グラフィックのリアル度がゲームシステムのリアル度と乖離した時、システムに対するリアル度の低さという違和感をゲームのお約束として脳内処理してしまうのが通例であるなら、その場合グラフィックの精細さはなんのために搭載されていると感じるのでしょうか?
わたしは、あまりグラフィックが売りのゲームというのをやったことがなくて、それでも例えば平面スクロールのマリオなら、WiiUの映像とかをみていると、別にこんなに立体感のある映像でやらなくても、ファミコンのマリオの絵でもゲームの楽しさは変わらないんじゃないかなあと思うことがあります。もちろん実際やってみれば敵やキャラクターの挙動がかわいいかったり、エフェクトが気持ちよかったりと思うのかもしれません。任天堂のゲームはそういう部分を楽しくつくろうとしていると感じます。ポケモンがいつか立体になったのをみたときも、結局コマンドの出し合い合戦なのだからと思ったのですが、やはりポケモンの挙動が増えるとかわいいし没入感がありますよね。
一方でグラフィックのリアルさを売りにするゲームって、もっとリアリスティックというか、映画的というか、業界の人たちがどのように言うのかわからないですけど、そういうのって任天堂的な表現とは違って、現実の模写がいかにできているかという部分に価値があるのかなと思います。そうするとなると、例えばターン制のコマンド出し合い合戦のゲームシステムだとしたら、これも、やったことがないので、実際やってみるとわかることがあるのかもしれませんが、リアリスティックなキャラクターたちの映像でそのゲームシステムをやることに、特別な喜びが感じられるのでしょうか。ファミコンのドラクエのような画面に置き換えたとしたら消えてしまう、そのグラフィックのリアルさによって得られる恩恵が特別にあるのでしょうか。そこのところがピンときません。