はてなキーワード: 感謝感激雨あられとは
この歳になると、心の底から「いい話」だと感じる話題が少なくなってくる。
だから、本当に「いい話」だと感じてその中身に感動してるというよりは、自分に「いい話」を提示しようとしてくれた、その他人もしくは伝達媒体に感動してるという気分になっている。
つまり、心の底では「いい話」だと思わなかったとしても、「いい話」を伝えてくれたことに感謝している、という気分なのだ。
でもまあ、それこそリアルな「いい話」なのか。
無力で価値もさほどない人間である私に、「いい話」という素晴らしさをわざわざ見せてくれる他人の存在、
もしくは、社会の存在というのは、やはり感謝感激雨あられと呼ぶべき稀有な存在なのだろうから、泣いて喜ぶべきなのだろう。
仮に、それが本当に「いい話」だと思えなくても。もう、それが与えてもらえただけで十分「いい話」なのだ。