ASDって共感できない訳じゃなくて、共感アンテナの感度が狂ってるんだよな
だから突然なんの接点もないような存在に激しい共感を示したり、並外れた自己犠牲心を発揮することがあったりする
そんでそれが日頃ASDマンを神経を擦り減らしながら支えてくれる人たちの徒労感をすんげぇ煽ることがあるんだよ
その共感性と自己犠牲心を周囲との関係性のメンテに発揮できていれば、みんなこんなに苦労しなくったってよかったのに、どうしてその共感性の1/10でもいいから自分たちには向けられないんだろう……って無力感を植え付けてしまうんだな
我々は常日頃周囲の人たちが思ってる「片付け早くやってくれないかな」「牛乳出しっぱなしにしないで」「たまには洗濯物干してよ」「いきなりいっぱい言われてもわかんないから、小出しにして」「もうちょっと小綺麗な格好したら?」みたいなサインには一向に気づかないくせに、なんの縁もゆかりもない人物に「なんてかわいそうなんだろう、是が非でも力になってあげたい」なんて共感アンテナの大暴走を起こすことがある生き物なんだな、悲しいことに
ただ、このASDの共感アンテナ暴走にはたま〜に成功する例もあって、私の場合だと小学生くらいのころに巣穴から落ちた小動物の子に対してこれが発揮されたときには、このままでは死んでしまうと保護のために奔走したり、大人を泣きながら説得したりしたことによって、数人のクラスメイトが「ほんとは優しかったんだ」と言って関わってくれるようになったりしたんだよ
たぶんこの手の共感アンテナの暴走は、社会的孤立のサインを感じ取ったASDが本能的にそれを避けるために起こしてるんじゃないのかなぁ、というのが今のところの私の仮説
そんで、その暴走した共感アンテナの作用を意図的に絡め取って吸い上げてしまうような団体とか個人とかがASDマンにとっての本当の敵なんじゃないかと思ったりする
なのでなんの接点もない、完全に訳のわからんやつに何故かものすごい共感してる場合、ほんとうのところASDマンにとっては身の回りの人間関係を点検して絆を繋ぎ直しましょうというサインだったりするから、同志諸君もこの点に十分注意して生きような、なんて思ったりする
どうしてその共感性の1/10でもいいから自分たちには向けられないんだろう…… ハンターハンターのゴンみたいな事言ってる
わかるわ 最近では池袋暴走老人とか点滴洗剤殺人看護師に共感おぼえる
ひまそらさんの信者とかそんな香りがする
自分は卑近なことに関心を持てなくて遠くへ壮大?な方へ関心が向いちゃう 家族や自分より人類全体とか