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はてなキーワード: 夏休みとは

2022-12-19

anond:20221219230325

地方小学校ちゃらんぽらんな子でも小5までには検索エンジンデータマイニングリレーショナルデータベースに関する論文とか雑誌読破してるし、OracleMicrosoftGoogle夏休み有給インターンは当たり前。それができてないとネグレクト疑われるな。それが最近小学校

面倒くさい病で助かった

二度結婚したが二度とも結婚式をしていない、面倒くさい

他人冠婚葬祭はできるだけ出たくない、面倒くさい

小学3年生から夏休みの宿題を出したことが無い、面倒くさい

夏休み明け数日督促され叱られるが、諦めてくれるのを待つほうがコスパ高い

そんな人間からワクチン接種券が届き説明書を眺めていたら目眩がした

予約して会場行って注射を打てと、自宅まで来てくれないのだ

超絶面倒くさい

だがさすがに命には代えられない

面倒だが説明書を読み進める、専門用語だらけで頭の悪い俺は内容が理解できん、クラクラしてきた

 

俺はある行で躓いた

「本ワクチンの成分に対し重度の過敏症の既往歴のある人」

 

意味わからん

文字通り解釈するなら既往歴が無ければ良いわけだが

仮に俺がその成分に過敏症があり、今までたまたまその成分を接種したことがないか顕在化しなかっただけで

今回このワクチンで初検証をする、という事になるのか、いやだ怖い

成分を見る

 

トジナメラン、

ALC-0315:[(4-ヒドロキシブチル)アザンジイル]ビス(ヘキサン-6,1-ジイル)ビス(2-ヘキシルデカン酸エステル

ALC-0159:2-[(ポリエチレングリコール)-2000]-N,N-ジテトラデシルアセトアミ

DSPC:1,2-ジステアロイル-sn-グリセロ-3-ホスホコリ

コレステロール、塩化カリウムリン酸水素カリウム塩化ナトリウムリン酸水素ナトリウム水和物、精製白糖

 

うんわからん

かろうじて分かるのが塩化ナトリウム、塩だろ?

塩化カリウムも具体的にどの食品に入ってるか意識したことはないがミネラル一種か?しらんけど

たぶん食うたことはあるだろう、食うのとダイレクトインは違う気がするが面倒なので考えるのはよそう

かい事は気にしない

コレステロールもなんとなく大丈夫な気がする

精製白糖?わからんなんやそれ

 

トジナメランとかALC-0315に過敏症があるかとか聞かれても知らんがな

既往歴が無ければいいんだと

あったらどうするんだ、誰が責任とるのだ、残された家族はどうする

 

仮に接種して死んだ場合補償してくれるらしい。

家族は安泰、4000万円くれるんだとか、ぜんぜん安泰ではない。

 

相談電話番号が書いてあったので聞いてみた

これらの成分がなんであるのかすらわからず既往歴を判断しようがない事前にアレルギー検査できんか

 

回答を要約すると、「そんな事気にするな、嫌なら打つな強制はしていない、事前検査などしない」

 

。。。。。

 

どうすればいいのだ、俺はコロナで死にたくない、ワクチン打ちたいよー

だがリスク不明ものを体内に入れたくない

激しいジレンマ

 

ぴこーん、そうだ、様子見しよう

みんな打って実験すれば副作用効果は見えてくる

過敏症が沢山報告されたら政府対策するだろ、接種前に各成分のアレルギー検査ができるようになるとか

 

いやいやいや、それ以前に接種したら感染しないらしい

まり集団免疫でありウイルスは行き場を失い封じ込められる

あっという間にコロナ禍が終わるらしい

 

みんな打ってくれれば俺一人くらい打たなくてもよくね?

うひひひひ

 

2021年秋頃には一気に接種が進み、さぁコロナ禍は終わるぞと眺めていた

あれ?

あれれ?

 

2022年突入、謎の感染爆発が起きて未接種者が糾弾され始めた、肩身が狭い俺。

未接種はこの世で俺一人だと思ったら同類偏屈国内だけで数百万人

なに拗らしてんださっさと打て、ボケ

 

街行く人が白い目で俺を睨んでいる気がする

マスクをしていないせいだろうか、わからん

家族からも「意固地にならずにさっさと打ちなさい」と叱責、辛い

夏休みの宿題を出さなくても怒らなかった優しい母親である

妻は呆れてなにも言わない。

 

(ちなみに高齢両親の接種予約は俺がしてやった、PC2台スマホ2台を駆使し市の一般高齢者接種開始の初日分で2人分ゲットしたった

ドヤ顔で打ちに行ったそうだ、接種会場で予約は無いが打たせろとゴネてた老人がいたと嬉しそうに語っていた、その後周りが予約すら取れず混乱とパニックの中、一抜け自慢ドヤって周ってたらしい、可愛い

 

発熱外来救急で運び込まれるのはほとんど未接種者だと報道があった。

厚労省統計を見ても発症重症、死亡、殆どが未接種者

やばいやばい、俺死んじゃう

ワクチンはやっぱり効くのだ、こうしてはいられない

面倒くさいが予約し、インクの出るペンを探し、接種希望書にレ点を書き込む超面倒くさい作業をして

クソ面倒くさいが徒歩1分の病院に行って、ダルい問診を受けて、痛い注射してもらい、黙って5分間待機してトボト帰宅するのを二回我慢するだけで死なずに済む

面倒くさい言うてる場合ではない、命だぞ命

 

と思ったが寝たらどうでも良くなった、まぁたぶん俺は大丈夫根拠は無いけど、

面倒くさいが勝った

 

だって打てるなら打ちたいが面倒くさいのだ。

なぜそれがわからん

自宅まで来てくれて各成分のアレルギー検査して安全確認され、打ってくれて、

数日間経過観察に付き添ってくれるなら打ちましょう

なんでそんな事がわからんのか

政府も俺みたいなダメ人間を手厚くサポートすべきではないのか

こんなアホみたいな理由で打ちたくても打てない人間がいるのだ。

国家に切り捨てられた孤独感に苛まれる。

 

面倒臭い症候群病気だ、俺が悪いのではない、脳のどこか、何かが壊れているのだろう

えーんえーん

 

と思っていたら案の定2022年の春に感染発症した。

家族全滅

抗原検査で二本の赤い線がくっきり、はいアウト。

3ワクの妻、ノーワクの俺、3歳の息子(当時はまだ打てない)、ちーん

ほぼ同日で症状も同じ

 

金曜日の昼に軽い自覚症状があった、あぁこりゃかかったな、俺死んじゃうな

気休めに葛根湯を飲んで寝た。

 

俺の感染がわかっているのに息子を保育園に入れておくわけにはいかない、妻に仕事を切り上げてもらい引き取りにいってもらう

てか妻もしばらく休まなきゃしょうがない

この時点で息子は平熱(高め)だった、妻平熱、

土曜日の朝、息子微熱、抗原検査アウト

息子はミャオーみゃおーと叫んでいる、幸せそうだな奴

だが息子よ、パパは余命いくばくも無い、面倒臭がって未接種のまま発症した愚かなパパはもすぐ死ぬ

ワク信のママと二人で強く生きてくれ、キミを育てた三年間は最高に幸せだった、ありがとう

なんて妄想しつつ、土曜日の夜に39℃まで上がり、記憶T細胞キラーT細胞、B細胞の発動を確認

予め準備していたカロナールを飲んだ。

普段薬を飲まないのですぐに効く、37℃後半まで下がる

だがすぐに上がり始める、39℃を超えなければ良かろう、体が痛いが我慢する

我慢するのはキライなのでカロナール追加。

 

喉が痛いのではちみつ舐める

息子は3歳だが大丈夫だろうか、はちみつダメなんだよな、喉が痛そうだが、まぁ我慢せぇ

走り回っているか大丈夫だろ、咳しながら俺のベッドで飛び跳ねてる、アホだ。

飛び跳ねるなと叱りつけるとジャンプ力がアップする謎のシステム

日曜日感冒症状がほぼ消える、息子は平熱でピンピンピョンピョン。

暇だ遊びに行きたいとゴネる。状況がわかってない、ヤレヤレ

妻は38℃ちょいでカロナールを飲みまくってる、愚かな。まぁ好きにせぇ

 

月曜日の朝には俺と息子は「コロナ?なにそれ食べ物?」完治、

超絶ホワイト勤務先から司令、10日間特別休暇だから会社出てくるなと

からフルリモートじゃん、モリモリ元気な10日の休暇をゲット。

バカ息子が公園に遊びに行きたいとゴネる、アホかと、キミの口から膨大な毒毒ウイルス放出されている

1週間は自宅待機である

説諭したものの、パワー溢れる3歳児、説得は不可能。人がいない秘密公園を知っているので連れてった

桜が綺麗だった。

時間遊ばせ自宅に戻ると瀕死の妻がいた。

ちなみにブースター打ってから1週間目である、効いてねぇじゃん

おかゆを作る、生姜たっぷり入れてやるが発熱したら解熱剤飲んじゃうから意味ねぇよなぁとか思いつつも

そこは愛である

まぁ翌日には治っていた。

 

なんやかや、その後息子は幼稚園入園

夏頃だっけ?厚労省データ捏造が明らかに

接種者の方が発症率も死亡率も高いとか、なんやそれ

 

息子の白組さんはパンデミック学級閉鎖があったが息子はノーダメージ

家族全員後遺症も無く幸せな日々。

 

夏が過ぎ、秋が終わり、もうすぐ2023年

年明けにはワクチンを打ちたくても打てなくなるらしい

あら残念、打ちたかったなぁ

2022-12-17

『あの時好きだった子の結婚式』のダメージ、でか過ぎて息ができん

時間は止まらない。ハレルヤ・チャンスは来なかった。一度だけスポットライトを眩しく感じて、もしかして、と、一縷の希望を抱いてみたりしたけれど、キザなシルクハットの初老妖精が私の前に現れることも、テーブル芽キャベツを摘んで飲み込み、私の過ちを揶揄することも、「後悔しているか」、と問われてどうしようもなく狼狽える瞬間も、ついに空想のままで終わった。当たり前だ。

彼女は数少ない私の貴重な友達の内の一人だった。そしてそんな私とは反対に、彼女にはたくさんの友達がいた。学生時代というのはこの世で最も尊く煌めいて、同時に最も残酷な数年である特に女の人生にとって。

女の子は可愛ければ自然友達ができる。綺麗な女は同性の好意さえ簡単に集める。綺麗でなくては、女の子特別にはなれないのだ。というのは、私が散々惨めな高校生活を経て脳裏に刻み込んだ偏屈極まる私見である。器量が悪くても幸せな女など無限存在していることに薄々いや割合はっきり勘付きながら、私はなんとブスであることに諦めがつかないとんと哀れなブスだった。要するに学校で一番痛ましい存在である悲劇はブスに生まれた所からではなく私だって美人になりたいと望み始めたところから始まる。一軍になりたい二軍、美人になりたいブス、男にモテたい喪女、目立ちたい陰キャ…………。

そんな救いようのない私の目前に彼女はまるで天使のごとく現れた。今で言う「たぬき顔」みたいな甘たれた顔立ちで、柔らかく日焼けしたセミロングの髪を緩やかに編んで両耳の下から下げ、私より背が高かった。本当にかわいい子だと思った。入学と同時にバスケ部に入部し、放課後はいつも臙脂色ハーフパンツを履いていた。

私の何を気に入ったのか知らないが、彼女は私に本当に良くしてくれた。二人で写真を撮ってくれたし、連絡もマメに取り合った。ビタミンカラーペンケースは色違いでお揃いだった。勉強で多数の上に立つことにしか一生懸命になれない私だったが、彼女に誘われればテスト前だろうと遊びに出かけた。

当時の私は所謂一軍グループに属することしか考えていなかった。そしてその野望は結論から言えば5割方は達成されていた。要するに、キラキラグループには入れたが当然自分自身キラキラにはなれず、なぜか一軍にいるぱっとしない子、という塩梅にそれでも自分立ち位置にそれこそしがみつくようにして生きていた。自分自身の最も忌むべき点は、身の程知らずに一軍になりたいと望んだことより、そこにいる友人たちをステータスしか捉えていなかったことにある。

7人グループは8年の時を経て解体し、彼女の式に呼ばれたのは私を入れて3人だった。

彼女と遊ぶとき、私はいつも憂鬱だった。

何人かで約束した日は良かった。でも二人きりの日は不安だった。なんのために私と二人で会い、何を求められているのかまったく不明だったからだ。私にとって、彼女かわいいというだけで彼女を好く理由は有り余るほどにあった。だからその逆が本当にわからなかった。けれど、顔を見れば不安は消えた。彼女はいつも本当に楽しそうに笑う。

好きな人がいるの、と、仲良くなってすぐ彼女は私に打ち明けた。あいつに可愛いって思ってもらえたら、他の誰に思われなくても構わない。校外学習に行くバスの中でひっそりと告げられた声の温度も、一緒に口ずさんだ阿部真央の曲も、午後3時半頃のあつい夕日も全部はっきり憶えている。

私も気になる人がいる、と、口から出まかせのように呟いた。そうしないと彼女がどこかに行ってしまう気がした。彼女好きな人がいたから、私にも男の子必要だった。彼女と恋話をするために必要だった。クラスメイト脳内で全員スキャンして一人の名字を口にした。彼女のくりくりしたタレ目がおおきく見開いて、絶対いいよ、とひどく嬉しそうに笑った。

咄嗟名前を上げた男の子ホームベースのような顔の形がバスの前の方に見えていた。彼女の「絶対いいよ」、を聞いて、私もなんか、そんな気になった。

同じ教室で過ごしたのはたった一年のことだったが、その後の文理選択教室棟ごとクラスが離れたあとも、彼女と私の友人関係は変わらず続いた。休みの日には二人でカラオケに行ったし、相変わらず毎日のようにラインも続けた。何でも話せるふたりだった。けれども、いつまでたっても彼氏ができない私に気を遣ってか、いつしか恋愛の話だけはしなくなった。

高校3年生の頃、私が隣町から通っていたその市で一番のお祭りに一緒に行こうと誘われた。テレビ取材もくる大きなお祭りで、5月連休という時期的条件もあり、受験の年を迎えた同級生たちが最後の楽しみにと、こぞって一番の関心を寄せるお祭りだった。その高校生にとって特別な1日に、彼女はどうしてか私を選んだ。彼氏でも気になる人でも他の多くの華やかな友人たちでもなく、私を。やはり意味がわからなかった。

彼女がお揃いにしようと言ったから、一緒に服を買いにいった。その頃の私は醜形コンプのまさにピークにいて、服屋の商品に触れるときすら手が震えた。それでも、明るい彼女に悟られたくなくて我慢してひょうきんに振る舞った。

当日のことはよく覚えていない。彼女が知り合いとすれ違って挨拶するたび居た堪れない気持ちになっていた気がする。その日もやはり最後まで、彼女がどうして私なんかといたかったのか、ほんの少しもわからなかった。ただ、群衆を避け、駅前の寂れかけのイオン屋上で見た小さな花火だけはなんとなく覚えている。幼い日の名残りか、彼女はいつまでもその建物ダイエーと呼んでいた。いつ行っても盛れないプリクラ機のある小さなショッピングモールだった。

いいのか、と問うと、いいのだと答えた。疲れたからいいよと。彼女にとっては、十数年住んだ街での最後祭りだった。それなのに、小さな花火でいいと言った。暗がりの中の少し眺めの顎先まで好きだった。

長く続いた私達の友情がぷつりと途切れたのは大学入学してすぐのことだった。互いに遠く地元を離れたあとも私達はまめに連絡を取り合っていたと思う。夏休みに私が彼女の家まで行き、二人で遊園地に行った。例のごとくおそろいのワンピースを着て、髪を染めてまた綺麗になった彼女はとても目立っていて、キャストによく声をかけられた。それっきりだった。

その後私は整形をし、地元に顔を出さなくなった。加えて、正しくいなくても済む大学での人間関係に夢中だった。何より、また性懲りもなくその内の一人のことをしごく特別に感じていた。その子もまた、私には釣り合わないくら可愛い子だった。

たまにインスタで見る彼女はやはりあの本当に楽しそうな顔で笑っていた。気がつけば同じ高校の別の友人とおそろいの服を着て旅行していることもあった。もしかしたらそこにいたのは私だったかもしれない。そういう写真を見るとき、私はいつもそういうことを未練がましく考えた。自分から手を離しておいて全く自分本意な話である。けれども横に写っているのは私達の高校で一番かわいかった女の子で、その方がずっと彼女釣り合っている気がした。

彼女から招待状が届いたのは、それから数年後、すっかり社会に出て2年が経つ頃だった。

式は、まったく素晴らしいものだった。

私のイメージにあるステレオタイプな挙式とは全く違って、カジュアルで、愛に溢れ、来てくれるすべての人に楽しんでもらおうという新郎新婦の人柄がこれでもかというくらい詰め込まれた温かな数時間だった。遊び心とホスピタリティに溢れ、ほんのひと時も漏らさず楽しめる、本当にいい式だった、と、思う。円卓に集められた同じ高校の友人たちは皆美しく、ドレスの中で綺麗だった。

数名の友人代表が立ち上がり、彼女のために手紙を読んだ。どの子もとても綺麗で、どの子も同じように泣いていた。泣いていたのだ。チャペルのドアが開いた瞬間、披露宴に現れた瞬間、新郎が亡き父親手紙を読む瞬間に、その場にいる大勢が泣いていた。

ついに私は親友にもなれず、それでもなぜかここに呼ばれて、のこのこ顔を出しては無理に笑って突っ立っていた。

ありえないほど似合わないドレスに妙な頭に、他の友人達とはとてもじゃないが釣り合わない不器量な面構えで、たった一度も笑顔で手を振る花嫁の目を見れないまま。

久しぶりに会いたくて、と、彼女電子招待状と一緒に添えてきた。思い切って招待状を送ったのだと、だから、こ断ってくれても構わないのだよ、と。

そういうところが好きだった、私の臆病も偏屈も一息に飛び越えてなんでもないような顔で笑うあなたの、正しいところが好きだった。数年言葉をかわさない友人を、同窓会キャンセルするような私を、逢いたいと言う一言で誘ってくれるような貴方のその身軽さが、屈託のなさが、あなたのことが好きだった。

"嬉しいときは私より喜んで、悲しいとき自分の事のように泣いてくれる"

名前も知らない友人代表は立ち上がってそう読んだ。

知っている、と思った。

知っている、そんなこと。だから好きになったのだ。そういうあなたから、私はあなたを好きになった。

もしも私が男だったら、と、百万回近く考えた。もしも私が男なら、私はあなたと付き合いたい。

本当は違った。本当は、女のままでも、私のままで、私はあなたと添い遂げたかった。真っ白なドレスを着たあなたの、あなたの立っているのは私が良かった。スポットライトの当たるソファに私と一緒に腰掛けて、私の物語に泣いて欲しかった。

名前の知らないたくさんの参列者が、かつて同じ制服を着ていた友人達が、あなた幸せを願って涙する中でたった一人わたしが、私だけが、私のためだけに泣いていた。あなたのことが好きだった。たった一つ、その気持ちだけで泣いていた。ピンクグレーのカクテルドレスに身を包んで笑う、彼女世界一綺麗だった。

性格の悪い私は、あわよくばこれを読んでくれないだろうかとさえ思っている。ほんの小さな爪痕でも残せたら。

それでも、正しい彼女ははてぶなんて見ない。だからこのまま私の恋はここでゆっくり死んでいく。

祝儀袋に手紙を入れた。マナー違反かもしれないが、知るかと思ってぶち込んだ。「あなたのことが大好きだった」「今も、そしてこれからも」

大好きだよ、愛してるよ。

高校時代彼女はよくハグをしながらそう言った。大好きだよ、愛してるよ。

何でもないことのように付け加えた、大好きの意味はきっと伝わらない。それでも、私はあなたが好きだった。今も変わらず、好きだった。

2022-12-13

印鑑無断使用ってバレないものなのかな?

一応犯罪だが、気になったことがあるので書く。

私は、修士課程のころ、指導教員印鑑勝手に買って使ったことがある。

他人印鑑勝手使用することは有印私文書偽造罪と立派な犯罪だが、なぜかバレなかった。

卒業からかなり経った今も全く何の追及もない。

しかしたら印鑑無断使用ってバレないものなのかな?

きっかけと経緯

その研究室は、専攻分野の中でも際立った研究をしており、かなりの実績を出していた。

担当教員もかなり力のある人物で、設備も充実していたことに魅力を感じた。

研究テーマも、他の学生と全く異なるものを任せてもらい、やりがいもあるだろうと思っていた。

そこで論文執筆国際学会発表をたくさんこなして博士課程まで進み、アカデミックに残りたいと思っていた。


だが、研究室に入ってすぐ、そんなことはできるわけがない現実に直面した。

まずコアタイムが厳しく、コアタイム外のゼミ会が毎週あったり、それ以外の時間暗黙の了解で残らせるところだった。

夏休み学部生が1カ月以上あるのに対しこちらは長くて1週間、春休みはなし。

書かれていないことは暗黙の了解に過ぎないと無視していたら、指導教員直々に「お前やる気なさすぎ」とまで言われた。

雑用当番や研究室行事も頻繁にあり、ただですら研究疲弊しているところに追い打ちをかけるようだった。

また、研究室が優秀ならメンバーも非常に優秀ですぐについていけなくなった。

そんな中、研究成果をうまく出せず、指導教員に叱責される毎日を送っていた。

指導教員は言うことが頻繁に二転三転するうえ、こちらの意見は全く聞き入れられず、ストレスが溜まっていった。

うまくいかない実験に関しこちらが改善案を出しても一切認めず、ただやり直せと言うのみでにっちもさっちもいかなくなった。

学生相談制度で別の教授と会ったときも「ここまで緩い研究室すら無理なら退学すべき。就職も今は人物重視だから問題ない」と言われた。

学内相談員も同様に、遠回しな言い方ではあったがやたらと退学を勧めてきた。もしかしてそういう校風だったのだろうか。

そしてある日、ついに限界を迎えてしまい、半ば喧嘩別れの形で研究室を飛び出してしまった。


その後は好きな講義を受講するなど学部生に準じる生活を送っていた。

ところで、私は学内で国際教養認定するプログラムに入っていた。

それは対象講義いくらか受講し、さら留学すると大学から認定証とともに国際教養お墨付きがもらえるというものだ。

もちろん国家資格とかじゃないからこれで食えるわけではない。ゆく先々話のネタにはなる程度だ。

そんな中、ふと留学プログラムのお知らせがメールで届いた。

ちょうどお金もたまっていたのでそれに応募しようと思った。


しかし、大学院生は何をするにも教授許可がいる。授業の履修だけでなく休学・退学ですら例外ではない。

もちろん留学にも指導教員許可必要で、願書には指導教員の記名押印をもらう必要がある。

しかしその時の私は指導教員と仲違いしており、のこのこと研究室に出て「ハンコ下さい」なんて言うわけにもいかなかった。

実際、これまでのことを謝罪しに行ったことはあるのだが、取り付く島もなく追い返された。

となるとどうにかして印鑑を押してもらったことにするしかない。

研究室へ行くとバレてしまう。ならば指導教員と同じ苗字印鑑を買って押すしかない。

ダメで元々店に赴くと、かなりメジャー苗字から簡単に入手できた。

指導教員名前Wordで印字し、買った印鑑を押したら問題なく受理された。

(後で知ったが「記名押印」は印鑑さえ押していれば氏名は印字やハンコでもOKだという。氏名も手書き必要なのは署名捺印」)

なんとなく犯罪意識はあったが、これしか選択肢はなかった。

申し込むとすぐに「学内選考合格。返済不要奨学金付きで先方に推薦するので応募手続きを進めるように」という返事が来た。

そのまま応募手続きを進めたところ、留学先による選考にも合格してしまった。

ちなみに、一番大変だったのは英文履歴書と志望理由書の作成だった。インターネットで調べて何とか出来たが。

留学担当部署合格を報告すると、選考だけでなく留学にあたり書く申請書にも指導教員印鑑必要だとわかった。

ここまできて引き返すわけにはいかないが、同じことをすればいいので良心の呵責はなかった。

なんでバレなかったんだろう?

こちらの行動がバレるきっかはいくつかあったが、追及は全くなかった。その原因を考えてみたい。

まず印鑑を使った段階についてだが、これは簡単だ。印鑑を買って押したところは目撃されていないのでわかるわけがない。

書類受理した側についても、建前上指導教員許可必要としているが、実際は印鑑の有無を事務的に見るだけだからだ。

銀行ではないのだから印鑑登録をしたり、その真正性の判定や所有者への確認はしない。

もし不備が見受けられるのなら書類を突き返して作り直しを命令するだけでよい。

受理された後も、書類関係する諸手続きしか用いない。つまり用が済んだら即時破棄が普通だ。


そこで一番バレる原因になりそうなのが教授会だ。

国際教養プログラム担当教員によると、プログラム修了認定の議題を教授会に出したという。

となると、配布資料または口頭で私の名前が出ており、それを指導教員認知しているはずなのだがなんの追及もなかった。

不思議に思ったので原因をいくつか考えてみた。

私としては、ありそうなのは順に③、①、②だと思う。

①国際教養プログラムの参加には指導教員許可不要と思っていた。

かに指導教員許可を要する物事は数多く存在するが、そうでないものも多い(証明書の発行、通学定期の購入など)。

従って、国際教養プログラム参加には指導教員許可不要と思っていた。

当然、私が無断でやったことにも気づいていない。

印鑑無断使用含め、私が不正行為に手を染めていたことに気づいていたが追求しなかった。

講座の受講や留学には指導教員許可として記名押印が必要である

指導教員許可などした覚えがないのに私が勝手に受講を始めてプログラム修了まで至っている。

となると、私が何らかの不正方法で事を進めたに違いない。

しかしながら、それを立証する証拠がない。留学の応募書類などを開示してもらうことはできるがこれでも立証は難しい。

(なお、卒業生については事務局学位単位の修得状況だけ保有し他は破棄するため、現在教員による立証は不可能)

私を呼び出して話を聞こうにもいくらでもすっとぼけられてしまう。教授会の開催も私の修了間近と追及する時間的余裕もない。

もし事前に立証できているなら、学科内のエライ教授に話をつけて懲戒処分に持っていけるはずである

とはいえ、私がこんなことをしていようとも指導教員自身研究室には何の実害もない。

それに、ヒエラルキーの非常に強いアカデミック世界だ、こんな不確かなことで騒ぐのはもったいない

下手に騒いだせいでお偉いさんに目をつけられるとキャリア台無しだ。

特に、私を大学から追い出さないといつまでも居座られる。ならば研究成果が不十分でも修了判定を出すしかない。

(一応、学生放置することで在籍可能期間を満了させて除籍に持ち込むことはできそうだが、問題になるのだろう)

そもそもこの話題に興味がない。

大学教員は如何に予算を取ってきて研究成果を出し出世するかが大事

こんなことどうでもいいし、私がやったことについて調べるのも面倒。

余談・その後

書類申請がうまくいったので留学へ出発。楽しい留学ができた。

帰国後は残りの単位を修得し、国際教養プログラム認定要件クリアした。

学内カウンセラーの方に仲裁してもらい、無事研究室にも戻れた。

研究室には指導教員とは別にもっとエライ教授がいたが、私が不在にしている間、何の前触れもなく退職した。

私以外のメンバーにも退職日や理由などを事前に知らされなかったそうだ。

そういえば私が研究室に入る前、その教授は「近い将来指導教員を独り立ちさせる」と言っていたので、それ絡みだろうか。


研究室に来なくても研究を進められるようになった。連絡は口頭でなくチャットソフトを使うことになった。

研究生活面、あらゆることでこちらを詰めてきたはずの指導教員対応事務的になった。

今までは研究報告でさんざん貶されていたところを、提出したらすぐに「よいと思います」と言われるようになった。

高圧的に命令してきたところが、丁寧語提案するような口調になった。

「どんなことよりも研究を優先せよ」だったのが、「やりたいことがあるならそちらを優先した方がよいです」と言うようにもなった。

ただ、「発言が二転三転する」と言われたのが心外だったのか、何度も「研究ですので変更もありえます」と言うようになった。

発表資料も何度も突き返されたところを、指導教員が大枠を作り、こちらはデータだけ書き加えればよいことになった。

雑用当番やゼミ会、研究室行事免除となり、学部生に準じる夏休みももらえた。


研究は順調に進み、要件もすべて満たし修了できた。

修士論文は序論として先行研究に続いて自分研究背景をまとめ、あとは研究報告書を要約していけば完成した。

その代わり、

・私の研究ポスターや発表実績を外部(研究室ホームページ研究棟の廊下など)に公開しない

卒業アルバムの撮影は私抜きで行う

・修了間近に私のデスクを片付けに行ったら、そこが荷物置き場になっていた(最も、研究室を飛び出す前からよくこうなっていたが)

など、私をいなかったことにしたいようだった。


学位記授与式を過ぎ離籍しても、就職先への出社日前日まで研究をさせるところだったが、私は修士論文を出した時点で解放された。

(本当はこれ、部外者研究従事させているので万が一のことがあった時を考えるとマズいことなのだが…)

結局、修士学位記と認定証、そして「修了おめでとうございますさようなら」とそっけない言葉をもらい大学から去った。

(なお、博士課程については、1年次後期の時点で指導教員直々に「テメーはダメだ」と言われたので断念していた)

何のつもりか研究室からの寄せ書きもくれた。数人はメッセージしか当たり障りのない内容だったけど。


一応研究ノートとかは返してないが、こちらも特にとがめなし。まぁ「門外不出にする価値もない」ってことなんだろうけど。

研究室感謝する義理もないので、研究室パソコン内のデータ研究実験ソフトなどを全消しするプログラムを仕組んでおいた。

バレにくくするため、研究室を去ってから数か月後に全消しプログラム作成してから消えるパッチファイルだけ入れておいた。

全消しプログラム生成からさらに数か月後、そのプログラム作動パソコンダメになるというわけだ。

今頃どうなっているか気になるが、今は部外者研究室とも仲が悪かったため覗きに行くことができないのが残念だ。


ところで、私が去った後の研究室や専攻の方針がどうなったのか気になるところである

私のような学生ニーズに最大限配慮した研究進路指導をするようになったのか。

研究室の都合を最優先できるか、志望理由書や面接確認するようになったのか。

単に私の一件は「例外」として忘れ去られ、今までと変わらない日常に戻ったのか。

anond:20221213103451

そうしてみると、冬好きっていうのは、「苦痛が無いこと」を愛しているというのか。 

だとすると俺はどうかと思っちゃうね。

 

夏っていうのは、確かに暑いけど、開放的だし海にレジャーに楽しくて夏休みだヤッター何して遊ぼう恋もしていけ!さあ動けいまだ!みたいな。

TUBUの世界がね。広がってるわけですよ。観念の中にね。

 

そういうポジティブさをね、もっと語っていくべきなんじゃないのか。

 

広瀬香美から冬が好きな奴とかいないの?

2022-12-05

全く結果が出ない研究テーマに囚われてて終わってる

修士学生

有機化学系の研究で、この化合物にこの試薬を加えたらこういう化合物ができそう、最終的にこの試薬でこういう骨格が作れたらいいよね、っていう研究

ただ全くポジティブな結果が確認されてない

もう夏休み前には結果出なそうってのを確定するべきだったのに12月までずるずるなんか構ったりしている(溶媒かえたり、温度変えたり、原料合成しなおしたり)

本当に目標化合物はできてないのに

自分の頭がおかしくなっている自覚はある

つのこと結果が全く出ていないし全くやる価値のないことだっていうのは客観的に見ても明らかだ だって何一つデータが出ていないからでもどうしたらいいのかわからない

ずっとこの反応に囚われている

Asd持ってるんだけどその特性かもしれない

一度この研究に関連する成功体験があった

でもそれは何か新しいことを見つけたんじゃなく、単に再結晶行ったか論文通りの結果が再現できたってだけのこと

でもそれまでろくな成功体験がなかったからかなりの喜びが刻み込まれしまって自分が考えたテーマ(それでも先輩のテーマの基質を拡大しようとしてるだけ)に固執してしまうことに

それを捨てた後に何をすればいいのかわからないってこともある

指導教員からは退学した先輩のテーマをやったらって言われてて基質検討を少しやってるけど、そのテーマだってもう反応機構も基質だって大体検討し終わってて修論なんかには到底なりそうもない

就活もこれからしなきゃならないのに

もうどうしたらいいんだろう

から新しいテーマなんて思いつけないし、知識もない、こんな状況にあるのもお察しの通り頭が硬いし、成績は最悪

パッと退学したら全ての悩みから解放されそうだけどそのあとはまあ地獄(学歴もないし発達障害あるし不器用)

八方塞がりすぎる、テーマさえ間違わなければこんなことにならなかったのか?

自分の将来ずっとこんな感じになりそうだ……

本当は美術が好きだった

2022-12-04

公園

我が家の近所にも小さな公園があったが潰されて公園の跡地には3階建ての1Rアパートが2棟建っている。その公園は町会のお祭り盆踊り夏休みラジオ体操の会場でした

スラムダンク声優云々言ってたやつ~!

見た??!!

最高だったんだけど!!!

以下ネタバレあります


















マンガは大ファンで、スラムダンクきっかけでスポ少入ってたし、

夏休みスラムダンク再放送ずっと見てたし、

ガチスラムダンク勢だったんですが、


結論、最高だったんだけど!!!



声優は正直気になったけど、こんなの子もの頃に見たもの刷り込みとの差分から、あって当然。保留。

それを置いておいて最高だった。

3Dを使うところもよく考えられてたし(違和感はあったけど、必然性は感じた)

何より、内容に適した演出が極まっててヤバかった。汗、時間感覚、細かい動き。すばらしかった。


内容も良かった。

自分の家も親が早くに逝ったり、離婚してたりで、弟が辛そうにしてた時、バスケを支えにしてた。

そのせいか感情移入度高かった。

そう、バスケって人を支えてくれるんだよな…!って思い出した。

バスケにかける理由は様々だけど、それらがきちんと解像度たかたかで描かれてて震えた。

解像度が旧スラムダンクアニメよりも高かったので、

それぞれの名台詞が、まぁ色鮮やかに再生されること。

マンガ読んだときよりも、実感強く理解できた。




言いたいことは山ほどあるけど、

とりあえず

炎上で引いてしまった人よ、見に行ってほしい。

感想もっと読みたい。

2022-11-28

[]

しごとをやめるかとりあえず1週間休んでいろいろ整理したり好きなことして気分転換するか

どっちかっつったら後者だよな一般的には

今年の夏も結構ヤバめだったけど夏休みで1週間やすむと結構気分転換できたし

やんなきゃいけない仕事はあるけどもうやめるって選択肢が出てる時点で割と緊急度は高い気がすんだよな

つーか仕事はなくなんないし

がんばって申請するしかいか

どうせこのままだとまた有給腐るだけだし

まじで有給の持越し期間が短すぎる

せめてあと1年やってほしい

つってもいまの職場いたらたまってくばかりだとは思うけど

間接部門有給消化しまくって満喫してて全社の平均消化率あげてんのマジでむかつくわ

2022-11-23

anond:20221122155444

よんでそんした。

週半の休日しかも雨だと調子がくるう。ふつうに出社すべきなきもするけど、あるく必要あるし・・そこまでして??ってきぶんとなる。

マジでダメだ。

週半の休日は全部金曜か月曜にうごかすっていう法律つくってほしい。それかもしくは、国民の祝日全廃。

そのかわり夏休み正月休みをのばす。

そういえば

プレミアムフライデーどうなったんだ?

2022-11-22

日本原風景っていったらみんなどういう景色を思い浮かべるの?

俺は山から海までがつながってて坂道ばっかりで、

有名どころで言えば尾道らへんの風景が思い浮かぶんだけど、

これが自分の親の実家瀬戸内夏休みごとに里帰りしてたからなのか、

それともノスタルジック風景として割とみんな思い浮かべるかがわからない

いまが一番楽しい時期、社会人もっと辛いって言われたけど今でもめちゃくちゃしんどいです…

人生夏休みなんて銘打たれてるけど毎日バイト課題で遊ぶ暇なんて無いし

貧乏だけど全面支援してもらえるほど頭良いわけでもないし

奨学金借りててもちゃん就職して返せるか不安だし

毎日先行き不安でもうだめだとなる

親のことは嫌いじゃないけど自分ができちゃったで産まれたらしいという話を聞いて

ふざけんなよそんな軽々しく産むから自分はこんな苦しんでんだよという他責的な思考になってしま

産む覚悟の人すごい共感できる

生物学的には間違ってると思うけどあれくらい考えて産んでほしい

人類80億人もいるんだしもういいよ

別に鬱病とかじゃないと思うし最近の若者根性が無いのアレかもしれない

周りの人はみんな普通に出席して課題出してってやってるのになんでこんな事もできないんだ

こんなところでこんなもん書いてるからなのか

2022-11-20

小学生時代、僕だけがポケモンを持ってなかった。大人になった今も、その渇きは潤わない。

夏休み、パパが東京ミュウの配布会連れてってくれるって!」「いいな!てかポケモン青、いつ届くんだろ」チャイムの音と共に騒がしくなる教室で、目を輝かせる友人達小学校話題の中心はいつもポケモンだった。僕は一人、いつも下を向いていた。ウチにはゲームボーイも、スーファミもなかった。

ファミコンは目が悪くなるから」。僕と弟がゲームをねだるたび、母は困った顔をして、でも決して折れなかった。図鑑世界名作全集、蟻の観察セット。サンタさんは毎年、僕のリクエスト無視して高島屋の包装に包まれた立派なプレゼントをくれた。嬉しくないのに、喜んだふりをするのが辛かった。

銀行員の父が毎晩遅くまで働く中、短大卒で専業主婦の母は気負っていた。お菓子手作りで、床にはチリ一つなく、洗濯はいつも綺麗に畳まれていた。彼女の信じる理想の子育てとはつまり公文スイミングピアノのローテーションであり、ゲームボーイみたいな退廃的な娯楽が入り込む余地はなかった。

大人にとっての理想の息子は、子供世界では異物でしかない。ポケモン話題についていけない僕を待っていた疎外感。クロールタイムが早くても、小学生因数分解を解けても、誰も僕に関心を持ってくれなかった。みんな、放課後通信ケーブルを持ってる田中君の家に集まり通信対戦に夢中だった。

ドラクエFFクロノトリガーも、テレビ友達プレー画面を見てるだけで我慢できた。でも、ポケモンは違った。ゲームボーイの画面は小さく、見ようとすると「近いんだけど」と邪険に扱われた。通信対戦で盛り上がる友人達そばで一人、本棚の古いコロコロを読んでた。涙をこらえるのに必死だった。

お小遣いを貯めて、ポケモン攻略本を買った。隅から隅までボロボロになるまで読み込んだ。技マシンの番号と技名を全部覚えた。全ポケモン進化パターンもそらんじた。でも、そこには僕が動かせるピカチュウミュウツーもいない。むしろ虚しくなるだけだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

大人になった今だから分かる。健全な物に囲まれ、誘惑に負けることなく健やかに育って欲しいという母の想いは世間では愛と呼ばれるものだ。僕が社学とはいえ早稲田を出て、それなりの企業に勤めているのは母の愛のおかげだ。でも、幼少期に満たされなかった想いは、渇きは、今もまだ確かに残っている。

「うわ、バイオレットだ!やったー!パパ、ありがとう!」朝、リビングAmazonの箱を開けて大はしゃぎの息子。「誕生日でもクリスマスでもないのに。まだSAPIX宿題も終わってないのよ」としかめっ面の妻。これは息子のためでなく、僕の傷を癒すための儀式なんだと言っても理解して貰えないだろう。

「そういやα1のケンタ君、家にSwitchないんだよ。ママが厳しいんだって可哀想だよね」息子の何気ない一言に、動悸が早まる。子供世界共通言語を持たず、母親監視の下で偏差値を上げるためデイリーサピックスを黙々と解く小学生男子。顔も知らないケンタ君の日常を思うと、胸が締め付けられる。

深夜、家族が寝静まったタワマン低層階のリビングで1人、Switchの電源を入れる。ニャオハがマスカーニャまで進化しても、チャンピオンロードオモダカを倒しても、驚きや喜びを共有できる友人はどこにもいない。プレミアムモルツ一口飲む。僕が本当に欲しかったものは、もう二度と手に入らない(完

タワマン海藻とか早稲田社岳とか・・・

ネタちりばめすぎて創作だってわかってしまう好例やん・・・

嫌いじゃないけど・・・

ネタバレ有り 東北人だけど、すずめの戸締まり見て辛くなった

今日、すずめの戸締まりを見てきた。

どうせ新海誠のことだからキモい性癖を散りばめて RADWIMPSで無理やり感動させる雰囲気作るいつものやつだろ、くらいの気持ちで臨んだ。

冷やかしの気持ちだ。

  

そうしたらあれですよ。

謎の扉から出てくるミミズ地震を起こすやつで

映画の中盤には東北道北上して、物語舞台東北のあの辺になってきて

放射能で住めなくなった荒れ果てた街があって

  

自身東北震災で直接被害を受けたわけじゃない

ただ、ばあちゃんの家が福島にあって、小さいとき夏休みに泊りがけで遊びにいってたところ。

地元の駅は津波で流され、ばあちゃん家は放射能で住めなくなって、野生動物に荒らされて?ガラス割れ草ボーボーになって

両親が防護服を着ながらそういう状態写真に撮ってたんだけど、それにそっくりだった

  

呼吸が浅くなった

映画描写は、津波被害家屋がぐしゃぐしゃ、船がおかしなところに乗っかっちまってるようなそんな街を映していて

これには本当にびっくりして涙が止まらなくなり、口のところまで流れてきてしょっぱかった

  

謎の扉の奥の常世は、気仙沼市の夜の火事みたいな大地だった

あの日俺は海老名仕事してて、小田急止まって家に帰れなくなって

夜中に会社の人と近くのイタリアンの店でご飯食べてたんだけど

その時に小さなテレビに映っていた映像そっくりだった

びっくりしてまた涙がぼたぼた落ちてきた

  

繰り返すが俺自身はあの地震で直接被害を受けていない

福島のばあちゃんも今は施設にいるが健在だ

原発仕事をしていた別の親戚は、仕事がなくなって引っ越したらしいが、まあそんなところだ

  

幼い日のすずめが、お母さんがいなくなった事を一生懸命説明する描写がある

あの日3月の冬の夜、帰る家も無く、たくさんの人が声を枯らして人探しをしたんだろう

そういう悲しさで辛くなって、手を合わせて祈りたい気持ちでいっぱいになってしまった

  

この映画についていろんな意見があるだろうと思う

映画作品性感想は無い

ただ辛くなり、可哀想になり、たくさんの当事者たちに祈りたくなった

2022-11-13

[]正反対君と僕16話

見開きの今後も「今日を思い出すと思う」ってところ、

自分には無意識にそうなる瞬間がなかったから、

当時意識的に作った

学校までの長い一本道、夏休み運動部いきたくねーとおもいつつ海のそばのまっさおな青空を見上げて、

おれはこれからこの青空をいつも思い出すんだ 忘れないようにしよう

みたいにあえて思った

それを今も覚えている

からといって何もこれまでなかったけど

2022-11-05

anond:20221027213152

あれだけ「日雇い派遣資本家労働者搾取する制度から禁止すべき!」って言っておいて、

こういうデメリットがあることに気が付いたら「国はなんのためにあるのか」と言い出すブコメたちよ

どうせ最低賃金が上がっても同じこと言いだすよ

まぁあくまで「派遣」がダメなだけなんで、夏休み学生みたいに短期アルバイト探せばいいんじゃないですかね

(といっても記事作成から時間がたってるから今更短期仕事探すなら次の仕事の準備にかかってるだろうけど)

2022-10-29

独り暮らしだが電気代2万円超えてた

まあ8月電気代で夏休みもあったし

ずっと引きこもってクーラーかけまくってたし

別に2万超えても不思議ではないんだけど

大台乗ったな・・・!感はあるよね

2022-10-25

親の扶養に入り続けながらフリーランスやってる

保険扶養10万8千円以上の月収を3ヶ月以上やっちゃ駄目なのか

悠長に8月夏休みにして家でダラダラしてなかったらお陀仏だったのか

働き方次第ではコントロール出来そうだし今後考えようか

2022-10-21

旅行に行くときに持っていくもの

あしたからかなり遅めの夏休みコロナ後初の海外に行ってくる(タイに7日間)。

みんなの「旅行にはこれを持ってくよ!」っておすすめ持ち物があったら聞きたい。

今回は携帯ウォシュレットと変換プラグつきタコ足延長コードを試してみるつもり。

2022-10-19

PTAで悩んでいる人、辛い思いをしている人に言いたいこと

PTAに加入しないでください。

すでに入っていたら退会してください。

PTAの加入は本来任意です。

でも現実はそうなっていません。

強制的に加入させられているだけです。

PTA規約を見ても、会員は「○○小学校に通っている児童保護者とする」というような書き方しかしていません。

加入要件手続きもなく、退会方法すら載っていません。

これが現実です。

これからPTAを退会した私の経験を話します。

子供卒業した今だから、そして匿名から書けます

何も私はPTA不要論者ではありません。

自分が退会したことを自慢に思ったこともありません。

なので、今日まで人に言いふらしたこともありません。

本来PTA活動は、必要と思う人、活動に協力できる人が任意活動すればいいとだけ思っています

ただ、家のこと、子供のこと、生活のことでいっぱいいっぱいなところに、PTA役員が回ってきて、悩みに悩んで苦しい思いをしている人(特に私と同じ母親)が1人でも減ってほしい!

そういう思いから、書きます

PTA退会を決意するまで

私はシングルマザーフルタイムで働いています

子供は1人で、小学校入学する前の秋、学校説明会PTAについても簡単な紹介がありました。

PTA

活動に協力できるか不安で、規約をみてみると会員は「○○小学校児童保護者とする」としかなく、それ以上何をするでもなく、子供小学校入学

入学すると、1年生のときはほかのお母さん(100%母親でした)がこぞって役員立候補していました。

何でも早いうちに役員をやっておけば楽なんだそうです。

子供が6年生になったときに、1度も役をやっていない人はほぼ確実に役員に選ばれますが、

そうなると重たい役をやる羽目になったり、卒業関係仕事などで大変だそうです。

(初めてなので、仕組みがさっぱりわかりませんでした。退会したので今もよくわかりません)

でも、できる人はいいですよ。

私は低学年のうちに役をやることすらできなかった。

仕事生活でともかく大変だったので。

この世の中、私だけでなく保護者はみんな忙しいと思います

でもほかのお母さん方にはPTA役員になっておこうと考える余裕があったようです。

どっちが大変とか偉いとか、そういう話では断じてありません。

ただ、ともかく私には役をやる余裕がなかった。

日中仕事毎日仕事して帰ってきて生活をまわすのが精いっぱいで、休日もぐったりしていました。

それから5年生まではずっとそんな感じで過ぎました。

6年生になる前の冬、まず子供会の役決めがありました。

なぜか勝手に役に選ばれていました。

夏休み中に子供会の行事企画するそうです。

あと、資源ごみ回収のための市役所への手続きをしたり、通帳を管理するとか。

平日は無理です。

窓口の開いている時間市役所農協金融機関支店にはとても行けません。

私がその役になったら夏休み企画しません。企画はなしで終わるでしょう。

そもそも前任者も忙しいお母さんで、役決めの集まりの連絡ができず、私はその場にいないので勝手に決まっていたそうです。

そのことにも納得できず、引き受けられないと伝えつづけ、その間に不快なやり取りがいくつかあり。

結果、見かねた別のお母さんが役を引き受けてくれました。

そうです。

やれる人、やりたい人がやればいいじゃないですか?

やれる人、やりたい人がいないなら、無理に活動する必要ありますか?

その間に私も相当嫌な思いをしました。

他人に望まず嫌な思いをさせてしまっていることもストレスでした。

何のために?

たか役員のために。

そのことで気づきました。

今まで忙しかったのと、よくわかっていなかったのですが、

このままじゃPTA役員も確実に押しつけられると。

本当にできないんです。

この間、ものすごく悩んで追いつめられて、段々鬱っぽくなっていたように思います

子供のことでこんな苦しい思いをするんだったら、子供と一緒に心中する!とまで思い詰めていました。

でもある日ふと思いつきました。

じゃあ、抜ければいいじゃない。

退会すれば役員はまわってきません。

さすがのPTAも、退会した人に役員やらせないでしょう。

こんなに子供のことで思い詰めて嫌な思いをするくらいなら、抜けてやる。

ただしそれは、ほかのお母さんに白い目でみられることと引き換えです。

それでもいい、と思いました。

どうせ生活のために働きづめで、ほかのお母さん方と交流する機会もありません。

学校行事にもロクに行けていませんでした。

元々誰かとつるむことがなかったので、抜けやすかったのかもしれません。

PTAを退会するまで

さて、抜けるときめたはいいけれど、その方法がまったくわかりませんでした。

ネットでの経験談を読むと、校長?とPTA会長?に退会届を出すとか。

退会届の見本もネットに載っていました。

でも、そもそもPTA会長の連絡先がわかりません。

そこで連絡帳で担任先生質問しました。

PTAを退会したいのですが、どちらに退会届を出せばいいでしょうか」

するとまず、校長先生からPTA会長お話したいと言っている」旨の返事が来ました。

聞いてはいたけど、「退会したい」と言ったらまず、

「まあまあお母さん、まずはお話しましょうよ」

と説得して退会を防ぐ腹積もりらしいです。

しかも、電話で。

平日がダメなら休みの日にでも。

かいうんです。

いや、平日はもちろん無理だし、休みの日は休みの日で忙しい。

何よりも休みの日にそんな不愉快電話を受けたくありませんよ。

こっちは話すことはないし、そちらの都合でかけてくるのに。

すでに退会することは決めました。

話し合うことはなにもないんです。

私はただ、どこに退会届を出せばいいのか知りたいだけなのに、それに対する返事はありません。

退会する人、電話は避けましょうね!

特に気の弱い人、遠慮がちな人は、直接話すと丸めまれたり、けむに巻かれたりしますよ。

私は連絡帳にて、

平日は仕事中だし、休日も都合が悪いので、文書にしてくださいと伝えました。

少しして校長先生からパソコン作成した文書が届きました。

内容はPTA活動の意義を説くもので、

「できる人ができることをできるときにやればいい」ものだという、呆れたことが書いてありました。

もし本当にPTA役員が、

「できる人が、できることを、できるときに」

やることになっていたら、私は退会しなくて済むわけです。

でも現実にそうなっていないから、私は苦しんだし退会することになった。

現実は、

「できない人が、できないときやらせれている」

だけじゃありませんか。

多くの保護者が、PTA役員のことで苦しんでいる。

特に母親が。

この母親がっていうのがポイントだと思います

最近父親保護者会に参加したり親父の会とか作って子育て積極的コミットしていますが、それでもPTA役員にまでなって活動する父親は、やはり圧倒的に少数派です。

なぜか。

そんなこと明らかじゃありませんか。

父親一家の稼ぎ頭として、日中会社で働いているからですよね。

父親役員やる人は自営業とかで、妻より時間の融通がつく人だったりします。

無理もありません。

別に父親育児に関心ないとか、家庭にコミットしないとか思わない。

家庭内分業として、父親が主たる働き手として生活費を稼ぎ、子育ての子供の面倒を見るためにも母親が家のことを行いつつ、パートに就いたりするのは、家族内の協力体制自然なことだと思います

単に家庭内母親の方が時間的に融通がきくからPTA活動をになっているのではないでしょうか。

現実問題父親PTA活動を担えないんです。

そして私の場合、私が生活費のため日中仕事に出て、家にいる間は家庭をまわす主婦になっているわけです。

到底自慢なんかじゃありませんよ。

大変さアピールでもありません。

ただそういう実態であるというだけです。

働く父親にがPTA役員をやれないなら、私も同じ理由でやれないんです。

なんせ、朝出勤してから往復通勤時間を含めて12時間程度は家に帰ってこないんですよ。

有給休暇もあるけど、顧客都合で休めない日もあるし、休んだらその分休日出勤しないといけない仕事量でしたし。

何よりも仕事責任を果たせないのが恐怖で、ずっと綱渡りでした。

ふざけんな!ですよ。

この校長先生は、そういう母親現実をわかっていないと思いました。

そこで手紙に対する返事をこちらは便箋縦書き手書きしました。

そこは私も大人なので、表面的には平身低頭に書きました。

何も私は対立したいのではなく、ただ退会したいだけなので、退会という目的さえ果たせばあとはどうでもよいわけです。

返事には、

PTAの意義はよくわかりました。活動に協力できず大変心苦しく思っています。」

というようなことを書きました。

会費を出し渋ってると思われるのが悔しかったので、PTAには入らないけれど、

「会費相当額を学校寄付させていただく」とまで申し出て、後日実際に寄付しました。

そして校長先生コネクションが開通したのをいいことに、

この際、校長先生PTA会長宛の退会届を添えてさっさと連絡帳にたくしました。

さらに、退会届には、退会が認められたのか確認たかったので、

「年度内に退会したこと承諾書類をください」と書き添えました。

それで終わりです。

退会届に対する返事は来ませんでした。

子供が6年生に進学しても、誰も何も言ってきませんでした。

そして。

新学期に入って、学費給食費の引き落とし時期になり、通帳を確認したところ。

どういうわけか、PTA会費が一緒に引き落とされていました!

退会してないの?

かに退会届を出したのに??

まさか校長先生が握りつぶした???

酷いですね…。

そもそも自分が退会できたのかすら不明でした。

から承諾書類をくれと言ったのに無視です。

再び連絡帳の出番です。

すると。

ほどなくして昼休み時間に、電話が来ました。

校長先生からです。

この校長先生は、退会届を出した校長先生とは別の人で、当時の校長は異動したので、電話が来たのは別の校長先生です。

この先生はとてもよい人でした。

私が連絡帳に書いた要件について、「確かに退会している。会費は返金する」と、ちゃんと回答してくれました。

それでもちょっとだけ、願望めいた恨み節をひと言言われました。

引き続き子供活動に協力してね、みたいな。

私には言いたいことがたくさんありました。

そもそもPTA活動がどんなに忙しい保護者(主に母親)を苦しめて、母親同士の分断まで生み出しているか

現に私は苦しんだし、まわりの保護者から総スカンですよ。

子供会の役員ですら、そのとき役員だった人からは夜中の1時にメールが来たりしていました。

本当にそんな時間しか送れない程忙しかったんだと思います

そんな人が役をやらなくちゃいけない状態を知っていますか?と逆に聞きたかった。

でも会社内だったので大っぴらにしゃべれなくて、言いたいことの半分も言えませんでした。

お礼だけ言って電話を切りました。

以上が私の退会経験です。

PTA退会その後のこと

これ以降、PTAは決定的に私にとって「近づかない方がいい」ものとなり、

中学校でははじめから非加入届を入学時に提出しました。

高校でも、入学説明会前にPTA名簿用に情報を提出する用紙があったので、

それに換えて非加入届を提出しました。

中学ときはきっと小学校から連絡が行っていたせいか特に咎められませんでしたが、高校では加入勧奨されました。

入学説明会に行き受付をしたら、子供名前の横に●が。

すでに嫌な予感。

まあ何かあるかもとは思ってたけど。

そして案の定「あ、ちょっとお母さんすみませんお話しが…」と教頭先生が登場。

何てのたまったと思います

「役はやらなくていいから、会費だけ払ってくれれば…」

これ本当に言われました。

わず聞き返してしまいました。

「それって入会してるってことですよね?」って。

何よりもまず、そんな不公平なことをしたら、ほかの真面目に加入してくじ引きで当たって役をやる会員に失礼じゃないですか!?

役をやらなくていいなら、多くの人がやりたくないでしょう。

そもそも入りたくないという意見はおいておく…)

ただ入会した以上、システム的にくじ引きで当たったら3年間役をやるようです。

これに納得できる人だけが本来入会すべきなのです。

役に当たって「嫌だ、やりたくない」と思う人は、どうぞ退会してください。

しろ、退会すべきですよ。

※なぜこれほどまでに退会者を引き留めるのか。

私はよく知りませんが、なんか会員1人につき、上から降りてくるお金があるような?

PTA保険とかも関係しているのか?

あと地区とか上位組織に加入者を減らさないようなプレッシャーがあるらしいですね?

からもれなく無条件加入させることに校長やら教頭はこだわるようです。

そんなことのために苦しむのがアホらしいですよ…。

最後

私はPTA不要論者ではありませんが、PTA活動はあまりにも時代と合っていないことは確かです。

私が声を大にしていいたいのは、

もう母親無償労働をアテにしないでいただきたい!

ということです。

シングルマザーに限らず、共働きだったら毎日生活をまわすのに精一杯だと思います

別に外で働いてない人でも、パートの人でも、フルタイム労働者より時間の融通をつけやすいだけで、忙しいことは変わらないと思います

だって理由があって専業主婦だったりパート労働者なんでしょうし。

子供が小さくて送り迎えがあるとか、障害を持ってて世話が大変とか、それぞれの家庭の都合が色々あるでしょう。

朝の登校の旗振りをしたときペアとなったお母さんは、赤ちゃんを家に置いてきたと言っていました。

早く帰ってね、と言ったんですけど、そもそもそういう理由があるなら無理にやらなくてよいではありませんか?

色々なことが事実上強制になっているわけです。

大勢で動くから意見は言いづらいし役も断りづらい。

でも、小さな赤ちゃんを独りにしてまで、優先させる活動なのか?

あともっというと、

そもそも仕事や家庭の都合とか理由がなくちゃ断れないんですか?

単にやりたくないから、でもいいじゃないですか。

だって任意で入会する組織ですよ?

自分は向いてないとか好きじゃないとか、そういう人もいるじゃないですか。

やりたくないなら参加しなくてもOKはいけないんですか?

この日記批判的な人もいると思います

特に自分は大変な思いで役をやったのに!」という人は批判的だと思います

だって、大変な役員がまわってきたけど我慢して引き受けたのに、って。

でもそのことと私のしたこと、関係あります

役員がまわってきたとき我慢して引き受けるって決めたのはあなたじゃありませんか?

やりたくないと思った、あるいはどうしても引き受けられなかったなら、私のように退会すればよかったんですよ。

自分がやったから、やれたからって、できない人、やらない人を批判しないでください。

PTAのこともそうだけど、様々な家庭がある。

これ以上、色々比較して分断するのは、お互いにとってよくないです。

ともかく、PTA活動は、現実問題「できる人ができることをできるときにやって」いないです。

あの年配の校長先生は、女性の忙しさをなめてると思います

どうせ奥さん専業主婦だった年代だし、

自分家族朝ごはん作って食べて片付けてトイレ掃除してお米研いで炊飯器にセットしてから出勤したり、

退勤したらスーパーによって夕食の食材を買って、帰宅してご飯作って食べさせて片付けて洗濯して干して、

寝るまで子供の面倒をみる生活したことないでしょうね。皮肉ですが。

これでいいたいことは全部ぶちまけた。

なぜ今、こんな駄文を書くことを思い立ったかというと、

そろそろ役員決めの時期なんでないかと、

私のように苦しんでいる人がいるのではないか心配するからです。

せめて、PTAで悩んでいる人、辛い思いをしている人が1人でも減りますように。

PTAに加入しないでください。

入っていたら退会してください。

PTAの加入は本来任意です。

2022-10-17

明日の私のためにできる最高のこと

ASDADHD持ち、躁鬱の大学生。何度も留年を重ねています夏休みが明けてからまともに登校しておらず、人生数度目の不登校なうです。中学高校ではなく大学です。やばいよね。ずっと私に投資してきてた親からも流石に愛想を尽かされて、ごめん、私まともになれそうにないからもう死ぬね、って伝えたら死ぬなら樹海に行ってくれと言われました。というわけで行こうかと思うのですが気持ちの整理のため、というかスッキリするため?全部吐き出す投稿です。使い方合ってるのかなこれ

親のお金で買ったゲーム漫画などの別次元空想話に逃避している時だけが幸せです。でも私は多分、2次元が好き、というわけではないんだと思います現実を見ないで済むのならなんでも、睡眠でも、アルコールでも。どんなものであってもいいみたい。

人と関わるのが苦痛です。どうして目を見て話さないといけないのか、声をかけられたら応答しないといけないのか、興味がなくても楽しそうにしないといけないのか、分かりません。高校現代文テストクラスで1番優秀だったのに、現実人間がなにをどう感じるかを、私の頭はどうしてか結びつけてくれない。ずっと分からないままです。

忘れ物します。無くし物をします。道が覚えられません。熱しやすく冷めやすいです。人からの連絡を返すのに1ヶ月かかります。よく吃るし、失敗するし、打たれ弱くて、あらゆる能力が低くて、初めてのバイト(単発)で初回にこっぴどく怒られて辞めてから1度も働いたことがありません。

大学に行けなくなったのは自分でもなんでだか分かりません。自分が何考えてるのかも分からん。私はそもそも大学に進みたかった訳じゃないのに親に学校学科勝手に決められたせいでやる気が…とはいえ、まともな神経してたら学校嫌でも行くと思うんですよね。ダブったら学費勿体ないし、就職もきつくなるし。だからなんだかんだ言って結局全面的に私が悪いんです。将来のこと考えられてない愚か者は私。

このままじゃやばい、変わらなきゃ、明日からは切り替えてちゃん学校行こう、人としてちゃんとしようって思って毎晩寝ます。でも起きると、自分は何も切り替わってないし変わるために何したらいいのか分かってないんです。で、なんとなくゲーム始めて一日が終わって、うーん明日の私が頑張るはず!って考えて寝て、無限ループです。結局私の深層心理的には変わる気がないんだろうなと思います

発達障害と、それを認識していながらも甘く見ていた青年期の自分のせいです。ずっといつかはなんとかなるはず、って思って処世術人生設計も模索せずぼーっと生きてきました。結果、取り返しつかないほどの諸々低スペのゴミになっていました。

やらない言い訳ばかり探している人生が恥ずかしいです。変わるための努力が、自分を好きになるための努力がどうしてできないんだろう。 1日1日を大事にして、真面目に生きている人達申し訳ないです。もう終わりにしたいです。欠陥だらけの自分は、人間として産まれてくるべきでなかったのだと思います。期待を抱いて何かを始めて、そうして失敗する度に自分能力の低さを思い知らされます。いっそそれを自覚できないほど鈍感だったら良かったのに。人に迷惑をかけて、それでも気にせず図太く生きられたら良かったのに。糖質の人、重度の障害を持つ人を見る度に羨ましい、なんて最低なことを考えてしまます

健常者でないけれど異常者にもなりきれない、まともじゃないのにまともになろうと頑張ろうともしない、自分が本当に嫌い。世界で一番嫌い。

大学行けなくなって。この程度のことでつまづくなんて、どう考えてもこの先生きのこれないだろうって思うようになりました。そんなふうにならないように、今までどうしておけばよかったのかも分からない。人間絶対向いてなかったと思うので来世があったら頼むからカニかにまれたいな。本当に、本当に私として生まれてきたくなかった。人生の中で楽しいと感じた瞬間が全く思い出せない。

高校入学から精神科に通って、カウンセリングで話を聞いてもらって、薬を処方されて。高いお金を月に何度もかけてきましたが、効き目がありません。薬は、大分から現状から目を逸らさせて問題先延ばしにするよくない道具です。生きてればいいことあるって先生カウンセラーさんも言ってくれた。もう聞き飽きたよ。なかったよ。てかいいことって何か、私結局ずっと分かんないままだったよ。

最近は動けなくて、水を取りに行く気力がなく薬を飲めていません。何をどうやったって私のポンコツぶりは治らないと思ってるから飲む気がないのもある。当然お風呂入れてなくてあちこちかゆい臭い。何も生み出せない自分が生きていたら地球全体の損失なのではないか資源無駄遣いなのではないかと感じたから、そういう理由なら勇気出して死ねるかな…という言い訳を気を抜くと考えてしまう。結局自死動機他人のせいにして自分背中を押そうとする自分。嫌い。

太宰治の『人間失格』を初めて読んで、私は1人じゃないんだって励まされた中学1年生のある瞬間(大分厨二病w)から、いつかまともになれるからちゃんとした大人になれるから、って信じて死ぬのを先延ばしにしていたけれど、私にはいつかなんて訪れないんだって最近気が付きました。どうしてか変わろうっていう努力ができない。1度決意しても、気持ちも行動も持続しない。全部私が悪いです。20数年生きて、親の金で色々なことにチャレンジさせてもらって、結局分かったのは私は何も向いていないということ。自分のやりたくて、好きなことがなんなのか分かりません。そして、好きじゃないことを頑張れる根性がありません。生き恥晒していると思います

何度も何度も死のうと決意して、その度に怖くて何も出来ずに先延ばしにしてきたけれど、そろそろ、いや、今がその時なのかな。

私の悩みも生き方も道端の石みたいにちっぽけだってことは分かっていますもっと苦しい人がいる。世界が私の把握できる範囲よりずっと広いことを知っているから、余計に絶望する。こんなくだらない悩みで死にたい、って思ってしまっているって、本当に生きる価値がない。

いやほんと生きるモチベないわ。そろそろ樹海行くか。死ぬ前日にどうしてもしたいことってなんだろうってずっと考えてたけど結局何も思いつかなかった。私が人生で1番大事に思ってたことってなんだったんだろうか。これだ!って思っても、1週間も続いたこと多分なかったな。本当にろくでもない人生だった。樹海に行く、って、もしかして人生初の前日の私が明日の私のためにしてあげるいい感じのことなんじゃないかって気がしている。

2022-10-14

anond:20221014221838

全然関係ないけど、大学入って一人暮らしを始めて最初夏休み友達と何かやったりサークル活動したりもせず実家に帰って丸々1ヶ月か2ヶ月か過ごした苦い思い出を思い出してしまった。

発達が遅くて精神年齢が全く追いつかず、(勉強以外は)大学生らしいことが全く何もできなかったんだよなあ。後から思えばそれは生まれつきの遺伝子問題と育った環境の両方に原因があったと思う。

その後色々頑張って20代半ば以降くらいからは表面上は何かと問題なくやってきた社会的にまともな人と見られるようになったと思うけど、それは所詮から取り繕ったものしかなくて、

あの頃のどうしようもない思いや体験人生に消えない陰を落としていて、最終的にうまくやり切れないことはだいたいそこに根本的な原因があると感じる。

2022-10-12

anond:20221010215654

冨安陽子が好き

キツネ山の夏休み」には今なお大好きなものとの出会いが詰まってる

「空へつづく神話」には好きなものをこじらせた原因が詰まってる

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