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はてなキーワード: 鶏刺しとは

2023-12-31

anond:20231231061645

かごんま人は祝い事で鶏刺し食べんといかからたいへんねー☺️

2022-07-02

anond:20220702164406

あれ見て鶏肉生じゃん!ってカンピロの心配するのは当然って指摘はわかる

だけど、日本お金払って食品を出してくれるお店がそこんとこきちんとしてないわけ無いやんと思う前提があり、いざあれ出されて「これ食べられません」って全部残して店を出る勇気はなかなか出ないと思う

鶏刺しって概念もあるし、そういうものなのかな…みたいな

「これ大丈夫ですか?」って聞くにしたって、店は大丈夫だと思うから出してるはずだし…ってなる

カンピロバクターの原因となったメニューレビューを書いたラーメン評論家

11年前の焼肉酒家えびすユッケ集団食中毒事件ときにはまともなことを言っていたのに変わってしまったんですかね

それともラーメン業界へは忖度してる?

https://togetter.com/li/1909597

例えば鹿児島では鶏刺し郷土料理として食べられていて、そこでは独自基準クリアすることで食中毒を予防している。プロ経営する飲食店で、保健所にも届けてるなら、そういう(比較的)安全な肉をちゃんと使ってるだろうと仮定して料理を注文するというのは誰でもやってる事だと思うが。

暴走車が突然突っ込んでくる危険性は常にあったとしても、「ドライバー安全運転を心がけている」と仮定することで安心して道路を歩けるわけで。

海産物嫌いだから生肉食べたい気持ちよりも生魚食べたい気持ちの方がわからんよ。アニサキスとか怖くないの?河豚とか毒あるし。牡蠣もほぼ生で食べる人いるよな。

まあ鶏刺し一回だけ食べたことあるけど個人的にはそんな美味いもんではなかったよ。

2022-05-24

スゴイいいこと思い付いたんだけど

これはさすがに意識高すぎるかも知れないけど、

鶏肉専門の焼き肉店!ってあったら絶対女子受けも間違いないんじゃない?

美味しいつくねから地域地域地鶏まで。

女子行列待ったなし!

コンセプトは抜群に良くない?

焼き肉屋さんの居抜きも使えそうだしすぐオープンできるし鶏肉専門焼き肉店

個人的に牛はあんまり食べられないので、

鶏肉なら結構パクパク行けそうな気がする。

新鮮な鶏刺しもあってもいいしね。

ユッケがあるから鶏刺しあってもつじつまはあってるでしょ?

から揚げはまああってもギリギリ許す感じで、

牛より鶏肉の方が根拠無いけどヘルシーなイメージがあるので、

そこそこウケると思うし。どうかな?

2021-05-31

鶏肉もないのに「お手羽になっております」っていうのやめろ

現在小屋テレワーク化がすすみ、私、鶏が電話を取ることがほとんどだ。

私は会社斡旋である。もちろんそんな体裁仕事はしてない。単なる人身売買もとい鶏肉売買に過ぎない。

そんな私から、仲間を間引いてほしい家族人達へ。電話で開口一番、「お手羽になっております」って言うの、辞めて。お手羽になっておりますと言われると、ああ俺は鶏肉なんだと思うのよ。鶏肉なら次に「塩コショウふっとく? 」とかなんとか言わなきゃいけないんだけど、家族は違うのよ。黙る。えっ、何? となるわけで、話聞いてみたら鶏刺し電話と。いや俺にそれ言うんかい! なんか鶏自身に聞くのは失礼みたいな感性の子がわりかしいるのね。やってること炒めものと変わらんのによ。弊社は鶏刺しのお世話してないよ! しか馬刺しは専門外だよ。馬とか牛とか相手にしてたら、俺ら肉になる前に踏み潰されちゃうよ! 子ども用の電話挨拶とかないんけ? あるに決まっとるのに、どうしてガキどもは、揃いも揃って。。。でも私もこの前、鶏小屋ののクーラー工事に来てくれる人に間違えて「お手羽になっております」って言っちゃったからそんなもんだよね。鶏殺すのに鶏に頼むのは気が引けるって話。

anond:20210531123312

2016-01-14

肉を切る

切れ味の悪くなった包丁は、鈍色に錆びた刀身を光らせている。消費期限が切れかかった、特価品の鶏もも肉208gを、発泡スチロールから取り出してやる。左手必死に肉を押さえつけ、皮を断ち切ろうとするが、ぬめってしまってなかなか切れない。手が、脂と消毒された獣の臭いに満ちる。洗い流そうと、蛇口をひねってみたところ、水が出てこない。一拍おいてやっと、一昨日辺りから水道を止められていたことを思い出す。軽く舌打ちし、包丁を強く抑えつけながら貧乏揺すりでもするように前後に揺らす。十数回揺らしたところで、右腕の筋が悲鳴を上げるので、その貧弱な右腕をだらんと脱力させる。骨と皮ばかりの僕に比べて、この鶏はよく肥えてやがる。手についた脂に、改めて嫌悪感を覚える。この鶏は、恐らくブラジルからやってきたのであろう。そして、望むか望まぬかに関わらず、飼料という飼料をぶち込まれ、首を絞められ、捌かれ、凍らされ、日本へと運ばれてきたのだろう。それが良いことか悪いことか、僕にはわからない。

中学の頃、養鶏場職場体験に行ったことがある。養鶏場のおじさんは最終日に、愛情こめて育てたはずの鶏を絞めて、鶏刺しを振る舞ってくれた。仕事はいえ、自分の愛したものを殺す、そんな不自然なことがあっていいのだろうか。と若いころの自分は疑問を抱いていたように記憶している。おじさんは、軽々と鶏を持ち上げ、首に手をやる。よく懐いているからだろうか、それとも一種の諦念だろうか、鶏は全く抵抗しない。鶏が痛がらないような具合で、おじさんはすっと力を込める。鶏の首は、呆気無いほど簡単に折れた。それは、自然ものだった。それは、愛情と呼ぶに値するものだった。

そんなことを思い出しながら、ブラジルからはるばるやってきたであろう鶏もも肉と虚しい格闘を続けていると、父親から電話があった。あまりに呼び出し音がしつこいので、ベトベトの手で携帯を手に取る。「俺はまだ諦めていない、お前が復学できることを信じている、金の心配もするな」などと言うので、すぐさま切り、切りかけの鶏もも肉をぼおっと見やっていると、ふと

「生きるというのは、どうにもならないものだなあ」

という心持ちがしてきて、それはすぐさま、抑えつけられないほどに膨れ上がってしまって、いつしか、その切れ味の悪い包丁自分の首を掻っ切ってやりたい、という衝動へと変わっていった。その思いつきは自分でも驚くものであったが、しかし全く自然ものでもあった。その思いつきは――その思いつきこそ――優しさであった。

 
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