「偏屈」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 偏屈とは

2016-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20160828044604

丁寧なお返事いただけて気恥ずかしいよ

偏屈者だけど、アドバイス素直に受け止めてがんばります

ありがとう

2016-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20160809233218

マジレスしていいのか分かんないけどサー、

「いい歳してゲーム」「大して面白いはずのない~」「時間無駄にし~」「バカな感じに見せる」

これら全て増田独自主観、美意識しかないし、しかもかなり偏屈な部類だよ。

ホント読書を愛好するような人間なら、多様な価値観肯定的に捉えるようになると思うんだよね。

それができるだけの、様々な人間生き方に対する想像力が働くようになるから

まあこれも僕の主観にすぎないんだけどね。

2016-08-07

議事録を作る仕事をしていました

私の仕事

新卒で入った会社は、PCサポート事務職で、約10年間ずっと議事録を作る仕事をしていました。

会議ごとに自分所属している部署とは別に会議名の付く委員会があり、その会議の末席でひたすら議事録を書く仕事をしていました。議事録書きといっても単純な記録であれば、慣れればそれほど難しくはないのですが、この会社はがちがちに組織が硬くて、組織意思決定議事録というのは人間関係にとても気を使いました。

私が書いた議事録はまず主査主任代理にチェックをもらって直しを受けます。そして主任調査役、課長代理課長代行、課長補佐課長担当課長、別部署主任代行、課長1、課長2、部長代行、部長補佐、部長補佐2、担当部長副部長1、副部長2、部長本部長代行、本部長補佐、本部長、常務専務と順番に稟議されていくわけですが、当然1人でも却下されたら、また最初からやり直しとなります。その度に議事録修正票を起票し、そのための稟議を上げたり、修正稟議修正するための稟議を上げたりすることもよくあることでした。さらには議事録の内容を精査するための「案件担当者会議」とか「議事精査会議」を開催して、その議事録要求されて同じように稟議を受けたりと、わずか2時間会議議事録が最終的に完成するのに2~3か月がかかることも珍しくはありませんでした。掛け持ちで書いている議事録の数は多いときで50件くらいになりました。時には議事録がまだできていないのに、次の会議でそれが否定されて、でも記録として残すために議事録を書き続けなければならないということもありました。まさに私はプロ議事録屋さん兼書類整理屋さんとなり、歩く議事録と呼ばれるようになりました。

この会社左前会社で、採用自分の年以降まったくなく、後輩が入ってこないので、自分がずっと同じ仕事をしていました。10年間仕事をしてきたので32歳になっていましたが、実質的にヒラ社員のままでしたし、自分の部でいえば、私と雑務係のおばさん、そして派遣できている3人以外の全員は何かの役職がついていました。ひとつしかない部なのに、その上に本部があって、本部長、本部長代行、本部長補佐という役職があり、結果として部長が4人いるのと同様の認識になっていました。昔は他にも部があったそうですが、事業縮小で廃止になったとか。でもそれを数十年も引きずって、部の上に本部があるなんておかしいですよね。社員構成としては課長以上の社員が70人(色々な兼務があるがこの場合人間の数です)いるのに、主任以上課長未満は20人、ヒラは5人という逆ピラミッド型の構造となっていました。公務員でもないのに専門官とか審議官参事官調査役、考査役、審査役、相談役、特命役とかよくわからない役職が多くて、新聞を読んでいるだけの人?も多かったし、今から思えばなにかが腐っている会社でした。

議事録といっても本当に大変な作業だ。

何をいっているのかわからない業界用語とか、それまでのやりとりを理解している前提であったりとか、発言した人間しかわかっていないこととか、みんな理解もしていないのに理解をしているふりをしているとかは当たり前のことです。「じゃあそういうことで~」で終わっても、まさか「そういうことに決定した。」と議事録に書くわけにはいきません。じゃあ会議の時にきけよという話なのですが、末席の自分発言権はなく(本当に発言権がないといわれた「ヒラなのに失礼だよね」)といわれました。発言を求められること(過去の記録について議事録を見返すのが面倒だし誰も覚えていないけれども、私は書いているのでその過程で内容を覚えている)はありました。さすがに会議の前半と後半で結論が違っているときは、きいていて分かるので、嫌がられても許可をもらって発言しました。でないと、あとから大変なことになるからです。また理解できずにうつらうつらしていた人が突然あてられて、しどろもどろになることがあります。こうした場合、あとから自分意見議事録に追記するということも非公式に認められていました。多忙な人も多く、そういう部分がすべて出来上がらない限り議事録は完成しませんでした。

なにをもって議事録

ところで議事録ってなにをもって議事録というんでしょうかね。みんなのすべての発言から咳払いとか「えー・・」だとかどうでもいい言葉を除いたもの、たとえば議会議事録はそういうことになりますよね。うちの会社ではこれは議事録明細といって、8割以上の議事録には付けるルールになっていました。でも明細を見ても要点や背景がわかりませんよね。それで、要点をまとめて、発言していない部分まで補足してまとめたもの、これが議事録の本編です。これに日時や場所、出席者などの情報をまとめた前文を付け足して、ようやく議事録になるんですね。大体1時間会議でA4用紙で20ページくらいになるでしょうか。もちろんこれを仕上げるには1日では足りません。でも私の場合なんとかしてこれを1日に収めることが目標でした。でないとたまりまくってしまますからね。今でもタイピング自己流ですが速記には自信があります

「てきとーでいい」という仕事はない(わたし場合

今回の議事録適当でいいよ。とか、決まったことだけ書けばいいよといわれて、そのようになることはまずありえません。なぜならひとりひとりの意見を聞いていったときにひとりでも異論があれば、その都度書き直しをしなければならないからです。「てきとーで」といわれて本当に少しでも手を抜いたらものすごいダメ出しを受けたことがありました。私ではなく別の人が書いた議事録であればそこまでは言われないことが多いので、このあたりはその人の性格との相性もあると思っています。「てきとーで」と言われた時の行動パターンとして、初めて言われた時には、絶対に手を抜かずにむしろきれいに丁寧に仕上げます。それで何も言われなければ万歳。逆にこれだと時間がかかりすぎるでしょ、本当に適当でよかったのにとか、読むのも大変なんだと逆に怒られるようなことがあれば、そこで初めてその人用に「手を抜いた」ふりをした別の資料を用意します。(手を抜くけれどもほかの人には手を抜けない場合が多いので隠れて別資料を用意するか、用意ができる準備はしておきます。)つまり、「手を抜いて」といわれるとそのあたりの調整を含めてかえって仕事が増えるのです。

会議が始まる前とか、会議最中に「今回は議事録を書かなくてもいいよ」と言われて、それにみんなが同意してもこれは全くの嘘です。議事録はいわれなくても、会議の後に誰かから、悪いけど決まったことだけは証跡として残しておいてと言われます。そしてメモ程度の証跡を残すと、必ずそれを送ってと言われます。ただこれだとほかの人に見づらいし何か言われるに違いないから、念のためにきちんと文章にまとめておいてとか、会議に参加していなかった人も含めて誰が見ても分かるように念のために「こういう関連情報を補完しておいて」といわれます。そしてこれが印刷されて他の人に回りだすと、体裁が気になって上の人には見せられないので、フォーマットもしっかりさせてといわれます。また俺の発言がないとか、この部長発言は全部を書かないと失礼だろうと言われます文書タイトルが抄録となっているのに「これは議事録ではない、ちゃんとした議事録を書かないとだめだろ」といわれ、ひどい場合は今回はさぼちゃったねと嫌味を言われます。その嫌味を言った人は、「議事録はいらないよね。」といったのとはさすがに別の人物ですが、その会議に同席していた以上、それをきいていたはずです。でも会議から1か月ほど経過していることも多いので、おそらく忘れちゃっているか、私が嫌いかのどちらかなのでしょう。でも上司命令に逆らうことはできません。仮にここで私が「たしか会議の中で議事録がいらないということになったと思います。」というと、大変なことになります議事録がいらないのは公式議事録がいらないのであって、確認するための議事録は当然必要なんだとか、先輩のいくことに従えないのかとか、いろいろ言われて終わりです。

まりです。最初は何もいらないといわれたのに、いつの間にか議事録を書く羽目になっているのです。従って、会議に出たらもうその時点で議事録を書くことは確定なわけです。ここまでくると最初議事録はいらないですよねといった人の立場がありませんから、一つの会議で決定事項メモ概要、抄録、議事録議事録明細の5種類の文書を用意して、それぞれを要求した人に、それぞれ他の資料存在を隠して送付をしていました。面倒ですが人間関係を円滑に進めるために必要作業でした。だから「今回は議事録いらないから書かないで」と言われても「いえ、書きます」といっていました。その人からしてみれば楽をさせようと思っていっていることになのに、なんて真面目で変な奴だという認識なのでしょう。しかし私の立場では、ピラミッドの一番底辺なのに、指示をしてくる人間が30人くらいいるわけで、その30人の指示をきちんと受けるために、できるだけ楽をするために、むしろ議事録を書くという選択になるのは仕方がないことでした。ちなみに会議が重なって一方の会議に出られなくても、議事録要求されることがあります。出てもない会議議事録が書けるかというとこれが書けるのです。

誰が何を考えているのか、問い合わせが多い

会議の場でいろいろいっていても、それがすべて会議の中で頭の中に入るわけではありません。誰の頭もそんなによくはできていません。というわけで会議終了後に何をいっていたのかということを、会議に参加している人から聞かれることが多くありました。歩く議事録係は、歩く議事録マスターでもありました。既得権益といいますか、業界自体保護されている部分があって、昔ながらの(いわゆる昭和型の)組織構造エスカレートして、身動きがとれなくなっている印象がありました。そして上の人があまりにも仕事しませんでした。正確にはなにかをしていたのだと思いますが、下の人間にはあまりそれが見えませんでした。この会社は定年が60歳で、雇用延長で65歳まで働けます。ある部長が定年で雇用延長したときに、私と同じ部署に配属されました。私がやっている仕事を少しはやってくれるかなと思ったのですが、何も仕事は与えられませんでした。ヒラとはいっても昨日まで部長をしていたヒラです。部長としてバシバシ指図をしていた人をがある日突然、指図をしたり、議事録書きのような「シモ」の仕事をやってもらうわけにはいきません。というわけで事実上なにもしないお飾りになって、結局私の仕事を手伝ってくれることは一切ありませんでした。ましてやPCなどが弱い世代で、単純な作業すら手伝ってもらうこともできません。つまり私の部署には余計なお小言をいう人がひとり増えただけで、何の戦力にもなりませんでした。この人は本当に何もしませんでした。というよりもできませんでした。家にいても奥さんにも相手にされず、そもそもこの会社は上に行くほど昇給上り幅が小さかったので、もっと働くことを期待されているとのことでした。でもそんな人でも働いてもいないのに私とさほど変わらない給料をもらっているので、違和感を覚えました。8年目に初めて主任代理という役職がつきました。役職手当が毎月3000円もらえるようになりましたが、課長待遇という給与明細にも書かれないようなカッコ書きの役職がついていたので、管理職ということになり、残業代は一切支払われなくなり、実質的給料マイナスになってしまいました。下の人間はもちろん同僚すらいないのに管理職というのはさすがにおかしいと思いましたが、当時は何も言えませんでした。

人によって言っていることが違う場合

会議の中ではずるずるいくか時間がないか議長がしっかりしていないかといった理由で、「なあなあ」になってしまうことがあります問題はあとから人によって認識のずれが生じてそれが議事録とその人の記憶との間でズレが生じてしま場合です。ひどい場合議事録の中で結論が完全にずれていることがありました。たとえば、じゃあそういうことで、といってほかの話題になったあと、再度誰かが「これの件は?」と言い出した後で決まったことが前半に決まったと思われた結論とずれている場合などです;。これを解決するのも議事録係の大事仕事です。個人的に心の中で地雷処理と呼んでいました。慣れた私でもできれば処理をしたくないところですが、これを片付けないことには議事録は完成しないので、プロとしてがんばって調整をしました。1.対立する意見当事者に話を聞く、できれば当事者同士で解決してもらう(融和) 2.一方の発言自体をなかったことにする(廃棄) できるだけ1を選択したいところですが、やむをえず2を選択することも年に10回くらいはあったと思います問題になったことはありませんでした。みなさん完成した議事録をきちんと見るほど時間はないのですよね。

悪しき慣習

この会社文化として、礼儀だとか建前に固執する結果として、時間的ロスがとてつもないことになっていました。みんなおかしいとは思いつつも長い間そのようにやってきた歴史から、続けてしまっている面がありました。見積は最低10回。業者から見積をとるときには、必ず最低10回は見積をとることになっていました。これは相見積の回数も数えるのですが、文房具ひとつについてもそれをしなければいけないので、わずか数百円の買い物にかかるコストはおそらく人件費を含めると万を越えるのではないかと思いました。「これは商慣習です」と先方に伝えて理解を示してくれるところもありましたが、そうでない会社は逃げていきました。見積10回取らせる目的は、できるだけ安く買うというだけなのですが、結果としてそのような慣習があるおかげで高く買うことになることもよくありました。A*a*onにも電話したことあります。合計で1万円ほどの買い物でしたが、「10円ずつ金額を下げた見積書を10回作ってください。それぞれ社印を押印して、1日ずつ時期をずらすか、日付を変えて郵送してください。トータルの値引き額は100円で結構です。」と正直に要件をつたえました。「そのようなことは致しておりません」で終わりました。仕方なく8000円ほど高くなりましたがそれをやってくれる代行屋に依頼しました。その代行屋はおそらくA*a*onから買っているのですからバカ見たいですね。あと税込金額1000円未満を切り捨てにするように指示をすることも公然と行っていました。今から考えるととんでもない殿様商売だと思います

間違いがあると蹴落とされる文化

私は10年間、組織の一番底辺にいましたので、あまり関係がなかったのですが、この会社では、下の人から間違いを指摘されることを嫌がる文化がありました。あ、そうだね、ありがとう!と素直に言ってそれで終わりということがないような感じです。誰も気にしないのに誰もがなにか偏屈な(と私は思っていた)感情をもっている人が多かったです。みんなうまい具合に手を抜いて、仕事をしているのですが、私にはどうしてもそれができませんでした。怒られることへの恐れからです。議事録にしてもそもそも必要性から含めていろいろ議論したり、調整をしていけばいいのですが、そういった複雑な人間関係の中で仕事をすることの苦手感を12年間ついに拭うことはできませんでした。この人にはこの話はできないとか、人間関係の中での複雑な例外事項は本当にストレスでした。

テープ起こしサービスを申し込む

このころから議事録をつくるという仕事自体は変わらないのですが、様々な雑用が舞い込むようになってきました。議事録作成だけに時間を取られるわけにはいかずにどうしようかと思ってました。そのとき発見したのは、ICレコーダーの音声データインターネットで送って、それを文字お越ししてもらうサービスです。ためしに自腹を切って利用してみたのですが、これなら議事録(詳細)を半分の時間で仕上げることができます。とても魅力的でした。そこで自腹で試したことは内緒提案をしてみたのですがそのような経費をかけることはできないと誰に聞いても却下されました。誰にも頼むわけにいかず、その頃頭が少しおかしくなっていたのではないかと思うのですが、自腹のテープ起こしを続けてしまいました。時には月に10万円くらいも。1年間続けた結果、トータルで40万円くらいは自分お金を使い込んでしまいました。それでもその空いた時間にいろいろな仕事が舞い込むので、結局のところ残業時間は変わりませんでした。

謎の委員会制度

私の会社では所属部署とは別に、様々な大小の委員会制度が設けられていました。風紀委員会とか衛生委員会とかくだらない委員会もありましたけど、○○プロジェクト事務局とか、部署を超えて招集されるプロジェクト複数ついていて、そして私にはもれなく会議時の議事録書きという仕事がついてきました。辛いのは、こういうプロジェクトがあるせいで、直接指示を受ける上司が増えることです。上司同士は面識は当然あるわけですが、それぞれが私を自分の部下であって、自分仕事100%請け負っていくれると思っていたらどういうことになるのかということです。君はこのプロジェクトにどれくらい時間を割けるかな?ときかれたときに5%くらいです。週に2時間限界です。と正直にいったときに、チッと舌打ちした部長代行の顔を私は忘れることができません。

続きはこちらです。

議事録を作る仕事をしていました<その2>

http://anond.hatelabo.jp/20160807170653

2016-08-06

ゲイアウティング事件について語る

自分LGBTのいずれかであるが、カミングアウトすることには相当な勇気必要なのは理解出来る。

NHKだったり先進的なメディアではLGBTは異常でなく個性であり、分け隔てなく扱うべきというスタンスが目立つ。

それだけを見ているとまるでマイノリティに優しい世界のように見えるが、現実はそこまで進んでいない。

平等に見えるのは企業でもそこそこいいところだけであって、コンプライアンスが昨日していないような会社では平気で差別がある。

 

ましてや学生コミュニティでは(一部大人コミュニティでも)「弱い奴が悪い」という価値観リア充の中に蔓延しており、

もちろん、頭のいい人間が集まる場合部分的に慈悲や思いやりを見せる場合もあるが、それは偏屈コミュニティの中でのパフォーマンスに過ぎず、

本気でそういう人間と関わるのは面倒だから当たり障りのない対応をするというのが基本であり、

関わるほどにマイノリティマジョリティの溝のようなものはまだまだ埋められないと感じるだろう。

だってキモイじゃん」というのが正当な理由として扱われているのが現状なのだ

 

漫画なり動画なりアニメであっても、同性愛者やトランスジェンダーネタキャラキワモノとしての扱いであり、

受け入れられるのはそれをネタにして道化を演じることができるモノのみである

努力・友情・勝利には不要なのか、決してそういうサブキャラクターの辛さについて語られることはない。

自分自分であることの苦痛だったり、正体を隠して生きなければ人狼のごとく批判対象になってしまうという、

まるで亜人のような、B級人間であるかのような感覚普通の人は理解できない。

 

髪や肌の色が違うこと(もちろんそれによって苦しむ人もいるだろうが)とは違い、そうであるが故に尊厳を踏みにじっていい対象になってしまうことの屈辱と辛さは、目の見えない人に視覚を伝えるようなものなのだ

この部分は個人の感受性に大きく影響を受けるため、当人がどの程度それに苦痛を感じるかには個人差がある。

そのため、その苦痛が大きい人ほど、アウティングによるダメージは蓄積していくだろう。

 

彼が弱かったから悪いという意見があるが、それは存在のもの否定するのに等しい。

受け入れられない人間は受け入れられないのだ。

物理的なアレルギーがあるように、心理的アレルギー理解しなくてはいけない。

学生のノリで劣っている人間嘲笑対象にし、優越感を得たいという心理理解出来る。

しかし、それを咎めることができないこの世の中では、こうして裁判になり、世の中に取り上げられ、

人を貶めてはいけないという事実を全員で再認識する必要があるだろう。

 

一部の人間は裁判までするなんてと、裁判をすること自体がおこがましいという意見もある。

それは彼らがゲイ差別しているからだろう。

社会に受け入れてやっているのに裁判までして、たて突くのかと彼らは感じているのだ。

性同一性障害当事者裁判を起こした時の反応もそれに基づくだろう。

結局、彼らはいつまでも弱者のままで、会社に運良く入れてもそういう事情文句が言えない環境にあることが多い。

そういう不遇や不平等を解消するためにも裁判という手段があることを知ることが、弱者にとっての唯一の武器になるのだ。

 

結局、まだまだこの世の中は弱者を叩き、不条理なことをし、不正を働いたとしても、

それを咎めることで自分に悪影響が及ばなければいいやと考える人間で溢れかえる限り変化はないだろう。

そういう見過ごす者たちが責任を取らされる立場にならない限り、何も変わらないのだ。

きっと、普通人間はそのリスクコストから逃げたいばかりで、本当の意味でみんなが過ごしやす社会なんてものは求めていないのだ。

2016-07-31

シン・ゴジラ鑑賞メモ

微妙ネタバレあり。

見て来た!!!!!!!!!

ハンパなく面白かった…!!!!!

時勢的な意味もの凄い時期にもの凄い映画公開されちゃったなって思ったけど、めちゃくちゃ面白かった…!

夏休み時期映画だけど、ちょっと子供向けではないね。きっと読めない漢字字幕役職名など)もたくさんあるので。

から隅まで庵野監督が作ったんだな〜と思える最高傑作でした…。

じっくり何度も行き来して観たいのでDVD出たら絶対買う事決定。

カット割と構図が庵野監督。完全実写以外(庵野監督場合アニメ)の場合だと「カメラ絶対に置けない場所」なんてものはなくて、どんなアングルからでもあらゆる構図が作れるけど、この実写作品でも普通にやってたw

印象づけるために、特別なシーンとして変わったアングルを作ったりってのはあると思うけど、普通にどってことない部分でもそこにカメラ!?みたいなのがいっぱいありましたね。

冒頭、受話器を置くシーンでいきなりそれが始まってめちゃくちゃ興奮した。

戦闘シーンはいわずもがな、それ目当てで観に行った自分としては「やっぱり自分庵野監督戦闘シーンが一番好き」って再確認できました。

ここに関してはあんま言わない。

いやいやそんな手法はって思うかもしれないけど、以前ヘリで水撒いてたの思い出したら「使えるものはなんでも使う」のは当たり前ですよね。

色んな俳優さんがたくさん出てるらしいことは知ってたけど、あの人がこんなところに!とか、えっこの人でてるの!?みたいなのもたくさんあって面白かったw

しか有名人出して話題性出してやろう根性よりもホント適所適材の配役が多くて、こういう立場の人はこういう顔してそう〜とかこういう偏屈そうな性格してそうだよねって思えてとってもよかった。

配役よかった過ぎて誰の話をしたらいいか…。

石原さとみさんほんと素敵だった。最初ルー大柴かな?って思ったけど全然ですわ。あまり(というかほぼ…)彼女の出てる作品観た事なかったんですけど綾瀬はるかさんみたいなあの世代のほんわか可愛い感じの方なのかなって思ってたので驚いた。

「若く、かつ大胆で、セクシーさもあり、賢くしたたかで、それでも年相応に夢見がちで、残酷になりきれない部分がある」これをまとめて一つにして威風堂々と演じてらした。

長谷川博己さんも似合ってたね〜。そこそこ地位の高めの政治家。かつ主役。もの凄いイケメン顔じゃないところがとってもいい。上司竹野内豊さん、部下に高良健吾さんだからね、主役までどイケメン顔にしたらどんだけドリーム映画だよって感じ(政治家こんなイケメンばっかじゃないだろ的な)するし、あっさりさわやか・清潔感たっぷりで「こういう若手政治家いるよね」思える。そして長谷川さんと正反対のもろ政治家顔の松尾諭さんが悪友というか信頼してる仲間議員というこの顔の配役の絶妙さ。これは計算されてないかもだけど、部下の高良さんの方が背が低くて、二人が並んだり前後で歩くシーンでどっちが上役なのか視覚的に感じれるのもとてもいい。

余貴美子さんも凄くかっこよかった。防衛省大臣だよね。そこに女性を置くって配役がまたうまい。ずるいよね〜。硬派な女なんてかっこいいに決まってるわ!

今まで過去ゴジラ関係映画みたことないけど、「現実日本に、ゴジラが攻めて来たらどうなるか?」っていう映画なんですね。

架空の超強力な組織もないし、特別な才能を持った人もいない。学者政治家がそのとき持っている知恵と人脈と能力を糧に未知の生命体に対抗するって話でした。

すっごい考えさせられた。

未知の生命体を侵略してくる仮想敵国歌に置き換える事はできないけど(なぜなら未知ではないから。軍事力はある程度わかるし。)侵略されるってこういうことなんだな、と思った。

そして有事の際に、政治的方面から見ると自分の国はこんなに弱いんだとも思った。

これは映画から、実際はどうかは本当のところはわからないけど、3.11の時、どうだったんだろうとは思った。

もしそういう日が来たら、あ、来ないとは絶対に断定できないだってイラク戦争はたった13年前の話しだし、シリア騒乱は2011年から今でも続いてるし。戦争現実にまだ起こってることだからね。

もしそういう日が来たら、こうなるのかなと思うとホントになんか胸が詰まる思いで魅入ってしまいました。

自衛隊の扱いとかね。政治家は軽く「行け」っていうし、特定の層は抗議活動してるし、それでもまっさきに私たちの為に体を貼って死んで行くのは自衛隊なんだと思うとなんかもうほんとね。たまらない気持ちでいっぱい。

同じ人間で、同じ重さの命なのに「どうしてそこまでできるのか」って気持ちと「親兄弟気持ちを考えると死んでしまったら悲しい」って気持ちと「意志の強さと尊さに感動する」って気持ちと、とにかく入り乱れてなんとも言いようのない気持ちになってはっきりと理由はないけど、途中から泣きながらみましたよ。

またその亡くなる若い命が斉藤工さんなんですよね。モブじゃない配役最高。有事の際には彼のような男が死んで行くって思ったらほんと泣ける。

なんていうんでしょうか。軍人Aじゃなくて、顔もしゃべり方もこんな感じの人柄もなんとなく知ってる人が理不尽に亡くなるってこんな切ない事なのかと痛感したというか。切ない。

小出さんもそうだよね。ああい若者最前線にかり出されるんだなって思った。

凄い考えさせられる。

やっていいルールはあるけど、前例はないか自衛隊を使っていいのかとか、国民が一人でも被害を受けそうなら一切作戦はできないとか。

大義の前に一人の命なんてどうでもいいって意味じゃなくて、ロシアだと普通に人質ごとガス責め作戦実行(モスクワ劇場占拠事件)してたし各国なんだかんだいってそういう風潮あるけど、自国民を守るのが使命っていう信念をどこまでも通し抜こうとするとことか凄いなって思う。

果たして現状、実際の自衛隊にきちんとした立場と栄誉は与えられているんだろうか?有事の際だけ駒扱いじゃないだろうか?悪い意味で日陰者なんじゃないだろうか?

海保消防警察と同じくらい尊敬される職業であってほしいな、と思う。

憲法上の存在云々の問題は色んな思想国際的問題もあるからそのあたりに関してはなんとも言えないけど、実際の実務としてはなくてはならない職業だと実感しました。

と、いう内容を含むので右だ左だ強烈な思想をお持ちの方を刺激しそうな…気もするけど、思想のせいで善しも悪しも語って欲しくないなというのが思うところ。

これは、娯楽だから

あ、エヴァの続編は別に遅くなってもいいです。そりゃ仕方ないよねって思わされる作品でした。

※TOO YOUNG TO DIE!もめちゃくちゃ面白かった!

※次に見たいのはスーサイド・スクワッド

2016-07-28

良識派のはてなブックマーカー一覧

っていうのを作ってみないか

村民とか言われる人たちはだいたい血気盛んで偏屈にすぎるので、フォローしても感動が少ないんだ。辟易する。

ブコメ出現率もそう高くないし☆を集めるような尖った物言いもしないけれど、

確かな知見や成熟した思想を持ちあわせた雰囲気を漂わせていて、

ブコメ多数派論調にもおもねらず、独自かつ真っ当な視線を投げかけているような人。

そういう人たちをフォローしたい。

2016-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20160626224953

祝ってもらいたかったというのは、甘い期待だから別に叶えられなくても仕方がない。そこから疎遠になるのも、そうしないのもあなた自由だ。

こういう腐同士の集まりネット上とかでミサンドリー爆発させてると、自分の中でも偏屈な思いが強固になって、自分が不幸になるんだけどね。まぁ、仕方ないよ。自分が選んだ道なんだし。

婦女子あまり関係無いという意見があったが、自分もそう思う。結婚を知らせたら急に疎遠になって、後々独身同士傷を舐めあっている意識だったらしいという事を何となく知ったみたいな話は、婦女子間以外でも聞く話。

すっきり清々して、別の腐ともでも作ったらいいんじゃないの?結婚している腐なんていっぱいいるんだし。

2016-06-10

どうしてナシ婚離婚率が3倍なのか?

結婚式が行えないほど貧乏

結婚式に呼ぶ友人が居ない程度のコミュ力

デキ婚

・親と仲が悪い

自分結婚式なんか…と自己評価が低い

サバサバに見せ掛けた偏屈

ケチ

再婚

結婚した実感が無い

浮気中の結婚のため隠して結婚

ナシ婚離婚としては地方だと「デキ婚」、関東だと「結婚式に呼ぶ友人が居ない程度のコミュ力沖縄県は「浮気中の結婚」が多かった。

記事にするにはもっとサンプルが欲しいので楽天辺りのアンケート頼むか。

2016-05-19

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.目に見えないのに、時に人はそれを悪意ある言葉認識するのはなぜですか。

私が今から君を罵倒するとしよう。

ノロマで、自己中で、嫉妬狂いで、下品で、単純で、恥知らずで、高慢ちきで、ザコで、バカで、無思慮で、腹黒で、キチガイで、アンポンタンで、生意気で、暗愚で、偏屈で、間抜けで、畜生で、変態で、ゲロ臭くて、傲慢で、パープリンで、時代遅れで、臆病で、鼻たれで、童貞で、自惚れで、下種で、短気で、卑しくて、DQNで、かたわで、短絡的で、うどで、クズで、ナチスで、愚かで、汚物まみれで、アホで、私生児で、ナメクジで、怠惰で、ドジで、下劣で、無知で、ノータリンで、クソで、意気地なしで、異常で、包茎で、知恵遅れで、薄汚くて、メンヘラで、ペドフィリアで、薄情で、おたんこなすで、カスで、青二才で、社会不適合で、色欲魔で、中毒で、唐変木で…………疲れてきたので、もういいか

心に響かないだろ?

有名無実な、汚くて強い単語だけでは悪意は付与されない。

例えば、ワードサラダスパムなのは文意がないからだ。

文意がないということは、その文自体には悪意が伴わない。

だが、その文自体に悪意はなくても、スパムによる大本行為には「意図」がある。

まり悪意というものは紡がれた言葉だけではなく、そこに介在する「意図」を感じることによって成立するのさ。

直接的でないから目に見えないが、どこかに意図があればそれは確かに存在する可能性があるということだ。

もちろん送り手の意図だけではなく、受け手がどう感じるかという側面もあるから普遍的ではないがな。

2016-05-02

[]第二回「探偵百合

偏屈自分の気に入った依頼しか受けようとしないため年中金欠だが本人は至ってマイペース毎日を過ごしている年齢不詳探偵と、

両親から相続したビル大家探偵事務所家賃を払わない探偵にいつもイライラしながらも自身の両親が殺害された事件を解決してくれた探偵のことを尊敬しているチビっ娘が、

遂に今までの事件の裏で暗躍していた悪の犯罪心理学者と対決する前日に弱音を漏らす探偵を励ますために、

横に座ってそっと手を握り探偵への気持ちを語る場合

探偵坂本真綾

チビっ娘は新井里美で決まりです!

みんなのキャスティングお待ちしてまーす!

2016-03-20

×1年間に渡って独り身だったのだけれど、恋人ができてしまった。

付き合い始めた切欠けは、告白したでもされたでもなく、あるとき結婚しない?」と言われたことだった。10年来の知人である。後になって訊いてみたら、その当時つきあっていた彼女にふられて挙句相続関係実家問題が起こり、絶縁状態になっていて、何となく言い出したものの「ここで断られたら一生一人で生きていこう」と思っていたとか何とか。私は男性と恋をしたいとはそこまで強烈に思っていなかったのだけれど、ただ家庭を持ちたい気持ちはうっすら存在していて、以前から、どう生きても×2歳あたりまでにはそのへん、やってみるか諦めるか決めなきゃと思っていた。そのとき先方×0歳、当方×9歳。2年前の話。

話を戻したところ、先方が「せっかくだから恋人関係からやってみたい」と言い出して今に至る。数ヶ月前の話である

付き合い始めて真っ先に認識したのは、自分には「男性男性であるというだけで欲情するという感覚がない」ということだった。気づいたときちょっと悩んだ。女性の魅力についてだったらまぁノンストップで三時間くらいは語れる。男性に関していうと、性的にはそこまで強烈に希求してこない。SNS百合の話ばっかりしていると友人に笑われたことがあるし、しょっちゅう男性向けのエロ同人だとか百合系のテキストだとかイラストを漁っているのだけれど、そこは二次元趣味で、「性癖」だとは思ってなかったのだけれど、どうももっと根本的な部分で「女性が好き」だった節がある。そういえば人生最初に好きになった相手女の子だった。
 とはいえ、自分性向について深いこだわりはない。世間的によくある程度の倒錯だ。

恋人について。ある種切実な話として、彼には女装歴がある(私はその頃のことを知っている)。とはいえ、付き合い始めた理由特にそこは関係ない。現在フツーにどっからどう見ても「男性」だし、本人曰く「女装してた頃より10kgは太った」ということだし、まぁ(格好によっては)男前ではあるのかなと思うけれど、典型的フォーマットとして、中性的とかそういうことはない。私は「視覚的に興奮を得るのは女性」という話だけれど、かといって別に男性嫌悪者でもないので、一緒にいたり視界に存在していても、その人が傍にいる、という感覚しかない。「異性への」、というか、セクシャルな高揚、みたいなのは最初から今に至るまで、あまり実感がない。

つきあいはじめ、相手性的に興奮していることに対して、嫌悪や重さを感じることが多かった。性嫌悪的な傾向はとくにないじゃないんだけど、自分がどうこうする話となると話は別だ。その上で許容できていたのは、相手が「話せる」他者だったのと、この人とパートナーシップを構築するのは楽しいかもしれない、という単純な予感があったことがひとつ。もうひとつは、そのひとが単純に「触られても平気な相手」だったからだ。理由はいろいろあるのだと思う。この葛藤をどうにかする価値はある、というおかしな決意みたいなものがあった。

段々と距離感を調節できるようになって、「自分が受容できる/尊敬できる相手に、自分存在を求められている」ということによる承認欲求が充足される感覚、とか、他者承認承認される快感(性的快感とはちがう)、みたいなのを感じられるようになったのはごく最近だ。大きく変わったんは、意外なことに、セックスをするようになってからだった。どうもスキンシップの欲求自体はちゃんと存在していたようで、思いの他セックス楽しいのだけれど、「違う体を持った、受容できて話の通じる他者とあれこれ試すのが楽しい」といった部分が強くて、欲しい、みたいなのは今のところ思ったことはない。今後もないんじゃないかと思う。セックスをしていてたまに、この人が男性で私が女性でよかったのかもしれない、と思うときもある。この人が女だったら別の楽しさがあったのかなと思うこともある。

男性女性を問わず、わりと惚れっぽいというか、「いいな」と思いやすい性分だった。貞淑であるのは気が多いことに等しい。それでも「恋愛をする」コストが賄いきれなくて、長い間恋をせずにやってきた。処女だったことに、周囲とか世間が言うほどには抵抗はなくて(むしろ、例えば童貞であることをアイデンティティの欠陥であるかのように悩む人々を見て不思議にすら思っていた)、相手を選んだいちばんの理由は、たぶん単純に、「一番最初に話を持ちかけてきたのがその人だったから」だった。
 選択は間違えていなかったと思うけれど、決めた相手女性だったとして、それでもそれなりに必死になれた自信みたいなものはある。必死になる、というか、おそらくそれが「愛する」という感覚で、でも、それを知ったのはこの人のお陰で、仮に今後、分かれることになったとしても(だってこの先何があるかなんてわからない)、この感謝だけは絶対に忘れないはずだ。私は人を愛することができる。それは現在で、どのように生きるにせよ、一秒一秒、つねに過去になる。それは刻々と更新されている。その事実が、どれだけ嬉しいことか。

この社会で男であるである、というのは、ある種とても辛いことなのだと思う。自分が「もてない男であることに悩んでいた知人が、30代を過ぎて、どんどん偏屈になっていったのを見ていた(なお、私は縁を切られた)。同世代女の子たちは、自分が女としての生を生きなければならないことにその都度悩みを抱えていた。恋人は、(私の見ている範囲では)社会においてそれなりに有能な人だけれど、折に触れて当時「女の子になりたい」と言っていたのを見ている。私は、外見は紛れもなく女だけれど、ジェンダーロールとしての「女らしさ」をそつなくこなすことに色々な局面で駄目出しをされてきたし、今でもコンプレックスがある。

初回のデートの行き先を提案したのは私だった(そして彼は財布を忘れた)。現在のところ私のほうが収入が低いのと、けっこうすぐ困窮するので、わりとよく奢ってもらっていて(競争で財布を出しているけれど、私は人に奢るのも好きなので偏るのは不本意ではある)、あと、料理は好きなので、それぞれの家に行くことがあったら材料はこっちで用意して作ったりはする。ときどき普通の男女カップルらしい趣になっていて、ときどき、一般的に見たらおかしなことになっていて、それも特に「そうであってはいけない」とも思っていない。それなりに面白い。それは、私のコンプレックスとは無関係に。

付き合っていて感じるのは、「こうすべき」ではなくて、「こうして欲しい」「こうしたい」を相互に伝え合うことの重要性だ。一般的な男だとか女だとかのあれに結果的に近いこともあるし、遠いこともある。けれど、何より、それはとても楽しい遊びだ。遊び、だと思う。意見の相違はたびたび起きているけれど、基本的には、それを調整することもすごく楽しい。怒ってみせる(「みせる」であって、別に本気で怒っているわけじゃないけれど)こともある。情に訴えることもある。でも、そういった駆け引きも遊びの一環で、相手根本否定しないスタンスというのか、その上でやいのやいのやるのは本当に楽しい。この点については、彼氏のほうも同様なのではないかと思う。この遊びができる、ということはとても楽しい。逆に、「こうしてくれるはず」と思って漫然と待ちの姿勢になると何となくうまくいかない。

現実的問題は常に起こる。お金問題とか健康問題とか、これは各自ずっと努力していかなきゃいけないことだと思っている。けれど、男であるであるという重さより前に、「何かが起こる」「何かができる」ということが、ただただ楽しい。男だから女だから、ではなくて、恋人いるから、でもなくて、ただ楽しい配偶者がいる、ということに社会的ステータスが付加される風潮に疑問を感じていたし、今でも好きではない。可能なら、一緒にいてくれる人をそんな風に何かの道具にしたくはない、と思っている。一方で、ふたりで、今の自分たち事実上リア充だよねという話をたまにするのだけれど、でも、「恋人いるから」楽しいわけではなくて、ただ自分たちのしていることが楽しい、という感覚は丁寧に捕まえていたいなと思う。

ろくでもない時間を生きてきて、長いことネット界隈にいると、不幸な話のほうが身近であるように感じてしまうというのか、「楽しい」というのがなんとなく釈然としないのだけれど、ある場所にはあるのだなと思ったりもする。身近な他人の、そういうような話をきいたときと同じように。遠い世界の話のように。

「らしい」愛情表現ができるほうではなくて、「好き、でいいんだよな?」と、よく確認される。
 「好きだよ」と答えるけれど、いかにも恋人がいますというような、どきどきした感じは未だにない。好き、ということに、実はちょっと自信がない。先日母と電話で話したとき、同じことを話したら「つまらないんじゃないの」と言われた。どきどきしたりせつなくなったりしない恋は退屈ではないのかと。
 そんな恋はそんな恋で魅力的かもしれないけれど、今の楽しさと天秤に掛けて、そちらを取れる自身はない。
 恋をしている、実感は、今でもあまりない。でも、選んだのがあなたで良かったし、それぞれ負担にならない範囲模索しつつ、楽しくやるための労を惜しまずにいたい、とは思っている。

2016-03-17

女子力

偏屈野郎なので、女子力って言葉が嫌いだ。

大学時代に出没したその言葉は、流行りだしたら一瞬で世間に広まった。「女子力」と言う言葉は、確かある年の流行語大賞だった思う。そして、個人的に、そんなものはないけど、流行語大賞殿堂入りもしていると思う。とにかく、とかく人は「女子力」という言葉をやたらと使う傾向がある。

女子同士の「女子力高い~」った際は、(男モテ狙いやがって、点数稼ぎ乙)っていう、牽制みたいなトゲが多少はあると思う。多少は。

飲み会の席で気をきかせてこまごまとした雑用をやっては、女友達に「女子力いね」って言われるから、内心(女子力じゃねー、気遣い馬鹿野郎)、と叫び続けた。

女性の「私女子力低いから~」という一言には(社会が求めている女らしい性格とは、かけ離れている)という、妙チクリンなPRと、(多少気を遣えなくても許してね)という甘えが潜んでいる。昔々、それはそれは腐女子界隈ではやった「性別は一応女らしいw」というような言葉たちの真意にそっくりだ。うまく流行語使用して、上位互換した言葉であると言えよう。

一方、男性からの「お前女子力低いよな」は、(俺様が求めている「女」のように振る舞え)という意味が隠れている。

そして、「俺、女子力高いから」という言葉を使うほぼすべての男性言葉の裏には(女々しいことしていると思われたくないから、先手を打って言い訳しとこ)という、社会的に求められている「男」像への言い訳が潜んでいる。男性ケーキを作るのはおかしい(と、思われるのが嫌だ)から女子力高いから」と言い訳をしておく。

要は、男女ともに社会が求めるジェンダー言い訳をしているのだ。女子力とは、言い訳のためにあるのではないか。

女子力、と言う言葉は世の中の「社会が求める男性、あるいは女性のあるべき姿」を荒々しく浮かび上がらせる言葉だ。こんなに男女平等だ、なんだ、と言われている時代に、なんて言葉が生まれたんだろう、と思わずはいられない。

社会が求めるような、「女性らしい人」「男性らしい人」なんて絶対いないわけだし、女子力って言葉はいっそ捨てちまうべきなんじゃなかろうか、と個人的に思う。

2016-03-14

高校卒業した

高校卒業した。

教師はやっぱり偉大だと思う・・・

自分なんかに構ってくれる人間絶対に良い人間から・・・教師基本みんな好き・・・嫌な奴もいるけど

あの先生もとい大天使にもう毎日会えないのかと思うとマジで悲しくなる・・・

まず・・・自分は今まで生きてきた中でいい思い出がひとつもない

なぜなら自分の失態やミス失言、場にそぐわない行動諸々を思い出していかに自分バカでアホかを思い知らされるから

から友達家族旅行に行ったことも遊びに行ったことも思い出ではあるがもう思い出したくないいやな思い出になっている。だから友達からもらった写真は一度も開けたことがない。勇気がなくて開けられない。手紙年賀も一度読んだらタンスの奥にしまって二度と見ない。

・・・捨てないのは、自分がいたという証明になるから・・・結局わがままなんだ・・・

ええと、かの大天使先生とはそういったいやな思い出がない。本当によい思い出しかない

放課後にずっと面接練習に付き合ってくれたり、話を聞いてくれたり、忙しいだろうに、相当自分のために時間を割いてくれた。

そして、なにより、自分バカにしたり、軽蔑するような素振りをいっさい見せなかったのだ・・・そうとう面倒でアホな生徒だったにもかかわらず。

私は誰かが自分バカにしていることがすぐわかる。ふとした瞬間に今自分バカにしているんだな軽蔑しているんだなと驚くべき精度で感じ取る。他人の怒ったり喜んだりなどはわからないくせに・・・

でもその大天使先生からはそれを感じなかった。常に一生徒として私のためを思って接してくれていた。少なくともそういう素振りだった

他愛のない会話も議論も全部面白かったし楽しかった。無理して好かれようとしなくても楽しい会話が続いた。たまにめっちゃ叱られたが厳しいとは感じなかった!!まあ自分が悪かったし・・・

そういうとき友達と話すと安心したが・・・でもやっぱり友達には迷惑かけたり面倒かけた思い出があるので素直に懐かしめない。

大天使最後あなたは先々悩むだろうからそういうときは来なさい。と言った。驚きすぎて涙も出なかった。

恐らく、先生はそう言うと私が意地でも来ないということを見越して言ったのだと思う。

人付き合いが嫌な先生・・・すなわちコミュ障ぎみの先生がそんなことを卒業の日とはいえ言ってくれるとは・・・感動しすぎて死ぬかと思った

これからも思い出はいやなものになっていくだろうし、今までと同じように大半の人間を信用せず生きるだろうが、数少ない純粋に頼れる人ができたことに、とても喜んでいる

中学ときに死ななくて本当によかったと思っている。辛い時に思い出せる人間ができるというのはほんとうにほんとうにありがたいことだ!

追記:

ああ・・・いざ大天使先生を訪ねたときに、邪険にされたらと思うとぞっとする・・・

そんなことはないだろうけど・・・

でも、信頼している人に裏切られたような気持ちを抱くというのは誰にでもある話だ

先程、いっとき険悪だったが、今では仲が修復したはずの両親の、醜くて冷たいいやみったらしいやりとりを見て、ああやっぱり安心しちゃいけないんだと思った・・・

絶対のゆるぎない信頼をおくことほど危険なことはないのではないかと

愛しあい子供をもうけたふたりが、10年後に恥ずかしげもなくいがみ合い、貶めあい子供に互いの悪口を吐くこと

こんな恐ろしいことが起こってしまう、それも自分の親に

困ってどうしようもなくなって、万策尽きて、いざ頼る人がかの大天使だけになったとき、それが一番危険状態なんだよ・・・

ある大人に頭でっかちだと言われた。だけど、だったらどうすればいいんだ?

何も考えずに楽観的に考えることができないから悩んでいるのに!!!そんなこと言われたって、何の解決にもならないんだ!!!

から、今のところ、少なくともあの大天使先生は私のことを考えてくれているということにしておきたい

やっぱり大天使教養があり、偏屈で、自分と少し通ずるところがあり、ものを教え、信頼に足る、素晴らしい人物なのだから

あなたはまだ若い、果てしない未来があるんだから。と言った先生

え、でも先生にも未来はあるでしょう。と言ったら、わたしはもう短くなりつつあります。と事実を述べた先生

しばしば自分能力の低さとかバカさアホさに絶望するが、未来があるんだと無理矢理にでも思うと楽になる。先生が言っていたことなんだからと。

先生に報いる方法は、自分がやりたい方面で満足の行く結果を残すことだ。

そして、頼れる人を増やしていきたい

きっと何十年もかかるだろうが、生きていればきっと見つかるはず。夢に向かって生きていればきっと大丈夫

2016-03-07

昨今の地方輝く人材育成ってやつ

それは、東京世界で認められなくても地方でなら何とか認められるような人材を育成することであり、これまで地方ではどうやっても認められなかったような、地方から出て行くしか無かったような人材を、いい加減認められるようになりましょう、という、偏屈田舎者どもに対するメッセージなので、まああんまり良い結果は得られないと思うし、やっぱ出来るヤツはさっさと都会に出て都会で成功して田舎を捨てるのがいいと思った。

http://anond.hatelabo.jp/20160307170108

日本マジョリティである中高年以上の世代にしてみれば、結婚できない事情というのが想像範囲外にあるから結婚できない=(できるのに)結婚しない変人人格問題がある、と脳内変換される。

少し前に放映されていた『結婚できない男』というドラマがそういった世間偏見を如実に描いていたよ。主人公は超ハイスペ男だが、偏屈性格女性を避けるといった有様。

2016-03-06

理系の何が馬鹿かというと

理論重視で現実認識能力がひどく低い

認識できたとしても、それを変更するための能力に全くもって欠ける

といったところだろうか

理系に進学したなら、それを活かす企業の活かす職種につかない限りは

ただの要領の悪い偏屈な元優等生しかない

2016-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20160302154913

こういう話が盛り上がる様は知性の堕落だ。きのこたけのこ論争や犬派猫派なんかと同じだ。一見ファイティングポーズを取っているようでいて、その内実は当たり障りのないどうでもいい事だ。みな「そんなの勝手でしょ」で消化できることが暗に分かっているから、空気を読んで安易にノってしまう。そんなぬるま湯に浸かる姿勢は、はてな匿名ダイアリーを愚弄している。もっと人間の心の闇、ネットの闇に切り込む鮮烈な一閃のようなエントリを書くべく、みなが知恵熱を出すべきだ。角が立つような物言いもするだろう。そのための匿名なのだ。その思想を茶化してスカしてみせるような、日和ったネタ、短文のイチャモン、それらは存在してもいいがメインになるべき器ではない。

増田は遊びではない。仕事につかれた人間息抜きにやるしょうもない作業ゲーの如きものに成り果ててはならない。試行錯誤を繰り返し最適パターンを見いだし、体に刻みこむような、そんな本格的ゲームのように、どっしり腰を据えて、マジになって、世の中や人間に対して、怒りや憎しみや不満を大いにぶちまけてほしい。別に議論にしなくていい。建設的でなくてもいい。狭窄で偏屈な主張でいいから、ただただ本気の筆致を感じる文章を読みたいし、書きたい。少なくとも自分にとって、心に残った増田はすべて本気の熱を感じるものだった。

この論にべつに共感してくれなくてもいい。どうせこのエントリブクマトラバも0だ。あってせいぜい「キモっ」だ。そもそも長文で、しかトラバである時点でまともに読まない人間が多いだろう。暇を持て余したニートが何かほざいてる、とでも察されて、「触れちゃいけない人」感を全員が感じ取り、協調するように何事も起きないままネットの海に埋もれていくのだ。そういう孤立的な状態や無反応を極度に恐れる空気があるから、くだらなくても何か盛り上がるネタや、他人をひっかけるレス乞食のような物言いをする人ばかりになっていく。そして自分の尖った体系的な意見を表に出せる人が極端に少なくなる。言えてせいぜい、感情的な短文の罵倒だ。twitter想像してもらうといい。これが現代コミュニケーション病理であり、他愛無い話がぐんぐん伸びて幅を利かせる理由だ。たまに飛び出る長文ブログがやたらと炎上する理由でもある。だからあえて今ここで、孤独醜態晒す。「空気を読まない」を実践する。そんな訓練ができる場が、ここなのだ

実際この論がかなり偏屈で、他人に無茶を求めていることは自覚している。けれど、世の中にあふれる偏屈を見て見ぬふりして、なあなあにしていると、気づくと自分も何らかの偏屈思想を一部取り込んでいるものだ。そしてそれに無自覚でいる人が多くなると、ついにはヒトラートランプ氏のようなポピュリストの主張が支配的になるような事態に結びつく。だから自分の中の偏屈の種をさらけ出し、また他人がひり出した偏屈の種に向き合って、大真面目に思いを馳せ、「我がふりなおす」時間が大切なのだ。実は、そんな意識は誰しも持っている。誰もが日常のなかで他人の偏った主義主張に触れ、無意識のうちにメタ視点を持っている。だから他人の考え方につっかかって、自分の中で醸成されたバランス感覚披露したくなる欲求は常にあるのだ。

元増田も、そういう欲求からまれものだ。けれど、下手だ。欲求の発散のさせ方が下手。いや、逆に上手すぎる、適応しすぎているのか。当たり障りなく、適当に手短に欲求を発散させ、かつ反応を引き出しやすいやり方を心得ている。それでもやはり、欲求を満たす機会と時間を、こんなチャチなテーマで消費してしまうのは実にもったいない。「いいや、どんなテーマでも大真面目に普遍化して思考訓練の材料にすることは可能だ」という向きもあろう。でもエビ嫌いdisとカキ嫌いageというテーマで本気になれる人がどれだけいるだろう。それを配慮すると、やはり最初からハードコア話題を振ったほうが良い。でも大仰なことを書こうとするほど、言い出しっぺにかかる期待と責任は増していく。ここが難しいところだ。本気の増田が求められるほどに束縛感が増して、萎縮を招く。でもある程度そういう風でいいと思うのだ。緊張感が大事だ。

不愉快正論やご大層な暴論の刃をぶつけあう、殺伐とした場になれるポテンシャルがある。2chよりも。それが増田だ。増田には半匿名twitterに馴染めなかった人の受け皿としての側面があるのも分かるが、せっかくダイアリーという形で長文が書けるのだから、たまにはあなたにもこういうクソみたいな長文を書いてほしい。この文章のように、推敲もされておらず、同じことを言い続けた挙句言い逃げする時間泥棒のような文章で構わない。私は読んであげないけどね。

追記:

やはりというか最後の2センテンスが理解されなかったようなので、ロックじゃないけど言っておく。文章の中段で書いたように、他人に反応してもらうためではなく、まず自分のために書いてほしいんだ。だから、読者への配慮すらも気にせず、拙い文章でもがむしゃらに書いてほしい。私は読んであげないというのはツンデレのようなもので、誰かに読まれることを期待するような媚びた精神を振り払うための呪文だ。内なる情動から湧いてくる言葉をガーッと綴るときに、自分がどう思われるか、誰に読んでもらえるか、なんて視点は一旦置いておかねばならん。エクスキューズポリティカル・コレクトネスを脇における機動性が匿名の良さなんだから。それこそ、真意を伝えるためには自分が憎まれるような言い方だってできる。それが、最後皮肉意味だ。

追記2:

「改行くらいしないか」と言われているので前々から思っていたことを書く。増田における改行はpタグの挿入を意味する。つまりパラグラフ区切りたい時に改行するのが正しい。二言三言の簡潔な文章エントリなら1センテンスごとに改行…という名の段落分けしたほうが見やすいだろうが、このくらいの長文になるとパラグラフごとに改行すべきだ。個別ページでみれば、ちゃんとパラグラフごとに字下げと適切なマージンが取られているのが分かる。これなら一般書籍と似たスタイルで、読みにくいとは思わないはずだ。ただ、トラバの吊り下げリストを展開した表示だと字下げもマージンも取られずに見づらくなる。それは承知しているが、それははてな側の問題であって、HTML妥当な書き方をしておいたほうがベターだし保守性もいいだろうという判断でこうしている。だから現状、トラバが長文だと思ったら個別ページを開いて読んでもらうのがいい。

追記3:

最後うんこ漏らした話で締めるのが美学」? それは、このエントリ表現を変えながら主張してきた内容に反する。本当に読まれたのだろうか。まあそれに憤る気はない。私の技量問題でもあり、読み手にとって巡りあう時ではない文章だったという事もあろう。いずれにしろ主張は変わらない。そうやって読者受けを狙って媚びたおちゃらけで締める事こそ、惰弱精神象徴。そういう内輪ノリみたいな軟派なコミュニケーション欲求を排して、最初から最後まで舌鋒鋭く自分言葉で斬りつける。それが私の思う美学だ。ブコメに応えている時点でそれも揺らいでいるが、コミュニケーションを第一目的とするわけではないからあえてidコールもしていない。書くことで自分を研ぎ澄ませるのが目的から本来は「伝わらなかった」ことに苦慮する必要もないのだ。ならローカルメモ帳でいいという批判もあるだろう。だが、あえて直接的に反応を見ない等と決めていても、自分の残したミームの一部がどこかに化学反応を起こしたら、と考えるとワクワクするだろう。それを物書きの動機付けにする程度なら、良いことだと思う。

なぜそこまでコミュニケーションを、他人の反応を忌避するのかと思うかもしれない。その理由は、効率が悪いからだ。ネット上の他人は年齢も育ちも見識も人格もあまりにも多様すぎて、その差異カバーすることに労力を使っているとアウトプットの量も質も落ちるからだ。とかく我々は、相手自分と同じような能力規範を持っていると勘違いやすい。だからいちいち説教して回りたくなるものだが、その欲求のために個別相手をしていたらすぐに人生を使いきってしまう。だから、言いたいことがあったら、このエントリで述べてきたように、増田を利用した放言スタイルで重量級のをカマしてみてはどうか、という話だ。

2016-02-15

今までさんざんに心が病んでると言われてきた自分が一番まともな件

特に10から20代にかけて、「病んでる」「変わってる」「偏屈」「気難しい」などと言われ続けてきた。

おそらくは周囲にあまり迎合しないことが原因だと思っている。

問題点があれば向かい合い、人とぶつかろうと解決を優先してきたのだ。

自分にしてみれば、こだわりや意地を簡単に曲げてでも周囲と合わせようとする人間のほうがずっと危ういと思い続けてきた。

結果40にもなって周りを見回してみれば、そうして自分を欺いてきた人間たちは皆一様に心に闇を抱えている。

それはそうだろう。

今までこれでもかというほど色々なものにフタをし続けてきたのだ。

見ないふりしてきたものが幾重にも層になり腐敗して混ざり合っているような状態だ。

そんなものをはちきれんばかりに抱えているのだから、ほんのちょっときっかけですぐに溢れだしてしまう。

それなのに尚、仲間が大事だとか家族大事だとかいいながらまだ迎合主義でいようとしている。

これからは体力も精神力も衰えていく一方だ。

これ以上に溜め込もうものなら、取り返しの付かないような膿溜まり崩壊が訪れてしまうことだろう。

そうしてわかったことは、まともな大人の少なさだ。

問題と正面からかい合うことをとうの昔に諦め、自分に都合のいいものばかりで身を固めている。さながら死してカビをまとうメダカのようなものではないか。

どれだけ情報制度流通速度が上がろうとも、結局はそこから導き出される真実から目を背けたい人間が大半なのだから、世話がない。

大人の言うことは聞いてはいけない。彼らは自分の都合のいい情報しか持ちえていないからだ。

2016-02-03

記憶はあてにならない

久しぶりにマスターキートンを読みたくなったんだけど、あの漫画短編集なんでストーリーの当たり外れが多い。特に後味悪い回を読むのは嫌になる。(村人が全員悪者の仲間とかそんなやつ)

つーわけで一番気に入った回だけピンポイントで読みたくて、友達うろ覚えの内容で尋ねてみた

貧民街で足の早い奴が出てくる

そいつ師匠の爺さんが、実は大物で、身分を隠している

・印象に残ったキーアイテムは靴。タイトルは「靴とスニーカー」だったと思うけどググっても出てこないんで違うかも

で、導き出された答えはタイトル「ファイア&アイス」、2巻で読めるエピソードだったらしい。

改めて読んでみると思い出と全然違うのな

・足の早い貧民街のやつ、なんとなく女の子だと思ってたけど男だった。そして思った以上に出番が少ない

師匠の爺さんが思ったより偏屈。なお重要人物爺さんは二人出てくるんで、もう一人の印象と混じった模様。こっちは罪悪感に苛まれるだけの普通の善人

・靴はキートン武器に使ってた。スニーカーじゃなくて革靴。「靴とスニーカーって同じものじゃねえかよ」って突っ込まれたけどそりゃそうだ

・読後感は思ったよりよくなかった。まあいい話だけど偏屈な方の爺さんちょっと可愛そう

思い出補正マスターキートン名作っていう評判に影響されて意外と良い印象に改変されていたらしい。

記憶はあてにならない。

2016-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20160115141433

クレーマーはみな自分クレーマーであることを自覚している。

から、往々にして相手を一部持ち上げることで自分クレーム行為(という体のオナニー)に免罪符を与えようとするのだ。

「好きだから、ファンだから、期待しているからこそ批判する」。そう口にだす人間はこの世で最も卑しい部類の人間と思ったほうがよい。

もちろん本当にファンで、かつ客観的妥当批判をする人もいるが、そういう人は弁明を挟んで自分の体面を保ちながら批判したりしない。

から、弁明を挟んでいる時点でそれはエゴの混じった、自分の中だけの狭窄な正義にもとづく主張であると断言できる。

少なくとも、弁明を受ける側は大抵そうした気配を感じ取る。増田諸氏もゆめゆめ偏屈クレーマーにならぬよう。

2016-01-10

「この世は容姿至上主義」に関する個人的な雑感

容姿が悪いと人生ハードモードだという。

男性言わずもがな女性はなおのことだと。

私は、それほど容姿に関してのハンデを背負わずに生まれたと思う。

目鼻立ちがはっきりしているし、骨格に大きく目立つ欠点がない。

容姿で金を稼げるレベルにはまったく及ばないので、そう人様に自慢することもできないが

高校ときに知らない学校男子告白されるとか、

仕事関連でかかわるおっさん方がちょっと優遇してくれるとか、その程度。

だがモテるかといったらさほどモテない。アラサーになった今でも、前述の見知らぬ男子の件を覚えている程度に。

両親は私をハンデなく生んでくれたが、いかんせん私の育ち方が偏屈で暗くていわゆる陰キャラであった。

(今も休日の真昼間から増田に入り浸っている)

この年齢にいたるまで恋愛経験はまったく豊富ではないし、あんまりいい思い出もない。

おっさんにちやほやされるのもありがたいと思えない。

しろ自分仕事が適正に評価されていないのではないかと言う不安におびえる。

ただ、ネットでこういうことを言うと「うるせーお前みたいな“恵まれた”奴が喪女ぶるんじゃねえ」と怒られるし

美人サイドからも「結局その程度ってことでしょ、本当の美人なら~」みたいに言われることが目に見えてるので、基本黙るしかない。

翻って、既婚の私の友人がいる。

学生時代から付き合っていた男性結婚し、

盛大ではないが人柄の伝わるような、温かくてすてきな結婚式披露宴を挙げた。

その結婚式が本当にすばらしく、とくに新郎から新婦に対する手紙の読み上げの段では

「うらやましい、あんなふうに愛されたい」と同テーブルの女子大号泣であった。

旦那さんは穏やかな人で、やわらかく静かにしゃべり、しかし人好きがして、お料理が好きで、

人夫婦はふたりで台所に立って凝った料理を作っては我々非モテアラサー友人集団に振舞ってくれる。

さて、その友人であるが、友人としての贔屓目を振り払ってはっきり言うが、容姿は、よくない。

一重で、癖毛で、肥っていて、服もいつも毛玉のついたトレーナージーンズといった感じだ。

だが、めっちゃかわいい

何がかわいいかと言うとうまくいえないのだが、ひとつエピソードを上げるなら

友人グループ旅行した際、私一人だけ諸事情で別便で向かうことになった。

皆がワイワイと往路を楽しんでいる頃、私が一人でぼんやり新幹線に乗っていると、その友人から連絡が入った。

「今どうしてる~? 増田いないとさみしいよー」

…………めっっっちゃくちゃキュンとした。

私が男ならアレで落ちてるレベルでキュンとした。

から、私は彼女が友人グループいちばん結婚したことをまったく不思議に思わない。

壇上で、ドレスに身を包みケーキカットをする彼女は、痩せていなかったけど、一重だったけど、すごくかわいかった。

かわいかったのだ。

容姿大事だ。半端に“恵まれた”私がわからないつらさも多分あるのだと思う。

でも、それがすべての決め手になるほどに強いカードではないのではないか、とも、思う。

----------------

追記。いくつかのブコメに。

結果的容姿の劣る人叩きになってる。

それは「容姿の劣る人は基本的に不幸(だが、愛嬌しだいで克服できる)」と私が考えていなければ成り立たないが

私の感想はそうではなく「容姿恋愛人間関係などに関して、言われてるほどタイトな相関はないのが実態では」というもの

なので、別に容姿の劣る人叩きではない。

「すべてを容姿のせいにしている人」叩きではあるかもしれない。


文章から漂うモテ結婚至上主義のほうが気になる。

恋愛結婚容姿けが全てではないし、恋愛結婚けが幸せの全てじゃない。

後段、まったくそう思う。

このエントリがどうしても恋愛結婚の話に傾いてしまったのは、多分に話題自体親和性問題

「おまえが恋愛結婚至上主義なんだろう!」という指摘に対しては、

「エー…いやー正直全然そんなことないと思うけど…まあどうぞ好きに解釈してください…」という感じ

>「今どうしてる~?増田いないとさみしいよー」というやりとりって女子同士の間ではごく普通のことだと思う。

まじかよ。私はそういう友人関係あんまりしたことないと思う…

高校生とかならあるかもしれないが、もういい年で件の友人とはもう随分付き合いも長いので社交辞令やってもしょうがない。

別に一人で別便合流も寂しいとも思ってなかったけど、不意に気にかけてもらえたことはほんとにうれしくて自分もびっくりした。

幸せそうな友人がいかに不細工であるか言いたかっただけなんちゃう

>まあ自分よりブスがみんなに祝福さてるのを見ると悔しいのは分かる。

自分より不細工な友人が結婚したので、容姿がすべてじゃないと悟った?何様だよ。

「友人が結婚した」→「容姿がすべてだと思っていたのに、そうではないと知った」→「増田に書き記した」訳ではなくて

増田で、容姿がすべてだという言説を目にした」→「いやそんなことないよと思った」→「身近な反例として友人と自分の例を挙げた」である

容姿が人によっては非常に重大な問題なことは知っているが、私個人にとっては、言ってしまえば「たか容姿」だ。

そんなもんで見下すようならそもそも何年も友人をやっていないし、なにより向こうがお断りだろう。

>友人の旦那さんの外見に関する描写がないが、恐らく友人と同じく見目麗しくはないのだろう

フツメンです。

容姿は何より重要なわけじゃない」って主旨の記事で、自分と友人以外の人の容姿には触れる必要もなかろうと思ったんですが

なんというか、だからといってこの決め付けられ方を放置するのもどうかと思ったので書きますが、

清潔感があって、表情が穏やかで、服装髪型は年齢相応に今風のフツメンです。

>その他、増田に関して、文中に書いてないことを推測し、それをもとに叩いたりアドバイスしたり応援したりしてる方

ご覧になってるの、多分、私の文章じゃなく鏡ですよ。

2015-12-25

[]大久保圭「アルテ」4巻

★★☆☆☆

あらすじ

高級娼婦ヴェロニカに、偏屈じじいウベルティーノへの対処法を教えてもらったお礼の個人的肖像画プレゼントするアルテ。

館を去るときイケメンと目が合う。

その正体は、ヴェネツィア貴族ファリエル家のユーリ

アルテを見初め、ファリエル家の肖像画家として働いてほしいということと、わがままユーリの姪の家庭教師をしてほしいと工房を訪ねてくる。

今回断っても力さえあれば仕事ができる機会は必ずくるという師匠レオ言葉を受け、一度はユーリの申し出を断るアルテだったが、

レオの友人であり妊婦でもある寡婦ルザンナの苦境を救うべく、条件付きでユーリの申し出を受けることにするのだった。

感想

うーん・・・

なんかうまくいきすぎと都合よすぎってので相変わらず釈然としない・・・

元気に頑張る女の子が見れればいいって作者は前に書いてたけど、ほんとそれだけって感じ・・・

元気があればなんでも解決できるみたいな。

ストーリー展開も行き当たりばったり感が強くて、そろそろボロが出てきた感じがして残念。

描写は緻密だし時代考証もやってるみたいだけど、肝心のマンガ微妙だとあまり意味がない。

2015-11-10

ゲ/ス/ト/ハ/ウ/ス/大/っ/嫌/い/

お客さんに罪はない。

女店主と従業員長期滞在してる客が最悪。

何人かの韓国人我が家のように長く住んでたけど全員からセクハラされました。

でもそいつ従業員には子犬みたいな顔していい子ぶってから

女店主も女従業員馬鹿みたいに可愛がってた。

一度布団に押し倒されそうになった時はされる前に大声出して威嚇したんですよ。

従業員が駆け付けたんです。

静かにしなさいって怒られただけで

何も心配されませんでした。

本当に味方がいないんだなって思いました。

まともだと思ってた男従業員相談したら怖い・・・しか言われませんでした。

弱すぎる。

夜の10時ごろに女店主から公園花火しようって提案がありました。

時間帯に不安はあったけどその地域のことよくわからないし、

普通なのかなって客とみんなでついていきました。

案の定おまわりさんに注意されて身元確認されました。

お客さんはほとんど外国人でどうしていいかわからない模様。

そのとき女店主は何をしていたと思いますか。

だんまり決め込んでました。

こういうときは何も知らない外国人のふりをするのが一番とのこと。

もちろん宿の経営に影響があるからです。

なぜかお客さんの一人が身分証を見せて謝って花火お開き。

さぞかしお客さんの不信感が募ったでしょう。

掃除は徹底してるとかで、見た目ばかり頑張ってるけど

除菌とかあんまりしてないから雑菌はすごいと思う。

理由の一つにフランス人きもいおっさんがいたんですよ。

なんできもいかって?

童貞でいつも指しゃぶってるしトイレ出てからよく手洗わないしワキガから

性格偏屈で嫌いな奴、好きな奴への態度の差がすごい。

見切りをつけたある出来事は、

フランス人が紙で指を切ってブッシャ―してるときに患部を見せつけられたか

怖いからやめてって言ったんです。

そしたら君は月に一回見るから大丈夫でしょ^^^^^^って言われたんですよ。

意味わかります???^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

しかも極めつけに、関わらないようにしてたはずが告白された。

適当にはぐらかしたらキレて即刻facebook友達から削除されておもしろかったです。

半々ある良いこと悪いことの

後者抜粋した。

2015-10-25

彼氏とぎくしゃくする

未成年の頃から、一回りちかく年の離れた男性とお付き合いしてしばらくたつ。

中高生ときは私の家が結構荒れていたりして、不安定なときも年上の彼がお兄ちゃん代わりになってくれたことが本当にありがたかった。

勉強手取り足取り教えてくれて、おかげさまでそれなりの大学にいけた。

優しくて頭が良くてノリもいいから友達が多くて、私みたいに不安定な子もたくさん寄ってきている。特に若い女の子

きもちを焼くこともおおかったけど、彼は頼られるのが生きがいみたいなかんじのひとで、やだって伝えてもなおいろんな人の世話をやいてる。

約束をほったらかして女の子相談電話に3時間つきあってたとか言われると、さすがに気が滅入る。

今日も、「土曜日家に行くね」って約束してて彼氏んとこで仕事から帰ってくるの待ってたら、「○○から誘われたか今日はそっちにいくよ」と夜ご飯時間になってから連絡が来た。

彼がどんなにいい人であるはいくらでも説明出来る。ホントに優しい人。子どものまま大きくなってしまったような人。

でも、当時からわかっていたことではあるんだけど、あまりにも年下と付き合ってるって時点でヤバイ

出会った頃の彼の歳に近づいてきてやっと確信した、彼はダメなおとなだ。

お互いに結婚を考えているけど、彼は家族にさみしい思いをさせるんじゃないのか?とおもう。

それとも、今私がさみしい思いをしていることとは全く性質の異なることなんだろうか?考えすぎなのか?

交友関係も広すぎて、一時期彼と彼の女友達が肉体関係にある妄想がとりついて気が狂いそうになった。

私の父が全く友達のいない偏屈人間だったから、そうじゃない人と結婚したいと思ってたけど、こういうこともあるんだな。

彼が元カノとの思い出を大切にするように、私のことも今大事にしてほしいと本気で思ってしまう。

家族第一にしてくれそうな人とか、そうでなくても「そういう」風に演出してくれる嘘の上手い人とかを、探した方が良いのかなあ。

そんな都合のいい人と釣り合えるほど私自身が立派な人間でもないから、離れられそうにもないし、ただ辛くてさみしい夜は長い。

私も誰かのために優しくなりたい。彼氏にももっと優しくありたい。

追記

おっさんでも創作でもないです・・・・・・

ここに書き込むのはじめてなので勝手がわからすみません

創作ならどんなによかったかと思います

普通に世代男の子と付き合ったりしてみたかったよ。

サークルの先輩と付き合ったり楽しそうだし。

人に恋愛相談とかできずにここまできてしまたから、どうやってこの気持ち言語化して伝えたらいいのかわからないのが悩みです。

2015-10-19

叩かれまくった白犬くんは涙こぼしながら必死否定するのであった。。。ちょうウケる

躊躇われる 躊躇い

匿名ネットはとりわけ偏屈ネガティブ思考回路が増幅・増殖していく世界直視するのは普通感覚では躊躇われるようなもの

http://anond.hatelabo.jp/20151019095648

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん