2010-11-07

取り越し苦労はやめよう

内田 ぼくの師匠多田先生のさらに師匠中村天風という方がいらっしゃるんですが、その先生の教えの中に「取り越し苦労をするな」というのがあるんです。

取り越し苦労というのは、未来予測可能であるということが前提になってますよね。こうなって、こうなったらどうしよう……と起こり得る可能性を羅列的に列挙して、その中の最悪の状況を想定して、そのときの困惑や苦悩を先取りする。でも、まだこれから何が起こるのかもわからない時に取り越し苦労をしてしまう人間というのは、失敗を宿命づけられているんですよ。だって、人生って必ず予測もしなかったことが起こるわけですから(笑)。もっと未来の未知性に対して敬意や畏怖の念を抱かないと。

未来に向かって開かれているというのは、未来の可能性を列挙して安心したり不安がったりするということではなくて、一瞬後には何が起こるかわからないという覚悟を持つことだと思うんです。ですから、「取り越し苦労をするな」というのは、楽観的になりなさい、ということでは全然なくて、「何が起こるかわからない」のだから、全方位的にリラックスして構えていないと対応できないよ、ということなんですね。

でも、悩んでいる人というのは、ほぼ百%が取り越し苦労で苦しんでいる。こうなったらどうしよう、こうなったらえらいことになる……って最悪のシナリオを事細かに想定して、どんどん細部まで描き込んでゆく。自分のことをリアリストだと思っている人ほど取り越し苦労しがちですよね。

でも、先ほども言いましたけれど、最悪のことを考えて、あらかじめいろいろな策をきちきちと講じておくと、そういうふうに最悪の場面に備えて対策を講じていた自分努力に「報いてあげたい」と思うようになるんです。せっかく最悪の事態に備えたのに、最悪の事態が到来しないんじゃ、取り越し苦労した甲斐がない。だから、取り越し苦労する人は、その最悪の事態の到来を願うようになるんです。


春日 そうそう。鬱病の人の特徴の一つが、まさにその「取り越し苦労」なんですよ。それからもう一つ、彼らが一番つらいのが「もはや取り返しがつかない」ってこと(笑)


内田 なるほど。


春日 未来を先取りして失敗して、「もう取り返しがつかない」って言っているわけです。


内田 未来過去もないんだ。現在リピートしているわけですね。でも、過去って取り返しがつくものでしょ。だって、新しい経験をしただけで、過去意味なんて一気に全部変わっちゃうんだから。すべての行為は文脈依存的ですからね、新しい行為によって、経験の文脈が変われば経験解釈も自ずと変わってくる。あとになって、すでに経験したことの意味が「ああ、あれはこういうことだったのか」と解釈が一変することなんてしょっちゅうじゃないですか。

過去は可変的であり、未来は未知である。だから、過去についても、未来についても、確定的なことは何も言えないというのが時間の中を生きる人間健全な姿でしょう。過去はもう取り返しがつかないし、未来はすでに先取りされて変更の余地がないというのじゃ、出口なしですから、もうどこにも行き場がない。


春日 鬱病にかぎらず、どうも見ていると患者さんが感情的に一番つらいのが、もはや取り返しがつかない、という気持ちみたいですね。彼らには、内田先生のおっしゃるような「過去を変える」という柔軟性は持てないわけです。それで、ああもう駄目だということで悔やんで、自分を追い詰めてしまう人は非常に多いんです。


内田 取り返しがつかないこともたしかにありますけど、日常的な経験のほとんどは取り返しがつくんですよ。取り返しがつくというのは「リセット」ということではなくて、文脈を変えることによって、過去意味が変わってくる、ということなんです。

悲劇の条件には二つあって、ひとつは“I must go”、ひとつは“It is too late”だと中学生のときに習ったことがありますけれど、これは未来過去も「変更の余地がない」ということですよね。現在に繋縛されていること、それが悲劇の条件なんです。

苦しんでいる人の原因のかなりはこの「未来が予見可能だ」という思い込みにあるとぼくは思います。未来なんて予見不可能なんです。それがわかっている人には、思いがけなく遺産が転がり込んでくることもあるわけですが(笑)。予見できると思い込んでいる人が思い描く未来って、たいていチープなんです。


春日 楽観性の欠如みたいなところもあるわけでしょ。


内田 「一寸先は闇」って言いますけど、それは逆に言えば、「一寸先はバラ色」かもしれないという不確定性のことでしょう。でも、未来予測するリアリストは、選択的にネガティブな事態を予測しがちですよね。たしかに最悪の事態に備えるというのはそれなりに合理的なことなんですけれど、未来の不確定性を低く見積もった上で、最悪の事態の到来を無意識的に待望するという二点を割り引くと、やっぱり先のことなんてあんまり考え過ぎない方が正解という結論になると思うんです。



健全な肉体に狂気は宿る  ──生きづらさの正体

 内田 樹   春日 武彦

より。

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