はてなキーワード: 社会生活とは
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150805/k10010179491000.html
上記を読んでのもやもやを書き出しとく。
「認知症」というのは基本的に症状名であって、病名ではない。「認知症がある」といったときにその原因となる病気が存在していなければならない(アルツハイマー病とか脳卒中とか)。
なので「アルツハイマー病の薬」はあるが「認知症の薬」というものは存在しない。
日本で認知症を診ているのは主にneurologist(神経内科医)と psychiatrist(精神科医)。ややこしいが神経科というのは本来 neurology の和訳としてつくられた言葉だが、実際には psychiatry とほぼ同じ意味を指している。
この記事に出てくる老年精神医学会というのはほぼ精神科医の集まり。これを出すのであれば神経内科医の集まりである日本神経学会もださなきゃダメだろう。
で、認知症とは何かということだが、
「一度正常に発達した知能が何らかの原因で減退し、そのために社会生活に支障を来す状態」
ということだ。これをみればわかるが正常と異常の境というのはそんなに簡単ではない。誰が診ても正常という人と誰が診ても異常という人はいるが、その中間層は簡単に判断できるものではない。さらに言えば知能は減退しているが、社会生活には支障を来さないという状態(これは軽度認知機能障害と呼ばれる)もあってややこしくなる。
ちなみに社会生活に支障を来すというのは、一つは対処行動がとれるかどうかということ。具体的には「この人を知らん町に放り出しても、ちゃんと周りの状況を判断して家に戻ってこれるか」ということ。こんなん、家族か周りの人間に聞かないとわからんし、ちゃんと線引きできんだろ。一応、CDRとか生活状況を確認するための質問票はあるが、やたらと時間がかかったり、そもそも細かい生活状況を把握している人がいなかったり、ルーチンで全員に行うのは難しい。
次に行く。「正しい病名はせん妄だった」とあるが、「せん妄」というのは症状名なので、基本的には原因というものがある(ただし、原因がよくわからず「年のせい」とせざるをえないものもある)。酒を飲んでせん妄になることもあるし、そもそもアルツハイマー病もせん妄の基礎疾患になる。これを書いた記者が病名と症状名をごちゃごちゃにしているからわかりにくいのだ。あと「病名:せん妄」とする精神科医にもいいたいことはあるがやめとく。
次。アルツハイマー病の誤診例で実際はうつ病だったとあるが、そもそもうつ状態というのはアルツハイマー病の初期症状でもあるだろうが!(ちなみにアパシーといって周囲への無関心、やる気のなさもアルツハイマー病の初期症状としてある)
ある程度症状が進行して画像でもアルツハイマー病に典型的な所見が出てくればともかく、初期の状態でうつ症状のあるアルツハイマー病とうつ病を厳密に鑑別することはできねーよ!結局、最初の時点である程度決め打ちして治療経過をみながら診断を考え直すしかない。「後医は名医」という言葉がこれほどあてはまる分野もないだろう。
最後。認知症の専門医の堀智勝名誉院長って誰かと思えば、脳外科の医者じゃねーか!全く専門家じゃねーよ。この患者さんは、たぶんコリンエステラーゼ阻害剤の副作用がでてて、それをやめたらよくなったというのはそうなんだろう。ただ、本人(もしくは家族)が何かを訴えて最初に病院にかかったんだろ?そちらは結局なんだったんだ?それこそ鬱だったんじゃねーの?単なる健忘症だったってこと?
東京女子医の名誉教授を引っ張ってくるのなら、岩田誠先生を引っ張ってくるべきだろう。この人の方がよっぽどガチの専門家やぞ。
そもそも誤診とか気軽に言ってくれるなよ。誤診というなら正しい診断とは何か?ということが問題になってくるだろ。
この辺は臨床診断と病理診断の違い(最終診断というのは亡くなった後に脳をあけてみるまでわからん!)や、薬の問題、アルツハイマー病以外の認知症を来す疾患の話などいろいろあるが、しんどくなったので終了。
イライラしている、ピリピリしている、またはうつ状態がストレスと皆は勘違いしてはいないだろうか
ストレッサー、つまりストレス源は人それぞれで、またどの程度感じるか、どれだけダメージくらうか個人差がある
まずは、体に変調があったときは、何らかの影響を受けていると考えた方がいい
肌があれる脂が浮く、寝つきが悪い眠れない、食欲が無いなど
逆もありで、何かハイテンション、誰かと話したくなったり夜中に長電話したくなったり
ストレス源がはっきり分かっていて、それを遮断することができれば一番いいのだけれど、社会生活しているとそうはいかない
嫌でも満員電車に乗らなければならないとか
じゃあどうするか?
前述の「何か普段と違う」と感じたらストレスを受けていると考えた方がよさそう
お風呂に入ったり、読書したり、あえてリラックスする、休息する
人は心配性ぐらいがちょうどいい
「鍵を掛けない自由があるはず。鍵を掛けると空き巣に屈服したみたいで嫌」?
まさしくその通り。
公園のベンチに財布を置き忘れた事があるんだけど、見つけた誰かが交番に届けてくれた。
俺自身もまた、落ちてた財布を届けたことがある。
もし誰かが・俺が、その財布を自分のものにしていたら、それは当然、盗った人が・俺が悪いってことになる。
でもこの話を外国人にすると、たいてい驚かれる。日本ってすごいねえ。って言われる。
この民度の高さはあなたの言うように、日本人が勝ち取ったものだ。親と教師が、入念な道徳・モラルの教育を行ったために培うことができた。
だから現状、家のドアに鍵をかける必要があるのは、打算だと思う。あたりをうろつく空き巣の人たち、得体のしれない彼らへの見えない恐怖におびえされられてるんだ。
元記事へのブックマークコメントやトラバにあったように、制服にも様々なメリットがある。
ホテルに入りにくくなる、タバコを買いにくくなる、高校の看板を背負ってるって自覚が社会生活に節度をもたらす。
ファッションセンスがないことを理由にうちに引きこもらなくてもいい。
そういう意味で制服は良いものだと思うのだけど、それを着て大手を振って外を歩ける自由を、なにも子どもたち自身が勝ち取る必要はないと思うよ。
住みやすい国にするために、大人たちが努力しなければならないんだと思う。
(とりあえず、現状、痴漢が好む服装や、電車内の痴漢しやすい位置があること、痴漢は常習性があること、などは明らかになっているけど、それでも痴漢加害者の実態は謎が多いとおもう。電車内監視カメラの設置が難しい以上、未然に防ぐためには加害者を研究することが必要だと思う。汚い連中をブタ箱に詰めてハイおしまい、ではいけない。なにが彼らを痴漢にしたのか? 性的抑圧か? アダルトビデオか?)
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そのあとは、おねしょ防止のクスリを転用してたりするけど、イミプランというトフラニールとかいう三環系のクスリの登場まで、クスリらしいクスリってなかったそうだ。
それで最近、向精神薬の依存を批判した医療ジャーナリストの本を手に取ったんだけど、SSRIとかデパスとかの依存になりやすいクスリの大批判をしてたのね。
それで思ったんだけど、オレは抗うつ剤とか安定剤とかを使い出して、15年以上になるのかな。正直言って治んないんだよ。麻薬だろうがなんだろうが、いまの暗黒生活にほんの少しでも光があたって、人並みに活動できるようになるんだったら、クスリの依存なんかどうでもいいと思ってるのね。精神疾患の人って寿命は短いらしいから。統合失調症なら20数年短くなるらしいよ。
それで角度を変えて見てみて、アヘンの起源を調べたら、メソポタミア文明からだったんだよ。そのころから社会生活のストレスを緩和するためにクスリとしてアヘンは使われてたんだよ。いまのように工業技術で濃縮されたりしてないだろうけど。いちおう文明社会になったので、麻薬はダメですよ、医療用で限定ですよってなって、タバコも禁止に近い。そうすると、その隙間を埋め合わせるかのように、三環系抗うつ剤とかSSRIとかが登場して、合法で使えるようになってるんだよね。それで、トヨタの役員じゃないけど、アメリカでは麻薬成分が入っている鎮痛剤というのがアメリカのセレブでは流行っているらしく、ヒース・レジャーとかホイットニー・ヒューストンとか、フィリップ・シーモア・ホフマンとか、全部が全部ではないだろうけど、ほかの麻薬といっしょに使うかとか、酒をガンガン飲んで鎮痛剤も使うとかして、中毒死してってると思うんだよね。(麻薬中毒ではない人もいるのかな)
オレ自身の生命体としての能力として、何もしなきゃますます能力が落ちて、最終的に死ぬだけだね。第二次大戦の戦記とかを見ると、生命力のない個体って、無残に死ぬだけなんだよ。感染症になったり捕虜とかになってね。明日を生きるために、クスリを飲んでなんとか持たせますよ。バルプロ酸とアモキサンとロラゼパムくらいなんだけど。これくらいで済んでいるだけまだマシじゃん。クスリ飲むなと批判する人って、飲まないでがまんして、何もできない人生を10年とか過ごさせて、それで責任とれんの?って、まあ取れないじゃん。ドーピングでもなんでも、人間は活動できてナンボなんだよ。ほんとのチョビっとしかクスリ飲んでないやつが離脱するのはできると思うよ。でも、オレみたいのは違うんだよ。なんとか直らないかなと思っているうちに15年以上も過ぎちゃった。その間にクスリをやめてみたこともあるよ。1年とかのオーダーで。収穫なかったよ。悪い収穫だけで。断食とか変な修行もやってみたよ。なんともならなかったよ。
オレが戦時中に生きてたとしたら、零下20℃くらいのノモンハンとかのソ連の国境地帯に行って、爆弾もって突撃して敵の戦車のキャタピラーに爆弾を差し込んでお前も自爆してこいって言われて、そうしてるよ。そのくらいしか社会の役にたてないんだから。2年も3年も軍にいて、軍の運営に役立つ人間になんかなれっこないんだから。体力がないから、仮にオレが多少の知恵人でも徹夜で仕事できないんなら軍にいらないってなるよ。軍属でもむろんいらないってなるだろうし。謀略立案するアタマなんかないし。
通常
人間が社会生活を営む上で生きていくために人は消費者であり生産者または労働者である
特殊な事情があって一時的に働かない期間があっても、または一生働かない人がいたとしても労働体系からは基本的に逃げられないようにできている
それがインターネットはなんだ?
ほぼ全員ニートじゃないか
はてぶでコメントを書いている人、スターがRMTで金になるのか?2ちゃんに書き込んでいる人、まとめサイトに転載されたら金になるのか?全員ただサイトを消費しているだけのニートだ
インターネットを使用する上で決定的に重要なのが能動的に使うか受動的に使うかにかかっていると言ってもいい
僕ももうネットを利用して8年ぐらいはたつがそのすべての時間をプログラムを書いたりサイト作成に費やしていれば今ごろそこらのマンションでも買えるぐらいの金額にはなっていただろう、アダルトサイトでも作っていれば一軒家だって建ったかもしれないが今は昔やってたブログの収入で月1万程度にしかならない
しかし現実社会と違うのが現実にはニートは侮蔑の対象になるのにインターネット上ではニートであってもまるで軽蔑されたりせず自尊心が損なわれもしない
むしろ優位に立っているのは労働者であるyoutuberやまとめサイト管理人ではなく何もしていないニートのほうである
現実では働いてもいないのに飯を食うな、いっぱしな口をきくなと叩かれるべきはニートのほうなのにネット上では立場が逆転してるのは不思議だ
3か月目のいまが孤独感のピークだ。
もうしばらくすればなれる。ゲームや読書やネットなど安価な時間つぶしはいくらでもある。半年過ぎればぐっと楽になるし一年過ぎれば習慣になって苦痛を感じなくなる。
時たま「この状況はまずいんじゃないか?」とパニック的な恐怖感が襲ってくるようになるけど、2年もたてばそのいなしかたも覚え「焦ったって状況変わらないし仕方ないじゃないか」と布団に潜り込むことを覚える。3年たつといろんなことがおっくうになり日中の服装なんかもどんどん手抜きしていくようになる。交友関係は狭くなり広げようとは思わなくなる。
5年過ぎたころにうっすら理解するのはもう社会復帰は不可能だという現実だ。
まあ実際は嘘なのだが。社会復帰はいつでもできる。でもその面倒くささに戦う前からギブアップしてる状況だ。やる気を振り起すだけの元手がないのだ。
というか社会生活ってののほとんどは「習慣」だ。満員電車に乗るとか毎日同じ時間に起きるとか事務仕事をやるとか、普通の人が普通にやれるのはそういう「習慣」があるからだ。その習慣が一度途切れてしまうと再構築する労力は計り知れない。「毎朝自宅から出て一定の場所にいって他人と過ごす」習慣を身に着けるのには幼稚園から数えて15年以上の期間があったわけで、その習慣を捨てたのだから当然だ。
俺の場合は「もう社会復帰は無理だ」とあきらめて社会復帰しないで稼ぐ方向に舵を切ったけど、運がよくないとそれもなかなか難しいと思う。
http://by-s.me/article/114949248404390372
ざっくり言っただけかもしらんが、実際は複雑
これ以上に有ったり間違ってたらすまない、認識不足だと言っておく
└周囲に隠してる(クローズド。世間体を気にしてゲイであることを否定する)
└周囲に打ち明けてる(オープン。開けっぴろげにしてる人は少ないと思われる)
└好きになる相手は男女どちらも(バイ)
└気分で相手を切り替える(ファッション、男が好きな時、女が好きな時が存在するらしい)
└結婚した、異性と付き合った後に男が好きになる(後天的に目覚めた)
└外見を変える(女になる)
└手術する(性転換)
└外見を変えない(男性のまま)
└男の娘(若い男が若い女の格好をする、顔立ち・スタイルが女性的)
└心は男性
マツコなんかはこれだけど、公の場だけじゃなかったかな
└性転換手術済み(戸籍まで変える人も)
└手術まではしてない(ちんこついてる、格好は女)
おネェ言葉使う人
絶歌を読んだ。
この本はあの酒鬼薔薇本人が書いただけあって、ぶっ壊れた部分と、理解可能な部分がごちゃまぜに同居して読むのは疲れる。おすすめできない。
ぶっ壊れたままというのは、出所後も基本的に他者への関わり方が分かってない点と、パニックに陥ったときに暴力衝動が抑えらていない点だ。さらっと描写される他者への無関心とあたりまえのように描かれる暴力描写に、とてつもない違和感を覚える。
それでも矯正されたというのは、出所後はそういう自分の弱点を認識して、他者をなんとか理解することで社会に関わっていこうという意思を感じるから。14歳の頃にはそういう姿勢はなかったと思われるので、これは矯正プログラムの成果だろう。ただ彼にとっての社会復帰とは、正解を探す作業なのだ。職場の人にお茶を勧められ休憩しようと言われても「喉乾いてないからいいです」と断るのは「間違い」だと認識して正していく、それが彼の社会復帰の方法だ。その方法はやはり普通の感覚の社会生活とは違うので、更生していると思う反面、そのぶっ壊れ具合に衝撃をうける。
酒鬼薔薇は根本的になぜあのような凶行に自分が及んだか分かっていないようだ。
理性のたがが外れて、性的衝動と殺人衝動に自分の行動が支配されてしまった。なぜそうなってしまったのか、自分のことなのにわからない。だから理解したい。自分で自分を理解したい。
理解したいから、何度も何度も自分の記憶を掘り起こす。何度も思い出すうちに記憶は強化されていく。過去のシーンは安っぽい比喩と装飾にあふれているが、美しく描写されるのは記憶の中の自然であり他者だ。酒鬼薔薇は基本的に自分と関係ないものへは無関心を貫くが、自分を無条件で受け入れてくれる他者や場所には強い愛情を感じる性質がある。そうしてそれを美しいものだと認識している。だから自分を受け入れた美しいものをケレン味たっぷりに飾り立てて描写する。それは記憶の掘り返しが何度も繰り返され強化された証拠だと思われる。だって酒鬼薔薇が美しく描写したタンク山とか池は当時の報道で何度も観たけど、なんてことはない風景だったもの。
逆に自分のことは徹底的に醜く汚いものとして描写される。美しい他者と醜い自分、この断絶が凶行の原因だと認識しているようだ。そんなこと言われて誰が納得するだろう。また文中、他の文学作品からの引用が多数あるがそれも自分を知る手がかりだ。自分の記憶を掘り返し、また文学作品に自分を投影することで、なんとかして自分を理解したいのだ。
自分を理解することで心の安定を図りたい、というのがこの手記を書くモチベーションになってることはたしかだろう。ひどく利己的で、被害者感情を逆撫ですることは確かだけども、もともと自意識しかないぶっ壊れた人間なのだ。今の他者を理解しようという姿勢は矯正プログラムの成果でしかない。
ところで、この本で笑うべきでないのは十分分かっているが、どうしても笑ってしまった箇所がある。
それは彼が捜査員や検察官、カウンセラーといった大人たちに最後まで内緒にしていたという、彼の中で性衝動と殺人衝動が結びついた原体験だ。
小5のとき、最愛のバーチャンを亡くした彼は思い出に浸ろうと入ったバーチャンの部屋で電マをみつける。電源を入れ興味本位で股間に当てた彼は今までにない快感に身を震わせる。小5の彼は電マオナニーで気絶するほどイクという壮絶な精通体験を得たのだ。それはバーチャンの死と深く結びつき、性的快感と「死」が関連付けされてしまったのだ。その後も電マオナのとりこになり、その行為は強く死を意識させる冒涜的な行為であったので、それが猫殺しの時にもイッた原因になったと彼は自己分析してるのだ。
この本から教訓を得られることがあるとすれば、電マは年頃の男の子の手の届かないところに保管しなければいけない、ということだろう。
俺には1年半ほど付き合った彼女がいた。半同棲していて兄弟のようにすごく仲が良かった。付き合って10ヶ月くらいで彼女はアメリカに交換留学にいった。毎日ビデオチャットしていたが4ヶ月くらい経ってすれ違うようになった。遠距離は難しい。向こうに行って半年後、一旦別れようという話になった。別れた。数日後、彼氏ができたと言われた。冴えないアメリカ人だ。俺は浮気だったのかとブチ切れた。内陸の寒い地域だから優しくされてコロッといったのかな。クソビッチめ。
その後元カノは何回も俺にきたり向こうに戻ったりとフラフラしていた。そして俺がアメリカに行く用事があったついでにNYで会うことにした。4日間ずっと一緒に観光して過ごして計6回もセックスをした。その時元カノは俺ともとに戻りたいと何回も言っていた。泣きながらも言っていた。俺は別れに来たのだけど、少し考えが変わった。帰国を待つことにした。
NYで別れたあとも連絡をずっと取り合っていたのだが2週間経ってから急にアメリカ人と付き合うことにすると言い出した。NYでの浮気を告白したが許してもらえたから付き合うことにしたのだとか。意味不明だ。
その後またフラフラしていたが俺は連絡を控えていた。我慢していた。帰国後に会う約束だけはしていた。会ってお互い納得するまで話をして、そしてきちんと別れようと。会うのは礼儀だ。
彼女は待ち伏せを恐れてか帰国日は教えてくれなかった。しかし帰国した旨をFacebookに投稿していることを共通の友人から聞いた。その日の内に「帰国したでしょ、さっさと会って終わりにしよう」と送った。気持ち悪がられた。無視されたのでカッとなって返事しろと何回か送った。
警察から電話がかかってきた。ストーカー規制法に抵触する恐れがあるのだとか。
第二条 この法律において「つきまとい等」とは、特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の各号のいずれかに掲げる行為をすることをいう。
一 つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所(以下「住居等」という。)の付近において見張りをし、又は住居等に押し掛けること。
二 その行動を監視していると思わせるような事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。
三 面会、交際その他の義務のないことを行うことを要求すること。
四 著しく粗野又は乱暴な言動をすること。
五 電話をかけて何も告げず、又は拒まれたにもかかわらず、連続して、電話をかけ、ファクシミリ装置を用いて送信し、若しくは電子メールを送信すること。
六 汚物、動物の死体その他の著しく不快又は嫌悪の情を催させるような物を送付し、又はその知り得る状態に置くこと。
七 その名誉を害する事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。
八 その性的羞恥心を害する事項を告げ若しくはその知り得る状態に置き、又はその性的羞恥心を害する文書、図画その他の物を送付し若しくはその知り得る状態に置くこと。
2 この法律において「ストーカー行為」とは、同一の者に対し、つきまとい等(前項第一号から第四号までに掲げる行為については、身体の安全、住居等の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われる場合に限る。)を反復してすることをいう。
俺の取った行為は「二 その行動を監視していると思わせるような事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。」「三 面会、交際その他の義務のないことを行うことを要求すること。」に該当する可能性があるという。そうか。クソみたいな法律だ。連絡をとれなくなった。どうしても連絡したい場合は弁護士を通すしかないらしい。しかし弁護士ドットコムで相談してみたが弁護士も相手にしない可能性が高いという。まじで使えないやつらだ。
悪法は酷い女が人間的に酷いことを行った場合でも守ってくれる。この法律、真の危険なストーカーを防止する目的でできたんだと思うけど、目が細かすぎる。俺の元カノのようなクソ女が警察を使って絶交するという目的によく使われるみたいだ。最低なのは元カノだが、この法律のこういう悪用を見越せなかった法学者はもっと最悪だ。誰だこれを提案した議員は。一生呪ってやる。警察からの電話から一ヶ月が経つがまだまだ精神的に辛い。俺は泣き寝入りをするしかない。
普段まとめブログに批判的な向きもあろうが、今回見た記事は増田の民として、個人的にはかなり見ごたえがあった。
この増田では日々脱糞やうんこにまつわるエピソードが集積されているが、唯一の超大国であるアメリカをはじめ、世界にはさらなる兵(つわもの)が居ることが判った。
いや、海外には科学やスポーツなど他の諸分野と同じく、うんこに関しても実はすげー奴がいるんじゃねーか? とか思ってたけれど、それを実感することができたということだ。
日本人に馴染みやすい文体かつ、うんこをめぐる身体的律動を活かしたテンポの良い文体で読んでいて大変に楽しむことができた。
原文の書き手も、英語圏特有のタフな比喩が多用されており、日本人にはなかなか真似できない脱糞の独白に成功している。
いつか我々増田の民も、世界へと日本の脱糞文化を広めていかねばらなないだろう。
いけないところでの脱糞という、人間の生理活動と社会生活の齟齬が、世界のそれぞれの地域や文化、はたまた人種の違いでどのように発現してしまうのか。
今も定着したのかどうかはよくわからないけれど、地方出身者としては昔からそういう感じの人たちは一定数いたような気がする。
マイルドヤンキーが話題になった時にもそれは言われていたけれど。
マイルドヤンキーの話題にも絡めて「地方民が田舎から東京へ出ようとせず、地元で満足する若者が増えた」というような論調だけれど、
それは今に限った話ではないのではないか?
まぁ確かに今は地方ショッピングモールの充実や、amazonを始めとするネット通販の普及で
地方在住であるデメリットも軽減されているので、昔よりも数は増えたのかもしれない。
では、昔の人は本当にそんなに都会に憧れていたのか?
私は地方都市の出身で、地元が決して嫌いではなかったけれど、いろいろなものが窮屈で閉塞感を感じたし、
いろいろな新しいお店や、イベントごとや展覧会やコンサート、そういうのに行きたかったから、
地方都市で生活している人というのはやはり閉鎖的で、自分の住んでいるところ以外にはあまり興味がないようだった。
もしくは、あこがれはあるけれどやっぱり住み慣れた地元が一番、という考えの人が多かった。
地元が嫌いで都会に憧れる人というのはとっとと出て行ってしまうので年を重ねるとその風潮が余計強まる。
そういうずっと同じところに留まり続けている人と話していると、地元以外の世界に興味を持たず、視野が狭いと感じる事がよくあった。
自分の周り以外の世界は別の世界、という断絶というかすっぱりと切り離したような考え方。
比較的若い世代の人になると、東京にも行ったことがある、遊びに行くだけでも十分という人もそこそこいたのだけど。
やはり地元が好きで移住などは考えられないという感じだったが。
さて、東京へ出て就職してみて思った事だが、私が就職したのは別にトップ企業という会社でもなく、
ただの中小企業だったので、地方から出てきて関東に住んでいる、というよりも
今まで東京近郊(東京や千葉や埼玉など)で生まれ育ち、東京へ就職したという人がほとんどだった。
そうすると、やはり視野が狭いというか、自分の周りだけで世界が完結している人が多かった。
新宿や渋谷とかなんでもいいけれどそういうテレビによく出るような都市がこんなにも近くにあるのに、
かえって地方の人たちのほうが、テレビの向こうのあこがれの世界という感じで興味を持っていたような気すらする。
私はこの視野の狭さや自分の周りにいる人がすべてというような考えが好きではなかったし、
自分の周りにいる人や自分の常識がすべてだという思い込み、他人が自分と同じ考えであって当然、だとか
自分の習慣や風習を押し付けるような感じ。あまりうまく説明できないけど
でも、ある日ふと思ったがそれが普通なのではないか?
そこそこ働いて、子どもを育てて社会生活を送る上で他の世界の事なんて知ってどうする?
自分の周りさえ快適であればそれでいいのではないか?
難しい事は考えず、ただ自分の狭い世界だけで生活していければ、穏やかに一生を終えられるのだ。
だから、相容れない価値観は排除して綺麗な世界を作ればいいのだ。
地方から単身東京へ出てきて働くという人と、もともと東京住みなので東京に就職しましたという人では
東京で働くという事に対しての認識がすごく違うというのはずっと感じている。