はてなキーワード: 弊害とは
ITとは無関係な分野で修士号を取ったが、今は中堅SIerにいる。
私としてはIT業界で生きていくべく就職したのだが、私の存在が修士時代の共同研究先に知られていたのが運のツキであった。
共同研究先は弊社に研究の仕事を発注した。もちろん弊社に当該分野の研究ができるのは私しかいないので、私は名指しで指名された。弊社はそれを引き受けた。
研究に舞い戻ることになってしまった私は、日に日に心を病んでいった。
元々は研究が好きなはずだった。博士号を取ろうか悩んだくらいだ。でも弊社で研究するのはひたすらに苦痛だった。
毎日、地獄のような徒労感を味わっていた。私の時間はどぶに捨てられていると思った。研究の進展とかどうでもよかった。何もかもが私にとって無意味だった。
ある日、お客様が論文を書くということで、私は共著者に誘われた。共著者とかすごくどうでもよかったのだが、そのときお客様が言ったのは、
だった。
正直、何を言っているんだこいつは、と思った。
IT関係の論文ならまだしも、こんな分野の論文を履歴書に書けるわけがない。というか書いてもいいのかもしれないけど何らのメリットがない。だって私はSEだから。
これが私の不毛感の原因だった。
私は研究者じゃない。研究者としてのキャリアを積んでも何一つメリットがない。どんなに頑張っても何も報われない。何本論文が出たって、研究成果が認められたって、すごい研究者だと誉められたって、SEである私にとっては無価値。
いや無価値どころか弊害さえある。私はこの地獄から逃れるためにまもなく転職するのだけれど、転職活動中は職務経歴書に何も書けなくて苦労した。私が過ごした研究の日々は、我々の業界では空白に等しいのだ。
生粋の研究者である人にはそんなことはわからないのだろう。無邪気に「履歴書に書ける」と信じているくらいだから、あの研究の日々が私にとっても価値あるものだと疑いもしないのだろう。
研究者でない者が研究をするという状況がどれくらいの頻度で起こるのかわからないが、本人に研究者になるつもりがないのなら間違いなく不幸だ。
SIerに入ったことが不幸の始まりな気もしないでもないが、ともかく20代の貴重な時間を無駄にしてしまったので、次の会社では挽回したい。
有料会員は、2017年11月に発表したデータによると、前年同期の256万人から28万人減少。
まるで、シャッター街と化した賑わいをなくした商店街のように、客と店が閑散とし、それが負のスパイラルとなって更に客と店が逃げていくような状況に陥っている。
思い返してみれば、2009年から2013年頃は配信者も、リスナーも勢いがあり、ニコ生には熱があった。
しかし、その熱は徐々に失われ、人々の感情を動かす熱情は冷めつつある。
もちろん、一部例外はある。七原くんや、加藤純一のように、未だニコ生を楽しんで盛り上げている人もいる。ここで指摘しているのは、サイト全体の空気感の話だ。
しかし現状は、Twitterを眺めても、ニコ生を愛し、毎日のように生主の話題で埋め尽くしていた重度のニコ生愛好者のアカウントの多くが、ニコ生のことをつぶやくのをやめてしまっている。自分が2年前に作った、情報収集用のヘビーリスナーを放り込んだリストの3~4割が休止状態だ。
先の見えない、絶望感漂う現状に、ニコ生にしがみついている(過去の盛り上がりを忘れられない)人々は、再びニコ生の隆盛を、最後の希望をニコニコ(く)に託していた。
しかし、期待はやっぱりと言うべきか裏切られた。
この発表で、乾坤一擲、人々の希望を与えられるような内容があれば、まだニコ生は数年持ったかもしれない。だが、ニコニコ(く)の発表内容は、サーバーが重い、閲覧がプツプツ止まる、とにかく見づらいという、一番利用者が望み、改善を期待していたところすら手がつかず、子供だましのようなお茶を濁した機能追加のオンパレードで、我々利用者の最後の希望を打ち砕いた。
もう、ニコ生に期待することはないと思うので、その死に水を取るキモチで、ニコ生が衰退した原因を考察しつつ、何故ニコニコ(く)がダメなのかを書いていきたい。
ニコ生が衰退した原因は、一体何だったのだろうか?
そう問われた時、その人の立場により、多様な回答が出てくると思われる。
外部サイトの隆盛、稚拙な運営、逃げた配信者、通報厨、リスナーの変化、支援者…。
それらは、複合的に絡み合い、単純ではない。これらを少しでも払拭するような内容であったならと、慚愧に堪えない。
2013年頃までは、競合サイトと比較してニコ生の優位点が多く、ニコ生1強の時代が4年ほど続いていたように思える。石川典行や渋谷のキングなどの有力な荒らし配信者(当時)を外部に放逐しても、隆盛を保っていた。しかし、現状は違う。YouTubeLiveやLINE Live、Instagram Storiesなどの、巨大SNSを基盤とした巨大な競合サイトの台頭が顕著になり、その他独立系のツイキャス、ふわっち、showroom、OPENRECなどがニコ生の牙城を日々切り崩し、今や見る影もない。マクロミルが2017年7月に行った調査によると、これから配信をはじめる10代の視聴しているライブ配信サービスのトップはYouTubeLive、2位がニコニコ生放送。配信しているトップがInstagram Storiesで、ニコ生はツイキャス、YouTube Live、InstagramLiveなどの後塵を拝し、LINE Liveと同率の6位となっている。
実感としても、配信者やリスナーの外部流出が著しく、1強を誇っていた数年前と比べるべくもなく、シャッター街となった商店街の様相を呈しており、寂れた印象を与えている。外部に人が流出した上で、新規が競合サイトに吸われたため、サイトとしての熱や勢いを失ってしまったのだ。
若年層のインターネット利用の主流がスマホに移りつつあった2013年頃から、競合サイトであるツイキャスはそのニーズを捉え、低帯域でも閲覧が可能な高性能なスマホ閲覧アプリを提供していた。一方で、ニコ生は未だにバックグラウンド再生もできず、低帯域での再生は断続的な切断によるストレスが多く、基本機能であるアンケートにも参加できないなどのチープなスマホ対応しか行ってこなかった。
利用者の利用環境の変化に対応できなかったことにより、より使いやすいツイキャスなどの競合サイトに新規ユーザー獲得負けてしまった。
ニコ生のサービス開始2009年から8年。8年という歳月は、中学1年生が成人するほどの環境の変化をもたらす。
配信者、リスナーともにライフスタイルの変化により、閲覧を辞めることもあるだろう。
それに加え、ライブ配信自体の認知が広がり、よりライト層が閲覧を始めたことにより、2chの文化を引き継いだ、垢抜けないニコ生のギーク感(おたくっぽさ)は忌避され、よりスマートなツイキャスやLINE Live、Instagramなどに流れていった。(ここは、他サイトの利用者の意見を拾ったわけではないので、根拠に薄く、想像が含まれる。異論があれば教えて欲しい)
ニコ生のシステムは今年実装された「新配信」になるまで、ここ5年ほど、ほとんど改善が加えられていない。
それは、無計画に増改築を繰り返した上、低待遇の技術者が大量に退職した結果、システム改修がほぼできなくなってしまったことに起因する。
参考URL:http://hiroki-uemura.hateblo.jp/entry/2015/09/01/230611
結果、超会議や町会議などの「イベント」を繰り返すことにより、利用者の不満をかわす方針を取ったドワンゴ。不満は見事抑えられたが、上記の外部環境の変化についていけず、緩やかに競争力を失っていった。
しかし、ツイキャスの台頭に危機感を覚えたドワンゴは、ツイキャスのパクリのような「ニコキャス」をローンチするも、あまりのできの悪さに3日で閉鎖に追い込まれてしまった。
それから2年、2017年にシステムの大幅な刷新を予告しているが、大幅な後手に回ってしまった感が否めない。
加えて、マネタイズ(収益化)が競合よりも上手くいっていたことが、結果的に変化に対応するリスクを取ることができなくなったという面も考えられる。
ニコ生では、リスナーが「広告」を打つことにより、配信時間を延長できるチケットを配信者にプレゼントできるシステムがある。これ、運営は収益を上げることができ、配信者は延長料500円を払わずに延長でき、リスナーは目立つ形で広告を売って、配信者に名前を覚えてもらったり感謝してもらえるなど、「三方良し」の理想的なシステムだった。
しかし、競合サイトに投げ銭システムが一般的となった今、一部配信者は「自分の懐に入らない投げ銭(広告)」に不満を感じ、上記のWin-Winの構造が崩れてしまっている。
技術的な問題と、成功体験による現状維持が原因となり、外部環境の変化に対応できず、ずるずると現状を維持し続けたことで、結果的に競争力を失ってしまった。
ニコ生は、同時閲覧数がある一定数を超えると「満員」状態になって配信をみることができなくなる。
それはシステム上の問題なのだが、ここで「プレミアム会員なら優先入場!」的なボタンが出てきて、プレミアム会員への入会が促される。渋々入会して「優先入場」ボタンを押すも、画面が1瞬切り替わって同じ画面に戻される。プレミアム会員にはいっても入場できない状態が続いているのに「こちらが入り口です」と入れない入り口への誘導が繰り返される。このような、利用者視点がまったくない操作性の悪さがサイト内に山ほど散見され、利用者にストレスを与える作りになっている。ストレスを抱えた利用者は、このような稚拙なサイトを再度利用したいと思うだろうか?ユーザー体験(UX)が全く配慮されていないのだ。
ニコ生のトップページをみると、他サイトと大きく違う点が1つある。
それは、他の配信サイトの多くが、盛り上がっている配信や、新規配信者をトップページで紹介しているのに対し、ニコ生は企業配信の紹介が大きく割かれているのだ。これにより、新規の配信者が配信をはじめても、ふらっと立ち寄るリスナーの数が減り、いつまで経っても過疎から脱せない停滞感が生まれる。
過去においては、ある程度の閲覧数を稼げば、ちくらん上位に掲載されてリスナーを獲得することが出来たり、ミラー大手のこざまミラーが新規配信者を「発掘」してリスナーを獲得する機会があった。
また、ランダムでいろいろな配信を見せる「ニコ生クルーズ」や、配信者のコンテスト「ナマケット」などで配信者が発掘されることもあったが、今や殆ど機能していない。
現状においては、新規リスナーがただでさえ減っているのにもかかわらず、初見が最も訪れやすいニコ生トップページは企業配信と大手のチャンネル配信に埋め尽くされ、過疎配信者は日の目を見ることもなく、ただ根絶されていっている。
ニコニコのサービス追加は、これまで良い意味でも悪い意味でも、ノリと思いつきで行われてきた。
スタンプなど、ユーザーのモチベーション維持に役立ったものもあったが、これらの機能追加は、裏を返すとシステムの複雑化を招き、システム改善の難易度を高めていった。ニコニコ(く)において、ニコ生とニコキャスが並行して運用されるのも、複雑化した現状を整理できなかった苦肉の策だろう。
しかし、それらを今回の改定で、整理し、川上社長は、あるべきコミュニケーション像を、ビジョンを提示すべきだった。
それらのビジョンなく、枝葉のどうでもいい機能追加に終始し、抜本的な根治を目指さなかったことが、今回のニコニコ(く)の失敗だと思う。
新規配信者の参入が困難な現状も相まって、リスナーは大手配信者に固定化し、一部の大手はその座にあぐらをかいて惰性で続けている。それは、いつまでも「安泰」な地位が約束されている、新規が伸びてきにくい環境だからこそ、古参の大手の既得権益が守られ、切磋琢磨が生まれにくい環境にある為だ。
しかし、ニコ生全体の熱が失われた今、先を考えている配信者の多くはニコ生に見切りをつけ、配信環境が整い、収入源としても有望な競合サイトに流れていっている。
過去と同じことを見ていても、再放送のような気分になり、楽しみを見いだせなくなる。
しかし、配信を一度見るのを辞めると、「流れ」がわからなくなり、取り残されたキモチになる。
結果、面白くもないのに、飽きた配信者の配信をずっと閲覧することもなり、不満を抱えながら配信を見続ける。その中の歪んだリスナーは、楽しみを通報などの妨害行為に見出すようになったり、特定をして配信者を潰すなどの犯罪スレスレの好意に手を染めるものも居る。
リスナーの流動性がある程度あれば、このような弊害は生まれにくいが、リスナーが固定化された環境下では、このような現状になってしまうのも自明の理かもしれない。
これは簡単な話だ。
上記で掲げられた課題を殆どこなすことができず、既存利用者の失望を招き、期待感を生むことができなかったことにある。
期待感さえあれば、様々なニュースサイトに露出し、SNSで拡散され、人々の話題に上がって熱が戻ってくるきっかけになったかもしれない。加えて、一度外に出た配信者やリスナーが「古巣」を見に来ることも会ったかもしれないし、その流れで他サイトのリスナーがやってきた「かも」しれない。
・夢を見る感覚
・楽しむ感覚
どうにも作業的なことが多くなった
敢えて言うなら物欲が欲しい
昔はアニメの曜日や、漫画の曜日を気にしていたと思うがそれもなくなった
ネットのせいだろうか、いつでもどこでも大差がない気がしてしまう
朝も夜もない
・「今度の休日〜しよう」っていうやつ
似たようなところで、そもそも何かしたい感じがなくなった
億劫っていうより、欲が湧いてこない
ワクワクがない
・どうにかしなきゃ、という使命感や義務感
コミュニケーションとかが顕著
同僚と仲良くならなきゃとか、友達を作らなきゃとか
そういう危機感みたいなのがなくなった
仕事に対しても同じ
おかげで部屋が汚い
・負けん気
もう負けたくないみたいなのがあまりない
でも勝ちたいとは思う、勝ったら楽しいのかもしれない
性欲はまだ健在で素晴らしいと思う
あと涙もろくなった
いつからこうなったっけ、と思い返したら、20代後半で死ぬほど女に惚れて壊れたんだった
神経が焼ききれてアウアウアー(^p^)って感じ
喩えるなら、ずっと風邪で熱出してるようなボーっとした感じ
元気が無いんだ
アントニオ猪木の「元気があればなんでもできる」がツライ
周りを見ると歳のせいだけじゃない気がする
よく「おっさんのほうが楽しい」って意見を聞くが、今は地獄に近い
もっと明るくなりたい
次にきつくなった時ヤバイはず
働くとそのことしか出来なくなる。
毎朝起きて外へ行くだけでとてつもないストレスに襲われて毎日死にたくなる。
その上で仕事をして、人とコミュニケーションまでとらなければいけない。
趣味の時間が全くなくなるのも考えもので、毎日働いて土日は寝るだけで、何のために生きてるのか分からなくなっていく。
あっという間に身体を壊し辞めることになる。
家で仕事をしたい。
いや本当は仕事なんかしたくない。趣味の絵や漫画を自由に描いていたい。
生きるのに最低限のお金だけ細々稼いでひっそり生きたい。
年齢的にそろそろ色々きつくなってきた。
今後の人生どうしようか。
緩く生きてる人に生き方を聞きたい。
そして、当日。
「ごめんね、週末の朝早くから。最初の店は朝のみの経営だから、どうしてもこの時間帯からじゃないとダメなんだ」
タイナイの言葉で引っかかったのは、その店のことよりも“最初の”という言葉だった。
この時点で嫌な予感が漂い始めていた。
「で、ここが目的の店、『竹やぶ焼けた』だ。第一印象はどう?」
「“どう?”って……注文どころか、まだ店の中に入ってすらいないのに何を言えってんだ」
俺と弟は、タイナイに導かれるまま店の中へ。
「はいーいらっしゃいー。3名さまね、好きなところ座ってー、すぐにおしぼりとお水持って来るから!」
店主らしき人が陽気に出迎えてくれた。
喋り方からして女性だと思われるが、イマイチ見た目で判別がつきにくい。
「うん? この水……」
「分かる~? アセロラを絞ってみたの! ビタミンCたっぷり。なんとレモン数十個分なのよ。でも“レモン何個分”って今日び権威が疑われる謳い文句だから逆に伝わりづらいかもね。うふふ」
「はあ……あの……」
「そうじゃなくて、メニューは?」
「日替わり一品しかないから、メニューは用意してないの。シェフの気まぐれよ! つまり私の気まぐれ!」
「……そうなんですか。ちなみに今日は?」
「『かなり毎週来た滝う油脂いまり中』。上から読んでも下から読んでも『かなり毎週来た滝う油脂いまり中』」
「は?」
「メニュー名よ。じゃあ、なるべく早く、なるはやで持ってくるから待っててね」
タイナイは店主が厨房に向かうのを見届けると、俺たちに話しかけてきた。
「で、意見を聞きたいんだけど」
「この時点でも言えることはいくらでもあるだろ。例えば店の内装とかの雰囲気とか、接客態度とか」
「ふむ、弟くんも」
「うん」
「それじゃあ何の参考にもならないよ。もう少し真面目にやってくれ」
そんなこと言われても、わざわざ口に出すほどの感想は俺にはなかった。
だがタイナイに奢ってもらう手前、ちょっと無理してでも捻り出さないと。
「えーと、そうだな。ちょっと照明がキツいような気がする。あとキツいといえばあの店主だな」
「あー、なるほど。弟くんはどう?」
「う~ん、悪い人ではないと思うけど……あまりお近づきになりたいタイプではないかな。ましてや朝とか特に」
「ほうほう、なるほど。やっぱり二人を連れてきて正解だ。すごく参考になるよ」
タイナイがやたらと頷いているが、本当にこんなんでいいのだろうか。
俺は不安になってくるが、弟はというとタイナイの反応に気を良くして、どんどん意見を盛っていく。
「何というか、ところどころ洒落臭いよね。この出てきた水とかも、正直これだったら普通の水にして欲しい」
「メニューだってそうだ。何だよ、上から読んでも下から読んでも同じって。しかも意味不明な言語で、言葉遊びとしては酷い出来だ」
「あ、こっちの出し巻き卵は美味い。付け合せの漬け物はビミョーかな」
「ふむふむ、弟くんの率直な感想は参考になるよ。マスダは何かない? ほら、このカルパッチョとか」
「いや……俺、ナマの魚介系はダメなんだ」
「なるほど。メニューが店主本位だから、こういう弊害が発生すると言いたい訳だ」
そんなつもりで言ったわけじゃないんだが、そう解釈するのか。
愚痴垢作る勇気も意見を言い続ける勇気もないからここに頼ることにしました。
ここ数年「2.5次元舞台」(以下2.5にします)っていわれるアニメや漫画を原作とする舞台が増えています。
知ってる人は説明要らないと思うけど一応ちょこっとだけ説明をさせてください。
<説明>
有名なのはテニプリをミュージカルにした「ミュージカル テニスの王子様」通称テニミュだと思う。
最近だと刀剣乱舞が舞台とミュージカル2つの形で舞台になって「刀ミュ」「刀ステ」と言われて
「チケット取れない!」と騒がれてる。
すごく話題になったローチケ詐欺騒動(実は虚言だった)が出たのもこの刀ミュでした。
ソシャゲの「あんさんぶるスターズ!」が舞台化されて「あんステ」なんて言われてこちらも「チケット取れない!」と騒がれてるのも自分のなかでは記憶に新しいです。
最近はチケット完売舞台をライブビューイングすることが増えてきました。
</説明>
前置きが長くなりました。
優しくない理由について話させてください。
①2.5が飽和してしまってる
7年前くらいまではテニミュが大きな勢力で後はポツポツと小さな劇場でやっていたイメージでしたが
2014年当たり「弱虫ペダル」通称ペダステが大成功したあと、かなり乱立してきたように思います。
毎日、日本のどこかで2.5やってると思います。なんせ2.5次元専用の劇場とかあるくらいなので。
最近は、漫画・アニメだけでなくソシャゲとかいろんなジャンルがあるので、素材はいくらでもあるんですよね。
素材に頼ってどんどん生み出した結果、今2.5はとんでもない数に膨らんで、ライトオタクは情報と金銭が追いつかなくなっています。自分も情報に追いつけなくなってやめました。
②「チケットが余る」舞台と「チケットが取れない」舞台への二極化がおきる
舞台って映画みたいにチケットが気軽に取れるわけではなく、何ヶ月も前に告知をしてその1ヵ月後にチケットをとり、支払ってまた一ヵ月後に発券して肝心の舞台当日はまた一ヵ月後。みたいなことしょっちゅうあるのです。
そうなると、ちょっと好きなものより一番好きなもののほうがほしいですから、
自分の好きなものを原作とした舞台・自分の好きな俳優が出演している舞台に注力します。
そうするとそもそものオタク(原作・俳優とも)の母数が多い作品におのずと比重がかかります。
割引・平日限定特典配布・リピーター特典… そうしたものがあると俳優オタク・原作オタクともに売れていない現実を突きつけられます。おまけにキャストからカーテンコールで「まだチケットあります!」みたいなことを言われると「身体一個しかないわ!」って言いようのない怒りとかこみ上げます。
まあ当たり前に見たいものが見れないんですよね。
おまけに見れる人が善意からか何からかレポートとか流してこられると余計につらくなります。
少し前はスポ根が流行していたのでテニミュ・ペダステなどが台頭してましたが、
今女性向けの2次元作品ってめちゃくちゃアイドルものが流行ってます。2.5もジワジワとその波に乗らされています。
そうすると2次元ではできなかったこと…つまりリアルライブのようなものが実現できてしまうんですよね。紙の中・画面の中だけだったものが3次元として認識できるわけです。(声優さんのライブとかはあくまで「声」のライブだと位置づけておきます)
演出家の方々もすごく上手なので巧みに「リアルライブ」を見せ付けてきます。その一環に客降り(客席にキャストが来ること)やファンサが自然とついてきてしまいます。
あくまで舞台・ミュージカルだぞ!とは思いつつも悲しいかな、楽しいんですよね。ファンサ。
ファンサされた人はうれしかったこと伝えたいからレポートします。
それを「すごい!」「よかったね!」と受け取れる人ばかりならいいのですが、
増してやファンサしてくれたキャラクターを演じている俳優のオタクって7割くらいは、気分が悪くなると思います。
(余談ですが自分には自己顕示欲と承認欲求の塊にしか見えません。
ましてや絵をつけてレポされてるとちょっと「うーん…」ってなります。
ひがみと思われるかもしれませんが、聖人ではないのでひがませてください。
できたらお友達と共有していただいて公開アカウントで呟かないでいただきたいです。
ツイッターは好きなことを呟くところなので、とめる権限もありません。
でもその呟きでだれしもが良い気持ちでいられると思わないでほしいです。)
「著名人が自分のファンを喜ばせるため、特別に行うこと。本来の仕事の外で、或いは仕事に追加して行われたことを指すことが多い。」
って出てきました。まとまってる。
これ、↑であげたファンサです。
「本来の仕事の外で、或いは仕事に追加して行われたことを指すこと。」
この方が詳しくわかりやすい意見を書いてくださっているのでリンクを貼らせていただきます。
http://zponpon.hateblo.jp/entry/2017/09/12/163120
たぶんこの「私物化」と言われている行動も、飽和によって一歩抜きん出ないと生きていけないと思っている人たちの行動だと思いますし、すごく合理的です。
でも、たとえ運営からの圧力だろうがその人の善意だろうが不快に思ってる人は少なからずいます。
それを喜んでくれる人がいることでどんどんエスカレートしていって喜んでいない人がどんどん意見を言えなくなっている現状があります。
正直、「ファンサ」がいきすぎて「余計なお世話」になってしまっていることが昨今増えてるのだと思います。
<結論>
飽和して、多数の中の1になってしまってチケットが余り、良さがわからないまま終えていく舞台があります。
そこに出演していた俳優オタクは「もっとたくさんの人に見てもらえる演技なのに!」と思います。
その作品が好きな原作オタクは「もっとたくさんの人に見てもらえる作品なのに!」と思います。
チケットが取れない舞台では、マナーの悪さが出て「あの作品のオタクは…」「あの俳優のオタクは…」と言われて「自分ならそうしないのに」と思うオタクがいます。
ファンサを見て、「あのキャラはあんなことしないのに」と思うオタクもいれば、
「○○君もやりたくてやっているわけじゃない」と思うオタクもいます。
そうしていつの間にかどちらも、不快な気持ちになって両者が激突してしまう、なんてことも出てきてしまいかねないです。自分は数年前俳優オタクでしたが、原作オタクになり、なんとなくどちらの言い分も経験してきました。どちらも悪くないからこそ、埋まらない溝ができつつあると思います。
先日、友人が金を貸してくれと言ってきた。
どうしてそこまで金がなくなったのか聞いてみた。貸す側としても理由は聞いておきたい。
最初は躊躇ってたが、しばらくしてソシャゲに金をつぎ込んだと言う。
あれほどやめろと言ったのに身を滅ぼしたのだ。
そんな友人を見て思ったことがあった。
私の友人には、スロットを遊ぶ友人と前述のソシャゲを遊ぶ友人がいる。その中間の私はどちらも遊ばない。
互いの友人が同様のことを言う。
『ソシャゲはギャンブルと同じ。金が手に入るか、優越感を得られるかの差』
本来のギャンブルは金銭を用いて金銭を得ると思うが、そちら側の友人がギャンブルと変わらんよというのは分かるが、
ソシャゲ側の友人がギャンブルと変わらないという。普通ならギャンブルとは違うと主張すると思ったのだが、違うようだ。
昨今のソシャゲは、可愛いグラフィックなどであるにも関わらずターゲットは常に大人のみへ向けられている気がする。
そのターゲット層の中に少数の子供が混じっている程度に見えるのだ。
ゲームといえば、ファミコン世代、スーパファミコン世代、PlayStation・SEGA SATURNなど色々な世代がいると思うが、
大抵はソフトが5000~12000円くらいだった。万を超えるのは徐々に減ってきてはいたが、昨今でも8000円くらいは標準だろう。
そんなソフトを大人にねだり、子供は買ってもらい遊ぶ…だけだったのが、現在は変わった。
大人もゲームを遊び続けるようになり、その中でソシャゲというものが手軽で遊びやすいという事で人気を得るようになった。
そのソシャゲは1回300円程度のクジを引き、いい性能のキャラを手に入れ強くしていくという仕様だ。
クジであるということは、当然当たりハズレがある。
問題はそこだ。
当たりハズレがあるのは良い。しかし、300円という金額は少額なようで少額ではない。
子供から見ても、それは300円という部分だけでみれば少額に見えるが、3回も引けば1000円近くになってしまう少額にはならなくなる。
まして子供は金銭の管理を大人にされている。自由に使える金額も多いものではない、小遣いの中でのやりくりになるだろう。
毎月1万だ2万だと万単位でもらっている子供など、そうそう多いものではないだろう。
完全無料であれば良い、しかし大半は有料だ。当たり前である。開発するにも金はかかる。都合のいい話ばかりではない。
そんな中で人気のあるソシャゲは、TVでもCMが流されていれば、子どもたちは興味を持つ。
最近では天井を作ってくるようになったが、それでも下手をすれば9万というありえない金額を天井に設定している。
さて、ソシャゲの年齢層はどこをターゲットにしているのだろうか。
ソシャゲの天井は前述したように9万という金額もあれば天井無みたいなソシャゲもある。
天井があるソシャゲは多少良心的だが、10万近い金額で良心的もクソもない。
「普通に20円のスロットをやって天井があるとしても、一般的に5万~6万もあれば到達できる。ソシャゲの9万はおかしいよ」
まして、ランダムで手に入れるキャラなどは欲しいものは手に入らないとしても、似たようなレアなキャラは手に入るのだろう。
そう考えれば…と思ったが、それでも天井の設定額はおかしいと私は思う。
『自制心があれば問題ない』
自制できれば問題はないだろう。間違いない。
しかし、現に天井がないようなソシャゲで10万だ20万だと使い、果ては100万越えというプレイヤーもいる。
おかしいだろう。
いくらそこまで使う人なんて稀だ、といってもそこまで金をつぎ込めるような仕様になっているのは変ではないだろうか。
昨今では射幸心がうんたらかんたらとギャンブル業界でも注意を訴えかけられ、さらに規制が厳しくなり廃れている一方で
ソシャゲは違う。今もどんどん勢いが増している。
課金も1万越えた程度では微課金という。微課金?いや大金だろう???これが普通の金銭感覚ではないのだろうか?
5000円でも多い気がするというのに、1万越えた程度では微課金という扱いに困惑する。
しかし、それが現在のソシャゲというゲームの常識になりつつあるのだ。恐ろしい。
それを当たり前のように展開していくソシャゲメーカーは、どうしても私には良心的なメーカーに見えない。
いくらコンシューマーでのソフトの売上が落ちていく一方だとしても、ソシャゲで荒稼ぎをしていくというスタイルがどうしても良いと思えない。
そして思うのは、どのソシャゲもある程度の表現は違っても同じという所。
ガチャを引いて、レアキャラを手に入れる、レア装備を手に入れる、そして好感度をあげる、キャラと装備を育てる、クエストをクリアする、
デイリークエストをクリアする、ウィークリークエストをクリアする、イベントに参加する。
やることはどのソシャゲも同じだ。
やることは同じなのに、それぞれのソシャゲにユーザーがついていく。
そこには子供も大人も関係ない不思議な魅力が存在するのだろう。
それは良い。
大人に重課金させようという魂胆のソシャゲメーカーが、子供をCMに起用するというのは…なんだかなと思う。
どの時代も子供をだしに使ってメーカーは金を手に入れてきたのは分かる。
もちろん子どもたちに夢を持ってもらいたいという考えでゲームを作ってきた人も少なくはないと思いたい。
しかし、今の時代はどうも金しか目を向けてないメーカーばかりにしか見えない。
メーカーに見えているのは、大人の姿と手に持っている財布だけだ。
もう片方の手につながれている子供の姿は見えていないのだろう。それは悲しい。
何にしても、現在のソシャゲと呼ばれるゲームは大金を使用する事を前提とされすぎている。
自制を持てば良い、大人は子供の管理をきちんと行えば良いと意見する人も少なくはないだろう。
しかし、大人の自制のなさは自業自得としても子供は難しいのではないだろうか。
現在は子供もネットを使うのは当たり前だ。知識をネット普及前以上に情報の正誤は別と手して得られるものが膨大だ。
大人が子供に金銭の使用の抑制をしても、子供はネットで自制を失った大人の課金額を見て羨む。
そこで大人になるとお金も自由に使える…程度なら良…くはないが良いとして、そうではなく自制を失った大人を見て
子供もそれを真似してしまったらどうだろうか。繋がる道は悪事かもしれない。
大人が管理管理といっても、子供はどこからか情報を手に入れてきてしまう。
自分たちが子供の頃にもあっただろう、大人に秘密にしている事が。これは大人が管理できない部分なのだ。
そうして知ってしまった課金を子供が反面教師として理解できれば良いが、難しいかもしれない。
ソシャゲを作り運営する企業は、今一度金銭のあり方を考え、それと同時にプレイヤーも考える必要があるのではないだろうか。
一番良いのは運営側が天井という設定に対しての考え方を変える必要ではないだろうか。
天井額を3万…でも多いが、3万程度とし、月に2回まで天井は可能とする。これでも問題は多いが、少しは緩和されるだろう。
またそうしてしまうことで起こる弊害としては企業収入だったりプレイヤーの育成などの優劣の差かもしれないが、
企業収入に関しては、まず似たようなシステムばかりで構築している部分を改善するべきではないだろうか。
同じようなシステムで作っておいて、新しい新しいという企業の主張は企業としてのゲーム制作能力のレベルの低さを顕にしているだけだ。
ベースから改善が必要だし、これからも使い古しのベースで作るのであれば、その程度の企業しかないということだ。
次にプレイヤーの育成の優劣は、天井だろうが関係ないだろうとも思える。
キャラ自体は多くいるソシャゲが多いのだから、問題はプレイヤーの大半がおおよそ同じような編成になってしまったりするゲームバランスだろう。
結局はゲームシステムがモノを言うのだ。
今の金銭システムを根本から変えるには、そもそものゲームシステム自体から変えていかないと今後も変わらないと思われる。
だとしても、甘い汁をすすりつけた企業が変化する可能性は皆無に等しいが。
何にしてもこのような状況が続いていくと、昨今のように経済状況が芳しくない日本で収入もさして多いわけではないのに
ソシャゲによって身を滅ぼすというプレイヤーが少なからず増えていってしまうだろう。
自制云々のは当然必要だが、自制を崩そうとしているのも企業である。
それは企業としては少々やりすぎではないだろうか?
私は今回の件でそう思ったのだ。
長文乱文で申し訳ない。
荻上チキがラジオで自身の著作リリースにあわせて個人売春=ワリキリの特集をしててさ、彼らしくできるだけ当事者への偏見を生まないように詳細にかつ丁寧に説明してて当事者へのインタビューもあってすごい聞きごたえあった。
こういう感想だったら直接本人のツイッターに送ればいいんだろうけどさ、あれ聞いた俺の正直の感想は「あ、こんなに簡単に素人女とヤレるんだったら俺もヤリたい。出会い喫茶か出会いバー行きたい!」だったから匿名で吐き出すしかない。
ああいうとこで女買うのってバックにやくざの美人局がいたりとか性病が蔓延してるんじゃないかとか漠然と怖い印象があったんだけど、インタビューに答えてた女性の返答きいてたら、むしろそういうヤクザとか第3者に搾取されたくないから自分でやってるって子が多いみたいだし、こっちが普通に紳士的に対応してれば普通にセックスできて楽しめるだけなんだなって好印象が残っちゃったよどうしてくれるんだよチキリン!
女性たちのインタビューで「(客層は)けっこう既婚者が多い」ってきいて納得。俺も既婚者で奥さん大事だけど子供もいてもうセックスするのに興奮も覚えないし相手もあんまセックス興味ないから慢性的なセックスレス状態。あーーーー違う知らない女とセックスしてーーーなーーーって定期的に妄想してる状態。そんな状態のおいらだったのでワリキリ体験がすごい魅力的に聞こえる。相手は10代の若い子よりももうちょい年上のほうがいいので、未成年とセックスして淫行で捕まる心配もないし、あとは性病くらいだけど、あーーーームラムラがたまっているときはマジで一線超えてしまいそう。
老いに対する恐怖ではなく、文字通り「オバさん」という存在に自分がなることが猛烈に怖い。
「あなたは今日からオバさんです!もう若くないですよ!」と定年退職のようにスパッと自らがオバさんであると認識できる仕組みがあるならいい。
でも、オバさんって無意識だ。
すごく尊敬していた年上の友人がいる。それなりに賢くて(賢いと思っていた)理知的で自分の意思がしっかりある人。
小さいことから自らに関係ない世の中のゴシップ、あと「結婚」が異様に地雷のようで、テレビ番組の家族団欒特集やウェディング特集に常に怒っている。見なきゃいいのに。
「こんなことも知らないんだw」と周りに自らの薄い知識を開けかすようになった。
「軽い気持ちで●●を見たら後悔するよ( ;´Д`)」 その作品、割と有名だし、そこで優位に立ったところで誰が得をするのか。
「これだから老害は!」「これだから若い子は!」自分と同じテリトリーに属さない人間をいつだってひとくくりにして批判するようになった。
以前はこんな人じゃなかった、と思う。
少なくとも、楽しそうだった。イキイキしている彼女が、何事にも捉われず自由に生きている彼女が好きだった。
「老害」「新規」を叩き、様々なものを阻害する、まさに「オバさん」だと思う。
現実でもインターネットでも若い人間に異様に物事を教えたがったり、はたまた異様に忌み嫌ったりする割と年配の女性というものは一定数存在する。
自らの界隈ではないので詳細は不明だが、先日とあるベテランアイドルグループの中学生くらいのファンの女性に、デビュー当時からのファンを名乗る女性が長文で「若いファンのこういうところが嫌い。あなたたちが私たちに擦り寄ってきてくれれば私たちはデビュー当時の貴重な映像や音源なんかをあなたたちに無償で提供してあげるのに」といったような文章を送りつけているのを見かけた。
ドン引きした。「ドン引き」という言葉でしか形容できないほど気持ち悪く、まさに「オバさん」的であると感じた。
自らの娘と同世代、下手したら孫世代でもおかしくない子供に対してだ。(しかも中学生くらいの女性本人はマナー違反等をしたわけではなく、「どうして新規が嫌われるのだろう?もっとみんなと仲良くしたい!」といったような純粋な呟きがトリガーとなったようで、彼女はそれを批判するでも煽るでもなく「そうか!こうすれば昔からのファンとも仲良くできるんだ!」とはたまた純粋な気持ちでインターネットにその婆オタクから届いたメールを載せたらしい。気の毒だ。)
そんな純粋無垢でまだわからないことの方が多い若い年齢の人間にムキになって何が楽しいのだろう。
若い子と若くない大人と住む世界が違う、と許容して、攻撃するくらいなら関わらなければいいじゃないか。
短いスカート、ヘアメイク、ネイルアート、派手な洋服。何が悪いんだ、なぜ私たちは私たちの何も知らないただ私たちより年が上というだけのオンナに見下され、「これだから若い子はw」なんて言われなきゃならないのだ。
女子高生は身なりは派手でも、好きなものを着て自分の好きなように生き、自分とは違う人間を怒っている暇がないくらい「自ら」の物語を謳歌している。
私より若いその子たちがとても眩しく、そういった存在を素敵だと思う。
「オバさん」はきっと自らなりたくてオバさんになっているわけでも、批評がしたくて物事を厭世的に見ているわけでもない。
きっと「オバさん」は無意識的に生まれてきて、自らが「オバさん」であることには気づけないのだ。
これが加齢や長く生きていることに対する弊害ならば私は歳をとることが怖い。
そして、彼女を受容することも直接注意することもできずこんな掃き溜めのような場所で愚痴を書いている私自身もまた、「オバさん」への道を少しずつ歩んでいるのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20171023175035
大河ドラマ「真田丸」「おんな城主直虎」みたいなものをポリコレ的な文脈で批判していた増田もあったが、いい加減、ポリコレが欠陥だらけの概念だって気づけよw
(リンク:https://anond.hatelabo.jp/20170822170547)
政治的正しさを厳密に追求していくと、何も表現できなくなるのが当然だ。
ポリコレを用いるとしても、「マナー」程度にわきまえておくのが吉。
マナーは社会を円滑にまわすために必要だし、トラブルを防ぐのにも役立つかもしれない。
秋葉原が会社の近所なので、帰るついでに寄ってきた。自分の立場は現実主義の左派で、護憲よりも生活派(社民党を出て民主党に来た辻元清美や阿部知子を支持する派)で、「枝野立て」とTwitterで期待してた責任もあるし、と思って見てきた。
開始時刻の19時ギリギリに着いたら、かなりの人混みで、どちらに候補が来るのかまったく分からなくて、とりあえずみんなが向いてる方を向いてみた。本日東京は厳しい冷え込みと雨で、途中止むこともあるけれどみんな傘はさしていて、ただでさえ苦手な人混みに加えて隣の人の傘が不快だったので、傘をさすのをやめて濡れながら見始めた。透湿防水生地とはいえ所詮ユニクロ、寒い。
しばらくして街宣車に人が登り演説が始まった。東京2区の松尾さん、枝野代表、東京1区の海江田さんの順に演説は行われた。向いた方向は正解で前の人のビニール傘越しに候補が見える。松尾さんは、TwitterやYoutubeで見てきた枝野演説のエッセンスを短いセンテンスにして繰り返し、聴衆の一部からレスポンスがあった。今までの枝野演説と似た内容なのに、正直あまり響いてこない。立憲民主への追い風がなかったから厳しそうだ。ということを思っているうちに終わった。
次に枝野代表。松尾さんの演説が終わってすぐから聴衆のボルテージが広がっていくのが分かり、登場と共に最高潮になった。演説が始まる。ハナから引き込まれた。松尾さんが単調に主張を繰り返したのに対し、枝野さんの演説には聴衆とのちょうどいい間があった。聴衆に対する投げかけが浸透する時間を丁寧に待つ。マスとのコミュニケーションが非常にうまくなっていた。実は民進党代表選のときに有楽町であった街頭演説会を見ていたのだが、その頃と比べて人が違うのか?というレベルで大衆とのコミュニケーションが改善していた。立憲民主党が出来てからすぐの演説もYoutubeで見ていたが、そこと比べても明らかに改善していて、この選挙戦で一気に良くなったのだろう。
演説の内容については生活左派(今テキトーに作った)としては取り上げて欲しい話ばかりだが、それに加えて安易に約束しない、言い切らないところ、あくまでその方向性でやっていくよという言い方にするところに政権を担当した経験と、出来得る限りの改善を目指す誠実さを感じた。(これは直前の松尾さんが言い切り型だった分余計に感じたところではあるので松尾さんの言い方は直したほうがいいと思う)
その誠実さがあるからこそ、「サービス残業」という言葉がいかにひどい言葉であるか、と枝野さんが言ったときに、自分の中に深い共感が生まれたし、聴衆の反応もすごかった。今、政治家は与党も野党も強い言葉を使いたがっていて、ただ強い言葉を言われてもリップ・サービス感が強く、薄ら寒ささえ感じる。そんな中で普段から強い言葉を使わず、誠実に対応をする枝野さんが強い言葉を使ってサービス残業を否定することにようやく安心する、そんな感覚だ。
演説全体から、こんなにまともな人が政治家をやっている……そして代表の政党がある……ということが初めてなので、マジかよ……みたいな感動があった。
その後は最近の流れ、みなさんが作った立憲民主党というところになり、演説を終えた。枝野コールがあったが、あんまりコールが好きではないのでう〜んという顔で帰るかどうか迷っていた。海江田さんの選挙区は自分の選挙区なのだ。
迷っているうちに海江田さんの演説が始まる。しわがれ声で正直不安になる……おじいちゃん大丈夫?と思っていたらジジイギャグを出してきて笑いを取ってくる。前の二人が笑いとかないタイプだったので、ちょうどいいバランス。ベテランでテレビの経験もたくさんあるから、聴衆とのやり取りも手慣れた物だ。軽妙洒脱なやり取り。しかし、このコミュニケーション強者感が枝野さんの普通の人っぽさを引き出し、ああ代表がこういう人ではなく枝野さんでありがたいな、という気分があった。海江田さんが悪いのではなく、ただリーダーがコミュニケーション力に長けた人ではなく実務を回し、嘘を言わない誠実な人であって欲しいということが確認出来たのである。今回の選挙の主要な党の代表はみな海江田タイプで、安倍首相も小池代表も前原代表もみなコミュニケーション力が優れているが誠実さに劣るタイプ(全体での整合性よりもその時々の場での整合性を重視してしまうタイプ。本人に悪気がないことが多い)で、実生活でもさんざんそういうタイプが上に立つ弊害を味わってきたので、余計に枝野さんのようなタイプが上に立つことへの渇望じみた欲求がある。そして枝野さんが代表だから、海江田さんみたいなタイプも使いみちがあるから安心して票を入れられるなと思った。
さて、ものの見事に枝野さんを別々の方向から引き立てる候補者で、全部聞いて良かったが今後に不安も残る変なバランスの街宣だった。生活左派としては、撤退戦のこの選挙ではなく次の選挙とそれまでの間の方が重要で、つまり代表以外の候補が育たないと、ということなので少し不安だ。
アカウント一つ一つに信頼度ポイントを与えるというのはどうだろうか。
ある程度信頼度がないとカウントされない(数字上はカウントされるけどホットエントリになるための加点にはならない)というシステム。
おそらくこれである程度信頼できるホットエントリーになるとは思う。
少なくとも、大多数の一般的なユーザーには満足されるだろう。特殊な使い方をしている人には弊害があるかもしれないが。
そもそも作ったばかりのアカウントだけで新着に載せられるなんてスパム対策がガバガバすぎる。
とはいえ、このようなシステムが実装される可能性は低い。なぜなら、はてなは裏でスパム業者とつながっている気配があるからだ。
22日投開票の衆院選と同時に実施される最高裁裁判官の国民審査に向け、朝日新聞社を含む報道各社は、審査対象の裁判官7人に共通アンケートを行いました。質問と回答の全文は次の通りです(文意を損なわない範囲で、表現の一部を変えています)。
質問と回答が分かれていて読みづらいので整形した。
参考:国民審査 | 衆議院選挙2017 - Yahoo!みんなの政治
常に中立公正であること。法と良心に従い、幅広い視野から事件に取り組み、考え方の筋道がよく分かる判断をするように努めたい。
適正迅速で分かりやすい裁判をすること。利害や見解の対立する事柄について、証拠と法に基づき筋道立てて判断を示す裁判の役割への期待に応えることが大切だと考えている。
これ一つと挙げることは難しい。医療事件は、事実認定、法律判断、科学的知見の理解、当事者の心情などについて考えを巡らせることが多く、深く記憶に残るものが少なくない。
国のかたちを定める憲法の改正については、国民的な議論を経て国民が判断することであるので、回答は差し控えたい。
具体的な事件を離れて、憲法条項の在り方について見解を述べることは差し控えたい。
議員定数訴訟の判決の中で示した意見のとおりである。具体的な事件を離れて見解を述べることは差し控えたい。
注:14年衆院選の「1票の格差」を違憲状態とする多数意見(15年11月)
具体的な事件を離れて見解を述べること、個別事件に対する見解を述べることは差し控えたい。
裁判員制度は、課題はあるが、おおむね順調に運営されていると考えている。司法の国民的基盤に関わる極めて重要な制度であるので、課題については実証的な検討を重ね、中長期的な構想をもって粘り強く対応していくことが大切だと考えている。
司法制度改革以降、刑事司法は大きく改善されてきたと思う。事実認定については、常に謙虚さと恐れをもって取り組み、誤りのないよう様々な角度から慎重に証拠を吟味することが大切であると考えている。
究極の刑罰である死刑については、様々な意見や議論があるところであり、格別の検討が必要であると考えているが、具体的な事件を離れて見解を述べることは差し控えたい。
かねてよりの懸案事項が立法化されたものであり、刑事司法の適正化などが更に促進されることを期待している。
具体的な政策についての見解を述べることは控えたいが、幅広い素養を備えた法律家が養成され、司法制度を支え、更に様々な分野で活躍することを期待している。
国際取引事件、家事渉外事件をはじめとする国際的紛争事件に円滑に対応するためには、手続き的整備のほか、裁判所における人材の育成、専門集中部などの処理態勢の整備を図ることが重要であると考えている。
裁判も一種の情報処理作用であるから、情報処理革命の外にいられない。法的手当て、関係者の発想転換などが必要になるが、情報伝達、情報の整理検索などの切り口から従来方法の思い切った見直しを図ることにより、アクセス、迅速性などが大きく変化するであろう。
若いスポーツ選手、棋士たちが伸び伸びと活躍していることを頼もしく、うれしく思う。理不尽な事柄に対しては、感情によるより、事実を見つめて捉えるようにしている。
好きなことは、読書、速歩による散歩、総菜作りなど。好きな言葉は「初心忘るべからず」。市井に生きた両親への感謝と尊敬の念を忘れることはない。
コリン・パウエル氏の「マイ・アメリカン・ジャーニー」。パウエル氏の軌跡からアメリカの社会構造を興味深く感じ取ることができた。
当事者に主張立証を尽くす機会が与えられ、裁判所が適正で公平な審理判断をしたかという観点から原審までの手続き・判断を先入観なく審査したい。上告理由など該当性の判断と結果の妥当性とのバランスや従前の判例との整合性など、上告審、法律審としての判断の在り方に難しさを感じている。
納得性の高い審理に基づき、分かりやすい理由を示した適正で迅速な裁判が行われ、その内容が社会一般の正義の観念にも合致するものであること。傍聴して内容を理解できる分かりやすい審理・判断をすることが重要であり、最高裁で行われ始めた判決理由要旨の告知などもよいことだと思う。
任命後半年余りに過ぎず、無我夢中で事件に取り組んできたというのが正直なところであり、まだ記憶に残る事件を申し上げられるだけの経験がない。
最高裁判事の任命の在り方などについては、最高裁判事の任命権が属する内閣において検討される事柄であるので、お答えは差し控えたい。
憲法改正は、国会による発議と国民投票によるものであり、司法権に属する立場から個人的な意見を述べることは差し控えたい。
諸情勢が変化する中で憲法9条を巡り様々な議論があることは承知しているが、司法権に属する立場から個人的な意見を述べることは差し控えたい。
具体的な事件の中で判断を示すべき事柄であるので、回答は差し控えたい。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
高度な科学技術を用いたシステムの効用とリスクや社会的許容性の的確な判断は困難だが、中立公平な姿勢で双方の意見に耳を傾け、多角的な判断をするよう心掛けたい。
長期化は証人らの記憶の減退、被告人の身柄拘束の長期化などの弊害を招く。法曹三者が具体的な長期化要因を分析・共有し、改善策を協議することが重要。辞退率上昇の原因は様々だと思うが、法曹三者は、審理期間、審理・判断の難易度、心理的負担感等、裁判員の負担感を軽減するための努力が重要。
誤判はあってはならず、裁判官は、虚心に被告人の弁解や証拠を精査し、わずかな疑問点でも納得するまで解明する姿勢を堅持しなければと自戒している。
死刑制度の存廃は国民の間で様々な観点から議論されるべき問題であり、司法権に属する立場から個人的な意見を述べることは差し控えたい。
新制度の下で得られる証拠が事案の解明に効果的であればあるほど、証拠としての適格性や信用性の判断も一層慎重に行わなければならないと考えている。
法科大学院の教育の更なる充実を図るとともに、プロフェッションとしての法曹の価値に対する社会の評価を高め、需要の裾野を広げることも重要。
国際感覚を身に付け、事案に応じて外国の法制度、文化、生活様式、価値観などを適切に考慮した判断を行うことのできる裁判官の育成が求められる。
電子手続きは、裁判所へのアクセス負担を軽減する等の効用が期待できるが、当面はコストに見合う利用と効果が期待できる分野から始めるのが現実的。
うれしかったことは、1968年メキシコ五輪の年に100mで10秒の壁が破られてから49年後に日本人も10秒の壁を破ったこと。体格差を考えると偉業。腹立たしく感じたことは、歩きスマホ、自転車スマホの人とぶつかりそうになった時。本人も危ないが、相手に負わせるかもしれない被害を想像してほしいと思う。
鉄道趣味全般。古い車両に乗るのが楽しい。健康維持で始めたウォーキングは10年になり、街歩き、街道歩き(ゴールは遠い)も楽しんでいる。小学校から高校時代の恩師の中には人間形成面で重要な影響を与えてくださった方がおられ、折に触れて思い出し、感謝の気持ちを新たにしている。好きな言葉、座右の銘は、「一隅を照らす」。どんな仕事でも受けた以上責任を持って行わなければならないという戒めとして。「一度に一つずつ」(One thing at a time)。トム・クランシーの小説の中で主人公が緊迫した状況で出る言葉で、仕事が交錯して煮詰まった時の呪文として。
少し前に読んだものであるが、鎌田浩毅著「地球の歴史(上)(中)(下)」(中公新書)。地球46億年の歴史がコンパクトに記述され、億年単位の長いスパンの地球の活動の前では人類は微小な存在であることが素人にもよく分かる。