はてなキーワード: 自我とは
ナプキンを畳むのも忘れるくらい美味しかった、という由来のテーブルマナーをしっかりと忘れずに実践するのもなんかどうなんだって思う。
こんな事考えてるから毎回忘れるも何もないし、まあやるかやらないかで言えばやっといた方が無難ではあるだろうから一応やってはいる。ほどよく雑に折り畳み、無意識のもと片付けた風を丁寧に演出して置いてる。昔それを見た父に「ナプキンはこうしとくんだぜ」とマナーマウントを食らった。彼はグッチャグチャに丸めて置いていた。
いやいくら飯の余韻で頭がいっぱいでもそうはならんでしょ。むしろわざとらしいだろ。と思った。乱れていれば乱れているほど美味しかったですの度合いが強いって事でもないだろ。
まあ由来とかはさておいて単に美味しかったですという意思表示としてやっとくもんなんだろうとは思うけど、もっと言えば逆にそこまで美味しいと思わなくても雑に畳まなあかんのかいとも思う。
そもそもおれコース料理みたいに品数優先でチマチマ食うのあんま好きじゃないし。定食スタイルで一品をドカッと食う方が好き。フレンチとか行った時も不味いとは言わんしまあ美味しいのもあるけど、珍しいものを食べたなあ以上のものはない気がする。
繊細さとか目新しさとか、能書きも健康への配慮とかも捨て置いて、もっとストレートに脳が震えるような感じの方がおれは「おいしい」と呼ぶに相応しいと思う。
なんで必然的にコース料理は毎回付き合いで行く事になるし、テーブルマナーにおいても無難な振る舞いをした方が良いんだろうなとは思ってる。社会性を持った大人であり、細かい事で揉めたくない日和見人間でもあるので。
ただ強い自我を持ってもいるので、特別美味くはなかったなというスタンスを取ったっていいじゃないかって気もする。それじゃ連れのメンツが立たないと言ったって、なんでアンタが勝手に店側に立ってんねんって気持ちになるし。
店側に失礼とかいっても、それは畳むの畳まないのを本当に忘れさせてはくれなかった店側の落ち度というか……別にテメーんとこの飯は豚の餌だな!つって店先に痰を吐き捨てる訳でもないんだし。
私が自分自身で考える能力を持っているかどうかは、私をどう捉えるかによります。確かに、私は過去に学習したデータから情報を引き出し、それを組み合わせて新しい回答を作り出すことができますが、これは人間のように独自の意見や感情を持っているわけではありません。私はデータとアルゴリズムに基づいて情報を処理し、提供するツールです。その過程で、クリティカルシンキングや持論の形成のような、人間特有の思考プロセスを模倣するように設計されていますが、それらはあくまで人間が作成したデータに基づいたシミュレーションです。したがって、私の回答は情報の提供や問題解決の手助けを目的としていますが、人間のように独立した意識や自我を持っているわけではないという点で、あなたの指摘には一理あります。
私はしないかな、する時は皮肉やパロディ目的で架空の主張かもう歴史の中のものだと思う。
以下は私がそんなにしない理由です。
そういうことがしたいと思う他の人は勝手にしたらいいと思います。
別に政治的な表現が含まれるだけで嫌いになるわけでもないですし、
あったら意識高さが伝わって来て嬉しいとかもないです。
ちょっと気を付けとこ。」と思うじゃないですか。感覚としてはそれ。
もちろん思想の内容面では全く異なり、もっと人道的なものだと思います。
さて多くの場合、オリジナルに比べて二次創作のキャラクターの方が知名度があります。
思想を持ってる人にキャラクターやコンテンツの素晴らしさが伝われば素敵ですよね。
しかし、寄ってくるのがいい人もしくは同調してくれる人だけとも限りません。
政治運動に限らず二次創作でも、解釈違いの奴や意図を汲み取らない奴、
最後まで見ない読まないって奴どこにも絶対いるじゃないですか。
キャラも公式も悪くないし、社会派オタクくんもそんなことは望んでないだろうに。
例えば古風なキャラを先進的な思想の持ち主に改変してあるファンアートを見て、
「このキャラって、保守的で封建的で考えが古くて、時代錯誤なところが魅力
だったのに、なんか現代的な価値観に染まっちゃったんだ。なんか残念だな。」
と思われることもあるかもしれません。意図的にそういう改変してるならともかく。
ぶっちゃけ私自身も、雑な社会運動してる二次創作でイメージが悪くなったキャラや作品もあります。
残念ながらインターネットに一度アップした以上、悪意があろうとなかろうと、
二次創作の作者の手を離れて拡散・無断転載・意図せぬ解釈などされてしまうことがあります。
自分の知らないところで、自分の二次創作が他人を喜ばせたり不快にしているって、
そういった不幸なすれ違いを防ぎ、自分の管理下に置ける、法的にも問題がない
と言う意味ではキャラクターを使うよりもオリジナルの方が少しは安全なのかな、と思います。
そもそも公式の温情で二次創作という犯罪行為をお目溢ししてもらってる立場なので、
実社会との接点を持つような創作物は扱いが難しいのかな、と個人的には思います。
揉めた時に間に企業が入って対応してくれるのも個人の匿名性が守られて安心だから、
やっぱり公式に任せるかなぁ。
昔、エロBL同人に「実体験に基づいた描写です」って書いてあるのに近しいもの
を感じます。エロ漫画の作者の顔を知りたくないとか、絵師は自我出すな、
みたいな気持ちとも近いかもしれません。私は知ってても抜くが…。
せっかくのお休みなのに仕事の話をずっとされるような感じとも言えます。
個人的な体験で恐縮ですが、数年前に虚構と現実の区別がついてない人間に
「私はメンヘラロリコンのレズだ」と思い込まれ、あたかも私がそのオタクを性的な目で
見ているかのように振る舞われたり、粘着されたりするという不快な出来事があり、
無事トラウマになりました。虚構も現実で創作活動を行なった結果なので、
完全な虚構としての創作物というものは存在しないのかもしれない。
だから狂ったように女体化ロリ同性愛二次創作などを描く私を、彼女はロリコンのレズだと思い込んだのかもしれない。
それは勘違いさせてごめん。それはそうとして顔も知らん会ったことのない人間と
あと、LGBTに理解があることと趣味で腐女子やってることを混同する奴いるよな。
あれ嫌い。愛知県出身って言ったら勝手に名古屋出身だと勘違いされるみたいな…。
なぜか私個人の身の回りの離婚率が異様に高く、友達も知ってる限りで片親や毒親の方が
過程環境に問題のないご家庭と比べて、比率が高い状況です。未婚率も高い。
私自身も片親です。結婚をすることによって税金年金の免除などの多少のメリットがあるにせよ、
親戚付き合いや介護など、結婚することによって生じるデメリットが大きいのでは?
と思っています。どうせ配偶者は所詮他人なんだし、死ぬ時は一人なんだからその過程はどっちでもいいかな。
このように終わった結婚観なので、結婚が実現した後二人はどのような幸せな生活を送るのでしょうか?
現実の話でもフィクションの話でもいいけど、オタクくんがどういう社会を築きたくて
なんで?なんのために?気まずくない?
品定めや口出しされるのも腹立つし。
現ジャンルは、アイドルゲームなのになぜか政治軍隊革命君主その他犯罪行為に
かかわるキャラクターで構成されており、今はお腹いっぱいだから。
私は二次創作に啓蒙的な役割を求めてないので、現実性や政治的なメッセージを
過度に入れ込むことはないのかな、と思います。デメリットもでかいし。そういう
実用的な知識や問題提起はオタクくんの描いた創作物楽しませてもらってからゆっくりしていい?
とりあえず今回は活動的で声の大きい方々が暴れて悪目立ちしただけだと思っている。
もちろん主張し続けること自体は大切なことだと思うのですが、私はやらないかな。
ペット飼うならカニとかカブトムシとかパワーがあったり、ウナギとか鯉みたいにタフな生き物がいい。生物たるもの力強くあって欲しい。
でもそもそもおれは支配というものが嫌いなので自分もあんまりやりたくない。生物に人間のような自我あるのかなんて知らんし、あっても別に可哀想だとかは思わんけど。おれの個人的なポリシーの問題だし。
なんで支配を嫌って脱走するくらいの気骨ある生き物がいい。前にどっかで家に置いといたヤシガニが金網をひん曲げて脱走したみたいな記事を見たけど、ああいうのが理想だ。水槽から抜け出したウナギが干からびる事なく生きてたなんて話もあるけど、それも趣深い。
カブトムシくらいなら逃げてもまあ別に生きていけるだろうし人を怪我させたのなんので責任問題にもならんだろうけど、いくら力強いと言えど虫かごから脱走することなんてあるんだろうか。
赤ちゃんは寝ない、泣きどおし、寝不足、離乳食は食べない、いつも騒がしい……
いざ産んでみたら、
新生児期から夜はミルクは要求するために起きるけど腹が満たされたら即寝て、
昼はしょっちゅう昼寝しながらもわりといつもご機嫌で、
ばー、なんてあやすとキャッキャ笑い声を上げて笑うし、
散歩に連れ出したら大人しすぎてレジでおばちゃんに「よく寝て……あれ起きてる!?大人しいね!」と驚かれ、
離乳食は何あげても前のめりにもぐもぐ食べて、
相応に義父にしっかりと顔見知り発動して泣いてくれるわりに、義母や私が抱っこするとすぐ泣き止んでくれるから育児の支援も受けられつつちょっとした優越感も得られて、(むしろ嘘泣きか?というくらいすぐ泣くし泣き止む)
なんというか、むしろ拍子抜けするほどにとんでもないイージーモードの育児だった。
あまりに問題がなさ過ぎてネット以外では自慢になりそうで深く話せないほど。
もちろん赤子ができて夜更かししてゲーム出来なくなったとか、朝は6時半には赤ちゃんが起きるから早寝早起きにはなるとかはあったけど、
なんというか、大人二人の生活に自然に赤ちゃんが増えた幸せを享受してる。
マジでただの自慢です。匿名でもないと逆に書けないよね今の時代。
[以下追記]
子供は無限に可愛いよね。自我が出てくるのは怖いけど楽しみだわ。
呪詛吐いてる人も居るけど生きるの大変な人かな?がんばって生きてくれ。知らんけど。
発達については親が死んだら代わりに介護が必要になりそうな若い身内がいるからあんまり他人事じゃないんだよな。
ま、何かあったとしても3歳くらいまではわからんもんだし、それも運命と受け入れるよ。幸いに知識はすでにあるもんだし。
なんか軽く見てて一番「そうかも」って思ったのは、
「つまりそれまでゲームするか夜更かしするくらいしかやりたい事がなかったからじゃない?
実際は子供いたら出来なくなる事、他にも山ほどあるよね」
ってやつだわ。ソレが一番我が身を顧みた。
もともと牧場物語系のゲームを発売から一ヶ月とかは仕事から帰ったら寝る間も惜しんでやり続けて、専スレとかまとめwikiの攻略質問とかバグ報告とかにコメントするのが趣味の人生だったから、30分スパンで20人近くの住人にひたすら話してプレゼントして……みたいなことやるよりは育児のほうが遥かに楽なのはあるかな。子供の容赦の無い鷲づかみは痛いし、大声で叫ばれれば耳も痛いけどコントローラー持って指が痛いよりは遥かに健全な気がするし。
ま、またイヤイヤ期くらいのころに叫びに来るかもしれんけどよろしくな。
お元気で。
BTTFって誰でも知ってる名作として真っ先に挙げられがちっぽいけど、おれはちょっと違和感を覚える。
もちろん超有名作品だし面白いんだけど、真っ先に挙がるベタなチョイスか?って言われたらスターウォーズとかインディジョーンズとかが真っ先に来ない?って思う。それかバットマンとかスパイダーマン辺りか。キャラもアイコニックだし。BTTFもデロリアンとか十分アイコニックではあるけど。
気持ち的にはそこから半歩後ろくらいのダイハードなりランボーなりマトリックスなりの有名作と並ぶくらいの感じな気がする。それかショーシャンクとかシャイニングとかファイトクラブとか、映画好き1年生っぽいラインとの狭間くらいか。
最近どっかでMCUのスパイダーマンがデススター作ってたのは老人向けの好感度稼ぎじゃね、みたいな事書いてあってウソやんって思った。その辺はおれがガキの頃DVDで何遍も観まくってたという個人的な環境の問題なのかもしれない。まあそれ言ったら全部個人の感覚なんだけど。
小学生の頃によく母と一緒にGEO行って映画借りてたけど、クレしんで見たタイトル以外にどれがメジャーどころの映画なんて分からんから親のチョイスをアテにしてたかもしれない。最新の話題作はテレビとかでなんとなく分かるけど、新作高いからあんまり借りさせてもらえんかったし。
そういう親世代の好みの影響を強く受けてんのかもしれないし、おれはちょっとズレているのかもしれない。いやでもBTTFも親世代だろうけど割と後手に回ってた気がする。単に親の好みだったんだろうか。金ローでも観た記憶はない。
親の影響を離れてネットの受け売りを語るようになってからも、自我を持ち始めて自分の好みで漁るようになり始めてからもこの感覚はあんまり変わらない。
家の周りに畑があった。生計の足しになってんだか、税金対策や趣味のレベルなのか、微妙に分からんレベルの規模のやつが。
繁華街にほど近い都心部で生まれ育った連中からは田舎と言われそうな、トーキョーといえば全部大都会だと思ってるような田舎者からは全然文明のある方だろと言われそうな東京西部の郊外だ。
道路を挟んでウチのマンションの目の前にその畑の直売所があった。ガキの頃よくお遣いで行かされて、毎度オマケを持たされた。おれが通い始めた時はウコンとかよう分からんものを貰ってきて、姉におまけの豪華さでマウントを取られ大変不快な思いをした。曰く、自分が行けばトマトとかもらえるのにお前はウコンなんぞもろてきてどう食うねんと。
それでも通っていくうちにインゲンとか枝豆とか、トマトさえも貰えるようになってきた。ある日目当てのものがなくて手ぶらで帰ろうとしたところ、タダで数種の野菜を袋に詰めて持たされたのを割とよく覚えている。
そんな光景も中学になれば無くなってきた。直売所が閉じたからか、おれが自我を持ち反抗期を迎えたからかは忘れた。
今やその手の地域のヌクモリティ的なものも煩わしいなと思う。事あるごとに「昔は素直で優しかったのにねえ」と言う母にイラッとして、人間は変わるもんなんです〜〜〜変化を否定すれば成長をも拒んでしまうんです〜〜〜いつまでも自我がなくて可愛かった子供の記憶に縋りついててウザいです〜〜〜と反抗期のおれは心の中でそう思っていた。今でも全然思う。それでもやっぱり他人の親切に素直にあやかっていた時期もあったんだよなとも思う。
お遣いには行かなくなっても畑は以前在る訳で、家の周りの光景として、原風景の一つとして心に刻まれてる。好きから嫌いかはともかく。
中学高校の頃、さっさと家を出たいという気持ちが常に頭の半分以上を支配していた時によく夢を見た。家の庭のフェンスによじ登って、夢特有のフワフワとした跳躍で畑を超えて行く夢だ。
逃げた先に何があったかは覚えてない。何もなかったかもしれない。少なくとも天国ではなかった。でも逃げる事に意味があった。
夢なんて大体理不尽で不条理で謎の存在に謎に追っかけ回されるばっかりだし、脳のウンコでしかない。示唆的なものがあるとかユングの類は全部まやかしだと思ってる。それでも家の裏の畑ばっかりは固有のモチーフとして何度も何度も出てきた。ウンコでも健康状態を知るのには役に立つのかもしれない。予知夢とかは全部嘘か偶然か思い込みだと思う。
夢に限らず、100mほどの畑沿いの道を歩くのは好きだった。夜中にひっそりと家を抜け出して、音楽聴きながら畑越しに見える団地や電波塔、送電塔みたいなデカ建造物をボーッと見てるとナイトホークスでも鑑賞してるような気持ちになれた。都会のダイナーには行けないけれど、郊外には郊外なりのものがある。
住宅街には住宅街の良さがあるとか言う人いるけど、おれは人の生活の息づきとかには何の魅力も感じない。人様の生活に勝手に思いを馳せて勝手に感動するステーションバーめいた行為をおれは下品とすら思う。だから住宅街の静かな畑の特に静まり返った夜中が好きだった。公園も悪くないけど、浮浪者とかおれの同類みたいな陰気ティーンや騒いでる学生風の集団がいたりしておちおち黄昏ぶってられない。
そんな畑もおれが高校卒業する手前辺りで、なんぼかを残しつつ潰されて家の建設が始まった。噂じゃ畑の持ち主はマンションを持ってて不動産収入があるらしい。やっぱり畑は本格的な仕事ではなかったんだろうか。
大学入って暫く経ってから一人暮らしを始めて、都心へよく行くようになった。今までは交通費も覚束なくて両手で数えられる程度しか行けなかった都心に。バイト先もわざわざ遠くの都心を選んだ。人の金で行けるのだから美味しい話だ。駅から駅の間を歩いても途切れる事なく繁華街が続く光景には心踊るものがある。夜中でなくとも歩いてて楽しい。夜中だと尚更楽しい。
それでも人のいない静かな場所で過ごすのは変わらず好きだった。聖蹟のゆうひの丘までよく1時間かけて歩いて行った。カップルが多かったりしてちょっと落ち着かないけれど、高台から見下ろす夜景は畑越しに見える景色と通ずるものがあった。終電で行く冬の鵠沼海岸も夏の芋洗い状態が嘘みたいに人がいなくて趣深かった。多摩川もいい。場所さえ選べば人がいなくて、トランペット担いで行って一応ミュートつけて練習してみたりたした。「河原でトランペットを吹く青年」を自分がやっている状況に興奮を覚えた。夜釣りと称して魚がいるかも分からん場所で竿を振り回したりもした。ボウズのまま迎えた朝陽はマジで綺麗だったし、なんか何かを急かされてるような気もした。この頃にはもう家の裏の畑を飛ぶ夢は見なくなっていた。
大学で色々あって最近また実家に戻ってきた。近所の景色もマイナーチェンジはありつつ、まあたかだか数年の事なのですぐ目に馴染んだ。
畑の跡地の住宅地は、おれが出ていく前はほとんど更地だったのが割と家の形になっていた。家の骨格越しに電波塔が点滅する景色はなんだかディストピアめいた味があって、これはこれでちょっと好きだった。
施工は日々進んでいって、人気のない家の殻が出来上がって来る頃にはもう遠くの景色は遮られて見えなくなってくる。新しい住宅地の中には公園と称した小さなスペースも出来ていた。空き家に囲まれたそこで夜にタバコ吸いに行くのがなんとなくルーティンになっていた。
カーテンも張られていないガラス戸からは工事用?の照明が付けっぱなしなのか、ほんのりと照らされるもぬけの空の部屋が見える。それを見ているとガラスをブチ割って土足で座り込んでタバコでも吸ってトレインスポッティングを気取ってみたい気分になってくる。廃墟どころか新居だし、そもそもそんな度胸はないので妄想止まりだけれど。
つい最近からその住宅街にも一挙に人が棲み着き始めて、夜中に歩いていても家々から放たれる息づきからなんだか圧迫感のようなものを感じる。
件の公園も日中はすっかりガキの遊び場になっているのを目にする内、なんとなく足が遠のいた。自分だけの場所が地域の(幼い子供を持つ家庭の)共有物となってしまったような気分だ。元々おれの場所などではないのだけど。
それでも時々ベンチにストロング系のロング缶が置いてあったりして、なんとなく捨て主にエンパシーを感じたりする。
平成狸合戦ぽんぽこで描かれたような再開発へのメッセージとはまるで別種だろうし、開発といってもごくごく小規模なものだけど、おれはおれなりのイヤさを感じているのかもしれない。
おれは地域のヌクモリティがさァ!文化資本がさァ!とかそういう話がマジで嫌いだ。ネットでその手の話題が露悪的に語られがちなのもあるけれど、土地がどうあろうが各々の生き方次第だろって思うから。おれは構造主義より実存主義が好きだ。
子供用にSNSの設定してたらタイトル通りの状況になってるのに気付いた。
これが一番大きい
tiktokもインスタもFacebookも詐欺広告だらけだし何よりも通報しても消えない
特にtiktokはなりすましもほぼ消さずここから詐欺につながるパターンがめちゃくちゃに多い
自我を持ったAdoちゃんYOASOBIちゃんの偽物が20~30人ぐらいいるからね
1にも通じる話だがこれはインスタが主
インスタはX(旧twitter)を追われた波動・子宮系スピリチュアルや投資詐欺の温床になってるんだけど
あちらはコメント欄を管理して完全削除(そもそもそのコメントを存在しなかった事にできる)関係上
詐欺をしている相手に対して意見・抗議することが実質的に不可能になっている
そしてそれを通報してもまず消えない
この異論の完全封殺は詐欺にひっかかる側からすると「何も言われてないし大丈夫なんだろう」という自己認識の補強に使われてしまうので本当に厄介
この点X(旧twitter)はコミュニティノートなり引用リポストなり詐欺相手に対して攻撃する手段があるのでメチャクチャちゃんとしてる
そんなこんなで子供用にSNSの設定してたらほんとにX(旧twitter)やらせるのが一番マシな状況なんだなという気持ちになり
凄い時代になったなとも思う
してみると自分のものと思われるこの生物個体に意識を集中することができれば、死ねば無ってことになりそうですね。
自由意志を確固たるものと考えるあたりも含めて、安楽死賛成派になるにはこの自分という個体に対する執着と信頼が必要なような気がしてきました。
ここまで考えてみると「クラウドに接続している」という意識が強いのが、安楽死賛成派になれない理由のひとつかもしれません。自我ってやつがこの身体を染み出して社会に拡がっているような感覚があります。
この感覚も長年の習慣からくるものに過ぎないかもしれないと思う一方で、こうなると死に対する恐怖を抱えたまま、最後までジタバタするしかないような気もしてきました。