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はてなキーワード: 落語とは

2024-11-21

主人がオオアリクイに殺されましたってんならアンタは女王アリな訳で…

現代落語

2024-11-12

anond:20241110151758

落語般若心経でいいじゃん ギャーテイギャーテイハラギャーテイハラソーギャーテイボウジソワカーのあたりインドの古い呪文意味わからんとおもいつつめっちゃこびりつく

2024-11-09

無限ツッコミマシンとしてのX

Xのおすすめ機能、ウゼーなと思うんだけど、使いみちがあった

それは、俺の「ウゼー」の気持ちを吐き出し、ツッコミをすることである

最初は正直、うざったくて仕方なかった。毎回ログインするたびに、「これがお前へのおすすめだ」って押し付けがましく表示されるのが。

でも、ある日気づいた。これって、俺の日常イライラを発散する絶好の機会じゃないか?って。

例えば、政治家意味不明発言おすすめされてきたときなんか、「いやいや、それ言っちゃダメでしょ!」ってツッコミを入れる。

芸能人ゴシップ記事が出てきたら、「そんなことより、もっと大事ニュースあるだろ!」って突っ込む。

不思議もので、こうやってツッコミを入れていくうちに、なんだかストレス発散になっていく。

それまで溜まっていたモヤモヤが、少しずつ晴れていく感じ。

まるで、バーチャル落語の高座に立って、世の中の不条理ネタボケたり突っ込んだりしているような気分になれる。

そうやって使っているうちに、この「おすすめ機能」が、ある意味現代社会を映し出す鏡になっていることにも気づいた。

人々が何に興味を持ち、何に反応しているのか。そこには、良くも悪くも、今の世の中の縮図がある。

結局のところ、テクノロジーって使い方次第なんだよな。

同じ機能でも、受け取り方や活用の仕方で、全然違うものになる。

最初は「ウゼー」と思っていたものが、今では小さな楽しみに変わった。

から今では、Xを開くたびに、「さて、今日は何にツッコミを入れられるかな?」って、ちょっとクワクしている自分がいる。

世の中には、イラッとすることがたくさんあるけど、それをユーモアに変換する術を身につけられたような気がする。

2024-11-07

生活苦しいんだよねって友達相談されて

落語見にさそったんだけど

ひょっとして

お金借りようとしてた?

2024-11-03

なんであかね噺はアニメ化しないの?

ジャンプの人気作品だよね?

やっぱり落語パートアニメ化しにくいのかな

2024-10-16

anond:20240830135036

珍北清三(ちんぽくせいぞう)と申します。

あらすじを先に知っておくと少し心配が減ると存じます

時そばときそば 落語演目 あらすじ

https://senjiyose.com/archives/328

2024-10-15

anond:20241012181121

なんでボボボーボ・ボーボボが入ってないんだ!

マサルさんと同じギャグ枠か。


作品連続アニメ化を決めた、魔人探偵脳噛ネウロ暗殺教室、逃げ上手の若君の松井先生作品も入れたい気はする。


ジャンプ中国古典小説要素を持ち込んだ、封神演義

科学要素でどんどんスケールがでかくなる、Dr.STONE

日本ではマイナースポーツアメリカンフットボールに脚光を当てたアイシールド21

ジャンプ落語をやるあかね

とかも入れたい。

今日運動会の予備日。まるまる予定がなかったので。

子供三人。運動会の予備日。特別に予定はないから、子供遊んだ。(小学生2人姉弟幼稚園1人弟)

妻は片付け(前週も運動会)に集中するとのことなので、子供相手をすることにした。

8:30朝食は昨日買ったパン。皆で食べる。

まずは昼ご飯に何を食べたいのか聞き取り。結果、チャーハンとのこと。(外食の方が楽だったが、チャーハンがよいと決まった)

9:00 子供おもちゃなどをリビングから片付け。午後はテレビ野球を見たいので、部屋で見ながら遊べるように片付けた。

10:30 炊飯器に3合セットし、公園へ。長男キャッチボールをして、長女と次男サッカーと縄跳び。最後にみなで野球次男の投げるフォームが元気いっぱい。

11:40 帰宅風呂に入って、チャーハン作り。

12:15 昼食。妻も含め5人で3合完食。

13:00 次男と昼寝。長女と長男ゲーム

14:00 野球が始まったのでアイスコーヒーを飲みながら観戦。長女が作りかけのラジコンの続きをしたいと言うことで、テレビ(大)を見ながら組み立て。タミヤBBX小学生には難しい。それでも、長女は次男部品探しで楽しそう。

長男野球を見ながらテレビ(小)でパワプロ。王と小笠原落合は誰がすごかったかと聞かれたので、どれもすごいが、パパは原が好きだったと答えた。妻にはどちらかの実況を消して欲しいと言われたので、長男は音を消した。どうやら、現実野球も気になるらしい。

16:00 長女が、昨日夜、Switchカラオケ一日分チケットを買ったから、やりたいとのこと。ラジコンは一段落したので、テレビ(大)はカラオケになった。テレビ(小)で野球継続日ハムが逆転した。清宮はスマートになってよかったね。エスコンテレビで見ると選手が大きく見える。角中にどうして代打が出たのだろう。

18:00 夕食はとんかつ屋弁当が食べたいという妻の進言により、注文。明日の朝食のパンを買いながら、とんかつ屋に取りに行く。大人ヒレ子供ロースロースよりヒレが好きなのではなく、ロースを食べたいのに、ふた口目から後悔するからだ。消極的かつ最善の選択ができるのが大人だと思う。5人で8000円ほど。どこにも出かけてないので余裕余裕。

20:00 しっかり食べて、クイズ番組を見る。志らくは間が悪い。師匠談志は間で勝負する落語家じゃなかったから、仕方ないか志らく弟子が多いと聞いて、驚いた。落語新人ドラフトで選ばれるのか?

21:00 ニュースを見ながら子供の就寝の準備。政治若者に近づいていないっていってた演説聞くのが趣味という女性モデルがでてたけど、それは今に始まったことではないよ。みんな、年を取ってから自分がうまくいかなかったことを世の中のせいにするようになって、ようやく政治意見したくなるんだよ。でも、9時のニュースを見る層は、そこそこの投票率になると思うよ。そもそも他人投票に行かない方が、自分の一票の価値が上がるんだから

子供歯磨きをして、おやすみなさい。フロスは大事

2024-10-13

ヒッチコック監督の『サイコ』はリメイクされたことがある

98年ごろにリメイク作品が作られたんだけど、これの内容がオリジナルまんま。

ストーリー構成演出も、映像の構図とかもほぼ同じ。

明確な違いは役者が違うこと、カラー映像であることだけ。

もし本作を観て面白いと感じても、その9割はオリジナルのおかげ。

最近読んだ漫画で「ものを作るのは全て真似から始まるが 真似で完結したものは ただの劣化」というセリフがあったが、その典型例が98年版『サイコ』だと思う。


それにつけても“同じことはやればやるほど退屈になる”ってことを甘く見積もってはいけないんだろうな。

究極の反面教師はやっぱりエンドレスエイトだろうか。

折に触れて評価し直そうとしたこともあったが、やっぱりアレは失敗というしかない。

そして、その大きな要因は総じて“同じことをやったから”に集約される。

まあ、同じことやっているからこそ安心するって側面もあるだろうけどね。

日本でいうと時代劇とか落語がそうだけど、あれらも現代立ち位置を踏まえるとなあ。

結局それらだってアプローチ方法を変えたり、差別化しようと試行錯誤しているわけだし。

“同じことをやり続けると退屈”であること自体は分かってるわけだ。

2024-10-06

自分が読みたい展開?

ウェブ小説感想でよくあるのがこの「読みたい展開」である

ざまあを読みたいからざまあを期待するとか、ウェブ小説お約束を期待するという意味だと理解している。

どうやらウェブ小説には、書かなければならない展開という作者と読者の間の暗黙の了解があるらしい。

落語でもそういうのあるよね。決まり文句みたいな?

逆にいうと、そういうのを知らないとウェブ小説として読者に認められないし、ウェブ小説を楽しむこともできないのだろう。

誰かまとめてくれないかな?

2024-10-03

会話って、普通に当たり障りないところから始まって、

共通趣味の話とか見つかったらその話するし、

エピソードちょっとした愚痴や自慢、感動)とか、聞いてもらえるなら聞いてもらうし、聞かせてもらうし

相手がつまらなさそうにしないように、話したい欲溜まってないか、無理に話題を振ってないか、気にするし

2人ならわりと簡単だけど、複数人になったら格段に難易度が上がって、

ずっとつまらない(他の人が興味を持っていない、笑わない、スマホいじりだす)長い話をする人や、

突然突拍子もない話(本人は繋がっているつもり。関連性の認識おかしいかエピソードとかが少なく無理に手繰り寄せて違和る)をする人が居たりで

せっかくの時間がもったいなくなって悲しい

そこそこみんな楽しめているのなら、主導権の奪い合いや切り返し狙いとか自分個性存在感アピールするそれはそれで楽しいなのだけど

もちろん3~4人ぐらいで真面目な話をすることもあるし、なんでもかんでもウケようとしてるわけじゃないです

誰かと話すのって、

愚痴や悩み言いたい、共感なり、アドバイスなり慰めなり

マウントしたい

知って驚いたことを共有したい

みたいな、前の二つとか(三つめもちょっとマウント系か)の、愚直に伝えればよくない系の欲求のためが含まれてないか

それは相手しんどい自分も恥ずかしいから、話術(ネタのチョイスや組み立て、間合い)が必要で、

関西人から距離感近すぎて、他地域だと、ただその場を穏やかに保つためや、相手危害を与えないですよという安心挨拶社交辞令だけなのか?

関西人から着地が笑いになりがちでそのパターンを多種知ったから、予定調和で笑えたり、ツッコミで終了するけど、

地域だと、怪談かいい話オチとか落語人情噺とか、世にも奇妙な物語タモさんみたいな別系統の落としがあって、そこわからんのかな我ら

いや、真面目な話だと普通に気を付付けなあかんね、とかそれは悲しいねで終わるのも多々あるんだけどさ

2024-10-01

五  門をはいると、このあいだの萩が、人の丈より高く茂って、株の根に黒い影ができている。この黒い影が地の上をはって、奥の方へゆくと、見えなくなる。葉と葉の重なる裏まで上ってくるようにも思われる。それほど表には濃い日があたっている。手洗水のそば南天がある。これも普通よりは背が高い。三本寄ってひょろひょろしている。葉は便所の窓の上にある。  萩と南天の間に椽側が少し見える。椽側は南天を基点としてはすに向こうへ走っている。萩の影になった所は、いちばん遠いはずれになる。それで萩はいちばん手前にある。よし子はこの萩の影にいた。椽側に腰をかけて。  三四郎は萩とすれすれに立った。よし子は椽から腰を上げた。足は平たい石の上にある。三四郎はいさらその背の高いのに驚いた。 「おはいりなさい」  依然として三四郎を待ち設けたような言葉かいである三四郎病院の当時を思い出した。萩を通り越して椽鼻まで来た。 「お掛けなさい」  三四郎は靴をはいている。命のごとく腰をかけた。よし子は座蒲団を取って来た。 「お敷きなさい」  三四郎蒲団を敷いた。門をはいってから三四郎はまだ一言も口を開かない。この単純な少女はただ自分の思うとおりを三四郎に言うが、三四郎からは毫も返事を求めていないように思われる。三四郎は無邪気なる女王の前に出た心持ちがした。命を聞くだけである。お世辞を使う必要がない。一言でも先方の意を迎えるような事をいえば、急に卑しくなる、唖の奴隷のごとく、さきのいうがままにふるまっていれば愉快である三四郎子供のようなよし子から子供扱いにされながら、少しもわが自尊心を傷つけたとは感じえなかった。 「兄ですか」とよし子はその次に聞いた。  野々宮を尋ねて来たわけでもない。尋ねないわけでもない。なんで来たか三四郎にもじつはわからないのである。 「野々宮さんはまだ学校ですか」 「ええ、いつでも夜おそくでなくっちゃ帰りません」  これは三四郎も知ってる事である三四郎挨拶に窮した。見ると椽側に絵の具箱がある。かきかけた水彩がある。 「絵をお習いですか」 「ええ、好きだからかきます」 「先生はだれですか」 「先生に習うほどじょうずじゃないの」 「ちょっと拝見」 「これ? これまだできていないの」とかきかけを三四郎の方へ出す。なるほど自分のうちの庭がかきかけてある。空と、前の家の柿の木と、はいり口の萩だけができている。なかにも柿の木ははなはだ赤くできている。 「なかなかうまい」と三四郎が絵をながめながら言う。 「これが?」とよし子は少し驚いた。本当に驚いたのである三四郎のようなわざとらしい調子は少しもなかった。  三四郎はいさら自分言葉冗談にすることもできず、またまじめにすることもできなくなった。どっちにしても、よし子から軽蔑されそうである三四郎は絵をながめながら、腹の中で赤面した。  椽側から座敷を見回すと、しんと静かである茶の間はむろん、台所にも人はいないようである。 「おっかさんはもうお国へお帰りになったんですか」 「まだ帰りません。近いうちに立つはずですけれど」 「今、いらっしゃるんですか」 「今ちょっと買物に出ました」 「あなた里見さんの所へお移りになるというのは本当ですか」 「どうして」 「どうしてって――このあい広田先生の所でそんな話がありましたから」 「まだきまりません。ことによると、そうなるかもしれませんけれど」  三四郎は少しく要領を得た。 「野々宮さんはもとから里見さんと御懇意なんですか」 「ええ。お友だちなの」  男と女の友だちという意味かしらと思ったが、なんだかおかしい。けれども三四郎はそれ以上を聞きえなかった。 「広田先生は野々宮さんのもとの先生だそうですね」 「ええ」  話は「ええ」でつかえた。 「あなた里見さんの所へいらっしゃるほうがいいんですか」 「私? そうね。でも美禰子さんのお兄いさんにお気の毒ですから」 「美禰子さんのにいさんがあるんですか」 「ええ。うちの兄と同年の卒業なんです」 「やっぱり理学士ですか」 「いいえ、科は違います法学士です。そのまた上の兄さんが広田先生のお友だちだったのですけれども、早くおなくなりになって、今では恭助さんだけなんです」 「おとっさんやおっかさんは」  よし子は少し笑いながら、 「ないわ」と言った。美禰子の父母の存在想像するのは滑稽であるといわぬばかりである。よほど早く死んだものみえる。よし子の記憶にはまるでないのだろう。 「そういう関係で美禰子さんは広田先生の家へ出入をなさるんですね」 「ええ。死んだにいさんが広田先生とはたいへん仲良しだったそうです。それに美禰子さんは英語が好きだから、時々英語を習いにいらっしゃるんでしょう」 「こちらへも来ますか」  よし子はいつのまにか、水彩画の続きをかき始めた。三四郎そばにいるのがまるで苦になっていない。それでいて、よく返事をする。 「美禰子さん?」と聞きながら、柿の木の下にある藁葺屋根に影をつけたが、 「少し黒すぎますね」と絵を三四郎の前へ出した。三四郎は今度は正直に、 「ええ、少し黒すぎます」と答えた。すると、よし子は画筆に水を含ませて、黒い所を洗いながら、 「いらっしゃいますわ」とようやく三四郎に返事をした。 「たびたび?」 「ええたびたび」とよし子は依然として画紙に向かっている。三四郎は、よし子が絵のつづきをかきだしてから、問答がたいへん楽になった。  しばらく無言のまま、絵のなかをのぞいていると、よし子はたんねんに藁葺屋根の黒い影を洗っていたが、あまり水が多すぎたのと、筆の使い方がなかなか不慣れなので、黒いものがかってに四方へ浮き出して、せっかく赤くできた柿が、陰干の渋柿のような色になった。よし子は画筆の手を休めて、両手を伸ばして、首をあとへ引いて、ワットマンをなるべく遠くからながめていたが、しまいに、小さな声で、 「もう駄目ね」と言う。じっさいだめなのだからしかたがない。三四郎は気の毒になった。 「もうおよしなさい。そうして、また新しくおかきなさい」  よし子は顔を絵に向けたまま、しりめに三四郎を見た。大きな潤いのある目である三四郎ますます気の毒になった。すると女が急に笑いだした。 「ばかね。二時間ばかり損をして」と言いながら、せっかくかいた水彩の上へ、横縦に二、三本太い棒を引いて、絵の具箱の蓋をぱたりと伏せた。 「もうよしましょう。座敷へおはいりなさい。お茶をあげますから」と言いながら、自分は上へ上がった。三四郎は靴を脱ぐのが面倒なので、やはり椽側に腰をかけていた。腹の中では、今になって、茶をやるという女を非常におもしろいと思っていた。三四郎に度はずれの女をおもしろがるつもりは少しもないのだが、突然お茶をあげますといわれた時には、一種の愉快を感ぜぬわけにゆかなかったのである。その感じは、どうしても異性に近づいて得られる感じではなかった。  茶の間で話し声がする。下女はいたに違いない。やがて襖を開いて、茶器を持って、よし子があらわれた。その顔を正面から見た時に、三四郎はまた、女性中のもっと女性的な顔であると思った。  よし子は茶をくんで椽側へ出して、自分は座敷の畳の上へすわった。三四郎はもう帰ろうと思っていたが、この女のそばにいると、帰らないでもかまわないような気がする。病院ではかつてこの女の顔をながめすぎて、少し赤面させたために、さっそく引き取ったが、きょうはなんともない。茶を出したのをさいわいに椽側と座敷でまた談話を始めた。いろいろ話しているうちに、よし子は三四郎に妙な事を聞きだした。それは、自分の兄の野々宮が好きかいやかという質問であった。ちょっと聞くとまるでがんぜない子供の言いそうな事であるが、よし子の意味はもう少し深いところにあった。研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなるわけである人情で物をみると、すべてが好ききらいの二つになる。研究する気なぞが起こるものではない。自分の兄は理学者だものから自分研究していけない。自分研究すればするほど、自分を可愛がる度は減るのだから、妹に対して不親切になる。けれども、あのくらい研究好きの兄が、このくらい自分を可愛がってくれるのだから、それを思うと、兄は日本じゅうでいちばんいい人に違いないという結論であった。  三四郎はこの説を聞いて、大いにもっともなような、またどこか抜けているような気がしたが、さてどこが抜けているんだか、頭がぼんやりして、ちょっとからなかった。それでおもてむきこの説に対してはべつだんの批評を加えなかった。ただ腹の中で、これしきの女の言う事を、明瞭に批評しえないのは、男児としてふがいないことだと、いたく赤面した。同時に、東京女学生はけっしてばかにできないものだということを悟った。  三四郎はよし子に対する敬愛の念をいだいて下宿へ帰った。はがきが来ている。「明日午後一時ごろから人形を見にまいりますから広田先生の家までいらっしゃい。美禰子」  その字が、野々宮さんのポッケットから半分はみ出していた封筒の上書に似ているので、三四郎は何べんも読み直してみた。  翌日は日曜である三四郎は昼飯を済ましてすぐ西片町へ来た。新調の制服を着て、光った靴をはいている。静かな横町広田先生の前まで来ると、人声がする。  先生の家は門をはいると、左手がすぐ庭で、木戸をあければ玄関へかからずに、座敷の椽へ出られる。三四郎は要目垣のあいだに見える桟をはずそうとして、ふと、庭の中の話し声を耳にした。話は野々宮と美禰子のあいだに起こりつつある。 「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬばかりだ」これは男の声である。 「死んでも、そのほうがいいと思います」これは女の答である。 「もっともそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬだけの価値は十分ある」 「残酷な事をおっしゃる」  三四郎はここで木戸をあけた。庭のまん中に立っていた会話の主は二人ともこっちを見た。野々宮はただ「やあ」と平凡に言って、頭をうなずかせただけである。頭に新しい茶の中折帽をかぶっている。美禰子は、すぐ、 「はがきはいつごろ着きましたか」と聞いた。二人の今までやっていた会話はこれで中絶した。  椽側には主人が洋服を着て腰をかけて、相変らず哲学を吹いている。これは西洋雑誌を手にしていた。そばによし子がいる。両手をうしろに突いて、からだを空に持たせながら、伸ばした足にはいた厚い草履をながめていた。――三四郎はみんなから待ち受けられていたとみえる。  主人は雑誌をなげ出した。 「では行くかな。とうとう引っぱり出された」 「御苦労さま」と野々宮さんが言った。女は二人で顔を見合わせて、ひとに知れないような笑をもらした。庭を出る時、女が二人つづいた。 「背が高いのね」と美禰子があとから言った。 「のっぽ」とよし子が一言答えた。門の側で並んだ時、「だからなりたけ草履をはくの」と弁解をした。三四郎もつづいて庭を出ようとすると、二階の障子ががらりと開いた。与次郎が手欄の所まで出てきた。 「行くのか」と聞く。 「うん、君は」 「行かない。菊細工なんぞ見てなんになるものか。ばかだな」 「いっしょに行こう。家にいたってしようがないじゃないか」 「今論文を書いている。大論文を書いている。なかなかそれどころじゃない」

三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあとを追いかけた。四人は細い横町を三分の二ほど広い通りの方へ遠ざかったところである。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎自分の今の生活熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。かつて考えた三個の世界のうちで、第二第三の世界はまさにこの一団の影で代表されている。影の半分は薄黒い。半分は花野のごとく明らかである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然として調和されている。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯のなかに織りこまれている。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安である。歩きながら考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話していた談柄が近因である三四郎はこの不安の念を駆るために、二人の談柄をふたたびほじくり出してみたい気がした。

 四人はすでに曲がり角へ来た。四人とも足をとめて、振り返った。美禰子は額に手をかざしている。

 三四郎は一分かからぬうちに追いついた。追いついてもだれもなんとも言わない。ただ歩きだしただけである。しばらくすると、美禰子が、

「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事をおっしゃるんでしょう」と言いだした。話の続きらしい。

「なに理学をやらなくっても同じ事です。高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要るに違いないじゃありませんか」

「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかもしれません」

我慢しなければ、死ぬばかりですもの

「そうすると安全で地面の上に立っているのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」

 野々宮さんは返事をやめて、広田先生の方を向いたが、

「女には詩人が多いですね」と笑いながら言った。すると広田先生が、

男子の弊はかえって純粋詩人になりきれないところにあるだろう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何かお互いの話を始める。三四郎はようやく質問の機会を得た。

「今のは何のお話なんですか」

「なに空中飛行機の事です」と野々宮さんが無造作に言った。三四郎落語のおちを聞くような気がした。

 それからはべつだんの会話も出なかった。また長い会話ができかねるほど、人がぞろぞろ歩く所へ来た。大観音の前に乞食がいる。額を地にすりつけて、大きな声をのべつに出して、哀願をたくましゅうしている。時々顔を上げると、額のところだけが砂で白くなっている。だれも顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。

「君あの乞食に銭をやりましたか

「いいえ」と三四郎があとを見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合わせて、相変らず大きな声を出している。

「やる気にならないわね」とよし子がすぐに言った。

「なぜ」とよし子の兄は妹を見た。たしなめるほどに強い言葉でもなかった。野々宮の顔つきはむしろ冷静である

「ああしじゅうせっついていちゃ、せっつきばえがしないからだめですよ」と美禰子が評した。

「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が言った。「あまり人通りが多すぎるからいけない。山の上の寂しい所で、ああいう男に会ったら、だれでもやる気になるんだよ」

「その代り一日待っていても、だれも通らないかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出した。

 三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分今日まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。

 行くに従って人が多くなる。しばらくすると一人の迷子出会った。七つばかりの女の子である。泣きながら、人の袖の下を右へ行ったり、左へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言う。これには往来の人もみんな心を動かしているようにみえる。立ちどまる者もある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけない。子供はすべての人の注意と同情をひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜している。不可思議現象である

「これも場所が悪いせいじゃないか」と野々宮君が子供の影を見送りながら言った。

「いまに巡査が始末をつけるにきまっているから、みんな責任をのがれるんだね」と広田先生説明した。

わたしそばまで来れば交番まで送ってやるわ」とよし子が言う。

「じゃ、追っかけて行って、連れて行くがいい」と兄が注意した。

「追っかけるのはいや」

「なぜ」

「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。私にかぎったことはないわ」

「やっぱり責任をのがれるんだ」と広田が言う。

「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。男は二人で笑った。団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである

「もう安心大丈夫です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。

 坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則うごめいている。広田先生はこの坂の上に立って、

「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうである。四人はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。その谷が途中からだらだらと向こうへ回り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛けの小屋を、狭い両側から高く構えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなるまで込み合っている。そのなかで木戸番ができるだけ大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの声は尋常を離れている。

 一行は左の小屋はいった。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪を起こしている。これも人形の心に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間なく衣装恰好となるように作ったものである

 よし子は余念なくながめている。広田先生と野々宮はしきりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとかいうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にいる。見物は、がいして町家の者である教育のありそうな者はきわめて少ない。美禰子はその間に立って振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根をさしながら、何か熱心に説明している。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。

 ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、

里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧をさした男が、瓢箪を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。

「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさももうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議ある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸とこの瞼の間にすべてを遺却した。すると、美禰子は言った。

「もう出ましょう」

 眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。

 二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。

「どうかしましたか

 女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。

「ここはどこでしょう」

「こっちへ行くと谷中天王寺の方へ出てしまます。帰り道とはまるで反対です」

「そう。私心持ちが悪くって……」

 三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。

「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。

 谷中千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋そばである

「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。

「歩きます

 二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋こちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である

 三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。

「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしまたか

 女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。

ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。

休みましょうか」

「ええ」

「もう少し歩けますか」

「ええ」

「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから

「ええ」

 一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。

 向こうに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。

「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。

「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。

ありがとう。これでたくさん」

「やっぱり心持ちが悪いですか」

あんまり疲れたから

 三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上百姓大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。

 ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。

「空の色が濁りました」と美禰子が言った。

anond:20241001033922

2024-09-28

からなんだよ

漫才「師」で落語「家」

絵「師」で漫画「家」

なんか意味はあるのだろうか?

2024-09-05

翻訳版】藤子・F・不二雄ファンは今すぐどら焼き屋を経営しろ

これはすごい

何がって、カイロソフトの新作ゲームドラえもんどら焼き屋さん物語』だよ。

カイロソフトの連中フツーじゃねえぞ。ユーザー死ぬまでプレイをやめさせる気がないんじゃないかってぐらい、作り込みが本気だ。

「夜通しプレイして気づけば朝」なんて生ぬるいモンじゃない。俺は無職から、深夜にプレイを初めてしまうと気づけば翌日の昼になっている。勘弁してくれ。

まず次から次へと課される低難易度タスク。こいつがやばいクリア報酬クリア報酬……を超短いスパンで繰り返させてくる。なめてかかると生活リズム崩壊し、いずれ死ぬ絶対ユーザードーパミンを途切れさせてやるものかという鉄の意志を感じる。

そして全編にわたってほとばしる強い“藤子・F・不二雄作品”へのこだわり。

2011年リリースされ、アニメドラえもんエンディングとしても使われた『F組あいうえお!』という歌がある。曲に合わせてやっつけ気味にドラえもんだのパーマンだの藤子・F・不二雄先生代表作を列挙していく内容で、マイナーキャラといえばモッコロくんぐらい。

ちょうどあれぐらいの塩梅で、藤子・F・不二雄キャラオールスターを謳いつつ、最大公約数が楽しめるように配慮されているんだろうなとプレイ前は思っていたが、侮るべきではなかった。

スタッフにはおそらく藤子・F・不二雄ガチ勢がいる。

ゲームには歴代劇場版ゲストキャラが登場するが、扱われるのは96-97年ののび太ねじ巻き都市冒険記』までだ。

藤子・F・不二雄先生の没後、つまりのび太南海冒険以降の原作者不在の作品は一切取り扱われない。

没後の劇場版に登場する使い勝手よさそうな人気キャラは出ず、代わりに出るのは未来デパートウランカナのようなマイナーキャラ

わかるか、このこだわり。

他、ちょっと言いたいこと多いから箇条書きするわ。

インテリアの苗木に植物自動化液をかけるとキー坊になる。ロケット発射場建設UFOの離着陸ができるようになると留学し、しばらく待つとのび太と雲の王国で再登場したのと同じ大人の姿で戻ってくる。

・同じようにインテリアの石にタイム風呂敷を使うとピー助が生まれるが、一旦はビニールプールで育てる。時間経過で池を作ってやるイベントが始まる。

名無しのモブとしてマニアックキャラが出てくる。社員旅行の下見をエサに好き放題したハッピー商事おっさん(『21エモン』)SF短編『創世日記の怪しいおっさん、あの作品おっさんにこの作品おばさんと、中年多様性が保たれている。

・なんでも空港を作るとエスパー魔美ウメ星デンカ、ペガ・グリ・ドラコを連れたククル(『のび太の日本誕生』)など、飛ぶキャラはみんな降りてくる。特定アイテムを渡すことで飛ぶキャラもいる。ミツ夫たち→パーマンセット、てぶくろてっちゃん手袋など。

オバケのQ太郎は登場しない。藤子不二雄A先生藤子・F・不二雄先生の共作であるため、権利関係がややこしいのだろう。が、ジャングル黒べえちゃんと出る。赤べえも出る。

基本的原作設定準拠だが、キテレツ大百科だけは例外的にかなりアニメ色が濃い。

チンプイウメ星デンカの遭遇イベントがある。原作にもあるから

・ひろった鉄人(『鉄人をひろったよ』)とザンダクロス(『のび太鉄人兵団』)を並べて飾れる。

・つづれ屋(『21エモン』に登場するホテルの一室をゴンスケ藤子・F・不二雄作品ではお馴染みの芋掘りロボットに貸すと芋を栽培される。

ミノ(『ミノタウロスの皿』のヒロインステーキをあげられる。

エステル(『カンビュセスの籖』のヒロインミートキューブ(『カンビュセスの籖』に出てくる人肉を加工した食品をあげられる。サル(『カンビュセスの籖』の主人公は出ない。あいつはお菓子で満腹になってる場合じゃないので。

牛丼屋の看板に見覚えのあるズン類(『ミノタウロスの皿』に出てくる二足歩行の牛型異星人)の顔。

うさぎ(『ヒョンヒョロ』に出てくるうさぎ宇宙人物体を別の次元テレポートする能力を持つ)に拾ったヒョンヒョロ(『ヒョンヒョロ』に出てくる宇宙最高最大の価値があるもの。ビー玉のような形をしている)をあげられる。どら焼き屋の近隣住民は別次元誘拐されたのかもしれない(『ヒョンヒョロ』を読んでください)

コールドスリープ室では翻訳(たぶん『カンビュセスの籖』)三次元クロスワード(『イヤなイヤなイヤなやつ』で船長が解いているパズル、ゼム油(『イヤなイヤなイヤなやつ』で主人公たちが輸送している資源などと一緒に、アルタイル(『イヤなイヤなイヤなやつ』に登場する生き物)販売できる。隣に試食ルームを作ったら、キンダイチに嫌われる準備は万端だ。(『イヤなイヤなイヤなやつ』の登場人物キンダイチは宇宙船内でアルタイル犬のムックを飼っている。ムックトラブルを起こしたため、同僚のミズモリにアルタイル犬の試食会をやろうと嫌味を言われる)

映画館では十甲田山うる星ケニヤ(ともに『ドラえもん』の劇中劇などが上映できる。

お化け屋敷に人が入ると短編『なくな!ゆうれいのゆうれいが出てくる。

カメラ屋を作るとヨドバ氏短編ヨドバ氏シリーズ登場人物不思議カメラを売る)の各種カメラ販売できるようになる。

絵画教室デッサンモデルは石にされたドラえもん像。(『のび太魔界冒険』)

ビンテージ雑貨店に、のび太のおばあちゃんが繕ってくれていたくまのぬいぐるみがある。(『おばあちゃんの思い出』)

藤子・F・不二雄先生の机や鉄道模型の部屋が設置できる。落語部屋も作れる。落語鉄道藤子・F・不二雄先生趣味

和菓子検定の最終審査員藤子・F・不二雄先生アバターキャラ

やりこみ要素としてキャラ銅像集めがあるが、お馴染みのキャラと並んでポンチ(『みきおとミキオ』)、宙ポコ(『宙ポコ』)、Uボー(『Uボー』)など、ドラえもん目的キッズが喜ぶとは思えないラインナップ。すきだ。

・床材に「火星の地面」を敷ける。土地を買いにくるおっさん(『3万3千平米』)は今のところ未確認

こんな感じで、寄せては返すタスクの合間に、絶妙ネタを忍ばせてくるので、次は何がくるのかと手が止まらなくなってしまうわけだ。

この題材ならコマーさる(『コマーさる』に出てくる不思議な猿っぽい生き物。コマーさるが持ち歩いたものはたちまちバカ売れする)も出して欲しかった、なんて欲が引っ込むくらいネタ盛り盛り。

人体への有害度で言えばパチンコより邪悪生活には閉店がないから。

というわけで、これを読んだ藤子・F・不二雄ファンは即刻どら焼き屋を開業し、やりこみゲームのこわさと時間の大切さを学んでください。

anond:20240904214124

2024-09-04

藤子・F・不二雄ファンは今すぐどら焼き屋を経営しろ

エグい。

何がエグいって、カイロだよカイロ

あいつらフツーじゃねえぞ。ユーザー人間に戻す気がない。

「気づけば朝」なんて生ぬるいモンじゃない。気づけば翌日の昼だ。勘弁してくれ。無職より。

まず次から次へと課される低難易度タスク。こいつがやばいクリア報酬クリア報酬……を超短いスパンで繰り返させてくる。なめてかかると生活リズム崩壊し、いずれ死ぬ絶対ユーザードーパミンを途切れさせてやるものかという鉄の意志産物だ。

そして強い“F”へのこだわり。

「F組のみんな集合〜! あったまテカテカドラえもん〜いたいた空にはパーマン〜」←どうせこれレベルだろうと侮ってはいけない。

スタッフにはおそらくガチ勢がいる。

ゲームには歴代大長編ゲストキャラ平等に登場するが、出るのはピーブまで。

リルルはいるがピッポはいない。

ひみつ道具コインと交換してくれるのはクルトやジンジャーではなく、未来デパートウランカナだ。つまりそういうことだ。

わかるか、このこだわり。

他、ちょっと言いたいこと多いから箇条書きするわ。

インテリアの苗木に植物自動化液をかけるとキー坊になる。ロケット発射場建設UFOの離着陸ができるようになると留学し、しばらく待つと雲の王国の姿で戻ってくる。

・同じようにインテリアの石にタイム風呂敷を使うとピー助が生まれるが、一旦はビニールプールで育てる。時間経過で池を作ってやるイベントが始まる。

名無しのモブとしてマニアックキャラが出てくる。ハッピー商事の悪どいおっさん、創世日記短編の方)のおっさん、あのおっさんにこのおばさんと、中年多様性が保たれている。

・なんでも空港を作ると魔美(+高畑)やデンカ、ペガグリドラコを連れたククルなど、飛ぶキャラはみんな降りてくる。特定アイテムを渡すことで飛ぶキャラもいる。ミツ夫たち→パーマンセット、てぶくろてっちゃん手袋など。

オバQ権利関係がややこしいのだろう、出ない。が、黒べえはちゃんと出る。赤べえも出る。

基本的原作設定準拠だが、キテレツだけは例外的にかなりアニメ色が濃い。

チンプイデンカの遭遇イベントがある。

・ひろった鉄人とザンダクロスを並べて飾れる。

・つづれ屋の一室をゴンスケに貸すと芋を栽培される。

ミノアにステーキをあげられる。

エステルミートキューブをあげられる。サルクは出ない。あいつはお菓子で満腹になってる場合じゃないので。

牛丼屋の看板に見覚えのあるズン類の顔。

うさぎに拾ったヒョンヒョロをあげられる。どら焼き屋の近隣住民誘拐されたのかもしれない。

コールドスリープ室では翻訳機や三次元クロスワード、ゼム油などと一緒に、アルタイル犬を販売できる。隣に試食室を作ったら、キンダイチに嫌われる準備は万端だ。

映画館では十甲田山うる星ケニヤなどが上映できる。

お化け屋敷に人が入ると『なくな!ゆうれい』のゆうれいが出てくる。

カメラ屋を作るとヨドバ氏の各種カメラ販売できるようになる。

絵画教室デッサンモデルは石にされたドラえもん像。

ビンテージ雑貨店に、あのぬいぐるみがある。

どうぶつの森でいうシリーズ家具概念があり、F先生の机や鉄道模型の部屋が設置できる。シリーズではないが落語部屋も作れる。

・ちなみに和菓子検定の最終審査員F先生

やりこみ要素としてキャラ銅像集めがあるが、お馴染みのキャラと並んでポンチ、宙ポコ、Uボーなど、ドラえもん目的キッズが喜ぶとは思えないラインナップ。すきだ。

・床材に「火星の地面」を敷ける。土地を買いにくるおっさんは今のところ未確認

こんな感じで、寄せては返すタスクの合間に、絶妙ネタを忍ばせてくるので、次は何がくるのかと手が止まらなくなってしまうわけだ。

この題材ならコマーさるも出して欲しかった、なんて欲が引っ込むくらいネタ盛り盛り。

人体への有害度で言えばパチンコより邪悪生活には閉店がないから。

というわけで、これを読んだ藤子・F・不二雄ファンは即刻どら焼き屋を開業し、やりこみゲームのこわさと時間の大切さを学んでください。

2024-09-03

anond:20240826213937

東京に出てきた関西芸人が「邪魔くさい」を使ってる印象があまりない

関西地域以外の西日本人だが最近になって米朝師匠落語を聞いて

初めて「面倒くさい」の意で使われていることを知ったくらいだ

TV等で話されてる時は字面通りの標準語ニュアンス理解してスルーしてただけかもしれんが

パワーレズのやつ、書いて後悔してる【追記修正

あの文章はいくつか欺瞞があるというか、そもそもの前提が私自身に寄っているので、あれを元にして「レズビアン界隈の知見を得た」みたいになってるのがしんどくなってきた。

まず第一に、本文にもある通り私はレズビアンではなくバイ。なのに、通りの良さだけで蔑称であるところの「レズ」を自称してしまった。最後法律婚して子どもまで作ってるわけだし、私こそ本当の「ファッションレズビアン」扱いされて然るべき存在なんだけど、はてなまとめサイト人達感想ではビアン代表みたいになっていた。本当に申し訳ない。

私の文章を読んで「ビアンも結局は男とくっつく」と思った界隈外の人がいたなら、それは大きな勘違いだと知って欲しい。それはバイである個人問題であって、レズビアン全般の話ではない。

第二に、私が同性のまともな層からモテるほど魅力的ではないうえに、人を見る目がなかった故、地雷を踏みまくっていただけの話なのに、やたら壮大に書いてしまったせいで真理みたいな扱いを受けてしまった。

あの文章個人体験を誇張して主語を大きくした偏見しかない。だから何か共感の糸口があったのだとしても、誰かを叩くのに使うのはやめてほしい。

(追加:元々の文章非モテ男性に罪をなすりつけていると反応があり、納得・反省したので文章を変えました。確かに嬉々として女性悪口を言う層の暴走に焦り、苛立っていましたが、それでまた特定の層の業を決めつけるのは良くないですね。「こんなことをする男性非モテに違いない」という自身偏見に気がつくことができました。同じことを何度も繰り返してしまい、申し訳ありません)

ビアンゲイ比較しても目立たないし、世の中に知見も溜まっていない。その段階で、私の適当な話が「レズビアン真実」として流布してしまうのは本当に本意ではない。

世の中には自立しているビアンも、添い遂げてるビアンも沢山いる。

切り取りを恐れてすぐ消さなかったせいで結局まとめサイトかに載ってしまうし、後悔しかない。

あの話は人を見る目がなかったバイの、誇張した落語みたいなものです。どうか真に受けないでください。

そして界隈の皆さん、申し訳ありませんでした。

2024-08-30

落語は話芸であり、小説文芸である

落語って聞いたら面白いんだろうけど、なんだかルールがあるみたいで、古典も知ってないと楽しめないみたいだし、とっつきにくいよね。落語ファンはそれで楽しんでいるみたいだけど。

 

小説も同じである

教養があっても損するパターン

同僚や親戚と教養方向性が違う

たとえば台東区に限っても、浅草大衆演劇落語好きな人から国立西洋美術館好きな人まで、方向性はだいぶ異なる。教養方向性が周囲と異なってると話が通じなくて孤立する。

異文化圏と交流する機会のない組織に所属してる

外国に限らず、違う地方の人と交流する場合はその地方文化に知っておくことが役に立つ場合がある。

しかしそうでもないなら、有限な時間教養を身につけることに当てるのは、単なる「暇人私的趣味」とのことになる。

教養が、人格成熟に直結すると勘違いしてる場合

文系大学院を出た人が、他人の作った作品に火をつけたり、貶すのが目立つように、教養を身につけたとしても、ロバが馬に変身する訳ではない。

まり「私はこういう論文を書いた」が、他人を黙らせても良い権威になると勘違いしてる人間は、むしろ教育投資に見合った知性品性を身につけられたなかった人」と小馬鹿にされ、本人は「無教養差別主義者に迫害される私」との勘違いから逃げられなくなる。

みんなの意見は?

教養があっても損するパターン

同僚や親戚と教養方向性が違う

たとえば台東区に限っても、浅草大衆演劇落語好きな人から国立西洋美術館好きな人まで、方向性はだいぶ異なる。教養方向性が周囲と異なってると話が通じなくて孤立する。

異文化圏と交流する機会のない組織に所属してる

外国に限らず、違う地方の人と交流する場合はその地方文化に知っておくことが役に立つ場合がある。

しかしそうでもないなら、有限な時間教養を身につけることに当てるのは、単なる「暇人私的趣味」とのことになる。

教養が、人格成熟に直結すると勘違いしてる場合

文系大学院を出た人が、他人の作った作品に火をつけたり、貶すのが目立つように、教養を身につけたとしても、ロバが馬に変身する訳ではない。

まり「私はこういう論文を書いた」が、他人を黙らせても良い権威になると勘違いしてる人間は、むしろ教育投資に見合った知性品性を身につけられたなかった人」と小馬鹿にされ、本人は「無教養差別主義者に迫害される私」との勘違いから逃げられなくなる。

2024-08-20

40代なのに「若手」として扱われる職種業界

自民党総裁選に立候補を決めた49歳の小林鷹之氏が若手扱いされている。

政界落語界、伝統工芸料理人など。

他に何があるだろうか。

一般会社役所であれば、40代は中堅だろう。

2024-08-18

好きな芸能人を答えたら「骨と皮じゃん」と言われた

10年くらい前の話である

友人に「好きな芸能人は?」と聞かれたので、私は「桂歌丸」と答えた。

そうしたら友人は驚いた顔で「骨と皮じゃん」と言ったのだ。

解せぬ。私は内心そう思ったが、曖昧に笑って別の話題をふった。

なぜ好きなのかをうまく言語化できず、言い返すことができなかったからだ。

子供の頃、毎週日曜は家族で晩ごはんを食べながら笑点を見ていた。

よく喧嘩をしていた両親も、笑点を見ている間は笑っていた。

私は漫画でも小説でもゲームでも映画でも落語でも、人間の作るものが好きだ。

それらの根っこにある生と死に対するまなざしが好きだ。

そのまなざしを通して見ると、生きることも死ぬことも悪くはないように思えてくる。

私はもうすぐ40歳になる。

数日前、ガラス窓に映る自分の姿を見てギョッとした。

顔のシミやら首のシワやらよりも余程目に付く、曲がった背骨

慌てて姿勢を良く保とうとしても、筋肉が衰えていて数分経てば元通りである

自分の曲がりくさった骨とだらけきった肉を目の当たりにして、思い出したのは歌丸さんの佇まいだった。

「骨と皮じゃん」と言った友人に、今ならこう言い返したい。

あの年齢であれだけシャンとしているなんて、素晴らしい骨じゃないか

骨と皮だけに見えても、あの姿勢を保てるということは静かに燃える肉がある。

私はその肉が、そこから見えてくる意地が格好良くて好きだったのだと。

私がいつ死ぬかは知らんが、死んだら天国笑点を見たいと思う。

笑点テーマを聴いて、それから歌丸さんと楽太郎さんの掛け合いを見たい。

背骨が曲がっていたら見るのに難儀しそうだから姿勢はこれからなんとかする。

姿勢を良くするおすすめ方法、もしくは笑点の好きなエピソードがあれば教えてほしい。

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