日の丸の赤というのはまさに暖色の中心の赤。
それを中心に据えながらCool Japanを表現する難しさはデザインを心がけた人間ならすぐに分かることだ。
セレモニー中に使われている暖色は赤のみ。しかも、FF0000と表記したくなるくらい原色の赤。
それに対して、ショーのメインとして使われているのは白黒のモノトーンと、赤の補色に当たるシアンとそれより寒色側に位置する青系のみ。
基本となるモノトーンは、潔さや清潔感を想像させる白、礼儀や誠実さを感じさせる黒という日本の代表的なカラーと言える。
そこにただ寒色系を織り交ぜだだけでは無機質で寒々しいショーになってしまっただろう。
しかし、日本の象徴であり暖色の代表格と言える赤を、さらにテーマカラーではなくアクセントとして時に大胆に用いたことで、内に秘める情熱やたぎるような生命力が見事に表現されていたのだ。
恒星は青くなるほど温度が高くなる。そんなことをも思い出させてくれるような、火傷では済まない熱さが伝わったはずだ。
そのために黄色や緑などの生命感溢れるカラーを徹底的に排除し、それが生命力溢れる原色を前面に押し出すリオのショーに対して真っ向から挑むことになったのは単なる偶然ではないのかもしれない。
リオが押し出したのが生命や自然だったのに対し、マリオやドラえもんなどの非実在キャラクターや都市やテクノロジーなどが存分に登場するムービーがそれを物語っていると言っていいだろう。
多くの観衆や視聴者はこのたった10分間だけのショーを見ただけで、リオオリンピックは過去のものになってしまったと感じたはずだ。
その証拠に、東京五輪セレモニーを挟んだ前と後のショーとでは全く違うものに見えたのはわたしだけではないはずだからだ。
一見挑発ともとれるこの行為は、まさに地球の裏側であり全く文化の異なる国にバトンが渡されたことを意味するには効果が絶大であり、オリンピックが終わった直後であるにも関わらずすでに4年後を期待させるにはこの上ない演出となったと言っていいだろう。
居合わせた観衆や視聴者の誰もが東京五輪に少なかぬ期待を抱いたはずだ。
ここまで大したデザインも勉強したこともなく、ホームページの配色くらいしか担当したことのない人間の妄想だったがいかがだったろうか。
しかしそれよりも何よりも、自らの人生40年を振り返って、まるでその集大成を走馬灯のように見させられたかのようであまりにも感慨深かった。
本当に近頃の商用文化だけでお茶を濁すようなものにならなくてほっとしている。この時代に生まれてよかった。
ただこの考えで行くと、小池百合子氏が選んだ高価なお着物の配色は東京五輪のテーマとはそぐわなくなってしまうのだがこれは何かの暗示だろうか。