はてなキーワード: 低俗とは
同性愛についての話を、それほど私的ではない場所でいうと怪訝な顔をする人たちがいる。
普通に同性愛の人がどこかにいるわけで、その人たちについての話もそれほど私的じゃない場所でも出てくるのは同然だと思うわけだ。
公的サービスとか制度などの話も最近ありますし、話題として避けて通れない。
でも、なかには「ちょっと…そういうのは今いうべきじゃなくない?」みたいな顔をされる場合がある。
つまるところ、昼間にちょっと"低俗","性的","アダルト"な話はすべきでないという。
どうやら、そういうふうに思う人にとっては、同性愛というのは、『自分ではそういう趣味はないけれども、世の中の一定割合の人がもっているアルシュの性的な趣味みたいなもの。巨乳好きとか、SMが好きとか、そういうレベルの話。居酒屋の話やバラエティとかで話していいけど、下ネタ的なジャンルに含まれる』というふうに思っているらしい。
同性愛ってのは異性愛とかわらず、誰を好きになるかという問題であるわけで、即ちセックス的な話になるわけではない。
もちろんセックス的な話は同性愛の中には含まれているが、それは異性愛でも変わらないわけだ。
同性愛は下ネタ的だと思っている人ならば、誰それが結婚した、懐妊した、とかの話もそのような思考であれば、"性的で下ネタ的な話題"にカテゴライズされるべきだが、そのことで怒っている様子はみられない。
何でこんな歪んだ認識になっているのだろうか。
もしかしたら、そういう人たちにとって男女の関係も即ち下ネタ的で性的なものが主題だと思っているのかもしれない。
じゃあ何で男女関係をそういう人たちが白い目でみないのかといえば、『自分自身が男女関係の当事者だしそういう話題は嫌いじゃないし、結婚とか制度的に許されているから』ということなんではないだろうか。
そういう人たちは全部性的な価値でしか見ておらず本質的には性的かどうかが主題なんだけれども、
時代的要請もあり性的なものはだめという規範も一応持っている。自分自身が当事者じゃない男男関係や女女関係の結婚とか生活とかの話は別に聞きたくないし、性的な話だから駄目。一方男女の結婚とかは性的な話だけれども制度で許されているから外で話してもいい。
「キリンさんが好きです。でもゾウさんのほうがもっと好きです」
「この差別主義者が! ゾウは高尚でキリンは低俗だとでも言うのか! どっちもただの動物だろ! 差なんてない! ゾウが好きな自分は頭いいと思ってそう。キリンが好きかゾウが好きかなんてただの好みの問題。わざわざキリンを貶めずにいられないなんて頭悪そう。自分の好きなものを語るときに他のものを否定するなよ! 私はゾウさんが好きですでいいだろが。なんでキリンを否定した? キリン好きな人がそれ聞いてどう思うかわかる? この差別主義者が!」
おそらく表現規制の最前線にいる人しか分かってないと思うので&早稲田大学エロ漫画研究会の記事がバズっているので再掲。
自主規制団体が必要とされる理由は大きく分けて3つ存在する。1つには、販売店を安心させるため。2つ目は、条例上あった方が有利だから。3つ目は、世論との妥協のためだ。
(太字強調は筆者による)
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律 第7条第6項]
児童ポルノを不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
電気通信回線を通じて第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録その他の記録を不特定又は多数の者に提供した者も、同様とする。
つまり、わいせつな文書・図画や、児童ポルノに関する罪を問われるのは製造者や所持者だけではない。法律上は、販売した者も罪に問われる場合がある。
が、店員にとってみたら『わいせつっぽい物を販売したらある日突然逮捕されるかもしれない』は恐怖である。
そのような販売店の恐怖が『それっぽいものは全部売らない』になるのは商業的にも文化的にもマイナスなので、
ビデオ・映像関係の年齢表示や、成年向けコミックのマークはそのような販売店の声に対し、『自主規制団体が、刑法および児童ポルノ法に違反していないことを確認したと責任を負います』という意味がある。
だからこそ、数年に1度程度の割合で『AV女優が実は18歳未満だった』という事件があるが、そのAVを置いていたツタヤの店員が全て逮捕されるわけではないし、
以前薄消しが流行ってビデ倫の関係者が逮捕されたことがあるが、問題になったビデ倫の作品を扱っていた販売店の関係者は逮捕されていない。
逆に言うと、そういう団体を通していない、いわゆる裏ビデオを分かっていて売ったら店員が逮捕される可能性もあるはずだ。
上で書いたような『わいせつな文書・図画』や『児童ポルノ』は世間で広義で用いられるような意味ではなく、たとえ18歳以上にしか売っていないとしても、売った人は逮捕されるような物の話である。
では、一般的に「18歳未満には販売できません」で書店やアマゾンで売っている商品はどのような法的根拠で売っているか。それが条例上の理由だ。
第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体で倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。
まどろっこしいが、要は『一定の倫理基準に該当する物は、青少年に閲覧・販売できないように努力せねばならない。(そして、成人に販売する分には問題ない)』ということである。
"18禁"などに関する(映像作品やゲームではR-15も一応は存在する)法令上のもっとも重要な(もしかしたら唯一の)根拠はこの前後の条文だ。
この条文があるからリアルでもネットでも、18禁の作品を売る際には専用のゾーンを設けなければならない。その区分が雑だという話(特にネットにおいて)はノーコメント。
2で書いたように、自主規制団体または出版社が自ら成年マークをつけたものは『表示図書類』として扱われる。それとは別に、『指定図書類』というものが条例には存在する。
第八条 知事は、次に掲げるものを青少年の健全な育成を阻害するものとして指定することができる。(以下略)
第九条 図書類の販売又は貸付けを業とする者及びその代理人、使用人その他の従業者並びに営業に関して図書類を頒布する者及びその代理人、使用人その他の従業者(以下「図書類販売業者等」という。)は、前条第一項第一号又は第二号の規定により知事が指定した図書類(以下「指定図書類」という。)を青少年に販売し、頒布し、又は貸し付けてはならない。
いわゆる『有害指定』である。“成年マーク付きのものは有害指定されない”と明記されているわけではないが、条文上『表示図書類』と併記して扱われているので事実上棲み分けている。
そして、『有害指定』の対照となるのは、「成年マークをつけなくても大丈夫だろう」と自主規制団体や出版社が考えた本の中で、青少年健全育成会議で指定された本である。(ちなみにエロ以外でも、犯罪や自殺を推奨しているとして指定される場合はある)
さらに言うならば、『表示図書類』は書店やアマゾンでも売っている。だが、『指定図書類』は流通が扱わなくなるため、事実上販売できなくなる。公式サイトからの通販などは可能なのかもしれないが…。
そもそもこのような自主規制団体が生まれたのは1950~60年代に『低俗な本・雑誌が溢れた』ことに対する世論の批判とそれを受けての条例(2や3で書いたのは東京都の条例だが、同様の条例は全ての都道府県に存在する)制定の動きに対してであり、
ビデオやゲームが出た後も法規制の動き(もしくは実際の逮捕事件)を受けてから出版の団体を参考にして自主規制団体が生まれている。
もっとも、出版と映像では少なからず差がある。最大の違いは、出版は成年マークのついていない書籍については一切の表示がないのに対し映像やゲームでは(ほぼ)全ての作品について「審査の結果、年齢区分はこうなりました」という表示があるということだ。
世の中において『私の考えるこれこれの思想・道徳に反する本は全て排除せよ』という日本国憲法ガン無視の全体主義者は少数だが、
「たとえ低俗な出版物であっても、他者の権利を侵害していないならば全て認められるべきだ」というガチの一元的内在制約説原理主義者もまた少数であり、
「低俗な本に対する一定の倫理的歯止めをする制度は必要だよね」という中庸な人がおそらく最大多数だ。
(酒鬼薔薇の本など典型例だ。私の倫理観はあの本が出ることを嫌悪するが、あのような本の出版をどうやって規制するのか、というと非常に難しいよなと思う部分はある)
そういう人たちに対して「いや、一定の倫理的歯止めはかけていますよ」というアピールをして、ひいては条例・法律上の規制をするような世論に持っていかせないという存在としても自主規制団体は役立っており、
民主主義の世の中においてそのような団体の存在意義は一概に否定するものでもない。
アメリカのカリフォルニア州に住みはじめて5年だが、日本人とはあまり交流がないし、今となってはこちらの感覚を楽しんでいる。
最近日本で選挙があったけど、この状況下でまーだ自民を盲信しているアホが多いようなので、アメリカで、いや世界で安倍晋三がなんて呼ばれているか教えておく。
トランプも安倍に劣らず負けじと低知能で下品、おまけに道徳もない、最底辺の人間でアメリカでも評判は最悪だ。
でも対日本となるとどうだ?トランプがどんな馬鹿な事を言っても、安倍は同意する。
どれだけ無茶であっても、あらゆる要求を安倍は同意する。Yesマンにもほどがあるだろ。奴隷外交ってやつ、これが?
トランプが安倍を好きなのは唯一点数稼ぎができる存在だからだよ、日本が。
日本人はプライドないの?知性はないの?信念はないの?って世界中で思われているんだけど、その自覚ある?
安倍はもう馬鹿を通り越して、知恵遅れのおじいちゃん扱いされてるわけだが、それが首相、つまり日本の代表みたいなものですよ、イメージ的にはね。そんな爺さんの一挙手一投足が「日本人」のイメージに反映されるわけだが、その自覚あるの?
そんな人間の言うことを他国のTOPが聞くか?聞くわけないでしょ。韓国だって日本相手にあんな態度になるのも、当然でしょ?そんな信念のかけらもない操り人形がTOPになれる国だぜ??日本の外交力は地にまで落ちたというか安倍が落としたわけで、それでも尚、安倍に外交力が微塵でも備わっていると思っている馬鹿がいるなら、もう人間なんてやめてしまったほうがいい。
知能は間違いなく猿以下だ。
こっちは安倍のせいで、日本人って言うのが恥ずかしくしょうがない。安倍のせいでな。
もう日本のイメージは凋落の激しい低俗国家以外の何物でもない。安倍のせいでな。
この状況下で自民が再選したことはこちらでもニュース+笑いものになってる。
[追記]
大好きな安倍が馬鹿にされて、トランプを叩こうとする猿以下のゴミがいるので、言っておくとか、既に述べてるだろ、
トランプもゴミにも劣るド底辺の人間だよ。そんなトランプに奴隷のような扱いを受けてるんだ、安倍はな。
あー、はてなって知恵遅れ多すぎ。
京アニ放火殺人事件で多くの人が悲嘆に暮れているが、溜飲が下がった人も多いのだろう―PTAとか、フェミニストとか、純潔カルトとか、児童基金とつるむ元歌姫とか。
そういう奴らにとって、京アニはアニメという低俗な娯楽を提供する邪悪な企業だ。たとえ、「らき☆すた」が地域活性化に貢献しても、「けいおん!」が女子高生の間でブームになっても、「リズと青い鳥」で歴史のある大藤信郎賞を受賞しても、世界中の人達が京アニを称賛しても、そいつらが持つ嫌悪感は絶対に変わらない。
今もアニメオタクは犯罪者予備軍という偏見は根強いと思っている。実際、今でもアニメやゲームを犯罪と結びつける報道は後を絶たない。そう言うと多くの人が反論するだろう。確かに社会は変わった。でも、人の価値観は簡単に変わらない。特に好き嫌いは克服することが難しい。宮崎勤事件とかでオタクに嫌悪感を持った人間は、今も嫌悪感を持ったままだろう。
日本のアニメは陰キャに限らず多くの人たちを魅了している。これがオタク文化に対する嫌悪感を緩和する原動力だ。そして、オタク文化は京アニという大きな原動力を失ったのだ。これを機に、表現規制派は勢力を拡大させるだろう。
そういえば、山田太郎は今年の参議院選挙で落選したら政界を引退すると言っていたが、間違いなく落選するだろうな。前回は29万票だったのに、「今回は53万票取ったら変わります」って、できると思えるのか。世論は陽キャのものだ。家に引きこもってネットにすがることしかできない陰キャに政治を変えることなんてできるわけがない。悔しかったら当選させてみろ。
新海誠のポルノを日本人の多くが見るのだと思うとため息が出てしまう。
「知的」という言葉でイメージされるのが、東大の入試問題で高得点を取る能力か、クイズ番組でたくさん正解することだと思ってる。
日本人はほんとに愚かだ。
儲かるのか儲からないのかがすべて。
国民が幼稚で頭が悪いから世の中は幼稚で頭の悪い人向けのもので溢れかえる。
幼稚で短絡的で頭が悪くて、でも本人は自分は天才だと思っている。
いい大学で博士号を取っているわけでもなく、そもそもそこそこの大学すら卒業していない人間が全能感に満ち溢れている。
@suzukiyuusuke3
今日までアニメはある種の人々(一般にオタクと呼ばれる)の信仰対象になっていた。それは新興宗教だった。以前、あるアニメをみろとそういう人達に奨められ、なんとか苦労して全話みてみた上で、おもに美術の批評言語を使って率直に批評したところ、その種の狂信者から大変しつこく誹謗中傷された。
それで私は気づいた。アニメは或る一部の人々にとっての正真正銘の宗教なのだと。信者の中に批評言語は持ち込まれない慣行になっている。だから私がちょっとしたきっかけ(アマゾンプライムビデオに入ってみた)で一時的にひきずりこまれたその業界中では、同調か全拒否どちらかしかできないのだった。
アニメは手塚治虫やディズニー辺りから流行しだした新たな映画の形式といえるだろうが、その商業芸術が主な客にしているのは一般大衆の中でも子供や、特に幼稚な大人達である。宮崎駿でさえ子供向けを前提にしていたから、総じて知的障害に近い社会不適合者を大勢ひきつける結果になるのは必然だった。
私が何とか苦労してあるアニメを全編みてみたのは、そのアニメのファンがネット上で制作陣を執拗に脅迫していたのを知っていたからだ。アニオタによる猟奇的事件を引き起こしている作品とは何かを確かめてみたのだ。結果はひたすら幼稚な中身で、反社会的な知的障害ボーダー層を煽っていたのだった。
京アニの作品は1度もみたことがないから中身については何もいえないのだが、昨今アニメをとりまく状況は嘗てのものとは全然様変わりしている。それは上述のよう反社会的で精神遅滞に近い人々が大勢、新興宗教として崇める対象になっているという点で、過去のアニメ界とはまるで質が違うのである。
アップルCEOのティムクック氏が京アニに同情の様なツイートをしていて私はこの事件について知ったのだが、彼はアイフォンの主要な顧客層である日本人全体の中でも、京都に新たな店舗を設置したところなどから、現代アニメ界をとりまく社会病理をまったく無視して単なるテロとして扱っていると思う。
他の大衆娯楽、たとえば(これも京都に本社がある任天堂に縁が深いが)テレビゲームとか、映画とか、漫画、小説みたいなものとアニメが「サブカルチャー」として近い位置づけにあるのは確かだが、現時点のアニメはほぼ深夜テレビなどで提供される無料の娯楽で、いってみれば下流の慰み物なのである。
村上隆氏はアニメの無教養(Lowbrow)な性質を、知的な文脈操作で欧米美術史に皮肉な位置づけで乗せることで有名になった。端的にいうとアメリカのポップアーティストが漫画に素材をとったのを日本ネタで流用したのだが、一時的に彼の援護的唱道者だった東浩紀氏らも、アニメに公民権を与えた原因だ。
なにがいいたいか。日本政府が麻生大臣や、東氏に親しい猪瀬都知事が在籍していた時期に、クールブリタニアを表層的に猿真似した文化政策であるクールジャパンでアニメにお墨つきを与えたのは、間接的に東京圏のスーパーフラッターが影響している。要はアニメの暗黒面は意図的に無視されていたのだ。
アニメは「わかりやすく」「子供に愛されており」「みなが大好きな」「誰にとっても望ましい」「外国人にも大人気で」「日本文化の象徴」といった凄まじい厚化粧で美化されてしまった。背後には労働集約的手描きの不合理な制作、過酷な長時間労働の地獄があり、知的ボーダーの客層による退廃があった。
たとえば同人誌という分類がある。二次創作という名目でアニメキャラに、変態性欲の性行為をさせる独自制作の漫画・アニメ作品を販売するとんでもない退廃主義的世界が、東京コミックマーケットを中心に勃興していた。石原都知事の時代には一部は18禁化されたが、堂々と非実在児童の性を含んでいる。
美術史の中ではバルテュスを筆頭に、その種の児童性愛の表現や、ギリシア美術とか江戸の春画などに由来した変態性欲的なエロス表現は多かれ少なかれ容認されている。つまり同人誌もサブカルの派生物として、未来では昭和~平成・令和期の主に東京での大衆芸術の姿と歴史化されてはいるだろう。
京都は中世、「上方」と称し、大衆蔑視の高踏的な文化傾向を自認していた。が上述の任天堂や今回被害にあった京アニはそうではない。京都府民の一部は東京文化を自らとりこみ、多かれ少なかれ低俗な大衆芸術を販売しはじめた。これは質的変容でもあるし、アニオタによる炎上事件の伏線にもなっている。
サブカルなるものは低俗で無教養な一般大衆を相手に客商売するところに発生した。しかもアニメは単なる売り上げの為ますます「大衆の中で最も愚かな者」を最大公約数の客層にしようと幼児退行じみた卑俗化を極めていった。その極点に起きたのが某アニメ制作陣への脅迫事件や今回のガチ炎上事件なのだ。
今日、アニオタと呼ばれる人々には、おそらく東京のキー局によるテレビのニュースでコメンテーターが訳知り顔でいいそうな「犯罪者予備軍」といった客層が確かに含まれている。それは例えば高IQな知識人とかハイカルチャーの客層(日本ではほぼ絶滅しているが)に比べてより多めに含まれているだろう。
なぜなら、上に述べたとおり、東京や京都のアニメなるものは金儲けを目的に、できるだけ量的に俗受けする為、どんどんと卑近な表現に自らを変質させていったからだ。要は、下流相手に客商売しているので、当然ながら犯罪者や反社会的な知的ボーダーの部類もアニメファンには含まれてしまうことになる。
なぜ彼ら下流的な知的ボーダー層に昨今のアニメが宗教とみなされているかだが、私のみたかぎり、彼らは知識社会に全然ついていけていない。当然ながら幼稚極まりない娯楽作品しか理解できない。資本主義の手順に従い広告費やグッズ販売などを目的に次々流される深夜アニメが彼らのたまり場なのだ。
ニコニコ動画は、今では国際レベルでビリビリ動画にお株を奪われたが、嘗ても今もこのアニオタ層と極めて親近していた。2chねらーを誘引した西村博之氏らが匿名コメント機能をつけたので、名誉どころか恥も外聞もない反社会的犯罪者との境界例にとって極めて居心地のよい居場所になったからだった。
もう一つ、注目すべき事件があった。悠仁親王をアニメ『エヴァンゲリオン』内で引用された、ロンギヌスの槍とほぼ同じピンク色に塗った二股の刃物で、或る被疑者が脅迫した事件だ。この槍は神学上、磔刑後のイエスを突いて聖性を否定した遺物とされており、王権神授説の否定を意識した事件だったろう。
アニメオタクはそもそもが、虚構を現実と多かれ少なかれ混同し易い脳の性質の持ち主が大半であろう。さもなくば作り話にいつまでも夢中になるわけもない。いわゆる偶像崇拝の禁忌という私徳が弱い人達といいかえてもいい。この点では、ポケモンGO等を禁止した一部のイスラム法学者は正見を述べている。
そして虚構と現実を混同し易い脳は、一般に子供の時点でそうなり易いのが経験的に明らかなかぎり、いわゆる精神年齢の低い人々により多くみられるはずだ。つまりアニオタは単に批評言語が拙いだけではなく、アニメ内で表現された思想を宗教的に鵜呑みにしがちで、かつ知的ボーターも相当混じっている。
識から、多かれ少なかれ類似の退廃がみられる他のサブカル(例えば小説とかも)含め、一切近づかないことにした。その内部にいる人々は特定の宗教信者とほぼ類似のエコーチェンバー(残響室)内にいると自覚し、サブカル批判を進んで行うのが賢明だ。
https://twitter.com/suzukiyuusuke3/status/1151922241971478528
2019/07/19
どうも。元増田です。表題の投稿なんだけど、一日たってはてぶをみたら思った以上にブコメがついていてびっくりしたよ。
正直、何人か書いてくれた人もいるけど、もし元増田がこんな増田を見かけたら『こんなことにまじになっちゃってどうするの』って思うに違いないので、意外とポジティブな反応が多くてそれにもびっくりだったよ。とはいえまあはてなーはテレビ嫌いそうだから、賛同してくれる人がいることは予想してたけどね!(まあ、だからこそTwitterとかじゃなくて増田でやったわけだけど…)
そんなこと言っておきながらじゃあなんでこういうことするんだっていう意見もあるだろうけど、やっぱりこれらの番組はものすごく不愉快だし、ほかの番組でですら「東大王なんとか」みたいなワードを聞くことが多くなってきてしまって、やっぱり誰かが何かアクションを起こさなきゃならないんじゃないかって思ったんだ。昔、芸人さんが「嫌なら見るな」とかなんとか言って炎上したことがあったけど、多数派が楽しければそれでよかった時代はもう遠い過去だよね。当たり前だけどそもそもどんな人だって適当な側面をとれば少数派だからね!
何人かの人がコメントでくれた点について補足したいんだ。
これは筆が滑っちゃった感じがあるね。本当に嫌いすぎてついつい本音が漏れてしまった。削っておくよ。
敬意ということを書いてくれた人もいたけど増田はこのような形でしかエンターテイメントを提供できないのはプロとしてどうかと思うんだ。知人から聞いたのだけど、「東大方程式」は最初のころは「東大生であっても年相応などこにでもいる学生で、いろいろな人がいるんだ」ということを伝えていたらしいんだ。「東大」みたいにめちゃくちゃでかい主語を使うのであれば、それくらい考えた内容でなければそもそも適切たりえないと増田は思うな。(ちなみに「東大方程式」に関してはBPOに訴えるのは直近の回のみだよ!)
これはね、増田も思った。ただ、そもそもよく考えてみると、じゃあ五神総長が許したら自分はこの番組を許せるか?というと、それはNOなんだよね。増田が不快と思う気持ちに変わりはないよ。まあ、こんなしょうもないことを大学がいちいち相手にするだろうか?とか、大学に言うと動きも遅いのでは?という話もあるけど。ということで、個人名義でBPOに申立書を送ることにしたんだ。
商標関連の指摘をしてくれた人もいたけど、これは正直グレーゾーン臭がするからあんまりつつかない方がいいような気がするんだ。登録商標で調べると、たしか「東大」とか「東京大学」は東京大学が登録していたんだけど、「東大○○会」みたいな学習塾の名前も登録されていたんだよね。他にも例えば住所は駒場とか本郷に存在していないのにも関わらず名前に「駒場」とか「本郷」とか入れている組織があったりすると思うんだけど、こういうのもまあぶっちゃけ東大ブランドに乗っかっていることは否定できないね。それらがじゃあ問題かというと、まあアメリカにケンブリッジという町が存在しているようなもんで(?)、そこまで目くじらはたてなくててもいいと思うんだ。だから、今回は名称の使用許可とかについては調べない方針にしたよ。
増田さんが思ってることとは別に「やっぱ東大生は頭が良い。」という評価をテレビで得ていた割合が高い場合は、この訴えが通じなくなるのでは。(ディベート的に反論を持ってきた、少し応援する意味で)
一人でも(実際は数割いるとおもうけれど)「やっぱ東大生は使えないな」と思った人がいれば、番組の作りとして問題があるんじゃないかな。そこら辺の増田の考えをもう少しわかりやすくリライトしておくね。ありがとう。
頭がいいってだけでイジメの対象になるような地域社会を経験してる自分にとって、東大番組はそういう集団で生活する学生の救いになってる側面もあるなあと思ってる。増田の主張は独りよがり過ぎる気がする。
上でも書いたけど、結局この文章では増田の主観をメイン軸にして論理を組み立てざるを得なかったんだ。そういう意味では独りよがりというのはまさにそうだと思う。前半部分は、申し訳ないけど増田の経験からはわからなかった。でも、増田はむしろこの手の番組が『頭がいいってだけでイジメの対象になる』傾向を助長しているのではないかと思うよ。
BPOで議題に上がる事案は(おそらく)リソースの問題からごくごく僅かであって、優先順位の問題から、たぶん相手にされないと思う。しかし記録としては残るので、全くの無駄ではない。どうぞ頑張ってください。
書いてあることに具体性がたりない。いつの放送回で誰がどんな発言をしていて、なぜそれが人権に反しているのかってところまでやらないとダメなんじゃないかな?
具体例が無いと受け取る側も審査しにくいと思う
まさにそうなんだよね。ただ「東大王」なら細部を見れば結局ただのクイズ番組なので、「番組の作り・雰囲気」というどうしても微妙な点を指摘せざるを得なくなってしまった。「東大方程式」は正直具体的な点をよく覚えていないんだけど、なんか学生くんが裸踊りしてたっけ?具体性はもう少しちゃんとした方がよさそうだよね。
「明らか」だと説得力が足りないのでは?
訴状というには個人的な思い込みみたいなのがノイズになって本題が響いてこないし、まずは文字数半分にまとめてみたらどうか。
なんというか「アウト基準」みたいなのがなくて、さらに訴えの要件が「個人的な精神的苦痛」みたいなやつなので、とりあえず思ったこと全部書こ!ってしたらどうしてもこんな文章になってしまったよ。そもそもこういう訴えを起こす窓口じゃないからじゃないかと言われればそれまでなのかもしれないけど…。
この人(のような人)が、批判の対象になるようなテレビ番組を倒し尽くしたら、次はネットかゲームかマンガかに、そのエネルギーはむかうのだろうなあ。
増田は、少なくとも現時点においてはテレビはある程度の公共性が認められているメディアだと思っているよ。例えば将来出版が免許制になって、その出版社が出しているマンガが不適切だと思ったら、増田は抗議するだろうね。そんな言論統制みたいな制度ができないことを切に祈っているよ。
増田も十中八九メディアが送る「自分が心情として認知できない偏見」を娯楽として楽しんでいるだろうけどそういうところまでは頭回らないんだな
イエス・キリストは「罪のない者だけが石を投げよ」と言ったけれど、それはその場に絶対的な存在である神の子イエスがいたからで、本当なら人間は不完全であるからこそみんなで知恵を出し合って状況を改善していかなければいけないと思うんだ。もしほかにも『メディアが送る「自分が心情として認知できない偏見」』があるのであれば、それはきちんと指摘されるべきだね。ぜひあなたにも指摘してほしい!
“番組のコンセプトとして、「東大生だからできる/東大生なのにこのようなこともできない」ということを中心に据えている” これ「明らか」ではないよね。ああいう番組は好きではないけれどこれでは勝てないと思う
わかる。もう少し書き方を工夫してみる。
明らかであるって書いてある所全部消して具体例挙げるといいと思う。「おっと東大生カップラーメンの値段は分からないか~?!」みたいな煽りあるだろ
明らかはほんとそれ。なんか具体例あったらみんなほかにも教えてくれると助かります。
明らかって言いすぎなんだよなあ。知り合いが見たら特定できそう。
東大王って「東大王のくせにこんなこともできないの(笑)」なんて場面そんななくないか?
いや探したらそりゃあるかもしれないけど
終始東大王何でも知ってて勤勉でスゲーって流れだと思うが
高学歴タレントチームが東大チームを倒しきれなくて結局現役と卒業生の対決になったりしてるし
(増田は「褒め」についてもムカついてるんだろうけど)
はてなーはテレビ見ない人が多そうだからすっかり騙されて「東大生を馬鹿にして笑いを取るなんてそんな差別的で低俗な番組があるなんて知らなかった!増田の行動を称賛します!」なんて空気になっちゃってるけど
「あなたの言うような東大を貶しているという事実はありませんでした」で終わりだろ
さんまの方は知らん
https://anond.hatelabo.jp/20190619220147の続き。
「東大生番組マジうぜえ」→「そうだ俺東大の卒業生だから関係者として提訴しよう」
とりあえずばばっと書いてみた。一部ぼかしを入れています。
本番組では、複数人の東京大学学生が出演し、芸能人たちとクイズの勝負を行っている。番組のコンセプトとして、「東大生だからできる/東大生なのにこのようなこともできない」ということを中心に据えていることは明らかである。しかしながら、このようなクイズの回答を知っていることと東京大学の学生であることは一切の関係がない。それにも関わらず、上のようなコンセプトが成り立つのは、世間に存在する「東大生はがり勉/世間知らず」という偏見を利用しているからに他ならない。「東大生」という特定の集団に対して、一方的な偏見や蔑視を押し付けるのは、蓋し社会的マイノリティに対するヘイトスピーチと同じ構図である。私は、東京大学卒業生および関係者として、このような偏見が放送されたことにより名誉を毀損され、精神的に苦痛を受けた。
そもそも、「東大」を冠してこのようなクイズ番組を放送することも問題である。第一に、上でも述べたが東京大学の全ての学生がこのようなクイズに精通しているわけでも、ましてや好んでいるわけでもない。集団から極めて限定された一側面を切り出し、それがあたかも全体の特徴であるかのように扱う。例えば特定の民族や人種に対しこのような扱いが許され得るだろうか。このような番組が不適切でないならば何が不適切な番組であるのか。東京大学の卒業生の一人として、「東大生」に対しこのようなイメージを結び付けられることは名誉の毀損である。
第二に、そもそもこの手のクイズは調べればすぐにわかる問題である。東京大学のどのような部局であっても、「調べればすぐにわかること」に重きを置いた研究・教育はなされていない。これは、東京大学憲章(https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/overview/b04.html)を見ても明らかであろう。しかしながら、このような低俗なクイズ問題を知性の象徴であるかのように扱い、東京大学の名前を使用することは東京大学およびその構成員の名誉を著しく貶めている。私も、東京大学関係者として名誉を毀損された。
私はこの番組に出演したことは一切ないが、本放送は「東大」を番組名に冠する以上、当事者は出演者だけではなく、東京大学関係者全員である。したがって、私も放送人権委員会運営規則第5条(6)に記されるところの「その放送により権利の侵害を受けた個人」にほかならず、これをもって放送人権委員会に当該番組の審理を要求する。
「東大生」といえば「がり勉」「変人」「常識知らず」という世間一般のイメージが存在することは否めない。実際、例えばインターネット検索エンジンgoogleで、大学名とともに上記のようなワードを入れて検索すれば、大量のウェブページがヒットする。文脈によってはポジティブな意味で使われていることもあるかもしれないが、ほとんどの場合ネガティブな意味で使われている。
このようなイメージ自体の真偽や是非はこの場で議論すべきことではないが、問題なのは本番組がこの種の偏見に基づいた作りとなっている点である。番組内では、数人の東京大学学生が出演し、彼らと芸能人たちの掛け合いが放送されている。その中で、上記のイメージに合わせるように、全編にわたって出演する学生の「面白おかしく」「常識から外れた」振る舞いが放送されている。この放送は東京大学およびその構成員に対する偏見を強く助長している。それにより、私は東京大学の関係者の一人として、多大な精神的苦痛を被り、名誉を毀損されるという「著しい不利益」を被った。
また、学生出演者の裁量がどこまであったかも明らかにされなければならない。このようなバラエティ番組において、テレビ局と出演者の力関係は一方的である。出演者はテレビに映されたいと思う一方で、作成側からすればまさに代わりはいくらでもいるからである。その中で、出演者が番組中で世間的には非常識な振る舞いをする、あるいはされられるに至った経緯は何か。そもそも台本・編集がある以上、歪な力関係を背景にした圧力・指示は一切なかったとは言えまい。後輩たちのこのような振る舞いを放送で目にすることは、私に東京大学卒業生として大きな精神的苦痛をもたらした。
私はこの番組に出演したことは一切ないが、本放送は「東大」を番組名に冠する以上、当事者は出演者だけではなく、東京大学関係者全員である。したがって、私も放送人権委員会運営規則第5条(6)に記されるところの「その放送により権利の侵害を受けた個人」にほかならず、これをもって放送人権委員会に当該番組の審理を要求する。
そもそも、特定の少数者に対するネガティブイメージ・偏見を扇動することは、あってはならないことである。本番組は東京大学に関するものであったが、これが特定の民族や宗教に関するものであったらどうだろうか。テレビは社会的影響が大きいなればこそ、この種の偏見やネガティブイメージには慎重でなくてはならない。本放送は、この点において明確に放送倫理を違えている。表現の自由の名のもとに、このような不当なステレオタイプを広める番組を作成し放送したフジテレビおよび関係者の人権感覚の欠如にはただただ驚かされる。今後さらなる人権侵害番組を作成させないためにも、貴委員会により正しい裁定が下されることを強く希望する。
話題につられて珍しく三体というSFを読んでみたが作品を名乗るのもおこがましい愚書悪書だったので騙されて買わされた鬱憤を晴らすべくいかに愚劣にして悪辣か書き並べる。購入を検討している人に端的に警告するとハリウッド映画によくある知的弱者を喜ばせるための頭の悪い定型表現が嫌いな人は拒絶反応が出るだろう。また実際の人類の理論及び種族的進歩を顧みず作者の浅薄で無知蒙昧な妄想から逆に進歩をを後退させており極めて愚劣にして悪辣である。買ってはいけない。以下解説。
以下の記事を読みました。
わが子を「子ども部屋オジさん」にさせる親の特徴
DIAMOND online
https://diamond.jp/articles/-/206234?display=b
「子ども部屋おじさん」などという安易なレッテル貼りと意図のよくわからない問題提起に、適応障害を絡めるのは、絶対にやめてください。
私は以前、ソフトウェアエンジニアをやっていまして、開発チームの管理職を兼任しておりました。月残業はおおよそ40〜100時間超でした。持ち帰りの仕事を含めると、さらに10時間程度増えるでしょうか。
2017年の2月ごろから、激しい目眩、頭痛、嘔吐、不眠により、日常生活を送ることすら困難になりました。医者の診断では、仕事上のストレスによる適応障害とのことでした。
適応障害の症状を、ご存知でしょうか。
人により様々なパターンがあると思いますが、私の場合は、出社することを考えただけで脱水症状を起こすほど嘔吐し、文字を識別することすら困難になる無気力状態に苛まれていました。
思い通りにならない自身に絶望し、「まとも」でなくなってしまった自分を消してしまいたい衝動と、水を飲む事すら億劫なほどの無気力が繰り返し襲ってきます。
夜は寝付けません。仮に寝たとしてしても30分から1時間くらいで目が覚めるのです。そしてまた寝付けない。この繰り返しです。
処方された睡眠導入剤は効かず、強い睡眠薬も中途覚醒には効果がなく、意識が朦朧としたまま夜が明けるのを、何もできないで待つだけの日々でした。
さらに、唐突に激しい自殺願望が湧き、すんでのところで思い留まることを繰り返します。厄介なことに、SNRIなどの服薬で無気力状態を改善すると、希死念慮も強まってしまうようでした。
そして、最悪なことに、これらの症状は、ストレッサーから離れない限り悪化し続けるのです。つまり状況から逃げるしか方法がないということ。
最終的には医者からの「入院か、実家で療養するべき」との指示から、休職し、その後に退職となりました。
幸い私は、その後2年間の実家療養で症状をかなり抑えることに成功し、現在、社会復帰に向けてリハビリ中の身です。
しかし、現在でも何かの拍子に嘔吐や頭痛のフラッシュバックが発生するので、いまだ完治というわけではないのでしょう。現に、SmartNewsで流れてきたこの記事をうっかり読んでしまい、朝から嘔吐して最悪な気分です。
外傷がないから当事者以外はなかなか理解されないと思いますが、適応障害は心の負傷です。医者から入院を勧められることもあるほどの重症なんです。さらに、症状が治ったからといっても後遺症がないわけではないんです。
私の場合、暖かく迎えてくれる両親のもとでの実家療養というセーフティネットがあったからこそ、どうにか自死を選ぶことなく症状から復帰できました。
さて、「子ども部屋おじさん」ですか。なんとも酷い言葉ですね。そして、それを疎む親がいるという趣旨の記事ですか。反吐が出ますね。
あまり考えたくないことですが、もし私の両親が、この記事を読んで「子供部屋おじさん」は恥ずかしい、世間体が悪い、などと考えるような低俗な人間だったなら、私はすでに墓の下だった可能性があります。
交通事故で車椅子生活になり後遺症に苦しむ人に向かって、実家に頼るな、甘えるな、自立しろと言えますか? この記事は似たようなことを述べています。
もう一度、言います。
「子ども部屋おじさん」などという安易なレッテル貼りと意図のよくわからない問題提起に、適応障害を絡めるのは、絶対にやめてください。
以上です。
※この文章はダイヤモンドオンラインの「お問い合わせ」に投稿しようとしましたが、1000文字以内という謎の制限にがあったので、全文を増田に載せてリンクを添えて送信しておきました。
とりあえず、抗議の文面を送信する。「東大方程式」のほうは増田に書いた文章をほぼそのまま送信した。以下は「東大王」に対しての問い合わせ。
「東大王」は、複数人の東京大学学生が出演し、芸能人たちとクイズを行う番組である。番組のコンセプトとして、「東大生だからできる/東大生なのにこのようなこともできない」ということを中心に据えているように思われる。これは世間に存在する「東大生はがり勉/世間知らず」という偏見を助長するものであり、蓋し社会的マイノリティに対するヘイトスピーチと同じ構図である。「東大」を特定の国名や民族名に変えた番組が許されるだろうか?そもそも、調べればすぐにわかる低俗な問題を知性の象徴であるかのように扱い、東京大学の名前を使用することは東京大学の名誉を著しく貶めるものである。名前の使用許可はどのように取得したのか。
私は東京大学関係者の一人として、直ちに当該番組の放送を停止すること及びこのような番組が作成されるに至った経緯の解明することを求める。なお、適切な回答が得られなければ、これらの放送は東京大学関係者全員の「名誉…などの人権を侵害」しているため、BPOの放送人権委員会に提訴する。
その女についての噂を耳にすると、不思議と心が泡立った。純粋に嫌いなのだ。不幸話を耳にすればほくそ笑んでしまうし、もっと不幸になれと呪ってしまう。
彼女がどんな女かというと、一言で言えば「マウント女」である。どんな話に対しても「でもアタシは〜」と介入してくる。
不幸にも他の友人と3人での会話になってしまった時のことだ。わたしは他の友人とだけ話したいのにそいつは割って入ってくる。その時点でまず不快だ。まぁいい。わたしがプレイしている某有名アプリの話をした時、彼女は必ず「あ〜、アタシそのアプリアンインストールしちゃったんだよね〜」と言ってくる。話し手が楽しんでプレイしてるアプリだぞ。失礼だと思わないのか。わたしはそのアプリ内であったちょっと面白かったことを話したいんだ。お前にじゃない、他の友達の方にだ。
他の友達の方はノッてくれる。面白がってくれる。自分がやってなくても、共感することはできるだろう。他の友達の方もわたしのやっていない某女性向けアプリの話をしてくる。わたしもそれを面白がる。コミュニケーションだ。会話を楽しんでいるのだ。
彼女にはそれがない。
会話の中心は常に自分。自分と自分の周囲の自分が上位にランク付けしたものについてだ。そのランク付けが透けて見えるところも嫌いだった。わたしが楽しんでいる某有名アプリは彼女にとってつまらない低俗なものなのだ。なんて不快な考え方だ。
そして彼女は自分から申し出て別部署に異動して行った。つまり今までやっていたわたしと同じ仕事はつまらない低俗なものだと彼女の中で結論が出たのだろう。世界に平和が満ちた。
時給制の大したことない仕事である。まあわたしも好きではない。ただ彼女が異動して少しした時、突然時給が200円アップした。ざまあみろ。
彼女は同じテナントの隣の部屋にいるらしい。滅多に会うことはない。他の同僚の噂とか、LINEのタイムラインで近況を知るのみだ。
彼女のタイムラインに「旦那しね.com」のURLが貼ってあった。旦那が家事育児を手伝ってくれないのだろうな。ざまあみろ。
これについては他の同僚が「◯◯さんのタイムライン見た?」と言ってくるのでわざわざ探した。LINEのタイムライン更新する人って自己顕示欲高いよね。
例のタイムラインを見るまで彼女のことは基本的に忘れるようにしていた。あまり関わらないように、考えないようにしてきた。
理由はわたしの心が泡立つからだ。嫌いな人のことばかり考えているとそれに囚われて悪いことばかりが目について耳について楽しいことを見逃してしまう。
嫌いな人のことは忘れろ。その人から離れろ。人生は短い。嫌いな人のことより好きなことを気にして生きよう。
彼女が不幸になるところを遠くからこっそり見たい。でも自分から見に行くことは避けよう。タイムラインについて教えてくれた例の同僚の続報を待とう。
別に総合的に考えたら彼女だって悪い人間ではない。単純にわたしが彼女を嫌いなだけだ。彼女のマウント癖とランク付け癖が不快なだけだ。彼女と話すと彼女に対してマウントかけたくなる自分が嫌いなだけだ。わたしはマウントするような人間になりたくないのだ。おしまい。
追記。
例のタイムラインを見つけた同僚とお昼を一緒したので詳しい彼女の近況を聞いた。
結局今の部署は嫌で、元いた我々の部署に戻りたいらしい。そうかそうか。
彼女と物理的に離れて完全にヲチ対象となったのでめちゃくちゃ面白かった。
例の同僚も上には出てこなかった別の同僚もやはり彼女に思うところがあるらしく、色んな面白いネタが聞けた。例の同僚もニラニラしたくて「旦那しね.comなんて貼ってどうしたの?」とLINEしたらしい。
昼休みがあっという間だった。
これからは例の同僚から情報を聞いてニラヲチするだけにして一切自分から関わらないぞー! 普段は存在自体忘れよう。
しかし今回の件で人の噂とか悪口で盛り上がるおばさんの気持ちがちょっとだけ分かってしまった。
でもやっぱりみんな彼女が嫌いだったんだということが分かっていろいろ粘着されてストレスばかり溜めてたあの頃のわたしも昇華されたわ。よかったよかった。
対アメリカでは完全に格下を超えて、もはや奴隷の域に達している。
対韓国ですら、日本は凋落国といえど、まだ幾分優位性があるにもかかわらず、馬鹿にされまくっている。それも上から。
対中国を語る前に、現状の安倍政権。安倍が馬鹿、皮肉な意味ではなくてリアルで低知能であることは世界でも有名で、北朝鮮ですら安倍をアホ扱いしている。日本にこのまま衰退し続けてほしい国は、バカがリーダーであることを利用して、そのバカをリーダーに据え置くために評価しているフリをする。
それが中国だ。倫理観も日本とどっこいどっこいの低俗な国だが、野心が違う。保身にしか興味がない日本の政治家との絶対的な違いはここにあるのだ。
EUから見た日本もひどい。安倍のひどいへべれけな国会答弁の無様な様が伝わっていないとでも思っている?あんなバカがリーダーやってて、そのバカの言葉をどうやったら聞き入れることができるというのだ?
そのうちアフリカ相手ですらいいように使われるんだろうなあ。まあATMのような扱いは受けてるけどね。
安倍の外交に関する努力は、外交力が高いと喧伝し国民の大半がバカでバイアスにかかりやすいことを逆手にとった国民洗脳策だけだ。
某2.5俳優さんが某女優さんと授かり婚をする云々の周辺で、どうにも気持ちが悪いなと思って書きたいことを書く。
見ないようにしていても色々な言葉が流れていきました。
祝福する人、できちゃった婚はどうなのと言う人、タイミングが悪いと言う人、気持ち悪いとまで言う人。
あげく女優さんのほうからの不用意な発信で浮気の二股でどうしたこうしたで、なんかもうしっちゃかめっちゃかです。
気持ちはわかります。失望したとか嫌になったとかそういうのはしょうがないと思います。
でも、一回思い直してみてほしいのです。本当は、私たちオタク、つまり一消費者には、彼らのプライバシーをあげつらって批判したりする権利なんてないはずです。
俳優だろうがアイドルだろうが、一個の人間として人権を守られねばなりません。
プライバシーは守られるべきです。私たち芸能人でない人々と同様に。
現にあったことは、ひと組の男女が授かりものを機に結婚を決めましたということだけです。
授かったかどうかなんてもっと関係ありません。二股だろうが略奪だろうが、成人の二人が合意のもとに進めたことです。祝福しろとはいいませんが、それは彼や彼女の仕事とは本来なんの関係もないことです。
誠実じゃないという人がいます。
でも、貴方がお金を払った何時間か、何万円か、仕事場のなかで彼は貴方を最大限楽しませてくれたのではないですか。
逆にいえば、貴方が支払ったお金は各仕事場の彼、板の上の彼に払われたものであって、板の外の仕事をしていない状態の彼を縛るものではなんらありませんよね。
お行儀の悪い商売でしょう。しかし、これはどうにも、ホストに貢いだけど自分のものにならなかった、というのと変わらないと思います。
「営業」なので、「営業」が終わればそこでいったんおしまいではないですか。
「営業」中に夢を見せてもらって、きっと貴方はその分に見合った金額を、自分の意思で支払ったはずです。そしてそれは、彼の人生に指図できるほどの金額ではないはずです。
それこそ余計なお世話です。どんなに気をつけていても授かることがあるということですから、誰かが言い立てるほど軽率なことではなかったのかもしれません。よしんば軽率であったとしても産む決断をしたのは彼女であって、結婚すると決めたのはお二人です。そういう諸々がお二人の役者のキャリアに何か傷をつけてしまうのだとしたら、いまどきそれは業界の仕組みに疑義を提示してしかるべきではないですか。
男女ともに自分達で決めたタイミングで結婚・出産を決めてよいはずですし、それによって仕事を制限させられるなんてことが一般企業のなかで起きたら(起こりますけど)、批判されるのは企業側のはずですよね?(実態がどうとかは別として)
どうして芸能人のことになると、建前ですら人権を守れなくなる人がたくさん出てくるのでしょうか。
どうして、さも言ってやるのが当然のごとく、口汚く罵ったりできるのでしょうか。
どうして、正義のような振りをして、人権を侵害できるのですか。
どんなにお金を払っていても、それは仕事をしている彼ら彼女らの「仕事」に払われるべきものです。
人生の選択にケチをつける権利が、恋愛に口を挟む権利が、かけてきた好意やお金で手に入るとどうして思ってしまうのですか。
どうしてもクソもないんですけど。
ゴシップ誌は昔から、私生活を暴き立てて、恋人がいたりなんだりすることを悪いことのように書いてきました。
板の上で「恋人」を演じてくれていとしても、その人が板の外で人間的に暮らしていることが「悪」であるはずがないのに、です。
「恋人」だといいなと思っているファンは、そういう私生活を想像するのは避けるかもしれません。
私生活が見えてしまったら、嫌だな、夢が見れないな、ファンをやめようかな、と思うかもしれません。
でも、ゴシップ誌は「イメージどおりでない」ことを「悪」と言い立てます。
そうすると、ついファンのほうでは自分の「嫌悪」を「正義」に寄せてしまいます。
「正義」に寄ると気持ちいいし、やっぱり他人の下世話な話も気になるのでゴシップ記事は売れます。
業界側はそこに阿って、「イメージどおりでない」ことを暴き立てられたことを理由に、お仕事を降ろしたりします。(プライバシーを侵害された被害者だというのに!)
そうしていつしか恋愛禁止だのガチ恋営業だのお行儀の悪い商売をするようになりました。
そしてますます「イメージどおりでない」ことは「悪」に、それに対する「嫌悪」は「正義」であるかのようになってしまいました。
その「正義」なるもので、好きだったはずの人の人権をぶん殴っているわけですよね。
腹立たしいです。結局は低俗なゴシップを書く人の思い通りかと思うと吐き気がします。
アイドルや役者のなかには、「イメージどおり」であろうと努力し、私生活を律する人もたくさんいます。
そして、そういう人のほうが好きだな、という人もたくさんいます。
それ自体は尊いことです。よりよきことです。でも、「正義」ではありません。
「お客様は神様です」の話と同じです。
アイドルや役者本人が、そう志すことは立派で尊いことです。けれど、そうでないことが「悪」ではないです。