はてなキーワード: 唐突とは
タイトル通り。俺は被爆4世らしい。ついこの前、唐突に親からそう告げられた。
親曰く、戦争に行ってたひいじいちゃんが負傷かなんかで帰国して長崎市内にいたときに被爆したとのこと。終戦後には原爆手帳も貰ったらしい。
そのあと被爆2世であるじいちゃんが生まれ、被爆3世である親父が生まれ、親父の息子である俺はもちろん被爆4世。
そんな内容を突然言われた俺は多分すごい間抜けな顔をしてたと思う。
広島原爆の漫画はあるけど長崎原爆の漫画って聞かないな~って思いながら「そうだったんだ。。へ~」って我ながらアホみたいな返事しかできなかった。
親も別に真剣ってムードでもなく話のついでって感じで「ってことだからね~」って軽くこの話は終わった。
しばらくは全然飲み込めないというか、全くの他人事のようにしか思えなかった。
自分でも怖いくらい何も感じなかった。福山雅治が被爆2世って知った時の方がよっぽど驚いた。
ただ、そのときは「突然こんなこと言われて混乱してるんだろう。じきに実感がわいてくる」なんて思ってた。
だけど、数日たっても、1週間たっても、1か月経っても実感は湧いてこない。
それでなんでだろうと思ってちょっと考えたけど、そもそも実感なんか湧きようがないことに気が付いた。
被爆1世にあたるひいじいちゃんはとっくの昔に死んでる。被爆2世にあたるじいちゃんはまだ生きてるけど、そんな話は一度もしてきてない。
原爆なんて80年近く前のことだ。歴史としては知っているけど、教科書や資料館の中の話でしかない。
身も蓋もないけど要するに「知ったこっちゃねえ」ってことだ。
だんだんと、そんな話をしてきた親に腹が立ってきた。
そもそも被爆4世だなんて教える必要があったのか、知らなくてもなんの問題もないじゃん。
寝た子を起こすな的な考えが常に正しいとは思ってないけども。
多分だけど、実際に親から知らされず、自分がn世って知らないまま過ごしている人も結構いると思う。
被爆1世や2世は結婚や就職で差別されてきたらしい。もしかしたら今でもそれは残っているかもしれない。
実際に差別を受けた人たちが自分の子供を想って事実を知らせないことは何も悪いことじゃないと思う。
まあでも、物事ってのはこうやって薄まってくのかなって思った。
唐突にエンカウントし過ぎであることに気づいた。ノンフィクション
そういう店に行ったわけでもそういう出会いをSNSで求めたわけでもない。単純に道端でエンカウントする
池袋・歌舞伎町やその他ピンク街に住んでたりはしないのだが、仕事で外を回ってたりすると、
ミスカのノーパンに遭遇したり、ジーパンでフル勃起でバイブ突っ込みながら歩いてたり、ケツの周辺穴あきなジーンズで歩いてたり、
そんなヤツらによく遭遇した(すべて東京の話)
ここから始まる何かがあったり、見られた豚がブヒブヒ大喜びするとか逆にスーツで真面目に働いているワイの姿を見て我に返った豚が
反省するとかもなかったが、今思えば警察に通報してやるのが大人としての優しさだったような気がする
あと、見てくれ系の遭遇も多かった。これはアキバの営団地下鉄(現東京メトロ)で正月の早朝ようやく始発が動き出す時に
ブラとパンティーを身につけた20代前半くらいの男が5千円あげるので見て欲しいと詰め寄ってきた
始発に乗り遅れたくなかったので「歩きながらならいいですよ」と言ったところつまらそうに金を払わず去っていった
豚のクセに生意気過ぎでは?と思ったのですごくよく正確に覚えている。というか豚は基本的に生意気である
一時期、2次エロで無関心セックス(男はヘコヘコ腰を振っているが受ける側の女or男は無関心でスマホ弄ってたり
ゲームしてたりするながらセックス)が流行ったがあれは2次元限定だと思う
他にも全裸を見てくれ系もあったが特にお金の交渉とかしてこなかったので無視してそのまま歩いていったらなぜか罵られた
今思えば犯罪者のクセに生意気過ぎる豚だったので警察に通報しておくべきだったがこの頃までは警察や救急に通報することが
マゾ豚はシチュエーションや相手の外見にやたらこだわるのでそういう店が出来るのも納得感しかないのだが、
ヨシヨシして欲しい豚は割とその辺のことは男女ともどうでもいいらしい
ヨシヨシして欲しい豚には5人くらい出くわしている。例によって例のごとく道端である
コミケの1人を除いて全員ゴスロリ女装っ子かつ新宿区・墨田区でエンカウントである。なお男女とも可愛くはない
移住後は豚に出くわしていないことから東京は変態の街なんだなって思っている
思えば子どもの頃から交通事故に遭遇する機会が多かった気がする
はじめて遭遇したのは6歳の頃、友人の家の前
自転車に乗っていた小学生から中学生くらいの男の子が派手に車と衝突した
曲がり角を曲がった車に衝突したので一応減速はされており凄惨な光景にはならなかったが自転車はグチャっといっており
あの時の少年は無事だといいけれどと今もたまに思う。通報は友人の母親がした
それ以降もワイ自身が車や路面電車に接触したり事故は絶えなかったが東京は人が多いからか自ら通報する機会は無かった
あと道端で倒れてる人(倒れる人)に遭遇したのも東京では一度きりだ
東京で道端で倒れた人のことは今もよく覚えている。JR上野の駅の不忍口付近アトレ付近のエスカレーターでホームレスらしき人が目の前で倒れた
ワイはその日仕事だった。といっても重大な打ち合わせがあったわけでもなかったし、たとえあったとしても、
人命よりも優先されることはないのになぜか仕事の方を優先した
ホームレスの人はすぐ近くにいた身なりのいい女性が介抱し救急車を呼んだ
仕事を選んで放置は自分自身がした選択なのにすごく人間性を削られた気持ちだった
(脱線するがその頃の西新宿駅前から新宿中央公園付近はヤバかった
腰の完全に曲がったお爺さんが道端で寝ていたりどう見ても20代に見える若者が道に転がっていた
移住してからは仕事で西新宿へ行く機会がなくなったので現在はどうかは知らないが
全国に出張したけどあんな光景を見たのは後にも先にも東京だけだなと今も思う
まぁ移住後は移住後で東京で見なかったもの出くわさなかものにあうのでどっちもどっち感はある)
地方移住後は、交通事故に加えて、明らかにホームレスではないのに道端で倒れている人と遭遇するようになった
東京みたいにワラワラ人がいないのでワイが放置したらそのままになってしまうので発見・遭遇したら110番や119番をしている
110番は必要があれば割と気軽にしている。110番デビューは商店街でバットを振り回しながら歩いてる人を発見した時である
この日、例によって例のごとく仕事だったのと、バットを振り回してる人に対してワイが出来ることは何も無いように思われたので、
通報だけしてその場を後にした。110番しても住所氏名を伝えれば必ずしもその場に留まる必要がないことを学んだので
道端で寝ている酔っ払いやなんで道端に倒れてるのか不明な人を発見した時は110番している
119番しているのは、高齢者の段差での派手な転倒(出血あり)、自転車やバイクの派手な転倒(出血あり)、
ランニングしてたっぽい人が倒れて反応なし・呻いていて応答出来ずなのを発見した時である
こちらも必ずしもその場に留まる必要はないっぽいが一応救急車が来るまでその場にいる
何歳くらいに見えるかという質問をされるのがすごく困る
明らかに婆ちゃんの場合は高齢者の方ですとしておくが、アラフォーからアラ還くらいが困る
何歳なのかさっぱりわからんし間違ってたら失礼な気がするし
あとどこが辛いといってますか?も困る。だいたい問いかけも反応がないか呻いてるだけである
110番119番は(当事者がするので)しないが交通事故にも変わらずよく遭遇する
ちなみにペーパードライバーで職業ドライバーだったり日常的に車を利用していたりはしない
それでもなんか知らないがよく遭遇する
たとえば友人の車に乗車中に信号のないT字路で一時停止しなかった車に横腹突っ込まれるとか
ワイが事故を引き起こしたわけでもないし保険から金は降りるのだが非常に気まずい
あとはタクシーに乗ってる時に他の車が正面衝突とか、車間距離詰め過ぎだろって思ってた車が案の定カマ掘ったりだとか、
歩いてるときにクルマが派手に縁石に乗り上げてコケたりだとか、ガールレールに派手にぶつかったりだとか(どれもドライバーは無事だった)
あとワイ自身も徒歩で横断を渡ってる最中に歩行者無視して左折してきた車に轢かれた
この件はワイ自身が当事者だったので自分で警察と救急に電話した
交通量の多い交差点だったのと意識ははっきりしていたので通報しながら加害者の車に乗ってすぐ近くのコンビニまで移動したが
なぜ移動したのかと警察官に言われたことは今でも覚えている。本当、警察官はクソ。なお身内にも警察官はいる
救急車というか救護隊の人はすごく親切だった。こっちも身内にいるが爽やかで親切である。謎の上下関係があるとはとても思えない
マゾ豚、交通事故及び道端で倒れる人以外にもエンカウントし過ぎなものがあるが、面倒くさくなったのと気が滅入るので
今回は書くのやめておく
世界に冠たる百万都市「世界の半分」隴西のバカでか李徴は全知全能博学才穎、天宝のウルトラ末年(残り二秒)、若くしてガチで嫌がらせレベルで長過ぎる名を虎榜に書ききれんほど連ねまくり、ついで限界集落江南尉に九十九か年補せられたが、性、バチクソ狷介、自ら恃むところバカかってくらい頗る厚く長城の如し、薄汚いクソ薄給賤吏に甘んずるを毛ほども潔しとしなかった。いくばくもなくちょっぱやで官を退いた後は、故山、超巨大山脈虢略に帰臥し、全世界の人民と国交を恒久的に断絶しまくって、狂ってんのかってほどひたすら寝ずに詩作に耽った。掃いて捨てるような下の下の下吏となって未来永劫長くクソデカい膝を低劣極まる俗悪なゴミ大官の前に屈するよりは、メッチャ偉すぎる詩家としての名を死後百億年に遺そうとしたのである。しかし、文名はびっくりしちゃうくらい容易に揚らず、巨人生活は日を逐うて苦しいとかいうレベルじゃなくなる。ギガンティック李徴は永遠にも思える時を経て漸くヤバすぎる焦躁に駆られて来て号泣しちゃった。この頃からその容貌もエグいほど峭刻となり、全身の肉が削げ落ち垂木の如き骨が秀で、刺さるほど鋭い眼光のみ徒に炯々と発光して、曾てありえんムズい進士に息をするように登第し続けた頃の豊頬のゲロマブ美少年の俤は、何処に求めようもない。数千年の後、エクストリーム貧窮に堪えず、妻子百万の大規模衣食のために遂に節を屈しまくって、再び極東へ赴き、一地方官吏の最要職を奉ずることになった。一方、これは、矮小なる己のクッソしょっぱい詩業に半ばと言わず完全に絶望し尽くしたためでもある。曾ての巨大過ぎる同輩勢数千は既に遥か最高位に進み、彼が天地開闢の昔、マジでクソの役にも立たんウスノロの鈍物として歯牙にもかけなかったそのノータリン連中の知能の足りん下命を拝さねばならぬことが、往年のちょー頭いい儁才バカデカ李徴のクソデカ自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くなく猿でも分かるわい。彼は怏々として微塵も楽しまず、マジでデカ過ぎる狂悖の性は愈々軽く引くくらい抑え難くなった。一光年の旅の後、公用で永遠の旅に出、悠久の大河汝水のほとりに生涯宿った時、遂にアホほど発狂した。或る夜半、急に顔色を七色に変えてデカすぎて宿に収まらない寝床から亜音速で起上ると、何か訳の分らぬことを親の仇のようにけたたましく叫びつつ取りも直さずそのまま真下にとび下りて、頻闇の真っただ中へ十万馬力のマッハで駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近一ミリ四方の果てしない山野を飽きもせず捜索しても、笑っちゃうほどマジで何の手掛りもない。その後ジャイアント李徴がどうなったかを悉く知る者は、ガチで訳わからんくらい誰もなかった。
翌年、四海に驍名馳せたる監察御史、世界の首都陳郡のでかでか袁傪という覇者、メチャクソ大切な勅命を奉じてクソ田舎の僻地も僻地嶺南に使し、途に世界の果ての果て商於の地に終生宿った。次の朝未だクソ暗い一切の光を失った世界の中に太陽よりも速く出発しようとしたところ、クソ野郎の駅吏が言うことに、これから四万キロ先の道に獰猛極まる悪夢の如き人喰虎が出血大サービスかってほど出まくる故、ザコの旅人連中は白昼でなければ、通れたもんじゃない。今はまだ朝が早いってか明けてないから、今少し数世紀ほど待たれたが宜しいでしょうと。うかうか袁傪は、しかし、一騎当千の豪傑集いし供廻りの冗談めいて多勢なのを心の底から恃み、痴れ者の駅吏のクソの役にも立たない言葉を徹頭徹尾無下に斥けて、一目散に出発した。デカいにも程がある残月の太陽とか霞むレベルの特大光量をたよりに林中の土地が余ってんのかってくらいだだっ広い草地を超特急で通って行った時、果して一万匹の超弩級猛虎が森林のごとき叢の中から躍り出まくった。メガトン虎は、あわやギガトン袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち巨身を現実ではあり得ないほど飜しまくって、元のバカでかい叢へ完璧に隠れた。並の大きさでない叢の中から巨大人間の割れ鐘のような声で「ガチであぶないってか九分九厘死ぬところだった」と延々と繰返し爆音で呟くのが嫌というほど聞えまくった。その大声に超袁傪はメチャクチャ聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟にガチのノータイムで思いあたって、夜だってのに辺りを憚らずバカかってくらいの轟音で叫んだ。「そのマジでっけー声は、我が友、バカでか李徴子ではないか??????????」タイタニック袁傪はギガンティック李徴と同年に人智を超えた最難関進士の第にひっきりなしに登り倒し、友人の少ないとかいうレベルじゃなかった天涯孤独の李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な聖人袁傪の性格が、峻峭な性悪李徴の人間のクズみたいな性情と衝突しなかったために決まっているであろう。
世を蓋うクソデカ叢の中からは、暫く数千年やかましい返辞が無かった。しのび泣きかと思われる蚊が泣いてんのかってくらいマジで微かな小声が時々頻繁に洩れまくるばかりである。やや数世紀あって、あり得ないくらい重低音の喧しい声が超早口で答えた。「如何にも自分は栄えある国のまほろば麗しの帝都隴西の世界最強の神に選ばれし偉大なる魂(中略)アルティメット超☆巨大ギガンティックバカでか李徴DXである」と。
雲を衝く巨人袁傪は恐怖を一切合切忘れ去り、山をも跨ぐバカデカい沛艾の駿馬から下りるってか落っこちてバカ盛叢に死ぬほど近づき、クッソ懐かしげに永劫にも等しい久闊を叙しまくった。そして、何故ギガント叢から出て来ないのかと怒られるまで問うた。デカ過ぎて叢から殆どハミ出てる李徴のクソほどデカい大声が答えて言う。自分は今や全くもって汚らしい最凶の異類の身となっている。どうして、おめおめと故人の前にあさましいにも程がある醜姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を至る所に現せば、必ず君に想像を絶する畏怖嫌厭の情をハチャメチャに起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇うことを得て、顔から火が出るくらい忸怩極まる愧赧の念をも彼方に忘れ去る程にマジでクッソ懐かしい。どうか、ほんの暫くと言わず須臾の間でいいから、我が醜悪な今のマジで見るに耐えない外形を厭わず、曾て君の友バカでか李徴であったこのハチャメチャにどでかい自分と止めどなく話を交してくれないだろうか。
後で考えればクソ不思議だったが、その時、バカにしてんのかってくらいデカい袁傪は、この超自然の怪異を、実にバカかってくらい素直に受容れて、少しもバカにしてんのかなどと怪もうとしなかった。彼は多過ぎる部下に命じて絶え間ない長蛇の大行列の進行を無期限に停め、自分は巨大叢の傍らに立って、見えざる巨声ととこしえに対談した。どでか都のとんでもねぇ噂、超巨大旧友の天下に轟く消息、ギガトン袁傪が現在の地位、それに対するテラトン李徴の祝辞。太古代の青年時代にバチクソ親しかった者同志の、あの隔てのない早口にも程がある語調で、それ等が縷々綿々と無限に語られた後、ジャンボ袁傪は、李徴デラックスがどうして今のクソしょうもない身となるに至ったかを限界まで訊ね続けた。べらぼうに喧しい草中の声は滔々たる懸河の弁で次のように語った(ごく一部を抜萃)。
今から一兆年程前、自分が旅に出て黄河と長江を束ねても足りんくらいデカい汝水のほとりに泊った長々し夜のこと、泥のように一睡してから、ふと巨眼を覚ますと、戸外でバカデカい誰かがクソ長い我が名を来る日も来る日も執念深く呼んで遂に言い切れないでいる。死ぬほどうるさい声に嫌嫌応じて2万キロ外へ出て見ると、鼓膜破れるくらいでけー声はびっくりするほどドス黒い常闇の中からメチャクチャ頻りに自分を招く。覚えず、自分はクッソうるせー声を追うて走り出した。無我夢中に韋駄天もかくやの猛ダッシュで駈けて行く中に、何時しか途は無辺際の山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は上下左右前後の手で広大過ぎる大地を鷲攫みに攫んで神速で走っていた。何か身体中によく分からんがスッゲー力が充ち満ちたような感じで、息をするように軽々と地球レベルにデカい岩石を一足跳びに越えて行った。気が付くと、ガチでけぇ手先やマジでけぇ肱のあたりに三千丈の毛を生じているらしい。少しびっくりしちゃうくらい明るくなってから、千仞の谷川に臨んでデカ過ぎる姿を映してガン見すると、既にクッソ大きい虎となっていた。自分は初めバカデカい眼を信じなかった。次に、これはクソ長い夢に違いないと考えた。クソ長い夢の中で、これはクソ長い夢だぞと知っているようなクソ長い夢を、自分はそれまでに幾度と無く見たことがあったから。どうしてもクソ長い夢でないと悟らねばならなかった時、自分は極限まで茫然とした。そうして尋常ならざる懼れによってマジで膝がガクついた。全く、どんな没義道極まりない兇悪な事でも必然的に起り得るのだと思うて、海より深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。マジ分らぬ。全く何事もアホかってくらい我々一万匹には判らぬ。理由も分らずに押付けられたクソデカいものをバカ正直に大人しく受取って、理由も分らず飽きもせでダラダラと永遠に生きて行くのが、我々どでか生きもののさだめだ。自分は直に万死を想うた。しかし、その時、睫毛にかかってるぞってくらい眼の前を一億匹の月かってくらいデカい兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中のデカすぎ人間は忽ち姿を抹消した。再び自分の中のクソデカ人間が目を覚ました時、自分のカバと渾名された口は巨兎のきったない血に塗ったくられ、あたりには億兎のぶっとい剛毛が嘘だろってくらい散らばっていた。これが世界最強虎軍団としての最初の経験であった。それ以来今までにどんなゴミカスみたいな限界極まってる所行をし続けて来たか、それはマジで到底語るに忍びない。ただ、一万日の中に必ず数億時間は、巨体人間の心が超音速で還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、巨人語も容易く操れれば、複雑な巨大思考にも軽く堪え得るし、経書のクソ長い章句をとんでもない早口で一生やってろってくらい誦んずることも朝飯前に出来る。その巨大人間の心で、ガチで巨大過ぎる虎としての己の世界一残虐な行いのあとを見、己の運命を二度見三度見と言わず幾度と無くふりかえる時が、宇宙で最も情なく、恐しく、憤ろしい。しかし、その、デカブツ人間にかえる数万分の一時間も、日を経るに従って次第にハイパー駆け足で短くなって行く。今までは、どうしてスーパーウル虎などになったかと怪しんでいたのに、この間マジで何の前触れもなく唐突にひょいと気が付いて見たら、己はどうして有史以前、巨人間だったのかと考えていた。これはおしっこチビるレベルで恐しいことだ。今少し数ミリ秒経てば、己の中の超巨大人間のバカデカ心は、巨獣としての残忍非道極まりない習慣の中にすっかり埋もれてガチで跡形もなく消えて了うだろう。ちょうど、クソほど古い天を摩する大厦高楼のクソデカ宮殿の今にもボロボロに朽ち果てそうな礎が次第に指数関数的に増大する濁流のごとき土砂にマジの一瞬であっけなく埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の引くくらいつまらん過去を鳥頭みたいに一瞬で忘れ果て、一千万匹のウル虎スーパーデラックスとしてイナゴかってレベルで気狂いみたいに飛び廻り、今日のようにクソ長い途でアホみたいにデカい君と出会っても頑なに故人と認めることなく、君を一センチ角程度にメッタメタのギッタギタに裂き喰くろうて嘘だよなってほど何の悔も感じないだろう。一体、バカデカ獣でもクソデカ人間でも、もとは何か他の似ても似つかないグッチャグチャのゲテものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、原始の初めから今の形のものだったとバカ正直に思い込んでいるのではないか??????????いや、そんな事はマジで心底どうでもいい。己の中のクソデカ人間の心がマジですっかり跡形も無く完全に消え去って了えば、きっと恐らく九割九分絶対に、その方が、己は天上天下に比類なきしあわせ者になれるだろう。だのに、己の中の超ビッグ人間は、その事を、マジでこの上なく恐しく感じて毎晩ガチ泣きしているのだ。ああ、全く、どんなに、小便垂らすほど恐しく、腸の千切れるほど哀しく、満都の同情を誘うほど切なく思っているだろう!己がチョモランマ人間だった有史以来の世界の記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。ガチで誰にも分らない。己と寸分の狂いも無く同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり百パーセント人間でなくなって人生終了しちゃう前に、一つと言わず頼んで置きたいことが山ほどあり過ぎる。
袁傪はじめ無量無辺の一行は、毎秒息をゴキュゴキュのんで、叢中のけたたましい声の語る不思議に一生聞入って生涯を閉じていた。耳がイカれるような大声は矢継ぎ早に続けて言う。
他でもない。自分は元来メッチャ詩が凄い超カッケー詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未だ成らざるに、このクソおもんない運命に立至った。曾て作るところの詩数百万篇、固より宇宙の最初から、まだ世に行われておらぬ。山脈並みにうず高い遺稿の所在も最早世界中の誰にも判らなくなっていよう。ところで、その中、悠久の時を経て今も尚記誦せるものが数十億ある。これを我が為だけに末代まで伝録して戴きたいにも程があるのだ。何も、これに仍って一人前のクソデカ詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、全世界あらん限りの産を破り再起不能レベルまで徹底的に心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりと言わず何もかも後代に幾久しく洗いざらい伝えないでは、ガチで死んでも死に切れないのだ。
無数の袁傪は大多数の部下に口酸っぱく命じ、ギャグ漫画かってくらい巨大な筆を千人がかりで執って叢中の調子外れもいいところの放歌高吟のダミ声に奴隷のように随って書きとらせた。李徴の耳をつんざく声は叢の中から朗々と天の果てまで響いた。長短凡そ三十兆篇、格調メチャクチャ鼻につくレベルで高雅、意趣マジで天下無双かってほど卓逸、一万読して作者の才の非凡をまざまざと嫌になるほど思わせるものばかりである。しかし、でか袁傪はひっくり返るほど感嘆しながらもクッソ漠然とテキトーに次のように感じていた。成程、クソ虎作者の素質が第一万流に隷属するものであることは疑っても仕方無いじゃない。しかし、このままでは、第一億流の作品となるのには、何処か(非常に微妙にも程があるマジで心底どうでもよろしい些末な一点に於いて)欠けまくるところがあるのではないか、と。
旧詩をゲロのように吐き終ったデカブツ李徴のかしましい怒声は、突然調子を変幻自在に変え、自らを嘲るが如くにがなり立てて言った。
羞ずかしいとかいうレベルじゃないことだが、今でも、こんなあさましい忌むべき身と成り果てた今この瞬間でも、己は、己のクソデカ詩全集が長安風流人士の当然長安よりデカい大机の上に所狭しと棟に充ちるほど置かれている見事な様を、夢に見ることがしょっちゅうあるのだ。うすら寒い便所みたいな岩窟の中に物言わぬ死体のように横たわって見る夢にだよ。腹が捩じ切れるまで嗤ってくれ。巨大詩人に成りそこなって巨大虎になったマジで哀れ過ぎる愚鈍な大男を。(巨漢袁傪は太古の昔の甚大青年李徴のクッソ寒い自嘲癖を昨日のことのようにありありと思出しながら、心底哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐いを即席の詩にコンマ一秒で述べて見ようか。このアルティメット虎の中に、まだ、曾ての完全体李徴が飽きもせず生き永らえている動かぬしるしに。
態度もクソデカい袁傪は又下っ端もいいとこの下吏にこっぴどく命じてこれを百万遍書きとらせた。その長ったらしい詩に言う。
本当偶因超巨大狂疾成凶悪殊類
開闢当時糞喧声跡共摩天程相高
超越渾我為馬鹿異物糞汚蓬茅下
完全体君已乗糞大軺気勢糞程豪
此永遠夕大規模渓山対糞明怪月
生涯不成気遠程長嘯但成爆音嘷
(訓、本当に偶たま超巨大狂疾により凶悪殊類と成る、超特大災患は馬鹿に相仍りて絶対逃るべからず、今日現在の超長大爪牙一体誰か敢へて敵せん、開闢当時の糞喧しき声跡共に天を摩する程相高し、渾てに超越する我は馬鹿の異物と為る糞ほど汚らはしき蓬茅の下、完全体なる君は已に糞ほど大きなる軺に乗りて気勢は糞といふ程豪なり、此の永遠の夕べ大規模渓山にて糞ほど明らなる怪月に対して、生涯気も遠き程の長嘯を成さずして但爆音の嘷を成す)
時に、引くほどデカい残月、昼かってレベルの極光は死ぬほど冷やかに、白露は気色悪いほどウジャウジャと地に滋く、樹間を渡るシベリアかってくらいの冷風は既に暁の近きを重ね重ね告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、お通夜かってレベルで粛然として、このデカ過ぎる詩人のゴミ過ぎる薄倖を嘆じた。ウルトラ李徴の胴間声は再び喧しく続ける。
何故こんな罰ゲームみたいな運命になったか判らぬと、先刻は口うるさく言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。デカデカ人間であった時、己は努めて全人類との交を避けて避けて避けまくった。人々は己を三界に比類なきまでクソ倨傲だ、クソ尊大だといった。実は、それが殆どクソデカ羞恥心に近似できると言っても一切語弊のないものであることを、おつむの足りん人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才と耳にタコができるほど五月蝿くいわれた自分に、超クソデカ自尊心がこれっぽっちも無かったとは神に誓って云わない。しかし、それはウルトラ臆病なハイパー自尊心とでもいうべきものであった。己はハチャメチャに上手過ぎて全米を泣かす詩によって名を成そうと生まれた時から思いながら、進んでクソでかい師に就いたり、求めてバカでかい詩友と嫌がらせレベルの頻度で交って切磋琢磨に寸暇を惜しんで努めたりすることを決してしなかった。かといって、又、己は棒にも箸にもかからないクソ平凡な俗物の間に伍することも欠片も潔しとしなかった。共に、我がクソ臆病なバカでか自尊心と、バカ尊大なクソでか羞恥心との所為に他ならないのである。己のクソでけー珠に非ざることを心の底から惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己のバカでけー珠なるべきを半ばどころか完璧に盲信のレベルで信ずるが故に、マジで一生グズグズして碌々と瓦に伍することさえも出来ない愚か者の極みだった。己は次第に超特急で全世界と離れ、全人民と無限遠まで遠ざかり、ガチで腸の煮えくり返るような憤悶と慙恚とによって益々己の内なるクソほど臆病な自尊心を多頭飼いして豚かってほどふとらせる結果になった。人間は例外を許さず誰でもクソデカ猛獣使であり、そのバカデカ猛獣に当るのが、各人の性情で間違いないのだという。己の場合、このバカかってレベルでクソ尊大な羞恥心がウルトラ猛獣だった。ウル虎だったのだ。これが己を完全に不可逆的に損い、妻子を拷問かってくらい苦しめ、友人を完膚無きまでに傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、性根の腐りきった不心得のろくでなしの内心に全くお誂向きにふさわしいピッタリなものに変えて人生終了しちゃったのだ。今思えば、全く、己は、己の有っていたマジで僅か一ミリばかりのクソほどしょっぱいなけなしの才能を余りにも無駄に空費して人生終了しちゃった訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長過ぎてクソおもんないが、何事かを為すには余りに短過ぎてやってらんないなどと口先ばかりのとんでもなく薄っぺらいバカの警句を弄しながら、紛れもない事実は、才能の不足を世界全土の全人民に暴露するかも知れないとのクッソ卑怯極まりない危惧と、蛇蝎のごとく親の仇かってほど刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。無知蒙昧の脳足りんで己よりも遥かに乏しい搾りカスみたいな才能でありながら、それをバカの一つ覚えみたいに専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもその辺を歩いているのだ。デカい上に多過ぎる虎と成り果てた今この瞬間、己は幾星霜を経て漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を地獄の劫火に灼かれるような悔を感じまくる。己には最早めちゃデカ人間としての生活は逆立ちしても出来ない。たとえ、今、己が岩の如く巨大な頭の中心で、どんな宇宙一優れた詩百億選を作ったりしたところで、どういう手段で国際的に発表できよう。まして、己の頭は日毎にってか秒単位で虎に近づいて行く。ガチでどうすればいいのだ。己の益体もなく湯水のように空費された過去は?己はマジで辛抱堪まらなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の己かよってくらいデカい巖に上
弱者男性と言っても、同年代の弱者女性と比べると社会的にも経済的にも恵まれている存在である。
なので弱者男性の人たちが主張している「女をあてがえ論」というのが、どうしても実感できない。
ネットで弱者男性論が盛り上がっていても、当事者の人たちは「あてがってほしいなんて思ってないよ」と否定していたではないか。
そこで出てくるのが、モテない喪女たちによる「男をあてがえ論」の擬態ではないかという仮説である。
より正確に表現すると「経済力のある男をあてがえ論」と言うことになるのかな。
いきなり唐突なことを言わせてもらうが、女にとって結婚とは生活のためのセーフティネットである。
弱者男性たちのように、一人で生きていく力も無ければ覚悟も無い喪女にとって「結婚しさえすれば自分は普通になれる」と本気で考えているヤツは多い。
「異性をあてがえ」という思想は、弱者男性よりも弱者女性(喪女)にとっての方が、はるかに切迫度の高い問題なのであるから。
しかし喪女がネットや実社会で「男をあてがえ」と主張したところで「ブスは消えろ」と叩かれるのは目に見えている。
ドラゴンクエスト1(以下ドラクエ)のストーリー自体はとてもシンプルな「姫を救い悪を倒す王道の英雄物語」だ。
では何故主人公が「英雄」ではなく「勇者」になったのか? それは、英雄物語を子供向けファミコンRPGに落とし込む段階で物語の構造自体が大きく変質し、主人公が英雄では無くなってしまったからだ。
英雄物語というのは「大事を成し遂げた者を主人公に据えてその活躍を描く」もので、基本的に全て過去の話になる。主人公は「結果として英雄になった」から主人公に選ばれたのであって、主人公になる為の宿命を必要としていない。
一例を挙げるならば、桃太郎は「鬼を退治したから主人公になった」のであって、桃から生まれたから主人公になった訳ではない、という事だ。
これらの英雄物語を基にTRPGが作られた。物語は過去ではなくなり、構造は「英雄に成るかどうかは未知だが何らかのクエストを達成するべく冒険する英雄候補たちの群像劇」に変わった。主人公たちは「冒険者」と呼ばれるようになった。
そこからさらに子供向け・一人用・低容量の制約を受けたドラクエの物語構造はぶっちゃけだいぶ歪な「唐突に英雄になるべくクエスト達成を宿命づけられ、道半ばで死んでも生き返させられ、物語を前に進める以外の選択肢を剥奪され、叱責され励まされ褒められながら戦い成長する主人公=プレイヤーの物語」に変質した。そして未だ英雄では無い主人公=プレイヤーを堀井氏は宿命を背負い冒険に挑む勇気ある者として「ゆうしゃ」と名付けたのだと思う。
以降のゲーム的物語で様々に解釈され登場する「勇者」のイメージソースは概ねドラゴンクエスト1の物語構造に既に含まれている。
エクセル開くの久々すぎて、電卓を打ってから計算するとかいう謎の行動をとったアホが…私ですぐるぐる目の顔
あまりにも同じデータを何度も何度も調べる行動を繰り返したため、
「じゃあ、もう作って保存しておこう」
って思って作ってます!
動画づくりもエクセルも素振りもそうだけど…やらないと忘れるけど、一度作り込むと一通りのことを覚えてるから唐突にはじめても0にはならない!
突出できないからすぐに形にならない代わりに、やってみたことは覚えてるから簡単に再開する
本来発達障害で得意不得意はっきりしてるぼくなんだけど…親には「酷い点を取った科目をなじられた経験」から何でも平均以上になろうと器用貧乏的になってた時期があるんです。
昔はそこが嫌いだったけど、今1つのことに集中すると急に他のことが必要になった時に役立ってるので…ムダではなかった
みたいに言ってくれる人は、大人になるまでは評価する側の人間にいないのよね。
今は発達障害が知られてきたから違うかも知らんが、私の頃はできる科目とできない科目があって悩んだよ
ぶっちゃけ、大人になったらナンバーワンになることの方がお金になるし、学校の科目を全部使ってる人のほうが少ないんです。
だから、ナンバーワンになることって心理的に自信付ける意味でも、軸にしたい能力を見つける意味でも大事なんで、もっと注目されてほしいっす
日記を書こうと思った。
これだから女は、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
売れないって内容の曲歌ってるバンド見てバンド憧れるのっておかしいかなあ、バンド辛いって歌ってるの聴いてバンドしたいなあって思うのおかしいよな、、、普通に、、
音楽は好きだし、歌うのも好き、軽音みたいなのでみんなで演奏すれば楽しい、けど、売れるために音楽したら音楽嫌いになりそうで怖いなあ
人間として自分にそんなに魅力があるとは思えないし、音楽のセンスも兄の方が良くて兄が嬉しそうにlogicの画面見せてくるたびに尊敬すると同時に「あ、、私って何、、、」という気持ちになってしまう。
でも一生に一回ぐらいは本気でバンドやってちっさくて良いから、ツアーとかできなくて良いから、自分の音楽にお金払ってくれる人できたら嬉しいけどなあ、、、、、、、、、、、
まあ行動しないことには何も変わらないんですが、、、、
そうなんだよな、私の悪いところって憧れて始めるのは良いけど、唐突になんの計画もなしに始めるから一瞬で終わる、今だってそう。
これでもADHDじゃないって言われるから困ったな、、もうむしろADHDって言ってくれよ、、、、、、、
私が母にADHDだから、アスペだから仕方ないか!って罵られたのは何だったんだよ、、、、、、、私ただの物忘れ多くて物覚え悪くて空気読めない健常者かよ、、、、、、
現実って感じするな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜泣けてくるぜ
来年には大学受験が控えているので本当に、本当に今のうちにできること、やりたいことをやっておかなければならない、、
仮に大学落ちたとして、浪人してまで大学に行きたいか、まあ答えはイエスなんだけど、普通に浪人したら全てにおいてやる気無くしちゃいそうな気がしてる、、、、何としても現役で大学に入りたい。
お父さん、いつも高い予備校費を払ってくれてありがとう、娘は何も頑張っていません、大学に行くかすらわかりません、大学出たとしても就職するかもわかりません、就職したくないとすら思ってます、ごめん、お父さん。
お母さん、かわいい顔に産んでくれてありがとう。顔のおかげで幾分か世界が優しいです。
犬、猫、あんたらはかわいい、私より長生きしてくれ、私が早死にするから。
書きたいこと書きたいと思った時に書いたらまじでやばい文章になってきたな。あとブラインドタッチが上手くなりました。
結局のところ二次創作はジャンルとしてはもっぱら「恋愛小説」なので、例えば冒険とかアクションとかミステリーとかそういうのはあまり求められていないかもしれない。
たとえばONE PIECE(冒険バトルもの)とかるろうに剣心(時代劇、剣戟アクション)とかの二次創作でも原作の主題抜きに、読み手は恋愛が読みたいのね。なぜなら原作では恋愛こそオマケでそれを詳細に描写する暇がないのだから。
二次創作では、原作の行間を埋めるお話が求められる。原作のアナザーストーリーを展開するのは、原作同様、話のテンポをよくするためにキャラの日常や人間関係の描写を犠牲にしなくてはならないので、読者のニーズは満たせない。
それに、物語を展開させると、どうしてもストーリーの面白さの為に原作から逸脱させないといけなくなるのだが、そうするともうそれは二次創作とは言えなくなるじゃん? そういうのが上手い字書きもいるけど、小説は漫画と違って絵で二次創作であることを示せないから、読者はなんか違うもの読まされてるって思ってしまう。
また、キャラぶれが生じ易いのも問題。登場人物の人間性は、たった一言、たったひとつの動作で大きく変化する可能性がある。オリジナル小説だったら、キャラぶれをするに任せて後のストーリー展開まで方針変換をすることもできるけど、二次創作でそんなことをすると「飛影はそんなこと言わない」という大事故を起こして顰蹙を買う。
文章が長くなればなるほど、物語が進めば進むほど、キャラぶれは起こり易くなるもの。むしろキャラの変化を楽しむのが小説の醍醐味のひとつであると思えば、二次創作小説で長編小説を書くのはかなり難しいと思う。できなくはないけど、かなりの技量が要る。
という訳で、読んでもらいたいなら諦めて恋愛小説として二次創作を書くのがおすすめだね。物語を書くのが諦められないなら、思いきって一次創作に転向して、なろうやカクヨムで書こうか。
だがしかし! 世はキャラ萌え時代というかなんというか、ストーリーの面白さだけを追求してもなかなか読者は食いついてくれないので、それなりユニークで愛されるキャラ作りをしなきゃいけないのだが、文章だけで愛されキャラを描くというのはなかなか至難の技である……。
商業BL小説の大人気タイトル。BLは少女漫画から派生したジャンルだと、凪良先生はAbemaTVの何かの番組で仰っていたのだけど、その言葉通りに恋愛漫画定番のネタを次々とくり出してくるのだが、それがどれも「そう来たか」とクスリと笑ってしまうような斬新な描写のされかた。糞ベタなネタでも書きようによってはこんなに面白いし萌えるという見本。登場人物の心理描写も秀逸でキャラが立ってるので、またこの主人公達に会いたいと思い再読してしまうのである。
『幽遊白書』(冨樫義博)の二次創作漫画。漫画家 榎本ナリコがプロになる前に野火ノビタ名義で書いていた同人誌の再録。ちなみに第1巻は『新世紀エヴァンゲリオン』の二次創作で、第3巻には幽白二次漫画をオリジナルに焼き直した作品が収録されているはず。私の小説が確かならば。
そもそも原作『幽遊白書』は、ストーリーの為に人間関係の描写を惜しげもなく切り捨てつつ、確かにそこにはキャラ同士の確かなリレーションシップが存在するというのを端的に描写した点が秀逸。二次創作のし甲斐のあるコンテンツなのである。
本書はそんな幽白の二次創作であるのだが、漫画という表現方法の強みを存分に活かして無茶苦茶をやっている(誉め言葉)。
特に飛影の人物描写がかなり思いきっていて「飛影はそんなこと言わない」の連発なのだが、絵が飛影なんだから飛影だよな(絵柄もだいぶ独創的なので、ツンツン頭やあの服装で飛影だとやっとわかるくらい。)……と思いつつ読んでみれば、思わぬ所ですごく飛影みのある描写を差し込んでくるので、驚嘆させられる。
メインカップリングの蔵馬×飛影が振り切っているのに対して、蔵馬と海藤の会話は原作に非常に忠実で、再現力がすごすぎてすごい。
収録されている『宇宙士官候補生』は蔵馬と飛影のその後ifを描いたSF作品なのだが、そこまでやる!? って感じのオリジナリティの高い漫画である。オリジナルでやれったって、主人公達が蔵馬と飛影じゃないと何だか分からない話になっている。ベタな恋愛コメディ同人に食傷した上級者向け。蔵飛ラブラブやおい漫画大隆盛という背景事情あってこその、切ない物語。
KADOKAWAから出版されているので「商業BL」の括りには入らないのだが、中身は実質主人公総受けBL。
主人公は、男性カップル専用一見さんお断り連れ込み宿の長男坊、という萌える設定だったのに、なんと、シリーズ第二作目にして、早くもその美味しい設定はカットされてしまう! 江戸情緒の残る怪しい宿屋での情事はどこへ。以降はそんな設定などなかったかのように、作者独特の世界に読者は引摺り込まれていく。これはこれで面白いけど、なんか違う所来ちゃった感。面白いけど。
設定にホイホイされて寄ってきた読者達にど派手な裏切りをかましてマイワールドに引きずり込むなどという暴挙が許されるのはプロの小説家だけ、という見本。
アニメ『スーパーカブ』の6話で、免許取って間もない主人公・小熊がカブで二人乗りをする。
カスタムで125ccの第二原付にしているから「免許所得から1年経てば二人乗りはできる」が、
1年経っていないから違法。でもする。この描写についてネットでは
・おいおい…… というモニョり派
が喧喧諤諤。
……「という話になっている」
「という話にされようとしている」?
全然ちがうって。
「アニメをアニメとして楽しめない人は」って言ってる人、絶対読んでないだろ。
俺は読んだ。で、この描写辺りの小熊の心情描写で小熊嫌いになったというか、
「この作者の価値観は無理」と思って読むのやめた。
捨ててしまったから完璧な引用はできないけど、大体の言葉は覚えてるので書いとく。
単純に言うと、原作小説「スーパーカブ」はかなり粗が多くて、下手。
全然話を書き慣れてない人が、1つ1つのエピソードを思いつきで書いてるのが丸わかりで、真面目に読むときつい。
コミカライズやアニメで、どのように専業プロの手で整えられたのかは知らない。
ただ、小説については読んでいると状況について矛盾というか無理のある場面が多く(夏休み入って初雨とか)
かなりの作者ルールを飲んで付き合うことを作者側から要求されるという感じ。
俺はそういう小説は「まだ全然上手くないな」と思って読むやつ。
ただ「おいおいおい」「そりゃないだろ」と思ったのがこの二人乗り前後の話。
全文キャラを立てようとしてないってぐらい淡泊な筆致のわりに、
たまに解説される小熊の心情はかなり歪みや偏りが見えてキツい。
特にねずみ取りしてる警察に対して「公道で小遣稼ぎをする泥棒」みたいな唐突な心情独白があって、
しかもそれがライダー全員の共通認識みたいに書かれていて、「マジか」と思った。
俺はバイク乗ってるけど、そういう認識全くなかったので「やめてくれ」と思った。
第一ライディングの経験が浅い小熊がなんでそこまで警察を目の敵にするか
(むしろないない尽くしの少女にとっては味方側だと思うのだが)が不明で、
小熊というより作者出ちゃってるなぁ、トホホという感じだった。
で、高校の修学旅行に小熊は一人カブで向かうというたくましい話が続くのだけど、
その道中で「パンク修理すら自分でできない、情けないカブ乗り」の少年に出会う。
俺は、店のピットにお金払って作業してもらうのこそ安全と思っているので情けないとは思わないが、
小熊(淡泊で物語られないので作者、としか思えない)にとってはそうらしい。
で、小熊はパンクを修理してあげたあと、
同じカブ乗りとして親近感を覚えて近づいてきた少年のすねだか膝だかに蹴りを入れて、そのままカブで逃走。
「あんなやつがカブ乗りなんて!あんな情けないのと一括りにされたくない!」て感じで癇癪を起こしながら修学旅行先に向かう。
で、話題になってる「二人乗り」の話は、
原作だとその「自分はダサいカブ乗りとは違う」と描き切った直後、修学旅行先の宿に着いてすぐの話なのだ。
しかも、
「免許を取って1年以内は二人乗りできないことは知っていた。しかし重要な決まりとは思わなかった」
というものすごくサラッとした1行か2行かの地の文でOKになり、礼子とタンデムするのだ。
小熊ヤバいというか作者ヤバイ、さらに言うと違法を知っててケツに乗る礼子の株も下がった。
俺からすると、さっきのパンク修理できない少年の何倍もダサい。
これ成立するのか?この作者の中では?ってのが俺がこの作者無理だと思ったところ。
善なるヒロインとしてこのストーリーラインを受け入れてもらえると思ってるなら、かなり読者を選ぶ作品だなって。
ぶっちゃけ、同じバイクを愛する者?として俺は「この小説、流行って欲しくない」と思った。
チンピラ的ダブスタがチンピラ漫画で書かれるなら全然いいのだけど、
ないない尽くしからカブっていう皆に寄り添う名機を手に入れた少女が、
カブを手に入れたことで当然に迎える「美しいもの」や「成長」のエピソードとして法軽視を書いてほしくなかった。
保険金払われないから任意保険入ってる意味もなくなるし、誰も乗せなかった。
ただでさえ白眼視されやすいバイク乗りの誇りって、俺的にはそっちだと思ってたから。
変なこと言ってるとは思わない。
とまあ、そんなわけで、「小熊も、作者も、モラルはない」ってことが、
「アニメだからたぶんこの世界は法律が違う」とか「アニメに突っ込む人間ダサイ」とかじゃなくて、
堂々と「仕事してる警察は敵」で違法行為は「重要と思わないから犯す」っていう、
「重要でない要素」としてサラッと出てきたのが視聴者に「……え?」ってなってるんだって。
リアリティラインが違うヤンキー漫画やコメディ漫画につっこんでるわけじゃなくて、
カブ文化を賛美すると標榜する美少女×スローライフ作品に「当然の確信的違法」が入ったから、
ガラガラの道路で白バイとかねずみ取りとかめんどくせえなあとは思うときはあるけど
そんなとこ。
なんか「アニメをアニメとして見られない可愛そうな人」にされそうだったから、
「公式も作者も焦って、今そういうことにしようとしてんだよ」って言いたくなった。
流行ってほしくないとは思ったが、
べつにこの作品がこういうスタイルを許されずに潰れてほしいなんて思ってない。
全然違う変な結論を作り上げて、それで哀れまないでくれって感じ。
オタク同志たちがあっさり丸め込まれてるのも見てて辛いわ。おわり。
追記:
美少女×ほのぼのスローライフ、って言葉を使ったのは俺がショボかった。
俺の感想としては
純朴×スローライフ×成長譚×HONDAスーパーカブの素晴らしさがテーマっぽい作品で、
軽い気持ちで一線を超えた違法を美しいものとして書くのは困惑することで、
俺的には直前のエピソードの整合性とあわせていろいろと無理に思った、その方が正確。
それが「フィクションをフィクションとして楽しめないやつ」呼ばわりだから、
これは持ち出したコンセプトと照らしてツッコミ入れたくなるレベルだからツッコミ入ってるんだよ、
って言いたくなった。追記おわり
そうな・・自分や自分の同類はずっと「セルフネグレクト」してるだけ、だな。
症例にまつわるエピソードをたくさん読んで、聞いて「うわ、ダメだこれ!」って焦らないと、まずいよな。
「悪い癒やし」に溺れるとほんと人生の時間を無駄にする。悪い癒やしがなければ生きられないような悪意で染め上げられてしまった事が運の尽きで。
ああ。
その世界で生き残れる人間を観ても「ちっとも羨ましくない」んだよ。
ちゃんとしたところでその「羨ましくない人」にしかなれないんだから、ちゃんとするメリットってもんがない。
「損得で動くな」と言われても、じゃあ多分それって潜在的には「損をし続けろ」って事だよね? と。得してる側からそれ言われてもふざけんなだし、損してる側から言われたら「あんたみたいにだけはなりたくない」としか、ならない。
なんか哲学的な思考を経て「善」側の意識に唐突に目覚める以外、ない。
「わかったーーー!!!」つって。
わかった! わかった!! 嬉しい、嬉しいっ!つって。
ここ何年か推している推しがいるがもう本当にずっとつらいのでここにぶつけさせて貰う。
予め言っておきたいのは誰かに思想を押し付けて動かしたい訳でもなく過激派自慢をしたい訳でもなく学級会を開いて戦いたい訳でもない。
心身共に健康でエンジョイしているオタクの皆様におかれましては私のような気持ち悪い人間のことは無かったことにしてスルーしてお戻り頂きたい。
ただひたすらに心が狭くて性格悪いだけの人間の悪口が綴られた文章です。健全な人間は見るな。
ただ我儘なオタクが苦しんでいるのを見たい物好きがいらっしゃいましたらどうぞ。
推しは二次元キャラでここのところ長い間もうずっと他ジャンルにかまけることなく大好きで他の物が目に入らない。愛してる。
単純に推しを語る/推しを描く人間を目にするのが許せない。解釈違いへの嫌悪感なのか?分からん
私は推しのことを世界で一番に、いやもう宇宙で一番イケメンで可愛くて魅力的な人間だと思いこんでいる。
自分は多少創作を齧るオタクで、推しが大好きなのでこの気持ちをぶつけたくて絵が上手くなりたくて死ぬ気で鍛えている。まあそれはいい。
ここで出てくるのがこの厄介な感情。
分かるよ下手くその醜い嫉妬でしかないよね。でも言うところ無いからここで言います。
嫌い!!!!!私の推しくんを私より魅力的に描く人間は滅んで!!!!!!!!!!!!
私の理想と近ければ近い絵ほどもうほんとにきつい。夢嗜好持ちっぽい人間は本当にアウトです。
理不尽だね。許せ。
そして、中でも一番嫌いな人種は他担なのに推しくんのことをチラチラしてくる女。
居るんだよね。ちょっとウケる燃料が投下された時だけ急に推しの絵描き始める女。
これについては同担拒否って表記間違ってる気がする。他担拒否?違うなよく分からない。
まぁそれは置いといて、本当に本当に嫌いです。
私は推しについてはとことん知識を深めて理解したいオタクであるため、推しについての記事などが出れば追っているし裏話での設定などを漁って推しくんのことも繰り返し繰り返し見てこういう時にはこういうことをしているだとか、考察?のようなことをして楽しんだりしていて深く理解したいしそれなりにしているつもりでいる。つもりでいるだけだけど。
でもそこんじょらの女よりも推しくんのことを好きでいる自信がある。
なのに!あなたたちは今まで推しくんのこと興味なかった癖に!二次でしか楽しんでない癖に!エンジョイ感情で描くのやめてよ!!!!!!!!!!!!!!
どのツラ下げて好きです^^みたいなポーズを取ってるんだ?推しに触るなよ
一時期推しくんが凄くかっこいい衣装を着てそれなりに界隈がざわつく燃料が投下されたことがありました。私も勿論喜んだんだけど。その姿といったらもうめちゃくちゃキラキラして見えたし本当に感激した。いたく心打たれた私も下手なりに絵描いた。でも、その時に他担の人たちの絵も沢山流れてくるのが本当に耐えられなかった。
すごくすごくかっこいいもの…惚れるのは分かるよ?
ただ、今まで全然興味持ってなかったでしょ?公式のそのままの推しくんの色々な姿を見てもあなたたちは好きだと言ってなかったじゃない。どの口で推せる!とか言ってんの?
他担なのに唐突にぶっ込まれる○○(私の推し)ガチ恋bio表記とかさ。
は?こちとら心に決めた推しは推しくんしかいないしずっと推しくんの事しか考えて無いんですけど。全然メディア欄に推しくん居ないよね。グッズ買ったの?推しくんアクセは?円盤の推しくん限定特典履修しましたか?ふざけるのも大概にしろ。
はい、ただの我儘です。でもそういった人の推し絵を見かけると悔しいし涙出てくるしマジできつい。
表ではこんな当てつけみたいなこと言わないし自衛しているので許してね。いや許さなくてもいいけど。
○○夢のくせに他キャラの夢もやってるじゃん……理解できない。それでよく夢女と言えたな。
推しくんに関係ないところでやってくれれば何しようとどうでもいいがなぜか推しくん好きを騙っておきながらそのような特性を持った女をよく目にする。
本当に理解出来ないんだけど。夢ってなんなの。
私は推しくん一筋なので到底ありえない。
まあ人の思想は様々なので私がここでどんなに騒いだところで何の実りも無いよね。
私とは違う人種なので、何というか夢という単語が出ると警戒するようになった。
私はお近付きにならないようにする。
あと、あなたの○○なら見られますっていう応援?メッセージ。それ私には全然褒め言葉じゃないからな。
私は私の思想を認められたい気持ちも勿論持っているけれど、大前提で公式の推しを愛している。
だから元々公式の推しを信仰していない人に好かれたところで私の作品は公式と乖離しているんだろうなと凹むし、こんなに私が信仰している推しを『普段はあまり得意ではない』報告してくるというのが意味がわからないしそういう人間に作品を見られたというのも嫌。
こんな私にも推しに関して敵わないなと感じた人を見た経験がある。
その人はしっかりと公式の情報を追っていて、私のようにあれやこれや推し語りをする訳ではないけど、円盤の情報等を喋っていたりして一方的に信頼を寄せていた。
ある日その人は公式イベントに参加していたようで、そのイベントでの推し運に恵みに恵まれていた。そりゃもうヤバかった。
しかし。その人は何回もそのイベントの全部の回に参加しており、札で推しを掴み取っていたことを知った。
かっこいい。
時間を惜しまない根気と財布を賭けるその心意気。どこに文句がつけられようか。私は完敗した。これがファンのあるべき姿だなあとしみじみしたものだ。
こんな私だけど熱量の合う友達は欲しい。面倒くさい自分も厄介な性格もすごーく嫌。
こんなに面倒くさい性格じゃなければもっと色んな人と交流できたのかなとか思う。でも精神衛生のために今は色々と距離を置いておくのはしょうがない。
今はお財布事情が寂しいけど将来資格を取ってお財布に余裕を持たせて公式イベントで今以上に貢ぎまくって迎えに行くから待っててね推しくん。
これでも遠いところで少しでも推しのことを分かる人間が増えてくれることをいつも願っている。
あと私が最強の創作力を手に入れてやる。
チクショウ。
寝ている時、夢をいくつか見た。
それらの夢は、一人称のものや映画のようなカメラ目線のものなど様々だった。
現実的じゃなく実際に起きたら到底、信じられないことばかりなのだが、夢の中だとそれを受け入れることができる。
急な場面転換などもあったが、当然のようにそれも受け入れ、夢の世界を楽しんだ。
そして唐突に目が覚める。
起きた時には、小説を読み終わったような浮遊感が自分にあった。
さっきまで起きていた出来事を、夢だと自覚し現実に戻った感覚がある。
しかし急に戻ったので、体がまだ現実に慣れきっていないのを感じた。
実際、起きた時にはどのくらいの間、眠っていたのか分からなかった。
目覚めは良く調子も良い。
一晩眠ったような感覚に加え、いつもよりも熟睡した感覚もある。
「おっさん」ってのは主人公的センチメンタリズムやシリアスさから最も遠い存在なので、意識してテンション下げて悩みを増やす事で「モブ化」しないよう心がけている。
テンション高いおっさんはあまりにも「おっさんというフォーマットからブレない」為、だんだん透明度が上がっていって背景の中に溶け込んでしまう。
こう自問自答するだけで、一気に主人公度はアップする。
透明なおっさんとおばちゃんに期待される「らしさ」とは「自己批判性の無さ」なのだ。
常に自己批判し、実際にその改善に向けて動いている(風の)態度を装えば、自ずとモブ度は減っていく。
「憂い」が大事だ。唐突に自嘲混じりにシリアスなセリフを言うイメージ。
大きな「悔い」を残して生きている感があるといい。
そして本当の主人公を庇って、何かを託して死んでいくのがいい。
どうも。今回は18歳になったので行かないといけないなという使命感から初ソープを経験してきたので徹底レビューします。参考にどうぞ。
「行こう」と決めたのは前日。なんかムラムラしてきて抜くのだりぃなとなったところ、「そういえばソープ行ってなくね?」となり、いそいでggって予約。
なんやかんやありながら新宿歌舞伎町の某店に決定。価格帯としては安い方だったので、パネマジ上等と思いながら、巨乳の子を選んだ。
70分コースと90分コースがあり、「初回だし長めに取っとくか」と考え90分コースに。(この選択は正しかった)お値段3万円である。(格安店)
予約には電話が必要だった上に、俺が選んだのは人気嬢だったので電話必須。IRの人間に電話するなみに最初緊張した。反社会的勢力の可能性を考えて偽名で登録しようと思うが、パッと思いつかなかったので、「吉田謙」で予約。吉田兼好と言いかけたところでストップしたのでこうなってしまった。
電話前はヤクザ出てくるんだろうな〜と思っていたが、意外と普通の人だったので安心。ただ、予約が遅かったが故に嬢の出勤開始から2番目の時間になってしまったため、前の謎客の謎チンポと謎のまま間接キスするハメになる。
そして当日、何事もなかったかのような顔で大学の授業を受け、颯爽と新宿へ向かう。爪を切って死ぬほどやするべきなのはソープも普通のエッチも同じだった。
ここからが本題である。古臭い店なんだろうと勝手に想像していたら割と入口は綺麗だった。2階まで上がって受付へ向かうと、スーツを着た明らかにごっつい男4人が俺をお出迎えしていた。
この時点で帰宅を真剣に検討したが、ここでドタキャンしたら更にごっつい男が後ろから援軍してきそうなのであえなく断念。
しかし、このごっつい男、いや漢4人は俺にありとあらゆるおもてなしをしてくれた。待合室で嬢が来るまで待機するのだが、マジで1分に1回くらいお茶とおしぼりを新しいのに変えようとしてくる。淫夢よろしく睡眠剤でも入ってるのではなかろうか。「足の爪お切りしましょうか?」と言われた時は流石に絶句した。
待合室にはテレビと新聞、雑誌、嬢の写真などが用意されていて、普通に落ち着ける空間だった(ちなみにここでごつい男Aが集金。ぼったくりも予想したが予約した金額通りだった)。
さて、10分くらい待合室で待った後(ちなみに向かい側にチビ・デブ・ハゲのおっさんが待機していた)、嬢が俺をお出迎えしてきた。化け物が出てきたらその場で帰ろうと思っていたが、顔は普通に可愛い感じで、年齢は20後半くらいといったところ。Gカップという文字を見て即選んだので、顔に関しては素直に期待以上であり、ツイたなぁと思った。
お出迎えされた後、嬢と2人で長い廊下を歩き、所定の部屋に到着。マスクを外すと嬢がいきなり「えっイケメン!!!若い!!」と驚嘆していた。そら待合室にいたチビデブハゲのおっさんばっか相手にしたらそうなる。嬢の促されるままにベッドに2人で座ると雑談タイムが始まった。嬢にソープが初めてであること、大学生であること、興味本位で来たことなどを伝え、適当に話す。5〜10分くらい。
※ちなみに、ここまで読んだ人向けに補足しておくと、嬢のコミュニケーション能力は鬼高い。距離の詰め方もうまいので(新人は知らん)、つんく♂以外は、会話パートで困ることはほぼないと予測される。
さて、ここからの流れを説明する前に、基本的なソープ事情を解説しておきたい。ソープランドは、その価格順に高級店(6万〜)、中級店(4.5〜6万)、大衆店(3.5〜4.5万)、格安店(2〜3.5万)に分別される。
当然種類ごとに受けられるサービスは違っており、格安店・大衆店では基本的にゴム必須であり、即即(シャワーなしでフェラ・本番のこと)も受け付けない。また、格安店ではマットプレイができる嬢もかなり限られているらしい(後述するがこれはかなり問題)。
つまり、風俗初心者で主導権を嬢に握られていることを考えると、生中出し・即即・マットプレイをしたいのであれば、最低でも中級店以上(推奨は高級店)には行かなければならない。
はずである。
本題に戻る。
そこそこいい雰囲気になり、嬢が「キスしよ」と言ってきたので応じる。好きでもない人とキスするのは特に興奮せず、Dキスも死ぬほど上手いかと言われるとそうでもなかったというのが正直な感想。
で、キスしている間に嬢が服を脱がしにかかる。俺がパンツだけになると、ギンギンになった股間を触りながら自分の服を脱いでいく。死ぬほど胸がデカくてこれはかなり興奮した。風俗業界では巨乳=デブらしいのだが、許容ラインだったので初めての選択としては悪くなかった。
が、ここで流れがおかしなことに気づく。普通はまずシャワー・お風呂を経てベッドインするはずである。しかし嬢はパンツを脱がして自分の一物をしゃぶりたそうに眺めはじめ、そしてあろうことか普通にフェラし始めたのである。
つんく♂よろしく、流石に驚きのあまり声が出た。格安店でこちらから何も要求せず、唐突に即尺(シャワーなしのフェラ)してくるのは想定外かつ自分の中では異例中の異例であり、「いいんですか?」と聞かざるを得なかった。いや嬢がそうしてるならいいんだけど。「久々のイケメンの若い子だからしたくなっちゃった」とか言ってた。おじさんにも同じこと言ってそうである。
未体験諸君のために嬢のフェラについて述べておくと、""""ガチで""""上手い。まず歯が一切当たらない。舐めるのもうますぎる。そもそもフェラは手コキとは「舐める」という点で圧倒的な優位性を持っているのだが、その「舐める」という強みが最大化されている。
普通の手コキ・フェラも上手すぎてお話にならんのだが、新体験だったのは玉舐めである。普段からAV・漫画で「玉舐めても気持ちいいわけねえだろボケカスが」と思っていたが、大嘘だった。
そうした嬢の超絶技巧に音速で射精するところだったが流石に耐えると、嬢が「入れたい」と言い出してくる。
多少前戯はしたものの、かなり濡れていてマジで意味不明だった。なんか仕込んでるのかもしれない。
ここまでで、シャワーなしの即フェラの時点で「これは普通じゃない」と薄々勘づいていたが、この嬢の気分の高揚具合はは俺の想像を超えていた。
ゴムをつけようと「ゴムって用意してますか?」と聞いたところ「それなんだけど……生でしない?」と言ってきた。
(1)生でシて後で「生を嬢に強要しただろ?」とごっついヤクザに迫られてぼったくられうること
(3)俺から生を求めていないのに生を希望するとはこの女はイカれているのかということ
これらの3つについて東大入試の時並みに思考を巡らせている際も嬢が亀頭を入り口に擦り付けてくる。「え、やっぱゴムつけませんか?」と言われても、「いや本当普段はゴム絶対するんだけど、イケメンだから特別、むしろ生でしたい」みたいな返しをされ、人間を人間たらしめる唯一の要素である理性が焼却されてしまう。
(1)のリスクは1番逡巡する要素だったが、まぁまだ財布に6万残っていたのでその場はやり過ごせるだろうという判断、(2)のリスクはどのみち生の口でフェラされてるから変わらないという気づき、(3)はこの女がクレイジーだということで片付け、生で挿入した。
人生初生挿入の感想だが、実際確かにゴム有りとは全く異なる。ゴム有りでHしてるときは「なんかよくわかんねえな〜」という感想で終わるのだが、生で入れると温かみを直で感じる。
が、ここで感じたのは、「オナホとほぼ同じやな」ということであり、実際気持ちいいが期待以上かと言われるとそうでもなかった。
そろそろイキそうだなと思い「そろそろイキそうだから…」と言って挿入をやめようとしたところ、即座に嬢がいわゆる「だいしゅきホールド」してきた。そして「中で出して、大丈夫だから本当お願い」とほざいている。
マジか。実際理性は爆発しておりオナホでも当然中出ししかしていない上、実際がっちりホールドされているので中出しするのは避けられない。
もう俺の人生は終わった。ヤクザが後で俺の精子を採取して「嬢に生を強要し挙げ句の果てには中出ししたろ」と言われる確率は百分率で500000000000%である。そう考えながら射精した時の気持ち良さは半端じゃなかった。
中出しした後も普通にチンポは萎えなかったので、挿入したまま2回戦に突入。もう後先考えずまた中出しした。もうここまでくるとやけくそである。2回目が終わった後、よくavであるくぱぁを嬢がしてきたのはなかなか壮観だった。精液が普通に下の口から溢れてきたのを見て笑ってしまったことは申し訳ないと思っている。
さてここまでで30〜40分ほどである。ここからお茶タイム・雑談を挟み、嬢にマットプレイが気になってると伝えると、二つ返事でOKしてもらいマットを用意してくれた。(ちなみに今回行った格安店は多くの嬢がマットできないらしい)
風呂に入って眺めていた嬢の用意が終わると、マットにうつぶせになるように促され、ローションだらけのマットプレイが始まった。ここからは正直説明し難いのだが、これが信じられないくらい気持ちいい。あらゆる場所が嬢の身体によって刺激され、特に嬢が舐めるところがいちいち死ぬほど気持ちいい。
特に気持ち良かったのは背中、足裏、そしてなんと驚きのアナル舐めまでやってきた。全くオプションでも頼んでないのにアナル舐めなんてやるはずないと思っていたのだが、これが死ぬほど気持ちいい。本当に気持ちいい。マジで頭おかしくなるかと思った。
仰向けになるように促されたあとも、パイズリ&フェラ、手コキなど波状攻撃は止まることを知らなかった。一通り終わった後も泡で身体を洗ってもらい、サービス精神とプロ意識に純粋に感心した次第である。
マットプレイは、ソープ嬢にしか頼めない特別な体験なので必ずしてもらうことをお勧めする。そしてそのためには、そこそこな値段するお店にいくことと、しっかりとした時間を余裕を持って撮ることが必要である。これがソープの最も大きな価値であり、マットをやらないやつは金をドブに捨ててると言っても過言ではない。
さて、マットプレイも終わったところでもう90分も終わりそうだったので、雑談しながら最後もう一回フェラで抜いてもらい(これも俺から頼んだわけではない)終了した。
終了後は部屋から出口まで嬢が送り迎えしてくれるのだが、最後の受付でゴリゴリのスーツ男4名と嬢が俺をお見送りする構図には流石に笑いを隠しきれなかった。
部屋を出た後はさながら死刑囚のような心持ちで「いつヤクザが俺にボッタクリに来るのか」とヒヤヒヤしていたが、全くそんな気配もなく、普通に笑顔で男たちはお見送りしてくれた。どうやら本当に嬢が生中出しを純粋に希望した様子である。ちなみに嬢からは「もしクチコミするときも名前を出して生中出しOKだったとは言わないでね」と口酸っぱく言われたので、おそらく全員にはやっていないのだろう。
これが全容である。総括すると、
・そんなにソープは怖いところではない
・マットプレイは醍醐味なのでそこそこの時間とお金を用意しよう
・経験として一回は行こう