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2020-04-15

井出庸生がいつのまにか自民党に参加していた

選挙が近くならないとなかなか注目しないが、コロナ騒ぎの中ふと気になって調べたら、昨年末自民党に参加したとのこと。東京まれながら地元交差点でよく立弁してる姿とか見て好感をもってた。民主党崩壊後は選挙のたびに違う党から出てるような印象だった。いろいろな野党に参加して苦労してそうな姿を見てきたが、何か信念を持ってのことかと思っていた。なんであんなに小さい党を渡り歩きしまいに無所属になってるのかと思ってたら、これを狙ってたのか。井出家は祖父井出一太郎、伯父の井出正一と三代つづく名家1993年以来の自民復党か。自民党を飛び出した伯父が一昨年亡くなったか一周忌をおいていよいよ自民へということなんだろうか。今すこし話題になってる年金支給開始年齢とか検察人事とかの法案にも賛成しちゃうのかな。しちゃうだろうなあ。麻生派に参加したようだし。

まいいや。

先祖代々とはいえ自力で10年築いた地盤土産自民に参加したんだ。今後のご活躍を心よりお祈りしております

あーあ

2020-03-08

anond:20200308073030

予防接種がなかった時代の話?

http://idsc.nih.go.jp/iasr/24/279/tpc279-j.htmlを見た感じだと、1989年4月からMMRワクチンとして定期接種が開始されたけど、1993年4月から多分任意接種。

の子供たちなら、子どもを遊びに行かせるよりは予防接種すると思う。それとも予防接種代をケチってムンプス難聴になるリスク取らせるものなのかな。

まあ、難しいところだなと思う。予防接種もわけがわかっていない子供にとっては苦痛だけど、自分子ども必要医療行為を与えるという理由でやってる。つまり、やらないほうが虐待というスタンス

当時の医療水準では、もしかするとおたふくかぜうつしてもらいに行かせないほうが虐待なのかもしれない。

2020-03-01

ふと思った事の備忘録(本文中敬称略

Until Strawberry Sherbet林原めぐみ https://ja.wikipedia.org/wiki/Until_Strawberry_Sherbetにおける「作詞:Mamie D. Lee 作曲編曲大森俊之」の

作詞:Mamie D. Lee

RHYMESTER日本ヒップホップグループhttps://www.rhymester.jp/ https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER メンバー

Mummy-D https://www.rhymester.jp/bio-mummy-d/ https://ja.wikipedia.org/wiki/Mummy-D

との関係性について、ちょっと気になって調べて見たので備忘録代わりに記録。

◎「Until Strawberry Sherbet」はシングルCDとして「1994年5月25日リリース(https://ja.wikipedia.org/wiki/Until_Strawberry_Sherbet)」

Until Strawberry Sherbet作詞者「Mamie D. Lee」で検索するとアメリカ?の学校が出てくる。

RHYMESTERの「Mummy-D」は

1970年横浜市まれ。(https://www.rhymester.jp/bio-mummy-d/)」

1989年、「早稲田大学ソウルミュージック研究会ギャラクシー」にて、当時2年生であった佐々木士郎(現・宇多丸)と新入生として入部してきた坂間大介(現・Mummy-D)がRHYMESTERを結成。(https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER)」

1993年アルバム『俺に言わせりゃ』でRHYMESTERデビュー。(https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER)」

●これらの名称および時間的経過から個人的に推測してみたこ

Until Strawberry Sherbet作詞者「Mamie D. Lee」は、RHYMESTERの「Mummy-D」じゃないのかな?

1994年当時に英語日本語混在のラップ作詞出来る人物となると相当人数が絞られると思うけど、それって1989年グループ結成1993年デビューしたRHYMESTER所属している「Mummy-D」であれば可能な事なのかも?と希望的観測を含めた推測をしてみるw

もしこの推測が正しくてUntil Strawberry Sherbetシングル発売当時は様々な事情で言い出せなかった事を言える環境になっているのであれば、どこかでその辺の話をしてもらえると嬉しいし、有りがたいなぁ、と思う。

2020-02-26

東京ディズニーシーが開園してから一度も園の外に出たことがない人の数がついに1桁台まで減ってしまった日の夜、友人が「GEO適当ビデオを借りて映画.comの点数を予想する遊びをしようぜ」と提案し、みんなで集まる事になった。いったん各自お泊りセットを取りに家に帰り、あらためてGEOに現地集合。この中でGEOの会員証を持ってるのは自分だけだったため、当然自分が借りる流れとなった。あまりレンタル履歴に変な映画残したくなかったが、友人たちはそんな遠慮は一切しない。悪ノリしておっぱいバレーを借りようとしだしたのでそれだけは抑止し、いろいろ一悶着あった末、結局借りるのは劇場版かいけつゾロリ(1993年)に決定した。友人宅にはVHS再生できる機器があるとのことだが、今世紀になってから使ってないらしい。借り物のテープを駄目に

2020-02-22

anond:20200222160259

面白いから思い返してみる

70~00年代

単館で建ってる映画館時代、チェーン興行都市部以外は入れ替えも指定席もなし、床もコンクリート

飲み物販売方法は紙コップや瓶ジュース自動販売機も多かった?気がする

ポップコーンはともかくホットスナック系はほとんど無かったと思う(法律関係もあったのかも)

飲食物の持ち込みもほとんど自由だった気がする(今もほとんど黙認だけど)

1993年 ワーナー・マイカル海老名オープン(だいたい関東で初のシネコン) 地方シネコンが増え始める

2000年 シネマメディアージュお台場オープン(多分23区初のシネコン

2000年 銀座日比谷スカラ座オープンロードショウ興行する単館の映画館では最後じゃないかな)


2005年ぐらいか再開発23区内にシネコンが激増 今主流の形態

2007年 新宿バルト9オープン(多分都内繁華街で初)

2017年 TOHOシネマズ日比谷オープン とうとう銀座映画館シネコン


今も昔も飲食禁止だった時期なんてないですよ

昔、食は禁止アートシネマがどっかに有った気もするが、、、それだけ

2020-01-31

お笑い芸人世代分けを再考する

多くの人はこちらのWikipedia記事を参照していると思われる。

日本お笑い史 - Wikipedia

この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。

芸名活動開始人気が出た年代備考
横山エンタツ花菱アチャコ1930年1930年しゃべくり漫才元祖コンビとしては1934年解散するが、それから60年代までラジオ映画などで活躍アチャコ吉本看板芸人となる。
夢路いとし・喜味こいし1937年1950年代1949年ごろからラジオ番組上方演芸会』に出演して名をあげる。いとしが亡くなる2003年まで漫才を続けて「上方漫才の宝」と称される。
中田ダイマル・ラケット1941年1950年代1957年開始のテレビ番組ダイラケのびっくり捕物帖』はテレビの「上方コメディ番組元祖
ザ・ドリフターズ1956年1960年代1963年開始のテレビ番組大正テレビ寄席』に出演したこからコントを中心とするようになり、1969年開始のテレビ番組8時だョ!全員集合』にて大ブレイクする。
てんぷくトリオ1961年1960年代大正テレビ寄席』などへの出演で人気を博す。「トリオブーム」の中心的存在三波伸介1970年テレビ番組笑点』の司会に就任するなどしてテレビスターに。
コント55号1966年1960年代1968年開始のテレビ番組『お昼のゴールデンショー』『コント55号の世界は笑う』などで支持を得てドリフと人気を二分する。1975年以降は萩本欽一がピンで活躍する。
横山やすし・西川きよし1966年1960年代60年代後半に演芸ブームに乗って人気を獲得、80年代前半までバラエティ番組の司会などで活躍する。「漫才ブーム」では大将格となる。
B&B1972年1980年代実力は評価されつつ関西でくすぶっていたが、吉本芸人としていちはや東京進出したことで人気を得て、漫才ブームを牽引した。
ツービート1972年1980年代漫才ブームに乗って「毒舌」を武器に台頭。特にビートたけしは、1981年開始のテレビ番組オレたちひょうきん族』などへの出演からピンで大人気となった。
明石家さんま1974年1980年代70年代後半から関西で人気を獲得、東京進出してのち『オレたちひょうきん族』でブレイク。たけし・タモリと合わせて「お笑いBIG3」の一人と称される。
タモリ1976年1980年代キワモノ芸人としてマニアックな人気があったが、1982年開始のテレビ番組笑っていいとも!』の司会を務めるなどしてお茶の間の顔となる。
島田紳助松本竜介1976年1980年代漫才ブームに乗って「ツッパリ漫才」で若者の支持を得る。『ひょうきん族』にも出演して人気を博す。1985年コンビ解散して以降は、島田紳助がピンで活躍した。
とんねるず1980年1980年代お笑いスター誕生!!』に素人ながら出場して知名度を高める。ラジオ深夜番組若者からの支持を獲得する。1984年楽曲『一気!』がヒット、1988年に冠のテレビ番組みなさんのおかげです』を開始する。
ダウンタウン1982年1990年代1987年開始のテレビ番組4時ですよーだ』の司会をきっかけに関西若者から爆発的な人気を得る。80年代末に東京進出深夜番組夢で逢えたら』を経て、1991年に冠のテレビ番組ごっつええ感じ』を開始する。
ウッチャンナンチャン1985年1990年代結成当初に『お笑いスター誕生!!』に出場している。1988年開始の深夜番組夢で逢えたら』で知名度を上げ、1990年に冠のテレビ番組『誰かがやらねば!』『やるならやらねば!』を開始する。
爆笑問題1988年2000年代1994年開始のテレビ番組タモリのSuperボキャブラ天国』で人気を博す。90年代後半から深夜帯を中心に冠番組が増えはじめ、2000年ごろからゴールデンでもレギュラー番組をいくつも抱えるようになる。
雨上がり決死隊1989年2000年代1991年に結成されたアイドル芸人ユニット吉本印天然素材」のリーダー格。2000年開始のテレビ番組ワンナイR&R』や2003年開始の冠番組アメトーーク!』などで人気を博した。
さまぁ〜ず1989年2000年代90年代前半に「バカルディ」名義でいちど人気が出たが、2000年ごろに「さまぁ〜ず」に改名して再ブレイク、多数の冠番組を抱えるようになる。
ナインティナイン1990年1990年代吉本印天然素材」出身1994年開始のテレビ番組ぐるぐるナインティナイン』、1996年開始の『めちゃ×2イケてるッ!』など、早くから冠番組を持ってブレイクする。
くりぃむしちゅー1991年2000年代タモリのSuperボキャブラ天国』にて「海砂利水魚」名義で人気を博す。2003年ごろから再び人気が出はじめ、2000年代後半には多数のレギュラー番組を抱えるようになる。
ロンドンブーツ1号2号1993年1990年代ダウンタウンナイナイに続く、若者人気の高いコンビとして早くからプッシュされ、90年代後半から『ぷらちなロンドンブーツ』『ロンドンハーツ』など多数の冠番組を持つようになる。
ネプチューン1993年2000年代タモリのSuperボキャブラ天国』で人気を博す。1999年開始のテレビ番組『力の限りゴーゴゴー!!』で司会に抜擢されるなどしてブレイク2000年代には多くのレギュラー番組を抱えるようになる。
バナナマン1993年2010年代あえて『ボキャブラ』への出演をせず、ライブ中心に活動したことで売り出しが遅れたものの、2000年代半ばから徐々にテレビに出演しはじめ、2012年ごろから冠番組が急増してブレイクした。
有吉弘行1994年2000年代『進め!電波少年』の企画1996年に「猿岩石」としてブレイクするもまもなく停滞。2004年からピン芸人として活動を始め、2007年ごろから毒舌ネタ再ブレイク
タカアンドトシ1994年2000年代札幌で結成されたコンビで、2002年東京進出2005年ごろから笑いの金メダル』などで披露した「欧米か!」というツッコミ流行り、2000年代後半には複数冠番組を持つようになる。
ブラックマヨネーズ1998年2000年代2005年M-1グランプリで優勝する。2006年東京進出し、2010年ごろから冠番組を持ちはじめる。
チュートリアル1998年2000年代2006年M-1グランプリで優勝する。2007年東京進出し、2010年ごろから冠番組を持ちはじめる。
サンドウィッチマン1998年2000年代2007年M-1グランプリで敗者復活から優勝する。2010年代後半からレギュラー番組が増加し、2018年芸人好感度ランキングトップに立った。
オードリー2000年2000年代2008年M-1グランプリで敗者復活から2位となりブレイク
オリエンタルラジオ2003年2000年代結成してすぐの2005年ごろに「武勇伝ネタブレイクし、まもなく冠番組を含むレギュラー番組を持つことになった。
霜降り明星2013年2010年代2018年M-1グランプリで優勝する。

まず画期としては1953年テレビ放送の開始が挙げられる。この時期に人気があったのは落語家喜劇俳優であり、またコミックバンドも人気があった。上の表で言えばいとこいダイラケあたりが該当する。いわば「第0世代」であろうか。

次にやってくるのが「演芸ブーム」で、1963年開始のテレビ番組大正テレビ寄席』を中心に数々の演芸番組放送され、その勢いが1970年ごろまで続いた。一般にこの時期に人気が出た芸人が「第一世代」と呼ばれる。「寄席」をテレビでやるので落語漫談漫才コントコミックバンドなど幅広い芸人が登場した。てんぷくトリオを筆頭に三人組が多かったので「トリオブーム」とも呼ばれた。1970年代はドリフ萩本欽一コント番組が人気を二分した。やすきよもこの世代に含まれる。

続いて、1980年放送された『花王名人劇場 激突!漫才新幹線』『お笑いスター誕生!!』『THE MANZAI』などが立て続けに高視聴率を取り「漫才ブーム」となった。このブーム自体は二年ほどで終息するが、若手漫才師がアイドル的な人気を得て「漫才」のイメージを変えたり、吉本興業が東京進出したりするきっかけとなった。1981年から1989年まで続いた『オレたちひょうきん族』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を超え、出演していたビートたけし明石家さんま山田邦子らは一躍スターとなった。たけし・さんまタモリを加えた「BIG3」を中心に、漫才ブームひょうきん族から出てきた芸人を「第二世代」とみなすべきだろう。

その次が「第三世代」と呼ばれる芸人たちで、お笑い養成出身の若手が、小劇場ライブで腕を磨き、夕方番組深夜番組きっかけに人気を得て、ゴールデン帯で「バラエティ番組」を持つ、といったキャリアを踏むのが特徴であるとんねるずダウンタウンウッチャンナンチャンがこの世代代表格となる。一般に「第三世代」は80年代デビュー組で区切るようだが、個人的には似たようなキャリアから早めにブレイクしたナイナイロンブーあたりも含めるべきではないかと思う。

次に来るのが「ボキャブラ世代である1992年から1999年まで続いた『タモリボキャブラ天国』は、当初は視聴者投稿型の番組だったが、徐々に芸人ネタ見せ番組に移行。この番組登竜門に「キャブラー」と呼ばれる芸人が続々と登場した。吉本興業が首を突っ込みそこねたらしく非・吉本芸人が多い。またボキャブラ終了とともに一時的に低迷した芸人が、2000年代に復活するあたりも共通している。先述したとおり、ナイナイロンブーなどを第三世代に含めるとすれば、この「第四世代」は爆笑問題くりぃむしちゅーネプチューンあたりが代表格となる。

2000年代に入って「M-1グランプリ」が始まったことで「お笑いブーム」が醸成された。また同時期に『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などのネタ見せ番組スタートしてお笑い人気に拍車をかけた。賞レースを目指してストイックに芸を磨く若手芸人と、多数のネタ見せ番組により短期的な人気を得た「一発屋」が混在し、芸人レベル底上げされたものの、数としては飽和した感がある。2010年M-1グランプリが終了するとブームも終息し、多数の「ひな壇芸人」を出演させてトーク中心に作られる低予算番組が増加した。(2010年までの)M-1ブレイクした芸人と「ネタ見せ番組」によって登場した芸人が「第五世代」といえるだろう。

2010年代になると、第二世代・第三世代がフェードアウトし、第四世代と第五世代バラエティの「司会」の座を奪い合う群雄割拠時代に入った。第五世代は図抜けた存在はいないものの層が厚いので、2000年代デビュー組の多くがつかえて中堅に留まっているように思える。そんな中で、霜降り明星および彼らが「第七世代」と称する2010年代デビュー組が既に台頭してきている。この場合2000年代デビュー組が「第六世代」とされるわけだが、2000年代デビュー組は遅咲きになりそうなので、おそらく2000年代デビュー組と2010年代デビュー組をあわせて「第六世代」と呼ぶようになるのではないか2020年現在芸人の主戦場YouTubeになりつつある。後世から振り返れば「第六世代」は「YouTube世代」と括られるのかもしれない。

2020-01-06

anond:20200106232642

1993年ロマンスの神様が追加されて以来、新しい神様が追加されたという話は聞かないね

2020-01-02

生モノ存在できない時代になりつつある

日々生きてると実感しづいかもしれませんが、現代社会は日々向上しています

とくに科学技術テクノロジーレイ・カーツワイル指数関数的に伸びてるとか言ってますが、それを信じるしんじないにしろ今の所確実に成長を続けています

なにか買っても数年後にはテクノロジーの向上で、価格が大幅に下落したり飛躍的に向上した製品が出現するので、現段階の商品サービスを無理して買う必要はありません。

かに今までもテクノロジーの変化のせいで過去遺産がだめになることがありました。レコードからCDへ変わったりVHSからDVDへ変わったり。その変化にかかる期間が狭まってます

歴史適当なのでずれてたらメンゴ

企業コンピューター利用が始まる


家庭に電子機器が入ってくる

一般家庭にPCが入ってくる

個人PC匹敵する無線端末を常時持ち歩く

動画コンテンツストリーミングで消費し始める

無線通信で動画コンテンツストリーミング消費、発信するようになる

人体の動作バーチャル空間アバター表現するようになる

社会の動きも目まぐるしく、当たり前だと思われていた年賀状を書く文化ももうありません。携帯ストラップをジャラジャラつけていたのさえほんの10年前だし、物理鍵や財布など、今まさになくなろうとしているものもたくさんあります

自動運転が出来るっていうのに免許を取るだとか、電気自動車が主流になるかもしれないのにガソリン車を買うだとか、新しい断熱材や最新の施工技術が出てくるかもしれないのに家を建てるだとか、日毎変化しているなかでものを所有するリスクが日々高まっている。

2019-11-28

就職氷河期世代勝ち組(条件あり)はどんな人だろう?

就職氷河期世代1993年2004年大卒高卒就職)での勝ち組はどこに就職した人か教えてほしい。

ただ勝ち組というのは「倍率の高い求人に応募して採用」というのはダメ

就職氷河期の時期に倍率が緩い業界職種で今も給与水準があまり低くなってない」というところ。

自分が思いつくのは医歯薬と医療機器会社

2019-11-25

時代劇はなぜ廃れたのか

時代劇 - Wikipediaの内容を整理する。

1910年代日本映画草創期。歌舞伎演目を題材にしたり、歌舞伎役者を引っ張ってきたりしたので、自然時代劇が増えた。尾上松之助スターとなる。

1920年代映画業界軌道に乗り、各社が時代劇スターを擁するようになる。阪東妻三郎嵐寛寿郎長谷川一夫などが登場する。

1930年代トーキー映画への移行。戦前映画黄金期であり時代劇黄金期でもある。

1940年代戦時中検閲戦後すぐはGHQ禁止により、映画時代劇)が作りづらくなる。

1950年代GHQ禁止された反動時代劇映画が増加。

1960年代。ここで一気に映画からテレビドラマへの転換が起きる。

1970年代。著名な時代劇シリーズが始まる。時代劇の第二次黄金期と言える。

1966年銭形平次
1969年水戸黄門最も有名なナショナル劇場のもの
1970年大岡越前
1970年遠山の金さんテレビ朝日版の第一
1972年必殺仕掛人必殺シリーズ第一
1978年暴れん坊将軍

1980年代時代劇定番ネタがすっかり出揃って飽きられはじめた。

1981年テレビ東京が「12時間時代劇」を売りにした「新春ワイド時代劇」枠を開始(時間を縮小しながらも2016年まで続く)。

1985年日本テレビ年末時代劇スペシャル 忠臣蔵」が紅白の裏にもかかわらず15.3%の高視聴率を記録。

チーフプロデューサー岡田晋吉は当初1年間の連続時代劇として企画したが、編成会議にて上層部に「時代劇は受けない」「今時、時代劇でもないだろう」と受け入れられなかった。しかしその後、岩淵康郎(後の静岡第一テレビ社長)や一部の先輩の助け舟により、年末時代劇としての製作が決定した。

当時にしてこの認識か。

日本テレビの「年末時代劇スペシャル」枠はここから1993年まで続いた。

このあたりで年末年始=時代劇忠臣蔵)というイメージができあがったのかな。

1987年にはNHK大河ドラマ独眼竜政宗』の大ヒットもあった。

こうして1990年前後には一時的時代劇復活の気運があった。

1990年代。やっぱりダメでした。

2000年代長寿時代劇が軒並み終了。

歌舞伎講談のなかで脈々と育てられてきた特殊な題材が

メディアロンダリングされて小説映画でヒットするというのは

今でいうとなろう系がラノベ化で日の目を見てアニメ化で大売れするみたいなもんか。

戦前エンタメやそこで取り扱われるジャンルが少なかったから、

つのブームが長く続くし、飽きるまでの時間も長かったんだろうな。

個人的には「時代劇90年代くらいまでずーっと人気があった」というイメージだったけど

こうして見ると意外に変動があるし、ブームの期間も思ったほどには長くない。

映画で蓄積されてきたものテレビドラマで一気に出してすぐ飽きられましたって感じか。

もちろんエンタメ多様化もあるだろうけど。

とはいえ現在でも時代劇ドラマ映画は作られ続けているし漫画でも人気のある題材だ。

70年代ごろのブームが特異なのであって今くらいが巡航速度なんだろう。

追記

ついでに2010年代の主な時代劇(だいたい興収10億円以上)

JIN-仁-2009年2010年テレビドラマ放送され平均20%超の高視聴率
十三人の刺客2010年映画が公開され興行収入16億円。
大奥2010年映画が公開され興行収入23億円。
武士の家計簿2010年映画が公開され興行収入15億円。
のぼうの城2012年に公開された映画興行収入28億円。
るろうに剣心2012年と2014年に公開された映画三部作が、それぞれ興行収入30億・52億・43億円。
清州会議2012年に映画が公開され興行収入30億円。
信長協奏曲2014年にテレビドラマ化、その続編として2016年に公開された映画興行収入46億円。
超高速!参勤交代2014年と2016年映画が公開され、それぞれ興行収入15億・11億円。
蜩ノ記2014年に映画が公開され興行収入11億円。
殿、利息でござる!2016年映画が公開され興行収入13億円。
忍びの国2017年に映画が公開され興行収入25億円。
関ヶ原2017年に映画が公開され興行収入24億円。
銀魂2017年と2018年に公開された映画が、それぞれ興行収入38億・37億円。
決算忠臣蔵公開中!

anond:20191122230929

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%BA%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E6%98%A0%E7%94%BB

主なゲイ映画作品

ゲイ主題ゲイが準主役の映画重要キャストゲイが登場する作品を含む)

惜春鳥(1959年木下恵介監督

肉体の学校1965年木下監督三島由紀夫原作

薔薇の葬列1969年松本俊夫監督ピーター主演)

戦場のメリークリスマス1983年大島渚監督

らせん素描1991年小島康史監督

おこげ1992年中島丈博監督

きらきらひかる1992年松岡錠司監督

二十才の微熱1993年橋口亮輔監督

眠らない街新宿鮫〜(1993年滝田洋二郎監督キャストの一部にゲイが登場)

GONIN(1995年石井隆監督キャストの一部にゲイが登場)

渚のシンドバッド1995年橋口亮輔監督岡田義徳主演)

ブルースハープ1998年三池崇史監督田辺誠一池内博之主演)

御法度1999年大島渚監督司馬遼太郎原作

憚り天使1999年今泉浩一監督

ハッシュ!(2001年橋口亮輔監督田辺誠一高橋和也主演)

ゲルマニウムの夜2005年大森立嗣監督

真夜中の弥次さん喜多さん2005年宮藤官九郎監督

メゾン・ド・ヒミコ2005年犬童一心監督

46億年の恋2006年三池崇史監督 安藤政信主演)

BOYS LOVE2006年寺内康太郎監督

BOYS LOVE 劇場版(2007年寺内康太郎監督

いつかの君へ(2007年堀江慶監督

キトモ(2007年三原光尋監督

愛の言霊2007年金田敬監督

僕らの愛の奏で(2008年草野陽花監督

体育館ベイビー2008年深川栄洋監督

禁断の恋(2008年草野陽花監督

ALLDAYS 二丁目の朝日2008年村上賢司監督

BL 〜僕の彼氏を紹介します〜(2009年草野陽花監督

タクミくんシリーズ2 虹色の硝子(2009年横井健司監督

タクミくんシリーズ3 美貌のディテイル(2010年横井健司監督

タクミくんシリーズ4 pure~ピュア~(2010年横井健司監督

愛の言霊世界の果てまで〜(2010年金田敬監督

タクミくんシリーズ5 あの、晴れた青空2011年横井健司監督

悪の教典2012年三池崇史監督キャストの一部にゲイが登場)

EDEN2012年武正晴監督原作船戸与一「夏の渦」、主演:高橋和也ら)

どうしても触れたくない(2014年天野千尋監督

セブンデイズ MONDAY→THURSDAY(2015年横井健司監督

セブンデイズ FRIDAYSUNDAY2015年7月横井健司監督

怒り(2016年李相日監督キャストの一部にゲイが登場)

主なゲイドラマ作品

キャストの一部にゲイが登場する作品含む)

あすなろ白書1993年フジテレビ系、キャストの一部)

同窓会1993年日本テレビ系。主役がゲイで脇役がバイセクシャル。全編に渡り同性愛テーマ

告白1997年日本テレビ系。エンディング主題歌も同性愛テーマにしたユーミンの『告白』)

ロマンス1999年日本テレビ系、つかこうへい原作

麗わしき鬼(2007年中島丈博脚本フジテレビ系)

肩ごしの恋人(2007、TBS系、キャストの一部のみ)

花ざかりの君たちへ2007年フジテレビ系)

「翼のカケラ」(2007年テレビ東京恋愛診断」第1章より)

運命のコドウ」(2007年テレビ東京恋愛診断」第4章より)

ママニューハーフ2009年テレビ東京

クレオパトラな女たち2012年日本テレビ系)

シェアハウスの恋人2013年日本テレビ系)

佐藤家の朝食、鈴木家の夕食(2013年BSジャパン

隣の家族は青く見える(2018年フジテレビ系)

2019-11-21

anond:20191121154856

ドラゴンクエスト

ドラゴンクエスト1986年--
ドラゴンクエストII 悪霊の神々1987年1年
ドラゴンクエストIII そして伝説へ…1988年1年
ドラゴンクエストIV 導かれし者たち1990年2年
ドラゴンクエストV 天空の花嫁1992年2年
ドラゴンクエストVI 幻の大地1995年3年
ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち2000年5年
ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君2004年4年
ドラゴンクエストIX 星空の守り人2009年5年
ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族2012年3年
ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて2017年5年

ファイナルファンタジー

ファイナルファンタジー1987年--
ファイナルファンタジーII1988年1年
ファイナルファンタジーIII1990年2年
ファイナルファンタジーIV1991年1年
ファイナルファンタジーV1992年1年
ファイナルファンタジーVI1994年2年
ファイナルファンタジーVII1997年3年
ファイナルファンタジーVIII1999年2年
ファイナルファンタジーIX2000年1年
ファイナルファンタジーX2001年1年
ファイナルファンタジーXI2002年1年
ファイナルファンタジーX-22003年1年
ファイナルファンタジーXII2006年3年
ファイナルファンタジーXIII2009年3年
ファイナルファンタジーXIV2010年1年
ファイナルファンタジーXIII-22011年1年
ファイナルファンタジーXV2016年5年

ポケットモンスター

ポケットモンスター 赤・緑1996年--
ポケットモンスター 金・銀1999年3年
ポケットモンスター ルビー・サファイア2002年3年
ポケットモンスター ダイヤモンド・パール2006年4年
ポケットモンスターブラック・ホワイト2010年4年
ポケットモンスター X・Y2013年3年
ポケットモンスター サン・ムーン2016年3年
ポケットモンスター ソードシールド2019年3年

テイルズ オブ

テイルズ オブ ファンタジア1995年--
テイルズ オブ デスティニー1997年2年
テイルズ オブ エターニア2000年3年
テイルズ オブ デスティニー22002年2年
テイルズ オブ シンフォニア2003年1年
テイルズ オブ リバース2004年1年
テイルズ オブ レジェンディア2005年1年
テイルズ オブ ジ アビス2005年0年
テイルズ オブ イノセンス2007年2年
テイルズ オブ ヴェスペリア2008年1年
テイルズ オブ ハーツ2008年0年
テイルズ オブ グレイセス2009年1年
テイルズ オブ エクシリア2011年2年
テイルズ オブ エクシリア22012年1年
テイルズ オブ ゼスティリア2015年3年
テイルズ オブ ベルセリア2016年1年
テイルズ オブ アライズ2020年4年

スーパーロボット大戦OG任天堂向けのラインなどは除いた)

第2次スーパーロボット大戦1991年--
第3次スーパーロボット大戦1993年2年
スーパーロボット大戦EX1994年1年
第4次スーパーロボット大戦1995年1年
スーパーロボット大戦F1997年2年
スーパーロボット大戦F完結編1998年1年
スーパーロボット大戦α2000年2年
スーパーロボット大戦α外伝2001年1年
スーパーロボット大戦IMPACT2002年1年
第2次スーパーロボット大戦α2003年1年
第3次スーパーロボット大戦α 終焉の銀河へ2005年2年
スーパーロボット大戦Z2008年3年
第2次スーパーロボット大戦Z 破界篇2011年3年
第2次スーパーロボット大戦Z 再世篇2012年1年
第3次スーパーロボット大戦Z 時獄篇2014年2年
第3次スーパーロボット大戦Z 天獄篇2015年1年
スーパーロボット大戦V2017年2年
スーパーロボット大戦X2018年1年
スーパーロボット大戦T2019年1年

コール オブ デューティ

コール オブ デューティ2003年--
コール オブ デューティ ファイネストアワー2004年1年
コール オブ デューティ22005年1年
コール オブ デューティ2 ビッグ レッド ワン2005年0年
コール オブ デューティ32006年1年
コール オブ デューティ4 モダン・ウォーフェア2007年1年
Call of Duty: World at War2008年1年
コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア22009年1年
コール オブ デューティ ブラックオプス2010年1年
コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア32011年1年
コール オブ デューティ ブラックオプス22012年1年
コール オブ デューティ ゴースト2013年1年
コール オブ デューティ アドバンスド・ウォーフェア2014年1年
コール オブ デューティ ブラックオプス32015年1年
コール オブ デューティ インフィニット・ウォーフェア2016年1年
コール オブ デューティ ワールドウォーII2017年1年
コール オブ デューティ ブラックオプス 42018年1年
コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2019年1年

結論

RPGばかりになってしまったのでそれ以外の長期シリーズとしてスパロボを。

さら洋ゲー代表格としてCoDさんにも来ていただいた。

DQFF横綱の開発期間が順調に伸びている一方、

携帯機を中心に開発されてきたポケモンや、

RPGと比べれば)ボリュームを求められないスパロボは、

意外にも発売ペースを守ることができている。

(ただしどのシリーズスピンオフバージョン違いが盛んにリリースされていることには留意したい)

AAAタイトルにもかかわらずCoDが毎年新作をリリースできているのは、

オープンワールド系ほどにはボリューム肥大化しないゲームジャンルであることと、

複数の開発会社を抱えて新作を出し分けていることが大きいのだろう。

もちろん他の作品もたとえばナンバリングスピンオフとで開発ラインを分けたりはしているはずだ。

テイルズナンバリングでも二つの開発ラインがあったことで知られている)

ゲーム機の性能向上により間違いなく「開発コスト」は増大しているものの、

からといって「開発期間」が増大しているとは限らない、といった結論になるだろうか。

2019-10-29

anond:20191029133940

まず、1950年代1970年代を通してみると、日本シリーズはセ19勝(うち巨人15勝)パ11である

このセ・リーグ優位は「巨人の優位」とほぼイコールである

パに指名打者DH制度が導入されたのが、V9終了後まもなくの1975年である

ただし巨人が勝てなくなったのは、V9メンバー高齢化もさりながら、

1965年ドラフト導入により新戦力を思うように補充することが難しくなったからだろう。

とはいえその後も巨人セ・リーグ盟主としてコンスタントリーグ優勝していくのだが)

指名打者DH)…投手の代わりに打席に立つ打撃専門の選手のこと。一般投手バッティングが良くないので、DH制を導入すると打線が強力になる。

1980年代1990年代巨人と入れ替わるように西武黄金時代を築き上げるが、

この西武の強さは「寝業師」と呼ばれた根本陸夫が主導した、有望選手の強引な囲い込みによると言われる。

また、1980年代前半の広島黄金期、1990年代後半のヤクルト黄金期などもあり、

1980年代1990年代を通して見ると、日本シリーズはセ10勝パ10勝(うち西武8勝)で意外に拮抗している。

根本陸夫1992年西武を退団してダイエーへ移ったこと、

西武の囲い込みへの批判から1993年に「逆指名制度」が導入されたことなどがあり、

1990年代後半から西武は弱体化、代わってダイエーが台頭していった。

逆指名制度…のちに自由獲得枠→希望入団枠と変遷。1球団2名にかぎり、大学生社会人アマ選手自分希望するプロ球団入団できる制度。それ以前は、有望な選手親会社入社させて囲い込み、あとからドラフト外で獲得するなどの裏技が(主に西武で)横行していた。

2000年代日本シリーズは、やはりセ5勝パ5勝で同数であり、また特定球団の連覇もない。

2000年代中盤には「交流戦」「クライマックスシリーズ」「希望入団撤廃」「育成選手導入」と大きな変化があった。

逆指名制度を使って戦力を確保していた巨人ダイエーなどの球団が打撃を受けたとされる。

(ついでに2004年ダイエーソフトバンクに変わっていったん弱体化した)

また交流戦パ・リーグ優位であるものの、勝敗数でそれほど差がついているわけでもない。

希望入団撤廃逆指名および自由獲得枠・希望入団枠では、高い契約金を出せてブランド力もある人気球団に、有望な大学生選手が集中したこと問題視された。さらに、有力選手指名してもらおうと裏金が横行し、それが発覚したために希望入団枠は廃止された。

育成選手…若手の育成を目的に「一軍の試合には出場できないが球団所属できる選手」の枠を設けたもの。それ以前の似た制度には「練習生」があったが、有望な選手練習生として雇って囲いこむ裏技が(主に西武で)横行していたので廃止された。

2010年代ソフトバンク黄金である

日本シリーズはセ1勝パ9勝(うちソフトバンク6勝)とパ・リーグ圧勝している。

交流戦勝敗数で差が付くようになったのも2010年以降にソフトバンクが台頭してからである

以上から考えると、パ・リーグ優位の原因としてDH制度を挙げるには、その導入があまりにも古い。

明確にパ・リーグが優位となったのは2010年代のこと。

その原因としては、2000年代中盤から「きちんと選手を育てねば勝てない」ようになったことで、

豊富資金により育成環境を整備したソフトバンクが頭一つ抜けることとなったため、という説明妥当だと思う。

もうひとつ思い当たるのはトレーニング進化である

昔と比べると、現在選手は軒並み筋力が上がり、球速も遥かに増している。

選手の育成に力を入れ、トレーニングを充実させるようになったことで、

「パワーで押すピッチャー」や「パンチ力のある下位打者」の増加につながり、

それが「DH制度」や「広い球場」といったパ・リーグの要素と半ば偶発的にマッチしたのではないか

とはいえ10年程度ではいかようにもトレンドは変わりうる。

すべてをDH制度のせいにするなど短絡的な考えに飛びつかず、

今後の変化を長い目で見ていきたい。

日本シリーズの成績から考える最近パ・リーグ優位の要因

日本一の回数で上位の三球団巨人西武/西鉄ソフトバンク/ダイエー/南海)の色を濃くして区別している。

日本シリーズ

開催年リーグ勝利勝数敗数敗北備考
1950年毎日42松竹
1951年巨人41南海
1952年巨人42南海
1953年巨人42南海
1954年中日43西鉄
1955年巨人43南海
1956年西鉄42巨人
1957年西鉄40巨人
1958年西鉄43巨人
1959年南海40巨人
1960年大洋40大毎
1961年巨人42南海
1962年東映42阪神
1963年巨人43西鉄
1964年南海43阪神
1965年巨人41南海ドラフト制度」導入
1966年巨人42南海
1967年巨人42阪急
1968年巨人42阪急
1969年巨人42阪急
1970年巨人41ロッテ
1971年巨人41阪急
1972年巨人41阪急
1973年巨人41南海
1974年ロッテ42中日
1975年阪急40広島パに「指名打者」導入
1976年阪急43巨人
1977年阪急41巨人
1978年ヤクルト43阪急
1979年広島43近鉄
1980年広島43近鉄
1981年巨人42日本ハム
1982年西武42中日
1983年西武43巨人
1984年広島43阪急
1985年阪神42西武
1986年西武43広島
1987年西武42巨人
1988年西武41中日
1989年巨人43近鉄
1990年西武40巨人
1991年西武43広島
1992年西武43ヤクルト練習生契約廃止
1993年ヤクルト43西武フリーエージェント制度」導入
逆指名制度」導入
1994年巨人42西武
1995年ヤクルト41オリックス
1996年オリックス41巨人
1997年ヤクルト41西武
1998年横浜42西武
1999年ダイエー41中日
2000年巨人42ダイエー
2001年ヤクルト41近鉄
2002年巨人40西武
2003年ダイエー43阪神
2004年西武43中日パに「プレーオフ」導入
2005年ロッテ40阪神交流戦」導入
育成選手制度」導入
2006年日本ハム41中日
2007年中日41日本ハム希望入団枠(逆指名)」廃止
クライマックスシリーズ」導入
2008年西武43巨人
2009年巨人42日本ハム
2010年ロッテ42中日
2011年ソフトバンク43中日
2012年巨人42日本ハム
2013年楽天43巨人
2014年ソフトバンク41阪神
2015年ソフトバンク41ヤクルト
2016年日本ハム42広島
2017年ソフトバンク42DeNA
2018年ソフトバンク41広島
2019年ソフトバンク40巨人

交流戦

開催年リーグセパの勝敗優勝チーム優勝チーム勝敗
2005年105勝104敗ロッテ2411
2006年108勝107敗ロッテ23勝13敗
2007年74勝66敗日本ハム18勝5敗
2008年73勝71敗ソフトバンク15勝9敗
2009年70勝67敗ソフトバンク18勝5敗
2010年81勝59敗オリックス16勝8敗
2011年78勝57敗ソフトバンク18勝4敗
2012年67勝66敗巨人17勝7敗
2013年80勝60敗ソフトバンク15勝8敗
2014年71勝70敗巨人16勝8敗
2015年61勝44敗ソフトバンク12勝6敗
2016年60勝47敗ソフトバンク13勝4敗
2017年56勝51敗ソフトバンク12勝6敗
2018年59勝48敗ヤクルト12勝6敗
2019年58勝46敗ソフトバンク11勝5敗


続く。

anond:20191029134117

2019-10-28

日本は稲作を続けるべき

 日本主食であるであるが、ご存知のように(?)貿易の少ない作物である

米の生産量そのもの世界レベルで見ると小麦の2/3程度とそこまで少ないわけではない。なぜ貿易が少ないかというと理由は2つある。

1つは、米という作物には『夏に暑くなければいけない』『水が大量に必要』という特徴があり(ちなみにインディカ米は概して暑さに強く寒さに弱い。逆にジャポニカ米はある程度寒さに強い代わり暑すぎるとダメである)、

必然的栽培できる地域は熱帯系かCfa(温暖湿潤)気候、もしくはステップ気候でも雨が多い(+外来河川など)地域くらいとなる。冷夏で酷いことになった1993年平成の米騒動を覚えている人…は中年だが。

この点で小麦とはそもそも条件そのものが異なる(小麦は暑さに弱いが、温帯なら『秋に植えて春に収穫する』という手もある)。

そしてこの条件に該当するのは概ね『赤道直下~緯度15度前後』か『緯度30~40度前後』の地域だ。

なぜ回帰線(緯度23.4度)周辺は向いていないことが多いかというと、ハドレー循環(熱帯で熱せられた空気は対流となり、回帰線の周辺で下降気流を生む。当然ながら下降気流=高気圧である)の関係で雨が少なくなる傾向にあるからだ。

これらの稲作地域にいわゆる『農業先進国』は少ない。アメリカ合衆国南部くらいだろう。

2つ目は、この『米の栽培に向いた条件』に該当する地域に、インド中国を抱える人口密集地帯が含まれているためだ。

結果、インドはまだしも(多少は米の輸出をしている)中国は最大の米生産であると同時に最大の輸入国となっている。

他の国もおおむね自給プラスアルファ程度にしか生産できていないというか、稲作が出来るから大量の人口を支えられているとも言える。

 アジア以外に目を向けるなら、アフリカ赤道近辺は政情不安国のオンパレードであるから現時点では灌漑設備を維持するのが厳しいだろう。

南米ブラジル近辺ならもう少し栽培できる(現に生産量9位にランクインしている)かもしれないが、熱帯雨林を切り拓いてまで生産する必要があるとは思わない。

(余談ながらブラジル小麦生産にも向いていないため小麦の一大輸入国である

 米の輸出第2位の国はアメリカ合衆国であり(1位はタイ)、『米の輸入を自由化したらアメリカ産の米が入ってきて日本の稲作は壊滅する』などと一時期言われたが、

現在では逆にアメリカの稲作がいつまで輸出を続けられるかが怪しくなっている。

アメリカの稲作といえばまず思い浮かぶのはカリフォルニアだが、実はカリフォルニアの降水量はそこまで多いわけではなく、

北部のユーレカならば967mmあるが、中部サンフランシスコで565mm、南部ロサンゼルスだと386mmである

このような地域外来河川を利用して稲作をしてきたわけだが、近年では人口増加もあってサンフランシスコサクラメントでは取水制限が発動することもあり、水を大量に必要とする稲作がカリフォルニアで持続的なのかは微妙だ。

一方、アメリカ最大の稲作地域は実はカリフォルニアではなくアーカンソー州であり、確かにCfa気候の上にミシシッピ川も流れているから向いてはいるが、

今後アメリカアジア移民が増えて米の需要が増えた時にどうなるかは未知数だ。

 翻って日本に目を向けよう。『夏に暑くなければならない』『多量の水が必要』という米の特徴はまさに日本向きだ。

日本道東(海流と風の関係で霧が発生しやすい)以外の地域ではおおむね夏の最高気温は30℃を超えるし、降水量はほとんどの地域1000mmを超える。

そもそも、600mmの雨が降って『年間降水量の3~4割』などと言われる地域の方が世界的には珍しいのであるロンドンパリベルリンローマといった西欧都市なら600mmは年間降水量に匹敵するかそれ以上だったりする。

 以上で述べたように米は多くが生産国で消費され、そこまで世界市場で貿易されていない。一方で日本にとっては気候的に比較的向いている作物である

しか栽培できる地域に限りがあり、今後生産が増える見込みもそこまで多くはない。アフリカの国の政情を安定させ、現地で灌漑設備を維持しながら生産…できるようになるのはいつの日か。

となると、(日本武力紛争に巻き込まれたらどうにもならないが)産地が紛争に巻き込まれリスク天災によるリスクなどを考えた時に、日本は稲作を続けた方が良いのではないか

2019-10-23

anond:20191023201148

ウィキペ(閲覧注意画像があるためリンクなし)

The origin of the word in English is unknown, but AnimeNation's John Oppliger points to the early 1990s, when a Dirty Pair erotic doujinshi (self-published work) titled H-Bomb was released, and when many websites sold access to images culled from Japanese erotic visual novels and games.

'90年代初頭に「H-Bomb」というタイトルダーティペア同人誌英訳されてアメリカ流行たことがあり、これをきっかけに「H = Hentai」がエロ漫画代名詞として定着していったのではないかという説があるらしい

この回答をしたJohnは「Ask John」というブログをやってたことで有名な日本アニメ輸入ショップ社員

https://web.archive.org/web/20131006164915/http://www.animenation.net/blog/2007/10/19/ask-john-how-did-the-word-hentai-get-adopted-into-english/

The idea that “ecchi” referred to mild erotica while “hentai” referred to hardcore pornography became a quickly adopted easy distinction. The widespread use of the term “hentaiwas probably encouraged by two things. In May 1993 Antarctic Press published a comic titled “H-Bomb,” an English translation of Japanese erotic Dirty Pair doujinshi.

(略)

the internet was inundated with illicit commercial websites selling access to collections of Japanese erotic PC game images. And virtually every single one of these websites managed to use the wordhentai” in its title. In effect, it could be said that it was the web that primarily popularized the English language association of the wordhentai” with “Japanese comic pornography.”

その回答の原文はもうちょっと詳しくて、英語版「H-Bomb」は1993年5月にAntarctic Press(アメコミで有名な出版社から発売されたとのことだから、なんと商業流通に載ってしまったらしい

当時は日本でも二次創作同人誌をまとめたアンソロ原作者非公認のまま商業出版社から出されたりしてたから、業界人もそのへんの倫理観がゆるかったのかもしれない

 

また、当初アニメマニアの間では「ecchi」はマイルドなお色気で「hentai」はハードコアエロをさすと区別されていたのだが、インターネットに現れた違法アップサイトが一斉にハードな方の「hentai」をサイトタイトルにつけて客を呼び始めたのでそちらばかりが浸透してしまい、「ecchi」の方は下火になってしまったのではないかと推測している

2019-10-09

ノーベル賞は5,6年ぐらい取れなくていい。というか、去年が最後ノーベル賞だったかもね。

30年ぐらいノーベル賞不毛の年が続くだろうな。少子化と同じで、今年対策をしたら、回復に5年かかって、30年後から再びノーベル賞が取れるかも?という程度だろう。

ノーベル賞は賞を取った年とその成果を実際になした年を見比べれば平均25年ぐらいの差があるという。

から、具体的な年で名指しするなら、2019年の賞は平均して1994年の成果。2018年の賞は平均して1993年の成果。そう、バブル崩壊した直後で、まだすぐ回復するかも?と思われ、アカデミック崩壊する前の段階。

ここからどんどん環境悪化していった。工学論文数では人口5000万人の韓国にすら負けるありさま。

数年ノーベル賞ゼロで少しは反省、、、、、いや、日本人って、日本人ホルホルされない案件は見向きもしないから、あと3,4年もしたらノーベル賞なんてなかったことになるのだろうなー。

今日ニュースもしょぼい扱いだしね。

2019-09-20

anond:20190920022117

K1 ゴールデンタイム進出 1996年

2ちゃんねる西鉄バスジャック事件 2000年

お笑いブームマニアック芸人TVに) 2000年

2ちゃんねる 電車男 2004年

このあたりも

マニアック物件だった物が表舞台に出た」

という事で当時かなり影響有ったと思うな

オタクネタじゃないけど

1990年スラムダンク

1993年Jリーグ発足

1996年のShallweダンス?公開も結構かいかもな

この頃、日本人趣味範囲が急速に広がったんだよね

「えっ?野球以外のスポーツ好きになってもいいの?」的に

2019-09-17

1993年5月21日

しまった!」「どうかされましたか」「教えてくれ!今日は何年何月何日だ?」「1993年5月21日ですよ」「なんてこった...。このおにぎり賞味期限きれてる。少し食べてしまった」

2019-08-20

愛は地球を救う、の15回目に何かが起きた

回数(放送年)    メインテーマ

第1回(1978年) 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバス車椅子を!

第2回(1979年) 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバス車椅子を!

第3回(1980年カンボジアベトナムラオス難民のために!

第4回(1981年アジアアフリカ障害者のために!国際障害者年記念

第5回(1982年ストップ!ニッポン姥捨て時代!

第6回(1983年) 君の地球ボランティア!アフリカ飢餓緊急援助!世界コミュニケーション記念

第7回(1984年) この地球未来子どもたちのもの!

第8回(1985年アフリカ飢餓救援

第9回(1986年) 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバス車椅子を!そしてアジアアフリカの飢えた子どもたちのために!

10回(1987年SAVE THE CHILDREN

11回(1988年) 君は地球ボランティア年寄りに在宅福祉を、障害者社会参加を!

12回(1989年アジアアフリカの子どもたちに海外援助を!

第13回(1990年地球を救え!10計画

第14回(1991年雲仙・普賢岳災害救援!寝たきりのお年寄りにお風呂カーを!障害者社会参加を!アジアアフリカ海外援助を!

第15回(1992年) 愛の歌声地球を救う

第16回(1993年出会い

17回(1994年チャレンジ!

第18回(1995年) もう一度、チャレンジ

第19回(1996年ONE LOVE〜つなげよう!ひとつの愛〜

20回(1997年勇気を出して

第21回(1998年) いま、始めよう

第22回(1999年) 伝えたい…夢のちから!

23回(2000年) がんばる…君のために!

24回(2001年) 家族って何?

第25回(2002年) 家族で笑ってますか…?

第26回(2003年) あなたを一番愛する人

第27回(2004年) あなたの夢はみんなの夢

28回(2005年) 生きる

第29回(2006年) 絆(キズナ)〜今、私たちにできること

第30回(2007年) 人生が変わる瞬間(とき

31回(2008年) 誓い〜一番大切な約束

第32回(2009年) START!〜一歩を踏みだそう〜

33回(2010年) ありがとう〜今、あの人に伝えたい〜

第34回(2011年) 力(ちから)〜わたしは、たいせつなひとり。〜

第35回(2012年) 未来 みらい

第36回(2013年) ニッポンって…?〜この国のかたち

第37回(2014年) 小さなキセキ、大きなキセキ

第38回(2015年) つなぐ〜時を超えて笑顔を〜

第39回(2016年) 愛〜これが私の生きる道

第40回(2017年) 告白勇気を出して伝えよう〜

第41回(2018年)人生を変えてくれた人

第42回(2019年)人と人 ~ともに新たな時代へ~

急に具体性がなくなってへんこりんスローガンに変わった。まぁその頃には番組もすっかりニセチャリティー番組になったんだけどな。

そもそも募金額よりもスポンサーからお金のほうがよっぽど多いんだから24時間スポンサーコマーシャルでもいいと思うよ、知らんけど

2019-07-19

[]ワンワンライス

1993年から1994年までの非自民連立政権における要人小沢「一」郎・市川雄「一」・「米」沢隆のことで、「一」「一」「米」を英語で読んで「ワンワンライス」とした。

その対抗であった「大」内啓伍・「村」山富市・武「村」正義の三人は、「大」「村」「村」で「ビッグラムラ」と呼ばれた。

2019-06-28

anond:20190628121556

BLUE』(ブルー)は、千葉コズエによる日本漫画。『Sho-Comi』(小学館)にて、2009年19号から[1]2011年19号まで掲載された。単行本は全8巻。

BLUE』(ブルー)は、山本直樹による日本短編漫画、および同作を収録した単行本タイトル。作中の性描写問題となり、東京都により不健全図書指定を受け、版元回収となったことで話題になった。

blue』(ブルー)は、1996年魚喃キリコ漫画、および漫画原作として2003年に公開された映画である

Blue Gender』(ブルージェンダー)は、1999年10月7日から2000年3月30日まで毎週木曜日25時50分から26時20分にTBS放送されたテレビアニメ作品月刊コミックドラゴンにおいて加崎善彦の作画漫画連載もしていた。

BLUE SEED』(ブルーシード)は、高田裕三漫画作品、および1994年放映のテレビアニメ1992年コミックガンマ』に連載され、看板作品だった。

Blue Heaven』(ブルーヘヴン)は、髙橋ツトムの漫画作品。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)にて2002年から2003年に連載された。単行本全3巻発売。

BLUE MOON』(ブルームーン)(英一&英二シリーズ)は、森脇真末味による日本漫画読み切りシリーズとして、小学館『プチフラワー』に発表された。「緑茶夢」・「おんなのこ物語」と並ぶ作者の代表作の一つ。

BLUE DRAGON ラルΩグラド』(ブルードラゴン ラル・グラド)は、『週刊少年ジャンプ』(集英社2007年1号から2007年32号まで連載された原作鷹野常雄漫画小畑健によるファンタジー漫画作品単行本は全4巻が出版されている。

BLUE DRAGON ST』(ブルードラゴン シークレットトリック

2006年12月4日から2007年6月6日まで、『月刊少年ジャンプ』にて連載されていた。漫画柴田亜美Xbox 360から4年後という設定であり、ゲーム版キャラクターも登場する。ギャグが主。掲載休刊の際に連載終了。後に単行本化されている。

BLUE DRAGON 天界の七竜~空中都市の闘い~』

Vジャンプ2008年7月から2009年6月号に連載。原作アニメシリーズ構成の大和屋暁漫画作画監督の大竹紀子アニメ天界の七竜』22話と23話の間に当たる物語。後に単行本化されている。

BLUE DROP』(ブルー ドロップ)は、吉富昭仁漫画電撃コミックガオ!』にて連作読み切りとして連載された後、『チャンピオンRED』にて『BLUE DROP 〜天使の僕ら〜』が連載された。『BLUE DROP 〜天使達の戯曲〜』としてテレビアニメ化され、2007年10月から同年12月放送された。

BLUE ROSES 〜妖精と青い瞳の戦士たち〜』(ブルー ローゼス ようせいとあおいひとみのせんしたち)は、2010年9月16日日本一ソフトウェアから発売されたPlayStation PortableシミュレーションRPG漫画版は『電撃「マ)王』にて2010年11月から2011年8月号まで連載。作画中村煌。

BLUE EYES』(ブルーアイズ)は、にしまきとおるによる成人向け漫画作品

ブルーシティー』は、星野之宣による日本SF漫画作品星野の「出世作」とも呼ばれる[1]。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて、1976年2号から同年21号まで連載された。全18話。

ブルーホール』は、星野之宣によるSF漫画1991年から1992年まで『ミスターマガジン』(講談社)に連載された。1992年から1993年にかけてKCDX(講談社から全2巻が刊行され、その後も2度にわたり文庫化された。中国語フランス語翻訳されている。 続編にあたる『ブルーワールド』は、1995年から1998年まで『月刊アフタヌーン』(講談社)に連載された。1996年から1998年にかけてKCDXから全4巻が刊行され、2001年には文庫化もされた。

ブルーフレンド』は、えばんふみによる日本漫画作品少女漫画雑誌りぼん』(集英社)にて連載された百合漫画であり、作者にとって4回目の連載作である

ブルーイッシュ』は梅田阿比による日本漫画。『プリンセスGOLD』(秋田書店刊)2011年1月から2012年3月号まで不定期連載された。単行本秋田書店から全2巻。

ブルートレイン』は、高橋はるまさによる日本漫画集英社漫画雑誌で連載され、電子文庫化を経て、100円ショップダイソーで再文庫化されている。

ぶるうピーター』は、小山田いくによる日本漫画作品1982年から1983年にかけて、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』に掲載された。

『B.B.フィッシュ』(ブルーバタフライフィッシュ)は、きたがわ翔による日本漫画1990年から約3年にわたり、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)に連載された。

ちえこ

ブルーライト★コレクション1983年3月なかよしKC)

ブルーミントホテル小田浩志)

柴田ヨクサル

ブルートライカー(原作担当作画・沢真、『コミックDAYS2018年4月30日 - 、既刊3巻)

紫堂恭子

ブルー・インフェリア - 『コミックトム』(1993年 - 1995年)、単行本書き下ろし、全4巻

谷川史子

ブルーサムシング2015年7月24日)

金城宗幸

ブルーロック作画:ノ村優介、『週刊少年マガジン2018年35号 - )

持田あき

ブルーリボン(『りぼん2005年11月号 - 2006年1月号)

ヤマダ

ブルーハイジ(『月刊モーニングtwo2014年3月号 - 不定期連載)

ジョージ秋山

1978年に『ブルーあいつ』を『週刊少年キング』で連載した。

伊藤明弘

ブルーゲイル 伊藤明弘版権作品集 (大都社、単巻) - アニメ戦闘メカ ザブングル』の後日譚(ラグ主人公にした作品)の他、『ARIEL』『勇者王ガオガイガー』の外伝パロディを収録。

鈴木マサカズ

ブルードッグブルース(エンターブレインコミックビーム』2003年 - 2004年2月号連載)

斉藤

ブルーな午後のブルーな僕に』

佐々木淳子

ブルーオベリスクあすかコミックス、1992年

川本コオ

ブルーセックス

柿崎普美

ブルーセンチメンタル

きお誠児

ブルーアジュール

近未来海上舞台に、水素燃料プラントを狙う謎の軍隊と、国連軍空母部隊との、ステルス戦闘機同士の戦いを描いたSF作品。『サイバーコミックス』連載。休刊により未完。

2019-05-28

anond:20190528174639

アメリカではそう読むと『ざべ』か何かの記事で読んだけど、その後アメリカ人の若い助教授に(日本で)聞いたらスカジーと言ってたよ。

1991年1993年頃の話。

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