オタクの中にキャラクターへの思いやりに欠けていると感じる扱いをする人たちが一定数いて、それが特に周囲から咎められていないというのが、諸所の問題の引き金になってると思う。
キャラクターをすぐにポルノとして描いて公開したり、このキャラが好きと言って、二次エロ絵を貼ったりする人もいる。
こういう行為って、キャラクターをポルノとして消費しているとしか見られない、見られてもしょうがない行いだと思う。
それはつまり、キャラクターに対して人格を認めてからキャラクターを愛しているという感じを受けない。
オタクの人たちには、それはオタクカルチャーにおける正しい愛の形だという風に捉えている節がある人も見かける。
でも、それってやっぱり欺瞞だと思う。
アニメや漫画やキャラクター文化っていうのは、人間の似姿としての存在を愛でていく営みなのだから、そこには現実の人格が現実の人格を愛するようなやり方の相似が適用されていて然るべきだと思う。程度の差はあるかもしれないけれど。
だから、そういったオタクの人たちの行為を問題にするときに、、各個人が現実においてどれだけ他の存在を慈しめるか、その方法にどれだけ思慮があるかとか、性というものと社会人格との折り合いや線引きをどのようにつけるのかつけないのかとか、個々人がどれだけそれらについて真摯に考えていられるかという、そういったことに波及するのは自然な流れだと思う。
これを人格批判と捉えて、非実在だから単純にポルノとして消費してOK、そういう意見こそ逆に現実と混同している、という展開がよく見られるけれど、これも極端な飛躍だと思う。
そういった捉え方は、オタクカルチャーが社会の模写を一切やめるか、ポルノとして消費する人たちが一切社会と関わらないという前提がないと機能しない。それは現実的ではないし、もっとなだらかなグラデーションを描いて現実と創作物の世界は繋がっている。
だから、オタクの人たちはもう少しポルノの扱いに慎重になるべきだと思うし、自分は既に慎重になっていると思う人は周囲のそういった部分が緩いオタクの人たちに対して、それは良くないという感覚をしっかり伝えて対処すべきだと思う。
仮にオタクカルチャーの実態がポルノでしかないとしたとしても、きちんとポルノとしての振る舞いを身につけないといけないというのは同じことなのだし。
そうやっていかないと、オタクカルチャーは社会的な文脈で力を発揮できないし、それは長期的にはオタク環境にとってマイナスになっていくと思う。
個人的に色々思うところがあって絵には魂が入ると思っている人なんだけど、だからといって人間と同様に取り扱うのは無理。 なぜならそこに正当な反応はないから。正当な反応がない...
元増田の気持ちはいいとして ・オレの見たくないものを見えるところに置くな と ・それが社会としてのジャスティス! を一緒にして語るのはたいてい失敗する。
エレン先生のエロが駄目と言われたとき 「海外まで手は出せないから意味ない」 「まなざし村がうるさいからこういう声明を出さざるを得なかった」 とか往生際が悪すぎて苦笑するし...
なら正しい愛で方教えてよ。 拝むの?
いいこと言うね。 実際のところは彼らの愛の形がゆがんでるんじゃなくて、単に売名のために人気キャラクターのポルノを描いてるってところまで堕落してる奴も、まあ結構いるよね。...