2020-07-13

覆水盆に返らず

覆水盆に返らず

一度したことは、もはや取り返しがつかないことのたとえ。

自分は、小学4年生(10歳くらい?)の時に父親が女をつくり、家から出ていき、それから母方の実家高校卒業まで育ち、東京大学に進学した。


こういう話は今のご時世ありふれた話であるし、母子家庭で育って苦労しました…という話でもない。

母方の実家にある程度金があったので何も苦労することな大学まで出してもらったし、何なら大学生の時にアルバイトもほぼしなかった。

父親実家にもある程度金があったので、教育費をほぼすべてサポートしてもらっていたらしい(これは最近母親から教えてもらった)

仕事人間だった父親は土日もほぼ家にいなかったし、平日は父親帰宅するころには寝ていたか父親との思い出というものがほぼない。

土日に父親がいないことで家がたまり場になっていたことは内向的性格自分にとってはいちいち友達に声がけしなくて友達と遊べるからからありがたかった。

母方の実家に住むことで弟と別の子供部屋ももらえたし、叔父が残していった80-90年代の大量の漫画マスターキートンなど)などに触れられたこともラッキーだった。

母方の実家がもともと住んでいたマンション比較的近いところにあったので、通う小学校が変わらないこともストレスにならなかった。

ご飯祖母が毎回きちんとしたものを作ってくれるので、生活の質は全般的に向上したと思う。

学校が終わると亡くなった祖父と弟と夕方早めに風呂に入って、祖母が作ったバランスの取れた夕飯を食べて、夜は弟とポケモンルビーサファイアをするパラダイスみてぇな環境だった。


パラダイスみてぇな環境で過ごしていたある日、父方のひいばあさんが亡くなったと連絡をもらった。

そこで父親と5-6年ぶりに再会した。自分高校生になっていた。

母親は僕が父親接触することを嫌がっていたが、久しぶりに父親と会話するのは新鮮だった。

これからはこういう時代になるから大学はこういうところに進学したほうがいいとアドバイスをもらったが、的外れ意見だったのでシカトした。

自分父親が出て行ったいたことは正直に言うとあまり気にしていないと伝えると、安堵した様子だったことを覚えている。

だって父親と住むより環境が良いし、そもそも一緒に暮らしていないも同然だったので)


大学生になると年に数回は父親と会うようになった。

父方の祖父祖母家業を畳んだり、引っ越ししたり、老人ホームに入ったりとちょいちょいイベントがあったので、前よりも父親と関わる機会が増えていた。

父方の従兄弟と久しぶりに再会したり、父親粗相でなくなっていた親戚が一堂に会するみたいなイベントもこの頃に復活した。

父親祖母が嬉しそうだったので、まあこういう時間も悪くないななんて思ってた。


社会人になってからは会うというより電話することが多くなった。

老人ホームに入った祖父祖母怪我病気をしたりすることが多くなり、そういう情報を共有してもらっていた。

そして、老人ホームに入居して数年後に祖父が亡くなった。

父親からはお通夜のあとに一晩葬儀場に泊まるので、自分と弟も一緒にも泊まって欲しいとお願いされた。

自分は断った。面倒だし葬儀場にはシャワーがないらしく、朝シャワーを浴びることができないことは、現代人の自分には耐えられないと思ったからだ。

父親の弟(叔父さん)からは、父親自分と弟と一晩語りたいという思いがあるらしく、説得らしきものをされたが、断った。

別に恨んでいる訳でもないが、いまさら何を語るのか?不思議で仕方がなかった。

父親赤ん坊だった自分を抱っこしたときに、自分おしっこを漏らされた話でも延々するつもりであったのだろうか?

「語る」だなんて、大学生の宅飲みじゃないんだから勘弁してくれと思った(しかも、となりの部屋には祖父遺体がある、実にスリリングである


父親と僕ら兄弟は紛れもなく親子である

ただ、父親20年近く前にした家を出る(家族を捨てる)という行為に対する、代償は確かに存在する。(僕ら兄弟がそういった行為に対して、大したダメージを受けていなくとも)

父親が僕ら兄弟とよくある親子のような関係を今になり望んでも、残念ながら、僕ら兄弟はそれを望んでいないのである

こういうことって端的に言えば、「覆水盆に返らず」になるかーと思い、人は太古から同じ過ちを繰り返すものだと身をもって理解することができた。


ただ、僕も年齢を重ねるように当時の父親が置かれている環境に同情することも増えてきた。

仕事をしてお金は稼がないいけない」「妻とは上手くいっていない」「子供にはなついて貰えない」。

そんな状況の中でリセット願望が出てきて、それを実行しちゃうって気持ちも正直わからんではない。

ただ、そういうことを実行した際には後に金を積んでも何をしても戻せないものがあるっていうことだ。


この記事がどれだけの人の目に留まるかはわからないが、きっといま20年近く前の自分父親と似た境遇の人もいるはずだ。

蒸発してしまう前に一度冷静になって欲しい。将来あなた子供に恨まれるのではない、子供にとって関心がない存在になってしま可能性があるのだ。

過激キリスト教徒女性曰く、「愛の反対は憎しみではない 無関心だ」だそうだ。

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