はてなキーワード: 描写とは
かの有名な「ドラえもん」というSF日常ギャグマンガに「のら犬『イチ』の国」というエピソードがある。
のび太が拾ってきたノラ犬に知性を植え付けて過去のどこかの土地で、捨てられた動物の国を作らせて問題解決、というあらすじだ。
このエピソード、昔からなんとなく苦手で、知性をもったイチの描写が怖かった点も大きいのだが、そのまま歴史が進んだら人類社会誕生しないんじゃね? という妄想に発展するのも大きいな、
と考え直していた。
そうすると、特別にドラえもんが好きというわけでもないが、「ガラパ星から来た男」も似たような部分がある。
または「パラレル西遊記」もちょっとばかりではあるが、似たニュアンスの描写があることに気づいた。
さて次の段で、他の作家、作品はどうかなー? と進んだのだが、たまにSFを読むくらいの自分には、ほぼ全然これが思い当たらない。
というわけで、掲題のとおりなのだが、過去を改編するタイプのSFで、そもそも地上に人類種がまったく、あるいはそんなに反映しなかったってタイプの作品、なにかありますかね。
【追記】
はじめて増田に記事を書いて誰も読んでないかなーと放置してたらメッチャ反応してくれてました!
ありがとう!やっぱ増田は SF に限る! 以下、自己満足のレスです(主に作品について)。
はじめて増田に記事を書いて誰も読んでないかなーと放置してたらメッチャ反応してくれてました!
ありがとう!やっぱ増田は SF に限る! 以下、自己満足のレスです(主に作品について)。
srgy 条件に合うかわかんないけど、ジーンダイバー(の前半)は人類が存在しない歴史に改変しようとする 齧歯類が進化した種族を、主人公が阻止しようとする話
他の方も挙げてくださってましたが『ジーンダイバー』。アニメか! おもしろそう。世代にはあたっているハズなのに記憶がない…。ありがとうです。
mujisoshina 過去改変とは違うが、火の鳥未来編で電子頭脳による核戦争で人類が滅亡した後に、知性を持ったナメクジによる文明が発展してしまう話は記憶に残っている。
未来編も多かったですね。やっぱり異種の文明なりが発展するというのがインパクト強いのかな。
kotetsu306 過去改変で人類の存在を無かったことにしようとしてくる異種族と戦うお話なら、小川一水「時砂の王」かな。小林泰三の短編「時空争奪」もSFホラーで良い
「時砂の王」そんな感じなんですね。読んでみます。小林泰三も触れたことないんで、これを機に…。
コードウェイナー・スミス! 名前は知っていたがこちらも未読。リストに入れておきます。
aaa_too_zzz エブエブみたいな平行世界、マルチバースものなら人間とちょっと違う生物が繁栄していたり、まったく生物がいない世界が描かれることはよくある
「エブエブ」避けたんすけど、そういう描写があるんですね。確かにマルチバース系だと可能性のひとつみたいな感じで出てきますな。
『虚構船団』第2章いいですよね。第3章の落差がまたいい(第3章がいいとは言ってない)。
こちらも挙げてくだった方が多いが、やはり「猿の惑星」のインスピレーションとバリエーションはありますよね。
x100jp 『なぜ僕の世界を誰も覚えていないのか?』は、"地上の覇権を争う五種族の大戦が、人類の勝利に終わった時代。だがその世界は、少年カイの目の前で突如として「上書き」された。"とのこと。
これ! 最近は追ってないですが、よい(よかった)ですよね。
nomitori アメコミだと、征服者カーンが毎回毎回そういうことしようとしてアベンジャーズに退けられているな…。もっと上手くできたやろって思ってしまいがちなのでこの手の話はあまり好きでない。
アメコミなるほど。「やりようあるだろ」という感想を抱きがちなのもわかります。
IvoryChi 人類の大半が「変わって」しまった話ならSCP-3936【職務に忠実であれ】がいいよ。非人間型とされる生き物の特徴が明らかに普通の人間なのがこわい
SCP というコミュニティを知らなかったです…。こわい…。
kotaponx 過去改変というか未来から過去を改変するためにやってくる……といえば、スティーブン・バクスターの時間的無限大かな。ジーリークロニクルの中では一番好き
こちらは作家も作品も知らず。ハヤカワ文庫で95年の作品ですか。ありがとうございます!
zeromoon0 その流れなら「竜の騎士」を外しちゃいけないし竜の騎士をなかったことにして新恐竜を「恐竜映画3作目」とかほざいたドラえもん公式を私は許さない。
他の方も挙げてくださっているが「竜の騎士」は、「それでも恐竜は救えなかった」からの反転がキモだと思っているので、入れませんでした。「新恐竜」の元ネタの贅沢さに比べた完成度はね。祈りましょう。
wdnsdy 未来→現代だけど、漫画「BLACK BRAIN」が未来の人類種の覇権を賭けて現代(連載が90年代なので90年代)の主人公が無理矢理戦わされる話。ただしかなり人を選ぶエログロな作風。正直人類が覇権取る世界もどうなんだと思う
こちらも作品を知らず。ありがとうございます。「正直人類が覇権取る世界もどうなんだと思う」いいですね。
azumi_s ソシャゲの「ブラック★ロックシューターFRAGMENT」がわりとそんな感じ。世界線が爆発的に分岐した影響で知性を持った野菜が支配する世界とか色々出てくる(そんなんばっかではないが)
へぇー、あのゲームってそんな感じですか。ソシャゲはストーリーの都合上、マルチバース取りがちですね。
たしかに『創世のタイガ』もこの気はある作品ですねぇ。いまはWebだけでしたっけ。
いや! まさしくそのイメージです! 思いついてたんですが、ゲッターをちゃんと補給したことなくて…。
dada_love FGOの第二部がまるっとそんな感じなのでおススメ
FGOもそんな感じなのかー! でもFGOは多分やらない…。ありがとうございました!
豊田有恒もこの手の作品を書いているんですね。あとはやっぱり恐竜系は多いか。
『地球の長い午後』ってそうなんすね。たしかに話題の趣旨から外れるけど、これはかなり読みたい。
Machautumn パラレルワールドものなのでちょっと趣旨と違っちゃうけど、ロバートJソウヤーの『ホミニッド-原人』はネアンデルタール人が支配する世界の話だったはず (未読なので作品の評価は控える)。
一緒に読みましょう!
イーガン、読んだり読まなかったりですが、『順列都市』(積読)ってそんな! ありがとうございます!
これね!
tcmsc 『アーロと少年』『サウンド・オブ・サンダー』
bokukanochat 銀魂が思い浮かんだ。いい設定だよなぁ
これもいくつか挙げてもらったけれど、そういえばそういう設定だったですね。江戸時代の改変モノは割と面白いですよね。
tomoP ネタバレになっちゃうけど、『Holy Brownie』では一番最初にホモ・サピエンスへ分岐した個体を殺しちゃうことで人類が絶滅する。その結果の世界が『エクセル・サーガ』
六道神士。すんなり読めるときと入り込めないときがあるんですが、なるほど。機会を探してみます!
hate_flag 地球人はじつは侵略者で、原生地球人たちは海底に生き残っていたというのがウルトラセブンの『ノンマルトの使者』(そして海底も侵略しちゃうんだ地球人…)
やっぱりウルトラセブンは避けて通れないんですね…。ありがとうございます。
rider250 ちょっと趣旨が違うけどバクスターの「タイム・シップ」(ウエルズの「タイムマシン」の続編)で時間旅行ポンポンできるようになった人類が恐竜時代より過去に遡って月まで開発してしまうのは壮大だったなあ。
pptppc2 ブコメで出てるクロノトリガーの数あるマルチEDの一つ「恐竜人が支配した世界」は、実は続編のクロノクロスでかなり重要な役割を持ってたことに驚いたよね。気になる人は是非クロノクロスをプレイしよう!(ダイマ)
もとひら先生はほんとうにすごい!
ちょっと変化球気味な気もしますが、たしかに!笑 永井よ永遠に。
kou-qana ちょっと違うかもだけど「天のろくろ」は…うーん、全然違うか。「今・この現在」が、なかったことになる感はあると思うけど進化史レベルではない…。パラレルワールドものにはありそう。
参考にさせてもらいます!
『星を継ぐもの』も似たようなニュアンスでしたよね(うろ覚え。『さよならダイノサウルス』ありがとうございます。
これSCPですか?
debabocho 意外と難しい。ソウヤーの『ホミニッド』は人類の代わりにクロマニヨン人が文明の主役として進化したパラレルワールドと行き来する話だけど、歴史改変じゃないし乗っ取られるわけでもないからなあ。
ROYGB 親殺しのパラドックスの種族版と考えれば昔のSFでありそうな気はする。新しい方のスタートレックの映画で、過去に戻ったボーグによって全人類がボーグになってしまい、それを阻止するのがあった。
スタートレックも押さえてそうなネタですよね。新版ではあると。
たしかに! そういえばそうでした! 光永康則も藤子・F フォロワーですからね。ありがとうです。
なるほど。ここまで挙げてもらった作品でも侵略側がっていう視点は少なかった。ありがとうです。
これはね、そうですよね。『創世のタイガ』の元ネタのような気もします。小松作品だとややズレますが『ホムンよ故郷を見よ』は似たような驚きをくれますね。
2023/10/04 追記: この日記は週刊少年ジャンプにて連載中の「アスミカケル」の感想文になりますが、以下のような特徴がありますので先に注意点をば。
【注意点】
悪い言い方をすれば、何も考えずに脳死で書いてると言っても過言ではないです。
特に何が良いとか悪いとか考えず、ただ見て感じたものを書いてるだけなので、場合によっては褒めてるように見えたり、逆に貶してるように見えるかもしれませんが、どちらでもないです。
赤い色を赤いと言うようなレベルで稚拙な見たままの直観を出しているものと考えて頂ければ幸いです。この山は大きいなぁとか、そのレベルです。
たまに「あっこの川、深いッ!」みたいな多少の感情は乗るかもですが、基本フラットな自分にとって快不快を問わず感情が乗るのは良い作品だと思っています。よろしくお願いします。
上記の通り脳死で書いてるため、連想ゲーム的に他作品(他の漫画とかアニメとか)の内容やセリフなどを引用したりする事がありますが、比較のためではありません。
つい「この人の髪型ハンバーグみてーだなぁ……」みたいな事を言うかもしれませんが、その人やハンバーグを貶めたり、逆にそれを理由に名作と引っ付けて評価を上げるような意図とかも無いです。皆無にして絶無です。
そのような比較や同一視は両方の作者や作品に対して失礼であり、あくまで自分の中では全く別のものだけど連想してしまったに過ぎないので、あくまで個人の感想である事をご留意して頂けませば幸いです。
③同様に、何かしらキャラや演出などについての評価をする事もありますが、それ自体は特に作品や作者の評価ではないです。
もし仮に私が「このキャラ不快だなぁ」と言ったからといって、それが即ちその作品や作者が不快という事でもないです。不快なキャラを出すことで、相対的に他のキャラの株が上がる事もあります。
世の中にヤベー人間がいるからといって、即ち世の中がヤバい訳ではないように。その作中世界や世界の中の"もの"と作品との評価は全く異なるものであり、なんなら邪悪な人間しか出てこない邪悪な世界の作品でも面白い場合もあるかと思います。
世界最高のコントラバスと世界最高の尺八奏者と世界最高のDJがコラボしたところで、どうひっくり返っても「世界最高のジャズ」が生まれるなんて事はないように。要素同士の相性が良くなければ作品はチグハグになります。
演出とか構成とかストーリーとか諸々の要素が全て満点でも、それらが噛み合ってなければ作品として成り立たないように、あくまで要素と作品全体の評価は別物であると認識して頂ければ助かります。
④また、自分の目線はどちらかと言えば創作者目線気味で「自分が作者だったらこうするかなぁ……」みたいな事を考えがちな傾向がありますが、だからといって作者へのリスペクトが無いわけではないです。
そもそも自分は創作者というより鑑賞者なので、岡目八目で「ああすれば良いのに」「こうすれば良いのに」と言ったところで自分自身が実際にそれを出来るかどうかと言えば答えはNoです。
あくまで読者としての視点でしかないため、実際に締め切り(納期)通りに同等以上のものを仕上げれるわけではないですし、実際その作品と同じテーマを自分が表現するとしたら、それは作者の出す作品とは全く別物になると思います。
素人や読者の視点というのは独り善がりなものであり、あらゆる創作者には個性があるし個々の事情もある。その全てを重んじ、リスペクトしていきたいと自分は考えています。
アスミカケルを電子版ジャンプのバックナンバーにて読む。概ね1p毎に気付いた事などを書いていく。
とりあえずざっくりカラーの1p目(ジャンプ本誌3p目)。最初の「痛いのは嫌いだ」「苦しいのも嫌いだ」「強いから何だってんだ何の意味がある」「怖い…なのにどうして…」「戦わずにはいられない…!!」
この部分で恐らく作品テーマを開示している。要するに、不快さやデメリットを抱えると分かっていても「人が戦う理由は何か」が主題であると思われる。そのため、最初の掴みとして「殴られたり極められる人」を描き、「それでもなお血の滴る道を進む」という事を示唆している。
どうも火ノ丸相撲の人が描いてる漫画であるらしい。火ノ丸相撲もそうだが、格闘漫画それ自体が自分にとっては基本的に相性が良くない。ただし、これはリアルに起因するものなので無視しても良い。表紙については前述のページと同じく、一部を除いた全員が前方向を向く事で戦いにポジティブな要素を示唆しているものと思われる。
次。ジャンプ本誌26pより本編開始。ここで何気なくだが、やや不自然に明日見家の全員をネームプレートに示している。これは古くは沼駿先生の「左門くんはサモナー」に於いても使われた手法だが、「左門くんはサモナー」の場合は特定の意図を持って何度も示されている事に注意したい。ここでは現状、明日見家の全員を紹介する以上の意図は汲み取れない。
家長である祖父の獏は覇気がなく、物忘れ気味な事が示唆されている。また、リフォームをした事および、その前に配偶者(祖母)を亡くしている事も先のネームプレートから汲み取れることが分かる。ただし現状、そこまで読む必要はない。次のページでは息子たる和虎をリフォーム後に亡くしている事が分かる。恐らく獏はリフォーム後に忘れ癖が出ているものとも考えられる。
ここで出ている長女と次女らしき人物は羚と三羽か?最初は二兎だと思ったが、二兎が主人公であると思しき少年であった。兄は一狼。二狼でなくてよかった(良くない)。名前の由来は原則として動物に由来するものと考えられるが、祖父が夢を食べると言われる獏なのは意図してのことか。であるとするなら、他の名前にも意図があると考えて良いだろう。次。
二兎が一般的より冴えない、やや怖がりの高校生として描かれている。ここで最初のページに示されている恐いという部分が示されているため、キャラ付けとしては重要だが、演出として主人公への広い共感を呼ぶという感じはしない。次。
そこで友人が守ってくれたり、格闘技の道について示される。友人が最初は強い(主人公を護る勇気を示す)という点では鵺の陰陽師と同じくしているが、鵺の陰陽師よりは凡庸とした見せ方ではある。逆に言えば奇を衒っていないという事でもあるので、まあ王道と言えるが、王道なりの見せ方として絵力による演出がもう少し欲しいというのは読者として欲張りだろうか。次。
そこで主人公が機転を利かせて窮地を脱するという形でキャラを示す。これも基本的には読者に共感というよりは離れていく方向の形だが、前述の「怖くても戦う」という部分を見せるためにはギャップを作る必要が出てくる。しかし昨今の読者は言うなればせっかちなので、私も例に漏れず「ここで主人公が魅せる部分だろう」という感覚がある。
引き続き、格闘技への道を示すシーンが続く。ここでも主人公はひたすらに怖さを出す。しかしキャラ付けとして一貫しているといえば一貫しているが、ややくどさも出てくる。怖さばかりをピックアップするので、恐らく意図しての事だろうと思われるが、やや強すぎるのではないかとも思う。次。
まだ主人公の弱音は続くが、ここで漸く主人公の資質を見せるシーンが出る。ただしあくまで受け身である。これもスマートに避けるとかでなく受け身なのは、やはり痛みなどを受けるという部分が思想としてあるのだろう。その上でダメージ・コントロール技術としての受け身を出すのは理には適っているが、インパクトとしては地味だ。次。
主人公が最初に示した好みのヒロインを出すページ。ここでも格闘技。これで格闘漫画じゃなかったら何なのかとなる格闘押し。もう少し展開が早くても良い。体幹の概念を出すが、ここで問題は「体幹とは何か?」というのを主人公が知っている事。逆にいうと、ここで体幹について知らない読者に「体幹とは?」と疑問を持たせる効果はあるだろうが、やや濃ゆい。
そしてヒロインの置かれている立ち位置も出しつつ、先程に書いたMMAを出す。しかし主人公が覚えていない。作中時間が経っているのは分かるが、読者としては一瞬なので「…「MMA」って何だっけ…?」は、ややくどい気もする。が、このくどさは恐らく想定する読者層によるのだろう。要は、流れで適当に読んでる読者に向けて思い出させる効果を狙うものと考えられる。そして再びの一狼。次。
物忘れ気味な「じいちゃん」によるMMAの解説と、かつ祖父のギャップ提示。これにより確実なまでに明日見家が武術一家である事を示している。わざわざ道場を別個に建ててるのだから当然そうなる。しかし、そう汲み取れない、つまり格闘系の文脈に疎い読者には「急に謎の道場が!?」となりかねないコンテクストありきの部分なので、やや不親切か?次。
再び「じいちゃん」(獏)の物忘れと、残りの家族や更に家庭環境を明示。(羚以外)。手帳が重要なものだとも示す。次。
ようやく羚の名前が出る。個々の負い目を提示するシーン。回想に入る。次。
過去回想。まあ家庭環境という感じだ。再びの不穏さを提示しながら次。
イジりからイジメに。まあ主人公の情けなさを散々に提示しているのだが、それと対象的に友人とヒロインの格が上がる。次。
ヒロインの戦闘能力に対し、再び主人公の能力を示すシーン。基本的に技を受ける事が前提で話が進んでいく。ひたすらテーマに沿わせようとする意地は分かるが、ここまでくどいと自分としては結構と気になる。
ここで舞台装置だった不良についてはスルーされ、ヒロインの家がMMAなり格闘技関係の事務である事を示唆しながら次に。
MMAジムとヒロインの目的・目標開示。一応、不良にも逃げたというフォローが入る。ヒロインが主人公を見定めている事も暗に示唆しつつ、友人が前進。次。
兎にも角にも主人公の人柄を示しまくる。リアルでなら良いが、漫画なのでくどく感じる。説明は少なすぎても多すぎても良くないが、サラッと流して欲しいのが個人的な感覚。
戦うヒロインなので眼鏡を取るのは当たり前だが主人公が割りと欲求に素直である事も同時に示される。格闘技の説明が入ったため、とりあえず一旦ここから暫くは感想を書きながらでなく流し読みで良いと判断。
どうでもよいが、遠目にヒロインを見るとシルエットだけならワールドトリガーの宇佐美栞に似ている事に気付く。閑話休題。これらの説明類は、大なり小なり格闘技に対して事前知識があるか、興味が無いと頭に入らないのではないかと思う。
主人公の体験パート。「当て勘」など格闘技のワードが続く。この場合は「距離感や位置関係の把握など、空間把握と自身の身体把握ないし操作とがズレている」と考えれば良いが、兎にも角にも主人公の魅力が地味かつ描かれないのが続く。1話も中盤に差し掛かるが、これで大丈夫なのだろうか。次。
フォローとばかり「明日見」の武術について示唆しつつ、また回想と次ページで不穏な事が起きますよというコマを使う。濫用では?次。
不良の顔も三度まで。次。
ここで漸く主人公が「強さ」を示す。
まあ一線を超えるまで強さを示さないというのも良いのだが、良くも悪くもリアルの人間という感じで創作物としては何とも。
ワンピースの1話で言うならシャンクスが酒をぶっかけられるくらいのラフさと、銃を抜いてからの豹変という所に、ここまでページをかけるのか……という感想が強い。
良く言えば丁寧ではある。そして主人公が武術を活躍するのを示唆して次に。逆にいうと、こういう「丁寧だけど驚きが無い」というのが強い特徴に感じる。火ノ丸相撲は本誌かつ序盤しか読んでいないので記憶が薄いのだが、こういう作風なのだろうか?次。
戦闘シーン。組んで、回転させて壁に衝突させ、足を抜いて相手の力を利用して投げ飛ばす。簡単に言えばこれだけなのだが、こういう限られた空間でのストリートファイトは少しコマ割りと構図に工夫をして分かりやすくしていくと有り難いか。
あと「殺れ」はガチの古武術としての教えなら分からなくもないが、MMAメインなのと主人公のキャラには合わない。ここは「躊躇うな」とか「そのための備えをしろ」だけで止めても良いとは思う。次。
ここも戦闘シーンだが、やはり武闘経験がある前提での描写が目立つ。別に理として間違った事は書いてないし描いていないのだろうが……
こういう部分が多いのは、アスミカケル自体が格闘技経験者に向けた漫画なのだとして割り切った方が良いだろう。次。
組技系の格闘家としての主人公披露。当て勘のなさや受け身など攻撃を受ける前提の描写に納得はいくが、絵的に不良のほうが目立ってしまう演出。
ここは思い切って主人公を目立つよう分かりやすく上に描いても問題は無かったと思うが、何かしらの意図があるのだろうか。よく分からない。編集者が気付かない訳がないので、まあ何かしらの演出なのだろう。次。
ヒロインによる制止と事態の収束、および疑義の投げかけと解説。ここも最後のコマは示唆。……「丁寧といえば丁寧」。次。
最終的に格闘技について前向きにはなるという所で終了。
総評……非常に申し訳ないのだが、主人公が言うなれば「極力リスクを負わずに良い所だけ取っていく」という印象が強い。50点のために、解ける問題を解かないというのが事態を悪化させているまである。そこまで考えていないといえばそこまでだが、どちらにせよお調子者という感じで自分には理解し難い。
また、話運びや演出等については丁寧で王道チックだが、それ故に意外性が低く、かつ格闘技関連の説明や描写などが読者の格闘技についての知識や想像力に依存しているため、一話で読者をもぎとるには少し弱いところがあるのではと思わなくもない。それをスルーさせるだけの演出力がもう少し欲しいように思わなくもない。
どちからといえば(古い)マガジンとかチャンピオン向けの話を、あえてジャンプでやってる……という感覚が強く、火ノ丸相撲のように「相撲について分からない人でも付いていける」力があるかと言われると、少し怪しいところがあるのではないかと感じた……個人的な感覚だが、まあ格闘技経験者なら考えずに読めば気にならないのかもしれない。
主人公以外のキャラクターについては、良くも悪くも魅力的かというと何とも言い難い。ヒロイン自体は良い感じに読者を引っ張ってこれそうなキャラをしているが、同時に少しキワモノさも併せ持つ。こういったニッチだったり少々リアルな性格的要素を持ったキャラを扱う場合、週刊少年誌というより青年誌や月刊誌向きなのかもしれない感じはある。
概ねそんなところか。次話以降については、また時間のある時に読んで感想を書くかもしれないし、書かないかもしれない。ひとまず終了。
「三体」のダメなところは智子の設定に集約されている。
智子というのは三体人が地球の技術的発展をかく乱するために送り込んだ陽子一つ分のコンピュータなのだが、これの製造過程の描写に素人でも一瞬で分かる大嘘が書いてある。
三体人は粒子の次元を操作することが可能らしく(この理論的根拠は全く描写がない)、次元の数を増やしたり減らしたりして、内部に回路を作る(劇中では核力を整形してエッチングするというような説明がある)が、2次元展開した陽子が三体世界を包み込んだとき、全体が鏡面になって惑星自体を映し出す場面がある。
自分は反射の核物理的な原理を詳しく知らない。おそらく電場や磁界が電磁波の進行方向を曲げるのだと思うが、陽子一つ分のエネルギーで惑星全体を映し出す電磁波を同時に偏光させることが出来るはずがない。一つ一つの光子のエネルギーに対応するだけの電場あるいば磁界を形作る必要があるが、もし出来るのだとしたら、それはエネルギー保存則に反している。六次元空間から三次元に投影された智子に国家元首が触れると「空気抵抗」を感じるが、これも同様の理由により間違っている。
明らかに劉慈欣は次元のコントロールによって空間と共にエネルギーの総量もコントロールされうるという混淆を侵している。この混淆を取り払ってみれば、そもそも陽子一つのエネルギーで計算機を構成するというのもまず不可能な相談であるということが分かる。核力によって形作られた回路には、電子の代わりに情報を媒介する何らかの量子が必要だが、必要とされる量子、あるいは回路を構成するエネルギーは軽く陽子一つ分を超えてしまうだろう。現代では情報を伝達するには相応のエネルギーが必要なことが分かっており、実験で確かめられてさえいる。
(ついでに言うと量子もつれによってスピン状態を検知して、智子をコントロールするという話も出てくるが、もちろんこれも間違っている。量子もつれによる同期は情報を伝達しないことが分かっているのだ。もしも情報を伝達するならそれは光速度不変則に反することになる)
この事実は本作が一見論理的に見えて、その実極度に倒錯的な性質を表している。なにしろ、質量の関係から智子(陽子一つ分)を送り込む必要性をあらかじめ説いたのは劉慈欣自身なのだ。質量の問題を回避するために作り出した智子の設定の方が盛大にエネルギー保存則を破っているというのは一体どんな種類の皮肉なのだろうか。無論劉自身がそのような皮肉を意図した形跡もなく、センスが悪いとか荒削りとかいうレベルをさらに下回っているとしか言いようがない。自分の課したルールを自分で破る作品に、まともな完成度を認めないのは、自分には正常な判断に思える。
この本の最大の皮肉は、馬鹿げているのに面白いジョークでもない物語が、英米SFがつまらなくなった状況(その他の国に面白い作品があるわけでもない)がゆえに耳目を集め、あまつさえ世界的なヒットになってしまったことではないか。このあたりが古いSFファンが見向きもせず(最もまともに作品を批評できる連中は残っていないのかもしれない)、根強く批判が消えない理由だと思うのだが。
下記を見れば分かる通り、明らかにショタへの要求・言及が多い。
すなわち、おねショタで抜いてるやつはショタで抜いている。以上。
・主導権は常にお姉さんにあること
・ショタは下の毛がまだ生えてないこと
・お姉さんは下の毛が年相応に適度に生えてること
・ショタが仲間を呼んで輪姦しないこと
・ショタは年相応に恥じらいを持っていてお姉さんにちんこを見られることに対して赤面するか涙目を見せること
・お姉さんがパンツを脱ぐのはショタのパンツを脱がしちんこを見たりブラジャーを外しておっぱいを見せることより後であること
・お姉さんはショタのちんこを見た際に驚いたり恥ずかしがらず可愛いものを見る目で微笑むこと
・お姉さんはショタのちんこに対して「大きい」「立派」といった評価はせず「小さい」「可愛い」等と未熟なちんこを嘲笑うか優しく包み込むこと
・性行為の様子はお姉さんとショタの体格差が分かりやすいように描くこと
・ショタの描写にもきっちり力を入れキンタマやアナルまで描くこと
・ショタはまだ精通を迎えておらずお姉さんの手ほどきによって精通を迎えること
・ショタのチンコが現れる時の効果音は「ポロンッ」「ピョコッ」「テロンッ」等で表現し小ささや可愛さを強調すること
・ショタはお姉さんに脱がされチンコを見られ物凄く恥ずかしがりながらも初めて見せて貰うおっぱいや股間に興味を持つこと
・お姉さんは包容力と余裕を併せ持っていること
・お姉さんが自らショタに主導権を渡しショタが本能に任せて腰を振る
必要性を根拠つきで論理的に語れって言われたら困るからふんわり感情で話すけど、
「誰も見てない」ってことはないと思うんだよ
たとえば呪術2期のOPが本編で印象が変わるのtwitterだとそれなりの人が取り上げてたりしたじゃん
チェンソーも毎回違うことが話題になってたし、放送前OPだけ公開されたときには「解釈一致がすぎる」とか喜んでたファンが大勢いた記憶が…
それにまだまとめサイトにまとめられるような「最近のアニメの主題歌で」云々のスレを読むと、大勢が複数のアニメのOP、EDを見てることがわかる
見てる人は見てる
どのぐらいの率かってのが自分は知らんが
「必要性」まで言われたら視聴者側からの必要性はわからんけど(曲を売りたい製作者サイドのメリットは別として)、
視聴者の中にもOP、EDを楽しみにしてる人一定数まだいると思うよ
OPはその世界観に入り込むため、
EDはその世界観の余韻にひたるため
黒人学生が出るアニメはむしろそこそこ思い浮かぶな。ガンダムビルドファイターズのニルス・ニールセンとか日米ルーツの黒人だった。
リアル日本の外国人比率を考えると韓国人が少ない。中国人キャラはわりと見かける。中国人はステレオタイプな描写してもあんまり怒られないしステレオタイプもキャラ立ちしてるからかな。東南アジア人も少ない。見た記憶すらない。
黒人はキャラ立ちしやすいから全然出てると思う。リコリス・リコイルのミカとか黒人である必要性は特にないけどキャラ立ちに役立ってるな。
鬼滅は長命「種」じゃないな
鬼滅の鬼は元・人間ってだけで、生き物として別種になったわけじゃないんだよね
(そのへんの読解力ゼロで「人間だって魚とか牛とか他の生き物食べるのに、鬼が人間を食べるのはダメなんですか!」とか言っちゃってる頭お子様いるけど)
つーか生き物ですらなくなってる、人間を食い殺すのはそうしたいからってだけ
鬼滅が描いてるのは人間の内部の悪とそのかたき討ちの話だからだろう
ただし長命種として云々的なまじわりは描かれない
2名を除けばただただ無為に長く存在してるってだけ(うち1名ははっきり「400年も生きてなんもわかってない」描写だし)
ネタバレ注意!
この物語の基本的な原理は次の通りだ。「宇宙の資源は有限である。しかしすべての文明は成長し・生き残りたい。よって、自分が生き残るためには相手を皆殺しにしていい。さもなくば相手に殺される」。そこから出てくる結論は「相手の位置がわかったら即座に抹殺するのが最適解」。「相手と対等の立場に立って交渉するには、いつでも相手の文明の座標を全宇宙に晒す装置を作ればいい」。
これが適用されるのは地球人対エイリアン・三体人だけではない。宇宙戦争ののち、孤立した地球人の宇宙船同士も相互不信に陥り、突然殺し合いを始める。この原理原則に例外はない。
どうしても攻撃したくなければ、相手の脅威にならないと示すため、限定された空間の中に引きこもるしかない。
エイリアンのたった一つの水滴という兵器に、地球の最強の兵器であってもまったく歯が立たない。あるいは、エイリアンが数百年の偽りの平和ののち、地球人を何の共感もなくジェノサイドする・餓死させることを宣告する場面。主要なキャラであっても容赦なく殺してしまう命の軽さ。無意味に死んでいく人々。愛し合うカップルであっても、異なる早さの時間に引き裂かれる。この絶望感こそが本作の醍醐味だ。
さらに、地球人の文明が通りすがりの三体人とは別のエイリアンの作った名刺大の兵器で、三次元から二次元の物理世界に落とされて再起不能になるまで破壊されるシーン、これは最も美しく壮絶な太陽系・人類滅亡の場面だ。これを読むためだけに「三体」を買うだけの値打ちがある。
それだけではない、現在の宇宙が四次元時空で光速が有限なのも、本来は十次元で光速無限だった世界が、宇宙戦争で使われた次元兵器による「堕落」の結果だと示唆される。感動的なまでの悲観主義!
宇宙戦艦、超兵器、エイリアン、コールドスリープ、超構造体(メガストラクチャー)、ネトゲなど、絵になる風景ばかりだ。確かにSF的モチーフを大量に詰め込むと粗削りになりがちなので、作品によっては一つに絞ったほうがいいと思うこともあるんだけど、これはいい。
これは欧米のSFではほとんど見られない。中国が扱われるとしたら古代文明の謎であるとか、悪の共産主義陣営とかで出てくることが多いので、まず中国が舞台であるというのが新鮮だ。始皇帝とか荊軻とかいう名前が出てくるだけでもうれしい。中国から見た日本文化ってのも、なかなか見られないから楽しい(ケン・リュウも書いているけどね。あと、中国人からしても日本と言えばカミカゼと忍者と茶道なのね。あとは雀魂とか)。
関係ないけど、英語版のウィキペディアは概して日本よりも記事が多いし細かいことが書いてあるが、中国の歴史については日本語版のほうに一日の長があることもある。
あと、文化大革命が背景になる中国の小説とか映画とかって、面白いのが多い。
クラークとか小松左京とかじゃないとやらないくらいの発想がぽんぽん出てくるのが素晴らしい。
SFはリアルさを求めて、技術革命とそれによる社会の変化を描くこともあるし、現実の社会問題に肉薄することもある。雑食の僕はそれはそれで面白くて大好きなんだけど、定期的にSFのルーツにある「人類の、そして宇宙の終局的な運命とは」「不可解なるエイリアンとの出会い」みたいなテーマの作品をどうしても読みたくなる。
第一部でエイリアンの軍勢を地球に呼び寄せてしまうのは人類に絶望した女性科学者・葉文潔だ。「いっそ愚かな私たちを滅ぼしてくれ」と宣言してしまう。第二部ではエイリアンに対抗するために地球の資源を使い放題にしていいと許可された「面壁者」羅輯が、どうすればいいかわからずに、かわいいだけの理想の妻を求める(一緒に問題を考えるパートナーではない!)。さらに、第三部ではエイリアンと和解した人類が、数百年の平和を経て穏やかになっており、「日本や韓国のアイドルのように」「女性化」していると描写される(前に「原神」のキャラとか”男らしくない”俳優とか実際に規制されてたよね)。
そして、コールドスリープから目覚めた主人公の女性・程心もエイリアンの文明を破壊するための報復装置を、弱気さから起動し損なう(これがさっき述べたエイリアンによる人類のジェノサイド宣言につながる)。
同時にコールドスリープしていた軍人は「この社会はもっと雄々しくあるべきだ」という趣旨のマッチョなことを述べる。2010年のSFだけどこれでいいのか。このシリーズを普通に面白いと褒めていいのかオバマさん。僕はジェンダー意識がかなり保守的なほうだと自覚してるけど、これはちょっと弁護できないな(というかこれだけ女性の扱いが悪いと、作者には過去につらいことがあったのか? って心配になる ※1)。
さらに、第三部の主人公・程心は、使者として脳だけになってエイリアン文明に入り込んだ恋人・雲天明が、エイリアン文明の中枢から伝えてきた、人類文明を救うための暗号化されたメッセージを解読し損ない、これも人類滅亡の遠因となる。
つまり人類の滅亡の契機は、ほぼすべて女性に起因している(いずれエイリアンに見つかっただろうけれども、直接の契機は女性)。寡聞にして、この点を検討している評論を見かけていないけれど、ググればどっかにあると思う。
三部作全部ドラマ化するとしたら、この辺テコ入れされるんじゃないかな。
※1 同じ心配をしているのが「たんぽぽ娘」のロバート・F・ヤングで、若くてかわいらしい女の子といちゃつく小説がやたらと多い一方で、「ジョナサンと宇宙クジラ」では年上の女性たちや・女性の上司に日常的に暴力を振るわれている描写がある。成熟した女性に対する嫌悪と恐れを読み取ってしまうのは、気のせいだろうか。
エイリアンとの戦争に勝つためにはどうすればいいかと軍人が議論する中で「エイリアンに負けるかもしれないという精神的敗北者を追放する」「エイリアンのシンパ・スパイを排除する」という結論が出てくるの、なんというか現実の中国共産党の発想なんだけど、エイリアンに対してこういう態度を取るのは欧米だと冷戦時代のSFが多い(この前のホーガンとかね。でもホーガンは「未来からのホットライン」が面白いよ。「シン・エヴァ」の元ネタだし)。なんというか、「三体」が悪いというより、中国政府がいまだにスパイ大作戦な冷戦の世界観で世界を見ているという感覚が生々しく伝わってきて幾分げんなりする。マジで共産党が「最善の防御は皆殺し」とか考えていませんよーに。さっきの女性の扱いと含めて、数十年前のSFを読んでいる気分になってしまった。
第一部からエイリアンの超粒子で地球文明が監視されて物理学の発展が阻害されるんだけど、これも敵のスパイに見られているという被害妄想的な感じがする。
深読みすれば、共産党に監視されている国民の恐怖・心象風景なのかもしれないけどね。
SFってのはある程度ブラフが必要で、トンチキな場面も出てくるんだけど(それをどうやって読者に悟らせないかが仮定の文学であるSFのテクニック)、たとえば第一部で地球文明を隅々まで監視できるだけの技術文明を、地球のナノワイヤで倒せるってのは、ちょっと無理があるんじゃないか?(追記。せめて向こうでナノテクが発展していないエクスキューズがほしいよね)
人類に対して敵意を持っている宇宙の中での、人類の行く末について最後まで描き切った蛮勇がとても好き。三部作の壮大さのおかげで、隠せない欠陥にもかかわらずこの作品を気に入ってしまっている。第一部よりも第二部、第三部の順で面白くなっているのもいい。自分の中では★二つから★四つ半くらいまで評価が上がっていった。作家として器が大きくなったって感じたよ。
ラストの逃避にも似た、小さな農園を備えた小宇宙も、中国の伝統的美意識・神仙思想・隠遁に繋がっていていい。美意識が共有できると嬉しいよね。
全体として思ったのは「これって炒飯とラーメンと餃子の特盛セットじゃん」ってことだった。みんながSFと聞いて思いつくネタをがっつり取り込んでいる。読んだSFの冊数が増えると、青椒肉絲とか麻婆豆腐とか黒酢酢豚とか、燕のスープとかフカヒレとかいろいろあるのがわかってくるし、全部乗せを馬鹿にしたくなる気持ちも出てくるけど、なんだかんだで小さい頃に食べた大味な全部セットが無性に食べたい日もある。
時々どうしても受け入れられない価値観に出会うこともあるけれど、なぜそう考えるようになったのか? なぜ自分は不快と感じるのか? と考えると、共感的に理解できるかもしれない。少なくとも自分の価値観があぶり出される。
過去は批判し、そのうえで現代をよりよくしていこうと思うが、だからといって過去を見くだしたいとは思わない。好きなところ、好きになれないところ、両方を検討するのは楽しい作業だ。
本を読んだときはたった一つの気に入った言葉があればいい。映画を観たときは一つでも好きな場面を見つけられたら良しとする。美術展に出かけたら、一枚だけでも気に入った絵があれば外に出た甲斐がある。
こうして欠点もあるけれども面白かった作品について書いてみて、「もういいや」って思ってた外伝にも、手を出したくなってきた。
それではまた。
「三体」人気すごいなあ。久しぶりにバズったよ。
これは外国文学を読むときの鬼門で、自分は三国志にゲームとか小説とかで親しんでたからなんとかなったけど、そうでないとしんどいかも。
おすすめのロシア文学もなかなか読んでもらえないのもこの辺りに理由がある。
基本的にはメモしたり声に出したりしてその国の言葉のリズムに慣れるのがおすすめ。マニアになってくるとジョンとヨハネとイワンが同じ起源だとか気にし出すけど、これが通用するのはアラブ世界までだしね。
SFじゃないのも含むけど、
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あとは、
これはちょっと思った。原初のSFにある奔放な想像力、よくそんなネタ思いついたな! みたいなのがたくさんあるのが「三体」のいいところ。
で、それがモヤモヤする理由でもある。SFが洗練されてくると科学的正確さとか政治性とかを無視するわけにはいかなくなる。自分と異なった属性に対して誤った知識が広まらないよう、表現にルールがあるのは大切だと信じる一方、気持ちの面では想像力が羽ばたくのを少しも邪魔されたくない自分もいる。だから、反発する人の気持ちもわかる。
なので、正確性とかに気をつかったSFに慣れた身からすると「こんな粗削りでもウケるんだ! 売れるんだ!」という意外さと、先を越された悔しさがある。だから、元増田みたいにSFの外にまで広がった作品を「センスがない」とディスりたくなるのかも。
でも、僕も最初はそういう作品から読み始めたわけだし、重箱の隅をつつくような外れ値の古参よりも、作品を買ってくれる新しいファンがどんどん増えたほうがジャンルは育っていくし、若いファンは「にわか」呼ばわりするのを恐れずどしどし読んでほしい。
そういえば第三部でアボリジニのおっちゃんが出てくるけど、欧米の作品だったらもっと白人文化に対して批判的だっただろうし、なんだったら三体人に押さえつけられるときにももっと痛烈な言葉をはかせていただろうな。より強い文明と出会ったことによる悲劇のメタファーとしては扱いが若干雑だ。
以上。
・フェイブルマンズ 青春ジュブナイルものとして内容はごく普遍的だけど、おれの大好物。エンタメとしてもとても面白かったと思う。大好きな『桐島、〜』の神木隆之介にフォーカスを当てきったジェネリック版って感じ。趣味人間として刺さっただけに、他人との関わりとかもうちょっと考えてもいいかなって思った。
・シン・仮面ライダー 良くも悪く仮面ライダーに思い入れがないので普通に面白かった。「大人向けライダー」っぽいバイレンスも露悪趣味じゃなくてちゃんと後半にかけての変化のコントラストになってていいなって思った。バディものはいいね。
・エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス 別の世界線の自分を呼び出すのはコミカルな描写としても良いし、アクションとしてもメリハリのあるマトリックスみたいで面白かった。観た後はそんくらいの感想。他人の感想の受け売りだけど、税務署のババアと分かり合うのは指がソーセージの荒唐無稽な世界くらいにあり得ない事だった、みたいな見方に気付いてからは、ああそういうことか、なんかイイねって思った。
・グリッドマン ユニバース 直前にダイナゼノンを詰め込みで予習したから、時間が育む思い入れは少なめだったかもしれない。シンエヴァがずっとチラつきつつ、虚構を肯定する作品って良いよなって思った。グリッドマンから続くフィクションの肯定、ダイナゼノンから続く過去を清算して未来を勝ち取るってテーマについて非常に力強く語りかけてくれた感じがした。
・インディ・ジョーンズと運命のダイヤル 印象的なカットはあんまりなかった気がする。ここぞという所であのニヒルな笑みを浮かべてバシッとキメるカットを期待していたけれど、特にそういう箇所は無かったか。聖杯を諦めて今を選んだインディも今回は若人にブン殴られる番になったけど、でも冒険劇ってこういうのでいいんだよなみたいな所は抑えてた気がする。
・ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE 続きもんとして割と良い区切りのつき方だったと思う。次も楽しみ。列車の上に乗っかってトンネル突っ込むアクションはやっぱ手に汗握ってイイ。FIAT500のとことか、ちょくちょくフフってなる所もあった。合理的、冷徹にと言いつつ最後はヌクモリティで助かるのがいいね。今回宙釣りあったっけ。
・バービー 映画を観ながらああだこうだと語ってしまいたくなるのはもう性なのかもしれないけれど、それでも教えたがりにはならんよう気を付けんとなって思った。バービーについてよく知らんけど、アランの立ち位置をもっと活かせたんとちゃうんかって思った。アウトサイダーを安易に聖人化するのもアレなのかもしれないけど。
パラレルとか時間移動とかごっちゃごちゃだし、予習不足で知らんキャラ出てくるし、後半は完全に雰囲気で観てた。異空間をただ走り回る時間が体感3割くらいあった気がする。でも怪異の点と点が繋がって秘密に迫り始めて、面白くなり始めた時のコワすぎみたいな感じが凝縮されてて良かった。
・君たちはどう生きるか メッセージ的なものを汲み取ろうとすると、抽象的でよく分からんかった。エヴァのせいで「虚構と現実の話」みたいな匂いが少しでもすると感度3000倍で反応してしまうから、おれはそういう方面の受け止め方になってしまった。単にエンタメのとしては、「下の世界」が千と千尋みたいというか、夢(寝てる時見る方のやつ)の世界みたいで面白かった。
・アリスとテレスのまぼろし工場 メタフィクションとして受け取るのが適切かどうかは分からないけど、その辺に大分自覚的な気がした。閉じ込められた世界、田舎の閉塞感、まぼろしの世界、そしてフィクションの世界。その辺の繋げ方が上手いなって思った。そこを出なければ無限大の可能性が広がる現実を手に入れられない。まぼろしの世界は痛みも感じないし匂いもしないけれど、それでもそこにある愛は本物。みたいな。フェティッシュな描写も邪魔にならない程度に印象的だった。セカイ系初対面アンニュイ女の笑顔良すぎ。
・ジョン・ウィック:コンセクエンス アクションに遊びが増えた気がする。コミカルな動きが割と印象にあった。上からの俯瞰の画角もMGSみたいで面白かった。どうせここでは死なないしな……みたいな緊張感のなさと引き換えに一騎当千の爽快感があって、マンネリ感はあまり感じなかった。グラサンの人も拳銃持った座頭市を放り込んだみたいでかっこよかった。刀と弓使ってたのは、一応防弾スーツ対策みたいな理由付けがあったのかな。新しい事をやるのに加えて話を畳むという事を考えたら分割するような内容でもなかった気がするし、あの長さで良かったんじゃないかと思う。
「黒人」ばっかり注目するアメリカ中心主義にはもうウンザリだ。
アメリカのポリコレで「黒人」が重要なのは、人口の1割以上を占めていて、かつて奴隷制で無理やり連れてこられた過去があり、今でも黒人というだけで警察官から怪しいと疑われるなどの露骨な差別があるからだ(ゴミを捨てにいっただけの黒人少年が逮捕された事件なんかを見ると、差別が薄まってこれなのか……という黒人の置かれた状況の苛酷さがわかる)。
でも、日本にいる黒人は人口比でいうとごくごく少数であり(地方都市では黒人を一度も見かけないとか、普通にあるでしょ)、かつ全て自発的に日本に来た人々とその子孫である。もちろん差別はいけないが、アメリカにおける黒人と同等の配慮をすべきとは思えない。人口比や歴史的経緯でいえば、黒人より先に東南アジア系に配慮すべきだろ、どう考えても。日本が黒人奴隷を使役したことはないが、東南アジアを侵略したことはあるわけで(まあ、日本でいう褐色キャラは、たいてい黒人ではなく南アジア系や東南アジア系だったりするわけだが……)。
本当に日本における人種的ポリコレを追求するなら、朝鮮系の描写だろう。彼らは日本におけるマイノリティの中では中国系の次に数が多く、また日本による植民地支配の犠牲者でもあり、在特会のように露骨な差別を浴びることがあって、そして、中国系に比べてアニメに出てくることは少ない。中国系キャラが出てくる萌えアニメはいくつも挙げられるが(『ラブライブ!スーパースター』とか。クゥすみいいよね……)、朝鮮系キャラが出てくる作品と言われるとなかなか思い浮かばない。
日本系・沖縄系・アイヌ系・中国系・朝鮮系がメインを占める日本の多様性は、白人・黒人・アジア人のように違いが目に見えるアメリカの多様性とは違う。パッと見で違いがわかりづらいが、違う文化や独自の歴史を持っていて、独自のアイデンティティを持っている。それなのに、目に見える多様性がない、目に見える多様性を増やせ、と言い出すのは、アメリカの多様性だけを真の多様性とみなすアメリカ中心主義にほかならない。多様性のあり方だって、多様であるはずなのに。
っていうか何よりもまず、世界人口の何割は黒人なんだから日本アニメにもそれ相応の黒人を出せというなら、世界人口の何割かはアジア人なんだから、まずはアフリカ映画や『ブラックパンサー』の登場人物の何割かをアジア人にしろよ、ワカンダに全然アジア人がいないのおかしくね? っていう話になるはずなんだけど、そういうと「黒人の文化に口を挟むな!」とか「ホワイトウォッシュだ!」とか言われるんだろ? それなら、アジア人がアジア人のために作った映画に黒人が口を出してくるなよ、くらいは言っていいんじゃない? ファッキンジャップくらいわかるよバカヤロー。
黒人の登場人物を正確に描くには、アメリカ史などの知識がめちゃめちゃ要求されるからな。
本当に気持ち悪い。
普段はこんなところで愚痴るタイプではないが、いくらなんでもこんな曲がバズっているのに全然嫌悪感を覚えた人の意見が見つからない状況は違和感がすごいので書く。
https://www.uta-net.com/song/327063/
※ここで文の表層しか読めない人が「曲中でロリコンは汚物扱いされており讃えられてなどいない」と反論してくる。バーカ。「(助かる~ゥ)」がその扱いに対するお前の感想なんだろうがよ。
tiktokでバズってる切り抜きの冒頭10秒の部分だけでも、触って逮捕までされたロリコンに対しロリがわざわざ獄中まできて相手してる状況が描写されており、この時点で常識ある大人は首を傾げるはず。
あ駄目だ真面目な口調でこれ以上書けない
ごめんなさーいじゃねえよそんな軽いノリで済んだら警察はいらねえよ
おいロリコンお前らが標榜してたあのさっむいスローガン言ってみ「YesロリータNoタッチ」よく言えましたねこれ嘘だったんですね~
そもそもメスガキ概念自体気色悪いよな。女児を力で征服したいロリコンの欲望を掻き立てる言動をすることで抜きやすくセットアップした女児像だぞ
それなりにIOSYSの曲聞いて育っただけにまさかジャニー喜多川も総括されるこの令和の世になってからライン越えてくるとは失望です
オタクが言う「曲が良い」って意味ねえよな。だってオタクが「曲が悪い」って言ってるとこ見たことないもん
でもMVはいいですね。1枚1枚実力のあるアニメーターが描いたのでしょう。非常にキレが良いしどこを切り取っても可愛い。
細かいところに読みにくさは感じるけど確実に読ませる面白さはあるので5巻まで一気に読めた。ただ本筋が「主人公の成長」な以上ヒーローvsヴィランに話を絞るわけにもいかないのは分かるが、学園生活といずれ再来する強敵への懸念の両立で心が忙しなかったのが残念。これは私が群像劇でない限りは大きな話だけを進めて欲しいと思ってるだけで、気にならない人はまったく気にならない、むしろそこが良いってなる箇所ではある。
主人公・緑谷出久は使命感や焦りのあまり無茶な闘い方をし続けてしまう未熟な少年。がむしゃらに頑張る姿は話を引っ張るけれど、その場を乗り切ることだけを考えて全力を出して治療される流れにフラストレーションが溜まる。ただこれは作中でも否定的に見られている部分、いわゆる主人公が乗り越えるべき壁であり、オールマイトも不的確な指導を注意されている。デクの戦い方はこの先もっと変化して面白くなっていくんだろう。師匠ポジのオールマイトも完全無欠ではないのが泥臭さを出していて良い。
早くも登場した手強いヴィラン・死柄木弔は、明らかにデクと対比されて描かれていたのが面白かった。ヒーロー(もしくは強い者?)に憧れ、ややオタク的で、そして後継者を探す大人に「(ある意味で)利用されている子供」という点で共通しているのかと予想している。思想が浅すぎると思ったら楽しみたいだけ、というのも単純明快で良い。本当の気持ちや真の目的はまだ隠れていそうだけど。
戦闘描写について、アクション漫画はあまり読まないのでその方面の感想は書きづらい。読みにくいということはなかったが、心熱くなる動きがあったわけでもない。麗日お茶子vs爆豪勝己はとっても燃えたのでベストバウトに挙げたい。
「アメコミ」リスペクトの面はどうだったかと言うと、良いところもあれば好みじゃないなーとなるところもあった。
個性=固有の能力は、かっこいいものもチープなものも何でもあり!なところはワクワクするし、有象無象がてんやわんやする雰囲気は楽しい。みんなのヒーロースーツも個性に合わせたギミック・特色たくさんで読み応えがある。酔い止め防止とか出力コントロールとか、そういう細かい技巧と設定は燃える。
扉絵がかっこいい。
一方、擬音が中途半端に英語表記だったり、「画風」や「シルバーエイジ」などの用語は(少なくとも5巻まででは)何を指しているのか分かりづらく、アメコミっぽい用語を使ってみただけになってるのが没頭の邪魔をした。
特に気になったのは重要な「ヒーロー」の扱い。舞台の現代日本における「ヒーロー」の定義や立ち位置が少し汲み取りにくかったので、多くのキャラクターが掲げる「ヒーローになりたい!」にあまり乗れなかった。商売っ気が絡み、育成や資格の壁があり、(当然ではあるが)アメコミヒーローとは違う。ヒーローなのに学歴・経歴関係あるの夢がないなあ。仲間同士ギスギスしているのはアメコミも割とそうだけど皆そんなに喧嘩腰じゃなくても……と思ってしまう。ただこれは私がアメコミのイメージに引っ張られすぎていることが原因だろう。いっそアメコミのことを頭から取り出して読めばすんなり理解できるのかもしれない。あと喧嘩腰なのは学生だからというのもありそうだ。プロヒーローはそういった様子があまり見られなかったから。
読んでる人には説明不要だから読んでない人にざっくり説明すると
アニメも絶好調の少年ジャンプ連載大人気漫画呪術廻戦の展開にウンザリしてるって話。
作者の力量やセンスは疑ってないんですけど
なんかこう、大漫画家・岸本斉史の提唱した高等テクニック「ずらし」を乱用し過ぎてる気がする。
主人公達に苦しい展開があるとかギリギリの場面があるとかじゃなくて
もうずーーーーっと強制負けイベントの連続って感じなんすよね。
・主人公は敵の親玉が自分の目的のために生み出した装置みたいなもん
・ナルトにとってサスケに当たるサブ主人公は九尾の狐的存在に体を乗っ取られる
・サスケの唯一の目的は姉を守ることだったけど九尾の狐的存在によって殺害される
・主人公達の先生で最強の存在もサスケの身体の九尾の狐的存在によって殺害される
・日本は完全に破壊されてて敵の親玉による人類補完計画的な何かが進行しててたぶんみんなイデオンみたいになる
・サクラちゃん的な存在は顔の半分と脳が吹っ飛んでギリ生きてるらしいけど出てこない
・主人公の先輩女子は全身ケロイドで片目失ったうえに親含めて親族を皆殺しにした
・(あとこの倍ぐらいなんかあったけどもう飽和してて覚えてない)
主人公チームにはずーっとこういう敗北とか喪失とかアンモラルだけがぼへーー――ッて続いてて
一般人は普通に大虐殺されてて、カカシ先生死んでサクラちゃん廃人でサスケの姉死んでサスケも破滅してて
いやこれなんのために戦ってるの?って感じなんだよね。
一応まだ人数的には一般人が残ってるけど
設定的にはともかく感情的には一般人守るってことがそれほど重要なミッションでもなくてさ。
「人類の為に俺達はあきらめないぜ!」みたいなノリでもないわけ。
なんか一個一個は本来もっとショッキングなイベントの筈なんだけど
ずーーーーっとそういうイベントばっかだからもう何も感じずにウンザリがあるだけ。
それでしょっちゅう主人公が色んな相手から嘲笑われてるんだけど
実際主人公はこの戦いの中では無能すぎて「お前なんでいるの?」 レベルで
とっくに読者も誰1人として主人公に期待してないわけ。
いやーここから覚醒パワーアップされても引くし(ずっと馬鹿にされてたヤムチャが突然悟空より強くなっても寒いだけで燃える人いないでしょ)
このまま最後まで嘲笑われて翻弄されてる主人公でも「一体何を見せられてるんや?」って感じだし
作者のバトルやエモ描写の力量は突出してるんだけど呪術廻戦と言う漫画にはもうかなり前からついていけないというか。
あと余談だけどハンターの真似をした頭脳系能力バトルしようとするとマジで大惨事になる。
今来た産業
・俺もたぶんそうだとおもう
・なぜなら
~
結末まで呼んだら
~
というわけで明示のルールにさえ従ってないリンク先増田の描写は「健常者が考えた障害者ストーリー」タイプの釣りのようだ。おわり。
とこういう風にならないと非常によみづらいんだけど。by健常だとおもってるヒト
でもたぶんトラバ(3-1番目の増田)には説明がなくてもわかるらしいし、
「明示ルールというのも②番目の発達障害増田の独特のルールであって①番目のフリフリ似合わない言っちゃう増田など、他の障害者には適用できないだろ」という3-1ますだの説のほうが、おれ(3-2番目の増田)も同意しやすいとおもえた。
どいつもこいつもわかりにくい文章かきやがるけどそういうとこもまあまあ好き。
がんばれよ。