はてなキーワード: エゴとは
カプ二次なんておそらくほぼ「自分がそのカプを見たいから」の動機で始めてるのに、むしろそこを濯ぎたくてか正当化したくてか「明示されていない以上ヘテロとは限らずあらゆる可能性がある」で原作者の定めてるだろうキャラ設定を積極的に曲げていく上にそれに疑問を持つ人の方こそ差別的でアップデートされていないのだとしていく考え方には腐女子だけどおためごかししてるなよって思う
自分の欲望とエゴでキャラの見たい姿を二次創作してるってとこからは目そらすべきじゃないし、胸を張りやすい理由や大義名分でそこを覆い隠すべきでもないとよく自戒するわ
そのへんに拘泥しすぎてついに原作と原作者の権利や意向をないがしろにして恥じない二次オタク結構見るけど、さすがに優先順位間違ってるぞって思う、人の作品借りてるんだぞって
明示されていない以上ヘテロとは限らずあらゆる可能性がある、この考え方リアルではめちゃくちゃ大事だと思うけど二次で自分を正当化したり他人を攻撃する材料にするのはよくない使い方だと感じてる
同性カップルにかぎらずだけどね
朝出かけるときにお手本のようなウグイスの鳴き声が聞こえてきて
他にもまるで森の中にいるかのような小鳥のさえずりが聞こえてきたり、
なんか近所の鳥たちが元気でいいんだけど、
どこかで誰かが素材の音を鳴らしてるんじゃね?って思うほど立派な綺麗なお手本のような鳴き声なのよね。
そんで、
森の中にいるような小鳥たちのさえずりも何かの素材的に褒められるような綺麗な鳴き声で、
これも誰かがどこかで鳴らしているのかしら?って思うけど、
ウグイスと小鳥たちの聞こえてくる方角が違う方向から聞こえてきているから、
同じところから違う鳥の種類の音源を鳴らしていると言うことではない、
多分本当のリアルな鳥の鳴き声です。
って言っちゃうほど、
名探偵なのよ!
なんかリアルすぎて変にフェイクだと思ってしまうがちなことない?
そのパターンというか。
何日か立て続けに鳴き声を聞いたので、
そんな人的にならしているわけではなさそうなのよね。
あとそんな森の中じゃないのに
街中なのにそれもギャップがあって
また違和感を感じたのよね。
まあなにしろ朝から鳥が元気で賑やかで目覚ましいらずでいいわよ。
鳥さんたちの朝は早いのよ。
うふふ。
24時間やってるマーケットに行くと便利なときがあって助かるわ。
今日はそこで買ってきたわよ。
追加購入してこなくちゃって漢字ね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
と思うよ?
だけどさぁ…そもそも、ネットって好きなものや技術を発表する場所じゃん?
しかも、俺が許せないのは、オタク文化や成人向けっていうのは、15年以上前なら
「ネット中にある最後の楽園で、純度の高い好きを発表する場所」
だったところに踏み込んできたところだよ。
「もうネットを切って、香川でうどん食べてるか、秩父の山にこもるしかないのか」
て気持ち
ちなみに、日本史ではぼくの考え方ってすごく正しくて、
「動乱が起こるほど時代が変化する時には、四国か、大阪か、山奥(お寺)から英雄が出てくる」
んですよ。
戦国時代に最初に都を抑えた三好氏も、幕末活躍した土佐藩も四国なんやわ
お寺で英才教育を受けた人が歴史を変えたパターンで行くと、源義経や井伊直政が有名なんだけど…今でも山に行くと文化圏が都会とは大きく変わるから
「都会の病んだトレンドが入ってこないことで、危機の時代にはむしろ都会から離れた場所のほうが有能な人が育つんだな」
と…なんか納得できてしまう
海や山と違う意味で、
「独自の文化圏が強すぎて、都会のダメなトレンドに飲み込まれない」
のが、大阪。
大阪って日本史全般で、常にナンバー2、ナンバー3のいちをキープしてて、変革を象徴する会社や人物を生み出すんだ。
ちなみに、武士系で大阪の有名勢力は楠木正成公と本願寺ですから…うん
「都がおかしくなってくると、大阪か四国か山から変革者が出て来る」
の法則通りなのよね。
N国・参政党・維新の党首が大阪で、国民の玉木雄一郎は香川の出身。
という変なネタ。
偶然も500年1000年単位で先例があって、なおかつ実際にその場所に行ってみると都と空気が違うのを見たら…余計に「ネタっぽいけど、そうかもしれない」っぽさはある
これ、ぼくは絶対やらないようにしてる。
https://twitter.com/ikegpg/status/1671742757625548802
特に笑いについては、
「人間なんて高尚なもんじゃないから、ジャンクであればあるほど面白い(だから、小学校低学年まではうんこ・ちんこ連呼してるだけで笑いが取れる)」
というスタンスだから、高尚な笑いなんて自分のプライドを満たしたいだけのエゴだよ
ぼくの言ってることがわからん人はおると思うけど、「なんでか」
わかった上で、ぼくに改善できることがあるかどうかは確認する。
でも、考えても相手がおかしい時は、相手をディスったりするんじゃなくて「合わない」「違う世界を見てる」ぐらいでいいと思うし、そう考えるように努めたい
ロシアのZ-スネークピット全体が今、その劇的な暴言に手をひねっているのが大好きだ
「祖国は危機に瀕し、ロシアの血が流され、内戦が進行している。」「圧倒的な襲撃の中、英雄的に前線を守り続けている正規軍に対する背後からの刺し傷である。」
「苦難と困難の陰惨な時にこそ、名誉ある男たちは誠実さを示し、最も邪悪な敵と神聖な防衛戦を繰り広げている共通の母なるロシアを救う必要がある」
「モスクワで今何が起ころうとも、親愛なる兄弟たちよ、手にしているものは何でも使って、ホラーたちを殺し続けろ。ロシアより大切なものは何もないのだから」。
哀れなエゴと愚かな似非歴史的陰謀論に取りつかれた妄想癖の独裁者が、アドルフ・ヒトラー以来のヨーロッパ最大の侵略戦争を引き起こしたのだ。
自分たちは世界を支配するためにここにいるのだから、欲しいものは何でも手に入れる権利があり、ノーと言って反撃する者は誰もいないと考えたからだ。
その結果、約16カ月前、ヨーロッパの大国に対する電撃作戦の試みとしては最もお粗末で、最も無能で、最も自信過剰なものであったにもかかわらず、あなた方は驚くべき屈辱的な敗北を喫した。
ルハンスク州のどこかで失われたまた別の養豚場を占領して「ナチスとNATOに対する大勝利」を主張し、「解放された」と宣言するためだけに都市を地上から掃討するという、最も不合理な方法を続けたのだ。
何カ月もの間、あなた方は無意味な10日間の「特別軍事作戦」を戦っていた。そのような利益を得る余裕など、どの軍事大国や国家にもないやり方だ。
決して負けを認めないために、あなたは21世紀にとって最も想像を絶することを行い、常態化させた。
残虐行為と集団墓地、肉挽き器による攻撃で死に追いやられた大量の自殺志願者、去勢、斬首、切断、民間人でいっぱいの大都市の平定、核の脅威、真冬のヨーロッパ諸国から暖房と電気を奪う爆撃作戦、チョルノブイリ以来最悪の人災である生態系災害、ヨーロッパ最大の原子力発電所の前例のない占領と軍事化。
あなたは、長年にわたる宣伝の虚勢と洗脳の根底にあったものを完全に明らかにするような、信じられないような失敗を続けた。
ドンバス一帯を、見渡す限りの廃墟と死体の散乱する過疎の砂漠と化した。
2014年にあなた方を信頼し歓迎するほど世間知らずで愚かだったドンバスの無数の強制動員された男たちを、あなた方は無分別に虐殺した。
プーチンを王座に座らせること以外に目標も計画もない愚かな戦争のために、あなたたちは怪物--巨大な傭兵軍団、今やあなたたちに対して顎を向けるのに十分な強さと大胆さを備えた肉挽きマシーン--を育てた。
哀れなナチスのクズどもよ、自ら作り出したクソの山に溺れるがいい。
お前たちは終わりだ。
自業自得だ。
そして、歴史はこれを史上最も非常識で愚かな戦争として記憶するだろう。
―イリア・ポノマレンコ
おれのすきな生物
カブトムシ:自分の体重の数十倍のものを持ち上げるらしい。パワーを感じる。それでいてクワガタと違って挟み殺したりはせず、樹上から払い落とすだけらしい。かっけえ。でも平地や虫カゴの中でクワガタと一緒にいると斬首されるらしい。ムシキングで海外の派手な奴らが流行ったけど、やっぱ国産のアレがシンプルでいい。「カブトムシ」はいるのに「クワガタ」はいないのが気持ち悪い。
カニ:パワーを感じる。葛西臨海公園でカニ網にかかったワタリガニを突っついてたら指挟まれてめっちゃ痛かった。外骨格の奴らは総じてパワーがあるのかもしれない。甲羅もなんかギザギザして攻撃的だし、掴むだけで痛かった。
おれはエビは割と好きだけどカニは食わない。似たようなもんだろと言われるけど、何かしら違うから好き嫌いが分かれるんだろうがよ。伊勢海老とロブスターも食わんから多分エビよりカニに近い。
タラバはヤドカリというのは有名な話だけど、それは彼らがカニぶった変態というよりは生物の分類の雑さを示しているだけのように思えてならない。カニがカニたる所以は脚の数じゃねえだろ。
ウナギ:水槽に入れても逃げ出すガッツがあるらしい。人間と馴れ合ったり飼い慣らされたりする連中と違って気骨を感じる。湿ってさえいれば地上でも結構な間生きていられるらしい。タフな生き物も好きだ。
生き物を飼うならおれのエゴに抵抗するくらいの気骨を見せて欲しいが、おれの支配に抵抗するような手間のかかる生き物は飼いたくない。
ウナギを食えばタフさにあやかれるというのが未だそこそこ言われてるが、なんと野蛮な発想か。実際栄養は豊富らしいが……
そしてウナギは美味い。ウナギ自身の旨さなのかタレと調理のなせる技か、はたまた値段に惑わされてるだけなのかはちょっと分からない。
クジラ:地球最大の動物はコイツらが占めてるらしい。デカくてかっけえ。陸に上がっておきながら再び海に戻る回りくどくて変態的な道を選んだ気骨を評価したい。それが進化か退化かは彼らが決めることだから、ただ変化と言ってきたい。
デカすぎて浜に打ち上げられただけで死んでしまうらしいけど、逆に言えば海に行かなければあそこまでデカくはなれなかった。
竹︰草とも木とも言い難いらしい。イネ科ってことで草寄りともとれるし、硬い幹?を持ってるから木ともとれる。強いて言えば竹は「竹」らしい。他人の勝手な枠組みに収まる事を許さねえ個性がおれも欲しい。
一度根を張ればドクダミのごとく無限に増殖して、家屋もブチ抜いたりもして、山林の管理者は竹に困ってるらしい。ガッツを感じる。クマムシもプラナリアも潰せば死ぬが、竹を倒すには枯葉剤を持ち出すくらいの覚悟がいるらしい。
人間の敵かと思えば、食料、食器、燃料、建材、武器、無限の可能性を秘めている。白熱電球のフィラメントにすらなった。無人島や異世界に持っていくべきはコイツかもしれない。
スマホゲーのウマ娘には、ゲーム構造上の欠陥があると思っていて、それは「アスリートとしてウマ娘を描く、スポ根もの」と「かわいい女の子が歌い踊り、人間関係を描くアイドルもの」の間で生じる矛盾。
スポ根が正しく熱く描かれるほど、じゃあアスリートに本業以外のダンスや歌唱はいらなくない?むしろこんな多様な性格のウマ娘がいるんだから、みんなが喜んで歌い踊るのは解釈違いだろう、という気持ちになってくる。アスリートに外見的な可愛さを求め、押し付けていると言えばその通りで、まぁルッキズムだ。
一方で、現実の競馬もよくよく考えると構造的に欠陥がある。馬が好き、馬が走るのが好き、馬に血筋と歴史あり、という楽しみの中で、速く走るためだけに改良されたサラブレッドという品種の歪さ、不自然さ、人間のエゴが見え隠れする。
この現実とゲームの構造的欠陥はどこかでリンクする。それはエンタメの中で、問題点を見て見ぬフリをするということ。ある種の快楽を優先することで、意識的に隠蔽する負の部分。
これらとどう付き合うべきなのか?意識をして罪の一端を精神的に背負うことで、自分への言い訳を用意し、致命的な矛盾を回避することができるのか。それとも単に忘れて楽しむことが正解か。
上手な現実との付き合い方を探る。
「それでもあなたに興味があるのです」という自分のエゴであることを自覚しておく。
まず、「顔が可愛い」から話しかけるでは弱い。なぜ、その人が気になるのか、言語化できておいた方が良い。
それから何かアクションを起こして、そのときの相手のリアクションで、相手がどういう心理で、そのリアクションを見て自分が何を感じるかがやっと分かる
たまたま話しかけれそうなチャンスを見かけた時、「よくいらっしゃいますよね?けっこう気になってたんですけどこの学食オススメとかありますか?」程度の世間話をまずはしてみる。
もしかしたら彼女は「(逃げるために来てるのに、またかよ。好きで来てると思われてんのかよ)」と冷めたリアクションとる可能性もある。
そのときすぐに引く。「ごめんなさい、急に、邪魔しちゃって!ごめんなさい笑」と退く。
それキッカケでもう来ないかもしれないが、それならそれで早く結果が出たってことだ。変な駆け引きせず。
もしまた見かけたら、軽く会釈(緊張せず、お、またいらっしゃるのね、くらいの気持ちで)するだけで良い。
第1話
ギャーーーーーーーーー‼️‼️‼️‼️
このサッカーコンテンツ、ド邪道すぎる・・・・・血も涙もねぇ・・・
殺意というか漆黒の意思が目に宿る演出好きすぎるな こんなのオタクなら誰でも好きか
蜂楽くん良すぎる・・・・・・・・・・・・こういう狂人キャラに弱い節がある
第2話
食堂のシーン微笑ましすぎるね
「人は皆、己自身が震え立つがごとき怪物を飼っている。」ではじまる好きなフレーズがありまして、蜂楽くんの理論に勝手にシンパシー感じて一生頷いてしまった
強キャラ感がすんごい櫻井孝宏が出てきたけど、噛ませだったらめちゃくちゃ良いな
第3話
たくさんの球体用意して球体下僕かnot球体下僕か判断させたい
馬狼・・・valor・・・
どうしても亜久津仁とダブってしまう
蜂楽×潔アツすぎ~~~~~~(1200℃)
蜂楽くんのケツ
第4話
ねぇ國神くん自分語り初めて死亡フラグ建てるのやめて欲しい 健やかに生きて欲しい
1日外出券って 賭博黙示録カイジの地下王国と同じ制度採用してんじゃん
國神くん良くないフラグ建てまくりじゃん ごめん、オラもう・・・・・・・・・
死んでも勝つぞって 死んだら負けだろ
ニ子一揮って そんなダジャレみたいな・・・
「他人のゴールで喜んじまった・・・・・・///」←お前~~~~~~~~~~~
第5話
潔世一〜〜〜〜‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
蜂楽×潔~~~~‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️ギャーーーーーーーーー‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
俺もステーキ喰いたい
潔世一くん首位おめでとう・・・
第6話
WANIMA兄弟⁉️⁉️⁉️
久遠くんがすごいからってあんま調子乗るな~~‼️‼️‼️フラグを建てるな~‼️
「マーク甘いのは、あそこだ!」の後の蜂楽くんの顔良すぎて普通に内側から破裂して死んだけど。
展開激展開すぎる‼️‼️‼️‼️‼️‼️エグすぎ‼️‼️‼️‼️‼️
胸糞展開大好き‼️‼️ペロリンチョすぎる‼️‼️‼️‼️
え・・・・・・蜂楽くんご飯派なの・・・・・・・・・パンだろ常識的に考えて・・・
第7話
戦術がバレているということは・・・・・・・・・誰にも明かしていない千切くんに利がある・・・・・・・・・?(IQ5億)
ちょっと待てwwwwww「羅実」って「羅古捨実業高等学校」なのかよwwwww
千切豹馬よ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どこまでも駆けてゆけ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・タガが外れた超人は・・・・・・・・・・・・最強だ・・・・・・・・・・・・
蜂楽くんのケツ
御影玲王くんね。覚えた。
第8話
蜂楽くん︎💕︎︎💕︎︎💕︎︎💕︎︎💕︎︎💓
いがぐり、寺の方が似合ってるけどな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
蜂楽×潔︎💕︎︎💕︎︎💕︎︎💕︎︎💕︎︎💕︎︎💕︎︎💕︎
第9話
急にインフレするな
蜂楽~~~~~~ッッッ‼️‼️‼️‼️‼️‼️うおおおおおおおお‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
蜂楽くん♥️怪物見せて♥️
蜂楽‼️‼️‼️‼️‼️好きです。
ブルーロック 第9話さん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スーパープレイした時に名前が出る演出、2度目までなら良すぎるな
今気づいたけど我牙丸の耳グロすぎだろ
第10話
オープニングで久遠開眼してんのな🤨
凪×玲王あっつ 最大手すぎるだろ
千切くんによしよしされてたまるか 俺が千切くんをよしよしするねん
むき出しの御影玲王良すぎ~~~
國神練介‼️‼️‼️お前だよお前‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
今更開眼されても・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こっから捲れるのかコイツ・・・?
第11話
「俺を!!!感じろ!!!!!!」←キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こんなん「潔 世一の最も有名な瞬間(2022)」じゃん
負けを知って強くなれ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・御影玲王・・・・・・・・・・・・・・・
都合がよく前髪が上がったり下がったりする男・ニ子一揮
お前ら、ぬるくないか・・・・・・・・・?いいのか?それで・・・?
第12話
ホログラムに反応して反発を起こすプログラムなら、キャッチングしてんのはおかしくないか???????
蜂楽のことを考えながら戦いに臨む潔くん・・・・・・・・・・・・・・・
“3人1組で
チームを作って
先へ進め”
指示の出し方が大喜利のお題みたいですね
御影玲王のクソデカ感情‼️‼️‼️‼️キタ‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
来てる‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
今最も熱いだろ‼️‼️‼️「この感情がアツい!2023 最優秀賞」受賞している‼️既に。
飢えなきゃ勝てない・・・だね・・・潔世一・・・
第13話
糸師 凛さん、下まつげが太陽みたい
時光青志さん、哀しき化物みたいで・・・
いや視聴者全員がそう思うだろうけど本人が言ったらそれはもうそれじゃん???
潔くん完全に喰われちゃってますやん🥲🥲🥲どうすんのこれ ← どうにもなりませんでした・・・・・・・・・・・・・・・・・・
えっえっえっえっえっえっえっ蜂楽が えっえっえっえっえっえっえっえっえっえっえっえっえっ
サイコーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第14話
喧嘩はヤメテー
セカンドステージ、よく出来てるシステムだな 原案が頭良すぎる、、、
試合中にペラペラ喋り出さないでくれ~🥲🥲🥲フラグは建てない方が・・・・・・・・・
乗るな世一!戻れ!
第15話
俺も誰かに邪魔されそうになった時は体をパズルのピースにしながら「今いいとこなんだよ・・・・・・!」って言おうかな
成早妹、可愛いね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キャーーーー‼️御影玲王ーーー‼️‼️‼️‼️
第16話
ワールドカップで熱狂していた日本にこんな作品出しちゃっていいのかーーーー‼️‼️‼️バズってるので良し
やさぐれ御影玲王良すぎる・・・・・・・・・普通に泣きながら見てる
凪バッキバキで草
チームみんなで一緒に風呂入るとか仲良しじゃん
内輪もめに巻き込まれる馬狼さん・・・・・・
キャ︎💕︎蜂楽くん︎💕︎
第17話
パズパズの実きたああああ
國神にプレスされまくって困り顔の馬狼さん可愛すぎ 保護しようね
潔がゲームを作っている!!!!すごすぎ!!!!!!!究極のエゴやーーー!!!!!!!!!!!!!!!
馬狼さん負け癖付いちゃうょ。。。。
第18話
馬狼さんが!!!!パスを!!!!!キャーーーー‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
馬狼さん負けないでーーー‼️‼️‼️‼️‼️‼️
飼い慣らされないでーーー‼️‼️‼️‼️
未来の馬狼さん、アタシだ、、、、、
きたああああああああああああああああああ㊗️㊗️㊗️
馬狼さんいけいけいけいけいけいけいけ
「お前といると調子狂うぜ・・・︎💕︎」←😌
馬狼さんがペラペラ喋るようになった
おいナオト・インティライミいるじゃねぇか
敗北者・・・?ハァハァ
第19話
御影玲王ーーーーーッッッ‼️‼️‼️‼️み、御影玲王ーーーーーッッッッッッッッッ‼️‼️‼️‼️‼️‼️うわああああああああああああ‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
國神練介ーーーーーーーッッッ‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
御影玲王、ダークエンペラーズになって出てきたりしない????
キャ︎💕︎蜂楽くん︎💕︎
潔×馬狼 あるね?
「なんか怖いよ、おかっぱだし」←?
蜂楽回想辛すぎる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・負けないで・・・強く生きて・・・・・・・・・・・・・・・
次回、相当な覚悟がいる、ね・・・・・・
第20話
マジで潔にも蜂楽にも勝って欲しい 全員勝って
すごいな 蜂楽が潤滑油になっている やっぱみんな蜂楽のこと好きじゃん
御影玲王さん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・😢😢😢😢😢
いやあすごい演出だ
みんなゲッター線浴びたみたいな顔になってて良すぎる
第21話
凛が覚醒してないの、怖いな~~~~~
それにしてもオープニングの馬狼さんかっこいいな
糸師ってそういう⁉️⁉️⁉️⁉️
うおおお馬狼さん超かっこいいです
そうだよな~~~蜂楽だけ因果の中にエゴが含まれてなかったもんな~~~~~
第22話
キャーーーーーーーーーー‼️‼️‼️‼️潔世一ーーーーーーーー‼️‼️‼️‼️‼️‼️置いてかないで♥️
凪、なんで潔の頭掴んでるの
蜂楽‼️‼️‼️違うだろ‼️‼️‼️‼️その「したい」をエゴに昇華させろよ‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️ヲイ‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️お前が怪物を制するんだよ‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
女顔で早いだけの人 千切豹馬
そうだよ‼️‼️‼️‼️‼️それだよ‼️‼️‼️‼️‼️蜂楽廻‼️‼️‼️そのエゴが‼️‼️‼️‼️お前を突き動かすんだろうが‼️‼️‼️‼️‼️
なんですかこのクソデカ感情大賞 蜂楽廻、底が見えねぇ・・・・・・・・・・・・
最高です
第23話
「8秒前」って そんなことある?
馬狼さんも「それな」って言うんだ
蜂楽廻~~~~~~~~お前~~~~~~~~~~~~~~~~~~愛してる
やっぱお前だよ蜂楽廻
第24話
日本語英語って感じでムズムズする~~~~無理せず日本語でいいのに
なんだかんだ仲良くなれるの高校生だよなみんな
え、クロロ=ルシルフルみたいな人がいる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キャーーーー‼️‼️‼️‼️御影玲王ーーーーー‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
國神練介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんでいがぐりが生きててお前が死ぬねん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やっぱそうくるよね~~~~~~‼️‼️‼️‼️続き読みたすぎるが‼️‼️‼️‼️オイ‼️‼️‼️‼️‼️
僕は今のところ蜂楽廻推しです
書き直し。
ダラダラと、曲への思いを書きました。谷川俊太郎の詩による合唱曲ふたつ…曲:三善晃「生きる」と曲:木下牧子「ネロ」についてのとても個人的な感慨。最初の方、書けなくて意図的に主語を拔いてるので読みにくくてすみません。ていうか、無駄に長いので読まなくていいですごめんなさい。
全部谷川俊太郎って演奏会を明日やるんだけど、中の2曲が自分の経験に強く結びついててちょっとだけ抱えるのがしんどい。
去年の夏、子供の誕生日にお祝いを頂いたのでお礼の電話をした。子供からもお礼を言って、その時に「また遊びに行くね、今家族で音取りしてる曲があるんだ、遊びに行ったらみんなで歌うから聴いてね」なんて言っていた。
数日後、会社で仕事をしていたら人事から電話があった。なんだろうと出てみたら配偶者から代表電話にかかったのを取り次いでくれたのだった。
数日前に電話したばかりなのに、亡くなったのだと聞かされた。家事支援のヘルパーさんが発見してくれたということだった。電話を切ってから自分の携帯を見ると配偶者からたくさん着信があったとわかった。
会社は早退して駆けつけた。
病院ではなく自宅でだったので、そのあと警察署で手続きやら葬儀社の互助会の書類探しやらで、気がついたらその日にあった合唱団の練習は無断欠席していた。
「生きる」だった。
ちゃんと予習してなかったのでぶっつけでの参加だったけど、タイトルからして親しい身内を亡くしたばかりの自分には重そうだなあ、そんなことを思いながら歌い始めた。
うちの団はパート練習はなくて、音取りは自力でできるのが前提なのだけど、実は私にはそこまでの力はない。♯や♭が多くなりリズムが複雑になるとキーボードを叩くのもたどたどしく実用性がない。その代わり楽譜を見ながらの耳コピは割と速いので、既に歌えている周囲を聴きながら声を出していった。
曲は「生きる」。まあ、三善晃だし、ソプラノはそんな難しくはない(難しいけど)。
……谷川俊太郎の詩によって、「生きているということ」がどんなことか、語られていく。
それはのどがかわくということ
木もれ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
孤独を感じる曲に影響されてか、詩の内容が全部亡くなった人を思い出させる。のどの渇きも、木漏れ日の眩しさと、くしゃみが出そうなムズムも、亡くなってしまった人は感じないことだ。だけどほんの少し前には感じていたのだ。あの人も。
くしゃみをすること、手をつなぐこと
と続く。
「くしゃみをすること」までは生きていること一般の話だったのが、急に、自分の手と存命中のあの人の手をつなぐイメージにおそわれて、───しかし私は一度も手をつないだことはなかった、これからも、もう決して手をつなぐことはないのだ……。
これから介護があるのだろうとぼんやり思っていた。長生きの家系だから、私の今後15年程は、あの家で、あの人と身体をふれあわせて暮らすのだろうと思っていた。
そうはならなかった。
寂しがりなところがある人だったから、一緒に住みたいとおそらく願っていたと思う。
そうはならなかった。
私が選ばなかったからだ。選ばないまま、亡くなってしまったからだ。
私は亡くなった人と手をつないだことがない。
曲はまた、「生きるということ」のいろいろな姿を歌っていく。自然や科学や芸術や…歌詩に出てくるミニスカートは何かな、生命力?若々しさ?を歌う。
あの人はもう、新しく美しいものに出会うことはできない。最後の電話で話した、子供たちの歌にも出会ってもらえないままになってしまった。
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこが揺れている、揺れているということ
いま、いまが過ぎてゆくこと
不穏な曲調で産声や兵士の傷が突きつけられ、それをぶらんこの往復運動が包み込み、ただ時間が過ぎる静けさに着地する。
生も死も同じ時間の中にある。
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
生き物の、自然の、あるがままの姿を歌った流れで「人は愛する」なんて、谷川俊太郎ずるいよね。あぁそうなんだと思わされる。
もちろん、愛さない人もいる。羽ばたかない鳥も轟かない海も這わないカタツムリも存在する。けれどできてない個体のことは今は措く。
それができている個体はなんと尊いことか。生きるということの意味を、「人は愛するということ」ととらえられる、かもしれない。もし私が愛さない人間でも、愛する可能性がある希望。
そして曲はまた、
あなたの手の
あなたの手のぬくみ
生きるという生きるということ
「あなたの手」に戻ってきて、命とはなにか、生きるとはなにか問いかけるように終わる。
私が繋がなかった手のぬくみ。
一人暮らしだった家は空き家になった。夏のことで、風を通したり、植木鉢やあとから頂いた供養の花に水やりをしなければならず数日おきに通った。
空き家にはピアノがあり、風通ししている間の時間で音取りをした。難しい音階を苦労して弾いた。
子供が小さい頃みんなで遊びに行くと、いつも初見でなんでも伴奏を弾いてくれたあの人がいたときのままの部屋で。ピアノには練習していたらしい楽譜が開きっぱなしだ。胸が苦しい。
亡くなった直後のショックや悲しみは今は薄れている。
でも練習で歌うたびに、空き家に風通しに行くたびに、拙く練習したのが思い出される。
去年の夏の、古い家特有の湿り気のある空気やあまりワット数の高くない蛍光灯の薄暗さ。
今日はリハーサルで明日が本番だから、終わったらしばらく歌うことはなくなる。
もう去年の夏を思い出すこともなくなるのか、いや曲を聴くたび一生思い出すのか…。
これはまた、ストレートな死の歌で、主人公の「ぼく」が子犬の「ネロ」を亡くした経験を歌っている。
しかも
もうじきまた夏がやってくる
(中略)
おまえはたった2回ほど夏を知っただけだった
と、「夏に親しい者を亡くす」という、私の経験ととてもリンクするシチュエーションなのだ。
主人公は「もう十八回の夏をしっている」とあるから、若者だ。それは私とは違うけれど、私の子供たちとはとても近い。
何でもかんでも自分と関係があるように捉えるのは無理筋ではあるけれど、私にはこの曲はうちの子たちが別れをどう受け止めたのか、の追体験のif…みたいに感じられる。
今、6月だ。もうすぐ本格的な夏が来る。
もうじき又夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
又別の夏
全く別の夏なのだ
去年の演奏会には来てくれた人が、今年はもういない。
お盆あたりには親戚が集まっていたあの家で、今年は新盆をどうしようか、コロナもまだ猛威をふるっているから集まるのは無理だろうか。
去年の夏、せっせと通って水やりをした植木鉢も、一年草はみんな枯れて、鉢から抜いてゴミに出して、鉢も片付けてしまった。
曲は、しかし喪失を嘆くものではない。疾走感とともに「新しい夏」の到来、「新しいいろいろのことを知ってゆく」ことを歌う。
たびたび出てくる「知る」という営為。
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと
主人公は何を知りたいのだろう?
なぜネロは死んだのかを?
私にはそんな凡庸な問いしか想像できないが、案外それも全くの的外れでもない気もしている。
詩のなかで飛び飛びに3連に渡って繰り返しネロを思い起こし、
それは死せるネロとともにあるようだけれど、決して停滞ではない。ネロを胸に抱いたまま、
もうじき又夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏を迎え 秋を迎え 冬を迎え
春を迎え 更に新しい夏を期待して
そこには若さがある。喪失を抱えていても新しいものを貪欲に取り込む力強さ。
(願わくはうちの子たちもそうあれかしと思うけれどそれは親のエゴというもの、彼らには彼らの受け止めかた、歩みかたがあろう…)
私自身は、「全く別の夏」というところからまだ身動きできないでいる。
冬場からこちら空き家に通う頻度も減ったが、また雑草の伸びる季節になって、草を引くたびに「この家を高齢でよく維持していたものだ」と感慨にふける。
家の中はまだ手つかずで存命の頃と何も変わらない。カレンダーの書き込みもそのまま。去年、子供の誕生日のお祝いを送るためのメモ書きも、電話の横のメモ帳にそのままある。ただ留守を預かっているだけ、という感覚から動けない。
それなのに全く別の夏が来てしまう。記憶が上書きされてしまうのが切ない。感傷だ。感傷だが、血縁ではない私とあの人は、客観的に見ればけっこう長い年月、長い時間を一緒に過ごしていたわけだ。
まだもやもやと引きずってはいくけれど、そういうものなんだろう(ああ、しょうもないまとめになってしまった)。
(「あの人」と書いているのは配偶者の母ですが、普通に表記するとちょっと生々しくて書けなかったので…表記で距離を置かないと吐き出しにくい)
同棲1年→結婚して半年ほどだが、同棲している頃からずっと嫁のご飯の食べ方が変で困っている。
例えば自分の場合、「メインのおかず」「白米」「汁物」と献立があった場合、おかず→白米→汁物→おかず→白米→汁物→・・・とループしながら少しずつ食べていく。いわゆる三角食べというやつ。
ただ嫁の場合、まずおかずを全て食べきる→白米を白米だけで食べきる→汁物を汁物だけ飲む、というような一皿ずつ制覇していくような食べ方をする。
あと、亜種として「ラーメンの上の具だけを先に食べてあとで麺を食べる」「とんかつとキャベツを並行で食べず、かつだけ食べてからキャベツだけ食べる」みたいなパターンもある。
(ただし丼ものやカレーなどは「これで一品の料理」という認識らしく、これらについては普通に一緒に食べる)
嫁と暮らすまでこういう食べ方をする人間を見たことがなかったので認識していなかったが、どうもこういう食べ方を「ばっかり食べ」というらしい。
おそらく用語として存在しているということは、嫁だけが特殊なのでなく世間にはこういう食べ方をする人間が少なからず存在し、問題視されているのだろう。
嫁本人は自分の食べ方が変わっているという自覚はなく、今まで指摘を受けたこともなかったので、直すつもりもないらしい。
むしろ「色々なものを口に入れると味が混ざる」「一つずつ食べるほうが皿の上げ下ろしが少なくて効率がいい」「米は米だけで味わうべき」という感じで、むしろこっちがおかしいような気持ちになってくる。
〝ばっかり食べ〟でググってみると「ばっかり食べは行儀が悪いから直すべき」という意見と「おかしくないから直す必要がない」という意見が半々で、頭ごなしに「おかしいから直せ」と言えるものでもないらしい。
世間で言う、子供の左利きを矯正するか個性として伸ばすかの議論に近い気がする。
困っているのは注意しても直さないとかではなく、そもそもこれが注意すべきことなのか、強制して直させるべきなのかという部分がわからないことだ。
自分は家が結構マナーにうるさく、橋渡しや刺し箸について結構注意を受けたことがあり、おそらく自分がばっかり食べをしていたらこれも注意して矯正されていたと思う。
ただ、今どきは自由でのびのびと個性を育てる多様性みたいな風潮もあり、自分が細かいことを気にする保守的な頭の固い人間みたいになるのが嫌で、無理に直せともいいづらい。
ただ個人的な気持ちとしては直してほしいという気持ちの方が強い。
うちは共働きなので、リモートワークの多い自分が家にいることが多く一人暮らしも長かったので、平日の料理はほぼ自分が全てやっている。
献立を考えるうえで「おかずは白米に合うように」「汁物はこってりした料理に合わせてさっぱりするように」という計算を働かせて考えているが、ばっかり食べだとこうした計算が完全に無駄になってしまうからだ。
なので「作る人の気持ちを考えてばっかり食べをやめてほしい」と言いたいところだが、これもまた作る側のエゴを食べる側に押し付ける料理人みたいでなにか強要しにくい。
それにやはり「育ちが悪い」「親にしつけられていない」という印象を持たれやすいリスクもあるが、本人はそれで困ったことがないと言ってるので、あくまで理論武装の域を出ていない感じがする。
あと悩ましいのが、今後もし子供ができて子供がばっかり食べをするようになったとき、これもまた直すべきか否かで自分が折れてしまいそうな気がする。そういう意味でも不安になってきた。
直させるべきか諦めるべきか、率直に意見が聞けるなら聞いてみたい。
最初あまり反応なかったから自分が気にし過ぎかと思ってたけど、朝起きたら結構反応来ててびっくりした。
それに将来子供を持つこと考えたら、子供もやっぱり他人ではなくて自分が責任を持つことになるし。
友達とか同僚がやっててもたぶん指摘するだけで済ますけど、嫁ってなるとそうもいかないなーと思う。
これが一番モヤッとしたんだけど、そもそも「作って出してる俺がコース料理として出してない」んだよね。
たしかにコース料理を三角食べしたらマナー違反だというのはわかるけど、それなら三角食べを前提として作って出した料理をばっかり食べするのもやっぱマナー違反ってことでいい気がした。
客の食べ方にこだわる店の気持ちがわかるようになってきたし、この辺は作って食べさせる当事者にならないとわかんないやつだと思う・・・。
これはそもそも俺の出す献立が、「野菜多めのスープ」とか「野菜多めのおかず」みたいな感じで作ってるから野菜単品の副菜みたいな枠が最初からないんだよね。
ただ野菜多めのスープを最初に手を付ける食べ方はそう考えたらアリだなって気がしてきた。
口内調味みたいな言葉があるのを初めて知ったんだけど、なんか知識が主婦みたいになってきたな・・・。
ガパオとかカレーみたいなおかずとご飯が一緒になってる料理とか、炊き込みご飯は普通にそのまま食べるので、理屈の上では抵抗ないと思う。
オムライスは卵とご飯一緒に食べるのに、オムレツとご飯で出したら一品ずつ食べるのってなんか気持ち的な部分だと思うんだよな。
ごめん、とんかつ↔キャベツを行ったり来たりしながら食べる食べ方の事が言いたかった。直した。
油分をリセットする目的でキャベツが付け合わせにしてあるのに、かつ全部食べたあとにキャベツ食っても意味がないって話がしたかった。
俺は一緒に口に入れてるけど、これについては別々で食べる方が主流だというのは理解している。
ただ、カツとキャベツが一緒に挟まってるタイプのカツサンドだったら一緒に口に入れても違和感ないのに、カツとキャベツだと一緒に入れるのがおかしいことになるの、やっぱりなんか意識の問題だよな・・・。
https://anond.hatelabo.jp/20230614131333
ひえー。すごい。食べ方一つでここまでプロファイリングできるとは。
他にも何人か指摘されてたけど、お察しの通りお互い別地方の出身地→都内で同居中です。
確かにはっきり「三角食いが正しい」と教わった記憶はないけど、言われてみれば無意識レベルで刷り込まれてたのかもしれない。
実は食べ方以外でも、同棲して自分では自覚してなかった県民性に気付かされることは今まであったので、これもその中の一つなのかも。
俺はおかずの塩分で米を食う前提で味付けしてるんだけど、嫁はおかずを食べ終わったあとで更に白米にふりかけをかけることはある。
そこまで頻繁じゃないし目くじら立ててないけど、一般論レベルだと否定される理由にはなるよなあ。
仕事終わってガパオ炒めてたら嫁が帰ってきたので「学校とかでおかずとご飯は交互に食べましょうみたいに教えられなかった?」って聞いてみた。
「言われたけど無意味だと思って従わなかった」って言われた・・・そうだった、こういうやつだった・・・・。
俺も白米だけ食うの無理なのですごいと思う。ていうかこれが一番のズレの原因なのかも。
障害のある子供の親御さんたち、教育委員会や先生たちの薦めを無視して無理矢理普通の公立校、普通の学級に入れるのはやめろ。
発達障害やら何やらあるが、全国の支援学校、支援学級に在籍している知的障害の割合が1番多いため、主に知的障害の子供について話す。ただし、他の障害種別でも通用する話ではあると思う。
だいたい、文頭で指摘したような、障害がある子を無理やり他の子と同じ環境に入れたがるような親というのは
・自分の子供に障害があることを頭ではわかっていても認めたくない。
・特別支援学校(学級)やそこに通う子供、あるいは障害者それ自体に対する強い偏見がある
・子供のヤバさ(学力の遅れや集団に馴染めないなど)をきちんと把握できてない
のいずれか、あるいはハイブリッドなのだ。テレビ等でよく美談のように語られる中では「普通の学校で学ぶことの方が様々な経験ができる」みたいな、あたかも子供のためを思っているかのような美辞麗句で誤魔化すが、大体はこのどれかに当てはまる。
そもそも、普通の公立校に通うことが本当に障害のある子供のためになっているのだろうか?中には他の子とお互い刺激しあって力を伸ばす子もいるだろうが、ごくごく一握りだと思う。大半は勉強についていけず、お客さん状態(授業中、発言もできずただ終わりまでぼーっと座ってるだけ)になっているのが関の山だ。仮に学習についていけているとしたら、先生や学校の大変な努力と配慮の末に辛うじて成り立っているものだろうし、おそらく長くは続かず、学年が上がり内容が難しくなっていくごとに真綿で首を絞められるが如く状況は厳しくなっていく。
そもそも、そのように学習に大変な配慮を必要とする子が学級にいることで、先生の負担は遥かに増す。私学ならともかく、公立校の教員に「一部の子は見捨ててでも授業の進度を優先する」という選択肢はないに等しい。つまり、理解に困難を抱える子供への授業作りが主となってしまい、授業内で応用的な内容、ハイレベルな適用問題などに取り組むことが難しくなる。また、授業は普通に進めるが、その分ついて来れなかったところは放課後につきっきりで学習するという手もなくはないが、それをするということで先生の負担が増えているというのは火を見るより明らか。そして先生の負担が増えると困るのは誰か、皺寄せが行くのは誰か。その学級の子供である。無理矢理普通級に障害のある子供を入れることにより、巡り巡って自分たちの首を絞めている。自分だけならまだいいが、影響は大なり小なりそのクラスの子供全員に及ぶ。
障害のある子が特別支援学校や特別支援学級に入るプロセスのことを「就学相談」や「就学指導」などといった呼び方をする。
おおまかなプロセスとしては
①幼児期からの発達の様子を見て、幼稚園や保育園などから声がかかる、あるいは小学校入学前にある就学時検診における知能検査などの結果を見て、もしくは小学校、中学校在学中に随時学校や教育委員会から就学指導を薦められる。
③発達検査の結果から、教育委員会の人などがその子にあった判定を下す。
④次年度以降、③で出た判定の進路へ進む。
といった流れである。だが、保護者はこのプロセス中いつでもキャンセルができる。保護者が嫌がれば就学指導は中止され、自動的に普通の公立校、普通の学級に行くことになる。また、③で特別支援学校判定が出たとしても「普通の公立校の支援学級ならギリ許すけど特別支援学校はお断り」みたいなパターンもある。というかこのパターンは割とよくある。(普通の学校の支援学級在籍者のうち、体感1〜2割はそれ)
ここで曲者なのは「保護者の意向次第でいつでもやめられる」ということ。冒頭で示したように、自分の子が障害があると認めたくない人や偏見を持っている人は、そもそも就学指導の話を持ちかけられた時点でブチギレる。プロセスの途中でも、他所から変な知識を入れ知恵されて突然やめたりする。そうなるともうお手上げである。冒頭の黒ポチ3つめのパターンも厄介といえば厄介だが、子供のヤバさに気づいてくれたら考え直してくれることがよくある気がする。(まあ気づくまでに何年もかかって、結果勉強の理解は同学年の子より遥かに遅れて取り返しがつかなくなっている事が多いのだが。)
もう一度問うが、無理矢理普通の学校、普通の学級に行かせることが子供のためになっているのだろうか?
就学指導で「貴方の子は特別支援学校判定です」と言われたということは「お前の子はバカなガイジなんだ」と言われてるように捉えるかもしれないが、そうではない。その子は特別支援学校で学ぶことが合っているというだけの話である。それによって何ら人格が貶められることはないし、就学相談に携わる人間は誰もそんなこと思ってない。
環境の面でも大きな違いがある。小学校ではクラスの定員は35人だが、支援学級なら8人、支援学校なら6人である。ちょっと考える頭があれば、これだけで雲泥の差とわかるだろう。さらに、支援学校は担任が2名になる場合もある。また、学校の設備面でも、当然普通学校と比べ遥かに充実している。教員免許も特別支援学校用の免許のため、専門的な知識を身につけた教員ばかりなのである。(当たり前だが、普通の小学校には小学校教員の免許しかない人だって当然いるのだ。)どちらで学ぶことが、子供本人のためになるだろうか、子供本人の成長につながるだろうか。
更に言えば、障害のある子供の将来に関してもやはり特別支援学校にはアドバンテージがある。特別支援学校では「作業学習」という時間があり、職業訓練のような事もする。また、特別支援学校であれば、障害のある人でも就職し給料を稼ぐことのできる職場とのコネクションもある。普通校では作業学習の時間はないし、就職支援でだって特別支援学校の専門性には敵わないだろう。
長くツラツラと書いてしまったが、世の保護者に言いたい。自分の子に障害があり、特別支援学校や特別支援学級で学ぶことを薦められたら、どうかその通りにしてあげてほしい。教育や発達に関してある程度知見を持った人が何人も集まってそういった判断を下しているので、それを無視して無理矢理普通のクラスで学ばせることは、本当に子供のためにならない。親のエゴでしかない。親のエゴで普通学級に入り、理解が難しい授業を一日6時間聞き続ける生活を何年も強要しないでやってほしい。その結果(必ずしもこうなるというわけではないが、一例として)小5小6や中学生になっても九九の3の段も言えなかったり、小3になってもひらがなの50音が読めないような子を生み出さないでやってほしい。その子たちは、その子たちにあった環境で勉強していれば、もっと伸びることができたかもしれないのだ。
親のエゴで普通の学校に通わされ、勉強が十分身に付かず年だけくって卒業していく子供のこれからの人生における苦労を考えると、気の毒としか言いようがない。
を読んで、なんで子供産んだのかなと考えてみた。正直、働きながら子育てしてると、なんで子供産んだのかすら改めてかんがえる時間もなかった。
でも大事ですね。改めて考えること。
素敵な人を見つけた
↓
一緒に楽しく人生を過ごそうと決めた
↓
私自身も女に生まれたからには人生で一度は出産を経験したかった
これだけだ!単純だ。
でもやっぱり素敵な人を見つけたがすべての始まりだ。これがないと子供は産めん。
子供を産むかどうかは結局親のエゴだ。エゴだからこそ責任があるのだ。
私が生まれたのも親のエゴだ。エゴでも産んでくれたことに感謝。
産んでからの生活は、どれだけ大変か、を想像したときより、果てしなく大変だった。これからも大変かもしれない。でも愛する人が増えて
なにより、、、かわいいのだーーー!!
でも今3人の子供がいて、子どもが大好きで、子どもほど素晴らしいものはこの世にないとさえ思う。
親は楽しそうに子育てなんかしてなかった。
貧乏な親で、共働きで、いつも疲れていて、勉強でいい成績とることしか興味を持ってくれなかった。
私は有名大学に入って、読モやって、有名企業に就職した。バイトで稼いだ金でバックパックしたりもした。
それなのにいつも、心の中に「自分は役に立たない」「自分は邪魔もの」という思いがあった。
特に恋愛関係で、冷たかったり気に入らない態度をとられると話し合いや歩み寄りもできず、極端に攻撃的になるか連絡を一切取らないという方法をいつもとっていた。
今にして思えば、恋愛や友人関係がうまくいっているときは、子どもが親にするみたいに甘えた。顔を触ってみたり、わがままをいって甘えたり。
今子どもがいて、その行動の理由が分かる。私はずっと、親を探していた。
30歳になって、海外企業に転職して2年ほどたった時、自分の人生に飽きていることに気付いた。
もう遊びつくした。前頭葉の発達も止まって、みるものすべてが輝いていた季節は終わった。
保育園に預けて、なるべく子どもと過ごさないようにしようと思った。
それなのに、1人目が2歳くらいになってから、子どもがいかにまっすぐで真っ白で、これ以上ないほどの幸せと愛を呼び起こす存在なのかを知って、すっかり人生勧が変わってしまった。
きっと親も私と同じように愛情を十分に受けずに育ってきた。
愛情を受けないで育ったものは、それがなにかを知らずに生きる。
私はたまたま大学時代に教育心理学の授業で愛着障害という言葉に出会って、その時からやんわりと自分の育ちに違和感を持つことができた。
顔のかわいい、出来のいい子どもじゃないとほしくないという人。
ふっと心が別のだれかのためにつかわれてたがっていることに気付いたことはないか。
アイドルでもなく、ペットでもなく、宗教でもなく、ボランティアでもなく、
30も過ぎて親や生まれのせいにしてうまくいかないことを嘆くのは、自立してからの約10数年に何も積み上げませんでしたと言っているようなものだ。
親のせいにして子どもをためらっている人もう一度考えてほしい。
この世界のどんな友情も恋愛も、かかわればかかわるほど、愛が増す人間関係は存在しない。
大人の持っているエゴを大人自身に突き付け、自分に構え!とあらゆる手段で挑んでくる。
たくさんの愛情と献身、そんなことをやってるうちに、40を前にした今、自分の人生がだんだん空っぽになっていくのが分かる。
そしてその空の部分がとても気持ちがいい。
自分の欲望しかなかったその空間に、別の誰かが入ってくる余裕があるということ。
これほどに、年を取ることの意味があるだろうか。
もちろんとても大変だ。追いつめられたり、感情的になることだってある。
でも、それ以上にとても素晴らしい存在だ。
疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。ある土曜日、気のおけない友人と一緒にランチを楽しんでいると、彼女と同じ部署の男性の話になった。ねえ。彼女があまりにも浮いた話をしないものだから、どうかわたしの愚痴をお聞きになってください。
なんでも友人がね、その同じ部署の彼を、ある日カフェで見かけたんだけど。その時、彼が店員の女の子に話しかけてたんだって。髪の感じが変わった? って彼が女の子に聞くと、「その子が、はい変わりました」って元気に答えるの。すると彼は、似合ってるねと褒めたんだって。
その女の子、飛び上がるようにして、「ありがとうございます!」って声を上げたらしいんです。同僚に言わせると、それが気持ち悪かったみたい。いい大人が、あんなに若い女の子に声をかけて。それが気味悪いんだって。そう言ってました。
わたしは、それは個人が決めることじゃないですか。ほかの人が干渉すべきことなんですか? そんなことを言ったと思います。友人は何も言わない。次の話題にどうぞ、といったところ。
仕事の帰り道、わたしはコンビニに寄ります。お気に入りのサンドイッチと無味の炭酸水を手に取って並んでいたら、前にいる男の人の番がきた。そのレジには、ちいさくって可愛らしい女子店員さんがいた。くりくりとした目で、どこかおぼつかない感じで。この子を見たことはなかった。
そしたら、その男の人が、こんばんはって挨拶をしたの。その子に。それで、その子も「こんばんは」って、不安そうに挨拶を返してた。すると、彼がまた言うのです。もう慣れた?って。
「まだ全然です」とその子が返すと、すぐに慣れるよ、頑張ってね、だって。「ハイ」とだけ返してその子は、彼の商品のバーコードを機械で読み取っていた。
気持ちが悪い、と言った友人の気持ちが少しだけわかったかもしれない。男の人って、女の子と話すのが好きなんだと思う。お喋りしたいとか、デートしたいとか、セックスしたいとか、そういうのじゃなくて、もっと格別な何か別の感情があるんだと思います。
それでまた、気のおけない友人と会う機会があったので、聞いてみた。女子店員に話しかける男性をどう思う、ということを。
マキノさん、と彼女は言った。まともに生きてきた人間はね、自分よりもはるかに年下の子とか、話しかけなくてもいい人と雑談をしたりしないの、ときっぱり言った。
そう。そうかもねと感じて、あの同僚の人はどうなったんですかと問うてみる。友人は、知らない、興味もないし見ていたくもないと澄ました顔で。
かくいうわたしも、まだ専門学生の頃、スーパーマーケットでレジ打ちをしていたことがある。そこで常連の男性に声をかけられた。天気の話から始まって、専門の学科を聞いてきて、応援してるとか、頑張ってとか、いろいろ言われたかなあ。
声を聴いていて、「優しそう」と感じた記憶はあるけど、それだけ。いつもわたしのレジに来て、そうとうに短い時間のなかで、とりとめのない話をする。ただ、それだけ。
そんなわたしの話を聞いて、気のおけない友人はまた言うのです。そんなのはね、女の子と話したいから話してるだけなんだって。男の人はね、保険がほしいんだって。自分が誰かに好かれているという保険が。とくに「女の子に好かれてる」という保険がほしくてたまらない。
それがあれば、男の人は辛い時でもがまんできるんだって。それがないと、辛い時に心がぽっきりと折れて、二度と元に戻らないんだって。
だから、男の人はみんな、彼女がいてもいなくても、結婚しててもしてなくても、女の人に好かれる努力をやめない。モテる努力という費用を支払って、女の子にモテたことのある過去の自分、という保険を買ってる。
そんなことをされて、女の人はいい迷惑なんだって。気のおけない友人は言ってました。
自分のことを言われているようで心が苦しい。わたしも誰かに好かれていたい、と何となく思うことはある。嫌われてると思うと少し残念な気持ちになるし、でもその人の「嫌い」という感情を大事にしないといけないとも感じる。でも、やっぱりちょっと嫌だな。
それはエゴなのかもしれないって。結局、自分のことが一番大事だから、人に嫌われるのがいやなんだよね。相手のことよりも、自分のことを考えてるんだよね。
誰かに話しかけるのは、その人の自由だよ。それにどう返すかも相手の自由。その人が決めるの。いえ、その人達が決めることです。
誰かが誰かと話をするのがおかしいって、それって、それって、差別なんじゃない? とわたしは気のおけない友人に話してみたのです。空気を読めずに。いや違う。むしろ読んでる。
あのね、マキノさん。と友人は言った。人間って、相手の気持ちを想像することが大事なんじゃない? いい年をした大人が、話しかけられた相手の子の気持ちを想像できないって、それは変じゃないですか。そういう人って、親の気持ちもわからないし、友達の気持ちもわからないんじゃないですか。だから、自分よりもはるかに年下の子に話しかけるんじゃないですか。
ねえ、マキノさんはどう思いますか? これはそのまま「常識」の問題じゃないですか? 社会に共通している考え方を、その人たちは持ってますか?
とまあ、そんなことが先日ありました。
他人を想像するのって難しいね、とわたしは最後に答えた。その男の人達の行動はただしいのでしょうか。でも、社会に生きる多くの人が間違いだって認めたら、やっぱりだめなんだろうなあ。
あの時の、コンビニの女子店員さんが頭の奥に浮かんだ。今度、わたしも話しかけてみようかな。あの男の人の気持ちと、できれば、あの女の子の気持ちがわかるのかもしれない。期待がいっしょに浮かんだ。
あれって、もうみんな知ってるのかもしれないけど、全然アンケートじゃないんだよな。
選択肢押させてるけど、そのデータを何処かに送ってるわけじゃない。
一番押されてる回答はこれだなとか大体の割合がわかるようにしてあるページもあるけど、情報収集のためじゃない。
アンケートに答える一手間をかけたことでその後に出てくるクーポン(※いつもやってる初回特典割引)の価値がより高く感じたり、
サンクコスト効果とよんだりするけど、答えた時間を回収したい心理だったり、
アンケートの質問文に商品についての事が書かれてて知らないうちに商品について教育されてたりとか、
とにかくいろんな仕掛けで、物を買わせようとしてくる広告なのだ。
善悪で考えたとき、間違いなく悪だと思う。だって、「アンケート」じゃないし。その時点で嘘だし。
でもこれだけ買う人がいるとみんなそれを作らざるを得ない。だいたいみんな、商品を売るのが仕事だから。
でもこれって嘘だよなあ、と思いながら、今日もそれを作っている人間がいることを誰かに知っていてほしいというエゴがある。虚しいね。
自分の気持ちをどこかに吐き出して整理したいので、とりあえず文にすることにした。
私は彼女の文章が何よりも好きだった。それこそイラストよりも。彼女の考え方に誰よりも憧れていた。元々自殺願望のあるような人で、ツイッターで何回その発言もしていた。私が知っている数年の間にも幾度か自殺を実行して、いきなりツイートが途絶えたりしていた。そして2週間後くらいにいきなり、精神病院に今まで入院しててスマホ使えなかったんだよねと言ってまた死ねなかったと愚痴をこぼす。
私自身は別に自殺願望がある訳でもましてや希死念慮がある訳でもなく、ただ推し絵師の生き方が好きだった。確かにいつも死にたいと言っていたけれど、この世界を地獄だと形容していたけれど、彼女はいつも優しかった。それでも手を取って何とかギリギリのところで生きていこうとする、そんな考え方が好きだった。
彼女は現実に耐えられなくなって亡くなった。自殺配信もしてたみたいだ。夜中だから見れなくてそれだけが今でも心残りで、最後くらい話を聞きたかった。どうして最後に自殺配信なんてしようとしたんだろう。何度も自殺未遂をしていたが今まで配信することは無かった。
前に他の自殺配信の切り抜きを偶然見てしまった時に、配信しても周囲が何か変わるわけでもなく無意味だと言っていたのに。何度も自殺未遂を繰り返しながら、それでもその動画を見て私はその亡くなった方に生きて欲しかったし、私はみんなに生きて欲しいと言っていたのに。私だってあなたに生きて欲しかった。大好きだって伝えたつもりだったのに。
自殺には賛否両論、色んな考えがあることは知っている。私は本人の自由だと思っているし、それ故に推し絵師の自殺を止めたかった自分の気持ちはただのエゴだと思っている。
私自身も死にたい時期があったから他人のそれを止めることができるなんて思えない。死にたいときは誰のことも信じられなくて、褒められれば下に見られていると感じ、責められればこの評価が正しいと思ってるときに、1番自分のことが信じられないときに、どうして他人の言葉が信頼できるんだろう。
しかも推し絵師との関係性なんてせいぜい推しとファンで会ったことも無くて、推し絵師からSNS上で認知を貰ってたところで、現実では他人だ。分かっている。
分かっているはずなのに、こうやって文字を打っている。生きて欲しかった。もっとあなたのイラストが見たかったし言葉を聞かせて欲しかった。絵だけじゃなくて気に入ったツイートまでスクショで保存してるレベルで好きだった。
推し絵師の自殺の原因はリアルの人間関係だったらしい。亡くなったあと、私は死を悼むツイートをした。彼女は垢をリアルの知り合いにも教えていたみたいだ。私が垢名を出してツイートしていたからか、推し絵師の知り合いの方から返信をもらった。
彼女の死の原因になっていた(と本人が言っていた)うちの1人で、同じく死を悲しむ旨が書いてあった。その方の普段のツイートも見てみると推し絵師を悼むものばかりだった。
私はSNSを通してしか知ることが出来ないし部外者だから何も知りえないのだけど。推し絵師がいつも愚痴を言っているから私も何となく変わった方かと(失礼)思っていたのに、拍子抜けしてしまった。
多分私は、推し絵師が亡くなったことが信じられなくて推し絵師の言う原因を恨むことでその気持ちを落ち着かせたかったんだと思う。それなのに、彼女が亡くなったことで悲しんでいるのは同じだった。リアルの人間関係にない私が共感するのは失礼にあたるかもしれないが、ほんの少し、仲間意識を持ってしまった。
ツイッターの方は最近色んなことが変わってきていて、長い間使われていないアカウントは消えることになった。推し絵師のアカウントはまだ消えてないけれど、それも時間の問題だ。それどころかツイッター自体があと何年持つかも怪しい。
だから、彼女の死はいつか消えてしまう。このブログだって誰かに読まれるかも分からないしいつか消える。それでも、推し絵師ことを好きだった人間がここにいると残したくて書いている。それと私から見て推し絵師は現実を嫌いインターネットに生きる人だったから、ネット上ならあなたにまだ伝わる気がしたんだ。
自殺を考える人に辞めろとか生きてたらいいことがあるなんて、無責任なことは言えない。説得できる気もしない。だからこそ、これは私のエゴでしかないが、私はあなたに生きて欲しいと、生きて欲しかったと、ただずっと思っている。
自分と他人の区別がつかない 他人のことを自分のように思い制御できる これが自我と他我の区別がつかないやつなんですね 自他の区別がつかない奴は無能 大学時代にキリスト教で(anond:20230610183644)
他我(たが)は、日本語の哲学用語であり、仏教や禅の教えにおいて重要な概念です。他我は、「他(ほか)」と「我(われ)」という二つの要素から構成されます。
「他」は他人や外界を指し、自己以外の存在や他者を意味します。「我」は自己や自我を指し、個人の意識やアイデンティティを表します。他我は、自己と他者の関係や境界を探求することを通じて、人間の存在や人間関係の本質を理解しようとする考え方です。
仏教や禅の教えでは、他我の概念を超越することが重要視されます。自己中心的な執着やエゴの解消を通じて、他者との結びつきや共感を深め、慈悲や無我の境地に至ることを目指します。他我の境界を超えることによって、苦しみや迷いから解放され、真の自由や幸福を実現する可能性があるとされています。
他我の考え方は、個人の自己認識や他者への理解を促すだけでなく、倫理や道徳的な行動の基盤となる要素も含まれています。他我の境界を超えて他者との関係を築き、利他的な思考や行動を実践することは、個人や社会の発展に寄与すると考えられています。
ただし、他我の概念は非常に複雑で哲学的な概念であり、個人や文化によって解釈が異なる場合があります。仏教や禅以外の文脈では、他我の概念を異なる意味で使用することもあるため、文脈によってその意味や解釈が異なることに留意する必要があります。