はてなキーワード: 叱咤とは
都知事選挙の公示直前のあの候補予定4人の共同記者会見をテレビで見たときは震撼した。
うつけんさんは都政に何が必要なのか、闊達にスラスラ爽やかな微笑みで語っていて、もう完全に良すぎた。
それに対して待望の野党統一候補の鳥越さんときたら、なんというか直視できる状態ではなかった。
これは翌日から、都内の民青同盟の結構な数の班と共産党の支部が崩壊状態になるんじゃないかと思った。
なんぼ志位さんリスペクトだからって、このペースで候補者討論とか繰り返される中で
うつけんさんではなくて鳥越さんに投票依頼するという活動しなくちゃいけないなんて
フリーダムな感じの共産党員や民青同盟員だったらもうメンタルが保てず脱落者続出必至と思われた。
共産党の区市議会議員だって党の決定に反してうつけんさんの応援する人も出るかもしれない。
うつけんさんの辞退を知って一番ほっとしたのは、そんな宇都宮けんじ大好きゆるふわ共産党員たちだったのではないか。
そのときはまだ候補者は鳥越さんだけど知名度を生かす顔の部分がそうなのであって、中身の政策はまるっと宇都宮なのだろうし
鳥越さんが都知事になるなら、副知事をうつけんさんにすれば解決と信じていた。
その後青山の鳥越事務所にボランティアに行ったときに見た応援ボードに寄せ書きされたメッセージでも
「うつけんさんを副知事に!」と目立つところに貼ってあり、実際それを心の支えにしてしんどい選挙活動を手伝っていた人たちは多い。
鳥越さんのチラシを配る時に、自分のカバンの中にはこっそり幻になった宇都宮さんチラシを忍ばせていた人もいる。
週刊誌に書かれた過去の女性問題は事実無根として告訴したのに、そのことで選挙最終盤戦に本人が公開で説明しないととか
女性の人権問題としてどうするのが望ましいかうんぬんより「政策はほぼ宇都宮といえど、鳥越の応援なんか断る」ってことよね。
ただね、甘いようだけど鳥越さんよく頑張ってくれた。宇都宮っぽい感じが板についてきて最終盤には堂々としてた。
まわりの叱咤叱咤叱咤激励によく応えてくれた。うつけんさん来なくても私たちは鳥越応援最後まで続けたよ。
で、選挙後になって宇都宮さんいろいろ発言なさっていて、それに対して反感や共感渦巻いているんだけれど
安保法制反対をきっかけにシールズの声掛けで野党共闘の流れができてから、うつけんさんはそれには目立った言及がなかった。
社共の推薦で2度の都知事選に出ているのにだ。都政オタクだからっていうより、先を見てのことだったんじゃないか。
時系列が前後しちゃうかもだけど、都知事選の候補になるかと噂されていたのは橋下徹。
うつけんさんが「政策を支持してくれるなら自民や公明の推薦も受ける」とか言ったのは煽りでなく本気だったのではないか。
築地移転中止や横田基地オスプレイ拒否や外環道路問題や給付型奨学金などで一致できるなら「改憲勢力」と組むのも有りと考えた。
ヘイトスピーチ対策が自民党の中でも右翼な西田議員の協力でできたように、
かなり意見が違う立場でも一致できる部分を積み重ねていくのを重視する立場を取ろうとしたのではないか。
それは、うつけんさんが新しく作る左翼からのポピュリズムだろう。
都民にすれば改憲でも護憲でも、生活面で自分たちにメリットが多い都政をするのが良い都知事。
「宇都宮さんは良い人そうで政策もピカイチだけど共産党っぽくてダメ」と言われていた過去から
「しっかり政策語れるのに左翼に意地悪されて気の毒な正義の人」にランクアップする。
次の都知事選がまた4年かそれより早く来たら。
宇都宮さんは着々と都政について語り続けるだろうし、同情する人だけでなく左翼を叩きたい人までそれを聞くかも。
母親が入院したんで父親とふたりきりではなくにぎやかだった五夜目!
仕事終わりに直接散髪へ向かう!
予約時間まで少し時間があったので近くの大型スーパーで時間をつぶす!
その間に母親へ今日散髪後お見舞いに行く予定だと連絡を入れる!
散髪へ行くと雑誌一冊流し読みできる程度に待たされた!三連休前だからだろうか!
シャンプーを担当したアシスタントはどうやら新人で!ややしばらくシャンプー台に仰向けになっていた!
髪を切ってもらいながら現在味覚がわからない話をすると担当者は大笑いしていた!そういう反応でいいのだ!!
担当者はなぜかわからないが何度か作業を中断しどこかへ消え!散髪が終わったのは1時間40分後だった!!
カットのみなので長くとも一時間で終わると思っていたためお店を出てからウソだろ!!と声がこぼれた!
これから母親の病院へ向かったところでエレベーターに乗って降りて終わりだろう!
お見舞いを断念する!!
携帯電話を見ると母親と姉から着信があったので!まず姉に電話をかける!
ダビングを頼んでいた母親の観たがっていたドラマを持ってきてくれるようだ!
家に父親がまだいなかったため私に連絡を寄越したらしい!!
明朝!旅行へ出発する前に行けたら行くと言うと!無理しなくていいよとのこと!!
母親の声を聞いただけで涙が出そうになった!
もう大人なのに自立がほど遠く情けない気分になりながら帰路につく!
家に帰ると父親は帰ってきており姉と甥と姪が来ていた!
私の準備した食事は昨日ちぎったレタスしかなかったが!姉があまった煮物をくれた!!ありがたい!!
シングルマザーで大人の喋り相手に飢えている姉と!話したりない私と父親とでしばらく話した!!
甥や姪は早く舌なおるといいねと言ってくれる!いい子たちだ!!
姉たちの帰ったあとすぐに父親も寝た!父親もなんだかんだで疲れがたまっているのだろう!
風呂の水がまだ少し余っていたので洗濯機をまわしながら茶碗を洗う!
家事を終え!旅行の準備をしようとするが脳がまったく回らず!カバンや洋服を広げたまましばらくフリーズする!!
少し動いてフリーズ!少し動いてフリーズ!というのを繰り返す!!
睡眠が7時間を切るとパフォーマンスが劇的に落ちるタイプのため!ここ数日の普段より1時間遅く寝て30分早く起きる生活が響いているらしい!!
眠たいのに寝てはいけないことがすごく苦しい!!
洋服を叩きつけて大声を出したい気分になる!
なにかやってやりたいのになにもできずその場に座り込み床の一点を見つめる!
思っていた以上に疲れがたまっている!!
もうやだだめだむりだと呟いていたが!呟いても現状は変わらないだけだと自身を叱咤し風呂掃除をする!
風呂場の窓を開けたために流れ込んでくる外気と!大好きな塩素系洗剤の匂いに少し正気を取り戻す!!
旅の同行者が出発は昼からでいいと連絡をくれたので!持っていくものと明日やることをリストアップし寝ることにする!
泣くひまがあるなら早く寝たほうがいい!!
有名かもしれないけど、あるヒッキーが官僚の親から叱咤のメールをもらった動画がこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=yvi4gcKO0_E
この動画内では社会の厳しさを、親が体験してきた目線でその思いを聞くことができる。
「大学」も卒業していない人の仕事は何がある?いくらもらえる?、
「大学」をでていなければそこでおわり、
みんな嫌々「勉強」している、「勉強」しないのは言い訳でしか無い、生きていかなくては「いけない」、などなど。
まっとうに聞こえるし、親としては共感できるものが多いだろう。
でも、この意見はやはり偏っているし、息がつまる。
そもそもこの親の言う「まともな会社」は上位十数パーセントの会社を指しているだろう。
多数派をまともでないという切り捨て方をしている点でも引っかかるが、それを官僚がしているとなると国民としても少々悲しい。
この親の思考は「すべき」という考えにとらわれすぎている。
わかっているけどできない状態はある。
それは前頭葉の発達具合によるものだけではないし、複数の条件の下でそういう行動に至る。
自分の行動に主体性を感じられなければストレスがたまるし、性格によっては無気力になり、自分の人生を生きれていないように感じる。
合理的な説明をして、「あ、そうか。じゃあ自分はそするよ!」と変われる人間も居るだろうが、それはその人がたまたまそういう人間だったという話にすぎない。
この親は今まで何人の人間を見てきたのだろうか、どんな種類の人間を見てきたのだろうか、
その集団に偏りはなかったのだろうか、もしかして自分に近い集団以外を人間としてみていないのでは無いだろうか。
人間の性格の個体差のようなものを無視していて、自分のような人間がスタンダードで、あとは劣等種だなんて思っていないだろうか。
そんな疑問を抱いた。
だが、家族間でもそれを求められると息がつまる。
生きている意味に疑問を抱く。そうすると、自暴自棄になって、いつ死んでもいいやと考え出し、刹那的な行動に走る。
これは個体差があると思う。
しかし、脅迫以外の方法でないと動かない人々は確かに存在する。
そういう個体に生まれた時点で欠陥品として切り捨ててもいいが、果たして、それは豊かな社会なのだろうか。
そんな要請にどうしても答えられなかった人はどうなるだろうか。
ある人はどうでもよくなり、逃げ出し、考える事をやめるだろう。
それに対してふんばり、自らを奮えたたせて立派になる人間もいるかもしれない。
だけど、そこに至るまでのプロセスは人によって、何が適切かは異なる。
そういう多様な可能性を多くの人が理解するようになれば、優しい社会になると思うのだ。
大学出ていなくても楽しそうに生きている人、サラリーマンより稼いでる人、たくさんいるんだけどなあ。
まともだけど儲かる仕事(起業すればだけど)なんてちょこちょこあるし。
youtuberとか配信業者なんてある意味優秀だし、親の見解が狭いと苦しいと思う。
学歴よりも「名前を適切に売る力」の方が生活していく上で大事だと思うよ。
結局この親自体も縛られて生きている社会の被害者なんだと思う。
いや、win98でダイアルアップのころからだから本当はもう17年か。
辞めなきゃダメだ、辞めなきゃダメだと思い続けて、でも辞められない。
友人は自分以外皆結婚した。最近では友人同士の集まりに行くのもミジメになるだけなので、拒否ってネットしてる。
ネットをやめたくても辞められない。ツライことも多いけど、楽しい記憶もいっぱいあるから。
あの騒動の時の掲示板楽しかったなぁとか、あの動画楽しかったよなぁとか、あの投稿者の動画の続き見たいなぁとか、とかとか。
ネットやり過ぎて、依存症すぎてツライ時は「ネット依存 ツライ」等と検索すれば、ネット依存の辛さや破滅さを知るドキュメンタリー動画を見れたりするし、「このままではいけない」という趣旨のサイトが僕を叱咤してくれる。「大丈夫、ネット、やめられるよ。依存症直せるよ」と僕を励ましてくれる。ネットだけなんだ。僕を叱咤してくれるのも、励ましてくれるのも。
だから僕はますますネットを辞められない。僕を叱ってくれ、励ましてくれるネットを僕が捨てられるわけないじゃないか。
あの音楽を聞いたらやめよう、あの動画を最後にしよう、っていつも思っても、また聞きたい曲は出てくるし、観たい動画は出てくる。そしてそれらは僕を確実に楽しませてくれる。辞められるわけないじゃないか。
周りの友人とはどんどん話が合わなくなっていく。子供が生まれた?ご祝儀渡す?ご祝儀の相場をネットで調べないと。ご祝儀の相場はこのくらいなんだ。また一つ賢くなったな自分。でも気付いたら、もうアイツに子ども生まれてから数カ月以上たってるし、もう渡すタイミング逃してないかな。別に渡さなくてもいいかな。そういやアイツから全然最近連絡ないしな。
もうツライんだ。辞めたいんだ。
PCかたずけろって?1回1回、部屋のどこかにPCしまえって? しまったってまた出すんだよ。もう何度もやってんだよ。
ノートPCを開かないように紐で縛ったって、結局切って開いてネットするんだよ。電源コードを車のトランクにしまったって、夜中だって何時だって、クルマのトランクを開けに行くだけなんだよ。
楽しのに何でこんなにツライんだ。楽しいのに何でこんなに空虚なんだ。
心がどんどん乾いていくんだ。休日をネットで楽しめば楽しむほど、心がカラッポになっていくんだ。
楽しいこと探せって?それがネットなんだよ。趣味を持てって?趣味がネットなんだよ。
大学受験終えて、事由になってネットしかしてないから、他に時間の使い方知らないんだよマジで知らないんだよ。
助けてくれよ。この後PC切ったって、そわそわして、落ち着かなくて、うずうずして、またPCを開いて、電源コードとマウスをつけて、ネット見るんだよ。
あのレスに返信つかないなって、自分が最後の書き込みの掲示板を見るんだよ。書き込みがあったらあったで、それに返信してあげるのがマナーなんだよ。17年前で言うネチケットなんだよ。俺がネット始めた頃は、そういうのがマナーだったんだよ。
もう解放してくれよ…。辛いんだよ。
増田を見ていると、ようはコミュ障で人付き合いが不足してるから悩んでるだけだな、って気づくことが多い。
たしかに瞑想と運動を推す声もわかるけど、そういう小手先の処世術よりも、
そもそも人付き合いが足りてないから、どうでもいいことに悩むんだよ、と声を大にして言いたい。
自分の意見が正しいかどうかなんて、結局は自分の周りが同意見かどうかで事足りる。
増田で悩みを吐露してる人って、自分の意見に同意してくれる人が少ないか、いないから悩むんだよね。
「なぜ生きるのか」みたいな哲学的疑問って、基本的に孤独だから立ち現われてくるもの。
なぜか知らないけど、人間関係で揉まれていると、そういう疑問すら浮かんでこないんだ。たぶん本能的にね。
そういう疑問には究極には答えがなくて、ただ「そうしたいから」としか言えないんだけど、
なぜ「そうしたいか」といえば、自分の周囲がそう思っているから、としか言いようがないこと。
なぜ葬式に黒い服を着るのか。周囲がそれを葬式衣装と思っているからでしょう。昔の日本では白い服を着ました。
どっかの哲学者が「人は他人の欲望を欲望する」って言ってたけど、本当に正しくて
ああしたい、こうしたい、こうはしたくない、ああはなりたくない、
ってのは芯の部分で他人の欲望を内面化していることにほかならないのよ。
逆にいえば、多くの人間関係の中で生きていると、何もない実は空っぽな自己と向き合う必要も余裕もなくなるから、
必然的に答えがないような問題に直面することがなくなる。どんなに掘っても自分の中には答えがないの。
DQNはDQNに囲まれて生きるからDQNであることは恥じないし、富裕層は富裕層に囲まれて生きるから自らを強欲だとは思わない。
ほとんどの人間が健全に生きられるのは、何が健全かを悩まないからで、何が健全かを悩まないためには
とにかく他者との関係性の中に埋没し切るしかない。内面に脳のリソースを使わない。これに限る。
よく言われる「現実を見ろ!」って叱咤の声は、ようするに「他人(=社会)の期待を生きろ」と言ってるに等しいの。
他者との関係性の中に埋没していれば、何が社会の期待なのか皮膚感覚で分かるし、
それが合理的か非合理的か、倫理的か背徳的かなんて考えなくとも、当然のようにそれを「欲望」できるんだもの。
学生時代からの付き合いで、最近は結婚という話も度々持ち上がるが、住まいが微妙に離れている。この距離というのが絶妙で、車で一時間半くらい。田舎なので、中間の距離に住居を構えるというのも現実的ではない。二人で話し合い、週末婚というかたちも検討したが、案の定親には強く反対された。
昨日した電話で母曰く「おぬしは結婚するには時期尚早だ」とのことらしい。キャリアをすべて捨てて家庭に入る覚悟および経済的自立がなければ具体的な結婚準備はすべきではなく、また周囲は決して納得しないだろうということだった。
一人暮らしが寂しいとか三十代が近いとか付き合ってもう八年なんだからとかはすべてわたしの身勝手な我儘に過ぎないらしい。まあ、薄々自分でもただの現実逃避だとは自覚していたから、ぐうの音も出ない。
わたしの中ではきっと「死にたい」と「ハワイに行きたい」と「結婚したい」はだいたい同じようなニュアンス(どこか遠くに行きたい)なんだろうな。でもそうした空想に彼氏氏や他関係者諸氏を付き合わせるわけにはいかんのよな。現実を見ないといけん。でも現実って何なんだろうな。トピシュさんあたりにでも叱咤されたい気分だ。
(追記16/06/07)
>id:topisyu "母曰く「おぬしは結婚するには時期尚早だ」とのことらしい。キャリアをすべて捨てて家庭に入る覚悟および経済的自立がなければ具体的な結婚準備はすべきではなく"←二律背反じゃないですか……!
補足しますと、わたしは今非正規雇用(研究職で、テクニシャンとかプロジェクト研究員とかいうやつです)でして、せめて正規職員になるまで結婚をやめろというのが母親の弁です。更に言うならば、母は看護師で、「手に職をつける→正規職員として就職する→貯金する→ばっさり仕事を辞める→子育て→再就職」というキャリアをこれまで踏んできました。恐らくですが、そのキャリア形成を私にも求めて進言しているのではないかと推測します。母の言い分もわかるのですが、現実として難しい(不可能ではないが、何年先になるかわからない)というのが私の考えです。
>レッツ・できちゃった婚!
それな……。
お笑い芸人・・・それはストレスの中で生きる人々に笑いを提供し、心に潤いを与える誇り高き仕事だ。
もちろん、すべての人がお笑い芸人の力を借りなければ笑えないわけではない。日常のふとした瞬間にも笑いは訪れる。にもかかわらず、観客は彼らを求め、そして笑えなければ、まるで無視される。彼らは常に自問自答する。「果たして俺のやってることの何が必要とされているのか?」「自分のやっていることは社会に役に立つのか?」「俺は面白いのか?」と。
そうした葛藤の中で、彼らは自らに技術が必要とされていくことに気づくことになる。"お笑い"の消費速度は、あまりにも速い。世の人々が、それを「面白い」と認識し、溢れてしまえばそれはたちまちありふれた光景の中の一部となり、"日常"という「つまらない」ものの一部となってしまう。今「笑える」ものが、半年後に笑えるとは限らない。たとえ一時的に「面白い」とされても、そこに胡坐をかいていると、たちまち「つまらない」ものになってしまうのだ。彼らはそこから蹴落とされないために修練し、叱咤激励しあい、切磋琢磨し、自らの"お笑い"に対する感覚を磨く。
その中で導き出された笑いの極意――それは、アンデルセンが描いた童話『裸の王様』にならい「王様は裸だ」と言うこと。つまり、権力や権威であったり、それが自然なもの、認めざるを得ないものといった同調的な圧力に臆せず、その姿を暴き立てること。それこそ、"日常"という誰をも取り巻く状況に対して風穴を開けるに対して必要とされる、根本的な姿勢なのだ。だから彼らは現状に満足しない。生き残る為にも、社会の中で生きる人々のためにも、自らの芸に毎日少しでも磨きをかけ続ける。それこそが、お笑い芸人に託された宿命なのだ。
そのお笑い芸人と呼ばれる人々の中でも、天才と呼ばれた人がいた――松本人志である。
彼がお笑いコンビ、ダウンタウンとして世に出てきた時、それを先輩芸人として見ていた島田紳助は、それまでの笑いの概念を覆されたという。彼の笑いのセンスはひときわ独創的だとたちまち評判を呼び、全国放映されるテレビ番組でいくつもレギュラーを抱え、時代を代表するお笑い界のカリスマとしての地位にまで上り詰めた。
時は経ち、依然として彼の姿をテレビで見ない日の方が少ないほど、確固たる地位にまで上り詰めた。彼はお笑い芸人として評価される側に留まらず、M-1グランプリで審査を務めたり、すべらない話で新旧問わない芸人のトーク力をフックアップするなど、今や時代の寵児には留まらない、お笑い界にその名を刻む人物となった。
そんな独創的なお笑いセンスとカリスマ性がある彼がレギュラー出演する番組の一つ、「ワイドナショー」で発言したのが以下の言葉だ。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/14/masuzoe-matsumoto_n_9976334.html
いまそれでいいからしないですむことはしない
いざとなったらそのときに行動して解決できる
この範囲が広すぎなだけでは
広すぎというか自分の生活圏はそういう事項で埋め尽くされているのでは
べつにぎりぎりに行動しようが最終的に行動しまいが
しにはしないし問題にはならないことも多どう
その分かなわないことできないことが多くなるとは思うけど
できたものを数えるのとできるかもしれないことを数えるのとでは
できたことをかぞえていく楽しみのほうがまさっていそう
予定とか計画とかつくるのがすごい苦手そうな気がするのだけど
そういう人がいるおかげで戦略やら策略やらだけでなりたつ商売も
なおさなくっていいと思うけどな
損をしているのはあなたなのよ っていいたい親切心はあるけれども
その損をしてくれているおかげで得をする立場にある人は
あなたをたすけてあげる といってきた人に対しては
接していけばまちがいないきがする
アルミ版はねーわ。
残された剣道部員の気持ちは一顧だにせず、剣道という競技への愛着もリスペクトもないサイコパス穂乃果。
それを全肯定する海未。
小狡いだけのにこ。
あまり売り上げのことは言いたくないが、巨大コンテンツの割に漫画は大して売れてないのも当然といえる。
長々と恨み言を書いてるようだけど、結局は公野版はつまらないから人気が出ず、アニメ版は面白かったから人気が出たというだけの事でしょ。
いくら京極花田やアニメファンを罵っても、アニメがこれだけ大ヒットした結果の前では滑稽でしかねーよ。
今連載してるスクールアイドルクエストなんて、本来ならμ'sロスの受け皿になってもいいくらいなのに、話題にすら上らないのは何で?
一理なくもないですが団体戦ならともかく個人戦でやってた穂乃果がそこまで剣道部員の気持ちを気にする必要があるのかというのもありますね。
また、高校では当初から廃校阻止のために剣道頑張ってた描写もありますし、一方その点で海未が穂乃果を叱咤していましたから、最終的に肯定という結果になっても全肯定ではありませんでしたよ。
まあ、SIDの海未なら同じことがあっても全肯定してしまいそうな感じはありますね。
それに、既存の部活は元々自分が勝手に入って勝手に辞めるものともいえますが、μ'sの活動の場合は穂乃果が始めて勧誘もしたわけであり、辞めるときも自分で畳むのは悪くないかもしれないですが
アニメ1期でことりのことに心痛めたからって即辞めるのは短絡的で、他のメンバーへの無配慮で辞めてしまった意味ではもっと話にならない突っ込み所で、そちらの方がサイコパスというかなんらかの問題ありだと思いますよ。
しかし、その点においてもどちらかといえばとってつけたような留学展開に疑問が生じる方が先で、元から親友ことりと海未の様子を気遣わない状態で突っ走ってきていたので、そんなこのキャラならそうなるかという不思議な納得はあるともいえたかもしれませんね。
小狡いだけのにこというのもよく分かりませんが、アニメ版と違って幼少期からアイドルになりたがっていたためにアイドルになるための研究努力があるためにスペックが高いことや、
アイドルという存在への思い入れや見解の深さがキャラ作りが重要とか言いながら決めぜりふだけで、キャラ作らず素の性悪面を見せてることが多いアニメ版と比べものにはならないと思いますよ。
またアニメ版は小狡いどころか穂乃果を襲撃してアイドルやめろと脅迫したり、ファーストフード店で食べ物盗んだりと悪党レベルですが、小狡いのはダメだけどただ単に悪いのはOKということでしょうか。
そういう余裕のある悪戯っぽさみたいなものがあって真姫などを弄ってたのがアニメ前のにこの人気ポイントの一つです。
一方で、無能すぎて悪いことを言ったりやったりするけど小狡くはなりたくてもなれない方がいいというのはそのキャラを作品の道具的なネタ要員としてしか見てないからじゃないでしょうか。
2期で小悪魔とか言われてましたがむしろ小悪党という感じですね。
不正投票も細かいポイントですね。その程度であると日常系作品ですら普通にありそうなネタですが…。
そういう点に突っ込み出すと、アニメ版では絵里が無断で動画撮影・投稿をしていたとかいう突っ込みが生じますし、恐らくそのようなことを問題視していると思って書いたのでしょうが、自分はその点は便宜上そこまで問題視してませんね。
どちらかといえば公開した動画が馬鹿にされればいいという悪意があって投稿したことの方が問題ですけれどね。
元々廃校阻止という目標の点では穂乃果と絵里の思いは同じだったわけですし、結果動画が馬鹿にされたら音ノ木坂の評判ダウンにもつながるのではと考えると自分の目標達成にとっても痛手になる可能性がありますしね。
本筋は淡々と進むだけ?あれで淡々と進んでるというならどうあればドラマ的なんですかね…。
逆に「アルミ版はアニメ版よりも展開がシリアスでシビアだ(だから苦手)」という評判はよく見ていたのですけれど、いろんな考えの人がいるんですね。
メンバー集めにしてもA-RISEの存在にしても地元に根ざした学校を地元の生徒たちが~という元々のコンセプトからして王道的で理想的でしょう。
そういう意味で穂乃果・海未・ことり・凛・花陽・絵里が幼馴染で元から知り合いという設定の方が自然ですよね。
逆にアニメ版はメンバー集め展開をやりたい脚本側の適当な都合で同学年以外は知り合いでない状態にされましたが、地元云々のコンセプトも破壊したようなものですね。
アニメ版のファーストライブは印象的なシーンですがそれの元になった可能性があるシーンがアルミ版にあります。
アニメ版のように講堂みたいな立派な場所でやったりパフォーマンス自体は見事だったりすることはなく、
アルミ版のファーストライブは屋外でラジカセで音楽を流しながら踊りを見せるだけというチープなもので、初めてのライブで緊張したこともありミスも出て観客や通りすがりの見物人は十数人ほどいましたが馬鹿にされて見世物のように終わるという辛いものでした。
穂乃果たちは自分たちのふがいなさに号泣しますが、その様子を見てそれまでいつも一緒だった親友の海未が立場を変えて協力に踏み切るというのはそこまで不自然だったでしょうか。そして淡々と進む展開ってそういうものなのでしょうか。
その後もアニメの突発的で感情的なやりとりを駆使しての展開とは違って、元から絵里と穂乃果たちは友達であることもあり勧誘は平和的でありつつ一進一退状態ですが、その絵里が希などの勧誘には協力したりすることであるとか、
にこと真姫がそれぞれ個人的な事情や思いを抱えているために、アニメ版のラブライバーもμ'sもメンバーみんなが作品の奴隷であるべき的な思想が好きな人にとっては嫌うポイントでしょうけれど、
本来のキャラからするとにこと真姫が他のメンバーから独立した部分を持っているのも自然ですし、そこが後々生きてくるドラマ性を演出しているとも思います。
SIDではにこは既に独白でもμ'sの価値を認めていますけれど、そういう方向性に向くまでのにこという意味では自然でむしろこうでなくては最高のアイドルを目指すにこらしくないと思いますが…。
アルミ版では元々のルックスに加えて実力も伴っているために穂乃果からいきなりセンター待遇で勧誘を受けたりしていましたが、
アニメ版でも1期でセンターにこだわる描写があり、予習していたために未予習だけど才能有る他のメンバーと同等の成績を残す話がありましたね。
そこも残念に歪められた扱いで悲しいですが、それでも一応予習していることを知らない他のメンバーから褒められる描写がありました。
一方、2期4話でもセンターにこだわって写真加工云々の描写がありましたが、全体的にその扱いは何言ってるんだコイツというだけの状態でしたし、扱いや設定がおざなりすぎて擁護できませんね。
それが好きという人はアイドルでなく芸人か何かを好んでるんだと思います。元からそういうキャラならまだしも。
余談ですが後にその2期4話の元ネタがgleeにあってその影響で弟まで加えられたことが分かり、呆れるしかありませんでしたね。
アニメ版のようなドラマ的展開とありますが、表面的な部分で遠くに合宿しに行ったりスクールアイドル集めたり優勝したりすることがドラマ的なんでしょうか…。
ただ、内面的な動向などに目を向けないでドラマ的かどうかを測るのであれば確かにアルミ版はあまりドラマ的ではないかもしれませんね。旅行とか大会や海外には行ってませんし。
そういう方にとっては確かに劇場版のようなとりあえずニューヨーク行ったり大人数で何かやったりというのがドラマ的で理想的だったかもしれませんね。
ところで、アルミ版を批判するとしたら凛と花陽が加入する際のあっさりすぎて何も物語性がない所とかを批判した方がいいと思いますね。
そこは自分も幼馴染設定を生かしているともいえますが、もう少し何か欲しい所があります。いつか描く予定があったのかもしれませんが。
ただアニメ版では留学云々があったことり以外は基本的にμ's加入後は穂乃果のおまけや補助役に成り下がってしまうのに対して、
アルミ版ではにこや真姫などが個人的な事情を抱えていることで、それぞれがある程度精神的独立を保ちながら集まってる状態です。
一方アニメ2期では(gleeのパクリらしいですが)とってつけたように、
「普通の高校生なら似た者同士で集まると思うけど、私たちは違う。 時間をかけてお互いのことを知って、お互いのことを受け入れあって、ここまで来られた。」
とか言わせてましたが、原案と違い幼馴染が少ないのに殆どのメンバーが加入した時点で問題解決して受け入れあっているメンバーの状態でそれを言ってもな、という感じですね。パクっておいて個性的も問題ですが。
また、逆に穂乃果とは幼馴染の海未やことりとの方が一悶着ありましたね。
原案やアルミ版は元々そういう要素を重要視してるわけではないですけれど結果的に、にこ真姫希という幼馴染枠外の3人の存在がそういう描写を強めるキーになれる要素を抱えてますね。
漫画は大して売れてないんでしょうか、そのあたりは詳しくないですが、アニメや動員数に比べたらそうでもそれなりには売れてると思いますよ。
少し調べてみたらなんちゃってファンがおすすめする原作SIDレイプのSIDコミカライズより売れてるらしい情報が出てきました。
公野版はつまらないから人気が出ずと言ってますが、そもそもアニメ化までに段々と人気や売上数は伸びてきていたんですよ。
雑誌やCDは買わないと見たり聞いたりできませんし、雑誌は買っても注目作品以外は流し読みということも多いですから知名度が足りていなかったと思います。
実際にアニメ化以降に知ったファンでも初期の楽曲やPVの良さを褒めてる人は多いじゃないですか。昔は質が悪いから人気が出なかったと言うのであればその人気を評価する指標はCD売上から言っているんでしょうから、売れなかった時のCDの楽曲やPVの質のことも批判してみてください。現実を見るならそこだと思いますよ。
そのようなわけで、知名度を得るためにアニメ化は大事だったんです。知名度さえ得られたら評価が得られるだけのクオリティが元々あると思っていたからこそ嘆いているのであり、そういう所からいって、売れたから許せとか過去のことは滑稽と言うことこそ滑稽ですよ。まさにそこが問題点なわけですからね。
スクールアイドルクエストがμ'sロスの受け皿になってもいいくらいというのも、ちょっと謎の過大評価ですね。話題にすら上らないというのもどこ基準か分かりませんが思ったより話題になってるように感じますよ。
劇場版以降、作品展開に異議を唱えるファンが多少増えてきて、アニメ1期2期の頃よりはSIDとかアルミ版について語る人が増えてるような印象すらあります。
売上が出たから面白いというのも問題があると思いますよ。何にでも悪くても売れやすいものと良くても売れにくいものはあるわけですし、そもそも原案のラブライブ!の場合はあの系統でアニメ化してたらどうなっていたかというのを今では確かめようがないわけで、元の楽曲などを流用して、他作品盗作を駆使して、商品は売れたから全部これが正解というはいかがなものでしょうか。
どうせならキャラも声優も楽曲も全て原案と無関係のオリジナルのものであればよかったのですがね。
ところで、アニメゆるゆりは1期2期はアニメオリジナルも含んだ内容で人気が出たものの、原作の作風や一部のキャラを歪める内容なども含んでいたことから原作ファンに不評な部分もあり、原作の作風を生かして制作会社も変更された3期は原作ファンから賛美されているようです。一方で1期2期を制作した動画工房や各種スタッフのファンからは3期は微妙という評価もあるようですが。
自分はゆるゆり原作を最近までまともに読んだことはありませんでしたが1期2期は誤魔化しを多用したくだらなさのある作品だと思っていました。それでもキャラ描写は原作をラブライブほど破壊してはいませんから、それなりに好きでしたけれどね。
その中で3期を見たら1期2期とは違う落ち着いて安定した面白さがあったので調べてみたら原作により近いのが3期だと知って、そういうことがあったのかと思った次第です。
ゆるゆりやシスプリのように後に原作に近い映像化作品が生まれるのであれば少しは溜飲も下がるのですが、ラブライブはあれだけ利益を生みながら原案ファンには還元せずに終わるというのも残念なところです。
長くなりましたが売上で勝った負けたとかそういうことを言いたいのではなく、公野版のままアニメ化していたら今ほどは売れてなかったかもしれませんが、それなりに売れていたのではないかとは疑いなく思っています。
あのように始まった作品で、特に矢澤にこなどは中でも人気が出ていたキャラでその方向性の作品を期待するわけです。それを横入りしてきたものに邪魔されて道を断たれてしまったことが可哀想ですし、十分な売上は生まれていたと思うので残念に思います。
公野作品で評価できるのなんて~とありますがそもそも、あなたが公野先生のアイデアをあまり好きじゃないだけなのではという感もあります。勿論あなたからしたら自分はアニメラブライブを嫌いなだけとなるのでしょうけれど…。
せめてアニメはアニメ、その他はその他の設定で独立させているならともかく、アニメ化以降アニメ以外のゲームはおろか、PVやCDドラマもアニメ設定に統一されていったことも問題ありますね。
自分は今さら何がどうなるとか、どうなってほしいとかはあまり考えていませんが、ただそういう思いの存在を作品が終わる間際に書き残しておこうというだけです。
出産というのは母体のリスクも障害児が生まれるリスクも死産のリスクもコミコミ。
とはいえ、実際に重度障害児産まれるまではみんな自分がそうなるとは思わないだろうな。
ウチはたまたま結果的に2人とも健康に産まれたし妻も無事だったけど、2回の出産はどっちもいろいろハラハラの連続だったし産まれるまで心配でたまらなかった。もし障害児だったらという話も、産むときに母子どちらかに不幸があったらという話もしてたよ。出産ってそういうものだと思う。
で、これからの子育て、大変だと思いますけど、自分たち夫婦はいま共働きだけど、もし障害児が生まれたら、自分たちはもうキュウキュウでもいいから子供のために生きようよ、という話をしてました。嫁さんは障害児の施設で働いてたことがあるんで、現実にいろんな障害者や親御さんと関わってたんで、話が結構具体的でした。
ダウン症児に生まれて一般企業で働きながら、お父さんに「ダウン症のデブのおっさんになりたくないだろ!」って笑って叱咤されながら体力トレーニングをがんばってるひとのドキュメント見ながら、「もし障害児が生まれても、向上心を忘れないあーいう育て方したいなー 一つでも二つでも普通の人と同じことをやらせてあげれるようにしたいねー」とかお互い言ってましたよ。実際生まれてたら、どれだけ前向きでいられたかなんてワカランですけどね。
現実に子育てする元増田さんの御苦労は計り知れないですけど、同じような境遇のママ友・パパ友が出来ると少しは気持ちが楽になるかもしれません。探してみてはどうでしょう。
さっきめちゃイケ見ててふと思ったんやけど、めちゃイケって本当最悪、早く終わればいい、三中くんもふつうに就職した方がいいよって感じ。ツイートする、で終わってもよかったけど、一応補足。
今夜のめちゃイケの中身というのが、メンバー唯一の素人三中くんが番組の企画として、みちのくプロレスに入団させられて、苦しい練習のあまり逃げ出してしまうというもの。
それを呼び戻すため、メンバーが逃げるんじゃないだの、プロ意識だの、みんな大変だのと言って叱咤激励して、結局プロレスに戻されてしまう。でも、結局また逃げちゃう。
それでまたメンバーに囲まれて、甘えるな。わがままだ、と集中砲火を受けるもの。そして、逃げた理由は芸人をするためというもので(確かに三中くんは芸人を志望していた)
逃げたわけではないというが、メンバーはそれならば、今後は素人ではなくプロとして扱う、と一気に突き放すというもの。そもそも、素人として扱う、プロとして扱うの線引きって何よ?
とりあえず。はっきりさせておきたいのが、三中くんは「希望してプロレス行っていない」というもの。そして、番組内のメンバーが言うように彼は素人であるということである。
確かにテレビに出ている以上は多少は体を張らないといけないかもしれないが、給与も他のメンバーと比べると相当低い、それは彼が素人であるからである。
しかし、給与が低いのも彼が素人であり、プロじゃないから、というのは理由にならない。実際、体をはって彼も番組のコンテンツを作っている、貢献度が他の芸人に比べて低いから給与も低いのは
仕方ないというのだろうか、もしくは彼はまでプロダクションも所属しておらず、当然マネージャーもいなかったため、ギャラ交渉もできなかったためなのか・・・とりあえず、素人ということで給与は
安くて、ドッキリという名前で、道で不良に絡まれたり、ハニートラップにかけられたり、重いものをぶつけられたりしていたわけだ。それも本人が好きなら許されるというわけか。よくわからん。
確かに三中くんも芸人になりたい、お笑いが好きでこのめちゃイケのオーディションに志願して受かっているわけだから、めちゃイケメンバーとしていられるのが幸せなのかもしれない。
しかし、今回のように突き放されて、果たして彼の居場所があるのだろうか、むしろ、意図的に外そうとも見える。それが優しさ、獅子が子供を谷底に落とす親心なのか、純粋芸人どうしの闘争本能なのか
よくわからんが、今まで仲間だった人間を、「嫌いになる見えなくなる」というよゐこ浜口の発言をしない。
ある時はプロとして扱い、ある時は素人と扱う。まさにご都合主義である。要は三中くんはメンバーから舐められていたわけである。
めちゃイケ批判は、ネット上に多くあって、早く終われ、打ち切りか、などと書かれていて、僕の知っているころのめちゃイケは面白かった記憶があったので、そんなことはないとおもったけど、新メンバーが加入したときから
だんだん疎遠になり、中嶋Pがいいともにいって、ますます見なくなり。気づいたら、素人を囲んで集団で責めたてるお説教リンチ番組になっていた。社会は甘くない。芸人はもっと甘くない。うん、正論。だけど、これバラエティだよね。
確かにめちゃイケはこういういい話、お涙頂戴が時々あってうざかったけど、今回は特にひどい。TBSのガチンコか。視聴者はこれをみてどう思うだろうか。少なくとも10代、20代、三中くんと同じぐらいの世代はこれをみて何を思うだろうか。
めちゃイケメンバーは三中君を見る目が変わるといったが、少なくとも私の見る目は変わったなあ。よゐこ浜口は嫌いになると見えなくなるといったが、私の好きな番組からもめちゃイケは見えなくなりました。
まず取ってつけたようなことをするな。いきなり読書してもいいケミストリーが生まれるわけがない。
坂口安吾って一生かけて追究する人もいる分野だ。付け焼刃だめ!
坂口安吾読んだ話をブログにするなら、友人から坂口安吾を勧められたそのことをブログに書いた方が全然いい。
どういう知り合いでなぜ勧められて、あんたはどう思ったのか。そこがオリジナル。
個人的に身についていること、身近なこと、血肉になっているものをブログに書くべきだ。最近、というか一年近く背伸びし過ぎてないか? 期待にこたえ過ぎようとし過ぎていないか?
ラーメンの記事でバズったことがあっただろ。あれくらいの気の抜き方で良い。むしろ実生活を注視せよ! 生活・仕事に直に関わるわずかなひっかかり、わずかなわだかまり、これこそをネタに昇華すべきだろう。けっして気取るな。ブログ念頭に置くな。生活せよ。生活! 基底現実で生活! 生活! 次いでブログ!
それと一つのネタ、何回も使ったって良いんだ。偏執的にこれは、と言うネタを繰り返しこだわることも時に有効だろう。芸人が無限にネタを持っていないのと同じで上手く同じネタで勝負仕掛ける感じだ。
といってもそれはさんざん自らも悩みつくしたことだろう。ということで、誰かに相談だ。
クソログにこっそり相談せよ。いいか、ただしこれは決してブログのネタにするなよ。こっそりあのgmailに相談せよ。いいか繰り返すがブログのネタにこれだけはするな!
クソログは実は情愛を語る場だ。何か叱咤やヒントをくれるかもしれない。
上手くいっても上手くいかなくたっても、いつでも俺は応援してるから、のびのびやってくれ。頑張れ~。
やる気が何にも起きないんすよ。
社会人じゃなくてよかったなぁ。社会人なら嫌だなってこころに鞭打って、もー何にも考えたくなくてどうしようもないときも会社に行かなきゃいけないんだよなぁ。
あと3日で7000wordsのエッセイを書かなきゃいけないのに下調べもしてないんだよなぁ。もう確実に提出できないし、そもそも何を書けばいいのかもわかんないもんな。
無責任でよわっちい人間だから、自分の未来さえ考えたくなくって放り出しちゃう悪い癖、抜けないなぁ。
でも過ぎたことを悩んだってどうしようもないから、こういうときはまた頑張ろって思えるときまで放っておく。めんどくさいやり方だけどそれしか方法を知らない。
やる気の出し方なんて人それぞれだと思うけど、自分のはとびきり手間と無駄の多いやり方だってのはわかる。
踏ん張んなきゃいけないときに踏ん張れるのが大人なら、しんどい生き方だなぁ。
やだな~。
わかってるんだよな~やる気が出ない原因は。
どうしようもなく今寂しい。誰かに会いたい。誰でもいいわけじゃない。会いたい人がいる。
会って話したいわけじゃない。鍋したい。くだらないバラエティ番組を見て相手の反応に適当にうなづいて、平和だなって思いたい。
腑抜けんなって叱咤されたい。でも明日から頑張ればいいから今日は寝ちゃいなっていわれて、お酒も入って、ソファーでうとうとしたい。
遠いな~日本帰りたいな~。
望んで来たはずなのに、日本までの9500kmが遠くて遠くて涙が出ちゃうな。
お正月にあけましておめでとうの挨拶をするためにスカイプしたのがよくなかった。
あ~~
オーディションに落ちた部員たちに対し、滝は「悔しさは宝物であり、これを糧に努力すれば今より格段に上達するので、がんばってほしい」と叱咤激励。
落ちたメンバーたちは、2年部員の名前の一部をとってチームもなかと自称することにする。
葉月はしゅーいちとぎこちない会話をし、大丈夫だから、と強がって見せるが、全然吹っ切れていなかった。
こんなことなら告白なんてするんじゃなかったとみどりに愚痴るが、みどりはそんなことはない!と励ます。
本番が近づき、お守りを作ることに。
葉月はこっそりしゅーいちのぶんを作る。
ポニテ先輩はそれをたまたま見ており、二人きりのかえり道で葉月を抱きしめて「後悔しないように」と元気づける。
当日、太鼓のバチの忘れ物を届けるために葉月は走り、間に合う。
本番直前、舞台袖で、しゅーいちと久美子が拳をコツンとぶつけて無言でエールを交わしているのを見て、葉月は、寂しそうに、でもどこか安心したようなすっきりしたような顔で、みどりにエールを送る。
個人的によかったのはチューバを背負おうとしたときにガニ股になってた葉月が、しゅーいちに見られてるのに気づいてそっと内股にもどした絵芝居!
エロさや下品さや変なカメラワークもなくあくまで自然に見せられてすげえって思った。
走る芝居、走ってる途中でつんのめるような絵芝居もほんといいわ。
ポニテ先輩も相変わらず可愛すぎ。
かえり道で胸元パタパタしてるのがよかった。
オリジナル回だったけど、原作を完全に理解した上で昇華しきった感がある。
原作全部読んだけど、正直原作をそのままアニメ化しただけじゃここまで面白くはならないレベルの内容だった。
菊の声あて最高なんだよな。弟を叱咤激励する、熱血姉が見事に演出されていて。
多分、蛇蝎の如くパチ嫌いから反対されるだろうけど、別物で別の楽しみ方があるし、原作者がそもそも銭肯定してる中で、こっちも楽しんでるんだから許して頂戴。
危なかった
それで自慰に耽っていたはずが、一部のプレイを切り取った動画はわずか5分で終わってしまい目を閉じた。
すると脳裏にあの人の名前と笑顔が浮かんで慌ててさっきの動画をもう一度流した。
さすがに職場の上司をおかずにしてはいけないだろう。脳内で必死に私が私を叱咤する。おかずになんてしてしまったら、ただでさえミスをしているのに更にミスを重ねてしまうじゃない。
そろそろ このアマが!って思われてしまうんじゃないかと危惧しているのにこれ以上意識をしてはダメだろう。
動画をリプレイして満足するまでピンクのそれのスイッチを入れ続ける。
はあ、と息をついた頃また脳裏にはあの人の笑顔。
ダメだ。ぼやけてしまって上手く顔が思い出せない。その代わり少し高いような特徴のある声が脳内で再生された。
あの人も自慰の時には何かをおかずにするのだろうか。SEXの時には愛を囁きながら大事そうに奥さんを抱くのだろうか。
いいなぁ。せめてズリネタくらいにはしてくれたっていいのに。ほぼスッピンで色気も可愛さも出せない仕事中の姿しか知らないから無理か。でも自慰の最中に一瞬でも私が浮かべばいいのに。ズリネタにしてくれないかなぁ。
集中力がない。
人と話しててすぐに打ち切りたくなる。
「人のせいにするとメンタル的に良い」と聞いてやってみてるが、
メンタルどうもないくせにやってるのでただのクズの所業になってる。
小心者すぎて辛い。
強い語気で言われるとたじろぐ。それが間違いだったとしても。
人の気分を害さないような喋りをしているが、うまくいってない。
ていうかそもそもそんな喋り必要ない。
責任を背負いたくない。
コミュニケーションもロクに取れない。
最近、相手の顔を見ると「コイツ何も考えてねえな」「頭悪いな」「早く要件言えよ」
という顔にしか見えなくなっている。
喋りながらたまに幻聴が聞こえる。
「面倒くさい」という感情に勝てない。
うまくやってる人はさっさと仕事を投げてしまう。うらやましい。
まとまってから話がしたい。けれど、まとめられない。
結果言うのが遅くなる。
整理できないのは致命的。
タスク管理ができない。毎日やることを書き出してるのに、一向に減る気配がない。
で、結局取りこぼして火がつく。
ネットのどこかで「真面目な奴は、もういらない。真剣な奴がほしい。」と見たことがある。
真面目には生きてきたつもりだけど、それしかない。
周りの人達は「面白いことしてるんだから絶対ためになるよ」と言ってくれる。
本当かよ。
二十代も後半なのに、何して生きてきたのかわからなくなる。
仕事できなさすぎて「社会人3年したら失敗できなくなるんだぞ!」と同期に叱咤された。
俺の得意なことってなんだっけ。
今全く何も生きてない気がする。
つらい。
http://anond.hatelabo.jp/20151019213445
「努力が足りないのだ」と叱責する者が多いが、まるで見当違いだ。あなたは全然悪くない。ユーモアのつもりであなたを責め、戯れ言に興じる小物たちの言葉など聞く必要はない。
なぜ魔法少女になれないのか。
なぜならそれは、魔法少女になった人間がこの世に存在しないからだ。あなたに絡んでくる者、あるいはあなた自身も、その残酷な事実を受け入れられない。いや、分かっていても分からないふりをして、虚構の世界と夢を守ったフリをして気取っているのだ。しかし、前例がないからといって、イコール魔法少女になることが不可能なわけではない。
あなたがこの世界で最初の魔法少女になればいいのだ。最初の魔法少女なのだから、自分自身がルールなのだ。ただし、「俺は魔法少女だ!」と高らかに宣言したとき、そこにいる観衆の大半が「こいつは本物だわ」と納得しなければならない(もちろん、他者を納得させる必要はないという論もある。しかしここでは取り上げない)。つまり、俺ルールを作り上げてもいいが、他者をも納得させる妥協点を探る必要がある。「魔法」とは何なのか。「少女」とは何なのか。その言葉が規定する可能性をどこまでも掘り下げ、2つの概念を矛盾なく結合させる点を探る。そしてそのプロセスを雄弁に語る必要がある。
困難な作業になる。しかし、不可能ではない。もし行き詰まるようなら、著名なテキストサイトの管理人やネタブロガーを見習うのがいいだろう。
「いや、そんな理屈をこね回してネタで魔法少女になりたいわけじゃないんだよ!」
その気持ちもわかる。だが、あなたの知っている魔法少女もそうやって出来たものではないとどうして言えようか。演出やエフェクトが描き出す「魔法少女感」の裏に、必ず、どうしたら「魔法」で「少女」に「見えるのか」という生みの苦しみがあったはずだ。そうしたネタ出しの初期の姿は歪で陳腐なものだったかもしれない。
何かを生み出す時には、つねに柔軟な発想が求められ、そうして出来たものを貫き通すことが説得力を生む。たとえばあなたの知っている魔法少女の中に、魔法は使わない物理攻撃型の少女はいないだろうか。しかしあなたは彼女を「魔法少女だ」と認識している。あるいは、もはや少女とは言えない体格の魔法少女もいるかもしれない。でも受け入れているだろう。それはどういうことだろうか? 契約をしたから? 体や装備が魔法体だから? 本当にそうだろうか? そういう説明をされる前から、あなたはコンテクストで「この子たちは魔法少女」と確信していたのではないか?
このことは、表現を受け取る側の人間も、相当に柔軟になりうるという事を示している。それは人間の美しいあり方でもある。柔軟になるだけのコンテクストを共有していない人間からみれば、その発信者も受信者も「宗教くさい」と蔑視されることもあるだろう。しかし、そのような美しくない眼差しを考慮する必要はない。あなたと、受け手が信じてさえいれば、そこには何だって降臨し得るのだ。実際、あなたは創作上の魔法少女という存在を、彼女らが与えてくれた感動と社会的ムーブメントを、虚像だとは思っていないだろう。そこに「ある」と信じることで物は生み出され、定義される。それは儚くも尊い、人間の壮大な営みの一部だ。魔法少女なんてものはその極致のようなもの。それに素直に憧れることができたなら、もう一歩先に進む人がいてもいいはずだ。
……ここまでの内容を消化し昇華するだけでも、魔法少女になれる可能性は十分あるだろう。だが依然として困難を感じている人も多いことと思う。それは、「魔法」というものに対して説得力を出すことが難しいためだ。
あらかじめ潰しておくと、「少女(見た目)」についてはどうとでもなる。仮に、あなたが男性だったとしても、いまは「男の娘」なんて言葉があるくらいに、男子が女子と見られるためのノウハウや文化の蓄積がある。あなたが青少年とはかけ離れた年齢だったとしても、歳をごまかすテクニックはそれ以上に長年の蓄積がある。なんなら手術という手もある。その上、それらが完璧でなくても、受け手の柔軟さを上手に喚起してやれば受け入れられるはずだ。あとは自分自身が自らの姿を受け容れるだけの精神性を築き上げればすむ。
だが魔法はすこし性質が異なる。魔法というものはこの世に存在していない。いや、ありふれていないと言ったほうが正しい。馴染みのない概念は、当然ながら受け入れるのが難しくなる。創作上の魔法を受け入れているのは、「これは創作だから」というモード切替スイッチが人々の頭についているからだ。とはいえ、現実世界にも「魔人」「魔法使い」と称されるような人間は存在する。スポーツ選手などが思い浮かぶだろう。しかし彼らは「魔」や「魔法を使える」存在ではなく、同じ人類だ。比喩的表現。つまり、同じ時代に生きている人類とは思えないほどの所業をやってのけることが「魔法」なのだ。「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」という言葉を引用するまでもなく、我々は魔法という言葉に魔法性を過剰に感じすぎているせいで、自ら「魔法」の枠を狭めがちなのだ。創作上の魔法は、ファンタジーと分類されることが多いが、細かい原理を説明していないだけの超科学が常識的に利用されている世界と捉えれば、SFと同列である。
とは言ったものの、我々のような凡人が、人々の目を欺くような超科学、最先端技術を操れるわけではなかろう。習得しやすいのはマジックような技巧の類だ。現実世界ではマジシャンが一番「魔法使い」の称号に近いところにいる。なので、順当に考えれば、「マジック少女」から「魔法少女」に昇華させる線が現実的に思える――ところがここで問題が起こる。我々の知っている魔法少女は、マジック少女のすごい版ではないのだ。人のために働く、助ける、守る、攻撃する、あるいは駆けつける、着替える、契約する、それらのタイミングで魔法が行使されるのが普通だ。なのでベースの行動をそのあたりに設定する必要がある。その際の「普通のやり方」を「魔法みたいにすごいやり方」に変えることが、魔法少女の必要条件だといえるだろう。ただ、これだけでは、「早着替えをマジックと映像技術で魅せるパフォーマー」程度どまりだろう。
魔法少女たるには、「魔法」的存在である事の他にもう一つ欠かせない要素がある。ヒロイックであることだ。すなわち、何かの使命をおびている。何かを背負って、何かに突き動かされている。別に世界を救うレベルでなくもいい。ご当地ゆるキャラ並の小さな使命感でもいいから、何がしかのパッションが滲み出る象徴的なキャラだと認識されなければならない。
さて、私の陳腐な魔法少女論はここまで。あとは「自分の頭で考えよう」。長年夢見てきたあなたの中には、きっと何らかの「魔法」の種火と、小さな使命感の欠片があることだろう。あと生まれ持った体と。それらの調理法を考えるだけの話だ。理想の魔法少女像との乖離は、きっとあとから埋まってくる。最後に叱咤の一言で締めくくろうと思う。
「努力が足りないのだ」
http://anond.hatelabo.jp/20150916220858
以下は某所からのコピペ。実はそんなに洋楽に詳しいほうではないので、もっと面白いものがあったら知りたいというのが増田にした動機です。ご教示よろ。
エア・サプライ「渚の誓い」(1983)原題:Making Love Out of Nothing at All
これなんと主人公はフットボールのスタープレイヤーにしてプレイボーイなのだ! チームを勝利に導く方法も、スタジアムを喝采させる方法も、リッチになる方法もみんな知っているし、女性を口説く方法も、落とす方法も知り尽くしているが、本気で好きになった相手の心をつかむ方法だけがわからないと嘆く歌。「渚」も「誓い」も関係ねぇ!
ノーランズ「恋のハッピー・デート」(1980)原題:Gotta Pull Myself Together
失恋した女性が「立ち直らなくちゃ!」と自分を叱咤激励する歌。実は全然ハッピーじゃねぇ!「私はバカだったわ」とか「泣き顔なんて見たくないでしょ?」とか「あなたがサヨナラを言ったんだもの」とか、わりと聞き取りやすいフレーズが頻出するのに、何考えてこの邦題つけたんだか?
シャーリーン「愛はかげろうのように」(1976)原題:I've Never Been to Me
主人公のセレブでリッチな女性が、平凡な主婦を相手に、自分は世界中を旅して回ったけど自分自身に巡り合うことはできなかった(今日びで言うところの自分探しに失敗した)と愚痴る歌。「あなたが手にしているものが本当の幸せなのよ」と上から目線の説教にも聞けて、聞き方によってはけっこうムカつくこともできる。
ウイングス「心のラヴ・ソング」(1976)原題:Silly Love Songs
他のほどぶっ飛んでないけど好きなので。くだらないラブソングだらけだと嘆く向きがあるがどこがいけないんだ、俺は世界中をそのくだらないラブソングで埋め尽くしてやろうと思ってるんだ、と開き直っている歌。「金髪先生」という深夜番組でたまたまドリアン助川氏がこの曲の解説をしている回を観た記憶が残っているが、これどう考えても主催ポール・マッカートニーがかつての盟友で袂を分かったジョン・レノンを意識して書いたんだよねという説に全力同意を感じた。
カイリー・ミノーグ「愛が止まらない」(1976)原題:Turn It Into Love
嫉妬に怒り狂う友人に対して「その怒りを愛に変えるのよ」とアドバイスを送る歌。その友人を嫉妬させている張本人が主人公とも解釈できる歌詞なので、もにょる。止まらないのは愛ではなく愛とは真逆の感情なのだ!
カーペンターズ「遥かなる影」(1970)原題:Close to You
金髪碧眼の、とってもハンサムなボーイフレンドが他の女の子達からチヤホヤされるのを見て、心を焦がす女の子の歌。でも歌詞に屈託がなく明るいことが、主人公のいい意味での若さ・幼さを感じさせる。ぜって~ぜって~邦題の与えるような大人びたイメージではないのだ。
知らない間にミニマリストって項目がはてなに出来ててびっくりしたw
過熱しているミニマリスト関連の話題を追ってみたら、何度も出てくる名前があった。
でもこれブログのプロフィールにはなかったから、ガセだったらぜんぶ外れる。ごめんね。
出して見た感じ信憑性が高かったので書いてみたよ。
はてなでのブログ開設は当初ミニマリストじゃなくファッションブログだった模様。
いかにして男性受けのいい言動を身に着け、男性受けのいいファッションをまとうか
星の位置を見るとこの人男性とは縁が出来やすくて、男性相手にきょどらずに話せる人だね。
それがどの程度喋るか、黙るかを考える余裕に繋がるんだと思う。
そしてフェミニンな魅力を際立たせたかったら、ファッションはコンサバがめっちゃ似合う。
常識的で、悪目立ちしない程度にちょっとやぼったいくらいのファッション。
質が悪く安っぽい服を着ると自信をなくす人だから、同じ値段なら古着で手堅いブランドは正解。
ただこの人自身はそんな風にお固い生き方は望んでいないんじゃないかな。
たいがいのことはどうでもいいから、「やるのはかまわない」程度。
だから育ちのよさそうなコンサバ系の服はコスプレみたいなものだね。
かっこよく生きたい、情熱と確信を持って誇り高く生きたいと思ってる。
既存の肩書きで上位を狙えないなら自分で新しい肩書を作って勝負する。そして勝つ。
人の秘密を嗅ぎ当てるのが上手い。
だから人を囲いはするけれど、面倒は見ない。
「隠してきた自分の本心をわかってもらえた!」と感激する人が出ると思うけど
同情心や共感力は低い。
ちなみに岡田斗司夫とは相性がいいw
お互い感情的にシンパシーを感じるものがあっただろう。会った日付を知りたい。
さて、ここからが本題なんだけど。
堀井さんのモテテクに汎用性があるかというと、自分の見地からすると違うと思う。
堀井さん個人にはとても合っている。よくぞ自分でたどり着きましたね!と思う。
しかしこれは堀井さんと、堀井さんに似たタイプの人限定のモテテク。
豹柄だったら百人力だけどパステルカラーじゃ壁の花というタイプの女性もいる。
しかしこれも向き不向きがあり、下手な人真似が非モテより悪い結果になる人もいる。
よかれと思って、親が子供を社会で広く受け入れられるタイプに育てようとすることがある。
でも、がんばってもそのレールに乗れない子や、乗らない方がいい子は大勢いるよね。きっと誰でも心当たりがあるんじゃないかな。
堀井さんはモテが行き過ぎてストーキングまがいの怖い目にたくさんあったと書いていた。
これは彼女のモテの結果というより、ある種の宿命。そういう位置に星がある。
生まれてすぐ星を見せてもらったら、そうなると自分は言ったと思う。
嫉妬心が強くて支配欲が強く、情に篤くて好き嫌いが激しい彼氏を持つと、たぶんおさまる。
ただし堀井さんは人に束縛されるの大嫌いだから恋愛モードじゃないと受け入れられないだろうけどねw
堀井さんに限らずモテテクとか人に好かれる方法のアドバイスは人気がある。
だけどそれを見るたびにちょっと気になるんだよね。
口はばったい言い方だけど、あなたがあなたであることがとても大事なんだよ。
追記:以前書いた増田
http://anond.hatelabo.jp/20150308023954
http://anond.hatelabo.jp/20130903144920