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2019-01-12

ブギーポップは口笛を吹かない」あるいは「木村明雄の消失

アニメブギーポップは笑わない」1〜3話および原作ライトノベルブギーポップは笑わない』の内容に触れています

TVアニメブギーポップは笑わない」が放送中だ。ほぼ20年前にスタートしたラノベ原作であり、アニメ自体は二作目だが、原作の内容に沿ったアニメ化は今回が初めてとなる。

さて、そんなアニメブギーポップの「ブギーポップは笑わない」(原作シリーズ一作目)編が、最新の第三話で完結となった。平均的なラノベアニメ化としては、原作1巻を3話で消化というのは、極端に速いペースというわけでもない。それでも、もともとが5話で構成された原作を3話に再構成する上で、大小さまざまな省略・変更が発生することは避けられなかった。

そのうち、特に目についた二つの変更点について、思うところを少し書いてみる。

「君と星空を」&木村明雄

上で述べたように、原作ブギーポップは笑わない』は5つのエピソード構成された物語となっている。一話にそれぞれ主人公視点人物)が設定されており、一つの事件複数人間の目から見ることで立体的な世界が立ち上がってくる、といったような、今となっては(当時でも?)さほど珍しくはない仕掛けだ。

原作構成及び各話の主人公はこうなっている。

ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム


これがアニメでは、

ねこういう形に変換されている。話数単位で大雑把に見れば、各パートの分量はともかく原作の流れを大枠では引き継いだ構成と言えるだろう。

ただひとつ原作第四話がその主人公存在ごと抜け落ちている点を除いて。

原作第四話は、木村明雄という男子高校卒業後(事件から二年後)に、当時「失踪」した紙木城直子と過ごした日々のことを回想する、という内容になっている。

木村は、紙木城の交際相手の一人(アニメでははっきりと描かれないが原作の紙木城は木村田中を含めて複数の男と付き合っている)であり、事件にはあくま彼女を通して間接的にしか関与していない。紙木城から保護したエコーズについての話も聞くことになるが、何かのたとえ話だとばかり思っていた。

紙木城の失踪後、色々あったもの普通高校卒業普通大学生として普通生活していた彼の元に一通の手紙が届くことで高校時代記憶が蘇り……という、1話竹田と同じかそれ以上に青春小説的な色合いが濃く、いわゆる「一般人」の目線から見た章となっている。

アニメ化にあたって、章はともかく仮にも原作主人公の一人を丸ごとカットするのはあまり乱暴に思えるが、ここには一応それなりに納得できる理由がある。

第一に、事件の真の姿あるいはその存在すら知らないまま全てが終わってしまっていた、という木村明雄の立場は、程度の違いこそあれ竹田啓司(一話)や末真和子(二話)と重複している。一人一人に見える現実には限りがあるというテーマを示すためには、この二話だけで既に必要最低限のノルマは達成していると言えなくもない。

第二に、竹田と末真は以後の巻でも登場している(末真は準レギュラーに近い)が、二人と違って木村明雄は今のところ少なくともブギーポップシリーズ内では再登場しておらず、カットしても今後の展開に特に影響がない。

第三。エコーズの素性に関する情報は、原作では第四話で木村が紙木城から話を聞くという形で最初に明かされる。物語の本筋との関係においては四話の存在価値と言ってもよい部分だが、アニメでは2話後半、紙木城と凪の会話でほぼ同じ内容が補完されている。これは、原作でもそのようなやり取りがあったと事件後に凪の口から語られていたものであり(木村自分にだけ話してくれたと思い込んでいたが)、オリジナル展開というより変則的原作再現に近い。木村カットしてもそういう軽度の改変で済む部分なのだ

驚くべきことに原作『笑わない』には、凪と紙木城が親友であるという情報こそあるが、二人が直接会話するシーンは存在しない。にもかかわらず、読者にはちゃん彼女らが親友同士に感じられていたというのは小説マジックというほかないが、ともあれ、今アニメで凪と紙木城の会話が追加されたこ自体ファンにとって喜ばしくさえある。

これらの理由から、『笑わない』をTVアニメ3話分に収めるために章と主人公をどうしても一つ削らなければならないとすれば、やはり第四話と木村妥当ということになるだろう。アニメスタッフ判断は間違っていない。

間違ってはいないのだが。

口笛

原作において、ブギーポップというキャラクターはいくつかの記号によって構成されている(もちろんその全てが記号還元され得るというわけではない)

都市伝説死神世界の敵の敵、黒い帽子と黒いマントと黒いルージュ、ワイヤー、そして口笛。

ブギーポップは、常にというわけではないが誰かの前に姿を現す時、特に世界の敵と向かい合う瞬間には、なぜか「ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲を口笛で吹きながら登場する、ということになっている。

過去メディア展開でも、多くの場合はこの口笛が再現されてきた。

実写映画はあらすじの時点で「口笛を吹く死神」と紹介されているし、旧アニメファントム)ではブギーポップ登場時の口笛はもちろん、次回予告のBGMとしてオリジナルアレンジマイスタージンガーが毎回使われ、最終回ではテルミンバージョン???)すら流れるという充実ぶり。

メインの使用キャラクターではなくサポートキャラとしての出演に過ぎない、格闘ゲーム電撃文庫 FIGHTING CLIMAX」でさえ、ブギーポップはやはり口笛を吹いて登場している(実際にプレイしているわけではないので又聞きだが、そのせいで攻撃判定の発生が遅いとかなんとか)

このように、「マイスタージンガー」「口笛」はこれまで原作の内外で、ブギーポップというキャラクター作品象徴する、代名詞と言ってもいい扱いをされてきた。

原作『笑わない』では、ブギーポップは二度口笛を吹いている。一度目は、一話の竹田屋上で会話をしている時。

第一話 浪漫の騎士 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

ブギーポップが口笛を吹き始めた。明るく、アップテンポな曲で、しかも呼吸に緩急があってすっごく上手だったが、しかし口笛なので、やっぱりそれはどこか寂しげだった。

 そして、藤花は口笛が吹けないことを思い出した。

うまいんだな。なんて曲だい?」

「〝ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲さ」

「なんだいそれ」

ワーグナーって大昔のやかましロマンチストがつくった、一番派手な曲だよ」

二度目は五話終盤、早乙女を失って荒れ狂うマンティコアに追われる新刻の前に姿を現す時。

第五話 ハートブレイカー 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

 恐怖のあまり、私はついにおかしくなった、と思った。

 幻聴が聞こえだしたのだ。

 現実にはあり得ないほど不自然な曲が、目の前の並木の植え込みから聞こえてきたのだ。

 それは口笛であった。

 しかも、口笛にはまるで似合わない曲、ワーグナーの〝ニュルンベルクのマイスタージンガーなのだった。

いずれも、古くからの読者には印象深いシーンだろう。

しかし、今アニメの「笑わない」編ではこれらの口笛演奏存在しない。ブギーポップは、一度も口笛を吹かなかったのだ。

これも木村同様に尺の都合なのだろうか?

マイスタージンガーといえば、あの、ふぁーふぁーふぁふぁーという力強いイントロが印象的な曲だ。口笛でいうと、ぴーひょーろろーとなる。最低限この、ぴーひょーろろーさえ吹いてくれれば、少なくとも原作読者には「あの口笛」だと一発で分かるし、初見視聴者にも、ブギーポップというのは口笛を吹くキャラらしいということだけはなんとなく伝わっていただろう。

前回のアニメや電撃FC使用された口笛バージョンマイスタージンガーで、ぴーひょーろろーの部分の所要時間確認してみると、せいぜい2〜3秒というところだった。2、3秒。もちろん1秒24コマで動くアニメ世界での2、3秒は、日常的な感覚のそれよりも遥かに長い時間ではあるのだろう。だが本当に、今回のアニメ「笑わない」編は、ぴーひょーろろーを挿入するだけの余裕が一切存在しないほどに緊密な内容だったのだろうか。

どうしても時間が足りないなら、いっそセリフを喋りながら同時に口笛を吹かせてもよかったのではないかブギーポップというのは、そのぐらいの物理法則を超えた無茶も読者視聴者笑って許してもらえるような、良くも悪くも異質なキャラだったはずなのだが。口笛のためにそこまで冒険するほどの価値はない、と判断されたのか。

これが、今回のアニメではブギーポップは口笛を吹かない存在として設定されているということなのか、それともあくまで「笑わない」編だけの変更なのかはまだ分からない。次回からの「VSイマジネーター」編ではしれっとぴーひょろ吹き始めたりする可能性もある。しかし仮にそうなるとしても、「笑わない」で口笛を吹かなかったという事実は、もはや取り返しがつかないのだ。

原作未読者の中には、口笛が無いとなにか物語の展開に支障が出るのか?という疑問を持った人もいるかもしれない。たしかに、どうしても口笛が無ければ成立しないという場面は、原作にもほとんどない。もちろん口笛自体に、特殊振動波か何かで敵の脳に直接揺さぶりをかける、などという実用的な効果存在するわけもない。はっきり言ってしまえば、口笛は基本的雰囲気づくりの賑やかしでしかないということになる。

その意味では、削る必要はないが削ったところでどうということはない要素だったのだ、とも言える。

言えるのだが。

昔語り+α

ここで唐突に昔の話をする。

ブギーポップがちょうど一度目のアニメ化や実写映画化をしていた頃のこと。とある個人サイトにて、「実写映画になるっていうから読んでみたけど単なる化け物退治の話だった」というような『笑わない』の感想を見かけた。当時の自分シリーズ純粋ファンだったので、そのあまりにも大雑把なまとめ方に、大雑把にまとめてんじゃねーわよ!と素朴に憤慨したものだ。

しかし、今にして思えばあの感想示唆である複数視点による眩惑を取り払った一本の話として『笑わない』の本筋だけを眺めてみれば、それはたしかに「単なる化け物退治」の話でしかないのだ。

では、自分を含めた多くの読者に『笑わない』を「単なる化け物退治」ではないと感じさせた、「本筋」以外の部分とはなんだったのか。それは、自分の進路について語る竹田とそれを半ば無責任肯定してくれるブギーポップであり、

第一話 浪漫の騎士 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「へえ、君は受験しないのかい

「うん。親父の知り合いでデザイン事務所をやってる人がいて、ずっとバイトしてたんだけど、その人が〝おまえは見込みがある。センスを感じる〟とか褒めてくれてさ、大学なんか行かずに俺のところに来いって言うんで」

「すごいじゃないか親方に見込まれ職人ってヤツだな」

“対決”を望んで走る末真であり、

第二話 炎の魔女、帰る 3 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

(そうよ──中途半端はもううんざりよ!)

 霧間凪はほんとうに魔女なのかも知れない。でも、それこそ望むところだった。

「No One Lives Forever」を口ずさむ早乙女であり、

第三話 世に永遠に生くる者なし 5 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「……誰も、誰も、誰も、誰も、誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も………」

新刻の意志の強さを賞賛するブギーポップであり、

第五話 ハートブレイカー 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

しかし、新刻敬──君の意志の強さは見事だ。君のような人がいるから、世界はかろうじてマシなレベルを保っている。世界に代わって感謝するよ」

そして、木村であり口笛であり、そういった一見取るに足りない枝葉こそが作品の印象を形成していたのではないか

枝葉とは言うものの、ひたすら枝と葉を切り落として純化していった先にあるのは、ただ一本の幹だけがまっすぐ天を突く寒々しい樹の姿だ。口笛や木村が本筋に不必要だというなら、ブギーポップあんな格好をしている必要別にない。『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女存在していなかったともいうし、この巻に限って言えばブギーポップだって無くても成立しそうな内容だ(シリーズ全体で見てもブギーポップ世界設定の中で異物として浮き続けていている)。必要不要物差し物語を測れば究極的には、そもそもアニメ化する“必要”とは……?原作が書かれる“必要”はあったのか……?という不毛なところにまで踏み込みかねない。

ブギーポップというシリーズは、ことに『笑わない』は、この「剪定」の影響を大きく受けやす作品であるように思う。本筋に関わらない細部が、作品本質とは思いがけなく深く結びついてるかもしれない、という面倒くささがある。アニメ側にとっては、原作の味を再現するためにどこを切ってどこを残すべきなのか、という判断が非常に難しい題材だったのではないか

いや、ブギーポップに限らずどんな作品であっても、ファンアニメ化や映画化などのメディア展開のたびに、アレがないと○○本来の良さが失われてしまう!と感じてはいるのだろうけど。

まとめ

木村明雄の省略に関しては、大きな変更ではあるし非常に残念ではあるが、三話という尺を考えれば致し方ない(そもそも『笑わない』を三話でというタイト過ぎる構成の是非はともかく)

口笛に関しては、小さい部分かもしれないが逆にそんな小さいところを敢えて削る意味が分からないし、監督でもシリーズ構成でもプロデューサーでもいいので早めに誰かに何らかの説明をしてもらいたい。

ということになる。

原作から変えること自体は、いい。メディアの違いに加えて、予算時間など様々な制約もある以上、どうしたって変えざるを得ないところは出てくるだろう。だが、その変更に意図というか大げさに言うと「思想」があまり感じられないのはちょっと困る。原作から変えてまで実現したかたこととは何なのか。

前回のアニメ、「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」は、初アニメ化にもかかわらず『笑わない』のオリジナル後日談という暴挙とすら言える内容となっており、それだけにとどまらず「霧間凪一人称が『オレ』じゃない」など、原作からの変更点がいくつか存在した。当然、原作ファンから評価も当時はあまり良くないものが多かった。

しかし、ファントムというアニメからは、これが作りたい、こうした方が面白いはずだ、という意志は強く感じられた。原作からの変更点自体に納得できるかどうかはともかく、そういう姿勢を打ち出されればこちらも、へぇ……あなた達はこういう画面も話も異常に暗いアニメがカッコイイと思ってるんだ?「オレ」女はリアルじゃないって?へーえええええ……?と正面から受けて立つことができるというものだ(こめかみに血管浮き上がらせつつ)

今のところ、今回のアニメブギーポップは、原作読者の目から見ても決して悪い出来ではない。悪くはないのだが、どうも、どこに芯があるのか分かりにくいアニメ化となっているように見える。

公式が「アクションファンタジー」と銘打っているということは、「笑わない」編では終盤に集中して存在する程度だったアクション部分が徐々に増えていく、これからエピソードが本番ということなのかもしれない。たしかに、最初に公開されたPVでもアクション描写はひときわ光っていた。

次の4話からは、原作では上下巻の大がかりなエピソード「VSイマジネーター」編が始まる。そこでは、このアニメと思いきりVSできることを願っている。

追記

”『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女が存在していなかったともいうし” へえ  それどこ情報? - maturiのコメント / はてなブックマーク

”『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女存在していなかったともいうし” へえ  それどこ情報

電子版『笑わない』新規書き下ろし「後書き」。プロト版のタイトルは、「エコーズ──人喰いの谺」だって

2016-06-06

性的でない盗撮画像一般公開ヤバイとあるよね

http://anond.hatelabo.jp/20160605200100

このナンパ増田人生詰むのは全然構わないんだが、

近ごろ若者特に女性)が面白半分でウソ情報を添えて人物や場所写真を公開するイタズラが気になる。

2年近く前になるが、大阪神戸あたりで自動車ナンバープレートがハッキリと写った写真とともに

最近夜道を歩く女性連続強姦した男の車です。死者も出ている模様」

といったツイートが(少なくとも自分の周囲では)大変な話題になっていた。

当時、同じ親世代大人たちは、バカバカしいと思いながらも気にかかっていた記憶がある。

冷静に考えれば、本当に死者が出るほどの連続レイプ事件が起きれば、

少なくとも何らかの形で報道されるだろう。

だが、情報受け手10女性が中心だったせいもあり、客観的視点なんて度外視情報は広まっていた。

その噂が収束しつつあった頃、これも噂に過ぎないが、この写真彼氏喧嘩別れした女の子

腹いせに「こいつにヤリ捨てされた」といったセリフとともに写真ツイートを公開したところ、

事情を良く分からないフォロワー口コミに尾ひれが付いて拡散していった、という話を聞いた。

最初は非公開ツイートだったが、誰かが無断アップロードしたらしい)

結局のところはマナー問題しかないが、性的盗撮画像と違って

肖像権プライバシーに関する情報はあまり重んじられていないのが現状だ。

ことに若年層は何気なしに誰かを社会的抹殺できてしまうようなイタズラをすることもある。

それどころか「おもしろ画像」という扱いで、無邪気にリツイートされまくれ、

はや取り返しのつかない事態に陥った事例も少なくないのではないかと思う。

2015-11-14

天元突破グレンラガンって

どーして影も形も今日残っていないんだろう。

世が世なら大傑作ともてはやされて再放送、再々放送が繰り返され、ドラマスペシャルの年越しグレンラガンで年を越しても良いはずだ。

何故だ。なぜ残っていない?テキサス本拠地を構えるRooster TeethでRWBY監督だった故Monty Ohmもグレンラガンの「死してなお生き続ける、螺旋のような人の業」について深く影響を受けた的なインタビュー回答をしてたぞ。

では溶けたのか? グレンラガン以降のアニメ螺旋遺伝子が刻まれ、溶け込みもはや取り上げるまでの事がなくなったのか?

謎だ。

TVシリーズをかじりついて視聴し劇場版の紅蓮篇、螺巌篇も公開と同時に行った僕も何故今日だれも話題として扱わないのか謎でならない。

シュタインズ・ゲートって(以下繰り返し)

2015-07-24

増田不正告発します。

 増田です。

 今日はみなさんに伝えたいことがあって、記事を書きました。

 みなさん、ここのところの増田で妙に脱糞が多くなってると思いませんか?

「まあ夏だから冷たいものの食べ過ぎで腹を壊したんだろう」とか

「まあ夏だし朝下剤ダイエットでもやってるんだろう」とか

 そう考えていらっしゃるかもしれません。

 違います。ここ最近脱糞記事ほとんどが粉飾脱糞不正脱糞です。

 実態のある脱糞はほんの一握りだけです。

 

 事のはじまりは今年の五月でした。

 部長増田が朝礼で「最近増田たちは脱糞が足りない! いかん! 私の若いころはだな〜」と自分がいかに山手線で糞を堂々と漏らしていたかという自慢話からはじまり最後に「これから増田にはチャレンジ精神がひつようだ! そうだ! チャレンジだ! これからチャレンジおもらしをどんどんしていけ!!」

 この、おそらく軽い気持ちであげたであろう部長増田鶴の一声が、今回の悲劇のひきがねとなったのです。

 われわれは困惑しました。

 部長増田は明言したわけではありませんでしたが、社内の空気的には我々に「脱糞ノルマ」を課したも同然だったからです。

脱糞を増やせといってもそうそう簡単におもらしなんてできないし……」

「私も最近お通じがなくて……でも部長増田命令だしな……」

「そうだ、脱糞したことにして記事をかけばよいのでは」

「それだ」

チャレンジチャレンジ! チャレンジうんこだ!」

 窮余の策でした。くるしまぎれのふんばりでした。

 しかし我々は見知らぬ土地で急な便意を催した時に通りすがったコンビニ設備に賭けるおもいで可能性にすがったのです。

 こうして7月までに前月比二・五倍のペースで脱糞記事が量産されていきました。そのほとんどは実糞を伴わないクソ記事でした。

 部長増田はわれわれの「チャレンジ」を褒め、金一封を与えてくれました。われわれもなんとなくいい気分になりました。

 最初良心の呵責に苦しんでいましたが、そのうち慣れました。部長増田脱糞記事が増えて喜ぶ、われわれもボーナスが出て喜ぶ、読者も脱糞記事が読めて喜ぶ。

 三糞一両得とはこのことです。

 しかし……われわれは大切なことを忘れていました。

 本物の糞がこもらない糞記事はただのクソ記事だということを。

 におわない糞を誰が糞だと認めてくれるというのでしょう。

 いつのまにか、われわれは糞以下の記事を量産してしまっていたのです。

 私が増田不正告発しようと思ったのは、娘の一言きっかけでした。

 それはわたしが家族旅行先のディズニーランドで漏らして恥をかいたけれど優しい娘のフォローにより救われたという内容のほっこり系の記事で、タイトルは「プーさんのハニーハントうんこプーさんしてしまった」でした。

 娘はその記事を読んで、ポツリとこう漏らしました。

「ほんとうにディズニーランド行けるんだったら、おとうさんがいくら漏らしても気にしないんだけどな……」

 そうです、そもそも私たち家族旅行なんていってなかったのです。

 わたしは娘になんということをしてしまったのでしょう。

 わたしはなんということを増田にしてしまったのでしょう。

 

 わたしが犯してしまった糞飾、糞正はもはや取り返しがつきません。

 しかし、これから増田たちには同じあやまちを繰り返してほしくない。

 そういう思いで、今回筆をとらせてもいらいました。

 増田たちよ!立ち上がれ!糞を漏らしても魂は売るな!!

2015-05-16

純文学だって当時はラノベ扱いだったに決まってるだろ!!!

これを書いた増田だが、ただ殴り書いただけなのにちょっと反響があってしまって責任を感じている。

http://anond.hatelabo.jp/20150513013343

から今回はちゃんと俺の言いたいことが伝わるようにまとめてみたよ!

あ、タイトルは注目を集めるためにつけただけで、本気でそう思っているわけではなので悪しからず。

本気ではないが、半ばそう思っているけれど。

俺はナルシストだ。

そして品がない。

育ちも悪いしコミュ障だし、人の気持ちわからんデリカシーも無い。

そんな俺は映画で言えば『アルマゲドン』が大好きだ。

見る度に、チックが別れた女房と息子に会いに行くシーンと、インデペンデンス号が墜落するシーンと、ハリー自爆間際の走馬灯とで3回泣く。

俺の読書体験を要約すると、『スレイヤーズ』にハマって呪文詠唱覚えたり『星の王子さま』に感動したり『それから』を読んで代助のガキっぽさに読んでるこっちが真っ赤になったり『キノの旅』を読んで1巻目のプロローグエピローグ暗記したり『猫の地球儀』に号泣したり『世界の中心で愛を叫ぶ』に号泣した後で本屋平積みされてる『ジョン・レノンにだまさされるな』をワクワクしながら手にとって20ページほど読んでそっと棚に戻したり『いちご同盟』に号泣したり『バトルロワイヤル』に号泣したり『殺×愛-きるらぶ-』に号泣したり『天使の卵』に号泣したり『アルジャーノンに花束を』に号泣したり『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んでわけもわから激怒したり『ゼロの使い魔』読んでルイズに恋に落ちたり『フルメタル・パニック!』に号泣したり『とらドラ!』に号泣したり『永遠の0』に号泣したり『生贄のジレンマ』に号泣したり、まあだいたい号泣している。

こうして振り返ってみると読んでる本に脈絡ないなと思う。

ふらっと本屋で20ページぐらい立ち読みして、面白いなと思った本を買って読むからだろう。

あとは気分で話題になってるのを読んだりする。

テレビで『風立ちぬ』やったらしいから原作読んでみようか、とか。

ラノベSFミステリも気ままに読む。

夏目漱石とか太宰治とか川端康成とか谷崎潤一郎とか、国語教科書に載ってるような文豪作品も気が向いたら読んでみたりする。

まあ、ぶっちゃけこの辺は純文学の中でも娯楽小説に近いよね。

ゲーテとかシェイクスピアとかカフカとかも、読んでみたことはある。

その中で、この人の書いたものは全部読まなきゃダメだ!って思わせてくれたのは秋山瑞人だけなんだよな。

イリヤの空、UFOの夏』を読むと、

「ぼくは笑わない」

浅羽は、ねじり上げられた襟元の隙間からそう告げた。

榎本の瞳の中に、どこか臆病な光が滲む。

「なぜそう言い切れる」

その説明は難しかった。浅羽は言葉を探して、

「ぼくは、あなたのことが嫌いじゃないから

何度読んでもここで泣く。

これこそが文学だと思う。

さて、自己紹介もすんだところで俺の陳腐なブンガクロンの話でもしようか。

俺がむかっ腹が立って仕方がないのは「読書教養を蓄えるための苦行と考えている人間」これに尽きる。

読書面白いからするのであって、苦しむためにするわけじゃない。

ギャグ萌え死語)で脳みそ空っぽにできるラノベに限らず。

ミステリが好きな奴は犯人探しにうんうん頭を悩ませるのが好きなんだろ?

重厚哲学書みたいなのが好きな奴は、難しい話を読むのが好きだから読んでるんだろ?

読書が好きな奴にとっちゃ、当たり前だよな。

まさかスタバMac広げるノリで、ファッション感覚で分かりもしない純文学読んでる奴なんていないよな?

世の中には少しはそんな奴いるんだろうけど、こんな所でまで文学にあーだこーだ言う物好きの中には居ないだろう。

からこの文章を読んでる人は、俺の嫌いな人間じゃないはずなんだ。

で、なんで読書が苦行と結びつくかと言うと、いわゆる「タメになる名作」って奴が歴史洗礼を受けて生き残った、古い小説になることが多いからだ。

古い小説には、現代に生きてる人間にとって見慣れない表現が多く使われている。

当時の人にとって「ぐいぐい読ませる美しい名文」の集まりが、読書経験の少ない人には、まるでお経かなんかみたいに見えてしまっているわけだ。

から教養の無い人間にとっての、教養のための読書」は苦行になる。

そして、少し本を読んでるってくらいの俺にとっても、やっぱり明治文豪の書いた文章は、血の通ったものには見えないんだ。

俺の思考、心、俺自身構成する言葉の一部とは思えないんだよね。

から俺はライトノベルを読まないといけない。

なぜならライトノベルは、俺の心を作っている言葉、そのもので書かれた物語からだ。

ダイレクト心臓を揺さぶってくるからだ。

俺の体の中にある思考や心を、本という形で取り出した物だからだ。

文学かじってるような奴らは、『不朽の名作』なんて小っ恥ずかしい妄想を本気で信じてやがる。

断言してやるが、そんなもんはこの世に1作品足りとも存在していない。

全て名作は朽ちていくんだよ。

それは、作品に込められたメッセージが古くなるのではなくて、俺達が読めなくなるんだよ。

自分はこの作品を完全に鑑賞できている、なんて思い上がりだ。

言葉文化も変わる。

作品が発表された当時の空気は、どうやったって感じられない。

俺達には手が届かない。

からどんな名作だって、その名作の本当の味を味わうことはできないんだ。

ショパンがその手で響かせていたピアノ音色を、俺達が耳にすることはできないように。

失われてもはや取り戻せない。

情動ロゼッタストーンなんてないからな。

だけど、俺達はその片鱗だけでも、味わうことができる。

きっと完全ではないが、味わえる。

だって、人の心には百年でも千年でも、最も深い所に変化はないからだ。

そう信じるに足る何かがある。

眩いだろう。

なんか胸がときめくだろう。

ナルシスティックな気分になるだろう。

何十年かしたら、今読まれているラノベは苦労なしに読めない物語になっていくのだろう。

教養のための本になっていくのだろう。

それでいいんだよ。

そしたらまた別の何かが読まれるさ。

そうして俺達は滅びていく。

俺達の感動は、俺達の号泣は、俺達のナルシスティック情動は、受験生一喜一憂させる国語試験の点数に押しつぶされて消える。

俺達が滅びた後で、意識高い系インテリ気取りが20世紀末から21世紀初頭にかけての文学として、読み解くのに苦労するものとして、ラノベを語るのだろう。

それがちっとむかつくってだけだ。

2011-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20110403144337

地方在住者の中でも一部のカスが大声で喚いてる、っていうのはあるよね確かに

そんなに東京が気になるなら若いうちにさっさと自分の目で見てくりゃ馬鹿げた妄想呪縛も解けるのにさ

それぐらいの思い切りも行動力も無く、でも東京のことが気になって気になって、ずーっと気にしてる

そのまま中年になったらもはや取り返しがつかない

アホ臭い

2010-11-07

取り越し苦労はやめよう

内田 ぼくの師匠多田先生のさらに師匠中村天風という方がいらっしゃるんですが、その先生の教えの中に「取り越し苦労をするな」というのがあるんです。

取り越し苦労というのは、未来予測可能であるということが前提になってますよね。こうなって、こうなったらどうしよう……と起こり得る可能性を羅列的に列挙して、その中の最悪の状況を想定して、そのときの困惑や苦悩を先取りする。でも、まだこれから何が起こるのかもわからない時に取り越し苦労をしてしまう人間というのは、失敗を宿命づけられているんですよ。だって、人生って必ず予測もしなかったことが起こるわけですから(笑)。もっと未来の未知性に対して敬意や畏怖の念を抱かないと。

未来に向かって開かれているというのは、未来の可能性を列挙して安心したり不安がったりするということではなくて、一瞬後には何が起こるかわからないという覚悟を持つことだと思うんです。ですから、「取り越し苦労をするな」というのは、楽観的になりなさい、ということでは全然なくて、「何が起こるかわからない」のだから、全方位的にリラックスして構えていないと対応できないよ、ということなんですね。

でも、悩んでいる人というのは、ほぼ百%が取り越し苦労で苦しんでいる。こうなったらどうしよう、こうなったらえらいことになる……って最悪のシナリオを事細かに想定して、どんどん細部まで描き込んでゆく。自分のことをリアリストだと思っている人ほど取り越し苦労しがちですよね。

でも、先ほども言いましたけれど、最悪のことを考えて、あらかじめいろいろな策をきちきちと講じておくと、そういうふうに最悪の場面に備えて対策を講じていた自分努力に「報いてあげたい」と思うようになるんです。せっかく最悪の事態に備えたのに、最悪の事態が到来しないんじゃ、取り越し苦労した甲斐がない。だから、取り越し苦労する人は、その最悪の事態の到来を願うようになるんです。


春日 そうそう。鬱病の人の特徴の一つが、まさにその「取り越し苦労」なんですよ。それからもう一つ、彼らが一番つらいのが「もはや取り返しがつかない」ってこと(笑)


内田 なるほど。


春日 未来を先取りして失敗して、「もう取り返しがつかない」って言っているわけです。


内田 未来過去もないんだ。現在リピートしているわけですね。でも、過去って取り返しがつくものでしょ。だって、新しい経験をしただけで、過去意味なんて一気に全部変わっちゃうんだから。すべての行為は文脈依存的ですからね、新しい行為によって、経験の文脈が変われば経験解釈も自ずと変わってくる。あとになって、すでに経験したことの意味が「ああ、あれはこういうことだったのか」と解釈が一変することなんてしょっちゅうじゃないですか。

過去は可変的であり、未来は未知である。だから、過去についても、未来についても、確定的なことは何も言えないというのが時間の中を生きる人間健全な姿でしょう。過去はもう取り返しがつかないし、未来はすでに先取りされて変更の余地がないというのじゃ、出口なしですから、もうどこにも行き場がない。


春日 鬱病にかぎらず、どうも見ていると患者さんが感情的に一番つらいのが、もはや取り返しがつかない、という気持ちみたいですね。彼らには、内田先生のおっしゃるような「過去を変える」という柔軟性は持てないわけです。それで、ああもう駄目だということで悔やんで、自分を追い詰めてしまう人は非常に多いんです。


内田 取り返しがつかないこともたしかにありますけど、日常的な経験のほとんどは取り返しがつくんですよ。取り返しがつくというのは「リセット」ということではなくて、文脈を変えることによって、過去意味が変わってくる、ということなんです。

悲劇の条件には二つあって、ひとつは“I must go”、ひとつは“It is too late”だと中学生のときに習ったことがありますけれど、これは未来過去も「変更の余地がない」ということですよね。現在に繋縛されていること、それが悲劇の条件なんです。

苦しんでいる人の原因のかなりはこの「未来が予見可能だ」という思い込みにあるとぼくは思います。未来なんて予見不可能なんです。それがわかっている人には、思いがけなく遺産が転がり込んでくることもあるわけですが(笑)。予見できると思い込んでいる人が思い描く未来って、たいていチープなんです。


春日 楽観性の欠如みたいなところもあるわけでしょ。


内田 「一寸先は闇」って言いますけど、それは逆に言えば、「一寸先はバラ色」かもしれないという不確定性のことでしょう。でも、未来予測するリアリストは、選択的にネガティブな事態を予測しがちですよね。たしかに最悪の事態に備えるというのはそれなりに合理的なことなんですけれど、未来の不確定性を低く見積もった上で、最悪の事態の到来を無意識的に待望するという二点を割り引くと、やっぱり先のことなんてあんまり考え過ぎない方が正解という結論になると思うんです。



健全な肉体に狂気は宿る  ──生きづらさの正体

 内田 樹   春日 武彦

より。

2009-04-01

ある男の人間失格

小説とは嘘である。だから今日という日にここに小説を書くというのは理にかなった行為であると思う。だから今日はここに存分に書いてやる。書きまくってやる。小説だから嘘なのであり実在の人物などには関係がないのである。勘違いしないように。ちなみに筆者は太宰治の『人間失格』を読んだことはないのだが、きっとこういう話なのだろう。

もはや死んでしまいたいと男は思った。

だが死ねなかった。死ねるはずもなかった。あらゆることに下手な嘘をつき、死にたいという自分の気持ちにすら嘘をつくようになった。ただ問題を先送りし、問題をさらに悪いものにするしか能がない男にそこまでする甲斐性も度胸もあるはずがなかった。男はもはや生きているのか死んでいるのかよくわからない生活をするようになった。今もそうしている。

男がこうなってしまったのは大学4年のときにさかのぼる。彼は初めて留年したのだ。

中学受験も成功し、そのままエスカレーター高校も入学、大学受験も某有名国立大学に入学と順風満帆な人生だった。ところが大学3年に入ってからその人生がきしみはじめた。前期のあるテストで今までにないほどに手も足も出なかったのだ。その出来事は男のプライドを大いに傷つけ、その傷ついたプライドを修復しようとするあまり大いに肥大させた。「授業に出なくても大丈夫だ」とよくわからない妄想をするようになったのだ。後期は惨敗だった。

留年という事実に耐え切れなくなった肥大したプライドは男を逃避行動に誘った。挫折を経ず、反抗もすることもなかった男は見た目以上に子供だった。外に出ることをやめてしまった。インターネット肥大したプライドを慰めることしかできなくなった。いわゆる引きこもりニートになってしまった。事あるごとにつっかかり、事あるごとに自分を卑下し罵倒した。いや、自分罵倒する癖は以前からあった。

男は過去にあった忌まわしい記憶をいつまでも覚えており、些細なことでそれを思い出し、後悔するという妙な癖があった。その記憶自分に好意があった女の子を泣かせたとか、自分重要な役の学芸会に少しの熱で休みそのことを先生に怒られたとか、他人から見たらなぜそんなことで思い悩まなければならないのか不思議で仕方がない代物ばかりである。だが男はそんな自分が許せなかった。そんな癖が自分だけでありおかしいことに気がついたときにはたまりにたまり、もはや取り返しがつかないほどのトラウマ状態になってしまっていた。それを思い出したときは数分間自分罵倒し続ける時間が続き、何もできなくなってしまうほどになっていた。

言うまでもなくその癖は引きこもりになっている間にさらに悪化した。些細なことに対してでさえ自分を許せない男が引きこもりになった自分を許せるわけもなかった。授業に出ないこと、ネット依存していること、ろくに外に出ないこと、ただだらだら寝ていること、まるで掃除をしないこと、自分に嘘をついていること、それらすべてが自分罵倒する理由となった。もはや何をすることもできなくなっていた。4年の前期は1単位も取れなかった。

さすがに心配になった指導教官カウンセリングを男に薦めた。だが男は自分を騙すほどの嘘つきになっていた。カウンセラーの前でひたすら自分の好きなことをしゃべるばかりでまったく役にはたたなかった。後期も単位はなかった。

男は引越しをすることにした。自分引きこもりになった原因をネット依存だけに転嫁しようと思い立ち、インターネットができない環境自分をおくことにした。だがもはや遅かった。男の癖はインターネットがあろうがなかろうが関係ないほどにその心を犯していた。ネットがなくなり依存するものがなくなった男はただ寝続けるようになった。

彼が反抗することを知っていればどれだけよかったであろうか。それでストレスを発散でき多少なりとも心の均衡が取れれば多少の改善は期待できただろう。だが彼は反抗することを知らなかった。限りなく彼は子供だった。ただ寝続け、そんな自分罵倒することを繰り返した。その1年、彼は人をやめた。

彼は研究が好きだった。あらゆる物の分析が好きだった。ひたすらひとつのことに没頭できれば幸せであった。そんな男の夢は研究者エンジニアになることだった。だがもはや彼がエンジニアになることはないであろう。勉強ができない、向上できないエンジニア価値はない。夢は閉ざされた。

男はようやくエンジニアになることをあきらめ、学校中退就職することにしようと考えるようになった。だが考えるのが遅すぎた。その年、世界大恐慌に見舞われた。それはいまだかつてないほどの大恐慌だった。部品を作り、それを組み立て、海外に輸出するという商業体系に依存している日本はその恐慌をまともに受けてしまっていて、働き口などなかった。

男は再び迷っている。まだ退学届けを出していなかったので大学に戻ることはできる。だが戻ったところで勉強できる保証などない。いや、できるわけがない。だがこのまま就職活動していてもこの大不況のときに2留で中退などという男を雇ってくれるなどという酔狂な企業も期待できない。たとえ来年景気が回復しても、彼はおそらく新たなトラウマでもう就職活動などできなくなっているだろう。

今男は真剣に死ぬことについて考えている。

だが彼が死ねるわけがないのだ。自殺できるものは勇気があるのだろう。死ぬ勇気が。彼にはない。遺された親族のことを考えるとそんな気も失せてしまう。それはただ死なないでいい理由を探しているだけの逃避なのだが。これから彼は親が死ぬまで一生依存していくしかないのかもしれない。いやきっとそうなるのだろう。

嘘つきで親不孝。男は人間として失格であった。



もう一度言うがこれはフィクションだから現実世界とは関係ない、ただの物語である。

ちなみに筆者はこの世のあらゆることは面白さに満ちていると考えてるので何があろうと絶対自殺することはできないと思います。

2009-01-09

今の中学生エロすぎる。

これから書くことは全部自分で見たことや、同じ教師などの友人から聞いた話で一般化はできない。だけど、雑誌テレビで流れるような誇張なしの、生の中学生の姿である。

今の中学生は早熟で歪。飽食ゆえに身体だけは成長が早く、精神が及ばないのにネットなどで性の知識はすぐに手に入れてしまう。昔のように少しずつ知っていくわけでもなく異性に興味が出た瞬間にチンコとマンコをずっこんばっこんさせて「気持ちE!!」なことを植えつけられてしまう。さらにファッション雑誌少女漫画雑誌恋愛を煽る。これによって今の中学校がどうなっているかと言うと、史上最悪のエロエロお猿さん教室と化している。

まずカップル率が昔とはかなり事情が違う。ちょっと前までは中一で付き合う奴はまずいない、中二、中三で数えるほどのカップルがいれば多い方だ。しかし、今は中一の時点ですでに何組かのカップルができ、中二で三分の一、中三で約半数が交際経験ありで、交際人数が既に複数なのが平気でいる。カップルは平気で休み時間放課後学校内でイチャイチャする。皆さんも見てみればわかると思うが中学から下校してくる生徒には普通に手を繋いで歩いている男女が何組もいる。もちろん真っ直ぐ帰るわけもなく寄るとこ寄ってやることやってる。

教室内でキスをする奴もいれば男子おっぱいを揉みだして「何やってんのお前w」と周りに注目され、更衣室で抱き合い、保健室で仲良くベッドインし、掃除中見当たらない生徒を探したら用具入れの中でいちゃついている。

生徒の会話に耳を傾けると平気で猥談が聞こえてくる。男子ならエロ動画サイト名前が飛び交い、イケメンが「この前ナンパしてヤッたらそいつ××の彼女でw」なんて話が聞こえ、女子は「○○って細いけど脱いだら腹筋割れてんだよ」「△△のチンコってカリが大きくて気持ちいいんだw」なんて話している。

性教育だのケータイ規制だの言われているがもはや取り返しのつかない事態になっている。教師が「セックスするな」とも言っても聞かないだろうし、これだけ性情報が溢れていてセックスエンジョイしている大人が見えているのに「何でしちゃいけないの?」という感じみたいだ。

ちなみにもちろん、女子は若い男性教師だって狙うし、男子女性教師にしつこくメルアドを聞く。最近、教師の淫行が取り沙汰されるがこういう生徒間でやりまくっていて教師も異性として見られている背景があるのである。

 
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