はてなキーワード: 人生とは
男性のほうが女性よりも圧倒的に優遇されているのは間違いない。
その上で、男性は最下層まで落ちるととにかく這い上がれない。適切なサポートも互助会も少ない。結果として人生が詰んでしまう。
女性は最下層に落ちたときの救いが多い。NPOの数も多いし支援者が多いので事実。救いの手が多い。
そして、多くの女性からみると「優遇されている男性なのに何を文句いっているんだ」となるし、最下層に落ちた男性から見ると「最下層の女性を見たら支援されているしサポートがある。俺はされていない。ずるい」となる。
この世の中は「一般の男性から強者男性」がもっとも強く、次に「一般の女性」がおり、その下に「下層の女性」がいて、その下に「下層の男性」がいる、という構造になっている。
テレワークのテの字も出てこないような、明治、戦前と変わらぬ手垢まみれの商売だ。
ま、AIやロボットが実用化されようと、向こう50年は無くならない仕事だろうけれど。
9時頃に出社して、エクセルを開いたり閉じたりを開始。
11時過ぎには車で飯を食いに行き、13時頃まで昼寝して。
今日やったことといえばネットサーフィンと四川省とソリティアくらい。
本当にヒマだ。
お前にやってもらうことは何も無いよとばかりに、張り切って仕事をしてくれている。
彼らも自分たちの食い扶持と、正社員であるという下らなくも個人にとっては命よりも思いプライドを守るために必死なのだ。
おれが前職のように馬車馬のように働いてしまったら、3人はクビを切れるだろう。
年収は800万。たまにゴルフと飯に食いに行くときは経費に落としているし
車両費やら何やらも会社の経費で落としているからお金は貯まる一方だし、
田舎町あるあるで、若い娘っ子はほとんど嫁いでしまって、あとはおれと同じような引きこもりしか残ってない。
趣味は金のかからないものばかりだし、何か推しているものもない。ギャンブルも飽きた。
それで、何をしたらいいのだ。
仕方なく、本を読む。
今日は何を読もうかな。ビジネス書かな。経営についての有り難い本かな。ラノベかな。
長いんだよ、話が。5時前から何件行くんだろうか。代行予約しとかないと。
思うに、人間ってのは30歳で終わるんだと思う。生物学的に、精神的にも。
シャカリキに勉強して、運動して、馬車馬のように働いて、稼いで、飲んで、遊んで。
ふと立ち止まったときに、あれ、自分もう終わったな、と感じた。そうして田舎に帰った。
そりゃそうだ、江戸時代なら、江戸に丁稚奉公に出て、芽が出なければ30代、40代で死んでいたのだから。
田舎に帰って畑やってても、子どもたちの邪魔になるからと、現世に別れを告げて山に籠もっていたのだから。
終わったんだよ、お前の人生は一度。
結局、貴族みたいな生活と思想だけ作り上げて押し付けて身に付けさせて、あとは知らんぷりか。
幸せでしょ?楽な生活でしょ?誰もが食べられる社会でしょ。飢饉で餓死者なんか出ようもないでしょ?
ってなことで。人生ってそういうもんじゃないのよ。誰かの役に立ちたいのよ。
くだらなくも、ちっぽけなプライドを、誰かの役に立っているという自負が必要なんだよ。
こんな、頭だけ張って責任だけを負うだけの罰ゲームは、誰も望んじゃいない。
政治家と同じだ。誰も彼も、文句をいうやつは言説だけはご立派だ。
矢面にも立たず、能力もなく、努力もせず、自らの権利を主張し、
陰謀論かのように、矢面に立つ人間を悪魔化して回るだけの、分裂病患者ども。
だれか嫁ぎに来ないかな。こんな田舎にゃだれも寄り付かないか。
ああ。退屈な時間が過ぎていく。ただただ、過ぎていく。
何もやっていない自分に嫌気が差す。
わかってる、アタマの中ではわかってる。
何の心配もない。何もしなくても地球は回る。社会は回る、会社も回る。
ボケーっと生きていたって誰かが何とかしてくれる。そういうものだ。
お前はただのお飾りとして、笑顔を振りまいて皆を鼓舞するだけのお人形でいい。道化となれ。
そこそこのお金を掛けてもらって東京に出て、ユーロ圏へ留学もして、好き放題やってきたんだろう。
お前がのほほんと良い教育を受けて、勉強して、いい会社に入って、飽きて地元に帰ったら家業があるなんて
明らかに、おれが受けてきた教育と経験からすれば役不足であることは間違いない。
従業員は路頭に迷うだろうが、60歳手前くらいまでは就職先の手当はつくだろう。
なのに、何でこんなにも心が乾ききっているのだろう。
甘えてるだの、意味がわからないだの、これだから上級国民は、と思われるだけだ。
さて。そろそろハンコ押しでもして出掛ける準備をしようか。
確かにそうかも!女でよかったーとは思う!
私は体も心も女性として生まれたから、男性の大変さを本当の意味で理解できないしなぁ…
ちょっと話ズレちゃうかもだけど、「男性と女性どっちが大変か」って前考えたときに自分は↓の結論にたどり着いたよ〜
【女性】
(ナンパ、見下される、ぶつかりとか)
【男性】
なにか1つ上手くいかない要素があると男性は人生詰みやすいとは思う…私も自分が男性で鬱病ADHDだったら誰にも相手されないんだろうなーって。
当事者じゃないと本当の意味であなたの辛さを理解できないから、綺麗事にしか聞こえないだろうしウザイだろうけど…その分男性のことを私は尊重してるつもりだよ、、、
元気になれるといいね、一緒に頑張ろ!
まずお疲れ様です。あなたが自力で病院までたどり着き、通院へ繋がったこと、診断が下りたことは間違いなく前進です。
相談したい悩みは、今後、親との付き合いをどうするか?ということでいいでしょうか?
お父さんに関しては、幼少期の悲しい思い出や恨みの気持ちはあるものの、関係自体はそこまで悪くないようなので、今すぐどうこうはしなくていいのではないかなと思います。
ざっと読んだ印象ですが、あなたを思い悩ませる主な原因はお母さんのように感じました。ただ、お母さんの今後をあれこれ悩んでも、あなたの人生に深く関わる部分と、お母さんの人生でしかない部分、それから交差する部分の問題がそれぞれあって、あなただけの力では解決できないこともあります。でもそれはあなたが原因ではありません。単に、お母さんの人生と、お母さんが抱える問題だからです。
お母さんの愚痴の連絡は、あなたの病気を考えるならやめさせた方がいいと思います。やめて欲しい、とお母さんに主張することは難しいでしょうか?
健康面でも、金銭面でも、これ以上は自分の手に負えないと感じたら、近くに住んでいるお父さんや、可能なら母方の祖父母に事情を話し、地元の福祉につなげることも手段だと思います。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/fukusijimusyo/index.html
家も似た感じだったよ。
九州で女性の賃金ってそんなに良くもないだろうってのと、離婚してない状態でも父親が家にお金を入れなかったのと、扶養の問題で一定以上は稼ぐことができなかったので貧困化した。
母は多分そういうメンタルDV状態で病んだのか元々の貧困+パチンコで借金作っていた。
そういう状態だったからか、借金できない事に不安を覚えるようになったのか、自己破産の説得がちょっと大変だった。
若い頃は恨みもしたし貸した金は返してもらってないけど、まだ認知症ではないが思い出話が悪い思い出は忘れて良い思い出と子供のために頑張ったって記憶ばかりを思い出すらしいのを見てると、女一人で頑張ってたんだなと思えるようになってきた。
自分は結婚も子供も居ないから多分母に比べたら苦労は楽かもな。
自分も鬱になったりはしたけど、今思うと親の事を恨み続けてても自分の事に集中できないだけで意味ないな。だから生涯独身みたいになってるし。
どうせ歳を取って振り返ったら、ヨボヨボになりつつある親を見てたらどうでも良くなってしまうし、最悪親は生活保護受けてもらうつもりで自分の人生をしっかり生きたほうが良いよ。
ちょっと母親の借金癖や精神状態が似てる状況であったのでアドバイスにはならないけど、私の事を書いておきます。
その前に、あなたの状況はよく頑張っているし誇っていいです。
母親の心配や自分より大変な人が居ると言っておりますが苦労は人と比べるものではなく、絶対的なものなので
自分は苦労している、頑張っていると思って自分を大切にしてください。
現在は借金もできず、お金を貸さないので使えなくなっただけ。貯金できてない。
本人は浪費していると思っていないし、生きているならこれぐらい使うのが当たり前とか思っており
この考えは変わらないので変える労力を何か他に使った方がマシ。
ただ、家計状況は最低限把握するため(闇金防止の為)家計簿を付けるようにするのも1年ぐらいかかりました。
現在は月に1度家計簿チェックしていますがここに行くまでにレシート全部取らせて代わりに書いたり、毎日書いているか?
と聞いたりと結構大変でした。
それでも余った金はすぐになくなるので浪費はなくなっていないです。
部屋も片づけができず、たぶん、そういうのが苦手なのでもうあきらめています。無駄です。
お金が無いとなったら米渡したり、食品渡したりをしています。現物支給です。
電気ガス水道は今のところ止まっていないので何とかしているようです。
年金が少ないので将来は生活保護の上、老人ホームに入れとは伝えていますし、そのつもりです。
まだまだ書きたいことはありますが、あまり長くても見づらいのでここまでにします。
この世の中を色々な重荷を背負いながら過ごしてきた毎日は、きっと簡単には想像も付かぬくらい厳しい毎日だったのでしょう。
さて、自分の置かれた環境を自覚すると、その環境に反発したり、逆にありがたく感じたりと、
そうした感情については無理にまとめたりせず、そういうものだと思ってお過ごしください。
歳を重ねる度にそうした事柄をどこに納めればいいかなんとなく分かってきます。
苦しい時は目の前の1日を乗り切ることだけを目標になさってください。
今回のように人の意見を募りながら、社会に上手く寄りかかりながら、
その分をお仕事で社会に還元しながら過ごしていければ満点、何もいうことはないと思います。
年金崩壊の現実、氷河期世代に突きつけられる厳しい未来。人口激減で制度維持は不可能、引き上げは必然だった。
小泉進次郎の政策は単なる引き金、根本的な問題は長年無視されてきた。今こそ人生の棚卸しのチャンス。健康なうちに休暇を取り、新たなスキルを磨くべき時。
老後は「安らかな隠居生活」から「働き続ける現実」へ。覚悟を決めて、明日への準備を始めよう。#年金破綻 #氷河期世代の悲哀 #人生100年時代の罠
ジャクオを克服しないのが気持ち悪い。
人見知りだったら克服しないでチートに頼ってイキってるし、友達居ないのを克服しないで奴隷美少女買ってハーレムにしようとかそんなんばっかだからな。
牛丼屋に入ると秋の穫りたて新米だった、だが客たちは荒ぶっている、忙しいのだろう、急いで盛った丼に汁がこぼれてて手が汚れた、俗世の民たちの力強い生き様を喜び新米店員頑張れの歌
恋に敗れ田子の浦を傷心旅行中、肉山で米が見えない素晴らしい牛丼に出会えた、私は感動のあまり紅生姜をたっぷり乗せて食った、明日から頑張ろう
落ち葉の積もる山奥のド田舎を歩いていると、腹が減りようやく見つけた牛丼屋に入り、いつもの並&卵を食していると、どこかしらから牛の鳴き声が聞こえてきてなんか罪悪感を覚えた、モォーモォー鳴いてるし、ゴメンて
オールで遊び疲れ牛丼を食うた、汁一滴も残らぬ乾いた丼に渡し箸、行儀が悪い
一息ついて外を見れば夜が明けてきた、そういえば肌もカサカサだわ、不健康だわ
こんな人生で良いのだろうかと悩む様
街を歩いていると牛丼の匂いがしてきた、誘われてる、悪い誘い、食いたい、
昼休みエレベーターを待っているとこれからランチに行く人、ズルして早飯で戻ってきた人と別れすれ違う、みな牛丼を食ったのだろう、奮発してうな重だろうか、僕はなにを食べようか、ワクワク
東京本社では平社員が早飯とかありえないんですけど、という心情
親父(君)が牛丼買ってこいつーて、寒いから嫌だと断ったのに、もう春だと押し切られ、まぁこれも親孝行かと諦めて渋々出かけたら案の定コートに雪が積もる、
ありえねぇ、チャリの前カゴに詰んだ牛丼を眺めるとイライラする、Uberにすればよかった
仕事が忙しくランチタイムを逃し、ようやく仕事が片付いて飯に向かう、腹がすきすぎて大急ぎで吉野家に駆け込み、注文を聞かれる前に「並と卵!」とオーダーしたった
あまりの形相に店員は驚いたのだろう水を出すのも忘れ、先に牛丼が来た、お水ちょーだい
ふと見た窓の外には大勝ちした客がおり目眩がした
昨日の住之江競艇に懲りずに難波ウインズ、競馬で大博打、夢は一瞬で散った
哀れすぎてこの世を去りたい、だが牛丼を食う、すぐ忘れて元気になった
昨日の難波ウインズを妻に詫びたが、結局今日も懲りずに難波ウインズでまた負けた
40過ぎて、寂しいなって思う瞬間が増えてきた。
自宅で腕立て、腹筋、背筋、スクワット。これなら簡単だろうって思って始めたんだけど、正しいフォームを意識してやると、思った以上にきつかった。
腕立てなんて最初は5回ぐらいで腕がプルプルした。けど、毎日やっていくと少しずつ回数が増えていって、なんか「おっ、俺、やれてるじゃん!」って自己肯定感にも繋がった。
10回、20回、50回とできるようになっていき、それなりに体は絞れてきた。
そんな中で、さらに体を絞りたいなって思ったんだ。そこで思い立ったのが、猫を飼うこと。
腕立て伏せのとき、猫を背中に乗せて行い、スクワットのときには猫を抱っこして行う。俗にいう「猫プラス」ってやつだ。
夜は一緒に寝て、朝起きると「にゃあにゃあ」ってご飯を催促してくる。
仕事から帰ってくると、玄関で待ってるんだ。あの小さな体で、待ってる。
俺がドアを開けると、「やっと帰ってきたか!」って顔で近づいてくる。それで一緒に晩ご飯を食べてさ、それから一緒に筋トレをする。
そんな日々を繰り返すうちに、自信がついてきたのを感じられた。
寂しさも減って、ネットでよく「筋トレを始めると人生捗る」なんて文言を見かける度、ただのネタだろって内心馬鹿にしてた。でも、やってみると本当だったんだなって。
今はそう思ってる。
戸建の広さが必要なのって精々育児中の20年前後(小学生から子供部屋を与えて大学は独り暮らしなら10年程度)でしかなくない?
人生の限られた期間のために買った瞬間2割の価値が消し飛ぶクソ高い注文住宅を苦労して建てる意味が分からないんだけど。
今は中古住宅でも住宅ローン減税受けられるし、多少無理してでも便利な土地に建ってる中古住宅買って子育て終わったらさっさと売り払うのがベストだと思ってるしそうしてる最中なんだけど、わざわば注文住宅建てる奴が多くて凄く不思議。
正確に言えば、私の関心を俗世に繋ぎとめておく軛として配偶者より適当な仕組みがこの社会に存在しないんだ。
心底では他人に関心がなくて、素面では他人と対等の付き合いしか信じることができないからしがらみとしての結婚が必要なんだ。
結婚でなくてもいいが、しがらみが。
あなたがたの言いたいことはこうだ。他人に興味がない社会的欠陥動物が無理して結婚など目指すな。一理ある。
結婚に向かない人というか、一人でいることが最も心地よく、もしかすると周りにとっても善であるような性質の人間がいることは承知しているし、私もそのようであるという自覚がある。
だが同時に、いみじくも『最強伝説黒沢』でゲストキャラのおっさんが独白するように、人間は強制されてかろうじてまともだ。私もそのようであるという自覚がある。
人間に目指すことができるのはせいぜい短期的な報酬だけだ。長期的な野心を抱く人間も短期目標の積み重ねそれ自体を報酬として野心を維持しながら長期目標を目指すのであって、我々はそういう作業ができる人間のことを解決力とか実行力があるとか呼んでいる。
私はまとまったカネを要する種類の欲をまったく持たないので、短期的に私が心地よいようにするとあまりにも失う社会性の量が過大になってしまう。後に社会に復帰するのに必要な弾性ごと失うほどに。
もし社会性を完全に捨て去った私が幸福の最大値を目指すなら、私のすべき行動は今すぐ退職して生活保護費を申請し、読書と惰眠、自慰、あるいはPCで完結する創作趣味に明け暮れながら自殺までの時間を気ままに遅延することになる。
今現在の私が不本意にもそのような理想的生活状況にないのは、既にして私は本当には一人ではないからだ。
カネを必要としていない私が曲りなりにも職に就いているのは、あえて両親を泣かせたくはないというのと、学生時代に得た数少ない友人との付き合いに負い目を作りたくないという気分が理由のおおよそになる。
資産を持たず、浮世を捨てたほうが心地よいと信じているのにそうしないのは、数少ない私が気にかける人がもし困窮したときに私が伸ばせる手がなくなるからという、いうなれば不安のためだ。
これは災害的、ポアソン的なイベントに対する備えのようなもので、「その時」に至るまでの報酬は何もない。
マメな友達付き合いというのも好まないから、本当にない。ただ生活の荒野があるだけだ。この空白地帯を超える術をしがらみの慣性力のほかに私は知らない。
ところで、ここまでの話に配偶者は登場しなかった。既にいる私の気にかける人たちが目的であり、同時にしがらみであったからだ。
次に私が恐れているのは?いずれ私が生活に摩耗する間に彼らの存在が後者として機能しなくなったのに、前者としてのみ残ってしまうような事態を恐れている。
私は多分、両親や友人を無視することを容易に合理化できる。自己都合で私を生み落とした両親がどうなっても究極的には自業自得だし、対等な立場であるべき友人の人生にお節介であまり立ち入るべきでもない。
とはいえ自分の内心についての予断はロクなものではなく、いざその時を迎えて、実際に私が不幸ではないかどうかは、したい賭けではない。今はそういう判断をしている。
いや、あなたがたの言いたいことは分かる。互いに迷惑をかけるのが健全な人間関係だと。
しかしながら、互酬的なフェアネスを想像することは難しい。私が物理的に距離の遠い彼らに対して望むことなどほとんど何もないから。
書いてるうちに気づいたがつまり、どこかで生きている友人に対して、勝手に幸せになってほしいと勝手に思っているという事態が私の友人関係の内実なのではないか。それはどうなんだろうか。
ともかく私は両親には義理と友情を感じているが、おそらく愛してはいない。友人に抱く情はいくぶん愛かもしれないが、強いしがらみを望んではいない。
必然的に私は物質的にはフェアでありつつ、同時にその枠の外に置くことのできる一方的で独善的な、強い愛の対象を求めざるを得ない。私の言語では独善的なものだけを愛と呼んでいるといったほうが近いかもしれない。
思うに、それは観念的なものではどうしても強度が不足していて、臭気芬々たる、不愉快極まる肉の質量でなければ私のような凡人を長く捕らえておくことは難しいんだろう。
今いる友人たちをそのようなものに貶めるよりは、いずれそのようになるものと思って新たな人との付き合いを求める方が、かろうじて私は我慢ができるはずだと今は考えている。現実的な相手とのすり合わせ可能性を踏まえても。
ハタチあたりの頃に私は人に対して愛しているといった言葉遣いをしたことが一度だけあるが、それさえもやっとネットの友人で顔も知らぬ半回り上の男を相手にしてのことでだ。
彼はこの世に数少ない愛すべき人たちが肉のある人間であることが残念でならないといつも考えていて、私もまったく同意見だった。
現在の彼は私が単に気にかける友人のひとりで、ここ数年私はアプリで知り合った女性の一人と習慣として会話を続けている。アプリ自体は疲れたのでやめた。
お互い遠くに住んでいるわけではないと知りながら、半年に一度のペースを超えては会う気にもならず、焦点のぼけた会話の中から彼女の趣味のよさを探そうとしている。そんなのをずっとやっているだけで精一杯なんだ。
しがらみを追い求めるふりをしながら、回避的にしがらみから逃げ続けているわけで、傍目には奇行としか言いようがない。
私が同じところで回って何も進んでいかずとも爪は伸びるし身体が衰えるのを感じる。今夏には低い視力がまた落ちていたが、道行く他人の顔をよく見ずに済むように矯正視力は0.6で止めた。
分裂した私の間でいたちごっこを続けつつ、結局は騙しだまし、私が死ぬまで私の延命を続けるようなおもしろくもない羽目になるような予感がしている。現実はひどい。
定職がある男なら20代後半の結婚適齢期を迎えるとモテ期が来る。
同年代の女が結婚に焦り始めることで、人生で初めて男女のモテ具合が逆転するのがこの年代。
まあモテ期って言ってもマンガみたいなドラマチックなものじゃないかもしれんが、安定して金を稼ぐ力と社会人としての最低限の常識があれば戦える。
とにかく二十代前半で諦めるのはもったいない。
俺の人生も似たような感じ。
28あたりで初彼女・脱童貞だったが、ギリギリアウトだったか?という印象。
20代後半にもなってくると(自覚している以上に)性欲が落ちてしまっているので、満たされなかった欲として残り続け、一生幻影を追い求め続けることになりかねない。
29という年齢はほぼほぼ手遅れだが、こうなったら何でもいいからとっとと風俗行ってこい。
別に本番はあってもなくても構わない。女体に幻想を抱いている状態から卒業するんだ。
彼女が万一できたとしても、最悪緊張しまくって立たない、相手もぬれない、それでお別れってことも十分に有り得る。
10代なら相手も根気強く相手してくれるだろうし、こちらも性欲ギンギンでなんとかなるだろうが、30代にもなると勢いすらない。練習しておけ。
その年で素人童貞にすらなってないのは何やらこだわっている様子だが、別に風俗なんて大した事ない。本当に大した事ない。
初めて美容室に行ったあの日のように、あるいは親をつれず自分で服を買ったあの日のように、おとなになるために行動しろ。
30で童貞はネットだと面白がられるが、ふつうにキモいし、イタい。
お前の人生は誰かのネタなのか?モテない男なら、モテない男なりに戦え
人生観ピュアピュアのところで書いていなかったがそもそも「恋愛も結婚も普通の趣味と同等でしょ」と思っているので、はてブを見ているとこの手の男女論の流れが、たとえば一部の自称ゴルフ上級者がアドバイスを求めるゴルフ入門者に『パター未経験はきついなぁ』『友達居ないのになんでコース回れると思ったの』『なんか気持ち悪い』『ゴルフの実績解除したいだけの人だ。』『こんなところでアドバイス求めてる時点で頭悪いんだろうな』『ゴルフしなくてもよくない』『ゴルフすれば楽しくなれると思い込んでる。要はガキ』『勇気がないんでしょ』『ソープに行け』みたいな詰め方をしているように見えて、なぜそんな上から殴ってるんだとイラつく。ジンオウガになってしまう。
元増田は「ゴルフでプロとして食っていきたいな〜」といいながら「でもスクールとかで人に教わるのは嫌なんだよな〜、俺の生まれ持った能力だけで勝負したい」みたいに聞こえるんだよ。そりゃ、みんな自由恋愛だけで生きていきたい。でもそれができるなら、少なくとも学生のうちには交際経験あるはずなんだ。出会いの少ない社会人になったら、ステージは一気に変わってしまっているので、何らかのアシストを受けるべきなんだよ。
みんなが左側通行の1列で歩けば、相手とすれ違うときにどこのラインに入るのが最適解かとか都度都度考える必要もなくなるのに…
って思ってイライラしている
車道と区切られてない狭い歩道でなんとなく左側通行の流れができてるところに
そのせいで対向者の列が乱れてしっちゃかめっちゃかになって
それを避けるためにこっちも右に左に動かなくちゃいけないことが毎日のように起こってイライラする
あるいは毎日通る駅の建物内で直角に右に曲がるブラインドコーナーがあるのだが
そこを前を歩く女がアウトインアウトの最短距離で突っ込んでいき
左側を歩いていた対向者とバッティング
対向者が逸れて俺の方に突っ込んでくるので俺が避けるみたいなことが毎日のように起こってイライラする
こういうこと書くと
「そんなこと考えながら歩いてるの?wwww人生疲れそうwwwww」
っていうやつが必ず現れるけど
私は今朝の慎重さは欠かせないようにして増田を書くの。
だいたい見ていると増田って
アゲな増田かチルな増田かのどちらかの可能性が大なり小なりあるんだけど
私はどちらかというと
テヘでペロな増田かな?
なんてそんなことどうでもいいのよ。
夏の暑いのにかまけていないで
真面目に秋を迎える時期を過ごさないとあっと言う間にまた年末が始まるわ。
でもさ
もう来年の干支の決まることを気に掛ける必要が無くなるかもしれないの。
ハガキを出す料金の方が高くてそっちの方が心配になるんじゃない。
あれ郵便局の人ってハガキを出してほしいのかしら出してほしくないのかしら?
どっち?って思うわ。
まあ出すのを止めるって人も1歩踏みとどまって考え直すきっかけになるかも知れないのよ。
そんな鰯気なことを考えているから
年賀状がープレイステーション5プロがーって値段のことになるとみんなそう言うのよ。
たぶん私の場合は
年賀状が来た人に対してお返事を書く黒ヤギさんタイプの運用の仕方の年賀状なので、
やっぱりどちらかというと
じゃないとイラストがイモ判が彫り作れないじゃない。
まあそれはともかく、
そのイモ判を作った後で作るサツマイモの天ぷらが美味しいのなんのって
あんまり私はそのサツマイモの天ぷらの美味しい!って感じる人生にまだ到達していないので
いつか来るであろう
そういう急にミョウガが大好きになったみたいな感じで訪れると思うわ。
その時のためにやっぱり年賀状ってのは料金据え置きで
私の考えた冴えた1番の方法でいうと
1通四捨五入して約100円!
やくみつるさんのそっくりさんがやくみつるさんにどのぐらい似ているのかって言うのなら約みつる!っていうぐらい
その約100円ぐらいを投じて年賀状書かないでしょーってなるの。
もっと年賀状代のハガキ代のことを気にした方がいいと思うんだ。
もう周りの料金がどんどん上がるばかりよ!
あの500ミリリットルの規格でのサイズ感で600ミリリットルとか!
謎だわ。
世の中料金が上がって困っているのに、
料金据え置きで容量が増えていくのは麦茶だけって。
よく分からないわ。
たぶん
夏の在庫が多く買ってしまった麦茶の素を使い切るためにたくさん作って500ミリリットルのペットボトルに無理矢理600ミリリットル充填している可能性は大なのね。
あの密室の茶室で麦茶の量を500ミリリットルから600ミリリットルに変えるのなんて不可能なの。
完全なトリックだわ。
本当に謎よね。
それを言うなら逆じゃない?
それなら理屈が通ると思うだけど。
トリックだわ。
うふふ。
もー。
でも美味しく頂けたからまた朝の元気の源よ!
絶好調な
ゴクゴク飲んで
水分補給もまたしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
俺はバリバリの自民党支持者なのでそこはどうでもいいんだが、特定の政党や団体を粗い理解で攻撃していて満足を得てるの、大丈夫かなと心配になったんだ。でも余計な心配だったよな、すまない。今の人生に満足がいっているならそれでいいんだ。
俺が考える童貞(≒恋愛とセックスを完全に避ける生き方)のメリット
・仕事/親戚/ネット/学生時代/近所付き合い以外の人間関係を人生から切り離せる
・抜きたい時に抜いて、抜きたくないときは抜かなくていい
・他人から切り離されているので入浴や食事のタイミングなどを自由に選べる
・見た目について清潔さと健康を保つついでの範囲までしか気にしなくていい
もちろん非童貞(=恋愛やセックスとか変わっていく人生)にもメリットはあるんだけど、俺は色々差し引きソロバン弾いた結果として童貞である方がいいと判断した。
皆そうだと思ってたけど違うのか?
「早く童貞を捨てた~~~い」とか思ってるくせにロクにスキンケアやボディメイクもせずに「うーん。ブス相手には捨てたくないけど、ビッチはお断りだな~~~」みたいなこと言って生きてたん?