はてなキーワード: 鶏刺しとは
あれ見て鶏肉生じゃん!ってカンピロの心配するのは当然って指摘はわかる
だけど、日本でお金払って食品を出してくれるお店がそこんとこきちんとしてないわけ無いやんと思う前提があり、いざあれ出されて「これ食べられません」って全部残して店を出る勇気はなかなか出ないと思う
11年前の焼肉酒家えびすのユッケ集団食中毒事件のときにはまともなことを言っていたのに変わってしまったんですかね
先ほど言ったように全ての責任は店側にある大前提だけれど、僕だったら子供にユッケは絶対に食べさせないし、レバ刺しや鶏刺しも食べさせない。それは超高級店だとしても同じこと。なぜならそもそも「肉の生食」にはカンピロバクターだとかO157のような食中毒の原因菌を摂取する可能性があるから。— 山路力也 (@ymjrky) May 4, 2011
僕が子供の頃には、ユッケやレバ刺しなどの肉の生食はもちろん、特に豚肉については病原菌に寄生虫などがあるからしっかり加熱するように教育が徹底されていたから、ユッケやレバ刺しには多少の緊張感を持っているし、しゃぶしゃぶなんかも牛より豚は徹底的に湯がくのが習慣づいている。— 山路力也 (@ymjrky) May 4, 2011
もちろん全ての飲食店、料理で衛生面は徹底して頂かなければならないけれど、その基準というかレベルには差があるわけです。乱暴な言い方をすればラーメン店や中華料理店なんてのはそこらへんの認識が若干甘くても、使う食材そのものもそうだけど全て加熱するので確率としては非常に低い。— 山路力也 (@ymjrky) May 4, 2011
とりとめもなく長々と書き連ねてしまいましたが、国の衛生基準の問題、店の衛生管理方法、食べる側の知識、今回の事件から考えるべき問題は非常に多いです。すべてのことが改善されて、今後このような痛ましい事件が起きないことを切に願います。— 山路力也 (@ymjrky) May 4, 2011
https://togetter.com/li/1909597
例えば鹿児島では鶏刺しが郷土料理として食べられていて、そこでは独自の基準をクリアすることで食中毒を予防している。プロが経営する飲食店で、保健所にも届けてるなら、そういう(比較的)安全な肉をちゃんと使ってるだろうと仮定して料理を注文するというのは誰でもやってる事だと思うが。
暴走車が突然突っ込んでくる危険性は常にあったとしても、「ドライバーは安全運転を心がけている」と仮定することで安心して道路を歩けるわけで。
俺海産物嫌いだから生肉食べたい気持ちよりも生魚食べたい気持ちの方がわからんよ。アニサキスとか怖くないの?河豚とか毒あるし。牡蠣もほぼ生で食べる人いるよな。
現在鶏小屋もテレワーク化がすすみ、私、鶏が電話を取ることがほとんどだ。
私は会社の斡旋屋である。もちろんそんな体裁で仕事はしてない。単なる人身売買もとい鶏肉売買に過ぎない。
そんな私から、仲間を間引いてほしい家族の人達へ。電話で開口一番、「お手羽になっております」って言うの、辞めて。お手羽になっておりますと言われると、ああ俺は鶏肉なんだと思うのよ。鶏肉なら次に「塩コショウふっとく? 」とかなんとか言わなきゃいけないんだけど、家族は違うのよ。黙る。えっ、何? となるわけで、話聞いてみたら鶏刺しの電話と。いや俺にそれ言うんかい! なんか鶏自身に聞くのは失礼みたいな感性の子がわりかしいるのね。やってること炒めものと変わらんのによ。弊社は鶏刺しのお世話してないよ! しかも馬刺しは専門外だよ。馬とか牛とか相手にしてたら、俺ら肉になる前に踏み潰されちゃうよ! 子ども用の電話挨拶とかないんけ? あるに決まっとるのに、どうしてガキどもは、揃いも揃って。。。でも私もこの前、鶏小屋ののクーラーの工事に来てくれる人に間違えて「お手羽になっております」って言っちゃったからそんなもんだよね。鶏殺すのに鶏に頼むのは気が引けるって話。
切れ味の悪くなった包丁は、鈍色に錆びた刀身を光らせている。消費期限が切れかかった、特価品の鶏もも肉208gを、発泡スチロールから取り出してやる。左手で必死に肉を押さえつけ、皮を断ち切ろうとするが、ぬめってしまってなかなか切れない。手が、脂と消毒された獣の臭いに満ちる。洗い流そうと、蛇口をひねってみたところ、水が出てこない。一拍おいてやっと、一昨日辺りから水道を止められていたことを思い出す。軽く舌打ちし、包丁を強く抑えつけながら貧乏揺すりでもするように前後に揺らす。十数回揺らしたところで、右腕の筋が悲鳴を上げるので、その貧弱な右腕をだらんと脱力させる。骨と皮ばかりの僕に比べて、この鶏はよく肥えてやがる。手についた脂に、改めて嫌悪感を覚える。この鶏は、恐らくブラジルからやってきたのであろう。そして、望むか望まぬかに関わらず、飼料という飼料をぶち込まれ、首を絞められ、捌かれ、凍らされ、日本へと運ばれてきたのだろう。それが良いことか悪いことか、僕にはわからない。
中学の頃、養鶏場へ職場体験に行ったことがある。養鶏場のおじさんは最終日に、愛情こめて育てたはずの鶏を絞めて、鶏刺しを振る舞ってくれた。仕事とはいえ、自分の愛したものを殺す、そんな不自然なことがあっていいのだろうか。と若いころの自分は疑問を抱いていたように記憶している。おじさんは、軽々と鶏を持ち上げ、首に手をやる。よく懐いているからだろうか、それとも一種の諦念だろうか、鶏は全く抵抗しない。鶏が痛がらないような具合で、おじさんはすっと力を込める。鶏の首は、呆気無いほど簡単に折れた。それは、自然なものだった。それは、愛情と呼ぶに値するものだった。
そんなことを思い出しながら、ブラジルからはるばるやってきたであろう鶏もも肉と虚しい格闘を続けていると、父親から電話があった。あまりに呼び出し音がしつこいので、ベトベトの手で携帯を手に取る。「俺はまだ諦めていない、お前が復学できることを信じている、金の心配もするな」などと言うので、すぐさま切り、切りかけの鶏もも肉をぼおっと見やっていると、ふと
「生きるというのは、どうにもならないものだなあ」
という心持ちがしてきて、それはすぐさま、抑えつけられないほどに膨れ上がってしまって、いつしか、その切れ味の悪い包丁で自分の首を掻っ切ってやりたい、という衝動へと変わっていった。その思いつきは自分でも驚くものであったが、しかし全く自然なものでもあった。その思いつきは――その思いつきこそ――優しさであった。