はてなキーワード: 叱咤とは
集中力がない。
人と話しててすぐに打ち切りたくなる。
「人のせいにするとメンタル的に良い」と聞いてやってみてるが、
メンタルどうもないくせにやってるのでただのクズの所業になってる。
小心者すぎて辛い。
強い語気で言われるとたじろぐ。それが間違いだったとしても。
人の気分を害さないような喋りをしているが、うまくいってない。
ていうかそもそもそんな喋り必要ない。
責任を背負いたくない。
コミュニケーションもロクに取れない。
最近、相手の顔を見ると「コイツ何も考えてねえな」「頭悪いな」「早く要件言えよ」
という顔にしか見えなくなっている。
喋りながらたまに幻聴が聞こえる。
「面倒くさい」という感情に勝てない。
うまくやってる人はさっさと仕事を投げてしまう。うらやましい。
まとまってから話がしたい。けれど、まとめられない。
結果言うのが遅くなる。
整理できないのは致命的。
タスク管理ができない。毎日やることを書き出してるのに、一向に減る気配がない。
で、結局取りこぼして火がつく。
ネットのどこかで「真面目な奴は、もういらない。真剣な奴がほしい。」と見たことがある。
真面目には生きてきたつもりだけど、それしかない。
周りの人達は「面白いことしてるんだから絶対ためになるよ」と言ってくれる。
本当かよ。
二十代も後半なのに、何して生きてきたのかわからなくなる。
仕事できなさすぎて「社会人3年したら失敗できなくなるんだぞ!」と同期に叱咤された。
俺の得意なことってなんだっけ。
今全く何も生きてない気がする。
つらい。
http://anond.hatelabo.jp/20151019213445
「努力が足りないのだ」と叱責する者が多いが、まるで見当違いだ。あなたは全然悪くない。ユーモアのつもりであなたを責め、戯れ言に興じる小物たちの言葉など聞く必要はない。
なぜ魔法少女になれないのか。
なぜならそれは、魔法少女になった人間がこの世に存在しないからだ。あなたに絡んでくる者、あるいはあなた自身も、その残酷な事実を受け入れられない。いや、分かっていても分からないふりをして、虚構の世界と夢を守ったフリをして気取っているのだ。しかし、前例がないからといって、イコール魔法少女になることが不可能なわけではない。
あなたがこの世界で最初の魔法少女になればいいのだ。最初の魔法少女なのだから、自分自身がルールなのだ。ただし、「俺は魔法少女だ!」と高らかに宣言したとき、そこにいる観衆の大半が「こいつは本物だわ」と納得しなければならない(もちろん、他者を納得させる必要はないという論もある。しかしここでは取り上げない)。つまり、俺ルールを作り上げてもいいが、他者をも納得させる妥協点を探る必要がある。「魔法」とは何なのか。「少女」とは何なのか。その言葉が規定する可能性をどこまでも掘り下げ、2つの概念を矛盾なく結合させる点を探る。そしてそのプロセスを雄弁に語る必要がある。
困難な作業になる。しかし、不可能ではない。もし行き詰まるようなら、著名なテキストサイトの管理人やネタブロガーを見習うのがいいだろう。
「いや、そんな理屈をこね回してネタで魔法少女になりたいわけじゃないんだよ!」
その気持ちもわかる。だが、あなたの知っている魔法少女もそうやって出来たものではないとどうして言えようか。演出やエフェクトが描き出す「魔法少女感」の裏に、必ず、どうしたら「魔法」で「少女」に「見えるのか」という生みの苦しみがあったはずだ。そうしたネタ出しの初期の姿は歪で陳腐なものだったかもしれない。
何かを生み出す時には、つねに柔軟な発想が求められ、そうして出来たものを貫き通すことが説得力を生む。たとえばあなたの知っている魔法少女の中に、魔法は使わない物理攻撃型の少女はいないだろうか。しかしあなたは彼女を「魔法少女だ」と認識している。あるいは、もはや少女とは言えない体格の魔法少女もいるかもしれない。でも受け入れているだろう。それはどういうことだろうか? 契約をしたから? 体や装備が魔法体だから? 本当にそうだろうか? そういう説明をされる前から、あなたはコンテクストで「この子たちは魔法少女」と確信していたのではないか?
このことは、表現を受け取る側の人間も、相当に柔軟になりうるという事を示している。それは人間の美しいあり方でもある。柔軟になるだけのコンテクストを共有していない人間からみれば、その発信者も受信者も「宗教くさい」と蔑視されることもあるだろう。しかし、そのような美しくない眼差しを考慮する必要はない。あなたと、受け手が信じてさえいれば、そこには何だって降臨し得るのだ。実際、あなたは創作上の魔法少女という存在を、彼女らが与えてくれた感動と社会的ムーブメントを、虚像だとは思っていないだろう。そこに「ある」と信じることで物は生み出され、定義される。それは儚くも尊い、人間の壮大な営みの一部だ。魔法少女なんてものはその極致のようなもの。それに素直に憧れることができたなら、もう一歩先に進む人がいてもいいはずだ。
……ここまでの内容を消化し昇華するだけでも、魔法少女になれる可能性は十分あるだろう。だが依然として困難を感じている人も多いことと思う。それは、「魔法」というものに対して説得力を出すことが難しいためだ。
あらかじめ潰しておくと、「少女(見た目)」についてはどうとでもなる。仮に、あなたが男性だったとしても、いまは「男の娘」なんて言葉があるくらいに、男子が女子と見られるためのノウハウや文化の蓄積がある。あなたが青少年とはかけ離れた年齢だったとしても、歳をごまかすテクニックはそれ以上に長年の蓄積がある。なんなら手術という手もある。その上、それらが完璧でなくても、受け手の柔軟さを上手に喚起してやれば受け入れられるはずだ。あとは自分自身が自らの姿を受け容れるだけの精神性を築き上げればすむ。
だが魔法はすこし性質が異なる。魔法というものはこの世に存在していない。いや、ありふれていないと言ったほうが正しい。馴染みのない概念は、当然ながら受け入れるのが難しくなる。創作上の魔法を受け入れているのは、「これは創作だから」というモード切替スイッチが人々の頭についているからだ。とはいえ、現実世界にも「魔人」「魔法使い」と称されるような人間は存在する。スポーツ選手などが思い浮かぶだろう。しかし彼らは「魔」や「魔法を使える」存在ではなく、同じ人類だ。比喩的表現。つまり、同じ時代に生きている人類とは思えないほどの所業をやってのけることが「魔法」なのだ。「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」という言葉を引用するまでもなく、我々は魔法という言葉に魔法性を過剰に感じすぎているせいで、自ら「魔法」の枠を狭めがちなのだ。創作上の魔法は、ファンタジーと分類されることが多いが、細かい原理を説明していないだけの超科学が常識的に利用されている世界と捉えれば、SFと同列である。
とは言ったものの、我々のような凡人が、人々の目を欺くような超科学、最先端技術を操れるわけではなかろう。習得しやすいのはマジックような技巧の類だ。現実世界ではマジシャンが一番「魔法使い」の称号に近いところにいる。なので、順当に考えれば、「マジック少女」から「魔法少女」に昇華させる線が現実的に思える――ところがここで問題が起こる。我々の知っている魔法少女は、マジック少女のすごい版ではないのだ。人のために働く、助ける、守る、攻撃する、あるいは駆けつける、着替える、契約する、それらのタイミングで魔法が行使されるのが普通だ。なのでベースの行動をそのあたりに設定する必要がある。その際の「普通のやり方」を「魔法みたいにすごいやり方」に変えることが、魔法少女の必要条件だといえるだろう。ただ、これだけでは、「早着替えをマジックと映像技術で魅せるパフォーマー」程度どまりだろう。
魔法少女たるには、「魔法」的存在である事の他にもう一つ欠かせない要素がある。ヒロイックであることだ。すなわち、何かの使命をおびている。何かを背負って、何かに突き動かされている。別に世界を救うレベルでなくもいい。ご当地ゆるキャラ並の小さな使命感でもいいから、何がしかのパッションが滲み出る象徴的なキャラだと認識されなければならない。
さて、私の陳腐な魔法少女論はここまで。あとは「自分の頭で考えよう」。長年夢見てきたあなたの中には、きっと何らかの「魔法」の種火と、小さな使命感の欠片があることだろう。あと生まれ持った体と。それらの調理法を考えるだけの話だ。理想の魔法少女像との乖離は、きっとあとから埋まってくる。最後に叱咤の一言で締めくくろうと思う。
「努力が足りないのだ」
http://anond.hatelabo.jp/20150916220858
以下は某所からのコピペ。実はそんなに洋楽に詳しいほうではないので、もっと面白いものがあったら知りたいというのが増田にした動機です。ご教示よろ。
エア・サプライ「渚の誓い」(1983)原題:Making Love Out of Nothing at All
これなんと主人公はフットボールのスタープレイヤーにしてプレイボーイなのだ! チームを勝利に導く方法も、スタジアムを喝采させる方法も、リッチになる方法もみんな知っているし、女性を口説く方法も、落とす方法も知り尽くしているが、本気で好きになった相手の心をつかむ方法だけがわからないと嘆く歌。「渚」も「誓い」も関係ねぇ!
ノーランズ「恋のハッピー・デート」(1980)原題:Gotta Pull Myself Together
失恋した女性が「立ち直らなくちゃ!」と自分を叱咤激励する歌。実は全然ハッピーじゃねぇ!「私はバカだったわ」とか「泣き顔なんて見たくないでしょ?」とか「あなたがサヨナラを言ったんだもの」とか、わりと聞き取りやすいフレーズが頻出するのに、何考えてこの邦題つけたんだか?
シャーリーン「愛はかげろうのように」(1976)原題:I've Never Been to Me
主人公のセレブでリッチな女性が、平凡な主婦を相手に、自分は世界中を旅して回ったけど自分自身に巡り合うことはできなかった(今日びで言うところの自分探しに失敗した)と愚痴る歌。「あなたが手にしているものが本当の幸せなのよ」と上から目線の説教にも聞けて、聞き方によってはけっこうムカつくこともできる。
ウイングス「心のラヴ・ソング」(1976)原題:Silly Love Songs
他のほどぶっ飛んでないけど好きなので。くだらないラブソングだらけだと嘆く向きがあるがどこがいけないんだ、俺は世界中をそのくだらないラブソングで埋め尽くしてやろうと思ってるんだ、と開き直っている歌。「金髪先生」という深夜番組でたまたまドリアン助川氏がこの曲の解説をしている回を観た記憶が残っているが、これどう考えても主催ポール・マッカートニーがかつての盟友で袂を分かったジョン・レノンを意識して書いたんだよねという説に全力同意を感じた。
カイリー・ミノーグ「愛が止まらない」(1976)原題:Turn It Into Love
嫉妬に怒り狂う友人に対して「その怒りを愛に変えるのよ」とアドバイスを送る歌。その友人を嫉妬させている張本人が主人公とも解釈できる歌詞なので、もにょる。止まらないのは愛ではなく愛とは真逆の感情なのだ!
カーペンターズ「遥かなる影」(1970)原題:Close to You
金髪碧眼の、とってもハンサムなボーイフレンドが他の女の子達からチヤホヤされるのを見て、心を焦がす女の子の歌。でも歌詞に屈託がなく明るいことが、主人公のいい意味での若さ・幼さを感じさせる。ぜって~ぜって~邦題の与えるような大人びたイメージではないのだ。
知らない間にミニマリストって項目がはてなに出来ててびっくりしたw
過熱しているミニマリスト関連の話題を追ってみたら、何度も出てくる名前があった。
でもこれブログのプロフィールにはなかったから、ガセだったらぜんぶ外れる。ごめんね。
出して見た感じ信憑性が高かったので書いてみたよ。
はてなでのブログ開設は当初ミニマリストじゃなくファッションブログだった模様。
いかにして男性受けのいい言動を身に着け、男性受けのいいファッションをまとうか
星の位置を見るとこの人男性とは縁が出来やすくて、男性相手にきょどらずに話せる人だね。
それがどの程度喋るか、黙るかを考える余裕に繋がるんだと思う。
そしてフェミニンな魅力を際立たせたかったら、ファッションはコンサバがめっちゃ似合う。
常識的で、悪目立ちしない程度にちょっとやぼったいくらいのファッション。
質が悪く安っぽい服を着ると自信をなくす人だから、同じ値段なら古着で手堅いブランドは正解。
ただこの人自身はそんな風にお固い生き方は望んでいないんじゃないかな。
たいがいのことはどうでもいいから、「やるのはかまわない」程度。
だから育ちのよさそうなコンサバ系の服はコスプレみたいなものだね。
かっこよく生きたい、情熱と確信を持って誇り高く生きたいと思ってる。
既存の肩書きで上位を狙えないなら自分で新しい肩書を作って勝負する。そして勝つ。
人の秘密を嗅ぎ当てるのが上手い。
だから人を囲いはするけれど、面倒は見ない。
「隠してきた自分の本心をわかってもらえた!」と感激する人が出ると思うけど
同情心や共感力は低い。
ちなみに岡田斗司夫とは相性がいいw
お互い感情的にシンパシーを感じるものがあっただろう。会った日付を知りたい。
さて、ここからが本題なんだけど。
堀井さんのモテテクに汎用性があるかというと、自分の見地からすると違うと思う。
堀井さん個人にはとても合っている。よくぞ自分でたどり着きましたね!と思う。
しかしこれは堀井さんと、堀井さんに似たタイプの人限定のモテテク。
豹柄だったら百人力だけどパステルカラーじゃ壁の花というタイプの女性もいる。
しかしこれも向き不向きがあり、下手な人真似が非モテより悪い結果になる人もいる。
よかれと思って、親が子供を社会で広く受け入れられるタイプに育てようとすることがある。
でも、がんばってもそのレールに乗れない子や、乗らない方がいい子は大勢いるよね。きっと誰でも心当たりがあるんじゃないかな。
堀井さんはモテが行き過ぎてストーキングまがいの怖い目にたくさんあったと書いていた。
これは彼女のモテの結果というより、ある種の宿命。そういう位置に星がある。
生まれてすぐ星を見せてもらったら、そうなると自分は言ったと思う。
嫉妬心が強くて支配欲が強く、情に篤くて好き嫌いが激しい彼氏を持つと、たぶんおさまる。
ただし堀井さんは人に束縛されるの大嫌いだから恋愛モードじゃないと受け入れられないだろうけどねw
堀井さんに限らずモテテクとか人に好かれる方法のアドバイスは人気がある。
だけどそれを見るたびにちょっと気になるんだよね。
口はばったい言い方だけど、あなたがあなたであることがとても大事なんだよ。
追記:以前書いた増田
http://anond.hatelabo.jp/20150308023954
http://anond.hatelabo.jp/20130903144920
若干体調悪そうにしてても会社行くように叩き起こせばいいのかな。
でも正直そういうことはしたくないし、相手も大人だし。
まだ私のほうが遅く行くんだったら叩き起こすし、玄関から連れ出すところまで面倒見る。
だけど私のほうが早く行くことが圧倒的に多い。
若干体調悪そうにしていても行くように叱咤激励するのがいいのか。
早めに起きろって言って起こしても起きないし。
体調不良になってしまうのはある程度はしょうがない。人間だし。
でも、それに応じて使える有給とかももうないの知ってるんだけどな。
私も働いている人間だけど、旦那の給料に頼り切っているのが実情。
本当はね、家賃光熱費等全部自分で払いきれて、小遣いも上げる!って言いきれるぐらいの給料稼いでいたいけど、
そこまで稼げるほどスキルも実力もないんでね…。そのうち旦那を超えるぐらい稼いでやるつもりだけど。
旦那の給料見込んで自分へのチャレンジの意味も込めての転職しちゃったし。
(といいつつも世代平均以上の年収はもらってるけどね。一応技術職だし)
そういう意味では会社での評価はあんまり下げてほしくない。おそらく大丈夫だろうと思ってはいるけど。
最悪その会社でいろいろあってもうまく立ち回って別のジャンルに逃げ込むことができる人なのは知ってはいるけど。
それでも評価や噂は広がるからなるべくちゃんとしていてほしい。
家の外ではいろいろと怒られつつも頑張っているはずなのは知っている。だから家では精一杯甘えさせてあげたいし、
リラックスさせてあげたいとは思っている。できるだけ旦那に負担かけさせたくないし。
と私も言いつつ時には八つ当たりしちゃってるし、機嫌悪くなることもあるし。本当はそういうのも全部かくして
ニコニコ笑って言われるような人間になりたい。それで本当に仕事に集中できる環境を作ってあげたい。
でも、甘やかすだけじゃダメなのも知ってるし。時には切れて怒らないといけないのもわかるんだけどさ。
私にできることってなんだろ。
自分は主にイベント系の映像や、CGなどを受注する会社で働いているのだけれど、最近同業者たちと飲むと、必ずこの話題になる。
全部ではないにしろ一部を必ず受注するだろうね、という会社は共通の認識として数社あって、誘致の際に受注していた3文字の会社や、3人組国民的アイドルグループの裏方を担当している会社、水族館で子供に絵を描かせる会社などなど。
全員で意見が一致しているのが、どの会社のパートも酷いものにしかならないという確信があるということだ。
まず間違いなくその時はやっているテック系の流行、たとえば今で言うドローンやVR、人工知能などを使いながら盛大にマスゲームをやり、まったく無意味なユーザー参加要素が作られるんだろう。
そういった数年で廃れるような流行に食いついては食い散らかし、広告代理店とグルになってクライアントや地方自治体を騙してきた壮大なブーメランが開会式で直撃するんだろうな、という絶望が我々にはある。
(余談だが1,2年前に地元の城にあからさまに手抜きで珍妙な絵をプロジェクションマッピングされたときは怒りで震えた。ああこうして僕らは東京に搾取されるんだ、と。親戚がすごいすごい、と喜んでいることにはもっと絶望した。)
同業者なんだからなんとかしろよ、と叱咤されるかもしれないが駄目なんだ・・・ もうすでに東京の業界内での勢力図から結果は見えているしそのために彼らも必死に赤字覚悟で根回しやロビー活動を行っている。
一生に一度しか経験しないであろう自国のオリンピックが無残な姿を世界に晒そうとしていることに、自分でも驚くくらい憤りや悲しみという感情が沸いてきていて、もしこのまま予想した通りの結末になるようであればまったく異業種に行ったほうが幸せになれるのかな、とも思う。
もうとっくにダメなのにダメなことに気づいてないのが自分だけなんじゃないかという不安がある。
医者にでも相談してみるべきだろうか、でもうまく状況を説明できる自信がないし、心療内科の医者は毎度5分ほどで部屋を追い出そうとする。
長くなりそうな話を振ると次の診察の予約があるといわれてしまったこともある。大病院だから仕方ないとは思うけど、クソ医者め。とつい毒づいてしまう。
それに、なんか医者に話すときは外行きの顔になるのか、取り繕ってカッコつけてしまって、そのまま話せない。
自問自答するにつれて、どうしてこんなになるまで放っておいたんだっていう詰み感だけが付きまとってきて、
開き直ってとりあえず前に進むこともできない精神状態がここ数ヶ月続いている。
考えすぎてもう何年も前からそう考えてたような気分だ。断片的に増田に書いて整理を試みたこともあるけどあまりうまくいかなかった。
考えを覚えておくために書き連ねたテキストファイルがどえらい量になっている。これだけの思考エネルギー、ほかの事に使えばもっと楽しく生きられるだろうに。
どんどん頭や思考が硬直しておかしくなっていってる気がして、それも不安で仕方ない。
ジワジワ気が狂っていってると、こんな気分なんだろうかという感じがするけど、狂いきってしまってからでないと助けとかはないんだろう。
このままだともう何もかも限界なんだと感じているのに、それがなぜかを説明するのが難しい、なんでだ。
自分の思考がどこかでループにはまったり、なにかを決め付けて勘違いしているだけのような気もするのに、それも見つけられない。
とりあえず、投げ出してもいいんだと誰かに言われたいだけなんだろうというところに着地して、甘えるなバカめと自分を叱咤して会社に行って無為に時間を過ごすんだろう。
ロクに働けもしないくせに、こんなことを続けていても給料泥棒だからさっさと辞めてすっきりしたいけど、お金もないから即食い詰めるのでそうもいってられない。
離婚して退職して田舎の実家に帰るっていうワイルドなリセット方法が最後の手段的に残っていると思っているから、目の前の問題への対処が常に遅れているような気もする。
あーもうなんかだめだ。
何もまとまらないし、頭だけあせって空回りしてる感じがものすごい。
早く寝てしまわないといけないのに、もう三時半。
自分で自分がわからない、俺にどうしろっていうんだこん畜生、俺は俺に何をさせたいんだ。
結局ベッドに行ったけど眠れないまま朝を迎えてしまった。
3か月目のいまが孤独感のピークだ。
もうしばらくすればなれる。ゲームや読書やネットなど安価な時間つぶしはいくらでもある。半年過ぎればぐっと楽になるし一年過ぎれば習慣になって苦痛を感じなくなる。
時たま「この状況はまずいんじゃないか?」とパニック的な恐怖感が襲ってくるようになるけど、2年もたてばそのいなしかたも覚え「焦ったって状況変わらないし仕方ないじゃないか」と布団に潜り込むことを覚える。3年たつといろんなことがおっくうになり日中の服装なんかもどんどん手抜きしていくようになる。交友関係は狭くなり広げようとは思わなくなる。
5年過ぎたころにうっすら理解するのはもう社会復帰は不可能だという現実だ。
まあ実際は嘘なのだが。社会復帰はいつでもできる。でもその面倒くささに戦う前からギブアップしてる状況だ。やる気を振り起すだけの元手がないのだ。
というか社会生活ってののほとんどは「習慣」だ。満員電車に乗るとか毎日同じ時間に起きるとか事務仕事をやるとか、普通の人が普通にやれるのはそういう「習慣」があるからだ。その習慣が一度途切れてしまうと再構築する労力は計り知れない。「毎朝自宅から出て一定の場所にいって他人と過ごす」習慣を身に着けるのには幼稚園から数えて15年以上の期間があったわけで、その習慣を捨てたのだから当然だ。
俺の場合は「もう社会復帰は無理だ」とあきらめて社会復帰しないで稼ぐ方向に舵を切ったけど、運がよくないとそれもなかなか難しいと思う。
朝は家族とともに起き、見送り。そのあと軽く寝て、気ままな生活として昼を過ごす。
食事は私が替わったり手伝うこともあるが、基本は母が用意してくれる。
不満のない快適な生活だと思う。
ただ、別に働きたくなかったわけではない。働きたくないわけでもない。
単に今抱えているくだらない問題を解決するのが先だろうと、就職を先延ばしにしただけだった。
所属がないということがこれほどまでに恐ろしいことだとは知らなかった。
せめて恋人がいれば、もう少し心の余裕を持って今という時間を生きられたようにも思うけれど、訳あってアドレス帳は真っ白。
連絡をする相手は誰もいない。話し相手は家族だけ。
末恐ろしいことに、家族は生きてさえいてくれればいいと、私の甘えを無尽蔵に受け入れる気配さえある。
私を責めてくれるのは私しかいない。私が眠った時間だけ、寿命がいたずらに減る。
孤独に足を取られて地で頬を削り、泣きそうだ。血の味がする。
誰にも助けてもらえないことがわかるからこそ、誰か、助けてほしい。
なんだよな。
データはないが、小生の経験上の実感から言えば間違いなくそうだ。ウエメセの半可通の甘ったれのクズばかり!表立っては言えなくても同意する人も絶対に多いだろう。小生はそういう声無き人々の代弁者なのだ……
は?クズはお前だろ?
うむ……また思ったことを言っただけで炎上だよ……
それも致し方あるまい!小生が本当にそう思ったのは事実であるから!しかし、世の中には自分と違う考えの人間がいることぐらい理解できないものかと。馬鹿のせいでインターネットがどんどん窮屈になっていくのである!
むむむ……小生のような会社役員でゴルフ好きでメタボでハゲたおやじをいじめてそんなに楽しいものなのか、皆さん攻撃するならもっと強い相手を狙うべきでしょう。分かっていないかもしれないが、これは差別ですよ差別!
うむ……
このまま書くのをやめようかとも思ったが、それは“奴ら”に屈することになるので絶対にしない。小生にはこの訴えを応援してくれるたくさんの仲間がいることを忘れるところだった。そういう方々のために、何より自分のために、このエントリーは投稿するべきなんだ。他人の能力に嫉妬して足を引っ張ることしかできない連中のために立ち止まるなんて馬鹿馬鹿しい!
戦いは続く!
直情的で馬鹿で我儘で
それでいてプライドが高くて。
他人と比較して自分のやり方が非合理的だったり下手だと自認していることを
改めて他人に指摘されるとイライラしてしまう。そんなことはわかってるよ。
今のやり方が100%正解じゃなくてもそんなこと言われなくても
少しずつ直していくし今だって直しているところだしって言い訳したくなる。
甘えだけどそんなすぐにはテキパキと適応出来ないんだよ。そういうペースなんだ。
平気そうな顔をしているだけで精一杯だ。
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追記
ブコメ読みました。
気持ちを落ち着かせる方法や叱咤などコメントありがとうございます。
余裕がないときに行動批判を受けると自分が無能であるという自覚も助長して
瑣末なことでも人格攻撃だと思い込んでしまうのだと気付きました。
人格攻撃と行動批判の区別意識を余裕のないときでも意識できるように、
出来れば余裕がなくならないようにしようと気をつけてみます。
昨晩はイライラが落ち着かなくて勢いで増田に零してしまったけれど書いて良かったなと思います。
ありがとうございました。
・朝勃ちしてんじゃねー!!!
・開始五分でノルマ達成
・ほっちゃん「朝の交尾中でしたか~☆ さっ、どうぞお続けになって☆」
・先週は「ビビアンがお母さんと再会できてよかった」とか言ってたくせに「本当に母親だか怪しいもんだわ」とか言い出す姫様
・先週と言ってること違くない?と思ったけどいつものことだった
・サラマンディーネ様が優秀な頭脳でラウンドワンを復活させたことを延々と語り、重要情報もポロリしてしまうしもべ@レズの方
・失われし古代遺跡、その名はROUND1
・「自由は自分の手でつかみとれ!」というアメリカ人のようなメンタリティをしているサラマンディーネ様
・エースをねらえ!→巨人の星→サイバーフォーミュラという豪華なラインナップinクロスアンジュ
・ほっちゃん「今までわたくしと互角に戦える者などいませんでしたから…」
・※ツイスターゲームです
・サラとアンジュのラブストーリーは突然に展開に死んだ目をして微笑むタスク
・かと思いきやノーブル・オブリゲーションの話だった。
・自分はもう皇女じゃないからやらねーけど「オメーは皇族なんだろ」とノーブル・オブリゲーションを押し付ける姫様
・まではいいがタスクお前も乗り込むのか! 大きさ10分の1ぐらいだけど大丈夫か!
・まあタスクさんは有能だからどうにかしてくれるやろという謎の信頼感
・どんどん視聴者に馴染んでくる「おかあさんさん」という呼び名
ビビアン「おかーさんさん…」
ヒルダ「」
・いや確かにどうにかしてくれるやろという信頼は投げたけどタスクさん有能すぎない?
・急に歌うよ~♪
・「三割引でアレ撃ちなさいよ!ほら!月光蝶!」と無茶ぶりかます姫様
・姫様「割り引けないなら私が打ち消せばいいのね!」サラ「何言ってんだお前」
・乗機に向かって「気合でなんとかしなさいよ!!!」と叱咤する天才ライダー
・これは…スパロボですねえ~としか言いようのない精神コマンドである
・ていうか永遠語り砲、普通に強そうだからスパロボ参戦して欲しい。Z再世のガウェインぐらい強そう。
・楽しそうなので姫様とアンジュはもうずっとこっちの世界にいていいよ
・永遠がたり、「その歌はエンブリヲがこの世界を滅ぼしたときに歌ったもの…」ってことは関俊彦が「ルララリラ~♪」って歌うの?
美少女でないとダメなのか。条件付きではダメなのか。愛でないとダメなのか。
「美少女に無条件に愛されたい」なんて「一等の宝くじを買いに行く手間さえ省いて無償で与えられたい」くらい、他人が叶えてやる価値のない願いだ。
美少女という、言わば最高級の存在に、無条件にという、言わば最高級の条件で、愛されるという、言わば最高級の行為を受けたいだなんて。
「最高級」×「最高級」×「最高級」じゃないか、君が欲しているのは。
それが手に入ったら頑張れる気がするって?
たぶん待ってるより、自ら行動したほうが早いぞ。
始めは叱咤するつもりで書いていたが、何だかんだ、頑張って行動さえすれば、意外と手に入りそうな気がしてきたんだ。
自分も頑張ろう。
でも、頑張った結果手に入れた、とかじゃないと、その最高級の価値に気づかないかもしれないなあ。
敵に成り得る相手よりも優位に立たなければいけないのね。
基本、知的種ってのは
そこで優位に立たなくてはいけないよね。
まあ、人も、叱咤してみたり、揚げ足をとったり、叩いたり、煽ったりして
どうにか優位に立とうとするねえ。
が優位に立って劣っている種。
こいつらが
知恵を振り絞って抹殺されてしまわないように、優位に立っているのだね。
逆に言えば色濃く差別されているのは実は
なのね。
例えるなら黒人、ユダヤ人、アボリジニ、宗教的迫害の歴史を見ても
なるほどといえる所があるでしょう。
これはわかる。身体能力そのものとしては劣るだろうけども、子を育てるための能力や寿命の長さから見ると、どうも男性より勝っている様子ね。
結局、男性は最盛期以外は役に立たなかったりするよ。女性よりも立場が下になったら「生殖能力しかないカス」と言われるさ。
いや、言われないかもしれないけどね、結局、男が仕事できるのは男が仕事場を作っていたからなのさあ。
これは昔より明確となったといえるだろうね。簡単に言うと情報網が広がって誰が該当するかわかるようになったから、集団で指をさせるようになったね。
在日○○人を恐れて差別を強めている一部日本人というのはやはり、引け目を感じているんだろうねぇ。その他の人は在日○○人ということ自体考えてないだろうけど。
これは言わずもがな。突出していたら叩かれる。出る杭打たれる。
ただ、最近は叩く側の勢力が減ってきたようすなので、おそらくコレに関しては異端ではなくなってきているのではないかな。
昔ならオタクはずいぶん気味悪がられたし、ちょっと前ならブランド品を欲しがらない者なんていうのは異常だった。今はどんな者が異端だろうか。サイコパス?
山形サポーターによる“中指問題”は謝罪すべき『事件』か? 安易な処分はJリーグの衰退招く危険性も
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141013-00010013-footballc-socc
Jリーグサポーター応援の方法論については色々な場所で議論されていますし、
どっちが是か非かなんて正解も分かりませんのでここでは書きません。
しかし応援をする以上自分たちの行為がどのような影響を及ぼすかということは
結論を言えば「中指を立てるような挑発行為」は一般的に良いイメージは抱かれません。
現地で初めて観戦していたお客が中指を立てている様子を見て「よし、また見に来よう」と思うかどうか。
中にはそういう人もいるかもしれませんが、ごく少数派です。そこは断言しておきます。
そしてサッカーをよく知らない人がこのニュースを見聞きしてどういった感想を思い浮かべるか。
チームが、クラブが本当に好きならばそこまで考えて応援するのがコアサポーターというものでしょう。
ツイッター上では「この程度のことを問題化するな」という意見が散見されます。
でも普段スポーツをあまり見ないような人たちって皆さんが思っている以上に繊細なんですよ。
実際10年前に初めてJリーグを応援しようとスタジアムに来場した頃の自分は
ブーイング一つにしても「この人らは何をそんなに怒っているの?」というのが正直な感覚でした。
それまでスポーツ観戦自体も1年に一度くらいプロ野球を内野席でゆっくり見る程度でしたし、
スポーツを現場で見る機会が極端に少ない人種というのはそれなりに居ます。
そういう人たちが初観戦の場で大声での叱咤激励や怒声・罵声、中指を立てて罵る様子を見てどう思うのか。
(私は今では慣れてしまいましたが)
コアサポの方々はよく「これが俺らのスタイルだ、嫌なら来るな」と仰る。
まぁ、チーム成績に関わらず何もしなくても常に観客の入るようなチームならそれでもいいでしょう。
しかしほとんどのJリーグチームが毎年資金難に悩まされているのは報道の通り。
クラブにとって最も直接的で大きな資金源となるのが観客、つまりチケット代です。
一般の人たちに媚びてでもスタジアムに来場して頂かなくてはならない状況なのです。
それを自分たちの矜持の方が大事で排除すべきだというのなら、まぁ、それも一つの判断です。
しかし私はそんな人たちのことを「サポーター」と呼びたくはありません。
いわゆる「コアサポ」の方々がよくやる行為、相手チームを挑発したり、
仲間内でしか通じない言葉を使ったり、自分たちと異なる人たちを馬鹿にしたりする行為は
一つの集団がより先鋭化し、集団を形成する人たちの親密度を高めるのには効果的でしょう。
しかしそういった集団は傍から見れば異質なものにしか見えません。
また「海外ならこれくらいは普通」「いやもっと過激な所もある」という声もよく聞かれますが、
他所は他所でしょう。なぜわざわざ国民性のまったく違うリーグの真似をする必要があるのでしょうか。
Jリーグにやって来た外国人選手が日本の応援スタイルを褒め称え、
国際大会などで日本のサポーターが外国から賞賛を受けているニュースなどを見ると、
それをあえて曲げてまで外国の真似をする必要があるとは思えません。
記事には「通報が応援を萎縮させる」というような内容のことが書かれていますが、
通報されないような応援をすればいいだけなのでは。それくらいのことも出来ないのでしょうか。
Jリーグは規定に定める通りに「差別的、侮辱的もしくは公序良俗に反する発言や行為」を罰しただけです。
ルールを守れないような下手糞な応援は止めていただきたいものです。
どうせなら観客が増えるような応援をしてほしいですね。
http://anond.hatelabo.jp/20141001050424
長いですね。匿名だし、こんなもんでいいよねー、と言わんばかりに思考をダダ漏れにひたすら書いているだけです。お暇な人だけ。
後半書きます。色々なレスポンスに対する僕の回答・意見・感想です。長くなるし後半部分はまた別の話になるのでわけました
。
同じ主張でもメモを取って二度と同じことを聞かないこと派からメモを取って言質に派まで色々とありました。中にはボイスレコーダーで言質とろうという猛者まで。
うん、僕もメモ大事だと思います。外部記憶媒体大事。だって人間忘れるし。しかし、それを整理できてないのは僕が悪いですねぇ…休日や帰ってからやっぱそういうのやらなアカンなと。
せせせせせせせせやなななななn。しょうがないじゃない、頭悪いんですもの。が、もっと思考を深めてそのスピードを上げなきゃなとは思って、色々と危機感や対策まがいのことはしてます。それっぽい人のブログ・動画みたいなコンテンツをみてみるとか。ただ、アウトプットが大事だというのは常々感じながらもそういったことをしてないので、ちょっとそういう努力をしないとなーとは思っています。でも気力が(ry
この主張にも「世代によって教える技術が培われない層がいる説」「地方公務員の末端=あまり優秀でない人材が集まっているから説」「たまたまそういう上司に当たった説」「とにかく何回でも教えるべき説」と色々な説が繰り広げられていて興味深い。
あまり優秀でない人材説に関しては、ちょっと違うかなと。こちらから見る限り、頭のキレる人、即決力がかなりある人たちが多くて頼りがいあるな、という感じを抱いているので。そう、僕が悪いのです。
それっぽいのはあるんですよね。ただ、それに書いていない行間で怒られるというか、「普通に考えればそれくらいわかるでしょ」という怒られ方をするというか。あと、そのマニュアルも概要を説明しているだけで、詳細な業務については一切書いてない。ので、先輩に教えてもらうのですが…そう、僕が悪いのです。
前記のようにメリハリのあるちゃんとした職場ではあると思うのですが、都道府県民の方のクレーム・意見にはものすごく敏感なのは感じます。まぁ、行政って突き詰めればサービスだしねぇ。
これも、質問の仕方を工夫してみようとか、成長していることをフリでもいいから示そうとか、とにかく好かれる努力をすれば対応は全然違ってくるとか、そもそも自分の気持を上司に理解してもらう努力してるのか?、とか色々な意見がありました。うん、人対人なんだから、そのコミュニティに溶け込まないといけないよね、分かってる、わかってるんだけど上手くいかない…でも、色々な方法論はとても参考になりました。今度実践してみようかな。
これに関しても、反応が悪くてもう教えたくない説、提案・質問を混ぜて質問しよう(単純に「こうでしたっけ」はだめ)説、当事者意識が低い説、「ど末端」という意識が見え透いている説、と様々なレスポンスがありました。
なるほどなー、ちょっと意外な視点だったかも。方法論を参考にしてみて、ちょっと頑張ってみます。仕事場では、「ど末端」とか考える暇ないからそういうのは出してない気はするんだけどなぁ…やっぱりどこかしらにでているんだろうか。
うん、知ってた。生まれる前から知ってた。極力「自分でしなきゃ、頼っちゃダメだ」という思いで働いて、先輩に伺いを立てる時は(コミュ障なことも相まって)それはもう刺し違えるくらいの気持ちで立てている。で、ものすごく心が疲れる。ああ、仕事って嫌だなぁ…あっミスした!、の繰り返し…
でも、ある程度は新人なんだから、怒られるのも当たり前だと思って最近は少し楽になった感はあります。
そ れ を 言 っ ち ゃ あ お し め え よ
その他、こうした分類ができない色んな意見・方法論・叱咤激励を頂きました。せめて、これを自分なりに消化して、次に生かしていくのが、こんな吐露記事にわざわざ時間を使って文字をタイプしてくれた皆様に報いることなんじゃないかなと思って、明日(月曜)からまた精進していきたいかな、と思います。
最後に。
このつぶやきからの一連のこの人のつぶやき、及びそのリプライとかが非常に気になったので貼ってみます。これはこちらの職場にも当てはまるところがあるようなきがするなぁ、と。
[(https://twitter.com/tail_y/status/517497426060406784):twitter:tweer]
http://anond.hatelabo.jp/20141001050424
元増田ですブックマーク400くらいついてるほげええええええええええええTwitterで500ぐらいつぶやかれてるおえええええええええええええええええええええ
なんだこれうわぁ、なんだこれうわぁ、こんな鬱憤を晴らしたいがためだけのゲロみたいな投稿にこんなにレスポンス返ってくるなんてひたすらに申し訳ない、申し訳ない…
自虐はここまでにして。
とりあえずトラックバックとはてブのコメントとTwitterのつぶやきをざざっと見させてもらいました。ほんとに色んな意見があるなと。
限られた情報から職場・元増田自身を想像してアドバイス(叱咤激励含む)をくれる方や、この個別具体的な事案から今の日本における”仕事”が抱える構造的な問題点を一般化する帰納的な論を展開する方まで。
いや、実に興味深いです。これがアクセスする”抵抗”がとてつもなく低くなったネットワーク(=インターネット)の力ってやつなんですね。改めてインターネットは偉大な発明なのだなと。90年代前半とかだったらこうは不特定多数の意見を伺うことは出来なかっただろう。
まさか自分がその当事者になるとは思わなかったけど、生きてるとこんなこともあるんだねぇ、面白い。
最初にも書いたように、元増田の記事は鬱憤を晴らすための、というか見えない出口を探し求めてほとほと疲れ果てた中で書いた忘備録のためのような記事です。
なので、主張はかなり偏っているかなぁと。
まず、仕事を覚えられなくて中々スマートに実行できないのはひとえに元増田である僕のせいです。僕が無能であるだけなんです。先輩たちのせいじゃないのです。
元増田記事と矛盾している…深夜テンションで書いた記事だから仕方ないね。
- メモをほぼ活かせない
メモはとりあえず取るんですが、「とりあえず取る」だけで体系化できていない事多し。自分なりのマニュアルポケット手帳みたいなのは作っているんですが、当方怠け者のため最近の情報が更新できてなかったり、そもそもどうソートしていいのかわからない指示があったりして不完全。
- うっかりミスが多い
仕事を進める中でミスをされると注意されるわけですが、業務を知らなかったというミスより「あっ、そうだったー!」というミスの方が多いです。注意されたり、次の仕事に移る時に「あっしまったこうだった!」という。これについては、ちょっとあまりにも多すぎるので発達障害を疑って次策を検討中です。どうやって医療機関を絞ればいいのか、そもそも受診・相談する気力が湧いてこない、とかに悩んでるわけですがそれはまた別の話なのでここでは割愛。
致命的なことに、職場の人と上手くコミュニケーションがとれていません。何気ない会話を投げられてもコミュ障あるあるみたいな返答しかできないというか。「あっ」とかよく言っちゃうし「あっ、えっと…あっ…スイマヘン」みたいな挙動不審みたいな謝り方を注意された時にしちゃったりとか。お客さ…都道府県民相手にならマックのマニュアルしゃべりみたいに対応できるんだけどなー
というわけで、先輩たちはいい人たちで、仕事覚えられないのは全部僕が悪いんです。
基本的に職場で僕が役に立たない時にイライラしてるだけで、その他は至って普通です。険悪なムードを醸し出してるわけでもないです。仕事のちょっとした合間や休憩時間は少し談笑したり子供の事で情報交換したりしてる、雰囲気の良い職場です。
もっと体系的に仕事を把握できるように頑張るべきで、そのためにはきっとメモだけじゃ足りないので、仕事のフロー図書いてみたり、家で自習のため自分の仕事に関することを色々調べたり、そういったことをやらなければ。
また、もっと円滑なコミュニケーションを取るために、積極的に会話に参加したり、マナー・常識を本やネットを参照しまくって実践である職場で学んだりしなければ。
そういった具体的な方策は思い浮かんでいるんですが、家に帰っちゃうともうおやすみモードに入っちゃって、ポロシャツのまま即寝たりニコニコ見たりテレビ見たりしちゃって…どうにもダメですねぇ。自分の甘えでこうなっているのはわかっているのですが、中々そこから脱出できなくて…
仕事を覚えられないのはそんな自分のせい。その「行動しないストレス」を上司のせいにする、という方法を通して匿名ネットにぶちまけてしまったのです。そう、僕が悪い。
なんというか、皆さん色々と意見をありがとうございます。結構、これからの指針の参考になるような意見もたくさんあって、ほんとありがたいです。
と考え、やはり自分は弱者であり「甘えている」と叱咤される側の人間にすぎないことを最近自覚した。プライベートと仕事の時間をバランスよく取ることはどうやらこの国は難しい事らしい。雇用の安定性を諦めるなら両立は容易いが、正社員という身分でなくなるのは将来に大きな不安の影を落とすようだ。将来、不安、将来、不安、将来……といった単語の頻出度ときたら。
終身雇用制が崩壊している現在でも「正社員」は雇用が安定しているという点においてはとてつもない魅力のようだ。福利厚生・ボーナス・退職金等など正社員でしか得られない部分も大きい。
しかし会社にはよるにしても、場合によってはプライベート(個人的な時間)の大部分を犠牲にしてまで労働することを要されるのは酷である。それに応じられなければ正社員という身分を諦めるしかない。己が良いと思った会社に出会えるまで会社を転々とするということも許されない状況は(転職回数は少なければ少ないほど有利である)、労働者にとって地獄だ。