2017-12-04

研究者として生きていない者が研究に携わるのは不幸

ITとは無関係な分野で修士号を取ったが、今は中堅SIerにいる。

私としてはIT業界で生きていくべく就職したのだが、私の存在修士時代の共同研究先に知られていたのが運のツキであった。

共同研究先は弊社に研究仕事発注した。もちろん弊社に当該分野の研究ができるのは私しかいないので、私は名指しで指名された。弊社はそれを引き受けた。

研究に舞い戻ることになってしまった私は、日に日に心を病んでいった。

元々は研究が好きなはずだった。博士号を取ろうか悩んだくらいだ。でも弊社で研究するのはひたすらに苦痛だった。

毎日地獄のような徒労感を味わっていた。私の時間はどぶに捨てられていると思った。研究の進展とかどうでもよかった。何もかもが私にとって無意味だった。

ある日、お客様論文を書くということで、私は共著者に誘われた。共著者とかすごくどうでもよかったのだが、そのときお客様が言ったのは、

論文履歴書に書けるから

だった。

正直、何を言っているんだこいつは、と思った。

IT関係論文ならまだしも、こんな分野の論文履歴書に書けるわけがない。というか書いてもいいのかもしれないけど何らのメリットがない。だって私はSEから

これが私の不毛感の原因だった。

私は研究者じゃない。研究者としてのキャリアを積んでも何一つメリットがない。どんなに頑張っても何も報われない。何本論文が出たって、研究成果が認められたって、すごい研究者だと誉められたって、SEである私にとっては無価値

いや無価値どころか弊害さえある。私はこの地獄から逃れるためにまもなく転職するのだけれど、転職活動中は職務経歴書に何も書けなくて苦労した。私が過ごした研究の日々は、我々の業界では空白に等しいのだ。

生粋研究者である人にはそんなことはわからないのだろう。無邪気に「履歴書に書ける」と信じているくらいだから、あの研究の日々が私にとっても価値あるものだと疑いもしないのだろう。

研究者でない者が研究をするという状況がどれくらいの頻度で起こるのかわからないが、本人に研究者になるつもりがないのなら間違いなく不幸だ。

SIerに入ったことが不幸の始まりな気もしないでもないが、ともかく20代の貴重な時間無駄にしてしまったので、次の会社では挽回したい。

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