はてなキーワード: グラデーションとは
痴漢冤罪は多いと思ってきた。
特にネット上だと頻繁に話にのぼるし、痴漢が話題になると冤罪の話題もレスにつく。
痴漢を捕まえたという女性には、表面上は同情こそすれ内心では「マジで?本当に確信ある?冤罪だったんじゃないの?だって冤罪されたら男は人生終わるよ?」と思ってきたんである。
ところが先日、姉が母に痴漢されたと話しているのを聞いて、「姉ちゃんみたいなの触るヤツいるかよ痴漢冤罪も多いし…」みたいな反応をしてしまったところ(家族だから油断した)、まあ死ぬほど怒られたわけです。
女子校育ちの姉はもちろん母までもが痴漢の被害に遭ったことが両手でも足りないというのである。姉も母も自分同様並以下である。
姉が言うには「冤罪が多いってのはどういうソース?痴漢の何%?」と。
何%かは正直分からないが、ネットでの話題ののぼりかたを見るに、1割程度じゃないか?みたいな返答をすると、
「へーじゃあ聞くけど、私の友達や高校時代のクラスの女子はほとんどの子が複数回痴漢に遭ってるんだけど、アンタの友達に痴漢冤罪で捕まった人何人いるの?大学に10人以上は男いるよね?何人?」と。
言われてみれば、自分のごく周囲にそういう人はいないのだった。
いや、出身小学校の教師に捕まったやつはいるし、冤罪を訴えたこともあったが、そいつは常習であることがあっという間にバレた。
冤罪運動をしている人が実は常習で再逮捕されたという話も聞く。キンコメ高橋も冤罪って言ってたなそういや。
これはアレだろうか。痴漢で受けるダメージにはグラデーションがあるが、痴漢冤罪で受けるダメージはあまりにもデカイのが恐ろしくて、自分は針小棒大に感じていたんだろうか。
冤罪めっちゃ恐い。恐いが、交通事故よりは少なそうではある。どうせなら正しいパーセンテージで恐がりたい。
しかし、どう頑張っても自分は自分の周囲でしか実数を実感できない。
なので、
・うち検挙数
美濃加茂市ののうりんポスターの件についてダラダラと。長くてごめんなさい。
こんな一瞬でゾーニング事案だなーと判断できる事で賛否?と思ったけれど、
twitterで美濃加茂市を擁護する人たちの苦渋に満ちた様子を見るとなぜかそんな簡単に割り切れるものじゃないらしい。
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20151201/E1448932351189.html
↑に賛否両論の要約があるが、
擁護派の多くの意見は各々の感情をそれ風な理屈で見えづらくラッピングしたものでしかなく、
ポスターを見た子連れの母親ひとりの「エロいポスター貼るな」の感情的な一言に耐えられる強度には到底達していないと思う。
本来、この話は「エロに限らず、パブリックな場に好き嫌いの分かれるものはやめよう。見たくない人が避けられないから」で終わりなはずなのだ。
表現規制とかフェミニズムとかセクシズムとか男女非対称性とかオタク差別とか逆差別なんてものよりずーっと前の段階の話をしている。公共の福祉だ。
しかし、賛否の溝は埋まらず、対話なき泥沼戦争、納得のない罵倒合戦に突入している(ネットの一部で笑)。
擁護派の不満と鬱屈は吹きだまり、彼らの苛立ちと諦念はつのっている。「これだからフェミは…」「PTAかよ」と唾を吐く。
彼らは何かにむかついている。自治体ではなく、自分たちへの強い抑圧を確かに感じている。ポスターをはがされた事以上の抑圧を。
多くの擁護派=いわゆるオタクがクレームに対し息苦しさを感じている、その根幹の感情は何か?
自分たちの愛する創作物が「猥褻物」とカテゴリーされたように感じるのが堪え難いのだと思う。
twitterで目についたオタクの多くが感じているらしい理不尽は、「実写の水着の女性ポスターはあるじゃないか」「コンビニのエロ本は…」「〇〇は…」そして、「何で二次元だけ」。
これらの不満はその例の全てが、適切なゾーニングが全ての性的な要素を持つものになされていないため起きた問題だ。
見たい人が望めば検索して1秒でエロにありつける時代に、見たくない人がコンビニでエロ本を目にしてしまう世界は絶対におかしいと私は思う。
そんなゾーニングの未熟な日本の「猥褻物」の定義は、ひとつ明確には、性器が見える事。
それに伴い法律逃れの暗黙の了解に基づいた謎文化”モザイク”はひどくガラパゴス的で、はっきり言って非常にバカバカしい。
二次元のちんこに黒線を引いているのも、裸のうんこと一緒にモザイク付きのまんこが映ってるのも、本当にバカバカしい。
一方でレスリーキーやメイプルソープ、ろくでなし子などのアート作品を「ムシュウセイだからワイセツ」と取り締まるなんて、もう、自分たちはエロにすらマニュアルがなければ判断の下せないアホですと言っているに等しい。
公的機関が定義におもねるあまり認知が歪んでいるから、今回の絵の性的な香りに自治体が気付けないし(アホか)、撤回されたらされたでファンは「自治体に猥褻とみなされた」と傷つくのだ。
もっと単純に考えよう。国が定めた「猥褻」なんていいかげんな基準に従ってものを取捨選択することが最早今の時代ではリアリティがないのだ。私たちは未来へ進まなくてはならない。
もうさ、全ての表現物は映倫みたいにレーティングしよう。写真も映像も文章も立体物も漫画も音楽もイラストも広告も製品も。一般、R12、R15、R18って。
R18以上は全ての表現規制禁止。性器にモザイク廃止。完全なる自由。
R15は今回ののうりんみたいな判断分かれるなってやつ。R12は水着とか肌面積多いやつみたいな。
んで置く場所を決めるの。公的だって判断された場所では最低でも一般以下の表現しか置かないようにしましょう。自治体、駅、公道とか。コンビニとかyahooなどのポータルサイトとかはR12とか。
大衆本屋なんかはそれぞれ置く場所を変えて、「嫌なら見ない」「触れない」ができるようにしてほしい。もちろん配慮しない店があってもいい。入らない自由があるし。
ていうのは超適当な妄想だけど、それくらいのグラデーションで分けてやっと個人の最大公約数的な”快不快”に寄り添えるんじゃないかな。
ていうかこの案、あまり今と状況が違うとは思わない。めんどくさいだけで。R15、12なんて自主規制の範囲でできるんじゃないの(それが理想)。
んで全てのものがこれくらいライトにレーティングされることが当たり前になれば、「猥褻物」なんて屈辱的なレッテル無しに物事を区分できるのではと思う。ちょっとくらい基準が明確でなくても、18歳越えたら何もかも見れるんだしいいだろう。
今の公的な「猥褻物」の判断はおかしいし、本当に目的の性道徳・性秩序の維持に役立ってるのか?といえば、ジュニアアイドルなんてものを放置してる。あれがエロ目的でないなんて言う奴がいたらぶん殴ってやりたい。
最初佐野さんの原案デザイン以外を選んだ審査員は、どんな説得で最終的に佐野さんの原案に賛成したんだろう。
佐野さんの原案は静的で、色も高級感や伝統や落ち着きを感じる渋い印象だし、スポーツの祭典ぽくないよなあ。
決め手となったらしい展開力も発表された例ではどこが圧倒的に優れているのか素人の自分にはよく分からない。他のエンブレムになさそうな展開例って読みにくいアルファベットと積み木っぽいのぐらい?むしろメインカラーが黒色なのは展開しにくくないのかな?黒赤金に比べて銀色が見えにくいし。
佐野さんデザインは縮小印刷しても見やすいって意見や、他のデザイナーや素人が作ったエンブレム案に対して否定的な意見も見たけど、もし、佐野さんの原案と扇のデザインがエンブレムのコンペで最終候補に残ってたら、自分だったら扇デザインを選ぶけどなあ。色も形も動きがあって華やかだしお祭りっぽくて、みんなで盛り上げようって気分になる。
コンペ選定後で修正されるのは珍しくないことらしいので、だったら扇デザインだって色や配置を修正すれば良いんだし。
展開案も、素人考えで安易だろうけど扇そのものの曲線で大きくもドットで小さくも使えるし、ドットを使ってグラデーションも作れるし、グッズ展開もドット模様で可愛いのができそうなきがするし、賑やかに大会を盛り上げられそうだけど。
八百長の出来レースだったとしたら、せめて修正案のデザインでコンペ応募するくらいの工作すればいいのに。他のロゴと被りやすそうな文字のデザインは避けるとか、あらかじめ似た図案がないか事前に調べるとか、騙すんならもっと丁寧にしっかり準備してうまくやってほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20150706064349
http://anond.hatelabo.jp/20150706062532
手のひらサイズのコンパクトデジカメや、スマフォのカメラの場合、撮影データがJPEGファイルなので、
解像度が大きくても数メガバイトだけど、一眼レフ等の一応プロ用カメラになると、
RAWデータファイルなので1枚につき 50MB とか70MB みたいになるんですよ。
RAWそのまま渡しでは一般の人は見られないし、
RAWは12~14ビットの広い階調(JPEGは8ビットの狭い階調)のデータを内包しているので、
その14ビットの階調をどうやって、8ビットの階調に落としこむか?が現像と呼ばれる作業でして、
明るい部分はギリギリ白飛びするくらいに輝かせて、グラデーションの綺麗な部分により多くの階調を割り当てるようにしつつ、
暗い部分の階調も残すと、メリハリの効いた、良い感じの写真になるんですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20150410101845
エウリアンにはついて行くな
秋葉原などの繁華街で絵葉書を無料で配っているお姉さんたちがいる。
しかし、ついうっかりお姉さんから絵葉書をもらってはいけない。
言葉巧みに画廊へと連行されて、気が付くと大して価値もない絵(というか版画)を、何十万ものローンを組まされて買う羽目になる(絵画商法)。
エウリアンにも新社会人にも全く興味はないんだけど、版画への冒涜は許さん。
君が代に過剰反応する左翼のように、どんな文脈だろうと、どんな事情があろうと、版画をdisられるとプッツんしてしまう。
エウリアンの売る版画というものがどんなものか知らないけれど、これだけは言える。
生でみなければ、版画の魅力はわからない。
否、
触ってみなければ魅力はわからない!
断言するけど、江戸時代の浮世絵から最近の現代作品に至るまでの伝統木版画、これを見たことがある日本人はほとんどいない。
そんなものは、世界の車窓からのDVDをみて海外旅行に言ったと言ってるようなもの。
和紙の質感!どんなに拡大しても粒子が見えてこない無断階のグラデーション!摺りによって出来た凹凸!
まず、床や机において窓から差し込む斜めからの光のもとでみて堪能。
テレビ番組の映像や、窓から差し込む車のヘッドライトが絵の面を瞬間的に照らした瞬間も美しい。
入ってくる光の方向、光の種類によって、表情が変わる。
そして、やっぱり手に持って鑑賞だ。
パンツが見えそうで見えないグラビアを、下から覗いてみえないはずのパンツを見ようとする、アレを浮世絵でやるとすごい。
ちょっとだけ見える。見えないはずのところが本当に見えてくる。
目の錯覚でしかありえないんだけど、紙のたわみと、光の加減で、ときどき本当にみえてくる。
うわぁぁんってなる。
ぶっちゃけ、浮世絵美術館、あんな一般展示なんかやめてしまえ!!
額やショーケース越しでしか見れないなら、触れないんなら、カラーコピーで十分だろ!
額装やショーケースに入れる職員の目しか楽しませられないなんて、時間も無駄!文化財の無駄!
触らせないんなら燃やしてしまえ!
よさが微塵も伝わらないのに飾ってみせる価値が有るのか?
1億円と書かれた小切手を飾って見てるようなもんだろ。
医学とか物理学とかは、100年前と今では大きく違うけど、絵は、たいした進歩してないだろ?
ぶっちゃけ、1万5000年前のラスコーの壁画と、そのへんの美大生の絵のどっちが上手いかって言ったら、芸術とかよくわからん俺にはどっちが上かわからん。
でもね、印刷という技術を手に入れた、触れることが出来る!その素晴らしさ!
俺ね、江戸時代の浮世絵の価値は認めるよ、でもさ、浮世絵のいいところって、ライブ感なわけ。
絵師が描く、描いた絵は板に貼り付けられて、その上から刀を入れられて紙ごと彫られてゴミとなってしまう。
絵師の絵を活かすも殺すも彫師次第。
それから、色の指定があって、色の数だけまた彫りがあって、そんで摺師が摺って、試しに作ったものに対して、あーでもないこーでもないっていうディスカッションがチーム内でされたわけ。
色の調節をして、時に柄を変えて、セッションによって出来上がる。
売りだしたあとの、町の人々の評判さえも取り込んで、みんなが主役のライブだったわけ。
俺、音楽はよくわかんないけど、たとえしょぼいバンドの小さなライブハウスでのライブでも、有名フィルの録音にも負けない感動があるでしょう?
一番有名どころだと、北斎あたりだと思うけどね、もうね、ヤバいの。
元々が天才でしかも努力もしまくったらこうなるってやつ。努力ってのが普通の努力ってんじゃないの。
だいたいにおいて、他派の画法を学んで破門されたあたりからだけど、もう何でもあり。
大和絵も漢画も銅版画も油絵も、手段を選ばず学んでるようで、見りゃ誰でもわかるんだけど、もうホントヤバい。
すべて独学で。本読んで覚えたってより、ひたすら描いて描いて描きまくって吸収したという感じで。
貧乏の理由が、お金を封筒でもらったまま中身の確認もせず、支払いの時には「その封筒からもってけ」くらいに無頓着だったからという馬鹿。
掃除をすれば、「ここにあった蜘蛛の巣どこ行った?(描きたかったのに)」くらいの馬鹿。
誰よりも自信家で、本が売れたのは俺の挿絵が良かったからだ!と言って作者と喧嘩する傲慢な一方で、猫がうまく描けないっていう理由で80歳で悔し泣きをする馬鹿。
30回画号を変えるってのがもうよくわからん。たとえば漫画家が30回名前を変えてデビューするとかないだろ。売れっ子が新人に戻るってことだろ。馬鹿かと。いや馬鹿だよ。
そんな絵中心のわけのわからない生活を、88歳で死ぬまで続けちゃうってのがもうね。
例えば、水木しげるが週刊少年ジャンプで週刊連載をしてて、CG(北斎はコンパスや定規やらも使いこなしてるようで、幾何学や製図も知ってる様子。当然おそらく独学)を使いこなし、ありとあらゆるジャンルを書き分け(春画から、行ったことのない中国の古典小説の挿絵まで)、30回新人デビューとかしてたら、人間じゃないだろと。
で、そんな北斎の線ときたら線の始まりから終わりまで、この線以外じゃダメっていうカンペキ。筆の入り、筆の終わり、太さ細さ、もうすごい。線が凄いってわかるってことは、彫師が凄い。フリーハンドじゃアリエナイような精密で、コンパスや定規ではありえないような強弱があり、油絵なら何度でも塗れるだろうし鉛筆なら何度も消せるし、CGなら何度でも書き直せるけど、最小限の輪郭線で森羅万象を切り取ってる。
写真を目指してたんじゃないだろうか。
写真というものがなかったので、目指してたというのは変な話だけど、露光時間調節やピントズレに近い表現があって、写真を目指し、写真を超えたなにか他のステージに足を踏み入れようとしてた、ように思う。写真なんかなかった時代に。
で、それがわかるっていうのは、彫師がすげぇ。
摺師がすげぇ。
俺がこの数ヶ月で買い集めた70枚ほどのほとんどは復刻だけどさ、復刻もまたライブなんだよ。
摺る工程を見せてもらったわけ。
濃い絵の具を数種類用意するだけで、都度混ぜて薄めて版木に塗り、摺る。
なんということだと思わないか?同じものをたくさん作るなら、同じ濃度に調節したプレミックスを作っておくべきだろう?
絵師と彫師と摺師だけじゃないの。
版木を作る職人、紙を漉く職人、紙にドーサを塗る職人、絵の具を作る職人、バレンを作る職人、数えきれない職人たちのライブが木版画。
だから響いてくる!
で、ライブが存続するためには、絶えず誰かが買わないとダメなわけ。
材木から板を作る職人は消えちまったそうだよ。ただ板を平らにするだけじゃダメらしい。
バレンを作る職人も消えかけらしい。
だからさ、エウリアンが木版画を扱ってるかどうかはしらんけど、なりふり構わず売るということは少し理解できる。
俺だって、1ファンとして、こんな見苦しく匿名掲示板で見苦しく宣伝してるけどさ、どうせ中の人だろ、ステマうぜえって思われてるんだろうけど。
日本中の浮世絵美術館が燃えることより、職人がいなくなることのほうが損失はずっとずっとずっとデカいんだよ!
復刻浮世絵なんて一万円そこそこで買えるんだよ!
数万円となった山桜の版木を何枚も使うわけだし、キャリア何十年の職人が一月かけて彫るだけで、いくらの人件費だ?
キャリア何十年の摺りの職人が、今では手に入らない材料で自作した絵の具で、人間国宝が作った紙に摺る。
一枚200枚やそこらは売れないと滅びるだろ。
お願いだから買ってやってくれよ。
俺がビルゲイツだったら、もっと買ってやれるんだけど、安月給なサラリーマンじゃこれが限界なんだよ。
財布に入ってる1万円札、あれに1万円の価値があるのか?あんな小さな銅版画にわくわくするか?
せっかくだから文句を言いたい。
千円札の富士山わからんでもない。写真を銅版画にするなら許せる。
5千円札、2千円札、屏風絵を銅版画にするとか、絵巻物を銅版画にするとか馬鹿なの?オマージュにしたって、もうちょっと工夫しろよ。
100万円札を和紙で作れ!木版画で作れ!一枚一枚違う味があって味があるだろ!
偽造されてしまう?
偽造けっこう!本物と見紛うような彫りと摺りの技術が世界中に溢れれば、日本銀行の信用がどうなろうと、人類の幸福の絶対量は増加する!
木版画紙幣の発行は無理でも、一つの可能性として、造幣局で木版技術に関わる職人を世話してやってはくれないだろうか。
造幣局に一人くらい、材木から板を作る職人がいたり、絵の具を調合する職人がいたっていいだろう?
多少脱線しましたが、そういうわけで、ちょっとだけエウリアンを擁護してみました。
終わり。
考えてみればライブって凄いよな、芸術家って、基本的に俺が俺がじゃないか。
当然だけど、絵も彫りも摺りも極めることなんか出来ない。
それが、分業制、買う客の声も含めて、一人一人が主人公、思いがけない方向に転ぶ面白さ。
今でも、現代作家が版画にするために専門業者に頼んだりはするけれど、基本は作家の意思が優先で、作家の作品という域を出ない。
やはり、売れないことには、ちまたに溢れないことには、あれがいいこれがいいと話題の中心が木版画にならないことには、木版画に未来はない。
音楽としてどうかはわからないけど、AKBの会いにいけるアイドルという路線は、一つ評価したい。
あれが、理想の姿。
巷に日々木版画が溢れ、あれがいいこれがいいと、皆が好きに意見を言う。
町の人々の意見を取り入れ、流行の先端を走り、絵師や彫師摺師が腕を振るう。
たまらんじゃあないか。
もちろんだけど、版画で見て欲しい。
でも、いきなり画廊にいって手で持って鑑賞するってのもハードルが高いかと思うので(実際はけっこうこころよく手に持って鑑賞させてくれるよ)、伝わる部分、伝わらない部分をすこし説明しようと思う。
例によって、少し長くなるけれど、お付き合い願いたい。
かなり落ち着いてきたし、ずいぶんと絵の勉強もしたので、前よりもわかりやすく説明できると思う。
まず、色について。
画集はおそらく現存するもので一番古いもののうち、一番いい色のものを採用していると思う。
復刻版の浮世絵の色は、初版、あるいは最も有名な版の摺りたてを目指して作るというものと、摺ったものの経年変化まで考えて作るというものの2通りのものがある。
摺りたてを想像して作られてる。
そういう復刻版は明治大正の頃に作られていたんだけど、当時なら50年100年くらい経った浮世絵の再現ってことで、意味もあったんだろうけどね。
いまそれやったら、ほとんど灰色になってしまってよくわからない古ぼけた絵を作るってことだからね。
色については、復刻版のほうが圧倒的に綺麗。
ただ、いくつかの色については、江戸時代の絵の具そのものは使えないらしい。
たぶん、鉛とか水銀とかのように、水道法や毒劇物取締法にかかったりするものや、天然素材が資源保護の都合上手に入らなかったりとかだと思うんだが、詳しくは知らない。
それを差っ引いても、色については復刻版から見るべきだと思う。
画集ではとても再現できない。
まず空摺り、布目摺りという紙へのエンボス加工。
空摺りというのは、色をのせずに摺ることで紙につけるエンボス加工
たとえばこれ、巻物の縁の部分と、着物の衿の部分に注目。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/utamaro063/utamaro063_thumb4.jpg
布目摺りというのは、布を押し当てて紙に布のような質感を再現すること。
たとえばこれ、たなびく布が、本当に布のようなエンボスになってたりする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige175/hiroshige175_thumb5.jpg
これについては生で見ないととてもわからない。
スマホ画面で鑑賞するのに適した作品として、まず歌川広重の名所江戸百景の亀戸梅屋敷を挙げる。
寝る前によく眺めてる。
ゴッホが模写したとかで有名なやつらしい。
なれないうちは有名どころからいくといいよ。たぶん。
さて、画像検索すると、ピンク色に染まった空の一番上の部分が、ピンクから赤へのグラデーションのバージョンと、ピンクから青へのグラデーションの二種類がある。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/hiroshige160_main.jpg
http://www.gogh-ukiyoe-museum.jp/images/kameido.JPG
どっちが本物でどっちが偽物っていうわけじゃない。浮世絵って色の違う別バージョンが無数にある。
さて、それはさておき、俺はこの絵をみるときに、画面いっぱいに広がる梅の木の幹ではなくて、幹のあいだから見える、その向こうにいる人だかりを見てしまう。
というのは、画面いっぱいに広がる梅の幹の木肌が滑らかすぎるんだ。
木の幹は視界に入っているのに入ってない。
フェンス越しでも野球がみれるように、手前の木のピンぼけは、木の影から覗いてるという風に解釈してしまう。
ピンク色の空が幻想的で、幹と幹の間から見える遠くの人々の会話が聞こえてきそう。
遠くで友達が花見をしてる、それに混じりたいのに出て行く勇気がなくて遠くから覗くしかない俺、っていう架空設定をついつい脳内に作ってしまったりする。
さて、これだけでも手品みたいな画面効果だっていうのに、広重ときたらもう一つ仕掛けをつくってる。
次に、白梅の花に目を移してみる。
そうすると、白梅がとびだしてきやがるんだ。
さっきの野球の例えだと、フェンス越しに野球をみてて、ふとフェンスに焦点をあわせるとフェンスがブワァって飛び出してくるような感じ。
そんなこんなでまたいずれ。
楽なんです!寝坊しようがなんだろうがとりあえず手ぬぐい1枚をカバンでもポケットでも突っ込んでおけばいいんです!それだけです。これがすべてのスタートラインです。自分のほとばしる才能が恐ろしくなるほどこれだけです。安心感が違います。YATTA!!ありがとう手ぬぐい!!!
「手ぬぐい 使い方」とかで検索すると頭に巻くだのなんだの出てきますけど、手ぬぐいってこう使っちゃいけないなんていうルールないんですよ。あなたの思うがままに使っていいんです。使うと分かりますがとりあえずあるだけで安心できる存在になります。私は基本万能ハンカチ的な存在として使ってますが、好きなお菓子をくるんでもいいしこっそり小さな何かを持ち込みたいときに手ぬぐいにくるんでもいいんですよ。あなたにとって恐怖を覚えるほどに崇高なデザインであれば飾ってもいいです。ほこりを被らせたくないキーボードにファサッ…してもいいです。暑い日に首からさげて夏アピールしてもいいです。カイロ包んでもいいです。よごれたもの持ちたくないときにサッとくるんでもいいです。乗ろうとしたバイクが濡れてたときに使ってもいいです。海堂薫くんのように河原でブーメランスネイクを会得してもいいです。劇場で友人の涙をぬぐうために差し出してもいいのです。
明くる日にはうっかりデスクに麦茶こぼしたときの救世主になるでしょう。
どんなにずぶ濡れでも即乾きます。出先でびしょ濡れになった布ものってカバンの中に入れても濡れるし手に持ってても心がせつなくなりなおかつ困りますが、手ぬぐいならちょっと干すだけですぐ乾きます。環境にもよりますが1~2時間で完璧パーペキパーフェクト。ありがとう斉藤一!!ありがとう菊丸英二!!
最近はとくに多種多様な柄が手ぬぐい業界に出回っています。男女関係なくあらゆる年代にもベストヒットする柄が揃っています。単色ものからグラデーションかかってるもの、ぼかしが綺麗なもの、超多色使いのもの。手に持っているだけで季節が感じられるしっとりした風情あるものもあれば、大胆にキメた若者向けデザインも…モノクロからカラフルまでなんでもありです。近頃は漫画やアニメ作品とのコラボも多いですね。アメコミ界はとくにアツいです。
かと思えば古風な柄の基本形手ぬぐいに立ち戻り「やっぱりシンプルイズベストってやつかな…」などと思ったりします。まあ次の日エヴァ手ぬぐい使ったりするんですけど。
あと万能手ぬぐい的な使い方がメインの場合は基本たたんだ状態で使うことが多いので、でっかくテニプリのキャラが描かれてる手ぬぐいなんかでも、パッと見はよくわからないのです。ですから堂々と使って、元気を出したいときにこっそり広げて眺めてもいいと思います。少し前に話題になったネクタイの裏にキャラクターが印刷されてるみたいなアレですね。いいんじゃないでしょうか。世界平和は目前です。
以上!!!
あなたのように複雑なグラデーションで事態を見れる方に向けた批判ではないつもりなのでご理解下さい
最早日本国としては責任は負えないことは明確で、彼らがいかなる活動であろうとも日本人としては脱法行為をしていると言わざるを得ないことは確かです
そういった筋の通った、自己責任論なら納得できるのですが
元増田の様に捕虜となった方を貶めることで心情的に切り離そうとする向きが安易な自己責任論で増幅されている状況に居た堪れない気持ちを抱えています
胸の痛みを振り払うように唱えてる者から全く何の思慮も無く掛かる手間暇を無駄な迷惑と捉えてる者まで様々でしょうけど、切り捨てる痛みまで無かったことに帰結しようとする風潮は否定していきたいのです
ストレスなくして成長はありません
ジャーナリズムの有り方も、それらに対する政府権力側の扱い方もまだまだ暗中模索だと考えます
悲惨な結果にはきちんと心を痛め、もっと事前に出来ることはなかったのかと問う情緒がジャーナリズムを消費する大衆側から沸き続けるような社会で有るように願っています
何時というのは書けませんが、少し先の話です。
21世紀初期にはSNSと呼ばれていた色々なサービスが、その後、統一されました。
今は、オンラインの書き込みは実名が義務付けられていますので、一昔前に、匿名で投稿できる日記サービスがあったと知って、驚きました。当時の人たちには、匿名ということにそれだけ需要があったのですね。
私は学校の課題で扱う題材を探していて、オンラインの匿名性について知り、とても面白いと思いました。
一番興味深いのは「釣り」という行為です。匿名性ならではの行為で、釣る人も釣られる人も、「釣り」を想定してコミュニケーションをとっています。暗黙の了解を前提としていて、高度な文化だと思いました。
匿名性のおかげで、私たちは過去のスペースに投稿することができます。
将来を変えてしまうような事件の予告や固有名詞を出さなければ、大抵のことは「釣り」として扱われるだけで済んでしまうからです。
未来からの投稿といって予言をしている人もいますが、信じられるものではありません。なぜならそれは禁則行為だからです。
未来からの予言という投稿のほとんどは嘘を書いて楽しんでいるか、fakeを混ぜています。
日本語は義務教育ですが、私に不足があるかもしれません。でもSNSの匿名性が面白いのは、やはり日本だと思いますので、日本語で書きたいと思います。
私は毎朝起きると、まずオンラインでニュースをチェックします。
ニュースにはGenuineのApplicationからコメントをつけることができますが、ここで私はThird PartyのApplicationを立ち上げます。
コメントを投稿しているユーザーは実名に紐付いたニックネームで表示されます。
ですが、その実名ユーザーの半分が実際には存在していないというのは有名な話です。
その企業が開発したAlgorithmにより、複数の仮想ユーザーを作り上げて、ニュース記事につくコメントを自動投稿しているというのです。
ConservativeからProgressive、FeminineからMasculine、LeftからRightと、思想のグラデーションによって仮想ユーザーを配置し、このユーザーならこう答えるという投稿の自動化をしているのだそうです。
それには、その企業が21世紀初期の匿名性時代に大量に投稿されたコメントを蓄積していたことが、大きな貢献となっているようです。
過去の匿名性ならではの過激なコメントや忌憚のない意見が、自由で人間くささを持ったコメントを投稿する仮想ユーザーを作り出したのです。
それは私たちのような実名ユーザーよりも、活発な議論を促します。
私はこのSNSのコメントを毎朝楽しみにしています。けれども、それがAlgorithmによる自動投稿だと知った時には、がっかりしました。
ちょうど、この時代の人たちが「釣り」と知っていて楽しめるように、今では私もそれなりに自動投稿されたコメントを楽しんでいます。
私たちは、そのSNSがコンピューターの作り出す議論ゲームに過ぎないことを知っています。
私は毎朝起きると、ニューストピックスを流し見しながら、気なる記事のコメントをチェックします。そうして仮想ユーザーのコメントに意見を返したりします。
私たち実名ユーザーはコンピューターの作り出した概念と議論を交わすのです。
それはとても楽しい体験です。ですが、生身の人間がニックネームの向こう側にいて議論しあっていた2010年代という時代を知って、信じられない気持ちになりました。2010年代の投稿には粗野なコメントも多いですが、無知には発想の自由があります。
次に私がアクセスする時に詳細な日時が指定できないため、この投稿の結果を確認することができません。
今日のことを知人に話すと「2010年代は1日あたりの投稿量がすごいから埋もれるよw」と笑われました。(草と呼ばれるこのslangも好きです。)
最もネット対戦に適したゲームをたった1つだけ挙げろと言われれば、真サムライスピリッツを推す。レイテンシ耐性が高い事に加え、スト2並かそれ以上の立ち合いのルールであり、さらにダッシュ投げや登り大斬りが実質的な必殺技となっている点、コマンド必殺技をほとんど使わない点、そして連続技がほとんど存在しない点など、特筆すべき点が多い。ビジュアルエフェクトも美しく、特に大斬り命中時の時間制御系演出(ヒットストップ&ヒットスロー)による重さの表現は、同シリーズの後続作品にも見られない出色の出来。キャラクタ間バランスはお世辞にも良いとは言えず、不特定多数とプレイするなら右京地獄が避けられないところだが、身内対戦ならその事は特に問題にはならないだろう。
-
A+Bの大斬り、C+Dの大蹴りを出せないとゲームにならないので、同時押しに不安がある入力デバイスを使う場合は、同時押しボタンの設定をしておく。またこれに加え、ズィーガーをはじめとする一部キャラはB+C、忍者はB+C+Dの設定が必要。
立ち合いでは小/中の斬りまたは蹴りの先端を当てるようにして相手を押さえ込み、同時にダッシュ投げを併用する。ダッシュ投げはダッシュ後相手に隣接しそうになったらレバーを前に入れたまま中/大の斬りまたは蹴りボタンを連打する事で簡単に出せる。斬りと投げは一対になっており、積極的にダッシュ投げを仕掛けないと、相手はガードで安定するので斬りも当たらなくなる。ジャンプ攻撃は後出しの登り斬りで撃墜されやすいので積極的には仕掛けない。逆に相手が飛んできた場合は登り大斬りで撃墜に行って大ダメージを狙う。地上大斬りはほとんどの場合先撃ちはせず、相手が大きな隙を見せた時に使う。
相手を画面端に追い詰める事は、多くの格闘ゲームで有利に働くが、このゲームにおいてはマイナスの面が多い。このゲームでは端を背負った相手は攻撃を食らったりガードした時の硬直が短くなるので、普通なら当てれば反撃されない打撃が相手が端にいると当てても反撃されたり、ジャンプ攻撃をガードさせた次の瞬間着地で投げられたり、三連殺が絶対に繋がらなかったりする。そのためなるべく相手を端に追い詰めないで戦った方が有利となる。
クレジットが無限だからと言ってダラダラとプレイすると、格闘ゲームというのは全く面白くない。またこのゲームに限った話ではないが、大抵のゲームはキャラ性能のバランスが良くないので、単に勝ち抜き戦にすると強いキャラが延々と居座る事になり、やはり面白くない。これを避ける方法は色々あるが、とりあえず例として、このゲームをやる時に個人的に使っているルールを書いておく。
5戦の中で最低3キャラ以上使用する。
勝ち抜き戦ではなく、勝っても負けてもリセットして次の試合に行く。
0. 十兵衛 : ナコルル
1. 狂死郎 : ナコルル
2. 半蔵 : 幻十郎
3. 十兵衛 : 右京
4. 半蔵 : シャルロット
使用キャラを登録して対戦表を作る過程は自作のIRC Botで自動化している。
-
S 右京、幻庵
B 十兵衛、アースクエイク、ズィーガー、ガルフォード、半蔵、幻十郎、覇王丸、王虎、和狆
C ナコルル
基本的に「斬り合いが強い→斬り自体が当たる可能性が高く、さらに相手を黙らせられるのでいつでもダッシュ投げに行ける」という図式が成り立つ。
B以下は優劣付けがたいが、上位5人は確実に頭一つ抜けてキャラ性能が高い。B以下のキャラでA以上のキャラに勝つのはなかなか困難。
幻庵は純粋な性能だけなら「若干強い」ぐらいだが、致命的なバグ持ち。
このゲームではダッシュ投げが非常に強いため、飛び込みからの当て投げしかガードを崩す選択肢がないキャラは不利。
-
ほぼ上下中斬りのみで斬り合いは最強の部類。右京の中斬りは非常に長いリーチのまま一般的なキャラの小斬りの速度で出ている。戻りも速い。ツバメ返しは出始めにも出終わりにも隙がなく、このゲーム最強の飛び道具。残像踏み込み斬りも連続技用・裏落ち用として便利。ツバメ・残像共に命中すると転倒し、その度に選択攻撃になって、読み負けるとまた転ぶ。性能面での弱点は、突然死しやすい事と、幻庵を投げれない事ぐらい。怒り時の攻撃力上昇幅が全キャラ中1位。
上下小中斬り及び中大スラで斬り合いが強い上、しゃがんでいると大半のキャラクタに投げを食らわないという致命的なバグがある(しゃがんだ幻庵を投げられるのは、シャルロット、ズィーガー、覇王丸、半蔵、和狆のみ)。それでいて自分の投げは全キャラ中最強の威力(26)。近大斬りがズィーガーの対空パンチをさらに強化したような超威力の対空技なので飛び込みにも強い。空蝉は本家忍者の物より高性能で連続技は食らわない。気絶もしない。しゃがみを投げられないキャラを相手に本気で待つと完全なクソゲーになる。このゲームの汚点の1つ。
-
上下小/大斬り、中足払いなどで斬り合いはトップクラス。他キャラの中斬りと同じ速度で大斬りが出て、威力はちゃんと大斬りクラス。登り大斬りは十兵衛の中斬りに似ており、登り対空としては最強の部類。投げの威力も23で安定。弱点は攻めにくさで、ジャンプが驚異的に山なりなせいで攻撃の基点がダッシュに限られ、動きがワンパターンになりやすい。
上下小中斬り、下小蹴り、下大斬りなどで斬り合いは最強の部類。ジャンプが全キャラ中で最も速く、相手の中斬りと同時に跳ねればほぼ命中確定。弱点は投げの威力が全キャラ中最低(14)だという事で、そのせいでダッシュもジャンプも投げの圧力に欠け、削り能力が皆無である事もあって、ガードで固まられると非常に崩しにくい。左右が入れ替わった瞬間にパワーグラデーションが暴発しやすいのも無視できない弱点。これをやらかすとほぼ死ぬ。武器破壊技はガードされても怒りが消えるという特殊な仕様を考慮しても五光斬と1・2を争う強さ。しゃがんだ幻庵を投げられる唯一の上位キャラだが、前述の通り投げの威力が低い事に加え、しゃがみ前進している幻庵にしゃがみ突きが当たらないという大きな問題があるので、有利ではない。
ほぼ下中蹴りと大スラのみで上位と斬り合える。大スラの強さが異常で、ダメージがでかく(17)、移動距離が長く、最後の最後まで判定が残っていて、埋まるように出さなければほとんど反撃は受けない。投げの威力も全キャラ中第4位(24)で、ダッシュも速い。さらに大スラ/投げ共に命中するたびに起き上がりをいちいちガブルで削る事ができる。特に画面端での削り量は洒落にならない。あと何気に大斬りのリーチもかなり長い。弱点は、幻庵を投げられない事、全キャラ中で最も気絶しやすい事、千葉麗子の声がウザい事、そしてズィーガー。
-
ここから下の連中は上位の連中とまともに斬り合うと死ぬので、個々のツールでそれをどうカバーするか、という戦い方になる。
このゲームで一番標準的な位置にいるキャラ。下位グループの中では最も斬り合いが強く、同じ下位グループ相手なら小斬りと上下中斬り及びJ中斬りで優位に立てる。また前後垂直J中斬り、遠大斬り、近中斬りの併用による対空がかなり強く、どういう位置関係で飛ばれてもほとんど一方的に落とせる。プレッシャーを与えるツールとして水月刀もまあまあ便利。ダッシュも速い。全体的に安定しているが、攻撃がほとんど中斬り及び威力の低い投げ(威力17)となるため、一気に勝負を決めたり一気に逆転したりする事ができず、誰と戦っても長時間削り合う事になる。また上位に対しては斬り合いで不利なため、心眼刀なしに優位を取る事は難しい(チャムチャムは取らせてもくれないが…)。怒り時の攻撃力上昇幅が全キャラ中2位。
色物っぽい見た目に反して意外と普通。動きの鈍重さのわりに技の出し入れは速く、遠大斬り、下中斬り、遠小斬りを距離に応じて使い分ければ斬り合いは強い。ジャンプも素早く尻が出っぱなしなので飛び込みも強い。と、ここまでは強そうだが、相手がガードで固まると尻投げぐらいしか選択肢がなくなるのを代表として、身長が高すぎる&対空技がしょぼいので飛び込みに弱い、食らい判定がでかいのでツバメ待ちが地獄、アース専用で中段になる登り攻撃がある、アース専用の痛い連続技を食らう、密着した相手に向かって感覚的に武器を振っても当たらない、斬りを連打するとファットチェーンソーに化けて死ぬ、レバーを入れたまま尻を出すとファットバウンドに化けて死ぬ、しゃがみ状態から立ち上がって斬りを出すとファットブレスに化けて死ぬ等、弱点も山盛り。
主人公っぽく見えて斬り合いが弱い。遠中斬りは十兵衛の中斬りに見た目が似ているが、食らい判定が前に出すぎる傾向があり、上位と斬り合うとやたらに潰される。実際にはもっと遠い間合いの方が有利だが、そこまで行くと一足でダッシュ投げに行くには遠くなってしまうので、結局どの距離でも決め手を欠く。決め手を得るにはそれこそダッシュ前転伏せ下大斬りとかダッシュ弧月斬が必要。烈震斬は2回(威力4)削って反撃は受けにくいので削り技としては優秀。また後出しで容易に水月刀を飛び越すため十兵衛キラーとして使える。怒り効率が良いので全体的に怒っている時間が長いのは利点。
遠小斬り、上下中斬り、垂直J大斬りのお陰で斬り合いはまあまあ強い。ただしこの中で一番強い下中斬りは出の速さに比して戻りが非常に遅く、キャンセルしないと当ててもリーチの長い攻撃(一部キャラは大斬り)で反撃を受ける上、キャンセルタイミングが変なせいでキャンセルミスしやすいため注意が必要。ツールは三連殺で、中間距離から走り込んでガードを崩すという点ではダッシュ投げと役割が被っているが、投げと違って気絶を狙えるのが強み(大斬りが当たった直後に三連殺で命中を取れば大抵のキャラは気絶)。ただし格闘ゲーム史上最も入力がシビアな3連技となっており、本当に当たった瞬間にキャンセルして次を出して行かないと途中からガードされ、大斬りクラスの反撃を1.5倍のカウンターダメージと共に受けて、場合によっては一発で気絶して吹っ飛ぶ。また、画面端の相手には絶対に繋がらない、小刻みに牽制技を出している相手には当たらない、跳ね回られても当たらない等、繋がりやすさ以前の問題も多い。総じて敵のアクションと衝突した場合の当たり強さはダッシュ投げに大きく劣る。入力ミスで中以上の光翼陣が暴発するのもネックで、これが出たら死を覚悟せねばならない。もう1つの特徴としては、上位グループの5名に対してのみ、近下大斬り→大斬り、及び中足払い→大斬りといった危険な連続技が入るという、偶然にしては出来すぎた事実があり、キャラ性能で不利な相手に対して高い逆転性を持つ。五光斬は当たり判定発生が速い上に上半身無敵でガードされても隙がなく、おそらくこのゲームで最強の武器破壊技。あと覇王丸と同じく怒り効率が良い。
斬り合いは忍者並の弱さ。一番マシな遠中斬りと中足払いも他キャラの通常技に比べて見劣りする。ダッシュも遅く、ジャンプ攻撃もロクな物がない。それをカバーするためにヴルカーンを使う事になる。削りを嫌って飛び込んできた相手を落とすのが主ダメージ源で、その象徴は近大斬り1段目による相打ち対空だが、ちゃんと出してもジャンプ攻撃のタイミング次第では一方的に負ける上、絶対に返せない飛び込みを持っているキャラも約半数いるため、それらに対してはヴルカーンのリスクだけを背負い込む形になって非常に辛い。起き上がりへのヴルカーン削りは決まれば中斬りクリーンヒット程度のダメージを与えるが、確定ではなく、レバー上入れっぱなしで逃げられるので、削ると見せかけて登り大斬りを出して相手が飛んだ瞬間殴り落とす等の選択攻撃が必要。通常技のクソさを必殺技でカバーしてプレッシャーを与え、飛ばせて落とすという事で、スタイルとしてはスト2初期のリュウ/ケンに似ている。チャムの大スラガード後に中足払いからコップ3段が入るという理由でチャムキラーとして有名。
斬り合いは並以下。マシなのは立ち小蹴り、下大蹴り、立ち中斬り辺り。尻飛び込みが非常に強いので、主たるダメージ源はそこからの当て投げと、当て投げに見せかけた再ジャンプ、及び尻が当たった時の下大蹴り(連続技。遠下大斬りも行ける場合があるが近下に化けてガードされやすい)。要するにほとんど当て投げキャラ。ジャンプが速いのはいいのだが、低すぎて空中衝突に弱いので、飛ぶ時は尻オンリーではなく大斬りとの併用が必要。蹴りによる投げの威力は幻庵に次いで全キャラ中第2位。
斬り合いは最低クラス。ナコルル以外の誰と斬り合っても余裕で負けると考えて良い。最長リーチの中斬りが戻り速度の面で腐っているので、長さで頼りになる技は大足払い。下大斬りは減りがでかく出も速いが、リーチがないので普通の斬り合いでは届かないし、根元を当てないと中斬り並みの威力しか出ない。斬り合いのクソさをカバーするツールは豊富で、最速のダッシュ投げ、ぶっ放しダッシュ大斬りからの気絶択一、モズキャンセル、犬、K斬りバックスタブ等色々揃っており、やっていて楽しいキャラではある。
ガルフォードとコンパチで斬り合いは糞、そしてツールが減少。近大斬りは使い道のない糞技になっているし、犬はいない。爆炎龍も弱体化されすぎて使っても不利になる事が多い。代わりに得られた物は大モズ1発で40持って行けるという点と地斬の2つ。もはや完全な投げキャラであり、投げで転倒を取ったあと起き上がりモズ択一(起き上がりを大モズで吸う or 登り大斬り)でダメージを稼げないと、他で何をやってもまず勝てない。ダッシュ投げはモズを狙うとボタン連打で出せなくなる上、専用の糞モズ(威力28)に化けやすいので、自信がなければ普通の蹴り投げが無難。地斬は基本的に使えないが、一部の連続技(三連殺の2→3段目、及び中斬り→水月刀)を見てから抜けられるため、その時だけ有用。
さらにツールが減った忍者。牽制はダッシュ投げ、主力もダッシュ投げ。マゾい。下位相手は何とかなるが上位は…
-
◎ 右京(下)、幻庵、狂死郎、覇王丸
○ チャムチャム(2段)、アースクエイク(2段)、幻十郎(少し遅い)、ズィーガー(短い)、シャルロット(威力19)
-
25以上 幻庵、和狆大P投げ、王虎K投げ
15以上 大半
一般的な大斬りの威力は30程度、強い大斬りで35程度、一般的な中斬りの威力は15程度。基本的に蹴りで出した方が外した時の隙が少ないので、どれで投げても威力が変わらない場合は中蹴りで安定。問題になるのは和狆、ズィーガー、ナコルルで、蹴りで投げると前者2人は16、ナコルルは14まで威力が下がってしまうので、他のキャラに比べて外した時のリスクが大きめ
http://anond.hatelabo.jp/20141117014426
思ったよりもブックマークがついた。
しかし、ブコメをみる限り、ぜんぜん伝わってないことが哀しい。
生で見ればわかる。
博物館じゃなくて、刷りたてをみればだ!!
いや、説得力がないのはわかる。
入信してみればわかる、南無妙法蓮華経と繰り返してみればわかる、ってのと同じだもんな。
で、絵について昔から納得がいかなかったことがいくつかある。
ピカソって下手だろ。
正直なところ、どの辺の時代が一番上手いかっていったら、レンブラントとか、あのへんじゃね?
って思ってた。
どうして、昔のほうが優れてるんだよ?絵だって進化しなくちゃおかしいだろ?
って思ってた。
こんなの(レンブラント)とhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Self-portrait_at_34_by_Rembrandt_(rectangular_detail).jpg
こんなの(ゴッホ)
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg
こんなの(ピカソ)
http://livedoor.blogimg.jp/strange_emily/imgs/1/2/1222bd6f.jpg
で、どれが一番絵が上手いかっていったら、レンブラントだろ?
ぜったいおかしい。
と。
油絵のなにが凄いって、塗れることだと思う。
塗った上に、さらに色を重ねられる。
もうね、物理的に上に重ねていくことができるから、どんな質感もだせるわけじゃん。
筆跡一つなくつるつるの面もつくれるし、壁のでこぼこなんて、本当にデコボコにできる。
畳に人形が立っている絵だったんだけど、バックの畳が、まるで本物のようでさ、つい目を近づけたら、本当に絵の具が畳のデコボコを作ってたの。
「うへー」
って思ったよ。
化粧みたいなものなんじゃないかな。
どんなに荒れた肌だって、丁寧にファンデーションを重ねれば、滑らかにできる。上に上に重ねて、ハイライトを入れて、陰影をつけて、立体感をだせる。
それが油絵。
で、浮世絵をみて気付いたんだけど、そのやりかたって限界があったんだ。
色を上に上に重ねる先には、明暗をつける先には、なにもなくなる。
もう少し説明すると、対象物を立体たらしめるためには、遠近法と明暗だろ?
明暗でいうと、奥のものは暗く、手前の物は明るく、そうすることで対象物が飛び出してくる、そういう寸法。
たとえば、白い服で白い壁に立った人を描く場合、どうやって人と壁を隔てればいい?
壁を実際より黒くかき、人の服をより白くかき、境界を作るっていう方法しかない。
どんどん先鋭化していくと、背景は黒に沈み、対象物以外はなくなってしまう。
比較対象を置かなければいけなく、比較対象は黒く沈んでいかなければならないが、黒に沈むと比較対象が消滅していく。
というか、そもそもモノそのものを正確に写すなら、写真のほうが優れてるしな。
ハッハーw
「塗り」の発達する余地がなかった中国画、日本がでは、その問題とは無縁だった。
線が絵になる。輪郭が形を作る。
輪郭を強調することは、恥じゃない。
写実性を求めて、輪郭を排して塗りの技法を発展させたからこそ、絵の発達は袋小路だったわけだ。
なんのことはない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F%E5%B0%91%E5%B9%B4#mediaviewer/File:Manet,_Edouard_-_Young_Flautist,_or_The_Fifer,_1866_(2).jpg
こうなる。マネの笛を吹く少年。
なにもない部屋の中でも、空気のなかでも人物は浮かび上がる。
改めて考える。
本当に背景は暗くなければいけないのか?
明暗のグラデーションではなくて、反対色で境界面つくったらどうなるのだろう?例えば、大地は緑に、空は赤くと言った具合に。
色の境界面で区別して、遠近法だけでレイヤーを重ねたらどうなるのか?
こうなる。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/
になるだろゼッタイ。
油絵と違って重ねることができないからさ、1トーンのグラデーションと、色を近くに並べることでしか中間色の表現ができなかったからなんだと思うんだけど。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/hokusai049_main.jpg
富士山の山肌が、近くで見れば明らかに点描のようなんだけど、明暗をつけていないのに立体的であるような、山であるのに躍動感さえ醸しだす不思議な感じ。
人間の視覚の仕組み上、例えば赤と緑みたいな反対色をちょとだけ隙間をあけて並べると、赤のフチに緑のラインがみえてきて、緑のフチに赤のラインが見えて、赤と緑の間の空間に赤でも緑でもない、灰色のような色が浮かんでくる。
筆のタッチは荒くても、強い色を同士を近くに並べる。そうして出来上がるのが
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg
そう、ゴッホに戻る。
明るい光のなかで活き活きとし、明るい光のなかで人物の影は消え去る。
これはマネ。
浮世絵のような明るい色彩。
影もない。
明るさといえば、雪あかりの表現について語りたいんだが、今日はまとまらなそうなので割愛。
輪郭線、点描、1トーングラデーション、効果線、etc....現代の漫画の表現にすごくすごく似てると思う。
そう。
恐竜と鳥、くらいに近いことは間違いない。
縦長の絵で鯉が泳いでいたら、鯉の進行方向は下から上、という感じで。
絵の上下にかかる雲などは、今ではもうお約束として生きていないものもある。
しかし、多くは生きている。
たとえば、一枚絵でスピード感がある移動を描くとき、こういう配置をする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai037/
真っ直ぐ進行させず、弧を描くように進行させる。
http://stat.ameba.jp/user_images/20110923/02/good-luck-heiwa/36/f4/j/o0296021811501145041.jpg
浮世絵の時代に発明されたお約束、動きのお約束であったり、デフォルメのお約束だったり、効果線のお約束であったり、それらが今の漫画の基礎になってる。
と、僕は感じた。
というかそもそも、浮世絵って漫画の一コマみたいなのばかりだ。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi027/
ここまで書いてこういうのもなんだが、生で見ないとよさがわからん。
騙されたと思って、是非、是非!
みてるとですね、もうね、鑑賞する側の好奇心を、ドキドキを満たすためだけに制作されてる感じがするのですよ。
当時、ずいぶん安かったんだと聞きます。
今でも、手作業で大変とはいえ、けっこう安い。
だから、なんとか、もっと人気が出て、手作業とはいえもう少し大量生産するようになれば、単価も安くなるじゃないですか。
世の中に浮世絵が溢れることは、すなわち人類の幸福だと思うのです。
書ききれないので今日はここまで
ちなみに、LIFE誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で唯一日本人で名前が出たのは葛飾北斎だそうです。
徳川家康も坂本龍馬も松下幸之助もAKBも吉田茂もおさえて、葛飾北斎です。
つまり、生で見れば誰でもわかるんです。
凄さが。
音楽に感動したことはない。
「音楽のチカラでパレスチナ問題を解決してみろ」と言い返してしまう。
絵も理解できない。
絵の解説を読んで、作品の背景に感動させられるだけで、絵からなにか伝わったかというと、ふーんっていう感じだ。
あれは凄い。
本当に凄い。
なにか伝わってくるとかそういうのじゃない。視覚イメージからね、殴りかかってくる。
きっかけはというと、摺りたてをみたわけだ。
浮世絵というのは、基本水彩で、そもそも水彩の鮮やかさというのはブラウン管や液晶では今ひとつ再現できないというのと、そもそも日焼けに弱い染料なので、当時の色と全然違うわけ。
で、とにかく凄いんだけど、一ヶ月くらいなにが凄いのか、自分でも整理できなかった。
ようやく整理できたので、とにかく語りたい。
と、思ってたよ。僕も。
すごいの。ニンテンドー3DSの裸眼立体視は浮世絵から開発したんじゃね?ってくらいに。
ていうかね、もう物理的に立体的なの。
いろんな工夫があるんだけど、わかりやすいところから説明すると、そもそも紙が凹凸で立体的なわけ。
たとえば、このトンボの羽、スジスジがボコボコ盛り上がってたりするの。画面じゃぜんぜんわかんないけど。
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hokusai120-f/
これも画面じゃぜんぜんわかんないんだけど、指で首筋を撫でた跡がさ、紙の凹凸で表現しちゃってるわけ。
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/utamaro067/
もう艶かしくて艶かしくて。
生でみないとわからないんだけど、ニンテンドー3DSのアレに近い印象がある。
平面的な絵がレイヤーされていて、レイヤー間に明確な前後関係があるような感じ。
露骨なので言うとこんなやつ
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige160-f/
それから、こういうの
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige182/
子供の頃、校庭のフェンスの金網越しに風景をみてたら、とつぜん立体視になってビックリしたこととかってないかな?
あれだよあの感じ。
格子をみて、その向こうをみて、それを繰り返すと、うわぁぁぁ!ってなる。
それから、この構図をわざと切ってるところ。
さっきの梅の絵のほうは、左側に立て札がちょっとだけ入っているけどほとんどフレームアウトしてて、遊女の部屋の絵は襖ちらっと見えてる。
このフレームアウトが、絵じゃなくて、まるでどこかから自分が覗きこんでるような錯覚に陥らせるんだな。
この感覚は漫画に親しんでる日本人特有のものなのかもしれない。
漫画だと、こういう演出は暗黙のうちに物陰から覗きこんでるというお約束だろ?
不思議なことに、日頃浮世絵に親しんでいないせいか、生でみるまでこういうお約束がつたわってこなかったんだが、随所に漫画的な表現が伝わってくる。
”力みなぎる感じ"やら、”物陰から覗いている感じ”
浮世絵に影はないっていわれるけど、あるのもあるし、ないのもある。
浮世絵で影を使うのは、影があるから影を描いているんじゃなくて、影の効果が必要だから影が描かれる。
たとえばこんな感じ
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/kuniyoshi004/
明るい月夜を表すために、現実ではありえないほどくっきりと影がかかれてる。
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige308/
同じく月に照らされた人影。月は高く登っているのに、影はのびている。
エヴァンゲリオンで飛行機から発進したエヴァが地上についた時に、砂埃が進行方向ではなくて、後方にのびていたシーンがある。
あれと一緒。
物理的には間違っていてもイメージとしては正しい。それが浮世絵の表現。
写実的に書くなら、写真のように陰影の表現で塊を描くのが正しいけど、あえて輪郭線を使う。
イメージの中では、人物と風景の間には境界があるから、輪郭線があるのがイメージとしては正しい。
逆に、意識の外のものについては、明らかに見えるはずであっても輪郭を描かずにシルエットだけにする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige024/
絵というのは自分が感じたことだけで語るべきな気がするので
「当時の人は」という視点は間違ってるのかもしれない。
でも、考えてみる。
当時は当然テレビなんかなかった。
たとえば構図上から街並みを俯瞰するような構図というのは、見たことがなかったはずなのだ。
で、なんでこんな構図がおもいつくのさ。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai029/
http://hiroshige100.blog91.fc2.com/blog-entry-47.html
ただ道が曲がりくねってるだけでこんなにもストーリー性がでてくるのかと。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige027/
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai040/
浮世絵以前の絵って、西洋も東洋もこんなに構図が豊かじゃなかった。
現代の写真、漫画、映画の構図の元ネタが、だいたいがこの時代なんじゃないかっておもえるほど。
これについては、繰り返しになっちゃうけど、ほんと日本人派手好きすぎ。
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige160/
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/
これ、もはやルノワールじゃね?
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai_sakurafuji/
その点、浮世絵は超安い。
1万3000円とかで買える。
ただ、難点は、アクリル板越しでさえぜんぜん凄さが伝わらない。
生で、そのまま見ないと。
紫外線ですぐ色褪せるけど。
もう一回買えばいいのだ!
最近脱喪したんだけど、いきなり香水は難易度高い。どうしてもしてみたいなら、練り香水が無難。
香りが飛びやすいけど、固形だから持ち歩けるので付け直すのも出来る。
自分でも匂いがわかるほどつけるのは、基本的にマナー違反だと思う。なので、ウエスト部分や足首、膝裏のどこかにつける。
「おしゃれになりたい」のか「モテたい」のかで、路線が変わってくると思う。
女子的に「おしゃれになりたい」と、女子的に「男にモテたい」で考えてみるといい。
ちなみに私は女子的に「おしゃれになりたい」と思ったので、それを目指して考えた。
美容師さんと相談して、背中くらいまであった髪をばっさり前髪厚めのボブに切ったよ。
メイクは重要だけど、いきなり資生堂のファンデブラシは使いづらいと思う。ので、個人的なオススメはエスプリークのファンデブラシかなぁ。
私は両方買って使ってみたけど、エスプリークのほうが少し毛が長くて柔らかい。くるくると真ん中から外側に向かって伸ばすだけだから、簡単。
ブラシの手入れは気になるなら2週に1回、だいたい1ヶ月に1回くらい台所用の中性洗剤を使って洗うといいよ。すすぎをしっかりして、軽くきゅっと絞った後で陰干し。
ちなみに、下地はとても重要だから、ケチって安いのを買わないほうがいい。下地、ファンデはお金かけたほうがいい。
もうだいぶ涼しくなってきたけど、脂症の肌なら年中、皮脂崩れ防止系の下地を使うことになるだろうし、逆に乾燥肌ならしっとり系の下地にするといいよ。
顔色の補正も下地で出来る。赤みが気になるならグリーンの下地を叩き込んでおくと気にならなくなる。
でも、肌状態が荒れてるなら、ファンデはおいといて、日焼け止め(刺激の弱い、赤ちゃんが使っても大丈夫なやつ)にベビーパウダーはたくだけでもずいぶん変わる。ちょい補正が欲しいなら、アマゾンで買えるノアっていうところのBBパウダーがオススメ。ルーセントのほう。ちなみに、旧アナスイ(丸型の頃)のケースにぴったり入る。他だと、ジル・スチュアート、ポール&ジョーのケースにも入る大きさだよ。もちろん、パウダー系もブラシで塗ると薄く綺麗にすばやく塗れるのでオススメ。
ファンデがリキッドやクリームの場合、ブラシで伸ばした後で100均とかで売ってるスポンジ買ってぽんぽん叩いておくと崩れにくいよ。
アイメイクは、お金かけてもかまわないならルナソルあたりの無難なブラウン系4色セットを買って始めるといいと思う。高いから躊躇すると思うけど、ルナソルアイシャドウの粉質すごくいい。逆にアナスイなんかのカウンターでどぎつい色つけられてしまうと、テクニックもいるし、難しいと思う。まずはブラウン系でグラデーションを上手に出来るように練習するといいと思う。
リップはグロスでも口紅でもいいけど、オススメはあまり浮きすぎないコーラルピンクとか。
mediaのシャイニーエッセンスリップのOR-02はすごくオススメ。もしくはインテグレートグレイシィの「桜色」ってリップ。だいたい誰にでも似合う綺麗な色だけど派手すぎることもなくしっくりくるよ。
チークはつけてもつけなくてもいいと思うけど、つけるなら薄付きのオレンジかピンクかな。可愛く見せるなら笑ったときに一番高くなる頬の部分にくるくると丸く、ちょっと大人目に見せるなら斜め方向にさっとつける。
マスカラは突然やると失敗が多いから、1本は練習用! と思って、外に出るときはビューラーで睫毛を上げて、透明マスカラとかいいと思う。で、夜とかメイク落とす前にビューラー→黒マスカラ、の練習をする。睫毛を長く見せたいならロングタイプで上に梳かすようにマスカラをつけるといいよ。ボリューム出したいならボリュームタイプのマスカラを使って、睫毛に繊維がよく絡むように横にざくざく動かすようにつけて、先のほうはすっと梳かすようにすると綺麗だと思う。最後に透明マスカラつけておくと、落ちにくい。
眉は、最近では細眉はちょっと・・・っていう感じなので、手入れしてない状態なら太めに整えるのがいいよ。ドラッグストアとかで、眉毛を整える用のくしのついたはさみが売ってるので、それと、上で他の人が挙げてくれてるフェリエなんかの眉・顔用のシェイバーと使って仕上げよう。
整えた後は、私は眉用のパウダーですっとなぞって、眉尻のほうはペンシルで書き足すようにしてる。色は、自分の髪色よりやや明るめの色がおすすめ。黒髪ならこげ茶色もしくはグレイ系、茶髪なら髪色よりやや明るめの茶色。ペンシルは、逆側にぼかし用のスクリューブラシのついてるタイプが使いやすいよ。エンピツタイプよりも、くるくるっと繰り出して使うタイプのペンシルがオススメ。
眉の脱色をする人もいるみたいだけど、難易度高め。眉マスカラなんてアイテムもあるけど、脱喪過程で使いこなせるような代物じゃないからパスで。
帰宅したらすぐメイクを落とす、くらいの気でクレンジングはしたほうがいい。
落とした後は、朝やお風呂上りにするほどがっつり基礎化粧品使うことは必要ないから、とりあえずお風呂入るまでのワンクッションとして、オールインワンジェル的なものがあると便利。手にとって伸ばしておくだけ。
リップクリームは必須アイテム。唇カサカサじゃせっかくの口紅も意味がないから、夜寝るときはワセリンを唇にたっぷり塗って寝る。
ひび割れて血が出るほど乾燥して荒れちゃったら、医薬品扱いのリップクリームが必須。資生堂のモアリップ、オススメ。
服装は雑誌を見て研究もいいけど、一般の人がどんなカッコしてるのかなと思ったら、WEARとかのサイトで見るのも出来るよ。
雑誌だとわりと奇抜な色やアイテムを合わせてることがあるけど、あんなの着こなせるのはすらっとした長い手足を持つモデルさんだけだしね。
とりあえず、基本的なカットソー類、黒のカーディガン、デニム系のパンツ、膝丈のふわっとしたスカート。
あとカバン。でっかいバッグを持ち歩く人が多いけど、「お前それ遭難する気か?」みたいな人もいるので、コンパクトなサイズのバッグで納まるように荷物を小さくする。(電車の中でヘアアイロンまで出した人を見たことがある・・・)
メイク直しアイテムも、パウダー、口紅、眉ペンシルくらいに納める。カバンの中をごちゃごちゃさせないために、ポーチを使って荷物をまとめる。
靴は、若い人ならスニーカー、黒のベーシックなパンプス(ぺたんこ、もしくは4cmくらいの低ヒール。で、パンプスにつけるクリップみたいなアクセサリ的なものを売ってるので、それをつけて表情を変えるといい)、サンダル(季節物は安く手に入れたい)、ブーツ(ブーツにもいろいろあるけど、とりあえず基本的なブーツ、編み上げブーツの2足はいいのを買っても流行り物と違うから大丈夫だと思う)、冠婚葬祭用のパンプスを用意できるといいな。
おしまい。
長々と書いてしまったけど、脱喪、がんばってください。
関東に住んでいた私の卒業式は中止、卒業パーティ&旅行も中止、レンタル袴はキャンセル。
結局3月中の適当な日に必要書類と証書だけ取りに来いと言われ、いそいそ学校に行き、卒業証書をプリントみたいにはいと渡されただけだ。当たり前だが普段着だ。
証書を受け取れる期間は何日か設定されており、タイミングが合わず、ほとんどの友人に会えなかった。
その後就職した人もいたが、リーマンショックをモロに被ったタイミングだったこともあり(所詮言い訳だが事実だ)就活失敗した人も多かったから、お互い聞きづらい空気もあった。なので今何してるのかも知らない。
被災地が本当に大変だったことも頭では分かっている。
分かっている。
こちらはもう、そんなことはないだろう。
あの震災で誰も血を流していないし、
誰も失っていない。
全員けがもなく無事だったし。
無事だったからこそ。
あれからもう3年が過ぎた。
ホームドラマみたいな家庭になんとなく憧れて
女性と恋愛して、結婚して、子どもが欲しいとずっと思ってたけど
たぶん無理なんだろうなと最近思う。
好きという気持ちがよくわからず、女の子から告白されても適当にはぐらかしてきた。
彼女いない歴=年齢はまずいと思って、自分から告白し、付き合ってみたことはあったものの
自分ではゲイだと思ってないけど、性の対象が男だから、もうゲイって言った方が早いわな。
性嗜好はグラデーションのようなもので、仮にヘテロの男性でも〜〜云々
みたいな文章は何度も読んだが、女性に恋愛感情は芽生えても、性的興奮へは至らないのが自分では不思議だ。
でも、かわいい彼女といっしょに映画を観たり、食事をしたり、服を選んでもらったりしたいんだ。
子どもが初めてパパってしゃべる瞬間を聞きたい。
めちゃくちゃかわいがっても、年頃になったらうっとおしがられて、、
男の子だったら反抗して殴り掛かってくるかもしれない、女の子だったらヘンな男と遊んでないか不安になったりして……
妄想は膨らんでも性的興奮はどうしても男。ガチムチの兄貴たまんないッス!
でも一歩が踏み出せないで、結局まだ誰のものでもありません。
そのテの方のコミュニティに入って、お仲間を作りたいとも思わない。
仕事は大変だけどやりがいがあるし、休日に遊ぶ仲間もいて恵まれてると思うけど。
週末は友だちの結婚式がある。お盆は親戚の子どもと遊ぶ予定だ。
こんなイベントがあると、一生できないであろう結婚へのbr願望や
ゲイになりきれない自分の妙な自意識をまざまざと見せつけられるようで、
何とも言えない気持ちになる。
セクシャルマイノリティって疲れるなぁ。