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はてなキーワード: 偏屈とは

2017-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20170402103252

nイコールいくつの話か知らんが、そいつらは教師じゃなくて芸術家から

美術教師ってのも大概にして偏屈が多いな。芸術家肌じゃないとわからない世界だわ。逆に、1%でも芸術家肌の性質を備えてる人には、なんとなく教師側に共感してしまものがある。

2017-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20170318193745

ふつうなら、「鉛筆削り買いに行け!」って言うだろう。

から「ない」んだよ

このたとえ話の世界に「鉛筆削り」なんてものは「ない」

マジで包丁しかない世界なわけ

料理人とやらの苛立ちの原因はそこにあるんだよ

自分が「ある」と思ってるものを全く示せない

おそらく世間の大半の人間料理人の言う事を信じてないよ

鉛筆削り買いに行け!」なんて言っても「偏屈料理人がまた妙な事言ってんな。『エンピツケズリ』?何だそりゃw」くらいしか思ってない

2017-03-05

気持ちを素直に表現できない人」を総称する表現ってなんかある?

意地っ張りだったり、気にしすぎだったり、

天邪鬼だったり、恥ずかしがり屋だったり、理由の如何は問わず

気持ちを素直に表現できない人」を総称する表現ってある?

造語でも、初見意味がわかれば問題ないんだけど…

強情、偏屈へそ曲がりシニカル、ひねくれ、コミュ障…など、

気持ちを素直に表現できない人の総称」ではない(理由限定的)のは

いくつか思い浮かぶんだが…。

追記:

思いついた中で、一番近いのは「(精神的)不器用」。

2017-03-01

堀北真希が好きだった

初めて好きになった芸能人堀北真希だった。

一番最初堀北真希を見たのは「野ブタ。をプロデュース」だ。

当時の僕はJ-POPドラマなどの、いわゆるスクールカースト一軍文化を何一つ見ずに、インターネットゲームに傾倒していた偏屈小学生だったから、皆の会話についていくために見始めたドラマが「野ブタ。」だった。

途中から見始めたし飛ばし飛ばしだったからか、内容は全く覚えていない。しかヒロイン女優堀北真希って名前なことすら知らないまま視聴していた。ただ青春アミーゴは未だにカラオケで誰でも分かる共通言語になるからドラマ自体にはすごく感謝している。

そのドラマ視聴の延長で見始めたのが「花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜」だ。今度は1話からきちんとストーリーを追って視聴した。

イケパラで僕は堀北真希が好きになった。

自分の好みどストレートな顔と雰囲気で、演技の腕や性格などは度外視だ。

毎週食い入るように堀北真希を見た。「ロングの子のほうが好きだったけど、ショートカットかわいいじゃん!」なんて思いながら毎週見た。

野ブタ。で身につかなかった毎週決まった時間テレビの前で視聴する習慣が、イケパラではできた。

毎週オープニングのイケナイ太陽を聞いて堀北真希にひとしきり興奮し倒してからPEACHを聞いて眠っていた。

大したことじゃないかもしれないけど、初めて芸能人にハマっていた。

でも好きになったこと以上に重要なことがあった。

堀北真希を好きになると「好きな芸能人は誰か」という質問に答えられるようになる。

上にも書いてある通り、僕は本当に芸能文化に触れずに育ってきた。今であれば平野綾!って答えるとかで開き直ってやることもできたが、イケパラ放送時の10年前はまだ「オタク」に根強い偏見があった時代だ。僕のオタク趣味はバレないようにひっそりと活動していた。

皆の会話についていきたいものの、全く芸能に興味がないしそもそも知らないので話題に乗れなかった。

興味がないから知らないことに関してはどうでもいい。けれど小学校高学年頃になると生じてくるスクールカースト、その振り分け位置知識不足で下位になっていく感覚には結構ヒヤヒヤしていた。(それ以外にもスポーツをやっていないとかいろんな要因はあった)

でも、一念発起して見始めたドラマ堀北真希のおかげで放送日の翌日には「昨晩の〇〇面白かったよね?」という話題に入ることができた。

堀北真希のおかげで「好きな芸能人は?」と聞かれて「堀北真希かな」と答えて「あ〜そんな感じするね」という会話をすることができた。

堀北真希と応えるだけではバリエーションがないので、堀北真希に顔が似てる人という理由志田未来名前も挙げたことがあったような気がする。

堀北真希を通じて様々なコミュニケーションを取ることができるようになっていた。

イケパラ放送から10年、その間に堀北真希が主演の何かを見た記憶は全く無い。

というのもイケパラ以降ドラマを見ることが無かったからだ。多分開き直りの境地に達したんだと思う。

けれど好きな芸能人は?というコメントにはその都度「堀北真希」と返すことができた。

長いこと築き上げてきた堀北真希好きキャラのおかげか、結婚報道があった時には友人から大丈夫か?」ってLINEが送られてきた。その時の僕は「今死んだら堀北真希の子供に生まれ変わるんじゃないか?」というツイートを見ていた。

僕にとって堀北真希好きな芸能人なだけではなく、コミュニケーションツールだった。

芸能に全く興味がないマイノリティな僕を、マジョリティ側につなげるものだった。

小学校中学校高校と、geek趣味がない人と会話する時には常に助けられていた。

堀北真希は昨日を持って引退した。幸せな家庭を築くためだそうだ。

世間堀北真希という芸能人を忘れていくだろう。会話にもメディアにも出てこなくなった人間コミュニケーションに登場しない。

僕らの子供の世代にも伝わらない女優になる。

でもしばらく、僕は好きな芸能人を聞かれたとき堀北真希と答えるつもりだ。

芸能人としての活躍は端からろくに見守っていないけど、コミュニケーションツールとして使わせてもらった感謝は忘れない。

感謝を持って堀北真希世間から忘れられていく寂しさに、少しだけ抵抗してみようかなと思う。

その一方で幸せな家庭を築けることも強く祈っている。

堀北真希さんありがとう。今までお疲れ様でした!

2017-02-17

挫折を知らなかった僕が車学で初めて挫折を味わった話

はいい子だった。人から見れば。

勉強もできないわけじゃない。偏屈なわけでもない。誰かをいじめてもいない。話もある程度できる。友達結構いる。高校生に求められているものクリアしているつもりだ。

から、僕はここ1年くらい怒られなかった。それが普通だった。

努力すれば勉強は出来た。しかもそんなに努力しなくても出来た。授業を聴いていればギリギリ全部理解できたからだ。

車は違った。一度は失敗しないと出来なかった。でも出来たのだ。前回までは。

今日はバックと切り返しをやった。難しい。タイミングが全くわからなかった。先生に叱責された。

「なんでできないんだ」

はい

なんで出来ないのか、それは知ってる。タイミングが合ってないし、パニックに陥っていたからだ。でも、上手く言葉にできなかった。

50分、成果を上げられずに終わった。先生は「バックは確かに難しいよね、まあまだ次がある、始めたてで出来る人はほぼいない」

その時ふと思った。僕はずっと「出来る側」の人だったのだ。挫折だ。これが挫折か。カラッカラの口で、ありがとうございましたと言った。

気が付くと、僕は泣きながら自転車を漕いでいた。P-modelの「Cyborg」を歌いながら。

”あきらめにいこう”

2017-02-05

勉強することで得るもの

http://anond.hatelabo.jp/20170204225930

 

これ読んで考えたけど、やっぱ勉強はしておいたほうがいいなあって思うんだよね。

自分田舎公立高校出身で、受験に対する姿勢勉強に対する姿勢も弱い環境だった。

親も高卒だし、大学東大京大しかしらなかった。

それが高3のある日、友達勉強勝負しようってなって、そこから勉強するきっかけを得て、旧帝大に受かった。

まあ東大に比べれば大したこと無いけどね。

ただ、本当に偶然学歴を得たと思うんだ。

そういう意味では、以前話題になった「高学歴の世界」と「低学歴の世界」の両方を何となく見てるので、

私の意見が参考になれば幸いです。

 

勉強しない層の価値観だと、勉強しなくても金持ちはいるし、コミュ力の方が大切だと思われている。

これは実際間違ってなくて、高学歴でも就職してから技術職であってもコミュ力がモノをいう環境の方が多いだろう。

高卒でもアパレルコンサル飲食起業して稼いでいる人もいっぱいいる。

厳密な知識学問があまり重要で無い分野では、正直学歴なんて必要無い。

勉強で言えば読み書きそろばんができれば十分だ。微分積分行列群論複素関数なんて一般の人は使わない。

から自分生活していく」ことを考えれば、別に勉強なんて不要だ。

幸せかどうかも周囲との相対的ものなので、変に優秀な友達ばかり作るとかえって幸せに感じにくくもなるだろう。

 

だけど、それでも勉強はしておいたほうがいいと思う。

 

1つは、論理が通じる集団に属せるということだ。

元増田の娘は頭がいいだろう。論理的物事を考えることができる。

その場合、周囲に論理が通じないとストレスが生じやすいと思う。

こうすればみんな幸せ、こうすればもっと良くなる、なのになんでしないの?

なんて考える機会が圧倒的に減る。

理不尽に声出しさせられたり、嫌いな人を家族愛でつつめ!なんてわけのわからないことを言われないで済む。

泣く子と地頭には勝てないというのは、論理対処しようとしない集団には論理は無力であることをうまく表現している。

から自分論理的な行動を大切にしてしま場合論理的集団所属することが幸せになる重要な条件となる。

 

2つ目は、たくさんの人を幸せにできる力を得ることができることだ。

自分けが幸せでいいなら不要かもしれない。

だが、多くの人を幸せにしたり、世の中の理不尽を減らすには、いろんな知識必要となってくる。

発想は知識の量に影響を受けるので、知識がある分、いろんな方策を考えることができるようになり、それをもって主体的に世の中を良くしていくことができる。

また、論理的でない人をどう変えるかということも複眼的戦略必要となる。

自分勝手で、反社会的な態度の人と切っても切れない環境というのが世の中にはある。

そういう人たちを全て切り捨てるのは現実的では無い。切り捨てた人間多数派になった時に割りを食う可能性もある。

から、彼らがそうなった原因だったり、どうすれば考え方を変えることができるか、なんてのもいろんな知識経験必要になる。

自分がそう思うから」だけで物事を進めていくと、感じ方が違う人との軋轢を生むことになり、不幸になる人が発生してしまう。

 

3つ目は、学歴チャームだ。

チャームは魔除けって意味だけど、学歴は魔除けとしては非常に優秀だ。

転職就職でも学歴があれば相手見方も変わるし、ずっとニートをしてても学歴がいいからもしかしたらすごいのかもと思ってもらえたりする。

それと、世の中には権威主義の人が跋扈していて、論理じゃなくて、どんな人間が言ってたかしか是非を判断できなかったりする。

そういう相手から切り捨てられたり、学歴至上主義人間から不条理差別を受けないためにも、この魔除けはかなり有効なのだ

それを凌駕する才能があればいいが、そんなものを持っている人間はごくわずかだ。

もし娘さんが突出した何かを持っていないのであれば、学歴チャームを持っていない場合、ただの偏屈な嫌な女になってしまうだろう。

そういう生きづらさから守ってくれる、不可視なお守りが学歴なのだ

 

大学(と大学院)を卒業して思うのが、まだまだ勉強必要だなあと思っている。

経験勉強なくしては、自分はだれかの意見を垂れ流しているだけで主体性が無いなと感じてしまうのだ。

人生で一番辛いのは主体性を無くした時だから。そうなる時、生きることがバカバカしくなるのも理解出来る。

それを防ぐためにも主体的自分を手にいれるためにも、お勉強だけじゃ無い経験も含めた勉強重要だと思う。

ただ、学歴だけは若いうちに手に入れた方がいいので、今は受験に関わる勉強をした方が効率はいいと思う。 

 

余談だけど、学歴けが欲しい人ってのは受験仕事で使わない知識経験を軽視しすぎていると思う。

経験知識の一部なんだけど、俗的な合コンナンパクラブゴルフ登山サーフィン釣りスポーツなどなど、

どれも勉強になる面はあると思う。

理系の同僚は行動力がなくて、権威に認められた知識以外を軽視しすぎて考え方に偏りが多い子が多かったから。笑

理由をいろいろつけてたけど、多くは傷つくのが怖いとかバカにされたくないとかそういうことだった。)

なので、こういう経験もいずれは手に入れて欲しいなと思う。

2017-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20170131072332

このコメントの一番の突っ込みどころはthe best xxxの意味は「最上級」なんて曖昧ものではなく

英語でも「ただひとつの、一番」を本来指しており、それゆえ「一番のうちのひとつってなんだよ」という偏屈さんは普通にあちらにも存在してること

日本人英語を語るとすぐ手前勝手な「意訳」で持論を無理矢理補完し出す

2017-01-29

ある1点が秀でていて、それ以外が駄目な人っていうのは

自分が秀でている部分の価値をより大きいものだと捉えようとする

学歴が秀でていてそれ以外がまるで駄目な人は学歴という唯一の自分有利な物差し世界を見ようとする

差別的偏屈発言ばかりの知人を見てて思う

2017-01-27

本当は楽しみたいのに

当時、めちゃくちゃ話題になっていた某作品を、だいぶブームが落ち着いたころに遅ればせながら入手して、わくわくしながら読み始めたんだ。

だが、比較的序盤で、あるキャラクターが「きりーつ。れーい。きょーつけー」と発言していた。

その一文を目にしたとたん、なんだかすべての文章が受け付けなくなってしまい、その後、ほとんど読み進めることができなくなってしまった。

そういう書き方が悪いわきゃなくて、単に好みの文体が一致しなかった、というだけの話だけど(特に「きょーつけー」がダメだった)。

同様に、「明らかに海外舞台なのに、日本語での語呂を使った言い回しダジャレをくり返す」という作品も受け付けない(該当作品ひとつではない)。

そういう文章出会うたびに、頭の片隅がすっと我に返ってしまう。

自分脳内で補完している音の響きが乱されて、没入できなくなるのだろう、と推測している。

偏屈なのは自分だってわかってる。

でも、本当は楽しみたいのに、それができないのはさみしい。

いつか再トライしたい。でも今はまだダメそうだ。ちくそう。

2017-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20170119005950

ふつう感覚なら、作品を見ていて「イライラする」という感情は起きないのでは?

何か特定の要素が目について、その要素について人並みならぬこだわり、

平たく言うと偏見があるからそういう感情が起きるのでは。

イライラしない人はそうした偏屈なこだわりに引っかかる部分がないから、素直に見れる、ただそれだけの事じゃないの?

2017-01-03

5年付き合ってた彼と別れました。

去年の暮れ、5年付き合ってた彼と別れた。

理由は、私が他の人を好きになってしまたから。

振っておいた身でありながら

気持ちの整理がつかないので、備忘録としてつらつら書かせてもらいたい。

元彼の性格はというと

自分にも他人にも厳しく四六時中勉強しているような人だった。

ときには私にも

「遊んでる暇があったら勉強しなさい」「社会の役に立つような仕事をしなさい」としつけをするようなタイプだった。

なにが好きだったって、とても性格があっていたところ。

すこし偏屈や根だけと優しいところなどが似ていた。

そして尊敬すべきところもたくさんあった。

5年も付き合えたのはこの人だったからだと思う。

だけど終わりのほうは私のことを人として扱わないような、奴隷として扱うようなことになってしまっていた。

泣いたところで無視するし

買い物行っても置いて帰るなど

自分の気にくわないことがあるとシャットダウンする機会が多くなった。

さすがに私も悲しくなって

とうとう新しか好きな人ができてしまったという始末だ。

それを理由にするのは良くないと思うが、それも一理あった。

ただ、別れ話を

あっさりと終わらせてしまったのが後悔している。

嫌なところもたくさんあったけれどそれでも感謝すべきところもたくさんあったのに

別れ話からよりを戻すことになってしまわないように、手短に終わらせてしまった。

5年間付き合った人への態度ではなかった、と後悔している。

新しく好きになった人は

とても優しくていつも私を肯定してくれる。

とても幸せだが

5年分のアイデンティティ

ぽつかりと失ったような気がして仕方がない。

これは今の人と長く付き合ったら解消されるのだろうか。

何かを見ると思い出してしまうのは

5年という長い年月のせいだろうか。

いまさらどのツラ下げて

感謝気持ちをひょこひょこと

伝えにいく勇気もないので

ここで感謝気持ちを伝えたい。

いろいろあったけど

あなたとの5年間はとても濃厚で刺激的な毎日でした。

いつも学ばせてもらうことばかりでした。

本当にありがとう

2016-12-17

オカン視聴者選民感は異常

オカルティック・ナイン視聴者がすごいと言うより、選民感を感じさせる作りになっているなと感じる。

シュタゲもそうだったが、まず最初キャラ造形でふるいにかける。どんな人がふるいにかけられるかというと、偏屈で器の小さい人だ。煽るような表現をして申し訳ないけど、まさしくそう思うのだから我慢して欲しい。オタクにはそういう人が多いだろうから、1話切りする人が相当いただろう。

典型的なふるいだなと思ったのが、ネットスラングを多用するキャラがいること。ネットスラング日常的に触れていて、ネタ理解できる人のうち、反応は2つに分かれる。

「あーハイハイ、クッサ、そういうのマジ勘弁」みたいに受け取る人と

「あーあるよね、そういう人もいるよねウフフ」みたいに受け取る人。

前者は、どちらかというと本当にコアなネット文化理解者というよりは、にわか感がある人に多い気がする。例えば、にわかファンがよりにわかファンを叩く光景と同じ原理が働くのだろう。つまりは、自分理解であることを自負したいから、他人理解表現することを脅威と感じたり陳腐に感じたりする。肥大した自我を守るために他者矮小化するのだ。もしくは、自分では同族と思っていないかもしれないが、同族嫌悪感情。いずれにしても、器の小さい人間のすることだ。

本当に理解が深い人は、他人表現についてもどっしり構えて心静かに観察することができて、いたずらに攻撃的になったりはしない。ネットスラングへの造詣が深かったとしても、自身現実でもネットでも一切スラングを使っておらず、おくびにも出さなタイプが多いかもしれない。要するに、理解を、自己と同一化していない。自己ステータスにしないしアピールもしない。だから自己他者を「○○を理解する人/しない人」みたいに分けてマウントするようなことがない。結果として、どんな表現フラットに受け止めやすい。創作となれば尚更だ。

中高生のころなら、そういうラベリング合戦に執心して見えない敵と戦っていた人も多かろうが、ある程度おとなになると、普通はしなくなるものだ。そう言いつつもこの文章自体ラベリング合戦同然の青臭さを帯びていることについては、見逃して欲しい。私もおとなになれなかった大きな子どもであり、自己矛盾キャラなのだ

さておき、作品全体が例に挙げたようなスラングのノリで構成されているわけではない。巨乳電波系少女を出してきて、イチゲンさんに下品萌えアニメかと思わせる部分もそうだ。結局それらは、重苦しい世界観を覆い隠すための、しかもそうである必然性が後々わかってくる類の仮面にすぎないのだ。

シリーズファンであればそのことを重々承知しているので、ああいった初見バイバイ描写に惑わされることはない。けれどそうでない人にとっては、これでもかというほど辟易させる要素が詰め込んであると映る。特にマトモぶった偏屈な人ほどそう感じ、嫌悪感を抱きやすいのではないかと思う。

主人公がウザキャラで、アフィやニート属性であることもひっかけポイントだろう。これらは、現実ではネットほど非難される対象ではない。ネットの卑しい思考回路に染まっている人ほど、これらを執拗に叩く傾向がある。経済理解している一定層以上の人間なら、アフィリエイト行為自体を叩いたり嫌悪したりはしない。やり方が悪いアフィリエイター跋扈していることは事実だとしても、アフィ自体嫌悪対象にすることはむしろ危惧すべきものだ。ニートに対しても同じ。彼らは時代産物であって、自己責任論で叩くべき存在というよりは、社会が救済すべきものだという認識が基本だ。そもそも作中の主人公は悪質なアフィリエイターでも、見放されるようなニートでもないので何も嫌悪する要素がない。むしろ可愛らしいものだ。

さらに言えば、忙しく目まぐるしいテンポ伏線を匂わせる描写密度が、一般的作品比較すると異常な域にある点もそうだ。テンポについては、ネットでは早口だと揶揄される。だが視聴していくと、この作品はむしろこのくらいのテンポが相応しいように感じられるだろう。それでも時折不自然なほど早口だと感じる部分はあって、そういう不自然さがどうしても許せない人がネットには多い。けれどインタビューによると、キャストもその部分には面食らっている。制作側もそれを理解していて、1話台本の冒頭に、どうしてこういう早口演出が多用されているか解説があったらしい。そこの部分は視聴者の我々が窺い知ることのできない所ではあるが。

ともかくネットというのは悪意的な見方人間の声が大きくなりやすい。そして、クリエイティブ制作者に対する声も含め、他者への敬意や謙虚さが微塵もない罵詈雑言が並べ立てられている。そうしたもの思考汚染され、流されてしまわないためには、実際の制作者やキャストの声を聞いて、かける思いを汲み取ることが重要だ。それはどのアニメ、どの映像作品にも言えることだが、オカン特にそれが求められる作品だと感じる。

まりにも密度が濃いので、結局大風呂敷を広げただけで伏線を回収しきれないんだろ、と馬鹿にする声も聞く。しかし10話までみてきた印象としては、かなり綿密に練られている。最新話をみるたび過去話を見返していくと、膝を打つような発見、「そういうことだったのか!」がそこかしこにある。だが、「どうせ回収できない、ご都合主義だ」と侮る声を発する人を納得させることはできないと思う。そういう見方をする時点で全てのフィクションスポイルされると思うが、それに加えてオカン特有事情がある。おそらく、アニメ単体では全ての事実は明らかにならない。コミック版は12話からアニメとは別のルートに入ったという告知がされている。アニメは2巻まで出ている原作ノベル圧縮した内容ではあるが、すでにノベルの先の展開を描いている。アニメ展開に合わせたように発売日が延長→未定となっているノベル3巻もアニメとは別のルートに入る可能性が高い。つまりメディアを律儀に追っている人ほど、全容を知れるという仕掛けになりそうだ(なんてうまい商売なんだ)。

けれども裏を返せば、そのへんの事情を知らないライト層には不完全な作品と取られる恐れもあるわけだ。そういう整合性に異常に執着するアニメファンは、爆死だなんだと言うだろう。それを見越していながら突き進むスタイルは、ある意味ロック姿勢ではある。一方でそういう側面こそある種の信者ビジネスの肝だなと冷ややかに見ることもできるが、ストーリーの内容が内容だけに、楽しむことが好きなオタクならばシャレを効かせたメタ展開だと笑って受け止めるだろう。その八福神の会だか300人委員会だか分からないが、自分もそっち側に入信して、賤民には知り得ない真実に辿り着こうではないか、なんてノリにもなるというものだ。

思うに、大ヒットする作品というのは多分にカルト的要素を含むものだ。オカンにもその素地があると感じる。ラブライブしろガルパンしろエヴァでもガンダムでもいいが、ああいった作品ファン宗教的なところがある。単に作品が魅力的だというだけではなく、作品思想が込められていて、そのメッセージ性がいわば「教義」となり、観る人を感動させ、伝播の原動力となるのだ。作品を観ることで、その教義を受け取り、コンテクストを共有する。その域までたどり着いた人はまさに信者であり、選民となる。往々にしてひねくれた演出、尖った演出の数々は、その選民感を増幅させるのに有効に働く。けれど、ついていけない人には、真逆に働く。

よく、「ノリについていけない」とか「登場人物感情移入できない」という文句を言う人がいる。そういう人はおそらく、メタ感覚作品を眺めすぎている。無意識作品の向こうに作者を透かしてみていて、そうやってみる作者のことを「こいつはダメだな、こいつの作品はいけ好かない」と思っていたりする。それで作品本体をまじめに見れなくなっており、雑念がなければ感じ取れたはずの感動を取りこぼしているのではないか原作者志倉千代丸自身もおちゃめな発言をするタイプではあるが、それも一種ペルソナを演じているだけであって、硬軟かき分ける技量がある懐の深い作家であることは原作ノベルに触れると分かる。だから仮に登場人物がイタくても、キャラ造形が古臭くても、それに引きずられて作品自体や作者をイタいと思うのは間違いだ。

感情移入ができないことを問題視するのも、そもそもおかしな話だ。感情移入ができる、というか、キャラクターの(言外にあらわれる)感情が伝わってくるから感動できる、良い、というのは分かる。しかし、それが分からない、キャラ思考回路が伝わってこないかダメだ、とはならない。異なる価値観とか多様性に対するスタンスについて説教するわけではないが、はっきり言って、そういう人は、自分と近しい環境で生き、近しい感覚・行動原理を備えた登場人物が動く作品しかまともに見れないのではないかフィクションには強烈な個性を備えたキャラがよくいるものだが、ほとんどの場合、どうしてそういう性格になったのかは察せるものだ。はじめは理解しがたい性格キャラこそ、大いに想像力を働かせながら読み進め、自分には無かった思考回路価値観にたどり着く感動が得られるものだ。萌え日常系アニメキャラならともかく、脚本があるストーリーものキャラであれば、そうやって「キャラ理解する」作業はたいてい報われる。思っているよりもずっと。そういう作業を序盤で放棄して、「こんなキャラ理解できない、受け付けない、リアルじゃない」と決めつけ、あまつさえキャラの作り込みが悪い」などと作品のせいにしている人のなんと多いことか。読書や映像鑑賞は、実は読む・観る側にも作品世界に寄り添っていく想像力積極性クリエティティが求められるものだが、「消費する側」という立場になりきって選好を重ね、消費の達人になっていけばいくほど、傲慢想像力を停止した人間になっていくものなのだろう。

難儀なものではあるが、志倉千代丸作品に限っては、さらに、彼がイケメンで曲も詞もコードも書けてオタク力も高い上に金持ち、という超人的な要素があるせいで、僻みも加わってくるのかもしれない。けれども、作品を鑑賞する時というのは、そういう作者がいけ好かないだとか制作会社がどうだとか、そういう世俗的な感覚基本的に切り離しておくべきものだと思う。そういう感覚を混ぜることで楽しめるならまだしも、雑念になるのならばそれを排除する努力を(作り手ではなく)読み手側がしなければならない。それが創作に対し敬意を払うことだと思うからだ。

どうにもオカンの話ではなくネットアニオタ批判になってしまったが、これから時代コンテンツを楽しむということは、イコールネットの俗悪な風評とは距離を置いた賢明で物静かな「選民」になることだと思う。別に私のように選民意識をちらつかせて下層の民を殴ることはしなくていいが、そういう衝突もどんどん表面化していくのだろうと思う。もっと短文で動物的な形になるとは思うけれど。不快だが避けられないネット未来。そんな未来だとしても、それでも、日本アニメは「刺さる人には刺さる」方向性で突き進むのが向いていると思う。誰もが楽しめる優等生的な作品作りはディズニーあたりのお仕事。「刺さる人には刺さる」コンテンツ作りの先端を行くオカンのような作品に触れられることを私は幸せだと思う。

2016-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20161203162438

それを

選考委員が公平に選んだ(選ぼうとした)からノミネートされた

ではなくて

偏屈選考委員のじじいの頭の中に「君の名は。」界隈のワードが割って入った

と考える根拠って何ですか?

2016-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20161202123049

ドクター中松とかw

エジソンなんかも偏屈爺さんだったし、アインシュタインは頑固者だし、ちょっと変な人は少なからず居るでしょうね。

ただ、最近自己PRの上手い人が表にでるようになったので、変な人は表にでてこれない気がします。

2016-11-17

べっぴんさん観てるとカーネーション観たくなる

カーネーションHuluに戻ってきたので3回目の視聴。

おっとり気の優しいすみれお嬢様世界も嫌いではないが

がむしゃらに自分だんじり勝負する(だいたい毎週シバかれてる)主人公の爽快さよ。


この二作を同時進行で鑑賞しているせいで、

店の売り物や展示のワンピースをええよええよと気前良くあげちゃうすみれ

この後善作ちゃんにシバかれないかと思わず余計な心配をしてしまう。


このお父ちゃんがまた頑固で偏屈

家族に怒鳴りつけるのはもうお決まりになってる。

糸子がクリスマスケーキを妹たちに買ってきた回でもやっぱり。

くるぞ、くるぞ、、あぁ、おばあちゃん早くケーキどこか持ってってー

はいちゃぶ台ドンクリスマスケーキバーン家族号泣っていう

もうコントですかっていう流れでもはや笑ってしまうんだけれども

グチャグチャになったケーキをおばあちゃんが必死に成形して

みんなで食べようとする所に泣けてもくるっていう。

そんなお父ちゃんも居なくなったら本当に寂しいんだから

今日もあの騒がしくも眩しい世界を覗きにいこうと

こたつ定位置に半径1メートル世界で過ごしたいと思います

2016-11-15

パヤオが怒っているのを見て、小学生の時に先生に怒られたことを思い

パヤオが怒っているのを見て、小学生の時に先生に怒られたことを思い出したよ!!

あれは学校の生徒と先生の構図だ!

クリエイターとかエンジニアとかレベルの高い話じゃねぇ。

怒った先生と、それで変な空気になって、しどろもどろになっている生徒だ!

でも怒ってる先生は、くそ偏屈だ!

怒られてる生徒は、見た目おっさんの子供だ!

から両方にムカつくんだ!

鈴木パヤオが怒っているのを見て、フォローいれたんだ!

「おう、お前ら、パヤオ先生気持ち悪がってるけど、本当はもっといいもん作りたかったんやろ?」

あれだ!怒られてる時に横にいる副担任存在鈴木だ!

そこでミスったのは、川上たちだ!

「いや、俺ら、人工知能で絵を描きたいっす。。。」

ちがうだろ!

人工知能アニメ書いてジブリ潰すっす!ピクサー食いに行きます!」

だろ!!!


なら、俺ならどうすんだ!?

もし俺がパヤオなら、

「うふふ、そういう発想もあるんですね(帰れや!朝っぱらから気持ち悪いもん見せやがって!帰れや!!)」

もし俺が川上たちなら

「さーせんした!ほんま、さーせんした!もっといいもん作って出直してきます!(さっさと引退しろや!クソジジイ!)」

まぁ、パヤオが見たくてつけたテレビで、パヤオが怒って変な空気になってたら「極めて不愉快なのは視聴者じゃボケ!!NHKボケ!!!

あと、なに公共放送使ってジブリの長期アニメ宣伝をしとんじゃ!!!鈴木癒着しとんのかコラ!!!


でもパヤオ復活でワクワクしたからね!!!はやくこれの全編ディレクターズカット版のDVDを出してね!!!!!!!!

2016-10-18

社会を軽んじるクズが多い

気がする。

映画館広告がうざいそうな。

http://anond.hatelabo.jp/20161015123802

トラバの半数、人気ブコメには賛同する意見多数。

中には「広告が終わる時間を明記すべき」って無知意見にもスターがたくさん。馬鹿か。

そもそも広告てのは見てもらってなんぼ。

無理矢理にでも挿入して観客の目に留まるという保証担保に、企業が高額の予算製作したコンテンツを、シネコンに高額な金を払って上映してもらっている。映画の途中で挿入されないだけ相当良心的だ。

「あの映画は見る価値なし」「オワコン」といった個人主観レビューマスコミと同じ波及率でネットに陳列される昨今、全国の、特に地方映画館興行以外の収入を欲している。

今年は「シン・ゴジラ」「君の名は」などの特大のヒットこそあれど、基本的映画館キャパに比べて集客が少ない。

個人の感想では、自分の近所のシネコン過去3年で2件潰れた。地方意見申し訳ないけど。

そのうち一つは俺の住まいの最寄りだった。そこそこ市街地で、そこそこ人気だと思ってた。

潰れた時は正直「経営何やってたんだ」と憤慨してたが、しばらくしてからちょっと危なくなったらすぐ潰すとしても、きっと頻繁に危なくなってるんだな」と思った。

あんだけ広告うっといて。潰れんだと。

映画自体需要は確実に減っている。

理解できない=面白くない」がJKになりつつある昨今、

「高い金払ってわざわざ外出して、分かりにくい映画を観るはめになるのは避けたい」と思う馬鹿が増えるのは仕方ない。みんな忙しいし分かり易いのが好きだ。

しかし今年の映画界の盛り上がりはどうだ。

偏屈特撮趣味を美しき結晶として昇華した「シン・ゴジラ」も、薄っぺら恋愛SFを最高の美術アニメ新境地に押し上げた「君の名は。」も、そんな馬鹿たちの心を潤し、「映画」の可能性をわずかでも感じさせたのではないか

一応書いとくが、俺もそんなクソ馬鹿のひとりだ。まあ「分かり易かった」のは否定しない。あと「怒り」も良かった。

ゴジラも新海も、広告収入が無ければ多くの目に止まらなかった。と思う。

だって映画館がないと大画面で大勢と観られないもの

そんな当たり前なことを前提に、「広告不要」とかいうのって、何なの?

脳味噌が腐っているとしか思えない。もしくは親の教育が相当糞だったんだろうな。

あらゆるものには金がかかっている。金をかけて、金を得て、サービス提供されている。

企業が大きければ大きいほど、自分が払ってる分で得られる全てが賄われていることなんて、まずありえない。

成人なら誰でも知ってることを改めて書くのは恥ずかしいけど。ちょっとは察する脳味噌を持ってくれ。

広告出てきたら「頑張ってるな、見てあげてるぞ」くらい思ってやれよ猿。

あ、俺は15分遅れでシアターに入ります日本映画は近々終わる。

2016-10-17

LINEのやりとりをネット晒す神経が理解できん

友人や親なんかと面白いやり取りをしたとかいう、LINEスクショネットでよく見かけるんですが、この文化だけはどうやっても理解できん。というか理解したくない。

プライベートなやり取りをよく晒せるな。そして、晒している自分は良いのかもしれんけど、LINEをしている相手自分に向けてコメントを発しているのであって、それ以外に向けてコメントを発しているわけではない。

おまけに晒すってことは、そのコメントをしている友人や親を笑い者にするってことだからな。少人数でのカフェ飲み屋で行う他愛もない話題ならまだしも、誰でも見られるネットでそれをするわけで。

いくら偏屈性格の悪い自分でも、仲のいい友人や親を世間に向けて笑い者にして祭り上げるほど、心は荒んでないと思いたい。

ひょっとしたら相手方にも許可を取っているのかもしれません。でも「このやりとり面白いからネット晒すけどいいー?」なんて風な確認を取るのだろうか……?そういう現場想像すると、それもそれで気味が悪い。自分だったら、絶対にノーだな。

あと、この手の話題はよく「ねとらぼ」が取り上げるけど、果たしてねとらぼ」は相手側の確認もキチンと取っているのか気になってしょうがない。なにせスクショを上げている本人には確認が取れるけど、晒し者にしている相手方にはどうやって確認をとっているのかよくわからんしな。

ファンタジーミステリを語る上で読んでおきたい200冊

いまだに十戒や二十則を「踏むべき手順」として持ち出してくるって、うみねこミステリ知識止まってる人か?


それはともかくファンタジーミステリの相性が悪いというのはあながち間違ってないし、

ループもの×ミステリミステリ史的には「SFミステリ」に分類されるものだったと思う。

ミステリ読者には事件探偵の前に「厳格なルールづくり」にプライオリティを置く人が多くて

そういう人たちが「ファンタジーミステリはなんでもありだからダメなんだ」と言う

こういう人たちの主張にも一理ある

ファンタジーミステリをかけ合わせた作品には「ルール設定」をぼかしているものが多い

でもこれはちょっとしたジレンマ

あんまりその世界独自ルールをカチカチに固めちゃうと読んでる読者の方が「お前の決めたルールやんけ」と白けてきちゃう

じゃあ逆に現実世界物理法則ロジックにそった解決へもっていくと「ファンタジー世界観にした理由がわからない」と文句がつく。

どっちにしろ、負け戦なわけだ。

しかしその困難を乗り越えてファンタジーミステリを書いてる人は多いわけで

みんなそういうものを読んで幸せになろう

ランドル・ギャレット『魔術師が多すぎる』

ファンタジーミステリ古典

魔法が発達してヴィクトリア朝以前の宮廷文化が保持された並行世界イギリス密室殺人が起きる。

当然「犯人魔法を使って殺したのでは?」みたいな疑惑が持ち上がるわけだけれど……。

このミステリで使われた「魔法世界ミステリをやるときメソッド」は良くも悪くもその後のファンタジーミステリ規範になった。

西澤保彦『七回死んだ男』

ループミステリの大古典

主人公である少年偏屈金持ち祖父が殺された……と思ったら次の日に何事もなかったかように殺害日の朝に逆戻り。

少年はなんとか祖父を助けようとするんだけどその度にバリエーション豊かに殺されていく。

どうやったら殺人を防ぐことができるのか? そもそもなぜループするのか。

ループミステリを語る上では見逃せない名作だ

山形石雄六花の勇者1』

魔法使い版『11人いる!』というか『そして誰もいなくなった』というか

魔法世界で起こる殺人を扱った作品としては『魔術師が多すぎる』を彷彿とさせるが

解決の手筋も実は『魔術師が多すぎる』に似ていて興味深い

アニメ化もされたんだっけ?

米澤穂信『折れた竜骨

割合「剣と魔法」系ファンタジーミステリとしては最高傑作の部類に入るとおもう

特筆すべきは「その世界でのロジック」にちゃんと拘っているにもかかわらず

ちゃんと読んでて納得させられるというか、「お前の決めたルールやんけ」感が少ないこと

物理法則ファンタジー寄りに、ロジック現実世界よりに構築したのが成功の原因ではないか

芦辺拓『スチームオペラ

いわゆるスチームパンク世界観ミステリやるやつで分類的にはSFミステリでもある

エーテルという特殊力学を中心に据えて展開されるため

「おまえの胸先三寸やんけ」にやや傾きがちなところもあって、それで批判されがちだけど

ファンタジーミステリ教養としては外せない。

白井智之作品全般

人間の顔は食べづらい』は『ソイレント・グリーン』、『東京結合人間』は『ムカデ人間』と

みもふたもない……もとい親しみのあるホラー設定の世界ガチ本格を作る若手随一の実力派。

世界本格のロジックは今後、この人の作品を基礎にしていくとおもう。

設定のセンセーショナルさに反していまいち弾けきれない部分があったが、最近刊『人間の顔は食べづらい』でネクストステージへ到達

森川智喜作品全般

最近のプチファンタジーミステリブーム先駆者

「剣と魔法」でもホラーでもSFでもない、童話ファンタジー風の世界観を基礎にしたガチ本格が特徴。

みためはかわいらしいが、倫理のタガが外れたヤバいキャラや話が多い

マストリードは『スノーホワイト』。『白雪姫』に出てくる鏡がもし現実存在したら……を天のはてまで突き詰めた傑作だ。

青崎有吾『アンデッドガール・マーダーファルス

ファンタジーミステリラノベとしては近年でも最良の収穫

吸血鬼狼男存在する20世紀初頭のイギリスで繰り広げられる大活劇

ミステリファンタジーアクションバランスがとれていて、わりあい読みやす

残りの190数冊はどこかって?

ふふ、それは君たちの頭のなかに眠っているのさ。。。

2016-10-15

生きづらい世の中である理由

トイアンナ氏の記事

http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/10/15/102629

は、ガチガチ生存者バイアスのかかった価値観を持った集団の考え方をよく表している。

そういうバイアス学歴一般的な頭の良さに関係なく誰でも持ってしまう。

(実際大学教授でも女性研究者に対して女のクセにと粗探しをする人間現代でもいたりする。

本人の属性研究成果の正当性無関係である論理的に考えればわかるにもかかわらずだ。)

 

こういう偏屈価値観を持ってしまうと自殺に至るかもしれない。

トイアンナ氏のこの記事自殺した電通社員生前に伝えたかった内容なのだろうと思う。

この主張を受け入れ別の価値観可能性を見出せば、自殺以外の手段も自ずと見えて来るはず。

だが、それだけでは今後の悲劇を減らすことは難しいだろう。

 

人は幸せになるために生きていて、幸せになるためには周囲の承認必要になってくる。

今回の事件は、おそらくパワハラけが主要な要因だったのではなく、承認が得られないこととプライド問題なのだと思う。

プライドが高くなれば、より厳しい条件での承認を得られないと満足できない。

そして社会はよりプライドが高い人間肯定し、より良いものしか肯定してくれない。

  

例えば、富士山登山成功することも立派であるが、一度エベレストの頂上に到達した人間が出てくると、

富士山程度では誰も承認してくれなくなってしまう。それがどれだけ大変であっても、だ。

 

このように、社会はどんどん承認必要な条件を厳しくしていく傾向がある。

人間は上を目指す生き物で、それは本能なのかもしれないが、本能から絶対視するのはナンセンスだろう。

例えば、ヤギは本能でどんどん高い場所へ登るのだが、最終的に降りれなくなり転落死するものが出てくるのと同様だ。

結局人間動物しかないのだ。

からいか本能がそう訴えていても、理性を持った我々は危険本能を知恵を使って抑制する必要がある。

 

さて、今回の自殺は、電通から起こったことではない。というのが必要視点だろう。

電通の体質が今後改善したとしても、根本的な解決にはなっていない。

それは抽象化して考えれば、承認を得られなくなることへの絶望が人を死へ導いているからだ。

これは仕事以外のこと同様で、恋愛ができない、結婚ができない、就職ができない、子供ができない、収入が少ない、人に認められない......

社会からまれる項目を満たすことに希望を感じれなくなり、自殺に至る人間なんて山ほどいるだろう。

それらは決して注目されることはない。「電通社員」ほど希少性もインパクトもないからだ。

だが、おそらくそれらの自殺要因は共通している部分があって、結局は社会の目とプライドの要素が大きいのだろう。

 

本人がプライドを高くすることを抑えても、社会価値観を変えることをしない限り、劇的に自殺の数を減らすことは難しいのではないだろうか。

ネット上の意見を見ていると年々ルッキズム人間が台頭してきているように思える。

容姿という要求に対しても、どんどん厳しいものになっているだろう。

あるアンケート高学歴なら人生幸せになるかという問いに対して、yesと答えた割合の高さも衝撃的だった。

 

こうした、「承認の達成条件の厳格化」が、山羊山登りと同様に愚かなことだと、世間認識抑制しない限り、

物質的には豊かになっても精神的には貧しい状態がどんどん加速していくと想像する。

そのためには、こうした考えを一人でも多くの人間に内在した愚かさを認識させ、それを頒布し、

一人一人が社会を変える意識を持つようにしていくことでしか悲劇を劇的に抑制することはできないだろう。

これらの議論オピニオンリーダーインフルエンサーが行ない、周辺の人々もそれに続けば、世の中は少しずつよくなるのだと思う。

ただし、オピニオンリーダーインフルエンサーになるには、厳しい条件を乗り越える必要があるため、

彼らもまた、生存者バイアスのかかった価値観に毒されている可能性もあるだろう。

社会の生きづらさというのは根の深い問題なのだ

2016-09-18

[]

今回は少年ジャンプ+

ファイアパンチ 20

うん、やっとエンジンかかってきた。

ここにきてやたらとアグニ本音や心情を言語化しすぎなキライがあるのと、きっかけとなる出来事や展開が弱いという部分もあるが、まあ理屈としてはそれなりにしてて悪くないと思う。

自分自身本音を誤魔化すために、どこかで嘘をつく(演技をしないといけない)という、トガタに演技指導させられた際のセリフで持っていたミーニングが、ここで実はまた違う意味を持っていたというのは、まあ悪く言えば強引ではあるが、私はフィクション範疇として許せるかな。

ただ、正直な所やりたいことは分かるんだけれども、伏線回収というよりは偏屈なことを描き続けた結果の帳尻合わせ、尻拭いという印象があるんだよね。

そこまで考えて練られた構成だと前向きに解釈するには、これまでがあまりに捻すぎなので。

1話話題になって、私や何割かの読者が期待していた色々なことを随分と遠回りさせたものだと思うが、何はともあれここからヒーロー(主人公)としてのワクワクする活躍、展開を期待したいところだ。

i・ショウジョ+ Ver48.01

こういうハッちゃけたキャラはみてて面白くはあるが、そいつに焦点あててくるとは……。

狂喜ともいえる表情の描写とかは、これまでにない人格であることがパっと見で分かるほどで、そこそこ長くやってきた中で随分と思い切ったキャラクターを放りこんできたな。

さて、ここからどう展開するかだな。

実は本当にいた他のストーカーアプリ使って捕まえるのか、これを通じて自分客観視するのか、或いは明確に語られていないダイヤの心情が語られるのか。


悪魔のメムメムちゃん 6話

セックスシンボルみたいな、待望の先輩悪魔登場に小日向思考が重なったが、お前は魂奪われる瀬戸際なんだから、随分と悠長だな。

言動も力も余裕があって、コメディ的には面白みのあるキャラクターではないが、まあそれは他の人に任せればいいってことなのだろうか。

結局、メムメムが先輩悪魔監査のもとやることになったが、今回は互いに追い詰められているし、どう落とし所つけるのだろうか。

あと、柱のコメね。

ああ、やっぱりそういう目的で描いたのか、それとも編集が単にチャラいだけなのか(少年ジャンプ+の編集精神がチャラい傾向というイメージがあるんだよね、私の中で)。

フードファイターベル 42話

メタ的にみても、作中の扱いからみても「どっちが勝ってもどうでもいい」バトルであることを承知の上での展開が笑えてくる。

優柔不断な対戦相手を狙って、自分の得意分野に誘い込もうとする狡すっからいこともしたが、あっさりかわされるあたりに哀愁漂う。

それでもカッコイイこといって、うまいことハッタリかまして関心もたせるあたりウマイとは思う。

ただ、今までのアエルの扱いとか作風とかを考えると、次回で雑なあらすじでアエルの見せ場がカットされても何ら不思議ではないんだよなあ(笑)

2016-09-16

ドラマ女性キャラ存在が苦手な時がある

最初に書いておくとこれは女性女優ををdisりたいために書いた記事ではない。そう伝わるのは本意ではない。

この記事はどちらかというとキャラの役目やストーリーの話である

ドラマ女性キャラが苦手な時がある。それは折角面白いのに恋愛っぽいパートの部分がその面白さを阻害している、と思う時だ。

たまたま先程家族が垂れ流していたドラマを見ていた。「リッチマン・プアウーマン」という少し前のドラマらしい。家族の話と話の展開からIT会社天才かつ偏屈社長社長会社たまたまインターン生として入れた女性がメインの話だと分かった。ドラマは平たく言うと社長を取り巻くビジネスっぽいストーリーと、女性が全く価値観の違う社長と段々打ち解けてったりライバル女性が現れて一悶着するといった恋愛っぽいストーリー構成されている。

途中から見たのだが面白く、つい今見てしまっている。だが面白いのはビジネスっぽいストーリーの部分だ。そこの進展に興味があるのに、途中で恋愛っぽいパートが挟まれると一気にテンションが下がる。

はい女性キャラの全てが悪いわけではない。ビジネスっぽいパート価値観の違う女性キャラ社長に新たな目線から助言し良い展開に進んだ時とかは面白かった。そうして心が通じ合っていくというのは良いと思う。女性キャラが悪いわけでも人の心が動くシーンが悪いわけでもない。

悪いのはそれと恋愛パートを両立してしまうことだ。恋愛だけならそういうドラマとしてみるのだが、両立されてしまうと…。これが社長インターン生の女と男が逆転しても変わらない。

折角ビジネスパートが緊迫してハラハラしているのに、そこにライバル女性が現れて三角関係!となるとげんなりしてしまう。

しかしそのライバル女性キャリアウーマンとして悔しがったりするシーンは悪くない。

女性キャラ性格ビジネスパートの足を引っ張ってると思う。役者の演技の問題ではない。

簡単に言うと…なんだろう、良くも悪くも少女漫画に、月9によくいそうな女子っぽい。感情を表に出し易いというか…。

恋愛ドラマには合ってそうなのだビジネスパートにいると少し感情的過ぎるというか。

ウィキを見るとには恋愛ビジネスストーリー意図して両立して描いた様だが、個人的には恋愛パートはいらないんじゃないかなと思ってしまう。


恋愛ドラマは嫌いではないし、ドラマ女性キャラ全ての存在否定するわけでもないが、悪目立ちしてしまうと折角面白いストーリー邪魔しているなと感じる。

類似例だとガリレオである。アレは原作小説ミステリーで、小説探偵役と助手役両方男性だったのに、ドラマだと女性が追加されてしまった。まあ思ったよりミステリーの話を邪魔してはいなかったようには思うが…(ちょっと昔見たっきりだから覚えてない

その辺うまいことしていると思ったのは重版出来とシンゴジだ。重版出来は女性主人公恋愛するわけでもなく、でも空気になる訳でもない、「出版社ストーリー」をやってくれていたと思…う…(これもドラマを少ししか見てないから間違っているかもしれない…。ただ漫画は全巻読んだのだがこの様な印象を受けた。)シンゴジは美人女性も出てきたがあれも終始ゴジラを主軸にしたストーリーをしてくれたし、最後主人公女性キャラ恋愛オチではなかった。

なんか例に出したものが悉くあやふやで例として成り立っているか微妙だが…兎に角ドラマ恋愛を無闇に押し込むのは面白さの邪魔になるのかもしれないと言いたかった。女性キャラではない、過度な恋愛邪魔場合もある。仄めかすくらいなら良いのだろう。ドラマを例に出したのは実写ドラマにそういうのが多く見られる印象があったかである

以上女性から感想でした。

あー…でも掟上今日子ミステリー恋愛だったけどドラマ面白かったんだよなあ…

全てが全てそうとは言い切れない…しかシンゴジなんかは恋愛人情を過度に演出することをやめてゴジラを倒すストーリー押し出したからこそキャラの魅力があったし話も面白かった…うーん…演出問題でもあるのだろうか…

2016-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20160913050109

からそれが自意識過剰なんじゃないの?

それに、作品バカ発見されてバカの間でバカにされようと放っておけばいいじゃん

自分ネットバカの一員ならともかく、そいつらを一線を画する品性を持ってるんだろ?

クリエーターの中にもバカの間の評判を気にする人がいるけど、

正直「そんな品性人間ターゲットにしようとしてるの?」と思うわ

フツーは糞みたいな捻くれた受け止め方する奴を見ても一笑に付して完全スルーでしょ

あいう奴らに作品を潰す力なんて一切ないよ

ネット上で局所的に偏屈な論を内輪で共有してるだけ

そういう場で見てる限りは「潰された」ようにみえるかもしれんけど

結局それもそいつ視点妄言妄想の類だから

2016-09-11

殴られて育ったからって人を殴っても許されるわけじゃない

中学から高校ぐらいまでの間、父のサンドバックでした。あ、身体的な奴でなく言葉暴力です。

中学とき父親リストラされちゃいました。そのあとからです。たぶんストレスのはけ口にされたんじゃないかな。

収入なくなって家庭全体追い詰められてた時期だし。

「お前はだめだ」とか「死ねよ」とか、何か失敗したときに嫌味言って鼻で笑うとか、私が高校受験控えてお金のかからない公立高校に行くため必死勉強してる時期に、「うちのは高校行きませんから」と近所の人に言うとか、まあありきたりなやつです。

よくあるじゃないですか。虐待世代連鎖するとか、毒親の行いを無意識自分もやってしまう話とか。

高校ときネットでそれ読んで、絶望したんですよね。

自分の弱さから目を背けたいがため、子どもいじめて溜飲を下げるような人間に私もなってしまうのか?

悪い育ちの人間は、悪い人間になるのか?

タイトル言葉は父と同じ道をたどらないため、ずっと唱え続けている自戒です。

そして、父への行いに対する私の思いです。

父親自身が、育ちの影響を修正できずにきてしまった人間だったんですよね。

話を聞くところ、父の育った家庭は、お嬢様育ちで我儘な母親(私にとっては祖母)と人間不信偏屈な舅の折り合いが大変に悪かったらしく、殺伐とお世辞にも冗談を言い合えるような状況ではなかったようで。父は貝にこもるように自分世界で閉じていたらしい。

そんなんでコミュ障なのに、さら偏屈な舅から父はそのコミュニケーションを受け継いでしまったらしく、嫌味でひねくれた言い方ばかりうまくなる。

コミュニケーションベースがそんなんだから他人にも誤解されて嫌がられて、傷ついて、さら人間不信になってこじらせてくというループ

彼はそんなこんなで50半ばまできてしまい、子どもにまでその被害は波及していますよー。笑えねえや。

リストラされてつらかったからと言って、気持ちを吐き出すコミュニケーション暴言はくことしか知らないからといって、人を傷つけちゃいけません。

最近毒親がテーマ作品とか多いですよね。『母がしんどい』とか。

毒親の影響があるかもしれないと自分客観視して、その因果に抗って生きていこうとあがく人を私は尊敬しています

なんかまとまらんな。まあ自己満足で書いてるからいか

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