はてなキーワード: 社会生活とは
かつてこんなにも私のクローゼットが素晴らしかったことはないと思った。
ここ2年間服装について私は試行錯誤を重ねた。
普通の女の子だったら10代後半くらいにくるのかも知れないそのビッグウエーブは、20代後半の私に訪れた。
それまで自分の服装というものは社会生活を送る上での必要最低限を満たすものでしかなかった。
オシャレをしようとかお化粧をしようとか積極的に考えたことはなかった。
もともとそれほど自分の容姿に自信があるほうではなく、所得賃金も低く、オタクだったり非常に忙しい仕事をしたり、
とにかくオシャレをしない理由は数え切れないほどあった。
きっかけはそのときの同僚の男の人に「もっと薄い色のほうがモテる」と言われたことだと思う。
それまでの私であればきっとそんな言葉は無視してたであろう。だがなぜかすとんときてしまった。たぶん、所得が大幅に改善したこともあるだろう。
私は次の日から服を買いに銀座や新宿に出かけ始めた。はじめのうちは何を買っていいかもわからず、失敗したり、着まわしのきかない服を買ったりして困ったりした。
それまで黒や濃い茶色、ネイビーをベースにしていて、薄い色の洋服なんてそれまで着たことがなかったので、はじめのうちはワンピースしか買えなかった。
そのほかにも雑誌を読んだりお化粧を覚えたり、アクセサリーをつけたりダイエットしたりした。
私はオシャレではないくせに人一倍こだわりが強く、どんなに勧められても自分がこれと思うものしか買わないという頑固な性格をしていたので、
自分の好きなもので、似合うといわれる形の服を買う、ということを繰り返した。
それほど毎日ほめられるというわけでもないし、自分ではまだまだ修行が足りないと思っている(なにせまだ服の数はとても多い)が、
それでも今日クローゼットを見て、「なんて着たい服でいっぱいなんだろう」と思った。
どんなTPOにも対応できて、自分が素敵に見えて、朝悩まなくてもいいクローゼットになった。
二年前までの私は、着たい服を着ていたわけではなかった。
なにもかも仕方なく着ていたのだ、と気がついた。
今は服を買うのが楽しくなった。これを着たら楽しいだろうな、素敵だろうな、とわかるようになったからだ。
だがもちろんオタクはオタクだし、やりたいこともたくさんあるし、今はもう服は買わなくてもいい。
もう少し服を減らして、それから考えてもいいんじゃないかという余裕ができた。
それから着たい服がたくさんになったので、もう数週間先までやってみたいコーディネートが埋まっている。
そうすればもう夏だ。夏には夏の服が必要だ。
わいせつ物陳列罪でつかまらないために、服は日常生活では欠かせない。
だけれども、自分で素敵だと思える服を着ることは、素敵であることを選択している。
自分が素敵であるということは、相手と自分に敬意を払うことだ。
そして自分に対して敬意を払うということがきっと自信なのだろうと、私は考えている。
服はいつも私に自信をくれる。
http://anond.hatelabo.jp/20150329231322
http://anond.hatelabo.jp/20150403074449
http://anond.hatelabo.jp/20150405191148
http://anond.hatelabo.jp/20150408154335
の続き。
引き継ぎスケジュールを引いて、資料作成やら引き継ぎ先担当へのトレーニングやらを進める。
残された時間は短い。技術面で自分が主でやっていたサービス、自分がリーダーを担当する案件、いままで実績がないけど引き合いがあって提案中のサービス、これらをアウトプットしていく。
いざやってみると、なかなか難しい。ノウハウそのものだから、なかなか文章に落とせなかったり、落としてみると膨大な文章量になったりする。もう少し時間があれば、とも思うが、そこは考えないようにした。期間がながければ引き継ぎのクオリティが上がるかというと、そうでもない気がする。エッセンシャルなところから順にやっていこう。
歓迎しといていきなり消えるのは忍びないし、新人に悪影響がないか心配になる。が、巡り会わせなのでこれも仕方ないと割り切る。あまり踏み込んだコミュニケーションは避ける。
この週は引き継ぎをメインに実施。たまに実務や提案活動にも入る。
飲み会が毎日のようにあった。新歓、顧客との懇親会、部署のメンバーとの飲み会、そして送別会。
部署の皆とは引き継ぎもあるのでコミュニケーションを取るものの、役職者とのコミュニケーションはもう無いに等しい。
お互い言いたいことはあるんだろうけど、今さら言っても状況は変わらないのでここも割り切る。今思えば、もっと主張しとくべきだったかもしれない。自分と、残った人の待遇改善のために。
どうもここら辺が、俺がコミュ障だと評されるところなんだろうな。「言っても無駄」だと思って、言うべきことを言わない。これはたぶん、今後の社会生活でビハインドになりそうだ。自分が損をしているところだという自覚はある。意識を変えていこう。
退職日が迫ってきた。
続く
私はちょっとした持病を患ってる。死ぬわけでも歩けなくなるわけでも激しい痛みが伴うわけでもないちょっとした持病。
16歳のある日、私はネットでこの病気を患った人間の末路、もとい人生のネタバレを見てしまった。
どうやらこの病気は福祉の網に引っかからない割に社会生活に支障でまくりということで
自分の未来にはハンデを抱えながら生き地獄みたいな人生を送るか生き地獄を味わう前に逃げて首を括るか、
流石に16歳のガキンチョが「お前はこの先何をどう努力しようと台無しな人生しか待ち受けていない」と宣告をされたのは相当堪えた。
その日からどんなに嬉しいことがあっても楽しいことがあっても「どうせ数年後には生き地獄しか待ち受けていないし長くは生きられない」というのがついて回ってきて、
すべての感情が何か嘘っぱちみたいに感じて、最終的には「死ねば全部解決するのだからクヨクヨ悩むな、自分で死ねるくらいにはちゃんと五体満足してるだろ」
というネガティブなのかポジティブなのかよくわからないところに落ち着いて、ある程度は気が楽になっていたのだけれど、
数年のときが経って、生かされていただけのモラトリアム学生生活が終わって、本格的な社会生活が始まったけどやっぱりネタバレ通り死にそうで、
死ねば解決というのは楽だが目に見えるくらいに近づいた死は想像以上に恐ろしくて、
幸い、私には一部上場企業に通う父はいるが、あと3年で定年退職だ。
あと3年が私の寿命。
いやだ。死にたくない 生き地獄も嫌だ。
底辺でもいい。惨めでもいい。薄給でもいい。プライドなんていらない。
「自然淘汰だ、ただの自然の摂理だ」というのは簡単だけれど、じゃあなんで私より思いっきり欠落した人間がこの国ではのうのうと生きてるんだ。
胃瘻した爺婆が延命されてる中なんで私は死ぬわけでもないのに20そこそこでここまで生き死にのことで悩まなきゃならないんだ。
親でも国でも医学の進歩でも薬でも宗教でもなんでもいい ただただ私を助けてほしい。
助けてください。。。。
ルミネ炎上で語られる女性論については、もう語るべきことが無いのだが、広告代理店やテレビ局が作る「日本の職場のリアル」が、現実と余りにも食い違いすぎて、そこに苛立ちを覚える私のような人間も多いかも知れない。
今回もTwitterで印象を語る前に「いやセクハラなんだけど・・」と「需要」発言に違和感を感じる人が多いように見受けられた。
なぜ広告代理店やテレビ局は、こうしたドラマにおいて、わざわざ昭和の零細企業の職場のような非現実な平行世界を再現するのか?
2015年の現代の職場では、人事部がセクハラ禁止についてしつこい位に啓蒙をしているため、社員は異性に寧ろ腫れ物に触る位の対応が求められており、同僚や部下にあのようなもの言いをする日本人男性など見たことがない。
「よくある風景」なんかじゃない、あのレベルのセクハラなんて社会生活でかなり致命的な行為だ。
あり得ないレベルの言動が、あるある風に自然に劇中に発生すると、虚構と知るドラマであっても、違和感が半端ないし、無理やりなイベントにしか見えず一気に現実感が損なわれる。
例えば、広瀬すずや神木隆之介が出演する2015年のドラマで、ブラウン管モニタでMixiメールする演出が突然でてきたら、誰だって困惑するだろう。その位、違和感を覚える。
日本では、男女雇用均等法第11条でセクハラ行為が具体的に定義されており、職場におけるセクハラ内容・方針を明確化し労働者に周知・啓発することを会社に義務付けている。
すごいわかる。
自分には夫が居て、夫を殺人犯の夫には決してしたくないので今は実行する気はないが
夫がもし何らかの事情で急逝でもしたら絶対にそいつを殺しに行く。
うわあああとはならない。どのように残虐に殺すかを考えるのはとても楽しい。私もそいつ自身から物理的にではないが精神的にとても残虐に傷つけられ、対人恐怖症に陥り社会生活全般に支障をきたしたのでこれは仕方がない。
ゆえにそいつはもし心当たりがあるなら私の夫の健康と幸せを全力で祈るべきだな、お前を殺したいほど憎んでる私の、その最愛の夫の幸せをだ、せいぜい祈れ、ざまあみろ、といつも思う。
明治元年1月28日
明治元年1月28日
告 文
朕ハ諸外国ノ文化哲学ノ最高潮ニ達シタルノ研究結果即チ心身ノ二元性及ヒ我カ国ノ古来ヨリノ実情特ニ性的側面ノ根深キ実情ニ鑑ミテ我カ実社会ハ暴力装置ヲ有スル官憲ニ拠ルノ統治ナクシテハ民族ノ安寧秩序及ヒ慶福ハ実現サレザルヲ悟リ憲法ナクシテハ我カ社会ハ永遠ニ繁栄シ得ベカラザルヲ知ルニ至ル
而シテ我カ国ニ於ケル社会安寧ハ英知ヲ結集シタル高級官吏ノ管理監督ニ拠ラサレバ凡ソ実現サレス又如何ニ心身カ二元性ヲ有シ生業運動ナクシテモ心理面ノ幸福ハ何処マテモ実現サルルト雖モ其カ許サルルハ天性素行善良ノ穏ヤカナル子ニ限リ何人ニモ許サルルニアラザルハ条理ナリ又如何ニ生業運動ナクシテモ心理面独立シテ何処マテモ幸福ヲ実現シ得ベキト雖モ他人ノ生業運動ノ結果ナクシテハ心理其ノ物ヲ維持スヘキ身体ノ健全ヲ維持シ得ベカザリシハ道理ナリ
又我カ国ニハ凡ソ矯正ノ効カザル悪人ノ非常ニ多キコト自明ノ理ニヨリテ此レヲ一般社会ヨリ分界シ官憲官吏ノ監督指導ニヨリ定役ニ就カシメル事合理的ナル事ハ明白ナリ其ノ他ノ臣民ニ付キテハ官憲官吏ノ実施セル社会安寧秩序ニ背カザルノ限リニ於テ自由ナル生業ヲ認メ集団生活ノ維持向上ヲ期スルカ合理的ナル事モ明白ノ理ナリ
斯様ナル理ニ拠リテ我カ国家ハ神聖ナル天皇カ統治セル帝国的官僚国家ナリテ朕ノ欣栄ノ枢要ハ天皇タル朕ノ大権ノ元ニ構成セラレタル優秀ナル官憲官吏及ヒ其カ実施セル社会安寧秩序ヲ基礎トシテ善良ノ子ノ心理面ノ果テナキ幸福追求及ヒ一般臣民ノ自由ナル生業及ヒ悪人ノ服役ノ結果タル社会生活全体ノ利益ノ維持向上ニ在ル物ナリ此レニ反スル一切ノ思考ハ現代一般世界特ニ西洋諸国家ノ文化文明ノ発達状況及ヒ我カ国ノ実情ニ反シ不合理ナル物ナル事ヲ信ス
又我カ国ハ一度大国家ヲ建設シナガラモ積極的ニ戦争ニ参加シ敗戦シ既得ノ公益ヲ全テ失ヒシ歴史アルニヨリテ戦争ノ惨禍ハ二度ト起シテハナラスト信シ我カ帝国ハ陸海空軍ヲ備フルモ其ノ権能ハ帝国ノ自衛ノ目的ニ限リ帝国主義的征服的積極的ナル戦役ニ此レヲ用フルヲ永遠ニ禁ス
朕ハ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ承継シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示シ永遠ニ遵行セシメ益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ臣民一般ノ慶福ヲ増進スヘシ朕カ現在及将来ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ神霊此レヲ鑒ミタマヘ 朕ノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス
朕帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ正当臣民ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治元年一月四日ノ詔命ヲ履践シ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム
朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範囲内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス
帝国議会ハ明治元年ヲ以テ之ヲ召集シ議会開会ノ時《明治元年一月二十八日》ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ
将来若此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及ヒ朕ノ系統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執リ之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ
朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ為ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ
御名御璽
海 軍 大 臣 伯爵 須 藤 優
司 法 大 臣 伯爵 河 城 に と り
陸 軍 大 臣 伯爵 長 谷 川 彰 男
文 部 大 臣 子爵 中 野 裕 太
逓 信 大 臣 子爵 白 鳥 英 美 子
第1章 天皇
第1条
第2条
第3条
第4条
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条
第6条
第7条
第8条
1 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
第9条
天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス
第10条
天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル
第11条
第12条
第13条
天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス但シ本条ニ言フ戦トハ国家自衛ノ為ノ戦ニ限リ征服的戦役ハ之ヲ一切禁ス
第14条
1 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
第15条
第16条
第17条
第18条
第19条
日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得
第20条
第21条
第22条
第23条
日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ
第24条
日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルヽコトナシ
第25条
日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及捜索セラルヽコトナシ
第26条
日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ秘密ヲ侵サルヽコトナシ
第27条
第28条
日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第29条
日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
第30条
日本臣民ハ相当ノ敬礼ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ請願ヲ為スコトヲ得
第31条
本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ
第32条
本章ニ掲ケタル条規ハ陸海軍ノ法令又ハ紀律ニ牴触セサルモノニ限リ軍人ニ準行ス
第3章 帝国議会
第33条
第34条
貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス
第35条
衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス
第36条
第37条
第38条
両議院ハ政府ノ提出スル法律案ヲ議決シ及各々法律案ヲ提出スルコトヲ得
第39条
両議院ノ一ニ於テ否決シタル法律案ハ同会期中ニ於テ再ヒ提出スルコトヲ得ス
第40条
両議院ハ法律又ハ其ノ他ノ事件ニ付各々其ノ意見ヲ政府ニ建議スルコトヲ得但シ其ノ採納ヲ得サルモノハ同会期中ニ於テ再ヒ建議スルコトヲ得ス
第41条
第42条
帝国議会ハ三箇月ヲ以テ会期トス必要アル場合ニ於テハ勅命ヲ以テ之ヲ延長スルコトアルヘシ
第43条
第44条
1 帝国議会ノ開会閉会会期ノ延長及停会ハ両院同時ニ之ヲ行フヘシ
2 衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ貴族院ハ同時ニ停会セラルヘシ
第45条
衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ勅命ヲ以テ新ニ議員ヲ選挙セシメ解散ノ日ヨリ五箇月以内ニ之ヲ召集スヘシ
第46条
両議院ハ各々其ノ総議員三分ノ一以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開キ議決ヲ為スコトヲ得ス
第47条
両議院ノ議事ハ過半数ヲ以テ決ス可否同数ナルトキハ議長ノ決スル所ニ依ル
第48条
両議院ノ会議ハ公開ス但シ政府ノ要求又ハ其ノ院ノ決議ニ依リ秘密会ト為スコトヲ得
第49条
第50条
第51条
両議院ハ此ノ憲法及議院法ニ掲クルモノヽ外内部ノ整理ニ必要ナル諸規則ヲ定ムルコトヲ得
第52条
両議院ノ議員ハ議院ニ於テ発言シタル意見及表決ニ付院外ニ於テ責ヲ負フコトナシ但シ議員自ラ其ノ言論ヲ演説刊行筆記又ハ其ノ他ノ方法ヲ以テ公布シタルトキハ一般ノ法律ニ依リ処分セラルヘシ
第53条
両議院ノ議員ハ現行犯罪又ハ内乱外患ニ関ル罪ヲ除ク外会期中其ノ院ノ許諾ナクシテ逮捕セラルヽコトナシ
第54条
国務大臣及政府委員ハ何時タリトモ各議院ニ出席シ及発言スルコトヲ得
第55条
第56条
枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス
第5章 司法
第57条
第58条
2 裁判官ハ刑法ノ宣告又ハ懲戒ノ処分ニ由ルノ外其ノ職ヲ免セラルヽコトナシ
第59条
裁判ノ対審判決ハ之ヲ公開ス但シ安寧秩序又ハ風俗ヲ害スルノ虞アルトキハ法律ニ依リ又ハ裁判所ノ決議ヲ以テ対審ノ公開ヲ停ムルコトヲ得
第60条
第61条
行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス
第6章 会計
第62条
2 但シ報償ニ属スル行政上ノ手数料及其ノ他ノ収納金ハ前項ノ限ニ在ラス
3 国債ヲ起シ及予算ニ定メタルモノヲ除ク外国庫ノ負担トナルヘキ契約ヲ為スハ帝国議会ノ協賛ヲ経ヘシ
第63条
現行ノ租税ハ更ニ法律ヲ以テ之ヲ改メサル限ハ旧ニ依リ之ヲ徴収ス
第64条
2 予算ノ款項ニ超過シ又ハ予算ノ外ニ生シタル支出アルトキハ後日帝国議会ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス
第65条
第66条
皇室経費ハ現在ノ定額ニ依リ毎年国庫ヨリ之ヲ支出シ将来増額ヲ要スル場合ヲ除ク外帝国議会ノ協賛ヲ要セス
第67条
憲法上ノ大権ニ基ツケル既定ノ歳出及法律ノ結果ニ由リ又ハ法律上政府ノ義務ニ属スル歳出ハ政府ノ同意ナクシテ帝国議会之ヲ廃除シ又ハ削減スルコトヲ得ス
第68条
特別ノ須要ニ因リ政府ハ予メ年限ヲ定メ継続費トシテ帝国議会ノ協賛ヲ求ムルコトヲ得
第69条
避クヘカラサル予算ノ不足ヲ補フ為ニ又ハ予算ノ外ニ生シタル必要ノ費用ニ充ツル為ニ予備費ヲ設クヘシ
第70条
1 公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需用アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得
2 前項ノ場合ニ於テハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出シ其ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス
第71条
帝国議会ニ於テ予算ヲ議定セス又ハ予算成立ニ至ラサルトキハ政府ハ前年度ノ予算ヲ施行スヘシ
第72条
1 国家ノ歳出歳入ノ決算ハ会計検査院之ヲ検査確定シ政府ハ其ノ検査報告ト倶ニ之ヲ帝国議会ニ提出スヘシ
第7章 補則
第73条
1 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス
第74条
第75条
第76条
家から出られないとかで会社を休みがちになって、前々からあった発達障害の疑いなんかも考えて精神科・心療内科の受診を決心したら、
今度は精神科・心療内科のクリニックの初診受付が狭き門すぎてどーすんだこれ困ったな……ってなってた者です。
お伝えしてました通りこれこれこーでまだ受診出来とらんのですと言うと、何日にこの病院に行って来いという(業務?)命令をいただきました。
大きい総合病院って待つし高いけど待てば診てくれる場所だったんですね、てっきり紹介状なし初診外来お断りだぎゃーって感じなのかと思って候補から外していました。
初診で5000円自己負担増えますけどまあ仕方ないのでしょう。
上司は精神科系クリニックが激混みだということ自体に懐疑的だったようで(そりゃそうか、私も行こうとして初めて知ったし)、
その場で私が今後の候補にあげていたクリニックに試しに電話を掛けてみましたが案の定撃沈してました。
「そんなの気持ちだけの問題なんじゃないの」とか「自分の気の持ちようで変わるんじゃないの」といったことを
いろいろと言われましたが、正直途中から聞くのをやめました。ごめんなさい。
発達障害に関しては自己診断の段階で言いたくないというのもあって一切会社には伝えてないので、
単純に「電車とかが極端にダメ、ちょいちょい外出れない」っていうそれだけでも社会生活送る上で十分アウトな部分についての受診になりそうです。
一応、病院で話には出してみますが、成人の発達障害を診れるのは系列の別の病院のようなので、
疑いありとされて本格的に診断となるとそっちに移されそうな気がしますがどうなんでしょう……。
こうして大きな病院は混むのか、申し訳ないなあ、と思いつつ確実に診てもらえそうな目途が立って少しホッとしています。
そして、めちゃくちゃ苦手なかたっぱしから電話を掛ける的な作業がなくなったので、それにも安堵している自分がいます。
家で原稿を用意してシミュレーションをして気持ちと呼吸を整えてからでないと初めての場所に電話がかけられないんですよねえ……。
まず、基本的な常識が通じない。いや、日本語すら通じていないのではないか?と思わされることも度々だった。
なぜ奴らがこれほどまでにバカに育って、その後も一応社会生活を営めているのかについては中学生あたりから真剣に
考え続けて、爺さんが商才にあふれたバカだったからだとの結論に至ったんだが、まぁそれについてはまた別の機会に。
あまりに異常な状況に耐えられなくなって、父型の親族との接触は最低限に留め、大学は余裕で通える距離だったけど、
もう自活するよと言って実家を出て、以後可能な限り関わりを持たないようにしながら、一応まともな会社に就職でき、
家庭も持て、娘も息子もまっすぐに育ってくれている(と思う)。それもこれも、実家とのコンタクトを本当に必要
最小限に留めてきたからだと考えている。
カミさんには恥を忍んで自分の生育環境を打ち明けてきたが、たぶん実感は得られなかったんだろう。ことあるごとに
「ご実家ともっとコンタクトしたほうがいい」みたいなことを言われ続けて、その度に「君の理解の及ばないこと」に
ついてじっくり説明したつもりだったんだが、カミさんのご実家みたいなまともな家庭で育った人には、バカがまかり
通る異常な環境というものがあること自体、想像の埒外なんだろう。
昨年末、兄から「父親の言動がどうにもおかしい」と相談され、嫌々ながら3年ぶりに実家へ足を向けてみた。もともと
バカなので、前からこんなもんだろうと思いつつ、念のために病院で検査してみたら、どうやら水頭症らしい。
もともとバカが痴呆を発症すると、すごいぞ。人間を相手にしていると思ったら刃傷沙汰にならないほうがおかしい
ような状態になる。真面目な話、座敷牢に閉じ込めて拷問したくなるレベルだ。
どうしたものか。
■本文。
最終回だというのに最初からくどい話になるのだけど、インターネットなどのメディアが、世界が一体化したかのような幻想を生み出す一方で、野放図に拡大される情報社会が、心の繋がりを裁断し続けている。断片的な情報を追いかけることに躍起になるあまり、多くの価値観=ジャンルは求心力を失った。例えば、メディアミックスにしても、それぞれがジャンルという枠による秩序を持っているからこそ、混淆することに意味があったし、一体化の幻想自体が、[かつての全能感]を取り戻すための侵略に他ならない。そして、互いの領域を侵略した結果、秩序という枠組みが曖昧になったことで、インターネット上では無制限に肥大した自意識が互いに衝突を起こしている。情報という麻薬に蝕まれた中毒患者は絶えず全能感と無力感を往復しているが、目の前にある荒んだ光景は認識することができない。
そんな現代において、旧来の世界観に回帰すること=思考停止による癒しが唯一の自己防衛手段となっているケースは多い。そして、箱庭のような偽物の原風景に引きこもることで、飽くなき侵略=拡大する欲望を抑えている。自己言及的な表現を頑なに拒むのも、居場所を自壊させてしまうことへの潜在的な恐怖があるからなのだろう。そして、マッチョイズムとフェミニズムの対立から零れ落ちた層を汲み取る為に、ポルノメディアの特異点……ポルノメディアから遠く離れたポルノとして、美少女ゲームは存在している。マッチョイズムにせよ、フェミニズムにせよ、その論理は自身のセクシャリティ=現実の恋愛やセックスを前提としているが故に、現実と虚構を対比し優劣を決定する方向性で結論を出してしまう傾向が否めない。例えば、フェミニズムの功績としては、男女の恋愛関係におげる規制緩和と自由化が挙げられるが、同時にそれは恋愛における自由競争を生み出したと言えるし、当然、自由競争から弾き出された恋愛弱者も多く生み出すことになった。ちなみに、この構造は、フェミニズムをインターネットに置き換えれば、情報弱者を生み出す構造と同じになるのだが……。
美少女ゲームはポルノグラフィの枠組みから発生したものだが、その論理基盤は[男と女]というセクシャリティを巡るものではなく、[自分と他人]という基準で駆動している傾向がある。言い換えれば、自身のセクシャリティに対する意識が希薄であるが故に、全くの異物としての他者(異性)を認識することが難しく、自己の延長としての他者という方向性で純化されているのだが、同時にコミュニケーションを崇高化し過ぎるという弊害も見られる。その弊害が悪化すると[引きこもり]に繋がっていくのだけども、ユーザーの大半は普通に社会生活を送っている。理由は色々とあるだろうが、スピリチュアリズムに似た信仰システムの機能を、美少女ゲームが持っていることも挙げられると思う。
そして、セクシャリティに対する意識が希薄である=前時代的であるために、恋愛至上主義的な表現が勃興した。例えば『ToHeart』や『ONE』で描かれるセックスはあくまで婚前交渉であって、娯楽としてのセックスではない。娼婦と素人娘が厳然と分かれていて、素人娘と付き合う時は必ず結婚が前提になる時代の価値観が無意識のうちに再現されているので、『Kanon』に至っては、名雪シナリオ以外ではセックスすることを選択しなくてもトゥルーエンドに到達できる。それは、セックスは結婚後に初めて行うものと考える人々が未だそれなりの割合で存在していたということだろう。だから、美少女ゲームの一部は厳密な意味でのポルノメディアから離れつつある。風俗産業の二次元版としてのポルノではなく、結婚相談所の二次元版としてのポルノメディアなのだと考えれば分かりやすいのかも知れない。
さて、現代の物語メディアの多くが単独で成立しにくい原因の一つに、経済やテクノロジーの発達に伴い、物語の消費スピードが飛躍的に加速しているという状況がある。または、物語がパーツ単位で解体された結果、秩序を維持できなくなっていることに起因する。物語がジャンルとしての秩序を失い、単なる情報の集合体として氾濫した結果、その多くは誰もが知っている[お約束]と呼ばれるものになってしまった。そして、[物語を読む]という行為の目的が、疑似体験を介して思索することではなく、氾濫する情報を収集し続け、酩酊状態に導いて思考停止することに変質してしまった。同時に、ゲームというプラットフォームから発信される物語が、作者の意志によって導かれる連続体としての表現ではなく、ユーザー自身が演じる舞台……遊戯空間としての情報集合体へスタイルを変化させつつある。
つまり、他人の波瀾万丈な人生を追体験するのではなく、原風景としての平穏な日常を演じる媒介として機能しているケースが増えているのだ。原風景=楽園志向が悪い訳ではないのだが、美少女ゲームが遊戯空間として完成するにつれ、文化的伝統に回帰するルートとしての側面は失われつつあるように思う。
例えば、他者との関わりは、現実世界の他人や社会といった抽象的な意味で捉えられがちだが、過去から連なる歴史的蓄積という視点も存在する。おそらく『ONE』が特徴的だったのは、『ToHeart』で確立された偽物の原風景=楽園を[かつての全能感]を補完するシステムとしての機能面だけではなく、過去の価値観のレプリカと捉えた上で、同時に時間的な意味での[他者]を再現しようとしていたことだ。一見『ToHeart』の二番煎じと思われるような構造に[過去との接続]という要素を加えたことによって、ノイズと判断される危険性を孕んでいながらも、過去と現在を繋ぐ連続体=物語として作られた『ONE』が成功を収めたことで、物語に対するニーズが未だ潜在的に存在していることを証明している。
また、『Kanon』や『鈴のうたう日』では、胎内回帰的であるために閉塞へ陥りがちだった楽園志向を[共生と循環]という方向へ発展させているし、『フロレアール』『とらいあんぐるハート2』『デアボリカ』といった作品も、それぞれの方法で物語表現としての美少女ゲームの可能性を拡げている。そして、そういった作品が予想外な場所から出現する限り、筆者は美少女ゲームのユーザーであり続けると思う。
■あとがき。
本当はこれから出るゲームを取り上げて、今後の展望を書くつもりだったんですが、本業以外の分野を未来予測するのは、やっぱり難しいので、普通に連載の総括という感じになりました。
とりあえずは療養しながら、積みゲーの数々をクリアしようかと思っております。そういう訳で、今後は体調と相談しながら、不定期で登場するかも知れません。どんな形になるかは今のところ、分かりません……って、別に打ち合わせもしてないので(笑)。あと、FAKEOFFICEのホームページに、このコラムのバックナンバーを順次再録していく予定です。こちらも体調次第ですけど……まあ、そういう訳で一年とちょっとの間、どうもありがとうございました。
http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2015/01/01/072258
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20150101/p1
読んだ。
だいたい自分は上のお二方と似たような経過をたどってきたと思う。その後、諸事情によって引きこもらざるを得なくなった点だけが違う。そして「やってることが10年以上、本質的になにも変わらなかった」という点ではおそらく上記お二方以上。どれくらい変わらなかったかというと、その息苦しさとやらがそもそもわからなかったくらいだ。俺は昔から「だれが読んでいるか」を意識したことがあまりない。「どれくらい読まれているか」しか考えてこなかった。具体的にはPVのことだが、それは結局数字なので、100が1万になったところでいずれは慣れる。なので、本質的には変わらない。
毀誉褒貶があったことはとうぜん承知していたが、それがリアルのほうに影響を及ぼすとはまったく思っていなかったわけだ。俺の場合、その息苦しさとやらを感じなかった代償が、いきなり現実の罰としてやってきた。つまり、10年以上、書き手として意識をまったく変化させずに「書きたいこと書いたるわ!」などとやっていると、それを不快に思った人からの罰が下る。ブコメを読む読まないの問題ではなく、リアルに影響が及ぶ。それだけインターネットの人口は増えたってことだ。おもらしこどもぱんつ口に突っ込まれてようじょのおうまさんとして東奔西走したいなあさあお兄ちゃんのミッションレバーを握ってごらんウッいきなりバッテリー液漏れだぁなどといえば、それを気持ち悪く思う人間はかならずいるということだ(いるだろう、そりゃ)。
もっともこんなことには解決策はある。リアルの情報をいっさい封じればいい。自分が何歳で、どこに住んでおり、どんな仕事をしているのか、そういう情報をカケラも出さなければ、たとえば「あの人は女の子の放尿シーンのすばらしさについてのみ語る人だ」という認識ができる。
しかしうまくいかないもので「書きたいこと」のなかには、たとえば仕事に関することや、近所の公園で見た桜の花がきれいだったなんてことも含まれたりする。そしてどうかすると、その公園の滑り台の降り口のところでべったりと匍匐しており、上から降りてきたちっさいこのぱんつが見えた経験もまた書きたいことだったりする。そういうものが渾然一体となってひとりの人間であり「書きたい」という欲望を持つ人間は、往々にしてそのへんの区別をしない。桜の花の美しさに感動するのも自分なら、ロリゲーなのにヒロインが処女じゃないことに激怒するのもまた自分である。
もちろん社会生活のうえでは尿ゲーと謳っておきながら着衣失禁が一度もないことに激怒していたことなんかはだれにも言わない。インターネットがもはや電話と同じように単なるインフラなら、リアルとネットという二項対立に意味はない。よって、リアルで言うべきではないことは、ネットでも言うべきではない。
なので、実は俺自身は「ネットってものの質が変化したんだから、不自由もなにもない」という意見になる。不自由さ、息苦しさのようなものを感じるのは、かつては「俺ら」の隠れ家や理想郷めいたものがそこにあったと錯覚しているからだ。実際あったかもしれない。しかしそれは流入人口が少ないがために偶発的に発生した空き地のようなもので、その空き地ではエロ本を隠れて読もうがなにしようが、だれも見咎める人がいなかった、というだけの話だと思う。
2015年、インターネットから空き地は消えた。遊び場が欲しければ、どこぞのSNSという名のビルの何号室かに、外部から干渉されない場所が用意されている。妹キャラにはオナニー必須だと叫んでも外には聞こえない。安心していい。
そう断言する俺自身を含め、どうしても郷愁めいたものが残るのだとしたら、それでもその場所は密室でしかないということだ。広い空き地があって、空が見えて、エロ本探しに飽きたらキャッチボールをやってもいい、駄菓子屋で買ってきたうまい棒を食っててもいい。空き地の前の道路は町につながっているし、その町には鉄道の駅があって、ひょっとしたら空き地にだれか知らない人が遊びに来るかもしれない。空き地で大声をあげて遊んでいる「俺ら」を見て「おもしろそうなことやってるね」と近寄ってくる人だっているかもしれない。かつて、それがどれほど嬉しかったことだろう。
ビルの何号室かは、部屋の番号を知らなければ訪れようがない。
でも、そういうものだ。人口が増えたら都市化は進む。あたりまえの話だ。
PVが増えたというのは、立地のいい駅前広場で、出力の高いスピーカーを装備しているようなもの。観客を集めることはでき、多くの人に自分の声を届けることもできるだろう。本人にそのつもりがなくても、地声がでかければ結果は同じだ。その声をマイクで拾って拡散する人だっている。
いいとか悪いとかの問題ではなく、それはまったく「そういうもの」でしかない。必然の結果ってやつだ。そのぶん、多くの人に声は届く。
とまあ、かつてはマイクの前で大声をあげており、いまは部屋の窓から外を眺めているだけの俺はそう思う。もう、あの場所はいいや、とも。
だらしない。朝、起きられない。部屋が片付けられない。
今やろうとしている仕事を後回しにして、ずっとネットウォッチ。
自分が抱えている問題はたくさんあって、これらはそのほんの一部だ。
そのこの問題はすべて関連したもので、最終的に、ひとつの大きな根本的な原因がある
…ような気がするのだけれど、それが何か分からなくて何から手をつければよいのかわからない。
でも、そのひとつをを解決さえすれば、多くの問題が芋づる式に解決して、私はもっと幸福になれるとどこかで信じている。
そもそも、“ひとつの根本的な原因ある”という考え方自体が幻想なのだろうか。
>外見
決して美人ではないが外見のせいではないと思う。
しいて言うなら運動できない・食べ過ぎるせいでコントロールできないことがちょっと自己嫌悪。
それは自分でも大いに疑って現在進行形で色々調べている。ADDとか愛着障害の傾向がありそう。
ただ、社会生活できないほどではないし、
自分が障害だと分かって腑に落ちて楽になる、という人もいると思うけど
思うんだけど、いわゆる専業主婦したいだけの婚カツおばさん以外には医者って別にどーでもいいスペックなんだと思う。
だって、そこらの医者にかかったとして、そのおっさんと生活したいだろうか?しかもどーやら激務で一緒にいる時間も少なく、いわゆるATM以外の意味合いが雄としては無い上に家柄がよすぎて大変らしい。
らしいというか、俺は医学生だからこれ事実としか思わないけどさ。
で、医者と結婚することに必死になるのは馬鹿らしいと思うのが一般論なんだろうなと思うんだけど、医者と結婚したいっていう話題がでるので、一応対応策出す。
精神病っつーても、たいてい社会生活はできるっつーか、検査にかかってこないレベル。
で、こいつらは実は性格がいいことが体感的には多い。すんげーやさしいし、やさしいから医者になったタイプ。
躁鬱で激しい奴も根はクッソ優しい。マザーテレサか宮沢賢治か。っていう。
だが悲しいかなそいつらの性格のよさってのと、世間一般で言う「性格のよさ」ってのが乖離してる。
まじめに生きてる奴は求道者っぽくって引くよね~程度の性格診断しか世間はしてくれない。
こいつらはかなり人間に対しての基準が高いので彼女が作れない。
② 医学生や医者の生活リズムをまじめに守ってたら彼女なんて作れない
死ぬほど勉強する。各エリート高校の学年一位達がそろってるが、そいつらをして死ぬほどの勉強量。
しかし、暇なときは暇(ゆーてその暇な時期ってのは世間一般で言うところの忙しい時期に近いものだが)
そのタイミングで出会いをして、死ぬほど忙しいときには手がかからない彼女ってのがほしい。
つか考えてほしい。1年で2ヶ月、死に物狂いにならないとダメな時期があり、かつ残りの8ヶ月(見直したら10ヶ月って突っ込まれそうだが、これ突っ込むの頭悪いと思うわ。益田って多いよなそういう頭悪いの)はその対策なり雑務で世間で言う忙しさをこなしつつ。という生活、果たして彼女などというのにあなたは突っ込めるか?
これ無理なんですね。
でも逆に言えば、暇なときに来てくれればいける。しかしそんな都合よく振ってくる女はいない。
残念ながら、医学部は効率厨が多いので風俗いく。彼女作る時間が無いが金はあるよーって奴が多いし、医者あ連れて行ったり先輩がオファーしたり。
そうすると並の容姿ではつられない。ってか、つられたら効率が悪いから風俗行って自制してる的な。
だが並の容姿があって、面白くて、忙しい時期が迫ってなければ余裕。ってか、大学近くの酒場で飲んだりしてる。
じゃあそのタイミングを知るには?
だいたい、5,6,7,10,11,12月は忙しくない。イベントが比較的ないから。
この時期に飲んでる医者や医学生はちょろい。普通の大学生よりはるかにちょろい。ちょっとやさしくするってか、キャバ的に近づくだけでやれるし、彼女にしてっていえば向こうも少ないチャンスを逃せないので彼女ほしいから。
いわゆる婚カツおばさんはしかし相手されないと思う。医者はそういう人と出会わなくても親がお見合いでいい血筋の女をつれてくるのが分かってるから。あるいは教授が用意するし、つか看護とかからオファーがくる。
そうなると、代打がある相手に勝負ということになって、『普通に男女があこがれる普通の恋愛』くらいしか医者がなびかない。彼女になっても違うなっていうのは冷静にきられてしまう。また、看護やお見合いオファーと見比べたいから、その時期が来るまで結婚もしないだろう。もちろん、それでも彼女がいいと思わせたら余裕で結婚できるし、たいてい彼女は贔屓目に見るからぜんぜん勝負なってる。
とすると、やっぱり、医学生の内に捕まえるしかない。研修医ってなるとおいしい思いをしだすし回りがしだすと本人もあせらなくなるから厳しい。
医学生はういういしく大学で遊んでるから、捕まえれば簡単に彼氏にできる、特に3年~5年はそこらのチャライ学生に比べてクッソ楽勝だと思う。いうたら秋葉のオタクみたいなもん。余裕。そして一匹捕まえれば芋づるで男選べる。
二次元やAVの美少女や白人みたいなもう絶対かないようがない相手を引き合いにだして、日本女はブスだといいまくるのは違うだろそれって思っていたけど。
俺も、文学哲学や古典の最高レベルの人間性の女の心象にかぶれて、女の人間性を叩いてる節があったんだけど、それは違うじゃん。
男は中身って女が言うから「俺は中身は分かる奴が分かる分には相当レベル高いやろ」って自分に都合がいいから信奉して、それが裏切られてるから「中身見れるほど勉強してないじゃん女は」って叩いてたんだけど
男の場合は、俺は文学哲学レベルで見ても人間性(社会性とかでなく哲学的な意味で)OKやろって思ってたから、そこに到達してない女はおかしいとか思ってたけど。
でも、この前かなり可愛い女とセックスし終わったあとに女がキレテ、「薄皮一枚の社会性だけで生きてるからこんなに馬鹿なのかあ?」って思ったんだけど、よくよく考えてみると普通なわけだ。「怒鳴ったらなんか理屈が捻じ曲がるわけではないのに、怒鳴る意味が分からない」とか思っても、そんなんは理論を積み上げて丁寧に考察する場面での話しであって、普通の社会生活にそんな理屈は要らないわけだ。
それに、外見と中身を求めるのはちょっとおかしいっていうか。両方兼ね備えるのって時間的に不可能じゃん。前提として年齢というリミットが外見にはあるし、それに対して中身ってのは熟成させるのに非常に時間がかかる。何の制限もない男がやっても死ぬほど時間かかる。それなのに両方兼ね備えるのは無理。
見た目を作ってるってことは、それに比例して中身を期待してしまうけど、そりゃ不可能だわ。将棋でプロになりながらバスケで全国優勝しろみたいな無理ゲー。
男も女も、たいていは薄皮一枚の意味も無く身に着けた社会性を人間性っていうことにしてるだけだし、見た目だってイケメンや美女の『コスプレ』をしてるだけ。それをコスプレを叩いたり、人間性なんて無いじゃないかと叩くこと自体がおかしい。人間性もコスプレに付随して「おぬし!」とか「~~~にゃん!」とか「ご主人様~」くらいまではできるけど、身のフリ心の機微まではすぐ限界が露呈する、心のコスプレも叩くのはおかしい。
人間として社会にいられるだけでそれなりに大変だし、そこだけ抑えるだけでも最低限生きていけるわけで。そこを不必要なほど求めるのはおかしい。スーパーのレジうちに微分積分を求めて教養の無さを叩くのはちょっと異常だろ。コスプレに必要な程度の素地があればあとは、いかにコスプレ技術を磨くかであって、ナマの素材の不備のほうを叩くのはおかしい。
というか、フランス料理を日常で食うわけではないから、吉野家程度の完成度と値段が大事。
見た目も味もそこそこ程度でいいわけで。あとは調味料(コスプレ)でなんとかごまかす。ちょっと内情を見て「牛肉がクソじゃねえか!」とか「紅しょうがが体に悪いじゃねえか!」とか叩くのは頭がおかしい。それだけの値段払ってから言うならまだしもさ。
普通にクッソまずくて食えないレベルじゃなければ、そこそこでいいし。中身重視(健康志向)で健康食品ばかり食いたいならそれでもいい。
ただ、日常の生活でフランス料理が出てこなかった!と怒るのは違う。フランス料理が食いたいなら、高級風俗なり行けと。あるいはフランス料理が普通に食えるくらいの年収をモテと(金持ちになれ)。
結局、人間性なり中身なりで女に不満を漏らしていたけど、それって金を払わずにっていうのと似たようなもんだな。俺が悪かったわ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141106095500
大したことではなかったという自己防衛かねぇ。
そこはかとなく薫るメンヘラ臭が芳しい。
↑こういうことを言う人がリアルでいたんだよ。自分にとっては、犯人よりもそういう人の方に百倍腹が立った。
被害に遭った後もケロッとしていたら、周囲の人に「傷ついていないふりをしているのね。無理しなくていいんだよ」と言われた。こちらは普通に生活しているのに、「普通の生活を送ることによって強がるほど増田は壊れてしまった」と、カウンセリングをすすめられた。付き合っていた彼氏は、友達に「レイプされても普通にしているなんて増田は明らかに重症だ。いつ自殺してもおかしくないのでそばにいてあげて」と言われ、「ハァ?」と思ったらしい。
彼ら彼女らは、私がふさぎ込んで社会生活を送れなくなることを望んでいたのだろうか。手首でも切ってやれば満足だったのだろうか。
「レイプ被害者は傷ついていないとおかしい」という「常識」がはびこっていると、「善人」が被害者に迷惑をかけまくっている。何度も何度も「善人」に「傷ついていないふりをしている」と言われれば、「自分の心の底では確かにそうなのかもしれない」と思い込んで本当におかしくなってしまう人だっているかもしれない。
レイプは心の殺人?死なねえよ。勝手に死んだことにするんじゃねえよ。死んでも死んでやらねえよ。
もちろんずっと苦しむ人だっているよ。でもそれは他の犯罪だって同じだよ。ひったくりに遭った恐怖で会社を長く休んでいた男性もいたよ。そういうのは個別の状況によるんだから、個別の事案としてちゃんとケアしていけばいい。
「レイプは凶悪犯罪」ということには反対でも賛成でもない。法律のバランスってのは難しいもんだ。でも、この世、少なくとも日本にはびこる「『心の殺人だから』『女性の尊厳を奪うから』レイプは凶悪犯罪」という意見にはノーと言いたい。
↑この増田も「レイプで心を殺された女性が無理して書いている!ここまで増田を壊した犯人を死刑に!」って言われちゃうのかなw
ブコメ読んだけど、なんで「レイプの抑止」と「レイプ被害者は一生物の傷を負った再起不能なメンヘラだという思い込み」がセットにされているんだろう。私をレイプ犯肯定者扱いしてるブコメまであるし。
窃盗の被害者が全員「こんな大金を盗まれて人生オワタ!もう自殺するしかない!」って言わなくても、窃盗は財産権の侵害だから罰せられる。それは十分窃盗への抑止になっているよね?「大金を盗まれたけど、今まで以上に稼いで人生挽回してやったわw」っていう人がいたら、それは窃盗を肯定したことになるの?ならないよね?
レイプだって、「他人の身体の自由を侵害し、デリケートな臓器にリスクを負わせる行為だから罰します」てことでいいじゃない。レイプしたくなった人も99.99%はそれで十分思いとどまっているはずだよ。
女性に対してなんつーか、魅力を感じないじゃないけど。
26歳になると、そういうのは娘的な?そりゃそうだよな、本来人間って40くらいで死んでて、子供だって15までには作ってたみたいな感じで。
そう考えると、26歳って11歳くらいの子供がいる歳だったわけだ昔なら。
子供のころの初恋って男は少なくとも一目ぼれとか多いらしいけど。
そういうのまったくないな。相当かわいい女とやっても、セックスしても飽きちゃう。
この娘、相当かわいいんだろうなーって思うけど、かわいいという実感も無い。
じゃあ同年代っつーと、それもなんか関わりたくない他人っていうか。
仕事とか、社会生活の中で絡むのならお互い迷惑かけないように機械的な付き合い程度にしとこうね、みたいな。
逆に、30代、40代の女性はすんげー好き。ある程度リミットすぎちゃって、性に豊満っていうか。
つか、30代が本当に魅力ある。一目ぼれしたりするかわいさとかじゃないんだけど、セックスで抱擁してくれるみたいな。
いわゆるマザコン的な感じも多少はあるかもだが、そういうんじゃなく、本当に、女の魅力ってこんな感じだよなーって素直に思う。
デザイン重視の高い家具より、使い古されたビンテージ物の味っていうか。
バツ一子持ちとかだと、そういう人生の深み的なものとやってる感じがある。
あるいは言葉悪いけど、病気持ちで苦労してたり、あるいは産後デブって鬱屈してる。
なんつーか、段地妻的な?
色気とかはまったく感じないんだけど、やってて楽しい。
乗り物にたとえるのはおかしいかもだけど、昔乗ってた自転車とか昔はいてた靴とかの安心感がある。
あとなんだろ、他の男に相手されてないんだろうな、っていう女をもてあましてる感じっつーか。
廃墟の魅力っつーかな。
そうだ、廃墟探索に近いかもしれないwいろいろとその場所のこと考えながら浸れるみたいな。
面倒くさくないのもいいよね。もう生活おちついちゃって、恋だの結婚だの出産リミットだのみたいな縛りがないっつーか。
仮に妊娠しても当たり前に中絶しますみたいな、わりきりのよさみたいなそういうあきらめみたいな。
で、なんつーか、そっち行っちゃって、いわゆる一目ぼれとかなくなっちゃったっつーか、感覚的にももうないと思う。余りにもさめてる。
自分性欲がむっちゃ強いんです。
だから、毎日朝晩、特に性欲なくてもオナニーしているし、オナホールやエロゲーに金かけまくってる。AVやエロ収集もいつでも簡単に晴らせるように消費できないくらい最高のモノをつねにストックしてる。風俗も月2回くらい(正確には風俗だけじゃなく行きずりのセックスのほうが多いけど)
なぜここまでやるかっていうと、社会生活のなかで女性に対してハラスメントしたくないから。
正直自分がブサメンすぎてずーっと差別的にされてるから三次元女に対してムカつくので、相手したくないけど、だけど性欲が溜まるほど痴漢とかしちゃわないかと怖いので、性欲はできるだけ減らしている。
しかし、夜遅くに帰ってくると眠くておナニーも面倒くさくて寝る。朝早く起きてオナニーするんだけどさ。
なんか、もっと楽に性欲解消できないかなあと。
エロゲーで恋愛感情を消費するのは現状十分。たまのセックスで女体感覚もできる。セックスの腰振りも据え置き型オナホールでOK。オナニーの充実度も多種多様なオナホールでOK。女性の肉体の美しさもAVでOK。ストーリー性もエロ漫画でOK.
しかし、もっと楽に解消したい。効率化したい。特に恋愛ストックがもう少しエロゲー以外でほしいかも。ニコ生とかで女に囲ってもらえればいけるんだろうかな。
「性的志向と性的嗜好には貴賤があるんだろうか?(スカトロジストとしての自己)」http://www.open.sh/entry/20141031/1414716284 (id:netcraft)
と、そのコメントや反論記事を読んでいてどうしても言いたかったのでここで書きます。。
まず
>「スカトロはいわゆる「プレイ」だから性的指向とは全く別の問題だろ。幼少期から糞尿そのものが性対象なの?」
っていう意見について…、
私の場合は嗜好の内容はそれとは違いますが、9〜10歳ごろの性への理解とほぼ同時に、自分の性的な特性を自覚しました。
それも、そういう内容の広告を見て、「ああなるほど、私は『これ』だったんだ」という認識でした。
つまり傾向自体はそれ以前に漠然と認識しつつ、そのときに名前を与えられたという状態でした。
大人になってから「選択」したわけではなく、幼少期から自覚する性的嗜好によって、それに悩み、矯正を試みてもやはり駄目で、人には相談できず、自己の存在に疑問を持ち続けるということがあるという事を、できれば知って欲しいです。
(三島由紀夫のたしか「仮面の告白」はこれがテーマじゃないでしょうか。幼少期の糞尿汲取人への思いからの自己の正当性への葛藤。三島の場合は男色がメインの「告白」ですが、サディズムとスカトロジーも、言えない欲求として存在しています)
>「嗜好は秘めやかに楽しむ」…
もちろんLGBTの方々よりも日常生活における問題は少ないですし、それゆえ公にする必要はないと言えます。
また、嗜好によっては安全面、倫理面などに問題があって、実践そのものが不可能な場合もあります。(ロリコンの問題もそうよね?)
だから多くの少数性的嗜好者はそれを特定のパートナー(全然出会えない)や、想像や、小説やイラストだけで満足させて、他ではおくびにも出さず、きちんと現実社会と折り合いをつけています。
しかし、自分が「生得した」傾向は、どんなに悩もうと矯正できない…。
そんな中で、それをお笑いのネタにされたり、人々に無条件に嫌悪されたりするのは、仕方ないと分かってはいても辛いものです。
この点はLGBTの方々と共通するんじゃないかなと思っています。一緒にして欲しくはないかもしれませんが…。
折り合いをつけられなかった場合(神戸児童殺傷事件の少年Aがその例です:「少年A 矯正2500日全記録」 が大変参考になります)には「治療」が必要です。
しかし折り合いをつけて生活が出来ている限りは「それは単に病気じゃないの?ちゃんと治したら?」という意見も、なんというか、悲しいだけです。「そうかもしれません」としか言えません。
それを簡単に「治療」してくれる相手もほとんどなければ、それをしなくてはならない理由は(社会生活との折り合いをつけられている限りは)ありません。
元記事のさいとうさんがどんな人か知らないし、普段からおちゃらけているのか、どんな社会的立場の方なのかも知らないですが、記事にはとても共感しましたし、問題になったブコメも私と同じ気持ちでつけたんだろうなと思いました。
その性的嗜好を本当に親しい人にはカムアウトしてきた、その結果距離をおかれたこともあるとの記述がありました。
自分という存在の中で大きな割合を占めるもの、本当の自分を語るには避けて通れないものを、本当に親しい人にもずっと隠して生きていかなければいけないのは、やはり悲しくて、辛いことです。
私は女性なので、大きな誤解も招きかねないですから、現在はダンナ(どノーマルです)以外にはカムアウトはしていません。
ダンナとは普通のことしかしませんから、本当は実現できるパートナーの方が良かったのかとも思っていますが、そういったパートナーに幸か不幸か恵まれなかったこと、子どもが出来たのちにそれが何らかの形で悪影響になってはいけないと自分で思っていたこと(注・このことは「その嗜好がやはり悪徳じゃないか」という証明にはなりません。現在の社会規範から外れていることが問題だからです)から、現在わたしは自分の性的嗜好を現実に満たしてはいません。
今後も、忘れたことにして胸の内だけでたまに思い、その人生を選んだのは自分だと言い聞かせるだけです。
先般のSMバー問題の報道において、「政務活動費で補われるものであったかということは問題だが、SMという性的嗜好自体を問題とするのは、よくないのではないか」といった言説を複数目にして、「すごい、時代は変わっている、嬉しい」と感動していた矢先のことで(そしてそれはLGBTの方々が社会に受け入れてもらえるように活動し、それが認められてきたことに付随するものだと感じ、感謝しています)、立て続けに考えさせられたので、ここに書かせてもらいました。
村長が片岡Kおよびアスペクト幻冬舎あたりの脱法出版について言及しておられたけども
出版業界って、一部の超大手や学術書しかやりませんねんみたいなお堅いところ以外の、中小零細後発隊はほとんどのとこが
「ひと山あてたらんかーい!」的、山師スピリットあふれる胡散臭い業界だよなぁと改めて思う
原稿料ばっくれて雑誌作ってる社長もこないだ話題になりましたけど
とはいえ出版は、多少は資金も集めなきゃならないし人手も必要だから、こりゃひどいというのは「得られる果実もそれなり」だったりもする
・スタートだけなら少人数、なんなら一人でも始められちゃう。社会的信用も不要
違法行為への認識って、ある程度いろいろ経験すると法知識がなくても「あ、ここはまずい」という嗅覚が働くけど、彼らにはそれがない
そもそも、社会生活上で毀損されるようなものが何もなかった輩だったりする
だから、違法行為が炎上して信用がなくなってもなんとも思わないんだろう。全能の人ってやつだ
メンタルとしてはアイスケースに入って記念写真撮る子と根っこは変わらないんだろうなというか
もともと友達がいなかったし、面倒なこと言う友達はいない方がむしろ楽、また別の友達探すから、という感覚だろうか。よー分からんけど
ばれなきゃいんだよ、ばれたら消しゃいいよ。という感じはあると思う。
そんなのでも、労力比ではそこそこは稼げたりするんだろうから、馬鹿のフォロアーが絶えなかったり
・そういうのをちやほやする「お仲間webメディア()」で信用ロンダリング
先に大いに燃えて名を上げた先輩が持ち上げるパターンもよく見る。
名前をよく見るようになれば、悪名だろうが成功というのが「炎上商法」のベースだろうと思うんだけど
同じような屑同士で「あいつ悪くねーよ」「話題の○○に会ってみた」とか、ねぇ…
「リアルの信用力は多少あるけど、基本がうっかりしてる佐々木先輩」みたいなのもいるし油断できない
webメディアで飯食ってる人は業界全体である程度質とか遵法製とか考えていかないと、そろそろメディア自体が頭打ちになると思うよ
http://anond.hatelabo.jp/20141030234015
全くその通りで、高度で複雑化した現代社会で、法律知識に欠けていたらやっていけない。
世の中全体が複雑化してくると法律知識に欠けた市民で構成されている社会は、もはや上手く動かないし、
個々人としても法律知識に欠けた人は、違法行為での炎上案件に見られるように、仕事や私生活でもつまずく危険が増える。
現代社会で生き抜くための基礎的な力を身につけさせるのは教育の使命の一つのはずなんだが、今の初等中等教育の
カリキュラムでは、そこで重要な力になるはずの法律(それに経済)に関する教育が全く足りてない。
ペースとしては2、3ヶ月に1回もあれば十分。体育でいう保健講義くらいのウェイトでいい。
という認識はおかしい。その程度の話で良いなら少なくとも普通科高校まで出ていれば、カリキュラムの中で公民や現代社会、
政経といった科目の中で法律論に類する部分の基礎も「3か月に1回」どころでは無い時間をちゃんと割いてきている。
それなのに「法律的な考え方」が身についてない人が多数いるというのは、単純に時間数が足りていないから。
元増田氏がきっちり認識しているように、法学というのもきちんとした学問で、基礎からきっちり学ばずに個々の法令の条文の
さわりを教えたところで身につくものじゃ無い。電卓やEXCELが有るからと言って九九を知らずにフーリエ変換の解き方だけ覚えるのは
無理があるのと同じ。「法学の思考法」を教えて法律がからみそうな局面では、日常生活の規範をちょっとずらして
「法学の物差しも思考判断に取り込める」ようなレベル(=社会生活を送る上での実用レベル)にまで持って行くには、
(知識的な部分は将来その都度調べれば良いと考えて、徹底的に省略出来るにせよ)どうしたって主要教科並みの時間を割いて
3年間は教える必要があるだろう。
実際の所、法律知識の欠如に留まらず、社会が複雑化して、しかも個々人がその社会全体と直接向き合う機会が増えたのに、
初等中等教育のカリキュラムの時間配分は、農家が過半だった戦後すぐの時代からの微修正に留まっていて、「読み書きそろばん」に
もちろん「読み書きそろばん」が重要では無い、ということでは無く、「普通に生活していく上で必要な知識」というもの自体が
半世紀前の倍(あるいはそれ以上か?)になってしまっていて、特に法律や経済といったあたりは、現実社会ででやっていく上での
必要性に比して、カリキュラム上で割かれている時間との乖離が特に大きいから目立つ、というだけの話でもある。
教育水準は、戦後ほぼ一貫して間違い無く絶対的水準では向上していて(「近頃の若い者」の方が「50年前当時の若者」より
間違い無く賢い)、これは日本の教育システムの偉大な成果。ただ、緊密にネットワーク化され高度化複雑化した現代社会では、
「生きていくための最低限の知識」の合格点自体が大幅に上がってしまっていて、相対的に見ればむしろ教育水準は合格点に届かなく
なってきている。
法学や経済学を初め、政治学、統計学など今の教育で不足が大きい部分をきちんと取り込めば、どんなに詰め込んだところで
現行の初等中等教育12年では「市民として生きていく最低限の知識」を得るための時間としては全く足りていない。
法律教育の強化に利点があるのは確かだろうが、替わりに削られる部分が出る(そしてそこも重要な知識だ)ことを鑑みれば、
全体的に社会の得になるとも言い切れない。