の社員が亡くなったが、一週間もしないうちに平常運転に戻ったことに恐怖した記憶が蘇った。「私が死んでも代わりはいるもの」の精神で、もっと肩の力を抜いて生きようと思った増田。
こういうのが読めるのが増田。世の中綺麗ごとや偽善で溢れているけれど、心からの吐露をすることができ、また受け入れてくれる場はどれくらいあるのだろう。増田はそれができる場てあって欲しいと思うとともに、この受験生増田の成功を祈る。
<以下、番外編>
増田は匿名であるがゆえに、文章と作者を結びつける「承認欲求」が切り離され、輝きを増すものと思う。市井の人間が書いても、有名人が書いても、文章が単独で評価されることに意義があると思う。この増田の作者は個人ブログで「あのバズッた増田、私が書いたんだよね」と「バズる増田のつくりかた」と有料エントリーを出していた。それはそれでいいんだけど、なんだか増田の良さを蔑ろにされた気がして。あくまで“個人的に”こういう人間には増田を書いて欲しくないと印象に残った増田。
忘れがちだが、ヒットチャート常連の増田がいる一方、そこへ上り詰めるために努力している増田たちもいる。基本ホットエントリー入りするものしか見ないウォッチャーの私だが、たまたま見かけたボコボコにやられてる新人増田が印象に残ったのでブクマ。これは増田文学の類だが、これを見るとエントリー入りする増田とそうでない増田の差が見える。簡単な世界じゃないんだなぁと妙に記憶に残った。
ライト増田ウォッチャーの私だけれど、今年も多くの増田に楽しませてもらった。貰ってばかりでは悪いので、ギブ・アンド・テイクの精神でこのまとめをば。増田には来年も良作をバンバン出して欲しいと願いつつ、はてなさんには早々の「増田文学賞」創設をお願いして、年末の挨拶とさせていただきます。
少し早いですが、どうぞ皆様、良いお年をお迎えください。
さすがブロマンス映画の金字塔、二人の出合いから最後まで、理想の男同士の関係性だった!といっても、明確にくっついていたり、そういう関係を匂わせるシーンはない。せいぜい手を繋ぐくらい。
私は露骨にBLを意識している雰囲気が苦手なタイプの腐女子だ。だからこそ、この映画はグッと来た。
死期が近い男二人が自棄を起こして逃避行。もうこれだけでテンションが上がる腐女子もいることだろう。しかしこの映画はこれだけではない。逃避行を続ける中で同じベッドで寝たり、相手を庇うなど徐々に二人は親友になっていく。
その旅の終わり、海でのラストシーン。
美しさの中に胸をギュッと掴まれたような切なさがある、素晴らしいラスト。この終わりを見て泣かない腐女子はいないと思う。
以上が、腐女子が「ノッキンオンヘブンズドア」を見た感想です!でも正直私の語彙力でこの映画の良さを伝えきれてるとは思えない。興味が湧いた人は是非見て!腐女子じゃなくても!
ジーコとは
なぜジーコなのか
SFC時代、ジーコサッカーという非常に売れなかったゲームがあった。(後年、本人は関わっていなかったと供述している模様)
ジーコサッカーはワゴンの常連と化し極めて安価にカードリッジの入手が可能であったため任天堂非公認ゲームであるSM調教師瞳のカートリッジとして流用されたのはよく知られている。
時は流れて陽射しの中のリアルという伝説的な同人ゲームが登場し、18禁のおさわりゲーム、ひいては18禁同人ゲームの代名詞ともなった。
そしてネットの掲示板でおすすめの18禁同人ゲームを挙げる際にネタとしてジーコサッカーを挙げる風習と混じり陽射しの中のリアルは陽射しの中のジーコと呼ばれるようになった。
そこからあらゆる用語がサッカー用語と置き換えられ、現在に至る。
本格的にサッカー用語が使われるようになったのは猫狼娘のエリスとアルテミス(現在はテキスト盗用問題により販売停止)の以下のあらすじコピペがはじめだとする説もある。
悪魔アルシンドをその身に宿され、屈強な男たちの住む牢へと投獄される
一方ジーコのよきライバルであったペレはオシムの行動に疑問を抱き
ジーコ用語一覧
18禁同人ゲーム配信大手のDLSiteのこと。最近はにじよめちゃんでも有名。
FIFAランキングというとDLSiteの売り上げランキングのことを指す。
もう一つの大手でありDLSiteのライバルのDMMのことはデンマークなどと呼ばれることがある。
キャラクターのこと。特に女性キャラクターのことを指すことが多い。
まともなゲームならたいてい体験版がある。(まともじゃないゲームでもある)
ジーコ業界では練習試合とCG数がほぼ変わらないような粗悪なゲームもあり、売り逃げとサークル名の変更・サークルの買収を繰り返すヨガチカのような邪悪な監督も存在するため練習試合でそれらを見定める必要がある。
例外的にプリンセスティアーズやVHゲームはジーコ扱いされることがある。
なお、多数の派生バリエーションが存在するeraはジーコともフットサルともされず「era」というジャンルであるとされる。
通常のゲームシーンのこと。エロければよいのかといえばそうではなく、通常のゲームの方もそれなりに重視される。サキュバスラプソディアのようにドリブルの冗長さによって評価を落としてしまうジーコも少なくない。
射精、そこから転じてHシーンのこと。Hシーンの場合はシュートシーンなどとすることが多い。
作品や監督のファンのこと。発売の延期が続くとサポーターがフーリガンとなることもある。
ゲームの隠語例と簡易紹介
ジーコの金字塔の一つ。清純な神官であるユナ選手が身体を駆使して冒険するゲーム。
冒険に慣れたユナ選手は金貸しから借りた金を(たとえ返せる状態であっても)絶対に返さず、必ず身体で返す。
ジーコの金字塔の一つであり有料で販売されていたが、現在は無料配布されている。
誰かれ構わず孕み場所を選ばず産みまくる主人公のミカミ選手は地母神として有名。
食った量によってはその場で即脱糞する刃牙以上の超人的な消化力を持つお嬢様が実家までの交通費を稼ぐために田舎で廃品回収や住居侵入、警察署の襲撃などを行うゲーム。
お嬢様は最終的に熊を棒で殴り殺す野人となる。
東方の全年齢向け同人ゲームを頒布しているコココソフトとは一切関係ない冥魅亭の処女作。
選手の地雷率の高さに定評があり、特に引っ込み思案な薬草売りの少女であったコレット選手が邪悪な淫魔となっていく様に恐怖を覚える者も少なくない。
ゲームそのものはクリアまでに30~50時間はかかるハクスラゲーである。アペンド版も発売予定。
奴隷ジーコ、奴隷→奴隷との生活 -TeachingFeeling-
虐待を受け閉ざしてしまった少女シルヴィの心を(主に撫でまくって)開き、その後は淫魔と化したシルヴィちゃんとひたすら爛れた性活を送り続けるだけのゲームだが、不幸な少女を愛でるというコンセプトが受けたのか爆発的なヒット(14万本以上)となった。現在でも不定期にバージョンアップが行われている。
また、サンドイッチを食うと死ぬバグ(修正済み)、イングランド(淫乱度)が際限なく上がってしまう仕様(現在は緩和策あり)などネタにも事欠かない。
韓国では違法に配布された挙句違法な児童ポルノゲームとして当局に規制された。
プリンセスジーコ→プリンセスサクリファイス~供犠姫フィーナの冒険~、プリンセスティアーズ
先頭に「プリンセス」がつくため同じ隠語となってしまっているがそれぞれ別のゲームである。
前者はタイトルから「球技姫FIFAの冒険」とも呼ばれる。供犠姫となってしまったフィーナ選手が絶頂しつつ闇王に支配された世界を救うゲーム。
戦闘中に犯されることがあるため選んだ職業によっては絶頂(1ターン休み)→体力回復→犯される→絶頂→体力回復という無限ループめいた状態が発生することがあるため少し心配になる。
後者はフリーゲームだが、そのリビドーの充満した内容から前述したとおりジーコ扱いされることも少なくない。
主人公のエルシー選手は賞金を稼ぐために闘技場に参加しているのだが、シュートシーンで「イヤーッ!ダメーッ!」を連呼するためニンジャである可能性があり専らエルシー=サンと呼ばれる。
そのほか隠語
追記
外に持ち出せば怒られてしまうことは承知していますが、いい加減どこかに残しておかないといよいよ経緯や隠語がわからなくなるものがあったので(特にジーコとアルシンドの本名)増田に書きました。
偉大なる元増田様(お隠れ済) https://anond.hatelabo.jp/20170916083417
ジーコとは
なぜジーコなのか
SFC時代、ジーコサッカーという非常に売れなかったゲームがあった。(後年、本人は関わっていなかったと供述している模様)
ジーコサッカーはワゴンの常連と化し極めて安価にカードリッジの入手が可能であったため任天堂非公認ゲームであるSM調教師瞳のカートリッジとして流用されたのはよく知られている。
時は流れて陽射しの中のリアルという伝説的な同人ゲームが登場し、18禁のおさわりゲーム、ひいては18禁同人ゲームの代名詞ともなった。
そしてネットの掲示板でおすすめの18禁同人ゲームを挙げる際にネタとしてジーコサッカーを挙げる風習と混じり陽射しの中のリアルは陽射しの中のジーコと呼ばれるようになった。
そこからあらゆる用語がサッカー用語と置き換えられ、現在に至る。
本格的にサッカー用語が使われるようになったのは猫狼娘のエリスとアルテミス(現在はテキスト盗用問題により販売停止)の以下のあらすじコピペがはじめだとする説もある。
悪魔アルシンドをその身に宿され、屈強な男たちの住む牢へと投獄される
一方ジーコのよきライバルであったペレはオシムの行動に疑問を抱き
18禁同人ゲーム配信大手のDLSiteのこと。最近はにじよめちゃんでも有名。
FIFAランキングというとDLSiteの売り上げランキングのことを指す。
もう一つの大手でありDLSiteのライバルのDMMのことはデンマークなどと呼ばれることがある。
キャラクターのこと。特に女性キャラクターのことを指すことが多い。
まともなゲームならたいてい体験版がある。(まともじゃないゲームでもある)
ジーコ業界では練習試合とCG数がほぼ変わらないような粗悪なゲームもあり、売り逃げとサークル名の変更・サークルの買収を繰り返すヨガチカのような邪悪な監督も存在するため練習試合でそれらを見定める必要がある。
例外的にプリンセスティアーズやVHゲームはジーコ扱いされることがある。
なお、多数の派生バリエーションが存在するeraはジーコともフットサルともされず「era」というジャンルであるとされる。
通常のゲームシーンのこと。エロければよいのかといえばそうではなく、通常のゲームの方もそれなりに重視される。サキュバスラプソディアのようにドリブルの冗長さによって評価を落としてしまうジーコも少なくない。
射精、そこから転じてHシーンのこと。Hシーンの場合はシュートシーンなどとすることが多い。
作品や監督のファンのこと。発売の延期が続くとサポーターがフーリガンとなることもある。
ジーコの金字塔の一つ。清純な神官であるユナ選手が身体を駆使して冒険するゲーム。
冒険に慣れたユナ選手は金貸しから借りた金を(たとえ返せる状態であっても)絶対に返さず、必ず身体で返す。
ジーコの金字塔の一つであり有料で販売されていたが、現在は無料配布されている。
誰かれ構わず孕み場所を選ばず産みまくる主人公のミカミ選手は地母神として有名。
食った量によってはその場で即脱糞する刃牙以上の超人的な消化力を持つお嬢様が実家までの交通費を稼ぐために田舎で廃品回収や住居侵入、警察署の襲撃などを行うゲーム。
お嬢様は最終的に熊を棒で殴り殺す野人となる。
東方の全年齢向け同人ゲームを頒布しているコココソフトとは一切関係ない冥魅亭の処女作。
選手の地雷率の高さに定評があり、特に引っ込み思案な薬草売りの少女であったコレット選手が邪悪な淫魔となっていく様に恐怖を覚える者も少なくない。
ゲームそのものはクリアまでに30~50時間はかかるハクスラゲーである。アペンド版も発売予定。
奴隷ジーコ、奴隷→奴隷との生活 -TeachingFeeling-
虐待を受け閉ざしてしまった少女シルヴィの心を(主に撫でまくって)開き、その後は淫魔と化したシルヴィちゃんとひたすら爛れた性活を送り続けるだけのゲームだが、不幸な少女を愛でるというコンセプトが受けたのか爆発的なヒット(14万本以上)となった。現在でも不定期にバージョンアップが行われている。
また、サンドイッチを食うと死ぬバグ(修正済み)、イングランド(淫乱度)が際限なく上がってしまう仕様(現在は緩和策あり)などネタにも事欠かない。
韓国では違法に配布された挙句違法な児童ポルノゲームとして当局に規制された。
プリンセスジーコ→プリンセスサクリファイス~供犠姫フィーナの冒険~、プリンセスティアーズ
先頭に「プリンセス」がつくため同じ隠語となってしまっているがそれぞれ別のゲームである。
前者はタイトルから「球技姫FIFAの冒険」とも呼ばれる。供犠姫となってしまったフィーナ選手が絶頂しつつ闇王に支配された世界を救うゲーム。
戦闘中に犯されることがあるため選んだ職業によっては絶頂(1ターン休み)→体力回復→犯される→絶頂→体力回復という無限ループめいた状態が発生することがあるため少し心配になる。
後者はフリーゲームだが、そのリビドーの充満した内容から前述したとおりジーコ扱いされることも少なくない。
主人公のエルシー選手は賞金を稼ぐために闘技場に参加しているのだが、シュートシーンで「イヤーッ!ダメーッ!」を連呼するためニンジャである可能性があり専らエルシー=サンと呼ばれる。
そのほか隠語
追記
外に持ち出せば怒られてしまうことは承知していますが、いい加減どこかに残しておかないといよいよ経緯や隠語がわからなくなるものがあったので(特にジーコとアルシンドの本名)増田に書きました。
8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。
サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイートが散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。
Call Me By Your Nameは1983年の北イタリアのとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年のあいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。
http://m.imdb.com/title/tt5726616/
この映画は2016年5月に世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である。
そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。
あまりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。
ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももがやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。
しかもネタバレ見ると死ぬタイプのオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭、8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである。
笑ってほしい。
かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間前から長蛇の列である!
席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。
2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。
それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。
そんなことより映画だ。ここからはネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。
劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲、ギター、オリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック、家族が耳を傾けるラジオやレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初の楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。
そしてオリバーが現れる。イタリアの太陽である。明るい陽光は主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。
エリオを演じる当時弱冠20歳のティモシー・シャラメは終始少年の健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。
アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリアの太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場面一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画の世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。
エリオがオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオがオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。
野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりのうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。
しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。
短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリット太ももがあることだろう。
マイフェイバリット太ももはとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分が多数派である自信はない。これについてはまたあとで。
オリバーは原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。
原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバーの大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである。
(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーはエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督の言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。
(アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作のエリオの言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)
そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーのオリバーは原作を読みながら夢想していたオリバーにほとんど完璧に一致していた。
この結論にはアーミーハマーのじつに感情ゆたかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライド・トルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつのクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。
もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラがオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分がエリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。
目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。
ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的に脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオの面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)
だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画からは小説に通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。
まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。
さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。
トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。
かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。
ただ、エリオ家食卓でのとあるシーンについては国内の映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオとオリバーの官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)
こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。
ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要な役割を果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。
10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死で真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。
そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉を脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。
一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。
じつは原作を読んだ時から、自分は最適な読者じゃないと思っていた。
小説として心から好んではいるものの、「この物語は自分の物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。
この映画が現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。
『キャロル』がそうであったように、相手の性別が特別なのではなく、ただその相手が特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。
そして、『ムーンライト』があまりにも普通の恋愛映画であるという事実が特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameのエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通の青少年が悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。
自分はこの映画をクィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。
10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。
現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。
何かが起こったこと、そして何が起こったか、から目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語を破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。
だからこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画の肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。
キャストをきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優や物語やファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。
ちょうどこのレビューを書いている最中(8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#
もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。
アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。
お願いします。
邦訳本もどうぞよしなに。
http://anond.hatelabo.jp/20170221115635
その後、この S さんが菱沼聖子のモデルであることを確定する情報をいくつも発見した。
またこの人物の周囲にいた人物について CiNii その他で確認すると動物のお医者さんのサブキャラクターに似た名前の人物が複数存在する。例えば当時、漆原教授のモデルである橋本信夫教授は北海道大学の公衆衛生学講座にいたわけだが、その当時彼の下に高柳助教授という人物がいる。これは作中病院にいた高屋敷助教授のモデルなのであろう。
この事実から何がわかるか。恐らくハムテル、二階堂、おばあさんのみが完全オリジナルのキャラクターなのであってサブキャラクターは S さんの周囲に実際にいた人物が多くを占めるのだ。この点について注意しながらマンガを読むと、作中大学で「イベント」を起こす人物は菱沼さんであったり、清原であったり、小夜ちゃんであったりする。ハムテルと二階堂は常に受け身だ。
まあこの件はいきなり 30 年後に現れたネットストーカーの僕が最悪だねという話なんだけど。
たぶん、ああいう専門職を精密に描いたマンガというのを、このインターネット時代に描くことはなかなか困難だろうと思った。ああいうものは、特定の人物への長期間の取材無しに成立させることは困難だろう。当時であれば、北大関係者であればあああれはあの人なのね、、、みたいな感じで分かる、という程度の話であっただろう。しかし現代であればちょっと論文を検索するだけで誰でもモデルが特定できてしまう。
無論、佐々木倫子の「配慮」がかなり不足していたことは否めないのだが、まあ当時としては合格点ではないか。しかし今、誰が何をやっているのかというのは検索可能な世の中だから、完璧にモデルを隠し通すことは難しいと思う。そのような状況で当時の動物のお医者さんほどに大ブームとなれば、モデルとなる人物へ深刻な弊害が起こり得ることは、想像できる。実際俺のようなどうしようもない奴がいるわけだ。
動物のお医者さんは理系マンガ、研究者マンガの金字塔であったから、これに続くマンガがどこかで描かれればそれは大きな、途方もなく大きな社会的な財産になるだろうとは思う。ただそれはもう難しいことなのだ。
なんかさ、
そりゃ、ほぼ毎日行ってたら
コンビニの数が多いって事は
多いから行く人も多いと思うし、
まあ、車で5分って感じのところで
歩いてはとても行けない距離だけど、
百貨店の売り上げが何たらなんて
よくニュースで取り上げられるけど
百貨店なんて、
ちょっとさ、
引き締めるとこ引き締めないとなぁ~って。
やっぱり
数字で見ると怖いわね。
って言うのを思い出したら、
いまだにビデオテープだし
一週間コンビニ行かないってのを
色々なフレーバーを揃えておけば、
色とりどりで楽しいわよ。
帰ってお弁当箱洗わなきゃいけないしね。
ホッツ白湯です。
朝起きてすぐにお湯を沸かして、
しばらく用事をして、
気が付いたら飲み頃温度になってるのがいい感じ。
ホッツで体内が目覚めるわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ゴジラもヱヴァも好きだけど、2015年に庵野がゴジラやるって知ったときは絶対コケると思ってたよ。だってQ死ぬほどつまんなかったじゃん。しかもあんな駄作作って精神壊れたーとかいつもの発狂芸やってたと思ってたらゴジラでしょ。アホかと思ったよ。
そんでまたタイトルとキャストが出たと思ったらシン・ゴジラに長谷川/石原ときた。まずシン・ゴジラってタイトルなんやねん。エヴァの完結作はシン・エヴァンゲリオンにしまーすでも精神ぶっ壊れたからしばらく作れませーんって庵野がなってて死ねやお前ってなってたらゴジラの新作はシン・ゴジラでーすときた。○すぞ。お前なに精神壊れた芸の真っ最中だと思ったらいきなりゴジラ私物化しとんねん。東宝はゴジラをお前に任せたけどゴジラをお前に与えたわけじゃねえんだぞアホかふざけんな。そしてキャストよ。竹之内はよく知らんからほっとくとして、長谷川に石原ときた。歯――――――――――。樋口お前脳みそ狂ってんのか。進撃みたいな聳え立つ糞を作り上げてこいつはもうだめかもと思ったら、キャストそのまま流用と来た。長谷川は頑張ってるのは分かるけどひたすら痛々しくて可哀想だったし、石原はひたすら林檎食わせて○したいくらいだったなだよ。ホントにもうどうすんだよこれってなったよ。マジで夜尾。
ほんでまあキャストの三人と庵野のメッセージ読んだら、キャストの奴らは無難な糞詰まんねえことしか言わないし、庵野に至ってはヱヴァで精神壊れて辛いですしかって言ってないし、ホンマにお前らゴジラのことなんだと思ってんの?????????????・舐めてんの??????馬鹿なの????????死ぬの???????
ほんであの最初の特報よ。わーーーーーぎゃーーーーーー早く逃げて早くーーーーーーーーあーーーーーーーードン!ドン!乞うご期待。??????????????????????????????何ですかこれは????????????????????名に?????????・ちょっと待って?????????????????????これEOEの実写パートよりひどくない?????????????????????????????待って???????????????マジでこのノリでやんの????????????・え???????・
ほんで何かしばらくしたら、ゴジラ豪華キャスト300名! みたいな感じでHPに名前がバーッて出てきたじゃん。柄本明とかそこら辺はいいんだけど、KREVAとかAKBの顔面ゴリラとかそういう奴らが死ぬほどブバーッと出てるじゃん。あ、これデビルマンコースだなと確信しました。あの邦画史に残る金字塔たる実写デビルマンでは、ボブサップがニュースキャスターやるみたいな殺意を呼び起こすカメオ出演が本当に観客の殺意を呼び起こしてやばかったけど、シン・ゴジラももうこれ完全にそれだなと思いました。死にたくなりました。
ほんでしばらくしたらポスター出たのよ。ゴジラのデザインはよかったよ。怖くて最高だよ。でも「ニッポン対ゴジラ」ときたよ。はーーーーーーーーーーーーーーダッセえええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーwwwwwwwwwwwwwwーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーダッセ―――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーwwwwwwwwwwwwwwニッポン対ゴジラwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwニッポン対ゴジラですよみなさんwwwwwwwwwニッポン対ゴジラwwwwwwwwwwwwwwwwwws最高wwwwwwwwwwwwwwwニッポン対ゴジラwニッポン対ゴジラwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwだっせえwwwwwwwwwwwwwwww
アレ?と思ったのは最初の本格的な予告が出たときやね。何か、思ったより悪くないゾと。いや人間パートは全く期待できなさそうだった。特に石原のドヤ顔が糞オブ糞オブ糞だったので、ゴジラが出るシーン以外は耳と目を閉じ、 口をつぐんで孤独に座ってようと思ったんだけど、ゴジラのシーンが思ったよりずっとよかったのよね。デザインがすっげえ禍々しくて、ちょっとバーニングゴジラっぽくてかっちょいいし、着ぐるみの出来もいいし、合成もよく出来てる。戦車がいい感じのアングルでガンガン動いてバンバンゴジラに砲撃しまくるとことか特オタの血が滾っちゃいましてね。ゴジラ出るところは結構期待できんじゃねえかと思ってしまったのよ。ただ、鷺巣の音楽はよかったんだけど、あーこの映画たぶん新しいゴジラだぜって強調するために伊福部楽曲は一切使わねえんじゃねえかなーと思って、ああやっぱりゴジラの栄光は過去のもんだなあと寂しく思ったものさ。
と、そこで超弩級の情報がブチ込まれる。今回のゴジラはフルCGらしい。え!!!!!!!??????????????????????????????????あれ着ぐるみじゃないの!????????????????????????CGなの?・・・・・・・・・・????????????・待って俺普通に着ぐるみとCGの複合技だと思ってたんだけど????????????あれ実写じゃないのCGなの????????・・待って結構すごくない??????????マジで????????????
さらにアレ?と思ったのが二つ目のwho will knowが流れる予告が出たとき。人間パートは相変わらず糞っぽいんだけど、何か、よく分からん記者とかトレジャーハンターとか超能力者が出てこないっぽくて、VSシリーズよりはマシなドラマが観れるかなって感じで、そんくらいだったらぜんぜん我慢できるかもと思わされたのね。ほんで夜のゴジラよ。赤く光るゴジラが夜だと超かっこいいのはバーニングゴジラで証明されてるけど、今回も夜のゴジラ超かっこよかった。もしかしたらこれ、最高の特撮パートと、VSシリーズよりは悪くない人間パートの組み合わせで、もしかしたらかなり面白いかもしんないと思った。でも警戒はすごくしていた。だって庵野だよ庵野。
公開直前の俺はもう完全に疑心杏義よね。どうしても期待したい気ぶんが抜けないけど、期待すると糞の山のぶちまけられたとき絶望する。早く観たいけど、一生みたくない。そういう気ぶんだったよね。
観た感想は言わなくてもいいよね。アートブックはやく届かねえかな。
あ、石原だけど、まあ良くはないけど覚悟してたほどじゃ全然なかったよ。全然許容範囲内だった。VSギドラのおもしろチャック未来人とかで鍛えられた特オタには、あんなのは序の口よ、序ノ口。