2022-10-03

ADHD自殺した人が実は思春期情緒不安定/ブレインフォグ/虐待後遺症だった可能

発達障害歴史

1980年: DSM-Ⅲで発達障害として概念化される

2000年: DSM-Ⅳで診断基準が緩くなり発達障害ブームが起きる。ADD概念によって見過ごされやすい目立たないタイプもいると理解されるようになる

2004年: 発達障害支援法が出来て発達障害支援ブームが起きる。補助金詐欺、過剰診断が指摘されるようになる

2007年: 乱用が問題視されていた医療覚せい剤(リタリン)の新型(コンサータ)が日本で認可されるも、診断と処方を求める者の増加は続く

2013年: DSM-5でさら診断基準が緩くなる

自殺した彼は2000年まれで、ADHD診断が降りたのは18歳(2018年)。

すなわち発達障害ブームの真っ只中、スクールカウンセラー発達障害児の支援職・放課後デイサービス担当者大人当事者らが血眼にして「発達障害の疑い」をかけまくっていた時代子供時代を過ごしている。

しかし彼は発達障害とされることはなかった。

 

かつての診断基準幼児期から症状が出ていることが発達障害(=先天性で治らない)の条件だった

しか2013年思春期以降から症状が出始めることに基準が変わったので

養育環境/生活習慣の問題思春期情緒不安定など後天的で治りうるもの発達障害と呼ぶ。

 

彼の脳には自殺に値する先天性で治らない障害があったのだろうか??

滝川一廣「診断とは何かということです。医師風邪と診断するのは、自然科学です。疾患が起きている体の場所、起きる仕組み、病気の原因が共通しているとき、同じ種類の病気だと診断できる。しか精神障害は、外から見たその子の行動の特徴を分類し、引き出しに入れることにすぎません。自閉症の引き出しに入る、あるいは知的障害の引き出しに入ると。精神障害の診断は医学的診断ではありません。社会的判断です。」

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