はてなキーワード: エンドロールとは
「アレみたいだけどアレじゃない新作を{見たい|見せろ|作れ}」という声は観客からもスポンサーからも上がるものです。
ある程度以上たくさん作られると”西部劇”「ジャンル」になり、数が少なくて類似度が高いと「パクリ」と言われたり。
ジョーズ然り、スターウォーズ然り。ゴジラ然り。PUBG然り。ドラクエ然り。
吸血鬼を狩るアニメも鬼滅のヒットを受けてきっと企画が走っているでしょう。
で、本作は「ワンスアポンアタイムインハリウッド」ものと言えます。実際はそれよりずっと前からの企画だったようですが。
(「ヘイル・シーザー!」「プロデューサーズ」という作品もありました)
1974年のハリウッドを舞台にした、人間の屑映画プロデューサーが主人公の、映画作りを舞台にしたコメディ。
主たる劇中劇がマッチョな映画の代表ともいえる西部劇作品なんですけど、女性が監督に立候補する。え?西部劇だよ?無理無理、って反対する主人公(プロデューサー)らがちょっと間抜けに描かれます。逆にマッチョの体現者(ジョンウェインを思わせる)老俳優がその女性監督を抜擢させます。
映画の内容も、ざっくり言うとインディアン(アメリカンネイティブ)を敵として生きてきた主人公が老人となって最後にインディアン(アメリカンネイティブ)の味方になるというもの。これもステレオタイプではない、「新しい」西部劇っぽいですよね。
BLM時代を反映する黒人差別ギャグもあります。メインキャラクターの一人、モーガン・フリーマンは映画オタクで部下のチンピラを引き連れて主人公の映画製作の邪魔をしたりする悪役なんですけど美味しい役どころ。
部下も当然黒人。
親分が「ここで○○(作品名)がShotされたんだ」って言うと
撮影のことをShootっていうのが掛け言葉になってるんですね。(ツーショット写真のShotと散弾銃ショットガンのShot)
でも最後には「これからは黒人主演の黒人のための映画を作るぜ」ってなっちゃう。(タランティーノも好きな「ブラックエクスプロイテーション」ってやつを反映してるんだと思う)
これは字幕で訳出されていないんですけど、新進気鋭の女性監督はリアルを追及して地味な色調のまま画を撮ろうとする。インディアンの服も、橋も、建物もみんな茶色。
頭が古そうなベテランスタッフは「カラーが足りない…」とボヤく。
で、撮影中に上記の黒人ヤクザの子分が派手な服装で現れたのを見てそのスタッフが一言
これ、服の色だけじゃなく、Colored People =有色人種 というネタですね。
英辞郎でいうと”1.色のついた、色付きの、着色[彩色]された、有色の、色づいた
2.有色人種の ◆特に「黒人の」という意味で用いられた時期もあったが、今日ではblackを用いるのが一般的。”
また、若き日の俳優は黒人女性と愛し合っており、結婚したかったのですが、キャリアのためにそれを断念したー断念させられたという過去が明かされます。ここも現代風ですね。
現代社会視点の盛沢山の中に、最後にLGBネタまでもぶち込んでくるのはサービスしすぎかな?
多幸感に満ちた、「これぞ大団円」って感じで終わるので、多少のツッコミどころはありますが、おおらかな気持ちで楽しめる、良い作品でした。
エンドロールが始まってから、冒頭の屑プロデューサーの作ったクソ映画の嘘予告編が流れて、これもタランティーノを連想する要素でした。
主語デカすぎオタクになるけど、マジで全人類見ろ!!!!!ちょっと控え目に言うと、令和を生きるアニメ好きは絶対に見ろ!!!!!TVアニメ版を見た奴は死んでも見ろ!!!!!お前が知ってるスタァライトはもうここには無い!!!
まだ一回しか見れてないんだけど、本当の本当の本当に最高だったんだよ、劇場版スタァライト!!!語彙力ないしネタバレせずにどこがどう最高って説明すんのが難しいんだけどさ〜〜あぁ〜〜。
私はアニメからハマって舞台やライブにも行きつつでもスタリラはやってない程度のオタクなんだけど、「完全新作楽しみだなぁ〜!ウキウキ!」くらいの気持ちで見に行ったら、私は首切られて血しぶき上げて死んだ。
え?は?死んだ?私、死んだの?って思ってるうちに次々に展開されるレヴューに私はめためたに打ちのめされて、再生産されて、エンドロールでぼろぼろに泣いた。
私が知ってるスタァライトはもう無かった。私が知ってるのは第100回スタァライト。そこにあったのは第101回スタァライトで、全く新しく、見たことのないスタァライトだった。
スタァライトのキャラってさ、パッと見で「あぁ、この子はツンデレなんでしょ」とか記号的に捉えられそうなところをTVアニメでそんなことねーわとぶっ壊してくれたんだけど、この劇場版でまた同じことされるとは思ってなかったよ!!!私が知ってる○○ちゃんはもういないんだよ!!!ばか!!ぬるい気持ちで見に行った私のばか!!!
もうこれ正に再生産なんだよね〜〜〜TVアニメの時のみんなは死んで再生産されるんだよ〜〜〜それはキャラだけじゃなくて見てる私達もなんだよ〜〜〜!!!
映画見た後と前じゃ、明らかに自分の何かが変わったのを感じる。私は一体何を見てたんだ?いや、“見てた”のか?首は切られて、血しぶきを浴びて、炎に焼かれて、確かに私は死んだのだ。これはもはや体験であり経験。あの舞台に絡め取られて巻き込まれてしまった。ポスターにも書いてあるとおり、これは「劇場でしか味わえない“歌劇”体験」なのだ。
ていうかさ〜スタッフさん達、変態すぎない???戦闘シーンの作画は言わずもがな、衣装とか舞台設定とかセリフも表情もこっちが思ってたレベルぶっちぎって天元突破してくるじゃん???誰が1カットごとに殺しにかかれと言った??お??オーバーキルにもほどがある。特に○○ちゃんに○○を乗せた台に足をかけさせた人には紫綬勲章をあげたい。天才がすぎる。ありがとう。あなたがいる方角には足を向けて寝られないのでご住所教えてください。
あとスタァライトは訳が分からない、説明がないと無理とか思う人もおるかもしれんけどさ〜!そうじゃねーんだよ!!!ここは舞台なんだぞ!!!全てはそこにある!!!その時その時で湧き上がる、お前の感情を信じろ!!!考察や解釈はそのあとだ!!!できればTwitterに呟いてね!!!私今鬼のように検索してるから絶対見るよ!!!
はぁ……勢いに任せて書いたけど、とりあえずみんな見てください。もったいないから、本当。映画の冒頭の映像が公開されてるから貼っときますね。
1.シライサンはシライサンを知っている人のところに三日に一回ランダムで来る。
2.シライサンは目を合わせていると停止し、反らすと迫ってくるテレサ仕様。
要するに「この怪談を知ってしまった人は……」系のホラー映画。
コレ系の怪談とちょっと違うのは「シライサンを回避する方法がない」ということだ。他の怪談だとだいたい「次の人に伝えたらセーフ」となるリング方式が多いんだけど、シライサンはシライサンを知っている限り永久にやってくる。
そのほかに映画内のルール(描写)だと、シライサンは第三者にも見えます。映画内の描写でいうなら「シライサンを知っている第三者」としておく。シライサンを知らない第三者がシライサンに遭遇するシーンがないので。ただ、当選者以外にも視認できるのは間違いないです。
作中で示されている解決方法=妥協策としてシライサンは3日に1回、1人のところにしか来れない縛りがあるので、仮に100万人にシライサンを教えちゃえば300万日=約8000年に1回しか来なくなるからシライサンを全世界に発信しようぜ!というもの。作中では「他人を犠牲にできない」みたいなクソしょうもない正義感に邪魔されたナシということになる。
で、映画のエンドロールの脚本が「映画の登場人物」になっており、要するに「あなたもシライサンを知ってしまいましたね」という裏オチがついて終わる。
いや仮に映画がコケて10万人しか見てなくても800年に1回しか現れない怨霊は怖くないんよ。それだったら酩酊したおっさんの暴走車のほうがよっぽど怖い。
とにかくシライサンは稼働率が低い。100人知ってるだけで年1くらいでしかこなくなる。まぁ、年1で来たら怖いけどさ。でも100人なんかアホで交友関係が広いJKがちょっと呟いたら一瞬やで。
シライサンは怨霊として人を呪い殺すということに対しての意識が低すぎる。「殺すのは3日に1人、目をそらした人だけでいいです」じゃないんよ。貞子パイセンの「ビデオ見たやつは1週間で絶対殺すわ。10000人同時視聴したら1日で10000人殺す」とかカヤコ先輩の「家に入った奴絶対殺す」くらいの殺意を見せてもらわんと。
殺意たんねーよ、笑い止まんねーよ。
シライサン、とにかく全編ふわっとした映画だったわね。SNSを下敷きにした設定は実際よく考えられてるんだけど、よく考えれば考えるほど怖くなくなるのは「作った人が頭良すぎるんだろうな」って感じでちょっとかわいそう。
あ、第三者から見える設定は後々有名霊になったシライサンが甲子園の観客席のど真ん中で目撃されたり、渋谷のスクランブル交差点で目撃されたりと面白いことにしかならないのでやめた方がよかったと思います。
Hyper Light Drifterが終わった。
最初の時点で終わりまでの目盛りが見えていて進んでいくに連れてアクションやスキルが増えていく系のゲーム。それのお手本のような作品だった。最初はドット絵にする意味ある???とか斜めに見ていたが、気づいたときにはアクションの滑らかさがしっくり来ていた。ドット絵である必要はわからん。
ストーリーは相変わらずのよくわかんねえやつ。主人公に血を吐かせる”なにか”がいるのでそいつを倒すのが目的だったんでしょうね。最初から最後までHOBみたいな感じで最後に種明かしもないし、結局あの金持ちが飼ってる犬みたいなやつが何なのか、主人公を助けてくれたベテランみたいな奴はどこに行ったのか。なんか迫害されていた二足歩行の顔牛みたいなやつは何だったのか。何もかもわからんかった。欧米のインディーズのゲームこういう奴多くないですか。とりあえず汚かったり邪悪カラー(紫黒紺赤)のやつを意味ありげに倒す奴。俺の理解力が乏しいの?
で、とりあえずHOB→Hyper Light Drifterと来て今思うこと。
和ゲーやりたいいいいいいいいいいい。
海外インディーゲーに浸かって疲れちゃったよ。フィリピン短期留学時の感覚に似てるわ。食べものは喉通るけどなんか異物感がすごいというか、俺体も顔も日本人なのに食道、胃を始めとする中身だけ甘ったるいフィリピン仕様になってて違和感がすごいの。あのときはひたすらお茶が飲みたかった。今回はそれが和ゲー。
プレイ時間は9時間。ストーリーがよくわからん以上アクションの楽しさのみが魅力なのでこれぐらいの時間で十分だと思う。これ以上プレイさせるためにはオモロなストーリーが必要である。で、このプレイ時間的に価格は500円わんこ員くらいが妥当だと思う。しかし定価は2千円。ちょっと高くない?Epic無料配布じゃなかったら買わなかったかも。
とりあえず総括としてアクションがなめらかで面白かったし、ボスも何回か繰り返すと癖が見えて丁度いい難易度だった。けどこういう海外の個人制作的なゲームはしばらくいいわ。もう。全然個人制作ゲームではなかったけど。エンドロール馬鹿長かった。
様々な人がBTSの魅力や人気を集めた理由を語っているが、俺と同じ切り口で論を進めているものがないように思ったのでn=1の感想を書いておく。
BTSの魅力としてよく挙げられるのは曲や高度なパフォーマンスなどだが、俺はやはり、根本にあるのは高いエンタメ性だと思う。
そもそも、彼らのプロデューサーであるパン・シヒョクは日本のアニメ、マンガ等のサブカルチャーに造詣が深い。新海誠の「彼女と彼女の猫」「君の名は。」虚淵玄「魔法少女 まどか☆マギカ」などに対する感想を本人のTwitterで呟くほどだ。
そんな彼が発展途上の少年達をプロデュースしたらどうなるか? 簡単である。
これは俺が語るよりも実物を見た方が早いので一度見てみてほしい。最初は誰が誰だか分からないと思うが、全体の雰囲気だけ感じてくれたらそれでいい。歌詞は英語字幕をつけられる。
一言でいえば「無力で無鉄砲な少年たちが若さだけを武器にわちゃわちゃするmv」だ。
「Dynamite」の堂々たるスター感とはほど遠く、顔つきも体つきもまだ幼い。それもそうだ、冒頭で水に潜っているテヒョン(BTSでの活動名はV)はまだ19歳、最年少のジョングク(活動名はJung kook)は17歳だ。若い……!
この世界観は「花様年華」という彼らの一大コンセプトだ。「RUN」だけでなく、様々な曲で共有されている。全然関係ないが同タイトルの台湾映画も面白いのでオススメ。
BTSの花様年華はトラウマを持つ弱い少年たちが出会い、交流を深めることによって傷を癒していくというストーリーだ。完全にフィクションの世界観だが、メンバーはそれぞれの本名で役を演じている。
それぞれの役も、ナルレコプシー、代理ミュンヒハウゼン症候群(おそらく)、親殺しなど、往年の葉鍵ヒロインのような重い家庭事情のもとで育っている。
そんな彼らのトラウマを描写した映像作品として「Wings short film」シリーズがある。一本が3分ほどで、メンバーが7人なので7本ある。どれも面白いが、特にお気に入りの一作を貼っておく。ティムバートンとかシャフトとかの悪夢っぽい世界観が好きならおすすめだ。
Short film jimin
林檎、マリア像、風景画、烏の刺青など複数のメンバーの映像で共通する小道具も多く、#7のソクジンの回まで通して見れば、ちょっとした達成感を抱ける。
この辺りまで見れば、少しずつメンバーが見分けられるようになっているのではないだろうか。
見分け方は他の方のブログに詳しく書いてあると思うが、花様年華に限って書くと、ガソスタにいたらナムジュン(活動名はRM)、車を運転していたらソクジン(活動名はJIN)、火を見ていたらユンギ(活動名はSUGA)、寝てたらホソク(活動名はJ-HOPE)、溺れてたらジミン(活動名はJIMIN)、血を浴びてたらテヒョン、殴ったり殴られてたらジョングクだ。見てれば慣れる。
例えば「I NEED U」は花様年華シリーズ第一作の自己紹介的ソングだ。登場人物が何に悩みどう生きているのかが分かりやすい。本当はこれを一本目に勧めるべきなんだが、俺はRUNの荒々しさや青さやスピード感が好きなので。
他のブログを読めば詳しく知れるが、この曲はBTS がスターダムの第一歩を踏み出したきっかけになったらしい。こちらのmvはVの怪演が光っている。今の19歳ってあんな感じなのかな? 怖いな。
下の動画なんて、12分の動画のうちドラマパートが8分あり、エンドロールでようやく曲が流れる。曲を売る気があるのか。
ドラマパートはスタンドバイミーとかが好きなら気に入ると思う。歳をとったからか、最近こういう一瞬の青春みたいなやつに弱い。そしてこの動画を見れば、やけに意味深な描写が多いことに気づくのではないだろうか。
『Butterfly』 official mv(花様年華prologue)
そう、この花様年華、ただのボーイミーツボーイではない。タイムリープものだ。
花様年華シリーズは様々なメディアミックスがされている。主なものは小説とマンガだ。(CGアニメや実写ドラマ化などが進行中らしいが詳しくは知らん)余談だが、この辺りパン・シヒョクPDはとても商売がうまい。MVで意味深なストーリーをチラ見せし、全貌が見たければ小説を買わせる。ようつべで聞ける曲ばかりが収録されたCDを買うのはよほどのファンだけかもしれないが、小説なら比較的敷居が低い。よく出来た予告映像を見てつい劇場アニメを観てしまうようなものである。
さて、マンガ/小説版 花様年華のストーリーは以下のようなものだ。
トラウマを持つ少年たちが学校で出会い、仲を深めるが、様々な理由で軋轢が生まれ、海に行ったある日、決定的な仲違いをし、離れ離れになってしまう。3年後、留学に行っていたソクジンが韓国に帰ってくると、かつての友人は死んだり、人殺しで捕まったり、シンプルに困窮していたりで、めちゃめちゃに不幸になっている。ソクジンはタイムリープを繰り返し、彼らを救おうとする。
葉鍵であり、シュタゲ要素もある。盛りだくさんだ。ちなみにマンガ版はLINEマンガというアプリで無料で読めるが、ただでさえ見分けがつきにくい少年たちがさらに絵で描かれている。俺は読み進めるのに根気がいったが、顔認識能力が高い人はいけると思う。
さっきメンバー紹介のところでわざわざ、アルファベットの活動名とカタカナの本名を併記したのは、このマンガではキャラクター名が全て本名で表されているからだ。
本名ではジミン、ジョングクなどJがつく名前がやたら多いのに、J-HOPEの本名はホソクである。なんでだよ。一番Jであるべきだろ……!
マンガは興味ない、ただただエモい映像が見たいという人にはこっちを見て欲しい。
バラード曲。「八月でも(あなたに会えないなら)冬だ」という一節が印象的。RUNで後先考えずにその辺を散らかしまくった彼らがパーティの後始末をしていて、青春は永遠に続くものではないことを描いている。全体的に褪せた雰囲気で、オレンジと青が強い独特の色味のpvになっている。安全ピンでピアスホールを開けてあげるシーンがあるのだが、国が違ってもエモ仕草は変わらないんだなと感心した。
比較的新しいmvなので、みんなスタイリングも服も普通なのに、めちゃめちゃ垢抜けている。幼さや青さというより、思春期を越えた7人が二度とは戻らない日々を愛おしむ話。撮影してるの明らかに真冬なのに、半袖のアロハ着せられてる子がいてかわいそう。
花様年華、面白い。確かにストーリー展開自体は王道で、言ってしまえばどこかで見たことがあるようなものばかりかもしれない。彼らの演技も、本業ではないから当たり前だが、全員が素晴らしいというわけではない。ぎこちなかったり、ムラがあったりする。だが、その未完成さが、若さが、今の俺には一番眩しい。
2019年に「天気の子」、2021年に「シン・エヴァンゲリオン」が上映され、かつての「セカイ系」作家たちは次々と己の世界観にピリオドを打っている。さらに、まどマギやピンドラなど、壮大な世界観でファンを魅了したアニメも新作の公開が決定した。
2021年、俺たちが愛したあの頃の「セカイ系」はもうどこにもないのかもしれない。
そんな中で、かつて俺たちと同じようにアニメやゲームを愛したオタクが、革命前夜の少年たちを巻き込んで、今も続くストーリーを紡いでいるというのは、なにかとても尊いことのように思える。
タイトルの花様年華、これは「人生で一番美しい瞬間」という意味らしい。BTSのこのプロジェクトは間違いなく、俺にとっての花様年華を思い出させてくれた。
どうでもいいがこのテンションのままボン・ボヤージュ(メンバーたちによるゆるい旅番組)を見ると、辛い展開に耐えられないオタクが作った日常系同人誌っぽくて面白い。こっちもおすすめ。
1か月以上前に観に行って、
ついうっかり「感想文でも書いておこうかな」などとTwitterでつぶやいたが最後
友人に拾われ「待っている」と待たれてしまった。
こいつは、しっかりとした文章を書かねばなるまい。
私がシンに対して感じた事。
それを素直に、そして素敵に書き連ねて、友人と感動を分かち合うのだ。
などと思いを馳せていたら全然書けなくなり、
「ああ、そうだ自分はプレッシャーに弱かったんだ。忘れてた。」
あまりに書けないので、先輩を捕まえて「文章が書けない」と愚痴ったところ
先輩からは「気負うなよ。なんだ、その友人だって、そんな約束もう覚えてないんじゃないか?」と、励まされた。
はああん、さてはそんなに気負いすることもないのかと
鼻歌交じりで湯船に浸かったり、踊りながら夕餉の支度をしたり、
switchで発売されたモンスターハンターライズをやったりして更に2週間ほど書かずにダラダラすごした。
そのうち書く気力が湧かないものかと期待もしたのだが、これがちっとも湧きやしない。
アイデアは閃いたその時にアウトプットしないと、どんなに素晴らしいものでも劣化すると言ったのは
逃げるように打ち込んだモンスターハンターのエンドロールを見送りながら
「自分は友人との約束を小脇に置いて、一体何をやっているのだ」と我に返り
待たせてしまっているのかもしれない友人に申し訳なさを感じながら、
ようやく書くぞと、今キーボードをたたき始めた。
ここまでが、つまりの言い訳で、今更シンの感想文を書くに至った経緯である。
どう書こうか散々悩んだが、結局文筆家でもない私の書くものだ。
第三者にとやかく言われる筋合いはない。
だから友人が「見苦しい」と思わなければ、とりあえずは問題ないのだ。
では感想だ。どう書こうか。そうだな、本作は大きく分けて3つの感動が湧いた。
それぞれにタイトルをつけるなら、以下だ。
【散々泣いた後「これシン劇場版だけ見た人は面白くないんじゃないだろうか」という懸念】
では、細かく1つづつ説明していこう。
そうそう。ここからはネタバレが発生するので、万が一まだ見ていない人がいたら気を付けてほしい。
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とにかく泣いた。
キャラクターは何人か死ぬんだが、そういうシナリオや演出上の悲しみで流れた涙では当然なく、
「こう終わらせるのか」という感動というか。
時間が経って、時代が変わって、自分も一緒に歳をとって、そして受け入れている自分の状態そのものに
涙が止まらなかった。
かつて「なんて難解で新しいんだ!」という側面で感動したエヴァンゲリオンが
(この次の詳細で書くが)こんなに分かりやすくなったとしても、受け入れて楽しんでいる自分がいる事の喜びでもあった。
期待していた感動の方向性が全く異なっているのに、喜んでいる自分がいるというのは、
シンの終わりに向けて自分も一緒に歳を重ねたからだと泣きながら気付き、
「お疲れ様でした!」と関係者でもなんでもないのに、小さく独り言ちていた。
不思議な達成感と供に「楽しかった」「感動した」「泣いた」「素晴らしかった」を超えた感謝を感じた。
「感謝」
【散々泣いた後「これ今からエヴァ見る人は面白くないんじゃないだろうか」という懸念】
で、散々泣いた後に冷静になってこう思った。
「…今からエヴァンゲリオン見る人は「これ、そんなに面白いか?」と思うんじゃないだろうか。」
というのが、かなり解りやすくなっている。
TVシリーズおよび旧劇場版と比較すると、エヴァンゲリオンの秘密や人類補完計画、綾波レイの正体やら
台詞と絵でほぼ全て語ってくれた。
特に、旧劇場版では初見ではちょっと分かりにくかった、一体誰が敵なのか(ゼーレ?ゲンドウ??)というモヤっと感が
分かりやすく「ゲンドウがラスボス」「目的はユイたん復活」と、ご自身で説明してくれる。
この辺りの凄く分かりやすい説明に対しても、歳を重ねた自分は「語る事を決めた監督お疲れ様です!」と感動したが
なんとなく、「日本人は難解で解釈の余地を残す演出の方が好む傾向があるのではないのか?」
という考えから「これ、今からシンを見る人は楽しいのだろうか?」という懸念が生まれた。
こればかりは、私の仮説が間違っているかもしれないので、過剰な心配かもしれない。
実際、序破Qと興行収入は上がっているらしいから、現代は不親切な難解さよりも、
明快な回答があったほうが好まれるのかもしれない。
(いや、でも、Qまでは結構難解だったよなあ。)
ただ、少なくとも、泣くほどの感動は多分ないだろう。
そう思うと、むやみやたらに「面白いんだよ。素晴らしいんだよ。」と勧めることを躊躇してしまう自分もいる。
旧劇場版に比べると、シンは万人に受け入れられる作品にはなっていると思う反面、
自分は今回から観る人に狂うほど楽しいかと聞かれると、唸ってしまうかもしれない。
最後はもう、自分の好みの話でしかないのだが、有人の人型巨大ロボットでの肉弾戦よりも
エヴァンゲリオンは当然戦うんだが、ヴンダーが途中まで大活躍なのだ。
大活躍というか、ヴンダーをベースにエヴァンゲリオンが戦うのだ。
司令塔⇔戦闘機も大好きな自分にとってさらに楽しい。ありがとうございます。
(余談ですが、そういう意味で、途中まで指令を聞かないマリの戦い方は好きではなかった。)
戦艦といえば、艦長。そう、艦長がどれだけカッコいいかも大事。
ミサトというキャラクターが、TVシリーズではどうにも雌くさくて好きじゃなかったのだが、
それでも、指令を出したり、無茶苦茶な作戦をねじ込むシーンだけはカッコよくて好きだった。
そんな好きなミサトが100%、最後までかっこよく戦ってくれたことも、ありがとうございます。
(艦長だから死んだのか、ミサトだから死んだのかは分からないところですが、ミサトは絶対退場するんだなあ…とかも思った。
でも、あのラストは艦長のラストだよね。全員逃がして最後は船と供には艦長としての散り方だよね。)
ヴンダーが動くのは一々カッコいいし、ヴンダーの開発秘話もイケてるし、
最後に命の箱舟としての本懐を全うして兵器として出撃するシーンとか。
なんだアレ、ずるい。かっこよくてずるい。
最後の項目に関しては、本当にただただ好みの画がカッコよく動きまくってくれて
脳がひたすら喜んでいるだけみたいな感想なので、語彙がバカになっていると思う。
ところで、私は戦艦ものが好きというか、一人のヒーロー(パイロット)が敵を倒すよりも
多数の凡庸(凡庸と言ってもポテンシャル高め)な人々が知恵を絞り巨大な敵を倒すという構造が好き…
というタイプの戦艦もの好きなのだが、庵野秀明はその演出がとても気持ちが良く、
そんな話をしたところ、先日知人に「それは、ヤマトは当然として、ウルトラマン(ウルトラQ)も好きかもね」と言われた。
ふむ、なるほど見てない。ウルトラマン。
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以上が大筋の感想となるのだが、
今回書いてみて一方的なレビューだと、心の中にある踊るような感動や衝撃というのが語彙力のなさも手伝って、きっと全然書けていないなと感じた。
これが会話だったら、もっと色々話したい箇所もたくさんあったなと読み返して思っている。
例えば、最後に畳みかけるメタ表現の数々や、その視点からの演出だと思えばループやスターシステムというものは
シナリオではなくアート寄りな(作家的な?)視点になるから議論は不要なんじゃないかとか、
ラストの実写差し込みは昭和の舞台壊しオマージュかな?などなど…
会話として意見を聞きながら会話を楽しみたいとは思う視点はたくさん出てくるんだが、
一方的に断言できる事は大体この三つだったなと思う。
特に、一緒に歳を取った作品がこう終わったのかという涙と感謝の話は
他の作品で感じたことがなかったので書いておけてよかったかなと思う。
そう思えば、「待っているよ」と言ってくれた友人に感謝である。
ああ、そうだ友人よ。歳を重ねて…で思い出した。
来月私は母になる。
そういう事もあって、余計涙もろくなっているのかもしれない。
シン・エヴァを観た。
自分はちょうど14歳のときにエヴァンゲリオンのTVシリーズを見た。エヴァ自体は存在とすごいらしいということは知っていて見るのが楽しみだった。実際すごかった。その後友達に旧劇を借りて見た。すごかった。全然意味わからなかったけど。でもすごかった。
そこからエヴァのゲームやったり二次創作創ったり読んだりとかは特にしなかった。貞本義行の漫画版は4巻まで買ってそこで止まった。
新劇序が公開されるときも偶々友達に誘われて初日に観ることになった。エンタメに寄った内容で好みだった。
破が公開されたときは初日に一人で、映画館近くの漫画喫茶に泊まって5時ころから並んだ。そこまでした理由は覚えてない。このときはまだエヴァンゲリオンというコンテンツにそこまで囚われていないと思う。破は結局劇場で3回、地上波で2回観た。
Qも一人で初日に観た。破が大好きだったのでQはどうにも刺さらなかった。乳の大きなマリはエッチだなと思う。
そこから約8年経ち公開されるかと思いきや延期され、さらに延期され、ついにシン・エヴァンゲリオンが公開された。ついに終わるということでやっぱり楽しみだった。すんんごく楽しみだった。
シン・エヴァはQの直後から始まり、Qには出てこなかったトウジケンスケ委員長が出てきた。えっ、死んでたんじゃ……?しかもトウジと委員長は結婚して子供まで?アスカはケンスケをケンケンって呼んでる。
…………。………………。
……え?え??まって?ケンケン呼び???何があったの????14年の間に何があったの??シンジくんに対するアスカは思春期を感じるのに、ケンケンの前じゃアスカはなんだか大人だし、14年の歳月を感じる関係性だ。村に居づらいっぽいアスカはなんでも屋をやっててちょっと離れたところに住んでるケンケンの家に居候している。ケンケンはアスカの裸を見ても一切動じない。父性すら感じられる。シンジくんは裸見て吐いたのに(語弊がある)。なんならアスカとケンケンはセックスしてるまである?いやケンケンの方に父性を感じたので個人的にはないかなぁと思ったけど。Twitterでそう言ってる人がいたので。あとアスカさんパンツ見せすぎですよ。えっちですね。
シンジくんたちが回収されたコア化してない村には1000人くらい住んでて他にもそんな感じの集落があるそうな。意外にしぶといな人間って思った。そこで綾波は猫を知ったり田植えしたり田植え中に転んで泥まみれになったり蕪を洗ったり絵本読んだり赤ちゃん背負ったりプラグスーツのままお風呂に入ろうとして止められたりおいしいを知ったりありがとうを言ったり握手したりして人間性を得ていくんだけど、2021年に綾波が田植えしたりする衝撃映像を観ることになるなんて思う????かわいい!!!!!!!!!!!!!!!ポカ波もかわいいけどこっちの田植え波もかわいい!!!!
凹み続けてるシンジくんを綾波が立ち上がらせてシンジくんはケンケンのお仕事を手伝うんだけど、コア化解消実験みたいなことしてるとこでミサトさんと加持さんの息子が出てくんの!!!息子の名前リョウジだってさ!14歳だって!!!!ミサトさん破のときには妊娠してんじゃん!!!!!!でも加持さんはニアサードインパクトを止めるために死亡確定だってさ!!つら!!!!!!
ネルフで調整しないと長生きできない綾波はシンジくんの目の前でLCLになって死ぬんだけど、シンジくんはこれまでのように激凹みをせず、ヴィレに戻ることを決意する。強くなったねえ。シンジくん強くなったよ。目元が赤くなってたからすごい泣いたんだろうにアスカとケンケンの前では気丈で本当に強くなった。おじさんその強さに泣いちゃったよ。代わりに泣いちゃったよ。
ヴィレに戻ってからは鈴原サクラにビンタされたり、艦隊戦やったり(燃えるぜ)、エヴァインフィニティと新(真?)弐号機と八号機が戦ったり、初号機の方から指先が2本くっついたようなキモい敵と戦ったりした後に、弐号機が十三号機に緊急停止プラグみたいのを刺そうとしたら弐号機自身が怯えてATフィールドでプラグを止められちゃったらアスカが自身を使徒化して結局プラグ刺せなくて、アスカの原型に魂持ってかれて、うんうんアスカと弐号機ってひどい目に合うのがいいよねニチャァってなった。
そんでまあミサトさんと対話したシンジくんのとこで隣の人が泣いてた。私も泣いた。色々あって十三号機にのったゲンドウと初号機のシンジくんが槍を持って特撮のセットみたいな感じの世界で戦った後にシンジくんが対話を選択するの。そこでゲンドウがどんな人間だったか、どれだけユイを好きだったか愛していたか、失ってから気付くユイによって色付けられた世界、シンジくんへの贖罪と後悔がラフな画面と共に語られる。そしてシンジくんの向こう側にどれだけ探しても見つけられなかったユイを見つけ、電車を降りるゲンドウ。ああ、彼の物語はここで終わりなのだなと思った。そしてこれまでのエヴァンゲリオンは母の物語であり、シン・エヴァンゲリオンとは父の物語なのだなとも思った。
電車を降りたゲンドウに代わり、カヲルくんが出てくる。世界を作り変える力を持つ新しい槍でシンジくん(ごめんここ適当に言ってる)はカヲルくんを救済し、アスカを救済し、レイを救済する。このときはTVシリーズ、旧劇などの要素を引っ張って本当にすべてのエヴァンゲリオンを終わらそうとする。私はこれを公式が出している旧シリーズ、新劇、漫画、ゲームだけでなく二次創作に対してもエヴァンゲリオンは終わりだよ、卒業しようって言われてるように思った。カヲルくんは加持さん(とレイ)、アスカはケンケンとカップリングだよって言われちゃった気がした。私はCP厨ではないのでみんなが笑顔だったらそれでよかった。うん、よかったんだよ。きっとみんな幸せになってくれると思う。
そして、シンジくん。シンジくんはニアサードインパクトを止めた加持さんや新しい槍を送り出してくれたミサトさんのように、自身を犠牲にして世界を作り変えようとするが、ユイが身代わりとなってシンジくんは現実へ送り出される。その後青くなった(青くなったんだよ!)海の前で座ってるシンジくんのところにマリがやってくる。10数年後、大人となったシンジくん(CV:神木隆之介)が駅のホームでマリと一緒に歩き出す。そこがカップリングになるの!?とびっくりしたところでエンドロール。
シン・エヴァンゲリオンを観て心がグチャグチャになって、観てからはふと涙が出そうになった。一度涙が出るとボロ泣きしそうだったから我慢した。そのときに思った。自分もエヴァの呪いに掛かっていたんだって。そしてそれが解呪されたこともわかった。それがわかったらグチャグチャになってた心がスーッと楽になった。エヴァンゲリオンは終わったんだって思った。そしたらなんか書きたくなった。これ書いたら自分の中のエヴァンゲリオンが終わる。終わらせられる。やっぱり呪い掛かってたんだな。そんなことないと思ってたんだけどな。
記憶が怪しいし途中で力尽きてるし文章下手でここまで読んだ人いないと思うけど駄文に時間使わせて申し訳ない。
以下思ったこと箇条書き
・ニアサードインパクトを劇中で殆どニアサーって略してて、フフッとなった
・予告に使われた映像が本編でも使われてたのがおもしろい。見たことあるやつだ!!ってなる。いや世の嘘予告いい加減にせーよw
・マリがイスカリオテのマリアって冬月先生に呼ばれてたけどなんて???
・破の「行きなさい!シンジ君!誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!」が劇中使われてて、いいシーンなのにちょっと笑っっちゃったの本当によくない。そしてそれは劇中で昇華されたのがよかった
今年からGPがカタカナでグランプリになりました、とかマジでどうでもいい。
決勝戦の見せ方があまりにもグダグダすぎて、流石にドン引きです。
M-1とは元々月とスッポンの差があったのが、もうそれが今年は月とマントルくらい開いた。
後発のはずのキングオブコントの方が、よっぽど見せ方上手い。
…一言断っておくが、Creepy Nutsを責める気はなくて、彼らはむしろもらい事故の被害者だと思う。
かの有名なM-1の出囃子、FATBOY SLIMのBECAUSE WE CANみたいにしたかったんだろうけど、耳に残りすぎて逆にネタ前に毎回かかったら見る側はネタに入っていけない。
漫才なら、出だしはだいたい「どうもー!〇〇です」って威勢よく入るからまだしも、
R1はピンネタでフリップ芸なり世界観強めのコントだから、出だしは静かな入りがほとんど。
…告知パートに紛れて、ドラマの番宣入れるなよ。M-1で上戸彩は番宣一切しないだろうが。
緊張感が削がれるし、大会の格もそれだけで落ちるんだよ。
番宣ありきで広瀬アリスをブッキングしたなら、来年はまた違うキャスティングなのかよ。
まだ、局アナに回させた方がよかったわ。
…マジで意味不明。ただでさえ尺パツパツなのに、なぜあんな長い時間、優勝決定直後という美味しいタイミングを、冠スポンサーのU-NEXTの社長を壇上で待たせたまま、1本目のネタをプレイバックしたのか。
なんか転換でもしてたのか(いや、してない)
あそこは普通、盛り上がりの最高潮なんだから、優勝者の第一声から、審査員に大会の講評を聞きながらエンドロールでエンディングでしょうに。
あの静かめな3分間、視聴者の皆さんもじっくり大会を振り返りましょう、やないねん!
…全ての元凶はこれに尽きる。それぞれのネタが、なかば流作業的に披露され採点され消えていく拙速な進行は、すべて2時間という放送枠の短さに起因している。
出場10組+決勝3組、計13ネタをきちんと見せるにはあまりにも尺が足りない。
編成上の理由で、18:30からのサザエさん動かせないのは分かる。
ならばなぜ、19:00〜22:00の3時間枠にできないのか。
日曜21時台は、20時から続く特番枠なんだから、容易に調整できたはず。
結局、Mr.サンデーの2時間特番が入ったってことは、編成的な優先順位がR1は低いってことなのだろう。
それくらいの温度で決勝を放送するから、結局R1の地位も魅力も上がらないんだよ。
審査員の人選も良かったとおもうし、M-1との差別化で取り入れた視聴者ツイッター投票による加点も賛否両論あるとは思うが、わたしはあってよいと思う。
ただいかんせん、番組やコンテンツとしての見せ方があまりにもレベル低い。
まだTHE Wの方が、見せ方としては上だった(あれはあれで、結局は日テレの番宣要素が強すぎてひどいことには変わらないが)
M-1>>>越えられない壁>>>キングオブコント>>>越えられない壁>>>THE W>>R1
である。
ZAZZYじゃないけど、
なんそれ!
滝川クリステルのO M O T E N A S H I
東京への決定、
意気込む選手たち。
テカテカとにこやかな森さん。
時は経ち2020年、コロナでオリンピックは急速に危機をむかえる。
あがく森さん。
どう考えても無理な状況なのに開催を叫ぶ。
そして2021年。
感染症のさなかに外食と旅行を推奨する前代未聞の愚行は、自身が拠り所とした政党が生み出したものであった。
結局、これがオリンピックの致命打となる。
走者はやる気のない顔で国道1号線を走る。
無観客を指示したが当然群衆が集まる。
そのなかには森さんも。
感極まる森さん。
森さんはわめく。何をしている、走れ、続けろ。
もちろんどうしようもない。
その後、開催をあてこんだあらゆる業種で倒産が相次ぐ。
国民は誰もが下を向いている。
森さんは各所を罵る。事態を呪う。
しかしだんだん死んだ目になっていって、メディアに出なくなり、失意のまま静かに天寿を全うする。
そんな一連の流れを映像化してほしい。
エンドロールでは2220年月面オリンピックで東京オリンピックを悼んで蘇生された森さんが十種競技を元気にこなす映像を頼む。
流行ってるからという理由だけではとても手を出せなかったが、少し気になっている子と一緒に映画館へ行けるかもしれないという不純な理由によって俺は鬼滅に手を出した。
2週間くらいかけてTV放映版をアマプラでてきとーに見て、ふーんと思った。面白いけど魂持ってかれるくらいの情熱は感じなかったし、もういい年した大人になってしまったので子供がひたすら可哀想な目に遭いつづけるというのはちょっとしんどかったのだ。それはそれとして炭治郎少年は近年稀に見る立派な主人公ではないか。色々あって気になる子と一緒に行く計画は潰えたが俺はそれでも一人で鬼滅の映画を見に行くことにした。
結果、魂持ってかれた。泣きすぎて俺はエンドロールで歯を食いしばり拳を全力で握りしめなくてはならなかった。でも映画館にいたみんなが恐らくそういう顔をしていたのではないだろうか。暗闇に隠れてみんなが泣いて心を奪われていた。恐ろしい光景じゃないだろうか。日本全国で、いや世界のどこかしらで、この映画が公開されてからかなりの量の人間が…しかも結構いい大人が号泣してきたのだ。怖。
とにかく俺は…。俺は…。言わずもがなだと思うが煉獄さんのあまりの志の崇高さに胸を打たれて泣いていたのである。
まずこの人は登場シーンからすごい。お弁当をうまい!うまい!と言いながら食べる。普通あんなに食べたらうまいと口にするほどの新鮮な感動なんかなくなってしまうはずだ。それでも毎回一口食べるごとにうまい!とのたまい、とんでもない量の食事をきれいに食べきってしまう圧倒的な健全さに俺はまず驚いた。すごい人だ!弁当を作った人がいたら泣くと思う。俺は昔親含め家族全員の弁当を用意していたことがあったが、ここまで喜んでもらったことは当然ない。別に煉獄さんは弁当を作った人のためにうまい!と言ってるわけではないだろう。それでも毎回感じた感動をアウトプットしてくれる人が一体どれだけいるんだろうか。弁当作りについてもそうだが、仕事でも学校でもそうだった。
もちろん煉獄さんは非実在の人物だ。ただの絵と文字でできている。本物の人間がこの人のようになるには恐ろしい努力と恐ろしい無理を重ねなければならない。
そんなことはわかっているのだが、煉獄さんはそういう建前を全部ぶっこわしてしまうくらいもっともっと素晴らしかった。
終盤に突然上弦の鬼とかいうのが襲来する。映画館で俺は震え上がった。ずっと仄かに感じてきた煉獄さんの死の匂いがここで耐え切れないほど強くなったからだ。
こんなに素晴らしい人が長生きするわけないじゃないかよぉ〜!!と発狂しそうになった。
心を燃やせとかいう煉獄さんの名台詞は俺もなんとなく聞いたことがある。燃やしたものは灰になる。強く燃えれば燃えるほど早く尽きるだろう。煉獄さんの炎は力強く消えることがないように思えるが、そもそもこんな役に立ちそうな人が最後まで残っていたら絶対展開が難しくなる気がする。俺が作者なら早めに感動的に退場してもらい、後々主人公の成長に影響を与える存在になってもらうだろう。
みたいなメタなことを考えながら震え上がっていると煉獄さんは鬼の誘いを断った。
お前も鬼になれ。鬼になればもっと強くなれる、怪我も治るし老化もしないし長生きするし更に強くなれる見込みありありだぞ。という感じの話を何回されてもきっぱり断った。
「断る!」
「君と俺では価値観が違う!」
みたいなことをひたすら言い続けた。
俺はその後に来るであろうお決まりの台詞がないことに違和感を覚えたが、
結局そのお決まりの台詞を煉獄さんは退場するまで一度たりとも発さなかったのだ。
何かというと、卑劣な誘いに対して「そんなことをするくらいなら死んだほうがマシだ」みたいなあれだ。バトルものなら絶対誰かが一回くらいは言うあれ。これを口にすることにより、敵の誘いに対する絶対的な拒否、拒否のレベルの高さ、正義のために自分の命すら捨てることを厭わない高潔さ、また死を選ぶほどの勇気など色々なことが表現できるので、主人公とかがよく口にする。侍の時代から潔く死ぬことは美しいことだ。その価値観は今の今までなんとなく続いているが、煉獄さんという誇り高い剣士は今こそそれを口にするべきタイミングで愚直とも言えるほど真っ直ぐなお断りをするだけなのだ。時代的にもまったくおかしくない上、たぶんジャンプ誌上ではあらゆるタイミングで「死んだ方がマシ」と死を恐れぬ猛者どもが口にしてきたはずなのに。
煉獄さんは命を大切にする人なのだ。というか、命を無駄にしない決意を持った人なのだろう。俺がそう決定的に思ったのは煉獄さん自身の吠えるような強い台詞によってだ。
「俺は俺の任務をちゃんとやりぬくぞ!(意訳、泣きすぎてあんま覚えてない)」
「ここにいる者は誰も死なせない!!」
「若い芽は摘ませない!」
煉獄さんは死んだ方がマシなんて絶対に言わなかった。炭治郎が言ったように、ここで煉獄さんが倒れると他の全員が死んでしまうかもしれないのだ。煉獄さんは生きている間、ベクトルが常に他人に向いている。炎柱になったことを父褒めてもらえなくとも、その辛さより弟への気遣いを優先した。人のためになるべく生きてきた人だ。死ぬほど苦しくても怖かったとしても少しでも長く生きなくてはならない。人よりも力ある人間は人を助けなくては。みんなのための命だから、粗末にしてはならないということなのか。そんな自己犠牲は狂気ではないか。煉獄さんの考え方はやばい、それは俺にもわかる。しかしこれを美しいと感じてしまう俺自身のやばさも分かる。怖い。煉獄さん怖い。立派すぎて怖い。でも立派な人だ…。
結局、やり抜けない人が自己犠牲に走るのは危ういということなのか。俺にはできない。仕事でも自分の親の世話でも滅私奉公をやり抜くのは不可能だった。多分俺には人より力がないからだ。でも煉獄さんにはできた。それだけ人を助ける力を維持し続けたから誰も不幸にせずにやり抜けたのだ。
朝日と共に映画は終わり、烏が煉獄さんの死を告げた。その後のエンドロールですら俺は目茶苦茶泣いた。煉獄さんの死を烏が告げ回った後に、その烏を腕に止める煉獄さんの絵を見せるなよ。煉獄さん自身もこうして訃報を受け取っていたのかなとか思ってしまうだろうが。煉獄さんはいつも表情が変わらないからこのタイミングでその絵を見せられると変な勘ぐりをしてしまう。
そもそも映画でこの話をやるなよと思った。たとえらこの後泣いた顔で映画館を出る勇気は俺にはない。だからしばらくトイレに篭ったりした。
煉獄さんが口にした命の美しさとは、不可逆的に前に進み続けることだ。常に進み続ける。どんなに辛いことがあっても。漫画やアニメやDVDではともかく、映画館で観る映画は俺の力では止められないし変えられない。もう少しこの素晴らしい映画を見続けていたい、煉獄さんがいる時間の中にまだ居続けたいと思ったところで1分たりとも時は戻らず進み続けるだけなのだ。そんな構造で煉獄さんの物語を見せようとした嫌らしさと巧妙さがしんどい。いや、素直に言うとすごいと思います。
多分、映画を見にきた人々は炭治郎たちと一緒に無限列車に乗せられてしまうのだと思う。共に切符を買い、係員に鋏を入れてもらい、わくわくしながら決められた席に座る。この装置が自分をどこに連れて行ってくれるのか胸を高鳴らせながら。きっと素晴らしい旅になると夜汽車の窓を(俺たちは暗闇に浮かぶスクリーンを)ただ見つめる。彼らがお弁当を食べるようにたまにはジュースを飲んだりポップコーンを食べる。これは楽しい旅だから。
無限列車を作り出した鬼は炭治郎ではなく、自分自身でもなく、スクリーンに向かってこう言うのだ。
「人間の幸せな夢を見たいって言う欲望は本当に強いものなんだからね」
みたいなことを。
楽しい夢を見にきた俺たちは地獄を見せつけられる。多分漫画で予習してきた層にとってもそのはずだ。心躍る旅だと思ったのに、恐ろしいクオリティで畳みかけられる情感と精緻な臨場感で一刻一刻がつらくなる。どちらが素晴らしいと言う話ではなく、漫画の中の煉獄さんの存在感と、この映画の中の煉獄さんの存在感はまた別物だ。どんなに漫画を読んでいても映画を初めて観る人は映画の中の煉獄さんには初めて会うはずなのだ。映画の煉獄さんはすばらしい。絶対に予想を裏切ってくるほどすばらしい(重ねて言いたいのだが決して漫画より優れていると言う意味ではない。自分の頭の中にあった程度の予想など軽く振り切ってしまうほどの出来というほどの意味だ)。映画の煉獄さんは俺たちが頭の中に描いていた予想よりずっと優しく、強く、魅力的だ。だからこそこの人をずっと見ていたいと強く願わされ、その願いを留めておく方法がないことに涙する。映画は止まらない。走り出した汽車も止まらない。列車は時と同じく常に走り去りゆくものだ。また同じ場所を走る時にはまったく違う乗客で満たされているだろう。
不可逆的に前に進み続けること。残されたものは生きていくしかない。それを突きつけられた炭治郎たちの夜は明け、俺たちのスクリーンの夜すらも空けてしまい、俺たちは煉獄さんのいない平凡で平穏な日常に取り残される。それでも進まなくてはならない。だから俺はアホみたいに泣いた顔をマスクで隠してちゃんと歩いた。煉獄さんのいない日常を生きなくてはならない。
でもエンドロールの最後の最後で煉獄さんの折れた刀を見せつけてきたのは誰なのかマジで知りたい。お前のせいで俺はあの瞬間更に涙が決壊した。お前だけはマジで許さん。
dTV独占
Hello World もそうだった
Another World これは後日談というか前日譚だったかな
https://dch.dmkt-sp.jp/special/ct/c90000071
https://fod.fujitv.co.jp/s/genre/drama/ser4s45/
私の部下のハルトくん (同時間、サブキャラが主役。同じ世界観で全く違う話)
https://thetv.jp/news/detail/239408/
タラレバ娘も
東京ダラダラ娘
長いし、読む価値は無いので、読んでからガッカリしたとしても自己責任でお願いします。
子供の頃からなんとなく漠然と、自分の人生は二十歳で終わると思っていた。
高校受験、学校見学で魅力的な学校を見つけ、どうしても入りたくて、頑張った。
憧れた高校に入学して、そのあと何をしたらいいのか分からなくなった。
高校生活は何をすればいいのかわからなくて、とりあえず「それっぽい」ことをして終わった。
憧れた高校生活は、ほとんど何もせず、ただ好きな制服を着て、かっこいい校舎を彷徨くだけだった。
それで満足していたし、それ以上はなかった。
大学は行きたくなかった。
やりたい事はほぼなくて、勉強もできないし、将来の目標も無いから、行く意味が分からなかった。
小学生の頃の昼休み、友達に「絵が上手いから漫画家になればいいじゃん」と言われた。
その時からなんとなく漠然と、自分は漫画家になるんだ、と思っていたし、漫画家になるなら専門学校の方がいいと思っていた。
あとは、当時見た3D映画がかっこよくて、そういうのを作る人になりたいと漠然と思って、そういう専門学校も考えていた。
結局、絶対大学じゃなきゃダメだという両親に説得され、漫画も3Dも学べる大学に入った。
新設の学部だったし、入試説明会や案内には、漫画やアニメ…それこそ専門学校のようなラインナップが書かれていて、親が許さず専門学校ではなくこちらにきた、という人が私以外にも大勢いた。8割はそうだったと思う。
実際、入学前に散々確認した3Dのモデリングに関する知識のある講師は、入学後には存在しなかった。
かろうじて漫画の講義はあったが、ただのオタクおじさんが自分のロリ趣味を語って聞かせるだけで、そこに学べるもの(例えば、そのロリの魅力、なぜいいのか、どういうところがファンの心を掴むポイントなのか、などを話されればまだしも、ただ「かわいい」としか話されなかった)は無かった。
これは、このままここにいても意味がない。このままじゃ無駄な時間を過ごしすぎる。
二十歳まで残り2年、アルバイトを頑張って、大学在学中に夜間の漫画専門学校に通った。
それでも学校に行ったのは、私自身がそうしないと一作も描けない人間だったからだ。
つまり、この時点で気づくべきだった。
私に漫画は向いてない。
授業は週一、1年間。必死で稼いだバイト代のほとんどを注ぎ込んだ。最大限に有効活用して作品作りに役立てようと息巻いていた。
入学特典として、時間外でも個別相談で作品を見てもらえたので、入学2ヶ月後、早速初めてのネームを見てもらった。
ストーリーも何もかもボロボロで、とても酷いネームだったと思う。
それでも、丁寧に指導してもらえて、学ぶことがたくさんあって嬉しかった。
教えてもらった事を活かすために、早速新しいものを描いて、2週間後にまた持っていった。
「あなたのネームは長いし、見るのに時間がかかるからなぁ。僕、家が郊外で遠いし、嫁が家で待ってるから」
それ以来、週一の授業も休みがちになり、半年をこえた頃には専門学校は行かなくなった。
自分でなんとかしなきゃ。
とにかく、まずは一作。
そうして、専門学校卒業前に1人で作品を完成させ、初めての持ち込みに行った。
せっかく描いたし、なるべくたくさんの意見を聞いて次に活かしたい。
5個の編集部に持ち込みに行った。
うち2箇所で、二度と漫画を描くなと言われた。
そんなバカな、誇張が過ぎると思うでしょ?一箇所はあくまでやんわり、自分の担当作家と私との違いを長々と話した上で、向いてないと思うと言われた。
もう一箇所は誇張無しでハッキリと、「二度と描くな」だった。
でも、2度目を描くことも許されないとは思わなかった。
帰り道の足取りは重かった。
初めての単身上京、知らない街。
足を止めたら消えてなくなる気がしたから。
うち一つは、みんなの憧れで厳しいと言われる場所で、なんならそここそ絶対無理だと思っていた場所だ。持ち込み予約の電話時点で扱いが悪かったし、当日も約束の時間に行って、30分待たされて、待ってる間他の人が酷評されているのが聞こえて、怖くて途中で帰ろうかと思っていた。
でも、そこの編集者が1番優しくて、また見せてほしいと言われた。
でも結局、編集部の名前が凄すぎて恐れ多いし、なにより田舎者の自分はそう簡単に持ち込みに行けないので、もう1箇所の名刺をくれた人にネームを送るようになった。
結果から話すと、うまく行かなかった。
その頃には大学も卒業の年になり、最後の思い出のつもりで卒業制作を別の編集部に投稿した。
持ち込みの時にも行った編集部だが、持ち込みの反応はかなり悪かったし、きっと今回もダメだと思っていたが、卒業旅行中の魚市場で受賞の連絡を貰った。
漠然と、自分は漫画家になる、と思っていたから、就活はしていなかった。
元々していたアルバイトをフルタイムにして、漫画を描いていた。
しかしバイトがハードすぎて漫画を描く時間はなかった。休憩時間に事務所でトーン貼りしたりしてた。
鬱になった。
正確には鬱になったのは卒業制作中、同じゼミの子と比べられるプレッシャー、作品ができない焦り、バイトの繁忙期が重なってパンクした。
ある日突然、プツンと何かが切れるような感覚があって、それ以降、目の前で話しかけられても、音声として認識できても言葉として理解できなかった。
話を聞いているのに、聞き取れない。理解できない。
当時の店長に相談して、接客から裏方作業に切り替えてなんとか過ごしていたが、色々あって結局辞めた。
元々2年で辞めるつもりだったし、漫画もバイトもうまく行かなくて、就活を考えた。2年以内ならまだ第二新卒枠がある。
それでも雇ってくれるという会社があった。絵を描ける技術を買ってくれて、新しく雇用形態も増やして、漫画の夢を追いながらうちで働けるようにサポートしてくれる、と。
すごく嬉しかったが、断った。
雇ってくれるという会社は、夜の街に近かったし、それに隣接するお店も取引先になっていた。
両親はそれが心配だったらしい。
「周りの人に、そんなとこで働いてるって言えるの?」
私は働いた事がないから分からないけど、親が言うならそうなのかも、と思ってしまって、断った。
今思えば、あの時あの会社で働いていたのが、1番幸せな分岐だったのかもしれない。
面接をしては落ち、を繰り返している間にふと、どうせ働くなら漫画に近い場所の方がいいのでは?と、アシスタント先を探すことにした。
当時はまだアナログが主流で、どこも都内で通いの募集ばかり。田舎者の自分には不可能だった。
家から自転車で行ける場所、未経験者可、自分にとっては最高の条件。
早速応募して、面接。
そこで初めて、現役の漫画家さんと話した。
作家さんの仕事場はフルデジで、ワンルームに作家さんと私用のPCと液タブが、それぞれ壁を向いて設置されていた。他は何も無い。
お互いにコミュ障で、会話はあまり弾まなかった。それでも、ネームを見てもらったり、トーンの貼り方をなんとなく教わったりした(基本的には「いい感じにして」の指示だったので、ほとんどは独学だった)。
その作家さんは漫画業界の闇に触れすぎて疲れていたので、ほとんど話し相手の役割だったが(そもそも週刊と月刊の2本連載をほぼ1人で描く狂人だった)、私にとっては貴重な話がたくさん聞けた。
あと、その話を聞いてて、「漫画家なんてなるもんじゃないのかもしれないな」、とも思った。(作家さんが毎日のように辞めたいと言っていたから。そもそも異常な執筆量を1人でこなしてたし、そりゃ辞めたくもなるわな、と今は思う。)
そこで1年半すごし、作家さんの連載の終了と共に辞めた。
その頃は、何度か原稿を送って、1番小さい賞を何度か取っていた。しかし担当さんとはうまくいかないし、原稿送っても「悪くは無いけどよくもない」しか言われず、何をどうしていいか分からない状態だった。
そしてふと、自分は今まで一度も漫画を楽しく描いた事がないことに気づいた。
展開が、目線誘導が、読者の盛り上がりが…
初めて描いた時から、そんな事を気にしてばかりで、自分自身が楽しく漫画を描いたことがなかった。
アシスタントも無くなり、名実ともに無職になり、再度就活を始めた。
相変わらず履歴書を笑われて、嘘つきな採用担当に意味不明な事を言われながら、最後に自分の好きなものを描いてみようと思った。
何を描いても、誰にも何も言われない。
好きなように、楽しく。
結果的にやっぱり「読者の目が〜」とか「起承転結が〜」とかを気にしてしまい、完全には楽しくなかったけど、それでも、今までで1番気楽に描けた。
せっかく描いたし、SNSにあげてみた。
今まで私の漫画は学校の先生と、編集部の人くらいしか見たことがないし、反応をもらえた事はない。
いいねが1万件ついた。
びっくりした。
たった一晩で想像もしない人数が見てくれた。感想のコメントもいっぱいついた。
嬉しかった。
それから、就職が決まるまでの間…と、少しずつ好きな作品を描いた。
これで漫画は最後にしようと思っていたのに、やっぱり描きたくなった。
ほとんど返事はなかったが、1箇所だけ返ってきた。
そしてそこで、いきなり連載になった。
今までもらった事ない反応が続いて、ある種のハイ状態だった事もあり、その連載もうまくやれる気がしていた。
そして実際単行本も出した。
これだけ聞くと、SNSで人気出て連載、書籍化、すごく順調っぽい。
当時の自分もそう思っていた。
でも実際は違う。
話数が増えて、人気もちょっとずつ出て、物語にちょっと複雑な内容を追加した。
とはいえ、ただエロシーンが続くだけでは読者も飽きるし面白くない。何より話が続けられない。
そして元々少年漫画が描きたかった私は、エロだけを描くのは本意では無い。
今までは「いつか人気が出れば複雑な話も描けるから」と言われて頑張っていたが、その「いつか」が来ない。
担当にはっきりと、「絵がそこそこ描ければ話なんてどうでもいいから」と言われ、自分から打ち切りを申し出た。
今でも配信サイトのコメント欄には続きを望む声が書かれていて、非常に申し訳ない。
描けなかった。
今度こそ、きちんと、話で勝負できるように。
連載の経験もあるし、単行本も出てる。今までとは違う。採用にならなくても、作品を良くする話をしてもらえるはず。
「よくこれで本が出ましたね」
持っていったネームも単行本も、今までのどの持ち込みよりも酷い評価だった。
曲がりなりにも約2年、頑張って描いていたのはなんどったのか。
当たり前といえばそうかもしれない。
過去に2社で連載をしたが、その二つ共が作品の打ち合わせはほぼ無かった。
一社に関しては一応ネームチェックがあり、エロの量だけ指示された。
もう一社に関しては、企画段階で一度だけ電話があり、メールの内容の復唱だけして終わった。以降は何を送っても「いいですね!」何も良くない。こっちが頑張って、相談しても特に取りあわれず、返事は全て「いいですね!」
一応お金をもらっていたけど、やってる事はSNSの投稿漫画と同じ。
商業作品の魅せ方のノウハウはもちろん無く、作品作りの才能がない自分には、自分だけの力で読者を惹きつける漫画を描くことはできなかった。
3度目の、「もう漫画やめよう」が来た。
悔しいけど、やっぱり自分には描けない。
その漫画は、内容にアラは感じていたが、今までで1番楽しく描けた。
その作品を持って出張編集部に行って、そこでも2社声がかかった。
描けなかった。
私の中でイメージするキャラは持ち込みの時から変わっていない。けれど、いくらネームを描き直しても、担当さんからはキャラブレ、別人になってるという指摘をされた。
だんだん自分でもそのキャラがどんな子なのかわからなくなった。
しばらく練り直して、やはり変わらなくて。
諦めて別の話を描くことにした。
そこからは真っ暗闇だった。
どんな話を描いても、中身が全部同じと言われる。
下手に考えるより、自分の好きなものを好きなように描いて、それを膨らませる。
そう言う方法で描いた方がうまくいくタイプなのは自覚していたから、そのように描いていたつもりだ。
結局実力も追いついていなかったし、描きたいものも分からなくなってダメだった。
そんな事が2年近く続いた。
別の編集部の人に、考えている途中のネームを見せたこともある。
足りないのは実力じゃなくて話の一番の見せ所だ。あとちょっとでうまくいきそうだし是非頑張って。
それは、私が初めての持ち込みの時からずっと言われている事だった。
そろそろ30になる。
二十歳で死ぬと思っていたのに、10年もロスタイムを生きてしまった。
一番仲がいいと自分では思ってたし、昨日まで仲良く遊んでたのに。
突然クラスの男子からいじめに遭い、それを一番仲が良い友達に相談していた。
男子を使ったいじめの首謀者がその子だと気づいた時は目の前が真っ白になった。
はっきりと意思表示をした。思い直してくれることに期待した。
「別にいいし」
友達を作るのが怖くなった。
どんなに仲良くなっても、弱みを握られるだけだ。
ある程度損得が考えられる生徒が多かったから、いじめにはならなかった。
3年でようやくできた友達は、卒業と同時に「私たち高校の間だけの友達じゃん」と言われた。
友達って難しいな。
親には言えなかった。
友達に言うとまたいじめられるかもしれない。親なら相談に乗ってもらえるだろう。
そのまま卒業した。
そう言われ続けて卒業した。
何人か連絡先を交換して話したりした。
仲良くなった人もいる。
ちょうどアシスタントを始めた頃で、それまでバイトの都合で服装に制限があったし、オシャレはほぼした事がなかった。
ネイルと言うにはお粗末だが、100均の安いマニキュアを買ってなんとなく色をつけて喜んでいた。
100均のマニキュアを使った事がある人なら分かると思うが、乾くのが早い代わりに、木工用ボンドみたいにペロッと剥がす事ができたりする。
オシャレに無頓着な私はそれが何となく楽しくて、塗った後しばらくたって剥がれたマニキュアをめくったりもしていた。
ある日、LINEのやりとりで仲良くなった1人に食事に誘われた。
趣味の話とかゲームとか、そう言う楽しい話をしていた、異性で初めてできた友達の感覚だった。
自分の指先が、剥がし掛けのマニキュアでボロボロなのを完全に忘れて食事に行った。
向かい合った個室のテーブルで、その爪に気づいたその人に、「ネイルやってるの?見せて」と手を握られた。
そして、ボロボロの爪を見られた。
「オシャレだね」
怖くなった。
ボロボロにハゲた公園の遊具のペンキみたいな指先を綺麗と言ったのだ。
しかも、気持ち悪い笑顔を貼り付けて、視線は全く手を見ていなかった。
男女でただの友達になれるのは大学まで、そのあと仲良くなれるのは下心のある人だけらしい。
それがたまらなく怖かった。
その後も何度か友達までの付き合いの人はいたが、例えばふとした瞬間肩を触られたり、手を握られたり。
そう言うのが怖くて続かなかった。
そのままもうすぐ30だ。
家を出る能力がないので実家暮らし、毎日両親…特に母に怯えて生きている。
「家にいるんだから家事しなさい」「他の人は外に働きに出てるんだから」
少ないながらに在宅でアシスタントはしている。
両親の中で、外に通勤していない、在宅労働は「仕事」ではないらしい。
本当は拘束時間が長い職場だが、家事があるため作家さんに頼んで短くしてもらっている。
当然、その分給料は減る。
給料が少ないから、その分早く自分の原稿で稼げるために作品作りに励む。焦る。
それでもようやく希望が見えてきて、前向きに色々挑戦できそうになってきた。
真夜中に叩き起こされ、いつ結婚するのかと叱責された。
完全に寝ていたので、はじめ何を言われているのか分からなかった。