はてなキーワード: 叱咤とは
久しぶり、俺底辺だけど(https://anond.hatelabo.jp/20170626163755)の増田だよ。
小池氏は「若者の努力不足(実力不足)」っていいたいらしいけど、それは大間違い。
俺もいくらでなんたらつくった、店で買ったらこんなにするのをいくらでつくったと悦に入ることがある。
自分語りになるけど、聞いてくれ。
零細企業で給料は15万から一切上がらず、求められるスキルは年々高くなる。会社の保険もなかったから国民保険やら住民税やら奨学金返済で残るのは10万弱。そこから家賃の5万を引くと5万。ここから光熱費(一応オール電化のマンション)、インターネット料金とか携帯料金を引くと、まぁ残るのがいいところ3万ぐらいか。当時は車もほしいから毎月1万円の貯金を目指して、節約したもんだ。昇給は年1回(まぁ、なかったが)あるからここで5000円でも上がれば生活は少しづつ楽になっていくんだって信じてね。
貧乏レシピはここで考え始めた。麻婆豆腐もどきは俺にとってこの頃の思い出の味。
幸いこの頃は貯金できてたんだ。月1万のね。
そして、1年経って「そろそろ給料上げてくださいよ~」っと冗談っぽく言ったら「君のスキルだとこれが精一杯 もっとスキル磨けば給料を上げる」だったね。だから給料上がることを信じていろんなことを勉強した。俺は底辺のプログラマーだったんだけど、CRM導入なんかもやらされるし、社内ネットワークの構築なんかもやらされたし、得意分野じゃないけど、そうやって信じてやって、6年。給料はずっと15万。もちろんボーナスもなし。
入った時22歳のときはいいよ。同級生もそんなもん。まぁ、大卒は20万だから全然低い基準なんだけど、俺はパソコンだいすきでプログラマーも子供の頃からずっとやってたし、趣味を仕事にしたって言ったら、まぁ、聞こえはいい。でも6年後28歳なら普通の企業に務めてるやつは20万とか多いやつは25万とかもらってる。もちろんボーナスもある。車はみんな中古の軽自動車からプリウスやらレクサスやらの新車になる。
気がついたら貯金なんてもうしてなかったし、いつのまにか切り崩していた。なんにつかったかは覚えてないけど、すこしでも自分の惨めを隠したくて生活レベルを上げる。そうだね、例えば、パソコンを買い換えるとか、昼飯の弁当を作るのやめて500円ランチに変えたりとかね。
その頃の自分は、自炊なんてする気力なんてなかった。家事すらね。麻婆豆腐なんて作らない。食べるのはスーパーの半額寿司とか、刺し身とか、季節物とか、後は外食(チェーン店な)が増えた。
自分がそういうときに社長は結婚して住宅を立てた。そこで多分俺はやっとおかしいって気づいたんだろうね。
そうやって転職に至った。もちろん社長には引き継げる人間が来てくれるまでいて欲しいっていわれたけど「次のとこ給料28万なんでそれだけ出るのなら」って言ったらめちゃくちゃ怒ってたなぁ。(なんだかんだいってこの会社で身につけたスキルのおかげで28万で雇ってもらえたって言うのは有るけど…)
はっきりとひとつだけ言えることがある。
それは「希望がなかった」。
苦しみを耐えて、耐え抜いて、ここで我慢したら報われる。そういった「希望」がなかった。具体的に言うと昇給がなかった。
その代わり、会社で求められるスキルは増える。見ないようにしても「絶望」ははっきりと見えていた。
そうなった時、多分俺は未来の自分に託すのをやめて、今の自分しか見ないようになったんだろうね。
うなぎなんて中国産だろうがこの時期は1000円はするものを、実質うな丼300円で食べるなんて俺でもする。あ、コツは土用の丑は諦めることな!
でも、その努力できるのは余裕があるときなんだ。今の自分は、前の会社時代に作ったリボ払いとか、奨学金を返したりとか、車を買ったからローンとかを払ってて、結局昔と大差ない食生活をしてるけど、余裕があるから自炊ができている。
小池夫妻には多分、余裕はあると思う。それも俺なんかより断然。昔は辛くて、俺のような環境にいたとしても多分、今はそういう余裕があるのはツイッター見てたら分かる。
そういうときに、余裕がない若者に掛ける言葉は叱咤激励ではない。見方を変えさせること。
「普通は高いうなぎも、旬を逃してしまえばこんなに安くでいただける」という言い方をするべきだった。
もちろん、俺の今の状況の原因は「学生時代にがんばって就職活動しなかった」ひいては「高校時代によく考えて進学しなかった」ひいて…と探っていくことはできる。そういった部分で「努力不足」を指摘されるのなら受け入れることもできる。
でも、あのツイート見る限りそうではなく、「今」に対して努力不足を指摘する。余裕がある者から余裕がない者への叱咤激励。普通に、貶しとか皮肉でしか無い。
高級な車乗ってる人間が安物の車のってる人間に「ちょっと努力すればこれぐらい乗れる」なんていってるようなもんだ。
何がいいたいかというと、まとめどころを見失ってしまったけど、
同じ立場から発せられる言葉に勇気づけられることはいくらでもある。
例えば、世界に挑戦する人間の言葉に勇気づけられる人間が多くいるように。これはチャレンジャーから、チャレンジャーへの言葉だ。
でも、強者から弱者に投げかけられる言葉はどうあがいても響かない。むしろ悪い方向に捉えられるのが常。
だから、強者が弱者を叱咤激励したいのならば弱者と同じステージに立ってから言わないと行けないのであるが、それは一般的ではないので老害はどうやっても生まれてしまうのだろう。
週刊新潮など最近メディアによる錦織の彼女へのバッシングが半端無い。
熱狂的な錦織ファンで知られるヤフコメ欄でも散々観月あこに対して誹謗中傷が多かった。
確かにズベレフに負けるのは仕方ないけど、格下過ぎるモンフィスにさえ完敗してしまうと
去年一昨年までの快進撃が偶然だったのかと思えてしまう。
でも今年はどういうわけか負け続きで終わる。
その原因が彼女観月あことその知り合いの占い師が原因だという根拠のない批判が今年突然増えてきた。
僕は錦織に厳しく忠告や指導の出来ないチャンコーチや両親、松岡修造が悪いと思う。
行きたい大学はちょっと特殊で、業界最大手だったその予備校でも80人受験して毎年10人合格するかしないかという感じ。
私たちは僅かな望みにかけて研鑽する者同士、ものすごく仲良くなった。家を行き来したり、オタク趣味も一緒だったから一緒にイベント行ったり。予備校でもコンビのように扱われていて、当時一番の親友であったことは間違いない。難しいかもしれないけど、一緒に大学通えればいいねーと励まし合ってきた…つもりだった。
最初の違和感は、ふたりとも奇跡の合格を果たした入学式のことだった。
その年の入試は、急に出題傾向が変わって予備校で積み重ねていた技がまったくきかなかったのだが、彼女は、実は嫌な予感がしたから予備校の他に私塾に通ってこっそりその対策をしてたんだよーと言ってきたのだ。
全く聞いていなかった。毎日おしゃべりしていたのに。
19歳の私にとってはまあまあのショックだったのだが、でもまあ、友達である以上に入試ではライバルだったわけだし、そんなことにこだわるなんて馬鹿みたいだと思い、その時は流した。
それから数年たち、彼女とは同じゼミになった。ある日、指導教官のコネで企業とのコラボ企画が持ち上がり、ゼミ内でコンペが行われることになった。ものすごく良い経験になるし、就職にも有利になるだろう。
これも全くの奇跡なんだけども、私の企画が選ばれた。しかし私が評価されたのは思いつきの部分で、めちゃくちゃ粗いものだった。
その細部を詰めるにあたり、私はまったく教授のOKが貰えなくてかなり苦戦していた。
私が泣き言を言うと教授は「難しいなら他のやつらにタッチするか?」と言った。私を叱咤するためだったと思う。それを聞いていた同ゼミ生のみんなは「教授も本気で言ったわけじゃないよ」「頑張れ」と励ましてくれた。「彼女」以外は。
その翌日、彼女が、教授に詳細なプランを持っていったと聞いた。それはとてもよく練られたもので、とうてい1日でできるものではなかった。彼女は私が手間取っているのを真横で見ていて、着々と準備していたのだ。
結局、教授は彼女のプランを気に入り、共同企画者ということになってしまった。
共通の友人は「まさか本気にするなんて」「こっそり準備してたなんて」と怒ってくれた。もちろん私も、自分が本当に情けなくて悔しくて大泣きしたのだけども、それを悟られるのも嫌だったので表面上は平気なふりをした。
すると彼女は言った。「よかったー(私)ちゃんが心広くて。もう友達やめるとか言われたらどうしようかと思ったー」と。
分かっていたのか。友情をドブに捨てるような行為だと。それでもやったんだ。それができるから彼女なのだ。
ああ彼女にとって私は友達というより「出し抜くべき相手」だったんだと悟った。
彼女はとても戦略的で、彼女の将来のために全く正しい選択をしたのだろう。彼女は正しい。友情なんてもの将来のキャリアプランに比べたらドブに捨てて当然なんだ。
そして彼女は、その実績を掲げて第一志望の就職を決めていった。
それから10年たち、彼女と私は表面上仲良くしていることを続けている。いま、お互いに妊活をしていてまた「ライバルだね☆」と言われてしまった。彼女が、怖い。
努力できる人は凄い。結果を出しているならば、尚のこと凄い。私はそういった人達を尊敬するし、羨ましく思う。
ただ「努力をしよう」「頑張ろう」という意思が芽吹くこと自体がとんでもなく幸運なことだと思うので、「お前は努力ができない」という言葉に蔑みの意味を込めて他人を殴るのはあまり行儀の良い行為ではないと思う。
(本当の意味で努力をしている人でそういうことをする人は極めて少ないと私は信じているけれど…)
育った環境やその人の生まれ持っての特性など、自分ではコントロールできない様々な要素が複雑に影響し合うことによって「努力できない人」は生まれてしまう。「不慮の事故」と呼んでも過言はないのではないかと、個人的には思っている。
ただ「不慮の事故」を起こした人間がその事故の責任の全てから逃れることができないのと同じように、「努力できない」ことの免罪符として上記の考え方を持ち出すのは、私は間違っていると思っている。「努力できない」ことが他者の不利益に直結するような場合には、その不利益を生み出した責任を当事者が負うことは、状況にもよるが、不当なことではない。あくまでも最初に書いたような蔑みの言葉に対する防波堤として使うことが妥当だろう。
「努力できるように努力する」のは独りでは難しい。努力できる人間に育つはずのないような人間が家族や友人、恩師に恵まれたお陰で人並み以上の努力家になるケースも、気づかれないだけで世の中には多く存在しているはずだ。努力できない人間が努力できるようになるためには強い言葉で叱咤された方が効果的な場合もあれば、優しく寄り添ってもらえるだけで良い場合もある。その人に合った手の差し伸べ方は誰にも分からない。それでも自分を想って手を差し伸べてくれる人が側にいるというのは、一つの幸運なのではないだろうか。
「よかった」にはいろいろな意味がある。
ツイッターで流行った「#東北でよかった」の「よかった」は、純粋な「喜ばしい」の意味だろう。
これらの文では、交通事故にあったこと、空き巣に入られたことを喜ばしいと言っているのではない。
さらに言えば、寝たきり状態や死亡に至らなかったこと、盗人と鉢合わせて怪我をしなかったことは、純粋な「喜ばしい」ではない。
不幸中の幸いだと言っているにすぎない。
そもそもそんな事は起こってほしくはなかった。しかし、最悪の事態よりは被害は少なかった。
そういう意味だということは、声をかけられた方も分かるはず。
社会資本等のですね、毀損もですね、ま、いろんな勘定の仕方がございますが、25兆円という数字もあります。これは、まだ東北で、ですね、あっちの方だったからよかったんだけど、これがもっと首都圏に近かったりすると、もう莫大な、甚大な額な被害があったというふうに思っております。
ここでの「よかった」は、純粋な「喜ばしい」ではない。
東北で地震が起きたことを喜ばしい、とは言っていない。
自分たちには大した被害がなかったから喜ばしい、とも言っていない。
被害金額の比較として用いている。日本全体として見れば不幸中の幸いだと言っている。
その日本全体という視点、被災地に寄り添っていない視点が問題なのだが、それは後で述べる。
ここで言いたいのは、ブコメでもメディアの見出しでも「よかった」を「喜ばしい」という意味で解釈していたり、そう受け取られる見出しにしている場合が多い、ということ。
単なる「東北でよかった」では「喜ばしい」の意味で発言したと誤解されてしまう。
いくら字数制限があっても、「まだ東北でよかった」とするべきではないか。
先に挙げた「#東北でよかった」のハッシュタグも、それ自体は面白い取り組みだが、あの発言での「よかった」の意味を誤解させるという点で少し心配だ。
東京直撃に比べれば被害は少なかったと言える。それは事実だ。
ではあの発言は問題ないのか?そうは思わない。
先述のように、不幸中の幸いなのは日本全体として見た場合であって、被災者にとっては何の慰めにもならない。
たとえば、夫・妻・息子の3人家族でドライブ中に交通事故にあい、息子だけが骨折で入院したとする。
息子を心配する夫妻へかける慰めの言葉として、「一家の大黒柱である夫が怪我をしなかっただけ、まだよかった」は不適当だ。
夫妻が意気消沈して日常生活もできないほどなら叱咤激励としてありだが、普通は「うちの息子のことはどうでもいいのか?」とカチンとくるのではないか。
ましてや夫がそう発言したとしたら、夫婦喧嘩になって息子も心に傷を負うだろう。
先述の「交通事故にあったそうだが、骨折による入院だけで済んでまだよかったね」のように、個人の枠内で収まる不幸中の幸いを当人に対して言うならば「よかった」を使っても誤解は起こりにくいが、「被害者当人にとっては慰めようもない不幸だが、集団全体として見ると不幸中の幸いと言える」という状況の場合、「よかった」や「幸い」は被害者の疎外感を生む。
使っていいのは被害者本人だけだろう。
「僕は骨折しちゃったけど、お父さんが無事でまだよかったよ」と。
このたとえ話の夫の立場は、今回では首都圏の人々、もしくは中央の政治家。
その中央の政治家の、よりにもよって復興相の発言なのだから重大だ。
それでも、まだ辞任するほどではないと思う。
「まだよかった」と言っているのは人的被害に対してではなく、金額に対してだ。
本来なら、「東北でもあれほどの被害額に上ったが、これが首都圏だったなら...」と言うべきだったが、ついつい、話し言葉として使い慣れている「まだよかった」が口をついて出た。
そういう釈明で収まると思う。
しかし、「あっちの方」という言葉が致命的だ。
復興相なのに被災地に軸足を置いていない。完全に他人事。対岸の火事だ。
これでは言い逃れはできないし、させてはならない。
実際の辞任の経緯は知らないが、私が「これは辞任すべきだ」と判断した決め手はこの言葉だ。
同じ指摘をしているブコメもいくつかあるが、少ないなあと感じる。
どう転んでも辞任は当然なのだから、「まだ東北でよかった」を「東北でよかった」と誤解させるほど文字を切り詰める必要はなかったと思う。
将来、親自民派が「これだからマスコミは信用できない」と吹聴する隙とならないか心配だ。
このはがゆさと違和感を整理しておきたくて文章にしたら長文になった。失礼しました。
遅い昼時、流行っていない定食屋に入ると客はただ一人自分だけであった。ぼーとしていると、涙がぽろぽろ流れてきて驚いた。
何の涙かわからないが、ともかく原因はわかっている。
部下が鬱で休職した。手塩にかけたといっていいほどの部下だ。
うちの会社(IT系)の立ち上げからの創設メンバーで、つい先日までバリバリとコードを書いて、客との交渉、要件定義をし、見積りに必要な工数計算までできる部下だ。
先日、突然ちょっとした言い合いから感情が爆抜したようになった後、「辛い」とだけ書かれたメールがきて休職となった。
なぜ、このようになったのか、何が起きたのかわからなかった。つい先日まで同じ部屋で同じ空気を吸っていたのだ。今年は確かに仕事の量は多かったかもしれないが過去これ以上の修羅場はいくつもあったし、乗り越えてきた。
しかし、数通のメールのやり取りと「辛い」メールの後、一回した面談で分かったのは典型的な鬱の症状だった。会社の最寄り駅の階段を上るときに動悸がする、手が震える、いっぱいたまったメール、slackやredmineが自分を押しつぶそうとする、これらを泣きながら話す姿を見ていると鬱と思うしかない。
自分もこの会社の創設メンバーの一人だ。創設からずっと一緒だった。正直、ブラックな時もあった、いやこの春もそうだったのかもしれない。
しかし、できるだけ仕事を共有し、負担を軽減し、状況もみて「辛そうだったら、俺にふるんだぞ」と言い続けてきた。過去はくじけそうになる僕を部下が叱咤激励することさえあった。その叱咤で頑張れた。その後は社員の質の向上を会社が掲げ、仕事環境もずいぶんと向上しているはずだった。メンバー全員がよい職場づくりを考えて改善してきた。今年は例年と比べて仕事量を減らしたつもりだった。
思い当たるところはある。
一人前になるにしたがって部下に任せきりになり、安心していた。一エンジニアの立場からマネージメントまでするようになって、僕の知らないところで客との交渉や調整で苦労がたまっていたのだと思う。忙しいときほどよく話すのがいつもだったが、今年は忙しくなって2人で話すことが少なくなっていった。
なぜ気が付いてやれなかったのか、どんなに辛かったのか、そんなことばかり思い浮かぶ。
電車の中、スターバックスでコーヒーを飲んでいるとき、帰宅途中の道で、ふと頭を空っぽにしたり気持ちが緩んだ時につい考えてしまう。そしてなぜか涙が出てくる。どうして、どうして、という思いと、こんなつらい気持ち以上に、当の本人が辛いと思うとやるせない気持ちになる。
相談してほしかった。力になれない自分が情けなかった。気がつけなかった自分が情けなかった。
周りは、直接の上司である僕がコンタクトはしないほうがよいという。だから今はメールも電話もしていない。
僕はその部下にとって「過労を象徴する」者で、辛い会社を代表する「悪の権化」となっているかもしれない。
今は部下が元気になれるように、休職制度の手続き、場合によっては転職によって仕事場環境を変えるときに不利にならないように交渉している。
定食屋の親父がこちらを見ていた。人前でいい歳の男が泣くなど自分でも思っていなかった。
僕でさえこんなに辛いのだ。僕以上に彼女はつらいだろう。そう思うとまた涙があふれてくる。どうしたらよいのだろう。
こんなことを匿名で書いていて、なんになるのだろうと思いながらも匿名ダイアリーに吐露するしかない。
4/28 2回目の追記)
8時間ほど前に追記と誤字の修正をしたのだけど、後で見てなんとよい子で優等生的な追記だろうと自己嫌悪になったのでこの追記を編集する。
増田のコメントに優等生な追記をしてどこまで僕は馬鹿真面目なんだろう。
僕もそろそろ心療内科にいかねばならない頃のようだ。いろいろなものを見直す時期だと思う。
今日、元社員に「〇〇さん(僕の名)はいいかっこばかりするんですよ」と言われた。かっこいい仕事ばかり取って金になる仕事をとらないのだという。
投資家やVCの顔色を気にして、会社の業績としてぴかぴかのプロジェクトばかりとっていたのだ。金儲けする泥臭いプロジェクトを避けていたのだと思う。
ベンチャーとして頑張らなければという気持ちが強かったのだが、それは言い訳だろう。僕の頑張りは僕の自己満足でそれで他のメンバーに犠牲を強いていたのだろう。
https://www.google.co.jp/amp/www.asahi.com/amp/articles/ASK4L53F3K4LPLZB012.html
日本がアジアの嫌われものとされて久しいが、安倍政権になってから、ネトウヨに毛が生えた程度の妄言を撒き散らすことで、日本が更に嫌われ、アジアの孤児として国際的村八分状態にまでなってしまった。
先日も中国人が反帝国主義への抗議として、日本の寺社仏閣に油を撒き、日本人の国家神道を清めて、廻った事があったが、元は韓国から始まった運動だそうだ。日本人は国際社会から如何に嫌われているか自覚し、猛省し、謝罪しなければならないところのことでしょう。
櫻井よしこなどと言う妄言保守言論人は小賢しげに、特定アジアなどと、日本を嫌うアジア諸国は極東の3か国にすぎないと問題の矮小化に躍起だが、それが今回、アジア全域に拡がっているのが証明された。アジアの賢人たるインド人にまで嫌われたのである。
もちろん他国の施設にカレー粉を撒くのは間違った行動である。しかし我々は天竺からの叱咤と捉え猛省し安倍政権を打倒しなければならないある。
主に社内での話
例えば直ぐ終わりそうだなぁというタスクに対して、「瞬殺だよ」って言う人と「3日後でいいですか?」みたいに言う人が居ると思う
それは読み替えてほしい
1週間でできそうなところを、バッファを持って1.5週という人と、1ヶ月という人、みたいに
前者が多い会社、後者が多い会社、混ざった会社、色々見てきたが
やはり前者ができる会社にならないと、成長は鈍化するのではないかと思う
前者ができないというのは、うっかりしたときに調整弁がきかないとか、そういう話だと思う
確定されたスケジュールがとても大事で、ちょっとでもはみ出したら叱咤される状況
それが多いほど後者が強くなる
前者のつもりで後者の会社に入ると目も当てられない 一人で潰れるだけだ
社内でどちら側に寄せるかは議論されているとより良いと思う
1週間飲まず食わずで風呂にも入れず、ひたすら自分を叱咤激励するもどうにもならず、たまらず実家の母親に電話したら精神病院に連れて行かれ、その日のうちに「うつ病」との診断が下された。
薬を飲み始めたら嘘のように状態が良くなっていき、「こんなことならもっと早く病院に行くんだった」と何度思ったことか。
今は段階的に減薬をしている。薬の量はピーク時の4分の1になった。
独特の自責の念や強い不安感絶望感、消えてしまいたいという気持ちに苛まれることはほとんどなくなった。
しかし体のだるさや強い眠気などがいまだに抜け切れない。
薬を飲み忘れた時は眠気が軽くなることから、おそらくこのだるさと眠気は薬によるものなのではないかと考えている。
なので早く薬を完全に止めてしまいたいのだが、生活環境の変化がここ数年めまぐるしく、なかなか本腰を入れて減薬に取り組めないでいる。あと通院が続いているせいで保険にも入れないし。それが目下の悩み。
こーゆー風に、一度病院にかかると、よくなった後もいろいろめんどくさいことが出てくるのではあるが、基本的にあのとき病院にかかって「うつ病」と診断を下されたのはよかったと自分では思っている。病院に行かなければ、引きこもりのニートまっしぐらだったろうし、あるいはもしかしたら今頃はすでに自殺を成功させてこの世にいなかったかもしれない。適切な治療をうけたからこそ、人並みに幸せを享受しながら暮らしている今の自分があると思う。
他の方も書いているように、増田も「うつ病」と診断される状態なのはほぼ間違いないと思う。
診断されたらされたで上記のような面倒ごとも出てくるのだが、今の状態が続いてもいいことはないだろうし、やっぱり病院には行ってみてほしいなと思う。
余談だが、ガクンと調子が下がるのはまさに「忙しい時期が過ぎて、少し経ってから」だと思う。自分もいつもそうだから。もうそんなに大変じゃないのになぜ今、と思う気持ちはよくわかるのだけど、実際だからこそなんだよ、多分。忙しかった時期の反動が閑散期に出るんだよ。今の増田は怠けてるわけでも気がゆるんでるわけでもないからあんまり気にすんなよ。
まず、私は西野氏のファンじゃないので特に肩入れはしていません。
むしろ、氏の作品はまさに商業主義のラッセンを彷彿とさせるので好んで鑑賞はしないと思います。
ただ、氏の発言の一部(の切り取り)が沢山の方々の逆鱗に触れたようなので、こういう考えかただったんじゃないかな?という別の視点の提案をする記事です。
まず、問題のURL(http://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html)をどうぞ。
そこまで長くないのでサッと読めるはずです。
>糞ダセー。
ここが特にみんなの堪忍袋の緒専用カッターとなっているようですね。
西野氏が2000円で絵本『えんとつ町のプペル』を販売してしばらく経った頃、小学生に高くて買えんわと意見を貰ったらしいところから本題ですね。
確かに、2000円は小学生にとってはお高めの値段設定。
そこで氏はこう思うわけです。
>《自分は『えんとつ町のプペル』を子供にも届けたいのに、たった「お金」という理由で、受けとりたくても受けとれない子がいる。》
せやな。
>双方が求めているのに、『お金』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。
>お金を持っている人は見ることができて、
>お金を持っていない人は見ることができない。
うーん?「ちょっと待った!」はこっちがかけたいもんですがもう少し。
>「なんで、人間が幸せになる為に発明した『お金』に、支配され、格差が生まれてんの?」
と思いました。
>そして、『お金』にペースを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。
>糞ダセー。
あ、ダメだこの人。自分が伝えたいことを伝える能力が完全に欠如してる。
その理由の大きなところがこの引用した文章からハッキリと見えますね。
>……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。
この一文もなんだかハッキリせず、微妙な印象。
噛み砕かず要約するとこう。
うーん。チープ。
お金は労働の対価の一つで、生活に必要不可欠、そして評価基準です。
しかし、これは西野氏目線なのです。そう思えば彼の考えるところが伝わりやすくなります。
「クリエイター・生産者が生活がかかってるから無料にできないよ〜」
これは至極当たり前で、西野氏も(言いかたが悪すぎてそう読めるだけで直接)ダサいとは言ってませんね。
そこが、
>……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。
ここから読み取れるはずです。
西野氏は、お金持ってます。本業は芸人です。しかも売れてます。そして、絵本界からすれば外様です。絵本がなくても生活できます。
そんな氏が、「小供にも届けたい」絵本を出して、お金がなくて子供が買えない!と訴えを目の当たりにしたわけです。
氏からすると、生活もかかってないのに「お金が無い人には、見せませーん」はこの上なくダサく見えるんでしょう。自分が。
つまり、これは西野氏が西野氏に対する発言ではないか。叱咤激励なのでは?
私にはそう読めました。
「お金じゃなくて、恩で回る人生があっても良いのでは?本ならそれができる可能性がある。この本を無料化してお金は貰えなくなるけどみんなに読んでほしいからやるで!お金の奴隷解放宣言や!」
「恩で回る」というのは、消費側が生産側に対して自分の払いたい価値を払うということだよね?
>それに、「西野君、こないだはありがとね」と夜ご飯ぐらいご馳走してもらえるんじゃねぇかな、と思っています。
結局、氏が言いたいことは『お金だけ』の社会の否定であって、『対価』の否定ではないんですね。
西野さんアンタけっこうかっこいいよ。労力かかってるものを相手に委ねるっていうのはお金持ってても中々できないことだと思います。超口下手で誤解させまくってるけど。
あとできれば2000円という選択肢だけじゃなくて、サイトで自分で値段を決めて支払えたら便利だしもっといいと思いました。
>…てなワケで俺は無料にするけど、その代わり他のクリエイターに「西野はタダにしたんだからおまえもしろ」なんて絶対言っちゃダメよ。
増田を受け取るブクマカのことを全く考えない、自分たちのためだけに作った質の高い糞記事をばらまいたことは、ネットの1ユーザーとしても感銘を覚える。増田は社会全体の政治にも働きかけ、増田を読む方々だけでなく、PV数収益の逐一定期報告者、プロブロガー炎上商法に関わる人たちの無意味さを露呈した。問題の大きさに身が震える。
そして、増田のDNAは私たちの中にも流れている。その中に今回の問題を引き起こした因子も含まれているかもしれない。漏れたから記事投稿と安易に考えず、私たちも反省し、"自山の糞"として、真摯に受け止めていかなければならない。
しかし同時に、増田のDNAの、私たちが誇らしく思っている部分が今もなお後輩たちに受け継がれていると信じている。
だから私たちは増田を大きな声で応援したい。しっかりせい!と叱咤激励したい。 私たちが愛する増田が、漏らすべきところはしっかり漏らし、それでも卑屈になることなく、堂々と強みとして生かして、変わっていかれるように、願いを込めてメッセージを送ります。
はてな匿名ダイアリー OBOG有志一同
身近な人が余命宣告をされました。
毎日のようにお見舞いに行くのですが、だんだんと耐えられなくなってきました。
それはこちらの自分勝手な思いなのかもしれませんが、もしもその人が死に抗って生きるために必死になっているとか、せめて諦めて抵抗をやめて死を受け入れているだけならば、ここまで苦しくは感じません。
励ます言葉もかけられますし、自分たちの顔を見せたら少しでも元気になってくれるのではないか、あるいはそれがダメでも最期に周りの人々の笑顔だとか死んでしまうことへの悲しみの表情であるとか、少しでも食べてもらえるようにと厳選したお見舞いの食べ物であるとかを持ち込んだり、楽しい会話を仕掛けたり、何かしら出来るのです。
でも、その人は残されるものたちにそんなことをさせてはくれません。
わからなくもない。
でも、残されるものにとって、その人のしていることは地獄です。
何も期待させてもらえない。
だって、ものすごくがんばって気力を見せたら、もしかしたら奇跡が起きるかもしれないじゃないですか。
私たちが見ているのは、何も減っていかない配膳された食事を前に意思強く佇む骨と皮だけになってしまった姿だけ。
意思の強い人なんです。
辛くてたまりません。
これまでも自由にやってきた人です。
やりたいことをやり、食べたいものを食べ、言いたいことを言ってきた人です。
最期まで意思の強いところだけ私たちに見せて逝こうとしています。
地獄です。
なるべくお見舞いの前後に楽しいことをするようにお互い気遣ってはいますが、それでも気持ちの浮き沈みがきついのです。
幸い私には専門的な相談相手がいますから、いつも相談してはいます。
一時期やめていた薬も、自分が同じように死に引きずり込まれることがないように服用を開始しました。
でも、本当に毎日がきつくて、看取りってこんなにきつかったっけ?昔おばあちゃんが亡くなったときにここまできつかったっけ?と思うばかりです。
このままじゃ辛すぎます。
助けてください。
どっちかというと、男は男キャラこそを性的で受動的で非理性的な存在として描くし、
女は女キャラこそを性的で受動的で非理性的な存在として描くよな。
萌えハーレムのヒロインたちはみんな優等生だったり高潔だったり主人公を叱咤したり夢に向かって励んでいたりして、
男主人公は馬鹿でスケベで意気地なしで将来のことをなにも考えてないクズだったりするわけだ。
異能バトルでも、ヒロインが戦闘担当で主人公が無能なやつとかさ、いっぱいあるじゃん。
少女漫画だとこれが逆になる。何の取り柄もない普通の私、優秀で頼りになる彼、みたいな。
もちろん、全体を見ればいろんなヒーロー、いろんなヒロインがいて、なかには完璧主人公とか、馬鹿なヒロインとか、性的に奔放なキャラとかもたくさんいる。
でもそれは「バリエーション」であって、Aというキャラがいれば、Aを裏返した∀というキャラもいる、という話にすぎない。
異性が「性的で受動的で非理性的な存在」として描かれることがオタク向けコンテンツの必須条件というわけではぜんぜん無いよね。
号泣イベントだと思うけど、自分の披露宴含め泣いたことなかったけど、妹の「母への手紙」で号泣した。
「私はお姉ちゃんと比べて出来の悪い子でした、大学も行かず彼氏も作らず」
これは母の言葉だろう。そういう事をいう人だ。でも若干母親disになっちゃってない?
「フリーターになった時に『就職しろ!』と叱咤激励してくれたおかげで…」
結構黒歴史だと思ってたし、プロフィール紹介でも避けてくれていた部分だけど、言ってOKなのね。
こんなスタートで、全部が本音っぽくて、色々と思い当たる節もあって、胸に迫る内容だった。
父が亡くなって、最近母に彼氏が出来て第二の人生をスタートしているけど、
その辺にも言及してた。
自分にはとても作れない内容だった。
自分の披露宴では、まず普段呼んでる「パパ・ママ」はNGだと本で読んで、そうかとお父さんお母さん呼称にしたんだけど
まぁ全く気にせずパパママで呼んでるし、
フリーターのことや母の彼氏のこと、その他色々と自分にとって「当たり障りがあるかもしれない」内容を
素直な言葉で読んでいた。
私はできなかった。
手紙の内容も本当に思い付かなくて、テンプレ集みたいなのを買ってそれに沿った
当たり障りない内容だったと思う。
他人の人生は知る由もないけど、妹のエピソードはそれが実際にあったことだと知っているから
私は号泣だが、母も出席者も大いに泣いていた。
母は私の手紙をどう思ったんだろうなぁ。
ふだん呼ばない「お母さん」とか言ってるし、内容も小奇麗だしで
うすら寒いと思ったのかな。それも含めてお姉ちゃんっぽいなと思ったかな。
うちは両親の仲が悪くて結構崩壊している家庭だったけど、なんでこんなに素直で屈託なく育ったんだ。
凄すぎた。圧倒されたし、正直打ちのめされた。
みんなが盛り上がっていたので、ファインディングドリー以来、久しぶりに劇場に足を運んだ。以下ネタバレ含む感想。
・くっついた
新海誠は、恋愛映画は最後に二人をくっつけた方がいいとようやく気づいたらしい。
・人以外の絵が綺麗
彗星とか。ご神体の盆地の外縁からの景色みたいな壮大な絵を無理矢理シナリオに盛り込むのも良い。
上映開始前に下らない話を大声でひたすらに続けてくれたお陰でテンション最悪。おっさん本人は片割れに対するひょうきんな俺アピールのつもりだったのかもしれないが、あれは公害以外の何物でもなかったし、おっさんじゃない方は保護者としておっさんを即刻つまみ出すべきだった。上映中もうるせーし何だったんだあの豚。
・手の動き
・主題歌
前前前世がどこで流れてたのかわからなかった。寝てないのに不思議。
実態に即しているかは不明だがリアリティを感じた。各人物の無能有能度合いも極端でなく、戯画化の度合いがちょうど良い。このパートがあんまりにも面白かったので、特別な事件が起きない架空内閣の成立から解散までをだらだらやってくれるだけの映画を見たい。誰か撮って欲しい、もしくは既存の作品を教えて欲しい。
各シーンを地理的に把握することが容易で、感情移入も楽だった。蒲田が吹っ飛んだ時は、蒲田在住の姉に心の中で感謝した。
・ゴジラが怖い
今までに見たのはビオランテ~デストロイアまでの作品だけで、その実内容を殆ど覚えていない。ただゴジラを怖いと思ったことは1度もなかったし、戦隊のロボ戦と区別していなかったと思う。翻って今回、ゴジラが動き、道路や家屋が吹き飛ばされ、都心が赤く染まる光景は心底恐ろしかった。多分それまでの過程で作品のリアリティのレベルを上げるよう苦心した結果だと思うんだけど、これが本当に新鮮で驚いたところ。ジュウオウジャーも週一くらいのペースで大惨事が起きてるんだけど、あれはリアリティを低く保ってるからストレスにならないんだなと改めて気づいた。
石原さとみは別に悪くない。通勤中東京メトロの看板で顔を見かける度にストレスが和らぐし、総監督もそういう狙いがあったんだと思う。
・OP
冒頭は石田がカレンダーでカウントダウンを始める下りから。その後は軽快な音楽にのせて石田と島田と島田じゃないやつの関係性をモンタージュで表現しながら右から左にジャンプしてる例の構図でタイトル。最高。
・永束
一番最初に×が剥がれる人物。登場時点で石田に十分感情移入していたため、終始好感の持てるキャラ。永束も石田によって救われているはずなんだけどそれをあまり意識させない。いわゆる天使。
・結絃
みんな誉めてるけど気にせず誉める。完璧な仕事をした。君の名は。ではどうでもいい仕事をしていたけど差し引きでも大幅にプラス。
・取捨選択
この映画は石田が主人公で自他との関わりがテーマになっている。元々原作者は恋愛ジャンルを標榜していないが、映画はさらにその手の描写をオミットしている。例えば植野の石田に対する感情は原作と変わりないのだが露骨な表現をほぼ削り落としている。寝込みも襲わない。それはラストの違いにも象徴されるように石田西宮間でも同様であり、結果として上手くテーマにフォーカスすることに成功していると思う。恋愛はコミュニケーションの一形態ではあるけれど、一形態にしか過ぎないので。石田や西宮の行動についても、原作では読者が意図を解釈しづらかった部分がスムーズに把握できるつくりになっている。シナリオ各所でなるべく台詞での説明を廃して絵と音で観客に理解させようという姿勢が見てとれて、全7巻の原作を2時間に落とし込む上での問題を上手く解消している。キャラの細かい仕草に気を使って意味を持たせているので何周しても損はしないタイプの映画。川井は描写が減った結果存在が若干マイルドになり、西宮への叱咤を観客が受け入れやすくなった。植野も同様。真柴は少しかわいそうだが本領を発揮されても困る。原作自体が優れた作品だったが、それを2時間の映像作品として昇華した結果一回りも二回りも質が上がった。意義のある映画化だったと思う。
・鯉
パンを食べさせ過ぎて怒られそう。
http://anond.hatelabo.jp/20160917152918
ここで、オタサーの姫の話をした者です。
トラックバックのやり方がわからなかったので、うまくできていなかったらごめんなさい。
いただいたコメント、トラックバック先での感想なども拝見しましたが、自分にも反省点があるのだろうと
思いました。有意義なコメントを下さった方々、励ましてくださった皆様、叱咤くださった方もありがとうございます。
本来であれば、一度話してそれでやめようと思っていたのですが、コメントへの返信でお礼に代えさせていただこうと思います。
私も、これに関しては理不尽だと感じました。「オタサー」の意味をしっかり理解していなかったのですが、オタクの人が多いサークルという意味なので間違いないですよね。
前述の通り、専攻にはアニメやゲームの好きな男性は多いですし、女子も母数が少ないとはいえ、自己紹介でオタクだと言っていた子が多いと思います。
サークル活動に関しては、学業に専念するために今はほとんど参加していません。
ですが、大学全体から見ると女子部員がかなり多い方で、私だけが決して目立つような環境ではないと思います。
・男性が苦手と書いた点について
私情ですが、過去に怖い思いをしたのが後を引いて、未だにそこまで親しくない男性と話すのが苦手です。
(詳しくは割愛しますが、付きまといから発展した暴行未遂のようなものです。)
進学する際も、男性が多い学部で心配はありましたが、それよりも勉強したい気持ちが勝ったので今の学部を選びました。
男性による女性蔑視を無意識で受け入れていると指摘いただいて、思うところがありました。
男性から嫌なことや恥ずかしいことを言われることは当然起きてしまうことで、避けられないことだろうと思っていました。
相手を責めてもどうにもならないし、所詮異性のことは分からないので理解できなくても仕方ないのだろう、と。
女性から蔑視されたと感じて傷ついたのは、同性なのだから相手を理解してもらえて当然、味方になってくれて当然
という先入観があったからだと思います。その点に関しては私の考えが至らなかったのだと思います。
私は女性が男性の付属品だとは考えていません。本当に付属品だと思っていたら、主体的に研究もしていないと思いますし、海外に行く選択も選ばなかったと思います。
男性を過剰に立てているというつもりはありませんが、怒らせたら、或いは気に入られたら何をされるかわからないという恐怖心はあるかもしれません。
ですが、それらも少なくとも普段の生活では出していないつもりです。事情を知っている一部の友人、家族、恋人などを除いて、私に男性への苦手意識があると知っている人はほとんどいないと思います。
実験後・授業後は、用がなければ一人で帰るか研究室や図書館に残って資料をまとめています。
女友達がいれば、一緒にご飯を食べに行くこともありますが、親しいメンバー(ゼミ)以外との飲み会にはほとんど行きません。
ゼミには私以外にももう一人女子がいますが、彼女のこない飲み会には行きません。
休日は家で過ごしているか、親友たちと出かけるか、恋人といることが多いです。
・オタサーの姫ファッションじゃないのか/見た目について
多分、違うと思います。オタサーの姫への理解が足りないので、いまいち自信はないのですが…。
化粧はとても濃い訳ではありませんが、基本的にすっぴんでは大学にはいかないようにしています。
ファッション誌はRayとJJが好きです。一応赤文字系だと思います。
・ここに書いたことについて
すみません。どこか、匿名で愚痴を言えるところがないかと探していて最初に見つけたのがこのサイトだったので、ここに決めてしまいました。
私は40代の男性で、特にSMAP大ファンというわけでもないが、縁があってチケットをゲットした知人とライブに行ったこともあるし、CDもいくつか持ってるし、カラオケに行ったらたまに彼らの歌を歌う、くらいのソフトファンである。
業界の知り合いはいないので、いろんなマスコミから得た情報しかない。
勝手に推理しているので、まったく的外れである可能性もあるが、「こうかな?」と思うことを書いていく。
SMAPでいう飯島マネージャーというのは、鳥山明でいう、鳥嶋編集者みたいな立場だったのだと思う。
つまり、飯島マネなしでは、そもそも成り立たないグループであったように見える。
最低でも中居が仕切らないと成り立たないということを今回証明した。
1月に飯島マネが退職した際も、中居判断では「飯島についていく」であった。
これをキムタクが反対した時点で「成り立たない図式」が完成してしまった。
「このままメンバーを無理やり連れ戻しても、1年後をよく考えてごらん。成り立たないよ。」
と叱咤したのではないだろうか。
そして、キムタクも彼なりに
「マスコミに強いジャニーズに残ったほうがファンのためになる」
と考えたのだろう。現実的なことを考えればその通りだと思う。
個人的には、小林幸子のように芸能事務所の圧力が及ばないネットの世界からSMAPが復活するチャレンジをしていくなら、とてもワクワクするが、やはり確実なのはジャニーズに残る道だ。
「残り4人で別グループを作るよ」
とでもいうだろうか。
いや、そうはしないと思う。
だって残り4人だけでは(権利的な意味でも)過去の歌が歌えない。
どうせ解散してソロになるのなら、ジャニーズに居続けるのか、飯島さんのお世話になるのか?
飯島さんはグループのマネージャーはやってきたけど、ソロタレント4人のマネージャーだとどうなるのか?
というわけで、キムタクが「ファンのためにもジャニーズしかない」と折れなかった時点で、どのみち解散しか無かったのだろうと思う。
それぞれがファンのことを考えた結果なので仕方ないとも思う。
解散するとメンバーによって仕事が激減するのではないかと言われているが、みんなお金は持っているだろうから、仕事は減ったほうが好きなように生きられていいのではないかと個人的には思う。
そして一番ファンを後回しにしているのはジャニーズ事務所経営者だと思う。
「もしジュリーと飯島が問題になっているなら、私はジュリーを残します。自分の子だから。飯島は辞めさせます。」
「SMAPを連れて、出て行きなさい」
http://www.johnnys-watcher.net/article/412747661.html
組織と仕事はトップの人柄がそのまま現れるから、まぁこういう会社なんだろう。
ジャニーズのタレントは好感が持てる人が多いが、事務所は嫌いだという人は多いと思う。
私がSMAPのメンバーなら・・・ジャニーズの契約が切れたら、飯島さんに