はてなキーワード: スクールカウンセラーとは
ネット界隈では「西早稲田2-3-18」の件がいろいろを語られてきたけど、Colaboの騒動によって一気メジャーになった。
日本キリスト教婦人矯風会の共催のイベント→https://kyofukai.jp/archives/7516
新宿区の告知では宗教名を完全に排除している→http://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/danjo01_000001_00127.html
川浦弥生(牧会心理学)https://noden.ac.jp/about/faculty/
新宿区 吉住健一区長http://www.yoshizumi.jp/
新宿区長としての今任期(2018~2022)の終盤を迎えました。振り返ると、2020年春に新型コロナウイルス感染症の感染拡大が始まってから、感染症対策を重点とした区政運営に忙殺されてきました。
治療法も感染経路も解らない中で感染拡大した緊迫した時期、重症化する変異株が感染拡大して入院出来ない重症患者が発生した時期、新宿区医療介護福祉ネットワーク会議とともに入院待機施設や陽性者への介護サービスの体制を整えた時期、想像を絶する感染者数の増に対処するために高リスク者と低リスク社への対応をトリアージした時期。
時間の経過によって、ウイルスが変異し、感染症そのものの性質が変化していく状況を目の当たりにしてきました。
感染拡大の影響が大きくなるにつれて、職を失った女性や行き場を失った青少年が、以前にもまして歓楽街に集まってきました。
歌舞伎町に集まっている若者・女性の多くは住民ではありません。
そのため、普段の居場所や健康状態、所得の状況など、区役所が把握できる情報は限られています。
特に、東宝ビル周辺に話し相手や居場所を求めて集まってきているといわれる“トー横キッズ”達は地方から出てきた子供が大半です。
家出してきたと判明すれば補導されて、親元に戻すことになりますが、再び歓楽街に戻ってきてしまうことは想像に難くありません。
今、幾つかのNPOがそれぞれのアプローチ方法を考えて、支援をしています。
そのうちの幾つかの団体と新宿区は連絡を密にして、立ち直りの機会をつくれないかと模索しています。
高2で不登校→ちょくちょく登校した人です。※以下n=1
親にどうして欲しかった?→漠然と助けてほしいと思う、けど関わって欲しくないという感じ。
イヤだったこと→登校催促
ありがたかったこと→過度な登校催促が無かった。ほぼ日常のように接してくれたこと。普段行かない場所に連れてってくれた(モスバーガーを食べさせてくれた)
そのときはイヤだったけどあとになってみたら受け入れられたこと→露骨な気にかけるアピール。うざかったけど、親を心配させるのが嫌という気持ちになった
あと不登校だったけど後に学校行くようになった場合のきっかけとかあったら知りたい。
→同じクラスの仲のいい人数人による自宅訪問(今思えば強引)、次の日が遠足的なイベントで登校ハードルが低かったのもある。それプラス関わってくれる友達
p.s.これは余計かもですが、親が悩みすぎると良くないので、適度に息抜きして健康に暮らしてください。私の母が自分自身のことで苦しんでいる姿を見た時、とても悲しかった記憶があります。
また、もうご存知かもしれませんが行政相談を利用するのも手です(スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーへの相談)
2000年: DSM-Ⅳで診断基準が緩くなり発達障害ブームが起きる。ADDの概念によって見過ごされやすい目立たないタイプもいると理解されるようになる
2004年: 発達障害支援法が出来て発達障害支援職ブームが起きる。補助金詐欺、過剰診断が指摘されるようになる
2007年: 乱用が問題視されていた医療用覚せい剤(リタリン)の新型(コンサータ)が日本で認可されるも、診断と処方を求める者の増加は続く
自殺した彼は2000年生まれで、ADHD診断が降りたのは18歳(2018年)。
すなわち発達障害ブームの真っ只中、スクールカウンセラー・発達障害児の支援職・放課後デイサービスの担当者・大人の当事者らが血眼にして「発達障害の疑い」をかけまくっていた時代に子供時代を過ごしている。
かつての診断基準は幼児期から症状が出ていることが発達障害(=先天性で治らない)の条件だった
しかし2013年に思春期以降から症状が出始めることに基準が変わったので
養育環境/生活習慣の問題、思春期の情緒不安定など後天的で治りうるものも発達障害と呼ぶ。
彼の脳には自殺に値する先天性で治らない障害があったのだろうか??
滝川一廣「診断とは何かということです。医師が風邪と診断するのは、自然科学です。疾患が起きている体の場所、起きる仕組み、病気の原因が共通しているとき、同じ種類の病気だと診断できる。しかし精神障害は、外から見たその子の行動の特徴を分類し、引き出しに入れることにすぎません。自閉症の引き出しに入る、あるいは知的障害の引き出しに入ると。精神障害の診断は医学的診断ではありません。社会的判断です。」
ごめんがんばったけど2行読むのが限界だった
膣臭がひどくて無理
たわわとか温泉むすめとかでフェミが根拠なく性犯罪を助長するとか言ってんなバーカと思ってけど自分に跳ね返ってくるとは思わなかった。
小学生の娘が通学団の男の子に性的な嫌がらせを受けたと泣いて帰ってきた。
掻い摘むとスカートめくり的なこととか、やらしいこと言われるとか、勝手に身体を触られるとか、そういうことだった。
なんでこんなことをしたのか、という話になった。
正直、女の子にちょっかい出したい年齢だしな、と思ってはいたが、
男児の兄が持っている漫画(タイトルまでは聞けなかったが相手の親が言うにはR18指定のものではないそうなのでたわわとかToLOVEるみたいな感じなのかなと思う)を友達数人で回し読みしていて、その漫画内でのことを仲間の数人でクラスや通学団の女子にやって「遊んでいた」と。ゲーム感覚というか度胸試しみたいな意味合いもあったようだった。
これがいわゆる悪しきホモソーシャルというやつか、と思った。
以前にも一度教室内でクラスの女子にやって担任に叱られてはいたらしい。叱られたのでクラスではなく通学団の女子にやることにしたようだ。
本人たちにとっては性犯罪は遊びであったらしい。
相手の両親が性教育含めちゃんとします、娘さんのケアをお願いしますと言う人だったのがまだ幸いだった。
こうした発言ができる比較的マトモと思われる親の子ですら漫画を見て性犯罪を遊びでするのかと思ってくらくらした。
そもそも子ども同士のことだと思って親と学校で対処したが、結果あの男児が娘にやったことは性犯罪であり、大人同士であれば強制わいせつとかに抵触する内容だった。
つまり今回の件は警察にも届け出てないので性犯罪にカウントはされないとしばらくして気づいた。こうして内々に処理されなかったことになる性犯罪がたくさんあるんだろう。漫画に影響されてやる性犯罪なんてほとんどが今回みたいなガキのやることだと思う。
そしてうちの娘の受けた性犯罪も子どものいたずら、せいぜい「エロ漫画が性犯罪を助長するケースもまぁなくはないよね、ただしレアケースだから取り上げる価値はない」と、たまたま起きたケースとしてオタクたちには処理され、結果エロ漫画は性犯罪を助長しないことになるのだろう。
通学団は加害側の男児がとりあえずは別の通学団に入る形で距離を取ることとなった。学年も違うしもう夏休みにもなるのでしばらく娘とその男児とは距離が取れる。
隣の席にも来てほしくないという。
すべての男子が悪いわけではないというのは娘にとっては都合の良い詭弁らしい。
親の躾の問題と言っても性犯罪が起きてからではもう遅い。起きたときにはすでに性犯罪の被害者という立場からは逃れられない。起きてから加害者を叱っているようでは遅いし叱る親ばかりでもないので親のしつけや教育に依存せずそもそも発生しないようにしなくてはいけない。
自分が娘にどうしてあげればいいのか、
これまでの自分の考えが娘を今回のような被害に合わせる手助けをしてしまっていたのではないか、
考えては考えては頭がくらくらする。
【追記】
こんなに伸びると思ってなくてびっくりしてます。
娘や被害にあった子への嘲笑や誹謗中傷があったらと怖くてブコメとかは見れてないですが…
娘は寝付きが悪くなるなど少し不安定な状態になった時期もありましたが今は安定しています。
夏休み期間中に娘が少しでも元気になれたらと思っていますが被害にあった子の中には定期的にスクールカウンセラーと相談している子もいると聞いています。
専門家でもないのに言うのも気が引けますが、加害男児たちの話を先生から聞くに、たぶん根底にあるのは男の子の自分を誇示したいという欲とか、中にはそこにうっすらとした加害欲も併せ持ってる子もいて、それを発露させる手段として知恵を与えてしまっているのかなぁ、と。
たわわとか温泉むすめとかでフェミが根拠なく性犯罪を助長するとか言ってんなバーカと思ってけど自分に跳ね返ってくるとは思わなかった。
小学生の娘が通学団の男の子に性的な嫌がらせを受けたと泣いて帰ってきた。
掻い摘むとスカートめくり的なこととか、やらしいこと言われるとか、勝手に身体を触られるとか、そういうことだった。
なんでこんなことをしたのか、という話になった。
正直、女の子にちょっかい出したい年齢だしな、と思ってはいたが、
男児の兄が持っている漫画(タイトルまでは聞けなかったが相手の親が言うにはR18指定のものではないそうなのでたわわとかToLOVEるみたいな感じなのかなと思う)を友達数人で回し読みしていて、その漫画内でのことを仲間の数人でクラスや通学団の女子にやって「遊んでいた」と。ゲーム感覚というか度胸試しみたいな意味合いもあったようだった。
これがいわゆる悪しきホモソーシャルというやつか、と思った。
以前にも一度教室内でクラスの女子にやって担任に叱られてはいたらしい。叱られたのでクラスではなく通学団の女子にやることにしたようだ。
本人たちにとっては性犯罪は遊びであったらしい。
相手の両親が性教育含めちゃんとします、娘さんのケアをお願いしますと言う人だったのがまだ幸いだった。
こうした発言ができる比較的マトモと思われる親の子ですら漫画を見て性犯罪を遊びでするのかと思ってくらくらした。
そもそも子ども同士のことだと思って親と学校で対処したが、結果あの男児が娘にやったことは性犯罪であり、大人同士であれば強制わいせつとかに抵触する内容だった。
つまり今回の件は警察にも届け出てないので性犯罪にカウントはされないとしばらくして気づいた。こうして内々に処理されなかったことになる性犯罪がたくさんあるんだろう。漫画に影響されてやる性犯罪なんてほとんどが今回みたいなガキのやることだと思う。
そしてうちの娘の受けた性犯罪も子どものいたずら、せいぜい「エロ漫画が性犯罪を助長するケースもまぁなくはないよね、ただしレアケースだから取り上げる価値はない」と、たまたま起きたケースとしてオタクたちには処理され、結果エロ漫画は性犯罪を助長しないことになるのだろう。
通学団は加害側の男児がとりあえずは別の通学団に入る形で距離を取ることとなった。学年も違うしもう夏休みにもなるのでしばらく娘とその男児とは距離が取れる。
隣の席にも来てほしくないという。
すべての男子が悪いわけではないというのは娘にとっては都合の良い詭弁らしい。
親の躾の問題と言っても性犯罪が起きてからではもう遅い。起きたときにはすでに性犯罪の被害者という立場からは逃れられない。起きてから加害者を叱っているようでは遅いし叱る親ばかりでもないので親のしつけや教育に依存せずそもそも発生しないようにしなくてはいけない。
自分が娘にどうしてあげればいいのか、
これまでの自分の考えが娘を今回のような被害に合わせる手助けをしてしまっていたのではないか、
考えては考えては頭がくらくらする。
【追記】
こんなに伸びると思ってなくてびっくりしてます。
娘や被害にあった子への嘲笑や誹謗中傷があったらと怖くてブコメとかは見れてないですが…
娘は寝付きが悪くなるなど少し不安定な状態になった時期もありましたが今は安定しています。
夏休み期間中に娘が少しでも元気になれたらと思っていますが被害にあった子の中には定期的にスクールカウンセラーと相談している子もいると聞いています。
専門家でもないのに言うのも気が引けますが、加害男児たちの話を先生から聞くに、たぶん根底にあるのは男の子の自分を誇示したいという欲とか、中にはそこにうっすらとした加害欲も併せ持ってる子もいて、それを発露させる手段として知恵を与えてしまっているのかなぁ、と。
(性加害の話を含みます)
兄が病死した。私にとって消えて欲しい存在でしかなかった兄が本当に消えてくれた。涙はない。
小さな頃はごく普通の兄妹の関係だった。7つ離れているから一緒に遊んだ記憶はあまりないけれど、優しかったし、何でも譲ってくれた。私が小学生になると、宿題を手伝ってくれたり、漫画やCDを貸してくれたり。高学年になると、おかしなことが起こるようになった。お風呂あがりで裸の私がいる洗面所の扉を「間違えて」開けることが何度かあった。おかしいな、と思い始めた頃、ソファでうとうとしていた私の上にいきなり覆い被さって、私のスカートの中に手を入れてきた。混乱したが、それが、兄が私に対していやらしいことを企んでいると決定的に理解した瞬間だった。私は、ふざけんな、気持ち悪い!くらいの強い言葉を言ったと思う。気の弱い兄は、それ以上何もしなかったし、それからは直接触れてくることはなくなった。
ところが今度は親の目の届かないところで自慰行為を見せつけてくるようになった。ちょっとこっち来て、と呼ばれて兄の部屋に行くと、おもむろにズボンを下ろしそれは始まる。私はバカじゃないの、といいながら去るのだけど、何度か射精するところまで見届けた。私は兄のやっている行為を愚かしいと思いながらも、私の体に直接の被害はないので、まぁいいかと思ってへらへらしながら数分間眺めてたのだ。そんなことが3年くらい続いたが、私が高校生になると、さすがに明確に拒絶するようになった。というか、それなりに女子高生という雰囲気をまとって世の中怖いものなし、という風情を醸し出してきた私と、大学を留年しまくってくすぶってた地味で冴えない兄の立場が逆転し始め、兄の方が私に近寄らなくなってきたのだ。
もともと大人しく社交的ではなかった兄は、大学生活で人間関係やら何やらにつまづいたらしい。数年留年しやっと卒業したが就職もせず引きこもりを始めた。毎日兄が家にいてうっとおしかった。兄が私に何かをしてくることはもうなかったが、私の中ではもはや兄は気持ち悪い人でしかなかった。一緒の食卓に座るのも嫌だし、話しかけられるのも見つめられるのも嫌、兄の入った湯船につかるのが嫌で真冬でもシャワーだけだったし、自分の洗濯物は自分で洗って自室で干した。家に二人きりでいると何が起こるか怖くて、38度の高熱を出してもフラフラしながら図書館で時間潰してた。私は大学生になると、実家を出たくてその資金のためにキャバクラでバイトを始めた。それが親にバレて、お堅い父が激怒。半ば飛び出す形で実家を出て、それ以来自活。父も母も兄に甘かった。就職しないで引きこもる兄に3食を用意し、毎月のお小遣いを与えて、息子は繊細だからゆっくり時期を待ちたいと尻を叩くことはなかった。そう、親にとって、兄は「繊細」な息子で、私は「ふしだら」な娘ということらしい。その状況がいらだたしく、何度か兄がしてきたことを暴露してやろうかと思ったこともある。だが、それはしなかった。
大学を卒業し、社会人になり、私は自分の人生を生きることに一生懸命だった。私だって器用な方ではないからこの社会に馴染むには人一倍時間を要する。失敗したり落ち込んだり遠回りしながら生きてきた。30歳を過ぎた頃、私の中にあるいわゆる「生きづらさ」というのは家庭環境や兄のことがあるのだろうと、心理カウンセリングを受けてみた。でも言語化すればするほど何だか虚しくなり、数回通っただけで行かなくなった。兄や実家と向き合うのはしんどい。物理的にも精神的にも可能な限り距離をおく、ということで適当にやりこなして生きてきた。気づけば私も30代後半。
兄が末期のガンだとの知らせが届いたのは半年前。会社勤めではない兄は当然ながら職場の定期健康診断もなく、区の健康診断やガン検診にも寄り付かず、発見が遅れたらしい。両親は自分たちの老後のために実家をバリアフリーに改装していたので、兄は訪問看護を受けながら在宅で看取ることになった。
電車で20分という距離に住んでいながら、2〜3年に一度くらいしか実家に顔を出さなかった私。久々に対面した兄は、痩せてだいぶ老け込んでいたが、何の世間の垢もついていないつるんとした肌と、感性が20代前半くらいで止まってるかんじは相変わらずで、当たり前のように父母の手厚いケアを受けていた。私は兄にはごく一般的な見舞いの言葉を、両親には私が手伝えることがあれば可能な限り協力するが、自分は看護や介護の知識がないからその類の行為はプロに任せたいと明確に伝えた。指一本、兄の体に触れたくなかったからだ。父母は私の事務的な態度をどう思ったかわからないが、既に私は家族の一員として「諦められている」存在だったので、たまには顔を出しなさいよと言われただけで、何かを頼られることはなかった。その後、遠方からおじおばが見舞いに来るというので、その場に立ち会ったくらいで、積極的に兄を見舞うことはしなかった。
兄が死ぬことについては何の悲しみもなかった。むしろ、私にとって恥ずかしい存在がいなくなる、せいせいした、というのが嘘偽らざる気持ちだ。実家を離れたとはいえ、引きこもりかつ性犯罪予備軍のような兄の存在は私にとって長年の恥でしかなかった。もともと結婚願望は薄かったが、結婚は完全に諦めた。普段から「お兄さんは何をなさっているの?」といった他人からの無邪気な質問も怖かった。子どもを狙った性犯罪のニュースを見るといつか兄もやるんじゃないかと戦々恐々としてた。引きこもりの中年男性が世を恨んで無差別に人を傷つけるニュースも全く人ごとではなかった。兄がいなくなることで、これらの心配が無くなるのであれば、この先の私の人生は心穏やかに過ごせる。
クリスマスを前にして、兄は父母に見守られ四十数年の人生を終えた。静かな最期だったらしい。朝方に死去の連絡を受けたが、私はその日も普通に仕事に行った。何の心の動揺もなくいくつかの打ち合わせと事務処理を済ませた後、家庭の用事でとだけ伝えて、昼過ぎに早退をした。色々事情を聞かれるのが嫌で忌引きでなく普通の有給をとることにした。1日だけ。
兄はたぶん安らかな顔をしていた。あんまり見ていない。父母も最後まで自分たちで世話をしたのだから、まぁすっきりした表情だ。一度も社会に出なかった息子を困ったといいつつも、可愛がっていたのだろう。兄は引きこもりではあったが、家庭内暴力などはなく、父母やごく近しい親戚とは普通にコミュニケーションをとっていたし、親の買い出しに付き合って車を出したり重い荷物を運んだりと家の事には協力的であったらしい。家族想いで優しかったが、優しすぎて一般社会には適応できなかった、というのが父母からみた兄だ。
それもまた事実であろう。私だってあの出来事がなければ、兄をそう捉えたかもしれない。でも私は兄がした行為を許すことはしない。許すことはしないが、もう遠い過去となった。あの時の記憶は消えないが、あれから私は自分の人生を生きて別の体験をたくさんすることで、あの記憶を隅へ隅へと追いやった。それが正しい対処方法なのかはわからない。もっと周りに助けを求めたり、自分の心のケアを第一に考えることもできたかもしれない。或いは正面から向き合って本人に謝罪を求めても良かったかもしれない。でももういい。私にとって兄は消えて欲しい存在で、そして今やっとその通りとなった。それだけのことだ。兄の愚かな行為を今後も父母に話すつもりはない。それは兄のためでも父母のためでもない。私がエネルギーを使いたくないから。
補足)
これは愚かな兄をもった、愚かな妹の駄文です。もしこれを読んでいて、今現在家族の問題で苦しんでいる未成年の方がいたら、どうか信頼できる大人に相談してください。私は自分一人でなんとか対処してしまったように書きましたが、それは20〜30年前の当時はスクールカウンセラーも普及しておらずインターネットも浸透してなかった状況で、子どもに対する権利擁護の情報にアクセスしづらかったという事情によります。今は適切な機関や支援があります。あなたの心を守りながら、一緒に考えてくれる大人はきっといます。
うちもこれほどひどくはないけど、学校行けんかったことあったから。
外野のときは、親の対応が悪いんじゃねーか、学校の対応もまずいよねとか、好き勝手言って批判できたけど、
発端の娘さんの件だって、なかなか担任が原因って疑うってできるもんじゃない。基本的には担任といい関係、信頼関係を築きたいと思ってるわけだからね親は。
非常事態がずーっと続いてて、それを打開するためいろいろ動いて考えてってやってたら、本当ストレスたまるもんよ。
親だって人間だからね。非常事態が続いてるとこに体調やら精神状態やらの加減が重なると、何かの拍子にブチって限界越えちゃう時もある。
あきらめてそれが「日常」だと思えばいい、親も一生懸命になり過ぎない方がいい、って思うだろうけど、
そこまで腹くくるにはもがいたり足掻いたりする時間も必要なんだよね。
「散々、色々な関係機関への相談や、色んなことをしたけれど、何も出来なかった」
っていうのも実感できること。
うちも散々いろいろ相談したけど、結局決定的な打開策はなかったし、子供の時間を待つほかなかったって感じだよ。
何がきっかけで学校に行けなくなったのか、そして行けるようになったのかもよくわからんかった。
その間、違う先生からは「原因がないなんてあり得ない、なにか原因があるはずだ」とか言われたりとかさー、
じゃあどうすりゃいいわけ?どうやって聞き出せばいいわけ?って思っちゃったわよ。そんなん言うんならうちの子と話してよってね。
もうなんか非常事態の間は、自分も視野狭窄に陥ってんなーってわかるんだけど、最中はどうしようもないのよね。
今思えば、原因はたぶん一つじゃない、子にも要因があり、親にも要因があり、学校にも要因がありって感じなんだろうけど、
じゃあその親の要因、私は夫はどうしたらよかったのか、どうすればいいのかって、最中は暗中模索状態なのよ。
もう一度言うけど、一人で悶々考えてんじゃないのよ?学校にも相談機関にも散々話してるのよ?決して一人で勝手に抱え込んだりしてないよ?この増田もそうでしょ。
スクールカウンセラーには発達障害の可能性も提示されたりして、いや違うんじゃないかなーって思いつつ、病院予約する一歩前までいったこともある。
(のちカウンセラーから必要ないと判断されて止められた。幼い頃から見てきても、当てはまる要素がほとんどなかったし。)
でも本当にもう悩みつつも、その状態である子供を受け入れるしかなかったというか。
殴打事件も褒められたもんじゃないし、暴力を肯定する気はないけど、結果的には決定的な打開策になったような感じだよね。
だけど、この親子の事例で、結果的に良い方向に進んだってだけで、すべての引きこもり事例に当てはまることじゃない。
こうすれば解決するよみたいなもんがない、いつまで続くかもわからない。先が見えないって本当に地獄だよね。子も親もね。
結局は子供の力を信じて待つしかないのかなーと思いつつ、何もしないで手を拱いてるわけにもいかないし、というジレンマ。
不登校以前から算数だけ進学塾に行ってたので、算数だけはなんとか手当てできてた。不登校中も通塾や習い事だけは意欲的だったし。
学校の宿題もできる限りやってたし、保健室でテストを受けることもあった。担任も学習面の心配はしてなかったかな。
中学年だったのでなんとかなってた感じ。理科とか、のちのテストのでき具合見て、あー不登校時に抜けてたところだなと思うこともあった。
いじめられている、という申告が生徒から出た場合、学校はどうするか。
その作業は担任にしかできない。日ごろからクラスをみてるのはその担任一人だけだから。
専科の先生たちや教頭・校長はなんとなくはみていても、クラスの内部での細かい人間関係までは把握できていない。
軽度のいじめの場合、問題があると認識したらまずその生徒に注意する。ほとんどのケースはそれでおさまることが多い。
それ以上の深刻な問題の場合、担任が教頭・校長と相談し、必要であれば保護者を呼んで面談することになる。
いじめに絡んでいるのが複数人の場合、複数人の保護者との話し合いを重ねる。
保護者が比較的まともな親のみであった場合はそのプロセスを経れば解決することもある。
が、保護者がまともな親ではなかった場合(自分の子どもがしたことを客観的に判断できない場合とか)はスクールカウンセラーや教育委員会をはさみ、家庭相談員などを介して問題解決をはかることになる。それはすごく時間も手間も精神力も削られるし生徒側も学校側も相当しんどい時間を過ごすことになる。(余談だがそんな重役を仰せつかる家庭相談員はパートの非常勤であることも少なくない・・・)
そんなプロセスを経るのだが、いかんせん通常の教師の仕事が激務すぎて、それ以上のことが起きたら時間的にもリソース的にも対応しきれないような現状。
そうなるとどうなるか。精神面で相当タフな教師なら持ちこたえられるが、まともで真面目な普通メンタルの教師はだいたい精神を病む。その結果、突然職場に来れなくなるなどの症状がでる。長期休暇コースである。それでも立ち直れず、あるいは教職に絶望し、教職を離れてしまう人も少なくない。
担任がリタイアしてしまった場合は教頭と校長で引き継ぐのだが、如何せん人間関係や日頃の様子はそこまで把握できていないのでその状態での引き継ぎになる。
すでに残っている教師は精神面で相当タフな人か、相当マイペースな人か、問題を見ないですませてしまうタイプの人か・・・というように現時点で何パターンかにある程度ふるい分けられていると思ってもいい。もちろん地域差による生徒数の格差や各自治体のコミュニティの傾向などもあるが、生徒数が多い学校ではトラブルが起きないことはまずない。
最近は教師の威厳も権限もまるでないから子どもも先生を見下してたりする。頼りない新米教師の場合、学級崩壊も簡単に起こったりする。
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覚えている限りでは幼稚園の時から人間関係でつまずくことが多かった。
確か習い事でも同い年くらいの子に失礼なことをして泣かせたことがある。
勿論母には怒鳴られたが、
同じことが起きたらとりあえず取り繕うことはできる、と思う。
母に勧められて絵や工作を習い始めたが、
心の中の燻りが消えていく気がした。
それは難しいと母に言われた。
小学校でも中学でも対人関係が上手くいかず勉強に集中しきれなかったので、
高校に入ってから母に言われるまま目標もなく予備校に通い始めた。
今考えると、もしかしたら地元の高校じゃなくても対人関係は上手くいかなかったかもしれない。
当時の学区内で上位3位くらいに入る高校に在籍していたので
予備校での3者面談で具体的に志望校を決めないといけなくなった。
スクールカウンセラーになりたいとうっすら考えていたので、心理学科のある大学を希望した。
摂食障害になったりもしたが、留年することなく4年生まで進級できた。
飲食店には向いていなかったようで受験勉強を理由に3ヶ月で辞めた。
ここで働くまで、自分が飲食店で働けない人間だとは知らなかった。
他にもデパートで接客をやってみたが、覚えが悪く、しょっちゅう社員さんにフォローしてもらっていた。
2か月くらいで辞めたと思う。
母は公務員を強く薦めてきた。
母のビジョンでは、私は大学在学中に資格を取るはずだったらしい。
文学部だったのだが、司書や学芸員の正規採用の倍率を知らなかったのだろう。
1年生の時に先輩から聞いて知っていたし
一度社会人になってから大学院に行ってまでスクールカウンセラーになりたいとは思わなかったので、
とりあえず就活を片付けることにした。
就活は難航した。
やりたいことがわからなくなった。
電話応対や来客対応も無く(そこに居続けたらいずれ任されたのかもしれないが)
単純作業のみで敵羽も悪くないと直属の上司に褒められたのが嬉しかった。
半年の試用期間が終わる頃、
社長から勤務態度の悪さを指摘され、正社員として採用されなくなってしまった。
なのでアルバイトとして約2年働き続けた。
親には、なんで正社員になれないの?と詰められた。
勤務態度の悪さというのは、気が利かないということだったと思う。
うろ覚えだが、社会人としてのマナーが身についていないということだろう。
あと乗せられて言った私の軽口を社長が真に受けていた。
ミスの尻拭いを従業員全員にやらせる社員をいつまでもい座らせていた。
そこで週3日程アルバイトをしつつ正規の仕事を探すと親には言ったが、
就活が怖くなった私にそんなことはできなかった。
親は私に「何かやりたいことはないのか?資格を取れ」と強く薦めた。
何を今更と思ったが、
私は職業訓練でHTMLとillustratorとPhotoshopの勉強をして、デザインの仕事を探した。
半年間の職業訓練が終わりに差し掛かった頃、正社員として希望の仕事の内定を頂いた。
職業訓練ではデザインについてそれほど詳しく勉強したわけではないので、
それよりも私がこの仕事をする上で致命的だったのは、
それで、納品物が納期ギリギリになっても完成せず、先輩にほとんど作成してもらった。
上司に「貴方は頼まれたことはきちんとやってくれますよね」と言われたのは何だったのか。
これは裏を返せば言われたことしか出来ないということになるんだが……。
この仕事は5か月で辞めた。
そして以前通っていたメンクリで知能検査を受けたが、正常の範囲内とのことだった。
私はただの出来の悪い人だということがわかった。
色々なところに応募しては落ちてを繰り返し、1年程間を空けて受付事務のパートをすることになった。
私を採用した人は、なんでこんなこともできないの?と不思議に思っているようだった。
なんでって……こっちが聞きたいが。
貯金が少なく焦っていたが、半年後に、派遣社員としてOA事務の仕事をすることになった。
ここが一番働きやすかった。
手順書があって、成果物はクロスチェックされ、電話は決まったところからのみ。
そこで働いて2年程経った頃、親に「今の職場で正社員になれないのか?」と訊かれたので
それをそのまま上司に伝えた。
「誰でも勧誘しているわけではない」と回答された。
居心地の良い職場にギリギリまでいたかったので、次の仕事は全く探していなかった。
この会社の派遣期間が満了する頃になると、国内で新型コロナウイルスが流行り出した。
傍から見たらぜんぜん頑張ってるように見えないと思うけど、もう親含めて他人の機嫌うかがうの疲れた。
4年制名門女子大に通う、2級手帳持ち統合失調症患者です。人生どうしようもないので現状を書きます。
1年生から4年生にかけて地元(東京都)の居酒屋や塾講師、コンビニ店員など30店以上アルバイトの面接を受け、全て落ち、メイドカフェのアルバイトや格安風俗で働いて稼いでいました。
しかし、大学4年生の時に統合失調症をわずらって自殺未遂、リストカット、アルコール薬物依存をしていたため大学のスクールカウンセラー室を出禁になりました。それから1年精神科閉鎖病棟で入院し、退院して今就職活動中です。
退院してから4月〜6月当初は一般雇用で1社某大手の最終選考まで進んでいたのですが落ちてしまい、それからは障がい者雇用も視野に入れてハローワークの担当にまるで赤ちゃんみたいな接し方をされながらも探していました。同時期に就活エージェントを利用し、障がい者であるということを事前に伝えていただく形で6月〜12月まで掛け持ちで100社以上受けたものの、1社からも内定を貰えずにいまに至ります。
春から学校を卒業した後は、親からの援助がなくなってしまう上、年齢も年齢なので風俗も厳しくなってきてはいるので生活に困ってしまうので障がい者年金を受給しようとするも、国から拒否されてしまいました。最後の砦としてB型就労継続支援という障がい者が継続して働くための施設(工賃が支払われる)で働こうと先日面接に行ったものの、お祈りされてしまいました。
「逃げ恥」心理学を学んだことがある人たちは内容がリアルでいかにも…と思っているという話(togetterより)
「心理の院生がやりそうなダメっぽい研究」という指摘があったので、少し情報を整理して感想を述べる
原作冒頭において、こんなやりとりがある
黒●徹子(妄想)「あなた 大学では心理学をお勉強なさってたんですって?」
みくり「はい それで」
徹子「それで就職は人事部や企画 商品開発なんかを志望していたと」
徹子「だけどあなた ウフ ごめんなさい 全滅だったんですって?」
みくり「そうなんです 今思えば もっと業種を広く」
徹子「それで就職職浪人するよりも と大学院進学をしたけど 文系大学院は就職がさらに大変だったらしいじゃない」
みくり「文系の院全てがそうとは言い切れないとは思いますが 院で臨床心理士の資格を取ったのでそれを生かせる仕事ができればと」
徹子「でも 心理カウンセラーとかスクールカウンセラーは中々就職がなかったと」
――海野つなみ「逃げるは恥だが役に立つ 第1巻」より
臨床心理士は指定された大学院修士課程を修了後に「受験資格」が得られる
そして、臨床心理士資格認定試験は毎年10月に開催され合格発表は12月となる
修了後の4月は無資格なので、資格取得見込みでも受け入れてくれる仕事を探さないとならない
同じ大学院・研究室の先輩や指導教官に紹介して貰ったり、非常勤で週2~3日の仕事を自力で見つけて応募することが多い
作者である海野つなみがどこまで知っているかは不明だが、みくりは大学院修了後にそうした仕事にもつけず、資格取得後も就職先が見つからなかったことになる
ストレートで卒業・修了・資格取得をしたとすると、この時点で24歳である
心理学部・学科卒業で人事部や企画・商品開発を志望すること自体には問題がないが
「仕事がない」という理由だけで、より狭き門であるはずの心理職に進む所に見通しの甘さが感じられる
専門職である心理職は、何かの代わりに選んで成れるような進路ではない
(正直、指導教官や周りは大学院進学を止めなかったのか。それと、こんなにふわっとした見通しの甘い人間に、臨床心理士試験の面接官はよく合格を出したな)
「甘く見てましたね。まさか文系の大学院卒がこんなに就職できないとは」
「大学院では心理臨床コースを選択、卒業後に臨床心理士の資格を取得した上で再び就職活動に臨んだ(ナレーター)」
「2013年度 青明大学大学院入学式(大学院時代の写真より)」
2.2履歴書(一部抜粋および組換え)(出典はhttps://twitter.com/i/events/868751617960443908:title=こちらから)
【提出先(※推測)】
【提出日】
2014年12月15日(※大学院2年(最終学年)の12月に提出したものであると思われる。つまり、物語開始より1年前ほどのものになるか)
【生年月日】
【住所】
神奈川県横浜市都筑区黒沢5-5-6(※黒沢は架空の地名とのこと)
【学歴】
【資格】
2012年6月 実力英語検定2級(※いわゆる英検は、正式名称が「実用英語技能検定」であるので誤記の可能性がある)
2014年12月 臨床心理資格(取得予定)(※ナレーションでは「臨床心理士」と言っているため、誤記の可能性がある)
趣味はカフェ巡りです。特技は整理整頓です。サークルはお散歩サークルに入っていました。
具体的な内容:上記のテーマを「幼少期の両親の養育態度」と「甘え」の観点から分析しています。この研究で青年期になっても対人関係にコンプレックスを強く持つ者は、幼少期に両親から否定的なイメージを受けており、「甘え」という行為が成立していなかった場合に多く見られた。これによって「甘え」の形成は対人関係を育てることが分かったが「甘え」の感覚を得るには両親との幼い時の関係性が重要であることが学びとれた。
真面目なところと思いたったらすぐに行動するところです。
私の長所は真面目な所です。頼まれた仕事はきっちりこなす性格です。短所でもありますが、突拍子もないことを考え、思い切り突っ走ってしまい、びっくりされてしまうことも多いですが、その新しい発想のおかげで上手く運んだこともあったので、長所としてとらえています。
【学生時代に打ち込んだこと】
心理学の研究です。私は人の役に立つことが好きで、人が何を求めているか察知できる人間になりたいと思い、心理学を専攻しました。心理学で学んだことをアルバイトでの接客でも発揮され、お客様が求めていることを先回りして提供することができるようになりました。今後も、会社というチームの一員として自分に何ができるのか、お客様には何を提供できるのか、心理学を生かして察知していきたいです。
【志望理由】
私は貴社で、新商品の開発や企画に携わりたいです。貴社はもぐもぐ蕎麦という今までこの世になかった新しい商品で、世界の食文化を変えた会社であり、私ももぐもぐ蕎麦のように世界の文化にインパクトを与えるような商品を開発したいと思っています。大学では色彩心理学や希少性の原理などを学び、消費者心理についても研究してきました。大学院まで心理学を勉強してきたことを生かして、消費者がついつい買ってしまいたくなるようなアイデアを提案したいです。
世界中の、とくに栄養の不足に悩まされている地域の人々に、自分の開発した商品を伝え、健康を改善してくことが夢です。栄養不良に悩まされている人は8億人以上いるといわれていて、普及するには手軽さ・価格の安さ・おいしさの3つが必要だと私は考えます。そのまま食べられる、あるいは水やお湯などをかけるだけで簡単に作ることができ、安価ながらもおいしい食材で作られた商品を開発し、世界に広めたいです。
「青明大学 舞台」で調べた所によると、ロケ地自体は「日本大学経済学部7号館の前」との情報がみつかった
「青明大学」と同名の大学は勿論ないが、名前の響きからして「青山学院大学」や「明治大学」「明治学院大学」が近いと思われる
何となくこういうリア充的な雰囲気の学生は青学じゃねえのかという偏見がある。というか、青学は児童系の心理に強いイメージがある。なんでそんな大学院を選んだんだこいつ。何も考えないで生きてんのか
この場合、大学院修了後の2015年12月に臨床心理士資格は取得見込みとなる筈である
履歴書には「2014年12月 臨床心理資格(取得予定)」となっているので、資格名もしくは取得時期については現実の制度とは違いがある
ナレーションの説明とも乖離が起きているので、作成したスタッフの誤記や勘違いの可能性がある
他の資格について、大学1年生の11月に漢検2級を、大学4年の6月に英検2級を取得している
全体的に、こんな薄っぺらいやつ採用試験で落ちて然るべし。もっとちゃんと考えて進路決めなさい
漢検や英検くらい高校で取っておけよ。というか、色彩心理を研究したというなら、「色彩検定」とか「カラーコーディネーター検定」とか、色彩計の資格を取っておきなさいよ。
商品開発したいなら、日本商品開発士会の資格でも取りなさい。合格率も低くないみたいですよ
他国に自社の商品を売り出したいと思うなら、TOEICとTOEFLくらい受けておく発想には至らなかったんでしょうかねえ……
履歴書とは関係ないが、人事に行きたいなら産業カウンセラーを取りながら就職活動をしても良かったのでは……
臨床心理コースなので仕方がないが、「青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」と志望部署の関連が薄い。本気で商品企画・開発したい人の選ぶ心理ではないよねえ
「青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」は手垢が付いたような薄い研究なんよ。青年期を対象にした研究室でよくある、質問紙を都内大学生に沢山配ってやるような量産型研究なんですよ。土居健郎の「甘えの構造」とかを理論的支柱にして、適当な尺度を組み合わせて因子分析とか重回帰分析掛けるとそれっぽいデータが出るんですよ。そこらの大学の卒論発表会レベルのものを、大学院でやってはいかんのですよ。指導教官何やってんの。きっとこれじゃ、修論審査会でボコボコにされますよ、本当に(ry)
真面目な話、それは昔から言われてるんだよ
やりたくないのは管理する側の立場であって、メンバーを入れ替えないと組織の階層、カーストが固定されるのは社会人でも同じなんだよな
しかし、ケーキが切れない非行少年少女のようなIQが低い生徒は遵法意識も低い、流石に社会的に最低限これはマズいという価値観が根底からない
こういう生徒をブコメにあるように教師側が対応しろというのは無理があるだろう
実際のところ、こういった問題を諸外国でさえ上手く対応できているのか、すべては知らんが自分には疑問に思える
となるとスクールカウンセラーなどという甘い話ではなく、医療機関、少年院のような施設も一般的な教育施設と連携していく必要がある
でも、政治家も教育者も、デジタル教育がどうのという話はしたがるが、本質的に人をどう管理するか、育成するかということはやりたがらない
単に面倒なんだろうけど
かれこれ17年くらいの付き合いになる。
きっかけは両親の離婚と、同時にあった学校でのストレスだった。
今もそういう文化があるのかは知らないけれど、所謂「手がかかる子のお世話係」になったのだ。
6年ぶりの再会だった。彼女は6年前と変わってなかった。
学生時代の「6年」がどれだけ重いものか。全く変わってなかった彼女に、私がどれだけショックを受けたかは、今表現する語彙を持たない。
自分で言うのもなんだが真面目で先生からのウケも良かった私は、どんな時も彼女と一緒に組まされた。
3人以上で組まなきゃいけなかったときは、みんなが私たちを避けた。結局大人しい幼なじみがお情けで組んでくれることが多くて、申し訳なかった。
そんなことがあっても、私は誰にも相談できなかった。
弟たちの世話もしなきゃいけなかった。スクールカウンセラーに相談しても、「頼られてるってことなんだよ」と言われて話にならなかった。
気が付いたら、家でも学校でも自分の髪を抜くようになっていた。
頭頂部がだんだんハゲてくる私を、クラスメイトはもっと避けた。
面と向かって「おまえの髪の毛掃除する身にもなれよ」って言われたこともある。
家には自分の部屋はなかったから、どうやって家族に誤魔化すかで必死だった。
これは人によると思うんだけど、私はひとしき髪を抜いたら、そこから一切抜毛しない時期がある。
で、私はこの半年の間に「自分は抜毛癖が治ったんだ」と錯覚する。
でも毎回必ず再発する。原因はまたストレスだったり、ただどうしようもなく頭皮が痒かったり。
抜毛癖ってどうしたら治るもんなんだろう。
調べても結局精神療法しかないみたいだし、あの頃のスクールカウンセラーみたいなことを言われると思うと怖い。
でも、行くしかないんだろうな。
お前も、というかお前こそが人の話聞く気がない(=認知の歪みがある)よね
カウンセリングってのはそれを軽減していく場なので一応続けることが大事だと思うよ
スクールカウンセラーなら無料だろうし
夏休みで心がやべえと思ってセルフCES-Dしたらスコア50で数値高いしなんかやべえんじゃね?と思った。かと言って病院行くほどでもないと思ったので所定の手続きを踏んでスクールカウンセラーとビデオ通話した。
いや別に誰も悪くないし、SCさんもいい人なんだと思う。あれで救われる人もいるはずだ。ただ、俺には合わなかった。いい人だからこそ俺みたいなやつの悩み聞かせるのは申し訳ないなと思ってしまった。
流れとしては、初対面なので挨拶や世間話をして、セルフチェックでやばげな数値出たんですが〜って現状を伝えたら、それに対する自分の意見を求められたから常にこのスタンスで生きてきたけど最近希死念慮が強くなっていてその原因がわからないと素直に言った。そうしたらSCさんはコロナ禍云々受験のストレス云々とそれを周りのせいにしだした。は?と思ったけどとりあえずニコニコしながら相槌うってたんだ。つまりSCさんが言いたかったのは「君がそう思うのは周りの環境が悪いからだ」「君は悪くない」「自分を褒めて生きよう」ってことらしいんだが、それができてたら困ってないんだよなぁ?俺の話聞く気ある?って感じだった。
まあ俺の求めてたカウンセリングとSCさんのカウンセリングが違ったってだけなんだが、なんかやるせないから日記書いた。俺は多分、他人から見た自分を知りたかったんだろうな。
40代夫婦、中学校2年生(都内私立男子校 中高一貫。本人が希望して入学したが、少し勉強についていくのに苦労している)の3人暮らしの我が家。
夕食の席で、中学校2年の息子が「学校のことで話をしたい」と言い始めた。
そして、家族会議をすることに。
議題は、彼の「学校でのこと」について。
俺に似て、ナードな息子は「運動部の奴らにイジられていて辛い」と話し始めた。
運動部に入っていたが、同年代の子に「辞めちゃえばいいのに」と繰り返し言われて辞めたという経験がある。
俺は運動部が憎い。
自分が中学生の時も、サッカー部と野球部の連中は我々のようなスクールカーストの低い人達を虐げていた。
坊主憎けりゃナントカだとは分かっていても、本当に気に入らない。
本人の希望で、スクールカウンセラーにも相談に行っている。
カウンセリングの内容は当然だが、親も知らない。
息子は「話せる人がいるのはありがたい」と話している。
この年代で、親に話せないことがあるのは当然なので、援助希求能力を上げるためにもとても大事だと思っている。
ところで、我が家では、家族会議のときには、いつも俺が議事録をつくる。
Macにメモをとりながら、Apple TV経由でリビングのモニターに映しながら、問題を外在化しようと試みるのだ。
そこで、ある程度のフェイクを入れながら、下記に転記する。
___________________________________________________
*息子より問題提起
「授業中など勉強しているときに、運動部でイケている感じの奴らに後ろからちょっかいを出されたりする」
「進学校だからか、勉強も運動もできるやつは威張っている。とくに背の小さいやつをイジってくる」
「家庭科の授業中に後ろから糸くずを置かれた。遠くで笑われたりする」
「ちょっと気分が悪い。それが辛い。」
「体育の時間にいろいろ言われるのが辛い。たとえば、「邪魔」「動けよ」「ちゃんとやれよ」「デブ」ということを言われて、大変だと思っている。」
「いろいろ試してみた。キチンと嫌だと言ったり、おちゃらけてみたり、ちょっとキレ気味にいったり。でも、どんな風にしても馬鹿にされる」
「次回の(スクール)カウンセリングで(このことを)聞こうかな、と思っている。」
>妻「Sくん(彼の仲の良い友人。自分と同じようにイジられている立場だ、とのこと)も同じような感じ?」
息子「Sくんは、教室の後ろの方の席だから(息子ほどでは)ない」
>妻「特定のひとに言われるの?」
息子「5〜6人くらい。あとから、のっかってくる人もいる」
(他にも具体例はあったが省略)
>妻「私はSくんの親とも繋がりがある。Sくんの母親に相談するのはナシ?」
息子「それはSくんに悪い。話していない可能性もあるし」
息子「(あるいは)Sくんもカウンセリングに言ったら、楽になるのではないかと思う」
>妻「いつ頃からなのか?」
>妻「他にも言われている人はいるのか」
息子「Kも、デブとか言われている」
息子「カウンセリングでは言おうと思っている」
>妻「結局、(前の部活)もそういったことで辞めていることもある」
息子「そうだね」
>妻「介入するべきかどうかは迷っている。でも、介入が必要なようにも感じる」
>父「『イジる』というのはプロの行為。素人が真似していいものではない」
(ハラスメントについて、適当なPDFを探し、参考資料として共有)
https://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/kk-010/documents/harasumentobousi.pdf
息子「うーん。今の時点では、よくわからない」
息子「いえない」
>妻「たとえば、こちらとしては保護者会の後に、先生にお話しをしてもいいとも思っている」
>妻「でも、あなたが『言ってほしいかどうか』を大事にしたい」
>妻「自分としては、どうしようと思っているのか」
>父「気になったのは、助けてほしいかという質問に対して『よくわからない』という感じ。少し不思議。もう少し詳しく聞きたい」
息子(息子の現状への認識の話)
息子「自分はオンラインで仲の良いゲーム友だちもいる。まだ頼れるところもあるし、大丈夫だと思う…という感じ」
息子「(息子が)イジられなくなると、他の誰かのところに行くのではないかと思っている。先生に相談できない一番の理由もそれ」
息子「奴らは次の標的を探していると思う」
息子「一番自分と仲の良いSは友達もあまりいない。心の拠り所もなさそう」
息子「だったら、自分が(ある種の)タンク役として、受けられるといいのかとも思う」
>妻「息子は、イジりに対して、反応がいいのではないか」
息子「反応は良いと思う。アイツラは楽しそうにしているし」
息子「実際、格好の餌だと思う」
息子「ただ、ひとりだけ本当に嫌で…〇〇って奴」
息子「あいつの弄りは本当に嫌だったから、その人からは本当に距離を置くようにしている。物理的に。ただ、それはそれで反応を面白がって近づいてくる」
>父「次の標的を探している→だから自分が犠牲になるべきだ、というのは、ある種の過大な自己評価ではないか」
>父「彼らは単に反応のよい人に触れているだけ、とも思う。ボタンを押して、反応するのが楽しいような原始的な感覚」
息子「(モニターをみながら)文字だけ見返すと、確かに過大評価かもしれない」
息子「でも、家庭科の授業のときに、◆◆が小声で言っていたのは『いじめるんだったら、Sとか(息子の名字)とか…』と言っていた」
息子「遠くでこちらをみて、笑っていることがある。本当に、こっちをみているかどうかはわからないが…」
息子「Sについて、責任を感じる必要はないかもしれない。でも、万が一、あるいは数%でもそういう可能性があるのは『怖い』と思う」
<話し合い中、またはその後の息子の反応や言動>
(話し合いの最中から涙を流し、一時中断した。15分程度、タイムアウト)
(話し合った直後)
息子「学校のことで時間をとってくれてありがとう。少し楽になったよ。助かった」
(しばらく経った後に泣きながら)
息子「なんか、いろいろと思い出して辛くなった」
息子「学校で色々言われていると『自分は消えてなくなった方がいい』と思うこともある」
息子「家でも居場所がないように感じてしまう。自分がいない方がいいようにも感じる」
<話し合い後:今後の具体策>
定期的に、家族へ現状の報告をする
場合によっては両親の判断で「タオル」を投げる(両親としては現時点でもタオルを投げたい)
カウンセリングの先生との面談が3日後。そこで話してみる(こちらの会議内容のコピーを持参してみる)
→毎日の出来事やカウンセリングでの反応をみながら、適宜、話し合いを持ちたい
__________________________________________________
と、まあ、こんな感じになりました。
子供の抱える問題は、どこまで介入するか、とてもむずかしいなー。
悔しい。
遠くから悪口が聞こえたり、自分の存在を消してしまいたいと思うなんて、ちょっと鬱だよね。
なぐりてえ。
ウチの大事な息子をそんな目に合わせた奴らのことを殴りてえ。
でも、殴ったらいけないことくらいは分かっている。
彼らにとっては本当に些細なことでも、居場所を失いそうなくらい、息子は気にしているんだ。
息子が嫌がることをしないでください。
本当にお願いします。
もっと早く気づいてあげられてたらなあ。
ごめんな、ごめんな。
ごめんな。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 90 | 15050 | 167.2 | 49.5 |
01 | 102 | 13383 | 131.2 | 44 |
02 | 31 | 2581 | 83.3 | 43 |
03 | 13 | 1893 | 145.6 | 97 |
04 | 11 | 5466 | 496.9 | 102 |
05 | 12 | 1399 | 116.6 | 62 |
06 | 18 | 1116 | 62.0 | 35.5 |
07 | 70 | 4527 | 64.7 | 49.5 |
08 | 39 | 2868 | 73.5 | 53 |
09 | 124 | 11971 | 96.5 | 47 |
10 | 181 | 17343 | 95.8 | 51 |
11 | 154 | 15019 | 97.5 | 46 |
12 | 198 | 13113 | 66.2 | 34 |
13 | 157 | 11796 | 75.1 | 39 |
14 | 119 | 8220 | 69.1 | 48 |
15 | 124 | 10184 | 82.1 | 34.5 |
16 | 196 | 17555 | 89.6 | 39 |
17 | 156 | 10290 | 66.0 | 33 |
18 | 130 | 9730 | 74.8 | 33.5 |
19 | 121 | 7313 | 60.4 | 28 |
20 | 131 | 12374 | 94.5 | 43 |
21 | 153 | 17111 | 111.8 | 54 |
22 | 77 | 13890 | 180.4 | 35 |
23 | 90 | 9153 | 101.7 | 52 |
1日 | 2497 | 233345 | 93.5 | 40 |
歪めろ(14), 折れろ(4), あまえんぼ(4), 桐生(3), スクールカウンセラー(3), リッツ(3), ルルブ(5), カプセル化(6), 応援歌(5), ほなら(13), 政権運営(5), 戸田真琴(3), 嗜好(31), 分散(11), 只(8), 折れ(19), 民主党(11), 譲ら(6), 民主(7), 悪いっ(7), 在日(5), エヴァ(6), 内面(10), 人格(33), 自民(13), 欲望(15), プレッシャー(7), 政権(16), キャンペーン(7), 役所(10), 野党(15), 自民党(16), ロボット(13), 年金(19), 尊重(16), 安倍(14), 罵倒(13), 新卒(10)
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